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動物について:総論編

目 次

◆はじめに

◆取り上げるテーマ

 

1.動物の類魂

・「霊」の在り方の違い

・シルバーバーチのいう「動物」とは

・一般的な動物とペットの違い

 

2.個別化の途上にある動物の「意識」

・「意識」を基準にした大まかな分類

・「類魂意識」を持つのはどの段階からか

・ペットは飼主と一緒に過ごす

 

・<注1>  <注3>

 

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◆はじめに

神の一部である「意識(霊の外皮)」が「霊」の顕現を増して意識のレベルアップを図っていくためには、物的形体をまとった姿で地上体験を積む必要がある。本稿で取り上げる「動物」という生命体は、「進化」の“一地点”において「意識(霊の外皮)」が「個々の意識」という形で、地上でまとう物的形体を指す言葉である。

以下に於いて動物の中でも哺乳類を中心として述べていく。

 

◆取り上げるテーマ

キリスト教の『旧約聖書』では、人間は動物よりも優れた存在であるとして(創9②~③)、動物を「清い動物」と「汚れた動物」に分けている(レビ11)。そして人間が食べて良いものは、反芻し蹄が分かれた牛や羊などの「清い動物」であるとする。このような人間を中心にした考え方が、キリスト教をベースにした西洋社会では長年にわたって支配してきた。これに対して牛を神聖視するヒンドゥー教の国インドには、食に対する禁忌が多い。

菜食主義の思想には、欧米の「動物愛護」の流れにあるベジタリアン(→この延長線上に動物実験反対、皮革製品の排除などがある)と、インドにおける不殺生戒の立場から菜食を奨励するベジタリアンとがある(→ヒンドゥー教やジャイナ教の流れにある)。このような「食肉」の問題がある。

 

さらに動物の生態を長年にわたって調査している研究者によれば、霊長類には驚くほど人間の感情に近い表情を見せるものがいるという。このような動物が持つ「意識」をスピリチュアリズムの観点からどのように考えたらよいか。また“種”の先駆けとでも言えるような動物の存在をどのように理解したらよいか。人間は動物にどのような形で対処したらよいか。現代社会で最も解決が難しい「動物実験」をどのように考えたらよいかなど。

このような問題をスピリチュアリズムの観点から考えて見た。

 

1.動物の類魂

☆「霊」の在り方の違い

人間はAさんBさんCさんという具合に、各個人ごとに「霊」を一身専属的に有しているので因果律は個々人に発生する。これに対して発達レベルが人間以下の“生物(動物、植物、菌類、原生生物、原核生物)”では、「進化」レベルによって“種というグループ(個々の意識の集合体)”の大きさに違いはあるものの、「霊」はグループ全体に及ぶ形で内在している。そのため因果律は“種というグループ”ごとに発生する。

この点につきシルバーバーチは「動物」の因果律は一匹一匹に働くのではなく、“種というグループ”全体に対して働いて、グループ・スピリット全体の「進化」を促すと述べている(語る199①)。

 

☆シルバーバーチのいう「動物」とは

生物学で言う「動物」とは「植物」に対比する言葉として使われており、「独立して運動し従属栄養(→体外から取り入れた有機物に依存する栄養摂取の仕方)を営むもの」と定義されている。その範囲は人間から単細胞の原生動物まで様々な段階を含む。

 

これに対してシルバーバーチの用語の使い方は独特である(注1)。霊界通信を読んでみれば、シルバーバーチは「動物」という言葉を哺乳類に限定して使用していることが分かる。たとえば「直前まで動物だった類魂が人間界への仲間入りをしたのです。アメーバ―の状態から始まって爬虫類魚類鳥類、そして動物と、あらゆる進化の段階を経て、今ようやく人間へと達したのです」(593⑧)と述べている点からも窺える。

 

