« 移植医療とスピリチュアリズム | トップページ | スピリチュアリズムとキリスト教:総論編 »

臨死体験

目 次

<1.はじめに>

・言葉の定義

・「臨死体験」が研究対象となる

・「臨死体験」ブーム

 

<2.臨死体験事例の検証>

①.マイケル・B・セイボムの調査

②.臨死体験の特徴

・意識は“肉体の外にある”

・トンネル体験

・“光”の体験

・走馬燈的な回想体験

・神秘的体験

・不本意な生還

③.「臨死体験」批判派

「脳内現象」仮説

・「超ESP」仮説

 

<3.パムの臨死体験>

・パムの脳手術

・体外離脱

・亡き親族と出会う

・検証

 

<4.臨死体験が意味するもの>

・物的脳から離れた心の存在

・生き方の変化

 

<5.スピリチュアリズムの観点から>

・「死」の定義

・“肉体の外にある意識”とは

・臨死体験とは

・ペンフィールドが到達した見解

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

 

<1.はじめに>

☆言葉の定義

臨死体験(Near Death Experience)とは「臨床的に死を宣告された、もしくはそのように見えた者が、その後蘇生した時点で(あるいはそれからしばらくした後に)語る、その間の体験のこと」を指す。この定義の中で使われる「臨床死(=臨床的な死)」という言葉は「外部から観察できる生命のあらゆる徴候(→意識、反射、呼吸、心臓の停止などのこと)はすべて喪失しているが、生命全体としては死に至っていない状態のこと」を言う。一般に「死のプロセス」は「臨床死」の状態から間もなく「生物学的死(代謝活動の崩壊=腐敗)」へと移行していく。

 

数多い体験談の中には「臨死体験」という言葉を、上記の厳密な意味ではなく、単なる「意識喪失中の体験」や病床における体外離脱体験、「臨終体験」までも含めて用いている人もいる。これらは上記の定義からいえば「臨死体験」ではないことになる。

なお日本最古の和歌集である『万葉集』では、「臨死」を「みまか」と読ませて「人が亡くなる直前」「死の瀬戸際」という意味で用いている。たとえば「柿本朝臣人麿の石見国に在りて臨死(みまか)らむとせし時に、自ら傷みて作れる歌一首」として「鴨山の岩根し枕けるわれをかも知らにと妹が待ちつつある」(巻二:二二三)。

 

☆「臨死体験」が研究対象となる

臨死体験は世界各国で古くから存在しており「人類に共通した宗教体験」の一つである。臨死体験の研究起源は二つある(笠原敏雄著『超心理学ハンドブック』ブレーン出版1989年刊、273頁以下参照)。一つ目の起源は1882年に超常現象を科学的に研究するために創立されたSPR(心霊研究協会)の「死後生存の可能性の検討に沿った研究」である。この系統の研究としては、SPRの創立者の一人であるイギリスの物理学者バレット(William F. Barrett1844年→1925年)が行った研究(1926年)や、アメリカ心霊研究協会カーリス・オシス(Karlis Osis)が行った研究(1961年、1977年)が良く知られている。

 

二つ目の起源としては「死後生存との関係は特に顧慮しない研究」であり、「偶発的体験に絞った調査報告」である。スイスの地質学者のアルベルト・ハイム(Albert Heim1849年→1937年)はアルプス登攀中に滑落して臨死体験をした。ハイムは自身の体験から、登攀中の転落事故で臨死体験をした登山仲間の事例を集めて1892年にスイス登山クラブの年報に発表した。この系統にアメリカの精神科医レイモンド・ムーディ(Raymond Moody1944年→ )が行った研究(1975年)がある。

 

このように二つの研究起源を持つそれぞれの系統は互いに無関係に行われてきたが、現在では相互に交流しながら研究が行われている。このように「心霊研究、超心理学」の系統で行われてきた一筋の臨死体験の研究は、いわゆる「偶発事例の収拾」の系統と合体することによって大きな広がりを見せて、医療現場や医学関係者を中心とした1980年代以降のブームに繋がっていった。

 

