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ナザレのイエス

キリスト教によって神に祭り上げられてしまったイエスについて、スピリチュアリズムではどのように見ているか、定評ある書籍をベースにしてまとめてみた。

 

<目 次>

①.イエスの誕生と死

ア)キリスト教の見解

・イエスは神である

・三位一体の神

・イエス誕生:「処女懐胎」説

イ)スピリチュアリズムの見解

・イエスは人間である

・自然法則に従って誕生したイエス

 

②.イエスの生涯

ア)イエスと一般人との違い

・物質界に誕生する霊としない霊

・「神の分霊」の顕現の度合いの違い

・インディビジュアリティ

イ)イエスは霊能者であった

・霊的法則に精通した霊能者

・イエスの肉体は高度に精妙化していた

・人間的感情を具えたイエス

ウ)生き方のお手本

・時代に制約された意識レベル

・神の摂理に忠実に生きたイエス

・生き方のお手本

エ)イエスの使命と訓え

・イエスの使命

・イエスの訓え

・西欧から世界へ(一つの見方)

 

③.霊界におけるイエス

・飛躍的に霊的進化を遂げたイエス

・スピリチュアリズム運動の責任者

・高級霊の降誕のケース

・地球における最高の意思決定機関

・地球の問題は地球に生まれた者の手で

 

④.その他の問題

・指導霊崇拝の問題点

・「キリスト」と「イエス」の違い

・「キリスト(イエス)の復活」とは物質化現象のこと

・「再臨」とはスピリチュアリズムのこと

 

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①.イエスの誕生と死

ア)キリスト教の見解

☆イエスは神である

キリスト教では「イエス=神」が教会の公式な教えとなっている。西暦325年にニカイア(→ラテン語読みではニケーア、現在のトルコのイズニク)で開かれた公会議で「イエスは神である。神が人間になったのであって、人間が神になったのではない」という「イエス=神」説が教会の公式見解となった。

 

☆三位一体の神

カトリック中央協議会発行の『カトリック教会のカテキズム要約』(2010年刊)によれば「イエスは神のひとり子、三位一体の第二のペルソナです」(74頁)と説かれている。しかし聖書には「三位一体」という言葉は出てこない(J・ゴンザレス著、鈴木浩訳『キリスト教神学基本用語集』教文館2010年刊、103頁)。

 

キリスト教では「神は一つだが“父(全てを司る神)”“子(神の子たるキリスト)”“聖霊(教会や教義の守護者)”の三者(位格)となって現れる」。または「神と言う一つの実体は三つの位格を持って現れる」として、この立場を「三位一体の神」と呼んでいる。

これは一般には世界の創造は「父なる神が世界を設計された」「子なる神が創造計画を実行された」「聖霊なる神が全ての中に働いて世界を完成させた」と表現されている。

 

キリスト教徒(カトリックも、プロテスタントも共に)は、「三位一体の神」を信じて、この「三位一体の神」を信じた者に「父、子、聖霊の御名によって」洗礼を授ける。そして教会では「三位一体の神」を礼拝するということが行われている。

 

☆イエス誕生:「処女懐胎」説

キリスト教では西暦451年のカルケドンの公会議で「マリアは神の母である(処女懐胎説)」が決定された。それ以降「カトリックのマリア崇拝」が始まったという(→ただしプロテスタントはマリアを神の母とは呼んでいない)。

カトリック中央協議会発行の『カトリック教会のカテキズム要約』(75頁~80頁)によれば「おとめマリアが、聖霊の働きにより、男性の協力なしに、自分の胎内に永遠の御子を宿したことを意味します」と。また「マリアは、イエスの母ですから、真に神の母です。事実、聖霊によってやどられたかた、そして真にマリアの子となられたかたは、父である神の永遠の子です。この方ご自身、神なのです」として「処女懐胎」が述べられている。

 

イ)スピリチュアリズムの見解

☆イエスは人間である

シルバーバーチは「イエスは神ではありません」(9140①)、「イエスを信仰の対象とする必要はないのです」(9140⑦)と述べている。スピリチュアリズムではイエスは人間として出生し、人間として死んでいった「イエス=人間」説に立っている。

 

キリスト教が説く「三位一体の神」をスピリチュアリズム的に解釈すれば、「父(=父なる神が世界を設計された)」とは絶対神(創造神)のこと。「子(=子なる神が創造計画を実行された)」とは「神の摂理の具体的な執行者(天使的存在)」のこと。高級天使は譬えれば国家公務員で中央省庁に勤務する“キャリア公務員”のことで、イエスは人間界に転籍する前は“キャリア公務員”の一人であった。さらに「聖霊(=聖霊なる神が全ての中に働いて世界を完成させた)」とは宇宙に遍満している“霊的エネルギー(霊力)”ということになる。

