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「霊の外皮」としての意識

目 次

1.基本的事項の確認

・神とは宇宙に遍満する絶対的エネルギー

・言葉(霊、意識)の定義

・多様な霊の顕現(進化)

 

2.譬え(レースのカーテンと遮光カーテン)

・「霊」と「意識」との関係

・汎神論的な表現

・個別化の道

 

3.私と言う意識

・“茶筒の蓋”から“奥行き”への進化

・表面意識(顕在意識)

・浅い部分の潜在意識

・「客観的存在としての私」

・「主観的存在としての私」の「平面的な意識」

・「主観的存在としての私」の「立体的な意識」

・多様性に富む「立体的な意識」

・ベースとなる類魂と類魂の延長

 

4.霊界人が持つ二つの意識

・「死」とは意識の切り替えのこと

・慣性の法則

・矯正のための界層

・狭義の霊界へ

・高級霊の表面意識

 

・<注1>

 

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1.基本的事項の確認

☆神とは宇宙に遍満する絶対的エネルギー

神は「万物の根源」「全存在の第一原理」「究極の原因」などと形容されている。悠久の昔、神は何らかの目的をもって「宇宙(霊的宇宙・物的宇宙)」を創った。その被造物たる「宇宙」には、神の「絶対的エネルギー」が満ち溢れている(1076⑧参照)。

これをシルバーバーチは「(神の被造物である)あらゆる生命体に大霊が充満しています。あらゆる存在に大霊が内在しています。あらゆる法則の中にも大霊が内在しています」(語る120⑩)と表現している。

その「宇宙」は神の“愛”をベースにした法則によって支配されている(福音95⑪)。神はその法則の執行者に“天使的存在”を据えて“法の支配”に実効性を持たせた(新啓示124⑤)。このような形で創られた「宇宙」には、神の“愛”が「普遍的要素としての霊(根源的素材)」という形で遍満している(注1)。

 

☆言葉(霊、意識)の定義

シルバーバーチは「神」と「霊」と「生命」の相互関係を次のように述べている。「霊とは神であり、全存在に内在しております」(1137⑬)、「生命とは宇宙の大霊のこと」(636②、3117④、833⑫等)、「生命は物質ではありません。霊なのです」(127⑬)。ここから「神=霊=生命」と言う関係性が見て取れる。

 

このように「神」は「霊」と同義語であるが、シルバーバーチは「霊」と言う言葉を二通りの意味で使い分けている。

まず「(霊は)宇宙を構成している根源的素材です」(5147⑤)として、個別意識を有しない「普遍的要素としての霊(一般的な霊)」と言う意味で用いることが多い。次に神の分霊を内在させた個別意識を持つ「個別霊」と言う意味で「人間は個別化された霊、つまり大霊の一部なのです」(3162④)と述べる場合もある。

 

宇宙に遍満している「霊(=普遍的要素としての霊)」は悠久の昔、何らかの目的のもとに個別化がなされて、その一部が「意識」となった。この関係をシルバーバーチは「大霊の一部である意識」(3113④)、「魂とは意識のことです」(語る425⑦)、「意識」は神と同様に無始無終である(3112⑪、3113⑤)と述べている。さらに「意識が完全を目指してゆっくりと上昇していきつつある状態が“存在”です」(3112⑩)とも述べている。このことから、「意識」とは「霊(=神)」が顕現していく場、いわゆる「霊の外皮」であることが明らかとなる。

 

このようにして生まれた「意識」はさまざまな物的形体をまとって体験を積みながら、「意識」に内在する「霊」を「霊の外皮」に顕現させて「進化」していくことになる(3113④~⑪参照)。シルバーバーチは「(神の一部である)意識にも次元の異なる側面が無限にある」(福音167⑨)と言う表現で、「霊」の顕現状況は無限に存在することを述べている。

 

☆多様な霊の顕現(進化)

いま「霊+意識(霊の外皮)」という形体を一本の線上に置いてみる。左端には「霊」の顕現がゼロ%の状態にある「意識(霊の外皮)」がある。一本の線上を右に行くに従って「霊」の顕現が徐々に高まっていく。ある地点において「意識(霊の外皮)」に質的転換が起きて個別意識が芽生えてくる。

 

