« 霊媒現象のメカニズム | トップページ | 健康観と病気観 »

個別テーマ

①.動機と道義心

ア)共通の尺度を何に求めるか?

☆地上世界と霊界との違い

人間は物的身体をまとった霊である。霊界は同一レベルの霊が集まって生活している世界であり、地上世界は霊的成長レベルの多様な霊が、同一構造にある物的身体を身にまとって生活している混在社会である。

このように地上は霊界とは異なって、さまざまなレベルの霊が同一平面上で生活しているため、私たちは霊界では体験できないことを、直接あるいは間接に体験して、霊性向上の為に学ぶ機会が数多く出合える場となっている。

 

☆到達した霊性レベルで判断

このように多様な霊的成長レベルにある霊が生活しているので、万人に共通した“出来合いの尺度(善悪の判断基準)”を用いることはできない。なぜなら“出来合いの尺度”によって“善悪・正誤”を判断すれば、ある人には厳しくある人には緩いものとなってしまうから。そのためその霊が到達した霊性レベルから判断する必要が出てくる。

 

☆動機は何か

高級霊は常に「動機は何か」を問題とする。「それはその動機が問題です。いかなる問題を考察するに際しても、真っ先に考慮すべきことは“それは霊にとっていかなる影響をもつか”ということです」。さらに行為における善悪の判断基準を、高級霊は「判定装置(道義心)」に求めている。言い換えれば人の思考や行為の根本に存在する原動力(動機)を、道義心でチェックするということになる。

 

☆チェックシート

ある人が何らかの行為をしたとする。その場合にまず“行為の背後にある動機”は何かを確認する。次にその“行為の背後にある動機”は道義心に適っているかをチェックする。具体的には、行為者は「自分は正しいことをしている」と思って行動を起こしたのか、または「いけないことと知りつつ行う」形で行動に移したのかをチェックする。

 

☆道義心とは何か

高級霊は道義心を「霊的自我の中に絶対に誤ることのない判定装置」という意味で用いている。霊的自我のレベルが高い霊(→神の分霊の顕現の度合いが高い霊)は霊的意識レベルも高いので、道義心を“行為時の霊的意識レベル”と言いかえることもできる。したがって「〇〇のためという動機で行った行為」については、それまでに到達した霊的意識レベルを指標として、その“動機の純粋性”をチェックすれば良いことになる。

 

ある行為が、Aさんの場合には霊的成長レベルから見て“正しい行為”でも、Bさんの場合には道義心に適っていない“間違った行為”となる場合がある。行為時の霊的意識レベルが高いBさんの場合には、より厳しい尺度が適用されることになるから。

このように人によって霊的成長レベルが違うので、ある行為を外形から見て単純に“良い悪い”の二者択一で判定することは出来ないことになる。

 

イ)個別事例

☆戦闘行為

生命は神のものなので、他人の寿命を縮める行為や奪う行為は霊的法則から見て誤り。しかし兵士は命令によって戦わされているので、状況次第では敵兵を殺す場合もあれば、敵兵から殺される場合もある。したがって戦場での行為には「魂に罪過を負わせる」ことにはならない。

 

ゲリラが潜んでいる村落の掃討作戦に従事した兵士の中に「新米の二等兵」と「古参兵」がいるとする。今回の掃討作戦に「上官の命令は絶対だ」と思って加わっている「新米の二等兵」の場合と、戦闘の裏表を知り尽くしている「古参兵」とでは、同じ行為といえども道義心の面から扱いが異なる可能性がある。

なお一種のロボット状態で躊躇なく村人に銃口を向けて発砲した「新米の二等兵」と、周囲に悟られないように一発目はわざと外して、村人が逃げる余裕を与えてから発砲した「古参兵」とでは(→同僚に見つかれば軍法会議にかけられるが)、道義心という観点から見れば共にそれなりに正しいという場合もある。

 

☆徴兵拒否

Aさんは「兵役に就くことは国家への奉仕」なのだとの考えから、「母国を守るためには敵を殺めることも一国民としての義務である」として戦場に赴いた。これに対してBさんは「戦場とは人が殺し合う場所である、故に徴兵を忌避する」として軍隊への出頭命令を拒否した(→なお多くの国では、徴兵逃れは刑法犯となる)。

 

