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神戸・出張講座の講義録

本稿は「神戸・出張講座(20181118日開催)」で用いるために作成した講義用ノートです。今回の講座では事前に「レジュメ&資料」を参加者に配布して、各自“予習をする”ことを参加の条件としました。その後に参加者に対して、それぞれの項目ごとに「理解できる」「難しい」「よく分からない」の三択でアンケート調査を行って、それを踏まえて講義を行いました。これらをまとめたノートを公開します。なお図解した部分は省略しております。

 

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◆テーマ「意識の変遷」

 

目 次

①.帰幽霊が辿る旅の行程

②.「自覚する」と言う意識状態

・死の自覚

・霊的自覚

・地上における自覚

③.地縛霊・低級霊・邪霊の意識状態

・一つの考え方:地縛霊

・一つの考え方:低級霊

・一つの考え方:邪霊

・一つの考え方:利点

・近藤千雄説

・高級霊の見かた

④.帰幽霊が有する意識の二面性

・地上的習慣が色濃く残る

・幽界の下層

・浄化の為の世界

・霊的自覚の芽生え

⑤.地上に通信を送る霊たち

⑥.意識の中にある「カルマ」というシミ

・本来の意味でのカルマ:狭義のカルマ

・型・パターン:広義のカルマ

・未浄化な部分、魂の歪み

・何を持って「再生一回」とカウントするか

⑦.存在面から見た私(客観的存在、本来の私、霊の形体面から見た場合)

・客観的存在と主観的存在という二つの側面

・因果律の主体

・個性化の道を歩む主体

⑧.意識面から見た私(主観的存在、拡大した私、類魂の一員として)

・拡大した私には二つの意識面がある

・類魂の一員として(主観的存在、拡大した私):平面的

・類魂の一員として(主観的存在、拡大した私):立体的

・年齢を使った例え

・会社の組織図を使った例え

⑨.意識の変遷図と解説


追記:補充解説

 

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①.帰幽霊が辿る旅の行程

多くの定評ある霊界通信には共通したキーワードが度々出てくる。それらを基に帰幽霊が辿る旅の行程をまとめると、次のような最大公約数的なプロセスが明らかとなってくる。

 

A:死、寿命が尽きる」―→「B:“死のプロセス”を滞りなく手引きしてくれる指導霊との出会い」―→「C:明確な死の自覚を持つ」―→「D:明確な霊的自覚を持つ」―→「E:霊界(狭義)に入り霊的家族と再会する」

 

上記Cの意識が持てなければ地縛霊となり、上記Dの意識が持てなければいつまでも「幽界の下層界」から抜け出せない。Cの意識を持った霊がDの意識を持つ迄には長い時間がかかる(1060⑦~⑧)。Dの「霊的自覚(霊的覚醒)」の芽生えとともに徐々に幽界の下層を離れていく。

 

霊界(広義)はグラデーション的に広がった「一つの世界」(4146⑦、148①)。その中でも物質的要素の濃い低い界層を便宜「幽界」と呼び、その幽界と地上とが接する場所を特別に「中間境(→波動の調整をする場所)」と呼ぶ(参考:続霊訓191⑩~⑮)。また霊的レベルが同一で完璧な親和性を持った霊たちがグループを形成して霊的成長を図る界層を「霊界(狭義)」と呼ぶ。

 

◆近藤千雄訳『続霊訓、インペレーターの霊訓』191⑩~⑮

――そこは中間境で、そこで休息しながら霊的機能の発達を図り、不足しているものを補う。どの天体にもそうした境涯があり、弱っている者、苦しんでいる者、霊的に飢えている者、若くして地上での生命を絶たれた者が集められ、専門霊によって養育と看護とを受ける。向上する準備が整うまでそこに留まらねばならない。整った時点でようやく本来の霊格に合った境涯へと赴き、そこで本格的な向上進化の為の生活が始まり、次第に発展していくことになる。嵐の航海のあとの休息の港である。その境涯にいる者は地上との交信は許されない――(桑原啓善訳『続霊訓』では「155⑥~⑩」になる。近藤訳と少し違う)

 

②.「自覚する」と言う意識状態

<死の自覚>

物的身体を通して感知していた“物的波動の世界”から、霊的身体を通して感知する“霊的波動の世界”に切り替わる為には「死の自覚」が不可欠となっている。霊的波動の切り替えが完了した死者は、霊的な感覚器官の使用が可能となる。

 

帰幽霊の意識に「死の自覚」が芽生えて、受け入れ態勢が整うまでは完全に目隠しされた状態に置かれる。なぜなら物的波長から霊的波長に切り替えができていないので、霊的視力が使えないため“迎えの霊”の存在が見えないから(315⑧~⑩)。

この件につきアメリカの精神科医ウィックランド博士(1861年→1945年)の招霊実験会に出現した「タイタニック号事件で他界した男性の霊」の話が参考になる。

出現した霊は「溺れたのです。でもまた息を吹き返しました」「どこにいるか分かりません。目が見えなくなってしまった! 何も見えない! 海の水で目をやられたのかも知れませんが、とにかく見えません」。ウィックランド博士は「それは霊的な暗闇のせいですよ。死後にも生命があることを知らずに肉体から離れた人は、暗闇に置かれるのです。無知が生み出す暗闇です」と諭している場面がある(ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版1993年刊、513頁)。出現した霊には「死の自覚」がないので意識の切り替えができず、霊的感覚器官の使用が不可能な状態となっている。

 

<霊的自覚>

帰幽霊は「明確な死の自覚」を持つことによって肉体に縛り付けられてきた意識から解き放たれ、地上時代に培ったレベルに見合った界層(注1)に引き寄せられていく。大部分の霊が引き寄せられる界層は物質臭の強い住民が住む世界である。その世界で体験を積み重ねることによって次第に「霊的自覚」が芽生えてくる。

 

「霊的自覚」が芽生えることよって霊的進化のスピードは増していく(注2)。そして「霊的自覚」の深まりと共に界層の上昇が起きてくる(→幽界の上層に浮上していく)。この段階になると「霊として何をなすべきか」が明確となってくるため、次第に「類魂の存在を意識する(→帰るべき我が家を意識する)」ようになる。幽界の下層を離れるにしたがって地上時代に持っていた偏見や敵意を棄て去っていく(774⑥~⑦:→⑨5図のCが払拭していくから)。霊の世界では“自覚”が大切。自覚にも“浅い自覚”から“深い自覚まで無限のレベルがある。

 

<地上における自覚>

地上では「魂が目を覚ました(→霊的に覚醒する、霊的自覚を持つ)」という場合でも、物的身体を通して自己表現をしている以上、肉体の欲求や煩悩等の“本能に起因する意識”に絶えず悩まされることになる。いわば地上では「霊的覚醒」の状態を、四六時中“本能に起因する意識”によって試されている様なもの。この点が霊界に於ける「自覚」との違いになっている。霊界では霊的身体で自己を表現するため、地上のように物的身体で表現する必要がない分、“自覚したという意識”はよりクリアな状態となっている。

