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スピリチュアリズムとキリスト教:総論編(注記)

<注1>

■デボラ・ブラム著、鈴木恵訳『幽霊を捕まえようとした科学者たち』(文芸春秋2007年刊)36頁、37頁参照。

1853年には『テーブル・トーキング――悪魔の驚異を暴露する』というスピリチュアリズムを攻撃する本が出版された。

 

<注2>

■イヴォンヌ・カステラン著、田中義廣訳『心霊主義』(白水社・文庫クセジュ1993年刊)123頁参照。

ケベック大司教の教書は「テーブルを通じていったい誰が答えることができるのか。それ自体は生命も知性もないテーブル自身ではありえない。死者の魂か。だが選ばれた魂はわれわれの下劣な好奇心を満足させるために、わざわざ至福の状態を離れはしないだろう。・・・それでは? そこで残るのは、悪魔自身、および人間の軽信を手玉に取る悪魔の軍団である・・・悪魔と戯れる者は、イエス・キリストにおいて楽しむことは許されまい」と述べている。

 

<注3>

■近藤千雄著『日本人の心のふるさと“かんながら”と近代の霊魂学“スピリチュアリズム”』(コスモス・ライブラリー2006年刊)116頁の記載によれば、エドモンズは「18534月に入ってようやく霊界との通信の実在に得心がいった。その正味2年と2カ月にわたる期間中に私は実に何百種類にも及ぶ心霊現象を観察し、それらを細かくかつ注意深く記録した」と述べている。このような過程を経てエドモンズは、心霊現象は真実であるとの確信を持つようになった。

ロバート・ヘアー(Robert Hare1781年→1858年:ペンシルヴェニア大学の化学の名誉教授)は、最初に新聞でスピリチュアリズムを批判した科学者の一人であった。1853年に研究を開始して数々の霊能者を調査したが、当初の意に反してこの世のものではない力や知性が実際に働いていることを証明することになった。その研究成果を1855年に『心霊現象の実験的研究』として出版したが激しい批判にさらされている。ヘアー自身、キリスト教に対する十分な配慮を見せており、そのために多くのページを割いている。

■ジョン・レナード著、近藤千雄訳『スピリチュアリズムの真髄』(国書刊行会1985年刊)86頁以下参照。

スピリチュアリズム勃興期の啓蒙書に共通して見られる特徴として、キリスト教に対する配慮(または遠慮)があるという。「当時(1860年代~1870年代頃)はキリスト教絶対の時代であった。そうした理由もあって当時のスピリチュアリズム啓発書の大部分は、本質的にはスピリチュアリズムがキリスト教といささかも矛盾しないことを説明せんとする、いわば弁明的な内容を持つものであった」。さらに「当時は宗教的なドグマというものに対して今日のように自由な解釈を施すことはとても許される世相ではなかった。オーソドックスなドグマと相容れない立場に立つことは大変な勇気のいることだった。したがってスピリチュアリズムについて筆を揮う者は、それこそ恐怖におののきながら筆を執った。そして、きまって自分がキリスト教に背を向ける意志も、否定する意図もないことを立証することに最大の努力を払った。当時のスピリチュアリズム関係書がキリスト教との関連性に力を注いだことは、そうした理由があったのである」。

 

<注4>

■イヴォンヌ・カステラン著、田中義廣訳『心霊主義』(白水社・文庫クセジュ1993年刊)121頁以下参照。

1853年にヴィヴィエの司教ギルベール(のちの枢機卿、パリ大司教になった)は、テーブル・ターニングの性格と危険を指摘している。さらにこの他のフランス各地の司教(ル・マンの司教、オータンの司教、カンブレの司教、ルーアンの司教、マルセイユの司教、ヴェルダンの司教、アルビの司教、レンヌの司教、オルレアンの司教、ディジョンの司教、ポワティエの司教)も同様な指摘を行っている。

これらの司教に共通する見解としては、「心霊現象の多くが詐欺」であり、「心霊主義(スピリチュアリズム)は悪魔の所業である」との指摘であった。そしてスピリチュアリズムを厳しく糾弾した。この宗教界の動向に呼応する形で、1854年にフランスの科学アカデミーは心霊現象に反対の立場を表明している(『心霊主義』11頁)。

