スピリチュアリズム研究ノート: 目次

<Ⅰ.基本編>

1.旅のガイドブック(死後の旅路の行程)

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-18eb.html

 

2.『シルバーバーチの霊訓』講座、その1

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/10/post-55c0.html

 

3.『シルバーバーチの霊訓』講座、その2 

『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

4.講座・講演会の講義録

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/12/post-16cf.html

 

 

<Ⅱ.研究編、その1>

1.スピリチュアリズムについて

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-6a12.html

 

2.霊的成長について

霊的成長について:目次

 

3.心霊治療・医療

心霊治療・医療:目次

 

4.霊能者・心霊現象

霊能者・心霊現象:目次

 

5.意識の進化(個別化から個性化の道へ)

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-e188.html

 

6.動物について

動物について:目次

 

7.宗教について

宗教について:目次

 

8.スピリチュアリズムとキリスト教

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-ef22.html

 

9.心霊研究

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-ed20.html

 

10.研究編ノート

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-8f54.html

 

 

<Ⅲ.研究編、その2

1.なぜ「19世紀半ば」であったのか

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/05/19-b815.html

 

2.日本におけるスピリチュアリズムの黎明期

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-707f.html

 

3.霊媒・三田光一研究

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-eb9c.html

 

4.浅野和三郎研究

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-d069.html

 

 

 

 

 

 

第2講:スピリチュアリズムから見た「死」とは <講義用ノート>

目 次

1.他界観

①.日本的他界観とスピリチュアリズム的死生観

・日本的他界観

・日本の伝統的な霊的世界観

・スピリチュアリズムの考え方

②.個別事例の検証

・「夢枕に立つ」現象

・「お迎え」現象

 

2.多様な「死」

①.「死」とは何か

・死の判定基準

・霊界側から見た「死」とは

②.不慮の死(急死・事故死・戦死)

・死者の状態

・霊界の病院

③.意識的に命を絶つ行為(自殺、殺人、死刑)

・「学校」を中退する

・自殺の場合

・殺人の被害者の場合

・死刑の場合

④.ニュースで話題となっている「死」

・受胎とは受精時のこと

・出生前診断、着床前診断、体外受精、受精卵の研究

・罪悪感のある妊娠中絶

・安楽死、延命処置、尊厳死

 

<注1>~<注10

 

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1.他界観

①.日本的他界観とスピリチュアリズム的死生観

ア)日本的他界観

一般的な西洋人が考える「あの世観(霊の世界)」とは、「天上(天国)」と「地下(地獄)」に二分された世界であり、そこには「神とサタンとの戦い」などに見られるように物事を善と悪に二分する倫理観の文化が存在している。

 

これに対して日本人が考える伝統的な「あの世観」には、西洋人とは異なり同一平面上にある“山を他界”と見做す傾向がある。江戸時代に幕府の宗教統制策によって檀家制度が整備されるまでは、山に散骨する葬送(山送り)がしばしば見られた。恐山・立山・熊野三山などには「死者が集う場所」としての(山岳)信仰もある。

また民俗学からは「祖霊が小高い丘から」または「草葉の陰」から「子孫を見守る」と言う観念がある。さらに沖縄には「海の彼方(ニライ・カナイ)」という他界観がある。このように日本人が長年に亘って培ってきた習俗には、死者の霊を身近に感じる「水平型他界観」が見られる。

 

イ)日本の伝統的な霊的世界観

A:「〇〇家」を単位としたあの世

日本には「人は死んであの世に行き先祖に迎えられる」、その後「子孫となって生まれ変わる」と言った「〇〇家」を単位とした「あの世観」がある。さらに長年の風習から「墓参に行くと祖霊の霊魂に出会える」とか、「お盆に迎え火を焚けば祖先の霊魂が来てくれる」など霊を身近に感じており、日頃から「あの世の祖霊」との交流が頻繁に行われてきた(注1)。

 

B:死霊(個別霊)から祖霊(集合魂)へ

日本の伝統的な習俗からは、供養の対象となる“死霊(死者の魂)”は「弔い上げ(33回忌、地方によっては50回忌もある)」によって初めて汚れを拭い去って清まり、個性を失って先祖の霊に融合して「祖霊という大きな海」に溶け込む。つまり33回忌までは死霊という名の個別霊、それ以降は「〇〇家、〇〇一族」というラベルの付いた“集合魂の海”に溶け込むという観念がある。

 

この祖霊が草葉の陰から子孫を見守る形で、または再生することによって、「祖霊という大きな海」と地上にいる一族との間を行き来することになる(注1)。このケースで交流する“霊魂(意識)”は、先祖の“誰の誰兵衛”と言った個人名を持つ霊魂ではない。日本の伝統的な霊魂観からは「祖霊」とは個性を失った先祖の霊魂の集合体であり、一種の「集合魂」のことになる。スピリチュアリズムで言うところの「個別霊(→死後も個性は存続する)」ではない。

 

祖霊(→死霊は33回忌以降に祖霊という名の集合魂に溶け込む)は「祀られる」ことによって霊性が向上して*、神格化して祖神や氏神となる。この「死霊→祖霊→祖神・氏神」という流れは、民族宗教である神道にも取り入れられている。神道では「神」と「祖先」との間には明確な境界がなく渾然一体のものとして扱われており、遠い祖先は祖先であると同時に「神(人格神)」としても崇められている。

 

*霊性の向上

日本の伝統的な霊的世界観では「祖霊」は「祀られる」ことによって霊性が向上する。これに対してスピリチュアリズムでは、他者に対する利他的行為によって個別霊の霊性は向上する。前者は「祀られる」という“他力的行為”によって、後者は「利他的行為」という“自力的行為”によって霊性が向上する、という明確な違いが存在する。

 

C:先祖の霊の集合体

この「先祖の霊の集合体」を民俗学者の柳田国男氏は「ひと固まりの先祖になる」と表記し、文化人類学者の波平恵美子氏は「人はプールから出てプールに戻る」として「いのちのプール」と表現した。また作家の五木寛之氏は「大いなる海の中に溶解し、大海の一滴として循環する」と述べている。三人ともに“先祖の霊は個別性を失う”とする点では共通する。

 

上記のように祖霊とは個別性を失った「先祖の集合体」という点につき、事典には次のような記述がある(国学院大学日本文化研究所編『神道事典、縮刷版』弘文堂参照)。それによると「祖霊とは先祖の霊」であり、「個性を持たない霊魂を言うことが多い」「死んでから一定年数(→多くは33年、地方によっては50年もある)以内の供養の対象となる死霊と区別して、個性を失ったものを祖霊」とし「祖霊がさらに神霊へと昇華する」。さらに「神格化した祖霊が、氏神や村落共同体などにより祖神や氏神として祀られる」と記載されている。

 

ウ)スピリチュアリズムの考え方

A:死んでも“私”は生きている

スピリチュアリズムでは「日本の伝統的な霊魂観」とは異なって、個別霊として「死の先にも人生は続く」とか、「“あの世”と“この世”は交流している」などと説いている。つまり地上では「誰の誰兵衛」と名乗っていた“霊魂(=意識)”は、死後も霊の世界で永遠に生き続けて、親和性を持ったこの世の人たちを見守っている(→少なくとも霊的自覚を持つまでは、血縁者や地上的な事柄に関心を持ち続ける)。死によって肉体を棄て去った“霊魂(=私という意識)”は、表現器官を霊的身体に移行させて霊的世界で生活している。

 

B:スピリチュアリズムの観点に立ったグリーフケアの必要性

コロナ感染者の死は残された遺族に深刻な喪失感を残す場合がある。報道によれば病院は感染症患者の対応に手一杯で「遺族の心をケアする余力はない」という。このような状況下で「突然の死に強い喪失感に陥った遺族に対する慰めが(グリーフケア)、今真剣に求められている」と伝えている。

 

スピリチュアリズム的死生観では「死んでも私は生きている」「死の先にも人生は続く」と説くので、愛する者との死別は一時のものとなる。お互いに愛があれば親和性から惹かれ合って、霊の世界で再び出会うことが出来る。このような「事実」を知ることによって、愛する者を失った心の痛みが癒されることになる。コロナ禍の中でこのようなスピリチュアリズム的死生観に立ったグリーフケアの必要性が、今ほど求められている時期はない。さらに「死後生」の「事実」は遺族に対して「再会できるまでの期間をどう生きるか」という問いかけをすることにもなる。

 

②.個別事例の検証

ア)「夢枕に立つ」現象

A:死に際に放出されるエネルギー量

シルバーバーチは「(人間の)“死に際”には大変な量の心霊的エネルギーや霊的エネルギーが放出される」(到来237⑪参照)と述べる。これらの“死に際”に放出されるエネルギーを使って遠くにいる縁者に生前の姿を見せる現象や、「死んだ肉親が死亡時刻とちょうど同じころ夢枕に立った」という現象、または死の直前に別れの挨拶の為に世話になった人の下を訪れる現象などが報告されている(→これらの現象には「危機幻像」や「夢枕に立つ」「虫の知らせ」などの名称が付けられている)。

 

B:現実か、それとも幻覚か

この場合に唯物論的な「死は終焉であり、死後の世界はない」との考え方に立てば、遠く離れた縁者は当然に“死者の幻覚”を見たことになる。これに対して他界者は33回忌までは供養を必要とする死霊と説く「日本の伝統的な霊魂観」や、個別霊として永遠に生き続けると説く「スピリチュアリズム的な死生観」に立てば、これらは背後霊の力を借りて縁者に生前の姿を見せた現象となる。つまり死の直後の他界者は一般には“死の眠り”についていることが多いため、死者の背後霊が縁者に“死に際”に放出されるサイキックエネルギーを使って見せた現象と言える。

 

イ)「お迎え」現象(注2)

A:お迎え現象とは

死期が迫った者のもとに亡くなった家族や親類がやってくるという現象は、自宅で家族に見守られながら死を迎える時代には普通に見られた現象であった。

学術研究誌(→『死生学研究、第9号』20083月、東京大学大学院人文社会系研究科発行、213頁~214頁)には「部屋の隅に誰かいるって言うので誰なのかと聞くと“母ちゃんだ”迎えに来たのかと会話していました。亡くなる1ケ月くらい前です(故人89歳男性、回答者63歳娘)」や、「最期の日に、背広姿の男性と着物姿のお婆さんが来ていると語った。亡くなった本人の母と息子だねと家族で語った(故人81歳女性、回答者56歳嫁)」などの報告事例の記載がある。

 

B:日本における調査

仙台市内を中心にして在宅緩和ケアを行っている医師たちは、2003年から2007年にかけて682人の遺族に対して「在宅緩和ケアを利用して亡くなった患者が、他人には見えない人や風景について語ったことがあったか」という設問でアンケート調査票を送付した(366通が回収された)。回収された42.3%(155件)で看取りの際に「患者が他人には見えない人の存在や風景について語ったことがあった」とする回答があり、この内「すでに亡くなった家族や知り合いが現れたケース」が155件中82件あった。4割以上にこの現象が現れると言うことは、例外的事例とは言えない。

この調査結果は『現代の看取りにおける“お迎え”体験の語り――在宅ホスピス遺族アンケートから』として『死生学研究、第9号』(20083月発行)に掲載された。

 

C:驚愕や恐怖感を伴う幻覚

従来の医療現場では「お迎え」は全て意識障害の「せん妄」と疑われて、患者に興奮を鎮めて幻覚を抑える働きがある抗精神病薬が投与されていた(森田達也・白土明美著『死亡直前と看取りのエビデンス』医学書院2015年)。なぜなら患者は「血まみれの顔や魑魅魍魎」などの不気味なものを見たという恐怖感や驚きから興奮状態に陥り、しばしばベッドから飛び降りて骨折するなど、医療事故が発生していたからである。

 

D:穏やかな心の状態を作る目的

このような恐怖感が見られる意識障害と異なり、死んだ両親や血縁者などの身近な霊が現れる「お迎え」では、現象の体験者には押し並べて「落ち着き」や「安心感」等のプラスの効果が見られる。霊的な事柄に対して頑なな態度をとり続けてきた故人でさえも、穏やかな心持にさせて死を迎えるという効果が「お迎え現象」には見られる。生前口癖のように「死は怖い」と言っていた老人の「死に顔が非常に穏やかであった」と語る遺族もいる。

 

スピリチュアリズムの立場から言えば体験者に穏やかな精神状態を作り出して、死後の世界の入り口で待つガイドとスムーズな出会いをさせる、このことを可能とさせる心の状態を作り出す目的(→血縁者を出現させることによって)が「お迎え現象」にはあるからである。ここから恐怖感を伴う意識障害との違いが明白となる。

 

E:死生観による対処の違い

このように「お迎え現象」は、スピリチュアリズム的死生観に立って初めて正しく理解できる。「死後の世界」や「死後個性の存続」を認めない唯物論が幅を利かせる“表の世界”では、霊視・霊聴現象はすべて「せん妄」扱いにされると言った現実があるが、その根底には死生観の違いや「霊的体質」に関する無知が存在する。

なお33回忌を過ぎた先祖が「お迎え」の当事者として現れた場合には、「日本の伝統的な霊魂観」からは説明がつかないという問題がある。なぜならそれらの他界霊は「祖霊」と言う名の集合体(=集合魂)に溶け込んで個別性を失っているから。

 

2.多様な「死」

①.「死」とは何か

ア)死の判定基準

A:「三徴候」により判定する慣行

19世紀初頭に「死は心臓と肺が機能を停止した時に訪れる」という事実が明らかにされるまでは、長い間「死の判定基準」は「細胞死(腐敗)」であった。その後は「心拍停止」「自発呼吸停止」「瞳孔散大・対光反射喪失」の「三徴候」をもって「死」と診断する慣行が長年に亘って続けられてきた。

物質次元では人間の「死」は徐々に「生命現象が収束していくプロセス」として。または物的生命体の崩壊過程としてグラデーション的に表れるので、生と死を明確に区切る「死亡時刻」という観念には本来馴染まないもの(→死亡時刻は財産や地位の継承等の問題解決の為の方策)。

 

B:「脳死」の出現

1967年に南アフリカで初めて心臓移植手術が行われた。その際に問題となったのが心臓の提供者であるドナーは「死者でなければならない」であった。この「死者という壁」をどのように乗り切るかが最大の課題であった。

従来から医療の分野では「不可逆的昏睡状態」「全脳梗塞状態」「中枢死状態」等と呼ばれてきた“脳疾患の末期患者”の存在が知られていた。世界初の心臓移植が行われた翌年の1968年に、従来から問題となっていた“脳疾患の末期患者”を表す言葉として、初めて「脳死」が使われるようになった(→ハーバード大学医学部の脳死判定基準)。この「脳死」という新たな概念の導入によって「死の判定基準」は拡張されて、初めて「ドナーの心臓は生きているが、ドナーは死んでいる」状態が出現した。

この概念により執刀医は“死者からの臓器摘出”というプロセスを踏んでいるため、刑法上の殺人罪には当たらず訴追されないというロジックが出現した。現在では移植用臓器のニーズの高まりに伴って、「人体の商品化(→臓器は代替物)」が加速度的に進んでいる。

 

C:「臓器移植法」の施行

日本では199710月に「臓器移植法」が施行され、この法律によって臓器移植を前提とした「脳死」概念が導入された。「脳死」の定義や手続きは「臓器移植法」6条及び「臓器移植法施行規則」2条の規定で定められている。

それによれば「脳死」とは「脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止」した状態であり、その状態にある者の身体から「移植術に使用されるための臓器」を摘出して、レシピエントに移植ができるとした(法6条)。この法律の施行によって臓器提供の場合に限って「法的脳死判定」が行われて、そこで「脳死(法的脳死)」と判定されれば「法的脳死者」とされた。これ以降「脳死」と確定された臓器提供者からは、速やかに臓器が摘出されることになった。

 

イ)霊界側から見た「死」とは

A:人間の構造

人間の構造は「物的要素」と「霊的要素」、そして両者をドッキングさせるための「中間物質(→複体、ダブル、接合体などの名称がある)」の三者が重なり合って存在している(語る110⑨~⑩参照)。「物的要素」には「肉体(注3)」とコントロールセンターとしての機能を持つ「物的脳」とがある。「霊的要素」には「霊体(注3)」と「霊の心(→霊が顕現する場所、霊的意識、本来の私)」がある。

 

B:「死」とはシルバーコードの切断の瞬間

スピリチュアリズムの観点から見れば、この世における「死」とは自我意識の表現器官たる形体の変化、肉体から霊的身体へである。肉体と霊的身体(→正確には肉体と中間物質の接合体)を繋ぐ太いシルバーコードが切断した時をもって「死」と定義している(1050⑭、永遠の大道116②~③参照)。これに対してあの世における「死」とは、霊的身体のグラデーション的変化をいう。

 

C:臨死体験者、植物状態の患者の場合

霊的観点から言えばシルバーコードが切断されていなければ「死」ではない。臨死体験者はシルバーコードが繋がっているので生還できた。回復が不可能な植物状態の患者の場合は、病床に於いて自ら何らかの物的体験を積んでいるか、または周りの者に病気の我が身を提供して何らかの体験を積ませているか(→菩薩行、消極的利他的行為)の何れかである。その為いまだシルバーコードは繋がっている(8136⑪~⑬、最後啓示155⑪~⑬参照)。

 

このように霊的観点から見た死とは「シルバーコードの切断の瞬間」であるとしても、現実問題として医師は霊視能力者ではない。そのため生命現象が終息していくプロセスの何れかの時点をもって死と診断せざるを得ない。

 

②.不慮の死(急死、事故死、戦死)

ア)死者の状態

A:無理に生木を裂く状態(予期せぬ死)

急死・事故死・戦死などによる“不慮の死”とは、本来の想定した死のプロセスを踏まないケースであり、霊(=意識)に死の準備が整っていない段階で無理に生木を裂くように肉体から離されることをいう。これら“不慮の死”の場合には死者に急激な霊肉分離に伴うショック状態を引き起こすが、それを緩和するための霊的処置、例えば霊的エネルギーの注入や長期の休養などの処置が霊的世界で行われている(6106⑤~107③、メッセージ61⑬~62①参照)。

 

B:霊的知識の有無と休養期間

急激な死に方をした死者に霊的知識がある場合には、相応の霊的調整期間を経て死の自覚が持てるようになる。霊的知識がない場合には霊的調整のための長い休養期間が必要となるが、その期間は正常死のケースより長くかかるのが通例である。その場合には「地縛霊」となって地上圏をうろつかないためにも、速やかに“休眠”を取る必要がある(霊訓下125⑫~⑮参照)。なぜなら霊肉分離が本来の過程を経ずに急激に引き剥がされるためのショックを、“休眠”の中で調整していく必要があるから(→興奮状態にあって眠れないから)。

 

イ)霊界の病院

A:中間境にある施設

物質の世界である「この世」と霊の世界である「あの世」が接する境界、いわゆる「中間境(→幽界の下層世界の一つ:注4)」で他界者は物的波長から霊的波長の切り替えを行う。この中間境には、急激な霊肉分離に伴うショック状態を癒す為の特別な施設が用意されている。霊界通信では一般に“病院”と云う名で登場してくる。

 

B:どのような霊が収容されるのか

この“病院”に収容された霊は「ショックの後遺症」(317⑤参照)を癒すための処置や、霊的身体を形成するための調整、または新しい霊的生活に順応するための調整が「霊的エネルギーの注入」という形で行われている(メッセージ61⑬~62①参照)。

 

霊界の“病院”で治療を受ける霊には「霊性に歪みがある霊」(最後啓示40⑦参照)、「霊的に病んでいる霊」(8116⑬参照)、「魂に深い傷を負った霊」(4139⑦参照)、「精神的に不安定で指導と助けが必要な霊」(500に及ぶ117⑩参照)、「無残な事故で急死した霊」(6106⑤~107③参照)、「爆弾の直撃にて戦死した霊」(316⑮参照)、「若死にした者、乱暴な最期を遂げた者」(続霊訓191⑧~⑨参照)などがいる。これらの霊は地縛霊にならないためにも「特別な看護」が必要となる。

 

③.意識的に命を絶つ行為(自殺、殺人の被害者、死刑)

ア)「学校」を中退する行為

自ら命を絶つ自殺、他人の命を絶つ殺人、法を犯した者に対し法の執行によって命を絶つ死刑など、“人間が人間の生命を奪う行為”は霊的摂理に反している。

なぜなら自ら命を意識的に絶つ自殺者の場合は、地上生活を通して霊的成長するせっかくの機会を自らの手で投げ出してしまうから。これに対して殺人の被害者や死刑囚の場合には、自らの意に反して命が絶たれてしまい、その結果またとない地上体験を積む機会が奪われてしまうから(→死刑囚の場合は刑務所の中で自らの性格の弱点を矯正するチャンスが奪われるから)。

いわば自殺は自らの意志で本来の就学期間を全うせずに「学校を中退すること」であり、他殺や死刑は他人の命を無理やり奪って「学校を中退させてしまうこと」であるから。

 

