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移植医療とスピリチュアリズム

目 次

<1.はじめに>

・先端医療技術の発達

・ドナーは死者であること

・「死」の判定

・臓器移植法

 

<2.脳死判定の流れ>

①.移植医療の発達

・脳死と人工呼吸器との密接な関係

・移植用臓器のニーズの増大

②.脳死と臓器移植

・全体の流れ

・「臨床的脳死診断」→「臨床的脳死」へ

・「臨床的脳死」→「法的脳死」→「臓器移植」へ

③.脳死に関するその他の問題

・脳死者の生体反応

・植物状態との違い

 

<3.臓器移植の問題>

①.ドナー側の問題

・死刑囚争奪戦:中国の現状

・半物質状の幽質

・ドナーの臓器に付着する幽質

・ドナーと地縛霊との関係

・幽質に残存する「死者の一部」

・輸血、骨髄移植

②.レシピエント側の問題

・クレア・シルビアの不可思議な体験

・シルビアの体験をどのように説明するか

・レシピエント側の事情

③.その他の問題

・「人体部品ビジネス」の誕生

・遺体と霊的知識との関係

 

<4.スピリチュアリズムの観点から>

①.この世的な「死」とは「一連のプロセス」のこと

・臓器移植を前提とした「死」

・死とはシルバーコードの切断の瞬間

・臨死体験者の事例

・物的脳の働き

・通常の医療行為の一環

②.高級霊の見解

・臓器移植に反対

・一つの見方

 

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<1.はじめに>

☆先端医療技術の発達

前世紀末から今世紀にかけて目覚ましい発展を遂げているものの一つに、先端医療技術がある。その先端医療には「移植医療の領域」「生殖医療の領域」「遺伝子診断と遺伝子治療の領域」の三つがあり、それぞれの領域は重なり合っている。

 

病気や事故によって臓器が機能しなくなった人に、健康な人の臓器や組織を移植して機能を回復させる医療を「移植医療」という。臓器移植には心臓・肝臓・肺・膵臓・小腸などの臓器を死者から提供してもらって行う移植と、家族などから腎臓の提供を受けて行う移植とがある(→例外的に生者の肝臓や肺の一部を切り取る移植もある)。また角膜、皮膚、心臓弁、内耳などのヒトの臓器や組織を、機能不全に陥った部位に移植する組織移植がある。さらに骨髄移植や輸血もある。この「移植医療の領域」は「死」とは何かというテーマと密接な関連がある。

 

次に人の出生に関わる分野として、生殖細胞(卵子と精子)や胚を扱う「生殖医療の領域」がある。近年の先端医療技術の著しい進歩は、生殖を人為的にコントロールする技術の実用化をもたらして、人工授精・体外受精・着床前診断・出生前診断(胎児診断)・胚の研究利用等という新たな分野を誕生させた。しかしこれらの先端技術は、私たちに「生命の選別」という重い生命倫理上の問題を突きつけた。この生命倫理には大別して二つの流れがある。一つは伝統的な立場の「人格主義生命倫理」であり、もう一つの立場は個人の自由や自己決定権を最高原理とする「個人主義生命倫理」である。

この「生殖医療の領域」では「ヒトはいつから人間となるのか」という問題がある。ポイントはいわゆる「受胎」という言葉の解釈にある。まず「受胎」を言葉の意味通りに理解して、受精卵が子宮に着床した妊娠時に個別霊たる人間となるとする立場である。この立場では受精後14日目までの受精卵はモノという解釈になるため、胚の研究に利用できることになる。次に「受胎」を生殖細胞が融合する受精時と拡大解釈して、受精時に個別霊たる人間となるとする立場である。この分野は筆者の「旅のガイドブック」の中で簡単に取り上げた。

 

さらに先端医療技術には遺伝子を扱う「遺伝子診断と遺伝子治療の領域」がある。「遺伝子診断」は患者から血液や口腔粘膜を採取して、DNAから病気の原因遺伝子が存在するか、病気の発症可能性はどうかなどを診断するもの。「遺伝子治療」は遺伝子に異常がある遺伝性疾患の患者に対して試みられる治療法である。一般的な治療法としては、まず患者の骨髄から幹細胞を取り出す。そして患者の細胞の核のDNAに正常な遺伝子を組み込んで増殖させる。増殖したらその細胞を患者の体内に戻す。そうすると患者の体内で正常な遺伝子が働いて、今まで作られなかった新たなたんぱく質ができて病気が治るという仕組みである。

 

☆ドナーは死者であること

1967年に南アフリカのケープタウン大学で始めて心臓移植手術が行われた。これ以降、世界各地で数多くの心臓移植が行われてきた。その際に問題となったのが心臓の提供者であるドナーは「死者でなければいけない」であった。この「死者という壁」をどのように乗り切るかが最大の課題であった。

 

従来から医療の分野では「不可逆的昏睡状態」「全脳梗塞状態」「中枢死状態」等と呼ばれてきた“脳疾患の末期的病態”の患者の存在が知られていた。人間から人間に対して世界初の心臓移植が行われた翌年の1968年に、従来から問題となっていた“脳疾患の末期的病態”の患者を表す言葉として「脳死」が使われるようになった(ハーバード大学医学部の脳死判定基準)。この「脳死」という概念を使うことによって始めて「ドナーの心臓は生きているが、ドナーは死んでいる」状態が出現した。そして「死者からの臓器摘出」という形をとることによって、執刀医は訴追されずに心臓移植手術を行うことが可能となった。このように心臓移植の際の「ドナーは死者から」という高い壁を、新たに「脳死」概念を導入することによってクリアすることが出来た。

 

☆「死」の判定

何を持って「死」とするのかは、時代や文化によって異なるが、さまざまな国で死者が蘇生したという話は度々語られてきた。ポーの『早すぎる埋葬』(ポー著、佐々木直次郎訳『モルグ街の殺人事件』新潮文庫所収)にも描かれているように、昔は“死んだとされた者”が蘇生した事例が度々あったようである。19世紀初頭に「死は心臓と肺が機能を停止した時に訪れる」という事実が明らかにされるまでは、「死」は“細胞死(腐敗により死臭が漂う)”であった。