■このように社会の上層においてスピリチュアリズムを糾弾する声が強い中で、新聞王として名高いエミール・ド・ジラルダンの妻デルフィーヌ・ド・ジラルダンは、185396日ジャージー島に亡命中の知人ヴィクトル・ユゴーを訪ねて「テーブル・トーキング」を伝えた。

ユゴーは185510月にガーンジー島に移るまでの期間、テーブル・ターニングによる交霊に没頭した。その後ユゴーは知名度を生かして多くの著名人をスピリチュアリズムに「改宗」させた――『心霊主義』11頁。および稲垣直樹著『ヴィクトル・ユゴーと降霊術』(水声社1993年刊)21頁以下参照。

 

<注5>

■アラン・カルデック著、角智織訳『スピリティズムによる福音』(幻冬舎ルネッサンス2006年刊)14頁参照。

この著書の冒頭部分で「福音書に記された内容は五つの部分に分類することができます。①キリストの生涯における出来事、②奇跡、③預言、④教会の教義を確立させるために用いられた言葉、⑤道徳的な教え、最初の四つの部分は議論の対象となってきましたが、最後の一つに関して異議を唱える者は誰もいません。・・・教義の違いが引き起こす、さまざまな宗教的論争の対象にはなり得ないものです」(前著14頁)。こうしてキリスト教会に対して予防線を張ったうえで、「⑤道徳的な教え」の新解釈を行った。このようにカルデックにはキリスト教に対して細かな配慮を見せている。

この点からも言えるように、カルデックのスピリティズムが「キリスト教的スピリチュアリズム」と親近感を持つ所以ではなかろうか(→ブラジルの宗教統計調査では、キリスト教徒の中に「スピリティスト・カトリック」という項目がある)。

翻訳者の近藤千雄氏によれば「(カルデックに対して)既成宗教界、とくにキリスト教界からの非難中傷が激しかったようで、カルデックはそれに対する理論武装に大変な神経と紙面を費やしている」という。近藤千雄訳『霊媒の書』(スピリチュアリズム普及会1996年刊)「あとがき」参照。

 

<注6>

アランン・カルデックは1864年に『スピリティズムによる福音』を出版した。稲垣直樹氏によればこの著書は「新約聖書を見直しながら、同時にカルデックはスピリチュアリズムをキリストの教えの正統な後継者としたのであった。新しい時代のキリスト教である。スピリティズムは強い宗教性を帯びるにいたる」(『フランス心霊科学考』人文書院2007年刊、282頁)という。

さらに1868年に『創世記、心霊主義による奇蹟と予言』を出版しているが、この著書で「カルデックは旧約聖書の創世にまつわる記述を、同時代の最先端の科学知識に照らして大きく修正している」という(稲垣直樹著『フランス“心霊科学”考』人文書院2007年刊、282頁参照)。カルデックはこのようにキリスト教を全面的に否定するのではなく、「枠組みを残して、キリスト教をスピリチュアリズム側から新解釈を行っている」こと、再生とカルマを前面に出していることなど(『天国と地獄』などの書籍)、この点からも「スピリティズムは宗教性の強いスピリチュアリズムである」といえる。

 

<注7>

■近藤千雄訳『シルバーバーチの霊訓』9巻潮文社、157頁参照。

一般に霊が物質に働きかけを行う際には、媒体となる中間物質(=半物質)が必要となる。人間は霊体と肉体の二重構造になっているが、霊は半物質たる中間物質(一般には「幽質結合体」「ダブル」「複体」などと呼ばれているが立場によって名称が異なるだけ)がなければ肉体に働きかけることは出来ない。このことから地縛霊(中間物質たる「幽質結合体」を脱ぎ捨てることができない霊)や、地上的習慣からいまだ抜けきっていない低級霊(中間物質を身にまとうことが容易い霊)は、物質世界たる地上に影響力を行使しやすいと霊界通信では述べている。このような特性を生かして、地縛霊状態を脱した低級霊は物理的実験会では高級霊の監視のもとで霊界の技術者として働いているという。

 

<注8>

■アラン・カルデック著、浅岡夢二訳『霊との対話』(幸福の科学出版2006年刊)318頁。

<注9>

■イヴォンヌ・カステラン著、田中義廣訳『心霊主義』(白水社・文庫クセジュ1993年刊)123頁以下参照。

焼却された書籍は次のとおり。

『心霊評論』(編集長:アラン・カルデック)、『心霊主義評論』(編集長:ピエラール)、『霊の書』『霊媒の書』『心霊主義とは何か』(著者:アラン・カルデック)、『モーツァルトの霊が教えたソナタの断片』、『カトリック信者の心霊主義についての書簡』(著者:グラン博士)、『ジャンヌ・ダルク物語―彼女自身がエルマンス・デュフォ嬢に教えた』、『直接書記によって示された霊の実在』(著者:グレデンシュトゥッベ男爵)。

