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2018年2月講演会の講演録

演題 『シルバーバーチの霊訓』のポイント解説

――公益財団法人、日本心霊科学協会:20182月の公開月例講演会、講演録――

 

目 次

1.基本的な事柄の整理

①.はじめに

②.スピリチュアリズムの位置関係と体系

 

2.『シルバーバーチの霊訓』のポイント解説

①.シルバーバーチが説く「神」とは?

・創造者と創造物との区分け

・進化レベルの距離間に応じた「愛」の感じ方

・正三角形を使った譬え

②.霊界は霊的成長度に応じたヒエラルキーの世界

・二種類の霊、二種類の個別霊

・霊の顕現の度合い

③.「高級霊信仰」や「指導霊信仰」を批判する

・高級霊は完成を目指して「修行途上にある霊」

・「指導霊崇拝」を批判する

・祈りの価値評価

④.困難や苦難は「魂の磨き粉」である

・新しい意味付け

・民芸品「起き上がり小法師」を使った譬え

⑤.霊性向上には利他的行為が不可欠

・霊的エネルギーの通路

・霊的な動脈硬化

・霊的成長と利他的行為の関係

⑥.知識には責任が伴う

⑦.出生条件(宿命と自由意志の関係)

・再生に際してのテーマ

・再生人生のテーマ㋐と試練㋑の関係

・寿命㋒について

・最も適した「国、両親、性別、体質」などを選ぶ

・譬え

⑧.良質の霊界通信には「キリスト教の色がついている」との批判に対して

・霊媒と交霊会参加者の問題

・高級霊シルバーバーチの立ち位置

・霊媒現象のメカニズム:その1

・霊媒現象のメカニズム:その2

 

3.「和製スピリチュアリズム」について

①.日本的な神観(多神教)の問題点

・言葉の定義

・伝統的な「霊的世界観・神観」

・『シルバーバーチの霊訓』からの問題提起

・学者からの問題提起

②.因果律と自己責任から見た「因果律の拡張、業因縁の継承」の問題点

「家」の観念

・自己責任の原則

③.血縁重視の霊的世界の問題点

・旅の行程

・地上に通信を送ってくる霊とは

・幽界の下層に住む霊の意識

 

4.精神統一と祖霊祭について

・精神統一(瞑想)のメカニズム

・祖霊祭について

 

5.今回のまとめ

 

◆ホワイトボードを使った図解部分は省略しております(筆者にはパソコンで作図するスキルが無いため)。講演会では時間の関係で省略した箇所も講演録では再現しております。

 

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1.基本的な事柄の整理

①.はじめに

今回の講演は受付で配布された資料集を使った“勉強会スタイル”で行いたいと思います。霊界通信と言いましてもピンからキリまでありますが、その最高峰と言われるのがご承知の通りの『シルバーバーチの霊訓』です。今回は最初に『シルバーバーチの霊訓』で基本として押さえておくべきポイントの解説を行います。後半は「和製スピリチュアリズム」をシルバーバーチの観点に立って検証し、最後に日本心霊科学協会の行事である「精神統一会、祖霊祭」を見て行きたいと思います。

 

多くの人がスピリチュアリズムに対して抱く一般的なイメージは、「占い的なもの」や「娯楽的なもの」ではないかと思います。書店に並ぶ書籍のタイトル名や、インターネットの検索結果からもこの傾向が見て取れます。このようにスピリチュアリズムは「来世の存在」や「死後個性の存続」といった本来のテーマから切り離されて、「娯楽の一環」として一人歩きしております。そのためこれらを「現世利益的なスピリチュアリズム」と呼ぶことができます。シルバーバーチは「霊的知識に沿った生き方」や「霊性の向上」が最も大切であると述べておりますので、いま流行りの「現世利益的なスピリチュアリズム」とは一線を画していることが分ります。

 

スピリチュアリズムの世界では1848年を「霊界主導による霊的刷新運動の始まり」としております。この年の331日に「ハイズヴィル事件」が起きました。『シルバーバーチの霊訓』には、「19世紀半ばに霊界の扉が開いた」「扉は二度と閉じられることはない」「霊的知識を地上に根付かせる運動は入念な計画に従って組織的に行われている」(7151⑩~152③、メッセージ99④)などといった記載があります。

 

1848年以降のスピリチュアリズムを「近代スピリチュアリズム」と呼んでおり、それ以前の迷信や俗信が混在した「素朴なスピリチュアリズム」とは区別されて呼ばれております。この「近代スピリチュアリズム」は「この世とあの世の交信は科学的に証明可能」を強調する点に特徴があります。

この年以降、各地で頻発して起きた心霊現象は、科学者の目に留まり、科学的な調査研究の対象となって心霊現象の仕組みが明らかとなりました。その結果「死後も個性は存続する、顕幽の交流は可能」というテーマを「科学的に証明可能」としました。

 

②.スピリチュアリズムの位置関係と体系

スピリチュアリズムは右隣に実証重視の科学の世界が広がり、左隣には信念重視の信仰・宗教の世界が広がっております。主張する人がどちらにウエイトを置くかによって、スピリチュアリズムに込める内容に相違が出てきます。

スピリチュアリズムの体系はその「土台部分」に「霊魂説」が存在します。この「霊魂説」は物理的心霊現象や、交霊会における招霊現象によって「いわゆる事実」として証明された事柄です。その後「心霊研究、超心理学」へと発展して行きました。この科学との相性が良い「霊魂説」を土台として、その上に高級霊から霊界通信がもたらされました。これが「スピリチュアリズム思想(哲学)」です。この思想には「人生をどのように生きるべきか」や、人生に於いて遭遇する「困難や苦難にどのように対処したらよいか」など、人の生き方を深く掘り下げる力があります。

 

シルバーバーチが述べているように「知識には責任が伴う」(153②)ことから、「スピリチュアリズム思想(哲学)」を学んで知識の分量を増やしていくと、次第にその人の「生き方が問われてくる」ことになります。いわば生き方の「質的な転換(知識から生き方へ)」を迫られることになるわけです。この「質的な転換」は個々人の自由意志に委ねられております。なかにはこの世を生き抜くための「生き方の指針(=実践哲学、信仰)」にまで高めていく人も出てきます。そのため「スピリチュアリズム思想(哲学)」は信仰と相性が良く、宗教の世界へと繋がっております。ここから「スピリチュアリズムは科学であり、哲学であり、宗教である」とする伝統的な定義が思い起こされる訳です。

 

19世紀後半「イギリス系のスピリチュアリズム」は実証重視の観点から「SPR(心霊研究協会)」を創設して、懐疑論者を念頭に置いた「科学を志向」する心霊研究を始めました。その後の「心霊研究・超心理学」の歩みは、次第に厳しい管理実験となって行ったことは良く知られております。これに対してアラン・カルディックに代表される「フランス系のスピリチュアリズム」は、再生やカルマをテーマにした宗教と相性の良い「スピリティズム」を唱えました。その後ブラジルで宗教色の強い「カルデシズム(=スピリティズム)」として花開きました。なおブラジルのキリスト教徒の統計調査には「スピリティスト・カトリック」という項目があり、信徒数は1984.3万人となっています(出典:『世界キリスト教百科事典』教文館741頁~752頁)。

 

2.『シルバーバーチの霊訓』のポイント解説

①.シルバーバーチが説く「神」とは?

ア)創造者と創造物との区分け

ここからは『シルバーバーチの霊訓』の主なポイントを見て行きます。シルバーバーチは創造者と創造物とに区分けした上で、宇宙に存在する個別霊を含めた万物は、神の顕現の割合の低いものから高いものにわたって階層構造状に存在しており、全存在物は100%の顕現を目指して「永遠の旅」を続けていると説明しております。この基本的な構造さえ理解できれば、あとは比較的シンプルな霊訓の繰り返しです。

 

最初にシルバーバーチの「神観」を見て行きます。シルバーバーチは「神」を「一切の創造主」「全存在の第一原理」とし、宇宙は「神によって創られた作品である」と説明しております。ここから万物を創造した「絶対神」と、「神」によって創造された存在物という関係が生まれて、両者の間には厳然とした一線が引かれております。さらに「神」は宇宙を統治する仕組みとして「霊的法則」を創りました。これによって宇宙は「神→法則⇔万物」となり、「神」は法則の裏側に隠れる形となって万物の前に表れます。

 

シルバーバーチは繰り返し「神とは法則です」(1154⑥)と述べて、「人格神的な神観」を否定しています。従来の神観は、「神」と人間が直接相対する形の「神⇔人間」や「神⇔中間者⇔人間」でした。そのため依怙贔屓する「人格神的な神観」が唱えられてきました。ベースに御利益信仰があります。