 

従来医療の世界では生命体である人間に、「心拍停止」「自発呼吸停止」「瞳孔散大・対光反射消失」の兆候が現れたことを持って、「死(個体の死)」と診断してきた。長年にわたりこの「三徴候」による「死」の診断が慣行として続いてきたが、「脳死」概念の導入によって現在では「法的脳死者」と「心停止による死者」の二種類の「死者」が存在している。

しかし前者の「法的脳死者」には誤診による生者へ復活の道がないこと、脳細胞は死んだが脈や体温はあることなどが問題として指摘されている。識者の間で「脳死判定」を巡っては、「死とは何か」「脳死は人の死か」「脳は本当に身体の有機的統合性を統御しているのか」「脳の状況を正しく診断できるのか」等といった議論がなされてきたことは記憶に新しい。

 

このように肉体上の「死」は、生命現象の終息という一つのプロセスとして表れるため、ある瞬間をもって「〇〇さんは死亡した」と断定することは難しい。なぜなら数多い臨死体験事例からも分る通り、外形上「死」と診断されても蘇生する事例があり、誤診の可能性を排除できないからである。そのため「生者埋葬」を防止するため現在の日本では「墓地、埋葬等に関する法律」第3条の規定によって、医師が「死」と診断しても死後24時間以内に行う埋葬や火葬は禁じられている。

スピリチュアリズムでは「肉体上の死」を、物的身体と霊的身体を繋ぐ「シルバーコードが切断した瞬間」としている。シルバーコードが切断されていなければ、物質次元から見て「死」と診断されようと「死」ではない。蘇生の可能性があるからである。霊視能力者でない医師には、患者のシルバーコードが切断されたか否かを確認するすべはない。そのため何らかの「生者埋葬」の防止制度は必要である。

 

☆臓器移植法

199710月に「臓器移植法」が施行された。この法律によって臓器移植を前提とした「脳死」概念が導入されて、「脳死」と判定された脳死者(ドナー)から臓器を取り出して移植することが可能となった。「脳死」の定義や手続きは「臓器移植法」6条及び「臓器移植法施行規則」2条の規定で定められている。その規定によれば「脳死」とは「脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止」した状態であると定義した。そしてその状態にある者の身体から「移植術に使用されるための臓器」を摘出してレシピエントに移植できるとした(法6条)。なぜなら臓器は「死者」の体内から摘出したので問題ないという理由から。

これによって臓器提供の場合に限って「法的脳死判定」が行われて、そこで「脳死(法的脳死)」と判定されれば「法的脳死者」とされた。「脳死」と確定された臓器提供者からは、速やかに臓器が摘出されることになる。このような迅速性が要求される「脳死」には「生者埋葬」防止のための仕組みは働かない。

 

<2.脳死判定の流れ>

①.移植医療の発達

☆脳死と人工呼吸器との密接な関係

私たちを取り巻く現代社会では、命に係わる事故の危険性が常に付きまとっている。

例えば交通事故や転落事故により頭を強打して脳挫傷を起こす場合や、高血圧性脳出血・くも膜下出血などの脳血管障害、悪性脳腫瘍などによって脳に重大な損傷を引き起こすケースがある(一次性脳障害)。また脳の重大な損傷は、心臓が何らかの原因で心拍停止を起こす場合や、気管が詰まって窒息が起こりそれによって脳への酸素供給が止まってダメージを与える場合もある(二次性脳障害)。このような重篤な患者に対しては、人工呼吸器をつけて循環機能を維持する処置がとられる。

 

重篤な脳疾患患者はICU(集中治療室)で、生命維持装置のチューブと生命状況の監視用モニターで繋がれた状態となって治療を受けることになる。このような患者の中には、心臓と肺は人工呼吸器によって動いているが、外見から見て「生きている兆候が全く見られない」という患者が存在しており、以前から医療現場では注目されてきた。

 

一般に脳血流停止後3日位で脳細胞は融解現象を起こしてドロドロ状態の細胞死となるが、肺や心臓は人工呼吸器によって、脳とは無関係に機能を維持することができる。その人工呼吸器の原理は19世紀半ば頃から知られていた。

1930年代頃、肺が損傷していても全身を装置で包み、外部から陰圧をかけて酸素を供給する「鉄の肺」が開発された。その後改良が加えられて、1950年代に重度の胸部挫傷患者や脳疾患患者の治療に人工呼吸器が使われるようになった。この人工呼吸器の登場によって、従来死亡していた患者の生命を多少なりとも維持できるようになった。その後の医療技術の発達に伴って人工呼吸器が重篤の患者に使用される機会が増加して、「生きている兆候が全く見られない」状態にある「不可逆的昏睡状態」(脳死の旧来の名称)にある患者を増やしてきた。

 

☆移植用臓器のニーズの増大

今日世界的規模で行われている「人間の組織や臓器の商品化」の背景には、人体の一部が「聖遺物・お守り・薬など」として常に売買の対象とされてきた人類の長い歴史がある。

20世紀後半の「移植医療の領域」における目覚ましい発達の背景には、唯物論的思考の産物である「もの」としての臓器観と先端医療技術というテクノロジーの発達がある。これによって「生体」や「死体(=脳死者、心臓死者)」からの「臓器移植」や「組織移植(角膜や皮膚等)」が可能となった。移植医療が一般的な医療となるに従って、このような「移植用の臓器」のニーズは世界的規模で飛躍的に増大していった。

 

世界の国々はこれらのニーズに応えるために、「死の瞬間」を特定するためのガイドラインとして「脳死判定基準」を相次いで作成してきた。そしてこの基準を満たした重篤な脳障害を持った患者を「脳死者(法的脳死者)」と定義した。この「脳死」という概念の導入によって、例え心臓が動いていても法律上は死亡したとされるので、このような死者からの臓器摘出が日常的に行われるようになった。現在では脳死者の臓器や組織、中絶胎児、廃棄された受精卵などが「資源」として流通し、必要とされる所に供給されるようになった。

