« 第2講:霊的実在の証明方法の推移 | トップページ | 2018年2月講演会の講演録 »

第1講:近代スピリチュアリズム

目 次

1.素朴なスピリチュアリズム

 

2.近代スピリチュアリズム

①.ハイズヴィルの怪奇現象(フォックス家事件)

②.地縛霊(低級霊)との交信

③.エプワース牧師館事件

④.スピリチュアリズム元年

⑤.スピリチュアリズムのブーム

 

3.スピリチュアリズムの体系

①.二つの相反する世界

②.伝統的な定義

 

4.世俗的(現世利益的)なスピリチュアリズム

 

<注1>~<注11

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

1.素朴なスピリチュアリズム

<霊魂不滅>

霊魂は肉体が滅びても永遠に存在するという考え方は、洋の東西を問わず古代から存在している。この「霊魂不滅」を前提として祖先崇拝や輪廻転生説が生まれた(注1)。

日本の古代社会では霊魂を「たま」と呼び、死者の霊魂と人間との間を取り持つコミュニケーションの媒介者を「口寄せ」と呼んでいた。この「口寄せ」が「神憑り」して、顕幽の橋渡しを行っていた。旧約聖書の「サムエル記上、28」や「イザヤ書、8」などにも、死者の声を聴く「口寄せ」や霊媒の話が登場するので「神憑り」現象は日本だけの話ではない。

 

<自然発生的なスピリチュアリズム>

このような古代から世界各地に存在してきた「死者の霊魂」や「死後の世界(他界)」を前提としたコミュニケーションを「心霊術又は交霊術」(自然発生的なスピリチュアリズム)という。近代スピリチュアリズムの「霊魂説」の観念と共通した部分が多い。前者の古代から存在した現象には「科学的説明」が為されておらず、そこには多くの迷信や俗信が混在している。その点が後者の「霊魂説」との相違点となる。本稿では前者を便宜「素朴なスピリチュアリズム(=自然発生的なスピリチュアリズム)」と呼ぶことにする。

 

2.近代スピリチュアリズム

①.ハイズヴィルの怪奇現象(フォックス家事件)

<ハイズヴィルの幽霊屋敷>

アメリカのニューヨーク州ロチェスター近郊のハイズヴィルという場所は、数件の木造家屋と小さな農場があるだけの一寒村であった。この村落には幽霊が出ると噂されていた木造の地下室付きの家(→ヘンリー・ハイド氏所有の借家)があった。この家の借主であるジョージ・ベル(→霊から殺人者として名指しされた)にメードとして雇われていたルクレシア・ブルヴァ(またはパルヴァー:14歳の娘)は、1844年頃、時々寝室をたたく音(叩音)や家の周囲を歩き回る不思議な足音を聞いていた。

また1846年から1847年頃の借主であるミケエル・ウイクマンも、戸口付近で誰もいないにもかかわらず騒々しい叩音をたびたび聞いている。彼の娘(8歳)は、夜に一度冷たいネバネバする手で顔をなでられたように感じたという。このような怪奇現象がたびたび起きるため、ついにウイクマンは引っ越してしまった。

 

1848331日の夜>

その後184712月にニューヨークから移住してきた鍛冶屋のジョン・D・フォックスと妻、そして姉妹のマーガレット(またはマーガレッタ、マギーとの表記もある:1838年?→1893年)とケイト(またはケティー、キャッシー、キャサリンとの表記もある:1841年?→1892年)の一家が引っ越してきた。

始めのうちは何事もなかったが翌年の3月の夜、拳で家の壁を叩く音(ラップ)やノックの音、家中の家具を動かす音などが聞こえ始めた。来る夜も来る夜もこれらの怪音が自己の存在を知らしめるかのように鳴り響いた。331日の夜にひときわ大きなラップ音が発生した。この音に対して姉妹が手を叩くという方法で通信を試みたところ、ラップ音による返答が返ってきた。

 

②.地縛霊(低級霊)との交信

<手を叩きラップで返答する>

この姉妹の名前や年齢、霊とのやり取りは書籍によって記載が異なるが、おおよそ次のような経緯をたどって通信が試みられた。

「悪魔さん、あたしの言うとおりにして」とケイトは手を一回叩いた。ノックが一回返ってきた。ケイトが二回叩く、ノックも二回。意思が通じ合えると姉妹と霊との間でノック二回なら「イエス」、ノックなしは「ノー」という取り決めをして通信を続けた。「あなたは殺されたの?」ノック二回。「殺した人は、法律で裁かれたの?」ノックなし。「その人を法律で罰することはできる?」静寂。あまりに重大な内容のためフォックス氏(またはフォックス夫人)は霊の許可を受けて隣人を呼んできた。そして隣人がさらに隣人を呼び寄せて家中一杯になった中で交信は続けられた。

 

<霊の身元>

姉妹と地縛霊(→死によって肉体を捨て去ったにもかかわらず本人は死を自覚せず未だ肉体があると信じており意識が地上世界に向いている霊、いわば意識の切り替えが完了していない霊のこと)とのやり取りを通して霊の身元が判明した。殺されたのはチャールズ・B・ロスマ(31歳)という名前の行商人で、5年前の夜にかつての住人ベルに包丁で喉を切られて、所持金の五百ドルを奪われて殺害された。死体は階段を引きずられて地下室の土間に埋められた、このようなことが明らかとなった。