火刑に立ち会ったのは、僧服をまとい、片手に十字架、片手に松明を持った司祭。火刑調書をしたためる役の公証人。公証人の書記。税関の高官。火をくべる役の三名の税関のボーイ。司教によって断罪された著作の所有者を代表する税関の役人。無数の群集遊歩道にあふれ、火刑台の立つ広大な高台をうずめた。心霊主義三百冊の書物と冊子が燃え尽きると、司祭と補佐たちは引き上げた。

 

<注10

■粕川章子著『D. D.ホームの霊能』(日本心霊科学協会1957年刊)114頁以下参照。

ホームは英国国籍を持っていたため英国領事はローマの長官と会見を持った。「長官は、ホームは人心を操縦する不可思議な力を持つこと、そして魔術は法律によって禁ぜられていることなどを語った。しかし、その会見の結果、ホームがローマにいる間は霊界との交渉を断つならば、そこに留まってよいという結論となった」。しかし心霊現象の生起は「ホームにとっては自然現象」なので、自身で止めることは出来ないのでローマを離れたという。

■ジャネット・オッペンハイム著、和田芳久訳『英国心霊主義の抬頭』(工作舎1992年刊)117頁の記載によれば、ヴァチカンは1864年初頭にホームを魔術の罪で破門した。

当時アメリカでは1866年のボルチモア会議において「心霊現象の少なくともいくつかは悪魔の力によるものである」(『英国心霊主義の抬頭』118頁)とみなしていた。イングランドではマニング枢機卿が「心霊主義は悪魔の目的に奉仕している」と激しい非難を浴びせた。

ノッテンガムのカトリック主教、エドワード・ジルビン・バッグショウ博士は1893年、スピリチュアリストとして著名なW.T.ステッドに対して次のような警告を発した。「あなたの手を使いながら、あなたがその存在に気づいていない霊は、悪魔に他ならない。この不可視なるものと、かくのごとき不法なる交信を続けると、必ずや神の敵、魂の殺害者、原初からの偽りなるものによって破滅へと導かれるだろう」(『英国心霊主義の抬頭』118頁)。このようにカトリックの立場を簡潔にまとめて、ステッドに対して警告を発した。19世紀末でさえこのような状況であった。

 

<注11

■アラン・カルデック著、浅岡夢二訳『霊との対話』(幸福の科学出版2006年刊)293頁。

<注12

■春川栖仙編『スピリチュアル用語辞典』(ナチュラルスピリット2009年刊)320頁参照。

■アーサー・E・パウエル編著、仲里誠桔訳『神智学大要Ⅱ』(たま出版1981年刊)240頁。

 

<注13

W.S. モーゼス著、近藤千雄訳『インペレーターの霊訓』(潮文社1987年刊)104頁の記載では、一般的な再生には触れずに、極めて例外的な再生のケースを述べるに留めている。それによれば再生の問題についてインペレーターは、「一般に信じられている形での再生説は間違っている」と述べ、「偉大なる霊が人類の啓発のためにみずから志願して地上へ降誕することは、これまでの地上の歴史に幾つか例があること、また、霊性の汚れが極端な場合は最低界へ沈んで行き、いったん“霊の海”へ埋没してから改めて生まれてくることもあるという。ただし、その場合は多分この地上ではなく別の天体になる」という。

さらに『インペレーターの霊訓』132頁においては「霊の再生の問題はよくよく進化した高級霊にしてはじめて論ずることのできる問題である」と述べている。

 

<注14

W.S.モーゼス著、近藤千雄訳『インペレーターの霊訓―続、霊訓―(新装版)』(潮文社2008年刊)216頁以下参照。

<注15

■アーネスト・トンプソン著、桑原啓善訳『近代神霊主義百年史』(コスモ・テン・パブリケーション1989年刊)によれば、オーエンの『ベールの彼方の生活』は、ノースクリッフ卿の日曜週刊紙『ウィークリー・ディスパッチ』に192021日から連載された。

