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参考:さまざまな形の旅立ち

目 次

1.自然死・急死(事故等)

・寿命を全うした正常な死:霊的知識あり

・寿命を全うした正常な死:霊的知識なし

・急死(事故死)のケース

 

2.人為的な死

・自殺のケース

・死刑のケース

 

3.医療技術の発達により出現した“死”

<①.基本的な考え方>

・地上人生のスタート時期

・人工妊娠中絶:二つの考え方

・生命倫理上の問題(モノか人間か)

・スピリチュアリズムの立場

<②.罪悪感ある中絶行為>

・人工妊娠中絶

・母体保護法との関係

<③.問題ないケース>

・「自然流産、死産児」のケース

<④.中絶された霊>

・二つのケース

・水子供養の背景

・水子供養の背景

・「水子の祟り」とは何か

<⑤.生命の選択>

・生殖医療技術の発達

・出生前診断

・着床前診断(受精卵診断)

・行政主導の誤った運動

・不妊は病気か

・体外受精

・代理出産

 

4.生き方の選択としての死

・安楽死のケース

・消極的安楽死(尊厳死)・延命処置

・昭和天皇の延命処置

・高級霊の見解

 

5.旅立ちの形態:まとめ

 

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1.自然死・急死(事故等)

☆寿命を全うした正常な死:霊的知識あり

霊界通信によれば正しい霊的知識を持ち自然な生き方をした人は、死に方があっさりしているので、死に際して苦痛を伴うこともないという。なぜなら「肉体の死はあくまで魂にその準備ができた時に来る」から。果実の実を無理に枝からもぎ取るのではなく、自然に落下するのを待てば枝に負担をかけることはないということ。

 

上記の場合は中間物質である幽質結合体の中で幽体が十分に成長して、肉体から離れる時期が来たために、シルバーコードが切断して死が訪れるからである。そして死者に正しい霊的知識があれば「明確な死の自覚」が速やかに芽生えてくるので、死後の霊的調整もスムーズになされる。このように死者に霊的知識があって、死ぬべき時が来て死ぬ自然死(病死含む)の場合は全く問題ない。

 

☆寿命を全うした正常な死:霊的知識なし

霊界側では霊的知識のない人の為に救済処置を用意している。それが「お迎え現象(=臨終時体験)」である。ベールの向こう側に死後の世界が存在しており、死者はそこで生活しているということを信じていない人でも、「お迎え現象」を体験することによって、従来までの“霊的な頑なさ”が取れて穏やかに死のプロセスを進んでいくことができる。この穏やかな心の状態の持続は、“ガイド”が死者に接近するのを容易にしてくれる。そして死者が“ガイド”の言葉に素直に従えば、程なく「明確な死の自覚」が生じてくるので、「死のプロセス」が滞りなく完了することになる。

 

しかし「お迎え現象」を体験した死者の中には、霊的知識がないため地上的常識に強く囚われて頑強に死後の生活を否定する者や、宗教上の理由から間違った来世観が染み込んでいて、素直に死後の生活を受け入れようとしない者もいる。同様なことは「お迎え現象」の体験がない者が“ガイド”の言葉に素直に従わなかった場合にも言える。

 

このような死者の場合には、物質の世界から霊の世界への霊的調整が何時までも完了しないので、再び眠りにつく。この眠りは、「睡眠に似た休息の状態」と言われており、これを死の自覚が内部から自然に芽生えてくるまで続ける(→その霊を交霊会で呼び出す場合は、本人は休息して眠っているため、その霊の背後霊が本人に代わって出てくることがある)。この睡眠に似た休息によって、大半の死者は自分が死んだことを自覚できるようになる。

 

☆急死(事故等)のケース

事故によって急死した場合は、霊に死の準備が整っていない状態で無理に生木を裂くように肉体から離されることになる。急死では死者に急激な霊肉分離に伴うショック状態を引き起こすが、それを緩和するための霊的処置が行われる。

 

死者に「霊的知識あり」の場合は、霊的調整期間を経て死の自覚を持つようになるが、「霊的知識なし」の場合には、霊的調整のための長い休養期間が必要となる。その期間は正常死のケースより長くかかるのが通例であるという。急激な死に方をした人の中で、特に「霊的知識なし」の場合には、地縛霊となって地上圏をうろつかないためにも、速やかに休息(眠ること)を取る必要がある。霊肉分離が本来の過程を経ずに急激に引き剥がされるためのショックを、休息(眠り)の中で調整していく必要があるためと言われている。

 