 

☆自然法則に従って誕生したイエス

シルバーバーチは「イエスは普通の子と同じように誕生しました」(3105⑪)、「イエスの誕生には何のミステリーもありません。その死にも何のミステリーもありません。他の全ての人間と変わらぬ一人の人間であり、大自然の法則にしたがってこの物質の世界にやって来て、そして去って行きました」(9138⑨)と述べている。

ジョン・レナード著『スピリチュアリズムの真髄』(国書刊行会1985年刊)にも「いかなる人間といえども、自然の理法によって地上に生をうけるのです。人間が自然法則を無視して誕生することは絶対にありません。イエスの懐胎も一人のあたりまえの人間の懐胎と少しも変わりません。処女懐胎説は誤り。イエスもまた至って平凡な夫婦の間に生を享けた」(180⑯~181⑰)という記載がある。

 

2000年前に高級天使であったイエスはガリラヤ地方のナザレで、至って平凡な夫婦の間に生を享けた。そして三十年の準備期間の後(3108⑤、霊訓下183⑬)、三年数カ月の布教活動の中で「神の愛」を説いた。しかし「宗教的罪人、政治犯」として捕まり、十字架刑により肉体を棄てた。イエスは他の一般の人間と同様に自然法則に従ってこの世に誕生し、そして死んでいったのであり、その人生には何のミステリーもない(3105①⑪、9138⑨、福音263⑥参照)。

 

キリスト教ではイエスの出生について「処女懐胎」が唱えられているがスピリチュアリズムではいかなる人間といえども自然法則を無視して出生することはありえないので、キリスト教が説く「処女懐胎」は誤りである。またスピリチュアリズムではマリア崇拝も説いていない。理性的な考え方をする現代人からすれば「処女懐胎」は理解不能、これは信仰者に特有な理解の仕方である。

 

②.イエスの生涯

ア)イエスと一般人の違い

☆物質界に誕生する霊としない霊

個別意識を持った霊には大きく分けて、霊的成長に物的体験を必要としない「天使的存在」と、物的体験を必要とする「人間的存在」がいる。

霊界の上層部には一度も物質界に降りたことがなく、しかも物的器官を通した体験がなくても霊的成長を遂げることが出来る個別霊(天使的存在)がいる。その霊の宇宙での役割は「宇宙の経綸(摂理の執行)」である(1061②、新啓示124④)。

 

シルバーバーチは「時としてその中から特殊な使命を帯びて地上に降りてくることがあります。歴史上の偉大なる霊的指導者の中には、そうした神霊の生まれかわりである場合が幾つかあります」(480⑤)と述べている。

一度も物質界へ降りたことのない高級霊であるイエスがこのケースにあたり、霊界における「天使から人間への転籍」という手続きを踏んで人間界に誕生した。書籍によってはこの経緯を「国籍離脱にも似た行為です」(続霊訓51⑧)と呼んでいるのもある。

イエスは地上へ降りることの可能な霊の中では最高次元の霊である(続霊訓454650参照)。なぜならイエスは地球の霊的進化に全責任を負う「審議会(=地球における最高の意思決定機関)」の責任者だから(彼方4167④)。

 

☆「神の分霊」の顕現の度合いの違い

地上に人間として誕生する前のイエスは高級天使であったため、霊的成長度(霊的意識のレベル)は一般人とはかけ離れて高かった。霊的成長度が高いと云うことは、神の分霊が外部に顕現している比率が高いと云うこと(神の属性が一般人よりも多く表れていた)。そのためナザレのイエスを通して発現した霊力の程度や、顕在意識化した霊的意識は格段に高く最大級のものだった(9141⑧、語る161⑨、彼方4238⑩参照)。

 

シルバーバーチは「イエスだけでなく、すべての人間に神の分霊が宿っております。ただその分量(→霊の顕現の度合い、神の属性の顕現の度合い)が多いか少ないかの違いがあるだけです」(5180①)と述べている。

結局イエスと一般人との間には「霊」の進化レベルに違いがあって、イエスは進化レベルが高いため「神の分霊」の顕在化が一段と大きい、この差が一般人との違いになる。

 

☆インディビジュアリティ

シルバーバーチは「地上で特別な使命が託されている場合はインディビジュアリティの比較的大きい部分、多くの側面がまとまって一個の肉体に宿る」(10116⑭)と述べる。イエスの場合がまさにこのケースに当たり、ナザレのイエスとして誕生した。