この質的転換以降の「意識」は、個別霊として奥行きを増す方向を目指すことになる(→意識がより一層個性的存在となっていく“個性化の道”が始まることになる)。「意識(霊の外皮)」が「進化」していくに従って個別霊が持つ個人的存在は薄れて、反比例するかのように「神の属性」が加速度的に「霊の外皮」に滲み出てくる。個別霊の「意識」に「霊」の顕現がより一層増して“個性的存在”が強まっていく(478⑨、福音153③~⑩)。

 

さらに「意識(霊の外皮)」は線上を右端に向けた“永遠の旅”を続けていく。その旅のゴールは「霊の外皮」に「霊」の顕現が百%となった世界である。ここに至って初めて「霊の外皮」である「意識」は「霊」と同化する。なお個別意識が芽生えた「意識(霊の外皮)」以降を、言葉の問題だが「魂」や「インディビジュアリティ」などと呼んでいる。

 

2.譬え(レースのカーテンと遮光カーテン)

☆「霊」と「意識」との関係

窓に“レースのカーテン(レース地に亀甲模様のデザインが編み込まれている)”と“暗色系の遮光カーテン”の二枚を引いて外から室内を眺めてみると、日差しのあたり具合によっては外側にあるレースのカーテンの白色が鮮やかに浮き上がって見える箇所と、裏側の遮光カーテンの濃い色がレース地の網目越しに浮き上がって見える箇所があることに気が付く。

 

いま仮に濃い色の遮光カーテンを「霊(=神)」とし、白い色のレースのカーテンを「霊の外皮(=意識、魂、インディビジュアリティ)」として、そのレース地の亀甲模様の一つ一つが個別意識を持った個別霊とする(→この亀甲模様の個別霊が「進化」していくためには物的体験が欠かせない。但し天使的存在を除く)。

白いレースのカーテンの亀甲模様が鮮やかに見える箇所は、神の顕現が弱い状態にある霊性レベルが低い個別霊であり、裏地の色がレース地を通して浮き上がって見える箇所は、神の顕現が大きい霊性レベルが高い状態にある個別霊であると言える。

 

このように“二重カーテン”をレース地の亀甲模様を中心として見れば、あたかも「神」がレース地の亀甲模様の一つ一つに分離された、ハサミで切り離された状態で存在しているかのように見える。しかし遮光カーテンは一枚の布であり、神は亀甲模様状に分割できるものではない(→同様にレースのカーテンも一枚の布であり、すべての「意識」は繋がっている)。

 

☆汎神論的な表現

この“二重カーテン”を無限に拡大してみると、レースのカーテンには大小さまざまな亀甲模様が編み込まれていることが分かる。以下において亀甲模様の一つ一つが「霊の外皮(意識)」であるとして、この亀甲模様の大小を「進化」の観点から説明する。

 

悠久の「進化」の初期の段階では、亀甲模様は巨大な形をしている。この初期の段階で「霊の外皮(意識)」がまとう物的形体は“自然界の姿”となるかもしれない。水・空気・鉱物等の無機物の集合体である自然界は、物質がいまだ中間物質の“生命素(=普遍的流動体)”と一体化していないので、非活性化の状態にある(霊の書48⑨、49⑧参照)。そのためこの「進化」の段階では“生命が流入する器”とは成り得ない。なぜなら「意識」という霊的要素は、接着剤の役割を持つ中間物質と結びついていないので、物質に直接働きかけることが出来ないから。

しかしこの場合でも“自然界”という物的形体の裏側には、休眠状態にある巨大な亀甲模様のレースのカーテンと、遮光カーテンの二枚が存在していることには変わりはない。シルバーバーチはこの状態を「大霊は全てのものに宿っている」、「霊とは神であり、全存在に内在しております」(1137⑬)と述べている。シルバーバーチはレースのカーテンの裏側には必ず遮光カーテンがある、ということを「すべてが神です」という汎神論的な表現で述べたまでである。

 

☆個別化の道

一本の線上に置いた「霊+意識(霊の外皮)」が右側に少しずつ進んで行くためには、「意識(霊の外皮)」の「進化」状況に応じた物的形体をまとって、さまざまな物的体験を積まなくてはならない。線上を右側に進むことによって「霊の外皮(→レース地の亀甲模様のこと)」は、それぞれの「進化」レベルに対応した物的形体(→亀甲模様の大きさに応じた物的形体のこと)、たとえば個々の亀甲模様に対応した“植物の種”や“動物の種”などの姿をまとって物的体験を積むことになる(→「進化」とは亀甲模様の大きさが次第に小さくなること)。この場合でも「霊」はレース地の亀甲模様の裏側に存在しているため、因果律は亀甲模様に譬えた個々の“種”ごとに働く。

