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1.はじめに

目 次

ア)月の探査

・月周回衛星「かぐや」

・後藤以紀氏による月の裏面の念写の検証

イ)「霊媒・三田光一」研究

・研究の目的

・全体の概要

 

<注1>~<注3>

 

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ア)月の探査

☆月周回衛星「かぐや」

昨年(2009年)あるテレビ番組の中で、月周回衛星「かぐや」からの鮮明なハイビジョン映像が映し出されていた。放映された月の地平線から昇ってくる地球の美しい映像や、月表面の鮮明な画像を見て感銘を受けたものであった。今回の「かぐや」は2007年9月14日に打ち上げられたが、この周回衛星によって、アメリカの「アポロ計画」以降では最大規模の本格的な月の探査が行われた。

近年では、アメリカをはじめヨーロッパや中国そしてインドなど、各国が競って探査機を月に送り、多くの月の画像データが蓄積されてきている(注1)。

 

☆後藤以紀氏による月の裏面の念写の検証

三田光一(1885年→1943年)は明治末期から昭和初期にかけて活躍した、透視や念写を得意とした霊能者である。三田は誰も月の裏側を見たことがなかった時代、昭和6年(1931年)と昭和8年(1933年)の2回にわたり、「月の裏側の念写」を行った。しかし当時はその念写像の真偽を確認する方法がなかった。

月の裏面の写真撮影は、昭和34年(1959年)ソ連の宇宙船ルーニク3号によって初めて成功した。しかし当時のソ連の秘密主義のため、三田の念写像との比較検証はできなかった。その後アメリカは宇宙船アポロを打ち上げて、月の裏側を含む数多くの写真を撮影してきた。NASA(アメリカ航空宇宙局)は、宇宙船アポロが昭和44年(1969年)から昭和47年(1972年)にかけて撮影した航空写真に基づいて、月表面や裏面の「円形地図」と「月球儀」、およびNASA編纂の「月面クレータの名称とその位置(月面上の緯度、経度)の表」を作成し公表した。これによって初めて三田の「月の裏側の念写像」の真偽が検証できることになった。

 

NASAがアポロ宇宙船から撮影した月面写真を用いて作成した「月面図」と、三田の念写像とを比較するためには、まず「月の裏面の念写方向の推定」を行う必要がある。三田がどの角度(→体外離脱して宇宙空間から月面を見た角度)から、月の裏面を見てきて念写したかを計算により明らかにして、両者が似ているか否かを検証しなければならない。

工学博士の後藤以紀氏(1905年→1992年:東大教授、工業技術院長、電気学会会長を歴任)は、昭和60年(1985年)にNASAが作成した「月面図」を基にして、月の裏面の主要「クレータ」(噴火口)と「海」(月の表面の黒く見える部分)の部分から任意に31地点を選んで、NASAの資料を使って念写方向を計算によって算出した。角度を同一にして両者を検証した結果、主要な「クレータ」や「海」の31地点について「念写結果は良く表と一致していることが判明した」(注2)と発表した。

 

イ)「霊媒・三田光一」研究

☆研究の目的

このような「月の裏側の念写」を行った三田光一の人物評価には、つねに毀誉褒貶が相半ばしている。評価の大きなマイナス要因となっているものとして、若い頃の「刑事事件」や「金塊引揚詐欺事件」(この事件が致命的になっている)があげられる。これらによって三田には「一獲千金を狙った山師的な人」というイメージが生涯付きまとうことになるが、三田本人は他人から何と云われようと全く気にせずに自ら思い通りに振舞ってきた。

 

一般に「三田光一研究」を行う場合には、福来友吉の念写研究の一環として三田を取り上げて論じる手法と、三田の人物像からアプローチする手法とがある。前者の研究に関しては、仙台市の「一般財団法人・福来心理学研究所」が行っている。その成果が「福来心理学研究所研究報告」としてまとめられており、内容的にも優れている。後者の三田光一の人物研究に関しては、精神科医の黒田正大氏や心霊研究家の甲山繁造氏(本名:千原範一氏)などによってその足跡が調査されており、それらが『福心会報』『心霊研究』『心霊と人生』の各誌で報告されている。

 

本稿においては、黒田正大氏や甲山繁造氏の人物研究、福来心理学研究所の公開資料等を参照しながら、三田光一は「日本のスピリチュアリズム史」の中でどのような位置を占めているのかを筆者の視点から考えて見た。そして毀誉褒貶が相半ばする三田光一は、世間から誤解されたままの状態でこの世を去ったが、今回のささやかな「研究」が、少しでも三田の名誉回復につながれば幸いと願っている。