イ)自殺の場合

A:シルバーバーチの見解

シルバーバーチは「(自殺行為に関して)寿命を全うせずに無理やり霊界へ行けば、長い調整期間の中でその代償を支払わなければならなくなる」「(利己的な波動によって)周囲にミゾをこしらえてしまうから」(語る407③~⑥参照)、霊的進歩の妨げになるからと述べている。しかし一口に自殺者といっても地上人生をどのように送ってきたか、霊的な発達程度はどうか、自殺の動機は何かなど、自殺に至る事情や心情など、考慮すべき条件がケースごとに異なっている。そのため自殺者の死後の状況もそれぞれであり一律ではない。

 

B:利己的要素が強い自殺

一般に自殺の動機に「利己的要素」がより多く付随している者ほど、自殺者の意識は内側に強く向いて閉じられている。いわば本人が作った“思念という厚い壁”が周りを取り囲んでいる状態であり、その壁を外側から砕くことは非常に困難である(→筆者の知人が自殺を決意した。その決意した思念を筆者は“鉄の板”のように感じた。この体験から類推して自殺霊の周りには“鉄の板のような思念”が取り巻いている、それを外から破るのは難しい)。ここに霊界側から救済の手がなかなか届きにくい理由がある。

このようなケースでは自己の“利己性の罪”の償いのため、自ら作り出した「暗黒の世界」に、いわば意識が内側に向いて閉じられているがゆえの暗黒の世界に、長期間閉じ込められることになる。「死んだつもりなのに相変わらず自分がいる」「その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断する」(9209⑩~⑬参照)現象を作り出す。結局、時間をかけてでも本人の意識の変化を待って、内側からその壁を壊していくほかない(→引き籠りも自らの意志で“部屋から出る”という気持ちにならない限り解決は難しい)。

 

C:利他的要素が強い自殺

これに対して自己犠牲的な動機が強い自殺の場合は(9210③参照)、自らの命を絶つ行為に利己性は薄いので、その人の意識は外側に向いて開いている。そのため一旦は暗い世界に落ちるとしても、霊界の救済霊との接触は極めてスムーズに運ぶことになる。

 

D:憑依霊による自殺

これ以外に憑依霊による自殺がある。この場合も自殺者はしばらくのあいだ暗闇で過ごすことになるとしても、自殺の責任は主に憑依霊側にあるので、救済霊との接触がはかられて壁を打ち破ることができる。なお憑依霊を呼び寄せた何らかの“受け皿”が自殺者側にあったとしても、その“受け皿”となった歪んだ性格の矯正は自ら幽界の下層界で行うことになる(→浄化の為の界が下層界の中にある)。一方憑依霊は、本人に憑依して自殺をさせてしまったという行為の責任を負うので、その償いをしなければならない。

 

ウ)殺人の被害者の場合

殺人の被害者は、本人の意に反して無理やり肉体という衣装を脱がされてしまって“学校を中退”する様なもの。殺人の加害者は他人の物的衣装を破壊して“地上という学校”で学ぶ権利を奪ってしまった。意に反して学校を“中退”させられた殺人の被害者は、いつまでも意識の焦点が「学校生活(物的世界)」に向いてしまうことになる。

 

通り魔殺人や自爆テロ・無差別テロなどの被害者は、地上世界から霊的世界への移行理由が「本人の意に沿わない」としても、霊としては速やかに「霊的波長の調整(→霊的波長に感応するために物的波長からの切り替え作業)」を行って、新しい環境に馴染んで行かなければならない。しかし多くの被害者は無理やり他人から命を奪われたことから、なかなか「霊的波長の調整」が完了せず、いつまでも地上時代の生活を引きずってしまうことが多い。

 

エ)死刑の場合

死刑制度は死後の世界に関して何の準備もできていない死刑囚から、肉体を無理やり分離させてしまい、霊界側の問題児である「地縛霊」や「邪霊」を増やしてしまう結果となっている。

死刑を執行された霊の波長は地上人の物的波長に極めて近く、何らかの“受け皿を持つ地上人”との接触がたやすく行われてしまう。その為「怒りと復讐心に燃えた霊」による憑依現象は親和性の法則から多発することになる。地上人の歪んだ性癖や習性がエサ蒔きとなって、そこに親和性を持った邪霊が引き付けられてしまう。

このように死刑制度は単に犯罪者から肉体を奪うだけであって、地縛霊による憑依という形で地上にトラブルのタネを蒔いているにすぎない。このように高級霊からの霊界通信では例外なく死刑制度を批判している(4210⑦~⑩、6150⑧~151③、続霊訓100⑫~101⑥参照)。

 

シルバーバーチは「死刑に処するということは正義からではなく報復心に駆られているという意味において間違いである」(新啓示28⑦~⑧参照)として、正義と復讐を区別するようにと述べている。また別の霊界通信では、肉体を強制的に奪われた死刑囚のその後を「心は汚れ果て、堕落しきり、肉欲のみの、しかも無知なる彼らは、その瞬間、怒りと憎悪と復讐心に燃えて霊界に来る。それまでは肉体という足枷があった。が、今その足枷から放たれた彼らは、その燃え盛る悪魔の如き邪念に駆られて暴れまわる」(霊訓上41⑩~⑬参照)と述べる。

処罰制度には懲罰的要素も必要であるが、同時に矯正的・厚生的な要素も必要である(霊訓上47⑪参照)。死刑囚などの堕落者は「一種の病人」(4巻207⑤参照)であるとの観点から対処する必要がある(→罪人は矯正するか隔離するかのいずれかにすべき:続霊訓101④~⑥参照)。

 

④.ニュースで話題となっている「死」

ア)受胎とは受精時のこと(注5)

A:シルバーバーチの立場

シルバーバーチは“受胎(→内容的には受精時のこと)”の瞬間(846⑤参照)に精子と卵子の接合子(→活性化した物質)に霊的要素が結合して、この時点から個的意識を持った自我意識が始まる(→個別霊としての始期)、それ以降は永遠に個性を具えた存在を維持すると述べる(4巻53⑨~⑪、メッセージ203⑩~⑭参照)。つまり「受精卵(→子宮着床前や子宮着床後の胚)」は個別意識を持った人間であるとの立場である(→当然に体外受精で作られた複数個の受精卵も全て権利の主体たる人間となる)。

 

シルバーバーチが現代人に霊的教訓を説いた頃(1920年~1980年)は、生殖技術の萌芽期であり、『霊訓』では具体的な問題としてはあまり触れられていない。しかしシルバーバーチが述べた「人間の始期を受精時」とする立場からは、生殖医療にまつわる様々な問題の解決の糸口が見つかる。

 

B:カトリックの立場

シルバーバーチが言う「人間の始期を受精時」(453⑨~⑪参照)とする立場について、カトリックの教理でも同じことが主張されている。ヴァチカンの教理聖省が1974年に出した『堕胎に関する教理聖省の宣言』(カトリック中央協議会1975年発行のパンフレット)によれば、「受精の瞬間から人間的生命の冒険が始まる」(6頁)とある。その後ヴァチカンはこの見解を発展させて「ヒト胚の研究利用」や「人工妊娠中絶」等、現代の生命科学が直面する倫理上の問題に関して積極的に自らの主張を展開している(ホセ・ヨンパルト、秋葉悦子共著『人間の尊厳と生命倫理・生命法』成文堂2006年刊参照)。例えば「体外受精で作られた受精卵は人間であり、権利の主体である」「人間の受精卵を意図的に破壊することは特に重大な問題として断罪されねばならない」(カトリック中央協議会発行『生命の始まりに関する教書』1996年第3版、27頁~28頁参照)など。

 

イ)出生前診断、着床前診断、体外受精、受精卵の研究

A:罪悪感の薄い選択的中絶など

<出生前診断>

近年の「生命選択の技術」の進歩は倫理上の新たな問題を生み出した。「出生前診断」では妊婦の血液を採取して(→採取した血液には母体由来のDNAと胎児由来のDNAが含まれている)、胎児由来のDNAで染色体を調べる。染色体の検査から胎児にダウン症などの異常が見つかると、約9割の妊婦が人工妊娠中絶を選択するという(202141日の朝日新聞記事より)。これは病気や障害のある人の存在を否定する「命の選別」と言われている「選択的中絶(→罪悪感の薄い中絶)」のことである。

 

<着床前診断>

さらに遺伝病を防ぐために受精卵の遺伝子を調べる「着床前診断」もある。「着床前診断」では両親から取り出した精子と卵子をシャーレで体外受精させて、受精した受精卵から一部の細胞を取り出して遺伝子を調べる。そして遺伝子に異常のない受精卵を子宮に移植するという方法がとられている。

 

<体外受精>

一般に医療現場で不妊治療の一環として行われている「体外受精」は、複数個の受精した受精卵の中から原則として最も形体の良い一個を選び、それを母親の子宮に戻して着床させる(→体外受精の妊娠率は1020%)。残りの受精卵は妊娠が成功しなかった場合に備えて冷凍保存される。その後不要になった受精卵は廃棄される。日本では廃棄が決まった受精卵を使った研究が行われている(→受精卵の廃棄は胎児となる「物的な表現器官」を破棄する行為である)。報道によれば2017年の総出産数の16人に1人が体外受精によって生まれているという。

 

B:受精卵の臨床技術への応用

受精卵の臨床技術への応用研究は、近年しばしばニュースで取り上げられている。その一つにES細胞(=胚性幹細胞)、受精後5~7日程度経過した細胞を培養してさまざまな細胞を作り出す技術を用いた研究がある(→IPS細胞の場合は生命倫理上の問題は少ない)。ES細胞は主に発生工学(→胚に人為的な操作を加えるとか、受精卵へのDNAの注入など、バイオテクノロジーの一分野のこと)や、再生医療等の研究に用いられる。

 

ゲノム編集技術(→染色体の一部を改変すること)を人間の受精卵に用いて、人為的に人間の容姿や能力を変える「デザイナーベビー」の研究。さらに哺乳類のクローン技術を応用した「クローン人間」の研究などもある。

このような物的身体を操作する研究は、霊は予め選択した「人生のテーマ(→新たな体験を積むこととカルマの解消の二つ)」に最もふさわしい“オーダーメイドの物的身体”をまとって出生する、というスピリチュアリズムの観点から見ても問題がある(注6、注7)。なお物的身体に霊が宿らなければ人間ではない。あくまでも中身のないロボットである。

 

C:不妊体質で生まれた女性の存在

一般に「女性は子供を産んで一人前であり、子供を持つことが女の幸せである」とする世間からの暗黙の圧力がある。そこに近年の医療技術の発達、さらにマスコミの影響も加わって、不妊治療を受ければ誰でも母親になれるという安易な風潮が出来上がってしまった。

医療の世界では、妊娠したくとも妊娠できない、そのことを苦痛に感じて来院した人の病名を“不妊症”と呼んでいる。従来から“原因不明な不妊”は「妊娠を望んでいるカップルの10組に1組の割合で存在する」と言われている。いわば妊娠しにくい体質を持った人たちの存在である。医療関係者によれば、現状は多額の費用をかけて“不妊治療(タイミング法→人工授精→体外受精)”を受けても、妊娠する確率は1020%であるという。

 

スピリチュアリズムの観点からいえば、再生人生を“不妊体質という身体”で地上体験を積むとして、自ら選択して生まれてきたにもかかわらず、妊娠したいと望むその動機は何かが問題となるであろう。動機面から言えば子供を持つことによって、自分たちを人間的に成長させたいと願うカップルも存在する。この場合は実子ということに拘らなければ、子供を養子に迎い入れて共に成長していくという選択肢もある。

 

体外受精に伴う余剰受精卵の廃棄(→受精卵を破壊する“ES細胞の研究”含む)や「出生前診断」「着床前診断」、さらには「代理出産」(注8)や「中絶・流産」(注9)の問題などは、デリケートな扱いが必要なテーマである。

 

ウ)罪悪感のある妊娠中絶

人工妊娠中絶は「罪悪感ある中絶行為」と、選択的中絶や受精卵の破棄などといった「罪悪感の薄い中絶行為」とに分けることができる。

母親の動機面から「人工妊娠中絶」を見れば、ライン上の一方の端に極めてエゴイズムの強い中絶があり、そこから徐々に動機面で考慮すべき要素が入って来て、その対極に母胎の保護のための緊急避難的な中絶がある。このように妊娠中絶といってもその内容はさまざまであるが、高級霊は一様に妊娠中絶行為を「物的身体を奪う殺人と同じ」(8131②~⑩、最後啓示94⑤参照)であると述べている。しかしその際に当然に「動機は何か」が考慮されるが(8131⑥~⑦参照)。

 

エ)安楽死、延命処置、尊厳死

A:安楽死

安楽死の定義は「医師が直接薬剤を投与することにより患者を死亡させること」(→積極的安楽死)である。日本で行われた安楽死裁判では、関与した医師は「嘱託殺人(→患者の嘱託を受けて死期を早める医学的処置を行う)」や「承諾殺人(→患者の承諾を得て医学的処置を行う)」の罪に問われている。

 

シルバーバーチは「回復の見込みがない患者(→植物状態の患者や不治の患者、筋萎縮性側索硬化症・ALS患者など)」を人為的に死なせる安楽死は、当然のこととして認めていない。なぜなら死後に備えの出来ていない霊に一種のショックを与えてしまい、そのショックが何かと良からぬ影響をもたらしてしまうことになるから(448⑦~⑨参照)。さらに植物状態になっていても、本人自身が何らかの学びをしている場合があること(最後啓示155⑪~⑬参照)。または周りの家族に対して何らかの学びをさせていることも考えられるから(→菩薩行、消極的な利他的行為)。

 

B:延命処置を施すこと

シルバーバーチは患者に延命処置を施すことに関しては問題ないという。なぜなら霊は肉体を去るべき時が来れば、どのような医学的処置を取ろうが肉体から離れていくので、延命処置の効果は「ある程度までのこと」(449⑧~⑩参照)であり、いわば「寿命の範囲内のこと(=寿命の糊代部分)」だからと述べる。

 

C:尊厳死

尊厳死は“医師の行為の妥当性の問題”と“患者本人の動機の問題”とに分けて考えて見る必要がある。医師が患者の苦痛を和らげ除去する以外の延命のための治療を行わない行為(→栄養補給のカンフル剤は用いる)、いわば静かに死を待つだけの医療行為に関しては、人は「死すべき時が来れば死ぬということ」であり問題はない。

 

これに対して患者本人は何のために「延命のための医療は望まない(=リビング・ウィル)」で尊厳死を望むのかという問題がある。その理由の一つに医療費という経済的な問題があると思われる。また多数の生命維持装置等によって無理やり命を永らえさせられる状態(スパゲッティ症候群)に対する忌避もあろう。

典型的な尊厳死と言われた元米国駐日大使のE・ライシャワーの死(肝臓がん)は、「神から与えられた自らの命は、神の導きのまま自然死を迎え、それで神の下に帰る」であった。結局のところ「尊厳」という言葉にどのような意味を盛り込むのか、リビング・ウィルを望む本人の動機は何か、という問題に帰着するであろう(注10)。

 

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<注1>

■『柳田国男事典』(勉誠出版1998年)の「山の神・田の神」の項目には、先祖と子孫の交流については「人は亡くなると祖先神となって山に鎮まり自然神である山の神となる」「春先には里に降りて来て田の神となり、子孫の農耕生活を守護し、そして秋の収穫後は再び山に戻って山の神となる」として、地上にいる一族との間で行き来するとの記載がある。

 

<注2>

■仙台で在宅緩和ケアを行っている医師たちは、2003年から2007年にかけて行ったアンケート調査をまとめて、それを2008年に東京大学大学院の研究誌『死生学研究、第9号』(20083月)に「現代の看取りにおけるお迎え体験の語り――在宅ホスピス遺族アンケートから」として掲載した。

2008年以前は、医療関係者の間では患者の「お迎え現象」を目撃しても、それを公表することが憚れる、そんな雰囲気が職場にはあったという。このアンケート調査が公表された以降は、医療関係者の間で「お迎え現象」が注目されるようになってきて、ここ10年余りで職場の雰囲気に変化が生じてきたという。

 

■心理学者のカーリス・オシス(1917年生、哲学博士)は、1961年から1964年にかけてアメリカ東部5州に住む医師・看護師各2,500名を対象にした大規模な調査を行った(5,000通の調査票の内1,004通が回収された)。さらに1972年から1973年にかけてインド北部で医師と看護師にインタビューをして、704通の調査票が得られた。

回収された1,700通余りの調査票を分析して、臨終時の体験は「大半が薬物や高熱や脳の疾患とも無関係」また「性別、年齢、宗教とも無関係」であること。さらにこれらの現象は「患者のお迎えという明白な目的を持っており、精神病的な幻覚とは大きく異なる」と述べている。日本における調査結果と類似するが「霊姿は必ずと言ってよいほど、死後の世界から訪れた使い」として、「大多数は他界した肉親であった」という。このようにオシスの調査から「お迎え」には、アメリカやインド北部、さらには日本との共通性が窺えて興味深い(K・オシス、E・ハラルドスン『人間が死ぬとき』たま出版1979年刊)。

 

<注3>

■肉体、霊体

地上でまとう「肉体は各種のバイブレーションの固まり」であり、霊的世界でまとう霊体は一段と精妙なバイブレーションで出来た身体。「(霊的世界でまとう)身体は、死後下層界を旅するのに使用され、霊的に向上するにつれて、更に恒久性のある崇高な性質を帯びた身体へと転換される。この過程は延々と限りなく繰り返される」(彼方2127①~③参照))。地上の人間には肉体よりバイブレーションが高い霊体をまとった幽界の下層界の住人の姿は見えない。

 

<注4>

■あの世とは霊的な波長・バイブレーションが、低い段階から高い段階へとグラデーション的に変化する一つの世界、霊的な世界のこと。この広大な「霊の世界(広義の霊界)」を分かり易く表現する為に、地上と接する界層を特別に「中間境(幽界の下層界の一部)」と呼ぶ。その上の界層を順次「幽界の下層」「幽界の上層」「霊界(狭義)」などと呼ぶ。

従ってこの世からあの世へは「A:物質の世界」→「B:中間境(物的バイブレーションから霊的バイブレーションに転換する為の界)」→「C:幽界(下層界、上層界)」→「D:霊界(狭義)」と連続して繋がっている。ABより、BCより、CDよりバイブレーションが低い。それぞれ下位の者から上位の世界は見えない(→例えば母親は子供がつく嘘は良く分かる。なぜなら上から下は心の内がよく見えるから。しかし子供は母親のもっともらしい嘘は見抜けない)。

 

<注5>

■生命倫理上の問題(モノか人間か):質問事項に対する回答

現状では体外受精で子宮に戻されなかった余剰受精卵や異常があった受精卵は、廃棄されるか“ヒトES細胞”などの胚の研究に利用されている。

なぜならこれらの受精卵は着床前でまだ胎児にもなっていない“モノ”だからとされる(→子宮に着床する前の初期の胚は、受胎・妊娠前だからモノとされる)。

その有力な根拠としてオーストラリアの哲学者ノーマン・フォード(サレジオ修道会の神父)が唱えた説がある。彼によれば「14日目までの胚は一卵性双生児になる可能性があるから、まだ人の個体ではなく“細胞の塊”にすぎない」と。さらにイギリスのワーノック委員会が1984年に発表したワーノック報告の「受精後14日までの胚は原始線条がまだ発現していないことから、自己同一性を持った個体とはみなされない」の存在も大きい。

 

これらの説を受けて多くの国では「人間の始期」を、原始線条の出現期以降(受精後約2週間)とする考え方が胚研究の国際基準となっている(→但しイスラム教では受精後40日と説いているという)。ワーノック報告の背景には、英国国教会では体外受精に対して条件付容認を取っていることがあげられている。なおカトリック教会では人工授精・体外受精・胚の研究は認めていない。

 

<注6>

■大枠としての地上人生を「本来の私」は承知している

A:最初に「①再生人生テーマ」を選ぶ(→新たな体験を積む事、カルマの解消を図る事)

B:次に再生人生の中でテーマを達成するために最も適した「②試練」を選択する、例えば大きな試練の括りとして「人間関係」「様々な物欲」「性にまつわること」等を選択する

C:試練に挑戦するに最も適した「③長さ・寿命」を決める(→寿命には糊代部分がある)

D:上記に最も適した「④民族、性別、両親、体質、障害等のハンディキャップ」を決める

E:地上に再生した「現在の私」は上記“①~④の大枠(→本来の私が自由意志で決めた大枠は、現在の私から見れば宿命となる)”の中で、現場サイドの自由意志を行使しながら再生人生のテーマに果敢に挑戦していく

 

<注7>

■潜水具を使った例え(本来の私と現在の私の関係)

