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物質至上主義社会における生き方

☆物質至上主義社会

私たちが生活しているこの世では、物質や金銭などの“モノ”をより多く所有し、肉体的健康を維持しながらより高い地位や権威を獲得した者が人生の成功者であると一般には信じられている。このような世界にいま「物質崇拝」という名の巨大な妖怪がはびこり、世界の至る所で「利己主義」という毒素を吐き出している。

1991年ソビエト連邦の崩壊によって、社会主義国家が相次いで資本主義経済に参入するようになった前世紀末、地球規模で「人・物・金」が移動する経済のグローバル化が出現した。この時期以降、情報技術(IT技術)の発達の恩恵を受けた資本主義経済は急激に膨張して、際限なき富の集積という現象をもたらして「世界のトップ富裕層62人の資産と36億人の下位層の資産とが釣り合う」(注5)という巨大な格差社会を出現させた。このような不均衡は至る所で社会の軋轢を生み、さまざまな問題を引き起こすと同時に、国や民族間の対立をも引き起こしている。

 

このような価値の基準が物質の上に置かれた「物質至上主義社会」を反映する形で宗教にも変質が起きている。本来は「死後の問題」や「こころの在り方」を追求するはずの宗教までもが、現世利益を伴った「物質崇拝の信仰」に置き換えられている。このような社会で“あの世の存在(霊の世界)”を曖昧なまま棚上げにして「現実世界をしっかりと生きることが大切」と強調することは、“物質至上主義的な生き方”を奨励することにつながる危険性がある(注1)。

 

☆二つの相反する動き

1990年代の日本は、1982年に始まった「シルバーバーチ・ブーム」が時代の追い風に乗って(→当時吹いていた「精神世界ブーム」という風)、組織の枠を超えて広がり始めていた時期であった。1980年代後半、日本では代表的な「質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」の翻訳本が相次いで出版されていた。さらに1990年代半ば以降に訪れた情報技術(IT技術)の急激な普及は、さらなる追い風となって急速に霊的環境を整備していった。

このように日本では、前世紀末以降の急激な資本主義経済のグローバル化による動きと、「質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」の普及という二つの相反する動きがリンクする形で、同時に展開されている。ここから霊界側の意図を窺い知ることができる。

 

☆「旅人」と「住人」の違い

高級霊のシルバーバーチは「その昔“この世を旅する者であれ。この世の者となる勿れ”という訓えが説かれました」(419⑨)と述べている。「この世を旅する者であれ」とは一時滞在者の「旅人」であり、「この世の者」とは「住人」のことである。

霊的真理を知れば「この世は仮の世」であり、長期滞在者用のホテルに住まう「旅人」という感覚になる。生き方も「死を一つの通過点とした生き方」となっていくため、その地に根を張った「住人」とは価値観を異にし、「モノに対する執着」は格段に薄くなる。

 

多くの人が抱く「住人」的感覚の中には「死後生」が存在する余地がないため、「死を一つの通過点とした生き方」をする「旅人」とは、困難に出会った際の対応の仕方に差異が表れてくる。

著名な脳学者は「精神(心)は物的脳によって生み出された副産物」なので死によって雲散霧消してしまうと述べる。また高名な作家は「生命エネルギーの循環」という概念で死を説明している(注2)。このような考え方の中には「死後生(=死後個性の存続)」の居場所は存在しない。

 

☆イメージ

多くの現代人が持つ「住人」的感覚から連想するイメージは、“航海術(霊的真理)”を学ぶ機会も無く、海図も持たずに“荒海(地上世界)”に乗り出して、“嵐”に翻弄されながらもひたすら航海を続けている姿である。いわば当面の障害物に右往左往しながら「出たとこ勝負」を繰り返す近視眼的な生き方である。そしてボロボロの難破船同様の状態になって“対岸(霊の世界)”にたどり着く。

これに対して“航海術”を学ぶことができた一部の恵まれた人たちは、海図や羅針盤を携えて各自の“船(物的脳や肉体)”を操って“荒海”に乗り出していく。そして対岸にたどり着き、仲間のもとに一段と成長した“船乗り”として戻っていく(→地上という赴任地からまたは体験旅行からの帰還)。