 

説明の都合上、それぞれの動植物の“種”を“器(亀甲模様、霊の外皮)”に譬えることにする。その器に無数の魚卵が山盛りに盛られているとする。その魚卵の一つ一つの卵が物的衣装をまとって地上体験を積んで、それを“器(種、亀甲模様、霊の外皮)”に持ち帰る。この膨大な地上体験の持ち帰りによって“種”の進化が促進される。このように考えれば、因果律は“種(=器、亀甲模様、霊の外皮、器に盛られた無数の魚卵全体)”ごとに働くということの説明が容易くつく。

 

さらに悠久の進化の過程を経ていくことによって、“器(種、亀甲模様、霊の外皮)”に盛られた無数の魚卵、その無数の魚卵の個々の卵の間に仲間意識が芽生えくる。この「進化」の段階でまとう物的形体は「類魂意識」を持った哺乳類となる。「進化」が進めばレース地の亀甲模様は次第に小さくなっていく。そして最小単位の亀甲模様となって、ここに至って初めて個別意識を持った個別霊の誕生となる。それに対応する物的形体は人間となる。このように亀甲模様が小さくなっていく過程をここでは“個別化の道”とし、この個別化の頂点に物的形体をまとった人間がいる(3144③、メッセージ173⑧参照)。

 

3.私と言う意識

☆“茶筒の蓋”から“奥行き”への進化

前述の事例を用いれば“最小単位の亀甲模様”まで「進化」してきた「意識(霊の外皮)」は、人間という物的形体をまとうことによって、地上体験を“魂の磨き粉”として「霊(神の属性)」を「霊の外皮」に加速度的に顕現させていく“個性化の道”に入って行く。これを図式的に言えば「最大の亀甲模様」→「中型の亀甲模様」→「小型の亀甲模様」→「最小単位の亀甲模様(個別意識を持った個別霊)」と平面的に「進化(個別化の道)」してきた「意識(霊の外皮)」は、これ以降“魂の奥行き開発”、つまり潜在的に宿している完全性の開発に主眼を置いた「進化(個性化の道)」へと転換して行くことになる。

 

譬えを用いれば、悠久の時を経ていく中で茶筒の蓋の部分が「最大→中型→小型→最小」へと大きさが縮小しながら「進化」して、ついに“最小単位の蓋(個別意識の完成)”にたどり着いたということである。これ以降、茶筒の「進化」は蓋の形状から、茶筒の長さ(奥行き)を伸ばすことに転換していく。この道筋(個別化の道から個性化の道へ)を地球上に存在する全生命が辿っている。このことをシルバーバーチは、地球上の全生命は一丸となって進化していく。意識が完全を目指してゆっくりと上昇していく。個性が発達するほど神との調和が進むと述べている(3112⑩、8199⑫、新啓示162⑬参照)。

 

☆表面意識(顕在意識)

私とは何かという問題がある。私たちが一般に脳を通して意識している「自我意識(=表面意識、顕在意識、パーソナリティ)」とは、次の「ア」~「カ」を含んだ複合的なものである。この内「ア」は利他的に働き、「イ」は身体を維持するために利己的・エゴ的に働く。人間的煩悩と言う場合は「イ」~「カ」の意識が「表面意識、顕在意識」の大部分を占める状態を指す。

ア、「意識(霊の外皮、インディビジュアリティ)」から湧き上がってくる「霊的意識」

イ、物的身体から派生する意識(主なものとして生命維持本能や種族本能など)

ウ、両親の物的身体から引き継いだ遺伝や体質に基因する意識

エ、社会生活を営んでいくうちに表面に出てくる名誉欲・権勢欲等に基因する意識

オ、生まれ・育ち・教育などの後天的な要因によって形成される意識

カ、その他の「金銭・物品などを所有したいと思う物欲」に基因する意識

 

☆浅い部分の潜在意識

私たち人間の意識には脳が関与する「表面意識(顕在意識)」と、日常の意識に上ってこない「潜在意識」とがある。潜在意識は浅いものから深いものまであるが、ここでは浅い部分に仕舞い込まれた意識を取り上げる。良く知られたものとして当初は意識的になされてきた機能であったものが、反復継続するうちに連携回路が出来上がり、それ以降は脳を介さずに必要に応じて身体機能を統制することができるようになった意識がある。これらの意識は潜在意識の中にある「記憶の貯蔵庫(浅いものから深いものまである)」の浅い部分に仕舞いこまれている(4167⑨、語る238⑭、語る186⑧、最後啓示98①、最後啓示100④、メッセージ78⑩参照)。