一般に使われている“魂が大きい霊”とは霊格が高い霊、霊的意識レベルの程度が高い霊のことで、その霊格の高さに見合った分だけ低級界まで降りて行ける。そのため救済できる霊も多い。イエスは格段に霊格が高かったので“地獄”の底まで降りて救済できた(→イエスは地球の霊的進化に全責任を負う“審議会の責任者”なので、地球の最底辺まで降りて救済活動ができる霊格を持った霊であるということになる)。

 

イ)イエスは霊能者であった

☆霊的法則に精通した霊能者

シルバーバーチは「イエスは神ではなく人間でした。物理的心霊現象を支配している霊的法則に精通した大霊能者でした。今日でいう精神的心霊現象にも精通していました」(3101⑫)、「イエスは霊能者だったのです」(9139①)、「地上を訪れた指導者の中では最大の霊力を発揮した」(9141⑦)、「たった一人の人間があれほど心霊的法則を使いこなした例は地上では空前絶後である」(9142④)、「あれだけの威力が発揮できたのは霊格の高さのせいよりも、むしろ心霊的法則を理解し自在に使いこなすことができたからです」(9143⑦)と述べている。

 

イエスは霊的法則に精通していた大霊能者であった(→霊訓上175⑩には「民衆はイエスの起こす奇跡に目を見張った」とある)。その霊能を私利私欲のために使わなかった。心霊現象で人々の関心を引き付けて(→いわば心霊現象を「客寄せ」として使う)、集まって来た人々に基本的な霊的真理を説いた(福音263⑫~参照)。

 

☆イエスの肉体は高度に精妙化していた

イエスは高級天使であったが“人間界(→物的身体をまとって地上体験を積むことによって霊的成長をはかる世界)”に転籍した。その物的身体の精妙化の度合いが地球レベルでは最大であった。

高級霊といえども肉体に宿ることによって、霊界での記憶が失われてしまうものである(続霊訓51⑥)。しかしイエスは一般人とは異なって、肉体が高度に純化され精妙化していたので、霊的意識が物的脳の制約を受けずに、より多く顕在意識に昇らせることができた。その結果霊的感覚を鈍らせることなく、霊界にいる天使と常に連絡を取り合うことができた(霊訓下183⑭~参照)。

 

☆人間的感情を具えたイエス

イエスも喜怒哀楽の感情を具えた一個の人間であった。イエスはどのような場面でも感情を爆発させることなく、円満で完成された人格者という意味での完全な生活を送ったわけではない。そもそもイエスは、喜怒哀楽を具えた一個の人間として、制約された意識レベルの中で使命を果たすというスタイルを用いたため、「完璧な人間としての生活」を送ること自体が不可能であった(5190⑨~、9144⑫参照)。

 

それはイエスが両替商人を教会堂から追い出した時に見せた怒りが、人間的感情の発露であったことからも窺える。この点からもイエスは神ではなく神の分霊を宿した「一人間であり、霊の道具であり、神の僕であった」(3105①)ことが分かる。

シルバーバーチは「イエスは教会堂という神聖な場所を汚す者どもに腹を立てたのです。イエスは怒ったのです。怒ると云うことは人間的感情です。イエスも人間的感情をそなえていたということです。イエスを人間の模範として仰ぐ時、イエスもまた一個の人間であった、ただ普通の人間より神の心を多く体現した人だったと云うふうに考えることが大切です」(5193⑧)。「イエスもやはりわれわれと同じ人の子だったと見る方がよほど喜ばれるはずです。・・・人類とともに喜び、ともに苦しむことを望まれます。一つの生き方の手本を示しておられる」(5194③)と述べている。

 

この「教会堂からの排除」は時代背景を考慮する必要がある。現代において宗教者が許可を受けた金融業者に対して当時のイエスと同じことを行えば(→当時でも両替商人は店を開くための何らかの権利を、場所を管轄する責任者から得ていたはずだから)、さまざまな刑法犯(暴行罪、傷害罪、器物損壊罪、業務妨害罪、信用毀損罪など)や民事上の責任(損害賠償請求)を問われることになるであろう。

 

ウ)生き方のお手本

☆時代の制約下に置かれたイエスの生涯

シルバーバーチは「イエスも生を受けた時代とその環境に合わせた生活を送らねばならなかったのです。その意味で完全ではありえなかった」(9145⑤)、「イエスの生活が完全であったとは一度も言っておりません。それは有り得ないことです。なぜなら彼の生活も当時のユダヤ民族の生活習慣に合わせざるを得なかったから」(9141⑩)と述べている。

