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4.月の裏側の念写

目 次

ア)月の裏側の念写

・昭和6年の遠隔念写

・昭和8年の公開実験会における念写

イ)月の裏側の念写像の検証

・極め付きの念写

・後藤以紀氏による月の裏側の念写の数理的検討

・月裏側の二枚の写真

・批判派の論拠

・三浦清宏氏の人生上の転機

ウ)霊媒の人間性に関する検証

・霊媒のメンタル面が現象に及ぼす影響

・「スプーン曲げ」の成功例と失敗例

・霊媒の誠実さの問題

 

<注37>~<注49

 

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ア)月の裏側の念写

☆昭和6年の遠隔念写

月の裏側の念写は昭和8年に岐阜新聞社主催の実験会場で行ったのと、昭和6年に三田の自宅から大阪の福来博士の自宅に置いてある乾板に遠隔念写を行ったものとがある。念写の出来栄えは、昭和6年のものより昭和8年の岐阜公会堂の方が良かったという。

昭和6年に行われた月の裏側の念写は次のとおりである(注37、注38)。

A.日時

昭和6624日午前820

B.実験の経緯

福来博士は自宅二階(大阪府豊郡箕面村桜井)に二枚の乾板を置いた。

三田は約40㎞離れた神戸市須磨の三田の自宅から、同日午前8時30分に月の裏側を透視して、それを福来博士の自宅二階(大阪府豊郡箕面村桜井)にある二枚の乾板に念写した。福来博士はその乾板二枚を直ちに現像(午前8時30分に現像に着手)したところ、月の画像が現れた。

 

☆昭和8年の公開実験会における念写

昭和8年1114日付の岐阜新聞は、岐阜新聞社主催の「超人三田善靖氏の霊能力大実験会」を紹介している。

A.日時――昭和8年1112日午後6時~午後1010

B.場所――岐阜公会堂

C.乾板の準備

実験当日の夕刻に山田稻天氏が神田町3丁目田中写真機店から購入してきた。

乾板は外国から来て箱のまま厳封した1ダースの原版であった。

購入してきた乾板に、岐阜地方裁判所田中検事正、早野岐阜署長、中田武雄氏、清代議士の四名で乾板に封印を施した。

D.念写の状況

三田から五尺離れた机上に乾板を置いた。

河田会議所副会頭は、乾板の上から6枚目に月の裏側、3枚目に某故人の姿を念写することを指示した。念写を終えた三田は「一枚陽画が写ったが珍しいことだ」と述べた。

E.乾板の現像

乾板の現像立会人として岐阜新聞社本社の木下編集局長、福井事業部長、内木記者、高田探偵新聞社長等が立ち会った。岐阜公会堂の暗室に入り、内藤主事が封を切り現像に着手した。約5分にして、6枚目に「月の裏面」。3枚目に最近京都で死んだ画家野原桜洲氏。さらに4枚目に右写真の陽画が確然と現れた。

立会人はこれらの事実を満場に報告し、拍手しばし鳴りやまなかった。

F.実験結果の証明

早野警察署長の「右実験ニ怪シムベキ点ナシト認ム、早野宗太郎 ㊞」。

河田商工会議所副会頭の「指定シタル6枚目ニ念写セラレタルコトを認ム、河田貞次郎 ㊞」の証明文が付いている。

 

イ)月の裏側の念写像の検証

☆極め付きの念写

三田が念写した月の裏側の画像は、当時誰も見た者がいないために、事前の小細工や被写体のすり替え等の詐術を行う余地がなく、その真偽のほどを将来に託したいわば極め付きの念写であった。

昭和36年(1961年)時点でまとめられた「念写実験の吟味―福来心理学研究所所員共同研究―」によれば、「これが果たして月の裏側の像であるかどうかはわからない。福来博士談によれば単に能力者の観念に形づくられていた月の裏面の想像図が念写されたのだろうという。195910月ソ連月ロケットが撮影した月の裏面の写真と比較することは種々の点(たとえば月を見る角度が不明)から困難である」(注39)として、念写像の真偽が保留となった。このように三田が行った月の裏側の念写像の真偽が、長い間不明とされていた。その後三田の念写から50数年後に日本の電気工学界の長老、後藤以紀氏(1905年→1992年:元東大教授、元電気試験所長、元工業技術院長等)の数理的検討によって、NASA作成の月面図と極めてよく似ていることが証明された(注40)。