19世紀、海底での作業は困難を極めた。海上に停泊している支援船から伸びた呼吸用のホースを、頭部をすっぽりと覆う鋼鉄製の器具(→金魚鉢をひっくり返した形状)に接続して、それを頭部に装着して海底作業を行っていた。これを例にして説明する(→船上にいる私を「本来の私」、海底作業をしている私を「現在の私」、潜水具を「肉体」とする)。

 

Aは地上世界で生活(→いわば“海底”での作業)するためには肉体をまとって(→潜水具を装着して)、本来の意識レベルを落として地上体験を積まなければならない(→海底で体感する水圧と酸素不足から朦朧とした意識状態の中で、予め決められた手順で作業を行う為)。肉体(→潜水具)は「本来の私:A」が地上世界で自己表現(→海底作業)するためにまとう形体である。「現在の私:A-1」はもどかしい状態の中で地上体験を積んで、寿命がきて霊界に帰り本来の意識状態を取り戻す(→作業時間が経過して支援船に戻る)。

 

この海底で作業をしている制約された私の意識状態を「現在の私:A-1」とし、作業を終えて支援船に戻ったときの私の意識状態を「本来の私:A」とする。意識面から言えば「A―1」はAの限定された意識であり(→酸素不足でもうろうとした状態にある意識)、「本来の私:A」の意識の一部である。この「A―1」の作業能力の限界は、潜水具の性能向上にもよるが、Aの持つ能力(→霊的レベル)が限界となる。

 

<注8>

■代理出産

不妊には母親の卵巣や卵管には支障がなく排卵は正常に行われるが、子宮に異常がある場合に不妊となるケースがある。この場合にとられる選択肢の一つとして「代理出産」があり、これには人工授精型と体外受精型がある。人工授精型は依頼者側の夫の精子を代理母の排卵日に子宮に直接注入して妊娠(受精)させる方法である。遺伝的には夫の遺伝子と代理母の遺伝子の双方を持つ子供が誕生する。

これに対して体外受精型では依頼者夫婦の精子と卵子を体外で受精させて、受精した受精卵を代理母の子宮に移植して育てる方法である。生まれてくる子供の遺伝子は「夫と妻」の双方とも一致する。代理母は単なる“貸し腹”ということになる。

 

代理出産が「人工授精型代理出産」であろうと「体外受精型代理出産」であろうと、双方には次のような問題が指摘されている。代理母と胎児との絆は確実に日々強まっていくこと。妊娠中における代理母には、肉体上のリスクの存在があること。代理母の家族(夫や子供)に及ぼす影響があること。障害を持った子の出産や希望した性別と異なった子の出産に、依頼者側が赤ん坊の引き取りを拒否した問題がアメリカでは起きていること。体外受精型代理出産には何人もの父親や母親が出てくる可能性があるなど、代理出産には問題が多い。

 

<注9>:講座終了後の質問者に対する回答

■水子供養とは

中絶、流産、死産によって「胎児霊」となったものを一般に「水子霊」という。水子を供養する風習は江戸時代からあった。1970年代に水子供養が盛んになった。その理由は、日本における民俗文化の一つである「供養や祟り」という概念と、「利潤追求」や「宗派拡大」などの世俗的な行為、そして「水子霊」という三者が意図的に結びつけられたからと言われている。この結果、水子が母親にすがって霊障や祟りを引き起こすという観念が出来上がって、いわゆる「水子が祟る」という言葉となって急激に広まった。

この祟りを前面に持ち出した霊能者や宗教団体などが女性の不安感をあおり、そこに乗じて高額な水子地蔵の販売を行った。または祈祷や除霊により水子の霊障を取り除くという供養スタイルを行った。このような形で霊感商法が盛んになって社会問題となった。

 

■水子供養の背景

研究者は水子供養が盛んになった背景を次のように述べている。

1960年代後半から1970年頃にかけて、社会意識が大きく変化したこと。

1948年に制定された優生保護法(現在は母体保護法)の存在が背景にある。これによって人工妊娠中絶の件数が急激に増加したこと。

・日本では人工妊娠中絶は刑法の堕胎罪(刑法212条~216条)によって禁止されているが、母体保護法(旧:優生保護法)第14条に該当する場合のみ、違法性が阻却されて中絶が認められている。現実には「母体保護法第14条①」の「妊婦の健康上の理由」を根拠として、合法的な形で中絶が行われている。

・科学技術の発達によって「超音波健診技術」が出現した。これによって流産胎児に対して従来の「単なる血のかたまり」というモノ的発想から、胎児を人間として扱うという意識の変化があり、この変化が「胎児を供養する」という行為に繋がった。

・この時期、宗教団体や霊能者が水子供養を大体的に宣伝した。

・人工妊娠中絶を行った女性の心理的な負い目、水子に対する懺悔の気持ちがあること。

 

■「水子の祟り」とは何か

高級霊からの霊界通信によれば、霊的世界には胎児霊のための“特別な養育所”が存在しており、この救済システムが完璧に機能しているという。この点から考えても世間で言われている“水子の祟り(→胎児霊の祟り)”はあり得ないことが分かる。さまざまな不幸や霊障が身の回りで起きるという“水子の祟り”を霊的観点から見れば、次のようなことが言える。

 

<親和性の原理から>

胎児霊が母親に憑依してくるのではなく、母親は「親和性の法則」によって自らの霊的波長に見合った地縛霊や邪霊を呼び寄せているケースである。この親和性によって引き寄せた地縛霊や邪霊が、母親に憑依する際に胎児霊や動物の姿に変化する場合がある(変化霊)。この状態を霊視した霊能者が相談者に水子が祟っていると述べるケースである。この他に霊能者の妄想のケースや、さらに悪質なものとして胎児霊が付いていると欺罔して、何らかの意図(経済的利益や宗派拡大など)を実現する場合もある。根本原因は母親の霊性レベルの低さにあるので、高める努力をすれば地縛霊や邪霊と波長が合わなくなって離れていく。

 

<因果律の問題から>

母親の精神的や肉体的な摂理違反行為、たとえば「暴飲暴食、荒れた生活、わがままな態度など」が原因となって、身の回りに様々な不具合という形で表れる場合がある(→何らかの原因を作れば、その原因に見合った相応の結果が生じるという関係)。それを“胎児霊の祟り”としているだけである。母親の生活を正せば自ずと解決していくことが多い。

 

<注10

■一般社団法人日本尊厳死協会が発行するパンフレットによれば「終末期医療の希望文書を作成しておくことに医師の7割以上、看護師の8割以上が賛成(2013年厚労省調査)している」。協会では現在「本人の意思を尊重した終末期医療と、それに携わる医師の免責を保証した尊厳死の法制化に取り組んでいる」という。

 

■協会の「尊厳死の宣言書(リビング・ウイル)」は以下のような文面となっている。

――私は、私の傷病が不治であり、かつ死が迫っていたり、生命維持処置なしでは生存できない状態に陥った場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言いたします。この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。したがって、私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、または撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。

①.私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死が迫っていると診断された場合には、ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命処置はお断りいたします。

②.ただしこの場合、私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な緩和医療を行ってください。

③.私が回復不能な遷延性意識障害(持続的植物状態)に陥った時は生命維持処置を取りやめてください。

以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従ってくださった行為一切の責任は私自身にあることを付記いたします。――

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

 

第1講:スピリチュアリズムの基本――霊的摂理について <講義用ノート>

目 次

1.スピリチュアリズムとは

・「霊魂説」を認める立場のこと

・スピリチュアリズムの位置関係

・スピリチュアリズムの普及運動

・自然発生的なスピリチュアリズム

・近代スピリチュアリズム

 

2.スピリチュアリズムの「世界観」

①.シルバーバーチの神に対する考え方

・創造説

・神と人間の間に摂理が介在する

②.霊界人の神観

・神はその働きによって知るのみ

・比喩「曇り空でも太陽の存在は感じられる」

 

3.基本的な霊的法則

①.因果律

・因果律の目的は霊性の進化

・「因・縁・果」の関係

・因果律は国家や民族に対しても働く

・複合的に働く因果律

・「因果律の拡張」と「業因縁の継承」について

②.一般的な愛

・愛の多様な形態

・血縁重視の利己的な愛と利他的な愛

・地上に通信を送る霊

③.自由意志

・自由意志を使って霊性の向上を目指す

・自由意志と宿命との関係

・自由意志の行使という二つの側面

④.親和性

・基本的な法則

・憑依(親和性の法則の一種、負の親和性)

⑤.知識には責任が伴う

 

<注1>~<注10

 

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1.スピリチュアリズムとは

ア)「霊魂説」を認める立場のこと

一般に「Spiritualism(スピリチュアリズム)」は「心霊主義」や「心霊学」などと訳されてきたが、現在では英語の発音表記そのままに「スピリチュアリズム」と訳されている。なお「心霊主義」とは霊魂の実在を前提とした説である。具体的には「死後の世界の存在」を前提として「死後も人間の個性は存続する」こと、さらに「死者との交信を認めてあの世とこの世は交流している(→プラスに働けば霊からの有益な情報がインスピレーションとして届く、マイナスに働けば憑依現象となる)」ことを信じる「霊魂説」(注1)を肯定する立場のことを言う。

 

シルバーバーチは「スピリチュアリズム」とは知識のことであると述べる(7175⑧参照)。知識であるが故に「スピリチュアリズム」を「商売の手段」や「娯楽の手段」として世俗的に用いる人、あるいは日常生活に霊的知識を生かすことをせずに、一般的な知識の一つとして「引き出しに仕舞い込む人」も当然に出てくる。

 

イ)スピリチュアリズムの位置関係

A:全体の位置関係

 

宗教・信仰(信念重視) ← スピリチュアリズム思想・哲学

                   ↑↑

        スピリチュアリズムの土台部分(霊魂説) → 科学(実証重視)

 

 

B:「実証重視」と「信念重視」という二面性

一般に「近代スピリチュアリズム」の位置関係は「右隣りには実証を重視した科学の世界」が広がっており、反対側の「左隣には信念を重視した信仰・宗教の世界」が広がっていると言われている。そのため「実証を重視するスピリチュアリストは、科学へ傾斜する」傾向を強め、「信念を重視するスピリチュアリストは、信仰へ傾斜する」傾向を強めていく。このようなスピリチュアリズムの「実証重視」と「信念重視」という二面性は、スピリチュアリストだけに留まらず、証拠に対して求める“厳密さの程度”にも違いが現れている(注2)。

 

C:いわゆる「事実」としての「霊魂説」

19世紀後半の西洋社会でブームとなった「家庭交霊会」では心霊現象が頻発して起きた。この心霊現象は間もなく科学者の目に留まり、広く関心を呼び起こして科学的な調査研究の対象となった。当時の一流の科学者の調査研究によって心霊現象の仕組みが明らかとなって、その結果「霊魂説」が確固たる「事実(=いわゆる事実として)」として打ち立てられた(→スピリチュアリズムでは「霊魂説」を「スピリチュアリズム思想の土台部分」として位置付けしている)。

この「スピリチュアリズム思想の土台部分」である「霊魂説」は、実証重視の科学の世界へと繋がっている。そして各種心霊現象を調査研究する「心霊研究」として発展し、その後「超心理学」と呼ばれるようになって学問分野の一角を占めるに至っている。

 

D:スピリチュアリズム思想

この「霊魂説」の上部構造に高級霊から霊界通信によってもたらされた「スピリチュアリズム思想(→神の啓示をまとめた総合的思想:続霊訓43⑭参照)」がある。この「スピリチュアリズム思想」には「人生をどのように生きるべきか」や、人生に於いて遭遇する「困難や苦難にどのように対処したらよいか」など、人の生き方を深く掘り下げて考えてみる際のヒントが散りばめられている。

 

高級霊が述べているように「知識には責任が伴う」ことから、「スピリチュアリズム思想」を学んで知識の分量を増やしていくと、次第にその人の「生き方が問われてくる」ことになる。いわば生き方の「質的な転換(→知識から生き方へ)」を迫られることになるわけである。この「質的な転換」は個々人の自由意志にゆだねられているが、なかには「スピリチュアリズム思想」をこの世を生き抜くための「生き方の指針(=実践哲学、信仰)」にまで高めていく人も出てくる。そのため上部構造たる「スピリチュアリズム思想」は信仰と相性が良く、宗教の世界へと繋がっている。

 

E:質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism

このようにスピリチュアリズム思想には、各自の生き方を変えて個々人の集合体である社会をも変えていく力がある。ここには多くの人が理解する物的指向の強いこの世的な幸福追求型の「世俗的なスピリチュアリズム(=現世利益的なスピリチュアリズム)」といったイメージは全くない。むしろ“霊的知識の体系”を自己の生き方に活かして霊的成長を図るという「実践哲学」的な意味合いが強く見えてくる。そのため本稿ではスピリチュアリズムを「世俗的なスピリチュアリズム(=現世利益的なスピリチュアリズム)」としてではなく、霊的知識を自己の霊的成長に活かしていく「質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」として用いている。

 

ウ)スピリチュアリズムの普及運動

(近代)スピリチュアリズムは19世紀半ば以降(558③~④参照)、霊的知識を日常生活に生かして個々人の意識を変えていく運動、霊界主導で「地球を霊的に浄化する」目的を持った普及運動として、顕幽二つの世界で同時に展開している。シルバーバーチは「地上だけでなく霊界でも大変な規模で布教活動が行われている」(道しるべ199⑤~⑥参照)と述べている。

 

この世では霊的知識を普及させて、「人間は霊的存在であり、肉体はこの世で生活するための“制服”である」という意識に目覚めさせる「意識の変革」運動として。他方幽界の下層界では“物的指向が強い霊”や“浄化の界層にいる霊”に対して、「霊的自覚(→霊として今“何を為さなければならないか”という自覚)」を持たせていく運動として展開している。なぜなら“狂信的な宗教信者”は、死んでも「霊的自覚」が芽生えるまでは地上時代そのままの意識状態を保っており(→慣性の法則を参照)、霊界から親和性のある地上人に「教唆や幇助」という形で影響を及ぼしているから。

高級霊は地上世界で展開しているスピリチュアリズムの普及運動は「霊界主導」であり、「地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけである」(霊訓上203⑱参照)と述べる。

 

エ)自然発生的なスピリチュアリズム

A:霊魂不滅

霊魂(=意識)は肉体が滅びても永遠に存在するという考え方、つまり「死者の霊魂」や「死後の世界」を前提とした「霊魂不滅」という考え方は、洋の東西を問わず古代から存在してきた。この「霊魂不滅」を前提として祖先崇拝や輪廻転生説が生まれた(注3)。

日本の古代社会では霊魂を「たま」と呼び、死者の霊魂と人間との間を取り持つコミュニケーションの媒介者を「口寄せ」と呼んでいた。この「口寄せ」が「神憑り」して、顕幽の橋渡しを行っていた。旧約聖書(サムエル記上28、イザヤ書8参照)などにも死者の声を聴く「口寄せ」や霊媒の話が登場するので「神憑り」現象は日本だけの話ではない。

 

B:科学的検証が伴わないスピリチュアリズム

このような古代から世界各地に存在してきた「死者の霊魂」や「死後の世界(他界)」を前提としたコミュニケーションを「自然発生的なスピリチュアリズム(=素朴なスピリチュアリズム)」と呼ぶことにする。近代スピリチュアリズムの「霊魂説」の観念と共通した部分が多いが、ここには多くの「迷信・俗信」や「詐術・錯誤」が混在している。

 

オ)近代スピリチュアリズム

A:ハイズヴィル事件(=フォックス家事件)

ハイズヴィル事件(=フォックス家事件)とは、18483月にハイズヴィル(→アメリカのニューヨーク州ロチェスター近郊の寒村)で、幽霊が出ると噂のある木造の家で起きたポルターガイストのこと。その家にフォックス家の両親とその姉妹(マーガレットとケイト)が1847年に引っ越してきた。始めのうちは何事もなかったが翌年18483月以降、ラップ音や家中の家具が動くなどの現象、ポルターガイストが連日起きた。

 

331日の夜にひときわ大きなラップ音が発生したので、姉妹が手を叩くという方法で通信を試みたところ、霊側からラップ音による返答があった。さらには“アルファベットの文字”を使って通信が行われたことによって霊の身元が判明した。

被害者の霊はチャールズ・B・ロスマ(31歳)という名前の行商人であり、5年前この家に住んでいた住人に包丁で喉を切られて、所持金の五百ドルを奪われて殺害された。さらに死体は階段を引きずられて地下室の土間に埋められた、ということが判明した。翌日、霊からの情報を基に地下室の床を掘って調査を始めたが水が湧いてきたため中止。その年の夏に作業を再開、僅かな人間の頭髪と人骨が現われたが、殺害された行商人のものと断定するまでには至らなかった。

 

B:物証発見

ハイズヴィル事件の56年後に急展開があった。1904年11月に“お化け屋敷”の地下室で遊んでいた小学生たちは、地下室の崩れた新旧の壁と壁の間から完全な白骨化した死体を発見した。通報により家の所有者が調査したところ、死体の傍から当時の行商人が金銭を入れて持ち歩いていたブリキ缶が発見された。このような物証から白骨死体は1848年にフォックス家の姉妹とラップで交信した行商人とされた。この白骨死体発見のニュースは、当時の新聞に載っている(→19041123日付『ボストン・ジャーナル:Boston journal』に1904年11月22日ロチェスター発の記事として掲載された)。

 

C:科学的検証を伴った心霊ブーム

1848331日の幽霊との通信がきっかけとなって、各地に心霊現象を起こすことのできる霊媒が次々と現れた(→日本では1970年代ユリ・ゲラーのスプーン曲げがテレビで放映され、これがきっかけとなって各地に能力者が出現した。古くは明治441月の千里眼事件に触発されて、“月の裏側の念写”で有名な三田光一など、念写や透視ができる霊能者が次々と出現した。この状況と同じ)。

1870年以降、当時の一流の科学者を巻き込んだ調査研究によって、次第に心霊現象の仕組みが明らかとなってきた(注4)。この調査研究は「科学的検証を伴った心霊ブーム」に道を開いて、1882年のSPR(英国心霊研究協会)創設に繋がった。

 

D:霊との交信は科学的に証明が可能

このような多くの学者の科学的検証によって「霊魂説」が次第に「証明」されてきた。ハイズヴィル事件(1848331日)以降の「この世とあの世の交信は、科学的に証明が可能」を強調するスピリチュアリズムを、従来の自然発生的に存在するスピリチュアリズムと区別する意味で「近代スピリチュアリズム(=新スピリチュアリズム)」と呼んでいる。田中千代松著『新霊交思想の研究:改訂版』共栄書房1981年刊、8頁⑭~⑮では「死者の霊との交信が科学的に可能であるという確信の上に立っている」とある。

 

2.スピリチュアリズムの「世界観」

①.シルバーバーチの神に対する考え方

ア)創造説(注5)

A:全ての存在に宿る

シルバーバーチの「神観」は唯一絶対的な創造者が宇宙を創ったとする「創造説」の立場に立つ(1196⑤、3184⑪~⑫参照)。この立場に立って(→神とは全存在の第一原理:霊の書22④参照)、シルバーバーチは被造物のすべてに創造者である神が宿っているとして「神は全生命に宿っております。全存在の内部に宿っております。全法則に宿っております。神は宇宙の大霊です・・・神は全存在です」(5140⑪~⑫参照)と述べている。

これは全ての“存在”の中に、“霊(神の分霊:注6)”と“霊が顕現する場所(意識、霊の外皮、魂)”が二重構造(ワンセット)となって組み込まれているということを意味する。

 

B:個別霊の場合

この二重構造となっている“霊(神の分霊)”と“霊が顕現する場所(意識、霊の外皮、魂)”との関係、すなわち顕現状況は個々人によって異なっている。

霊の顕現の度合いが高い霊とは、神の属性(→親切、同情、慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善、愛など:1巻19⑧~⑨、1巻155①~②参照)が形体からより多く滲み出ている高級霊であり、低ければ「残虐性、野蛮性、傲慢さなど」が形体からより多く滲み出ている低級霊である。

 

C:動物の場合

動物の場合では“集合魂(=霊の外皮、意識、霊が顕現する場所)”に潜在している“霊”の顕現の度合いが相対的に高ければ、その集合魂(→例えば丼ぶりなどの器)から派生する“個々の存在(→丼ぶりに盛られたイクラの一粒)”がまとう物的形体は、より個別化が進んだ高等な動物となる(→遂には類魂意識を持つまでに進化して、地上世界で“個々の存在”がまとう形体は哺乳類となる)。これに対して顕現の度合いが相対的に低い場合は、集合魂を構成する“個々の存在”がまとう物的形体は、生物学でいうところの「進化体系(人間→哺乳類→鳥類→爬虫類→両生類→魚類→昆虫→単細胞生物)」の中で“低いランク”の形体をまとうことになる。

 