 

イエスといえども、時代の制約下に置かれた生活をせざるを得なかった。当時のユダヤ民族の生活習慣や、時代的な制約の下で生活して使命を果たしていかなければならなかった。そのため“ナザレのイエス”として顕現した意識レベルは、当然にその時代のレベルに同調したものであった(9141⑪、9145⑤、語る161④)。

なぜなら“浮いた存在”であれば、奇人変人として扱われて敬遠されてしまい、使命が果たせないから。その意味で完全ではありえなかった。

 

人間的感情の無い天使から、人間的感情を持った“ナザレのイエス”として生を享けたことからも、本来の意識が大幅に制約されていたことが分かる(→進化の階段を上っていけば人間的感情もなくなり、善性を求める欲求だけが残る霊の書122⑭参照)。

 

☆神の摂理に忠実に生きたイエス

イエスの生涯は「霊力との調和が完全」であったこと、「利己的な目的のために(心霊能力を)利用しなかった」こと、「神の意志に背くようなことはしなかった」(9144⑫~)こと、「人生の大原則、愛と親切と奉仕という基本原則を強調した」(3104①)こと、「最高の自己犠牲と誠実さを身をもって示した」(霊訓上68⑩)こと、「この世に在りつつこの世の住民とならぬ生活、地上への“訪問者”としてこの世の慣習に順応しつつ、しかもそれに隷属せぬ生き方」(霊訓下205⑫)をしたことなど。このように“神の摂理(霊的法則)に忠実な生き方をした”という意味において、イエスは“完全な人間”であった。

 

☆生き方のお手本

イエスから学ぶべき教訓は、“神の摂理(霊的法則)に忠実な生き方をした”という模範的な生きざまにある。シルバーバーチは「イエスの(後世に)遺した偉大な徳、偉大な教訓は、人間としての模範的な生きざま」(3104⑤)にあると述べる。

しかしイエスは“人間的感情を超越した完璧な人間”という意味での“完全な人間”ではなかった(3103⑮~、5206⑨、続霊訓26⑧参照)。非の打ちどころのない完璧な人間であれば、私たちがイエスを生き方のお手本とする意味はなくなる。なぜならば人間的感情を具えた私たちには、“完璧な生き方”をすること自体が無理であるから。

 

シルバーバーチなどの高級霊でさえも「私はまだまだ完全ではありません。相変わらず人間味を残しておりますし、間違いも犯します」(1118⑪)と述べる。霊性レベルによって区分けされた階層構造的な世界に於いて、進化の階梯を高く昇った高級霊は、インディビジュアリティの中に残存する人間的感情の残滓も拭い去って、一段と個性を強めていくことになる。人間的感情を残していると言うことは、いまだ“出身天体の属性”を色濃く残していると言うことなので、宇宙を自由に行き来できる霊性レベルの高級霊の世界から見れば、いまだ進化のレベルは低いと言うことになるから。

 

エ)イエスの使命と訓え

☆イエスの使命

イエスは「地球を霊的に刷新する」という大霊の使命を帯びて二千年前に地上に誕生した。イエスの使命についてシルバーバーチは、「当時の民衆が陥っていた物質中心の生き方の間違いを説き、真理と悟りを求める生活へ立ち戻らせ、霊的法則の存在を教え、自己に内在する永遠の霊的資質についての理解を深めさせること」(3101⑭)。「当時のユダヤ教の教義や儀式や慣習、あるいは神話や伝説の瓦礫の下敷きとなっていた基本的な真理のいくつかを掘り起こすこと」(福音263⑩)と述べている。

イエスは信仰と政治の双方の自由を説いたので、宗教改革者であると同時に社会改革者でもあった(霊訓下25⑥参照)。

 

イエスの使命は西欧の宗教改革にあった。シルバーバーチは「イエスはあくまで西欧世界のための使命を担って地上へ降りてきたのであって人類全体のためではない」「その使命というのは、当時の西欧世界を蝕んでいた時代遅れの腐敗した宗教界にくさびを打ち込んで、人生の照明灯として難解なドグマに代わる単純明快な人の道を説くことでした」(5120③)と述べている。

 