このように相反する二つの行為をどのように理解したら良いか。判断基準は何か。高級霊は「徴兵を拒否した人の方が軍人より進化の程度において高いこともあれば低いこともある。しかし、互いに正反対の考えをしながらも、双方ともそれなりに正しいということもある」。そして「あなたにとっては正しいことも、他の人にとっては間違ったこともある。なぜなら、あなたとその人とは霊的進化のレベルが違うからです」と述べている。Bの徴兵拒否の動機は何か。その動機は道義心(基準は人により異なる)に適っているかがポイントになろう。

 

☆戦争に付随して見られる残虐行為

戦争によく見られる残虐行為には責任が伴う。戦闘は負け戦であったが、敗走の途中で民家に押し入って、住民を殺戮して食糧を強奪する行為は、戦場では日常的な光景であろう。

残虐行為は当事者間では、一般に狭い範囲の“強者対弱者の関係”の中で発生して、これに激しい憎しみがプラスされた状況の中で起こることが多いであろう。これらの行為を行った者は、当該行為が違法であることを一般的には承知して行っている。なぜなら行為者に対して、一瞬躊躇するなどの形をとって、暴走する感情に理性という道義心が歯止めのための警告のサインを出しているから。

 

☆生存ライン

飢餓状態にある難民キャンプで、母親Aは飢えた我が子に食べさせるために(動機)、Bの食糧を盗んできて子供に与えた行為(間違った行為)についてはどうか?

動機はわが子のため(利他的行為)だが、Bにとってみれば奪われた食糧は“なけなしの食糧”であり、窃取されたことによってBは生命の危機に陥る場合がある。

 

Aは道義心が発する警告を無視して悪いことと認識して行った場合は、その動機に基づく行為はAの行為時の霊性レベルから見て罪悪感を認識できる状態にあるので、道義心に反する行為となる。

Aは罪悪感もなしにBの食糧品を窃取した場合は、Aの行為時における道義心(良心)はクリアーしているので「魂に罪過を負わせる」ことはない。しかし霊的未熟さは残るので他人の食料品を摂取したという因果律は停止状態となっている。その後Aの霊性レベルが向上すれば凍結状態にある因果律が解凍して、“Bの食糧品を窃取した行為”が意識の表面に浮き上がってくる。そしてBに対して“懺悔する気持ち(良心の呵責)”が芽生えてくる。

 

☆長年の悪弊と道義心

長年にわたって社会に根づいている悪習慣(→奴隷制度や人種差別など)に関して、高級霊は「イエスの教えなどに接して道義心が目覚め、理性が啓発されて、奴隷(または有色人種)も神の前には自分と同等なのだと悟ったあとは、どう弁解しても罪は罪です」。これは奴隷制度と同様に人種差別や男女間の性差別にも当てはまる。

道義心が発する警告を無視して悪いことと認識して行うか、罪悪感もなしに行うか(→道義心はクリアー、しかし霊的未熟さは残るので因果律は停止状態)がポイントになる。

 

ウ)一つの考え方

☆因果律が解凍

行為者は一段高い霊的意識レベルから当時の行為を再評価して、その結果霊的法則違反を自覚するようになると(→良心の呵責を覚えるという形で)、自らの行為に対して責任を取りたいとの気持ちが湧いてくる。

いわば霊性レベルが一段と向上することを条件として、そのレベルに行為者が到達すると、それまで意識の中に潜在していた“休眠状態にあった因果律”が動きだして(→凍結状態にあった因果律が解凍しだす)、良心の呵責を覚えるようになる。その後さらに霊性レベルがアップすれば、そのレベルに見合った別の凍結中であった因果律が深い意識の底から浮かび上がってくる。これらを一つ一つ“クリアー(シミ抜き)”していくことによって「魂のシミ」を少しずつ消してゆき、純粋さを一段と増して進化の階段を登っていくことができるようになる。

 

☆たとえ話

蕎麦屋で蕎麦を食べた時に跳ねた汁が服に付きシミとなったが、店内の照明では見えなかったので気がつかなかった。料金を支払って外に出て、明るい太陽の下で良く確認したら服がシミになっているのが分かった。(→霊性が向上して薄暗い低い世界から明るい高い世界に来ると、自分の中にあるシミが見えてくるようになる)

 