 

☆「客観的存在としての私」

潜在意識をさらに深く分け入って見ると、現在の私(パーソナリティ)に関する領域の下に前世の私の領域があり、さらに奥にはより深い領域が広がっている。このように潜在意識と言っても深さがあり一筋縄ではいかない。

 

大まかに分析して見れば、私という「意識(霊の外皮)」には「客観的存在の私」と「主観的存在としての私」があり、後者には「平面的な意識」と「立体的な意識(奥行き)」とがある。「客観的存在としての私」とは一般に言われる個別霊のことを指し、レースのカーテンの譬えで言えば最小形体の亀甲模様ということになる。

一般に「自分の過ちには自分が罰を受ける」(372①)や、「自分が蒔いたタネは自分が刈り取る」(488⑭)という“因果律と自己責任”で問題となる私や、「ますます個性が強くなっていく」「神性を発揮して行く」と言う場合の私、ここで問題とされる主体は「客観的存在としての私」、いわゆる“本来の私”のことである。

 

☆「主観的存在としての私」の「平面的な意識」

次に「主観的存在としての私(拡大した私)」と言う場合には「平面的な意識」と「立体的な意識(奥行き)」とがある。

「平面的な意識」としては霊的レベルが同じ霊どうしの霊的家族、その家族が持つ共有状態の意識である「類魂意識」が良く知られている。この意識状態は相思相愛の度合いが極めて高い夫婦間の主観的感情に似ている。外見上は「夫」や「妻」という別々の個別霊であるが、このカップルの主観的な感情は「類魂意識(意識が共有状態にある)」の原初的形態にあると言える。この意識状態を「主観的存在としての私」の「平面的な意識」とする。

 

☆「主観的存在としての私」の「立体的な意識」

霊の世界に行っても霊には「表面意識(顕在意識)」と通常は意識していない「奥に隠れた意識(潜在意識)」の二面が存在する。一般に霊は自ら獲得した霊的高さに見合った“奥行き(=魂の広がり)”を持っている。地上の人間とは異なってある程度の進化レベルの霊になれば、気持ちを鎮めればその高さに見合った底辺まで降りていくことができる。

 

シルバーバーチは「高く登れば登るほど、それだけ低くまで落ちることもあるということであり、低く落ちれば落ちるほど、それだけ高く登る可能性があることを意味する」(661④、到来218⑦)や、「生命の階段を低く下りるほど、それだけ高く上がれるのです」(語る99①)と述べて「両極の原理」を説いている。

この「両極の原理」が「意識(=魂、霊の外皮)」の働きに作用しているということは、霊性レベルの高さに見合った分だけ「意識」が拡大して、同じ霊系にある「意識」を包含していることになる(→類魂の延長、拡大した類魂)。

 

物的衣装をまとった私たち人間も、身近な事例から意識に“奥行き”を持っていることを理解している。例えば70歳の老人の意識の中には、10代の頃、20代の頃、40代の頃、60代の頃の自分が生きついている。想いを過去に向ければ当時の記憶に浸ることができるが、通常は意識していない。同様に40歳の中年の意識には10代の頃、20代の頃、30代の頃の自分が「存在」している。この意識を茶筒の長さ(奥行き)に譬えることができる。40歳の中年よりは70歳の老人の方が茶筒の奥行き長いと言えるので、包含する「意識」も多い。

 

☆多様性に富む「立体的な意識」

この「立体的な意識」には浅い部分の意識から深い部分の意識まで多岐に存在する。

「意識(潜在意識、インディビジュアリティ)」の浅い部分には日常生活で行われるあらゆる機能、たとえば食事の際の咀嚼作用、附随意筋の作用、精神をしつこく支配している潜在的観念、思考パターン(189③、4155⑫、4156⑧、4162⑪、メッセージ79②⑩、メッセージ85⑪、最後啓示98①参照)などの機能が、物的脳からの意識的指令を受けずに自動的に行われている(→霊媒現象も潜在意識が行っている)。

 

