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スピリティズム:注記

<注1>

スピリチュアリズムがフランスに流入した経緯は次のように説明されている。

■田中千代松著『新霊交思想の研究(改訂版)』(共栄書房1981年刊)68頁参照。

――イギリスで流行した“テーブル・ターニング”が1850年初頭にグルデンスタッブ男爵やドールチェ伯爵らによってフランスに持ち込まれ、これが流行病のように浸透した――

■イヴォンヌ・カステラン著、田中義廣訳『心霊主義』(白水社・文庫クセジュ1993年刊)11頁。およびイヴォンヌ・カステラン著、田中義廣訳『超心理学』(白水社・文庫クセジュ1996年刊)56頁参照。

――1853年に別の宣教団がドイツに上陸し、心霊術の流行を引き起こしたが、この流行はほとんど同時にフランスにも達した――

■稲垣直樹著『フランス心霊科学考』(人文書院2007年刊)45頁。およびジョン・ゲロフ著、笠原敏雄訳『超心理学史』(日本教文社1998年刊)52頁参照。

――フランスでのブームぶりは、1853514日付けのフランスの新聞『イリュストラシヨン』の記事からも窺える。「ヨーロッパ全体、いや、ヨーロッパどころか、目下、全世界が、テーブルを回す実験に憂き身をやつしている。太陽の周りを回っているのは地球のほうだということを証明した日のガリレイに、勝るとも劣らない大騒ぎだ」――

■なおスピリチュアリズムは、1850年代半ばまでにはヨーロッパ全土に広まって、霊媒や交霊会がほとんどの国や階層で見られるようになった。

 

<注2>

■オーストリアの医師、フランツ・アントン・メスマー(Franz Anton Mesmer1734年→1815年)は、動物磁気(メスメリズム:mesmerism)の提唱者。メスマーは「重力や磁力に類似の特性を持つ生物学的な結び付きを動物磁気」と名付けて、動物磁気による治療を開始したことから広まった。メスメリズム(暗示による変性意識状態)を施された患者がトランス状態で透視を行う事例(メスメリズム透視)や、催眠下で霊が乗り移って話したという現象も報告されている。メスマーの概念が発展して1842年にジェームズ・ブライド(James Braid1795年→1860年)による催眠術の誕生へとつながった。

■メスマーが提唱した「動物磁気」とは、「肉体(生体磁気)エネルギー」のことを指す。心霊治療でいうところの「マグネティック・ヒーリング」に分類されるもので、この「肉体(生体磁気)エネルギー」は、鍼灸や指圧、マッサージ、整体、カイロプラクティックなどに用いられているものと同じである。

 

<注3>

■イヴォンヌ・カステラン著、田中義廣訳『超心理学』(白水社・文庫クセジュ1996年刊)56頁。およびイヴォンヌ・カステラン著、田中義廣訳『心霊主義』(白水社・文庫クセジュ1993年刊)11頁参照。

――パリの科学アカデミーは、シュヴルール(フランスの化学者:ウジェーヌ・シュヴルール)、ファラデー(イギリスの有名な物理学者・科学者:マイケル・ファラデー)、バビネ(フランスの物理学者、天文学者:ジャック・バビネ)らとともに、反対の立場をとった――

 

<注4>

■粕川章子著『D・D・ホームの霊能』(日本心霊科学協会1957年刊)57頁以下の記載によれば、「ホームの名声が上がると同時にあくまで偏見を持つ人々の敵視も激しく、彼の身辺は危険になったが、1855125日夜わが家に入ろうとする時、兇漢の襲撃を受けた」とある。ホームの心臓を狙った兇漢の最初の一撃は、幸運にも内ポケットに入れてあった玄関の鍵が受け止めてくれた。その後の数度のナイフによる突きは、すべて毛皮の外套等の衣服が防いだため、ホームは軽いケガで済んだという。この事件の後、ホームの霊能は一時中断(18562月~18572月の期間)している。

■同様な事件は日本でも起きている。大正から昭和初期にかけて念写・透視能力者として活躍した三田光一は、大正7年(1918年)214日夜、暴漢に襲われて人事不省の重傷を負っている。この傷害事件には伏線があった。大正7212日に大日本衛生会講堂で行った念写と透視の実験会で、「種板とフィルムの管理者」の一人である本田親二は、「三田が初めから“学宝”と文字の入ったフィルムを用意していて、それを“すりかえる”ために自ら都合のよい注文をした」と述べた。三田の詐術が明らかにされたといわれる事件である。

大正7215日付の東京朝日新聞は「千里眼三田光一暗撃(やみうち)さる」として事件を報道している。このような傷害事件があったにもかかわらず、当時の新聞報道は被害者である三田に冷たかった。

 