D:自然界の場合

当然に自然界の中にも“霊(神の分霊)”と“霊が顕現する場所”が二重構造になって組み込まれている。顕現の度合いが低ければ、地球の誕生当時に見られたような大規模な噴火・嵐・地殻変動などを伴った荒々しい表情を見せることになる。地球は誕生して以降も進化し続けている。現在では荒々しい自然現象の頻度は低くなって穏やかな表情を見せているが。

このような自然界から、人はその背後に潜在的に宿っている“霊(神の分霊)”の存在を感じ取り、畏敬の念を抱くことになる(→自由意志を持った人間世界とは異なって、自然界からはストレートに神の存在を感じ取ることができる。それが自然崇拝へと繋がった)。

 

このように霊的世界は“全存在の内部”に潜在している“霊(神の分霊)”が、“顕現する場所(意識、霊の外皮、魂)”に顕在化している度合い(0%~100%)に応じたヒエラルキーの世界となっている(→大まかにいえば「人間→動物→植物→自然」という階層構造で)。

 

イ)神と人間の間に摂理が介在する

A:公平性の確保

シルバーバーチは「摂理の神」(→神とは摂理のこと:福音47⑫参照)を強調する。図式的に言えば「神→神の摂理⇔万物」となる。この神観では「神」と「人を含む一切の万物」は直接相対することはなく、両者の間には必ず「神の摂理(=法則)」が介在する。そのため万物を分け隔てなく平等に扱うことが出来るので御利益信仰は起こりようもない。なぜなら何人たりとも「神の摂理」に則れば霊的成長がもたらされ、逆らえば霊的成長が損なわれることになるから(→いわば神の摂理という川の流れに沿って生きるのか、それとも逆らって生きるのか。そこには人間の自由意志が介在する)。

 

B:人格神の否定

シルバーバーチは、神は人間的憤怒に動かされるような人間的存在ではない(372⑨~⑩参照)とか、「生身の一個の人物を絶対服従の対象としてはいけない」(386⑫参照)、神は個的存在ではない、人物的存在でもない(11108①参照)と述べて、現人神や人格神を否定している。さらに「大霊(神)による直接の関与などというものは絶対にありません。あなた方が想像なされるような意味での人間的存在ではないのです」(到来46⑩~⑪参照)と述べて、神の直接関与(神⇔人間)を否定している。

 

神と人間との関係は「神とは法則なのです。あなたが正しいことをすれば、自動的にあなたは自然法則と調和するのです」(779⑫~80②参照)と述べているように「神⇒摂理(法則)⇔人間」である。シルバーバーチは「摂理の神」を前面に出すことによって、奇跡や依怙贔屓等による例外規定は一切存在せず、人間を含めた万物に公平に神の愛が行き渡ることになると説く。このように人間側から見れば神は法則として現れるので(→法則の裏側に神がいる)、神は法則ですと述べた(→神は全法則に宿っている:5140⑪参照)。

 

C:祈りと摂理の関係

上記のような「神⇒摂理(法則)⇔人間」という神観が普及することによって、多くの信仰者が抱いている「神⇔人間」という、人間が神に直接相対する神観は誤りであることが明らかになっていく。人が何を信じようと、どのような信仰対象を持とうと、その対象に対して何を祈ろうと本人の自由だが、祈りが霊的摂理に合致していなければ叶えられない点だけは事実である。霊的真理が普及していくに従って、この点が明確となって行く。

したがって既成宗教の神観が霊的真理に則った神観に転換されない限り(注7)、宗教の独善主義や排他主義はなくならない。このようにして霊的真理が普及して霊的観点から見た“本来の神観”が理解されるに伴って、従来の“御利益信仰的な神観”が質的に変革されることになり、地上世界が大きく変わっていくことになる。

 

D:祈りの対象と忠誠を捧げるべき対象

シルバーバーチは祈りの対象は神であると述べる(11113⑩~⑪参照)。なぜなら祈りとは、神の分霊である自己とその始源との一層緊密な繋がりを求めるための手段であるから(12125⑪参照)。従って神の使者である高級霊やイエスを祈願の対象とするのは間違いとなる(語る159⑦参照)。

 

これに対してシルバーバーチは忠誠を捧げるべき対象を「宇宙の大霊すなわち神と、その永遠不変の摂理」(メッセージ165⑮~⑯、7207③~④参照)であると述べて、祈りの対象とは区別して用いている。なぜなら祈りの照準は当然に「神」でなければならないのに対して、個別霊が永遠の旅を続けていく為には「流れに乗る」という意味で「摂理」に合わせる必要が出てくる。そのため忠誠の対象として「神」に「永遠不変の摂理(統治の手段)」が加わった。

 

②.霊界人の神観

ア)神はその働きによって知るのみ

肉体をまとった人間的存在の段階では直接に神を認識することは不可能である。一方霊界人にとっても「神はその働きによって知り得るのみ」であるという。シルバーバーチの霊性レベルでさえも「私はまだ宇宙の最高の顕現を見たと宣言する勇気はない」(6128⑨参照)として、神の最高の顕現を見ることはできないと述べている。

 

イ)比喩「曇り空でも太陽の存在は感じられる」

モーゼス著『霊訓』のインペレーター霊によれば「(地上にいた時より)神については(多くを)知ることを得た。が、神そのものを直接には知りえぬ」「われらにとっても神はその働きにより知り得るのみ」(霊訓上38⑬~⑮参照)と述べる。さらに「たとえ(神を直接に)拝したことはなくとも、われらはその御業を通じて神の奥知れぬ完璧さをますます認識する」「われらは無数の方法で、その存在を認識する」(霊訓下31④~⑥参照)という。

 

一般に用いられている比喩を使って表現すれば、「雲が重く垂れこめた曇天の日や雨の日であっても、私たちは昼間の明るさを通して太陽の存在を実感として感じ取る。雲に隠れているから、雨が降っているからといって太陽は存在しないとは誰も言わない」となる。

 

3.基本的な霊的法則

①.因果律

ア)因果律の目的は霊性の進化

国語辞典では「因果律とは一切のものは原因があって生じ、原因が無くては何ものも生じないという原理」(広辞苑)とある。

シルバーバーチは「(因果律とは)原因はそれ相当の結果を生み、自分が蒔いたタネは自分で刈り取る」(182③~④参照)ことであり、数多くある霊的法則の中でも基本的な法則の一つである。そして因果律の根本には霊性の進化という目的があるため(1180⑥~⑦参照)、高級霊といえども“原因と結果”の過程に介入することは出来ないという(7186⑪~⑫参照)。そのため行為者は永遠の旅路のどこかの時点で、必ず「蒔いたタネの刈り取り」を行うことになる。必ずしも短い「地上生活期間中に(因果律が)成就されるとは限らない」(1179⑪~⑫参照)と述べる。

 

イ)「因・縁・果」の関係

A:仏教の「因・縁・果」

百科事典の解説では「(仏教では)因と果との直結を排して、その間に条件をたてる。その条件を縁と言う」(日本大百科全書)との記載がある。例えば“モミ(因)”を蒔いても、それだけでは“稲穂(果)”は実らない。タネを蒔いてそこに“日光、水、土、温度などの条件(縁)”が全て揃って、初めてモミは芽を出し成長して稲穂となる。この「因と縁と果の関連が仏教思想の根幹にある」(日本大百科全書)という。

 

B:シルバーバーチの「縁」の解説

私たちの日常は絶えず「原因」を作り、その「結果」を刈り取りながら生活をしているようなもの(→暴飲暴食はやがて体の不調となって表れる)。何らかの摂理違反行為という「原因」を作れば、それは本人自身が必ず返済していかなければならない。その返済は「条件(霊的条件、物的条件)」に応じて異なるが。

 

シルバーバーチも“条件(縁)”については「種を蒔きさえすれば芽が出るというものではない。芽を出させるだけの養分が揃わなくてはならない。養分が揃っていても太陽と水がなくてはならない。そうした条件が全部うまく揃った時にようやく種が芽を出し、成長し、そして花を咲かせる」(163⑫~64①参照)と述べる。

このように宇宙は「原因と結果の法則(=因果律)」を基本として形成されているので、何らかの原因を作れば機械的に相応の結果が発生するのが原則である。しかし条件(=縁)によってはその表れ方(=結果)が法則の範囲内で異なって出てくる。

 

ウ)因果律は国家や民族に対しても働く

戦争や過去の植民地支配などによって引き起こされた行為は、当然に個人の集合体である国家や民族に対しても何らかの結果(→植民地宗主国に見られる負の遺産など)となって返ってくる(482①~②、433⑮~34①参照)。霊的摂理に逆らった行為を行えば、その行為の主体が「個人・集団・民族・国家」を問わず、いつかはその代償を支払わされることになるからである(語る93⑨~⑩参照)。

 

エ)複合的に働く因果律

個々人は自分の周りで複合的に働くカルマ(→民族・国家・地域・家などに働く因果律)を駆使しながら、自らが持って生まれてきたカルマの解消を図っている。

私がある国家や民族の下に生まれてきたと言うことは、その国家や民族が過去に作ってしまったカルマを“大枠”として用いながら、その枠組みの中で自らのカルマの解消を図っていくということである(→因果律の大枠による縛りの強弱は、市井で暮らす庶民であれば影響は薄いが、国家の意思決定の過程に直接携わる国家公務員であれば縛りは強い)。このように複合的に働くカルマを駆使しながら自らの霊性の向上に努めている。

 

例えば対外折衝という形で国家の意思決定に携わる国家公務員は、相手国との粘り強い交渉という“外交の場”を使いながら、自らが有するカルマの解消を図っていく。その他の国民は“重苦しい時代の空気(→例えばコロナ禍を生きる、近隣諸国との緊張関係の中で生きるなど)”を受忍するという行為を通して、その受忍の過程で自らが有するカルマの解消を図って行く。それを通して過去に国家が作った“縺れた糸”をほぐしていくという形で。

 

オ)「因果律の拡張」と「業因縁の継承」について

A:「家」の観念

日本に於いて見られる独特な因果律は、「仏教の縁起(因縁生起)」に「先祖崇拝思想」と「家の観念」が結びついて、国民の間に広く受け入れられてきたもの。この中の「先祖崇拝思想」は考古学の調査(→石と墓の配置など)から、既に縄文時代にはその痕跡が見られると言う。

 

江戸時代の「家制度」は「家禄制度」と結びついた武家階層や朝廷に仕える公家から始まり、徐々に豪商や豪農に広がったが、名家でもなく資産も無い大部分の庶民には初めから無縁な制度であった。それが明治31年(1898年)制定の明治民法によって、全国民を対象とした「家制度」が創設された(→戸主に家の統率権限を与えた制度)。明治民法の制定によって、日本における「家制度」は従来の「上層の家」から「庶民の家」へと拡大された。

この「家制度の拡大」につき著名な民法学者の中川善之助氏(1897年→1975年)は次のように述べている。「日本には二つの家族観がある」「一方に由緒正しき家系の名家名門である上層の『家』を基準に考えるもの、他方に戸主も家族も働いて共同生活をまっとうしている庶民の『家』を基準に考えるものがある」。

 

B:自己責任の原則

宗教では「先祖から流れてきている悪因縁は、身内の誰かが消さなければならぬ」として、この流れを断ち切るには「布施心が悪因縁を解消する最も良い方法」であると言われている。世俗的な心霊の世界でも、頻繁に「親の因果が子に報う(→先祖が犯した悪い行いが原因で、何の罪もない子がその報いを受けて不幸になる)」が説かれている。

 

これに対してシルバーバーチは「原因を作った者は自ら償いをして刈り取る」という「自己責任の原則」(6巻58①~⑧、59⑫参照)を述べている。この「自己責任の原則」から見れば、孫は祖父が蒔いたタネ(原因)を祖父に代わって刈り取ることはできない。祖父が作った原因は祖父自ら何らかの形で、霊界でまたは再生して刈り取りをすることになる。

 

孫は再生するに当たり、自身のカルマを解消するために日本という民族集団が有する大枠としてのカルマを使って、さらに「名門の〇〇家」に生まれて、この家に存在する“カルマの流れ(→例えば代々の当主は極端な吝嗇家で傲慢な人であり、それによって作り出された家にまつわるカルマ)”を利用しながら、自分自身のカルマの解消をはかるのが最も適していると判断して再生したもの。血縁を重視して「名門の〇〇家」に再生したのではない(→通常は祖父という霊魂と孫という霊魂の間には血縁関係はないから)。

このように一般に言われている「因果律の拡張、業因縁の継承」は、シルバーバーチが述べている「各自が各自の人生の重荷を背負う」という因果律の原則から見ると問題がある。

 

②.一般的な愛

ア)愛の多様な形態

A:愛は全ての根源

愛は宇宙の原動力であり全ての根源となっている。例えばキリスト教文化圏では「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ福音書22㊴参照)という「隣人愛」があり、これが道徳・哲学・宗教等いずれの立場からも最も根源的な観念の一つとされている。儒教文化圏の東洋にも「仁(→血縁に根差す愛)」「仁道(→仁を無縁の人にまで広げていくこと)」「慈愛」といった観念がある。シルバーバーチも同様に「愛が全ての根源です。人間的愛はそのほんのささやかな表現に過ぎませんが、愛こそ神の摂理の遂行者です」(1巻60⑭~61①参照)と述べている。このように愛は世の中の全ての根源となっている。

 

B:進化レベルの距離間に応じた「愛」の感じ方

一般にお世話をする者とされる者との“進化レベルの距離”が近い場合、例えばペットの犬や猫に対して、飼主が愛情を込めて世話をすれば、愛くるしい動作を伴った反応が返ってくる。お互いに「愛」を仲立ちとした良好な関係が築かれている。これに対して進化レベルの差が大きい爬虫類のトカゲや両生類のカエルをペットとしている場合ではどうか、当然に反応は鈍いであろう。さらに進化レベルに差がある昆虫の鈴虫の場合はどうか。飼主が与える餌や飼育環境の整備(→飼育箱の掃除や温度管理など)などを鈴虫の視点から見れば、時間になると餌が出て来たり清掃されていたり、また温度が一定に管理されていたりと、鈴虫に感受性があれば一種の“法則性”として感じるのではないだろうか。

 

このように人間と相手の“進化レベルの距離”が大きければ大きいほど、受け止められ方の違いは大きい。両者の距離の隔たりが大きいほど相手は人間の行為を愛情としてではなく、むしろ“無機質な法則”として受け取るのではないだろうか。

 

C:一本の線で「愛」を表現する

次に一本の線を引いて、線上の左端には物質性を帯びた究極の「利己的な愛(→束縛する愛、血縁や仲間重視の愛)」を置き、線上の右端には「利他的な愛(→与えるだけの愛)」の極致である“神の愛”を置く。ここでは「私(→線上の任意の一点に私を置く)」を起点にして、進化レベルの高い霊との関係で「私が感じる主観的な愛」がどのように変わっていくのかを見て行く。

この線上を物質性の濃い左端に行けばいくほど、「愛の表現」に利己性や特殊性が帯びてきて、そこに何らかの物質的見返りが伴ってくる(→お金、モノ、保護などの対価)。一方右に行けば行くほど愛に内在するところの利己性が薄れてきて、利他性が増して普遍性を帯びてくる。受け取る「愛」の対象者も特定の個人から、万人に、すべての生き物に、自然に、宇宙へと拡大して行く(注8)。

 

D:高級霊の「愛」

霊界通信で定評がある『シルバーバーチの霊訓』や『モーゼスの霊訓』を読んでみれば、高級霊の「愛」には普遍性が伴っていることが分かる。例えば人間の自由意志を尊重して「どうぞご自分の信じる道を歩まれるがよろしい」と突き放した言い方をする場合がある。手取り足取り手助けしてくれるのが「愛」だと思っている、依存心の強い生き方をしている人にとっては、自由意志を尊重する高級霊の「愛」からは一種の冷たさが感じられるのではないだろうか。高級霊レベルの「愛」でさえ、万人が等しく「愛」として感じるわけではない。

 

さらに「超高級霊の世界」に行けば「愛」を受け取る対象がさらに拡大して、愛に内在する“規則性・公平性・普遍性”といった無機質さが前面に出てくる。このように考えると究極的な「愛」の表現は“法則”となっていく。この“法則”として現われた「愛」が不完全な世界に行くに従って、“法則”の裏側に隠されていた温かみが表面に現われてきて(→愛する者と愛される者との距離が近くなるから)、次第に「愛」に個別事情と言った特殊性が帯びてくることになる。

 

このように霊的進化を一本の線で表せば、その線上のいずれかの位置に個別霊は位置している。線上の右端に位置する神は(→厳密には創造者であるため線上の欄外に置かれるが)、宇宙を統治する仕組みとして「神→法則(摂理)⇔万物」を創った。その仕組みの背後には、万物が平等に霊的成長を果たすための“究極の愛”が隠されている(→なぜなら「愛とは摂理のこと、神そのものが愛」。すなわち「神=愛=摂理」だから:8126⑪~⑫参照)。

 

イ)血縁重視の利己的な愛と利他的な愛

愛には普遍性を帯びた高い霊性を伴った愛から、血縁関係から発する“閉鎖的で内向的な愛”まで幅広く存在する。家族的な絆に根ざした血縁的な愛よりも「奉仕的精神から発動した愛」には、行為の純粋さが高い分だけ“神の属性(→愛・寛容さ・叡智・親切・優しさ・思いやりの心など)”がより多く顕在化している。なぜなら排他性を帯びた内向的愛よりも発展性がある外向的愛の方が、利他性指向が強い分だけ上だから(1145⑪参照)。

 

ウ)地上に通信を送る霊

シルバーバーチは次元の異なる地上に通信を送ることは「(霊的波長から物的波長への切り替えを伴うことから)容易なことではない、大へんな努力を必要とする」ので、通信霊は必然的に「愛念を抱く者に限られる」(189⑨~⑪参照)と述べている。従ってこのような困難を乗り越えて地上に送られてくる霊界通信の多くは、未だに意識の関心が地上に向いている、物質臭が抜けきらない幽界の下層界に居住する血縁の霊からの通信である。ここに血縁重視の霊界通信が多くなる理由がある。これは高校に進学した生徒が中学時代のクラスメートや部活の後輩の面倒事に、自分の休みを犠牲にしてまで駆け付けて世話を焼きたがる意識状態と似ている。

 

霊的自覚が深まるにつれて上昇志向が強まって、次第に地上への関心は薄れて行く。そのため自覚が芽生えた霊からの通信は減っていく(→傾向として地上への通信は、霊に何らかの使命がある場合に限られてくる)。

 

③.自由意志

ア)自由意志を使って霊性の向上を目指す

霊的摂理の中に「自由意志の行使」という法則がある。人間はロボットではないので、一定の枠組みの中で神からの授かりものである自由意志を有している(3162⑨、435④参照)。これを用いて自らの判断で行為を行うことによって霊性レベルのアップをはかっている。当然にその使用法を誤れば霊性の停滞を招き、それ相応の責任が発生する。これは個人であろうと国家であろうと同様である(3162⑩参照)。

 

イ)自由意志と宿命との関係

A:再生テーマの設定

しばしば自由意志と宿命との関係が問題となる。再生に際して「本来の私(=自我の本体)」は指導霊の助言を得ながら「出生に際してのテーマ(=再生テーマ)」を設定する。テーマには二つの側面がある。まず潜在的完全性である“霊”を(→本来の私に内在する神の分霊を)、霊の外皮(=魂、意識の領域)により多く顕在化させるために「新たな地上体験を積む」という側面(→潜在的大我の発達にとって必要な資質を身に付ける:1109⑧参照)。次に「地上でしか償えない霊的負債の完済を図ること」という側面がある。

 

B:「本来の私」の自由意志

これらのテーマを再生人生の中で達成するため、「本来の私」は最も適した「試練、寿命、性別、両親、体質など」を自由意志で選定する。なお過酷な体験の中で“再生テーマ”をクリアしていく道を選択した場合には、当然に背負うハンディキャップは厳しいものになる。

 

C:「現在の私」の自由意志

地上に誕生した「現在の私(=本来の私の一部)」は、「本来の私(=自我の本体)」が自由意志で設定した大枠としての地上人生に沿って(→この大枠は現在の私から見れば宿命となる)、遭遇する試練に対して“現場サイドの自由意志”を行使しながら乗り切る(→運命づけられた一定のワクの中で自由意志が許されている:485①~②参照)。その過程で“再生テーマ(→新たな地上体験を積むことや、カルマの解消を図ることなど)”の達成を図っていくことになる。

 

D:ハンディキャップの二面性

なお地上人生を歩む上で課せられたハンディキャップには(→例えば身体障害など)、自らのカルマの解消の為であると同時に、一般人に対して“利他的行為を誘発させる(→いわゆる菩薩行のこと)”という二面性がある。なぜなら関わりを持った周囲の人の冷淡な行為は、それぞれの人にとって霊的エネルギーの流入経路の目詰まりを引き起こし、その結果として当人たちの霊的成長を阻害することになるから。

 