 

③.地縛霊・低級霊・邪霊の意識状態

<一つの考え方:地縛霊>

死んで霊の世界に来た者の多くは霊的波長よりは物的波長の中で暮らしている(→低級霊のこと)。その物的波長の中で暮らしている低級霊の中でも、「死によって肉体を棄てたにもかかわらず本人は死を自覚せずに、いまだに肉体があると信じており意識が地上世界に向いている霊、意識の切り換えが完了していない霊」のことを「地縛霊」と定義する。

 

この定義の利点は「死の自覚」を持つことによって意識が切り換わると、帰幽霊が地上時代に味わった「物的身体がもたらしていた一切の痛みと苦労と障害から解放される」(748⑬~⑭、88⑬)、という箇所の説明が容易になることである。

現実に病気で苦しむ地縛霊を招霊した交霊会で、霊が死の自覚を持つことによって意識が切り換わり、霊も憑依された者も病から解放されるという現象が起きている。立ち会った者なら“意識の切り換え”の重要さが容易に理解できる。

 

ウィックランド著『迷える霊との対話』の中に、落馬によって首や背骨を傷めて死んだ霊の話がある。霊本人は“死の自覚がなく(今は死んでいる気がしません)”いまだに肉体の痛みを引きずっており、憑依された夫人(患者)も長年にわたって同様の箇所の痛みに悩まされてきた。夫人に憑依した霊はウィックランド博士の説得によって次第に「死の自覚」が芽生えてきた。その結果わずかながら霊的視力が使えるようになってきて、周りで待機していた母の姿を認めることが出来た。博士から「お母さんとマーシーバンド(救済のための霊団)の方たちと一緒になったつもりになってごらんなさい」と言われて、地縛霊は患者から離れていった。その後患者は首や背骨の痛みから解放された(ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版、399頁~415頁:→下線部分は重要、意識の焦点を救済霊に合わせるように指示した)。「死の自覚」を持つことによって死者の意識が“病を持った肉体”から離れると、憑依されていた者の病が治癒されるという好例である。

 

<一つの考え方:低級霊>

「低級霊」とは「明確な死の自覚(上記①のC)」を有するも、「明確な霊的自覚(上記①のD)」を持たない幽界の下層に居住する霊と定義する。

 

<一つの考え方:邪霊>

「邪霊」とは積極的に地上世界に悪影響を及ぼしている霊のことであり、それは死の自覚を持たない「地縛霊の一部」と、死の自覚はあるが霊的自覚がない「低級霊の一部」からなると定義する。

 

<一つの考え方:利点>

上記のような定義に従えばマイヤース霊が述べている「この中間境に滞在中に各自は半物質的身体から脱皮して、より垢抜けした身体に宿り・・・地上生活の願望の反映でこしらえた世界で過ごす」(永遠の大道50⑪~⑫)という、界層と形体との関係がより明確となる。つまり「中間境」では“半物質的身体(複体、ダブル、接合体)”をまとった帰幽霊が、物的波長から霊的波長に切り替えのための調整を行っているが、その内の一部が「地縛霊」や「邪霊(地縛霊の一部)」となって存在している。イリュージョンの世界である幽界では幽体をまとった「霊(低級霊)」が滞在しているが、その「霊(低級霊)」の一部が「邪霊」となって存在している。

この「中間境」から幽界への場所の移行は「半物質的身体から幽体へ」という身体の変化を伴い、それには「自覚(明確な死の自覚)」が不可欠な要件となっている。その「自覚」によって霊的身体に備わった能力が使用可能となり、意識の切り換えが行われて幽体が完成するからである。

 

<近藤千雄説>

一般に「地縛霊」の説明は、近藤千雄氏の解説の「波動の原理からいえば、相変わらず地上的波動から抜け出せない者がいて、地上生活から持ち越した感覚・感情のままの生活を続けている。その種の霊を“地縛霊”という」(メッセージ30⑪~⑬)とされている。

この定義に従えば「明確な霊的自覚」が芽生えない幽界の下層にいる霊の大部分は「地縛霊」に含まれてしまう。自分は死んでいるという意識を持った物質臭の強い霊と(→当ブログでは低級霊のことを指す)、まだ死の自覚がなく病気の痛みを引きずったままの霊(→当ブログでは地縛霊を指す)との“意識の違い”が明確にならない。近藤説では病を持ったまま亡くなった霊の“苦しむという意識”を説明できない欠点がある。また近藤説では「霊的自覚」が芽生えない幽界の下層にいる霊は全て「地縛霊」となってしまう。

 

<高級霊の見かた>

『シルバーバーチの霊訓』では「復讐心に燃えた霊はみな地縛霊になっている」(10194④)として「地縛霊=邪霊」として用いている箇所。「他界後に地縛霊となってしまうような地上生活を送った場合」(到来223⑪~224①)として「地縛霊=低級霊」として用いている箇所。なかには「地縛霊」本来の使い方をしている箇所として「自分の肉体がなくなったことに気づかない、霊的には死者同然の霊」(895③)や「最後の審判日を待ちわびながら死体の埋葬地で暮らしている霊」(メッセージ70④~⑬、546⑨~48③)などもある。

 

モーゼスの『霊訓』でも「地縛霊は地上時代の肉体的欲望と性向を残している、欲求だけは消えない」(霊訓上49⑥~⑦)、「地縛霊が酒色に耽る人間を虜にしてもう一度地上的快楽を味わう」(霊訓上49⑯)、「かつて宿っていた肉体の欲情による地縛的状態から抜け切れずにいる霊」(続霊訓119⑬)など、「地縛霊」「低級霊」「邪霊」の区別があいまいである。

シルバーバーチやモーゼスの『霊訓』で述べられている「地縛霊」とは、物質臭が強く霊的状態が地上的波動に合っている「低級霊」のことであり(→または邪霊のこと)、地上にも霊界にも適応できない霊のことである(8168⑧、福音238⑥~⑧)。

 

このように定評ある霊界通信からは、高級霊は押し並べて「地縛霊」「邪霊」「低級霊」の区別が曖昧である。高級霊から見れば「明確な霊的自覚」を持たない霊は、「地縛霊」も「低級霊」も「邪霊」も押し並べて物質臭が強く(⑨5図Cをいまだに持っている為)、霊的救済の対象となる霊であることに変わりがないため(→または「霊界の悲劇」の元凶である対象霊)、一様に同じように見えるのかもしれない。

 

物質界に生きる我々から見れば区別した方が理解しやすい。つまり帰幽霊の旅の行程がよく分かり、霊的理解がスムーズになる利点があること。さらには供養の対象となる霊の範囲が特定できるなどの利点がある。

地縛霊は意識の切り替えが完了していないので、霊的感覚器官を使用することができない。そのため救済霊との接触が難しいのに対して、地上から送る縁者の念は地縛霊に届きやすいという特徴がある(→いまだに肉体があると思っている為)。これに対して死の自覚を持った低級霊の場合は、霊的レベル相応の霊的感覚器官の使用が可能になっているため救済霊は低級霊と接触がし易い。このような違いから供養の対象は原則として地縛霊のみであって、低級霊は霊界の救済霊の管轄となる。