<注5>

■三浦清宏著『近代スピリチュアリズムの歴史』(講談社2008年刊)187頁参照。

■田中千代松著『新霊交思想の研究(改訂版)』(共栄書房1981年刊)8頁の記載によれば、霊的世界の存在と顕幽の交流は科学的に証明が可能であるとの認識に基づいた「新スピリチュアリズム(Modern SpiritualismNew Spiritualism)」の思想が、初めて出版物となって刊行されたのは、キャプロン著『新スピリチュアリズム―その事実と熱狂』(1855年出版)であるという。

 

<注6>

■稲垣直樹著『フランス“心霊科学”考』(人文書院2007年刊)242頁参照。

カルデックは「19世紀的な科学主義の信奉者」でもあった。カルデックは『霊媒の書』(1861年出版)の初版本のタイトルを『実験スピリチュアリズム。霊媒の書あるいは霊媒および霊能者の手引き』としている。なお『霊媒の書』の初版(1861年)のタイトルに関して「カルデックは実証科学としてのスピリティズムの特質を明確に打ち出した」(前著242頁)ことの表れであると述べている。

■スピリティズムは「再生とカルマ」や「スピリチュアリズムの立場からキリスト教を解釈し直す」ということを主要テーマにしたため、カルデックの意図(=実証科学としてのスピリティズム)とは反対に、より精神性、宗教性を帯びていくことになった。

 

<注7>

■浅野和三郎著『世界的名霊媒を訪ねて(旧題名、欧米心霊行脚録)』(心霊科学研究会1949年刊)3頁~5頁参照。

浅野は「spiritualism(スピリチュアリズム)」の日本語訳について、従来は「新霊魂説」「新精神主義」「心霊主義」「神霊主義」等の名称を当てていたという。浅野はISF大会に出席するに際して、「spiritualism」に対応する訳語を確定させておきたいとの思いがあり、今後は「神霊主義」という訳語に確定させると述べている。

浅野は「心霊研究は純然たる一の科学であり・・・神霊主義は右の結果を取り入れ、これを基本として組み立てられる哲学であり、また信仰でありますから、当然すべての心霊研究者が、神霊主義者になるというわけにはまいりません」と述べている。浅野は「スピリチュアリズム(Spiritualism)」の訳に「神霊主義」を用いたことによって、「スピリチュアリズムの宗教性、信仰性」志向を強めていった。

■当時の政府は「神道は非宗教である。神道(皇室の宮中神道含む)は宗教にあらず」「神道は治教である」「神社神道は宗教ではなく国家祭祀である」として、神社全般を非宗教と考えていた。浅野自身も神道は非宗教と考えていた。なぜなら大本時代に「皇道大本は宗教ではない。我が古神道の復活である。人倫、道徳、政治、宗教、其の他一切の大根源である」(浅野和三郎著『大本霊験秘録』239頁)として、大本教や古神道は非宗教なので「皇道大本の沿革教義」のダイジェスト版を新聞や雑誌に掲載させようと熱心に交渉したことからも分かる。

このように当時の支配的宗教である神道は非宗教であるとされたため(→神道は宗教でないとの政府見解なので、国家祭祀の出先機関である神社に参拝しないクリスチャンは弾圧された)、浅野にはスピリチュアリズムの中に意図的に宗教性をもたせようとする意識はなかった。しかし神道(当時は非宗教だが)は信仰であるので、接ぎ木したスピリチュアリズムは宗教性を帯びたスピリチュアリズムとなった。

和製スピリチュアリズムは「イギリス系のスピリチュアリズム」の系統にあるが、再生(分霊再生)を認めたことや、スピリチュアリズムに宗教性(信仰性)をもたせたことなどから変質して普及して行った(→この点からすればスピリティズムに近い)。このことからスピリチュアリズムの普及は、その国や民族が有する風習、宗教、習俗などと容易く結びついて、実情に合った形でアレンジされて普及して行くということが言える。

■浅野和三郎の兄の浅野正恭は、「心霊主義」と「神霊主義」の違いを明確に述べている。「心霊主義はこの霊魂の状態、ならびにその動静等に関する一切の研究をするものである。神霊主義は心霊主義の一切を認め、その基盤の上に立ってさらに帰幽した霊魂とは異なる神の存在を認め、可能とする範囲において、この神と交渉の路を開こうとする点にある。これが神霊主義と心霊主義が同一でないことの主な点である」(春川栖仙編『スピリチュアル用語辞典』ナチュラルスピリット2009年刊、178頁~179頁)。このように神霊主義に宗教性を認めている。浅野和三郎系統に立つ古参のスピリチュアリストは、ほぼこの立場に立っている。

 

<注8>

■近藤千雄氏によれば「カルデックは霊界通信によってスピリチュアリズムに入り、当初は物理的心霊現象を軽視していた。さらに、スピリチュアリズム史上もっとも多彩な現象を見せたD.D.ホームと会った時に、ホームが個人的には再生説を信じないと言ったことで、ますます物理現象を嫌うようになった」「フランスの心霊現象の研究は、カルデックの現象嫌いで二十年ばかり遅れたと言われる」(アラン・カルデック編、近藤千雄訳『霊の書』スピリチュアリズム普及会1996年刊、5頁)という。

