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5章、再生人生

目 次

1.霊的家族(類魂)との再会

・霊的家族

・意識の共有化現象

・「私」の二面性

2.再び地上へ

・何のために再生するのか

・指導霊との協議

・モデルケース

・出生準備段階に入る

3.地上体験を積む

・地上体験の大切さ

・自我の確立期

4.あとがき

・良い旅を!

・大切なこと

・<注1>

 

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1.霊的家族(類魂)との再会

☆霊的家族

霊界(狭義)では霊的レベルが同一で、しかも完璧な親和性を持った霊たちは「類は友を呼ぶ」、似た者同士は自然と寄り集まるという形で霊的グループを形成している。このグループを「霊的家族(類魂)」と呼んでいる。幽界の「虚の世界」を卒業して、霊界の「実相の世界」へ移行した「本来の私(=インディビジュアリティ)」は、自動的に「霊的家族(類魂)」のもとに引き寄せられる。この「本来の私」という意識の中に地上時代に形成した「地上的人格(=パーソナリティ)」が溶け込んでいる。

 

☆意識の共有化現象

霊的家族に戻った「本来の私」は、地上における自らの“体験(→他のメンバーから見れば間接体験となるが)”を、類魂メンバーそれぞれの“直接体験”に変換する「意識の共有化」を行って、共有状態の意識を作り出す。このように特定のメンバーの地上体験を、メンバー全員の“直接体験”に変換して、共同で霊的成長を図っていく点に「類魂・再生」の特徴がある。

 

☆「私」の二面性

霊界に於ける個別霊たる“私”には、客観と主観の二面性がある。

まず「客観的存在としての私」という側面がある(→これを便宜上“本来の私=インディビジュアリティ”とする)。地上時代に作ってしまった“霊的負債(=マイナスのカルマ)”は、自己責任に基づいて作った霊自身が解消する。この場合の“霊”とは、個別霊である「客観的存在としての私」を指す。この「私」に関して高級霊は「個的存在が消えてなくなる時は永久に来ません。反対に完璧に近づくほど、ますます個性が顕著になっていきます」と述べて、個別霊は「個性化の道」を辿るという。

 

これに対して「主観的存在としての私」という側面がある(→これを便宜上“拡大した私”とする)。この意識(平面的な意識)は私たちが時折見かける「相思相愛の度合いが極めて高い夫婦」の主観的感情に似ている。外見上二人は夫と妻という別々の個別霊であるが、この夫婦の主観的感情は、「類魂意識(共有状態にある意識体)」の原初的形態のようなものである。この他に「主観的存在としての私」には浅い部分から深い部分に跨る「意識の奥行き」が存在する。

 

2.再び地上へ

☆何のために再生するのか

霊界通信によってもたらされた霊界(狭義)に関する情報は少ない。その数少ない情報の中から「類魂・再生」に関する部分を拾い出して、それらを基にして想像の翼を広げて一つのストーリーを作ってみた。

 

指導霊を交えたメンバー全員の協議で、霊的家族(類魂)が一段と高い霊的成長を目指していくためには、さらなる地上体験を積む必要があるとの判断が下された。そこで霊的家族(類魂)の中からメンバーを代表して、一人の個別霊(→客観的存在としての私)が新たな地上体験を積むため再生していった。

 

たとえば私が所属する霊的家族(類魂)では、霊界に於いて進行中の「〇〇〇というプロジェクト」に参加したいと願っているとする。しかし現在の霊的家族には、その仕事に携わるだけの霊的な力量が不足している。そのためメンバーの中から個別霊Aは霊的家族を代表して、地上に再生して「困難に耐える」という体験を積んで、自らの霊的力量を高めて、その高めた成果を霊的家族全員に分け与えようと決意した。あわせて地上でしか償えない個別霊Aが過去の再生時に作ってしまった“霊的負債(マイナスのカルマ)”の完済を図ろうと決意した。この霊的負債は作った個別霊の自己責任で完済すべきものであり、霊的家族の他のメンバーが肩代わりをしたり、霊的家族全員の負債となったり、自動的に免責されたりするような性格のものではない。

 

地上人生において誰もが遭遇する「困難・悲劇・苦しみ」などの体験を、霊界側の視点に立って眺めて見れば、そこには個別霊が霊的成長する為の“魂の磨き粉”的な役割を有していることが分かる。個別霊が地上で獲得すべき体験や霊的負債の内容如何に応じて、この“魂の磨き粉”には、粒子の“粗いもの(→身を削る思いを体験する困難や苦難)”から粒子の“細かいもの(→比較的楽な困難や苦難)”まで数多いパターンがある。