 

②.脳死と臓器移植

☆全体の流れ

「脳疾患の末期的病態の患者(一般には植物状態)」→「脳死状態」→「臨床的脳死診断」→「臨床的脳死」→「ドナー要件等のチェック」→「法的脳死判定(2回)」→「法的脳死」→「移植手術」

 

☆「臨床的脳死診断」→「臨床的脳死」へ

脳疾患の末期的病態に陥った患者は、まもなく脳死状態となり、脳血流の停止によって脳細胞が死滅して自己融解が始まる(脳死の開始)。その後3日位で脳細胞全体がドロドロ状態になる(脳死の完了)。そのため医師は“脳死状態に陥った患者(脳死の開始)”に対して、無呼吸テストを除外したそれ以外の「臓器移植法の運用に関する指針、第6の細則」に定められた項目について「臨床的脳死診断」を行う。

患者は脳死であると診断されると、多くの医療現場では「加療水準の切り下げ」が行われる。それ以降は必要最小限の治療のみが継続されて、一定期間後に患者は心臓死に至る。厚生省研究班の全国調査では、脳死(臨床的脳死)の事例の約20%で人工呼吸器が停止されているという。いわば延命治療の中止や尊厳死への道が選択されたわけである。

 

脳死者の人工呼吸器を外すという選択については、過去に「医師に人工呼吸器を止める権利はあるのか」ということが裁判で争点となった有名な事件がある。19763月アメリカのニュージャージー州最高裁判所における「カレン事件」では、「今後、治療を続けても回復の見込みが全くない、との結論が出た場合には人工呼吸器を止めてもよい」との判断が示された。この裁判の当事者であるカレンさんは、結局「脳死」とはならなかった。カレンさんの人工呼吸器が外されても心停止せず、以降自力呼吸が回復した。その後、植物状態のままであったが1985年まで生存した。

 

臨床的脳死から心臓停止までの期間は、過去に「厚生省基準」を作成するために500例以上を調査した際のデータによれば、1週間が86%と最も多い。但し呼吸・循環・代謝・栄養の全身管理がなされた小児に「長期脳死」(→但し脳細胞は自己融解している)の事例が多く報告されている。なお厚生省小児基準報告書では30日以上を長期脳死としている。

 

☆「臨床的脳死」→「法的脳死」→「臓器移植」へ

「臨床的脳死診断」で脳死と診断された「臨床的脳死者」の中で、「ドナー(臓器提供者)としての要件」を満たしている脳死者に対して、直ちに「法定脳死判定」が行われる。この判定が行われるのは「臓器移植時のみ」なので、現実には「脳死は人の死」という言葉は、必ず「臓器移植と対」になって登場する。判定の結果脳死であるとされると、死が確定(法的脳死者)する。その際の死亡時刻は、2回目の法定脳死判定の検査終了時の時刻を死亡診断書に記載する。その後の経過は、移植を担当する医師は速やかにドナーから臓器を摘出して(→“死体”なので法的に問題はない)、必要としている人に臓器が移植される。

 

日本では「臨床的脳死者」は全死亡者数の0.5%1%と推定されている(年間1万人以下)。少し古いデータになるが、2006年に厚労省が全国1634施設を調査したデータでは、脳死と推定される者は5496例、この内で脳死判定基準を用いて臨床的脳死と判定された者は1601例あったという。この中からさらにドナーの要件を具備した患者が「法定脳死判定」を受けた。法定脳死判定を受けて法的脳死者と確定したドナーは年間60人~70人であるという。

 

③.脳死に関するその他の問題

☆脳死者の生体反応

日本では「脳死」の定義は「臓器移植法」6条によって、大脳・小脳・脳幹を含む脳の全ての機能が不可逆的に停止した状態とされている。なおイギリスや台湾では脳幹死の立場をとっているので、大脳や小脳が生きていても脳幹が機能喪失すれば脳死と判定される。

 

脳死判定基準では脊髄の機能喪失は要件とされていない。そのためドナーの脊髄神経と自律神経系の機能はまだ生きているので、臓器摘出の際に「体動、血圧上昇、心拍数増加等」が高い割合で報告されているという。学者の間ではこれらは単なる脊髄反射であり、脳と脊髄とは機能的に離断が生じているので、脊髄が反射中枢となったことにより体動が生じやすくなったためであると説明されている(→「ラザロ徴候」を含めた身体の複雑な動きは脊髄反射で起こる反応とされている)。

また脳死判定時においては脳への血流は停止したが、心臓は機能しているので脳以外への血流は支障なく保たれている。さらに「脳死判定」にはしばしば「深昏睡状態」という言葉が使われるが、臨床上の意識とは顕在意識のことである。

 

☆植物状態との違い

脳死と間違われ易いものに植物状態の患者がいる。回復の見込みが全くない脳疾患の末期的病態となった患者(→まれに回復する患者も存在するという)には、「自力呼吸等ができる者(→脳幹の機能が残存していれば自力呼吸等ができる)」と、「自力呼吸ができない者(→脳幹の機能が喪失していれば自力呼吸ができない)」とがいる。後者は人工呼吸器を装着しなければ間もなく死を迎えることになる。

 

脳死患者と植物状態の患者との違いは、脳のどの部分の機能が喪失したかによる。一般に植物状態の患者の脳は、大脳の機能は喪失(大脳死)したが小脳や脳幹の機能は残存しているので、呼吸や血圧のコントロールは自力でできる。しかし脳死患者の場合には脳幹を含めた全脳機能が喪失しているので自力呼吸ができず、人工呼吸器を外したら直ちに心臓死を迎える。このように全脳機能が喪失している点が植物状態の患者とは異なる。

 

脳の機能という面から見れば、脳死とはすべての脳機能が死んだ状態であり(不可逆的機能停止)、大脳のみが機能停止した場合を植物状態(小脳や脳幹は生きている)、脳幹のみが機能停止した場合は脳幹死と呼ばれている(大脳や小脳は生きている)。