この噂を聞いて翌日の夕方までにフォックス家に三百人近くが集まってきた。そして地下室の床を掘り始めたが水が湧き出てきたため中止となった。その年の夏に作業を再開して、1.5メートル掘り出したところ板が現われた。その下から木炭と生石灰と人間の頭髪および多少の人骨が現われたが、殺害された行商人のものと断定するまでには至らなかった。

 

③.エプワース牧師館事件

ポルターガイスト現象は古来より数多く報告されているが(注2)、その中でも「ハイズヴィル事件(またはフォックス家事件)」の130年前に起きた「エプワース牧師館事件(イングランド東部のリンカンシャー、エプワースの町)」は良く知られている。

キリスト教系のメソジストの開祖ジョン・ウェズリー(John Wesley1703年→1791年)の父サミュエル・ウェズリー(Samuel Wesley1662年→1735年)は、1716年に英国国教会のエプワース(Epworth)の教区牧師となった。このサミュエル・ウェズリーの牧師館兼自宅で、171612月から翌年の1月末まで断続的に叩音(ラップ)や足音などを伴った激しい怪奇現象が起きた(注3)。このポルターガイスト現象には11歳の娘のヘッティが霊媒の役割を果たしたと云われている。

このエプワース牧師館事件は、霊界の組織的な関与が始まった1848年以前の偶発的な怪奇現象であり、そのため科学者の関心を呼ぶこともなく、また広く世論を喚起することもなく終息した(→霊界の組織的な関与があったハイズヴィル事件との対比)。

 

④.スピリチュアリズム元年

<双方の事件の共通点と相違点>

このハイズヴィル事件とエプワース牧師館事件とを比較してみると、次のようなことが明らかになってくる。双方の事件の共通点としては、カギとなる人物が存在したこと(→未成年者の女子)。この人物が存在して発生した現象であること(→現象の発生には生者の幽質・エクトプラズムを材料として用いるため、霊媒体質者の存在が必須条件となっている)。

 

相違点としては、エプワース事件では叩音(ラップ)や足音などの現象が霊側から一方的に発信されていたが、ハイズヴィル事件では顕と幽との間に交信が成立したことであった。この交信の成功という事実は重要である。なぜなら一般にポルターガイストは各種の物理的現象が一方的に発生するため、発生源である霊との間には交信が成り立ちにくいとされているから。さらに重要な点はハイズヴィル事件の56年後に廃屋から物証が見つかり、1848年に出現した地縛霊がラップで述べた内容に関して、裏付けが取れて“事件”が立証されたことである(注4)。

 

<社会に及ぼした影響>

社会に及ぼした影響という点でも大きな違いがある。エプワース牧師館事件は霊界側の組織的関与がなかったため一過性の現象で終わってしまった。これに対してハイズヴィル事件では、この事件がきっかけとなって学者や知識人、聖職者などが心霊現象に関心を持ち、その後の「科学的検証を伴った心霊ブーム」に道を開いたことである。この点が1848年のハイズヴィル事件の前と後の“スピリチュアリズム”を分ける際のポイントとなっている。

この科学的検証は“霊魂説(→死後も個性が存続すること、霊の世界が存在すること、顕幽の交流が可能なことなどの霊的事実)”を「証明」して、霊界通信によって“スピリチュアリズム思想(→質の高い高等なスピリチュアリズム:Higher Spiritualism)”が地上世界にもたらされる際の土台部分となった。

 

<近代スピリチュアリズム元年>

ハイズヴィルのラップ現象は、その後の霊界主導によるスピリチュアリズムの普及運動へと発展していく、端緒となった事件であった。このように「霊界側の組織的関与」が存在したハイズヴィル事件と存在しなかったエプワース牧師館事件とでは、その後の地上世界に及ぼした影響力という点で大きく異なっている。このような観点から見て「事件」が起きた1848年は「近代スピリチュアリズム元年」とされている。

 

⑤.スピリチュアリズムのブーム

<心霊現象の発生と霊媒体質者の存在との因果関係>

このラップ音によって霊の世界と交信を行ったフォックス家の姉妹の噂は、瞬く間にニューヨーク州北部から近隣の州へと広がり、大きく報じられて評判となった。当事者であるマーガレットとケイトは事件の渦中から逃れるために、当時ロチェスターで音楽教師をしていた23歳年上の長女リー(Leah1814年→1890年)の家に避難した。しかしマーガレットやケイトの行くところには絶えずラップ音やその他の心霊現象がついて回ったことから、ハイズヴィルのラップ現象は姉妹の霊媒体質を介して発生したものであることが明らかとなった(→心霊現象の出現には霊媒体質者の存在が前提となる。ここから心霊現象の発生と霊媒体質者の存在との因果関係が判明した)。

 

<霊界からのメッセージ>

フォックス家の知人であるフレンド派(クエーカーの正称)のアイザック・ポスト(Isaac Post)は、ロチェスターのリーの家を訪ねてアルファベット表を使った交霊実験を行い、霊界からのメッセージを受け取った(注5)。その後このメセージに沿って行動する人が次第に増えて行き、アイザック・ポストの呼びかけで18491114日ロチェスターのコリンシアン・ホール(またはコリント・ホール)で、マーガレットを霊媒としたスピリチュアリストによる最初の集会(公開交霊会?)が開かれた(注6)。集会の参加者は少人数であったという。

 