2.人為的な死

☆自殺のケース

自ら命を絶つ、他人の命を絶つなど、“人間が人間の生命を奪う行為”は霊的摂理に反している。なぜなら自ら命を絶つ行為の場合は、地上生活を通して霊的成長するせっかくの機会を自らの手で投げ出してしまうから。いわば自殺は自らの意志で「学校」を中退することであり、他殺は他人の命を無理やり奪って「学校」を中退させてしまうことだから。

 

霊界通信では「(自殺行為に関して)寿命を全うせずに無理やり霊界へ行けば、長い調整期間の中でその代償を支払わなければならなくなる。(利己的な波動によって)周囲にミゾをこしらえてしまうから」、霊的進歩の妨げになるからと述べられている。しかし一口に自殺者といっても、地上人生をどのように送ってきたか、霊的な発達程度はどうか、自殺の動機は何かなど、自殺に至る事情や心情など考慮すべき条件がケースごとに異なっている。そのため自殺者の死後の状況もそれぞれ異なっている。

 

一般に自殺の動機に「利己的要素」がより多く付随しているほど、自殺者の意識が内側に強く向いて閉じられている。本人の周りに作られた思念という厚い壁を、外部から砕くことは困難であり、霊界側から救済の手がなかなか届きにくい。このようなケースの場合には自己の利己性の罪の償いのために、自ら作り出した「暗黒の世界(→意識が内側に向いて閉じられているがゆえの暗黒の世界)」に長期間閉じ込められることになる。「死んだつもりなのに相変わらず自分がいる。その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断する」現象を作り出す。結局、時間をかけてでも本人の意識の変化を待って、内側からその壁を壊していくほかない。

 

これに対して自己犠牲的な動機が強い自殺の場合は、自らの命を絶つ行為に利己性は薄いので、その人の意識は外側に向いて開いている。そのため一旦は暗い世界に落ちるとしても、救済霊との接触が極めてスムーズに運ぶことになる。

これ以外に憑依霊による自殺がある。この場合も自殺者はしばらくのあいだ暗闇で過ごすことになるとしても、自殺の責任は主に憑依霊側にあるので、救済霊との接触がはかられて壁を打ち破ることができる(→憑依霊を呼び寄せた何らかの“受け皿”があったとしても。憑依霊の“受け皿”となった歪んだ性格の矯正は自ら幽界で行うことになる)。一方憑依霊は、本人に憑依して自殺をさせてしまったという行為の結果責任を負っているので償いをしなければならない。

 

☆死刑のケース

霊界通信では犯罪者は心が病んでいる「精神的な病人」であるとの観点から「処罰は矯正と救済を目的としたものでなければならない」と述べている。世界の現状は凶暴な犯罪者に対しては、死刑という報復的手段で処罰している国は多い。

 

霊界通信では死刑は単に犯罪者から肉体を奪うだけであって、凶暴な地縛霊による憑依現象というトラブルのタネを蒔いているだけで、何一つ問題は解決しないと批判している。高級霊は「死刑に処するということは正義からではなく報復心に駆られているという意味において間違いである」として、正義と復讐を区別するようにと述べている。また別の霊界通信では、肉体を強制的に奪われた死刑囚のその後を「心は汚れ果て、堕落しきり、肉欲のみの、しかも無知なる彼らは、その瞬間、怒りと憎悪と復讐心に燃えて霊界に来る。それまでは肉体という足枷があった。が、今その足枷から放たれた彼らは、その燃え盛る悪魔の如き邪念に駆られて暴れまわる」と述べている。

 

このように死刑は、死後の世界に関して何の準備もできていない死刑囚から、肉体を無理やり分離させてしまい、霊界側の救済霊との接点がない地縛霊(→身体は霊的世界にありながら意識は地上世界に向いている霊)を増やしてしまう結果になっている。死刑囚の霊的波長は物的波長に極めて近く、親和性によって地上人との接触が容易く行われるので「怒りと復讐心に燃えた霊」による憑依現象が多発することになる。このように死刑制度は地縛霊による憑依という形で、地上に大きな災いを引き起こすことになるので、高級霊からの霊界通信では例外なく死刑制度を批判している。

 

3.医療技術の発達により出現した“死”

<①.基本的な考え方>

☆地上人生のスタート時期

前世紀末から今世紀にかけて目覚ましい発展を遂げているものの一つに、先端医療技術がある。その先端医療には三つの領域がある。まず人の臓器・組織・細胞を扱う「移植医療の領域」、次に生殖細胞(卵子と精子)や胚を扱う「生殖医療の領域」、三つ目に遺伝子を扱う「遺伝子診断と遺伝子治療の領域」である。これらはそれぞれが重なり合っている。

 