☆一般的な動物とペットの違い

一般に“哺乳類たる動物”の死後は、それぞれの“種”(注2)に応じた“類魂”に戻って、個性を失い埋没していくとされる(8186⑤)。なお動物の「意識(霊の外皮)」は個別霊たる人間とは異なって「進化」のために再生して内在する「霊」の顕現を増すという「進化」は取らずに、一段上の“種”に「進化」していくだけである(595④、8187④)。

 

地上を闊歩している一匹一匹の一般的な動物の場合は、それぞれ固有の肉体を有し、その肉体に対応した中間物質(=半物質、幽質結合体)を有している(個人的存在19⑦)。しかし人間とは異なって個別の肉体に対応する専属的な霊的要素は有していない。その“種”に対応した巨大な「意識(霊の外皮)」があり、個々の一般的な動物はその霊的要素を共有しているにすぎない。

 

特定の“哺乳類たる動物(→以下“動物”という言葉をこの意味で使用する)”に対して人間がお世話をするという形で愛情を注げば、動物の中に潜在している能力を引き出すことができる。一般的な動物とは異なってペットの場合は、人間との接触によって個別化が促進されており、ペットの内部に「一時的に個別意識」が芽生えている。そのため死後「一時的に幽体」を有することができる(8185⑩)。

飼主の動物に対してお世話をするという利他的行為は、“種”ごとに有する共有状態の霊的要素、いわゆる「意識(霊の外皮)」に愛と言う霊的エネルギーを注入する行為になる。それによって“種”に対応した霊的要素は一層活性化して、その中に一時的に他と区別する境界線が出現する。それが当該ペット用の「意識」となる。但しこの場合でも「霊」は、その“グループ(該当する種)”が専有しており、ペットという「個々の意識」はそれを共有するにすぎない。そのためペットといえども、因果律は“種というグループ”全体として働くことになる。この点がペットと人間との大きな違いである。

 

2.個別化の途上にある動物の「意識」

☆「意識」を基準にした大まかな分類

A」:植物

B」:単細胞生物・菌類

C」:爬虫類・両生類・魚類

D」:鳥類

E」:哺乳類

F」:ペット

G」:人間

 

上記「A」~「D」までは、「個的意識・自意識」「類魂意識(仲間意識のようなもの)」はない(→Dの鳥類については、一律にないと断定して良いか疑問もあるが)。

この「進化」レベルにある「意識(霊の外皮)」を譬えによって説明すれば、魚卵である鮭の成熟卵の一粒(イクラの卵の一粒)が「個々の意識」として、それが大きな「器」(→単なる意識の集合体で一般には“群魂”や“集合魂”などとも呼ばれているもの)に山盛りに盛られている状態とする。その魚卵の一粒である「個々の意識」が物的形体をまとって地上体験を積み、その体験を「器」に持ち帰って「器」全体が「進化」する。

「霊」は「個々の意識(イクラの卵の一粒)」ではなく「器」に内在しているので、因果律は「器」全体として働く。「意識(霊の外皮)」の物的形体が「A」→「B」→「C」→「D」と「発達」するにつれて「意識(霊の外皮)」は「進化」して、「器」の大きさが次第に小さくなっていく。「進化」するにつれて「器」に盛られた魚卵(個々の意識)の数も減っていく、と同時に卵自体も次第に大きく成長していく。

 

上記「E」の哺乳類になると、個別意識の萌芽形態たる「類魂意識」を持つようになる。この段階になると「個々の意識」は充分に成長して大きくなっている。しかしこの進化レベルにあっても「霊」は「個々の意識」ではなく「器」に内在しているので因果律は「器」全体として働く。さらに人間の愛情を受けた「F」のペットの段階になれば「限定的な個別意識・一時的な個的意識」を持つようになる。しかし最終的には出身母体である「器(種)」に戻るので「E」と同様に因果律は「器」全体として働く。なぜならこの「進化」レベルであっても「霊」は「個々の意識」にあるのではなく「器」に内在しているから。