「オーエンはこの膨大な原稿に対し、一円の稿料も貰うことを拒否しました。この記事は神霊主義の知識を広く一般に普及することになり、スピリチュアリズム運動への大きな関心を引き起こしました。だが、オーエンはこのため教会の上役から迫害を受け、多大の苦しみを味わいました」(『近代神霊主義百年史』97頁)。

 

<注16

G.V. オーエン著、近藤千雄訳『ベールの彼方の生活』(潮文社1985年刊)の「まえがき」によれば「私は声を大にして断言して置くが、新しい真理を目の前にした時の聖職者の懐疑的態度だけは、いかなる懐疑的人間にも決して引けを取らないと信じる。ちなみに私が本通信を“信ずるに足るもの”と認めるまでにちょうど四分の一世紀を費やしている」(前著10頁)とある。

 

<注17

■理神論は17世紀末から18世紀にかけて、イギリスの自由思想家が啓蒙主義の立場から主張したもので、合理的宗教の確立を目指した。チャーベリーのハーバート卿は、1624年出版の『真理論』で、「宗教的な戦国状態(→イギリスの清教徒革命時代)」を収拾するための理論として「真理の基準」を提示した。ハーバードは理神論の先駆者とされている(大久保正健著「理神論の系譜」:『イギリス思想の流れ』北樹出版1998年刊、所収)。

理神論の代表的著作にはジョン・ロックの『人間知性論』(1690年)がある。理神論はニュートン学派の機械的世界観に影響を及ぼしたという(A.E.マクグラス著『科学と宗教』教文館2009年刊、29頁)。

■よく知られた話であるが、ダーウィンの神観は理神論であった。ダーウィンは『種の起原』の中で「神」に言及しているが、その「神」とは理神論的な創造主であった。生物哲学者のマイケル・ルースによれば「ダーウィンの神は宇宙を運動状態に置いたけれども、それ以後は、自分の被造物に何らの介入もしない存在であった。むしろ神は、不滅の法則を通して作用する」「事物に動きを与え、その後は自らの作品から一歩退いている神」であると述べている(マイケル・ルース著「進化論の出現」36頁、77頁、80頁参照:渡辺正雄編著『ダーウィンと進化論』共立出版1984年刊、所収)。

ダーウィンは(→晩年は不可知論者となったが)、「神の関与」は万物を創造する手前、つまり宇宙を運動状態に置いた時点までであるとした。それ以降の創造に神の関与は一切ないとした点で一般の理神論とは異なるが。

1879年ドイツの学生から宗教問題に関して出された質問には、ダーウィンの家族が代筆して答えている。「彼の考えるところによれば、進化論は神の信仰と完全に合同する。但し、その神なるものは、各人各自異なった定義を持っているということにご注意願いたい」(フランシス・ダーウィン著、小泉丹訳『チャールズ・ダーウィン―自叙伝宗教観及び其追想―』岩波文庫1927年刊、113頁)とも述べている。

このようにダーウィンは進化論と宗教とは互いに影響し合う関係にあるといえども、決して対立矛盾するものとは考えていなかった。

 

<注18

■ローマ・カトリック教会は1917424日にスピリチュアリズムについて公式見解を出した。イヴォンヌ・カステラン著『心霊主義』125頁以下の記載によれば、決定の内容は以下の通り。

――「いわゆる霊媒により、もしくは霊媒によらず、あるいは催眠術を用い、もしくは用いず、いかなるものであれ何らかの心霊現象に、たとえそれが誠実で敬虔な様相を呈するものであっても、心霊現象に立ち会うことは許されるか。たとえ悪意の霊とはいっさい交渉するつもりはないと暗黙にもしくは公然と断言するとしても、魂もしくは霊に質問することによって、あるいはその答えを聞くことによって、あるいは観察者として、心霊現象に立ち会うことは許されるか」との諮問がなされた。その諮問に対する回答は「いと徳高き神父たちの答申はこれらのすべての点について否である。同月26日、ベネディクトゥス15世聖下は、いと徳高き神父たちの決定を支持なされた」――。

20032月にローマ・カトリックの「教皇庁文化評議会」「教皇庁諸宗教対話評議会」「教皇庁福音宣教省」「教皇庁キリスト教一致推進評議会」によって構成された「新宗教運動についてのワーキンググループ」によってまとめられた文章として、『いのちの水をもたらすイエス・キリスト――ニューエイジについてのキリスト教的考察』(Jesus Christ the Bearer of the Water of Life : A Christian reflection on the “New Age”)(邦訳『ニューエイジについてのキリスト教的考察』カトリック中央協議会2007年刊)がある。

