« 5章、再生人生 | トップページ | 3章、中間境(冥府) »

4章、幽界(幻想の世界)

目 次

1.物質性が色濃い世界

・相応の界層へ

・「昼下がりのまどろみ」のような世界

・浄化のための世界

・幽界の下層世界にいる住人たち

2.「霊的自覚」が芽生えた霊たち

・霊的自覚が湧いてくる

・地上的人格が消えていく

・肉体の死と幽体の死の違い

・<注1>

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

1.物質性が色濃い世界

☆相応の界層へ

霊的調整が完了した霊は「中間境」を出て幽界の相応の界層に落ち着くことになる。その霊が幽界のどの界層に落ち着くかは、地上時代に身につけた霊的成長に相応しい界層となる。それより高いところには霊的波長の違いから行けないのは当然として、低い界層には行こうと思えば行ける。しかし好んで行く者はいないという。

 

幽界と霊界(狭義)の違いは、幽界では霊格は違っても親和性があれば、霊格の高い者が低い者に合わせて降りてくればよいので一緒に住むことが出来る。地上で夫婦であった者は親和性があって、双方が望めば一緒に住むことが出来るし、家族も霊格が最も低いレベルに他の全員が合わせて降りてくればよいので、親和性があれば一緒に住むことはできる。しかし霊界(狭義)では少なくとも完璧な霊格の一致と、完璧な親和性の一致の双方が存在しなければ一緒に住めないという。なお幽界ではペットと一緒に住むことが出来る。飼主より先に霊の世界にきたペットは、その世界にある「動物界」で世話を受けながら飼主を待つことになる。その後飼主の死去により合流したペットは、幽界で飼主と一緒に過ごすことになる。

 

死のプロセスを時系列で見れば次のようになる。

「旅立ちの準備」→「死①」→「ガイドと出会う②」→「明確な死の自覚を持つ③」→「明確な霊的自覚を持つ④」→「幽界の上層に行く⑤」→「霊界(狭義)に移行し、霊的家族のもとに帰還する」

上記時系列で③の「明確な死の自覚を持つ」ことが出来ない霊とは「地縛霊」のことであり、いまだ「中間境」に滞在してこの界層を脱け出られないでいる。③から④の間に位置する霊は、地上時代と全く同じ性格や習慣、宗教等を持っている。意識の中に物的傾向を強く持っている霊である。④の「霊として何をなすべきか」を悟った霊的に覚醒した霊は、それ以降は著しく霊的進歩が速くなる。しかし霊が③の段階から④の段階に到達するまでは相当な時間がかかるという。

 

☆「昼下がりのまどろみ」のような世界

霊は地上時代に到達した自らの霊性に適した、「思い出」と「反省のうちに過ごす生活」が待つ「幽界(幻想の世界)」へ親和性によって引き付けられる。これらの界層は、死者が地上時代に培った霊的成長に見合った場所であり、地上時代の霊性そのままが死後の姿となり環境なる。

 

幽界とは、「心に願望を抱いただけで何でも叶えられる生活」を通して、ごく自然な形で地上的なものを捨て去って、霊界(狭義)へ進む準備をする場所である。いわば意識の焦点を物的なモノから霊的なモノに切り替える場所が幽界であると言える。この界層の住人は地上的なものを強く引きずっており、地上世界とよく似た環境の中で「奮闘努力がいらない」ぬるま湯につかったような生活を送っている。

指導霊はこの界層にいる霊的向上心が芽生えない霊や、向上心の弱い霊に、さまざまな形で霊的に向上心を持たせようと指導を行っている。その指導の効果が上がってくると、霊は幻想の世界の生活が次第に退屈となり、願望が何でも叶う生活に飽きがきて、進歩の兆し(=霊的自覚)が芽生えてくる。

 

☆浄化のための世界

「中間境」における「地上人生の総点検」によっては、幽界の「幻想の世界」が浄化のための世界に変わる場合もある。地上時代の歪んだ欲望(=残忍・傲慢・貪欲・淫乱等)が魂に深く染み付いている死者の霊にとっては、その内面の世界が自分の住む世界(その霊にとっては客観的存在の世界)を作るため、その歪んだ性癖や習性が苦悩を引き寄せることになる。この界層での厳しい体験を経ていく中で、歪んだ性癖は修正されていく。霊によって長短はあるものの内部から霊的自覚が芽生えてくるまでは、この界層に留まることになる。