子孫を残すために有性生殖を行う動植物には雄雌の別がある。高等動物には生殖細胞として卵と精子があり、この二つが合一することを「受精」と呼んでいる。人間の場合にも性別があるので生殖細胞を有するが、その受精の瞬間から遺伝子に書き込まれているプログラムが始動する。一般に地上人生のスタート時期は「受胎の瞬間から人間」になると言われているが、この「受胎」という言葉をどのように理解するかは人によって見解が異なる。

 

まず一つ目の立場は「受胎」という言葉をそのままの意味に理解して、受精卵が子宮に着床する「受胎(妊娠成立期、受精から約2週間後)」の時とする説である(広く理解されている考え方である)。この立場では着床前の胚は人間ではなくモノであるとなる。

次の立場は父方の精子と母方の卵が合体(DNAが融合)して結合体である受精卵が出来上がる時とする説である。この立場では受精卵が出来上がる受精時に霊的要素が流入して人間となるので、着床前の胚はモノではなく人間としている(→物質と生命素が結合して“生命が流入する器”ができあがり、そこに霊的要素が流入して受精卵となる)。

 

高級霊の霊界通信によれば「受胎作用は精子と卵子とが結合して自我を表現するための媒体を提供する」ことであり、この媒体に「小さな霊の分子が自然の法則に従って融合」する、その瞬間が「意識を持つ個体としての生活が始まる」時期と述べている。ここからスピリチュアリズムでは「受胎の瞬間」とは、世間で広く理解されている「妊娠成立期」ではなく、父方と母方のDNAが融合して物的な結合体が出来上がる「受精卵が出来上がった時」となる。以下この立場で説明を行う。

 

☆人工妊娠中絶:二つの考え方

現在人工妊娠中絶を巡っては二つの考え方が対立している。

人工妊娠中絶を正当化する立場は、「独立生存可能性理論」に立って「胎児に自立して生存する能力がない期間内では、胎児は独立した人格ではなく母体の一部であって、その女性の自己決定の対象となる」とする。これに対して人工妊娠中絶に反対する立場は「胎児は女性とは別人格であり、その人格は女性によって付与されるものではない」。または「胎児も潜在的には人格なのだから、その生存を否定すれば、未来の人格を否定することになる」と主張する。

前者の「独立生存可能性理論」は個人の自由や自己決定を最高原理とする「個人主義生命倫理観」の流れであり、後者の立場は人間の尊厳を最高原理とする「人格主義生命倫理観」の流れである。この「人格主義生命倫理観」はキリスト教的人間観を土台とするものであり、人体の道具化概念に対抗して人間の尊厳概念を主張するものである。

 

☆生命倫理上の問題(モノか人間か)

体外受精の問題点として受精卵の廃棄の問題がある。

体外受精によって受精した複数個の受精卵のうち、最も形体の良い一個が子宮に戻されて、残りの受精卵は妊娠が成功しなかった場合に備えて冷凍保存される。その後不要になった受精卵は廃棄されることになる。現状では体外受精で子宮に戻されなかった余剰受精卵や異常があった受精卵は、廃棄されるか“ヒトES細胞”などの胚の研究に利用されている。

なぜならこれらの受精卵は着床前でまだ胎児にもなっていない“モノ”だからとされる(→子宮に着床する前の初期の胚は、受胎・妊娠前だからモノとされる)。

その有力な根拠としてオーストラリアの哲学者ノーマン・フォード(サレジオ修道会の神父)が唱えた説がある。彼によれば「14日目までの胚は一卵性双生児になる可能性があるから、まだ人の個体ではなく“細胞の塊”にすぎない」と。さらにイギリスのワーノック委員会が1984年に発表したワーノック報告の「受精後14日までの胚は原始線条がまだ発現していないことから、自己同一性を持った個体とはみなされない」の存在も大きい。

 

これらの説を受けて多くの国では「人間の始期」を、原始線条の出現期以降(受精後約2週間)とする考え方が胚研究の国際基準となっている(→但しイスラム教では受精後40日と説いているという)。ワーノック報告の背景には、英国国教会では体外受精に対して条件付容認を取っていることがあげられている。なおカトリック教会では人工授精・体外受精・胚の研究は認めていない。

 

☆スピリチュアリズムの立場

ア)人間の始期

スピリチュアリズムでは、いわゆる「受胎(→内容的には受精のこと)」の瞬間に「精子と卵子の接合子(→活性化した物質)」に霊的要素が結合して、この時点から個的意識を持った自我意識が始まる、それ以降は永遠に個性を具えた存在を維持するとの立場を取っている。つまり「受精卵(胚)」や「初期の胚(=子宮着床前、子宮着床後)」は個別意識を持った人間であるとの立場である。