 

☆物質至上主義者の問題点

価値の基準を物質に置いた生き方をしている物質至上主義者は、死は全ての終わりであり敗北であると考えているため、死という現象が理解できず、意識の焦点が何時までも物質に向いた状態が続いてしまう。そのためいつまでも物的波長から霊的波長へ意識の切り替えが完了しないので、地縛霊(→明確な死の自覚が持てないため、意識の焦点がいつまでも物的世界に向いている霊)となる可能性が高い。

 

地縛霊となってしまう可能性の高い人は物質至上主義者だけにとどまらず、死刑囚や殺人の被害者、自殺者のケースもある。

たとえば通り魔殺人やテロなどの被害者は、本人の意に反して無理やり肉体を脱がされてしまうことになる(→強制的に物的衣装を奪われて“学校”を退学させられること)。このような被害者は、地上世界から霊的世界への移行が「本人の意に沿わない」としても、本来は霊として速やかに「霊的波長の調整(→物的波長から霊的波長に感応するための切り替え作業)」を行って、新しい環境に馴染んで行かなければならない。しかし多くの被害者は「霊的波長の調整」が完了せず、いつまでも地上時代の生活を引きずっていることが多い。そのため新しい環境に馴染めず地縛霊となってしまう確率が高い。

さらに“ある事柄からの回避”の手段として自殺を選択した場合には、いつまでも“ある事柄”を引きずってしまうので、同様に地縛霊になる確率が極めて高い(→自殺は自らの意志で学業半ばの状態で“学校”を退学すること)。

 

☆普及運動における霊力の通路

多くの人たちは程度の差はあるが「死は全ての終わりであり敗北である」と考えているため、現状は地上世界から霊的世界へ続々と地縛霊予備軍を送り込んでいることになる(→霊界側も「お迎え現象」等による救済策を講じてはいるが)。これを打開するためには、各自が「死を一つの通過点とした生き方」に意識を変える必要がある。意識の変革のためには最低限「霊魂説」程度の霊的知識の普及が欠かせない(注3)。

 

霊能者は“霊力の通路”であり、霊界から地上に霊的教訓(=霊的知識)や霊的証拠を降ろす際に不可欠の存在となる。しかしシルバーバーチは霊力に反応する一般男女もまた立派な“霊力の通路”としての役割を果していると述べている(注4)。このことは「奉仕は霊の通貨」(11142②)であると述べていることからも分かる。両者の大きな相違点は“霊力の通路”としての影響力、つまり「戦車」の砲塔から放たれる弾丸の破壊力と、歩兵が持つ小銃の破壊力の違いだけである。

 

― ― ― ― ― ― ― ― 

<注1>

☆本居宣長と平田篤胤の違い

国学者の本居宣長(1730年→1801年)は『古事記』を中心に据えた文献学的研究を行ったことで知られている。宣長には現実主義的な傾向があり、また合理主義者の一面もあったため、死後の問題に関してはほとんど関心を示さなかったという。宣長は著書『玉くしげ』で、人智の及ぶところではない「あの世の存在」や「霊魂の不滅性(=死後個性の存続)」などは明確に否定しないまでも、積極的に考えようともしない態度をとった。

このような「否定しないが積極的に考えることもしない」という宣長的な考え方をする人は、現代の知識人にも多く見られる。これに対して平田篤胤(1776年→1843年)は宣長的な「現実的で合理的な思想」に飽き足らず、死後の世界に思索の手を伸ばして『霊の真柱』『仙境異聞』『勝五郎再生記聞』などを著した。

 