シルバーバーチが説く「法則としての神(神→法則⇔万物)」では、「神」と人間は直接相対しないので、万物(人間、動物、植物等)の“進化(神の顕現の割合が増すこと)”に対して、常に公平性が担保されております。何人の行為といえども、その行為が霊的法則に合致しなければ何事も成就しないからです。

 

シルバーバーチは「神は無限なる愛」(6153①)であり、「愛とは摂理のこと」(新啓示124⑤)と述べております。この「神の愛」と無機質な「法則(摂理)」とは、どのような関係に立つのかを具体例で説明して見ます。まず「私」を起点として、それよりも進化レベルの低い生物との関係で「愛」を見て行きます。次に「私」を起点にして進化レベルの高い霊との関係で「私が感じる主観的な愛」の変化を見て行きます。

 

イ)進化レベルの距離間に応じた「愛」の感じ方

一般にお世話する者とされる者との“進化レベルの距離”が近い場合、例えばペットの犬や猫に対して、飼主が愛情を込めて世話をすれば、愛くるしい動作を伴った反応が返ってきます。お互いに「愛」を仲立ちにして良好な関係が築かれます。これに対して進化レベルの差が大きい爬虫類であれば当然に反応は鈍いでしょう。さらに昆虫の場合はどうでしょうか。飼主が与える餌や飼育環境の整備(飼育箱の掃除や温度管理など)などを昆虫の視点から見れば、時間になると餌が出て来たり、清掃されていたり、温度が一定に管理されていたりと、一種の法則性として感じるのではないかと思われます。

このように人間と相手の“進化レベルの距離”が大きければ大きいほど、相手は人間の行為を愛情としてではなく、むしろ無機質な法則として受け取るのではないでしょうか。

 

次に一本の線を引いて、線上の左端には物質性を帯びた究極の「利己的な愛(束縛する愛、血縁重視の愛)」を置き、線上の右端には「利他的な愛(与えるだけの愛)」の極致である“神の愛”を置きます。ここからは「私」を起点にして、進化レベルの高い霊との関係で「私が感じる主観的な愛」がどのように変わっていくのかを見てゆきます。

この一本の線上を物質性の濃い左端に行けばいくほど、「愛の表現」に利己性や特殊性が帯びてきて、そこに何らかの物質的見返りが伴ってきます。一方右に行けば行くほど「愛」に内在する利己性が薄れてきて、利他性が増して普遍性を帯びてきます。「愛」の対象も特定の個人から、万人に、すべての生き物に、自然に、宇宙へと拡大していきます。

 

『シルバーバーチの霊訓』や『モーゼスの霊訓』を読めば、高級霊の「愛」には普遍性が伴っていることが分かります。例えば高級霊は、人間の自由意志を尊重して「どうぞご自分の信じる道を歩まれるがよろしい」と突き放した言い方をします。依存心の強い生き方をしている人にとっては(手取り足取り手助けしてくれるのが「愛」だと思っている人)、自由意志を尊重する高級霊の「愛」からは、一種の冷たさが感じられると思います。高級霊レベルの「愛」でさえ、万人が等しく「愛」として感じるわけではありません。

さらに「超高級霊の世界」にいけば「愛」を受け取る対象が拡大して、公平性や普遍性といった無機質さが前面に出てきます(規則性や法則性という側面が強くなる)。このように考えると究極的な「愛」の表現は“法則”となります。この“法則”として現われた「愛」が不完全な世界に行くに従って、“法則”の裏側に隠されていた温かみ(両者の距離が近くなるから)が表面に現われて、次第に特殊性を帯びてくることになります。

神が宇宙を統治する仕組みとして創った「神→法則(摂理)⇔万物」という図式には、神の万物に対する“究極の愛”が表現されております。なぜなら「神=愛=摂理」だから。

 

ウ)正三角形を使った譬え

利己性や特殊性を帯びた「愛」が、次第に「愛の表現」に普遍性を帯びてくることは、正三角形を使った譬えからも説明が出来ます。ホワイトボードに一本の直線を引きます。この線の中心に「私」を置きます。この「私」からボードの上に向かって垂直線を引きます。「私」の真上の垂直線上にAを、少し高い位置にBを、さらに高い位置にCを、ボードの天井付近にDを置きます(霊格はABCDの順に高くなる)。Aは「私」のすぐ上にいますので、「私」はAの愛を一身に受けとめることが出来ます(母親と第一子の関係)。

 

次に垂直線上のBを起点に正三角形を描きます。すると「私」を含めた一定の長さを持った底辺が出来ます。Bから「私」が受け取る主観的な愛は、一対一のAの愛よりも希薄化します(母親と五人の子供の関係。母親の子どもに注ぐ愛は変わらないが、第一子が受け止める主観的な愛は希薄化する)。この愛を仮に「血縁者の愛」としましょう。

同じくCを起点に正三角形を描きます。「私」を含めたさらに長い底辺が描けます。Cから受け取る主観的な愛は、愛を受け取る対象者の拡大によってBの愛よりもさらに希薄化します。Cの愛には普遍性が帯びてくるので、一般に言うところの愛とは別物になります。

 

さらに高い位置にいるDを起点に正三角形を描きます。「私」を含めたさらに長い底辺が、ボード一杯に描けます。愛を受け取る対象者は万物に拡大します。Dから「愛」を受ける「私」には、これを「愛」とは呼べないでしょう。このように「利己性や特殊性を帯びた愛(私とAの関係)」は、対象者の拡大によって次第に「普遍性を帯びた愛(私とBCの関係)」に変わり、最終的には「法則としての愛(私とDの関係)」になっていくのではないでしょうか。

 

②.霊界は霊的成長度に応じたヒエラルキーの世界

ア)二種類の霊、二種類の個別霊

「神」によって創られた「宇宙」には「創造者である神」と同質の「普遍的要素としての霊」が遍満しております。悠久の昔に「霊の個別化」がなされ、この個別化によって「個別霊」が誕生しました。この個別霊についてシルバーバーチは「霊的な宇宙エネルギーが個別的意識形体を取ったのが人間」(7200⑫)と述べています。これにより「霊(=神)」は「普遍的要素としての霊」と「個別化した霊(個別霊)」の二種類となりました。

この個別霊の誕生によって、宇宙には「神と同質の霊」と「霊が顕現する場所」という「二重構造」が生まれました。

 

主な「個別霊」には霊的向上に物的体験を不要とする「天使的存在(キリスト教文化圏で受信したためこの表現となった)」(480②~⑦、新啓示124④~⑧)と、物的体験を必要とする「人間的存在」があります。

シルバーバーチは「地球は宇宙の惑星の中でも最も進化の程度の低い部類に属する」(11177⑭)。「あなた方より進化している人間的存在の住む天体は沢山あります。地球と呼ばれている惑星はこの大宇宙に存在する無数の惑星の一つに過ぎません。しかも、地球より劣っている天体は一つあるだけです」(語る202⑤~⑦)と述べています。霊格と環境は一致するので、最も進化レベルの低い惑星に住んで戦争ばかりしている地球人は、人間的存在(霊体と中間物質と肉体がセットになって体験を積む)の中でも最も低い位置にいます。

 

イ)霊の顕現の度合い

物的身体をまとった人間(個別霊)は、各自「霊(神の分霊)」を一身専属的に有しています。その霊が顕現する場所が「魂(シルバーバーチは魂とは意識のことと述べている:語る425⑦)」です。この魂の領域に物的体験を積み重ねることによって、神の属性である「愛・寛容さ・叡智など」が少しずつ滲み出てきます。人間(地球人)を含めた全ての個別霊は、魂に滲み出る「霊の顕現の度合い」から霊性レベルが決定されます。

霊界は神の属性が魂に顕現する度合いが「0%:霊性が低い」~「100%:霊性が高い」の範囲内で、霊的レベルに応じた階層構造状の世界となっています。そのため全ての個別霊は「100%」の顕現を目指して「永遠の霊的向上の道」を歩んでいます(→質問に対する回答、人間以下の生物では因果律は“種”ごとに対して働く:語る199①。そのため個々の物的形体を纏った生物は霊的要素を“種”全体で共有する。霊の働き方が人間と“個々の生物”では異なる)。

 

自我の本体たる霊魂には形体はありません。そのため霊格を向上させるには何らかの“形体(肉体、幽体、霊体、色彩、光輝など)”をまとって、物的体験や霊的体験を積む必要があります。形体は霊の顕現度合い(0%→100%)に応じて、グラデーション的に洗練度を増します。それに比例して居住環境もグラデーション的にレベルアップして行きます。なぜなら形体と環境は一致するから(霊格の向上に応じて形体も居住する環境も洗練度を増していくから)。シルバーバーチは「霊の世界は一つ」(4146⑦)で「低いレベルから高いレベルへと、段階的につながっている」(1033⑪)と述べています。

