スピリチュアリズム研究ノート: 目次

<Ⅰ.基本編>

1.旅のガイドブック(死後の旅路の行程)

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-18eb.html

 

2.『シルバーバーチの霊訓』講座、その1

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/10/post-55c0.html

 

3.『シルバーバーチの霊訓』講座、その2 

『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

4.講座・講演会の講義録

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/12/post-16cf.html

 

 

<Ⅱ.研究編、その1>

1.スピリチュアリズムについて

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-6a12.html

 

2.霊的成長について

霊的成長について:目次

 

3.心霊治療・医療

心霊治療・医療:目次

 

4.霊能者・心霊現象

霊能者・心霊現象:目次

 

5.意識の進化(個別化から個性化の道へ)

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-e188.html

 

6.動物について

動物について:目次

 

7.宗教について

宗教について:目次

 

8.スピリチュアリズムとキリスト教

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-ef22.html

 

9.心霊研究

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-ed20.html

 

10.研究編ノート

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-8f54.html

 

 

<Ⅲ.研究編、その2

1.なぜ「19世紀半ば」であったのか

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/05/19-b815.html

 

2.日本におけるスピリチュアリズムの黎明期

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-707f.html

 

3.霊媒・三田光一研究

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-eb9c.html

 

4.浅野和三郎研究

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-d069.html

 

 

 

 

 

 

第7講:動物について

<目次>

1.動物の死後

・「個別霊」と「集合魂」の違い

・個々の個体を有した動物の死後

2.動物実験について

・暮らしに深く根付いている

・動機と道義心の関係から

・現代人に共通のカルマとして

3.肉食の問題

・シルバーバーチの基本的見解

・「個別意識」「類魂意識」の有無

・一つの考え方

4.その他の問題

・害虫・有害鳥獣の駆除

・動物愛護の問題

5.講座に寄せられた質問

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

1.動物の死後

①.「個別霊」と「集合魂」の違い

ア、因果律の働き

<イラスト①>                 <イラスト②>

<イラスト③>

A、はじめに

今回のテーマである「動物」という生命体は、イラスト①の「器たる意識」に盛られた小さな一粒である「個々の意識」が、地上体験を積む為にまとう物的形体を指す言葉である。今回は最初にイラストを使って、スピリチュアリズムの中でも最も難しいと言われている「意識の進化」の説明から入って行く。

 

B、イラスト①の説明

イラスト①の「器たる意識」とは、因果律の主体となる「意識(→集合魂、集合意識、種属、類魂、グループ・スピリットなどの名称がある)」のこと。なお「種属」とは生物学の用語のことで、共通の特徴を備えた一群を指す言葉である。

またイラスト①の「器に盛られた個々の意識」とは、因果律の主体とはならない一匹一匹の動物の物的身体にある核の部分でイラスト③のAの「エッセンス部分」のこと。この部分に書き込まれた地上体験というデータをイラスト①の「器たる意識」に持ち帰る。

 

C、イラスト②の説明

 イラスト②の「意識」とは、イラスト①の「器、集合魂」(太枠のマス形)のこと。この「意識」の進化レベルが「A」であれば、イラスト①の「個々の意識」がまとう形体は「a(例えば昆虫)」となる。昆虫という物的形体の死滅後、イラスト③の「A、エッセンス部分・個々の意識」に書き込まれた地上体験を、イラスト①の「器、集合魂」に持ち帰る。これが延々と続きイラスト①の「個々の意識(小さな丸)」の全てが地上体験を完了すれば「1学年進級」して、進化レベルも一段階上がり意識は「B」となる。そしてその「意識」レベルがまとう形体は「b(例えば魚類)」となる。同じように魚類という物的形体の死滅後、イラスト③の「A、エッセンス部分・個々の意識」に書き込まれた地上体験を、イラスト①の「器、集合魂」に持ち帰る。これが延々と続きイラスト①の「個々の意識(小さな丸)」の全てが地上体験を完了すれば「1学年進級」して、進化レベルも一段階上がり意識は「C」となる。その「意識」レベルがまとう形体は「c(例えば両生類)」となる。この繰り返しが延々と続く(永遠の大道259262参照)。

 このようにイラスト②の「意識」の進化レベル「ABCD」に応じた物的形体「abcd」を、イラスト③の「A、エッセンス部分・個々の意識」は一匹一匹としてまとうことになる。「意識」がアップすれば、それに応じてまとう形体もより洗練された形体になって行くから。例えば進化レベル「A」にある「意識」は「a」という形体を、進化レベル「B」にある「意識」は「b」という形体を、一匹一匹がまとって地上体験を積むという具合に。

 

D、イラスト③の説明

イラスト③は地上で見かける一匹一匹の動物の構造を示したもの。それは「A、個々の意識・エッセンス部分」と「B、接合体」と「C、物的身体」の三者がワンセットになった構造をしている。マイヤース霊は「物的形体の死滅後、植物のエッセンスないしは魂(イラスト③のAの部分)が無数に集まって一つにまとまった存在(イラスト①のマス形の器)を形成する」(永遠の大道259⑫~⑬参照)と表現している。