<触発されて多くの霊媒が出現した>

フォックス家の姉妹のマーガレットとケイトおよび長女のリーは、ニューヨークやトロントなどの都市でラップを中心とした公開実験会を行った。「リーは交霊会開催の要望が高まるにつれて普通の職業に就けなくなり、18491129日職業霊媒となった」(注7)。この時期フォックス家の姉妹に触発される形で各地に心霊現象を起こすことができる霊媒が次々と現れた。現象も当初のラップから自動書記や直接談話等へと種類を増やして行き、著名人を含む多くの人達を巻き込んだ形でアメリカ社会に一大ブームを巻き起こした。

 

特定の霊能者に触発されて多くの霊能者が出現するという現象は日本にも存在する。

明治43年(1910年)に行われた御船千鶴子(みふねちづこ:1886年→1911年、熊本市)の透視能力の実験に触発されて、全国各地に透視能力者が現れた。透視能力と同時に念写能力を発現した 丸亀市 の長尾郁子 (ながお いくこ:1871年1911年)や、月の裏側の念写で有名な三田光一(みたこういち:1885年→1943年)もこの時期の「超能力ブーム」に触発された一人であった。

また近年では昭和49年(1974年)にユリ・ゲラーが来日して、テレビでスプーン曲げの実演を行った。これを見て多くの超能力者が出現したケースもある。これらの現象はハイズヴィルのフォックス家姉妹に刺激されて、アメリカ各地に能力者が出現した経緯と似ている。

 

<霊界側の積極的な関与>

このような形で短期間にアメリカ東部一帯に影響力が広がって行ったが、その最大の理由は霊界側の積極的な働きかけがあったからである。霊界側の強い影響力の行使があったことによって次々と新たな霊媒が出現して、交霊会を通して“人間の死後存続”や“死後の生活”という霊的事実が広まり、人々に強い影響力を与えていった。殺害された地縛霊によって引き起こされたポルターガイスト現象によるハイズヴィル事件は、「霊界主導の組織的・継続的な霊的刷新運動」の端緒となった“事件”として、歴史の中に位置付けられることになった。

 

<シルバーバーチによれば>

この1848年に開始された「霊界主導による組織的・継続的な霊的刷新運動(近代スピリチュアリズム)」は、シルバーバーチの次のような言葉からも裏付けられる。

19世紀半ばに霊界の扉が開いた」「扉は二度と閉じられることはない」(7151⑩~152③)、「(霊的知識を地上に根付かせる運動は)入念な計画に従って組織的な努力が始められた」(メッセージ99④~⑦)。さらには地球浄化の為に「幾世紀も前から真理普及の為の強大な霊的軍団が組織された」(福音55⑥~⑦)ことや、「最初はわずか数滴から始まりました」「大々的な組織体制の下での霊力の降下」「今や枯渇する心配など微塵もない分量で地球を包んでいる」(福音174⑫~175②)など(注8)。

 

このように1848年のハイズヴィル事件を暗示するかのような記載が『シルバーバーチの霊訓』には散見している。ここからシルバーバーチは「霊界主導による組織的・継続的な霊的刷新運動(近代スピリチュアリズム運動)」に沿った形で出現した霊であることや、現代人に霊的教訓を述べる使命を担った霊であることなどが明らかとなってくる。

 

<大西洋を渡ってイギリスに上陸>

ハイズヴィル事件に端を発した「霊的潮流」は4年後の1852年には、大西洋を渡ってイギリスに上陸して、著名な科学者を巻き込んでさらに大きく発展していくことになった(→田中千代松編『新・心霊科学事典』潮文社1984年刊、382頁)。霊媒のW..ヘイデン夫人は185210月にイギリスを訪問して、社会思想家ロバート・オーエンに強い影響を及ぼした(田中千代松著『新理想郷物語』出版研1987年刊、25頁~)。

 

<科学的な調査研究の対象となる>

西洋社会でブームとなった「家庭交霊会(Home circle)」では、心霊現象が頻発して起きた。世間の人はサークルのメンバーを軽蔑して「テーブルラッパー」と呼んで嘲笑したが(550⑥~⑦)、この心霊現象は間もなく科学者の目に留まり、広く関心を呼び起こして科学的な調査研究の対象となった。当時の一流の科学者の調査研究によって心霊現象の仕組みが明らかとなって、その結果「死後も個性は存続する、顕幽の交流は可能」というテーマを「科学的に証明可能」とした。いわゆる「霊魂説」が確固たる「事実(=いわゆる事実として)」として打ち立てられたわけである。

 

<心霊研究はスピリチュアリズムを母体として誕生>

なお心霊研究(=psychical research)は交霊会の中で起こる心霊現象について、それが科学的事実と言えるかどうかを研究の対象として出発している。そのため「心霊研究はスピリチュアリズムを母体として生まれた」と言われている。また社会学者の田中千代松は「心霊研究は、モダン・スピリチュアリズムという、霊の世界の存在を周知させようとする新興思想運動の底辺から派生した、いわば分かれた枝であった」(田中千代松著『新理想郷物語』出版研1987年刊、53頁)とも述べている。

 

1848年の前と後>

このような観点から従来の自然発生的に存在する「素朴なスピリチュアリズム」と区別する意味で、ハイズヴィル事件(1848331日)以降「この世とあの世の交信は科学的に証明可能」を強調するスピリチュアリズムを「近代スピリチュアリズム(=新スピリチュアリズム)」(注9)と呼んだ。

 

3.スピリチュアリズムの体系

①.二つの相反する世界

一般にスピリチュアリズムを説明する際に用いる位置関係からは、「右隣りには実証を重視した科学の世界」が広がっており、反対側の「左隣には信念を重視した信仰・宗教の世界」が広がっているとされている。そのため「実証を重視する者は科学へ傾斜する」傾向を強め、「信念を重視する者は信仰へ傾斜する」傾向を強めていく。