この文書の内容は「キリスト教信者の一部がニューエイジ的宗教観性に引きつけられる理由の一つには、彼らが属する教会が、実際にカトリック教会全体の一部を成しているさまざまなテーマに対して真剣に注意を払わないでいたことにあります。すなわち、人間の霊的な次元での重要性や、この霊的次元を生活全体と統合すること、人生の意味の探求、人間と他の被造物とのつながり、個人と社会の変革への望み、そして人間に関する合理的・物質主義的な見方への拒絶といったテーマです」と述べている。

司牧活動を行う人が、「ニューエイジを一つの文化的思潮として把握して、そのスピリチュアリティを理解すること」。そしてキリスト教の教えと比較しながら検討を行って、論駁出来るだけの資料の提供を行うことなどを目的として発行されたという。カトリック教会が発表したこの文章は「ローマ・カトリック側からのニューエイジ的宗教性に対する極めて強い危機意識の表れである」とみなされている。

 

<注19

■無神論とは「神の存在を否定する信念や理論の総称」のこと。

汎神論に関して大貫隆他編『岩波キリスト教辞典』(岩波書店2002年刊)910頁の解説をまとめると、汎神論は宇宙と神とを同一視し、それゆえ神の人格性、道徳性、超越性を認めない立場。その基本的発想は日本の自然主義的宗教の伝統にも見られる。自然のうちに神を求めて合一を希求し、安易な概念化を拒否する神秘主義は、しばしば汎神論と境界を接する。キリスト教(正統教会)の立場からは、汎神論は神の超越性を侵害する無神論として指弾されたという。

哲学者・神学者のバルク・スピノザ(Baruch Spinoza1632年→1677年)が1670年に著した『神学政治論』は、無神論として扱われて非難された。スピノザは「モーセ五書は複数により執筆された歴史的文書であり、啓示や預言は大衆に合わせて語られた表象にすぎず、どのような宗教も服従と隣人愛を説く点で普遍的に一致する」(『岩波キリスト教辞典』622頁)と聖書批判を述べた。

 

<注20

■浜林正夫・井上正美著『魔女狩り』(教育社・歴史新書1983年刊)149頁によれば、魔女は悪魔の奴隷であり「悪魔の存在を否定することは霊の存在を否定することであり、霊の存在を否定することは無神論に通じるといって悪魔の存在を肯定」した。そして「カルヴァニズムの教義にしたがって、人間を選民と、選ばざる者とに区別し、選民には神が救済を保証したが、選ばざる者は悪魔の手に委ねられた」として、悪魔の存在を強調した。

■『魔女狩り』163頁によれば、悪魔が存在すれば悪魔祓いの祈祷師(エクソシスト)が必ず登場してくる。1603年に国教会は問題の多い「悪魔祓い」について、「国教会の牧師は許可なく悪魔払いを行ってはならないという教会法を制定」した。

『魔女狩り』170頁では「当時の人々は魔女の存在そのものは否定していない」という。「魔女裁判の手続きはでたらめで、処刑された者の9割までは無実」であると主張していたが、10人中1人は本物の魔女だと信じていた。なぜなら「魔女の存在を否定することは、霊の存在を否定することであり、霊の存在を否定することは神を否定する無神論に通ずる」からだという。なお「キリスト教徒でなければ悪魔の誘惑を受けることはない」。また「この当時はキリスト教国には異教徒は存在しない(→非キリスト教徒のユダヤ人やジプシーは国外退去処分にされていた)」という建前になっていた(前著211頁)。

 

<注21

■浜林正夫・井上正美著『魔女狩り』(教育社・歴史新書1983年刊)194頁参照。

「魔女は悪魔と契約をした者」という考えをはじめて主張したのは、フランスの宗教裁判官ニコラス・ジャッキールの『異端者に与える鞭』(1458年)であったという。

■浜林正夫・井上正美著『魔女狩り』(教育社・歴史新書1983年刊)189頁参照。

 