Aは地上における困難や苦難という“磨き粉”を使って自らの霊性を高めていくことになる。そして再び霊界(狭義)に戻り、Aの地上体験をメンバー全員の体験に転換させて「意識の共有化」を行い、共有状態の意識を作り出す。その「意識の共有化」によって霊的家族の霊性は一段と向上する。そして霊界に於ける“希望職種”が要求するだけの力量を満たした「有資格者」となることができるわけである。

 

☆指導霊との協議

再生を決意した個別霊Aは指導霊との協議を行って、今回の地上人生において最も効率よく再生目的を達することができる“出生条件”を設定した。Aはこの“出生条件”を大枠とした再生人生のプログラムを了承して出生することになる。

了承した再生人生は寿命という時間軸(=出生から死までの長さ)と、再生人生で到達する霊性レベルの上限と下限、そして再生目的達成に最も適した「試練・環境・性別・体質」からなる大枠である。この大枠を地上的視点から見れば「私の人生はあらかじめ決定されている」と言えるかもしれない。しかしこの枠内において自由意志の行使という不確定要素が加わって、いわば「筋書きだけの即興劇」(注1)を演じながらAの地上人生が進行することになる。

 

☆モデルケース

次に“出生条件”のモデルケースを作成してみた。

最初に個別霊Aは今回の再生人生で「学ぶべき体験―㋐」や、解消を図りたい「霊的負債―㋐」を特定する。これがいわば今回の再生人生のテーマとなる部分である。次にAは㋐のテーマを全うするために最も適した「試練の種類―㋑」を選択する。

その際に選択する“試練の種類”とは大分類に該当する試練を指す。たとえば「人間関係の問題(=家族関係、夫婦関係、職場の人間関係等)」「所有欲の問題(=物欲、金銭欲等)」「愛情問題(=性・愛の問題等)」が代表的な試練の大分類項目にあたる。出生後の時代背景や境遇によって、これらの大分類の中から、または複数の大分類の試練が複合的に重なった中から、最もふさわしい中分類や小分類の試練が“魂の磨き粉(→試練から受け取る主観的な痛み、この痛みを左右する磨き粉の粒子は個々人によってその粗さは異なるが)“として、アレンジした形でAの面前に登場してくる。

 

たとえばAは「人間関係の試練」を選択したとする。出生後「家族関係(㋑―①)」という形で最初の試練を受けることになった。Aは暴力的な父親のいる家庭に出生したとする。このような家庭環境の中でAがとりうる大まかな選択肢としては、暴力に耐えかねて家出をする道と、じっと耐えて就職や進学という形で穏便に実家を離れる道とがある。Aは自由意志の行使によって前者の家出を選択して、歓楽街にたむろしている不良仲間に入った。

 

このように「㋑―①」に対してどのように対処するかは、その時その時のAの置かれた境遇によって異なってくるので、出生前に細部まで選択してくることは出来ない。Aは大枠内で設定した試練に対して自由意志を行使して、自らの人生を切り開いて行くわけである。いわば自由意志の行使によって「上(=霊性レベルを高める方向)」に行くか、「下(=霊性レベルの停滞を招く方向、負のカルマを作ってしまう方向)」に行くかの選択の余地があるわけである。

この「㋑―①」の対処によって、次に出現する「㋑―②」の具体的な試練の形が決まってくる。この「㋑―②」をAは自由意志の行使によってどのように乗り切るかによって、次に出現する「㋑―③」の現れ方が決定されるわけである。このように大枠内で選択した大分類内にある中小分類の試練を使って再生目的の達成をはかることになる。

 

次にAは㋑の「物的な試練」を無理なく体験できる「寿命―㋒」を選択する。㋒には“糊代部分”がある。肉体は一種の機械なので乱暴に扱えば耐用年数を待たずに壊れるし(→壊す意図で乱暴に扱えば自殺となるので、ここでは壊す意図はないが無知から乱暴に扱う場合を指す。例えば荒れた生活や暴飲暴食漬けの生活など)、メンテナンスを欠かさず丁寧に扱えば耐用年数を超えて長持ちする。この範囲を寿命の“糊代部分”と呼ぶことにする。

 

Aは上記㋐㋑㋒の条件に最も適した「国・民族(=先進国、最貧国、紛争地など)」「両親・家庭環境(=富裕層の家庭、貧困家庭、黒人や白人の家庭など)」「性別(=目標達成に最も適した性別)」「体質(=霊媒体質、気質、障害を持つなど)」を選択する。最後にAはこれらの前提条件に見合う両親を選定して、その子として地上に誕生する。そして「筋書きだけの即興劇」を、自由意志を行使しながら演じて、自らの再生目的の達成に努めている。

このような展開になるので「一切の出来事はあらかじめ決定されていて、なるようにしかならず、人間の努力もこれを変更しえない」とする「人間ロボット説」は、スピリチュアリズムの立場とは相容れない。