上記の事例で、蕎麦汁が跳ねて服に付いたことに気が付かなかった場合は、いわば道義心に反しないケース。この場合はより明るい世界に来て、服にシミが付いていたことに始めて気がつく。進化の低い段階では、ある行為が霊的法則違反であることが認識できない(→蕎麦汁が服に付いたことに気づかない=道義心に反していないから)。しかし道義心に反していないからといって“服に付いたシミ”がなかったことになるわけではない。

 

蕎麦汁が跳ねて服に付いたことに気づいていれば、道義心に反した行為となる。なぜなら服がシミになったことを認識しているから。なるべくなら蕎麦汁が跳ねないような食べ方、霊的法則に適った生き方をして、蕎麦を美味しく食べるべきであろう。

 

☆生きるということは多くのシミを付けること

霊性が向上して一段と明るい世界に来ると、それまで気が付かなかった自分の中にある“大きなシミ”や“小さなシミ(→未熟な部分、迷惑をかけたことなど)”が、意識の表面に浮かび上がってきて良く見えるようになる。一般には油性か水性かといったシミの種類やシミの程度によって“シミ抜きの仕方”が異なってくる。同様のことは霊性向上のための“シミ抜き”にも言える。

 

前世で社会的に活躍した人の場合は、必然的にたくさんのシミを作っているので、シミ抜きの数も多くなるであろう。物的身体という排他性を持った衣装を身につけて生きるということは、聖人君子と言われるような人といえども、必然的にたくさんのシミを付けながら学んでいるということである。しかしシミがつくことを恐れる必要は全くない。高級霊も「地上にあってもこちらの世界にあっても、人間は何らかの借金をこしらえているものです」と述べているから。

 

②.自由意志の行使

ア)限定的自由意志の行使

☆霊格の高さに応じた自由意志の行使

自由意志の行使範囲は無条件ではない。霊的進化の程度が高まればその分だけ多くの自由意志を行使できる。現在の霊格が自由意志の行使の限界となる。

 

自由意志と自己責任

個別霊たる人間には、一定の限度内で自分の行為を決定する自由意志がある。その行使の結果については自己責任が生ずる。霊的成長と言う観点から自由意志を行使するか、それとも停滞を招くような形で行使するか、どちらの道を選択するかはひとえに行為者の自由意志に任されている。結果については行為者の自己責任となる。したがって「自由意志と自己責任」はセットになっている。

 

人間は守護霊や指導霊などの背後霊からの導きを受けるが、背後霊は本人の自由意志を無視してまで影響力を行使することはできない。高級霊は度々「最終的にどう決めるかはあなた自身です」「あなたの霊的進化にとっては、あなた自身による決断が重大な要素となるから」と述べている。人生の岐路に立った際に背後霊からの指導がさまざまな形を取ってなされるが、最終的に右にするか左にするかは本人自身が決めることになる。

いわば背後霊はインスピレーションという形をとって助言してくれる、人生上のアドバイザーであるともいえる。

 

イ)自由意志の行使と選択の余地との関係

☆問題の所在

高級霊は「霊性の進化の程度に応じて、それ相応の自由意志が与えられている。霊的段階を高く上れば上がるほど、自由意志を行使できる範囲が広くなる」として、霊性が進化すると自由意志の行使範囲が拡大すると述べる。しかし「(霊性の向上により)叡智が増えれば増えるほど選択の余地が少なくなる。増えた叡智があなたの果たすべき役割を迷うことなく的確に指示します。あなた方はこの道をみずから選択なさったのです。ですから他に選択の余地はないことになります」。

このように霊性の向上に伴って自由意志の行使範囲は広がるが、逆に選択の余地が少なくなるというこの一見矛盾した高級霊の言葉をどのように理解したらよいか

 

☆生き方のスタイル

各人の生き方のスタイルは現実には複合的であり単純化できるものではないが、説明の都合により単純化してみた。事例ではAさん→Bさん→Cさんの順で霊性レベルが高くなる。

 

Aさんは「物的・本能的な生き方重視」をしている人である。Bさんは「精神的な生き方重視」の人で、「物的・本能的な生き方」はできるが、より高い「霊的成長を目指す生き方」はできない。Cさんは「霊的成長を目指す生き方重視」をしている人であり、「物的・本能的な生き方」も「精神的な生き方」もできるが、あえて「霊的成長を目指す生き方重視」をしている。このように霊性レベルが高くなればなるほど、生き方の選択の幅、行使範囲は拡大する。