 

いま個別化された「霊」を「果物のタネの部分(梅干しのタネ)」とし、霊が顕現する場所を「果物の果肉部分(梅干しの果肉部分)」とします。このような譬えを用いるとイメージがし易いでしょう。一般に用いられている「自我の本体たる霊魂」という言葉は、「霊(=果物のタネの部分)」と「魂(=果物の果肉部分)」が合体した言葉です。いわば「果実(梅干し)一個分」を表す言葉であると言えます。

この形体なき霊魂(果実一個分)は、霊体や肉体をまとって各種体験を積み重ねることによって、内在するカプセル状の「霊」を「0%」から限りなく「100%」に近い位置にまで、「魂(=意識、インディビジュアリティ)」という“場”に顕現させて行きます。この顕現状況によって個別霊の霊的進化レベルが決定されます(→質問に対する回答、内在する霊の顕現を100%にすることは可能かに付き、シルバーバーチは“永遠の旅”に終わりはないとして神人合一を否定している:福音177④参照)。

 

③.「高級霊信仰」や「指導霊信仰」を批判する

ア)高級霊は完成を目指して「修行途上にある霊」

シルバーバーチの観点から云えば高級霊(指導霊・支配霊など)とは、霊的進化レベルが私たちの一歩先を行く個別霊のことであり「神」ではないです。私たちから見れば兄や姉のような存在になります。指導霊などの高級霊の役目は、担当する「人、組織、建造物、地域など」を霊的面から指導・監督することにあります。これらの役目を通して自らも神の属性を100%近くまで発揮すべく、日々霊性レベルの向上に励んでいる、言わば「修行途上にある霊」と言えるでしょう。

霊的な理解は霊的発達程度に応じたもので(霊格が50%の霊の理解力は50%程度)、その霊の霊的レベルが限界となるため高級霊といえども完璧ではありません。そのため場合によっては指導や監督の際に誤りも犯すこともあります(6207④~⑧)。絶対に誤りを犯さないのは創造者の「神」のみです(818⑤)。

 

イ)「指導霊崇拝」を批判する

シルバーバーチは「指導霊は崇拝対象とされることを望まない」「指導霊の資格を得た霊は自身が崇拝の対象とされることは間違いであるとの認識を持っている」と述べて、「高級霊崇拝」「守護霊崇拝」「指導霊崇拝(818③)」「イエス崇拝(5206⑧)」を批判しております。最終的な責任者(絶対神)ではないからです。

戦争が絶えない地球という霊的進化の低い惑星で体験を積む人間から見れば、相対的に霊の顕現レベルが高い霊は、どの霊も一様に見えてしまうようです。例えば10歳の小学生から見れば、授業参観日に来た母親(30歳~50歳代)は全て同じように見えるのと同様です。

 

現代社会では宗教の世俗化が進んでおり、「神」に対する考え方は多彩です。そのため共通の認識が得られにくくなっていると言われております。日本では「宇宙を創造した造化の神」「記紀神話の神」「人間が神となった人格神」「民俗神」など、総称して「八百万の神」として崇拝の対象としております。ここで信仰や崇拝の対象とされている「神々(造化の神を除く)」とは、主に霊の顕現の割合が高い個別霊(高級霊)のことになります。そのため「八百万の神」信仰には「指導霊崇拝」や「人格神崇拝」の問題が常に存在します。

 

ウ)祈りの価値評価

限界ある人間が「指導霊崇拝」を回避するための祈り方として「高級霊は私たち人間の“兄や姉”であり、最終責任者の神に取り次ぐ中継役である」とする祈り方があります。

『モーゼスの霊訓』には「神の概念が理解できた者なら直接神に祈ることです。それができないのであれば、自分にとって最も身近な信仰の対象を仲立ちとして祈るがよろしい。その仲立ちによって祈りが神へ届けられます」(続霊訓75⑨~⑪)との記載があります。

この「祈りの仲立ち」とはイメージしやすい守護霊なり指導霊なりを「仲立ち」としたスタイルの祈りのことです。スピリチュアリズムの世界でも、自分の守護霊や指導霊を仲立ちとして「神にお取次ぎの程をお願いします」と祈る霊能者もいます。この「祈りの仲立ち」説の仕組みは、守護霊なり指導霊が一種の“ライフル銃の照準器”的な役割を果たすことになるので、最終的に神に祈りのピントが合うことになるからです。

 

祈りは「祈りの純粋性や利他性の度合い」に応じて、「仲立ち」を経ながら相応のレベルまで届きます。霊界通信の『ベールの彼方の生活』には、霊界には祈りを専門に処理する霊団がおり、祈りに含まれる純粋性や利他性などを分析して、価値評価の高い祈りは順次高位の霊に取り次がれていく(1208⑥~参照)との記載があります。

 

④.困難や苦難は「魂の磨き粉」である

ア)新しい意味付け

この世的には「困難や苦難」はできるだけ避けるべきこととされていますが、シルバーバーチはこれらに積極的に立ち向かって、自らの魂を磨いていくべきと述べています。人々から忌避されてきた「困難や苦難」に「魂の磨き粉」という形で再評価を与えて、新しい意味付けを行いました。一例をあげれば霊的成長には「修養と節制の生活」と「刻苦と苦難」、この双方が必要になると述べています(997④参照)。

そのため地上世界は「学校」や「トレーニングセンター」に譬えられております。霊界は「霊的レベルが同一」で相互に「親和性」がある霊が集まって生活している世界です。霊的レベルが異なれば同一界層で交わることはないので、体験が限られてしまいます。これに対して地上は霊的レベルの異なる霊が、物的身体をまとうことによって共存する混在世界です。そのためさまざまな体験を積むことが出来るという利点があります。

 

イ)民芸品「起き上がり小法師」を使った譬え

台の上に「起き上がり小法師」を置きます。この状態が「モノが優位、それに霊が従属する意識状態」です。この世的には最も安定した通常の意識状態になります。その状態から「起き上がり小法師」を傾けた状態にしてみます。これが「霊が優位、それにモノが従属する意識状態」です。この世的には異常な意識状態となるため、気を抜くと元の安定した状態に戻ってしまいます。スピリチュアリズムを「生き方の指針にする」とは、傾けた状態を絶えず意識するようにして、この時間を長くしていくことを指します。

 

⑤.霊性向上には利他的行為が不可欠

ア)霊的エネルギーの通路

宇宙に遍満している霊的エネルギーは、自我の本体(霊魂)にある「魂の窓」(2121⑤)から取り込まれて、その人の「霊的要素」を活性化して、「中間物質」を経由して「物的要素」へと、各部位を活性化させながら流れて行きます。さらに利他的行為によって「他者(人間、動物、植物等)」に流れて行きます(本来のルート)。

このように自己を起点とした霊的エネルギーの循環ルートが出来上がります。その人の霊性が高ければ質の良い霊力が大量に流入して、これが他者へと流れ込みます。

 

イ)霊的な動脈硬化

この世には霊的エネルギーの通路を塞ぐ阻害要因を持つ人が数多くいます。いわゆる「霊的な動脈硬化の要因」を持った人たちです。これには二つのタイプがあります。

一つ目は「霊性が低いタイプ」です。例えば霊性の未熟さの表れである「残忍性や野蛮性」の持主や「利己主義者」などが此処に該当します。二つ目は「度を越したネガティブ思考のタイプ」です。例えば必要以上に心配性の人や取越し苦労性の人など(4172⑧、1147⑪参照)が此処に該当します。このようなタイプの人は「霊的エネルギーの通路(主に中間物質から物的要素の間の通路)」に問題を抱えている、いわゆる「霊的な動脈硬化の要因」を持った人です。

 

この「霊的な動脈硬化の要因」を持った人は、「過労・ストレス・不規則な生活」によって、本来“物的脳や物的身体の各部位”に流れるはずの霊的エネルギーが、通路が塞がれたことによって枯渇して不調和状態となってしまい、精神的な病気(うつ)や肉体の病気を発症することがあります。健康とは「身体と精神と霊の三者の関係」が調和状態にあること(1127⑫)、病気とはそれが不調和状態となることが「健康・病気」の定義だからです。

 

ウ)霊的成長と利他的行為の関係

霊的成長のキーワードは、人の為に自分を役立てることに尽きます(=利他的行為を行うこと)。これは自らの霊的エネルギーを相手に与えることによって、さらに多くの霊的エネルギーを本人の霊的要素の中に呼び込むことができるから。その結果、本人の霊性も高まって霊的エネルギーの質量が増大するからです。このように霊性の向上には利他的行為が大きく寄与していることが分かります。宗教では「施し」が推奨されていますが、シルバーバーチの観点からも正しさが裏付けられています。