 

☆出生準備段階に入る

指導霊との協議を終えると、Aは霊界の“出生簿”に名前が登載される。名前が“出生簿”に登載されると同時にAは“出生準備段階”に入る。この時点のAの意識状況は、例えば霊界にいる本来のAの霊的意識(=インデビジュアリティ)レベルを50歳相当とすると、乳幼児相当の精神状態まで意識レベルを落とした形となる。いわばAの霊的意識の一部(→意識を溶液に見立てて、50歳相当の意識レベルにある溶液とする)は、乳幼児レベルの精神状態を表現する“容器”の中に閉じ込められたような形となる。この容器に閉じ込められた“溶液(=小さな霊的意識)”がAの再生人生で“良心”として顔をのぞかせる潜在意識(=霊的意識)となる。容器の外に広がるもっと深い潜在意識には(→大きな霊的意識。Aの霊性レベルにもよるが、この部分には前世の地上体験で培った前世意識、類魂意識や拡大した類魂意識等が含まれる。さらに地球の霊的貯蔵庫の記憶にもコンタクトできる。いわゆる潜在意識の奥行きのこと)、通常はコンタクトできない。

この乳幼児の精神状態で生殖細胞が受精する瞬間を待つことになる(→精子と卵子が結合して受精卵が出来るのを待つ)。受精の瞬間に両親のDNAを受け継いだ受精卵と、Aの乳幼児レベルの意識(=容器)は結び付いて、再生人生がスタートする。

 

小さな“容器”内に取り込まれたA50歳相当の霊的意識(=小さな霊的意識)は、時おり潜在意識として“容器”の表面(→Aの顕在意識)に良心(道義心)という形で浮き上がっていく。その後Aの顕在意識である“容器(=地上的人格、パーソナリティ)”は、「乳幼児期→少年期→青年期→壮年期→老年期」と成長しながら地上体験を積んでいく。そして体験で着色された溶液を“容器”内に取り込んで、さまざまな色合いに染め上げていく(→容器内に閉じ込められた小さな霊的意識、つまり50歳相当の霊的意識に地上体験が混ざりあって着色した溶液となる)。

 

3.地上体験を積む

☆地上体験の大切さ

地上は物質の世界であるため、思念は副次的な意味しか持たない。なぜなら思いは行為を伴って始めて外部から判別できるから。霊の世界は思念の世界であるため、心に思うこと(思念)がそのまま現実となって現れる。私たちは地上におけるさまざまな体験を通して、「意志の力」と「集中力」を身につけている。この体験が将来、霊の世界に移行したのちに、大いに役に立つことになる。なぜなら霊界に於いては、思念はすべてのモノを作り出す素材だから。いわば地上世界は“思念の訓練場”であるといえる。

 

これに対して、胎児霊や乳幼児の霊は地上体験がない、または僅かしかないため、思念でモノを作り出す力が弱い。そのため指導霊はあらゆる場面を使って、「信念と創造力」を教えることになる。霊界通信には指導霊が胎児霊や乳幼児の霊に対して、「信念と創造力」を使ってモノを作り出すことを教えている場面が出てくる。

生きるための“呼吸をする・乳を飲む”という行為には、その裏側に生きようとする意志力(→本能の働き)が存在する。多少なりとも地上世界で意志力を行使する体験を持てた乳幼児は、これらが霊の世界において思念を行使する際に役立つことになる。また短期間とはいえ潜在意識と肉体の各器官との連携パイプも繋がった。これに対して地上体験が全くない胎児霊は、思念の訓練をする機会が持てなかった。また潜在意識と肉体のパイプも出来ていないという違いがある。

 

☆自我の確立期

地上に無事に出生して成長するにしたがい“透過性の容器”は、次第に“不透過性の容器”に変化していく。一般に幼児期の不思議な体験として語られる「中間生記憶(→筆者は出生リスト登載時から受精時までの記憶としてこの概念を使用する)」や「胎内記憶(→受精時以降、母親の胎内にいる時の記憶)」は容器内に閉じ込められた記憶なので条件が揃えば顕在意識化される。さらに幼児期段階では“容器”はいまだ透過性を有しているので、前世における記憶も“透過性の容器”を通って顕在意識に上がってくることも有り得る。

前世体験等が含まれる深層の霊的意識が、表面の顕在意識に上がってくる流れは「本来の私という大きな霊的意識―→容器内に閉じ込められた小さな霊的意識―→顕在意識」として、深い部分の霊的意識は“透過性の容器”を通って表面の顕在意識に滲み出てくる。

 