 

上記「G」の個別霊である人間の段階では、「一粒の卵(個々の意識)」の集合体であった「器」は充分に「進化」して「個別意識」へと質的に転化した。これを「卵と器」の関係で見れば、「器」に一個の「卵」が盛られた状態まで「進化」した「卵」は、「個別化」の最終地点に至って質的に転化して「器」と合体した。ここに「個別意識」を持つ個別霊が誕生した。これ以降、因果律は個々人が「霊」を専有するので「個別意識(卵と合体した器)」ごとに働くことになる。

 

☆「類魂意識」を持つのはどの段階からか

人間を頂点とした「進化体系」を生物学では大まかに「単細胞生物→昆虫→魚類→両生類→爬虫類→鳥類→哺乳類→人間」という流れで説明している。なお鳥類は爬虫類である恐竜から「進化」したといわれているので、爬虫類の上位に置かれている。

 

シルバーバーチは「意識」を「自意識(自我意識、個的意識)」や「類魂意識」という意味で使用する。その「意識(個別意識・類魂意識)」はどの段階から始まるかにつき「病原菌に意識があるでしょうか。ヘビに意識があるでしょうか。ノミやシラミに意識があるでしょうか。微生物に意識があるでしょうか」(道しるべ222⑨)と述べている。ここから明らかになることは、爬虫類のヘビに個別意識も類魂としての意識もないと言うことは、それ以下の「進化体系」にある「両生類・魚類・単細胞生物や菌類、植物」などには、個別意識も「類魂意識(仲間意識のようなもの)」もないことになる。

ここで言う「意識」とは、一般的な「群魂」や「集合魂」を構成する「単なる個々の意識」のことではなく、「自意識(自我意識、個的意識)」や「類魂意識」の有無のことである。

 

ここでは「鳥類」のことは直接触れられていない。ポイントはシルバーバーチのいう「動物」という言葉の範疇に「鳥類」が入っているか否かということである。なぜならシルバーバーチは「動物」には個別意識はないが、その萌芽形態たる「類魂意識」を有する。しかしそれ以下の進化体系にある生物には、「類魂意識」以上の「意識」はないと述べているから。

 

シルバーバーチは「動物の世界には個的意識はなくとも、その奥には類魂としての意識が存在します。動物よりさらに下がると類魂の意識もなくなります。微生物には意識はありません」(道しるべ223⑤)と述べている。注記の「注1」でも明らかなようにシルバーバーチは「動物」を哺乳類として用いており、「鳥類」をその範疇に入れていない。このことから推測して「鳥類」には「類魂意識」以上の「意識」はないと言うことになる。

違和感は残るが、鳥類の知性は「本能、反射、走性」(注3)レベルが主であり、「経験に基づく学習能力」という知性は、哺乳類と比較すれば低いということなのであろう。数多い鳥類の中には哺乳類より知性が高い鳥の種もいるので、一律に鳥類はすべて「類魂意識」がないと線引きすることには疑問が残る。霊界に於ける分類法は地上世界とは必ずしも一致しないと考えた方が良いと思う。

 

☆ペットは飼主と一緒に過ごす

哺乳類には「自意識(自我意識、個別意識)」はないが、それぞれの“種というグループ”ごとに個別意識の萌芽形態たる「類魂意識」を持つ。人間との接触を通して、ペットには一時的に人間らしい“個性的な意識(=個的存在としての意識、パーソナリティ)”に基づく行動を見せることがある(8210④、8206⑨、語る197③)。

 

人間は死によって肉体を脱ぎ棄てるが、生前の個性・性格・習性・性癖等はそのままで死後も同じ形で持ち越すことになる。霊界通信によれば幽界に移行した人間の大部分は、地上時代の「記憶の幻影の中でのみ暮らして、霊的実在を知らない人」であるという。このような人たちの意識の中には、地上的パーソナリティが未だに色濃く残っている。そのため自己の内面の深いところから「明確な霊的自覚」が芽生えて来て、“本来の私(インディビジュアリティ)”という意識が浮かび上がってくるまでは、少なくとも地上的パーソナリティを引きずったままである。それらの人間は幽界の下層に広がる「昼下がりのまどろみのような世界」で過ごすことになる。