 

浄化の方法は霊が作りだした“歪みの形態”によって千差万別である。霊界通信には償いとして次のようなケースが紹介されている。

地上にいる被害者に「交霊会で直接謝罪」する方法。カルマ解消に最も適した地上人の背後霊となって苦しみながら解消する方法。被害者が地縛霊になっている場合にはその境涯まで降りて行き、または現在の境涯から思念を送って「死の自覚」を持たせる方法。物理実験の霊界側の技術者として参加する方法など、多彩である。これらの体験は自らの霊性向上の足枷となっているマイナスのカルマを清算するためであり、霊的に浄化して行くためには必要なコースである。

 

☆幽界の下層世界にいる住人たち

霊界通信によれば地上から霊の世界にやってくる死者は、死後の世界が実在するということを考えたこともなく、地上時代の「記憶の幻影の中でのみ暮らして、霊的実在を知らない霊」が大部分であるという。本来であれば霊的成長レベルのさまざまな人が混在している地上という「学校」で、基本的な霊的法則を学んだ方が容易く学べるのだが、それをせずに霊の世界に来てしまう地上世界の「落後者・未熟者・霊的不適合者」が多いという。

 

このような霊がガイドの手引きによって、長い短いという違いはあるもののそれぞれが「明確な死の自覚」を芽生えさせて、「中間境」で霊的調整を行い、霊性レベルに適した幽界に入って行くことになる。これらの霊は意識レベルが物的なモノに強く向いているため、落ち着く先は親和性の法則から当然に幽界の下層世界になる。そして辿り着いた界層で、地上時代の風習そのままの形で生活することになる。

これらの霊は生前の個性・性格・習性・性癖等を、死後も全く同じ形で持ち越すので、性格に問題のある者が死後の世界に行っても、自らその性格を矯正しない限りは依然として持ち続ける。当然に利己的な人は相変わらず利己的であり、貪欲な人は相変わらず貪欲のままである。また家族思いで優しい性格の人は霊の世界に行っても同じ性格を持ち続ける。

このように生前と死後の違いは、ただ単に肉体があるか否かだけであり、いわば死は人間の生活の場を、地上世界から霊の世界に変えるだけである。人間そのものを変えるわけではない。手におえない犯罪者が、死によって一転して偉大な人格者に変貌してしまえば、もはや「死後も個性が存続する」という「霊魂説」は成り立たなくなる。

 

このような幽界の下層界にいる物質臭の強い霊は、指導霊の手助けによって、霊自身の内部から「明確な霊的自覚(→霊として何を為すべきかの意識)」が芽生えてくるまでは、依然として物質的な意識を引きずったままである(注1)。自己の意識の焦点がいまだに物的なモノから解き放たれていないため、地上的人格(パーソナリティ)は維持されている。そのため物質臭の強い多くの霊は、物的な思いが何でもかなう幽界の下層世界は“極楽の世界”であると思い込んでいる。

 

2.「霊的自覚」が芽生えた霊たち

☆霊的自覚が湧いてくる

幽界の生活が長くなると、次第に本人の意識の中に霊的自覚が芽生えてくるようになる。そして内面の深いところから進歩しようとする要求が湧いてきて、霊的進化のスピードは次第に加速してゆく。幽界の「昼下がりのまどろみ」のような世界で、飼主と一緒に住んでいたペットは、飼主の進化するスピードについてゆけず、やがて別れ別れとなってしまう。その後ペットは、出身母体である動物のそれぞれの種の“類魂(「意識」が共有状態にある魂の集合体)”に吸収され、融合して個性を失うことになる。

 