脳波の波形から見れば脳死の場合はフラット(平坦脳波)であるが、植物状態ではいまだ波形があり平坦波形ではない。なお脳波の測定位置が大脳表面の“頭皮上脳波”の場合と、深部の“頭蓋内脳波”の場合とでは波形に違いが認められており、“頭皮上脳波”は平坦波形だが、深部ではいまだ脳波があって機能が維持されているケースもあるという。

 

<3.臓器移植の問題>

①.ドナー側の問題

☆死刑囚争奪戦:中国の現状

城山英巳著『中国臓器市場』(新潮社、2008年刊)によれば、中国は米国について第二位の臓器移植大国だが、20064月に英国移植学会から「中国では死刑囚から、本人や家族の同意なしに臓器摘出が行われている」との声明が出された。中国政府は国際世論からのたび重なる批判に対して、200611月に外国人への移植を禁止したが、政府の指示にもかかわらず2007年夏以降、医療現場では順次、外国人に対する移植が再開されたという。

中国では春節(旧正月)や、101日の国慶節の前の月は死刑執行が最も多く、それに合わせて世界中から臓器移植を受ける患者が仲介ブローカーの指示で入国して、中国各地の病院に入院して移植手術を待つことになるという。なぜなら中国では、ドナーの9割は死刑囚であるから(→但し2008年刊の『中国臓器市場』のデータに基づく)。

 

☆半物質状の幽質

宇宙に遍満している霊的エネルギーは人間の霊的要素(霊の心+霊体)から取り込まれて、半物質状の幽質(幽質結合体)を経由して、物的要素(物的脳+肉体)に流れ込んで各部位を活性化させていく。幽質が介在することによって霊的エネルギーは、質の異なる物的要素に流れ込むことが可能になるわけである。このように幽質には、霊的要素と物的要素という波長の異なる存在を結び合わす役割がある。

人間の死によって幽質の大部分は霊的要素に付着していくが、一部は物的要素に付着して残る(→役割として物が腐敗し分解するスピードを調整するなど)。そのため死者の臓器には必ず半物質状の幽質が付いている。

 

☆ドナーの臓器に付着する幽質

移植される臓器は、新鮮で健康な臓器が最も移植に適している。そのため生体エネルギーが最も旺盛な若者で事故死した臓器がベストな「人体パーツ」となる。一般にそのような若者は物的執着が強い。

 

人間の物的身体と霊的身体との間には、半物質状の幽質(=幽質結合体)を介して相互依存関係があるため、その人の性格傾向や嗜好、考え方などは遺体に付着した幽質の中に記憶として残存している。ドナー(提供者の意味)から摘出した臓器には必ず幽質の一部が付着しているので、臓器移植はどのようなケースであっても「臓器」と「ドナーの幽質」がセットになってレシピエント(臓器を受領する者)に移転する。さらに物的執着の強い者や死刑囚から摘出した臓器には、そこに地縛霊の「これはオレのものだ」という「意識」が付着している場合がある。このような臓器の提供を受けたレシピエントは、体質によっては霊的な問題が発生するが、一般にレシピエントはドナーがどのような人であったかは知る由もない。

 

☆ドナーと地縛霊との関係

死者は(→ここでは霊的知識がない上に物的執着が強い者が亡くなる場合)死の直後に赴く物的世界と霊的世界の中間境で「ガイド(→死のプロセスを順調に進んでいけるように導く指導霊)」と出会うことになる。その際にガイドの言葉に素直に従わない場合には、極めて高い確率で地縛霊となるようである。

地縛霊とは死によって物的身体を脱ぎ棄てたにもかかわらず、本人は死を自覚せず、いまだに自分の肉体を所持していると信じている、意識が地上世界に向いている霊をいう。このような地縛霊は自分が死んだことを自覚していないため、自我の本体の表現器官を物的身体から霊的身体に移行させるための調整、つまり「死のプロセス」が何時まで経っても完了しない状態になっている。

 

体制批判者や思想犯を除く死刑囚に見られる全般的な傾向として、極端に物欲が強い者や衝動的な行動を取る者、他人への迷惑などお構いなしの利己主義者などが多く目に付く(→但し獄中に於いて生前に自分の犯した罪の大きさを自覚して“悔い改めの糸口”を掴んだ者を除く)。このような者から臓器を取り出せば、自己の所有物という執着が強い分だけ、摘出された臓器に「オレのモノをどこに持っていくのだ」という「意識」が強烈に付着する。その付着した状態でレシピエントの体内に取り込まれる。臓器と共に取り込まれた「意識」は「この臓器はオレのモノだ。誰にも渡さない」と強烈に自己主張を始める。このように「物的な臓器+半物質状の幽質+意識」がセットになって、摘出された臓器が存在する場所に死者の意識も存在することになる。

 

☆幽質に残存する「死者の一部」

人体の各臓器や組織、免疫機能等の各部位からデータとして物的脳に情報が送られて、それらが脳で統合される。それを幽質が媒介して“霊の心”に伝える。長年このような働きを繰り返していると、物的要素と霊的要素が相互に依存しあってきた関係が幽質の中に残存することになる。いわば幽質には「死者の一部」が残存しているともいえる。この「臓器+幽質」が及ぼす関係を便宜「死者による消極的な影響力の行使」と呼ぶことにする。霊的に敏感な霊媒体質者は、臓器と共に体内に取り込んだ幽質に残存する“死者の性格傾向や嗜好、考え方”を感知して、不快感を覚えることがある。霊的に鈍感な体質者の場合は何の影響も受けないであろう。

 

物的レベルでは移植された臓器はレシピエントの体内で異物として検知されるため、強力な免疫抑制剤を使って副作用を抑え込むことになる。さらに霊的レベルからの問題点として、前述したように摘出された臓器には「死者の意識(これはオレのモノだという意識)」がくっ付いている場合があり、その意識が臓器と一緒になってレシピエントの体内に取り込まれて積極的に自己主張することがある。この「臓器+幽質+意識」が及ぼす関係を便宜「死者による積極的な影響力の行使」と呼ぶことにする。