 

利他的行為には、血縁者重視の「消極的な利他的行為」と、より広い他者に対する「積極的な利他的行為」とがありますが、「同じ愛でも、家族的な絆に根差した愛よりも、奉仕的精神に根差した愛の方がはるかに尊く偉大です」(7110②)。さらに「利他的行為の原則(何でもよいから人の為になることを行う)」があります。シルバーバーチは「いつどこにいても人のために自分を役立てること」、なぜなら「奉仕こそ霊の通貨」(757⑦)だからと述べています。

この「利他的行為の原則」には「特則」があります。例えば「霊的真理の普及」は人の生き方や社会の在り方を根本的に変える行為になります。この行為は「利他的行為の原則(一般的な利他的行為)」に対してより「専門性を持った利他的行為」となり、「人の為になる行為なら何でも良い」の特則にあたります。霊的真理を理解したスピリチュアリストは、いわばその道のスペシャリストなので、一般的な利他的行為に留まらず専門性を生かした「霊的真理の普及」のような行為も出来ます。選択の幅が広がります。

 

この専門性と一般の利他的行為の関係は、地震の被災地で“瓦礫の片付け”のボランティアを行う、医師の行為を考えてみると良く分かります。被災地で医療行為が求められていない「平時の時」は何等問題ないです。しかし医療行為を求められている「非常時」の場合に、医師がなおも“瓦礫の片付け”にこだわり、それを優先して行い続ける場合には問題が生じます。誰にでもできる“瓦礫の片づけ”という労務提供型の利他的行為と、医師しかできない専門性を持った医療行為とを同列に並べて、自分の好みで前者を選択することはケースによっては許されない場合があるということです。同様なことはスピリチュアリストにも言えます。

 

⑥.知識には責任が伴う

シルバーバーチは「知識には責任が伴う」(153②、9135③)と述べています。スピリチュアリズム思想を学んで知識の分量を増やしていくと、次第にその人の生き方が問われてきます。生き方の「質的な転換(知識から生き方へ)」が求められます。学んだ霊的知識を日常生活の中に反映させる生き方が求められるからです。

今回述べた①~⑥以外にも『シルバーバーチの霊訓』では、大切な点がいくつか述べられています。その一つに「動機は何か」があります。今回は時間の関係で説明を省略します。

 

⑦.出生条件(宿命と自由意志の関係)

ア)再生に際してのテーマ

人間は何の目的もなく機械的に再生するのではないです(9200⑦)。再生には霊性を向上させるために「新たな地上体験を積む:㋐―1」という側面と、過去世で作った自らの「霊的負債の完済:㋐―2」という側面があります(1059⑩、115⑦参照)。これらの「再生人生のテーマ:㋐」を最も効率よく達成することができる出生条件を「X:本来の私(インディビジュアリティ)」は、指導霊の助言を受けながら自ら設定して再生します。実際に地上に再生するのは、Xの意識の一部「X1(地上的人格、パーソナリティ)」です。Xの意識の全てを容量の小さい限りある物的身体では表現しきれないため、地上的人格「X1」という意識形態で再生します(695⑨~95⑬参照)。

 

これを文章で説明して見ます。出生の待機期間に入ると「X:本来の私(霊的意識、インディビジュアリティ)」の中に、もっぱら再生時に使用されて地上体験によって“色つき”となる部分、「小さな区画のインディビジュアリティ」が出現するとイメージして下さい(本来の私という意識の中に、境界線によって区分けされた小さな領域のこと)。

肉体を持つことによって、この「小さな区画のインディビジュアリティ(霊的意識)」に“利己的に働く意識”がジョイントされます。この双方の意識が一体となって、地上的人格「X1」という意識形態となります。地上体験を積むことによって利他的に働く霊的意識と、利己的に働く意識のせめぎ合いが作り出す“色”で、「小さな区画のインディビジュアリティ」が“独特な色”に染め上げられて行きます。

 

イ)再生人生のテーマ㋐と試練㋑の関係

今回の「再生人生のテーマ:㋐」を達成するために、Xは最も適した「試練(魂の磨き粉):㋑」を選びます。代表的な物的試練の一例として「人間関係の問題(例:家族関係、夫婦関係、職場や地域の人間関係など)」や「所有欲の問題(例:一般的な物欲、金銭欲など)」や「性・愛の問題」などがあります。

Xが選んだ物的試練が「Xの地上的人格(X1)」が生きていく時代背景や境遇に最も適した形にアレンジされて、「㋑―①」「㋑―②」「㋑―③」という形で面前に順番に登場してきます。これらの試練に対して「X1Xの地上的人格)」は、自由意志を行使して「上(霊性レベルを高める方向)」に行くか、「下(霊性レベルの停滞を招く方向、負のカルマを作ってしまう方向)」に行くかを選択して、自らの人生を切り開いて行きます。

 

ウ)寿命㋒について

次にXは㋑の「物的試練」を無理なく体験できる「寿命―㋒」を選択します。㋒には“糊代部分”があります(諸事情によって寿命は伸び縮みする:482③参照)。肉体は一種の機械なので乱暴に扱えば耐用年数を待たずに壊れるし(→壊す意図で乱暴に扱えば自殺となるので、ここでは壊す意図はないが無知から乱暴に扱う場合を指す。例えば荒れた生活や暴飲暴食漬けの生活など)、メンテナンスを欠かさず丁寧に扱えば耐用年数を超えて長持ちします。この範囲を寿命の“糊代部分”と呼ぶことにします。

なおシルバーバーチは「寿命=死」を、小鳥が鳥籠から解き放たれて大空に羽ばたいていくことであり(1180⑨)、第二の誕生である(344⑬)と表現しております。

 

エ)最も適した「国、両親、性別、体質」などを選ぶ

Xは上記㋐㋑㋒の出生条件に最も適した「国・民族(先進国、最貧国、紛争地など)」や「両親・家庭環境(富裕層の家庭、貧困家庭、黒人や白人の家庭など)」や「性別(目標達成に最も適した性別)」や「体質(霊媒体質、気質、障害を持つなど)」を選択します。

地上に誕生した地上的人格は、Xが選定した枠内で「再生人生のテーマ:㋐」を達成すべく、自由意志を行使しながら地上生活を送っていく。いわばXが自ら設定した「筋書だけのアドリブ劇」を、自分の一部が自由意志を行使しながら演じていくようなものです。

 

このように決定された条件を図形の上に置いてみます。まず横長の長方形を描きます。左の縦線の任意の一点を「出生(スタート時の霊性レベル)」とし、右の縦線を「寿命㋒(糊代部分含む)」とします。長方形の“上の長い横線”が今生における霊性レベルの到達上限、長方形の“底辺の横線”が今生における霊性レベルの下限(カルマの負担許容量の限界値。スタート時と到達時の差がマイナスの場合はカルマとなって持越しとなる)。人間はこの長方形を左から右へと進んで行きます。その際「再生人生のテーマ:㋐」を達成するために、人生の適宜の場所に物的試練が「㋑―①」「㋑―②」「㋑―③」という形で配置されています。

このような長方形の図形という人生の大枠と、個々人ごとに異なった“ハンデキャップ(性別、肉体条件、場所など)”という背負う荷物が、「本来の私:X」から「地上的人格:X1」に課せられています。それらの条件のもとで「X1」は自由意志を行使しながら、「今回の再生人生のテーマ:㋐」を決められた時間内に処理することになっております。

 

オ)譬え

具体例を挙げて説明します。例えばXは「人間関係の問題」という試練を使って今回の「再生人生のテーマ:㋐」を達成しようとします。地上的人格の「X1」は20世紀の日本で厳格な家庭の子として生まれたとします。18歳になった「X1」は両親の余りの厳格さに耐えきれなくなってしまった(家族関係という試練「㋑―①」の登場)。

この時点で「X1」が取りうる主な選択肢は二つあります。一つは家出の道、二つ目は大学進学や就職を機に穏便に家を離れる道。「X1」は自由意志を行使して前者の家出の道を選択しました。家出をして渋谷の歓楽街を歩いていると、“センター街”を根城にしている不良仲間に声を掛けられました。不良仲間に加わった「X1」は、持ち前の腕力と強気な性格が幸いして、次第にグループ内で頭角を現して行きました。

 