当時のパレスチナはローマ帝国の一部であり、軍事上・地政学上重要な位置にあった(ギリシャ・トルコとエジプトとの回廊)。イエスはこの地の民衆が陥っていた「時代遅れの腐敗した宗教界」を刷新して、霊的真理を普及させるという使命を負って降誕した。このパレスチナという地においてイエスが宗教改革に成功すれば、その影響力は当時のローマ帝国の全域(地中海沿岸、イギリス、フランス、イベリア半島、東ヨーロッパ、エジプト等)に及ぶので、この点から見てもイエスの使命は西欧の宗教改革にあったと言える。

 

パレスチナにおいてイエスが“現実に遭遇する試練”が、すべて良い方向に展開したとすれば、イエスが説いた霊的真理が民衆に受け入れられて、その訓えがローマ帝国全域に普及していく。そして将来的には世界全域へ広まっていく可能性がある、との予測をイエスは事前に持って降誕したのではないかと思われる。しかし現実には受け入れられずに処刑され、「後世への潜在的影響力」として残るのみとなった。「イエスの地上での生涯は失敗であり、後世への潜在的影響力となることで終わってしまった」(霊訓下186⑦)。このことは人類の意識を変えて社会変革を為すことは困難を極める仕事である、ということの例証。

 

☆イエスの訓え

イエスの訓えの中心は「愛」にあった。「おのれを愛する如く隣人を愛せよ、汝に敵対する者にも優しくすべし」として、「神の愛」による隣人愛を説いた。

一般に霊は予め人生の大まかな行路を承知して出生してくるとされているが、細部については置かれた環境や時の流れ、自由意志の行使などによって変わっていくもの。イエスの場合も同様に大枠の人生行路を承知の上で出生してきた。イエスはその時々の人間関係や事件等に対処しながら布教にあたったが、訓えがその時代の人間には進み過ぎていたため理解されずに刑死した(9142⑥参照)。

 

イエスは「神への讃仰」「全人類の同胞性」「自己犠牲」「黄金律(他人からしてもらいたいと思うことを他人にしてあげること)」「他人のために自分を役立たせること」「自我を滅却した奉仕を行うこと」などを、民衆に対して日常生活の中で実践するようにと説いた。また当時のユダヤ人にはなかった「霊の不滅性」も説いた。これらの訓えは現在のスピリチュアリストが説く霊的真理と同じものである(霊訓下27④、続霊訓44⑤、73⑮参照)。

 

☆西欧から世界へ(一つの見方)

二千年前のインドや中国は周辺部と比較しても高い文明を持っていた。それにもかかわらず神界の上層では、それぞれの人種(白人、黒人、黄色人)の特徴や気質、地政学的観点から総合的に判断して、霊的刷新の始めの一歩は“白人社会(ローマ帝国、西欧世界)”から始めた。その後の大航海時代において海外進出を果たした西欧世界は、武力とキリスト教の宣教とを一体化させて世界制覇を果たし、イエスの教えとは別物のキリスト教を普及させてしまった。

神界の上層で思い描いていた本来の姿とは、神の前の平等や隣人愛を前面に出して人間の霊性に訴える形の布教であり、それを「西欧世界から全世界へ広める」だったのではないだろうか。

 

周知の通り西欧世界では永年キリスト教をバックボーンとした自らの価値観を、東洋的価値観の上位に置いてきた。この考え方は「西欧文明を有する国だけが文明国とみなされて、国際法の主体として認められる」として、自らの植民地政策を正当化した19世紀の「万国公法(近代国際法)」に端的に現れている。

イエスが仮にインドや中国に降誕して、その地で受け入れられて使命を達成したとしても、世界史的な観点から見て西欧(白人)至上主義社会へ「神の摂理」が逆流入していくことは難しいのではないだろうか。20世紀半ばまでの地上世界の大まかな思想の流入経路は、あくまでも「白人→黄色人」であって「黄色人→白人」ではなかった。

 

そのような意味から、“メルキゼデク(BC2,000年?)からキリストにいたる預言者・指導者の系譜”が、インドや中国ではなくイスラエルに存在したこと(霊訓下76~参照)。1848年の近代スピリチュアリズムの第一声が、アメリカのハイズビルでおこったこと。イギリスやフランスからスピリチュアリズムが世界に発信されたこと。

このような「白人社会から世界へ」という地上世界における大きな流れ、人種間の特性や地政学上の位置関係などを考慮して、霊界側が「地球を霊的に刷新運動」を始めたことが読み取れる。

 