 

このように考えると移植用臓器は単なる「人体パーツ」ではなくなる。臓器移植には臓器と共に必ず「死者による消極的な影響力の行使」という幽質が付着しているため、レシピエントの体質によっては、ドナーの性格や嗜好までも貰い受ける場合が出てきてしまうこともある。死者の意識状態によっては「人体パーツ」と共に「死者による積極的な影響力の行使」という迷惑なケースもありうる。当然に霊的に鈍感な体質者の場合は何の影響も受けない。

 

☆輸血、骨髄移植

輸血も臓器移植の一種であるが、他の臓器移植と比べて心理的なハードルは低い。しかし臓器移植である以上副作用の問題は当然に起こりうる。輸血には臓器移植で問題となる“移植片対宿主反応:GVHR”という免疫反応(→輸血から1~2週間で皮膚や肝臓に症状が現れる)が知られている。またドナー(提供者)の幽質の付着の問題もある。

 

白血病、重度の再生不良性貧血、悪性リンパ腫、重症免疫不全症などの骨髄機能の不全による病気治療の一環として骨髄移植が行われている。骨髄移植とは骨髄提供者のドナーから採取した骨髄液(造血幹細胞)を難病患者に注入移植して、患者の造血機能の回復を図る治療法である。一般には二週間くらいでドナーの骨髄液が機能して患者自ら血液を造りだすようになる。ただし骨髄移植にも合併症や後遺症の問題があり、移植片対宿主反応が起こることが知られている。さらにドナーの幽質が付着して移転するという問題もある。最近の海外からのニュースでは(20163月のニュース)、移植によって実際にドナーが持っていた“キウイフルーツのアレルギー体質”が患者に引き継がれたという報道があった。

 

②.レシピエント側の問題

☆クレア・シルビアの不可思議な体験

臓器移植にまつわる「死者による影響力の行使」を知るうえで「ある心臓移植患者の手記」は参考になる。以下の記載は「ある心臓移植患者の手記」として出版された書籍(クレア・シルビア著、飛田野裕子訳『記憶する心臓』角川書店、1998年刊)を参照してまとめた。

 

1988年原発性肺高血圧症に冒された50歳のクレア・シルビアは、生き延びるために心肺同時移植手術を受けた。手術は成功して順調に回復したシルビアは、次第に嗜好が変化してきたことに気付いた。例えばあまり飲まないビールが突如飲みたくなり、また大嫌いだったピーマンが大好きになったこと。手術前はファーストフードの店に行ったことがなかったのにもかかわらず、手術後初めて乗った車はいつの間にかケンタッキー・フライドチキンに乗り入れていたこと。そしてやたら活動意欲が湧いて片時もじっとしていられず行動的になったことなど、移植前と比べて明らかに性格が変化した。

 

シルビアの手記には「自分の嗜好、性格に生じた変化を知れば知るほど、どうしても思いはドナーにいたる。病気に対する強い抵抗力をもった、きわめて健康な人だったのだろうか。なにか病気をしたことは。ひょっとして活動亢進といえるほど活動的な人だったのではないだろうか。もしそうなら、今のわたしが異常なまでにエネルギッシュなのも納得がいく」と綴られている。

 

シルビアは手術後の回復期に、見知らぬ若者が出現する不思議な夢をしばしば見た。その若者こそ自分のドナーであるとの直感的確信を持ったシルビアは、病院にドナーの身元を問いただした。しかし病院側は臓器移植に関する「規則」の存在を理由にして情報開示を拒んだが、「メイン州に住んでいた18歳の少年で、バイク事故で亡くなった」ことだけは聞き出せた。その情報を手掛かりとしてシルビアは公立図書館に出向いて、移植手術を受けた週の地元の新聞を調査して「若者のバイク事故」の記事を見つけ出した。その記事を手掛かりにしてドナーの家族を探し出した。

 

シルビアは亡くなった少年の家族に連絡を取り、訪問して家族に夢の話をすると、その内容は18歳のバイク好きな若者像とことごとく一致していた。また若者はチキンナゲットに目がなかったこと、ピーマンが大好物であったことが分かった。さらに事故処理に当たった警察や関係先の調査などから、次のようなことが分かってきた。死亡した若者はスピード狂として知られていたこと、未確認情報としてドラックかアルコールに浸る生活をしていたらしいことから、相当問題ある若者であったことなど。

この一連の調査の結果、シルビアは手術後に食べ物や好みが変化し、性格まで明らかに変化したのは、心臓や肺と共に「ドナーの性格や嗜好までレシピエントに受け継がれたのではないか」と記している。

 

☆シルビアの体験をどのように説明するか

臓器移植には三つの問題点がある。まず物的面からは移植臓器と生体との適合性の問題や、臓器移植の副作用として免疫抑制剤を生涯使用し続けなければならないという問題がある。次に精神面からは臓器移植を受けた者に“プラスの意識変化”や“マイナスの意識変化”が見られる。さらに霊的面では霊的に敏感な体質者(霊媒体質者)の場合には「死者による影響力の行使」が問題となる。

 

医学的な証明は為されていないが、移植用臓器には臓器提供者の幽質の一部が付着しており、それが原因で移植を受けた者に「不可思議な現象」が出現することが体験者の報告から知られている。これらの現象はポール・ピアソール著、藤井留美訳『心臓の暗号』(角川書店、1999年刊)によれば、代表的な説として以下に掲げた「A説:生まれ変わり説」「B説:サイコメトリー説」「C説:憑依説」などが仮説として取り上げられている。

 

A説:生まれ変わり説>

生者と死者の魂は無限に続き、お互いに繋がっている。ドナーがレシピエントの身体を借りて再び出現した。

 

B説:サイコメトリー説>

移植される心臓にもドナーの心霊エネルギーが詰まっている。植物や無機的な物体が人間の感情や思考を覚えているのであれば、人体の臓器、それも一番私たちと密接につながりのある臓器に感情の痕跡が残っていてもおかしくはない。