☆地上的人格が消えていく

幽界で生活していく中で「明確な霊的自覚」という意識が芽生えてくるようになると、霊的波長の精妙化に伴って物質性を帯びた意識が次第に減少して、幽界において界層の上昇が起きてくる。このような“霊として何をなすべきか”を認識するようになり、積極的に霊性向上の道を歩み始めた霊の住む世界が幽界の上層に広がっている。この界層でさらに霊的波長が精妙化されてくると、自己の意識の焦点は物的なモノから次第に霊的なモノに移行して、意識の中から少しずつ地上時代の性格傾向や性癖が消えて、興味の対象も「物事の本質や実相」を知ることに向いていく。

 

この段階になると、個別霊の顕在意識に浮き上がってきたより大きな「本来の私(=インディビジュアリティ)」の中に、地上的人格(パーソナリティ)は徐々に溶け込んでいく。その結果、地上時代のパーソナリティが消えて、より「大きな私(本来の私=インディビジュアリティ)」を意識するようになり、急速に意識が拡大していく。同時に「一種の眠りに似た状態(=霊的波長の調整)」に陥り、目覚めると「本来の私」の霊的レベルに見合った霊界(狭義)の界層に自動的に引き寄せられる。このように地上的人格(=パーソナリティ)が、本来の私(=インディビジュアリティ)の中に混じり合って意識が拡大して行く過程が幽界生活ということになる。

 

☆肉体の死と幽体の死の違い

「肉体の死」とは、波長の荒い肉体という衣装を脱ぎ捨てて、一段と精妙な霊的身体(物的要素の強い霊的身体たる幽体)をまとう現象をいう。そこには「肉から霊へ」移行するための一種の断絶がある。この断絶(深い谷)を跨ぐための波長の調整が必要となる。この一つが「深い眠り」という現象となって現れる。なお地縛霊は幽体を纏うことができないため、いまだ「死のプロセス」が完了していない“調整中の霊”ということになる。

 

これに対して霊的レベルが向上してより高い境涯に出ていく「幽体の死」とは、霊的身体から物質性という要素が次第に消えて、霊的身体がより精妙化されていく現象であり、「霊から霊へ」という過程になる。そこにはソフトをインストールする際の「再起動」を必要とするような断絶はない。いわば霊的身体が霊的環境に合わせて「グラデーション的に変化」する現象であり、「何度も死に、何度も誕生する」状態が霊的世界に於ける「死」である。いわゆる「変化」のことである。

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

<注1>

人間は死んで物的身体を脱ぎ捨てれば、誰でも直ちに「高次の意識(インディビジュアリティ)」が自覚できて「模範的な霊界人」になれるわけではない。物的身体を脱ぎ捨てても帰幽霊は「物的身体に基因する本能的意識」「肉体構造や体質に基因する意識」「名誉欲・権勢欲」「後天的な要因によって形成された意識」「物欲」等の人間的煩悩から直ちに解放されることはない。帰幽霊の「表面意識(顕在意識)」には、相変わらず人間的煩悩に満ちた意識が存在している。

 

物理の法則に「運動している物体はいつまでも等速直線運動を続ける」という「慣性の法則」がある。この法則を用いて帰幽霊の意識状況を説明してみる。

地上時代に形成された“人間的煩悩という性格傾向”は、物的身体が無くなったからといっても依然として持ち続けている。なぜなら本人が自ら変えようとする意思を起こさない限りは、そのまま「等速直線運動」が継続されることになるから、死後も地上時代の人間的煩悩を持ち続けることになる。

死後の世界で帰幽霊の表面意識に霊として何を為さなければならないかという「霊的自覚」が芽生えてくれば、この自覚が「等速直線運動」に摩擦力として働くことになる。そのため人間的煩悩の持続という「等速直線運動」は徐々に失速して行くことになる。

 

帰幽霊の意識は人間的煩悩に満ちた表面意識と、霊的自覚が芽生えてくるまでは表面に浮上してこない「霊的意識(インディビジュアリティ)」という二重構造になっている。そのため地上時代に形成されてしまった「利己的」「冷酷」「享楽的」等といった性格傾向は、帰幽霊の表面意識の中に「霊的自覚」が芽生えてくるまでは、人間的煩悩と言う形で占有し続けることになる。物質臭が抜けきらない幽界の下層にいる霊界人とはこのような意識構造を持った霊たちである。

 

 

« 5章、再生人生 | トップページ | 3章、中間境(冥府) »