ウ)自由意志の行使という二つの側面(注9)

このように「本来の私」から見れば、あらかじめ地上で辿る“大枠としての地上人生”を承知して誕生することになる(1109⑦~⑩参照)。これを「現在の私」から見ればこの大枠(=宿命)は“背負わされた荷物”ということになる。

再生に際しての自由意志の行使の問題は、まず「本来の私(=狭義のインディビジュアリティ)」が行使する側面と(1109⑨参照)、他方「現在の私(=パーソナリティ)」が行使する側面の二方面から考察する必要がある。後者はいわば“現場サイドの自由意志”である。

 

自由意志は「本来の私(=狭義のインディビジュアリティ)」という意識(=魂:語る425⑦参照)が進化した分だけその行使範囲は広くなる(164⑩~⑫参照)。その結果として“現在の私”が行使できる“自由意志(=現場サイドの自由意志)”の行使可能性の限界がそれだけ拡大する。

 

④.親和性

ア)基本的な法則

A:最初の一歩は地上人が行動で示す

霊的摂理に「親和性の法則」がある。これは霊的成長度が同じで親和性を有する者との交流が日常的に行われている霊界では基本的な法則だが(最後啓示149①参照)、霊界とこの世との間でも「親和性の法則」は働く(5234①~③参照)。

 

例えば人の為という利他的な願望は、自動的に同じ願望を抱く霊界人を引き寄せる(129⑤~⑥、217⑤~⑥参照)。そのプロセスを見ると、まず霊界人を引き寄せる為の“何らかの利他的な行動や強い思い”が地上人側に先行して存在する必要がある。最初の一歩は地上人側からであり、「必要な条件を人間側が用意する」ことから始まる(2209⑨参照)。なぜなら地上人の利他的な行動や思いに共鳴した霊界人が親和性によって引き寄せられるから。霊界人から見れば地上人の霊的成長度はオーラから一目瞭然にわかるので、それだけの“資格”がなければ霊界人は引き寄せられない。これが基本となる。

 

B:何のために霊界人は地上人を指導するのか

地上人が人のために行う利他的行為は、地上人のみならず霊界人にとっても霊性向上のチャンスとなるので、同じ願望を持つ霊界人を引き寄せることになる。なぜなら親和性によって引き付けられた霊界人は、地上人の“利他的行為を援助する”という行為を通して、自らの霊性レベルを引き上げることができるから(→霊界人も霊性向上のため常に“人世のため”に働くことを願っている)。そのため霊界人はたえず霊的エネルギーの“通路・道具”となる協力者を求めている。

 

C:「引き寄せの法則」の問題点

巷には「思いは現実になる」を応用して、これを「成功法則」とうたったセミナーや解説本で溢れている。それらには「お金の引き寄せ」「恋の引き寄せ」「思い通りの進学先や就職先を実現させる」等のタイトルが並んでいる。当然に引き寄せる対象は、物質性が強いこの世的なモノで利己的な願望である。

 

利他的願望は霊性向上の為の動力源となり、利己的願望は物的世界に縛り付けるという原則から見ても、巷にあふれている「引き寄せの法則」には問題がある。そこには地上世界は霊性レベルを向上させるために、物的体験を積むための「学校」と言った観点や、各自が遭遇する困難や障害は“魂の磨き粉”であると言った観点は全くない。

このような地上人が己の利己的願望達成の為に引き寄せる霊界人とは、親和性の法則から見て物質臭の強い低級霊や地縛霊(→いまだ死んだという自覚のない霊)である。引き寄せる人の体質によっては(→霊的に敏感な体質者の場合)、良からぬ影響を受ける場合がある。

 

イ)憑依(親和性の法則の一種、負の親和性)

A:意識の振れ幅

地上の人間の一日は、高尚な意識状態から動物性を過度に発現させた意識状態の間で、絶え間なく揺れ動いている。人の魂を揺さぶる行動や話を見聞きすれば意識は高揚する。これに対して過度のアルコール摂取は、自らの“理性の蓋”を開放して動物性を強く発現させることになる。このように人間は意識の揺れ幅の状態に応じて、あらゆる霊的レベルにある霊からの影響力にさらされていると言うことが出来る。しかし「実際に引き寄せるのは自分と同じ霊格を持った霊だけ」(894⑭~⑮参照)であり、「両者の間に親和関係がある場合に限られる」(語る435⑦~436③参照)。

 

B:マイナス作用の親和性(注10)

親和性の法則には、原因があればその“原因の性質”に応じた「親しみ結びつきやすさ」という関係がある。原因を発する者の行為や言動に応じた霊界人が引き寄せられるという関係は憑依現象にも言える。なぜなら憑依現象は親和性が“マイナスの作用”となって表れたものだから。これに対して霊界人の援助は親和性が“プラスの作用”となって表れたもの。

 

親和性があると言うことは人間の堕落した生活が同類の邪霊を引き寄せることになるので、人間の側から餌をまかなければ憑依は防げることになる(霊訓上48⑫~⑭、50⑥~⑧参照)。シルバーバーチは「自分は大人物であると思い込んでいる人間、大酒飲み、麻薬中毒患者などがこちらへ来ると、地上で似たような傾向を持つ人間を通じて満足感を味わおうとするもの」(5234⑦~⑨参照)と述べる。

 

C:顕幽の悪循環を断ち切る

高級霊は「地上の罪悪と悲劇の多くは邪霊が同種の人間に働いた結果に他ならない」(霊訓下156②~③参照)ので、その「悪循環を断ち切る方法は人類全体の道徳的意識の高揚と物的生活の向上に俟つほかない」(霊訓上50②~③参照)と述べる。地上においては霊的知識の普及活動、そして知識を日常生活に活用する為の実践活動が、連鎖を断ち切る為の喫緊の課題となっている。

 

この地上人と霊界人の関係を物理の「音叉(おんさ)」の実験に例えて見れば良く分かる。固有振動数が同じ共鳴箱付き音叉を二つ用意して、片方を鳴らすと空気の振動を伝わって他方の音叉もなり始める、音叉の固有振動数が違う場合は共鳴しないという現象と同じである。

 

⑤.知識には責任が伴う

シルバーバーチは「知識には責任が伴う」(153②、9135③参照)と述べる。スピリチュアリズム思想を学んで知識の分量を増やしていくと、次第にその人の生き方が問われてくる。生き方の「質的な転換(知識から生き方へ)」が求められてくる。学んだ霊的知識を日常生活の中に反映させる生き方が求められるから(383⑦参照)。

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

<注1>

1923年にベルギーのリエージュにおいて結成された国際スピリチュアリスト連盟(ISF: International Spiritualist Federation)は、その規約に基本原則が定められている。この基本原則は第二次世界大戦後の会議で加盟団体の立場を考慮して、「死後も個性は存続する」と「あの世とこの世は交流している」の二箇条に変更になっている。この基本原則から見てもISFは「霊魂説」を肯定する加盟団体の集合体であることが分かる。

 

<注2>

■実証重視の世界

心霊研究は懐疑論者を相手にする既成科学の世界を目指していたため、より厳密に実証性を追求する道を選ばざるを得なかった。そのためSPR(英国心霊研究協会)は懐疑論者の数々の批判に応えるために次第に「証明のハードル」を高くしていった。研究には「詐術や錯誤」を排除するために「徹底した懐疑的態度」と「実証主義で科学的精神に徹した調査研究方法」が導入されて、極めて厳しく管理された実験が行われるようになっていった。

なぜなら心霊現象を学問領域に取り込んで、公認された学術の世界で認知させるためには、不思議な現象にまつわるところの「詐術や錯誤」を注意深く排除して、事実の確認の上に立つ研究態度は欠かせないから。

 

■信念重視の世界

スピリチュアリストたちが住む世界は、信念重視の世界であり、そこでは「生き方の問題」に重きが置かれている。そのため日常的に懐疑論者の眼を意識しなくてすむため、既成科学では証明がつかない「直感による証明」であっても良く、証拠は信念を補強するための役割を担うに過ぎない。このように「証拠に関する考え方」は、実証重視の心霊研究者と信念重視のスピリチュアリストでは大きく異なってくる。

このような立場の違いからスピリチュアリストは、心霊研究者の「徹底した懐疑的態度」と「実証主義で科学的精神に徹した調査研究」に見られる態度、このような執拗なまでの「入り口部分」に対するこだわりには付いていけないという気持ちになってくる。

 

<注3>

■平凡社『哲学事典』1985年刊、「霊魂不滅」の項目参照。

 

<注4>

心霊現象の解明に貢献した主な科学者は以下の通り。

◆ウィリアム・クルックス

世界的に著名な物理学者(→元素タリウムの発見者、クルックス管の発明者)のウィリアム・クルックス(1832年→1919年、英国)は、1870年代に空中浮揚で有名な霊媒のダニエル・ホーム(18331886英国)や、霊媒のフローレンス・クック(18561904英国:→ケティー・キングという霊をエクトプラズムによって完全物質化させた霊媒)を調査研究した。

 

◆シャルル・リシェ

1913年にノーベル賞(生理・医学賞)を受賞したシャルル・リシェ(1850年→1935年、仏国)は多くの霊媒を調査して、物理的心霊現象は霊媒の体内から出る“半物質状の透明な物体”がさまざまな形に変化して、それが物質化して現象を起こすことを突き止めた。その半物質状の物体を「エクトプラズム」と名付けた(デボラ・ブラム著『幽霊を捕まえようとした科学者たち』文芸春秋刊259頁~262頁)。

 

◆オリヴァー・ロッジ

電磁波を研究して検波器(コヒーラー)を発明して無線通信の発展に寄与した著名な物理学者のオリヴァー・ロッジ(1851年→1940年、英国)は、心霊現象や霊界通信を徹底的に研究した。そして「親を、子を、夫を、同胞を、あるいは友人を失える人々よ、悲しむなかれ、彼らは皆生きている」(オリヴァー・ロッジ著、野尻抱影訳『レイモンドー死後の生存はあるか』人間と歴史社1991年刊、“訳者の序”参照)と述べて、「死後個性の存続(→死後も個性を持った“私”は生き続ける)」を主張した。

 

<注5>

■創造論(創造説)は「ダーウィン的な進化論を否定して、神による天地創造を主張する」説。一般に創造論はキリスト教の『聖書』に書かれていることは事実である(→『聖書』の記述は一言一句事実であるとする立場と、記述を象徴的に理解する立場とが存在するが)という前提に立って述べられているので、現状は「創造論者とはキリスト教徒のこと」を指す言葉になっている。しかし創造論者には大きく分けて二つの立場が存在する。

 

まずキリスト教の『聖書』とは関係なく、神の存在と神の創造を認める立場の「宗教や思想」がある。創造説に立つスピリチュアリストはここに含まれる。これを「広義の創造論」と呼ぶことにする。これに対してキリスト教徒の『聖書』をベースにした創造論を「狭義の創造論」と呼んで区別することにする。この「狭義の創造論」の中にアメリカで興隆を極める独断的で原理主義的な「特殊創造論者」がいる。そのため近年では創造論は極めて狭義の意味で使用されるようになってしまった。

 

■有神論的進化論の立場に立つ遺伝学者のフランシスコ・コリンズは「過去100年余り“創造論者”という言葉は、理神論者や有神論者を含む広い意味としてではなく、一部の特定層を指す言葉として乗っ取られ、固有名詞化されてしまった」と述べて「特殊創造論者」を批判している(フランシスコ・コリンズ著、中村昇・中村佐知訳『ゲノムと聖書』NTT出版2008年刊168頁)。

 

<注6>

■一般に「霊」という言葉は次の三つの用例で用いられている。

まず「①神の分霊」として、次に「②普遍的要素としての霊(一般的な霊、宇宙に遍満している霊、霊の海、霊力など)」という用語で、さらに「③人間は個別霊」という形で用いられている。このように同じ「霊」でも意味内容が異なる。文脈からどの「霊」を指しているのかは各自で判断しなければならない。

 

<注7>

GV・オーエン著、近藤千雄訳『ベールの彼方の生活、4巻』潮文社(4231②~⑤)に次のような一文がある。「キリストは唯一の絶対神ではありません。至尊至高の神性を具えた最高神界の数ある存在のお一人です。父と呼んでいる存在はそれとは別です。それは人間が思考しうる限りの究極の実在の表現です。従って父はキリストより大であり、キリストは父に所属する存在であり神の子です」(下線部分は筆者記載)

 

■一つの考え方

宇宙の中で地球は極めて物質性の濃い「人間的存在(→霊的成長に物的体験を必要とする存在。霊的身体と中間物質と物的身体がセットになって体験を積む個別霊)」が住む惑星、戦争ばかりしている霊性レベルの低い惑星である。

シルバーバーチが述べた「イエス崇拝(キリスト崇拝)」の誤りは(3104⑨、5206⑧~⑪参照)、霊界を会社組織に例えて見れば良く分かる。平社員は日常の仕事の指示は直属の担当課長から受ける。だからと言って平社員は上司である課長を崇めたりはしない。なぜなら会社組織の中では社長がトップであり、課長は中間管理職に過ぎないことが分かっているからである。

 

ビジネスの世界では業績の悪い“問題ある支店”には、本社から実力者の課長や部長などが支店長として送り込まれて来て、新任の支店長の下で組織の建て直しが行われる。

今回“宇宙という名の〇〇会社”では、問題児の“地球という名の支店”を根本から改革して業績の回復を図ることにした。そこで本社では“支店の責任者(支店長)”に実力者の課長(あるいは部長)を送り込んできた。本社から送り込まれてきた実力者の支店長がナザレのイエスである。イエスが中心となってまとめた“地球という名の支店の再建策”が本社の取締役会で了承された。この“再建策”とは、地球時間の2,000年前から顕幽の両界で始まった地球を霊的に刷新する運動、つまりスピリチュアリズム普及運動のことである

 

この“地球を霊的に刷新する運動”の責任者であるイエスは、“宇宙という名の会社”の職制から見れば中間管理職である支店長にすぎない(→潜在的完全性が意識の領域に顕在化している割合は地球レベルでは最大だが。その為『ベールの彼方の生活』では「最高神界の数ある存在のお一人」と表現している)。その支店長イエスの下に建て直しを任された直属のプロジェクトチームが作られた。そのメンバーの一人であるシルバーバーチは、支店長にすぎないイエスが崇拝される風潮に対して、崇拝の対象は“宇宙という名の会社”のトップである社長に捧げるべきと述べた。イエスは2,000年前にナザレのイエスとして地上生活を送り刷新運動の口火を切った。その業績によって潜在的完全性を意識の領域に大きく顕在化させた(→例えば顕在化率が従来の50%から60%へと)。文献には「大霊の顕現としては地上界が賜った最大級のもの」「霊界に戻りその霊格は飛躍的に進化を遂げ、地上時代とは比較にならないほど意識の次元が高くなっている」とある(語る161③~⑨参照)。

 

■「指導霊信仰」批判

A:指導・監督に誤りを犯すことがある

霊的な理解は個別霊の霊的発達程度に応じたもの、霊性レベルに応じた理解となる。そのためその霊の霊的レベルが理解力の限界となるため、高級霊といえども完璧ではない(→意識の領域に“霊”の顕現の度合いが50%程度である霊は、摂理に対する理解力も50%程度にすぎない)。シルバーバーチは「これまでに到達した限りの位置から見ると、まだまだその先に別の頂上が見えている・・・私はまだその細部のすべてに通暁しているなどとはとても断言できない」(6128⑨~⑫参照)と述べる。この発言からも摂理に対する理解力は霊性レベルに応じた理解であることが分かる。そのため高級霊といえどもケースによっては指導や監督の際に誤りを犯すこともある(→私たちスピリット自身も誤りを犯す存在である:6207④~⑧参照)。絶対に誤りを犯さないのは創造者の神のみ(818⑤~⑥参照)。

 

B:指導霊は崇拝されることを望まない

シルバーバーチは常々指導霊は崇拝対象とされることは望まないとして、「指導霊の資格を得た霊は自身が崇拝の対象とされることは間違いであるとの認識を持っている」(821②~③参照)と述べる。指導霊は最終的な責任者ではないからとして、シルバーバーチは「指導霊崇拝(818③参照)」や「イエス崇拝(3104⑨、5206⑧~⑨参照)」等の「高級霊崇拝(高級霊信仰)」を批判している。

 

C:高級霊は取次役である

前述したようにシルバーバーチは「崇拝の対象は神」(1118②参照)であり、「忠誠を捧げるのは神とその永遠不変の摂理」(498⑤~⑥参照)と述べて、両者を使い分けている。日本的な心霊の世界では、霊能者は神と共に自分の指導霊も崇拝の対象としていることが多い。さらに多神教の世界ではスピリチュアリズム的に言えば自分より上位にある“修行途上にある霊(→いわば八百万の神)”も崇拝の対象としている。一つの解決策として指導霊は“取次ぎ役”である、あくまでも自分の一歩前を歩む“先達”との認識を持つことが、指導霊崇拝に陥るのを避けるポイントになる。

 

<注8>

■正三角形を使った例え

利己性や特殊性を帯びた「愛」が、次第に「愛の表現」に普遍性を帯びてくることは、正三角形を使った例えからも説明が出来る。一本の直線を引き、この線の中心に「私」を置く。この「私」から上に向かって垂直線()を引く。「私」の真上の垂直線上にAを、少し高い位置にBを、さらに高い位置にCを、さらに高い位置にDを置く(→霊格はABCDの順に高くなる)。Aは「私」のすぐ上にいるので、「私」はAの愛を一身に受けとめることが出来る(→この関係は母親と第一子の間に見られる)。

 

次に垂直線上のBを起点に正三角形を描く。すると「私」を含めた一定の長さを持った底辺が出来る。Bから「私」が受け取る主観的な愛は、一対一のAの愛よりも希薄化する(→母親と五人の子供の関係。母親の子どもに注ぐ愛は変わらないが、第一子が受け止める主観的な愛は希薄化する)。このBの愛を仮に「血縁者の愛」とする。

同じくCを起点に正三角形を描く。「私」を含めたさらに長い底辺が描ける。Cから受け取る主観的な愛は、愛を受け取る対象者の拡大によってBの愛よりもさらに希薄化する。Cの愛には普遍性が帯びてくる。

 

さらに高い位置にいるDを起点に正三角形を描く。「私」を含めたさらに長い底辺が描ける。愛を受け取る対象者は万物に拡大する。Dから「愛」を受ける「私」にとっては、これは一般にいう所の「愛」とは呼べない別物と感じる。このように「利己性や特殊性を帯びた一対一の愛(私とAの関係)」は、対象者の拡大によって次第に「普遍性を帯びた愛(私とBやCの関係)」に変わり、最終的には「法則としての愛(私とDの関係)」になっていく。

 

<注9>

■潜水具を使った例え

19世紀、海底での作業は困難を極めた。海上に停泊している支援船から伸びた呼吸用のホースを、頭部をすっぽりと覆う鋼鉄製の器具(→金魚鉢をひっくり返した形状)に接続して、それを頭部に装着して海底作業を行っていた。これを例にして説明する。

 

Aは地上世界で生活(→いわば“海底”での作業)するためには肉体をまとって(→潜水具を装着して)、本来の意識レベルを落として地上体験を積まなければならない(→海底で体感する水圧と酸素不足から朦朧とした意識状態の中で、予め決められた手順で作業を行う)。肉体(→潜水具)は「本来の私A」が地上世界で自己表現(→海底作業)するためにまとう形体である。Aはもどかしい状態の中で地上体験を積んで、寿命がきて霊界に帰り本来の意識状態を取り戻す(→作業時間が経過して支援船に戻る)。

 

この海底で作業をしている制約された私の意識状態を「現在の私:A-1」とし、作業を終えて支援船に戻ったときの私の意識状態を「本来の私:A」とする。意識面から言えば「A-1」はAの限定された意識であり(→酸素不足でもうろうとした状態にある意識)、「本来の私:A」の意識の一部と言える。この「A-1」の作業能力の限界は、潜水具の性能向上にもよるが、Aの持つ能力(→霊的レベル)が限界となる。

 

<注10

■憑依現象

霊界通信では霊媒の潜在意識にある言葉や概念が使われるが、通信霊はイメージしづらい固有名詞を霊媒に伝えるのに難航するという。

霊的世界に移行後さほど時間がたっていない霊の場合や、物質臭が極めて強い幽界の底辺部分で生活する霊にとっては、同じような“受け皿(→長年に亘って形成されたマイナスの性格傾向は、その人の潜在意識にパターン化されて組み込まれている)”を持った地上人には影響力を行使しやすいという特徴がある。死後間もない霊や幽界の底辺部分にいる霊と地上人との間に、共通の文化・思考法・似たような地上体験などがあれば、憑依は殊更に簡単に行えてしまう。

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

 

第1講:生き方としてのスピリチュアリズムとは <講義用ノート>

目 次

1.「連続講座2020」を始めるに際して

2.1960年代から2000年代にかけての動向

・大まかな“霊や死に関する事柄”の変遷

・アプローチの多様化

 