このように相反する「実証重視の世界」と「信念重視の世界」を隣接領域に持つことから、一口に「スピリチュアリスト」と云ってもその立ち位置はさまざまである(→何を基準にしてスピリチュアリストと定義するかの問題もあるが)。なおこのスピリチュアリズムの実証重視と信念重視という二面性は、証拠に対して求める厳密さの程度にその違いが明確に現れている(注10)。

 

②.伝統的な定義

<土台部分>

一般に科学者による心霊現象の調査研究によって明らかとなった事柄を「スピリチュアリズムの土台部分(→霊魂説のこと)」と呼んでいる。この「土台部分」の上に「スピリチュアリズム思想」が載っている。科学的な調査研究の対象となった「土台部分」は実証重視の科学の世界へと繋がっているため、この部分の研究は「心霊研究」と呼ばれた。アメリカ・デューク大学のライン博士が1934年に発表した研究報告書以降、「心霊研究」は「超心理学」と呼ばれるようになった。その後「超心理学協会」は1969年にアメリカ科学振興協会に加入して、超心理学は学問分野の一角を占めるに至っている(注11)。

 

このスピリチュアリズムの「土台部分」に当たる「霊魂説」は、各種物理的心霊現象や交霊会における招霊現象によって「事実として証明された事柄」である。その内容は世界を「霊肉実体二元論」的に理解して死後の世界は存在すること、死後は霊の世界で生き続けること(死後個性の存続)、この世とあの世は交流していること(顕幽の交流)を肯定する立場のことである。

 

<上部構造>

この「霊魂説」を前提とした上部構造には、高級霊から霊界通信によってもたらされた「スピリチュアリズム思想(哲学)」が載っている。この「スピリチュアリズム思想」には「人生をどのように生きるべきか」や、人生に於いてしばしば遭遇する「困難や苦難にどのように対処したらよいか」など、人の生き方を深く掘り下げる力が存在している(→来世の存在を前提とした上で、今をどのように生きるべきかが問われてくるから)。

 

シルバーバーチも述べているように「知識には責任が伴う」(153②)ことから、「スピリチュアリズム思想」を学んで知識の分量を増やしていくと、次第にその人の「生き方が問われてくる(→獲得した知識は実生活に活かしていく:226⑤)」ことになる。いわば生き方の「質的な転換(知識から生き方へ)」を迫られることになるわけである。この「質的な転換」は個々人の自由意志にゆだねられているが、なかには「スピリチュアリズム思想」をこの世を生き抜くための「生き方の指針(→実践哲学、信仰)」にまで高めていく人も出てくる。そのため上部構造たる「スピリチュアリズム思想」は信仰と相性が良く、宗教の世界へと繋がっている。

 

<科学であり、哲学であり、宗教でもある>

このようにスピリチュアリズムはその下部構造(土台部分)に科学との相性が良い「霊魂説」があり、上部構造の「スピリチュアリズム思想」は物事の本質を深く掘り下げる哲学的側面を有している。さらに人の生き方さえも変えてしまう力を持っているので信仰や宗教と相性が良い。ここから「スピリチュアリズムは科学であり、哲学であり、宗教である」(→全米スピリチュアリスト連盟が採択した定義の一部:ナンダ・フォダー『心霊科学事典』の「スピリチュアリズム」の項目参照)とする伝統的な定義が引き出される。

なおスピリチュアリズム思想は個々人の生き方を変えて、社会の有り方さえも変革していく力を秘めているので「社会変革思想」とも言われている。

 

4.世俗的(現世利益的)なスピリチュアリズム

<娯楽の一環、生業の手段>

世の中の多くの人たちが「スピリチュアリズム」や「スピリチュアル」という言葉に対して抱く一般的なイメージは、おおよそ「占い的なもの」や「娯楽的なもの」ではないかと思われる。これは書店に並ぶ書籍のタイトル名や、インターネットの検索から出てくるフレーズ、たとえば「開運・恋愛・未来予測などで幸福や成功を得る」「前世や守護霊調査」「潜在能力の開発」「運気をアップする」「幸福を引き寄せる」などから判断してもその傾向が窺える。

 

このように多くの人が抱く「スピリチュアリズム」に対する理解は、世俗的な欲求とセットとなった開運や、個人的な慰め・癒しといった“娯楽の一環”や“生業の手段”に留まるという印象を筆者は持つ。ここから見えてくることは、近年マスコミやビジネスの世界で盛んに取り上げられている「スピリチュアリズム」や「スピリチュアル」は、来世の存在や死後個性の存続と言ったスピリチュアリズムが持つ本来のテーマとは切り離された形で、世俗的に用いられていることである。そのためこれらを「世俗的なスピリチュアリズム(=現世利益的なスピリチュアリズム)」と呼ぶことができる。

 

<スピリチュアリズムは知識>

シルバーバーチは「スピリチュアリズムは知識です」(7175⑧)と述べている。その利用実態は「スピリチュアリズムは知識」であるがゆえに、スピリチュアリズムが本来想定していた利用法から逸脱して、娯楽の一環としてまたは生業の糧として、さらには単なる知識として“引出しの中”に仕舞い込まれるなど、多様な形で流用されて一人歩きしているのが現状である。

 