<注22

■『魔女狩り』192頁、194頁、156頁参照。

『聖書(新共同訳、旧約聖書続編つき)』旧約聖書「出エジプト記」2217参照。

『聖書(新共同訳、旧約聖書続編つき)』旧約聖書「サムエル記」上の28章参照。

『聖書(新共同訳、旧約聖書続編つき)』新約聖書「ガラテヤ人への手紙」520参照。

 

<注23

■浜林正夫・井上正美著『魔女狩り』(教育社・歴史新書1983年刊)216頁参照。

著書によれば「カトリックは教会自体が魔術性を持っており、もともと魔術に対しては寛大であった」。さらに「こういう超能力は教会のみが持っているものであって、教会以外の者が直接に神の声を聞いたり、超能力を持つと称することは厳しく禁止されていた」という。この時期、霊は教会の管轄下に入っていた。

プロテスタントでは「教会が救済力を持つという考え方は否定され、教会は特別な力を持つ者ではなく、たんに信者の集団であるに過ぎない。病人を治療する力などが否定されたことは言うまでもない」という。マックス・ウェーバーはこのようなプロテスタントの考え方を「魔術からの脱却」と特徴づけた。

■ジャン・チュイリエ著、高橋純、高橋百代訳『眠りの魔術師メスマー』(工作舎1992年刊)127頁、147頁、262頁、279頁参照。

メスマーは彼自身の体内に満ちた「肉体磁気エネルギー」が、どのようにして他者の疾患に影響を及ぼすのかというメカニズムを完全には理解していなかった。しかし治癒する仕組みを自然法則からは説明がつかなかったとしても、目の前で病人が治癒しているという事実は、磁気治療を見学した専門家も認めざるを得なかった。

当時はいまだカトリックの影響が強い時代であったため、メスマーの磁気治療法は「魔術」や「悪魔祓い」と誤解されて、ローマの「検邪聖省」から差し止めを受ける恐れがあった。メスマーはそれを回避するため「治癒力を持つ流体が存在し、それが動物磁気を通じて伝えられる」。その流動体は「桶や磁化された水や物体に蓄えられる」との仮説を立てて、桶や電極棒、患者同士と装置を結ぶ綱などを組み合わせた治療装置を作った。患者は音楽が流れる効果的な雰囲気の中で、桶の周りに座って治療を受けた。

 

<注24

■ジャネット・オッペンハイム著、和田芳久訳『英国心霊主義の抬頭』(工作舎1992年刊)98頁~99頁参照。

カンタベリー大主教エドワード・ホワイト・ベンソン(1829年→1896年)は、「霊の顕現というものは、たいがいは未開社会、知性の劣る人間に見られる現象である」。そして「この問題に関しては、すべての精神的な問題と同じく、聖書が我々の至上の導きであると思われる・・・それ故に、霊媒を通して交信を行っているとされる存在に自ら歩み寄っていくような行為は、すべて背徳であり、危険であると見なさざるを得ない」と述べている。

 

<注25

■ジャネット・オッペンハイム著、和田芳久訳『英国心霊主義の抬頭』(工作舎1992年刊)113頁以下参照。

――「SPRのメンバーのリストには、英国国教会の副牧師、主任司祭、大聖堂主任司祭、大聖堂付き司祭、そして数名の主教までの名前が多く見られる」――

 

<注26

■モーリス・バーバネル著『これが心霊の世界だ』(潮文社1995年刊)250頁参照。

サイキック・ニューズ紙に掲載された調査報告書の主要部分は次の通り。

――「極めて重大なこととしてよく指摘されるのは、スピリチュアリズムが多くの点において信心深い人々が抱いている高度な信仰の数々を再確認していること、そうした信心深い人々にとってもすでに意義を失ってしまった教義の真実性に新たな確認を与えていることである」。次の部分はさらに意味深長である。「他界した友人がすぐ近くにいて、霊界でも成長し続けており、その後も自分たちに関心を抱き続けてくれているという認識は、それを実際に体験した者にとっては、<聖霊との交わり>の信仰に新たな即時性と価値を与えてくれる以外の何ものでもないことは、確かに真実である」。さらに言う。「確かに、福音書に記されている奇跡的諸現象と、スピリチュアリズムにおける実験によって確かめられた現代の心霊現象との間に実に明瞭な類似点があることは事実である。したがって、もしもわれわれが後者を科学的論述と証明が出来ないという理由で、疑問視しなければならないと主張するのであれば、聖書の奇跡も、キリストの復活そのものも、同じく科学的証明ができないものであることを付記しなければならなくなる」(『これが心霊の世界だ』253頁~254頁)――。