その後地上生活を経ていく中で、精神的にも肉体的にも成長してきて、一般には10代頃になると自我意識が確立されてくる(→発達心理学でいう反抗期を経て自我が芽生えてくる時期のこと。地上的意識たるパーソナリティの確立期)。つまり思春期における自我の確立とは、“透過性の容器”が“不透過性の容器”に変化し、霊的意識が内と外が完全に仕切られ、これが完了したことを意味する(→小さな霊的意識は容器内に閉じ込められることによって大きな霊的意識と分離される)。地上体験を積んで着色された溶液を“容器”内に取り込んで、さまざまな色合いに染め上げていくためには、“容器”は“不透過性”になっていることが前提となるから(→地上的な自我の確立が前提)。なお内観法や瞑想を続けると「自我が消えていく」といわれるが、これは“不透過性の容器”が“透過性の容器”に変質して、より大きな霊的意識が表面に出てきやすくなる事を表している(→または容器内に閉じ込められた小さな霊的意識が表面に上がってき易くなること)。

 

その後さまざまな地上体験を経るにつれて、“容器の中の溶液(=小さな霊的意識)”にさまざまな色彩が取り込まれ、溶液は独特な色合いに着色されていく。人によっては“歪んだ欲望(=残忍さ・傲慢さ・貪欲・淫乱など)”が魂に深く染み込んでしまい、その結果ケバケバしい独特な色彩を帯びた溶液になってしまった人もいるであろう。そのようなケバケバしい溶液となった場合は、幽界の「浄化のための世界」で厳しい試練を経ていく中で、ケバケバしさを消し去った“無害な溶液(=小さな霊的意識)”に中和させていかなければならない。その後の幽界生活の中で次第に“容器”の壁が崩れていく(→主に明確な霊的自覚が芽生えて以降)。そして“容器”内の着色された“無害な溶液(=小さな霊的意識)”は本来の私の大きな霊的意識の中に取り込まれていく。

 

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4.あとがき

☆良い旅を!

私たちは遅かれ早かれ誰でもあの世に行くことになっている。今からでも遅くはないので肉体の耐用年数が満了するまでに、以下に掲げた「大切なこと」を意識にしっかりと叩き込んで、それを自分の中で消化しましょう。

そして寿命が尽きてあの世に行ったら、まずは「ガイド(→死の直後に辿るべきコースを導いてくれる指導霊)」を探しましょう。あなたの周りにキットいるはずです。姿が見えない場合は意識を「ガイド」に合わせましょう。あなたに見えるように波動を下げて物質化して姿を現してくれます。お会いしたら「ガイド」の言葉に素直に従いましょう。

最後に「地縛霊」となって不幸な霊界生活のスタートを切らないためにも、死んだら早めに自分は肉体を棄てて霊の世界にきたという「明確な死の自覚」を持ちましょう。

それでは良い旅を!

 

☆大切なこと

ア)基本的な知識

最低限の知識として、次の事柄は生前にしっかりと理解しておきましょう。

人間は物的身体と同時に霊的身体を併せ持つ存在であること。物的身体は死とともに脱ぎ棄ててしまい、あの世では霊的身体を使って自我を表現すること。たとえ物的身体に病気があったとしても、死によって物的身体は脱ぎ棄てるので病気から解放されること。私たちは死後もあの世で生き続けること。この世とあの世の間には交流する道が開けていること。さらに地上に残してきた、愛する人たちをあの世から援助することが出来ること。

 

イ)旅の行程表

旅の行程を簡略化すれば次のようになっている。

「死、寿命が尽きる」―→「手引きしてくれる指導霊との出会い(指導霊は帰幽霊のレベルに合わせて“物質化”して姿を見せる)」―→「明確な死の自覚を持つ(この意識が持てなければ地縛霊となる)」―→「明確な霊的自覚を持つ(この意識が持てなければいつまでも幽界の下層界に居住する)」―→「霊界(狭義)に入り霊的家族と再会する」となる。

 

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<注1>

この世とは、キャリアの異なるそれぞれの役者(→いわばベテラン役者、中堅役者、新人役者などに譬えられる、様々な霊的レベルにある個別霊)が、舞台劇を演じるために集合して、大まかな筋書きがあるだけの「即興劇(→細部においては自由意志の行使によるアドリブ劇)」を演じることによって、役者としてのキャリアを積み重ねていく場所であるともいえる。

舞台では配役ごとにデザインの異なる舞台衣装をまとって、親の役、子供の役、恋人役、敵役などにそれぞれ分かれて舞台劇を演じている(→各個別霊の再生目的に最も適した役に就いてアドリブ劇・即興劇を演じていく。それぞれの役者が舞台に登場してくる際に時間差が生まれることから、その結果役者によって絡む相手の役者が少しずつ異なってくるが)。そして幕が下りれば役者は、それぞれの世界(→霊的レベルと親和性によって引き付けられた本来の界へ戻る)に戻っていくことになる。

 

 

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