 

イ)人工妊娠中絶

上記から人工妊娠中絶は初期の胚(子宮着床前、子宮着床後)および胎児の「物的な表現器官」を破棄する行為ということになる。中絶といってもその内容はさまざまであるが、高級霊は一様に中絶行為を「物的身体を奪う殺人と同じ」であると述べている。しかしその際に当然に「動機は何か」が考慮されるが。

 

ウ)受精卵はモノではない

スピリチュアリズムの立場からは「受胎(→内容的には受精、生殖細胞の融合時のこと)」の瞬間から人間となるので「受精卵(→父方のDNAと母方のDNAが融合して受精卵が出来る)」も人間でありモノではない。この点でカトリック教会と同一の立場に立つ。再生人生を“不妊体質という身体”で地上体験を積むとして、自ら選択して生まれてきたにもかかわらず、あえて体外受精を行い、複数個の受精卵を作ってまで妊娠したいと望む、その動機は何かが問題となるであろう。なぜなら受精卵が複数個できたと言うことは、複数個の個別霊が誕生したことになる。不要になった受精卵を破棄する行為は、いわば“人間の物的要素”を破壊する行為にあたるから。

霊界通信の中には「当初から霊が宿る予定はなく、霊的には何もなされないことがある」との記載もある。霊界側は無駄なことは行わないから、あるいは体外受精に伴う余剰受精卵の中にはこのケースがあるのかもしれない。スピリチュアリズムの観点からは、「出生前診断」や「着床前診断」などは動機を考慮する必要があるが、方法如何によっては個別意識を持った人間の選別・抹殺となるので問題のある行為といえる。

 

<②.罪悪感ある中絶行為>

☆人工妊娠中絶

胚や胎児の物的身体の破棄には「人工妊娠中絶」と、健康上の理由や突発的な事故によって起きる「自然流産」、さらに胎児が分娩中に死んだ場合の「死産児」のケースがある。また「人工妊娠中絶」には「罪悪感ある中絶行為」と「罪悪感の薄い中絶行為(→選択的中絶や受精卵の破棄など)」とに分けることができる。

 

母親の動機面から「人工妊娠中絶」を見れば、ライン上の一方の端に極めてエゴイズムの強い中絶があり、そこから徐々に動機面で考慮すべき要素が入って来て、その対極に母胎の保護のための緊急避難的な中絶がある。良く知られた中絶事例としては、昭和初期に大凶作に見舞われた地方における堕胎の急増や、江戸時代の過酷な人頭税を免れるために行われた堕胎などがあり、これらは歴史の教科書に書かれている。さらに性的暴行によって妊娠してしまった胎児の中絶や、未婚の女性が家族の強要によって止むを得ず中絶するケースもある。医療の現場においては、出産に際して母体の生命に危険がある場合に行われる胎児の中絶や、出生前診断によって胎児の奇形が判明した場合に行われるケースもある。

 

☆母体保護法との関係

日本では人工妊娠中絶は刑法の堕胎罪(刑法212条~216条)によって禁止されているが、母体保護法(旧:優生保護法)第14条に該当する場合のみ、違法性が阻却されて中絶が認められている。したがって厳密に言えば、胎児に異常が存在することを理由として行う中絶行為は、刑法の堕胎罪に該当することになる。しかし臨床段階では「母体保護法第14条①」の「妊婦の健康上の理由」を根拠として、合法的な形で中絶が行われている。

 

<③.問題ないケース>

☆「自然流産、死産児」のケース

自然流産や死産児の出産の場合には、人工妊娠中絶とは異なって、その行為自体に霊的摂理に対する違法性はない。医学的に見て流産胎児には染色体異常と奇形が多く見られ、その結果自然のメカニズムが働いて流産してしまうことが多いという。一般に流産には母親の心理面におけるショックや、肉体面におけるダメージ(次の出産が不可能となる場合もある)などが伴う。他方、流産という試練を経ることによって、母親の霊性レベルを高めるという“魂の磨き粉”的な側面も併せ持つ。

 

<④.中絶された霊>

☆二つのケース

中絶によって胎児は“胎児という物的要素”を破壊されてしまった。そのため胎児という小さな“容器”に入った意識のままで霊的世界に戻っていく。そこで再び物的身体を提供してくれる両親の出現を待つことになる。または中絶によって出生できなかったが、少なくとも胎児という形で地上体験は積めた。このことによって再生(地上体験)は完了したので、幽界で小さな“容器”を自ら壊して、胎児としての意識を霊的意識(=インデビジュアリティ)に溶け込ませて「本来の私」に戻って、霊界(狭義)に帰っていく。このように二つのケースがある。