数年が過ぎたある年の暮れ、渋谷署と渋谷区役所が一体となって“歓楽街のクリーン作戦”が行われました。摘発された「X1」は、その時に出会ったNPOのリーダーに紹介されて、更生者の面倒を見てくれる飲食店に住み込みで働くことになりました。その店で「X1」は、職場の人間関係という二つ目の試練「㋑―②」を受けることになりました。

まず不良仲間でその日暮らしをしているうちに増幅してしまった“安易さに流れる自分”を抑えて、真面目に働いて将来は“暖簾分け”によって自分の店を持つという堅実な道。二つ目はトラブルメーカーという側面が強く出て、自分を抑えることが出来ずに問題を起こしてしまい、飲食店を飛び出してしまう道。「X1」は些細なことが発端となって同僚との間で問題を起こしてしまい、半年も辛抱できずに店を飛び出してしまった(二つ目の試練に対する選択)。

 

新宿の歌舞伎町をふら付いていると、渋谷時代に不良グループをまとめていた“リーダー”と出会いました。暴力団〇〇会の準構成員となっていた“リーダー”の紹介で、「X1」は〇〇会のフロント企業の金融会社に働き口を見つけて、会社の寮で寝泊まりすることになりました。ある地域を任された「X1」は、高圧的で情け容赦ない取り立てから、度々警察のお世話を受けました。ある取り立ての際に傷害事件を起こして数年の実刑判決を受けました。刑務所での生活が長くなるに従い、出所後の人生をどうするかという思いが強くなってきました。その際「X1」には、今度こそ更生すると心に固く誓って刑期を満了する道。あるいは“娑婆に出たらあれを食べたい、これもしたい”という意識が次第に強くなってきて、煩悩の虜になったままの状態で刑期を終える道。この刑務所での意識の葛藤が三つ目の試練「㋑―③」となります。この選択によってその後の人生が大きく変わってくるからです。

 

Xの地上的人格「X1」は、肉体をまとうことによって利己的に働く意識(生命維持、種族本能、権勢欲、所有欲)が、利他的に働く意識(「小さな区画のインディビジュアリティ」から来る意識)をしのいで大きくなり、人生の岐路(㋑―①、㋑―②)に際し、霊的に見て誤った選択を行ってしまった。自由意志の行使によって「下:霊性レベルの停滞を招く方向、カルマを積み重ねる方向」を選択してしまった。

地上的人格「X1」が残りの地上人生で、今回の「再生人生のテーマ:㋐」を達成することが出来るかどうかは、これまでの人生ですべて「下」に向いていた意識のベクトルの向きを、「霊性レベルを高める方向」に舵を切れるか否かにかかっています。このように三つ目の試練「㋑―③」を「上」に選択することによって、一発逆転の可能性がまだ残されています(但し残りの地上人生が“茨の道”になることを覚悟しなければならないが)。このように「本来の私X」が“設定した条件”を使って、地上的人格の「X1(現在の私)」が「再生人生のテーマ:㋐」を達成していくことになります。

 

試練「㋑―①」をどう乗り切るかで、試練「㋑―②」の現れ方が全く異なってきます(例えば両親と和解できて穏やかな一生を送るなど)。さらに試練「㋑―②」の対処の仕方(例えば自分の店を持って一市民として平穏に過ごせるなど)によって、試練「㋑―③」の現れ方が異なってきます。このように自由意志をどのように行使するかよって、次の試練の形が現れてくるのであって、前もって次の試練の形態が決まっているものではないです。

 

⑧.良質の霊界通信には「キリスト教の色がついている」との批判に対して

ア)霊媒と交霊会参加者の問題

霊媒現象は霊媒の潜在意識にある用語や概念を使って行われますが(主として「小さな区画のインディビジュアリティ」の記憶の層に蓄えられている)、それには当然に“霊媒の色(偏見や固着思想)”が付着しています。また霊言現象の交霊会では、参加者の意識レベルに合わせた応答をせざるを得ないという制約があります。さらに参加者の宗教であるキリスト教や西洋的な価値観に配慮した応答がなされるので、これらの色が前面に出てしまいます。霊媒と参加者全員が日本人であれば、同様に通信内容に人種特有の色が付くので、無色透明の霊界通信はありえないです。

 

20世紀の前半までは「西洋優位の白人至上主義(当時は世界の常識)」という大きな“流れ”が地上世界には存在していました。霊界側は20世紀の前半まで存在した「西洋→東洋」という大きな“流れ”や、地上世界の勢力図を上手に使って、スピリチュアリズムを全世界に行き渡らせていきました。残念ながら『シルバーバーチの霊訓』に代表される高級霊からもたらされた霊界通信は、受信地がキリスト教文化圏であったがために「西洋的なもの」というレッテルが張られています。しかし内容は普遍的なものであり、日本人にも十分に受け入れ可能な霊的教訓です。

 

イ)高級霊シルバーバーチの立ち位置

霊的バイブレーションは「高級霊:」になればなるほど高く細かくなります。これに対して「地上の霊媒:Ⓒ」の波長は、肉体を持っているが故に低く粗いです。両者の波長の開きが大きい場合にはⒶとⒸは直接接触することはできません。そのため両者の間に「霊界の霊媒:Ⓑ」を入れて通信を送ることになります。シルバーバーチの霊的教訓は「シルバーバーチ:Ⓐ」→「霊界の霊媒:Ⓑ(レッドインディアン霊)」→「地上側の霊媒:Ⓒ(バーバネル)」という通路で地上に降ろされました。

 

シルバーバーチは「私自身が直接地上の霊媒と接触することは不可能だったのです。それは私が到達した進化の階梯と霊媒のそれとが違い過ぎて波長が合わないからです」。そのため「地上との接触には霊界の霊媒が必要」(1113⑦)であったと述べています。

また『シルバーバーチの霊訓』には、オーラの完全な融合には15年かかったというという記載があります(4168③参照)。このことから「ⒷⒸのオーラ」の融合は、1920年から1935年までかかったことになります。最初の霊言集はオーラの融合が完璧となった後の1938年に『シルバーバーチの教え』として編纂されて出版されました。

 

ウ)霊媒現象のメカニズム:その1

最初にⒶは霊界の霊媒のⒷに、通信内容を霊界の共通言語である思念で送ります。ⒷはⒶから受信した思念を地上の言語に変換するために、Ⓒの潜在意識を支配します(“言語活動”を司る機能)。そしてⒸの“記憶の層”にある単語や概念を使って、一つの文章を組み立てます。その際に使用する単語や概念はⒸのものなので、当然にⒸの“色”が付いています。この“色付き”問題を回避するため、Ⓑは自身のオーラとⒸのオーラとの完全な同調を図って、潜在意識の影響を最小限に食い止めようとします。このようにして作成した通信文を、Ⓒの発声器官を使って地上に送り出すわけです。

「高級霊:Ⓐ」と「霊界の霊媒:Ⓑ」は共に霊界人なので、「霊体と霊体」であり、オーラの同調は比較的容易です。しかし「霊界の霊媒:Ⓑ」と「地上の霊媒:Ⓒ」は「霊体と肉体」であり次元を異にし、同調は困難を極めます。ここに霊界通信の難しさがあります。

 

エ)霊媒現象のメカニズム:その2

もう一つの方法としては、ⒷはⒶから受け取った思念の波動を下げて、いわば一種のコンデンサーの役割を果たしてⒸの潜在意識を支配します。ⒷはⒶから受け取ったシンボルという思念を、Ⓒの「柔らかいロウ」のような潜在意識に押し当てます。その押し当てた“型”に当てはまる用語や概念を、Ⓒ自身の潜在意識が“記憶の層”から自ら選び出してきて文章を作成します。あたかもⒸの潜在意識が自動翻訳機的な働きして文章を作成するかのような形になります。

 

霊媒現象は霊媒の潜在意識にある用語を使います。このことに関してマイヤース霊は、自動書記霊媒のカミンズの“記憶の層(「小さな区画のインディビジュアリティ」の中にある一つの領域)”に天文学に関する用語が無かったため、通信が送れないとして一時中断して、カミンズに百科事典の天文学の項目を読むように指示したといいます。マイヤース霊が欲しかったのは宇宙に関する用語であって、知識ではなかったとのことです(個人的存在20⑪~参照)。

 

このように霊媒現象によって現代語に変換された文章を、「霊言現象」であればⒸの喉や口などの発声器官を使って発声し、「自動書記通信」であれば腕と手首を使って書き写します。また「霊感書記」であればⒸの物的脳に浮き上がってきた言葉やイメージを、Ⓒはそのままノートに書き写すことになります。オーラの融合具合によってはⒸの色が通信内容に出てくることがあります。

 