☆「臨死体験」ブーム

アメリカでは1970年代中頃から「臨死体験」という現象が注目されるようになってきた。そのきっかけとなったのは医師のエリザベス・キューブラーロス(Elisabeth Kübler Ross1926年→2004年)や、レイモンド・ムーディの著書であった。その後医師のマイケル・セイボム(Michael B Sabom)は1977年に臨死体験の研究報告を『フロリダ医師会誌』に掲載し、その後1982年に著書『Recollections of Death』(マイケル・B・セイボム著、笠原敏雄訳『あの世からの帰還』日本教文社)を出版した。このような経緯を経て1980年代になると臨死体験は広く知られるようになった。

 

日本でも『日本霊異記』には「臨死体験」と思しき現象が載っているが(注1)、この言葉が普通に使われるようになってきたのは1990年代以降のことである。1991年に放映された立花隆氏による「NHKスペシャル、立花隆リポート」や、著書『臨死体験』(文芸春秋1994年刊)が大きいと言われている。

 

<2.臨死体験事例の検証>

①.マイケル・B・セイボムの調査

心臓専門医のセイボムは「肉体的な臨死に伴って意識不明に陥った状態の者」で心停止後に蘇生した者78名に面談したが、その内の34名が臨死体験をしていた。臨床死における臨死体験の比率は43%であったと述べている。さらに臨死状態に陥った人に対して、死に対する不安や来世観が変化したかどうかの調査も行った。その際の質問項目では「明らかに増加」「明らかに減少」「不変」に分けた。その結果「臨死体験群ではかなりの者が、死に対する恐怖では明らかな減少を、来世信仰では明らかな増加を報告している」。また「非体験群では変化のなかった者がほとんどであり、両者群には統計的な有意差が見られた」という。

 

さらにセイボムはレイモンド・ムーディの『かいまみた死後の世界』(中山善之訳、評論社)の調査では明確でなかった箇所、つまり「死に対する不安が減少したのは臨死体験そのものの結果なのか、それとも死の瀬戸際まで行きながら生還を果たした(九死に一生を得た)ことによるのかはっきりしない」点を明確にするため、データの詳細な分析を行った。

分析の結果「臨死体験後に死に対する恐怖感が減少するのは、臨死体験自体の結果であり、単に臨死状態から蘇ったためでないことが分かる」と述べている(マイケル・B・セイボム著、笠原敏雄訳『あの世からの帰還』日本教文社2005年刊、99頁~109頁)。

 

②.臨死体験の特徴

☆意識は“肉体の外にある”

臨死体験者の大部分が「意識は肉体の外にいる」という体外離脱体験(肉体離脱体験)をしているが、この体験は臨死体験とは関係ないさまざまな状況下でも起こりうる。

多くの臨死体験事例において、体外離脱した際にベッドに横たわっている状態では見えない位置にある医療器具や、医療関係者の動作、医師の頭頂部にある肉体的特徴などを正確に言い当てている。さらに浮揚した状態で病室の外に出ていって、そこに置いてある物品を正確に言い当てた事例などがある。

 

体外離脱体験中に起きた心の状態は、臨死体験時の本人の視点は肉体の外にあって、ベッドに横たわる自分の肉体を他人事のような感覚で見下ろす「肉体からの分離感」を伴っていること。肉体から抜け出している間の本人の意識は、肉体ではなく「分離した自分」の中にあること。医師が述べる「ご臨終です」との宣告を、病室の上方で浮揚状態で聞いていたある患者は「自分は生きているのに」として反発する意識が芽生えたこと。自分の肉体から分離することによって体が軽くなったような感覚を持つこと。さらに“分離した自分の心の状態”は、完全に覚醒して意識水準は高く、驚くほど思考が明晰になっていること、などが報告されている。

 

☆トンネル体験

臨死体験者の多くは「暗く長いトンネル」「洞窟や井戸」「筒状の場所」に引き込まれて、信じがたいスピードで暗いトンネルを突き進んだ体験を持つ。その際に「耳障りな音」がしたという報告がなされている。

 

☆“光”の体験

臨死体験者の多くが「光に包まれた世界に入って行く」「光に包まれて至福の時間が持てた」などの体験を語っている。この“光”の体験から宗教性を感じる人と感じない人がいる。