 

C説:憑依説>

移植される臓器は、車やバイクの事故など、突発的な原因で死亡した若者から提供されることが多い。なぜなら新鮮で健康な臓器が最も移植に適しているから。

彼らの魂はまだこの世でやり残したことがあると感じ、ときには他人に憑くことがある。クレア・シルビアのドナーもこの世にやり残したことがあり、彼の魂がそれをやり遂げたがっている。そういう場合は、魂は二つの世界の狭間に捉えられている。

スピリチュアリズムの観点からいえば、ドナーは地縛霊となっている可能性が強い。その地縛霊の幽質に残存する“性格傾向や嗜好、考え方など”と一緒に「意識」までシルビアは受け継いだといえよう。

 

前著の記載によれば、米国では臓器移植を受けたレシピエントに対する“不可思議な体験”の有無や内容の調査研究が盛んに行われているという。心臓や腎臓等の臓器移植を受けたレシピエントには「不可思議な体験の存在を肯定する人たち」と、「無理にないものとする者や、術後の精神的なものとして否定する人たち」の存在が明らかにされている。

 

一般にレシピエントはドナーがどのような人であったかは知る由もないが、シルビアの手記を読む限りでは、彼女自身は霊的に敏感な霊媒体質者の可能性が高い。そのため他のレシピエントよりも強く、18歳の若者の性格や行動様式が50歳のシルビアに表れたのではないかとも考えられる。“サイコメトリー説”や“憑依説”からは、物的執着の強い者や死刑囚から臓器移植を受けたレシピエントには、体質に応じてさまざまな影響が表れてくる可能性はある(→霊的に鈍感な体質者の場合は当然に不可思議な体験を否定するであろう)。なぜなら地縛霊の「人体パーツ」と一緒に、「死者による影響力の行使」を貰い受けてしまうことになるから。また臓器移植の副作用として、免疫抑制剤を生涯使用し続けなければならないという悩ましい問題もある。

 

☆レシピエント側の事情

レシピエント側の一般的な事情としては、臓器移植以外に生存の道がない重篤な患者に、ドナーの「心臓死」を待っていては移植が不可能になるという緊急性の問題がある。そのため出来るだけ健康で新鮮な状態の臓器を摘出してもらいたいと望む、レシピエント側の医療関係者が存在する。ともすればレシピエント側の気持ちとしては、ドナーの死を待ち望む方向に傾きやすくなる。あってはならないことだがレシピエントとドナーが同一病院で治療を受けている場合には、“死の人為的操作の存在”が出てくる危険性もある。

 

③.その他の問題

☆「人体部品ビジネス」の誕生

人間は霊的要素と物的要素が半物質状の幽質結合体によってドッキングされており、三者は一体化して存在している。シルバーコードの切断によって霊的要素と物的要素の結合が解かれた人体は、従来は埋葬するだけの存在であり、例外的に医療従事者の教育(=解剖実習など)や研究のために供せられる遺体として再利用されていた。近年の先端医療技術の発達は人体の価値を高めて、単なる埋葬するだけの遺体から商品価値を持った遺体へと姿を変えていった。これによって「移植用、医薬品製造用、薬物試験用、医学実験用、医学研究教育用のための資源」として活用されることになった。いわゆる「人体部品ビジネス」の誕生である。

 

人体は物的観点から見れば当然に「モノ」である。医学の分野で人体が再利用されるのは西洋医学の根底に「人体機械論」があり、肉体は交換可能な代替物であるとする観念があるから。この観念の存在と、高度な「移植医療を行う技術」を扱う組織の存在、そして「他人の臓器を必要とする人(有償利用)」の存在や「自分の臓器を提供したい人(無償提供)」の存在、これらを仲介するコーディネーターの存在によって「人体部品ビジネス」が前世紀末に登場した。

 

☆遺体と霊的知識との関係

霊界通信によれば、この物質の世界とは別に死後の世界が“合わせ鏡”のような形で存在すること、人は死んで物的身体を脱ぎ捨てた後は“霊の世界”で生き続けること。このような霊的事実を知らなければ、人は「激しく肉体に執着する」「いつまでも肉体に入った状態でいようとする」という。なぜなら“物的脳の副産物である精神”は死んだら雲散霧消してしまうので、ボロボロになった肉体にいつまでも執着して、少しでも長く地上世界に留まろうとするから。そのため体内に様々な薬品を注ぎ込んで必死に延命を図ろうとする。

このような者から臓器を摘出すれば、レシピエントの体質によっては弊害が生じる。一般に移植医療の副作用を抑えるために、免疫抑制剤を生涯使用し続けることになるが、この他に精神面や霊的面での移植医療の副作用という大きな問題がある。

 

人の死は霊的に見ればシルバーコードの切断時である。切断されていなければ死と宣告されても蘇生することになるので遺体ではない。近年この間の体験を蘇生患者自身が語る「臨死体験」が、医療関係者や研究者の間で関心を呼んでいる。

遺体の扱いについては、死者に霊的知識があるか否かによって異なる。一般に霊的要素と物的要素は長年の密接な関係から、両者には相互依存の習性が残っている。霊界通信では死者に霊的知識がなければ一時的なショックを与えるので「埋葬または火葬までに死後三日は間を置いた方がよい」と述べられている。霊的知識があれば、「死(シルバーコードの切断)」は自我の表現器官を肉体から霊的身体に移行するための霊的調整である、と言うことを理解しているので遺体を医学的な研究材料としても何ら問題ない。

 