 

<注27

■近藤千雄著『あの世からの現地報告(三部作)その1』(コスモス・ライブラリー2007年刊)14頁参照。

 

<注28

■モーリス・バーバネル著、近藤千雄訳『これが心霊の世界だ』(潮文社1995年刊)247頁~248頁参照。

高級霊シルバーバーチの霊媒モーリス・バーバネルは次のように述べている。「聖職者は、自分で気づいているかどうかは別として、それまでに受けた神学上の教育によって、スピリチュアリズムに対して潜在意識的に嫌悪感を抱いているらしいのである。したがって、聖職者に対して感情的にならずにスピリチュアリズムを検討してくれることを望むのは、どだい無理なのである」。ただし「例外はある。聖職にありながらスピリチュアリズムの擁護者として、あるいは闘士として活躍した人がいたし、今でもいる。そういう人は自分自身が霊能者であるとか、結婚した相手の家族に霊能者がいたとか、あるいは個人的なことが原因で、死後の生命の証拠が欲しくて真剣に取り組み、それを見事に手にした、といったケースである」という。

■支配思想によってスピリチュアリズム思想が変質してしまった例として「和製スピリチュアリズム(唱道者、浅野和三郎)」に見ることが出来る。浅野の思想の形成には、幼少時代の漢学を通じて形成された儒教的な考え方、郷土に色濃く残っていた水戸学の影響や、時代の雰囲気であるナショナリズムなどが強く影響を及ぼしていた。これらが浅野の潜在意識の中に固着して根付いた上に、高級軍人の兄の思想的影響や職場の海軍機関学校の環境、さらには本田霊学の流れを汲む大本神諭(大本霊学)の影響などが積み重なって、浅野の中に独特な「復古神道・天皇中心主義思想」が育っていった。このような状況の中であとから入ってきたスピリチュアリズム思想は、浅野の支配思想である「復古神道・天皇中心主義思想」と融合した「和製スピリチュアリズム」となってしまった。

この結果、浅野によって「新スピリチュアリズム(特に根幹部分の神概念や霊的家族など)」は、天皇を頂点としたピラミッド体制の内側に収まる形で語られることになった。

 

<注29

W.S.モーゼス著、近藤千雄訳『霊訓、上』(スピリチュアリズム普及会1998年刊)29頁、103頁参照。

建設のための“地ならし(先ず夾雑物を取り除く)”をしなければならないとして、破邪顕正の必要性を述べている。

 

<注30

■ジャネット・オッペンハイム著、和田芳久訳『英国心霊主義の抬頭』(工作舎1992年刊)97頁、120頁参照。

キリスト教心霊主義者は「奇蹟の全てが、交霊会のテーブルの回りで実証される」こと。「キリスト教の信仰が心霊主義によって裏付けられた」ことによって、聖書の教えを信じることができたという。

■ジョン・ハーヴェイ著、松田和也訳『心霊写真』(青土社2009年刊)214頁の注2参照。

霊的な現象を目撃したという体験話は、キリスト教心霊主義者の場合には「歴史上の十字架や聖母や天使たちの目撃談に連なるものと見た」として、宗教的幻像と霊的現象との区別は明確ではないという。

■ダヴィド・B・パレット編『世界キリスト教百科事典』(教文館1986年刊)741頁~752頁参照。

ブラジルではスピリチュアリズムとキリスト教(カトリック)が融合して一大勢力となっている。ブラジルのキリスト教徒の項目には「スピリティスト・カトリック」という項目がある。1980年時点で「スピリティスト・カトリック」の信徒数は1984.3万人である。

この「スピリティスト・カトリック」の定義は「ローマ・カトリック教会員であって、霊媒宗教、ハイ・スピリティズム、ロー・スピリティズムなど、おもにアフロ・アメリカンのロー・スピリティズム祭祀(ウンバンダ、マクンバなど)に日常的に参加している者」となっている。

■本来キリスト教は霊媒現象を嫌う。霊媒現象を嫌う理由は、古代イスラエルにおいては一般に霊媒は厳禁されていた(イザヤ書81920)。これがキリスト教に引き継がれて「人に憑依する霊はもっぱら悪魔や悪霊と看做され、霊媒は迷信として忌避されたから」であった(『岩波キリスト教辞典』1215頁参照)。西洋において霊媒が一般的になったのは、スピリチュアリズムのブームが起きた19世紀半ば以降のことである。