 

④.帰幽霊が有する意識の二面性

<地上的習慣が色濃く残る>

地上時代の習慣は長い間に形作られてきたものなので、死んで物的身体を脱ぎ捨てても好みや習慣(2149⑬)、人間的煩悩に満ちた意識は存在する(⑨の5図Cとして)。英国風の家で過ごした人は英国風の家に住み(2149⑭~⑮)、利己的な人は相変わらず利己的である。霊的覚醒(明確な霊的自覚)が起きるまでは地上時代の習性等は、そのままの状態で維持されている(724⑫~⑭、福音189②~⑥)。人間は死後誰でも直ちに「本来の意識(インディビジュアリティ:⑨の5図Aの部分)」が自覚できるわけではない。

 

モーゼスの『霊訓』には「人間は霊界に来たからとて、地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えて来るのである。変わるのは肉体を棄てたと云うことのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたとてその本性が変わるものではない。それは、誠実にして純真なる向上心に燃える魂が、死とともに俗悪なる魂に一変することが有り得ぬのと同じである」(霊訓上32⑭~33③)とある。

 

<幽界の下層>

帰幽霊は「明確な死の自覚」を持つことによって肉体に向いていた意識から解き放たれ、地上時代に培ったレベルに見合った界層に引き寄せられていく(注1)。引き寄せられる界層は物質臭の強い住民が住む世界である。その世界で体験を積み重ねることによって次第に「霊的自覚」が芽生えてくる。

 

大部分の帰幽霊が赴く幽界の下層世界は、波動が粗いため地上とよく似ている(4136③~④、語る214⑩~⑫)。帰幽霊は地上時代の固定観念を抱いたまま(⑨の5図BとCの部分)であり、「思念の表現も極めて地上的で、考えることが全て物的感覚によって行われている」(メッセージ54③~⑤)。

そこは霊的自覚が芽生えていない者が住む世界であり(885⑪)、人間的本能である「貪欲や権力欲などが存在している」(1071⑦、72③~⑨)。なぜなら死んだ人間は霊的には死ぬ前と全く同じであり、単に肉体が無くなっただけで地上時代の行為・思念・性癖等で形成された人間性にいささかも変わりはないから(⑨の5図Cの部分が残存しているから)。

 

霊界は地上生活体験者で構成されているので、地上で起きていることの全てが再現されている(774⑤)。幽界の下層の住人の意識は、地上時代に培ったそのままを引きずっているので、地上時代の宗派の教えを死後も信じて地上の人間に広めようとする者や(福音240⑦~⑧)、霊的真理の普及を快く思わぬ組織的な反抗勢力の集団もいる(福音236①~⑧)。

なお地上時代にある宗教を信じていた先祖霊が、子孫の改宗を快く思わないという話を聞くことがある。子孫の改宗を不満に思うのは本人自身に霊的自覚が芽生えていないから、先祖霊の意識の中に地上時代の宗教がいまだに居座っている物質臭の強い霊だからである。

 

<浄化の為の世界>

霊界は思念が実在の世界であり(4124⑨)、心に思うことに実体が伴い実感がある。そのため想いが周りの環境を作り上げてしまう(→思念は環境を形成するから)。

幽界の下層は物質臭の強い思念を発する霊が引き寄せられて、集まって生活している世界である。その一群の中には地上時代に大酒のみであった者や麻薬中毒患者などがおり、地上人で似たような傾向を持つ「受け皿」のある人間の欲望を増幅するという形で、影響力を行使して満足を味わう霊もいる(1072⑧~⑨)。

 

数多い帰幽霊の中には、地上体験によって「残忍さ・傲慢さ・貪欲・淫乱」等といった“歪んだ欲望”を培ってしまい、表面意識(⑨5図のBとCの部分)に深く染みこませてしまった霊もいる。このような霊が赴く幽界の下層界にも親和性が働いているため、同類の霊が引き寄せられてくる(霊訓上161⑬~⑭)。そのため霊的環境は強い物質臭(俗悪臭)に満ちている(霊訓下157⑫~⑬)。

 

帰幽霊が有する“歪んだ性癖や習性”が苦悩を引き寄せるため、住環境は邪悪性や非道徳性、利己性を思い知らされるような場所となり、そこに住む者にとっては地獄という感覚になる(到来238⑥~⑧、238⑭~239②)。ここから地獄とは「魂自らが罪悪を焼き尽くそうとする悔恨の炎」で、身に沁みついてしまった利己主義と犯した罪悪を清める状態のことなので、地獄とは自分自身の中にあると言える(霊訓下221⑬、221②~③)。いわば動物性が過度に発達して霊的な歪みが生じた状態を、悔恨の念によって矯正しようとする界層のことであり、宗教ではこの界層を「煉獄や地獄」と呼んでいる

このような環境で厳しい体験を経ていく中で、次第に表面意識にある歪んだ性癖は修正されて行く(→⑨5図のBに含まれている偏見に満ちた固着観念、宗教の教義、動物性が過度に強調された性癖、記憶としてため込んだ思想や知識など、これらの地上体験から“ケバケバシイ色合い”が抜けて無害化される、この状態となって初めてBはAの中に溶け込んで地上体験として活用できる。無害化されるまではBとAの区別は必要)。霊によって長短はあるものの内部から霊的自覚が芽生えてくるまでは、矯正のためにこのような界層に留まることになる。

 

<霊的自覚の芽生え>

このような地上的習慣が色濃く残る帰幽霊の意識は「偏見や性癖」に満ちた表面意識(→物質臭の強い意識)と、霊的自覚が芽生えてくるまでは表面に浮上してこない「大きな霊的意識」という二重構造になっている(→⑨5図AとB・Cの二重構造)。そのため地上時代の体験によって形成された「利己的、冷酷、享楽的、血縁重視」といった意識は、「霊の表面意識(→普段用いている意識)」の中に「霊的自覚」という意識が芽生えてくるまでは「偏見や性癖」と言う形で居座り続けることになる。なぜなら霊的成長はゆっくりとしたスピードであり、「大きな霊的意識」は霊的成長と共に少しずつ表面意識の中に浮かび上がってくるものだから(→地上時代に用いた「小さな霊的意識:⑨のB」は無害化されて「大きな霊的意識:⑨のA」に融け込んで活用されていく、⑨の6図、7図参照)。物質臭が抜けきらない幽界の下層にいる霊界人とはこのような意識構造を持った霊たちである。

 