③.霊界におけるイエス

☆飛躍的に霊的進化を遂げたイエス

地上時代に「ナザレのイエス」を通して顕現した霊(霊的意識)は、短いながらも地上体験を積んだことによって、霊界に戻ってから飛躍的な霊的進化を遂げた(→地上への降誕と地上生活が大きな自己犠牲を伴っていたため)。そして本来の所属界で引き続き「地球を霊的に刷新運動(スピリチュアリズム)」の使命の遂行に携っている(語る159⑤、語る160⑩、語る161③)。

 

☆スピリチュアリズム運動の責任者

シルバーバーチは「ナザレのイエスが手掛けた仕事の延長ともいうべきこの(スピリチュアリズムの名のもとの)大事業の総指揮に当っておられるのが他ならぬイエスであることも知っております。そして当時のイエスと同じように、同種の精神構造の人間の敵対行為に遭遇しております」(3104⑪)と述べている。

 

☆高級霊の降誕のケース

A:使命を帯びた特殊なケース(転籍)

人類の啓発のために特殊な任務を帯びて派遣される霊には、イエスのように肉体をまとって地上体験を積みながら、使命である人類の霊性の向上を目指したケースがある。

イエスは地上に降誕したことにより、民衆に霊的摂理を説くという「使命の遂行」と同時に、霊界に戻ってから待ち受ける「大事業を指揮するための霊的資格」を身につけた。このようにしてイエスの霊性は飛躍的に向上した。

 

B:霊媒を介した間接的なケース(指導霊)

インペレーター(専属霊媒モーゼス)やシルバーバーチ(専属霊媒バーバネル)のように、肉体に宿らずに霊媒を介して深遠な真理を説いたケースがある。霊媒と指導霊との関係では、インペレーターの場合には「そなたの指導霊として、また守護霊として」(霊訓下59⑫)、「モーゼスのほぼ全生涯を共にしてきた」(続霊訓20①)という。

シルバーバーチの場合には霊格の違いから、直接バーバネルと接触することが不可能なため霊界の霊媒を間に入れた。そしてバーバネルの受胎の瞬間から指導霊として関与したという(917②参照)。このように永年にわたり密接な関係を保ったことによって、シルバーバーチはバーバネルの潜在意識を完全に支配下に置いて(→私自身の考えを百パーセント述べることができます:918①)、霊的教訓を地上に降ろすという使命を達成した。

 

C:志願するケース

この他に人類の霊性の向上という使命感から、率先して肉体をまとって地上へ誕生してくるケースがある。この場合には、誕生に際して霊界における記憶は喪失しているが、人生の途上における何らかの体験がきっかけとなって、霊的自覚に目覚めて使命を遂行するケースである。このように自らの意志で志願して、肉体をまとって地上へ誕生する霊は数多く存在する(続霊訓47④~参照)。

 

☆地球における最高の意思決定機関

A:世紀ごとに開かれる審議会、その他の集会

神界の上層では世紀ごとにイエスが主宰して、審議会が開かれている(事実上地球における最高の意思決定機関)。その会議の出席者は「創造界の神格の高い天使」ばかりで(人霊は入っていない)、メンバーはほとんど変わらないという(彼方4167④参照)。

 

この「審議会」の下にシルバーバーチやインペレーターなどの高級霊が出席している指導霊の会議(→冬至のクリスマスと夏至のイースターの時期に開催される)が存在する(561⑭、1196⑨参照)。シルバーバーチが関与しているのは「地上人類のための事業」だが、この他に「他の形態の生命に関与している霊団」もあると云う(896⑫)。

また「(地球の霊的刷新の)大事業の計画は遠い昔に立案された」(898④、彼方4164~参照)と述べているが、これは前述した「世紀ごとに開かれる審議会(最高意思決定機関)」のことであり、『ベールの彼方の生活』に記載がある「尊き大事業」(彼方4164③)との整合性が取れる。

 

インペレーターは大集会を「聖なる天使と霊の大集会」(続霊訓118⑭)や、「霊団の指導霊が一堂に召集され最高神への讃仰の大集会」(続霊訓119⑤、霊訓下66⑥参照)等と表現している。この集会は「第三界以下(幽界)の霊は参列を許されません」(続霊訓119⑨)と述べているので、霊格に高低の差がある幅広い霊が参列しているようである。そのためこの「讃仰の大集会」は一つではなく、霊のレベルに合わせた形で(→霊格の低い霊は高い世界に入れないから)、それぞれの界層や境涯でも行われているのではないかと思われる。

なお「讃仰の祈り」とは「思念の波動を神に近づけるための祈り。その祈りを通して神に近づく」(霊の書246④)ことなので、「讃仰の大集会」とは讃仰の祈りの大集会のこと。

 