<4.スピリチュアリズムの観点から>

①.この世的な「死」とは「一連のプロセス」のこと

☆臓器移植を前提とした「死」

現代社会では死の判定は医師によってなされている。従来の「心拍停止」「自発呼吸停止」「瞳孔散大・対光反射消失」が現れたことを持って「死」と診断してきた慣行は、成文化されたものではないが「死の三徴候」として死の判定法として定着している。「心臓死」の場合は墓地埋葬法によって死者を一定期間観察する道が残されている。また昔は土葬が主流であったため、仮死や蘇生があった場合でもそれなりに対応できた。しかし「脳死」にはその道はない。「脳死」とはそもそも「臓器移植」を前提に作り出された「死の定義」である。心臓移植を行うために作り出された「人為的な死(→死に至る蓋然性は極めて高いが)」であるともいえる。

 

一般的な傾向として医学技術を優先した「死の定義」が作られたことによって、移植医療はますます発達して移植用臓器のニーズは高まった。その結果「人体の商品化」がもたらされた。このようにして医学技術を優先した「死の定義」が作られたが、背景には「死は忌み嫌うもの」や「死は敗北である」という意識が存在する。この論議の背景には、そもそも「何を持って死とするのか」や「人間とは何か」という本質的な問題が存在したはずであったが。

 

☆死とはシルバーコードの切断の瞬間

死を蘇生可能性という観点から見れば、物的身体と霊的身体を結んでいるシルバーコードが切断されていなければ“死者”ではない。地上世界は「学校」や「トレーニングセンター」であるという観点から見れば、回復不可能な植物状態の患者でも、“自我の本体たる霊”はボロボロになってしまった肉体に繋がれた状態において何らかの物的体験を積んでいること、または周りの者や家族に何らかの体験を積ませていることになる。このように考えれば臓器移植を前提とした脳死には問題があると言わざるを得ない。霊界通信によれば高級霊は臓器移植を認めていない(9127頁)。

 

☆臨死体験者の事例

ある臨死体験者の体験談の中には、“脳死状態”から生還したといわれる事例がある。ただし体験談の内容から脳のどの部分が機能停止したかは不明である。臨床事例としては一般に脳死状態の患者の治療法は皆無であり、蘇生は不可能と言われているので、生還例は脳が完全に機能喪失する一歩手前の“切迫脳死”か、植物状態の患者であると思われる。

この臨死体験者をAさんとする。体験談によればAさんは臨床的には完全に意識がない“深昏睡状態”であったと思われる。Aさんは医師や看護師がせわしく動き回る状況を病室の天井付近から幽体離脱して見聞きしていた。病室の片隅で医師が両親に述べた「合わせたい人がいれば呼んだ方が良い」。さらには「ご臨終です」との言葉を聞いて、「自分は生きているのに」と思って大いに憤慨したという。

 

このことは外観から観察したAさんの“臨床上の意識(→物的脳に付随した意識)”はなくとも、肉体から離れた「内的意識(→シルバーバーチは“霊の脳ともいうべき精神”と表現している:8134頁)」は立派に存在するということの“証明”になる。なお臨床上における意識とは顕在意識のことであり、その有無のみが対象となっている。「内的意識」の存在の有無は検査方法がないので問題とされていない。

スピリチュアリズムの観点からAさんの“死”を考えれば、「内的意識」の表現器官たる物的脳は機能不全に陥ったが、いまだ肉体はシルバーコードによって霊体に繋がっていたので(→シルバーコードを通して霊的エネルギーは肉体に供給されている)、蘇生できたということになる。

 

☆物的脳の働き

物的脳は受信装置的な役割を持っており、霊的意識である高次の意識や潜在意識の一部を受信して、この意識を私たちが自覚できる意識(顕在意識)の領域に引き上げる働きをする。この働きを行うと同時に「大脳辺縁系・大脳基底核・視床・視床下部等の古い脳」では、個体の維持と種族維持に必要な「主として摂食行動・性行動・出産行動・哺乳行動・集団行動・攻撃行動・逃避行動等」の本能欲求、さらには「快・不快・喜び・怒り・欲求不満・不安・恐怖・性衝動等」の原初的な情動など、これらの本能に基づく意識をコントロールしている。

このような本能に基づく意識は霊的意識と一緒になって顕在意識に統合され、一つの“思い”を作り上げる。この“思い”は言葉や行動という外形と一体となって、物的脳の指令によって第三者に発信される。このような物的脳の働きとは別に臨死体験者の体験事例から、現代科学ではいまだ解明されていない肉体を離れた“心”が存在していることが推測できる。

 

☆通常の医療行為の一環

人間の死は“シルバーコードの切断の瞬間”としても、現実問題として医師は霊視能力者ではないので、“シルバーコードの切断の瞬間”を見極めて死の診断を行うことはできない。物質次元から見た“人間の死”とは、徐々に「生命現象が終息していくプロセス」として現れるので、医師にとってどの時点をもって死とするかの診断は難しい。

 

近代医学の著しい進歩によって、重篤の患者は人工呼吸器や蘇生法等の助けを借りて、命を長らえることができるようになった。その中から脳疾患の末期的病態にある患者に対して、従来の医療行為の継続か、加療水準の切り下げかの判断に際して「臨床的脳死診断」が行われることもある(→これ以降は延命治療の中止や尊厳死を考える時期となる)。このように脳が機能停止した「脳死」は臓器移植が絡まなければ、単に脳疾患の末期的病態の患者に対する“通常の臨床医学上の問題”に過ぎないといえよう。

 

②.高級霊の見解

☆臓器移植に反対

高級霊は臓器移植や輸血に対して「私としては人体のいかなる部分も他人に移植することに反対」(1051頁)であると明確に述べている。ただし「患者自身の身体の一部を他の部分に移植するのであれば、結構なことです。生理的要素も幽質的要素もまったく同一のものだからです」(到来57頁)と述べて、自分自身の組織等を用いる自家移植医療までは否定していない。なお一卵性双生児の同系移植や同種移植でも、遺伝子情報は同じであり肉体的には問題がなくとも“宿る霊”は別々なので、幽質はそれぞれ異なる。そのため「死者による消極的な影響力の行使」は残るため問題がある。

高級霊は臓器移植や輸血に反対する理由として、次のような点を述べている。

 