 

☆生き方の選択の幅減少する

Cさんの場合――霊的な階段を上がるほど(→霊的自覚が深くなるほど)CさんはAさんのような物的・本能的生き方や、Bさんのような単なる精神的な生き方では満足しなくなる。Cさんは当然AさんやBさんのような生き方もできるが、自然に霊的成長を目指す生き方を求めるようになっていく。

Bさんの場合――Bさんは霊的自覚が芽生えなければ、Aさんのような「物的・本能的な生き方」にも魅力を感じて、「精神的な生き方」との間で、どちらに比重を置く生活をするかの綱引きが行われる。Bさんが強く「物的・本能的な生き方」を志向すれば霊性の停滞を招くことになる。その場合に霊的目覚めを促すような試練に遭遇することもある。その試練の結果、霊的に目覚めて単なる「精神的な生き方」からより深い「精神的な生き方」へ、さらには「霊的成長を目指す生き方」を目指すようになっていく。

 

当人の霊的レベルの向上(霊的自覚の程度が深くなる)により、生き方のスタイルに対する自由意志の行使範囲は拡大するが、その人が現実に選択する生き方のスタイルは、霊的真理を理解した分だけ、霊性向上に見合った生き方になっていく。このように本能的な生き方から霊性向上に向けた生き方へと変わって行くため、選択する生き方は当然に限定されてくる。高級霊が述べた増えた叡智があなたの果たすべき役割を迷うことなく的確に指示します」とはそのことを述べている。

 

③.睡眠中の体験

☆睡眠中は何をしているのか

霊的世界を理解するための準備が睡眠中に行われている。睡眠中は物的身体から離れて、霊的世界で過ごしている。

睡眠中の体験は、主に死後の準備のために「死後の世界に慣れるため」と言われている。これらの体験は全部潜在意識の中に収められて、死後に顕在意識にのぼってきて霊的世界があまり不思議に思えなくなる。このような仕組みになっているのは、本当の死が訪れた時に何のことか理解できず、新しい生活環境に順応するのに長い時間を要することになるから。

 

☆霊性レベルの低い人の場合

親和性の法則から睡眠中に訪れる世界も霊的レベルに沿った世界となる。そのため霊的レベルの低い人が訪れる世界は、幽界の低い世界。その世界は地上世界と極めてよく似ているので、睡眠中の体験は死後には役立たない。

高級霊も低い世界へ引きつけられていくような人は、やはり睡眠中にその低い界を訪れるが、その体験は死後の自覚を得る上では役に立たないという。なぜならそういう人の目覚める界は地上と極めてよく似た世界であるから。死後の世界は低いところほどバイブレーションが粗い地上に似ている。

 

☆物的身体と霊的身体との関係

睡眠中の物的身体はシルバーコードによって繋がっているため、そのコードを通して生命素(=霊的エネルギー)は供給されている。シルバーコードで繋がれているため、再び目が覚めることができる。

 

☆物的身体との関係

肉体は器械であるため休ませる必要がある(→シュレッターを連続使用すると停止するのと同じ)。霊的エネルギーを肉体に供給するためにも睡眠は必要である。

高級霊は「睡眠の目的そのものは単純です。身体は一種の機械です。機械である以上休ませることが必要です。その身体の休息中に、霊がその身体から抜け出て活動している」「睡眠中に赴く先は、それぞれの霊的成長と進化の程度に似合った環境です。そこでの体験は地上世界の時間と五感の範囲からはみ出たものばかり、脳という物的器官では認識できない」と述べている。

 

☆物的脳の限界

睡眠中の体験を思い出さないのは、ポットの水を全部一個のグラスに入れようとしても入らないのと同じで、物的脳の容量が小さいため体験の全てが収まらないからという。しかし「魂が進化してある一定以上のレベルの霊的意識が芽生えた人は、霊界での体験を意識できます」という。

 

☆睡眠中の憑依

当然に憑依される原因がある場合は別として、普通睡眠中に低級霊に憑依されることがないのは、自然の仕組みがそのようになっているから。一般に憑依されることはないという。

 