☆本居宣長の死後観

現代語訳、本居宣長選集第一巻『玉くしげ』(多摩通信社2007年刊)135頁以下に、宣長の死後観が窺える一文がある。それによれば宣長は、人の死後は善人も悪人も全て「黄泉の国(よみのくに)」へ行くのだから、「魂の行方を知るということは不要」と述べる。「黄泉の国」とは、「地下の根底に在って、根国底国(ねのくにそこのくに)とも申して、甚だ汚く悪き国にて、死せる人の罷りゆくところなり」と。このように宣長の思想は、死後の世界を「汚く悪い世界」と位置付けて、死後の世界に思いを巡らすよりも今ある現実世界をしっかりと生きていこうとする現実志向に特徴がある。

 

☆「他界浄土への往生願望」の衰退

中国人の考え方は極めて現実的であり即物的である。この現世中心主義の傾向は、中国が発祥地である儒教の教えにも表れている。日本の儒教は江戸時代に武家層に定着して、水戸学にも影響を及ぼした(→水戸藩士の会沢正志斎が著した『新論』は、幕末期の尊王攘夷の活動家に影響を及ぼしたが、この著書は儒学理論によって執筆されており、儒学を基礎教養とする武士に広く受け入れられた)。さらに江戸時代全般を通して社会全体の世俗化が進み「他界浄土への往生願望」が衰退していった。

このような事情が背景にあって、本居宣長が述べた「死後の世界のことを考えるよりも現実世界をしっかりと生きることが大切」という現世重視の考えが公然と主張されるようになり、人々に広く受け入れられていった。

 

☆佐藤弘夫著『死者のゆくえ』(岩田書院2008年刊)181頁参照。

佐藤弘夫氏は「目に見えない世界をあれこれ考えるよりも、まずはこの世の生き方を重んじるべきだと言う発想は、儒教などを中心に思想界では一つの揺るぎない伝統を形成していた。仏教でも、原始仏教の段階では死後の世界や霊魂に言及することなく、現世での実践を重視する立場をとっていた。しかし、そうした思想は、人々がみな死後の往生を希求し、他界表象が社会全体を色濃く覆っていた中世の段階では、一般人に受け入れられるべくもなかった。・・・現世中心主義の思想が各方面に於いて公然と主張され、抵抗なく社会に受容されるような客観的情勢が、社会の世俗化と彼岸表象の縮小を背景として、江戸時代においてはじめて実現するに至った。世俗の生活と人倫を重んじる儒学の本格的な受容は、そうした傾向にますます拍車をかけることになった」と記している。

 

<注2>

五木寛之著『玄冬の門』(ベスト新書2016年刊)124頁~130頁、「私の生命観、大河の一滴として」参照

――五木寛之氏は「生命エネルギーの永久運動ということを考えています」「自分がいなくなれば無になるけれども、それは大きな海の中で海水に溶け込んでしまって、そこでもう自分はなくなる。でも、その海水はまた水蒸気となり、雲となり、雨となって降り注いで、また一つの命になる」「自分が消滅する。海のような大きな世界の中に溶け込んでしまう」「自分の生命が溶け込んで消えてしまう。自分は消えるけれども、今度は大いなる海の中に溶解してしまって、大きな生命の循環の中に何か、自分の個性ではなく、個人ではなくて、生命エネルギーみたいなものが繰り返し循環する」「自分の終わりではあるが、生命の終わりではない」(『玄冬の門』125頁~125頁)と述べている。――

 

この五木氏の考え方にはシルバーバーチが述べている「個的存在が消えてなくなる時は永久に来ません。反対に完璧に近づくほど、ますます個性が顕著になっていきます」(新啓示163⑬)や、「人間は霊的に成長することを目的として、この世に生まれてくるのです。成長また成長と、いつまでたっても成長の連続です」(語る348⑪~349②)とは異なる。

 

<注3>

☆「寺子屋」という名称の由来

幕末期には全国に数万あったという庶民のための簡易な教育施設である「寺子屋」は、明治期において学校制度を構築する際の基盤となった。この「寺子屋」という名称の由来は次のように言われている。

鎌倉時代の初期、寺院は僧侶や武士を含む庶民のための教育施設という側面を持っていた。室町時代の末期になると武士の教育は寺院から離れて庶民のための教育施設に変わり、その後江戸初期にかけて寺院は有力な庶民教育の場として存在していた。江戸中期以降、庶民教育の担い手に儒者や浪人が台頭してきて、私塾が数多く開設されるようになった。