 

☆後藤以紀氏による月の裏側の念写の数理的検討

後藤氏は照合のきっかけを次のように述べている。

――195910月、ソ連の宇宙船ルーニク3号が撮影して“月の裏側”と称した写真は、ほとんど真横から写したもので、その左半分は地球より見た右半分に相当しており、むしろその部分が大陸的に見えて目立っている。その後に、1969年7月のアポロ11号より197212月の同17号に至るまでに、撮影された航空写真に基づいて作られた、NASA編纂の月面円形地図、および12インチの月球儀が、丸善書店で売り出されていたのを見た瞬間、非常に驚いた。それには筆者が以前に見た月面念写図の異様な特徴が目立っていたから(注40)――。

 

後藤氏は「付録として、名前の付いたクレータ中心の緯度、経度が記載されているので、まず特徴のある主要のクレータを目標として裏面のどの方向から見た写真になっているかを計算してみると、ほとんど真後ろよりは少し斜で上向きに見た形になっていた。緯度、経度の零点は地球に常に向いている月面の平均的中心点となる」。この後藤氏の記載から、三田の念写図とNASA作成の月面図を比較する前提として、「月の裏面の念写方向の推定」を行ったことが分かる。

そして後藤氏は「月の裏面の主要“クレータ”と“海”の位置の計算値と念写図との対比」を様々な数式を使って行った結果、「主要な“クレータ”または“海”31個を選び、表記載の位置と念写像の位置とが一致していることが判った。勿論月には海岸線がないことと、山の影が時刻により変化するため、大きさが不明確なことは当然であるが、比較した総ての点で一致したことは、この念写は大成功といえるであろう」(注40)と述べた。

 

そして結言として「偉大な先覚者福来友吉博士により念写の可能性が察知され、博士の指導に従って優れた能力者が育ち、長尾郁子夫人は最初に念写を実現し、三田光一氏は博士の命により未知の月裏面の念写に成功した。近年に至り、米国宇宙船による航空写真に基づく円形地図、およびクレータの位置の表がNASAで編纂されたので、筆者が計算した結果、念写結果は良く表と一致していることが判明した。博士の遺業はやはり偉業であったことが確かめられた」(注41)。

後藤氏の論文(34頁)の中に、同じ月面写真が二枚並べてある。一枚目は三田が昭和8年に念写した図であり、もう一枚目は同じ昭和8年の念写図にNASAの観測データ(クレータ、海の位置)を落としたものであり、いわば後藤氏によって作られた「修正版NASAの月面図」である。比較用として「NASA観測表によるcraterMareとの位置を(昭和8年の念写図の上に)示したもの」である。

 

最近の月面裏側の研究によれば、1994年(平成6年)にアメリカ国防総省とNASAが共同開発した探査機クレメンタインによって、月の裏側全体の地形がさらに正確に明らかになった。この探査機のデータを基に佐佐木康二氏は「月裏念写の新しい数理解析<1>」によって、念写像と実際の月面裏側を比較した精密な研究結果を報告している。この研究によれば、月の裏側の念写像を裏返して時計回りに90度回転したものと、クレメンタインの画像データで得られた球面投影画像を、相関係数の分析によって相似性を数理解析すると、面積比で約80パーセントにおいて完全に一致し、残りの20パーセントはノイズ(無関係データ)に相当する(注42)と述べている。

 