④.背後で働く霊

☆背後で働く霊とは

背後で働く霊という言葉は用いる人によって使用法が異なるが、一般に守護霊や指導霊等の名で呼ばれる“人間を善導する霊”の総称として「背後霊」と言う言葉が使われている。

守護霊は1人につき1霊のみで生涯変わらないが、背後霊(守護霊を除く)には入れ替えがある。背後霊の人数は人によって異なる。

霊界通信では「成長過程の一時期だけを指導する霊は、その段階が終わって次の段階に入ると、入れ替わって別の指導霊が担当する」とか、「何ら特殊な使命を帯びていない人間の背後霊は、魂が向上するに従い背後霊が入れ替わることがしばしばある」と述べている。

 

☆誰が背後霊となるのか

背後霊には本人と血縁関係にある霊が憑く場合や、霊的親和性に基づいて血縁とは関係なく憑く場合がある。そこには民族や国家の違いはない。一般に自分を世のため人のために役立てたいという強い思いを持った人間がいた場合に、その思いは霊的世界に響くため、それに共鳴した霊は霊的親和性に基づいて、本人との関係を築くことになる。

また背後霊は、本人に「性格に欠けたものがあって、それを補ってやるために、その欠けたものを豊富に有する霊が選ばれることもある」。また子供の霊は知識が不足しているため、霊媒の背後霊の一人となって生活を共にして地上体験を身につけていく場合もある。背後霊は本人に憑くことによって、背後霊自身も進化向上しようとする。

 

☆守護霊と人間の関係

一人の人間には必ず一人の守護霊が付いている。しかし本人が守護霊の存在を自覚していなければ、守護霊は本人に働きかけを行うことはできない。

守護霊には本人が霊的成長の道を歩めるような形で、その影響力を行使するという摂理上の制約がある。そのため本人が困難や苦難にあえいでいる時に、守護霊はあえて傍観するという場合もありえる。なぜなら本人が、その困難や苦難を自ら乗り越えることによって霊的成長が果たせるから。

 

守護霊の本人に対する働きかけは、純粋に精神のみを使った働きかけとなる。例えば守護霊は本人に対して意念を集中する、思念を本人に投射するという形で行い、本人はそれを無意識で受け取って、自分の行動や考えを修正するという具合になる。このようにして本人の意識を守護霊に向けさせて、両者の磁気的な繋がりを強固にさせていくことになる。

 

☆緊密な関係を作る

霊的親和性が強ければ強いほど守護霊と人間の結び付きは緊密となる。守護霊の存在を人間が自覚すると、守護霊は仕事がやり易くなる。そのためには「瞑想、祈り、語り」などを通して、絶えず意識を守護霊に向けて関係を密にする必要がある。その結果、両者のオーラが融合する機会が多くなり、インスピレーションを受け取り易い体質になっていく。

人間と霊との関係では、最初に人間側から何らかの行動を起こすことが原則となっている。高級霊も「霊の地上への働きかけは、それに必要な条件をまず人間側で用意するしかない」と述べている。そして両者の関係がどこまで親密となるかは、地上の人間の霊的成長次第で決まるという。

 

日頃から守護霊に愛念を向けて霊的回路の構築を目指している者は、精一杯努力すれば決して自分は見捨てられないとの信念を持つ必要がある。たとえばボクサーはリング上で孤軍奮闘しているように見えるが、リングサイトでは大勢の支援者が見守っている。これと同様に一人の人間の周りには、守護霊や背後霊、大勢の善霊が取り囲んで、絶えず指導や援助を行って応援している。一人ぼっちの人間はいない。

 

なお守護霊や背後霊が影響力を行使して、「霊的・精神的・物質的な面」で良い方向に進んで行くとしても、面前の石ころを全部取り除いてくれるということはない。解決できないような問題は生じないという意味である。

 

☆守護霊信仰の誤り

高級霊は崇拝の対象は、絶対神の神のみであって、指導霊(→例えば八百万の神、イエス、天使、守護霊、指導霊などの高級霊)ではないとして、たびたび「指導霊崇拝」に陥らないように注意を喚起している。

守護霊・指導霊・支配霊等の高級霊は、「自らも霊的成長を果たさんがために地上の人間に憑いて苦楽を共にしている」、そのため自分自身が崇拝の対象とされることは間違いであり、迷惑であると述べている。また霊が述べたものであっても、それを「鵜呑みにせず必ず自分の理性によってよく吟味しなさい」と繰り返し述べている。