シルバーバーチは事ある毎に「霊的知識に沿った生き方」や「霊性の向上」が最も大切であると述べている(→霊性の向上とは潜在している霊を意識の領域に顕在化させていく“意識の進化”のこと、形体に具わっているサイキック能力の開発ではない)。その為には獲得した「スピリチュアリズムという知識」を「生き方の指針」とした「意識の変革」が必要となる(→なぜなら「獲得した知識は着実に実生活に生かしていくように心掛ける」ことを勧めているから:226⑤)。

 

<スピリチュアリズム思想の本質は宗教>

このような観点から見ると「スピリチュアリズム思想の本質は宗教性にある」と言うことが出来る。これをスローガン的に「スピリチュアリズムは宗教である」と述べてしまうと、短絡的な表現ゆえに無用な混乱と反発を引き起こす場合があるので注意する必要がある。

このようにシルバーバーチは今流行りの「世俗的なスピリチュアリズム(=現世利益的なスピリチュアリズム)」といった“偽物のスピリチュアリズム”とは一線を画している。

 

― - ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

<注1>

■平凡社『哲学事典』1985年刊、「霊魂不滅」の項目参照。

 

<注2>

■ポルターガイスト(騒々しい幽霊)とは物理的な原因がないにもかかわらず叩音(ラップ)がしたり、物品が宙を舞ったり、破壊したり、激しい音をたてたりする現象で、始まりの時と同様に唐突に終了する現象(→通常は二、三週間から二、三カ月で終息する)をいう。この現象は古くから知られている。

 

■記録に残る最も古いものとしては、帝政ローマの文人で弁論家小プリニウス(Gaius Plinius Caecilius Secundus62年?~113年)の手紙の中に、哲学者アテノドロスが「アテナイにある広壮な、しかし悪い噂の立っていた呪われた屋敷」を格安の家賃で借りた話が載っている。それによれば「足首に足枷を手首に手枷をかけた、痩せ衰えた垢まみれの老人」の幽霊が騒々しい鎖の音をさせて出現して、アテノドロスを屋敷の中庭に案内した。そして幽霊の指示通りに庭を掘ってみたら、手枷・足枷状態の骸骨が出てきたという話である(プリニウス著、国原吉之助訳『プリニウス書簡集』講談社学術文庫1999年刊、290頁~295頁参照)。

 

■最も古い正式記録として、多くの書籍に引用されているポルターガイスト現象がある。その記録とは、東フランク王国の『フルダ年代記』(838年→901年)に記載されたもので、858年にライン川沿いのビンゲン付近の農家(夫婦と子供たちが住んでいた)で起きたポルターガイスト現象である。年代記によれば“悪霊”は石を投げて自らの存在を明らかにし、次いで「まるで男たちが総がかりで壁をハンマーで叩いたかのように、壁を揺るがして場所を危険にした」という。

 

■ポルターガイスト現象は超心理学者の間では、「特定の人物(中心人物)の周辺で起こることが多く、思春期前の子供が促進的要因となって現象が起こりやすい」とされている。

ディヴィッド・ヘス「抵抗と信念」(笠原敏雄編『超常現象のとらえにくさ』、春秋社1993年刊所収485頁~)によれば「ポルターガイスト現象を引き起こす家族には、緊張や敵対心が満ちている場合が多いとして一般に認識されている」という。

また明治大学教授の石川幹人氏によれば、「その人物が外出していたり、眠っていたりすると現象が起きないことから、容易に特定できるとされている。そして、現象を発生させていると疑われる人物は、典型的な特徴を持っている。(すべてではないが)ほとんどが未成年であり、67割が女子であり、大部分は家庭環境に問題を抱えている(両親の離婚、再婚、養子にされるなど)。そして多くは親から精神的に疎外されていて、親への敵意をもっている」(参照:http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/7-4.htm)という。

 

■ただしスピリチュアリズムの観点からは、全てのポルターガイスト現象が必ずしも「思春期前の子供が促進的要因となって」発生するわけではないが。

スピリティズムの提唱者のアラン・カルデックは高級霊の聖ルイから、1860年にパリのノワイエ通りで起きたポルターガイスト現象(→石が飛んできてすべての窓ガラスが割られ、家人が見たこともないあらゆる種類のものが投げ込まれた事件)に関して、これらの現象が起きるためには霊媒体質者や攻撃対象者の存在が必要であるとの指摘を受けた(以下の引用箇所を参照)。

 

■アラン・カルデック編、近藤千雄訳『霊媒の書』(スピリチュアリズム普及会1996年刊)108頁~116頁参照。

カルデックは交霊会を開いて、1860年にパリのノワイエ通りで起きたポルターガイスト現象を起こした“低級霊(地縛霊)”を呼んで、現象の舞台裏を質問した。

カルデックは高級霊の聖ルイから「あの種の現象には必ず攻撃の的になっている人物がいるものです」「そういう人物がいなければ、あのような現象は起きなかったであろう」「霊媒的体質を持つ者がいない限りは大人しくしています」(→但し霊媒体質者の存在は絶対的な要件ではないと言われている)と指摘された。これは超心理学者の間で定説となっている「一般にポルターガイストは特定の人物の周辺で起こる現象」ということと関連性が見られる。

カルデックはポルターガイスト現象を引き起こした地縛霊に「あなたのイタズラに協力した誰かがいたか」と尋ねた。すると地縛霊は「いたとも。オレにとっては大事な道具でな」「メードの一人さ(→そのメードはそうとは気づかずに協力した)、気の毒だけどな」「あのメードの電気性のエネルギーをオレのエネルギーにつなぐのさ。オレのエネルギーでは濃度が薄いからだよ。すると物体が動かせるんだ」と答えている。このようにメードの幽質と地縛霊の幽質とがミックスされて、それがエネルギー源となってポルターガイスト現象が引き起こされた。