3.「和製スピリチュアリズム」について

①.日本的な神観(多神教)の問題点

ア)言葉の定義

一般に使われている「和製スピリチュアリズム」という用語は、使用する人によって概念がまちまちです。そのためここでは日本の「伝統的な祖霊観・霊魂観」と「近代スピリチュアリズム」が結びついて生まれたスピリチュアリズム、「血縁を中心とした霊的世界観」に立ったスピリチュアリズムを「和製スピリチュアリズム」と定義します。

昭和48年に日本心霊科学協会が発行した、板谷樹・宮澤虎雄著『心霊科学入門』という書籍があります。この本の特徴を端的に言えば「血縁を中心とした霊的世界観」と「近代スピリチュアリズム」の成果がミックスされた書籍であると言えます。具体例を挙げれば、188頁の守護霊の説明箇所、257頁の曽孫となって再生する箇所、277頁の改宗の箇所(→先祖霊が子孫の改宗を不満に思うのは、本人自身にいまだ霊的自覚が芽生えていないから。幽界の下層世界を抜け出せない物質臭の強い霊だから。当時は定評ある書籍であったがシルバーバーチの観点から見れば問題点が見えてくる)など。この書籍には「血縁を中心とした霊的世界観」に沿った記述が多数見受けられます。

 

時間的な制約がありますので、今回は「和製スピリチュアリズム」のベースとなっている「血縁を中心とした霊的世界観」のみを取り上げることにします。この霊的世界観を『シルバーバーチの霊訓』や『モーゼスの霊訓』に代表される「質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」の立場から、主な問題箇所を検証してみたいと思います。

 

イ)伝統的な「霊的世界観・神観」

日本の伝統的な「霊的世界観・神観」は、死者の魂は「弔い上げ」によって、初めて汚れを払い去って清まり、個性を失って先祖の霊に融合して祖霊となる。供養の対象となる死霊が祖霊となり、祖霊が神格化して祖神や氏神として祭られるという「死霊→祖霊→祖神・氏神」という血縁をベースにした流れです。

さらに神道の神観も「神」と「祖先」との間には明確な境界がなく、渾然一体のものとして扱われており、遠い祖先は祖先であると同時に「神」としても崇められております。ここから基本的な図式として「親」の延長線上に「祖先」がいて、その先に「祖神」が控えている考え方(親→祖先→祖神)です。神道の神観も血縁や血統を重視した「霊的世界観・神観」です。その背景には「一族中心の血縁者の世界観(農地や家名が代々継承されていく)」や「氏神・氏子的な共同体の存在(神格化した祖霊である氏神を中心とした共同体)」という血縁や血統を重視した考え方が前提にあります。

この考え方に立って“祖霊”は「血縁集団としての個性を失った先祖の霊魂の集合体」であり、再生は「祖霊という霊魂の集合体からの生まれ変わり」であると説かれております。

 

ウ)『シルバーバーチの霊訓』からの問題提起

シルバーバーチの観点から日本の伝統的な「霊的世界観・神観」を見てみると、そこには明らかに問題となる箇所が幾つか見受けられます。此処では次の三点を取り上げます。まず「八百万の神」や「人格神崇拝」の問題がありますが、この問題はすでに「シルバーバーチが説く神とは」の箇所や「高級霊信仰や指導霊信仰を批判する」の箇所で述べましたので省略します。

次に「死霊」の問題があります。死霊が祖霊化する“祖霊化過程”の期間について『宗教学辞典』(東京大学出版会)の記載によれば、「我が国では俗に“弔いあげ”という仏式による33回忌または49回忌までが一般とされている。この期間の祭祀供養を終えた個々の死霊は祖霊となり、やがて抽象的な集団の不死性を持つ祖先の中に解消されて、先祖崇拝へと展開する」(231頁)とあります。この問題は後で述べる「祖霊祭」の箇所で述べることにします。

 

此処で取り上げるのは「抽象的な先祖の集団」や「祖霊という集合体の生まれ変わり」です。これをシルバーバーチの観点に立って批判して見ます。

個別霊には二面性があります。まず一つ目の側面として「客観的存在(本来の私)」があります。全ての個別霊は100%個性発揮を目指して(個性化の道のこと)、永遠の旅を続けておりますので個性を失ってしまうことはないです。この「本来の私」が因果律の主体となる私であり、カルマを作ってしまった場合はこの私が償うことになります。再生する場合は「客観的存在(本来の私)」が再生します。但し現実に地上に再生するのは「客観的存在(本来の私)」の一部分ですが(→「小さな区画のインディビジュアリティ」に“利己的に働く意識”がジョイントされたのが「現在の私:パーソナリティ」という意識)。

次に個別霊の二つ目の側面として「主観的存在(拡大した私)」があります。これは同一霊格で親和性のある複数の個別霊ⒶⒷⒸⒹⒺⒻによって作り出される共有意識のことです。

分かり易く例えれば、相思相愛の度合いが極めて強い夫婦の主観的感情(類魂意識の原初的形体)といえばイメージが湧くと思います。このように個別霊には「客観的存在」と「主観的存在」という二面性があります。

 

日本の伝統的な「霊的世界観・神観」で述べられている「抽象的な先祖の集団」や「祖霊という集合体」という考え方は、霊の二面性から見て問題があります。個別霊を「客観的存在」から見れば、すべての“霊は神の属性の100%発揮”を目指して、永遠の旅(個性化の道のこと)を続けている旅人であり、旅の途上で個性を失ってしまうことはないからです。また「主観的存在」の類魂意識(グループソウル)は、同一霊格でしかも親和性が強い複数の個別霊が作り出す共有意識のことを言います。祖霊というだけで親和性や霊格の違いは一切考慮されずに融合・同化されてしまう(抽象的な先祖の集合体)、とするのは問題があります。

 

シルバーバーチが述べる「霊界は霊的成長度に応じたヒエラルキーの世界」や、「霊界は霊的親和性によって結ばれた世界」との観点に立てば、日本の「血縁や血統を重視した霊魂観・神観」は極めて一面的な見方に過ぎないといえます。霊界全体から見れば例外的なケースが宇宙を支配する原則とされていますが、これは“進化の距離感に応じて愛の表れ方が異なる”に対する理解が、不十分な点から来ていると言えます。

結論から言えば「血縁重視の霊的世界観」とは、幽界の下層に居住する「明確な霊的自覚」をもたない霊の考え方です。また「八百万の神」信仰には、「高級霊崇拝、指導霊崇拝、人格神崇拝」の問題が存在します。さらに「家制度」は明治民法によって創設されたものです。このように「血縁重視の霊的世界観」は、霊的成長の一時期に霊が持つ世界観のことであり、霊的成長に伴って捨て去られていくものです(霊的法則の基礎を学ぶための最良な手段の一つが“血縁重視の愛”や“血縁重視の霊魂観”となっているため)。

 

エ)学者からの問題提起

通説になっている「日本固有の霊魂観・祖霊観」には学者から批判があります。宗教学者で東北大学教授の佐藤弘夫氏は著書『死者のゆくえ』(岩田書院)の中で「柳田の祖霊観は、日本列島に一貫して存在する『日本人』のそれを示したものではなく、江戸時代以降に新たに形成される霊魂観を前提として形成されたもの」(182頁)と批評していいます。通説になっている柳田説は近世以降に作られた「祖霊観・霊魂観」であるという。

 

②.因果律と自己責任から見た「因果律の拡張、業因縁の継承」の問題点

ア)「家」の観念

日本における因果律は、「仏教の縁起(因縁生起)」に「先祖崇拝思想」と「家の観念」が結びついて、国民の間に広く受け入れられてきたものです。「先祖崇拝思想」の痕跡は既に縄文時代には見られると言われています。考古学者の丹羽佑一氏の「他界観念」には「縄文人は他界の観念を持っていた。ヒトに魂が内在する観念を持っていた~」(同成社発行『縄文人の考古学11199頁、所収)とあります。ここからも「先祖崇拝思想」は古代人の「素朴な霊魂観」から生まれたものと言えます。

 

江戸時代の「家制度」は「家禄制度」と結びついた武家階層や公家から始まり、徐々に豪商や豪農に広がっていきましたが、名家でもなく資産も無い大部分の庶民には初めから無縁な制度でありました。それが明治31年(1898年)制定の明治民法によって、全国民を対象とした「家制度」が創設されました。

著名な民法学者の中川善之助氏は「日本には二つの家族観がある」として、「一方に由緒正しき家系の名家名門である上層の『家』を基準に考えるもの」「他方に戸主も家族も働いて共同生活をまっとうしている庶民の『家』を基準に考えるもの」があると度々述べています。明治民法の制定によって、日本における「家制度」は、従来の「上層の家」から「庶民の家」へと拡大されました。

 

