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2章、旅立ちの前後

目 次

<Ⅰ.旅立ちの準備>

1.人間の構造

・人間とは何か

・二本の太いシルバーコード

2.「幻視体験」という現象

・アプローチの多様化

・臨死体験

・お迎え現象

・救済処置としての現象

3.「死」という現象

・「死」とは「第二の誕生」

・「臨床的な死」とは

・霊的知識を有することの意味

 

<Ⅱ.死の直後>

1.シルバーコードの切断

・穏やかなシルバーコードの切断

・物的執着の強さと切断の難易度

・霊的無知と物的執着の関係

・急死・事故死

2.死の眠り

・意識が混濁状態に入る

・死の深い眠り

・目覚めまでの時間

3.ガイドとの出会い

・霊的知識の有無と死後の世界への移行

・意識が混乱した状態

・ガイド(指導霊)との出会い

 

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<Ⅰ.旅立ちの準備>

1.人間の構造

☆人間とは何か

スピリチュアリズムでは、人間は「物的要素(物的身体+物的な脳・心)」と「霊的要素(霊的身体+霊の心)」からなり、両者は「中間物質(幽質結合体)」で結ばれていると説明する。この半物質状の「中間物質(幽質結合体)」は、物質化霊(幽霊現象)の際に使用されるエクトプラズムとなったり、シルバーコード(=魂の緒)に変化したりする。

 

このような物的身体と霊的身体という二重の形態を併せ持った人間は、この世において「物的身体」を通して「私という自我」を表現している。そして喜怒哀楽による体験を“魂の磨き粉”として用いて霊的成長を図っている。死によって「物的身体」を脱ぎ棄てれば、霊的世界で「霊的身体」をまとって自我を表現して霊的成長を図っていく。そして自我の本体(→いわゆる“霊の心”の中核部分ともいえる)である「神の分霊」の顕現の度合いを徐々に高めていくことになる。

 

☆二本の太いシルバーコード

物的身体と霊的身体との間には、額部分(第三の目)とみぞおち部分(太陽神経叢)にそれぞれ太いシルバーコードがあり、この他に数多くの糸状の細いシルバーコードが両者間を結びつけている。旅立ちが近づいてくると糸状のシルバーコードが一本また一本と切断されていくため、そのコードに対応した部位に霊的エネルギーが届かなくなる。そのため「耳が遠くなる、軽い健忘症となる、臓器の働きが衰える」など、身体機能が衰えていく。そして最後に太い二本のコードが切断されて旅立っていく。

 

老齢者の痴呆症は、額部分の太いシルバーコードがすり減ったり、切断してしまった場合に起こる症状と言われており、その原因は霊的エネルギーが物的脳に十分供給されず、機能が低下して引き起こされる現象とされている(→部分的に細いコードは繋がっている)。この場合でも、もう一本の太陽神経叢とつながった太いシルバーコードと、他の何本かの細いコードは繋がっているため、これらのコードを通して霊的エネルギーは物的身体に供給されている。そのため脳の指令機能と身体上の諸機能は引き続き維持されている。一般に痴呆症の老人には、肉体の欲求に基づく本能的行動が目立つようになるという。

 

2.「幻視体験」という現象

☆アプローチの多様化

1960年代のアメリカに端を発した文化現象に「対抗文化」がある。「対抗文化」とは「既存の支配的な文化に対抗するもう一つの文化」という意味であり、一般に「人間と自然との共生型の社会を目指す生活様式・思想・運動などを指す言葉」として使用されている。この「対抗文化」は、黒人解放運動、女性解放運動、反戦運動、自然回帰・エコロジー運動、東洋の宗教への指向重視という形をとって、ヨーロッパや日本などの「先進国や消費文化の発達した大都市圏で同時多発的に多様な形態として展開」した。そしてこれらの運動の経験者が「ニューエイジ運動」や「精神世界」などの分野に幅広く参加してきた。

 

この「対抗文化」は、1970年代に入ると「ニューエイジ運動」として定着して、日本においても「精神世界」というジャンルが現れて、霊は宗教から切り離されて語られるようになった。この時期、霊や死後の世界を取り巻く客観的な環境は、世界的に見て大きく変化していった。死後の世界へのアプローチも多様化した。

 

