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2.「奇術師・研究者」の立場からの検証

目 次

ア)透視に関する検証

・トリック疑惑について

・三田光一の透視実験

イ)心霊現象と奇術の関係

・心霊現象と奇術の違い

・「セカンド・サイト」というトリック

ウ)心霊研究者の立場からの検証

・心霊研究者:小熊虎之助の立場

・大正7年2月の実験会

 

<注10>~<注23

 

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ア)透視に関する検証

☆トリック疑惑について

三田光一に批判的な学者はそろって透視や念写に対するトリックの可能性を述べている。その理由として、三田は若い頃に奇術師一座で奇術を演じていたこと、実験会に於いて何度か“詐術が露見(?)”したとされたこと、実験会で指定された念写像ではなく全く違う像を映し出したこと、金塊引上げ詐欺事件で有罪判決を受けたことなど。これらが存在することによって、例え三田が実験会ですばらしい透視や念写を行ったとしても、たえずトリックによって心霊現象をもたらしたのではないかとの疑いが懸けられた。

 

このような疑惑の目で見られていた三田の実験会では、批判者は次のような箇所につき厳格な検証を求めてきた。

A.実験材料(乾板等)は誰が用意したか、それに対する十分な吟味がなされたか

B.トリック防止のための監視の有無、乾板すり替え防止処置は十分か

C.念写の際の現像作業は誰が行ったのか、そこに三田や三田の関係者が関与したか

D.三田光一の関係者が透視や念写に対してどのような形で関与したか

E.三田光一自身が行った透視や念写に不自然な点があったか

 

☆三田光一の透視実験

三田光一が行った実験会の模様を新聞記事から抜き出して検証してみる。「資料・新聞記事」の№1、№2、№3、№6、№8、№12は、三田光一及び三田の関係者が実験会にどのような形で関与したのか、主催者や立会人はトリック防止のための監視を十分に行ったのかの検証が不十分である。№4、№5は事実関係が正しければ透視の真実性が高い。

 

「資料:新聞記事」№3の透視については、高知萬朝報の記者が実験材料を提供して、三田がこれを透視したものだが、新聞記事には事実関係が簡潔にしか記されていないため、三田本人および付添人が「実験会」でどのように立ち回ったかの動向が不明である。そのため何らかのトリックがあったのではないか、との強い疑いを持たれる「実験会」である。また遠隔透視については、サクラの観客を使った可能性が強く疑われる。この時の「実験会」は新聞記事から判断すると、いわゆる「奇術ショー」的な色彩がかなり濃厚である。

 

「資料:新聞記事」№4および№5については、窃盗犯の贓物の透視であるため、三田が窃盗犯と共犯関係になく、事実関係が新聞記事通りであれば本物の透視の可能性が高い。なお若い頃の三田はたびたび警察の犯人捜査に協力していた。三田光一の透視能力は、犯罪捜査の協力に関する事例から判断すれば、事実であり相当強い能力の持ち主であったことが分かる。しかし「資料:新聞記事」№3の「公開実験会」で行った(遠隔)透視は、ショー的色彩が強くトリック疑惑を指摘されてもやむを得ないであろう。

 

イ)心霊現象と奇術の関係

☆心霊現象と奇術の違い

三田が行った透視や念写実験は、心霊肯定家の立場に立てば素晴らしい心霊現象となり、奇術師の立場に立てばそれなりのトリックによって行われたと評価される。なぜならば一般に現象を外見から見れば心霊現象と奇術の区別はつかず、両者の差異は奇術には仕掛けがあり、心霊現象には“なんの仕掛けもない(演じることはない)”ということに尽きるからである。またこれらの現象を冷静に観察する研究者の立場に立てば、トリック疑惑が考えられるあらゆるケースを想定して、それを三田の実験会に当てはめて「奇術でないことの確証」を得ようとするであろう。このように立場によって心霊現象に対する見方は異なってくるので、心霊研究家も奇術の研究を行うべきであろう(注10)。

 

奇術師の松田道弘氏(1936年→ )は心霊現象を一切認めず、それは創意工夫による「術」であり、すべての心霊現象には「トリック」が介在しているとの立場をとっている。これは「霊媒は奇術師と違ってたえず新しいトリックを開発しなければならない職業的義務はありませんから、同じやり方、やりなれたトリックを何度も繰り返して演じればよい」(注11)。「両者(霊媒と奇術師)はトリックという鎖で繋がれています。どちらもトリックで生計を立てている同業者である」(注12)という表現に松田氏の見方がよく現れている。