 

<注3>

■主な参照文献は、ジョン・イングラム著、平井呈一訳「エプワース牧師館の怪」:『書物の王国⑱―妖怪―』(国書刊行会1999年刊)所収、57頁以下。ピーター・アンダーウッド著、南條竹則訳『英国幽霊案内』(メディアファクトリー2010年刊)75頁以下参照。

 

■前著「エプワース牧師館の怪」によれば、怪現象は「1716122日に、父の下僕のロバート・ブラウンが、夜の10時ちょっと前に、女中の一人と庭を見晴らす食堂にいると、誰か玄関の扉を叩く音が聞こえた。ロバートが立って行って、扉を開けたが、誰も見えなかった。すると、すぐにまた追っかけて叩く音がして、なにか呻くような声が聞こえてきた」から始まった。

この現象発生期間に在宅していた家族は、上記参照文献やその他の資料の記載から人物名を抜粋してみると、父のサミュエル、母のスザンナ、娘エミリア(またはエミリー?年齢不詳)、ナンシー(15歳)、スーキー(またはスザンナ13歳)、モーリー(またはメアリー12歳)、ヘッティ(またはマヒタブル11歳)、ケッツィー(またはケズィア、年齢不詳)であった。なおこの現象には、娘のヘッティが霊媒の役割を果たしたと云われている。

 

■ジョン・ウェズリーは、父サミュエル・ウェズリーが書き残した日記の記録や、牧師の長男サミュエル(Samuel1690年→1739年:父親と同じ名前)が家族からもらった手紙、その他の家族の者や訪問客が残した記録などをまとめて編纂し、1720年に『アーミニアン雑誌』(または『アルミニウス派』誌)にこの「怪奇現象」の顛末を載せている。この記事は1784年にも同じ雑誌に再録されている。

 

<注4>

■フォックス家の三姉妹は霊媒(長女のリーが最初の職業霊媒となる)となって生活の糧を得ていたが、姉妹間の不和や経済的な事情、精神的な問題などがあって平坦な人生ではなかった。長女リーは1890年に、三女のケイトは垢と安酒の臭いにまみれて1892年に歩道で死んでいるのが見つかった。次女のマーガレットは1893年にニューヨークの安アパートで事実上誰にも看取られずに死んだという。

フォックス姉妹が相次いでこの世を去って10年以上のち、廃屋になったフォックス家の“お化け屋敷”の地下室で遊んでいた子供たちが、崩れた壁の奥に白骨死体を見つけた。

この行商人の死体という物証発見によって、半世紀以上前に世間を賑わしたフォックス姉妹の“話”の信憑性が証明された。とかく疑惑がつきまとっていたフォックス姉妹の心霊現象は、この物証により欺瞞ではなかったことが立証された。

 

■ハイズヴィル事件の56年後、19041123日付『ボストン・ジャーナル(Boston journal)』に次のような記事が載った。

――ロチェスター発、19041122日。1848年にフォックス姉妹が聞いたというラップの発信者とされる人物の骸骨が同家の地下室の壁と壁の間から発見された。これで、二人の少女は霊との交信に関する誠実さにつきまとっていた疑惑を完全に打ち消すことができた。フォックス姉妹はある男性の死者と交信したと言い、その男性は殺害されて地下に埋められたと主張したことになっていた。そこでその地下室が何度か掘り返されたのであるが、その遺体が見つからず、二人の話を裏付ける証拠が得られずにいた。その遺体を発見したのは、今では“お化け屋敷”と呼ばれている、その二人の少女が住んでいたハイズヴィルの家の地下室で遊んでいた小学生たちであった。その家の現在の所有者でハイズヴィルの名士でもあるウィリアム・クライド氏は、子供たちの通報で調査したところ地下室の崩れた壁の下からほぼ完全な白骨死体が発見された。(中略)これによって1848411日に署名された母親マーガレット・フォックス夫人の宣誓書が、事実上、裏付けられたわけである――

近藤千雄著『霊的人類史は夜明けを迎える』(ハート出版1993年刊)212頁~213頁。

このようにして、姉妹が最初にラップ音で会話をしたという行商人の遺体が発見された。なお遺体の傍から当時の行商人が金銭を入れて持ち歩いていたブリキ缶が発見されている。

 

<注5>

■田中千代松著『新霊交思想の研究(改訂版)』(共栄書房1981年刊)37頁参照。

アイザック・ポストが霊界から受け取ったメッセージは、前著によれば「友よ。あなた方はこの真理を世に広めなければならないのだ。これは新時代の曙光(ショコウ)なのである。それを、あなた方はもはや圧し隠そうとしてはならないのだ。あなた方がその義務を行うとき、神はあなた方を護り、善き霊たちがあなた方を見守るであろう」という内容であった。

 

<注6>

■アーネスト・トンプソン著、桑原啓善訳『近代神霊主義百年史』(コスモ・テン・パブリケーション1989年刊)44頁参照。

 

<注7>

■田中千代松著『新霊交思想の研究(改訂版)』(共栄書房1981年刊)39頁参照。

 

<注8>

シルバーバーチは「近代スピリチュアリズム」運動を霊界側から見て次のように説明している。「このたびのコミュニケーションは組織的であり、協調的であり、監理・監督が行き届いており、規律があります」(7151⑪~⑫)。さらに「(近代スピリチュアリズムの運動は)一大計画の一部として行われており、その計画の推進は皆さんの想像も及ばないほどの協調体制でおこなわれております。背後の組織は途方もなく巨大であり、細かいところまで見事な配慮がなされております。すべてに計画性があります」(7151⑫~152③)。