イエスとの関係について、シルバーバーチはイエスとの関係を「私はあなたが想像なさる以上にイエスと親密な関係にあります」(5209①)と述べる。インペレーターとイエスとの関係については「(インペレーターは)イエスと直接の接触に預かったのは、この度の使命との係りが出来てからのことである」として、高級神霊の大集会ではじめてイエスの姿を拝したと云う(続霊訓179⑩)。またインペレーターはモーゼスの“指導霊・守護霊”として、地上圏に降りてきて直接影響力を行使しているが(霊訓下59⑫参照)、シルバーバーチは霊界の霊媒を間に入れてバーバネルを支配している。この点から考えても、シルバーバーチはインペレーターよりも霊格が高いと推測できるので、イエスとの距離も当然に近くなる。

 

B:“大事業”のスタート前後の事情

二千年以上前の地上の情勢に対して、他の惑星の住民は「地球を困った存在」と考えており、その影響は「地球よりかなり遠く離れた界層」(彼方4185⑦)にまで及んでいたと云う。ここで云う他の天体に及ぼす影響とは何を指すのかは不明だが、旧約聖書と新約聖書の間の「中間時代(BC400年頃~バプテスマのヨハネまで)」について、インペレーターは「その時代は暗黒と荒廃と霊的飢餓の時代」(霊訓下90⑦)と述べている。当時の人々は「物質中心の生き方」(3101⑮)をしており、霊的に見て言わば“暁闇の世界”、そこにイエスが降誕した。「イエスの時代ほど霊界からのインスピレーションが大量に流入したことは、前にも後にも無い」(福音263⑧)という。いわば転換期にあった時期であった。

 

そして「もしも我々(アーネル)のようにかつて地上に生活して地上の事情に通じている者が処理せずにいたら、おそらくそれらの惑星の者が手掛けていた」。地球の人類より霊的に進化していた彼らは、「手段は彼らが独自に考えだすものであり、それは多分、地球人類が理解できる性質のものではなかった」(彼方4185⑮)はずであるという。

 

C:霊的な系譜の最後を飾るイエス

このような状況に対して、地球の霊的進化に責任を負っている高級天使たるイエスは、自ら地上に人間として生を享けて(天使から人間へ)、自ら地球人類の霊性を向上させると云う形で“問題解決”を引き受けた(彼方4186④参照)。その方法とは「地上へ降誕した一連の預言者ないし霊的指導者の系譜の最後を飾る人物」(9138⑦)として、“霊的な地ならしをされた民族”の中に降誕して、当時の民衆に霊的摂理を説くことであった。

 

このようにして「審議会の主宰霊たるキリスト自らが進んでその大事業を引き受けられた」「いかなる決断になるにせよ最後の責任を負うべき立場の者がみずから実践し目的を成就すべきであり、それをキリストが(自ら)おやりになられた」(彼方4168④~)。ここで云うキリストとはイエスのことを指す。このような形で二千年前にイエスによって「地球を霊的に刷新する運動(スピリチュアリズム)」がスタートした。

 

☆地球の問題は地球に生まれた者の手で

高級天使たるイエスは、地球の進化に“宇宙の経綸”という形で関わる、従来の間接的な関与の仕方から、地上に生を享けた人間としての資格で、直接的に地球の霊的刷新に関与する仕方に立場を変えた。これは地球人類の霊的進化は、地上に生を享けた者たちの手で行うと云う、一種の民族自決(→各民族集団が自らの意志に基づいて、その帰属や政治組織等を決定して、他民族や他国家の干渉を認めないとする集団的権利のこと)的な考え方である。地上に降誕したことによって、自らこの原則を明らかにした。

 

このようにイエスは、天使界から人間界に転籍したことによって、地球の霊的刷新運動を直接指揮できる最高責任者としての立場に名実ともに立つことができた。このようなプロセスを踏んで、始めて地球の霊的刷新運動を指揮できることになる。この手順を全く踏んでいない他の天体の者が地球を訪れて、地上に再生せずに地球の霊的刷新運動を直接指揮するということは、いわゆる民族自決権的発想から考えてもあり得ない(→宇宙人が地球に来訪して、宇宙人の立場のままで霊的な刷新運動を直接指揮する等のトンデモ説)。

 

④.その他の問題

☆指導霊崇拝の問題点

シルバーバーチは「私がこうしてイエスについて語る時、私はいつも“イエス崇拝”を煽ることにならなければよいがという思いがあります。それは私が“指導霊崇拝”に警告を発しているのと同じ理由からです」(9145⑭)、「たった一冊の本、一人の師、一人の指導者ないしは支配霊に盲従すべきではありません」(9146⑧)と述べている。