■スピリティズムとは「カルデックの教義に基づく教え」のことを指す。つまりアラン・カルデックの『霊の書』『霊媒の書』『スピリティズムによる福音』『天国と地獄』『創世記、心霊主義による奇蹟と予言』など、スピリティズムの原典にある原理や体系のことをいう。カルデックの著書は、霊界主導でまとめられた『霊の書』『霊媒の書』と、カルデックの思想が前面に出ている『天国と地獄』『スピリティズムによる福音』など、二つの範疇に分けられる。後者にはカルデックの思想が反映されており「スピリチュアリズムの黎明期に出版された著書」という時代的制約があるので、「スピリチュアリズム=カルデックの教義に基づく教え」には限界が感じられる(特に“再生理論”は顕著な事例)。

 

<注9>

■稲垣直樹著『フランス“心霊科学”考』(人文書院2007年刊)270頁~272頁。280頁~284頁参照。

■山田政信著「カルデシズム:近代心霊主義の成立とブラジルにおける展開」『アメリカス研究』第5号(2000年:天理大学アメリカス学会発行)所収、68頁~69頁に、「カルデックは、隠されたイエスの言葉の裏のメッセージを理解するためには、カルデシズムの新しい考え方と知識、そしてそれを裏付ける科学の発展が必要であったという」。さらに「人々が真理を理解することができるレベルに到達したので、キリストの教えを補完するためにエスピリティズモが現れたのだ」とも述べている。モーゼスの霊団のようにキリスト教の教義と全面的に争う姿勢は見せていない。

山田政信氏は「カルデシズムは、キリスト教を補完する教えとして生まれた」(前著81頁)と述べているが、この立場は折衷的な「キリスト教的スピリチュアリズム」に行きつく。モーゼスの『霊訓』を読めば分かる通り、スピリチュアリズム(スピリティズムも同じ)は、キリスト教神学を厳しく糾弾している。

 

<注10

■全米スピリチュアリスト連盟(1893年創設:National Spiritualist Association of the United States was organizedNSA)が採択した定義が有名。

この定義によれば「スピリチュアリズムは霊能者が霊界に住む者たちとの交信によって一般に提供した事実に基づく科学、哲学、宗教」である。霊能者が提供した事実や自然発生的霊現象(幽霊、ポルターガイスト現象など)を調査し分析し分類するから「科学」。それらについて思索し、霊界や人間界及び自然界に通ずる法則を模索するから「哲学」。それら全体が神の業であるという認識に至ることによって「宗教」となる(田中千代松編『新・心霊科学事典』潮文社1984年刊、107頁)。

スピリチュアリズムを究めて行けば、当然に「生き方の指針(=実践哲学)」としての比重が高まっていくので(→知識には責任が伴うから)、スピリチュアリズムは宗教性を帯びていくことになる。

■田中千代松著『新霊交思想の研究(改訂版)』(共栄書房1981年刊)325頁参照。

――1947年イギリスのボーンマスにおいて、国際スピリチュアリスト連盟(International Spiritualist FederationISF)を復活するための協議会が開かれた。この会議において翌年ハイズヴィル事件百周年に合わせて開催することが決定した。1948331日ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで「新スピリチュアリズム百年記念祭」が行われて、これがISF復活後の第一回会議となった。この会議で「新聞街の法王」ハンネン・スワッファーは講演を行った。その中で「スピリチュアリズムは、世界宗教の基礎を形成し得る世界唯一の宗教である。これなくんば、新たな世界は誕生しえない」として、スピリチュアリズムの宗教性に言及している――

■田中千代松氏は『高等霊交思想についての考察』の中で「スピリチュアリズムは、本質において宗教的な一運動を意味する」(21頁)と述べている。また「唯物的思考に盲いた人々に、なんらかの心霊現象の体認を与えることは、一種のショック療法として必要である」として、「心霊研究裾野論」を述べている(41頁)。

 

<注11

■イヴォンヌ・カステラン著、田中義廣訳『心霊主義』(白水社・文庫クセジュ1993年刊)50頁以下。および藤田富雄著「ブラジルにおけるカルデシズムの一考察」:神奈川大学人文学研究所編『インディアスの迷宮』(勁草書房1992年刊)所収、158頁以下参照。

 

<注12

■アラン・カルデック著、浅岡夢二訳『霊との対話』(幸福の科学出版2006年刊)256頁、257頁、259頁、260頁、278頁、292頁参照。

フェルチエの話は「テーブルを磁気化して回転させたり、思いのまま動かしたりすることができるようなのですよ」「テーブルを磁気化して動かすだけでなく、テーブルに話をさせることも可能になったのです。テーブルに質問すると、なんと、その質問に答えるのです」といった“回転するテーブル”の話であった(前著256頁、257頁)。