☆月裏側の二枚の写真

芥川賞作家の三浦清宏氏(1930年→:元明治大学教授:昭和62年下半期に芥川賞を受賞)は、後藤氏が論文の34頁に掲載した月の裏面の二枚の写真について次のように述べている。「(後藤氏の研究報告の)最後の方に三田光一の月の裏側の同じ写真二枚が掲載され、その中の一枚にNASA観測表に基づくクレータや“海”の位置を示す点が重ね合わせて記されている。撮影角度によって調整して投影するとこうなるということを示したものだが、これをNASAの写真そのものと勘違いする人が多いようだ。筆者(三浦清宏氏)もその一人だった。しかし、NASAが三田光一と同じ角度で写真を撮っていたら計算して位置を割り出す必要はないわけである。その点をもう少し報告書の中で説明してほしかった」(注43)。

この点は非常に重要である。なぜなら批判派はこの事実を無視して自説を論じているからである。この後藤氏の数理的検討結果が一躍有名になって独り歩きして、三田の月の裏側の念写が人々の再注目を浴びることになった。

 

☆批判派の論拠

“と学会”会長でSF作家の山本弘氏は「NASAより早く月の裏側を写した? 三田光一の念写!」(注44)の中で、「月の裏側の念写」を取り上げている。山本氏は念写の「真相」として、「近藤千雄の“心霊科学本格入門”には、三田の念写写真と“1973年にNASAが発表した月の裏側の写真”と題した写真が並べて掲載され、両者がまったく同一であることが示されている。だがこの“NASAが発表した月の裏側の写真”なるものは、本物のNASAの写真ではない」。近藤氏が三田の月の裏側の念写の写真と、NASAの写真であるとして並べて紹介しているものは、「露出が異なるだけの同じ写真、同じ写真だから一致するのは当たり前」として、NASAの写真ではないと否定している。

 

この文章を書いた山本弘氏の指摘に対する問題点として、まず三田光一の月の裏側の念写図とNASAの写真とを比較した結果、「(31地点が)完全に一致した」ことを証明した証明者(後藤以紀氏)、および数理的検討によって明らかにした「月の裏側の念写の数理的検討―宇宙船による新月面図との照合―」の論文の内容を全く無視している点である。

次に山本氏が指摘している「二枚の写真の真相」については、後藤氏の論文に掲載(34頁)された“上の写真”は三田の昭和8年の念写図であるが、“下の写真”は比較のためにNASAのデータを、同じ(昭和8年)念写図の上に落としたものである。後藤氏が数理的検討によって撮影角度を調整して、三田と同じ角度で写真を撮ったらこうなるとして割り出した、いわば後藤氏によって作られた「修正版NASAの月面図」である。山本氏が“下の写真”は「本物のNASAの写真ではない」と指摘した点は正しいが、そのことによって「月の裏側の念写」がトリックであったということにはならない。

この二枚の写真の意味については、後藤氏の論文を読めば一目瞭然に分かることであり、なにも近藤千雄氏をスケープゴートに仕立て上げる必要はないわけである。山本氏の文章からは、全体として根深い偏見が感じられる。

 

このように批判者は、自分に都合の良い箇所だけをつまんで自説を論じている。後藤氏が数理的検証を行って、NASAが同じ角度で写真を撮ったらこうなるという論文の中心論点を全く無視している。そして「三田光一の念写した月の裏側像と実際の写真を比べてみても全く似ていない」と主張する。三田光一の念写の写真とNASAの写真が似ていないのは、両者の角度が違うので当然である。この肝心な点が意図的に無視されて、結論だけが独り歩きして後藤氏は「変人学者」扱いになっている。この現状は全く残念なことである。

福来友吉は東大で千里眼と念写の研究を行ったが、「大学の研究室で扱うには適切でない対象を研究したという理由で大学を追放」(大谷宗司氏)された。長尾郁子氏の念写実験には地元の中学校長や教員も真偽確認のため参加したが、「その筋から教育者の身を以て千里眼問題などに関係してはよろしくないという通告」があり、また長尾判事には「上司からいやしくも司法官の職にありて、如此問題に関係することは面白くないとの注意があった」という(注45)。在野に下った福来は三田光一と出会い、福来の指導によって三田光一が極め付けの念写を行い、この念写像の解明を将来の研究者に託した。念写実験から50数年後、その念写像を東大教授(福来博士と専門分野は異なるが)であった後藤氏によって数理的に解明されたが、筆者はこの一連の出来事に興味深いものを感じる。