3.死に対する見方・考え方

①.「死は終焉」という考え方

・死によって私は雲散霧消する

・この説を主張する人は多い

・この説の問題点

②.「生命(霊)の海に溶け込む」という考え方

・馴染み易い説

・日本の伝統的な霊的世界観

③.スピリチュアリズムの考え方

・死の先にも人生は続く

・スピリチュアリズムの立場から個別問題を考える

 

4.思想家を悩ましてきた問題

・何のためにこの世に苦難はあるのか

・何のためにこの世に生まれてくるのか

・人は死んだらどうなるか

 

5.個人や社会の意識を変える運動

①.素朴なスピリチュアリズム

②.「近代スピリチュアリズム」とは

・1848年のハイズヴィル事件(フォックス家事件)

・近代スピリチュアリズム(新スピリチュアリズム)

③.生き方としてのスピリチュアリズムとは

・本来の住処

・地上世界

・この世は学校

・知識から生き方へ

④.スピリチュアリズムは「意識を変える運動」

・スピリチュアリズムは知識

・霊的知識を日常生活に活かしていく

・個々人が変われば社会も変わる

 

<注1>~<注9>

 

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1.「連続講座2020」を始めるに際して

A:死は誰にでも訪れる

多くの人は「死」や「死後の世界」に関しては「縁起でもない」「まだ先のこと」と考えて、まともに取り合おうとしない。人によっては「死を考えると怖い」とか「身近な人が死んで行くのを見るのが怖い」という人さえいる。そこには「死」や「死後の世界」に関する知識がないことからくる恐怖感、あえて目を閉じて見ようとしない「死の先送り」や「死に対する思考停止現象」が見られる。

一般に現代人は将来のことに関しては「その時になったら考えれば良い」とする傾向が強い。まさに「死」や「死後の世界」は“先送りされるテーマ”の最たるものである。しかし「死」は誰にでも否応無しに平等に訪れる。

 

B:現代人の無知ぶり

古代人は自然科学に関する知識を持ち合わせていなかった。そのため地震・噴火・嵐などの自然現象を「神の怒り」と考えて恐れおののいていた。一方“探査ロケット”に代表されるような高度に発達した科学技術を獲得し、きらびやかな近代文明を誇っている21世紀の現代社会はどうであろうか。

現代人であっても「死」や「死後の世界」の話になると、多くの人は驚くほどの無知ぶりをさらけ出す。それは古代人が自然現象に対して示していた理解と同程度である。霊的知識がない現代人の姿は、地震・噴火・嵐などの自然現象に恐れおののいていた古代人の姿とダブって見えてくる。私たちは自然科学の知識がなかった古代人を笑うことは出来ない。

 

C:正しい霊的知識の普及

地上世界に「死」や「死後の世界」に関する正しい知識を普及させること。そして自覚した者から霊的知識を日常生活に活かしていくこと(2204⑮参照)。これらの地道な普及活動を通して人々の意識を変えていく「意識の変革」こそが、利己主義が増殖し際限なき貪欲によって貧富の差が拡大して、争いが絶えることの無い現代社会が抱える病理現象を、根本的に変えていく喫緊の処方箋であると筆者は考えている。

 

この観点に立って昨年に引き続き「シルバーバーチの霊訓、連続講座2020」を開講します。今年のテーマは「シルバーバーチの教えを日常生活に活かしていくには」です。このテーマで今回は進めて行きたいと思います。

 

2.1960年代から2000年代にかけての動向

ア)大まかな“霊や死に関する事柄”の変遷

この五十年の間、世の中の“霊や死に関する事柄”の意識動向は大きく変化してきている。最初に「1960年代から2000年代にかけての動向」を年代順に見てゆく。

 

A1960年代~1970年代

1960年代の文化的な特徴として、アメリカに端を発した「対抗文化(カウンターカルチャー、反主流派の文化、ヒッピー運動)」がある(注1)。この「対抗文化」の一つである自然回帰運動の経験者や、東洋の宗教・精神文化などの体験者が「ニューエイジ運動」の担い手となった。科学の分野では物理学に意識の概念を導入した「意識工学(自然認識科学)」。また禅や瞑想を学問の中に取り入れた分野が出てきたのもこの時期(ニューサイエンス)であった。日本では1970年代の後半以降に「精神世界」というジャンルが登場して、従来まで宗教の範疇で語られてきた“霊や死に関する事柄”が、宗教から切り離されて一人歩きするようになったのもこの時期であった。

 

B1980年代

1980年代後半の日本社会は拝金主義の風潮が蔓延しており、人々はバブル景気(198612月→19912月)に浮かれていた。他方これに反する動きもあった。この時期、当時吹いていた“精神世界ブーム”という時代の風に背中を押される形で(→1980年前後から、大型書店では宗教書の隣に“精神世界コーナー”が設けられるようになってきた)、良質なスピリチュアリズムHigher Spiritualism文献(注2)が翻訳されて相次いで出版されていた。

この時期の日本はバブル景気という拝金主義の風潮と、商業ベースに乗りづらい“良質なスピリチュアリズム文献”の相次ぐ出版という、いわば物欲指向とその対極にある霊的指向という“二つの相反する動き”が同時に起きていた。

 

C1990年代~2000年代

1990年代の後半は急激にインターネットが発達した時期であった。新たな「基本ソフト(OSWindows95)」の出現によって、インターネット利用の環境が整ってコンテンツが充実してきた。この時期以降の急速な技術革新による生活環境の変化は、私たちにさまざまな恩恵をもたらしたと同時に意識の変化も余儀なくさせた(注9)。

このような状況下で“霊や死に関する”アプローチにも変化が生じて、2000年代以降はインターネットを活用してスピリチュアリズムを普及する動きが強まり、一種の「スピリチュアリズム・ブーム」が出現した。このブームが現在に至っている。

 

イ)アプローチの多様化

A:生まれ変わり事例の研究

この時期、死後の世界へのアプローチも多様化した。1960年代の後半以降、ヴァージニア大学教授のイアン・スティーヴンソン(Ian Stevenson1918年→2007年)は“生まれ変わり型事例”の実地調査を行い、この分野のパイオニアとなった(→笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社1990年など)。

 

B:臨死体験の研究

臨死体験の定義は「臨床的に死を宣告された、もしくはそのように見えた者が、その後蘇生した時点で、あるいはそれからしばらくした後に語る、その間の体験」のこと(→外形から見て死んだとされた者が蘇生した時点で語る体験のこと)。日本の『万葉集』にも記述がみられるように臨死体験は古くからあった。その臨死体験が学問的な研究対象となって注目されるようになったのは1970年代中頃から1980年代にかけて。

 

欧米では臨死体験が1970年代中頃から1980年代にかけて注目されるようになった。医師のキューブラー・ロス(Elisabeth Kübler Ross1926年→2004年)やレイモンド・ムーディ(Raymond Moody1944年→ )の研究をきっかけとして、臨死体験を学問的研究の対象とする動きが芽生えてきた。

その後医師のマイケル・セイボム(Michael B Sabom)は1977年に臨死体験の研究報告を『フロリダ医師会誌』に掲載し、1982年に著書『Recollections of Death』(マイケル・B・セイボム著、笠原敏雄訳『あの世からの帰還』日本教文社1986年)として出版した。さらに最も詳細な医学的データが残されたケースとして知られている「パム・レイノルズの臨死体験」の研究報告書をバーロウ神経学研究所から取り寄せて著書『Light and Death』(続『あの世からの帰還』日本教文社2006年)の中で公表した。

この臨死体験の研究に心理学者、精神神経医、脳生理学者、宗教学者、哲学者などが幅広く参加してきた。1980年代になると臨死体験は広く知られるようになった。

 

◆臨死体験の特徴

ア)意識は肉体の外にあるという体外離脱体験(自己視型体験、意識と形体との分離)

・本人の意識は肉体ではなく「分離して遊離した自分」の中にある(本人の視点は肉体の外)。

・ベッドに横たわる自分の肉体を他人事のような感覚で見下ろす(肉体からの分離感)。

・自分の肉体から分離することによって体が軽くなったような感覚を持つこと。

・“分離した自分の心の状態”は完全に覚醒して意識水準は高く、驚くほど思考が明晰。

イ)トンネル体験

・多くの体験者が「暗く長いトンネル」に引き込まれたと述べる。

ウ)光に包まれる体験

・光に包まれて至福の時間が持てた、気持ちが良かったという体験のこと。

エ)走馬灯的な回想体験

・自分の一生がパノラマ的に展開、それを一瞬のうちに見る体験のこと。

・死後、中間境で見る回想体験との違いはシルバーコードが切れているか否かにある。

オ)神秘的な体験

・自分の側に他者の存在を感じ取る体験のこと。

カ)不本意な生還

・シルバーコードが切れていないので意識は肉体に戻る。

 

通常は「私という意識」とその意識の表現器官である「形体(物的脳・肉体)」は一致している。それがある特殊な状態になると「私という意識」と「形体」は分離する。その現象が特徴的に出現して研究テーマとなったのが、蘇生者が語る臨死体験。

 

C:日本では

日本では“生まれ変わり型事例”の実地調査としては、1960年代後半に公益財団法人日本心霊科学協会が行った「勝五郎再生」(注3)の調査研究が知られている。

日本で臨死体験という言葉が普通に使われるようになったのは1990年代以降のことである。1991年に放映された立花隆氏による「NHKスペシャル、立花隆リポート」や、著書『臨死体験』(文芸春秋1994年)が大きいと言われている。広く臨死体験が知られるようになると患者に意識がなくとも病室内では患者の話はしないという風潮が強まっていった。なぜなら患者が病室の天井付近で聞いているから。

 

1960年代以降の見えない世界の研究動向は、従来までの宗教や信仰からのアプローチだけに留まらず「生まれ変わりの研究」「臨死体験の研究」「潜在意識の研究」「超心理学(テレパシー・透視・予知・念力など)の研究」「気や気功の研究」「トランスパーソナル心理学(人間の知覚を超えたものが人間の心理に与える影響を研究する学問:研究者自らが瞑想やヨガなどを体験して内面的な体験を深めて研究に応用している)」など、多様性が見られる。

 

3.死に対する見方・考え方

①.「死は終焉」という考え方

ア)死によって私は雲散霧消する

一般に物的脳にはさまざまな心の働きを司る領域・中枢があり、この領域・中枢の作用によって心は作り出される。そのため「精神(心)は物的脳によって生み出された副産物である」と説明されている。このような考え方が影響力の強い知識人によって唱えられてきたことから、多くの現代人は「死によって精神(心)は雲散霧消してしまい全てがなくなってしまう」ので、当然の結果として「死後の世界は存在しない」と主張している。死後の世界は存在しないので、より一層この世に対する執着が強くなっていく。そのため現代人は若さや不老長寿(→美魔女願望、百歳長寿、健康寿命など)に対する願望は根強い。

 

イ)この説を主張する人は多い

A:医療関係者

唯物論的な考え方が未だに支配的な医療の世界、特に高度医療を提供する病院では「絶対に人を死なせてはいけない」「死は敗北である」と考える傾向が強い。なぜなら死は終焉であり死後の世界はないから(→老人福祉施設に併設された看取りを行う医療施設と、高度医療を提供する病院とでは当然に医師の死生観に対する違いが見られる)。

 

B:著名人

脚本家の倉本聰氏は2017年のインタビュー記事「理想のやすらぎの在り処とは、脚本家・倉本聰かく語りき」の中で、「僕は死ぬことに納得している。死んだ後に天国に行くとか地獄に行くとかもない。全部無です」と述べている。倉本氏は「全部無です」と言っているので「死は終焉」と考えているのでしょう。

 

C:宗教者

ジェンダー論で著名な社会学者の上野千鶴子氏と、著名な宗教者の瀬戸内寂聴氏(19225月生、97歳)との対談(上野千鶴子著『おひとりさまの最期』朝日文庫302頁~303頁)から。上野氏は東日本大震災の被災地に入った仏教者は、生き残った方たちに「愛する人が先に往って、あなたをあの世で待っておられますよ。この一言が言えてうらやましいですね」と述べた。これに対して瀬戸内氏は「そう言えるようになったのはここ数年のことです」「得度した時には(→51歳で出家)、あの世を信じていませんでした」と述べた。

この発言から瀬戸内氏は90歳近くまで「死後の世界」を信じていなかったことになる。現在はあの世の存在を肯定しているが(→瀬戸内氏の死生観は、死後は個性を失って“霊の海に溶け込む”と考えているのか、それとも死後も個性が存続して生き続けると考えているのか、どちらかは不明)。

 

D:アクティブシニア

多くの意欲的で元気なシニア世代(=アクティブシニア)の方々は、「死」や「死後の世界」について「縁起でもない」としてまともに考えようとしない。そこには「死の先送り」や「死に対する思考停止」現象が見られる。

2013年のシルバー川柳入選作に「子は巣立ち、夫は先立ち、いま青春」がある。この作品からは子供は独立して家を出た、世話の焼ける夫は亡くなった(→妻は世間並みに夫の死後1年くらいは喪失感で寂しかったであろうが)、今は24時間自分の為に使えるので青春そのもの、老後の自由な時間を謳歌する心情が伝わってくる川柳である。

 

ウ)この説の問題点

死後の世界を一切認めない「死は終焉」という考え方の問題点としては、「人間は平等には生まれてこない(→生まれながらの経済的格差や、身体的・精神的障害の有無など)」「この世で因果律は完結しない」「逃げ得を許す」などが指摘できる。

 

死後の世界を一切認めなければ、この世で悪行の限りを尽くしても、見つからなければ「不正を咎められることはない」と考える人が出てくる。これでは人間社会が長年に亘って作り上げてきた倫理観の崩壊であり、ますます社会が悪くなっていく。また健康を害した高齢者や要介護の高齢者の場合には、この死生観では“後ろ向きの終末期”になってしまう。

 

②.「生命(霊)の海に溶け込む」という考え方

ア)馴染み易い説

上記のような唯物論的な考え方に馴染めない人たちの多くは、死を「生命循環」的に考える傾向がある。これには唯物論に近い考えをする人たち(→死は終焉、但し生きていた証は残る)から、よりスピリチュアリズムに近い考えをする人たち(→33回忌までは死霊という名の個別霊、それ以降は祖霊という名の集合魂。日本の伝統的な霊魂観)まで幅がある。

 

この考え方によれば、死とともに“私という個人”は消えてなくなって、死後は一種の「生命エネルギーのような大きな海」に溶け込み、そこから「大海の一滴」という形で次の新たな生命が生み出されると説く(注4)。死とともに“個性を持った自分(〇〇という名前の付いた自分)”は消えるが、「生命エネルギー」という概念の中に“自分が存在したという証”は残ると考える。これに近い考え方が血縁をベースにした日本の伝統的な霊的世界観にもある。日本人は比較的この「生命の循環(=生命の海に溶け込む)」説に馴染み易い。

 

イ)日本の伝統的な霊的世界観

日本の伝統的な習俗からは、供養の対象となる“死霊(死者の魂)”は「弔い上げ(33回忌)」によって初めて汚れを拭い去って清まり、個性を失って先祖の霊に融合して「祖霊という大きな海」に溶け込む(→33回忌までは死霊という名の個別霊、それ以降は「〇〇家、一族」というラベルの付いた海に溶け込む)。この祖霊が草葉の陰から子孫を見守る形で、または再生することによって、「祖霊という大きな海」と地上にいる一族との間を行き来することになる(注5)。「祖霊」とは個性を失った先祖の霊魂の集合体であり、一種の「集合魂」のこと、スピリチュアリズムで言うところの「個別霊(→死後も個性は存続する)」ではない。

 

この死霊(個別霊)が祖霊(33回忌以降は集合魂)となり、祖霊は神格化して祖神や氏神として祀られる「死霊→祖霊→祖神・氏神」という流れは、民族宗教である神道にも取り入れられている。神道では「神」と「祖先」との間には明確な境界がなく渾然一体のものとして扱われており、遠い祖先は祖先であると同時に「神(人格神)」としても崇められている。

 

③.スピリチュアリズムの考え方

一般に「Spiritualism」は「心霊主義」や「心霊学」などと訳されてきたが、現在ではその表記のまま「スピリチュアリズム」と訳されている。この訳語の「スピリチュアリズム」とは、霊魂の実在を基盤として「死後の世界の存在」や「死者との交信」を認め、さらに「死後も人間の個性は存続する」ことを信じる「霊魂説」を肯定する立場や思想のことである。

 

ア)死の先にも人生は続く

A:死は第二の誕生

シルバーバーチは「死は第二の誕生」(344⑫~⑬参照)と述べる。このように言えるのは「死の自覚を持った霊」の場合のみである。死んだことを自覚しない、未だ意識が肉体に向いている霊にはこの言葉は当てはまらない。なぜなら「死の自覚のない霊」は未だに肉体があると信じているので(→私は死んでいるとは思わないなど)、物的波長から霊的波長への意識の切り替えが出来ていない。そのため脱ぎ棄ててきた肉体を長年にわたって蝕んで来た病魔や、死の間際の痛みや苦しみなど、病気の感覚を未だに引きずっているから。

 

B:形体が変化するだけ

スピリチュアリズムでは「死の先にも人生は続く」、死は単に肉体がなくなっただけであり、その人の生前の個性や性癖は死後もそのまま維持していると説く。そして「死」とは、自我の表現媒体が肉体から霊体に移行する為の「通過点」に過ぎず、そこには物的波長から霊的波長へ切り替えを行うための「死の眠り」が存在すると主張する(→「死の眠り」とは、パソコンにソフトウエアをインストールする際に再起動して完了させるようなもの)。

 

例えればJR千葉駅から電車に乗って太平洋側を行くと、安房鴨川駅は外房線の終着駅であると同時に内房線の始発駅でもある。外房線に乗っていた“私”と内房線に乗っている“私”とは全くの同一人である。外房線という電車が内房線に変わっただけであって“私という意識”に変化はない。安房鴨川駅での乗り換えが“死の眠り”である。

 

死によって肉体の機能は停止する。それ以降“私という意識”の表現媒体は従来までの鈍重な物的身体(肉体)から、より精妙な霊的身体(→物質性の濃い霊体、いわゆる幽体のこと)に切り替わる。その切り替えには“波長の変換(→低い物的波長からより高い霊的波長への切り替え、バイブレーションの調整)”を伴うため、必ず「死の眠り」が存在する。このように「死」とは生活の場が“この世からあの世に代わる”通過点に過ぎない。

 

C:地上時代の個性を携えて霊の世界で生き続ける

死によって“私という意識”は、地上時代に形成された個性や性癖を保持したままの状態で死後も霊的世界で存続する(→少なくとも“霊の表面意識”に霊的自覚が芽生えてくる迄は)。それ故にスピリチュアリズムでは「死の先にも人生は続く」または「死んでも“私という意識”は生き続ける」などと説く。

 

イ)スピリチュアリズムの立場から個別問題を考える

A:高齢者の生き方の変化に繋がる

家族と同居している高齢者は「長く生き過ぎた(→もう十分生きた、早くお迎えが来ないかな)」「家族には迷惑をかけたくない」などと、何かと周囲に気を遣うことが多いという。さらに長年連れ添ってきた伴侶の死による生き甲斐の喪失や、健康に対する不安感から“うつ”になる老人も多い。スピリチュアリズムが主張する「死後生」の事実は、高齢者が陥りやすい厭世観に変化を生じさせて、自殺防止にも役立つことになる。なぜなら死の先にも人生が続くのなら、今をもっと大切にしようとする気持ちが芽生えてくるから。

 

老人の自殺は依然として多い。警察庁生活安全局地域課作成「平成18年中における自殺の概要資料」によれば、平成18年の自殺者総数は32,155人で、その内60歳以上の自殺者は11,120人となっている。60歳以上の自殺者は全体の34.6%を占めている。

 

B:グリーフケアについて

グリーフケアとは身近な人の死に直面して、喪失感に陥る人に対する癒しや慰めのこと。医療の世界では「遺族外来」「遺族ケア外来」「緩和ケア内科」等の名称が使われているが、埼玉県日高市にある「埼玉医科大学国際医療センター」では「精神腫瘍科」という名称が使われている(→素朴な疑問として唯物論の立場からは、患者に対してどのようなケアをするのだろうか)。「死は終焉である、死後の世界はない」と考える唯物論的死生観では、永遠に失ったことに対する空虚感が強くなる。その為、残された遺族の喪失感はより一層強くなる。

 

これに対して「死の先にも人生は続く」と説くスピリチュアリズム的死生観では、死に行く者にも残された者にとっても双方が救いとなる。この観点に立って初めて真の意味でのグリーフケアが可能となるから。なぜなら死後も“私という意識”は、表現媒体が異なるだけであって依然として存続しており、両者に親和性があれば霊の世界で再び出会うことが出来るから。