 

霊界通信によれば、中絶をした母親は死後、何らかの形で胎児霊(水子霊)と再会することになるという。その際に「私は〇〇〇の理由から、貴方をおろさざるを得なかった」と述べなければならず、中絶(堕胎)するに至った動機如何によっては、母親は極めて苦しい立場に立たされることになるという。

 

☆水子供養の背景

中絶、流産、死産によって「胎児霊」となったものを一般に「水子霊」という。水子を供養する風習は江戸時代からあったらしいが、1970年代に水子供養が盛んになった。その理由は、日本における民俗文化の一つである「供養や祟り」という概念と、「利潤追求」や「宗派拡大」などの世俗的な行為、そして「水子霊」という三者が意図的に結びつけられたからと言われている。この結果、水子が母親にすがって霊障や祟りを引き起こすという観念が出来上がって、いわゆる「水子が祟る」という言葉となって急激に広まった。

この祟りを前面に持ち出した霊能者や宗教団体などが女性の不安感をあおり、そこに乗じて高額な水子地蔵の販売を行った。または祈祷や除霊により水子の霊障を取り除くという供養スタイルを行った。このような形で霊感商法が盛んになって社会問題となった。

 

☆水子供養の背景

研究者は水子供養が盛んになった背景を次のように述べている。

1960年代後半から1970年頃にかけて、社会意識が大きく変化したこと。

1948年に制定された優生保護法(現在は母体保護法)の存在が背景にある。これによって人工妊娠中絶の件数が急激に増加したこと。

・日本では人工妊娠中絶は刑法の堕胎罪(刑法212条~216条)によって禁止されているが、母体保護法(旧:優生保護法)第14条に該当する場合のみ、違法性が阻却されて中絶が認められている。現実には「母体保護法第14条①」の「妊婦の健康上の理由」を根拠として、合法的な形で中絶が行われている。

・科学技術の発達によって「超音波健診技術」が出現した。これによって流産胎児に対して従来の「単なる血のかたまり」というモノ的発想から、胎児を人間として扱うという意識の変化があり、この変化が「胎児を供養する」という行為に繋がった。

・この時期、宗教団体や霊能者が水子供養を大体的に宣伝した。

・人工妊娠中絶を行った女性の心理的な負い目、水子に対する懺悔の気持ちがあること。

 

☆「水子の祟り」とは何か

高級霊からの霊界通信によれば、霊的世界には胎児霊のための“特別な養育所”が存在しており、この救済システムが完璧に機能しているという。この点から考えても世間で言われている“水子の祟り(→胎児霊の祟り)”はあり得ないことが分かる。さまざまな不幸や霊障が身の回りで起きるという“水子の祟り”を霊的観点から見れば、次のようなことが言える。

 

ア)親和性の原理から

胎児霊が母親に憑依してくるのではなく、母親は「親和性の法則」によって自らの霊的波長に見合った地縛霊や邪霊を呼び寄せているケースである。この親和性によって引き寄せた地縛霊や邪霊が、母親に憑依する際に胎児霊や動物の姿に変化する場合がある(変化霊)。この状態を霊視した霊能者が相談者に水子が祟っていると述べるケースである。この他に霊能者の妄想のケースや、さらに悪質なものとして胎児霊が付いていると欺罔して、何らかの意図(経済的利益や宗派拡大など)を実現する場合もある。根本原因は母親の霊性レベルの低さにあるので、高める努力をすれば地縛霊や邪霊と波長が合わなくなって離れていく。

 

イ)因果律の問題から

母親の精神的や肉体的な摂理違反行為、たとえば「暴飲暴食、荒れた生活、わがままな態度など」が原因となって、身の回りに様々な不具合という形で表れる場合がある(→何らかの原因を作れば、その原因に見合った相応の結果が生じるという関係)。それを“胎児霊の祟り”としているだけである。母親の生活を正せば自ずと解決していくことが多い。

 

<⑤.生命の選択>

☆生殖医療技術の発達

生殖医療技術は近年著しく発達した分野だが、その発達によって新たに出現した“死”がある。「出生前診断」では遺伝子に異常がある胎児や、治療が困難な状態にある胎児については、一般に人工妊娠中絶を選択するようである(=選択的中絶)。次に「着床前診断(受精卵診断)」では遺伝子検査を行って、遺伝的な問題がないときのみ女性の体内にその胚(受精卵)を移植する。異常が見つかればその受精卵全体を廃棄する。いわば「生命選択の技術」のことである。

 