 

☆三浦清宏氏の人生上の転機

後藤氏は東大を60歳で定年退官(昭和40年)した後に、明治大学(理)工学部の教授となった。明治大学では電気科の教授であったが、その明治大学も退職することになった。一般に大学教授が退職する際に行う記念講演では、その人の専門分野の話をすることが普通であるという。しかし後藤氏が明治大学教授を退職する時に行った記念講演は、専門の電気工学に関する話ではなく、物質化現象やエクトプラズム等に関する心霊研究の話であった。この講演に前述した三浦清宏氏は出席して、始めて聞く話に興味を持ち、このことが三浦氏のその後の人生を大きく変えたという。筆者は以前、学者や研究者のグループに加わって全国の霊能者を調査研究したことがある。ある時、地方の霊能者を調査研究した帰りの新幹線の中で、筆者は三浦氏からこの話を直接聞いた。その時の感想として、謹厳な後藤氏の心霊研究者としての矜持を見た思いがした。

 

ウ)霊媒の人間性に関する検証

三田の透視や念写能力について、当初よりトリックであると批判する人達や、三田の地元新聞の『気仙沼新報』のように、「無恥怪物三田光一」(大正7年2月10日付)とのタイトルを付けて、魔術のような行為で世人をごまかしたと酷評する記事(注46)もあり、つねに毀誉褒貶がつきまとっていた。

 

☆霊媒のメンタル面が現象に及ぼす影響

三田光一が行った透視や念写は心霊現象であり、当然にあらゆる条件下に於いてつねに最良の結果が出るわけではない。心霊現象の実験を自然科学系の実験と同列に並べて考える研究者や、基本的な霊的知識を欠いた研究者などによる実験では、不確かで弱い現象のケースや全く現れないケースもある。研究者の間では既知のことだが、不正行為が介在しないように厳格に管理された条件の下で行えば行うほど、心霊現象の出現が弱く小さくなり、緩い条件の下や暗闇での実験(→科学的な証拠性が低くなる)のほうが心霊現象の発生率が高くなる傾向にある。

また暗闇の中でも観察ができるようにと、さまざまな科学装置や器具を設置して臨んでも装置が異常作動を起こしたり、直前まで正常に作動していたカメラが作動しなかったり、録音テープが録音されずに消去されていたりと何かと問題が生ずるという。このため霊媒の不正行為の可能性の有無について、つねに強い疑惑の目が向けられてきた。

さらに心霊現象である以上、霊媒の心理的緊張も考慮しなければならない。誠実な霊媒によくありがちな例としては、心霊現象の決定的証拠を得ようとする研究者の意気込みを強く感じ取ってしまい、それが力みや心理的圧迫感となって現象の発生が抑制されてしまうことがあるという。また参会者の心霊現象に対する心の傾向の問題なども考慮しなければならない。

 

シルバーバーチの専属霊媒のモーリス・バーバネルは、著書(注47)の中で「(霊媒を)同じく疑うにしても真摯な態度で疑うのと、敵意に満ちた猜疑心や始めから信じる気のない態度は、霊媒を始めとして、通信しようとする霊、および通信そのものの伝わり方にも決定的な影響を及ぼす。反対に和やかな雰囲気と好意的な態度がいい結果をもたらす。司会役ないし案内役の人が、気が乗らないような態度で霊視家を紹介すると、紹介された霊視家は非常にやりにくくなる。会の口火を切る司会者ははつらつとしていると、霊視家は気持ちよく仕事が進められる」と述べてメンタル面が霊媒に及ぼす影響を述べている。

すべてのモノは波動であり、心霊現象を呼び起こすに適した波動や不適切な波動があり、司会者のはつらつした紹介や、会場に流れる音楽(選曲も重要)、参加者の理解ある態度などが相乗して波動を高揚させることになる。心霊現象出現の舞台裏の事情に理解が及べばこれは当然のことである。次の事例からよく分かる。