幽界において「霊的自覚の芽生え」に始まって、徐々に霊的自覚が深まっていった霊は、次第に霊的進化のスピードが速まって行く。それに応じて潜在していた「大きな霊的意識(⑨5図のAの部分)」が表面意識の中に浮かび上がってくる。このように幽界生活とは「物質臭の強い表面意識(→⑨5図のBにある地上的な偏見などの固着観念“Aに溶け込ませる地上的体験”と、Cに残る地上的残像“払拭して切り捨てる部分”)」を中和させて、「大きな霊的意識(本来の私、インディビジュアリティ:⑨5図のAの部分)」の中に穏やかに溶け込ませていく過程に他ならない。物質臭の強い状態で直接溶け込ませることは出来ないため、意識の二重構造は不可欠となっている。これら一連の霊的波長の調整が完了した個別霊は、次の世界である“狭義の霊界”で待つ霊的家族のもとに帰って行く(但し、血縁中心の“家族”ではない)。「虚像の世界(幽界)」から「実相の世界」への移行である。

 

⑤.地上に通信を送る霊たち

一般に霊の世界から地上にいる肉親や友人・知人に通信を送る動機は愛にある(6115⑥~⑨、到来113①~⑤)。次元の異なる地上に通信を送ることは「容易なことではない」「大へんな努力を必要とする」ので、通信霊は必然的に「愛念を抱く者に限られる」(189⑨~90①)。ここから多くの霊界通信は意識の関心が地上に向いている、物質臭の抜けきらない幽界の下層に居住する血縁者からのものとなる。ここに血縁重視の霊界通信が多くなる理由がある。これは高校に進学した生徒が中学時代のクラスメートや部活の後輩の面倒事に、自分の休みを犠牲にしてまで駆け付けて世話を焼きたがる意識状態と似ている。

 

⑥.意識の中にある「カルマ」というシミ

<本来の意味でのカルマ:狭義のカルマ>

シルバーバーチは「(マイヤースの言う類魂と)まったく同じものです」(4巻64⑤~⑥)と述べているので、類魂との関係でマイヤース霊のいう「カルマ」を見ていくことにする。マイヤース霊が使う「カルマ」という言葉には「本来の意味でのカルマ(狭義のカルマ)」と「型・パターン(広義のカルマ)」と「未浄化な部分、魂の歪み(本来はカルマではない)」の三通りがある。

 

このうち個別霊Aが自ら償うべき「本来の意味でのカルマ(→狭義のカルマ、マイナスのカルマ、悪性のシミ)」としては、狂信的な信仰でグループのメンバーを誤った道に引き入れてしまった主宰者の責任がある(例:オウム真理教の教祖など)。Aは自らの責任で「カルマ」という“悪性のシミ”のシミ抜きを、地上体験を通して行わなければならない。

 

<型・パターン:広義のカルマ>

次にマイヤース霊が言うカルマの「型・パターン」には「前世とは自分と同じ霊系の魂の一つが、私が誕生する以前に地上で送った生涯をさすもので、それが現在の自分の地上生活の型をこしらえている」(永遠の大道85③~⑤)。「ただ仏教でいうところの宿業は確かに前世から背負ってくるのであるが、それは往々にして私自身の前世のカルマではなくて、私よりずっと以前に地上生活を送った類魂の一つが残していった型のことを指す。同様に私も、自分が送った地上生活によって類魂の他の一人に型を残すことになる」(永遠の大道85⑮~⑱)。「私自身は二度と地上に現れることはないであろう。が、自分と同系の他の魂は、私がかつて地上でこしらえたカルマの中に入ることになる。ただし私がカルマという用語を用いる時、それは従来のカルマと同じものではない」(永遠の大道86⑤~⑦)がある。

 

類魂の構成メンバーである個別霊(ABCD・・・)はそれぞれ地上生活を送る際に何らかの「型、パターン」を残すことがある(→広義のカルマ、プラスのカルマ、良性のシミ)。例えば類魂メンバーは再生するたびに音楽の才能を伸ばしていく、または「信仰心(→キリスト教、イスラム教、仏教などのベースにある信仰心のこと)」を深めていくなど。A→Bと自分と同じ類魂のメンバーが作った「型、パターン」を再生人生でCやDは引き継ぐことによって(→シミが良性だから)、さらに「音楽的才能」や「信仰心」が深まっていく。

 

<未浄化な部分、魂の歪み>

三番目の「未浄化な部分、魂の歪み」もマイヤース霊の文言から引用する。「初めて地上に生まれてくる霊の場合は特別の守護が必要なので類魂との霊的な繋がりが密接となり、その結果、直接の守護に当たる霊のカルマが強く作用する・・・もう一つは、地上に生まれた若い類魂の守護霊となって、自分の残したカルマの中でもう一度その類魂と共に間接的に地上生活を送る方法」(個人的存在97⑱~98⑥)との記載がある。

 

このように「守護に当たる霊のカルマが強く作用する」場合の“カルマ”とは「守護に当たる霊(守護霊)」の“未浄化な意識”のことをいう。本来はカルマではないがマイヤース霊はこれもカルマと呼んでいる。

個別霊Aは進化の途上にいる為、当然に意識の中に未浄化な部分が残っている。一般にはAは霊媒体質者の背後霊となって、苦難を共にしながら未浄化な部分の克服を遂げていくことが多いのではないかと思われる。ケースによってはこの“未浄化な意識の一部”の克服を、Aは守護霊となって“新入生の霊X”に託する場合もあろう。“新入生の霊X”は守護霊から託された“未浄化な意識の一部”の克服を(→この部分がXの地上人生でやり遂げるべきテーマとなる)、地上人生に於いて自由意志を行使しながら果敢に挑戦していく。いわばリング上で闘う“ボクサーX”と、リングサイドで闘いを見守る“セコンドA”という図式になる。その挑戦の過程で何らかの“本来の意味でのカルマ”を作った場合は、X自身のカルマとなる。死によってXは幽界の下層に落ち着く。Xを含む多くの“新入生の霊”は“テーマ未達成”のため、幽界からUターンして地上に再生していく。なお“新入生の霊X”にも所属する類魂はあるが(→幽界の上層まで進化すれば所属する類魂を意識する、席は空けてある)、当のXはそれを意識していない。

 

<何を持って「再生一回」とカウントするか>

ア)類魂(霊的家族)を中心にカウントする考え方

再生には何を持って「再生一回」とカウントするのかという問題がある。本稿では「再生人生のテーマの達成」という観点に立って、達成されて初めて1回と数える立場をとる。この立場では霊界の霊的家族(ベースとなる類魂)から出て、再生テーマを達成して再び霊的家族に戻ってくるまでを「再生期間中」とする。ここで初めて「再生一回」とカウントする。霊界通信で定評ある「マイヤースの通信」には「大部分の人間は(再生回数は)二回から三回、ないしは、せいぜい四回くらい」(個人的存在93②)との記載がある。ここからマイヤース霊は再生回数を「再生テーマ」の達成という観点から述べていると推測ができる。

なお守護霊役の個別霊は、再生霊が地上に再生して遭遇する困難や悲劇を“魂の磨き粉”にして「再生人生のテーマ」に果敢に挑戦し、これをクリアして再び「霊的家族(ベースとなる類魂)」に戻ってくるまでの全期間その任に就くとする立場をとる。

 