このように突破口となったハイズヴィルの低級霊の背後には、巨大な組織や霊界側の戦略が存在することを示唆している。

 

<注9>

■稲垣直樹著『フランス心霊科学考』(人文書院2007年刊)240頁参照。

アラン・カルデックはスピリチュアリズムを「再登場」という表現を使って、1848年以前と以後を区別して次のように述べている。

――カルデック自身「近代スピリチュアリズム」の起源をフォックス姉妹に求めて、次のように述べている。「観察された最初の出来事はいろいろな物が動き出すことだった。これは一般にテーブル・ターニングとかテーブルのダンスとか呼ばれた。こうした現象は最初にアメリカで観察されたものらしい。というよりも、むしろアメリカで再登場したといったほうがよいだろう。それというのも、この種の現象がはるか古代から見られたことは歴史の明らかにするところだからである。突拍子もない音とか、はっきりした原因もなしにコツコツ叩く音とか、不可思議な出来事をともなってこの現象は起こった。それはアメリカから発してヨーロッパに、そしてほかの地域にあっという間に広まった」(Kardec, Le Livre des esprits,1857 )――

 

■社会学者の田中千代松氏は『新霊交思想の研究(改訂版)』8頁の中で、「新スピリチュアリズム(または近代スピリチュアリズム)」を次のように述べている。

――新スピリチュアリズムとは何か。エンサイクロペディア・ブリタニカへの寄稿者(R.H.ソーレス)は「スピリチュアリズムという語は二様の意味で用いられて来ている。第一は、諸宗教が通有する非物質的な霊的な世界の実在を主張する形而上学を指し、第二は、死者の霊と交信するを目的とする信仰および実践の体系、またかかる信念を有しかかる実践を行う人々の社会的制度を指す」と。この第二のものが19世紀中葉において特に勃興したとき、“新”という形容詞が付せられたのであった。そしてこの筆者の記述が示しているように、しばしば“新”を落として用いられているのである。しかし、この筆者の定義付けには補足が必要である。それは、新スピリチュアリストたちは、死者の霊との交信が科学的に可能であるという確信の上に立っている、ということである。それゆえ彼らは言う、「(新)スピリチュアリズムは、顕幽両界における人間の経験に基礎を置く人間存在の科学であり哲学であり宗教である」(Two WorldsVol.64、№32961951127日)と――

 

<注10

■実証重視の世界

心霊研究は懐疑論者を相手にする既成科学の世界を目指していたため、より厳密に実証性を追求する道を選ばざるを得なかった。そのためSPR(心霊研究協会)は懐疑論者の数々の批判に応えるために次第に「証明のハードル」を高くしていった。研究には「徹底した懐疑的態度」と「実証主義で科学的精神に徹した調査研究方法」が導入されて、極めて厳しく管理された実験が行われるようになっていった。

 

■ハーバード大学の心理学教授ウィリアム・ジェイムス(James, William1842年→1910年)は1897年に「どこかに間違いがあるのではないか、と四六時中疑ってかかる頑なな姿勢に満ち満ちた科学雑誌を一つ挙げるように求められたなら、『心霊研究協会会報』を挙げざるを得ない」と述べている(イヴォール・グラッタン=ギネス編、和田芳久訳『心霊研究―その歴史・原理・実践』技術出版1995年刊、15頁)。

 

■厳格な条件管理

心霊現象を研究対象とするためには、厳格な条件管理がなされた実験室という空間内で、現象がある程度反復的に起こる必要がある。そのため力量のある能力者といえども、このような科学の世界においては被験者とはなりえないということが起こりえる。この厳しい管理実験下においても、フィリピンの心霊手術師ホアン・ブランシェは、糖尿病患者に対して治療を行って一定の成果を上げている(東長人、パトリック・ガイスラー共著『ブラジルの心霊治療・奇跡を操る人々』荒地出版社1995年刊、352頁~357頁参照)。ただし管理実験下といった状況であったことや、懐疑論者の研究者から現象を出現するだけのエクトプラズムの供給を受けることが出来なかったことなどから、現象は微弱なものであったが。

 

■厳密性を要求する理由

研究者が厳密性を要求する理由を分かりやすい例をあげて説明する。

たとえば「武田信玄(→または水戸黄門)」と書いた用紙を密封した容器に入れた透視実験を 「山梨県の甲府市(→または茨城県の水戸市)」 で行なったとする。この実験で透視能力者が用紙に書かれた「武田信玄(→または水戸黄門)」の文字を言い当てた場合に、本当に透視したのか、あるいは「甲府市 = 武田信玄(→または水戸市 = 水戸黄門) と連想して当てズッポに言って正解となったかの区別がつかない。結果的に正解であったのだから実験は成功であるとの主張も可能であるが、これでは学術的には全く意味がない実験であったと言える。実験全体が科学的研究手法に則って行なわなければ、後世に残せる真に価値のある学術的な実験とはならないからである。

心霊現象を学問領域に取り込んで公認された学術の世界で認知させるためには、このような「詐術や錯誤」を注意深く排除して事実の確認の上に立つ研究態度は欠かせない。

 

■信念重視の世界

スピリチュアリストたちが住む世界は、信念重視の世界であり、そこでは「生き方の問題」に重きが置かれている。そのため日常的に懐疑論者の眼を意識しなくてすむため、既成科学の世界から批判を受ける霊魂説を前提とした「証明」であっても良く、証拠は信念を補強するための役割を担うに過ぎないと考える。