俳優の安田伸氏は1990年(58歳)に肝臓ガンの宣告を受けて二週間余り危篤状態に陥った。その間二回の「臨死体験」をした。安田氏の臨死体験によれば、気が付くと古代エジプトみたいな宮殿で、柱も天井もすべて黄金色、そして宮殿内も遠方も黄金の光で包まれていた場所に佇んでいたという。欧米では宗教性を帯びた「光の体験」が良く報告されているが、安田氏の「光の体験」には宗教性は帯びていない。また安田氏は、臨死体験中は非常に気持ちが良かったと述べている(出典:立花隆著『証言・臨死体験』文春文庫、2001年刊)。

 

☆走馬燈的な回想体験

臨死体験者の中には「一瞬のうちに自分の全生涯を見た」とか、「第三者的な感覚で、相手の気持ちになって見ていた」と報告する事例がある。自分の一生をパノラマ的に展開するのを地上的な時間の感覚ではなく一瞬に感じ取るようである。ここから意識が肉体から分離した状態の空間には、地上世界において“地球の自転・公転という機械的な尺度ではかる時間”とは異なった時間の流れがあること。いわば「時間の精神的要素」が支配した状態で走馬燈的な人生の回想体験をするようである。

 

☆神秘的体験

体験者の多くは自分のそばに他者の存在を感じ取っている。ムーディは『かいまみた死後の世界』の中でこの存在者を「死につつある人間が死後の世界へ容易に移行できるようにするため」(74頁)と述べている。これは霊界通信が明らかにしている「死のプロセス」を順調に完了させるために手引きしてくれる“ガイド”であり、その存在を示唆している。

一般に臨死体験者は既に他界している肉親に温かく迎えられたと述べる事例は多い。

 

☆不本意な生還

死の淵から生還した人は「お前の地上での仕事はまだ完了していない。地上へ戻りなさい」と言われて戻るケースがある。体験者によれば大部分の者はいや応なしに戻らされている。

俳優の北林谷栄氏は1989年(78歳)にアメリカのオレゴン州にフジテレビの仕事で滞在していた。その滞在中に頭部前頭葉の動脈瘤破裂で脳内出血を起こした。その際に臨死体験をした。北村氏の場合は「ツル状の植物の棚があって、それが池をおおっていました。そして左側の方に人がいました」「その人は、あなたはここを通れません」と述べた。言葉ではなくその意味が思念で北村氏に伝わってきたという(出典:立花隆著『証言・臨死体験』文春文庫、2001年刊)。

 

③.「臨死体験」批判派

「脳内現象」仮説

良く知られた批判として「臨死体験とは脳が作り出す幻覚である」とする説がある。

臨死体験者の脳では血流不足による酸欠状態で、大量のベータ・エンドルフィン(脳内モルヒネ)が分泌されている。この分泌によって痛覚が和らいで幸福感を感じたり、身体が浮遊するという感覚を覚えたりする。そのため「臨死体験」とは、潜在意識の中にある記憶がイメージを作り上げてしまう、「脳が作り出す幻覚」であると主張する。また「脳内現象」の立場に立つ者は、側頭葉を刺激すると奇妙な現象がいろいろと起きるので、「臨死体験」とはこの部分が何らかの刺激を受けて「自分が体外に浮かび上がってしまったと思い込むだけのこと」と述べている。

この「脳内現象仮説」を唱える代表的な理論家に、英国ブリストル大学のスーザン・ブラックモアがいる。ブラックモアは人が意識を失う時は、感覚は一挙に完全になくなるのではなく、聴覚や触覚は働いている場合が多く、それらを繋ぎ合わせれば真に迫った視覚的イメージを描くことは可能である。そのため臨死体験者には意識はなくとも聴覚や触覚は残っていた可能性があると述べる(スーザン・ブラックモア著,由布翔子訳『生と死の境界』読売新聞社1996年刊、参照)。

 

☆「超ESP」仮説

ESP仮説とは、ESP(透視・テレパシー・予知等の総称)を無制限に拡大することによって、死後生存仮説を仮定することなく臨死体験者が体験した現象を説明できるとする説。

 