■カルデックは論理的な思考の持ち主であったので、当時は心霊現象に対しても「今日、いまだにそれらの現象を信じないでいる人々と同じ立場に私はいたのである。つまり、自分が理解できないことに関しては、それを存在しないと見なす立場である」「それは明らかに自然法則に反すると思われた。私の理性はそれを受け入れることを拒否していた。私はまだ、そうした現象を何一つ見ていなかったのである」(前著256頁、257頁)という態度をとっていた。

18555月頃、カルデックはフォルチエとともに夢遊症者のロジェ夫人の家を訪れて、そこでプレヌメゾン夫人と会った。その席で翌週の火曜日の夜にグランジュ・バトリエール街にあるプレヌメゾン夫人の家で行われる交霊会に誘われた。

交霊会当日、カルデックは初めて「回転し、飛び跳ね、動き回るテーブルを、目の当たりにした。それは、疑いをさしはさむ余地のない状況のもとで行われた」「私は大いに興味を掻き立てられた。そうした現象には原因があるはずだった」「私には、それらの背後に極めて重大な何か、新たな法則のようなものが隠されているように感じられた。そして、それを探求してみようと考えた」(前著259頁、260頁)と述べている。

1856617日ボタン家の交霊会(霊媒ボタン嬢)では、“真実の霊(聖ルイ)”から「この最初の作品がどれほど重要なものであろうとも、それはまた、ある意味では大いなる全体の導入部でしかない。やがて、それは、あなたが今日とうてい想像できないような広がりを見せることになるはずです」(前著292頁)と告げられた。

 

<注13

■アラン・カルデック編、近藤千雄訳『霊媒の書』(スピリチュアリズム普及会1996年刊)30頁。カルデックはこのアドバイスを守って、「私は本書(霊媒の書)を、魂とその死後存続を自明の理としている人を対象として綴っていく」とわざわざ断り書きをしている。

 

<注14

■アラン・カルデック著『霊との対話』(幸福の科学出版2006年刊)278頁参照。

■東長人、パトリック・ガイスラー著『ブラジルの心霊治療、奇跡を操る人々』(荒地出版社1995年刊)によれば、「カルデックは霊魂主義(=スピリティズム)の大きな柱に“治療”を置いた」(32頁)という。「治療」はスピリティズムがブラジルに普及するに際して大きく貢献した。「(普及の)触媒として働いたのが、『福音の書(=スピリティズムによる福音)』とメスメル催眠を用いた磁気按手療法(=パス)である」(33頁)という。この普及手段が「民俗カトリック」との接点をもたらしたのではないだろうか。

 

<注15

■藤田富雄著「ブラジルにおけるカルデシズムの一考察」:神奈川大学人文学研究所編『インディアスの迷宮』(勁草書房1992年刊)所収、160頁、161頁参照。

カルデックが同席した時には一変して重々しい真面目な通信に変化した。その理由を霊に質問すると「若い二人の霊媒を通して通信している普通の霊よりも遥かに高級な霊が、明らかに君のために来訪したのである。重大な宗教的使命を君が果たすためにこれからも来訪し続けるであろう」との返答であった。カルデックが「人生や宇宙についての対話に関して霊側に出版の提案」をすると、「それを彼(カルデックのこと)に暗示したのは二人の霊である」と述べている。

■なお「カルデックというのは、彼の母方の家系の姓であって、古いブリターニュ地方の姓であると、ブラックウェル女史は注に書いている」(藤田富雄の前著、165頁)という。しかし「アラン・カルデックという名は、リヴァイユが前世でドルイド僧(→ケルト人社会の祭司のこと)だった時代の名前で、今生でもこの名前を使って霊的な仕事をするように指導霊から云われた」(東長人、パトリック・ガイスラー著『ブラジルの心霊治療、奇跡を操る人々』荒地出版社1995年刊、31頁)という説もある。

 

<注16

■アラン・カルデック編、近藤千雄訳『霊の書』(スピリチュアリズム普及会1996年刊)11頁、12頁の「カルデックへの、霊団からの激励のメッセージ」参照。

■アラン・カルデック編、近藤千雄訳『霊媒の書』(スピリチュアリズム普及会1996年刊)293頁参照。

近藤千雄氏は「訳者あとがき」の中で「私が“英国の三大霊訓”と呼んでいるモーゼスの『霊訓』、オーエンの『ベールの彼方の生活』、シルバーバーチの『霊言』集とカルデックの霊界通信の唯一の相違点は、霊媒が紹介されていないことである。それというのも、正確な数字は述べられていないが、相当な数の霊媒を通して得られた通信――カルデックが直接入手したものと他の交霊会で入手されてカルデックのもとに持ち込まれたもの――を総合的に編纂して、テーマ別にまとめ、それにカルデック自身のコメントを付け加えたものを『霊の書』と『霊媒の書』とに大別して出版した」と述べている。