1960年代の後半以降、イアン・スティーヴンソン(Ian Stevenson1918年→2007年)は生まれ変わりの研究を行った。その研究の一端は日本でも笠原敏雄氏の訳による『前世を記憶する子どもたち』(日本教文社、1990年刊)として知られている。

アメリカでは1970年代の中頃から「臨死体験」という現象が注目されるようになった。そのきっかけとなったのは医師のエリザベス・キューブラー・ロス(Elisabeth Kübler Ross1926年→2004年)や、レイモンド・ムーディ(Raymond Moody1944年→ )の研究であった。これらは1980年代にかけて広く知られるようになって、「臨死体験」を学問的研究対象とする動きが芽生えてきた。この研究に心理学者、精神神経医、脳生理学者、宗教学者、哲学者などが幅広く参加してきた。

日本において「臨死体験」という言葉が普通に使われるようになってきたのは、1990年代以降のことである。1991年に放映された立花隆氏による「NHKスペシャル、立花隆リポート」や、立花隆著『臨死体験』(文芸春秋1994年刊)の影響が大きいと言われている。

 

☆臨死体験

一般に「臨死体験」とは、「臨床的に死を宣告された、もしくはそのように見えた者が、その後蘇生した時点で語る、その間の体験のこと」とされている。

スピリチュアリズムでは「肉体の死」を、「物的身体」と「霊的身体」を繋ぐシルバーコード(→半物質状の幽質結合体で“魂の緒”ともいう)が切断された時としている。シルバーコードが切断されてしまえば、二度と生き返ることはない「物的身体の死」となる。そして霊的世界に移行して「霊的身体」を通して「私という自我」を表現することになる。

 

臨床的には死と判定される場合でも、シルバーコードが切断されていなければ生き返ることになる。近年では医療技術の発達によって数多くの蘇生患者が出現して、その間の体験を語る者が出てきている(→臨死体験についてのタブーが薄れて来ていることも関係しているのかもしれない)。これがあの世を垣間見たという「臨死体験」である。“主流派科学”の世界では、「臨死体験」は脳の酸欠状態が引き起こす「脳内現象」にすぎないとする否定派の立場が有力である。しかしスピリチュアリズムでは「臨死体験」とは、「幽体離脱」状態で“死後の世界”の入り口を垣間見た体験であると説明する。

 

唯物論的世界観に立てば「人間の意識の全ては脳細胞の生理学的活動によって説明できる、あるいは将来説明できる」とされている。しかし臨死体験者の報告事例を検証してみれば、すべての患者の体験は「脳が作り出す幻覚である」とすることには無理がある。体験事例を読んでみれば多くの患者に「幽体離脱」が起きていたことが分かる。体験者の報告によれば、その間の本人の感覚は肉体の外にあり、自分の肉体を含めた病室全体を、部屋の上方から眺めていたという。さらに肉体の置かれた位置からは見えないはずの場所で起こった出来事を正確に報告していること。肉体から抜け出している間の本人の意識は、肉体ではなく“分離した自分”の中にあるが、完全に覚醒して意識水準は高く、驚くほど思考が明晰になっていることなど。

このような臨死体験者の体験事例から見えてくることは、物的脳によって意識される“心(→精神・感情・意志・理性・知識・思い・心情等を含んだ複合的な概念)”とは別に、現代科学ではいまだ解明されていない肉体を離れた“心”の存在が強く推測できる。ここから人間とは物的身体と霊的身体を併せ持った二重の存在であることが分かる。

 

☆お迎え現象

終末期医療に携わる“看取り現場”の関係者によれば、以前から死期が近い人たちの中には意識が清明な状態でその場にいないはずの人と会話を交わす患者の存在や、「死んだ父や母が会いに来た」とうれしそうに語る患者の存在が知られていた。そしてそのような患者は間もなく安らかな状態で死んで行くという。これは「お迎え現象」「臨終の幻」「臨終における幻視」「臨終時体験」などと呼ばれてきた現象であり、「死のプロセス」を順調に経るために用意された“旅立ちの準備”の一つである。

しかし医療の現場では「お迎え現象」を見せる患者に対しては、脳の機能不全にあたる「せん妄」であるとか、終末期における「精神の異常」などと診断されて、通常「抗精神病薬」が患者に投与されているという。このように医療関係者の間では「お迎え現象」は長らく表だって語ることが憚られてきた現象であった。

 