 

☆「スプーン曲げ」の成功例と失敗例

1974年2月21日にイスラエルの青年ユリ・ゲラーが、日本テレビの録画取り(→3月7日放送の木曜スペシャルの番組)のために来日して、一躍有名になった。これに触発されて当時小学生だった関口淳氏もスプーン曲げを始めた(一説によれば197312月からとも)という。関口氏はテレビに数多く出演して「超能力ブーム」を作った。しかし同年5月24日号の『週刊朝日』にスプーン曲げの連続写真が掲載されて、関口氏が実験用の針金を指で曲げているシーンが撮影された。これがきっかけになって「スプーン曲げ」に疑義がもたれた。その後関口氏は「あの時は疲れていた(悪条件が重なった)のでインチキをしたが本当に曲がる」と弁明したが、心霊現象否定派は「超能力者は疲れて念が入らない、疑う人がいるからうまくいかない」等と居直ると批判していた。その後スプーン曲げを行う清田益章氏が現れたが、清田氏もインチキがばれたことがあったという。

 

奇術師Mr・マリックも「スプーン曲げ」を行っている。「マリックのスプーン曲げは本物だ」と思っている人もいるという。マリックのスプーン曲げにはトリックがある。『Mr・マリック超魔術の嘘』(注48)の、ゆうむはじめ氏によれば、「ここで紹介できるスプーンは、幸いにもマリックが使用していたものと全く同じものである。このスプーンの裏を見れば“STAINLESS STEEL”と刻印されているのだが、ステンレス製のスプーンだからと云って高級品だろうと勘違いしてもらっては困る。これは現在日本で売られているスプーンとしては、もっとも安価なものの一つである。筆者が知る限りではマリックのスプーン曲げの演技には、このスプーンか、あるいはこれと同型のもの以外は用いられていないようである。つまりこのスプーンは、いわばスプーン曲げに適したスプーン(簡単に手で曲げられる)。しかし堅さからいっても、スプーン本来の使用に十分耐えられる製品である」という。このスプーンを使って奇術師Mr・マリックは「力」と「コツ」で曲げるという。

 

以前筆者たちは清田益章氏を招いてスプーン曲げの実験をしたことがある。実験に使うスプーンは筆者たちの側で用意し、そのスプーンを筆者たちの側の人間が清田氏の面前のテーブルの上に置いた(→この時点まで清田氏はスプーンに全く触れていない)。清田氏は面前にあるスプーンに初めて触れて(→触れた箇所は柄の部分のみ)、スプーンの柄の端を軽くつまんで自分の顔の位置にかざした。そのままの状態でしばらくすると、全く触れていないスプーンの頭部分が、次第にゆっくりと曲がりはじめ、遂には二つに切断されて頭部分がテーブルの上に落ちた。筆者は清田氏の面前1メートル斜め横の位置で実験の一部始終を見ていた。筆者は清田氏がスプーンの柄の部分を、力を入れず軽くつまんでいたことと、柄の端以外は全く触れていないことを確認している。また非常にリラックスして行っていたことも身体全体の雰囲気から見てとれた。この実験で二つに分離したスプーンは、当然に二度と元に戻らなかった。その後このスプーンの切断面を電子顕微鏡で写真に撮り、他の霊能者が行った「スプーン曲げ」の断面との比較検討も行っている。筆者たちが行った実験では、清田氏は非常にリラックスして「スプーン曲げ」を行ったことがポイントになっている。

 

☆霊媒の誠実さの問題

眼前で現象の「驚くべき場面」を見せられても、完璧さを求める研究者の疑惑を解くことはできず、さまざまな理由から現象そのものよりも霊媒の能力を問題視することになる。清田氏は1981年にアメリカの研究室で、科学者の前でスプーン曲げと念写の実験を成功させているが、科学者たちの見解には「さらなる研究が必要」との留保がついたという。

 

