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福来友吉にとって「霊」とは何か

ア)背後霊の関与を排除する

福来は、念写(心霊現象)は念の作用によって起こるとして、背後霊の関与を排除している。これに対して浅野和三郎の念写に関する考え方は、霊媒の背後にいる支配霊が適宜働いた結果であるという「支配霊説」をとっている。そしてこの「支配霊説」の立場から、暗に福来の唱えた「念写は霊媒の念の作用」との説を批判している。この点に浅野和三郎と福来の心霊現象に対する考え方の大きな差異がある。

全般的に福来の心霊現象の舞台裏の説明の仕方には、仏教の影響(霊の存在を認めず業が流転する)が強くみられる。浅野の後継者の脇長生氏は、福来博士は霊魂を認めなかったと述べている(脇長生著「霊魂を認めなかった福来博士」:雑誌『心霊と人生』昭和363月号、14頁参照)。

 

イ)仏教理論では

仏教理論から云えば、五蘊(ごうん:色=肉体、受=感受作用、想=表象作用、行=意志・記憶、識=認識作用・意識の総称)を超えた「霊魂」の存在を認めていないので、輪廻の主体は何かと云う問題が生じる(→結局、業が流転することになる)。

また人間の出生から死までを「本有(ほんぬ)」、死の瞬間を「死有(しう)」、死有から49日の期間を「中有(ちゅうう)」、49日を過ぎて業の力によって母胎に入りこの世に生まれるまでを「生有(しょうう)」と呼んでいる。このように仏教理論では生から死への連続性(生有→本有→死有→中有→)は認めるが、その主体である実態的な「霊魂」の存在を認めていないので、非常に解りにくい解説がされている。

この仏教は中国経由で「中国化された仏教」として日本に入ってきた。日本に入ってきた仏教は、土着の宗教や習俗と結びついて「死者を救済するための仏教」となり、事実上「霊魂」の存在を認めた形に変質していった。

 

ウ)福来が云う「霊」や「霊魂」とは何か。

福来は人間の精神作用である「観念」は、自我の内にある場合は知識として働くが、時として自我を離れて随所に出没して念写を行うという。「観念」が自我の内にある場合を「心理現象」といい、自我の外にある場合を「心霊現象」と呼んでいる。そして自我の外にある「観念」を「念」と呼んで、霊魂説に立った「霊」とは区別している。

福来が述べる「念」は自我を離れて他の自我に入って、霊言や自動書記を行うという。トランス状態では自我の「観念」が離れて行くが、入れ替わりに他の「念」が自我の内に入ってきて活動することがあると述べる。「観念」が自我を離れる第二の場合が「肉体の死」であり、「観念」は「念」として自由になり宇宙間にそれ自身で存在するという。そして「霊」とは肉体を離れた「観念(=精神作用)」の群れに他ならないと述べている。

この福来の「霊魂」の説明は、生から死への連続性の主体である「個別霊」「霊魂」を認めていない仏教理論と似ている。このような仏教理論を用いて福来は「霊」を説明した。

 

エ)晩年の福来の「霊の存在」の考え方

晩年の福来宅に頻繁に出入りしていた生物学が専門の中沢信午(山形大学名誉教授)氏は、自身の著「福来博士は霊の存在をどう考えたか」(雑誌『福心会報』№258頁参照)の中で、次のような興味深いエピソードを述べている。「(中沢氏は)いわば福来博士の書生のごとく身辺に交渉を持った一員である。ということから今回福来博士の霊に対する考え方を紹介する事になった」と述べた上で、「結論として私の感じ取った限り、福来博士は死後における霊の存在を絶対に確信していたようである。だがそれを正式に論文または報告として公表はしなかった。なぜか。それは彼が科学者だったからである。しかし彼の実験的研究はすべて霊の存在を実証できるか否かというテストの目的をもって計画され、実行されていたのである」と。

 

オ)福来の変化

福来友吉の「霊」についての考え方は、明治44年(1911年)の「千里眼事件」とその後の学会やマスコミの徹底的な批判の反論として、当時の支配的宗教の理論を借りて念写理論を構築した「観念は生物也」(福来友吉著「観念は生物也」:雑誌『変態心理』大正612月号、大正71月号)に集約されている。当時は「スピリチュアリズム&サイキカル・リサーチ」の思想はいまだ十分に普及しておらず、そのような状況下では心霊現象を仏教理論によって説明したとしてもやむを得ない。また外部から批判されればされるほど、福来の考え方は「観念は生物也」に固執していったのではないかと考えられる。

中沢信午氏の証言を考慮して福来の「霊の存在」の問題を考えれば、当初は心霊現象を仏教理論で説明したが、晩年には「霊」に関する考え方がよりスピリチュアリズム的(霊の存在を前提=霊魂説)に変化してきたといえよう。このように福来自身の「霊」の考え方の変遷については、外見に於いては「学者」の立場から慎重に明言は避けてきたが、内面では霊魂説に立った生き方に変わっていったことが分かる。

田中千代松氏は『新霊交思想の研究(改訂版)』の302頁、333頁、337頁において、福来友吉が晩年に到達して、その境地を著した『心霊と神秘世界』(昭和7年発行)の第3編以下を「スピリチュアリズムの仏教への癒着」と呼んだ。

 

 

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