近年「お迎え現象」に関する調査研究が『現代の看取りにおける<お迎え>体験の語り―在宅ホスピス遺族のアンケートから』という論文にまとめられて、東京大学『死生学研究』第9号(20083月)という学術誌に掲載された。医療関係者の間でこの論文の反響は大きく、その後各地で同様な調査が行われているという。

ある報告によれば調査対象患者の4割がこの「お迎え現象」を体験して、この体験者の9割近くの人たちは、死に対する受け止め方に変化が生じて安らかな気持ちに浸った状態のままで穏やかな最後を迎えたという(→調査によって割合にバラつきはあるが)。これ以降、風向きが変わり、今“看取り現場”では「お迎え現象」が話題になっているという。

 

☆救済処置としての現象

霊界通信によれば死期が近づくと、「中間物質(幽質結合体)」の中で霊的世界における身体である幽体の形成が急速に促進されるという(→この幽体は中間境に滞在している間に完成する)。

現代は唯物論が社会の主流を占めており、「霊肉実体二元論」に基づく「スピリチュアリズム思想(Higher Spiritualism)」は全く無視されている。その結果、高級霊が「霊界の悲劇」と呼ぶような「霊的に無知な者」をこの世からあの世に送り込んで、霊的世界の落ちこぼれである「地縛霊(→死によって肉体を棄てたにもかかわらず本人は死を自覚せず、いまだ肉体があると信じて意識が地上世界に向いている、霊的調整が完了しない霊のこと)」を数多く作り出しているという。

 

将来霊的知識が広く行き渡って、多くの人が「死とは何か」や「死後の世界」に関する理解が進むようになれば、死の前後における環境の変化にもスムーズに対応できるようになり、霊的世界の落ちこぼれである「地縛霊」問題も、地上側の努力で減らすことが可能となる。霊的知識の普及が進んでいない現状では、過度的な救済策として、霊界側は愛に基づく「お迎え現象」を用意して「地縛霊」の出現防止を図っているのではないだろうか。

 

3.「死」という現象

☆「死」とは「第二の誕生」

スピリチュアリズムの観点から見た「死」とは「シルバーコードの切断の瞬間」であり、それは「私という自我」が肉体的束縛から解放される時であることを意味する。

スピリチュアリズムの立場では、「死」をこの世からあの世に移行する一つの関門、永遠に続く旅の一つの“通過点(チェックポイント)”としてとらえている。このような形で「死」を理解することが出来れば、“死んでいく者”にとっては「死」に悲しみは伴っていない。他方家族や親しい者にとっては“残された者の悲しみ”が生じることが多い。このことは高級霊が「死は地上生活の労苦に対して与えられる報酬であり、解放です。いわば第二の誕生です」「あとに残された家族にとっては悲劇となることがありますが、死んだ本人にとっては少しも悲しいことではない」と述べていることからも分かる。

 

☆「臨床的な死」とは

物質次元から見た「死」とは、生命現象の終息という一つのプロセス、または人間という物的生命体の自己崩壊過程として現れる。プロセスとして「死」を見れば、そこには「脳死の段階→心臓死の段階→細胞死の段階」という形で時系列に出現する。

たとえば脳疾患の末期的な病態に陥った患者は、まもなく脳死状態となって医師は「臨床的脳死診断」を行う。診断の結果「脳死」と判定された患者の治療は、それ以降必要最小限となるため、一定期間後に「心臓死」に至る。心臓が停止すれば血液は循環しなくなるので「細胞死」となり、腐敗が始まる。このような順序で死のプロセスが進行して行く。臨床現場では臓器移植が伴わなければ、どこかの時点で死の診断(→慣行的な三徴候死の有無)を行い、死と診断する。これが法律上の死亡時刻とされる。

霊的に見た場合は、シルバーコードが切断されていなければ「死」ではないので、「臨床的な死」と「霊的な死」とは必ずしも一致しない。そのため「霊的な死」ではないが、臨床的には「死」であるという状況下で、臨死体験が起きることになる。

 

現在の日本では「死者」には、「法的脳死者」と「心停止による死者」の二種類が存在している。前者の「法的脳死者」には誤診による“生者へ復活の道”がないこと、脳細胞は死んだが脈や体温はある、などの点が指摘されている。「法的脳死者」にはこのような問題があるため、識者の間では「死とは何か」「脳死は人の死か」「脳は本当に身体の有機的統合性を統御しているのか」「脳の状況を正しく診断できるのか」などといった論議がなされてきた。