このように「証拠に関する考え方」は、実証重視の心霊研究者と信念重視のスピリチュアリストでは大きく異なっている。スピリチュアリストの立場からすれば、心霊研究者の「徹底した懐疑的態度」と「(度を越した)実証主義で科学的精神に徹した調査研究」に見られる態度、このような執拗なまでの「入り口部分」に対するこだわりには付いていけないという気持ちになってくる。

 

■例え

スピリチュアリストと心霊研究者を例えてみれば、知らないおじさんに何の疑いもなく付いていくのが“(盲目的な)スピリチュアリスト”であり、怪しんで徹底的に真意を問い質して納得すれば付いていくのが“(本来の)心霊研究者”と言えようか。何事にも性善説に立つ“(盲目的な)スピリチュアリスト”は、おじさんの真意如何によっては“変な世界”に連れ込まれる危険があり、性悪説に立つ心霊研究者には果実をつかみ損ねる傾向を持つという違いがある。両者を兼ね備えた“程よい調和”が大切ではなかろうか。

 

<注11

■ひたすら科学的研究へ

イギリスのSPR(心霊研究協会)は「超常現象の主張を額面どおり受け入れる可能性が最も低く、また超物理的現象にまつわる主張に対しては、特に疑いの目を向ける協会」(ジョン・ベロフ著、笠原敏雄訳『超心理学史』日本教文社1998年刊、113頁)であった。

歴史的事実が示す通り、交霊会はスピリチュアリズムの普及において重要な役割を果たしてきたが、そこにはしばしば物理的心霊現象を伴っていたため「スピリチュアリズムの科学的な側面」を刺激した。その結果1882年にロンドンにSPRSociety for Psychical Research:心霊研究協会)が設立され、1885年にはボストンにASPRAmerican Society for Psychical Research:アメリカ心霊研究協会)が設立された。このことからも「心霊研究はスピリチュアリズムを母胎として生まれた」と言える。

その後の心霊研究は死後個性の存続等の「霊魂説」から次第に距離を置き、あいまいなまま棚上げした状態で「科学的調査研究への道」をひたすら進んでいった(田中千代松著『新霊交思想の研究(改訂版)』共栄書房1981年刊、田中千代松著『高等霊交思想についての考察』1976年刊参照)。このようなSPRの科学的研究は、その後の超心理学に道を開く礎石となった。

 

■超心理学の誕生

1927年アメリカのデューク大学では、ウィリアム・マクドゥーガル博士(William McDougall1871年→1938年)の指導の下で、心理学研究室において超心理学の研究が始められた。マクドゥーガル博士は超心理学の基礎を築いた人として知られているが、その下でジョセフ・バンクス・ライン(Joseph Banks Rhine1895年→1980年)は、実験助手として研究に携わった。

ラインは1928年にデューク大学の教授となり、霊媒を必要としない厳密な実験的手法を用いた「心霊的な力の研究」に従事した。従来の心霊研究は特別な能力を持った霊能者を中心とする研究であり、研究手法としてはいわば臨床心理学に近いという(ジョン・ベロフ著『超心理学史』161頁参照)。一方超心理学は「統計学の研究成果(確率的統計理論)を超常現象の研究に導入して、広く一般人を対象にした実験心理学の手法を用いている」。このように特殊能力者を対象とした研究から一般人を対象にした研究へとシフトしていった。

ラインは「透視やテレパシーと言ったESP現象(超感覚的知覚、ESPExtra-Sensory Perception)」と「物を動かすと言ったPK現象(念力、PKPsychokinesis)」に研究分野を集約して、「霊魂仮説」を切り捨てた(石川幹人著『超心理学』紀伊國屋書店2012年刊、284頁以下参照)。

 

■ラインは新しい研究方法を確立し、1934年に超心理学の最初の研究報告書を『超感覚的知覚』の題名で出版した。この論文の出版によって心霊研究は超心理学と呼ばれて、「超感覚的知覚(ESP)」は新しい学術用語となった。この研究が大学の研究棟で公然と実験が行われたこと、科学的手法に厳密に従ったとされたこと、テストの結果が統計的に見て驚くべき有意なものであったことなどが理由となって、多くの人々の注目を集めた。そしてこの研究は新たな一時代を築く画期的な出来事となった。

なお「超心理学」という名称は、ラインが自らの研究法を心霊研究全般と区別する目的で導入したという。一方マクドゥーガルは超心理学を、心霊研究の中でも厳格に実験的領域を指した「心霊研究の実験的部門」であると述べている。一般的には「超心理学は心霊研究と同義語」として用いられることが多い(ジョン・ベロフ著『超心理学史』190頁参照)。

 

その後1957年には、J.B.ライン(J. B. Rhine)とJ.G.プラット(J. Gaither. Pratt1910年→1979年)によって「超心理学協会」(PAParapsychological Association)が設立された。この超心理学協会は1969年にアメリカ科学振興協会(AAASAmerican Association for the Advancement of Science、日本でいえば日本学術会議がこれに相当する)の傘下団体として加盟が認められて既成科学の中で市民権を獲得した。多くの反対意見があったにもかかわらず超心理学協会は、やっと公式科学の学術団体の世界に参入することができた。

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

◆戻る

『シルバーバーチの霊訓』講座、講義用ノート:目次

http://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/10/post-55c0.html

 

« 第2講:霊的実在の証明方法の推移 | トップページ | 2018年2月講演会の講演録 »