☆出生前診断

「出生前診断(広義)」とは、胎児の出生前にその状態を診断することである。専門書の記載によれば、その目的は「胎児期の治療のためのもの:A」「分娩方法を決めたり、出生後のケアの準備を行ったりするもの:B」「胎児の先天異常罹患の点から妊娠を継続するか否かを判断するための情報を親に提供するためのもの:C」となっている。

 

上記に於いてACが問題となる。胎児に対する治療方法としては、帝王切開によって胎児を母体外に取り出して治療を行い、再び母体に戻す治療技術があるが、母体に対する負担が大きくリスクを伴うので、現段階では胎児治療はごく限られた範囲でのみ行うにとどまるという。

母体内の胎児が、遺伝病を発症する遺伝子を有しているか、染色体に異常があるかなどに関する診断方法については、現在のところ子宮内の羊水を取って調べる方法や、胎児の絨毛(じゅうもう)を採取してDNAを調べる方法が確立されている。その結果遺伝子に異常がある胎児や治療が困難な状態にある胎児については、人工妊娠中絶を選択することになる。こうした胎児の異常を理由とする中絶を「選択的中絶」と呼んでいる。

 

☆着床前診断(受精卵診断)

着床前診断とは、体外で受精した二、三日後の胚(卵細胞が四~八分割=割球)から、分割した割球一個を取り出して細胞核の染色体(遺伝子)の検査を行う。遺伝子検査して、遺伝的な問題がないときのみ、女性の体内にその胚(受精卵)を移植する。異常が見つかればその受精卵全体を廃棄する、いわば“生命選択の技術”のことを言う。

 

19986月に日本産婦人科学会は「着床前診断に関する見解」を発表して、「重篤な遺伝性疾患」の臨床研究としてのみ着床前診断の実施を認めるとした。データ的には少し古いが、これを受けて20062月までに着床前診断の申請が出されて認可されたのは、2004年~2005年の慶応大学(5件)と2005年の名古屋市立大学(1件)から出された遺伝性の筋ジストロフイーに関する6件のみにすぎないという。

 

☆行政主導の誤った運動

日本では1966年に兵庫県から始まった「不幸な子供を産まない運動」が全国に拡大して1970年代半ばまで自治体主導で行われていた。ここでいう「不幸な子供」とは遺伝性の病気を持った子供、脳性まひ、フェニルケトン尿症による精神遅滞の子供のことを指す。この運動の主眼は自治体主導で「障害を持つ子供は不幸であるので、できるだけ生まないようにしよう」という「障害者の事前抹殺」にあった。この運動は障害者団体から激しい批判が起こり1970年代半ばに姿を消した。

 

☆不妊は病気か

一般に「女性は子供を産んで一人前であり、子供を持つことが女の幸せである」とする世間からの暗黙の圧力がある。そこに近年の医療技術の発達、さらにマスコミの影響も加わって、不妊治療を受ければ誰でも母親になれるという安易な風潮が出来上がってしまった。不妊とはWHOの定義によれば「妊娠を望みながら2年以上夫婦生活を営んでも妊娠しない状態」とされている。

医療の世界では、妊娠したくとも妊娠できない、そのことを苦痛に感じて来院した人の病名を“不妊症”と呼んでいる。従来から“原因不明な不妊”は「妊娠を望んでいるカップルの10組に1組の割合で存在する」と言われている。いわば妊娠しにくい体質を持った人たちの存在である。しかし妊娠・出産は本来病気ではないが、現在は不妊治療の一つとして体外受精が行われている。医療現場での不妊治療の一般的な流れは「不妊検査・指導→人工授精→体外受精→顕微授精」となっている。現状は多額の費用をかけて不妊治療を受けても、妊娠する確率は30%以下とも言われている。

 

☆体外受精

体外受精は1978年にイギリスで初めて成功し、日本でも試験管ベビー誕生として報道された。日本では198310月に東北大学付属病院で初めて体外受精に成功している。なお統計上の数値から体外受精を見れば、2005年の体外受精・顕微授精・凍結胚移植による年間出生児数は合計19,112人で、約55人に1人が体外受精児であった(→2005年までの累計は154,869人)。最近の数値では2012年の総出生数の27人に1人が体外受精によって生まれている。このように体外受精は、産科の分野では着実に定着してきていると言える。

 

体外受精のプロセスは、排卵誘発剤により複数個の排卵(通常の排卵は月経周期に付き一個)が誘発されるので、その複数個の卵子を採取する。採取した卵子をシャーレの上で精子と受精させると約半日から一日で複数個の受精卵ができる。その後受精卵は二分割し、受精した翌日には四分割、三日後には八分割する。さらに四日目には分割した細胞同士がくっつき始めて“桑実胚”を作り、五日目には“胚盤胞”と呼ばれる状態となる。一般には六日~七日で子宮内膜に胚盤胞は着床する。