イ)幽界の下層界から再生する場合

多くの再生事例の中には「個別霊Aの部分意識(A-1)」は再生テーマを達成できずに(→再び自殺をしてしまったなど)、幽界の下層界から地上に再び生まれ出る場合がある。この場合は上記の立場から言えば、いまだ再生継続中となる。

幽界の下層界からUターンして再び生まれ出た「個別霊Aの部分意識(A-2)」は、地上的人格(パーソナリティ)から見れば、前回の人物像(A-1)と今回の人物像(A-2)は全くの別人である。しかし個別霊Aという「本来の私(=狭義のインディビジュアリティ、ダイヤモンド)」から見れば同一である。

 

例えを使えば「再生人生のテーマ」を果敢に攻略中の「一番突撃隊(前世の私)」が敗走して、幽界の下層界で陣営を立て直して次の「二番突撃隊(現在の私)」が地上に繰り出されたという構図となる。「本隊(=本来の私、狭義のインディビジュアリティ)」から見れば「一番突撃隊」も「二番突撃隊」も本隊の一部であり、同一部隊に所属する小編成の突撃隊である。いわば「一つの個体の二つの側面(⑨7図Aの中に溶け込んでいる二つの前世)」ということになる。

 

この幽界から再び地上に誕生するケースでは、「再生人生のテーマ」は未達成の状態にあるので、霊界で待つ霊的家族(ベースとなる類魂)のもとには戻れない。いわば東京に住むAは、海外転勤でアメリカのニューヨークに赴任したが、仕事の関係でさらにサンフランシスコに転勤になった(→Aの海外赴任はいまだ継続中)、という事例に似ている。このようにAの「再生テーマ」はいまだ継続中となっているため、守護霊の任務も引き続き遂行中となる(→海外赴任中のAの日本における財産管理人は、Aが帰国するまではその職にある)。霊的家族のもとに帰還して初めて守護霊の任務は解除になるから。

 

⑦.存在面から見た私(客観的存在、本来の私、霊の形体面から見た場合)

<客観的存在と主観的存在という二つの側面>

マイヤース霊は「人間の存在には二つの側面がある」と述べている。それによれば「一つは形態に宿っての客観的存在であり、もう一つは類魂の一員としての主観的存在である」(永遠の大道87④~⑥)という。さらに「我々は立派な個性を持った存在であり続けると同時に、全体の中の不可欠の一員でもあり続ける」(永遠の大道87⑨~⑩)とも述べている。

つまり個別霊A(狭義のインディビジュアリティ、ダイヤモンド一個分)には、形体面から見た「客観的存在(本来の私)」と、類魂の一員という意識面から見た「主観的存在(拡大した私)」の二つの側面があることになる。

 

シルバーバーチも霊界に於ける客観的存在を、霊的レベルが同一なものが集まる界層では、そこに住む者は同じ客観的な存在物(→湖、丘、庭園、部屋など)を見て触れるといった体験をすることが出来ると述べている(887④、889⑦、最後啓示39①~②)。

霊界通信の『ベールの彼方の生活』にも救済霊の一団が「冒瀆の都市」に出向いた際に部屋に閉じ込められた話が載っている(3262頁~263頁)。その「冒瀆の都市」で生活する住人にとっては、部屋・ホール・城壁などは客観的な存在物である。しかし救済霊の一団は波長を操作して部屋の壁を通り抜けて脱出した(→その界の住人にとっては脱出不可能)。

 

本稿でもマイヤース霊の分類に準じて「本来の私(狭義のインディビジュアリティ、一個のダイヤモンドのこと)」という言葉を、霊の形体面から見た存在(→客観的存在としての個霊)という意味で使用する。

自我の本体たる霊魂には形体がない。この霊魂が進化していくためには、第三者から見て存在を認識できる「肉体、幽体、霊体、色彩、光輝などの客観的な形体」をまとって、地上体験や霊的体験を積む必要がある。その体験を通して潜在している“神の属性(→愛、寛容さ、叡智、親切、優しさ、思いやりの心、協力の精神など)” が“魂(=意識、インデビジュアリテイ)の領域”に発現して、霊的レベルは高まっていく。

 

<因果律の主体>

この形体をまとった客観的存在たる個別霊は、因果律の観点から見て自らの進化に自らが責任を負っている(458⑥~⑧)。因果律の責任の主体となるのはこの「本来の私A」である。前世に於いて霊的負債を作った場合は「本来の私A」が自らそれを償う。他の客観的存在の個別霊BCD・・・が償うことはない。

 

<個性化の道を歩む主体>

個別霊は「永遠の個性化の道を歩む」という場合は形体面から見た「客観的存在」のこと。進化の途上において「本来の私A」という存在は消滅してしまうことはなく、永遠に何らかの形体を保ち続ける(→シルバーバーチは神人合一を否定する:新啓示163⑬~⑭)。地上では肉体という形体に(→肉体という物質を維持するため、必然的に他の肉体との衝突が発生するが)、中間境では中間物質に(→半物質の複体・ダブル・接合体などの形体)、幽界では幽体に、霊界以上の世界では「霊体や光・色彩などの何らかの形体に身を包んで」。これらの“形体(客観的存在)”を通して自我を表現していく。

 

霊性レベルのアップにより個別霊が持つ個人的存在は次第に薄れてきて、個性が表面に現れてくる「個性化の道」、つまり神の属性が意識の領域に顕在化していく道を一段と強めていく。

形体面から見た客観的存在としての個別霊Aが霊性を進化させるためには、各種形体を通して物的体験や霊的体験を積んでいかなければならない。また進化のレベルが一定以上になれば、「類魂というシステム(他の個別霊の体験を自らの体験とする)」を使って霊性レベルを高めていくことが出来る。ここから霊は形体面から見た客観的側面と類魂の一員としての主観的側面の両面を併せ持つことになる。

 

⑧.意識面から見た私(主観的存在、拡大した私、類魂の一員として)

<拡大した私には二つの意識面がある>

霊を形体面から見るのではなく、類魂の一員から見た場合を「主観的存在、拡大した私(広義のインディビジュアリティ)」とする。この類魂の一員としての「拡大した私(主観的存在)」は平面的と立体的という二つの意識面から表現できる。

 

<意識が平面的に拡大する>

一つ目は「同一霊格で親和性のある複数の個別霊」によって作り出される「共有状態にある類魂意識」のこと。同一霊格であるため「本来の私A」の意識は平面的に拡大する(→広義のインディビジュアリティ、ベースとなる類魂意識)。

 

マイヤース霊は「私は私としての王国を持っているが、それすら大きな連邦の一単位に過ぎない」(永遠の大道86⑦~⑧)と述べている。いま「Ⓧ夫」と「Ⓨ妻」という夫婦がいるとする。「Ⓧ」と「Ⓨ」は第三者から見ても別々の存在である。これが霊の形体面から見た側面(客観的存在、本来の私)のことであり、マイヤースのいう「私としての王国」になる。