<理由その1>

臓器は交換不能な不代替物である。

物的身体は霊が自我を表現するための器官であり不可分な関係にある。自我の本体たる「霊」と「精神・心」および「身体」とは分離不可で最初から一体として生まれてきている。また三者は一体となって一つの個性をこしらえている(9128頁、新啓示192頁)。この三者が調和状態にあれば健康が維持できるので、霊的エネルギーは正常に循環(阻害要因がなければ)して各部位を活性化させる。

肉体は代替物ではなく、交換不能な不代替物である。なぜなら「地上にある限りはその物的身体が唯一の表現の媒体です。いわば“霊の宮”」(最後啓示146頁)だから。このように高級霊は移植医療の前提である「人体パーツ」の交換可能性を否定している。

 

<理由その2>

死とは「第二の誕生」である。

地上に於ける人間の唯一の目的は霊的成長であり、肉体的生命の維持が唯一の目的であってはならない(9127頁)。肉体的生命は自我の本体たる霊が、地上で霊的成長するために必要な器官であり、目的を達成するための道具である。肉体の耐用年数の満了を持って死が訪れるが、死とは物的身体に拘束されていた霊が解放される瞬間である。このように死に対する考え方が違う。

 

<理由その3>

私たちは予め「出生条件」を承知して再生してきた。

人間は「物的身体の性能」という限界の範囲内で、再生人生に於いて到達可能な霊性レベルの上限や下限、そして寿命という長さ、これらの大枠の中に幾つかの物的試練を予め設定して出生してくる(→宿命)。この設定した幾つかの試練に対して、自由意志を行使して右に行くか左に行くかを決定しながら、人生模様という地上体験を積んでいく。同時に自らのカルマの解消を図っていく。このような再生目的にマッチした、最も適した身体や環境を自ら選んで出生してきた。

高級霊は「時として失明の原因がカルマにあることがあります」「目の見えない人が角膜を移植してもらって見えるようになることが、霊的に見て果たしてその人にとって良い事であるか否かは、一概に片づけられる問題ではない」(1180頁)。自分がどんな人生を生きるかを承知の上で生まれてくるのであり(1109頁)、その人の人生と身体とは密接不可分な関係にあるからと述べる。

 

<理由その4>

霊体と肉体との間には相互依存関係がある。

死去後すぐに臓器摘出や人体実験を行うことがあるが如何に、との出席者からの質問に対して高級霊は「その死者の霊が霊的事実についての知識があるかどうかによります。何の知識も無ければ一時的に害が生じる可能性があります。というのは、霊体と肉体とを繋いでいるコードが完全に切れた後も、地上での長い間の関係によって相互依存の習性が残っているからです」と述べる(1052頁)。相互依存の関係が残っているので埋葬または火葬までに死後三日は間を置いた方がよいとも述べている。

 

<理由その5>

移植や輸血はドナーの幽質を他人に移すことになる。

高級霊は臓器を不代替物であるとして、それを他人に移植した場合には、移植片自体が問題を引き起こすと述べている。「輸血に際して注入されるのは血液だけではなく、それに付随した幽質の要素も含まれている」「それは献血者の人間性の一部です。つまり輸血によってその献血者の存在の本性にかかわるさまざまな要素までもが他人に移されることになり、これは場合によっては好ましくないケースもあり得ます」(到来55頁)。

霊的に敏感な者はドナーの臓器や血液に付着する幽質の影響を受ける場合があるから。霊的に鈍感な者は幽質の影響を感じないので、精神的なものや霊的なものは個人差が大きい。

 

☆一つの見方

人間の死を霊的次元から見れば、死は肉体的束縛からの解放なので、当人にとっては喜ばしいことになる。高級霊は「小鳥が鳥籠から解き放たれて大空に羽ばたいていくこと」と表現している。物質次元では死は“人間という物的生命体”の自己崩壊過程として現れる。

 

西洋医学は人体を機械に例えて、不具合の生じた臓器をあたかも交換可能な代替物(→人体パーツの交換)と見なして臓器移植を行っている。昨今の「移植用の臓器確保」のニーズに応えるために作られた「脳死を死とする制度」には次のような問題点がある。

まず物的視点から見た問題として、「脳死」は「臓器移植」と対になっている関係上「生者埋葬」防止機能が働かないこと。脳細胞は自己融解(いわば“脳不全”の状態)しているが、心臓死までの期間が長い「長期脳死者」の存在があることなど。次に霊的視点から見た問題として、人間の精神活動の中枢は「内的意識(=霊の心)」であり、物的脳はたんなる“受信装置”に過ぎず「脳死」はその不具合に過ぎないこと。植物状態にある患者といえども、霊体と肉体はいまだシルバーコードで繋がっており、その状態で何らかの物的体験を積んでいるケースもありうること。生命現象が終息に向かうプロセスとして「脳死」の段階、「心臓死」の段階、「細胞死」の段階などがあるが、どの時点においても霊的に見てシルバーコードが切断していなければ「死」ではないこと。このように「脳死」には問題が多い。

 

本来健康とは、霊と精神と身体の三者が調和している状態である。前述した高級霊の見解から類推して、この“三者が調和状態”にある生活を送っていれば、当人に大きなカルマがない限り臓器移植を伴うような病気に罹ることや、輸血をするような重大な事故や病気には遭遇しない、ということになるのであろう。また仮に病に侵された場合でも、八方手を尽くして万策尽きた場合は、静かに死を受容する。なぜなら死は物的束縛からの解放である、というのが高級霊の基本的な立場であるから。

 

シルビアのような重い病気に侵された場合の現実的な対処の一般論として。

臓器移植(あまりお勧めできないが)や輸血(赤血球の寿命は120日でその後は骨髄で血液が作られる)しか選択肢がない状況に立ち至った場合には、私達が生きている地上世界は不完全な世界であること。この不完全な世界で霊的向上を目指して生きている私達も進化途上の未熟な存在であること。これらの現状を踏まえた上で「硬直的な霊訓の解釈」をせずに、この問題を各自の道義心によって柔軟に判断すればよいと思われる。

 

 

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