<3.パムの臨死体験>

☆パムの脳手術

パム・レイノルズ(35歳、女性ミュージシャン)は、19918月アリゾナ州フェニックスのバーロウ神経学研究所において、巨大な脳底動脈瘤を「低体温心停止法」という方法で取り除く外科手術を行った。執刀医は世界的に著名な脳神経外科医のロバート・スペッツラー医師であった。このパムの臨死体験は最も詳細な医学的データが残された事例として知られており、セイボムはこの臨死体験事例を著書『Light and Death』(邦訳『続・あの世からの帰還』)の中で発表した(注2)。

 

この「低体温心停止法」とは、患者の体温を15度~16度まで下げて心拍と呼吸を停止させて脳波を平坦波形にして(→医学的に見て患者を一旦死亡の状態において)、その状態で頭部から全ての血液を抜き取って、動脈瘤がしぼんだ状態で切除する高度な技術を必要とする手術である。その際に患者の脳に障害が発生していないことを確認するため、両耳にはイヤホンを挿入してそこから絶えず音を発して、脳幹の聴神経中枢のチェックを繰り返し行っている。手術が成功すれば再び血液が体内に戻されて、体温をあげて蘇生させるという方法をとった。全体の手術時間は約6時間であった。

 

パムの脳外科手術は「低体温心停止法(超低体温循環停止法)」で行われた。現在では人工心肺を用いるこの手術方法には、体温を必要以上に下げると血液凝固能力や免疫機能の低下、脳機能の障害発生の危険性、術後の体力回復に大変な時間がかかるなどの副作用があることが分かってきている。そのため最近では体温をあまり下げずに、32度の軽度低体温での手術が多いという。

 

☆体外離脱

手術は午前7時15分に始まった。パムの眼球は乾燥を防ぐため潤滑油が塗られてテープでとじられた。点滴用チューブを通して全身麻酔をかけてから1時間25分後、スペッツラー医師は真鍮製の“骨のこ”を使用してパムの頭蓋を切り取った。そのキーンという大きな音がした時点からパムの「臨死体験」は始まった。

 

手術中パムはスペッツラー医師の肩に座っているような感じがしたという。その位置からベッドに横たわる自分の肉体の状態や、手術室にいる医師たちの詳細な会話、手術の状況をきわめて正確に見ていた。その後午前11時、冷却によりパムの深部体温は14度以下まで低下した。その時点で心臓は完全に停止して、脳波も平坦波形となった。午前1125分パムの体内から全ての血液が抜き取られて、血液が入っていない瘤の切除という前例のない手術が始まった。常識的な見方に立てば、その時点のパムは心肺停止でしかも脳血流なし、脳幹反応もない状態なので「パムは死んだ」とも言える。

 

☆亡き親族と出会う

その頃になるとパムの「臨死体験」も進行していた。パムはトンネル状のようなものに入ると、祖母の呼ぶ声が聞こえたので(→肉体の耳で聞いたのではない)、さらに奥へと進んでいった。その暗いトンネル状の穴の奥に小さな光の点があり、パムが進んで行くにしたがって、その点がどんどん大きな光となっていった。その光の中に何人かの人がいるのが感じられた。だんだん輪郭がハッキリしてきて、光に包まれた状態ですでに亡くなっている祖母・伯父・大叔母などがいた。

その人たちはパムを光の中に入れてくれなかった。パムはその光の中に入ってしまうと二度と自分の肉体には戻れない、ということを感じ取った。パムは「今は亡き親族から“養分(→霊的エネルギーのこと)”を与えてもらい」、伯父に見送られてトンネルの入り口まで戻ってきた。

 

パムがトンネルの入り口まで戻ってきた頃、手術室では“前例のない手術”が成功して、温められた血液が再びパムの体を流れ始めた。パムはトンネルの入り口から手術室を見た。そこから見えたものは「事故に合った列車の残骸みたい」な自分自身の体であった。伯父に押されて自分の体に引っ張られる感じで体内に戻った(→シルバーコードが繋がっているので)。その時の気持ちは氷水のプールに飛び込むような感じであったという(→体温は32度まで上がっていたがまだかなり低い)。パムは蘇生した。

 