欧米では心霊現象に関する研究が奇術師の立場から盛んに行われており、研究によってさまざまなトリックが考案されて、自らのレパートリーを広げるために役立っているという。松田氏は前著の中で「20世紀のはじめ、奇術師たちは霊媒のトリックを再現するという口実のもとに心霊術のトリックをショーに仕立てて、予言や読心術を主題にしたメンタル・マジックという分野を開発した」(注13)。このようにメンタル・マジック(心霊奇術)は奇術において一つの分野となった。

 

☆「セカンド・サイト」というトリック

三田の公開実験会では透視実験がよく行われた。観客から提供された実験材料を箱の中に入れてもらい、それを透視するという事例(「資料:新聞記事」№3、№8)や、観客が指定した場所を実験会場から「遠隔透視」して実況中継的に状況を述べる形(「資料:新聞記事」№12、№15)の透視を行っていた。しかし公開実験会を報道した新聞記事からは、検証の際の重要なポイントになる三田の関係者の関与の仕方は不明である。

一般に奇術師の立場に立って透視という心霊現象を見た場合に、関係者の関与の仕方がポイントになる。この関係者が関与した“透視”の代表的な奇術に「セカンド・サイト」がある。以下に於いてこの仕組みの概略を述べる。

 

セカンド・サイト(千里眼)は、霊媒であると紹介された演者が舞台で目隠しをされて椅子に座っている。助手が客席に下りて観客の一人から何か品物を一つ借りる。助手はその品物を高く掲げて観客に見せる。助手は「この品物は何かわかりますか?」と舞台上の「霊媒」に尋ねと、間髪を入れずに返答があり、「それはコインです」と正確に答える。次に助手が「このコインの製造年月日は?」と尋ねると、同様に間髪を入れずに「〇〇年製造」と云いあてるマジックである。

この「セカンド・サイト」という言葉は、ウィザード・オブ・ノース(J.N.アンダーソン:1814年→1874年)という奇術師が始めて用いた。日本には大正7年に来日した白系ロシア人のマリア・ゼーゲル夫妻によって持ち込まれて、日本では「霊交術」と云う名で、大正中期から昭和初期にかけて活躍した松旭斎天勝一座のレパートリーの一つになっていた。

 

石川雅章氏は元初代天勝一座の文芸部長をして、構成・演出を担当した奇術師であった。また石川氏は迷信研究家と称してあらゆる心霊団体や新興宗教等に出入りして、心霊実験のインチキ性や新興宗教の内情を暴露した著書を数多く著している。石川氏の著書『松旭斎天勝(伝記:初代松旭斎天勝)』(注14)によれば「霊交術(セカンド・サイト)」とは次のような奇術であった。

――太夫が厳重な目隠しをされて舞台に控え、後見が客席を回って観客の所持品を借り受け、「ハイコレ何ですか?」というふうに問いかけると、「時計です」。「何側の時計ですか? ハイ」「金側と感じます」「それでは、いま何時何分を指していますか?ハヤクハッキリ当てて下さい」「六時七分です」「よく当りました。次は、ハイ、何でしょう?」「紙入れでございます」「何色でしょう、サア感じますか?」「黒です」「中にいくら入っているか分かりますか?スグ感じ取ってください。ドウゾ」「四十・・・九円と見えます」「デワ紙幣の種類を当てて下さい、サア、・・・ハイ」「十円が四枚、五円が一枚、あとは一円紙幣です」「今度はその紙幣の番号を当ててみてください。この十円紙幣です。ネガイマス、ハヤク」「EF・・・」「エエと、数は?・・・サアハイハッキリと、ドウゾ」「8・・2・・1・・7・・9」「はい、お見事です。御調べください」と云う具合に当てるのだ。

タバコなら、何と云うタバコで、現在何本入っているか、所持者自身も知らぬ数をピタリ当てるから、観客はビックリして「うむ」とばかりうなる結果になる。

あらためてタネあかしをするまでもなく、術者と後見の間に交わされる言葉のサインである・・・(以下省略)――

 