 

<注17

■アラン・カルデック編、近藤千雄訳『霊媒の書』(スピリチュアリズム普及会1996年刊)8頁参照。

近藤千雄氏は「本書の翻訳に当たって私は、フランス語→英語→日本語と、二段階の翻訳をへるうちに原典の“味”が損なわれることを懸念したが、有り難いことに私の長年の愛読者の一人でフランス語の原典をお持ちの方と不思議な縁で巡り合い、私の訳文の一部を読んでいただいて、大体においてこうした感じであることが確認できた」と述べている。

 

<注18

■アーネスト・トンプソン著、桑原啓善訳『近代神霊主義百年史』(コスモ・テン・パブリケーション1989年刊)237頁、297頁参照。

トンプソンは「再生に付いては、科学的に証明できる証拠がありません。したがって、スピリチュアリズムではこれを原理として採用しません。スピリチュアリズムは科学的事実に忠実に立脚するわけですから、再生を除外したことは賢明なことと言わねばなりません」。さらに「実証できない理論を採用しては、かえって運動の障害になるというものです。この点、再生理論を採用しない英米のスピリチュアリズム運動が、非常に強固で盛んなことは当然と言わねばなりません」と述べている。

再生は霊魂説からは説明できない。霊魂説を前提とした高級霊からもたらされた思想である。トンプソンが「再生に付いては、科学的に証明できる証拠がありません」と述べている部分は正しい。結局のところ再生は、高級霊からもたらされた霊界通信をどのように理解するかの問題にかかっている。

1932年にサイキック・ニューズ紙を創刊したアーサー・フィンドレー(Arthur Findlay1883年→1964年)は「再生は退歩です。再生が大自然の計画だという証拠を私たちは知りません。再生を単純に信じたがる人は、人間がどうやって個性を獲得し、個性的存在となったかを、まだ考えたことのない人たちです」(アーネスト・トンプソン著『近代神霊主義百年史』287頁)と再生肯定論者を批判している。

■なお再生や類魂を肯定したマイヤース霊は、霊媒のジェラルディン・カミンズ(Geraldine Cnmmins1890年→1969年)を介して、自動書記通信の形で1924年と1925年および1927年、1931年の3期に分けて通信を送ってきた。それをジェラルディン・カミンズの友人であるEB・ギブス(E. B. Gibbes)が集成して1932年に『永遠の大道』として出版した。さらに1933年から1934年にかけて受信したものを『永遠の大道』の続編として、1935年に『個人的存在の彼方』として出版した。このあたりから徐々に再生を肯定する主張が、イギリス系のスピリチュアリズムに浸透していった。

■英米系の流れにあるにもかかわらず、日本では再生論は問題なく取り入れられて「分霊再生、創造的再生説」という形で、浅野和三郎によって主張された。

西洋では再生否定の立場に立つキリスト教の伝播の過程において、土着のシャーマニズムの「霊と霊媒」は駆逐されて(→異端排除、魔女狩りなど)、社会の裏側に押しやられてしまった。また東洋の宗教や精霊信仰は一段低い信仰とされて、キリスト教による改宗の対象とされた。これに対して日本では、身近に「霊と霊媒」が存在したこと(→拝み屋さんの存在)、「仏教の再生論」が庶民の間に根付いていたことなど。このような背景があったため、日本は英米系のスピリチュアリズムの系統にあるにもかかわらず、抵抗なく再生論が取り入れられた。

 

<注19

■アーネスト・トンプソン著、桑原啓善訳『近代神霊主義百年史』(コスモ・テン・パブリケーション1989年刊)238頁~239頁参照。

アクサコフは「カルデックが再生を普及させたのは、彼の偏好によるものです。再生はもともと研究対象ではなくドグマでした。カルデックはこの独断説を守るために、ご承知のように、暗示にかかり易い自動書記霊媒を常に利用しました。スピリチュアリズムは多分にこういうことで始まったものです。しかし、物理的霊媒を使用するなら、その通信は客観的であり、かつ再生理論には常に反撥するものです。しかしカルデックは、物理的霊媒は精神的に低いと言いつつ、この方法を非難する態度を固守してきました。それ故に、スピリティストは実験方法を全くご存知ないのであります」と批判した。

■アラン・カルデック編『霊媒の書』13頁参照。

「カルデックは霊界通信によってスピリチュアリズムに入り、当初は物理的心霊現象を軽視していた」「その後カルデックも物理現象の重要性に目覚める。本書(=霊媒の書)がその証と言えるが、フランスでの心霊現象の研究は、カルデックの現象嫌いで二十年ばかり遅れたと言われている」との記述がある。

その後フランスでは、物理的心霊現象の分野においても、シャルル・リシェ(生理学者、ノーベル生理学・医学賞を受賞)や、カミュ・フラマリオン(天文学者)などによって貴重な業績を残している。

