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再生人生と宿命論との違い

☆宿命論(運命論)とは

辞書によれば宿命論(運命論)とは「一切の出来事はあらかじめ決定されていて、なるようにしかならず、人間の努力もこれを変更しえないとする説」と記されている。このように物事の生起に作為的なものを一切認めない点に特徴がある。

これと似た概念に決定論がある。決定論も物事の生起は前もって決定されているとする点は宿命論(運命論)と同じだが、両者の大きな違いは「決定論はなんらかの意志の作用を認めている」点にあるという。

このように物事の生起に作為的なもの、理性的な因果関係を一切認めない宿命論(運命論)は、人間は自由意志を持った個別霊でありロボットではないとするスピリチュアリズムの立場とは相容れない。

 

☆何のために再生するのか

寿命が尽きて“迷子霊(=地縛霊)”にならずに、物的波長から霊的波長への切り替え作業が完了した霊は、相応の霊的レベルに応じた“霊的世界(=幽界)”に進んで行く。そして霊的世界の生活に馴染んでいくに従って、本人の意識の中に次第に“霊的自覚(=霊として何をなすべきかの自覚)”が芽生えてくるようになる。その結果、霊的波長が一段と精妙化して“場所(=霊的環境)”の移動が起きてくる。さらに意識の焦点が“物的な事柄”から次第に“霊的な事柄(=物事の実相)”に移行して行き、霊として普段意識する顕在意識の中から少しずつ地上時代の特徴や性癖が消えていく。地上時代の意識は“本来の私(=インディビジュアリティ)”の中に溶け込んで行き、それに伴って急速に意識が拡大して一段と精妙化して、それに相応しい“場所(=霊的環境)”に移動して行く。

 

霊的波長が一段と精妙化した“狭義の霊界(以下、霊界と呼ぶ)”では、霊的レベルが同一で、しかも完璧な親和性を持った霊たちは「類は友を呼ぶ」、似た者同士は自然と寄り集まるという形で霊的グループを形成している。このグループを「霊的家族(→このメンバーの共有状態にある意識を類魂)」と呼んでいる。幽界の「虚の世界」を卒業して、霊界の「実相の世界」へ移行した“私(=本来の私、インディビジュアリティ)”は、自動的に「霊的家族」のもとに引き寄せられる。この“本来の私”という意識の中に、地上時代に形成した「地上的人格(=パーソナリティ)」が溶け込んでいる。「霊的家族」のもとに帰還した“私”の地上での体験は、霊的家族全員の“直接体験”に変換される。このようにして「霊的家族(=拡大した私)」というグループ全員が、共同で霊的成長を図っていくことになる。

 

個別霊(注1)たる“私(=客観的存在としての私、本来の私)”が所属する“霊的家族(=主観的存在としての私、拡大した私)”が一段と霊的成長をするためには、さらなる地上体験を積む必要がある。そこで“霊的家族”を代表して、一人の個別霊(=客観的存在としての私)が新たな地上体験を積むために再生することになった。その際に個別霊(=客観的存在としての私)が過去の再生時に作ってしまった“地上でしか償えない霊的負債”を、今回の再生時に完済させることにした。

このように再生には主として「新たな地上体験を積む」という側面と「霊的負債の完済」という側面とがあり、これらを通して霊的成長をはかっていくことになる。何の目的もなく霊は機械的に再生して地上人生を歩んでいくのではない。

 

☆再生目的に適した条件を選択する

再生を決意した個別霊は指導霊との協議を行って、今回の地上人生において最も効率よく再生目的を達することができる“出生条件”を設定する。そしてこの“出生条件”を大枠とした再生人生のプログラムを了承して出生することになる。

了承した再生人生は寿命という時間軸(=出生から死までの長さ)と、再生人生で到達する霊性レベルの上限と下限、そして再生目的達成に最も適した「試練・環境・性別・体質」という大枠である。この大枠を地上的視点から見れば「私の人生はあらかじめ決定されている」と言えるかもしれない。しかしこの枠内において自由意志の行使という不確定要素が加わって、いわば「筋書きだけの即興劇」(注2)を演じながら地上人生が進行することになるので、スピリチュアリズムが言う再生人生と宿命論(運命論)とは異なっている。

 

次に出生条件を具体例で説明する(→再生人生は多様なので代表的なモデルケースである)。

最初にAは今回の再生人生で「学ぶべき体験―㋐」や、解消を図りたい「霊的負債―㋐」を特定する。この部分がいわば今回の再生人生のテーマとなる。これが決定したら、Aは㋐のテーマを全うするために最も適した「試練の種類―㋑」を選択する。

その際に選択する“試練の種類”とは大分類に該当する試練を指す。たとえば代表的な試練の大分類項目としては「人間関係の問題(=家族関係、夫婦関係、職場の人間関係など)」「所有欲の問題(=物欲、金銭欲など)」「性・愛の問題」等がある。出生後の時代背景や境遇によって、これらの大分類の中(または複数の大分類の試練が複合的に重なって)から最もふさわしい中分類や小分類の試練が“魂の磨き粉(→試練から受け取る主観的な痛み、この痛みを左右する磨き粉の粒子は個々人によってその粗さは異なるが)“として、アレンジした形でAの面前に登場してくる。

 