このような考え方をすることによって愛する者との死別は一時のものであり、心の痛みが癒されることになる。さらに「死の先にも人生は続く」という“事実”は、残された遺族に対して「再会できる迄の期間をどう生きるか」という明るい希望を持たせることにもなる。

 

C:お迎え現象について

死期が迫った者のもとに亡くなった家族や親類縁者が訪れるという「お迎え現象」(注6)は、自宅で家族に見守られながら死を迎える時代(在宅死)には普通に見られた現象であった。現在は死期が迫った者の最期の場所は、大部分は病院である(病院死)。

そのため最近まで「お迎え現象」は医療関係者の間では意識障害の「せん妄」として扱われていた(岡部健・竹之内裕文編『どう生き、どう死ぬか』弓箭書院2009166頁)。意識障害の「せん妄」と疑われた死期が迫った者に対しては、治療の為に興奮を鎮めて幻覚を抑える働きがある抗精神病薬が投与される。薬剤の投与によって次第に意識がはっきりしない状態となる。周囲の者は死に行く者の意識がはっきりとした清明状態でないと「お迎え」の話は聞けないので、必然的に「病院死」が主流の時代では「お迎え」の報告例は少ない(この項目、奥野滋子著『“お迎え”されて人は逝く―終末期医療と看取りのいま』ポプラ新書2015年刊参照)。

 

D:何のために「お迎え」を体験するのか

死後の世界を信じていない人でも「お迎え」を体験することによって、従来まで有していた“霊的な頑なさ”が取れて行く。生前口癖のように「死は怖い」と言っていた老人の死に顔が非常に穏やかであったという話はよく聞く。この穏やかな心の状態は、霊の世界の入り口で待つ“ガイド(→死のプロセスを滞りなく導いてくれる霊、多くは亡き血縁者や知人が担当)”が死者に接近するのを容易にしてくれる。そして死者が“ガイド”の言葉に素直に従えば、ほどなく「死の自覚(→自分は死んで霊の世界に来たという自覚)」が芽生えてくる。亡き血縁者の愛に基づく「お迎え」には、このような目的が存在する。「死は終焉」や「生命(霊)の海に溶け込む」といった死生観からは、「お迎え現象」の真の理解は得られない。

 

上記のような目的(→次のステップである“ガイドとの出会い”を容易にさせる)があるので「お迎え現象」には恐怖感は伴わない。これに対して患者が幻覚を見て(→血まみれの顔、魑魅魍魎など)恐怖感を抱く場合は意識障害の「せん妄」の可能性があり、ベッドからの飛び降り等の事故防止のためにも適切な医療行為は必要である。両者を見分ける際のポイントは、患者が穏やかな気持ちになって語っているか、恐怖感を持って語っているかにあるので判別がつく。

 

D:自然災害の多発化に伴う変化

近年は自然災害が多発している。多くの人は20113月の「東日本大震災」で津波が押し寄せる映像や、福島の原発事故(人災の側面が強い)の映像をリアルタイムに見て、他人ごとに思っていた「死」を身近に考えるようになってきた。

シルバーバーチは「地球も進化している。地震も雷も進化のしるし」(5143⑪~⑫参照)として、物的地球そのものも「進化」していると述べる。スピリチュアリズムの観点に立てば自然現象を「災害」と見るのは、人間的視点に立った見方と言うことが分かる。

 

また動物や植物も物的地球で生をうけて、それぞれの形体を通して得た物的体験を“種というグループ(=意識)”に持ち帰って「(集合魂たる意識を)進化」させている。物的地球は人間だけの専有物ではない。人間は自然や動植物と共存して、同じ「地球学校の生徒」として学んで行かなければならない(→河川の氾濫には遊水地を作って自然と共存していくなど、自然を抑え込むといった人間中心の発想を変えていく必要がある)。

 

4.思想家を悩ましてきた問題

ア)何のためにこの世に苦難はあるのか

A:魂の磨き粉

長年にわたり思想家を悩ませてきた問題に対して、スピリチュアリズムではどのような回答を出すのか。まず「何のためにこの世に苦難はあるのか」というテーマがある。これをスピリチュアリズムの観点に立って考えて見れば、人生上の苦難は“魂の磨き粉”という位置づけになってくる。

 

霊的視野から見れば、地上人生はホンの一瞬のことに過ぎない。シルバーバーチは永遠の観点から地上人生を見る、視点を変えてみることを私たちに説いている。この観点から苦難を見ると別の側面が見えてくる。

この世的な幸せを得ることが目標、物的要求を満たすことだけが目標といった人生からでは、「魂(=意識)を向上させる」ことはできない。この世に生まれてきた人間の本来の姿は、何らかの荷を背負い困難と取り組みながら、そこから何かを学び取って霊性を向上させる、それが地上人生の本来の姿である(152⑨参照)。

なぜなら人間は、困難、苦労、悲しみ、痛みなどを体験して、それらが魂の琴線に触れることによって、初めて自我に目覚めて霊的真理を受け入れる素地が出来上がるから(164②、3130⑨参照)。いわばそれらの体験は、受容性に富む魂を作り出すための“魂の磨き粉”の役割を担っている(769⑧~⑩、3213⑨参照)。魂の目覚め(=霊的自覚)は簡単には得られない(→成長は困難に堂々と対処し、挑戦を正面から受け止め、そして克服していく中で得られる:1273⑥参照)

 

B:自動的に磨かれることはない

ただし「困難・障害・病気など」に出会いさえすれば自動的に人間性が磨かれる、というわけではない。その「困難・障害・病気など」が人生を別の視点から見つめさせるきっかけとなって、結果的に人間性を磨くことに繋がるということである(8138⑥、8140⑧~⑩参照)。受け身的ではなく果敢に困難に挑み、そこから何かをつかみ取って行く態度が必要となる。

 

例えば70歳の老人が自らの来し方を振り返って、あの時の苦労がなければ自分の一生はチャランポランな人生だった、あの時の苦労が自分を磨いた、という独白と同じ。通常は苦しみの渦中にいる当の本人は悪戦苦闘して闘っており、周りを見回す精神的余裕はないだろうが、それを乗り切った暁には大きく成長して霊性も一段と磨かれることになるということ。このことは「困難・障害・病気など」を乗り切った多くの人が体験談として述べている。

 

C:霊性レベルと磨き粉の関係

シルバーバーチは「地球は宇宙の惑星の中でも最も進化の程度の低い部類に属する」(11177⑭~⑮参照)と述べる。環境と霊性レベルは一致するので、地上人類の霊性レベルの低さ故に“磨き粉の粒子”はそれなりに粗い、その“目の粗い磨き粉”を使って体を洗っているようなものである(→地球の霊性レベルに応じた粗い研磨剤入りの磨き粉。つまり重い病気や重大事故や災害に巻き込まれると言った厳しい体験のこと)。例えれば軽石に石鹸を付けて体をゴシゴシと洗うようなもので、当然に肌が痛い。そこまでしないと余りにも低いレベルにある地球人の霊性は目覚めないから。

 

◆「霊性の目覚め」とは

人間は霊であり、霊として何をなさねばならないか、ということを物的体験によって、表面的な自覚ではなく心の底から自覚する(→明確な霊的自覚を持つこと)、その為の仕組みが各自の人生の随所に組み込まれている。いわば「困難・障害・病気・災害」は「学校の試験」のようなものであり、霊的視点がどこまで身に付いたかを人生の節目で試される。

 

D:「塞翁が馬」の故事

大部分の人は「困難や障害はできるだけ避けるべき」との心情を持って生活している。シルバーバーチはこのような多くの人の願いとは真逆のことを説いて、困難や障害に出会ったらそこから逃げるのではなく、これらに積極的に立ち向かって自らの手で克服していく、その為の心構えを説いた(31⑫~2①参照)。例えば「コロナ不況」で事業が立ちいかなくなったら、債権者に頭を下げて回り、罵声に耐えながら再起を図る、または事業をたたむということ。仮にも責任を部下に押し付けたり、海外に逃亡したり、自殺したりと見苦しく逃げ回らないということ。

 

地上的な意味での幸福になることが地上人生の目的ではない。シルバーバーチはこの世的な視点で幸不幸を見るのではなく、霊的視点から見ることを説いた。このような霊的視点から見れば、不幸な人生が霊的に見れば幸多い人生であったということもあり得る。

 

E:刻苦と苦難、修養と節制の生活

シルバーバーチは人々から忌避されてきた「困難や障害に魂の磨き粉という役割」を持たせて、新しい意味付けを行った。そして霊的成長には「修養と節制の生活」と「刻苦と苦難」、この双方が必要になると述べた(997④~⑤参照)。

 

霊性の向上は「刻苦と苦難と修養と節制の生活」を通してしか成しえない。このように自我の本体に内在している“霊(神の分霊)”に宿された資質(→あらゆる種類の美徳と善行、つまり親切、同情、慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善、愛などの神の属性)を、自らの手で顕在化させる「霊性の開発」は、悪戦苦闘しながら困難や障害等と闘って乗り切っていかなければ勝ち取れないもの。最も達成が困難なものとなっている。そのために「永遠の時が用意されている」。ここから設問の「何のためにこの世に苦難はあるのか」の回答が出てくる。

 

イ)何のためにこの世に生まれてくるのか

A:カルマの解消

次に「何のためにこの世に生れてくるのか」というテーマがある。人は地上に生まれるにあたって最初にやり遂げるべき「人生のテーマ」を自由意志で決める。これは次の二つの側面から考えることが出来る。一つは個別霊が過去の地上人生で作ってしまったカルマの解消、つまり地上でしか償えない性質を持ったカルマの解消(→霊的負債の完済)という側面がある(10123⑧~⑨参照)。霊界で引き続き霊的成長の道を歩んでいくためには、自らの“意識の領域”に存在する霊的進化の足を引っ張る“カルマ(大きなシミ)”を、何らかの行動によって消して行かなければならない。

 

B:新たな地上体験を積む

さらにこの世に生れてくる別の側面としては、霊性を向上させるために「新たな地上体験を積む」という目的がある。個別霊は霊的レベルに見合った霊界の相応の界層で親和性のある他の個別霊と「霊的家族(→類魂、拡大した私)」という集団を作って、体験を共有しながら霊的成長を図っている。この集団は単なる個別霊の寄せ集めとは違い「大きな意識体を構成する集団」である。「その全体の進化の為に各自が体験を求めて物質界にやってくる」(語る319①~②参照)。

このように再生には「地上でしか償えないカルマの解消」(→個別霊の側面から見た再生)と、「霊的成長をするために新たな体験を積む」(→霊的家族という側面から見た再生)という二つの側面がある。ここから「何のためにこの世に生れてくるのか」の回答が出てくる。

 

ウ)人は死んだらどうなるか

最期に「人は死んだらどうなるのか」のテーマがある。スピリチュアリズムでは死はたんに肉体がなくなるだけ、地上時代の個性や性癖は何ら変わらずに保ったままの状態で、地上とそっくりな世界(=幽界)で生活すると説く。

 

5.個人や社会の意識を変える運動

①.素朴なスピリチュアリズム

霊魂は肉体が滅びても永遠に存在するという考え方は、洋の東西を問わず古代から存在している。これは神話伝承や出土品、例えば土器を母体に見立てて再生を願う土器棺墓(どきかんぼ)、妊婦や出産時の姿を形にした土偶などの出土品から「死者の霊魂」や「死後の世界」を前提とした観念が存在していたことが分かる。

このような古代から世界各地に存在してきた「死者の霊魂」や「死後の世界(他界)」を前提とした「素朴なスピリチュアリズム(=自然発生的なスピリチュアリズム)」には、近代スピリチュアリズムの「霊魂説」の観念と共通した部分が多い。前者の古代から存在した現象には「科学的説明」が為されておらず、そこには多くの迷信や俗信が混在している。その点が後者の「霊魂説」との相違点となる。

 

②.「近代スピリチュアリズム」とは

ア)1848年のハイズヴィル事件(フォックス家事件)

アメリカ・ニューヨーク州ロチェスター近郊のハイズヴィルにある“幽霊屋敷”に、184712月にフォックス家の人たちが引っ越してきた。

始めのうちは何事もなかったが翌年18483月以降、拳で家の壁を叩く音やノックの音、家中の家具を動かす音などが連日鳴り響いた(→ポルターガイスト現象)。331日の夜にひときわ大きなラップ音が発生したので、姉妹のマーガレットとケイトは発生源の霊と通信を試みたところ、霊からラップ音による返答が返ってきた。

 

その通信とは姉妹側が質問事項を述べて、それを霊側は“ラップの回数でイエス・ノーを返答する”形で会話がなされた。その結果、ポルターガイストを発生させた霊の身元が判明した。霊の身元はチャールズ・B・ロスマ(31歳)という名前の行商人であり、5年前この家に住んでいた住人に包丁で喉を切られて、所持金の五百ドルを奪われて殺害されたという。さらに死体は階段を引きずられて地下室の土間に埋められた、ということが判明した(→ここまでのやり取りにだいぶ時間がかかったのではないだろうか)。

 

イ)近代スピリチュアリズム(新スピリチュアリズム)

この「ラップによる霊との交信(1848331日)」によって、フォックス家の姉妹の噂は瞬く間にニューヨーク州北部から近隣の州へと広がり、大きく報じられて評判となった。当事者である姉妹は事件の渦中から逃れるためロチェスターにいる長女の家に引っ越したが、姉妹の行くところには絶えずラップ音やその他の心霊現象がついて回った。このことからラップなどの現象は、姉妹の“体質(=霊媒体質)”を介して発生したものであることが明らかとなった。この事実から心霊現象が発生する為には、その場に中間物質のエクトプラズムを供給する霊媒体質者の存在が不可欠であること。ここから心霊現象の発生と霊媒体質者の存在との因果関係が判明した(→霊媒体質者から流出したエクトプラズムを使って心霊現象を引き起こすため)。

 

この時期フォックス家の姉妹に触発される形で、各地に心霊現象を起こすことができる霊媒が次々と現れて各種現象が発生した。そしてこれらの現象に学者や知識人、聖職者などが関心を示し、アメリカ社会に一大ブームを巻き起こした。このブームは1850年代にはヨーロッパに飛び火し、その後世界各地に広まった(注7)。1870年以降、当時の一流の科学者を巻き込んだ調査研究によって、次第に心霊現象の仕組みが明らかとなってきた。この調査研究はその後の「科学的検証を伴った心霊ブーム」に道を開いた。近代スピリチュアリズムは「この世とあの世の交信は科学的に証明が可能」を強調する点で、自然発生的な素朴なスピリチュアリズムとは区別される。

 

◆「心霊研究」とは

「心霊研究」とは通常の物理法則では説明がつかない超常現象や超心理現象について、科学的な研究を行うことを指す言葉(→「超心理学」の古称)。一般に“信仰”に傾斜していく傾向を持つスピリチュアリズムとは一線を画す。

科学者による心霊現象の調査研究によって明らかとなった事柄を「スピリチュアリズムの土台部分(=霊魂説のこと)」と呼んでいる。この部分の超常現象や超心理現象の研究が「心霊研究」である。アメリカ・デューク大学のライン博士が1934年に発表した研究報告書以降、「心霊研究」は「超心理学」と呼ばれるようになった。ライン博士の研究は、従来の「霊魂仮説」に替わって「形なき知的存在の働きを仮定せず、仮に超常的な現象が起きても、それは生きた人間の仕業である」とした点に特徴がある。

 

③.生き方としてのスピリチュアリズムとは

ア)本来の住処

私たちの本来の住処は、霊的家族が待つ“霊界(狭義)”である。この“霊界(狭義)”は「同一霊格で、親和性を有する霊」が集団で生活する均一な世界である。そのような環境(→同一霊格で親和性がある霊の集団)の中で生活しているために、出会う人も自分と同じ霊格・タイプの者となり、遭遇する体験も共通している。

シルバーバーチは「こちらでは同一レベルにまで進化した者どうしの生活が営まれており、霊格による区別がはっきりしているからです。ですから地上のように比較対象というものがありません」(1巻174②~④参照)と述べている。

 

イ)地上世界

A:肉体を通して自我を表現する世界

この地球という物的世界で一定期間を過ごすためには、本来の私という意識(→霊魂、自我の本体)は肉体を通して自我を表現しなければならない(→肉体は個別霊がまとう衣装)。

 

その肉体という表現器官の仕様書(注8)は、本来の私という意識が選択した再生人生の“テーマ(→どういう種類のカルマを地上生活で清算するのか。または再生人生で新たに獲得すべき地上体験は何かなど)”に最もふさわしい、条件に見合った肉体となっている(→ケースによっては遺伝性の病気を発症するDNAを持つ両親を選択する場合がある)。

 

B:多様な霊格の霊が交わる世界

地上世界は霊格がバラバラで親和性がない霊、本来の住処である“霊界(狭義)”では絶対に交わることがない霊が、共通構造の肉体をまとうことによって、地上という同一平面で交わって生活している混在社会である。

 

C:地上世界は相対性・両極性の世界

地上世界は霊的に見て混在した世界であるため、本来の住処である“霊界(狭義)”では出会うことがない人や体験(→直接体験、間接体験)に遭遇する

困った隣人がいれば手を差し伸べる“愛にあふれた者(→被災地に率先してボランティアに出向く者)”がいる一方で、我が子をマンションの一室に閉じ込めたまま食事も与えずに恋人がいる鹿児島に旅行に行く者や、自分の快楽しか眼中にない利己主義者がいる。いわばこの世は本来の住処では絶対に出会うことがない霊(→肉体をまとった霊)と、日常的に出会うことができる(→直接に又は報道を通して間接に)、両極性に満ちた世界となっている。

 

ウ)この世は学校

私たちは“霊界(狭義)”では体験できないことを、地上という「学校」で、直接にあるいは間接に体験することができる。快楽主義者や利己主義者の末路を、直接にあるいは間接に見聞きして自らの教訓としている。このように地上は霊性向上の為に学ぶ機会に数多く出合える場となっている(→なぜなら地上は両極性の社会だから)。その為にいろんな学びができるので、この世は「学校」と言われている。

 

私たちはこの地上世界で苦と楽、悲しみと喜び、愛と憎しみ、勇気と臆病、平静さと怒り、嵐と晴天、明るい側面と暗い側面、困難と闘争など、さまざまな両極性(相対性)や二面性を体験(直接体験、間接体験)することによって学んで、各自霊性の向上を図っていく仕組みとなっている。シルバーバーチも「地球は学習のために通う“学校”です。その(学校での)学習は、比較対象の体験による以外には有り得ない」(到来25⑩~⑬参照)や、「人生とは学校です。刻苦と闘争、努力と困難、逆境と嵐の中をくぐってこそ魂は真の自我に目覚める」(4214⑩~⑪参照)と述べる。

このようにスピリチュアリズムでは地上世界を「学校」と呼んでいる。肉体は“私という意識”がまとう「学校の制服」である。

 

エ)知識から生き方へ

A:日常における実践

生き方としてのスピリチュアリズムとは、霊的世界や霊的知識を学んだらそれを日常の生き方に生かしていく、自らの生き方を変えていく、つまり「知識から生き方へ」という「意識の変革」を伴うスピリチュアリズムのこと9117⑭~118③参照)。

スピリチュアリズムでは日常における実践を重視しているので「実践哲学」とされている。方向性として「知識としてのスピリチュアリズム」や「世俗的なスピリチュアリズム」は、今後は「生き方としてのスピリチュアリズム」に収斂されていくのではないかと思われる。

 

B:たとえ

私たちが日常意識している「物的な心(→脳を介して形成された心)」は、利他的に働く霊的意識と利己的に働く本能に起因する意識(自己保全等)、この二つの意識がせめぎ合いながら形成されている。この状況を「起き上がり小法師」を使って説明してみる。

 

平らな台の上に「起き上がり小法師」を置く。この状態が本能に起因する意識が優位な状態、いわばモノ(本能に起因する意識)が優位、それに霊(霊的意識)が従属する意識状態で、この世的には最も安定した通常の利己的な意識となる。その状態から「起き上がり小法師」を傾けた状態にする。この状態が利他的に働く霊的意識が強い状態、いわば霊が優位、それにモノが従属する意識状態となる。この世的には異常な意識状態となるため、気を抜くと元の安定した“モノが優位”の状態に戻ってしまう。スピリチュアリズムを「生き方の指針にする」とは、傾けた状態を絶えず意識するようにして、この時間を長くしていくことを指す。

 

④.スピリチュアリズムは「意識を変える運動」

ア)スピリチュアリズムは知識

シルバーバーチは「スピリチュアリズムは知識です」(7175⑧参照)と述べている。スピリチュアリズムとは霊的知識であるが故にいか様にも活用できる。その利用実態はスピリチュアリズムが本来想定していた「来世の存在」や「死後個性の存続」等を前提とした「生き方の問題(→来世があるならこの世を如何に生きるべきか)」とは切り離された形で、「娯楽の一環」としてまたは「生業の糧」として、世俗的な欲求とセットとなって現世利益的に用いられている(→世俗的なスピリチュアリズムとして)。さらには単なる知識として“引出しの中”に仕舞い込まれるなど、多様な形で用いられているのが現状である。