イ)自己責任の原則

宗教では「先祖から流れてきている悪因縁は、身内の誰かが消さなければならぬ」として、この流れを断ち切るには「布施心が悪因縁を解消する最も良い方法」であると言われています。世俗的な心霊の世界でも、頻繁に「親の因果が子に報う(→先祖が犯した悪い行いが原因で、何の罪もない子がその報いを受けて不幸になる)」が説かれています。

これに対してシルバーバーチは、原因(因縁)を作った者は自ら償いをして刈り取らなければならないという「自己責任の原則」(658①⑦、59⑫)を述べております。この「自己責任の原則」から見れば、孫は祖父が蒔いたタネ(因縁)を祖父に代わって刈り取ることはできません。祖父の因縁は祖父自ら何らかの形で、霊界でまたは再生して刈り取りをすることになります。

 

孫は再生するに当たり、自身の因縁を解消するためには、日本という民族集団が有する大枠としてのカルマを使って、さらに「祖父の家」に生まれて、この家に存在する“カルマの流れ(例えば代々の当主は極端な吝嗇家であり、そのために作り出したカルマ)”を利用しながら、自分自身のカルマの解消をはかるのが最も適していると判断して再生したものです。血縁を重視して「祖父の家」に再生したのではありません(通常、祖父という霊魂と孫という霊魂の間には血縁関係はない)。

このように一般に世間で言われている「因果律の拡張、業因縁の継承」は、シルバーバーチが述べている「各自が各自の人生の重荷を背負う」という因果律の原則から見ると問題があります。

 

③.血縁重視の霊的世界の問題点

ア)旅の行程

一般的な旅の行程は「A:死、寿命が尽きる」―→「B:“死のプロセス”を滞りなく手引きしてくれる指導霊との出会い」―→「C:明確な死の自覚を持つ」―→「D:明確な霊的自覚を持つ」―→「E:霊界(狭義)に入り霊的家族と再会する」という流れを辿ります。

上記Cの意識が持てなければ地縛霊となります。上記Dの意識が持てなければいつまでも「幽界の下層界」から抜け出せません。

Cの意識を持った霊がDの意識を持つ迄には、長い時間かかるのが一般的であると言われています(1060⑦参照)。スピリチュアリストは地上で霊的知識を学んでいるため、このDの意識に到達するのが一般人よりも早いという。この世で霊的知識を学ぶことの大切さがここからも言えます。

 

イ)地上に通信を送ってくる霊とは

幽界の下層の住人の意識は、地上時代に培った意識をそのまま引きずっております。幽界生活が長くなると、次第に霊の表面意識に「霊的自覚(霊的実相の理解)」が芽生えてきます。この自覚の芽生えによって、地上時代の体験によって独特な色に染まった潜在意識(地上的人格が用いてきた意識で「小さな区画のインディビジュアリティ」のこと)と、さらに大きな潜在意識(本来の私、インディビジュアリティ)を分けていた障壁が崩れ出して行きます。地上時代に培った意識(地上体験によって色つきとなった潜在意識)は、徐々に「本来の私(インディビジュアリティ)」の中にとけ込んで行きます。地上の関心は薄れてきて霊的実相への関心が高まって行きます。

 

一般に中学を卒業して高校に進学した子供たちは、5月の連休頃まではいまだ高校生活に馴染めず、頻繁に中学時代のクラスメートや部活の後輩に連絡を取りたがります(この状態が幽界の下層にいる霊の意識状態)。夏休み近くになると次第に高校生活に溶け込んで行き、中学時代の回想に浸る時間も減ってきて、高校生活をエンジョイすることに関心が移って行きます(霊的自覚の芽生えによる急激な霊性の進歩)。9月の夏休み明けともなればすっかり高校生らしくなっています(狭義の霊界に舞台を移す)。

 

シルバーバーチは次元の異なる地上に通信を送ることは「容易なことではない」「大へんな努力を必要とする」ので、通信霊は必然的に「愛念を抱く者に限られる」(189)と述べています。ここから多くの霊界通信は意識の関心が地上に向いている、物質臭の抜けきらない幽界の下層に居住する血縁者からのものとなります。ここに血縁重視の霊界通信が多くなる理由があります(例えば高校に進学した生徒が中学時代のクラスメートや部活の後輩の面倒事に、自分の休みを犠牲にしてまで駆け付けて世話を焼きたがる意識状態と似ています)。霊的自覚を持った“狭義の霊界”に居住する霊は、地上時代の事にはほとんど関心が無くなっています(20年前に退職した職場での仕事のことは、今の自分に関係なければ殆ど忘れ去っているものです)。

このように考えると地上時代の血縁に縛られている霊とは、幽界の下層に居住する「霊的自覚」が芽生えない霊だけであり、「霊的自覚」が芽生えてきた霊は、物的波動の強い“血縁中心の意識”から徐々に脱して霊的成長の道を歩んで行くことになります。

 

ウ)幽界の下層に住む霊の意識

人間は死んで物的身体を脱ぎ捨てれば、誰でも直ちに「高次の意識(本来の私、インディビジュアリティ)」が自覚できて「模範的な霊界人」になれるわけではないです。物的身体を脱ぎ捨てても帰幽霊は地上時代に培った「偏見や性癖」から直ちに解放されることはありません。霊の「表面意識(霊の顕在意識)」には、相変わらず「偏見や性癖」に満ちた意識が存在しております。

ただし肉体をまとうことによって利己的に働いていた意識(生命維持、種族本能、権勢欲、所有欲など)のうち、肉体の存在と密接に繋がった意識(生命維持や種族本能など)は弱まって行きますが、「権勢欲や所有欲」などの意識は供給源が断たれてもすぐには弱まらないようです。さらに一時的に「偏見や性癖」も強まります。地上にいた時より「小さな区画のインディビジュアリティ」からの霊的意識は表面に出やすいですが、地上体験で色つきとなっております。

 

物理の法則に「運動している物体はいつまでも等速直線運動を続ける」という「慣性の法則」があります。この法則を用いて霊的自覚を持つまでの霊の意識状況(前述のC意識からD意識へ)を説明してみます。

地上時代に形成された「偏見や性癖」、さらに「権勢欲や所有欲」などの意識は、物的身体が無くなったからといっても依然として持ち続けております。なぜなら本人が自ら変えようとする意思を起こさない限りは、そのまま「等速直線運動」が継続されることになるからです。死後の世界で「霊の表面意識」に霊として何を為さなければならないかという「霊的自覚」が芽生えてくれば、この自覚が摩擦力として働くことになるので、「偏見や性癖」などの意識の持続は、徐々に失速して行くことになります。

 

帰幽霊の意識は「偏見や性癖」に満ちた表面意識(血縁重視の強い意識)と、霊的自覚が芽生えてくるまでは表面に浮上してこない「大きな霊的意識(本来の私、インディビジュアリティ)」という二重構造になっております。そのため地上時代の体験によって形成された「利己的、冷酷、享楽的、血縁重視」といった意識は、「霊の表面意識」の中に「霊的自覚」が芽生えてくるまでは、「偏見や性癖」と言う形で占有し続けることになります。

物質臭が抜けきらない幽界の下層にいる霊界人とはこのような意識構造を持った霊たちです。「霊の表面意識」の中に「霊的自覚」が湧いてくるまでは霊的成長はゆっくりとしたスピードです(一種のクールダウンの過程が必要だから)。なぜなら大きな意識であるインディビジュアリティは、霊的成長と共に少しずつ浮かび上がってくるものだから。

 

数多い帰幽霊の中には、地上体験によって「残忍さ・傲慢さ・貪欲・淫乱」等といった“歪んだ欲望”を培ってしまい、表面意識に深く染みこませてしまった霊もいるでしょう。霊にとってはその内面の世界が死後の住環境となるため、歪んだ性癖や習性が苦悩を引き寄せることになります。引き寄せた苦悩が現実となる住環境で、厳しい体験を経ていく中で、次第に表面意識にある歪んだ性癖は修正されて行きます(宗教で言うところの煉獄や地獄のこと)。霊によって長短はあるものの内部から霊的自覚が芽生えてくるまでは、矯正のための界層に留まることになります。

 

幽界において「霊的自覚の芽生え」に始まって、徐々に霊的自覚が深まっていった霊は、次第に霊的進化のスピードが速まって行きます。それに応じて潜在していた「大きな霊的意識(本来の私、インディビジュアリティ)」が表面意識の中に浮かび上がってきます。このように幽界生活とは「物質臭の強い表面意識(地上体験によって色つきとなった小さな区画のインディビジュアリティを含む)」を中和させて、「大きな霊的意識(本来の私、インディビジュアリティ)」の中に穏やかに溶け込ませていく過程に他ならないです。物質臭の強い状態で直接溶け込ませることは出来ないため、意識の二重構造は不可欠となっております。これら一連の霊的波長の調整が完了した個別霊は、次の世界である“狭義の霊界”で待つ霊的家族のもとに帰って行きます(但し、血縁中心の“家族”ではない)。