 

☆全体の概要

透視や念写の能力者として世に出た三田光一には、二つの大きな節目がある。一つは大正6年2月の福来友吉との出会いであり、福来との出会いによってそれまでの興行的な演目にすぎなかった三田の透視や念写が、学術的な研究対象となる透視や念写に生まれ変わったことである。

次に三田の人生におけるターニング・ポイントは「金塊引揚詐欺事件」(大正15年7月)である。この事件は三田の人物評価に致命的なマイナスを付けてしまい、精神的な苦しみを味わうことになるが、この苦しみの体験がその後の霊的成長に繋がって「無神論者から信仰者」への飛躍があった。そしてその後の「月の裏側の念写」という仕事につながっていった。

この事件に関連してあまり知られていないもう一つのエピソードがある。当時、三田は事件の関係で鹿児島に長期滞在していたが、昭和2年の透視実験は、一人のその後の生き方を大きく変えることになった。三田の透視実験に深く感銘した吉原謙亮氏(当時の鹿児島地方裁判所所長)の、人生上の転換期との絶妙なタイミングがそこにあった。いわばスピリチュアリズムで云うところの「時期の到来」の問題である。

 

本章(1章)では三田の人物像の検証を行った。ここではあまり知られていない三田の青年期の動向を、子息(注3)や関係者の証言、各種資料から推測して、世間の評価とは全く異なる三田の実際の生き方を明らかにしてみた。さらに2章においては三田の透視や念写の能力を研究者の視点から検証し、3章においては三田の人生上のターニング・ポイントになった「金塊引揚詐欺事件」を取り上げてその背景を探ってみた。なお本稿は福来心理学研究所の各種資料や、黒田正大氏や甲山繁造氏の基礎的な調査研究に負うところが大きい。

本稿では当事者である三田光一、日本のスピリチュアリズム史を論ずる際に欠かせない福来友吉と浅野和三郎、および著名人の一部については敬称を省略した。ご了承願いたい。

 

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<注1>

■日本の月探査衛星として1990年1月24日に宇宙科学研究所(現:JAXA)が打ち上げた工学実験衛星「ひてん」がある。「ひてん」は孫衛星の「はごろも」とともに月の周回軌道に乗せた後に、データ取得のため降下・衝突実験(1993年4月10日)を行った。

アメリカも1998年に「ルナー・プロスペクター」を月に送っている。欧州宇宙機関(ESA)は2003年から2006年にかけて月周回衛星「スマート」による月の表面の観測を行っている。中国は20071024日に月探査衛星「嫦娥(じょうが)1号」を打ち上げた。インドは20081022日に「チャンドラヤーン1号」を打ち上げて、月周回軌道からのさまざまな観測を行った。そして2007年9月14日に日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)から「かぐや」が打ち上げられた。この「かぐや」には「おきな(リレー衛星)」と「おうな(ブイラド衛星)」の2機の子衛星があり、子衛星の「おきな」は2009212日に月の裏側に制御落下し、「かぐや(主衛星)」も2009年2月11日から低高度からのさまざまな観測を行って、2009年6月11日に役目を終えて表側に制御落下した。

 

<注2>

■後藤以紀著「月の裏側の念写の数理的検討―宇宙船による新月面図との照合」:『日本心霊科学協会研究報告第2号』(日本心霊科学協会、1985年刊行)所収。

三田の「月の裏側の念写」は昭和6年と昭和8年の2回行われたが、昭和8年の念写図の方が鮮明である。後藤氏はNASA作成の「月面図(月の裏面写真)」との比較では、鮮明な昭和8年の念写図を用いた。

 

<注3>

■川端康成氏が『改造』(昭和13年4月号)に発表した短編小説「金塊」(新潮社版『川端康成全集6巻』1981年、所収)は、三田の「金塊引揚詐欺事件」をモデルにした小説であるといわれている。この小説に登場してくる令嬢は「私は正妻の子ではない」(全集6巻149頁)という設定になっているが、この令嬢は三田の娘の光子であるとされている。

なお『気仙沼町誌』535頁にも、三田に関して「下関における金塊引揚事業の失敗から下獄したことがある。この間の消息は短編であるが川端康成の『金塊』という小説で知ることができる。『金塊』に登場する神秘的な眼をしている凄く美しい令嬢というのは三田の一女光子をモデルにしたらしいが、同女はすでに故人である」(下線部分は事実誤認箇所)との記載がある。

 

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