 

飼主より先に霊の世界にきたペットは、幽質をまとって動物界で世話を受けながら飼主を待つことになる(589④)。その後飼主の死去によって合流したペットは、幽界で飼主と一緒に過ごすことになる。なぜなら幽界では霊格は違っても親和性があれば一緒に住めるから(→霊格の高い者が低い者に合わせて降りてくればよいから)。しかし“狭義の霊界”では霊格と親和性の双方が一致しなければ一緒に住めない。

 

幽界の生活が長くなると、次第に飼主の意識の中に「霊的自覚」が目覚めてくる。そして内面の深いところから進歩しようとする要求が湧いてきて、飼主の霊的進化のスピードは加速してゆく。そのためペットはそのスピードについてゆけず、やがて別れ別れとなってしまう。その後ペットは、出身母体である動物の“種ごとの類魂”に吸収され、融合して個性を失うことになる(591⑪、8205⑪、8206④)。

個別意識を獲得した人間と、ペットとして可愛がられて“一時的に個別意識”を与えられた動物とでは「進化」のレベルが異なるからである。いわばペットは人間の愛の力によって通常の「進化」の段階を飛び越したものであり、人間で言えば天才と同じ意味合いを持つ。

 

地上で動物という物的形体をまとう「意識(霊の外皮)」は、いまだ一個の個性を有する段階まで「進化」しておらず(592②)、自我の本体に「霊」を専有している個別霊たる人間とは「霊の在り方」に相違があり、霊的な範疇を異にする(8194⑤、8210⑨)。そのため因果律の働き方は個別霊たる人間とそれ以下の生物とでは異なった表れ方をする。

このような人間との接触によって潜在化していた能力を引き出されたペットの地上体験はグループ全体に貢献したことになり、その分だけ“種ごとの類魂”の「進化」が促進されることになる。

 

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<注1>

◆「動物」と「小鳥」とを分けて表記している

シルバーバーチは「確かに自然界には弱肉強食の一面があり、腹がすけば互いに食い合うこともしますが、それは自然界全体としては極めて些細な話であって、人間界と同様に動物界にも調和と協調の原理が働いております。・・・それとは別に人間としての責務にかかわる一面もあります。つまり上に立つ者が低い進化にある者に対して持つ責務です。人間も動物も、樹木や果実、花、野菜、小鳥などと共に一つの生命共同体を構成しているからです。全生命は、進む時は共に進み、後戻りする時は共に後戻りします。ですから、人間が愛と慈悲と同情の心を発揮すれば、それこそオオカミと小ヒツジが相寄って寝そべるようになるでしょう」(1178⑤)と述べている。

 

◆「動物」と「鳥類」とを明確に分けている

シルバーバーチは「一羽の鳥がやがて一人の人間になっていくのかと云うことであれば、答えはノーです。精霊進化というのは妖精およびそれに類する存在に関わる自然的生命の進化のことです。進化とは全生命に関わる自然法則の一環。低い次元から高い次元へ向けての不断の向上のことです。・・・進化の法則は全ての生命、すなわち昆虫類、鳥類動物、そして人類のすべてを包摂しています。それぞれに果たすべき役割があり、しかもお互いに関連し合っている。人間も動物の進化に関連した法則と同じ法則によって支配されている」(10201⑪)と述べている。

 