現在の体外受精で一般的に行われている移植は、受精5日~6日の胚盤胞の段階で移植する胚盤胞移植である。受精した複数個の受精卵のうち、最も形体の良い一個(原則)が子宮に戻されて、残りの受精卵は妊娠が成功しなかった場合に備えて冷凍保存される。その後不要になった受精卵は廃棄されることになる。

 

☆代理出産

なお不妊には、母親の卵巣や卵管には支障がなく排卵は正常に行われるが子宮に異常がある場合に不妊となるケースがある。この場合にとられる選択肢の一つとして「代理出産」のケースがあり、これには人工授精型と体外受精型がある。人工授精型は依頼者側の夫の精子を代理母の排卵日に子宮に直接注入して妊娠(受精)させる方法である。遺伝的には夫の遺伝子と代理母の遺伝子の双方を持つ子供が誕生する。

これに対して体外受精型では依頼者夫婦の精子と卵子を体外で受精させて、受精した受精卵を代理母の子宮に移植して育てる方法である。生まれてくる子供の遺伝子は「夫と妻」の双方とも一致する。代理母は単なる“貸し腹”ということになる。

 

代理出産が「人工授精型代理出産」であろうと「体外受精型代理出産」であろうと、双方には次のような問題が指摘されている。代理母と胎児との絆は確実に日々強まっていくこと。妊娠中における代理母の肉体上のリスクの存在があること。代理母の家族(夫や子供)に及ぼす影響があること。障害を持った子の出産や希望した性別と異なった子の出産に、依頼者側が赤ん坊の引き取りを拒否した問題がアメリカでは起きていること。体外受精型代理出産には何人もの父親や母親が出てくる可能性があることなど、代理出産には問題が多い。

 

4.生き方の選択としての死

☆安楽死のケース

安楽死には「患者の死期を早める医学的処置」を積極的に行う安楽死と、消極的に行う安楽死とがある。日本で行われた安楽死裁判は、すべて積極的安楽死であり、関与した医師は「嘱託殺人(→患者の嘱託を受けて死期を早める医学的処置を行う)」や「承諾殺人(→患者の承諾を得て医学的処置を行う)」の罪に問われている。識者が発言の中で、安楽死は法に抵触すると述べている場合は、一般に積極的安楽死のことを指している。

 

☆消極的安楽死(尊厳死)・延命処置

消極的安楽死とは、苦痛を和らげ除去する以外の治療を行わない行為(栄養補給のカンフル剤は用いる)であり、一般に「尊厳死」と呼ばれているもので、「患者が自然に死んでいくことで、死ぬに任せること」を指す。日本の消極的安楽死運動は「延命のための医療は望まない(=リビング・ウィル)」という形で、日本尊厳死協会が先導して運動を進めてきた経緯がある。

日本学術会議は尊厳死を容認するための条件として、1994年に次の三点を提示した。「医学的にみて、患者が回復不能の状態に陥っていること」「意思能力のある状態で、患者が尊厳死の希望を明らかにしているか、患者の意思が確認できない場合には、近親者など信頼しうる人の証言に基づくこと」「延命医療の中止は、担当医が行うこと」。

 

☆昭和天皇の延命処置

198917日に昭和天皇は十二指腸がんで死去したが、「医療に携わっている者には、天皇の容態は辛うじて人工延命装置で支えられているというのは常識になっていた。この報道に比例して、日本尊厳死協会の会員が増えていった」という。最後まで医師団は「がんの告知」を行わなかったが、連日の報道に接した国民の間に、天皇の死が尊厳死願望を広めるきっかけとなったという。尊厳死が社会に広く定着していれば、天皇の末期医療は異なった形になっていたとも言われている。

 

☆高級霊の見解

ア)積極的安楽死について

高級霊は「回復の見込みがない患者(→植物状態の人間や不治の患者)」を人為的に死なせる積極的安楽死は、当然のこととして認めていない。なぜなら死後に備えの出来ていない霊に一種のショックを与えてしまい、そのショックが何かと良からぬ影響をもたらしてしまうことになるから。さらに植物状態になっていても、本人自身が何らかの学びをしている場合があること。または周りの家族に対して何らかの学びをさせていることも考えられる。

 

イ)延命処置を施すことについて 

高級霊は患者に延命処置を施すことに関しては問題ないという。なぜなら霊は肉体を去るべき時が来れば、どのような医学的処置を取ろうが肉体から離れていくので、延命処置の効果は「ある程度までのこと」であり、いわば「寿命の範囲内のこと(=寿命の糊代部分)」だからと述べる。