 

☆霊的知識を有することの意味

私たちは見知らぬ土地を旅する場合には、その土地を知るためにガイドブックを買ってきたり、インターネットで調べたりして、事前に知識を仕入れて旅行計画を練るなどを一般的には行っていると思われる。少なくとも何の予備知識もなく見知らぬ土地を訪れたりはしないはずである。しかしこれが「死」というテーマになると途端に大部分の人たちは「縁起でもない」として忌み嫌い(→なぜなら「死は敗北」という観念が根強く支配しているから)、まともに考えて見ようともせず「死の先送り」現象という思考停止状態に陥る。

 

このように一般人があまり考えようとしない「死とは何か」や「死後の世界」のことを、この世にいる間に学んで理解しておけば、「地縛霊」とならずにすみ、旅たち前後の環境の変化にもスムーズに対応できることになる。またスピリチュアリズムではこの世を「学校」と呼んでいるが、基本的な霊的知識があればこの「学校」で霊的に成長するというテーマをクリアすることもできるようになる。

 

<Ⅱ.死の直後>

1.シルバーコードの切断

☆穏やかなシルバーコードの切断

物的身体と霊的身体との間には、二本の太いシルバーコードと糸状の細いシルバーコードがクモの巣状に張り巡らされている。寿命を全うした人の死の場合(一般的な病死を含む)は、両者を結んできたシルバーコードが時間をかけて、穏やかに一本また一本と切断されてきており、無理なく両者の分離は完了する。太いシルバーコードの切断の瞬間(=死の瞬間)は、一般にはほとんど意識がなく、深い眠りに襲われる。この状態を「死の眠り」と呼んでいる。

 

☆物的執着の強さと切断の難易度

一般に物的執着の激しい人は、その執着程度に応じて物的身体と霊的身体との結びつきが強くなっている。そのため例外的にシルバーコードの切断に長い時間を要する場合があり「死のプロセス」の難易度は高くなる。ケースによっては、何時までも完了しない状態が続くことがある。

「枯れた老人」などという言葉もあるとおり、従来人間は老いて行くに伴って物質的・精神的に執着が薄くなっていくと言われてきた。この「枯れる現象」は「死のプロセス」を穏やかに進めるためにも必要な現象であるが、現代は「枯れた老人」とは縁遠い、何事にも執着心旺盛な老人を多く見かけるようになってきた。そのため「死のプロセス」の難易度は格段に高くなっているように思える。

 

☆霊的無知と物的執着の関係

霊的な無知と物的執着との関係について、高級霊は「あの世の存在を知らないと、それだけ激しく肉体に執着する。いつまでも肉体に入った状態でいようとする」述べる。なぜなら精神(心)は物的脳の副産物なので、死んだら精神(心)は雲散霧消してしまうと考えているから。そのためボロボロになった肉体に、いつまでもしがみ付かざるを得ない状態が生まれてくる。

 

特異な事例として、霊界通信にはギロチンによって死刑が執行されて「肉体の死」を迎えたが、いまだシルバーコードが切断されてないため霊的には死んでおらず、そのため切り離された頭部から霊が離れなかった死刑囚の話がある。この死刑囚の場合は、肉体的には頭部が胴体から離れた時点で死んだと言えるが、霊的に見ればシルバーコードが繋がっているので未だ死ではないという残酷な状態となっている。

 

☆急死・事故死

シルバーコードが急激に、しかも無理矢理切断される場合として事故死や戦死がある。事故死や戦死の場合は、霊的に死の準備が整っていない状態でシルバーコードの切断が起きるので、一般には急激な霊肉分離に伴う“ショック状態”を引き起こすことになる。このような場合に「霊的知識の有無」が霊的調整期間の長短を決定づける要素となる。霊的知識がない霊の場合には、霊的なショック状態を緩和するための調整が必要となって、長い休養期間が必要となる。

 

急死した霊のための特別な施設が、この世に接した霊の世界(→中間境または冥府)には用意されている。この施設で死後の世界への適応力がつくまで、長時間の睡眠と休息をとることになる。その期間は死者に霊的知識が有るか否かで異なる。睡眠や休息を通して霊的調整が行われるからである。

 