☆コメント、その1

物的形体たる「一羽の鳥」が次に「一匹の哺乳類」となって、やがて「人間」となるというのは、霊の存在を認めない「進化論」が唱える説である。「進化論」は「意識(霊の外皮)」がまとう衣装たる物的形体が、それ自体が漸進的にまたは突然変異的に、一段階上のデザインのスーツに「進化」していくと主張する立場である。「一羽の鳥がやがて一人の人間になっていくのかと云うことであれば、答えはノーです」(10201⑪)と否定しているが、これは「進化論」的な見方、物的形体の連続進化的な見方を否定しているだけである。

 

☆コメント、その2

シルバーバーチは別の箇所で「いま人間という形態で表現している意識も、かつては動物・鳥類・魚類・植物その他の生物と、無生物と呼ばれているもの全てを通して表現されてきたのです」(メッセージ147⑯)と述べている。ここでシルバーバーチは「進化」を物的形体から見るのではなく、霊的な世界から「意識(霊の外皮)」を中心として見ることを説いている。

 

◆意識の顕現状況の説明で「動物」と「鳥類」を分けている

シルバーバーチは「(大霊の一部である)この意識なるものは、私の知る限り無窮の過去から常に存在してきたものですが、それがさまざまな形態を通じて顕現し、その表現を通して絶え間なく洗練されつつ、内在する神性をより多く発現していく。これまでありとあらゆる生命現象を通して顕現してきて、今なお顕現し続けております。いま人間という形態で表現している意識も、かつては動物鳥類魚類植物その他の生物と、無生物と呼ばれているもの全てを通して表現されてきたのです。これからも進化と成長を続け、発展し、拡張し、神性を増し、物質性を減らしていきます。それが創造の全目的です。大霊の一部である意識が、千変万化の形態を通して絶え間なく顕現していくということです」(メッセージ147⑫)と述べている。

 

<注2>

◆「種」とは何か

主流派科学では生物分類の基本単位である「種」を次のように解説している。「種とは同一の祖先から出た生物集団で、共通した形態的特徴を持っている。交配が可能で、交配によってできた子も生殖能力を持つ。染色体数・核型が同じである」。この定義のポイントは「生殖的隔離」にある。

生物学の解説書によれば「種」が確立するための「生殖的隔離」とは、同じ場所に生息していても遺伝的要因や繁殖時期の違いなどで交配ができない状態をいう。たとえばイヌにはシェパード、スピッツ、秋田犬などが存在するが、それぞれは相互に交配が可能であり、生まれた子も健全に育ち生殖能力を持っているので同じ「種」である。しかしトラとライオンは人為的に交配させれば子を産むが一代限りであり、自然界では交配しないので、別々の「種」となる。またロバとウマは交配可能であるが、子であるラバは繁殖能力がないので、ロバとウマはそれぞれ別の「種」であると説明されている。

 

◆「小進化」とは

生物学では進化の仕組みを調べる方法として、主に「種」の遺伝子的変化を調べるというアプローチの仕方をする。この「種」レベルの進化的変化を「小進化」と呼んでいる(→種内でおこる形質の変化。または遺伝子頻度の変化や、観察や実験ができる程度の小規模な変化などのこと)。「種の分化」や「種内の品質の分化」などが「小進化」の例として挙げられている。「種」の枠内での小規模の進化(変種)は家畜の育種などに見られるが、これらは集団の中にすでにあった変種を利用するものである。また交配と選抜によってかなりの程度、品種改良が出来ることは農作物によっても証明されている。このように「小進化」は日常的に観察されている。しかし「種」の枠内の変化といっても、そこには一定の限度があることも知られている。農作物の場合では「各生物体の遺伝システムには独自の制約が組み込まれているため、それぞれの動植物の平均値から大きくズレないように、ストップがかかる」という。これは「半年間にわたって絶えず花を咲かせるバラはあるが、一年中花を咲かせ続けるバラはない」という形で説明されている。当然に「種」を跨いだ交配は出来ない。

同じ「種」の枠内での「小規模な進化(変異)」は、創造論者も進化論者も認めている。

 