☆検証

臨死体験を批判する人たちが述べる「側頭葉発作の可能性」に関しては、セイボムは「臨床的に見れば、このような発作は、脳波に異常波が出たのを確認することで突き止められる。パムの脳波活動は継続的に測定されていたが、発作が起こったことは報告されていない」と述べて、その可能性を否定している。また執刀医のロバート・スペッツラー医師は、パムの脳は大量の「バルビツレート保護(→静脈麻酔薬のことで頭蓋内圧を下げるために用いる)」で沈黙させられていたので、このような発作が起こることは「極めていた疑わしい」と述べている。

 

さらに「患者が手術中の会話を聞いてそれを再構成した」という可能性に関しては、手術が始まる前に患者の両耳には、聴覚反射と脳幹反射を調べる目的で、耳内にピッタリはまる形状のイヤホンがガーゼとテープで耳全体を覆う形で挿入されており、このイヤホンからは絶えず100デジベルのカチッという音が出されている。このような状態では医師どうしの会話自体が聞けないので、病室内の状況を再現することは考えられない。またパムが見た手術器具の形状は正確であったとセイボムは述べている。

 

現実問題として患者の脳からは血流が抜き取られており、臨床的にはパムは“死んだ状態”いわゆる“脳死状態”であった。その際のパムの脳波は平坦波形(→大脳皮質が機能していない状態)であり、脳幹が機能せず、脳血流も停止している。そのため「脳内現象説」では説明が付かないのではないだろうか。翻訳者の笠原敏雄氏は、懐疑論者はこの事例を完全に無視して自説(脳内現象説等)を主張していると述べている。

 

<4.臨死体験が意味するもの>

☆物的脳から離れた心の存在

臨死体験者に対するインタビューはある程度の時間がたってから行われるが、臨死体験は通常の体験よりも長い時間にわたって記憶が鮮明に保たれていることが知られている。この点から見て、一般に問題とされる「記憶変容の可能性」は低いといえる。

 

臨死体験者の報告事例の中には、本人の視点が肉体の外にあること。その一点からその場の状況を眺めていたこと。肉体の置かれた位置からは見えないはずの場所で起こった出来事を正確に見ていること。肉体から抜け出している間の本人の意識は、肉体ではなく“分離した自分”の中にあるが、完全に覚醒して意識水準は高く、驚くほど思考が明晰になることなどが報告されている。このような体外離脱状態での“意識”の存在は物的脳によって意識される“肉体的な心”から解放された別の“もう一つの心(肉体を離れた心=霊的な心)”が存在していることを強く示唆している。

 

☆生き方の変化

多くの臨死体験者には、死に対する意識の変化(→死に対する恐怖感が薄らぐなど)が生じている。臨死体験とは“霊の世界”の入り口部分を覗いた体験のことだが、臨死体験者は「死」の向こう側にも人生がある(→死後の存続、霊の世界の実在性)という確信が湧いてくる。臨死体験中に“すでに亡くなっている他者との出会い”があった場合は、より強くなるようである。そのため体験者は、その後の地上人生において死を恐れなくなる。

たとえばムーディの『かいまみた死後の世界』の中に登場する、ある臨死体験者はその典型例である。「あの体験以来、私は死を恐れなくなりました。葬式に出席しても気の毒だとは思いません。私は亡くなった方のために、むしろ喜ばしい気がします。死者が体験する世界が、私にはわかっているからです」(129頁)とある。

前述した安田氏は「臨死体験ではじめて死ぬのが怖くなくなったということではない。ただあの体験で、死んでいく過程がこんなに気持ちがいいものかと知って、一層死を恐れない気持ちが強くなった」と述べている。この意見も多くの臨死体験者と同様である。

 

臨死体験中において、その体験者の全生涯を瞬時に見せられる“パノラマ現象(人生の回想シーン現象)”を体験した者は、その後の人生に於いて何を優先するか、という価値観の変化(→財産や業績を重視した価値観から愛や思いやり重視の価値観へと変化)や、その後の地上人生を大切にして、前向きに生きるようになる割合が高くなるようである。従来の「先入観を伴った物の見方が薄らいできた」ことや、「人を裁く気持ちが薄れて寛容さが出てきた」などの報告がある。

 