潜在意識を奥に進んで行けば「個別霊の記憶の貯蔵庫(前世の記憶も含む)」があり、そこにはその人物のあらゆる側面がしまい込まれている(4157⑫)。精神を集中してさらに奥に進んで行けば、霊的家族が持つ共有状態の意識である「類魂意識」に、さらにその奥に進んで行けば複数の「類魂意識(=類魂の延長、拡大した類魂)」に、さらにその奥には大集団の「集合魂の意識(=さらなる類魂の延長、拡大した類魂)」に、地球の「霊的貯蔵庫」にといった具合にその「霊+霊の外皮」の霊性レベルに応じた魂の奥行きが存在しており、深みに分け入って行くことができる。

 

☆ベースとなる類魂と類魂の延長

以上から“私(インディビジュアリティ)”には「客観的存在としての私:A」と「主観的存在としての私:B」の二面性があり、「主観的存在としての私」には「平面的な意識:C」と「立体的な意識:D」があることが明らかとなった。Cはベースとなる“霊的家族が持つ共有状態の意識(類魂意識)”のことであり、Dは魂の奥行きのことである。“魂(=インディビジュアリティ)”を茶筒に譬えれば、一個の茶筒がAであり、ケースに茶筒が12個収納されている状態がCとなる。さらに大きな段ボール箱にC10ケース入った状態がDとなる。

 

シルバーバーチは「例えばこの霊媒(バーバネル)と奥さん(シルビア・バーバネル)と私(シルバーバーチ)とは一個のインディビジュアリティに所属しております。一人の支配霊がいくつかの類魂を従えていることがあるわけです」(10136⑬)と述べている。

 

これを身近な“会社の職制(社長→部長→課長→平社員)”の事例で説明する。営業部の部長Aの下には「1課:B課長」「2課:C課長」「3課:D課長」があり、それぞれの課長はその課を束ねて課員全員の業務の遂行状況を押さえている。いわばB課長は1課に所属するEFG等の業務上の経験を自己のものとして、EFGに代わって顧客に対応することができるわけである(→課員どうしも同様にEの不在時は、FGEに代わって対応することができる)。これをベースとなる類魂とする(→Bは類魂を束ねている支配霊)。

 

部長AB課長、C課長、D課長を通して、それぞれの課に所属する全社員の業務の遂行状況を押さえている。これを便宜“類魂の延長、拡大した類魂”とよぶことにする。いわばAは複数の“ベースとなる類魂”を束ねる支配霊と言える(→ベースとなる類魂の支配霊であるBCDを介して、EFG・・・を傘下に置いているから)。

このように職制が高ければ高いほど支配下に置くメンバーは増えていくことになる(→形式上Aは傘下に置く全員の業務の遂行状況を自己の体験として掌握しているということになる。そのため現実社会でもGが不祥事を起こした場合には、Aは監督責任を負うという場合もある)。このように霊性レベルの高さに応じて、共有できる経験が増えていくことになる。

 

この会社組織の事例を上記の「10136⑬」に当てはめれば、シルバーバーチは営業部長のAであり、バーバネルはE、シルビアはFということになる(→なおバーバネルとシルビアはアフィニティと言われているので、その場合は二人でEを共有することになる)。

 

4.霊界人が持つ二つの意識

☆「死」とは意識の切り替えのこと

「霊界(広義)」は霊的レベルが異なった数多くの界層が、グラデーション的に連続して存在する世界である。そのため「霊の世界は一つである」ともいえる。

このようなグラデーション的に広がる霊の世界の中でも、物質的要素の濃い低い界層を便宜「幽界」と呼んでいる。その幽界と地上とが接する部分を特別に「中間境(または冥府)」と呼ぶ。

 

霊的に見れば「死」とはシルバーコードの切断のことである。そして「死のプロセス」とは物的世界の粗い振動数を持つ肉体を捨てて、霊的世界のより細かな振動数に対応する身体に“脱皮”していく一連の過程のことである。そのためには帰幽霊は「死のプロセス」の最終地点である「中間境」で、表面意識(顕在意識)の中に「明確な死の自覚」を浮き上がらせて、肉から霊への“意識の切り替え(霊的波長の調整)”を行う必要がある。

 