■田中千代松著『新霊交思想の研究(改訂版)』(共栄書房1981年刊)によれば、「ホームの未亡人は、結婚前の名をジュリー・ド・グルムーリンというロシア人で、新スピリチュアリズムの研究者であったロシア帝国宮中顧問官アクサコフ、およびセントピータース大学教授フォン・ブートルローの親戚であった」という。DD・ホームは結婚によってアクサコフと縁続きになった(57頁、89頁参照)。

 

<注20

■角智織訳『スピリティズムによる福音』(幻冬舎ルネッサンス2006年刊)490頁参照。

 

<注21

■アラン・カルデック編、近藤千雄訳『霊の書』(スピリチュアリズム普及会1996年刊)85頁、114頁参照。

再生に関しては、霊団側は「類魂・再生」の立場に立ち、カルデックは「全部再生」の立場に立っている。霊団は「個々の霊が集まって全体を構成するわけですから、集合体に戻ると表現しても良いのではないでしょうか。あなたも集合体に戻ればその不可欠の一部となるわけです。ただ、個性は維持します」(85頁)との記載から「類魂・再生」を前提として説明している。さらに『霊の書』では、再生だけに留まらず、後年マイヤースによって詳細に説かれることになる「類魂(霊的家族)」の概念も示されている。しかしカルデックの理解はそこまで及んでいなかった。このように再生に関して、霊団とカルデックとの間には決定的な違いがある。

■アラン・カルデック編、近藤千雄訳『霊の書』(スピリチュアリズム普及会1996年刊)75頁~76頁参照。

霊団は「魂とは物的身体に宿っている霊のこと」として、地上人側から見た場合を「魂」と呼んでいる。これに対して霊界にいる場合を「霊」と呼んでいる。したがって「魂も霊です」となる(→魂も霊も同一物たる自我の本体を表している)。

 

<注22

■アーネスト・トンプソン著、桑原啓善訳『近代神霊主義百年史』(コスモ・テン・パブリケーション1989年刊)238頁参照。

■ジョン・レナードは1956年に出版した『The Higher Spiritualism』(邦訳:近藤千雄訳『スピリチュアリズムの真髄』国書刊行会1985年刊)の中で、「再生」について反対の立場から次のような自説を述べている。

ジョン・レナードは「(地上に)戻ってきて別の身体に宿れば前世とは別人になるのであり、前世の記憶もないのであるから、それは前世の続きでもなく前世と同じ個性の連続でもないのである。同一人物であることは記憶によって決まることであり、記憶がなければ同一性は証明できない」(前著11頁参照)。さらに続けて「スピリチュアリズムでは、権威ある著作のどれをみても輪廻転生は説いていない。事実上すぐれた指導者の全てが口をそろえてこの説に反対している。・・・デービスは転生説に反対していた。・・・スピリチュアリズムでは、魂は肉体から解放された時点から永遠の進化の道程を歩むと説く。たった一回の地上体験で、魂の進化に必要な体験と知識は十分に得られると信じるのである。その体験と知識を基礎として、霊界において限りなき進化の階段を登り続けながら、さらに新たな体験と知識を獲得し、同時に新たな神性を開発していくわけである。スピリチュアリズムでは、地上生活というのは魂の教育課程における幼稚園のようなもので、その基礎体験を終えると一段高い小学校へ進むのであって、再び地上に戻ってもう一度幼稚園の勉強をする必要はないと説く」(前著13頁~14頁参照)。

ジョン・レナードが原著を発行したのは1956年であり、この時期はいまだシルバーバーチやマーヤースが説いた「再生」に関する霊界通信が、十分には理解されていなかったことが分かる。ジョン・レナードは、シルバーバーチが説いた「意識の問題(→インディビジュアリティとパーソナリティの違い)」や「再生の目的(→カルマの刈り取りはすべて霊界で行えるわけではなく、地上で刈り取る以外に方法のないカルマもあること)」、さらには再生に際して最も適した環境(→民族・国、性別、両親など)を自ら選択して出生することなどを理解していなかった。また当時の西洋人の思想的偏見が、「(輪廻転生説は)東インド哲学の非論理的きわまるもの」との言い分からも見て取れる。

 

<注23

■神智学は再生を認めるが顕幽の交流は否定する。ブラヴァツキー著、田中恵美子訳『神智学の鍵』(神智学協会ニッポンロッジ・竜王文庫1987年刊)36頁の質疑応答によれば、顕幽の交流を否定して「死者の霊はこの世に戻ることは出来ないと私たちは主張します」と述べている。

 

<注24

■稲垣直樹著『フランス心霊科学考』(人文書院2007年刊)239頁参照。稲垣直樹著『ヴィクトル・ユゴーと降霊術』(水声社1993年刊)21頁以下参照。

 