たとえばAは「人間関係の試練」を選択したとする。出生後「家族関係(㋑―①)」という形で最初の試練を受けることになった。Aは暴力的な父親のいる家庭に出生したとする。このような家庭環境の中でAがとりうる大まかな選択肢としては、暴力に耐えかねて家出をする道と、じっと耐えて就職や進学という形で穏便に実家を離れる道とがある。Aは自由意志の行使によって前者の家出を選択して、歓楽街にたむろしている不良仲間に入った。

 

このように「㋑―①」に対してどのように対処するかは、その時その時のAの置かれた境遇によって異なってくるので、出生前に細部まで選択してくることは出来ない。Aは大枠内で設定した試練に対して自由意志を行使して、自らの人生を切り開いて行くわけである。いわば自由意志の行使によって「上(=霊性レベルを高める方向)」に行くか、「下(=霊性レベルの停滞を招く方向、負のカルマを作ってしまう方向)」に行くかの選択の余地があるわけである。

この「㋑―①」の対処によって、次に出現する「㋑―②」の具体的な試練の形が決まってくる。この「㋑―②」をAは自由意志の行使によってどのように乗り切るかによって、次に出現する「㋑―③」の現れ方が決定されるわけである。このように大枠内で選択した大分類内にある中小分類の試練を使って再生目的の達成をはかることになる。

 

次にAは㋑の「物的な試練」を無理なく体験できる「寿命―㋒」を選択する。㋒には“糊代部分”がある。肉体は一種の機械なので乱暴に扱えば耐用年数を待たずに壊れるし(→壊す意図で乱暴に扱えば自殺となるので、ここでは壊す意図はないが無知から乱暴に扱う場合を指す。例えば荒れた生活や暴飲暴食漬けの生活など)、メンテナンスを欠かさず丁寧に扱えば耐用年数を超えて長持ちする。この範囲を寿命の“糊代部分”と呼ぶことにする。

 

Aは上記㋐㋑㋒の条件に最も適した「国・民族(=先進国、最貧国、紛争地など)」「両親・家庭環境(=富裕層の家庭、貧困家庭、黒人や白人の家庭など)」「性別(=目標達成に最も適した性別)」「体質(=霊媒体質、気質、障害を持つなど)」を選択する。最後にAはこれらの前提条件に見合う両親を選定して、その子として地上に誕生する。そして「筋書きだけの即興劇」を、自由意志を行使しながら演じて、自らの再生目的の達成に努めている。

このような展開になるので「一切の出来事はあらかじめ決定されていて、なるようにしかならず、人間の努力もこれを変更しえない」とする「人間ロボット説」は、スピリチュアリズムの立場とは相容れない。

 

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<注1>

個別霊である“私”は永遠の進化の道を辿りながらますます個性を強めていく(=内在する神性が徐々に顕現していくこと)が、その“私”には「客観的存在としての私」と「主観的存在としての私」の二面がある。その“個別霊(=人間的存在たる個別霊のことであり天使的存在は除く)”には、一定の霊性レベルに到達するまでは地上体験が欠かせない。

 

<注2>

この世とは、キャリアの異なるそれぞれの役者(→いわばベテラン役者、中堅役者、新人役者などに譬えられる、様々な霊的レベルにある個別霊がオーデションを経て集合する)が、舞台劇を演じるために集合して、大まかな筋書きがあるだけの「即興劇(→細部においては自由意志の行使によるアドリブ劇)」を演じることによって、役者としてのキャリアを積み重ねていく場所であるともいえる。舞台では配役ごとにデザインの異なる舞台衣装をまとって、親の役、子供の役、恋人役、敵役などにそれぞれ分かれて舞台劇を演じている(→各個別霊の再生目的に最も適した役に就いてアドリブ劇・即興劇を演じる)。そして幕が下りれば役者は、それぞれの世界(→霊的レベルと親和性によって引き付けられた本来の界へ戻る)に戻っていくことになる。

 

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1109⑦、110①>

地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生を辿るかをあらかじめ承知しております。・・・私が“魂は知っている”という時、それは細かい出来ごとの一つひとつまで知り尽くしているという意味ではありません。どういうコースを辿るかを理解しているということです。

 

848⑥>

大半のケースにおいて、霊は地上で果たさなければならない目的を持って生まれてきます。そしてその仕事に合った身体に宿ります。ただ、自分は地上でかくかくしかじかのことをしようと決意したその仕事に実際に目覚めるまでに相当な時間を要します。

 

<最後啓示178④>

自分の身体を自分で選んだということは、親も自分で選んだということ。

 

<霊の書136⑥、136⑫>

あなたが選ぶのはどういう種類の試練にするかということで、実際に誕生してからの細かい出来事は、置かれた境遇でそれに対処するあなたの態度が生み出します・・・その時その時の対処の仕方、自由意志の行使の結果によって決まります。・・・霊は再生に際してはあらかじめ一つの人生行路を選び、その人生では大体かくかくしかじかの苦難を体験するであろうと予測します。つまり人生の大まかなパターンを承知の上で再生してきますが、それがどういう形の人間関係や事件・事故となって具体化するかは、置かれた境遇や時の流れの勢いによって決まる性質のものなのです。

 

その他の参照箇所

139④> <482③> <新啓示20⑫> <新啓示132⑤> <霊の書302④~>等

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