2.死の眠り

☆意識が混濁状態に入る

物的身体と霊的身体は死の瞬間まではシルバーコードによって繋がっている。そのため物的脳からの情報はシルバーコードを通して、霊的身体の“心(→広い意味で考えれば、心の中核部分に自我の本体が内在するとも言える)”に届けられるので、その領域で肉体の苦しみは感じ取っている。しかし一般的な死の場合は、死の前から物的脳の機能は低下しており、次第に意識は混濁した状態に陥って行くため、肉体から発せられる苦しみという情報を物的脳は処理できず、シルバーコードを通して霊的身体の心に送れない。死に行く者が病床で見せる苦悶の状態に周囲の者は心を痛めるが、これは単に肉体上の変化や反応によって起こる現象である。本人自身の霊的身体にある“心”は苦しみを味わうことはない。

 

☆死の深い眠り

死の直後は深い眠りに入るのが一般的である。なかには例外的に物的身体から徐々にシルバーコードが切断されて、霊的身体(中間物質や幽体の原型)が肉体から離れていく“自分の死の状況”を、リアルタイムで守護霊から見せてもらえる人もいる。

 

一般にこの深い眠りの中で自我の本体の表現器官を、物的身体から霊的身体に移行させるための調整が行われる。たとえばパソコンでソフトをインストールする際に、起動している“基本ソフト(operation system)”があれば“ソフトの改変”を行うことはできない。そのため再起動して“ソフトの書き換え”を完了させる場合がある、この現象と似ている。

事故死や戦死の場合は、急激なシルバーコードの切断によって眠ることが出来ず、地上をさ迷ってしまうことがある。この場合でも死者に「死の自覚」が芽生えてくると、急激な眠気を催すようになる。霊的波長の調整を行うためには眠ることが必要だからである(→再起動して“ソフトの書き換え”を完了させる必要があるため)。

 

☆目覚めまでの時間

死の眠りから目覚めまでに要する“意識の回復時間”は、寿命を全うした「通常死」か、あるいは事故死や戦死等の「異常死」か、さらには死者に霊的知識があるか否かなどによって異なる。一般には霊的知識がない、迷信にがんじがらめに縛られている、間違った来世観や教義・神学を持っているなど、これらは死後の目覚めを妨げる原因となる。この場合は死後の世界への適応力が付くまで、長時間の睡眠と休息が必要となる。なお事故死等の急死の場合であっても、霊的知識があれば霊的調整は短時間で済み、霊的世界に速やかに移行できる。

 

3.ガイドとの出会い

☆霊的知識の有無と死後の世界への移行

正しい霊的知識を持った人で寿命を全うした場合(→肉体という“機械”の耐用年数を使いきった場合)は、死に方があっさりしているので、死に際して苦痛を伴うこともなく、霊的世界への順応もスムーズに行われる。この場合は中間物質の中で幽体が十分に形成されてきているので、自然に肉体から離れる時期にシルバーコードの切断という形で死が訪れる。そのため死後の霊の調整期間も短くてすむ。

 

霊的知識がない死者の場合には、霊界側が用意した「お迎え現象(臨終時体験)」という救済処置がある(→当然に全員が「お迎え現象」を体験するわけではないが)。死後の世界を信じていない人の場合でも、この体験をすることによって従来までの「霊的な頑なさが取れて(死を怖がらずに)穏やかに死んでいく」ことができる。「お迎え現象」は死者に穏やかな心の状態を作り出して、スムーズに「死のプロセス」が進めるように導くガイド(指導霊)と難なく出会わせる働きをする。出会いから先のプロセスは、ガイドの言葉に素直に従えるか否かにかかっている。

 

しかし「お迎え現象」を体験した人の全てが「明確な死の自覚」を持って、死のプロセスを順調に辿って行けるという訳ではない。体験者の中には、霊的知識がないので地上的な常識に強く囚われて頑強に死後の生活を否定する人や、宗教上の理由から間違った来世観が染み込んで素直に死後の生活を受け入れない人もいる。このような人の場合には、物質の世界から霊の世界への移行に速やかに順応できずに、睡眠に似た休息の状態を“死の自覚”が自然に芽生えてくるまで続けることになる。休息の結果、大半の人は自分が死んだことを自覚できるようになるが、次のステップである「霊的自覚」を持つまでは相当な時間がかかる。

 