<注25

■板谷樹、宮沢虎雄著『心霊科学入門』(日本心霊科学協会1973年刊)264頁参照。

――ユゴーは「あなたがたは、前世の記憶がないという口実で霊の進歩すなわち再生を信じないといっている。しかし現世のことでも、少し前のことは思い出せないのに、幾世紀前に過ぎ去った事件が、どうしてあなた方の記憶に刻みつけられているだろうか。1802年(→ユゴーの生まれた年)この方、私の内には何人ものヴィクトル・ユゴーがいる。しかし私が墳墓を過ぎ霊魂となって新しい境涯に入ろうとするとき、これらすべてのユゴーは、ある程度知らぬ他人のような顔をすることだろう」と述べて、再生を肯定した――

 

<注26

■田中千代松著『新霊交思想の研究(改訂版)』(共栄書房1981年刊)79頁参照。

 

<注27

■アラン・カルデック編、近藤千雄訳『霊の書』(スピリチュアリズム普及会1996年刊)85頁参照。

 

<注28

■アラン・カルデック著、角智織訳『スピリティズムによる福音』(幻冬舎ルネッサンス2006年刊)489頁以下参照。

 

<注29

■アラン・カルデック編、近藤千雄訳『霊の書』(スピリチュアリズム普及会1996年刊)には、次のような表現で「類魂・再生」を述べた箇所がある。

「個々の霊が集まって全体を構成するわけですから、集合体に戻ると表現しても良いのではないでしょうか。あなたも集合体に戻ればその不可欠の一部となるわけです。ただ、個性は維持しています」(85頁)。さらに「霊には、性向の類似性によって形成された霊的家族(類魂)があります。それにも霊性の浄化の程度によって上下の差がありますが、民族というのはそうした親和力で結ばれた家族の集合体であると思えばよろしい」(114頁)。

 

<注30

■アラン・カルデック編、近藤千雄訳『霊媒の書』(スピリチュアリズム普及会1996年刊)次のような表現箇所がある。

「自分と最も親和性の強い類魂であるとの知識に基づいた信念を持って祈り、あるいは瞑想によって指示を仰ぐ」(175頁)。さらに「霊はその霊性の親和性によって互いに引き合い引かれ合って、一つの大きな霊的集団ないしは霊的家族(類魂団)を構成する」(221頁)。

 

<注31

■アラン・カルデック著、角智織訳『スピリティズムによる福音』(幻冬舎ルネッサンス2006年刊)所収、489頁以下参照。

 

<注32

■アラン・カルデック編、近藤千雄訳『霊の書』(スピリチュアリズム普及会1996年刊)120頁、122頁参照。

 

<注33

■歴史読本特別増刊・事典シリーズ第20号『世界宗教総覧』(新人物往来社1993年刊)372頁参照。

 

<注34

■山田政信著「カルデシズム:近代心霊主義の成立とブラジルにおける展開」アメリカス研修委員会編『アメリカス研究』第5号――2000年:天理大学アメリカス学会発行――所収、74頁~75頁参照。

 

<注35

■山田政信著「カルデシズム:近代心霊主義の成立とブラジルにおける展開」前著75頁、および.藤田富雄著「ブラジルにおけるカルデシズムの一考察」:神奈川大学人文学研究所編『インディアスの迷宮』(勁草書房1992年刊)所収、167頁参照。

 

<注36

■藤田富雄著「ブラジルにおけるカルデシズムの一考察」:神奈川大学人文学研究所編『インディアスの迷宮』(勁草書房1992年刊)所収、168頁。

メネゼスは1886年にリオデジャネイロのカリオカの集会(上流階級に属する1500人以上の人たちの集会)で、「カルデックの教義の信奉者であること」を宣言して、「カトリックとスピリティズムの比較」の演説を行った。メネゼスは運動の普及に大きく貢献して「ブラジルのカルデック」と呼ばれた。

 

<注37

■日本心霊科学協会発行『心霊研究』昭和343月号「心霊王国ブラジルの近況」参照

 

<注38

■日本心霊科学協会発行『心霊研究』昭和344月号「アラン・カルデクについて」参照

 

<注39

■東長人、パトリック・ガイスラー著『ブラジルの心霊治療、奇跡を操る人々』33頁。および山田政信著「カルデシズム:近代心霊主義の成立とブラジルにおける展開」前著78頁参照。

■藤田富雄著「ブラジルにおけるカルデシズムの一考察」:神奈川大学人文学研究所編『インディアスの迷宮』(勁草書房1992年刊)所収、183頁参照。

ブラジル人たちは、アフロ・ブラジル宗教の“カンドンブレ”と、習合宗教の“ウンバンダ”と、フランスからの“カルデシズム”は、それぞれ「霊と霊媒」を前提とした宗教のため、総称して“スピリティズム”と呼んでいる。

しかし「アフロ系の宗教でも、カンドンブレはカルデシズムを拒否するが、ウンパンダは最初からカルデシズムを受け入れている」という。

 

