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東京商業学校

ア)東京商業学校(一橋大学の前身)

森有礼は福沢諭吉や渋沢栄一らの協力によって、明治8年(1875年)924日に銀座尾張町2丁目23番地(現在の中央区銀座6丁目)に、ホイットニー(ニュージャージー州ニューアークの商業学校長)による洋式商業教育を施す「商法講習所」を開所した。明治17年(1884年)3月に商法講習所は、東京府から農商務省に移管されて、官立の商業学校として「東京商業学校」と改称された。その後文部省所管(明治185月)となり明治20年(1887年)に「高等商業学校」、明治35年(1902年)に「東京高等商業学校」と改称し、大正9年(1920年)「東京商科大学」、昭和19年(1944年)「東京産業大学」、昭和24年(1949年)に現在の「一橋大学」と改称した。官立の東京商業学校はこのような変遷をたどって、現在にいたっている。

 

イ)東京商業学校(東京学園高等学校の前身)

明治22年に高橋健三や浜田健次郎等によって創立された日本最初の私立の商業学校(→『回顧百年~』では下線部分の表記になっているが、私立の三菱商業学校や明治義塾がすでに存在していたので、日本で「最初の夜間」の私立の商業学校の誤りではないだろうか)であり、当時は神田区錦町2丁目6番地にあった。

この私立の東京商業学校の設立経緯は、『回顧百年:東京商業から東京学園への歩み』によれば次のとおりである。

国の布告・布達などの公布を主な目的とした公告機関紙が、明治1672日に創刊された。この公告の編集に明治18年以降は内閣官報局が担当した。この部局の内閣官報局次長の高橋健三、同翻訳課長の浜田健次郎、翻訳官の川田徳二郎と、高等商業学校教授の士子金四郎たちは、高等商業学校よりも比較的簡易で分かりやすい商業教育を、中産階級以下の商家の子弟や店員に施すことを目的として、明治22211日に東京商業学校を設立(予科1年、本科2年)した。学校は日本橋区蠣殻町1丁目3番地の仲買店の空家を借り受けて校舎とし、昼間働いた後でも学べるようにと、最初から夜間教育を看板(→当時は全国で唯一で、日本で最初の夜間の商業学校)とした。東京商業学校は高等商業学校(後の一橋大学)を規範として設立された別個の学校であったが、多くの高等商業学校の講師が夜間の東京商業学校で教えていた。夜間学校であったため東京帝国大学や東京専門学校(後の早稲田大学)の若手教授が副業として講師となっており、「比較的簡易な商業教育を施す」学校にしては豪華な講師陣であったという。

学校は明治23年に神田区に移転した。校舎は神田区錦町3丁目1番地にあった錦城学校の教室を夜間借用して利用した。この教室は明治25410日の神田の大火で、錦城学校が焼失したために利用ができなくなった。そのため一時水道橋付近の神田区鈴木町13番地にあった成立学舎女子部の校舎を借り受けて再開した後、明治2511月に神田区錦町2丁目6番地に校舎を建てて移転した。明治32年に実業学校令に基づく「商業学校規定」が制定されたことにより、甲乙丙種の商業学校の枠外にはずされ、各種学校としての苦境に立たされ生徒が激減した。大正10年に夜間学校の商業学校として初めて甲種の商業学校となった。昭和182月に昼間部を初めて設置。昭和201月夜学を廃止。

現在も東京都目黒区下目黒61225に「東京学園高等学校」として存在している。

 

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