<5.スピリチュアリズムの観点から>

☆「死」の定義

スピリチュアリズムから「死」を定義すれば、物的身体と霊的身体を繋ぐ「シルバーコードが切断した瞬間」となる。シルバーコードが切断されていなければ、物質次元から見ていかに「死」と診断されようと「死」ではない。蘇生の可能性があるからである。長年慣行として患者の外観上に「心拍停止の状態」「自発呼吸停止の状態」「瞳孔散大・対光反射消失の状態」の三徴候が現れたことを持って「死」と診断してきた。しかしシルバーコードが切断していなければ蘇生するので「死」ではない。臨死体験とは「臨床死」から蘇生の間の体験ということになる。

 

☆“肉体の外にある意識”とは

臨死体験者が共通して述べる“肉体の外にある意識”とは、肉体を離れた地上的人格のことである。スピリチュアリズムでは“本来の私という意識”を「インディビジュアリティ」と呼ぶ。これに対して地上で見せている地上的人格、つまり“現在の私という意識”を「パーソナリティ」と呼んでいる。

 

私たちの物的身体には物的脳があり、ここを意識の焦点とした“心”がある。これが通常私たちが認識している意識、つまり地上的人格であるところの“現在の私という意識(パーソナリティ)”である。この物的身体は霊的身体と半物質状のシルバーコード(幽質結合体の変形)によって繋がっている。体外離脱は意識の焦点が物的脳に統合されていた状態から離れて、霊的身体が有する“心”に焦点を移しただけに過ぎない。その際の意識は“現在の私という意識(地上的パーソナリティ)”であって、心の奥深い部分から直ちに“本来の私という意識(インディビジュアリティ)”が浮き上がってくるのではない。あくまでも“現在の私という意識”の焦点が物的脳から霊的身体の“心”に移行するだけに過ぎない。

したがって肉体という制約がなくなった分、「意識水準は高く、驚くほど思考が明晰」になるわけであり、あくまでも“現在の私という意識(地上的パーソナリティ)”であることには変わりはない。

 

霊界に於いて再生のための準備段階に入ると“本来の私という意識(インディビジュアリティ)”の中に、インディビジュアリティの一部を取り込んだ小さな“容器”が出現する。その後地上に誕生して成長し、個人差はあるものの10代前半の思春期を迎える頃になると地上的“自我の確立期”に入る。そうすると“容器”は不透過性を帯びてきて、内と外を水のように流れていた意識は“容器”内に閉じ込められる。なぜなら地上という「学校」で体験を積んで、その体験を内部に取り込んで“意識を着色する”ためには“不透過性の容器”になっている必要があるから(→この時期を地上的な“自我の確立期”と呼んでいる)。その後「青年期→壮年期→老年期」と成長して、体験を通して獲得した意識を“容器”内に取り込んで、さまざまな色に着色していく。人によっては「歪んだ欲望(残忍さ、傲慢さ、貪欲、淫乱など)」によって、ケバケバしい独特な色彩を帯びた“意識という溶液”になってしまった人もいるであろう。

死んで幽界にいっても、すぐに“本来の私という意識(インディビジュアリティ)”が内部から湧き上がってくるわけではない。心の深い部分から「明確な霊的自覚」が芽生えてくる迄は、自己の意識の焦点は物的なモノに縛られている。この状態から解き放たれるまでは、相変わらず地上的人格たる“現在の私という意識(パーソナリティ)”を引きずっている。

 

☆臨死体験とは

臨死体験はあくまでも霊的世界の入り口を覗いただけであり、直ちに「死後個性の存続」の証明に繋がるわけではない。しかし臨死体験が意味するプラス効果として、次のような点があげられている。臨死体験をすることによって死に対する不安が減少すること、今この時を一生懸命生きようとする意欲が増大すること、多くの体験者が広い意味での信仰心が高まったことを述べている、または信仰心が強化されたこと。さらに医療関係者に対しては「昏睡状態にある患者に対する態度が、完全に意識ある患者に接するときと同様な態度で臨む必要があること」を明らかにした点があげられている(→なぜなら体外離脱状態で医療関係者の会話を聞いているから)。

 

臨死体験研究の副産物として「終末期医療に対する考え方」「臨終時体験(お迎え現象)」「死」「死の周辺部」に関する意識を徐々に変えてきたことがある。この臨死体験の研究は、長年霊の世界を身近に感じて同居してきた日本で発達したものではなく、キリスト教圏の欧米が先行しており、それが“逆輸入”して入ってきたものであった。