<注40

■奴隷時代にもたらされたアフリカの民族宗教としては、カンドンブレ(Candomblé)がある。カンドンブレは1830年サルバドール郊外で、最初の黒人の精霊主義者(アニミズム)たちの公開の集会があり、そこで行われた儀式をカンドンブレと呼んだ。ブラジルではカンドンブレという語は、一般に西アフリカのヨルバ族の祭祀場を指し、“カンドンブレ・ナゴ”と総称される(“カンドンブレ”とは、“カンドンブレ・ナゴ”の略称)。

■カンドンブレは“オリシャ(Orixa:さまざまな神々と習合している)”崇拝の宗教だが、アフリカから奴隷として連れてこられた際に、自分たちの宗教を存続させるためにカトリックと習合させた。そのため“オリシャ”として祀られる神々には、キリストを初めカトリックの聖人も含まれている。カンドンブレの構成員は、教主も教団員も圧倒的に女性が多いという。現在はバイア州のサルバドールを中心として、リオデジャネイロ州、グアナバラ州に広まっている。

■カンドンブレは「アフロ・ブラジルの宗教の中で、アフリカの伝統を最も強く残しており、白人に対しては敵対的である」という(歴史読本特別増刊・事典シリーズ第20号『世界宗教総覧』新人物往来社1993年刊、370頁参照)

 

<注41

■ウンバンダ(Umbanda)は、アフリカの民族宗教、ブラジル原住民の宗教、カトリックの要素、カルデシズム(カルデック流スピリチュアリズム)などが習合して生まれた宗教のことで、アフリカ色はさほど強くない。「方向性としては現世利益を重んじる」(東長人、パトリック・ガイスラー著『ブラジルの心霊治療、奇跡を操る人々』荒地出版社1995年刊、24頁)。

■ウンバンダは主にサンパウロ州、バラナ州、カタリナ州に広まっている。信者の多くは「下層の上の階級」に属する。「ウンバンダは、カンドンブレに根強く存在している白人への敵意を克服し、カルデシズムの“霊の向上”という教義を受け入れ、新しく教義と儀礼を組織し直して近代ブラジルにふさわしい宗教に脱皮している」という。しかし「伝統的カンドンブレ・ナゴからは“アフロ・ブラジリアン・カルトの白色化”として非難され、正統的カルデシズモからは、“カルデシズムの黒色化”として軽蔑されている」という。(歴史読本特別増刊・事典シリーズ第20号『世界宗教総覧』新人物往来社1993年刊、374頁参照)

 

<注42

■霊媒現象を嫌う理由は、古代イスラエルにおいては一般に霊媒は厳禁されていた(イザヤ書81920)。これがキリスト教に引き継がれて、人に憑依する霊はもっぱら悪魔や悪霊と看做され、霊媒は迷信として忌避されたからであった(『岩波キリスト教辞典』1215頁参照)。西洋において霊媒が一般的になったのは19世紀半ば以降のことである。

■「民俗カトリック」または「フォーク・カトリシズム」は、ローマ・カトリックに土着的・民俗的要素が融合した宗教原理を云う。特徴として聖人信仰がある。この聖人信仰と祈祷医や呪術医などの「民俗カトリック治療家」が密着している。

―→参考文献  東長人、パトリック・ガイスラー著『ブラジルの心霊治療、奇跡を操る人々』264頁以下。『ラテン・アメリカを知る事典』平凡社1987年刊、334頁以下の「フォーク・カトリシズム」の項目参照。

 

<注43

■東長人、パトリック・ガイスラー著『ブラジルの心霊治療、奇跡を操る人々』(荒地出版社1995年刊)23頁参照

 

<注44

■ダヴィド・B・パレット編『世界キリスト教百科事典』(教文館1986年刊)741頁~752頁参照。キリスト教徒の項目には「スピリティスト・カトリック」という項目がある。1980年時点で「スピリティスト・カトリック」の信徒数は1984.3万人となっている。

なお「スピリティスト・カトリック」の定義は「ローマ・カトリック教会員であって、霊媒宗教、ハイ・スピリティズム、ロー・スピリティズムなど、おもにアフロ・アメリカンのロー・スピリティズム祭祀(ウンバンダ、マクンバなど)に日常的に参加している者」となっている。

■さらに注記には「実際には組織的活動をしているスピリティズムに、何らかの形で参加しているカトリック信徒の数はこれをはるかに上回る(1975年の全信徒数の約30%、3300万人)。またカトリック信徒の大多数(6000万人以上)は、スピリティズムの教えを信じている」とある。このようにブラジルではスピリティズムは宗教に分類されている。スピリティズムはキリスト教以外の宗教では最大の勢力を持っている。統計調査からも、1950年以降、信仰者の数も増加傾向にある(前著742頁参照)。

 

<注45

■津城寛文著『“霊”の探求』(春秋社2005年刊)21頁。および藤田富雄著「ブラジルにおけるカルデシズムの一考察」174頁以下参照。

 

 

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