 

イ)霊的知識を日常生活に活かしていく

シルバーバーチは事ある毎に「霊的知識に沿った生き方」や「霊性の向上」が最も大切であると述べている。例えば「獲得した知識は着実に実生活に生かしていくように心掛ける」(226⑤参照)など。なおシルバーバーチが述べる「霊性の向上」とは、自我の本体に潜在している“霊(神の分霊)”を意識の領域に顕在化させていく“意識の進化”のことであり、形体に具わっているサイキック能力の開発ではない。

 

個々人が「霊性の向上」を目指して行く為には、獲得した霊的知識を「生き方の指針」に据えて、日常生活を変えていく「意識の変革」が必要となる。なぜなら「死の先にも人生はある(死は第二の誕生)」という「スピリチュアリズム的死生観」が真に理解されることによって、その人の人生観が大きく変化して行くから(→いつの日か人間は物的地球という“同じ学校の生徒”として、動植物や自然と共に学んでいるのだという意識を持つまでに成長する、その結果、真の意味での共生社会が登場する)。

 

ウ)個々人が変われば社会も変わる

スピリチュアリズムの本質的な理解が広がり、「普遍的なスピリチュアリズム思想」を「自らの生き方の指針」にしようとする人たちが数多く出現して行けば、その社会の構成員の意識に変化が生じて、社会の慣習は質的な転換を迫られることになる。

現在のスピリチュアリズム・ブームが今後、表層的なもの(→いわゆる“世俗的・現象的なスピリチュアリズム”のこと)から、より本質的なもの(→生き方の指針としてのスピリチュアリズムのこと)に移行していけば、人々の意識に大きな変革が起こって、唯物主義を基調とした社会制度は徐々に変わっていくことになる。

 

欧米人には「救世主待望論」を主張する人が多いが、“社会全体の意識レベルの向上”は個々人の意識の変革が積み重なって少しずつ向上して行くもの。一人の救世主が現れて、一夜明ければ地球の霊性が他力的に向上していた、社会が変わっていたというものではない。意識を変える運動は時間のかかる最も困難な「社会変革運動」である(注9)。それ故に「スピリチュアリズム普及運動」も焦りは禁物、往々にして焦りは運動を過激にしていくから。

 

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<注1>

■「対抗文化」とは「既存の支配的な文化に対抗するもう一つの文化」という意味。一般に「人間と自然との共生型の社会を目指す生活様式・思想・運動などを指す言葉」として使用されている。この「対抗文化」は、黒人解放運動、女性解放運動、ベトナム反戦運動、ロックミュージック、フォークソング、フェミニズム運動、住民運動、自然回帰、エコロジー、東洋の宗教への指向という形をとって、欧米や日本などの「先進国や消費文化の発達した大都市圏で同時多発的に多様な形態として展開」(島薗進)した。この運動の経験者が「ニューエイジ運動」や「精神世界」などの分野に幅広く参加していった。

 

<注2>

■近藤千雄訳『シルバーバーチの霊訓、全12巻』(潮文社1985年~1988年)。ステイトン・モーゼス著、近藤千雄訳『霊訓』(国書刊行会1985年)。アラン・カルデック編、桑原啓善訳『霊の書』(潮文社1986年~1987年)等、多くの良書がこの時期刊行された。

 

<注3>

■江戸時代の文化文政期(1804年~1830年)、東京都日野市程久保と隣接する八王子市東中野に跨る地域で起きた実話。当事者が実在したこと。生没年や住んでいた場所、墓所がハッキリしていること。さらに勝五郎が語った内容が幕府に報告された文書(文政6419日御書院番頭佐藤美濃守宛の届書)や、文人・学者などが記録した資料(平田篤胤の「勝五郎再生記聞」、鳥取藩の支藩である若桜藩主池田定常の「勝五郎再生前世話」など)に残っていることから注目を集めた。小泉八雲は随筆集『仏の畠の落穂』10章で「勝五郎の転生」を載せて海外に紹介した。なお2017年に東京都日野市郷土資料館でイベントが開催された。

 

<注4>

■作家の五木寛之氏は『玄冬の門』(ベスト新書2016年刊、124頁~130頁)の中で、「生命エネルギーの永久運動ということを考えています」「自分がいなくなれば無になるけれども、それは大きな海の中で海水に溶け込んでしまって、そこでもう自分はなくなる。でも、その海水はまた水蒸気となり、雲となり、雨となって降り注いで、また一つの命になる」「自分が消滅する。海のような大きな世界の中に溶け込んでしまう」「自分の生命が溶け込んで消えてしまう。自分は消えるけれども、今度は大いなる海の中に溶解してしまって、大きな生命の循環の中に何か、自分の個性ではなく、個人ではなくて、生命エネルギーみたいなものが繰り返し循環する」「自分の終わりではあるが、生命の終わりではない」と述べている。

 

■この五木寛之氏の「生命観(大河の一滴)」という考え方は、高級霊シルバーバーチの「個的存在が消えてなくなる時は永久に来ません。反対に完璧に近づくほど、ますます個性が顕著になっていきます」(新啓示163⑬~⑭参照)や、「人間は霊的に成長することを目的として、この世に生まれてくるのです。成長また成長と、いつまでたっても成長の連続です。それはこちらへ来てからも同じです」(語る348⑪~349②参照)とは異なる。“私”は永遠に消滅しない。

 

<注5>

■国学院大学日本文化研究所編『神道事典(縮刷版)』(弘文堂)によれば、祖霊とは先祖の霊であり「個性を持たない霊魂を言うことが多い」「死んでから一定年数(多くは33年)以内の供養の対象となる死霊と区別して、個性を失ったものを祖霊」「祖霊がさらに神霊へと昇華する」「神格化した祖霊が、氏神や村落共同体などにより祖神や氏神として祀られる」とある。また「祖神」とは「生きている人間との広い意味での系譜的つながりにおいて捉えた概念」で、祖神は「親神(おやがみ)ともいう」(390頁参照)とある。

 

■民俗学者の柳田国男氏は「人は亡くなると祖先神となって山に鎮まり自然神である山の神となる」「春先には里に降りて来て田の神となり、子孫の農耕生活を守護し、そして秋の収穫後は再び山に戻って山の神となる」として、地上にいる一族との間で行き来すると述べる(『柳田国男事典』勉誠出版1998年刊の「山の神・田の神」参照)。

 

<注6>

■仙台で在宅緩和ケアを行っている医師たちは、2003年から2007年にかけて行ったアンケート調査をまとめて、それを2008年に東京大学大学院の研究誌『死生学研究、第9号』(20083月)に「現代の看取りにおけるお迎え体験の語り――在宅ホスピス遺族アンケートから」として掲載した。

2008年以前は、医療関係者の間では患者の「お迎え現象」を目撃しても、それを公表することが憚れる、そんな雰囲気が職場にはあったという。このアンケート調査が公表された以降は、医療関係者の間で「お迎え現象」が注目されるようになってきて、ここ10年余りで職場の雰囲気に変化が生じてきたという。

 

■心理学者のカーリス・オシス(1917年生、哲学博士)は、1961年から1964年にかけてアメリカ東部5州に住む医師・看護師各2,500名を対象にした大規模な調査を行った(5,000通の調査票の内1,004通が回収された)。さらに1972年から1973年にかけてインド北部で医師と看護師にインタビューをして、704通の調査票が得られた。

回収された1,700通余りの調査票を分析して、臨終時の体験は「大半が薬物や高熱や脳の疾患とも無関係」また「性別、年齢、宗教とも無関係」であること。さらにこれらの現象は「患者のお迎えという明白な目的を持っており、精神病的な幻覚とは大きく異なる」と述べている。日本における調査結果と類似するが「霊姿は必ずと言ってよいほど、死後の世界から訪れた使い」として、「大多数は他界した肉親であった」という。このようにオシスの調査から「お迎え」には、アメリカやインド北部、さらには日本との共通性が窺えて興味深い(K・オシス、E・ハラルドスン『人間が死ぬとき』たま出版1979年刊)。

 

<注7>

■スピリチュアリズム普及運動の口火

この霊界主導による運動の口火は、先進国の大都会に住む上流階級出身者が受け取ったものではなかった。当時の二流国家の農業国アメリカの片田舎に住む、名もない姉妹が地縛霊の交信者となって普及運動の口火が切られたのであった。

このようにして口火が切られた“スピリチュアリズムの普及運動”は、またたく間にアメリカ中を席巻した後、大西洋を渡ってヨーロッパに舞台を移して、各国の上流階級から一般庶民まで巻き込んだ一大ブームとなった。そして当時の先進国であるイギリスやフランスを発信地として、スピリチュアリズムは全世界に向けて広まっていった。

 

またスピリチュアリズムは日本や中国が霊界から受信して、そこから世界に向けて発信されたのではなかった。なぜなら19世紀は「白人至上主義の時代」であり、キリスト教の宣教と重ね合わせた形で、西洋から中南米・アジア・アフリカへという“大きな流れ”が存在していたからである。霊界側はこのような地上世界の勢力図を上手に使って、霊的潮流を全世界に行き渡らせていった。

 

■キリスト教色が濃い理由

よく言われるように“定評ある高級霊からの霊界通信”にはキリスト教的な“いろ”が付いている。それは通信の受信者にイギリスやフランスの霊媒が用いられたためである(→霊媒現象は霊媒の潜在意識にある用語や概念を使って行われるから)。また霊言現象の交霊会では、参加者の意識レベルに合わせた応答をせざるを得ないという制約がある。さらに参加者の宗教であるキリスト教や西洋的な価値観に配慮した応答がなされるので、これらの色が前面に出てしまう。霊媒と参加者全員が日本人であれば、同様に通信内容に人種特有の色が付くので、無色透明の霊界通信はありえない。

そのような欠陥はあるものの高級霊からの通信の受信者に日本や中国の霊媒を選ばずに、イギリスやフランスの霊媒を選んだのは、ひとえに当時は「東洋→西洋」という流れよりも「西洋→東洋」という流れの方が、1800年代後半から1900年代前半の世界においては最も各国の人々に受け入れやすい、との地上側の事情を霊界側が利用したものと思われる。

 

20世紀の前半までは「西洋優位の白人至上主義(当時は世界の常識)」という大きな“流れ”が地上世界には存在していた。霊界側は20世紀の前半まで存在した「西洋→東洋」という大きな“流れ”や、地上世界の勢力図を上手に使って、スピリチュアリズムを全世界に行き渡らせていった。残念ながら『シルバーバーチの霊訓』に代表される高級霊からもたらされた霊界通信は、受信地がキリスト教文化圏であったがために「西洋的なもの」というレッテルが張られている。しかし内容は普遍的なものであり、日本人にも十分に受け入れ可能な霊的教訓となっている。

 

■普及経路

この霊的潮流は、日本には明治時代に西洋の各種思想とともに断片的に流れ込んできたが、20世紀初頭の明治末期から大正時代にかけて、心霊関係の書籍の翻訳(英語→日本語)という形で、主にイギリス系のスピリチュアリズムが流入して一大出版ブームが起きた。大まかに言えば霊的潮流は、主として「アメリカ(1848年受信)→イギリス(1852年霊媒の英国訪問)→日本(明治・大正期の翻訳)」という経路を辿って日本に流入してきたと言える。

 

19世紀の「万国公法(国際法)」によれば

――19世紀の「万国公法(国際法)」では、ヨーロッパ文明を有する国だけが文明国とみなされ、国際法上の主体として認められていた。文明国は、開拓・征服・割譲によって新たな領土を獲得し、相互にそれを承認し、確定する権利を有していた。世界は三つに分けられる。第一は「自主の国(ヨーロッパ諸国)」で完全な政治的承認がなされた国。第二は「半主の国(半未開国:中国や日本など)」で部分的な政治的承認が得られた国であり、西洋諸国は一定の条約を結ぶ(不平等条約)が、拒んだ場合は武力征服する。第三は「未開国(アジア・アフリカ諸国)」であり、「無主の地」として征服の対象とされた地域である(皆村武一著『“ザ・タイムズ”にみる幕末維新』中公新書1998年刊、91頁参照)――。

当時は西洋優位の考え方が「世界の常識」であった。ここに明治新政府がイギリスを手本として近代化政策を強力に推進させた理由があった。

 

■南部バプテスト連盟

特徴的な事例が「南部バプテスト連盟」の世界宣教に見られる。エドウイン・ルーサー・コープランド(Edwin Luther Copeland1916年→ )は南部バプテストの宣教師、西南学院大学の神学部教授を務めた人だが、自ら所属する「南部バプテスト連盟」の宣教活動を批判的に述べた著書『アメリカ南部バプテスト連盟と歴史の審判』(八田正光訳、新教出版社2003年刊)を著している。

その著書によれば1915年に南部バプテスト連盟の外国伝道局(局長にJ・F・ラブが就任)では、「世界宣教におけるヨーロッパ人優先権(=アングロサクソン白人優越感)の考えが大きく強調された」という。局長ラブの考え方は「白人だけが、単に自分だけの人種だけでなく全ての人種を回心させる才能を持っている」。さらに世界伝道を遂行するための資質である“率先力”と“冒険心”は「この資質はアングロサクソン人に所有されており、どの黄色、褐色、赤色、または黒色人種にもないものである」(63頁~85頁)と述べている。このラブの考え方は西欧の植民地主義からも見られるように(→人種的優越や文化的優越といった優越感として)、白人一般に共通した考え方であった。

 

<注8>

■肉体という表現器官の仕様書

肉体の各部位の仕様は各人各様である。例えば生まれながらにして遺伝性の病気を持つ者や、人生の途上で遺伝性の病気が発症する者などがいる。この場合は再生人生で達成すべきテーマに沿った肉体をまとう必要性から、遺伝性の病気の発症リスクが高いDNAを持つ両親を選択して出生してきたといえる。

さらに人生の途上で遺伝とは関係ない難病などが、縁に触れて発症する可能性のあるような肉体器官を持つ人もいる。また生まれながらにして肉体部位の欠損などを持って出生する人もいる。これ以外に男に生まれるか女に生まれるかの選択もある(→人は再生人生のテーマを達成しやすい性別で出生する。再生人生のテーマ如何によっては障害を持った女に生まれて、難民となって紛争地をさまよって生きるという選択もあり得る)。

 

このように私たちの肉体の構造は同じであっても、再生人生のテーマによって“肉体の仕様書”は各自異なっている。オーダーメイドの仕様書によって肉体器官は作られている。以上から言えることは、病気や障害などはその人の“再生人生のテーマ”と密接に絡んでいるため、この世的な観点から軽々しい評価はできない。物質面・肉体面というこの世的な視点からのみ見れば、この世は矛盾に満ちた世界と言えようが、霊的視点から見れば何ら矛盾はない。

 

<注9>

■技術や制度の導入と慣習の見直し

江戸時代の藩幕体制下では、人々の忠誠心の対象は所属する藩であり、藩の集合体たる日本国ではなかった。幕末の対外的危機意識の高まりの中から、日本という国家や国民意識が徐々に生まれてきた。慶応4年(1868年)をもって明治元年とする詔書(しょうしょ)が出されて明治維新となり近代化の歩みが始まった。

 

明治政府は西洋の科学技術や制度、文物などを取り入れて、西洋諸国に追いつくための「国家の近代化政策」を急激に推し進めていったが、この過程で国民共通の国家観(ナショナリズム)や国民意識が芽生えてきた。この時期に進められた神仏分離令、太陰暦の廃止、断髪令、西洋化された食の奨励(肉食の奨励)、洋服の奨励、教育制度等の改革は、近代化の一環として行政主導で進められたものであり、いわば西洋列強に追いつくために社会に根付く旧来の生活文化や民族風習を見直すための作業であった。

行政主導で行われた社会の近代化はあらゆる分野に及んだが、その一環として当時の人たちの思考や行動様式に巣くっている迷信の排除があった。井上円了の妖怪学研究は民間人の立場からこの問題に取り組んだものであり、文化面から近代日本の立ち上げに貢献した一人と言える。

 

■意識の変革によって社会が変化する

敗戦後間もない昭和211127日、文部省の科学教育局資料課は「各地における慣習状況調査表」を全国に郵送して、行政主導による迷信調査を行った。昭和211224日には文部省に「迷信調査協議会」が設置された。

文部省が行った調査方法とは、各県から「都市部・農村部・漁村部」それぞれ各一校ずつ、計三校の小学校を指定して、迷信回答調査票を児童に配布して、家人に記入させて回収し、統計を取る方法で行われた。その迷信調査は『日本の俗信、1(迷信の実態)』『日本の俗信、2(俗信と迷信)』『生活慣習と迷信』(文部省迷信調査協議会編、技報堂、昭和25年~30年刊)にまとめられて出版されている。

このように大きな転換期に際しては、社会制度の見直しと共に慣習の見直しが行われてきた。国民の意識の変革なしには社会制度は変わらないからである。

 

■第三の変革期

近代以降の日本では明治期と敗戦後の社会において大きな意識の転換があった。まず明治期、欧化政策をとった明治政府による迷信排除が行われて、社会の近代化と共に国民の意識の変革がなされた。次に敗戦後の社会においては、日本国憲法の制定と共に人権意識が高まって、社会に根強く残る旧弊の見直しが行われた(→売春防止法の制定など)。

この二つのドラマチックな社会の変革期とは異なるが、現在は第三の意識の変革期にあたる。昨今、コンピューターの利用が急激に進み、バーチャルな空間で物事が決定される仕組みが急速に出来上がりつつあり、国民の意識もそれにつれて徐々に変化してきている。このような社会の変革とともに国民の意識も大きく変わりつつある現在、スピリチュアリズムがブームとなっている。

今後スピリチュアリズムの本質的な理解が広がって行けば、霊的知識を「自らの生き方の指針」にしようとする人たちが数多く出現することになる。その結果、国民の意識に変化が生じて、その時代の意識レベルに見合った社会制度が構築されて行く。このように社会制度と国民の意識の変革とは“車の両輪”となっており、相携えて社会が変わっていくことになる。

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2

『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

 

予備欄、その3

予備欄

予備欄、その2

予備欄

予備欄、その1

予備欄

『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

2020年の講座

第1講:生き方としてのスピリチュアリズムとは

第1講:生き方としてのスピリチュアリズムとは <講義用ノート>

 

 

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2021年の講座

第1講:スピリチュアリズムの基本――霊的摂理について

第1講:スピリチュアリズムの基本――霊的摂理について <講義用ノート>

 

第2講:スピリチュアリズムから見た「死」とは

第2講:スピリチュアリズムから見た「死」とは <講義用ノート>

 

第3講:他界霊の意識の変化

 

 

第4講:霊的に成長する為には

 

 

 

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◆講義録の掲載について

本稿は公益財団法人日本心霊科学協会で行った「シルバーバーチの霊訓、連続講座」の為に、準備した“講義用ノート”をアップしたものです(講座では時間の制約もあり“講義用ノート”の全てを講義したものではありません)。

なお2020年講座の第2講以下は“コロナ禍”のため中止となりました。

 

2019年『シルバーバーチの霊訓』連続講座を開催するに当たって

数多くある霊界通信の中でも最高峰と言われるのが『シルバーバーチの霊訓』です。この霊訓は『サイキック・ニュース』の主筆モーリス・バーバネル(19021981)が霊媒となった交霊会で、霊言形式で霊的教訓が語られてきたのを編纂したものです。日本では『シルバーバーチの霊訓』は近藤千雄氏の訳に限って見ても20冊ほど出版されております。

 

近年シルバーバーチに関心を向ける人が増えてきております。しかしシルバーバーチが現代人に伝えようとした霊的教訓を限られた時間の中で理解するのはなかなか困難なものです。そのため多くの愛読者に見られる陥りがちな傾向に「偏った断片的な理解」があります。

今回『シルバーバーチの霊訓』を学びたい方々にとって、霊訓の全体像を理解する為の一助になれば幸いと願って、連続講座を開催することに至りました。

 

 

宗教について:目次

①.第8講:宗教について <講座その1>

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/03/post-1c60.html

 

②.古代人の宗教について

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/05/post-0797.html

 

③.日本における祖霊観・霊魂観

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/06/post-6b57.html

 

動物について:目次

①.第11講:動物について <講座その1>

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/03/post-0ee0.html

 

②.動物について:総論編

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/02/post-52b5.html

 

③.動物について:個別問題

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/02/post-8fdd.html

 

研究編ノート:目次

①.個別テーマ(動機と道義心、睡眠中の体験、他)

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2013/10/post-a252.html

 

②.再生人生と宿命論

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/10/post-9551.html

 

③.神智学の「再生」に関する考え方:メモ

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/05/post-7d6a.html

 

④.時代背景:メモ

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/05/post-b1f7.html

 

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