 

4.精神統一と祖霊祭について

ア)精神統一(瞑想)のメカニズム

人間を固有の周波数を持った“通信装置”に譬えることができます。精神統一とはこの通信装置の“アンテナの錆”を落とす行為と言えます。霊媒体質者の場合は先天的にアンテナが磨かれて感度が良好ですが、通常人は錆が付着して感度が悪い状態です。

 

私たちの日常生活では、親和性の法則から絶えず“通信装置のアンテナ”から雑多な思念を受け取っております。五感から入るさまざまな刺激に対して過敏に反応して、意識は興奮した状態にあります。

精神統一はさまざまな物に反応している状態を鎮めて、意識の焦点を自己の身体からずらせていく技法のことです。いわば統一者の“固有の周波数”に見合った霊的波長を持つ霊と、同調を良好にさせる行為であると言えます。ズレの程度が大きければ深い統一状態となり、ズレが小さければ浅い統一状態となります。統一の熟練者は容易く深い統一状態に移行できます。

 

上記のように考えれば、精神統一が習熟していくことと、統一者の心境(霊格)が高まることは必ずしもイコールではないことが分かります。精神統一はあくまで技法であり、アンテナを磨くだけにすぎないもの。坐っているだけでひとりでに霊格が上がることはないです。アンテナの錆落とし(=精神統一の実修)と同時に、通信装置の周波数を高める努力(=修養的生活と利他的行為)が必要となります。なぜなら統一によってアンテナの錆落としが進んだ分だけ、固有の周波数に見合った霊の影響をより一層受けやすくなるから。

 

イ)祖霊祭について

霊的に見れば「死」とは“シルバーコードの切断”のことであり、「死のプロセス」とは物的世界の粗い振動数を持つ肉体を捨てて、霊的世界のより細かな振動数に対応する身体に“脱皮”していく一連の現象のことを言います。話の順序として最初に地縛霊の定義を定めておきます。

 

地縛霊とは、死によって肉体を棄てたにもかかわらず、いまだに死の自覚がないため、身体は霊的世界にあるにもかかわらず、その世界の霊的波長に感応できずに、いつまでも物的波長の中で暮らしている霊を言います。つまり霊的調整が完了していない霊のことです。これが地縛霊の定義です。なお地縛霊には自縛霊という表記もありますが、此処では意識が地上に向いている霊という意味で用いているため(地上に縛られている霊だから)、地縛霊という表記を使用します。

 

このような霊は死の自覚がなく意識が地上に向いているため、周りで待機している救済霊とは波長が合わず地縛霊の視界に入りません。そのため救済の手が差し伸べにくい状態に置かれております。このような霊はいまだ死んだという自覚がないため、物的波長から霊的波長への切り替えが完了せず、霊的視力が使えない状態となっております。

 

物的波長の中にいる地縛霊には、地上人からの念が届きやすいので、血縁者の「死の自覚」を持たせる祈りの念は地縛霊に有効に作用します。病気で苦しいという思いを未だに持ち続けている帰幽霊は、物的波長から霊的波長への切り替えが完了していない地縛霊です。いまだに肉体から意識が離れない為、肉体に存在していた病に苦しめられているのです。この霊の表面意識に「C:明確な死の自覚」が浮き上がって来れば、意識の焦点が地上に脱ぎ捨ててきた肉体からずれるので、病の苦しみから解放されます。さらに霊的視力が開けて霊界の救済霊との接触が可能となります。そして霊界側が準備した「救済のプログラム」に従って「死のプロセス」を歩んでいくことができます。

 

このように「C:明確な死の自覚」を持てた以降の霊は霊界側が担当しますので、地上人が「供養」の対象とすべき霊とは「C:明確な死の自覚」が持てない帰幽霊のみです。この霊に死んだと言うことを明確に悟らせることがポイントになります。

比較的良質の交霊会の記録を読んで見て分かることは、地縛霊や地縛霊状態を脱して間もない霊は、縁のある地上の人間に憑いて一緒に学んでいることが多いようです。本来であれば「C:明確な死の自覚」持った霊は、救済霊が用意したプログラムに従って、霊界において「霊としての自覚」を深めていくのが一般的でしょう。しかしそのプロセスは画一的なものではなく、その霊にとって“心霊グループの霊的真理の学習会”が最も適していると思われれば、その場が有効に活用されているようです。

私たちが霊的真理を心から納得(→付け焼き刃的な理解ではなく霊の心の領域での理解)できれば、自分自身もその理解をあの世に持ち越すことが出来るし、その理解したという思念が霊にも伝わることになります。ここからも地上人の役割は大きいことが分かります。

 

なお霊的自覚を持った霊に対しては、子孫が行う「祖霊が霊界で一層の浄化・向上を祈願する」祈りは本来不要です。しかし霊にはその子孫の思いが温かい念となって伝わってくるため、現在の界層でさらに霊的向上に励む意識が強くなってきます。譬えれば20年前に退職した職場から、在職中の功績をたたえる式典への招待状を貰ったようなもので、本人はうれしいものです。これと同じ意識状態です。

 

日本の「伝統的な祖霊観・霊魂観」では、「死者供養(先祖供養)」は33回忌または49回忌の“弔いあげ”まで行い、これ以降は「初めて穢れを拭い去って清まる」。それによって人は先祖になるという(『柳田国男全集13131頁参照)。

この世は「行為」の世界であるため、形だけの「先祖供養」でも、他人から見れば「感心な人」と褒められます。しかし霊界は「思い」だけの世界、「思い」の籠っていない形式だけの「行為」では何の効果もないです。縁故者が行う「思い」の籠った目覚めを促す祈りは、温かい念となって地縛霊の周りを包み込んで、目覚めの促進に役立ちます。目覚めの時期が来れば速やかに目覚めることになります。

帰幽霊の中には例外的に400年~500年の間、「明確な死の自覚」が持てないまま地縛霊状態を続けている霊もいますが、大部分の霊は死後ほどなく死んだという自覚を持つことが出来て、意識の切り替えが完了するようです。そのため供養で重要視されている「死霊が祖霊化する期間」にさほど意味はありません。日本の伝統的な祭祀供養は、余りにも形式偏重・物的偏重で霊的背景に対する理解が薄いです。

 

5.今回のまとめ

霊界の上層には「地球経綸の仕事に最終的な責任を負っている神庁」(9221⑬)があります。その神庁でシルバーバーチは「地球の霊的刷新」のために働いているといいます。そのため日本的な神観から言えばシルバーバーチは「八百万の神」の一人ということになります。このように「神々」の一人として崇拝される側に立つシルバーバーチは、ことある毎に「私に感謝は無用です。感謝は神に捧げるべきものです」(9224⑪)として、崇拝されることを拒否しています。

 

このシルバーバーチの謙虚さの源泉は、階層構造的な霊の世界に於いて、自分の“立ち位置”をよく理解していることにあります。それは「宇宙について知れば知るほどますます謙虚の念で満たされる」(924①)の言葉に表れています。このように『シルバーバーチの霊訓』は体系的な霊的知識を述べていることに留まらず、崇拝される側から「高級霊崇拝」の誤りを説いている点に意義があります(崇拝される側の気持ちを語っている)。

 

さらにシルバーバーチは「私は人間的要素を残しており誤りも犯せば弱点もあり不完全です」(11198③)とも述べています。なぜなら意識の中に「出身天体の属性」を色濃く残していると言うことは、太陽系や銀河系宇宙を自由に飛び回れる「超高級霊」の立場から見れば、いまだ進化のレベルは相対的に低いと言うことになるから。霊的進化のレベルが高くなればなるほど、一段と個性が強まり、意識(インディビジュアリティ)の中に残存する「出身天体の属性(人間的感情)」は次第に消えていくから。

 

このような人間的感情の中でも動物的感情に近い血縁重視の愛や感情は、地球人という「出身天体の属性」の中でも最も低い意識に属するため、意識が進化していく早い段階で消えていくものです。ここから「血縁重視の霊的世界観」は霊的成長の一時期に霊が持つ世界観であり、霊的成長に伴って卒業して行く意識であることが分かります。

このように日本的な「神崇拝」の問題点や、「血縁重視の霊魂観・神観」の問題点を指摘した『シルバーバーチの霊訓』は、我々日本人にとって意義ある書籍であると言えます。強くお薦めする次第です。

 

 

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