例えば相思相愛の度合いが極めて強い夫婦を、形体面から見ればⓍとⓎという別々の個別霊である。これを意識面から見れば両者は気持ちが通じ合って一つになっていて、相手の目を見ただけで何を考えているかが分かる関係にあるとする。これが意識面から見た「主観的存在(拡大した私)」のことで、マイヤース霊のいう「大きな連邦の一単位」のことで、平面的に拡大した私のことを言う。

 

<意識が立体的に拡大する>

二つ目はさまざまな霊性レベルにある霊の集団を含む意識状態(→意識が立体的に奥行きを増す状態、潜在意識の深奥)のことで「拡大した類魂、類魂の延長」などと呼ばれている広義のインディビジュアリティのこと。

 

シルバーバーチは「一人の支配霊がいくつかの類魂を従えていることがある。それを“延長”と呼びたければそう呼ばれて結構です」(10136⑭~137①)と述べて、このような表現で「拡大した類魂(立体的に奥行きを増した類魂)」を説明している。

さらにシルバーバーチは「あなたも他の分霊も一個の中心霊の側面です」(457①)、「個々の霊は一つの中心霊の構成分子」(458⑧)、「われわれは、見せかけは独立した存在ですが、霊的には一大統一体を構成する部分的存在です」(746⑭)と述べている。

マイヤース霊は「類魂は、見方によって単数でもあり複数でもある。一個の高級霊が複数の霊を一つにまとめている。脳の中に幾つかの中枢があるように、霊的生活に於いても、一個の統括霊によって結ばれた霊の一団があり、それが霊的養分を右の高級霊から貰う」(永遠の大道84③~⑤)と述べる。

 

平面的な類魂を構成する個別霊A・B・C・Dは類魂をまとめている中心霊(=統括霊)Jの部分的側面と言うことになる。そのJもより上位の中心霊Rの部分的存在であり、上位のRもさらに上位の中心霊Tの部分的存在である。

このように個別霊は形体面から見た客観的存在であると同時に、主観的には類魂の一員として「一大統一体を構成する部分的存在」となる。この説明を「年齢を使った例え(トップダウン型)」と「会社の組織図を使った例え(ボトムアップ型)」で説明する。

 

<年齢を使った例え>

この「年齢を使った例え」を用いて主観的には類魂の一員という存在を説明する(→高い位置に立って各段階の低い位置を見渡す“意識の深奥”の説明に適している。)。

年齢を表す言葉に「私は70代です」という表現と、「私は75歳です」という表現がある。この「70代」という言葉には「70歳、71歳・・・79歳」が含まれているのでどちらの表現も間違いではない。いま「70歳、71歳・・・79歳」の各年齢を個別霊と考えて、これらが類魂の中心霊「70代」によってまとめられて「共有状態にある類魂意識」を形成しているとする。この「70歳~79歳」の個別霊は中心霊「70代」の「一側面、構成分子」(457①、458⑧)である。

 

人生経験を積んだ「70歳」の意識には、多様な年代の意識が含まれている。意識をそれぞれの年代(60代、50代、40代、30代・・・)に向けると、その年代で味わった喜怒哀楽の感情が甦ってくる。これは類魂の中心霊「70代」の意識の深奥には、「60代(60歳~69歳)」・「50代(50歳~59歳)」・「40代(40歳~49歳)」・「30代(30歳~39歳)」等によって表現される個別霊「0歳~69歳」が含まれているから。

他方、類魂の中心霊「50代」の意識の深奥には同様に個別霊「0歳~49歳」が含まれている。当然に「70代」の方が「50代」より意識の底は深い(→霊性レベルが高い)。これを中心霊「50代(50歳~59歳)」から見れば、中心霊「70代(70歳~79歳)」は上位の中心霊であり「拡大した類魂(→広義のインディビジュアリティ)」となる。なぜなら中心霊「70代」は「0歳~69歳」までの各年代の“複数の類魂の中心霊”を従えているから(10136⑫~137③)。

 

会社の組織図を使った例え>

この「会社の組織図を使った例え」用いて「類魂の延長(拡大したインデビジュアリテイ)」を説明する(→この例えは低い位置にいる霊に対して“神の分霊・上方からの光”がどのようなルートで流れてくるのかの説明に適している)。

 

第一営業部の第一課に所属するABCDは第一課長Jによってまとめられているので、言い換えればABCDは中心霊Jの魂の「部分的側面、中心霊Jの構成分子」となる。これがAから見て意識が平面的に拡大した状態の“ベースとなる類魂”となる。個別霊ABC・Dの自我の本体の“魂の領域”に「霊」が顕現する割合は、中心霊Jの意識レベルが上限となる(→なぜならJの部分的側面だから)。

第一課長Jや第二課長Kや第三課長Lは、第一営業部長Rによってまとめられているので、言い換えればJKLは中心霊Rの魂の部分的側面となる。個別霊JKLの「魂の領域」に「霊」が顕現する割合は、中心霊Rの意識レベルが上限となる(→なぜならJはRの部分的側面だから)。

 

シルバーバーチが言う「一人の支配霊がいくつかの類魂を従えている。それを“類魂の延長”と呼ぶ」(10136⑭~137①)とは、中心霊R(第一営業部長)がその傘下にJKLといった複数の課(ベースとなる類魂)を従えている構図と同じである。この状態を、J(第一課)を中心霊とした“ベースとなる類魂”の延長といった迄である。

さらに第一営業部長Rや第二営業部長Sは、上席の営業担当取締役Tによってまとめられているので、RSは中心霊Tの魂の部分的側面(Tの分霊)となる(→さらなる“類魂の延長”のこと)。

 

このように考えれば営業担当取締役Tの「意識(奥行きを増した拡大した私)」は、第一営業部長RTの部分的側面)や第一課長JRの部分的側面)を経由して、Aの自我の本体たる「霊」の中に入って行ける。

ここからAは「より大きな自我(第一営業部)」の一側面(Rの部分的側面、類魂の延長)、営業部という大きなインディビジュアリティの部分的側面(Tの部分的側面、さらなる類魂の延長)、会社全体を統括する社長(会社という組織では神と同等の権限を持つ)の部分的側面となる。このようにしてAの「霊」には各段階の中心霊を経由した「上方からの光(神の分霊)」が入っている。

 

⑨.意識の変遷図と解説                                   

<1図 霊界(狭義)>             ―――――――――  

                    | A     |

 

<2図 出生準備段階> 

霊的意識の中にAとBを分ける境界線が生まれる  

                        ――――――――   

         |A   : B|

 

<3図 地上時代(幼児期)>   

AとBの仕切り線はいまだ未完成。Aにある前世の記憶はBを経由   

してCに浮上する(前世を話す子供、江戸時代の勝五郎の再生は有名)


                           ――      

    |C|

  |A  :B|

 

 

<4図 地上時代(10代以降)> 

AとBの仕切り線が完成する。Bは地上体験や知識で着色される。  

霊能者が受信する霊界通信はBにある思想や偏見で“色”が付く


                            ―― 

    |C|

   |A  |B|

 

<5図 幽界の下層> 

霊的自覚が芽生えるまでは、地上的な偏見や性癖がCに残存する。    

このレベルの霊は物質臭(残存するCが影響する)が強い低級霊

          .....