前世紀末からの急激な先端医療技術の発達は、「死」の問題と密接な関係にある「移植医療の領域」と、「生」の問題と密接な関係にある「生殖医療の領域」の発達をもたらした。同時についぞ科学の領域に登場することがなかった“物的世界の外側にある世界”の扉を少しだけ開けて、唯物論的思考が一辺倒の現代社会に小さな“風穴”を開けた。この“風穴”が意識の変化を促す第一歩になって行くのではないだろうか。

 

☆ペンフィールドが到達した見解

欧米流の科学的発想に立てば人間の意識の全ては、脳細胞の生理学的活動によって説明できる、あるいは将来説明できるとされている。このような脳科学の世界で、人間の脳の研究に臨床医学の立場から一生を捧げて、その間に多くの新しい知見を発表し、最晩年に「霊肉実体二元論」に立った「霊魂仮説」に移行した著名な脳学者がいる。

脳神経外科医の世界的な権威ワイルダー・ペンフィールド(Wilder Graves Penfield1891年→1976年)は、数多くの“てんかん患者”の脳を開いて行った外科的治療から、脳の特定箇所を刺激するとある身体感覚が発生するという現象(脳における身体感覚の地図)を明らかにした。この仕事は「脳地図(ホムンクルス)」として発表されて、その後の脳の研究に大きな貢献を成した。

 

最晩年のペンフィールドは著書の中で「私は長い研究生活を通じて、なんとかして心を脳で説明しようと試みてきた。そして今、これまでに得られた証拠を最終的に検討しているうちに、人間には二つの基本要素から成るという説の方が合理的だと考えられることを発見して、驚異の念に打たれている」「今科学者もまた誰はばかることなく霊魂の存在を信じうることを発見したのだ」と主張した(『脳と心の正体』法政大学出版局発行143頁)。

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

<注1>

■『日本霊異記』中巻25話(平凡社ライブラリー)に次のような記載がある。

閻魔大王の使いの者が本来死すべき人(A女)から供応を受けたため、別の人(B女)を連れてきた。しかし大王から誤りを指摘されたため、再び地上に戻って本来の死ぬべき人(A女)を連れてきた。誤って連れてこられたB女は地上に戻り生前の肉体を探したが、自分の肉体はすでに火葬にされており、戻るべき肉体がない。そこで大王の指示でA女の肉体を借りて生き返った(魂はB女)。生き返ったB女(肉体はA女)はA女の両親に「ここは我が家でない。我が家は鵜垂郡にあります」と言った。そこで本来の鵜垂郡に行って、不思議がるB女の両親に閻魔大王の話をして、蘇生によって肉体B女からA女に入れ替わったが、魂はB女のままであることを信じてもらった。という話である(前著166頁~)。

話の筋は平田篤胤の「勝五郎の再生話」と同じである。このように「臨死体験」を伴った肉体の入れ替わりという話は日本には古くからあった。

 

<注2>

■出典:マイケル・B・セイボム著、笠原敏雄訳『続・あの世からの帰還』日本教文社2006年発行を参照。引用箇所は「43頁~62頁、265頁~272頁、323頁~326頁」です。

■脳動脈瘤とは脳の中の小動脈(1㎜~6㎜)にできる“風船のようなふくらみ”を言う。代表的な発生部位は中大脳動脈、内頚動脈、前交通動脈、脳底動脈であり、そこに2㎜から25㎜位の動脈瘤ができる。この中でも脳底動脈瘤は脳内の最も深部にあり、近くに重要な血管や脳幹(生命維持の中枢器官)があるため、最も困難な手術で危険性が非常に高いという。一般にこの部位に対する治療法としては“コイル塞栓術”が行われているが、この治療技術が使えない場合には、動脈瘤を治療してくれる脳外科医を探すのが大変であると言われている。パムの場合もアトランタの脳神経外科では対応できないため、フェニックスのスペッツラー医師が紹介された。

 

« 移植医療とスピリチュアリズム | トップページ | スピリチュアリズムとキリスト教:総論編 »