この良い事例がジェイムズ・マックレイン(超心理学博士、偶発的サイ現象の調査研究家)の論文に載っている。「超能力者を対象にこれまで行われた数多くの研究は、サイが『身を潜める』性質を持っているとする見解を支持している。たとえば、スプーン曲げ能力者の清田益章を対象にして行われた実験でも、反駁の余地がないほどサイの存在を裏付ける証拠が得られているわけではない。日本超心理学会の研究グループは、清田が手を触れることなくスプーンを曲げる場面を撮影した驚くべき場面をビデオに録画しているし、他の研究者もかなり実証的な証拠を集積しているけれども、疑惑を抱いている者全員を改宗させるほど『完璧な』証拠を得ることは不可能である。不透明な出来事がこれまでにも清田の周辺で起こっており、そのため懐疑論者は、清田の能力を疑問視するようになっている。こうした状況は、欧米の数多くの超能力者を対象にした研究の場合でも同じである」(注49)。現象が完璧であっても「霊媒の誠実さ」が懐疑論者の疑惑を招いた好例である。

 

福来友吉の報告書からは霊媒のメンタル面の検証がされた記載は見当たらない。三田の助手が実験会でどのような役割を果たしたかも不明である。現在の超心理学が霊媒のメンタル面を問題にしていると云うことは、研究の進展であろう。三田は「公開実験会」という場面で、大勢の観衆の面前で透視や念写を行ったが、毎回ほぼ完ぺきな成果をあげたわけではない。不調で不成功に終わった実験会もあった。三田の実験会のケースや前述した関口氏や清田氏の例からも分かるように、どのような状態でもコンスタントに最高の心霊現象を現すことは極めて困難である。三田の透視や念写が研究者の立場から、それが本物かトリックかの結論が出ているわけではないが、全体から云えることは極めて強い能力を持った霊媒であったと云うことである。

 

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<注37

■「念写実験の吟味」:『福来心理学研究所研究報告、第1号』22頁以下。

<注38

■星猛夫著「月の裏側の念写像と福来友吉博士」:『福来心理学研究所研究報告、第3巻』、17頁。

<注39

■「念写実験の吟味」:『福来心理学研究所研究報告、第1号』22頁。 

<注40

■『日本心霊科学協会研究報告、第2号』19858月発行:後藤以紀著「月の裏側の念写の数理的検討―宇宙船による新月面図との照合―」、8頁。

<注41

■『日本心霊科学協会研究報告、第2号』19858月発行:後藤以紀著「月の裏側の念写の数理的検討―宇宙船による新月面図との照合―」、38頁。

<注42

■寺沢龍著『透視も念写も事実である』(草思社2004年刊)284頁。佐佐木康二著「“月裏念写”の新しい数理解析(1)」:『福来心理学研究所報告、第5巻』所収(平成15年)。

<注43

■三浦清宏著『近代スピリチュアリズムの歴史』(講談社2008年刊)268頁。

 

<注44

■山本弘著「NASAより早く月の裏側を写した? 三田光一の念写!」:志水一夫、皆神龍太郎著『トンデモ超常現象99の真相』(洋泉社2006年刊)396頁以下。

山本氏は前著で、近藤千雄著『心霊科学本格入門』の36頁の記載を批判している。近藤氏は「写真をご覧いただきたい。これは1992年の世界スピリチュアリスト大会で日本心霊科学協会の代表として出席した三浦清宏氏によって公表されたもので、上が1933年に三田光一が念写したもの、下が1973年にNASAが公表したもの。その完璧に近い類似に驚かない人はいないであろう」と記していた。なお下線部分は近藤氏の誤り。

 

<注45

■中沢信午著『超心理学者福来友吉の生涯』130頁。

<注46

■中沢信午著『超心理学者福来友吉の生涯』117頁。

<注47

■モーリス・バーバネル著、近藤千雄訳『これが心霊の世界だ(新装版)』(潮文社1995年刊)90頁。

<注48

■ゆうむはじめ著『Mr・マリック超魔術の嘘』(データハウス2006年刊)150頁以下。

<注49

■笠原敏雄編『超常現象のとらえにくさ』(春秋社1993年刊)530頁以下。

 

 

 

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