上記の太字部分について両者間で「ハイ:1」「サア:2」「デハ:3」「スグ:4」「ネガイマス:5」「ハヤク:6」「ハッキリ:7」「エエ:8」「ドウゾ:9」「コレ:0」という具合に事前に決めておく。前記の例で時計なら「ハイ」は金側、「サア」は銀側、いま何時何分かの問いに「ハヤク(6)、ハッキリ(7)」とサインを送って、術者が六時七分と分かる仕組みを使った。当時は「驚異すべき霊交術」(本物のテレパシー)として圧倒的な人気があったという。小型マイクが発達した現在では、セカンド・サイトはほぼ完全に消滅してしまった。

 

奇術師の松田道弘氏は次のように述べている。「このセカンド・サイト・アクトは、熟練したパートナーどうしが行うと、本当に摩訶不思議にみえます。表現は適切と云えないかもしれませんが、ずいぶんたくさんの人達が、とりわけインテリや科学者たちが、この見せかけの読心術に騙されました。シャーロック・ホームズの生みの親サー・アーサー・コナン・ドイルは、ザンチッヒ夫婦のショーを見て、次のような証明書にサインしたほどです。――私は本日ザンチッヒ夫婦をテストした。私の見る限り、彼らのテストは純正なサイキック現象によるもので、断じてトリックではない。1922年4月30日――」(注15)。

 

ウ)心霊研究者の立場からの検証

☆心霊研究者:小熊虎之助の立場

これが研究者の立場となると奇術師とは一線が引かれる。心霊現象の研究分野において著名な研究者の小熊虎之助氏(1888年→1978年:異常心理学、犯罪心理学が専門)は、「古来この現象に対してはいつも、極端に感情的な肯定的態度を取りやすい人と、最初から極端な否定的気分を以て向かう人とがある。・・・・私は前者のような人々に対しては、この心霊現象には、内外を通じて単に研究上の幾多の錯誤だけでなく、案外に心霊の名にふさわしくないようないかに多くの詐術さえ含まれているかを提示することに努めた。また後者のような気分の人々には、この現象に現れているおびただしい錯誤と詭妄との底に、西洋の研究家の熱心な努力の結果として我々がかなり問題としなくてはならぬ真実の現象も発見されていることを証示することに努めた。心霊現象に対する表裏の観察は、この意味からも特に考慮すべきである」(注16)として研究者の立場を述べている。

 

小熊虎之助氏は研究者の立場から、福来友吉が三田の念写で最も厳密な実験を行ったとしている大正6年8月28日の長野県飯田町の件(注17)を取り上げている。小熊氏は福来の実験報告書について次のように批判している。「三田氏の能力を信じている人にとってはこれで(福来氏の報告書のこと)十分であるかもしれぬが、しかし学術的に見ればこれは三田氏の透視能力の結果というよりも、三田氏がその両氏の容貌についての知識を予め持っていたにすぎない、と仮定することもできる」(注18)。三田の「心霊現象」を、厳密に真実の現象と詐術による現象とに選別しようとする研究者の立場に立てば、小熊氏の主張(→この前提に霊能者は詐術を行う可能性が高いとの性悪説がある)も首肯できる。

 

三田の透視実験で、小熊虎之助氏たち研究者が福来友吉の実験報告書の不備を指摘する理由の一つに、福来が助手の動向に関心を示していない点があるのかもしれない。実験会における助手の役割は重要である。「霊媒性悪説」に立つならば、三田が「公開実験会」の会場に予め助手を観客の中に紛れ込ませておき、一般観客になりすまして透視演目を大声で云わせる。また三田が透視したとして述べた事を、大声で「正解、正解」と云わせて観客の心理を誘導操作させる。念写においては助手を乾板の入手の際に関与させて、何らかの工作を行うなど。心霊現象否定の立場に立って三田の実験会を見れば、詐術による「透視ショー」や「念写ショー」と映ったのかもしれない。

 

☆大正7年2月の実験会

大正7年2月12日に私立大日本衛生会講堂で行われた念写と透視の実験会は、「種板とフィルムの管理者」の一人である本田親二氏によって、三田の詐術が明らかにされたといわれる事件である。本田氏は「三田光一氏の念写に就いて」(注19)で、実験会の模様を報告している。また当日の実験会の立会人であった中桐確太郎氏(早稲田大学教授)も「念写実験記」(注20)の中で経緯を述べている。

 