 

ウ)消極的安楽死(尊厳死)について

消極的安楽死(尊厳死)は“医師の行為の妥当性の問題”と“患者本人の動機の問題”とに分けて考えて見る必要がある。医師が患者の苦痛を和らげ除去する以外の延命のための治療を行わない行為(栄養補給のカンフル剤は用いる)、いわば静かに死を待つだけの医療行為に関しては、人は「死すべき時が来れば死ぬということ」であり問題はない。

これに対して患者本人は何のために「延命のための医療は望まない(=リビング・ウィル)」で消極的安楽死を望むのかという問題がある。その理由の一つに医療費という経済的な問題があると思われる。また多数の生命維持装置等によって無理やり命を永らえさせられる状態(スパゲッティ症候群)に対する忌避もあろう。

 

典型的な尊厳死と言われた元米国駐日大使のE・ライシャワーの死(肝臓がん)は、「神から与えられた自らの命は、神の導きのまま自然死を迎え、それで神の下に帰る」であった。結局のところ「尊厳」という言葉にどのような意味を盛り込むか、リビング・ウィルを望む本人の動機は何か、という問題に帰着するであろう。

高級霊は「死後の生命を信じるが故に死を歓迎する。瀕死の状態でもはや医学的手段で徒に生命を維持するのを潔しとせず、死を覚悟する場合はいかがか」との質問に対して、「その時の動機付けが大切なポイントになります」と述べている。

 

5.旅立ちの形態:まとめ

ア)「自然死」+「霊的知識あり」

問題はない。すみやかに「明確な死の自覚」が芽生えるから。

 

イ)「自然死」+「霊的知識なし」+「お迎え現象」+「ガイド」に従う

問題はない。すみやかに「明確な死の自覚」が芽生えるから(なお「お迎え現象」なしの場合もここに含む)。

 

ウ)「自然死」+「霊的知識なし」+「お迎え現象」+「ガイド」に従わない

問題あり。頑なな性格が災いする、自ら作った想念体の世界に閉じこもる、間違った来世観などが妨げとなるなどの場合は、「明確な死の自覚」が芽生えるまで休息する(なお「お迎え現象」なしの場合もここに含む)。

 

エ)「急死」+「霊的知識あり」

問題はない。ただし霊的調整期間(休息期間)は必要になる。すみやかに「明確な死の自覚」が芽生えるから。

 

オ)「急死」+「霊的知識なし」

問題あり。長い霊的調整期間が必要。どの時点で死者に「明確な死の自覚」が芽生えるかがポイントになる。

 

カ)「自殺」+「動機が利己的」

暗い世界に落ちる(中間境)。その後は幽界の下層(浄化のための世界)へ。

自殺者の意識が内側に向いて閉じられているので、自らの強い意志でその「壁(利己性の度合いに応じて思念の壁の厚みは異なるが)」を破らなければならない。そのため「明確な死の自覚」が芽生えにくく、地縛霊となっているため救済霊との接触に時間がかかる。

 

キ)「自殺」+「動機が利他的」

一旦は暗い世界へ落ちる。「明確な死の自覚」がいつ芽生えるかがポイントになるが、意識が外側に向いているため救済霊と接触しやすい。利他性の度合いがポイント。

 

ク)「自殺」+「憑依霊」

責任は憑依霊の側にあるが、一旦は暗い世界に落ちる。その後の進路は自殺者の意識や精神状態が内側に向いているか、あるいは外側に向いているか、「明確な死の自覚」がいつ芽生えるかによって異なる。

 

ケ)「死刑」+「生前に悔い改めた者」

死者に「明確な死の自覚」が芽生えれば地縛霊を脱して、幽界の下層(浄化のための世界)で償いの生活を送る。

 

コ)「死刑」+「罪の意識がない者や反省しない利己主義者」

地縛霊となって地上世界に問題行動を引き起こす。親和性の法則により同じような波長を出している地上の人間に近づいて、そのマイナスの波長を増幅させる役割をする。または地上人が霊媒体質者であれば直接憑依して問題行動を引き起こす。近年、憑依現象と思われる犯罪が多発しているように思える。

 

サ)「受精卵(着床前の胚)の廃棄」や「胎児の中絶」

スピリチュアリズムでは動機は何かが問題となる。動機の中身によっては、黒から限りなく白に近いものまである。カトリック教会はとかく“良い”“悪い”の二面のみで断定する傾向にある(自殺含む)。この点がスピリチュアリズムとの大きな差異になっている。

物的身体(胚、胎児)を失った「胎児霊」は再び出生の機会を待つ。または再生人生が完了したので本来の世界に戻る。

 

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