このような経緯から江戸時代の庶民教育の主な担い手が寺院から儒者や浪人に移っても、その施設を引き続き「寺」と呼んでいた。そして此処で学ぶ生徒を「寺子」、施設を「寺子屋」、寺子屋の教師を「師匠(手習師匠)」と呼ぶようになった(改訂増補『日本史辞典』京都大学文学部国史研究室編、該当項目参照)。

 

☆江戸時代の教育施設

江戸時代後期になると次のような「教育の場」が存在していた。

諸藩が藩の子弟を教育するために設けた「藩校」、庶民が日常生活に必要な「読み・書き・算術」を学ぶ簡易な教育の場としての「寺子屋」、この中間形態である「郷校(藩校に近い形態と寺子屋に近い形態とがある)」、さらには民間の学者が開設した「私塾(漢学塾、洋学塾、国学塾など)」などが幕末期には全国に数多く存在していた。

質にバラつきはあるものの幕末期にはこのような教育施設が全国に存在していたため、この当時の日本の識字率は世界最高水準にあった。明治政府はこれらの教育施設を母体として、近代化政策の一環である学校制度の構築を短期間で整備することができた。

 

☆「終活」の一つとして

私たちがこの世を生きていく上で最低限必要な霊的知識(=霊魂説)、いわゆる「読み・書き・算術」的な霊的知識を学びたい者は誰でも気軽に学べる「寺子屋(勉強会)」的な場所が、今後全国津々浦々に開設されて、これが発展して自治体公認の「成人講座」として昇格して整備されていけば、参加者が「死のプロセス」や地縛霊にならないための必要な霊的知識を学ぶ場として(→自治体公認というスタイルが参加者に安心感を与えて)、有効に機能していくことができるであろう。

 

幕末期の日本の識字率を世界最高水準に押し上げた要因が多様な民間教育施設の存在にあったが、これと同様に将来「日本における霊的知識の普及」を世界有数に押し上げるための施策の一つが「成人講座」の存在であり、実現すればこの「講座」の果たす役割は大きくなるであろう。

本来これは宗教者が行うべき活動だが「政治(行政)と宗教」という厄介な問題があるので、特定の宗教宗派の色がつかない「終活」の一つという形をとるならば、行政との折り合いがつくのではないだろうか。

 

<注4>

シルバーバーチは霊能者の役割に際して「霊媒というチャンネルが増えれば増えるほど霊的真理という活力あふれる水が地上へ流れ込む」(2182⑮)、「大霊の力はそれを顕現させる能力を具えた人を通してしか発現できません。それが霊媒現象の鉄則です」(新啓示51①)と述べている。

このような文言を目にするたびに、「霊力の通路となりうるのは霊能者のみなのか」という素朴な疑問がでてくるが、別の箇所で一般男女も立派に通路たり得ることを述べている。

たとえば「通路は霊媒に限りません。それとは気づかぬままに通路となっている人も大勢います」(179⑨)、「私たちが欲しいのはそういう道具、霊媒、あるいは普通の男女、その人を通じて霊力が受け入れられ、霊の教えが語られ、知識が伝達されるような精神構造をした人たちです」(3123⑤)、「霊力に反応する人であればいつでもどこでも神の道具となれます」(431⑤)などがある。


 

<注5>

NGO(国際非政府組織)のオックスファムは、2015年に「世界のトップ富裕層62人の資産と36億人の下位層の資産とが釣り合う」と発表していたが、インドや中国の「富の分配データ」が明らかとなったことから2016年にこれを試算し直した。その結果を2017117日スイスのダボスで開催の「ダボス会議(世界経済フォーラム)」に先駆けて、116日に「世界で最も裕福な8人と世界人口の貧しい半分にあたる36億人の資産額が同じ」と言う報告書を発表した。(出典:20171161805分配信のJCASTニュース)

 

 

 

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