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明治初期における学校の変遷

浅野が就職した「東京商業学校」という校名は二校存在していた。

一つは浅野の勤務先である夜間学校の「東京商業学校」(明治22211日創設:神田区錦町2丁目6番地:神田警察署の隣地)であり、もう一つは明治18年(1885年)9月創設の「東京商業学校」である。浅野和三郎に関する経歴欄で「東京商業学校につき一橋大学の前身」とか「東京高等商業学校の英語教授」と記している事典や解説書があるが、この記載は誤りである。明治初期における学校の変遷過程は複雑である。

次の各学校の変遷過程は「東京外国語大学データ集:平成25年度版」の図を参照した。

http://www.tufs.ac.jp/abouttufs/doc/data_2011.pdf

 

ア)東京商業学校の前身

「東京商業学校」の前身は、「開成学校(明治64月創設)の語学生徒」、「独逸学教場(明治63月創設)」、「外務省独魯清語学所(明治4年創設後、明治65月に文部省に移管)」が、明治6年(1873年)114日に合併して創設された「東京外国語学校」である。その後明治13年に「外務省韓語学所(明治5年創設後、明治13年に文部省に移管)」が遅れて合併して、明治18年(1885年)9月に校名を「東京商業学校」とした。

その後「東京商業学校」は、明治20年(1887年)に校名を「高等商業学校」に変えた。

 

イ)東京外国語大学

この「高等商業学校」の付属校として、明治30年(1897年)422日に「高等商業学校付属外国語学校」が創設された。この「高等商業学校付属外国語学校」は明治32年(1899年)44日に「高等商業学校」から独立して「東京外国語学校」となった。その後「東京外事専門学校(昭和1941日)」と校名を変更し、昭和24531日に「東京外国語大学」となった。

 

ウ)一橋大学

本流校の変遷過程は「東京商業学校(明治18年:18859月)」→「高等商業学校(明治20年:1887年)」→「東京高等商業学校(明治35年:19024月)」→「東京商科大学(大正9年:19204月)」→「東京産業大学(昭和19年:194410月)」→「東京商科大学(昭和22年:19473月)」→「一橋大学(昭和24年:19495月)」と校名が変更されている。

 

エ)東京大学教養学部

「東京商業学校」の前身である「東京外国語学校」は、明治7年(1874年)12月に英語科が分離して「東京英語学校」となった。この後「東京英語学校」は、「東京大学予備門(明治10年:18774月)」→「第一高等中学校(明治19年:18863月)」→「第一高等学校(明治27年:18946月)」→「東京大学教養学部(昭和24年:19495月)」と校名が変遷した。

なお浅野和三郎が学んだ私立の「東京英語学校」とは「同名異校」である。

 

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