このような意見に対して、次のような批判的な見解がある。たとえば丹波哲郎氏は『稀代の霊能者三田光一』(注21)の中で次のような疑問を述べている。

――次に、某立会人は、三田が初めから“学宝”と文字の入ったフィルムを用意していて、それを“すりかえる”ために自ら都合のよい注文をしたと言わんばかりである。しかし、福来博士の証言を見てみると、ただ単に“学宝”の文字が入っているだけでなく“フィルムを縦に丸めてその継ぎ合わせにりっぱに念写”したというのである。万が一、細工や“すりかえ”をするにしても、こんなややこしい真似をわざわざするだろうか――。

 

生物学が専門の中沢信午氏(山形大学名誉教授)はこの「すりかえ」について、「真相は明らかでない」(注22)と述べている。なお三田はこの実験会の後の2月14日の夜に、暴漢に襲われて人事不省の重傷を負っている(「資料:新聞記事」№19)。この暴漢に襲われた新聞報道を読んでみると、記事の書き方がかなり偏見に満ちている。

 

三田が行った大正7年2月12日の実験会は、いわば福来と三田本人と助手を除けば、ほとんどの聴衆が懐疑派か否定派で占められていた。この中で立会人および聴衆は三田の念写結果に対して、当然に自然科学の実験と同様な現象の出現を求めていたと考えられる。これは現象懐疑派がその後も三田の念写結果に対して、要求したとおりの念写像が現れて当然、と云った立場に立っていたことからも明らかである。

このように2月12日の実験会は霊的環境の非常に悪い中で行われたため、霊的側面から考えれば当日の混乱ぶりは当然の結果といえよう。このような霊的状態では、極めて強い霊的能力の持ち主の三田でさえ思うような結果が出せなかったのであろう。

 

さらに実験会当日の霊媒の体調も考慮しなければならない。霊媒は人間であって機械ではないので、当然に当日の精神状態や身体状態も考慮しなければならない。浅野和三郎の「心霊研究の同行者」粕川章子氏は、大正の終わりまたは昭和の初期(時期不鮮明とのこと)に三田の実験会に立ち会った。当日の実験会は「福来博士の講演の後で三田氏が壇上に現れた。肉親のお通夜の後、夜汽車で駆け付けた、その上、下痢がひどい半病人であるとして、福来博士も大いに懸念したが、念写はやっぱり不成功、感光は皆無という有様」(注23)であったという。

心霊現象の実験会は自然科学系の実験とは違うので、心霊研究者や批判者は固定観念を捨てて(脇に於いて)、このような霊媒の霊的・精神的・肉体的な状態を十分考慮して、さらに実験会の裏側の霊的環境にも配慮して臨むべきである。

 

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<注10

■森本梅雄著「奇術と心霊現象」:『心霊研究』昭和3110月号、5頁以下。および「奇術と心霊現象」同年11月号、9頁以下。「奇術と心霊現象」同年12月号5頁以下。

心霊研究家の森本梅雄氏は「心霊研究の第一歩は奇術研究である」として、奇術師が心霊現象を否定する立場から熱心に研究していると同様に、心霊研究家も奇術の研究をすべきと述べている。

<注11

■松田道弘著『トリックスター列伝』(東京堂出版2008年刊)94頁。

<注12

■松田道弘著『トリックスター列伝』80頁。

<注13

■松田道弘著『トリックスター列伝』291

<注14

■石川雅章著『松旭斎天勝(伝記:初代松旭斎天勝)』(大空社1999年刊)159頁以下。

この書籍は昭和34年桃源社が発行した『松旭斎天勝』の復刻版。

<注15

■松田道弘著『トリックスター列伝』111頁。

<注16

■小熊虎之助著『心霊現象の科学(改訂版)』(芙蓉書房1983年刊)序より。

<注17

■福来友吉著「観念は生物也」:『変態心理』第4号、大正71月号、249頁。

<注18

■小熊虎之助著『心霊現象の科学(改訂版)』357頁。

<注19

■本田親二著「三田光一氏の念写について」:『心理研究』大正74月号、439頁。

<注20

■中桐確太郎著「念写実験記」:『変態心理』大正74月号、43頁。

<注21

■丹波哲郎著『稀代の霊能者三田光一』(中央アート出版社1984年刊)106頁以下。

<注22

■中沢信午著『超心理学者福来友吉の生涯』(大陸書房1986年刊)122頁。

<注23

■『心霊研究』昭和305月号、編集後記。

 

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