 

シルバーバーチはたびたび“イエス崇拝”を戒めている(3104⑨)。キリスト教はイエスを崇拝の対象としている。シルバーバーチは「イエスという一個の人間を崇拝することを止めない限り、キリスト教はインスピレーションにはあまり恵まれない」(5206⑩)と述べる。また祈りの対象は神であり、イエスは神ではないので、信仰対象とする必要はない。イエス本人も神として崇められることを望んでいないとして、“指導霊崇拝”が誤りであると同じ意味で“イエス崇拝”は誤りと述べる(5206⑨、福音265④、270⑧、彼方4231②、続霊訓73⑦参照)。

 

多神教の世界では、スピリチュアリズム的に言えば高級霊である八百万の神々も崇拝の対象としている。指導霊の役目は本人の霊的面からの指導や監督にあり、この役目を通して自らも霊性レベルの向上を図っている。また指導・監督の際に誤りも犯すこともある。なぜなら指導霊と云えども霊的理解のレベルは霊的発達レベルに見合ったものであり完ぺきではないから(→絶対に誤りを犯さないのは神のみ)。

 

インペレーターは「神の概念が理解できた者なら直接神に祈ることです。が、それができないのであれば、自分にとって最も身近な信仰の対象を仲立ちとして祈るがよろしい。その仲立ちによって祈りが大神へ届けられます」(続霊訓75⑧)と述べる。

この「祈りの仲立ち」とはイメージしやすい守護霊なり指導霊なりを仲立ちとしたスタイルの祈りである。日本的な心霊の世界でも自分の守護霊や指導霊を仲立ちとして「神にお取次ぎの程をお願いします」と祈る霊能者もいる。この「祈りの仲立ち」説の仕組みは、守護霊なり指導霊が一種の照準器的な役割を果たすことになるので、最終的に神に祈りのピントが合うことになるからである。

 

☆「キリスト」と「イエス」の違い

辞書によれば「キリスト」とは本来は「油を注がれた者」という意味。古代ヘブライ時代に王や祭司や預言者が任命に際して頭に油を注がれたことから、これが後に「イスラエルを救うために神が遣わす王」または「イスラエルを解放する民族的指導者」という意味となったと云う(9140⑫~、福音265⑧~、到来41⑪参照)。

 

シルバーバーチは「キリスト=霊力」と「イエス=個別霊」とは、本来は別の言葉と述べる。キリスト教ではイエスを人類の救い主・メシア(キリスト)とみなして、「イエス・キリスト(救世主たるイエス)」と呼んでいる。本来キリストとは「キリスト的生命力=霊力」のこと。したがってナザレのイエスと云うパーソナリティを持った人物と、そのイエスを動かした霊力とは異なる(10181⑩参照)。シルバーバーチは「宇宙の創造主、大自然を生んだ人間の想像を絶するエネルギーと、二千年前にパレスチナで三十年ばかりの短い生涯を送った一人の人間とを区別」(3103⑪)すべきと述べている。

 

☆「キリスト(イエス)の復活」とは物質化現象のこと

キリスト教では“イエスの十字架での死と復活”を非常に重要視する。シルバーバーチはキリストの復活は、霊的自然法則に従って生じた物質化現象であり、奇跡ではないと述べる(389⑮、3102⑬参照)。死後、弟子たちに姿を見せた身体は、生前の物的身体ではなく物質化した霊体をまとって現れたものであり、生前の物的身体は朽ち果てて土に還ってしまっている(続霊訓65⑧参照)。

 

☆「再臨」とはスピリチュアリズムのこと

モーゼスの『霊訓』によれば、イエスの再臨とは肉体をまとって現れるのではなく、霊的な意味のこと(続霊訓67⑧、182⑧参照)。また「キリストの再来とは霊的再来のことである。人間が夢想するような、肉体に宿っての再生ではない」「使徒を通じて聞く耳をもつ者に語りかけるという意味での再来である」(霊訓下28⑥)と述べる。これはスピリチュアリズムのことを指している。ここにはキリスト教徒が述べるような「イエス・キリストが世界の終りの日にキリスト教徒を天へ導き入れるため、再び地上に降りてくる」(ヨハネの黙示録)という意味は全くない。

 

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関連するサイト

 

 スピリチュアリズムとキリスト教:総論編

http://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/05/post-86a0.html

 

 スピリチュアリズムとキリスト教:個別テーマ

http://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/05/post-f893.html

 

 

 

 

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