ブラジルではキリスト教も土着化しており、霊の存在を前提とした「治療儀礼(心霊手術や心霊治療)」が盛んに行われている。この土着的・民俗的要素が融合したカトリックを「民俗カトリック」または「フォーク・カトリシズム」と呼ぶ。この特徴として聖人信仰がある。この「聖人信仰と祈祷医や呪術医などの民俗カトリック治療家」が密着している。

参考文献としては、東長人、パトリック・ガイスラー著『ブラジルの心霊治療、奇跡を操る人々』264頁以下。『ラテン・アメリカを知る事典』(平凡社1987年刊)334頁以下の「フォーク・カトリシズム」の項目があげられる。

 

<注31

■ジャネット・オッペンハイム著、和田芳久訳『英国心霊主義の抬頭』(工作舎1992年刊)121頁、141頁参照。

この著書に「誰もが一度は無神論を信奉したが、結局は居心地の悪さを感じて心霊主義に移った」「下層階級では、教会や礼拝堂に通う者が心霊主義に改宗しやすいのではない。改宗しやすいのは世俗主義者と実証主義者なのだ」との記載がある。さらに「反キリスト教心霊主義のメンバーの多くは、正統派キリスト教からではなく、深刻な懐疑主義や徹底的な無神論からやって来た」とある。

<注32 

■近藤千雄訳『シルバーバーチの霊訓、10巻』潮文社、214頁~224頁所収

 

<注33

■イギリスの心霊研究協会(SPR)の創設メンバーであるヘンリー・シジウィックは、聖職者の息子として生まれたが信仰を捨てた(デボラ・ブラム著『幽霊を捕まえようとした科学者たち』62頁)。マイヤース、ガーニー、ポドモアも英国国教会の聖職者の息子であったがキリスト教に対する信仰を失っていた。「この時期知識人の多くは不可知論を信奉した。当時は教養を持つということは不可知論者であることを意味していた」(ジャネット・オッペンハイム著『英国心霊主義の抬頭』159頁)。

さらに高級霊シルバーバーチの霊媒であるバーバネルは子供の頃、父母の宗教に関する諍いを見聞きして「私は次第に無神論に傾き、それから更に不可知論へと変わって行った」(『シルバーバーチの霊訓、10巻』215頁)。このように幼少期に受けた支配思想たるキリスト教を捨ててスピリチュアリズムを受け入れていった人は多い。

■上記とは対照的な人物として、W.S.モーゼスがいる。聖職者であったモーゼスは高級霊インペレーターとの論争の中で、徹底した証拠にこだわって頑なに懐疑的な態度を崩さなかったため、霊団の総引き揚げ一歩手前の状態(『霊訓、下』21節、54頁以下)にまで至っている。インペレーターは霊的真理を普及する見地から、モーゼスに対していずれの道を選ぶのかの二者択一(自由意志の行使)を迫り、失敗すれば「われらは再び神の命令を仰ぎ、われらに託された使命達成のために新たなる手段を見出さねばならぬ」(『霊訓、上』216頁)と述べている。モーゼスの場合にはキリスト教神学が支配思想となって固着して、あとから入ってきたスピリチュアリズム思想を容易に受け入れなかったケースである。

 

<注34

■アーネスト・トンプソン著、桑原啓善訳『近代神霊主義百年史』(コスモ・テン・パブリケーション1989年刊)134頁~139頁参照。

桑原氏の訳では「世界キリスト教神霊主義者連盟」となっている。一般に翻訳という行為は、翻訳者の思想と言うフィルターを通した「解釈である」と言われている。この著書も文章表現に、桑原氏の思想と言うフィルターを通った「解釈」が随所に見受けられる。

 

<注35

■近藤千雄訳『シルバーバーチの霊訓、1巻』55頁参照。

「真理は魂がそれを悟る準備の出来た時に始めて学べるのです。霊的な受け入れ態勢が出来るまでは決して真理に目覚めることはありません。こちらからいくら援助の手を差し伸べても、それを受け入れる準備の出来ていない者は救われません。霊的知識を理解する時機を決するのは魂の発達程度です。魂の進化の程度が決するのです」とある。

<注36

■田中千代松著『新霊交思想の研究(改訂版)』(共栄書房1981年刊)328頁参照。

 

 

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