          :C:                                          |A  |B|

 

<6図 幽界の上層>    

霊的自覚の深まりとともにCが払拭されて、AとBの       

仕切り線が崩れてくる。徐々に帰るべき我が家を意識する

 

                             ―――――――― 

   |A    :B|

 

<7図 霊界(狭義)>   

Bにあった着色された体験はAと混じり合う。1図のAとの    

違いは、7図のAには今回の地上体験が混じり合っていること

                            ――――――――               

                            |A      | 

 

 

A 霊的意識(インディビジュアリティ)

B 霊的意識(もっぱら地上の人間が用いる霊的意識、地上体験や知識で着色される部分)

C 表面意識(普段用いている顕在意識、本能に起因する意識に強く影響される)

 


*私のパソコンのスキルでは図形が描けません。Aの横にBがあり、Bの上にCがきます。


― ― ― ― ―― ― ― ― ― ― 

<注1

「地上時代に培ったレベルに見合った界層」とは、上記⑨の「5図B(地上体験で色付きとなる霊的意識)とC(地上的人格の残像)」によって形成された意識レベルに見合った界層のこと。人によっては“本能を強めた生き方”によってBの霊的意識が動物臭の強い地上体験によって独特な色に混じり合った者もいるであろう。このBの部分にある霊的意識と混じり合ってしまった地上体験を“無害化”させることによって、再生人生に於ける地上体験という形で霊界に持ち帰って霊性の向上に役立てることが出来る。そのための過程が幽界の生活であり、体験を“無害化”する種別に応じて、“浄化の界層”や“極楽”と思えるような体験をする多様な界層が存在する(→親和性によってグループごとに)。

 

<注2>

人間の「霊的進化のスピードが増す」ことによって、幽界で同居するペットは付いていけずに置いて行かれる。ペットは“種(集合魂)”を単位として因果律が働くのに対して、人間は個々人に対して因果律が働く(→霊の在り方が異なる)。またペット以下の動物は家族や仲間以外には助け合うなどの利他的行為を行わないのに対して(消極的な利他的行為のみ)、人間の場合は第三者に対してもボランティアという形で積極的な利他的行為ができる、この差が霊的進化のスピードの違いになっている。

 

 

講座・講演会の講義録:目次

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追記:補充解説

 

①.基本的な事柄の解説

◆「霊」と「意識(=魂:語る425⑦)」の関係

「神」によって創られた「宇宙」には「創造者である神」と同質の「普遍的要素としての霊」が「基本的素材(根源的素材)」として遍満している(140⑬、12110⑪)。悠久の昔に「霊の個別化」がなされて「霊(=神)」と「霊が顕現する場所(=魂、意識の領域)」という二重構造が生まれた(→意識は神の一部:3113④)。

この“意識の領域”に霊の顕現が増していくことによって、意識は「集合魂(=動物)」から「個別霊(=人間)」へと進化していく。

 

 

◆宇宙はヒエラルキー構造

宇宙は「神の属性(→愛、寛容さ、叡智、親切、優しさ、思いやりの心、協力の精神など)」の顕現の度合いに応じた階層構造の世界となっている(→「0%、霊性が低い」~「100%、霊性が高い」の範囲内で階層構造になっている)。

その階層構造の世界で全ての存在物は、霊が顕現する場に“神の属性の100%顕現”を目指して「永遠の旅」を続けている(466①、5227②)。

 

 

◆形体をまとって体験を積む

自我の本体たる霊魂、つまり“霊(=神)”と霊が顕現する場である“魂(=意識)”には形体がない。この霊魂が進化していくためには、第三者から見て存在を認識できる何らかの客観的な“形体(→肉体、幽体、霊体、色彩、光輝など)”をまとって、地上体験や霊的体験を積む必要がある。その体験を通して潜在している神の属性 を“魂(=意識、インデビジュアリテイ)の領域”に発現していくことによって、霊的レベルは高まっていく。

この点に関してシルバーバーチは「この意識は私の知る限り無窮の過去より常に存在してきたものですが、それがさまざまな形態を通じて顕現し、その表現を通じて絶え間なく洗練されつつ、内在する神性をより多く発現していく」(3巻113⑤~⑦)として「意識と形体」との関係を述べている。

 

 

上述したように形体なき霊魂が進化していくためには、意識の進化レベルに応じた何らかの形体をまとって体験を積まなくてはならない。体験を積むことによって意識は進化して、さらに高度な形体をまとうことができる。

物的形体をまとって地上体験を積むことに関して「現在人間という形で表現している意識も、かつては動物、鳥類、魚類、植物、その他、無生物と呼ばれているもの全てを通じて表現されてきたのです。これからもその意識は進化と成長を続け、発展し、拡張し、神性を増し、物質性を減らしていきます」(3113⑧~⑩)との記載がある。

 

 

②.人間という霊を「形体」に視点を置いて見る(客観的存在)

◆「霊」+「魂(=意識)」+「形体」

意識が個別霊の段階まで進化すれば、自我の本体たる霊魂は第三者から見て存在を認識できる「肉体→幽体→霊体→色彩→光輝」など、進化レベルに相応しい形体をまとうことになる。そして客観的な形体をまとって“各種体験(物的体験や霊的体験など)”を積みながら進化していく。これが個別霊を形体面から見た客観的存在の場合である。

霊的レベルが同一なものが集まる界層では形体をまとった霊は客観的な存在として認識される(887④~⑤、889⑦~⑨)。

 

 

◆因果律の主体となる

シルバーバーチは「原因はそれ相当の結果を生み、自分が蒔いた種子は自分で刈り取る」(182③~④)、「刈り取らされるものは自分がタネを蒔いたものばかり」(2208①)と述べる。この場合の因果律の主体たる「自分」とは「霊+魂(=意識)+形体」のことであり、狭義のインデビジュアリティ又は一個のダイヤモンドを指す。

 

 

◆個性化の道を歩む主体となる

霊性レベルのアップにより、個別霊は“個性化(→神の属性がより多く意識の領域に滲み出てくる)”を一段と強めて形体がより精妙化していく。この場合の「永遠の個性化の道を歩む」主体とは、形体面から見た「客観的存在(霊+魂+形体)」たる個別霊のことである。シルバーバーチは「(個別霊は)次々と身体を替えながら、無限の向上を続けていく存在」(語る426⑥)という表現で形体(媒体)を説明している。

 

 

③.人間という霊を「意識」に視点を置いて見る(主観的存在)

◆二つの側面

前述したように人間という霊には形体に宿っての“客観的存在(→形体に視点を置く、狭義のインデビジュアリティ)”と、類魂の一員としての“主観的存在(→意識に視点を置く、広義のインデビジュアリティ)”の二つの側面がある。

 

 

◆同一霊格にある類魂の一員という側面

狭義の霊界では「同一霊格で親和性のある複数の個別霊」は、それぞれにグループを作って生活している。この場合に「個別霊A・B・C・D・・・」という客観的存在たる形体面に視点を置いて見るのではなく、意識という観点に立ってグループ全体を見ると「類魂の一員、共有状態にある類魂意識」という意識状態になる。

