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浅野和三郎の「神霊主義」

ア)「神霊主義」採用の経緯

浅野は国際スピリチュアリスト連盟(International Spiritualist FederationISF)の第三回大会に出発する前(昭和33月)に、Spiritualismの日本語訳を確定する必要性を感じたという。従来、浅野の著書『心霊講座』ではSpiritualismに対応する訳として「新霊魂説」が使われていた。その他の浅野の著書では「新精神主義」「神霊主義」「心霊主義」と様々な言葉が当てられてきた。『世界的名霊媒を訪ねて』の中で浅野は言う、「補永博士などとも熟議の結果の最後に『神霊主義』という言葉を採用することに決定しました」と。これ以降、浅野はSpiritualismの日本語訳を「神霊主義」と表記した(浅野和三郎著『世界的名霊媒を訪ねて』心霊科学研究会、1970年刊、3頁参照)。

 

イ)スピリチュアリズムの位置関係

死者の霊との交信は科学的に証明可能とする立場の(新)スピリチュアリズムでは、その土台部分に交霊会や物理的心霊現象の実験会によって明らかにされた「霊魂説」が存在し、その上部構造に高級霊からの霊界通信によって明らかとなった「スピリチュアリズム思想」が存在する。「スピリチュアリズム思想」は「霊魂説」という土台の上に立つことによって、その理論は空理空論ではなく事実に立脚した確たる思想とされる。

土台部分たる「霊魂説」を重視したのが「スピリチュアリズムの科学性」であり、この延長線上に「心霊研究・超心理学」がある。「科学性」を必要以上に重視していくと、心霊現象は人間に備わっているところの能力の作用であり、「霊とは肉体を離れた“観念(=精神作用)”に他ならない」と述べた福来友吉の立場に行き着く(→晩年の福来は霊魂説に立ち「死後における霊の存在を絶対に確信していた」という。:中沢信午著「福来博士は霊の存在をどう考えたか」、雑誌『福心会報、№258頁参照)。

上部構造たるスピリチュアリズム思想を重視したのが「スピリチュアリズムの哲学性」であり、さらにこの志向性を強めていけば「スピリチュアリズムの宗教性」に行き着く。浅野はこの「宗教性」を重視する観点から、Spiritualismの日本語訳に「神霊主義」という宗教性を帯びた用語を使った。浅野は宗教教団大本の幹部信者という経歴を持っていたため、「スピリチュアリズムの宗教性」を重視した理解に対しては、心理的な障壁は低かった。

大本信者であった兄の浅野正恭は「神霊主義は心霊主義の一切を認め、その基盤の上に立ってさらに帰幽した霊魂とは異なる神の存在を認め、可能とする範囲において、この神との交渉の路を開こうとする点にある。これが神霊主義と心霊主義とが同一でないことの主な点である」(春川栖仙編『スピリチュアル用語辞典』178頁~179頁参照)と述べて、スピリチュアリズムを「信仰・宗教」的に理解して、弟・和三郎の「神霊主義」を発展させた。

 

ウ)田中千代松氏の見解

田中千代松氏は著書『新霊交思想の研究(改訂版)』(共栄書房1981年刊)の中で、浅野の「神霊主義」という言葉について次のように述べている。

――彼は、日本神道が国策と緊密に結びついていた時代に、日本神道と新スピリチュアリズムとの抱合せを進めつつこの語を採用したのであったが、ともかくこの語は新スピリチュアリズムの理想主義的な面を反映させることができる。しかし、この語だけを示されると、心霊研究と無縁のものとして理解される場合もあろう。心霊主義という訳語の一面性とは反対の方向に一面性を強調してしまうようである(前著9頁)――。

浅野の「神霊主義」は「信仰・宗教」的側面の強調に繋がる。田中氏はその側面の持つ弊害に懸念を示したのであろう。世界における紛争の主たる要因の一つに、人間集団たる宗教組織が持つ特有の「独善性や排他性」等がある。この弊害は「超宗教」たるスピリチュアリズムの世界にも見受けられる。普及活動を行う場合にグループを作れば大きな“仕事”ができるが、反面として人間集団特有の問題も増幅されてしまい、セクショナリズムが強調される傾向が見受けられる。いわば「普及活動の光と影」である。

なおフランスのアラン・カルデックはSpiritualismを「スピリティズム」と表現したが、田中氏は「オリヴァ・ロッジは、(新)スピリチュアリズムとスピリティズムとを、同義語のように扱っているが、後者は前者中の一派と見なした方がよいと考えられる」(前著10頁)とも述べている。

 

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