 

☆一定のパターンの存在

地上の人間の指導に当たる霊は、自由気ままに指導・援助しているわけではない。そこには一定のパターン(型)があり、その枠内で指導・援助をしている。

守護霊・背後霊は霊界側の法則に則って地上人を指導するのだが、その際に物的条件に合うようにバイブレーションを調整する必要が出てくる。高級霊は「私たち霊界の者はあくまでも私たちにとって都合のよいタイミングで、私たちの方法でしか仕事が出来ない。あなた方の都合に合わせてあなた方の方法でするわけにはいかない」「人間界の都合に合わせて行うわけにはいかない」と述べている。

 

⑤.幽霊と霊の違い

☆“霊”と“霊体”と“肉体”

人間の身体は二重構造(肉体+霊体)になっている。この世では自我の本体である“霊”は、物的身体を通して自我を表現している。死(シルバーコードの切断)によって霊的世界に移行するが、移行後の“霊”は霊的身体を通して自我を表現している。

“霊”は自我の本体(神の分霊が内在)であり、“霊体”と“肉体”は本体たる“霊”の表現器官(衣装)である。“霊”の成長に伴って表現器官が洗練されていく。

 

霊的世界に移行した“霊”には、いまだ意識が物的世界に向いている“地縛霊”と、死の自覚を持って幽界生活に適応していく“霊”との二種類が存在する。前者は霊的波長の世界にいるにもかかわらず、いまだ物的な波長の中で暮らしている霊である。

 

☆幽霊とは

幽霊とは身体は霊的世界にいるにもかかわらず、意識はいまだ物的な波長の中で暮らしている地縛霊のことをいう。一般に幽霊が出たという場合は地縛霊の仕業が多い。

幽霊には、地縛霊が地上の霊媒体質者からエクトプラズムの供給を受けて物質化して姿を見せた場合。この他に霊的世界に移行した霊が、地上時代のある出来事を強く思い浮かべると、その思いが一種のエネルギー源となって、中間境に脱ぎ捨てた幽質結合体にエネルギーが供給されて、それが影絵のように一人歩きする場合とがある。

 

特殊な事例として地上人が想念霊を作り出すケースがある。高級霊は「人間の精神には映像をこしらえる能力がある。それが具象化するほど強烈な場合には(思念の投射)も起こりえる。一つの思念をある一定の次元で保持し続けると、その通りの形体をとる。物的形態ではない」と述べている。たとえばキリスト教徒が「イエス様の姿を見た」という場合に、それはその信者が想像しているイエス像を見ただけで実体を見たわけではない。

 

⑥.地上世界の役割

☆地上人生の目的は霊的覚醒と霊性の開発にある

霊性の開発とは、自我の本体に種子の状態で有する“神の分霊”を少しずつ顕現させていくことをいう。そのための方法としては、人のために役立つ行為(=利他的行為、水平的な霊力の流れ)を行って、霊力の循環を自ら作り出すことに尽きる。

この利他的行為に伴って作られる霊力の循環(私からあなたへ)は、宇宙に遍満している霊的エネルギーをより多く自我の本体に取り込む(垂直的な霊力の流れ)誘い水となる。その結果、霊性の開発が促進されて、霊界で待ち受ける仕事を行うための霊的資格が身に付く(→有資格者となること)。物質の世界に於ける艱難辛苦の役割は、自我の本体に内在している神の分霊を顕在化するための“魂の磨き粉”となっている。これがこの世に労苦が存在する理由である。

 

☆意志力と集中力を高める

地上は物質の世界なので、思いは行為(物的外形)を伴って始めて相手に理解される。善意という思いは物質に包んで表現しなければならず、そこに意志力と集中力が要求される。単に善行を想念しただけでは外観からは見えない。その想念に行為をプラスすれば、他人から見て善行として認識できる。

霊的世界は思念が基本となっているので、死後の世界にスムーズに適応できるようになるためにも、意志力と集中力という地上体験が大いに役に立つ。このような観点から見れば、地上世界の存在目的は霊的覚醒と霊性の開発にある。霊性の開発には強い意志力と集中力を必要とする。物的世界はそれらを強化するには絶好の環境にある。

 

« 霊媒現象のメカニズム | トップページ | 健康観と病気観 »