このように個別霊Aは意識のスイッチを切り替えれば、「個別霊A・B・C・D・・・」が作り出す共有状態の意識の中に入って行ける。これが「同一霊格で親和性のある複数の個別霊」が作り出す「意識が平面的に拡大」した類魂意識のことである。

 

 

◆多様な霊性レベルにある“霊の集団”という側面

狭義の霊界で生活する個別霊は“意識のスイッチ”を「形体」から「意識」に視点を切り替えれば、「同一霊格で親和性のある複数の個別霊」が作り出す「共有状態にある意識」に入って行けると同時に、霊性レベルに応じた「意識の深奥(→拡大した類魂、類魂の延長)」にも入って行ける。

 

 

「個別霊A・B・C・D・・・」は類魂の中心霊Jの側面(457①)なので、Aには形体面から見た個別霊という側面と、意識面から見たJの側面という二面がある。

中心霊Jも「同一霊格で親和性のある複数の個別霊J・K・L・・・」が作り出す「共有状態にある意識」を作っている。この「個別霊J・K・L・・・」もより上位の中心霊Rの側面であるので、Jには形体面から見た個別霊という側面と、意識面から見たRの側面という二面がある。

さらに中心霊Rも「同一霊格で親和性のある複数の個別霊R・S・・・」が作り出す「共有状態にある意識」を作っている。この「個別霊R・S・・・」もより上位の中心霊Tの側面であるので、Rには形体面から見た個別霊という側面と、意識面から見たTの側面という二面がある。

この関係が延々と続いて、最後には神に限りなく近い位置にいる“超高級霊Xの部分的側面”という段階まで到達する。

 

したがって底辺にいる個別霊Aの自我の本体たる「霊」には、“超高級霊の意識(→神の属性が限りなく100%に近い状態まで顕現した意識)”が「超高級霊→〇→〇→〇→T→R→J→A」という具合に流れ込んでくる。そのためAの自我の本体たる「霊」には、各段階の中心霊を経由した「上方からの光」が入っているという表現ができる。

これを“超高級霊X”から見れば、Xの意識の深奥にはそれぞれの段階の中心霊「T、R、J」が入っており、最深部には中心霊Jの部分的側面であるAが入っている。

 

 

④.意識の変遷図の補充解説

<1図、霊界(狭義)>

霊界では個別霊Aは形体面から見た客観的存在と、類魂の一員という主観的存在の二面を併せ持っている。個別霊Aの霊的意識(=インデビジュアリティ)は「同一霊格で親和性のある複数の個別霊」の意識と繋がっており共有状態にある。

 

 

<2図、出生準備段階>

地上に再生することが決まれば「待機状態」に入る。この段階になると個別霊Aの霊的意識の中に、専ら地上的人格が用いる“霊的意識B(地上体験で色付きとなる意識)”、シルバーバーチが例えに用いた“ダイヤモンドの相”に相当する区画された部分意識Bが生まれる。

 

シルバーバーチは霊界の記録簿を調査して母胎に宿る以前の“バーバネル”を選び出した(917①~②、語る22⑦)。この段階ではまだバーバネルが母胎に宿る前のことなので、いわば「霊界の出生リスト表」から選んだことになる。<2図>のAにある“バーバネル”という個別霊の意識A(=インディビジュアリティ)の霊的レベルと、Bにある「今度生まれたらスピリチュアリズムの普及に生涯を捧げると約束した」(10214④~⑤)という決意に着目して地上側の霊媒に選出したのではないかと思われる。

 

 

<3図、地上時代(幼児期)>

幼児期段階ではAとBを仕切る境界線の壁はいまだ未完成である。そのためAに溶け込んでいる「前世の記憶」はABの未完成の壁を通ってBに入り、そして条件が整った時点で幼児の顕在意識たるCに浮き上がってくる。これが時々出現する「前世を話す子供(江戸時代の勝五郎の再生話は有名)」の再生話のメカニズム。

 

 

<4図、地上時代(10代以降)>

この段階になるとAとBを仕切る境界線の壁は完成する。地上的自我の確立と共に霊的意識Bが地上体験によって独特な色に染めあげられていく。本来人間は霊であるので当然に霊的知識を有しているのだが、新たに地上体験を積むために潜在意識のAとBに蓋をする(→Bを地上体験という色で染めて、それをAにとけ込ませる必要から)。

自由意志を行使しながら地上体験を積ませて、人生は“死によって終了するのではない”ということを顕在意識に学ばせていく。そして生き方を変えていく。その過程の体験を持ち帰るのが本来の姿。

しかし多くの人間は地上体験によって、潜在意識の浅い部分には長い間に習慣化・パターン化した悪癖や動物性が過度に強調された性癖が、より深い部分には偏見に満ちた固着観念や宗教の教義、記憶としてため込んだ思想や知識などがとけ込んでいる。人によっては「残忍さ・傲慢さ・貪欲・淫乱」等といった歪んだ欲望が過度に強調されて、その人の地上的人格の一部となってしまった者も出てくる。

 

 

霊媒現象は霊媒の“潜在意識B”にある用語を使う。そのため霊能者と通信霊とのオーラの融合が不十分な場合は、霊界通信に霊能者の“潜在意識B”にある思想や偏見で“色”が付く。マイヤース霊は、自動書記霊媒のカミンズの“潜在意識Bにある記憶の層”に天文学に関する用語が無かったため、通信が送れないとして一時中断して、カミンズに百科事典の天文学の項目を読むように指示した。マイヤース霊が欲しかったのは宇宙に関する用語であって、知識ではなかったという(個人的存在20⑪~参照)。

 

 

<5図、幽界の下層>

地上時代の習慣は長い間に形づくられてきたものなので、死んで物的身体を脱ぎ捨てても好みや習慣、人間的煩悩に満ちた意識は存在する(2149⑬~⑮、724⑫~⑭)。この意識は“地上的人格の残像”として、点線で囲われたCに存在する。人によっては地上人生が“動物性を過度に発現”させるような体験を積んでしまった者もいる。これらが“地上的人格の残像C”や、ケバケバシイ色合いで着色されたBとして存在している。

これらをAが”再生人生に於ける地上体験”として活用するためには、一種の“無害化”を行う必要がある。その場所が幽界の下層である。

 

 

<6図、幽界の上層>

帰幽霊は幽界の下層で生活していくうちに、次第に霊的自覚が芽生えてくる。霊的自覚の芽生えとともに地上的残像であるCが消えて行く。それに応じてAとBを区切る境界線も次第に崩れていく。

 

 

<7図、霊界(狭義)>

6図のBに存在した“無害化”された地上的体験は、AとBを隔てていた境界線の壁が消滅することにより、Aと混じり合う。狭義の霊界では「同一霊格で親和性のある複数の個別霊」もその体験を使用することが出来るようになる(→意識が平面的に拡大した類魂意識として)。

 

 

 

 

 

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