人間という物的衣装を身に付けた者は長期か短期かの違いはあるものの、一人の例外もなく全員が「中間境」に滞在して肉から霊への霊的波長の調整を行う必要がある(→イエスでさえも霊的調整を行うために、中間境で暫しの休息を取っている:永遠の大道114⑭参照)。そしてこの休息中に物的要素を多く含んだ幽体を完成させて、帰幽霊の身体である「半物質状の幽質結合体」を「中間境」に脱ぎ捨てて、物質性が濃厚な霊的世界(幽界)へと旅立っていく(永遠の大道50⑪参照)。このように「中間境」とは、帰幽霊が霊の世界で生活するために必要な“意識の切り替え”を行って霊的な身支度をする場所である。

 

数多い帰幽霊の中には“表面意識(顕在意識)”が地上生活の追憶で占められていて、「自分は死んだ」という明確な実感が湧かず、そのため肉から霊への“意識の切り替え”がなかなか完了しない霊もいる。このように死によって肉体を棄てたにもかかわらず、いまだ“表面意識(顕在意識)”の中に「明確な死の自覚」が芽生えてこない霊、いつまでも物的波長の中で暮らしている霊を地縛霊と言う。

地縛霊は“新調の衣装”である幽体がいまだ完成せず「半物質状の幽質結合体」を脱ぎ捨てることが出来ないため、いつまでも「中間境」を抜け出せないでいる。いわば「死のプロセス」が何時までたっても完了しない霊であると言える。そのため周りで待機している救済霊とは波長が合わず、地縛霊の視界に入らないので救済のための手が差し伸べにくい状態に置かれている(→波長の切り替えが完了していないので霊的視力が使えないから)。

 

☆慣性の法則

人間は死んで物的身体を脱ぎ捨てれば、誰でも直ちに「高次の意識(インディビジュアリティ)」が自覚できて「模範的な霊界人」になれるわけではない。物的身体を脱ぎ捨てても帰幽霊は「物的身体に基因する本能的意識」「肉体構造や体質に基因する意識」「名誉欲・権勢欲」「後天的な要因によって形成された意識」「物欲」等の人間的煩悩から直ちに解放されることはない。帰幽霊の「表面意識(顕在意識)」には、相変わらず人間的煩悩に満ちた意識が存在している。

 

物理の法則に「運動している物体はいつまでも等速直線運動を続ける」という「慣性の法則」がある。この法則を用いて帰幽霊の意識状況を説明してみる。

地上時代に形成された“人間的煩悩という性格傾向”は、物的身体が無くなったからといっても依然として持ち続けている。なぜなら本人が自ら変えようとする意思を起こさない限りは、そのまま「等速直線運動」が継続されることになるから、死後も地上時代の人間的煩悩を持ち続けることになる。

死後の世界で帰幽霊の表面意識に霊として何を為さなければならないかという「霊的自覚」が芽生えてくれば、この自覚が「等速直線運動」に摩擦力として働くことになる。そのため人間的煩悩の持続という「等速直線運動」は徐々に失速して行くことになる。

 

帰幽霊の意識は人間的煩悩に満ちた表面意識と、霊的自覚が芽生えてくるまでは表面に浮上してこない「霊的意識(インディビジュアリティ)」という二重構造になっている。そのため地上時代に形成されてしまった「利己的」「冷酷」「享楽的」等といった性格傾向は、帰幽霊の表面意識の中に「霊的自覚」が芽生えてくるまでは、人間的煩悩と言う形で占有し続けることになる。物質臭が抜けきらない幽界の下層にいる霊界人とはこのような意識構造を持った霊たちである。

 

帰幽霊の表面意識の中に「霊的自覚」が湧いてくるまでは霊的成長はゆっくりとしたスピードである(一種のクールダウンの過程が必要だから)。なぜなら大きな意識であるインディビジュアリティ(霊の外皮)は、霊的成長と共に少しずつ浮かび上がってくるものだから(4155⑧、メッセージ78⑤参照)。

 

☆矯正のための界層

数多い帰幽霊の中には、地上時代に「残忍さ・傲慢さ・貪欲・淫乱」等といった“歪んだ欲望”を培ってしまい、表面意識に深く染みこませてしまった帰幽霊もいるであろう。帰幽霊にとってはその内面の世界が死後の住環境となるため、歪んだ性癖や習性が苦悩を引き寄せることになる。そのため引き寄せられた界層での厳しい体験を経ていく中で、表面意識にある歪んだ性癖は修正されていく。霊によって長短はあるものの内部から霊的自覚が芽生えてくるまでは、矯正のための界層に留まることになる。

 