事故死とは死の準備が整っていない状態で、物的身体から霊的身体を“生木を裂く”ように力まかせに引き剥がす現象なので問題が多い。急死した人が「霊的知識あり」の場合は、霊的調整期間(→急激な霊肉分離に伴うショックを緩和するための霊的処置を行う期間)を経て、比較的早く「明確な死の自覚」を持つようになる。

事故死で霊的知識がない場合は、霊的調整のための長い休養期間が必要となる。その期間は正常死のケースより長くかかる。地縛霊となって地上圏をうろつかないためにも、速やかに休息(眠ること)を取る必要がある。霊肉分離が本来の過程を経ずに急激に引き剥がされるためのショックを、休息(眠り)の中で調整していく必要があるからである。

 

少なくとも最低限の霊的知識(→「霊魂説」のこと)さえあればスムーズに霊的世界に順応していけるので、霊的知識を持つことの重要性がここからも分かる。高級霊は「霊的なことを何も知らない人は、死という過度的現象の期間が長引いて、なかなか意識が戻りません。さしずめ地上の赤ん坊のような状態です」。これに対して霊的知識があれば「完熟した果物が自然に落ちるようなものであって、そういう場合には、死は極めて穏やかであり、霊界への目覚めもまた安らぎに満ちたものとなる」と述べている。

 

☆意識が混乱した状態

霊界通信によれば地上世界から霊的世界への移行は、あっさりとごく自然な形で行われるという。たとえば「死後の眠り」からの目覚めは、ぐっすりと眠ったあとの目覚めの感じに似ていること。あの世で目覚めて周りを見回すと環境が地上世界と酷似していること。生前の物的身体と同じ姿形をしていること。さらに生前と同一の意識状態を変わらずに保っていることなど。このように自然な形で霊的世界に移行するため、自分が死んだことになかなか気が付かないという。

 

このように死の自覚が生まれにくい中で、意識が混乱した状態に陥る死者も多い。死の直前まで病床で苦しんでいる死者の周りで、あわただしく動き回る医療スタッフ、それらを見守る近親者。このような中で死者は眠りに陥り、目覚めると深い霧に覆われたような静かな場所に一人佇んでいる。生前のあわただしい病室から、一転して静かな環境に置かれた死者は、このような環境変化に、次第に精神的に不安定となって意識が混乱した状態となる。この混乱した状態の中で「自分は死んだのかな?」「死んだのかもしれない」「ここに自分の体があるので死んでいるはずはない」など、意識が激しく揺れ動く。この混乱状態がひどい場合は、死者は霊的波長を調整するため「再び眠る」ことになる。

 

☆ガイド(指導霊)との出会い

死者の意識が混乱した状態にある中で、死んだことを「明確」に悟らせるために、主に血縁者や知人などが“ガイド(=指導霊)役”となって死者の前に“物質化”して現れて(→本来の霊的波長から帰幽霊の波長まで下げて姿を現すので一種の物質化現象と言える)、死のプロセスを完了させるための手引きをしてくれる。

ガイドは意識が混乱した状態にある死者に対して、死んで霊の世界に移行してきたという事実を、さまざまな方法によって悟らせようとする。霊界通信によればガイドは、死者自身の遺体を空中から見せたり、近親者が死者の遺体に取りすがっているのを脇で眺めさせたり、死者自身の葬式を近くで見学させるなど、あらゆる方法を使って「自分は死んだ」ということを死者に理解させようと努めるという。

ここにおけるポイントは「明確な死の自覚」を死者が持てるか否かにある。この自覚を持つまでに時間のかかる霊は多いという。

 

死者が「明確な死の自覚」を持つことを妨げる原因には次のようなケースがある。

間違った宗教の教義を固く信じていた者、強い唯物思想の持ち主、強烈な知性で自らの世界観を作り「知的牢獄」に閉じこもった者など、このような者はガイドの助言を素直に聞かない傾向にあり、死という現実をなかなか受け入れないという。また遺族が必要以上に悲しみの想いを持つことは、その想いが死者に届いて、いつまでも死者の意識を地上に向けさせることにもなる。このようなことが原因となって「明確な死の自覚」を持ちにくくさせている。ガイドの努力の甲斐もなく自分が死んだことを理解しない死者は、地縛霊となって自分が作った想念の世界で「明確な死の自覚」が芽生えるまで生き続けることになる。

 

 

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