◆「大進化」とは

生物学では、数万年から数十万年に及ぶ長い時間をかけて「属、科、目、綱など」の大規模な進化的な変化(新しい種や属などの形成)が起こることを「大進化」と定義している。「大進化」の仕組みは「突然変異や遺伝子の流入により、遺伝子に変異が生じる。また、自然選択や遺伝子浮動によって、遺伝子頻度が変化する。さらに、隔離されることによって、独自の変異を重ね新しい種が生まれる」(新訂『生物図表』浜島書店2007年刊、214頁参照)と説明がされている。

進化論で問題となるのは「種」を跨いだ「大規模な進化」は起こるのか否か、自然発生的に漸進的に進化してきたのか否かということである。主流派科学では「種」の中で起きた小さな変異が、世代交代に伴って次第に増加していって、元の「種」とは似ても似つかない「種(別種の誕生)」となり、この繰り返しの結果「種」の間の大きな違いとなって、基本種を跨いだ大規模な進化(大進化)となったと説明している。つまり「単細胞生物」→「多細胞生物」→〇〇→「脊椎のある魚類」→「両生類」→「爬虫類」→「鳥類や哺乳類」へと、完成度の低いものから高いものへと漸進的に進化したとしている。

生物学では、「大進化」とは単に「小進化」の積み重ねとされているので、「小進化」と「大進化」との間には本質的な差異はないと言われている。「総合進化説」では進化には「種分化(新種が生まれる過程のこと)」「系統進化(原始的なウマから現代のウマへの進化)」「大進化(爬虫類から鳥類・哺乳類への進化)」の三種類があるとする。総合進化説ではこれらの三種類の進化の全てが、「突然変異」と「自然選択」によっておこると説明している。なお創造論者は、「大進化」は有り得ないことと見ている。

 

<注3>

◆走性(そうせい)

走性とは刺激に対して、体が刺激源に近づいたり遠ざかったりする行動のこと。

例:夜行性の昆虫は光源に寄ってくる。

 

◆反射

反射とは、生体が生まれつき持っている一定の反射行動(機械的な反応)のこと。

大脳皮質が関与する意志とは関係なく、反射中枢(脊髄・延髄)で処理される反応のこと。

大脳皮質がない下等動物の活動は、ほとんどが反射行動(無条件反射)で占められる(→ここから“意識的行動と見える”もののほとんどは、その個体の単なる反射行動といえる)。

 

◆本能

本能とは動物が個体維持や種族維持のために表す生まれつきの行動や能力のこと。

本能行動は学習や思考によらずに外部の刺激に対して引き起こされる走性や反射が複雑に組み合わさったもので動物の種ごとに決まっている。最近では本能行動と言わずに「生得的行動」「遺伝的にプログラミングされた行動」と言われている。

 

◆経験に基づく学習

経験に基づく学習とは、高等動物になれば生まれつき備わっている本能行動以外に、経験に基づく行動がとれるようになる。経験に基づく行動とは「慣れ」「条件反射」「刷り込み」「試行錯誤」等の学習に基づく行動などが観察される。

大脳皮質が発達している霊長類や犬猫などに見られる。予想することや未経験のことに対処する行動が見られる。

 

◆表出機能、信号機能

高等動物の意識は、動物の肉体器官から発する意識(表出機能、信号機能のみ)であって、人間のように肉体器官から離れて、一段高い次元から自分を見つめるという高次の意識はない。その理由は高等動物には自己を客観視するための主体(霊的要素たる自我の本体)がないから。

 

☆コメント

霊の世界にいる「意識」が物的体験を積んで「進化」するためにまとう物的形体の「発達」過程を、動物が大脳皮質を持っているか否か(どの発達段階から有するようになるのか)、動物の“種”ごとに決まっている本能行動、経験に基づく学習能力の習得など、これらを総合して判断して見れば、「意識」がまとう物的形体を“系統的”に表すことが出来る。

 

 

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