幽界において「霊的自覚の芽生え」に始まって、徐々に霊的自覚が深まっていった霊は、次第に霊的進化のスピードが速まっていく。それに応じて潜在していた「霊的意識(インディビジュアリティ)」が表面意識の中に浮かび上がってくる。

このように幽界生活とは物質臭の強い表面意識(顕在意識)を中和させて、「霊的意識(インディビジュアリティ)」の中に穏やかに溶け込ませていく過程に他ならない。物質臭の強い状態で直接溶け込ませることは出来ないため、意識の二重構造は不可欠となっている。これら一連の霊的波長の調整が完了した個別霊は、次の世界である“狭義の霊界”で待つ霊的家族のもとに帰っていく。

 

☆狭義の霊界へ

狭義の霊界に赴いた霊は、この段階に至って地上体験を積むためにまとう物的形体に必ず付きまとっている、他の存在との区別として働く、個体維持、種族維持など、利己的・エゴ的に働く本能的な行為から初めて解放される(→完全に解放されるのは“地球圏霊界”を脱する時)。これ以降、「意識(霊の外皮、魂、インディビジュアリティ)」は一段と個性を強めていく。

この段階の霊にも「二つの意識(表面意識と潜在意識)」は存在する。しかし地上人のように二つの意識の間に断絶はない。精神を統一して意識の奥に焦点を合わせれば「両極の原理」から、その霊の霊的成長レベルに見合った分だけ、救済活動のために地獄の底まで降りて行ける。

 

☆高級霊の表面意識

シルバーバーチも表面意識の中に“地上的意識の残滓”を残していることをたびたび述べている。たとえば「誰に対しても絶対に人間的感情を抱かないというところまでは進化しておりません」(6123⑦)、「私もいたって人間的な存在です」(817③)、「私はまだまだ完全ではありません。相変わらず人間味を残しておりますし、間違いも犯します」(1118⑪)、「私も相変わらず人間的存在です」(道しるべ225⑪)などと。

このように「インディビジュアリティ(トータルとしての意識)」の中に人間的感情を残していると言うことは、悠久の進化の流れから見れば、人間的感情という“出身天体の属性”を色濃く残しているため、いまだ「進化」のレベルは低いと言うことだから。

 

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<注1>

◆宇宙経綸の仕事

宇宙は「根源的物質」が変化して創られた物的宇宙と、霊という「根源的素材」で創られた霊的宇宙の双方からできている。その「宇宙経綸の仕事」を担当しているのが、最初から宇宙の上層に所属する高級霊の“天使(天使的存在)”である(新啓示124⑤)。

 

◆神の意志の代行者

質疑応答で「霊が物質に働きかけることが出来るからには、霊(→天使的存在のこと)が神の意志の行使者として自然界の構成要素に働きかけて自然現象を起こしているのでは?」との質問に対して「その通りです。神が直接物質に働きかけることはありません。無限の階梯の一つ一つの界層に神の意志の行使者が控えています」(霊の書213⑦)とある。

ここから神の意志の代行者である天使的存在によって、「意識(霊の外皮)」の「進化」状況に見合った物的形体が創造される、ということが推測できる。

 

◆譬え:天使的存在の役割

国家とは一定の領土を持ち、そこに定住する人たちで構成された団体であり、主権に基づいた排他的な統治権を持つ組織をいう。その国家形態は共和制・王制・連邦制等とあり、それらの国家が依って立つ理念(建国の理念、主権の在り方など)は、一般には憲法に示されている。日本を例にとって「神・摂理・天使的存在」の関係を以下に示す。

日本国籍を持った国民は、「日本国の理念(主権在民、平和、自由、平等、個人の尊厳等)」のもとで守られている(→如実に実感できるのは海外に出て他国と比較したとき)。日本国の理念は「法令(憲法・法律・条令・政令等)」の中に盛り込まれる形で国民に示されている。国民は法令を通して(法令の裏側にある)日本国の理念を知る。国民は法令に違反すればペナルティを負わされるが、順守すれば国民としての権利を行使でき保護される。そのため国民は法令に則った生活をする必要がある(→たとえば霊的摂理に則った生活を送れば霊性が向上していく)。この法令の具体的執行は、階層構造的な国家公務員や地方公務員が担う。

この事例において日本国を「神」、法令を「摂理」、公務員を「天使的存在」と置き換えれば、それぞれの関係が見えてくる。また“天使的存在”の役割と存在も明確に理解できる。

 

 

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