イラスト③の「A、個々の意識」に書き込まれた地上体験という“データ”は、それぞれの個体がイラスト①の器たる「意識」に持ち帰る。そして「集合魂」全体として因果律が働いて進化の階段を上がって行く(5巻97①~③参照)。進化によってイラスト②で示した「意識」は「A」から「B」へと一段階上がって行く。

 

イ、ダーウィンの進化論との違い

 ダーウィンに代表される進化論は、霊の存在を一切認めない「唯物論的進化論」に立っている。生命の起源に関しても、あらゆる生物は一つまたは複数の共通の祖先から自然の作用によって生まれたもの。その祖先それ自体も非生命体の「水・空気・鉱物などの物質」の無機物から生じたものであるとして、「無機物→有機物→原始原核生物(生物の共通の祖先)→〇〇」の流れで生物の進化を説明している。この点からも進化論は「宇宙の一切の存在や現象は物質で説明できる」とする唯物論の立場に立っていることが分かる。

その進化論はイラストで示した形体(abcd)それ自体が、ゆっくりとまたは突然変異的に一段階上の物的形体に、つまり「abcd」という具合に連続的に進化して行くと主張している。このように「唯物論的進化論」には、「意識(意識なるもの)の進化」という霊的観点「ABCD」がそっくり抜け落ちている。物的観点からのみ進化を考えている点に問題がある。

シルバーバーチは物的形体としての「一羽の鳥が(aが“bcd”という具合に)やがて一人の人間になって行くのかと言うことであれば、答えはノーです」(10201⑪~⑫参照)と述べて、形体のみで進化を考える「唯物論的進化論」を否定している。

 

ウ、因果律の表れ方

<集合魂または集合意識、動植物>      <個別霊または個別意識、人間>

     

A、人間と因果律

人間は個々人ごとに「本来の私という意識」の中に「神の分霊」を一身専属的に有している。その「意識」がまとう形体は一体のみであり(→例外はアフィニティー)、因果律は個々の個体ごとに発生する。人間が犯した摂理違反行為は、個別霊たる本人自身が償うという形で成される。

 

B、動物と因果律

進化が動物レベルの場合には、地上で見る一匹一匹の個々の形体(→上記イラスト「A、個々の意識・エッセンス部分」と「B、接合体」と「C、物的身体」がワンセット)に対しては、因果律は働かない(5巻97①~③参照)。シルバーバーチは「(埋め合わせなどの法則は)一匹とか一頭とかについてではなく、その動物の属する類魂全体を単位として法則が働く」(5巻96⑪~97①参照)と述べる。

死後「C、物的身体」は大地に帰り、「B、接合体」は中間物質の「普遍的流動体」に吸収される。さらに「A、エッセンス部分・個々の意識」は出身母体の種属(5101⑥参照)である「意識」の中に埋没する。そのため因果律は一匹一匹の個々の形体ではなく出身母体の種属ごとに働く(→器たる種属に“神性たる神の分霊”が宿っている、なぜなら「意識」は神の一部だから)。

個々の形体が犯した摂理違反行為は積み重なって、その“出身母体たる種属”に進化の停滞として表れる。シルバーバーチは「その動物の属する類魂全体を単位として法則が働く」(5巻97①参照)として、犬と猿を例にして説明している(5巻110⑦~⑪参照)。

 

C、集合魂の進化

 菌類や昆虫などのように進化レベルが低ければ、「意識(=集合魂、集合意識、種属、類魂、グループ・スピリット)」たる器の規模は巨大となる。進化レベルが次第に高くなれば種属たる器も小さくなり(イラストACへ)、器に所属する個々の意識の数は次第に少なくなっていく(8巻206⑮参照)。グループの大きさに違いはあるものの「霊性・神の分霊」は種属全体に及ぶ形で内在しているので、因果律は種属たる器ごとに発生する(597③、語る199①~③参照)。

 このような特徴を有する「集合魂・集合意識」は進化の最終地点でどうなるのか。シルバーバーチは人間の身体に宿る個別霊に進化して行くと述べる。「初めて人間の身体に宿る霊は、動物の類魂(=集合魂、集合意識、他)の中の最も進化した類魂」(5巻101⑧~⑨参照)であると。

イラストで説明すれば、ABCと進化した「意識(=集合魂)」はさらに限りなく細分化して行く。そして進化レベルDに達して卵(=個々の意識)と器(=意識)が合体して、それが人間の身体に宿って個別霊となって行く。

 

エ、一般的な「意識」とは異なる

シルバーバーチが言う「意識」とは、私たちが一般に使用する物的脳を介して意識する顕在意識とは異なって、もっと広い「意識、意識なるもの」あるいは「神の一部」(3巻113④参照)という意味で用いている。

シルバーバーチは意識を「神の分霊」が顕現する場という意味で、無窮の過去より常に存在する意識が「さまざまな形体を通じて顕現し、その表現を通じて絶え間なく洗練されつつ、内在する神性をより多く発現していく」(3巻113⑤~⑦参照)と述べる。

例えば「かつてあなたは猿でした。猿そのもの(イラストの形体a)だったという意味ではありません。猿という種を通して顕現した時代もあった(イラストの意識A)という意味です」(1280⑨~⑪参照)。人間という形体(イラストの形体d)をまとう「個別霊・個別意識(イラストの意識D)」は、かつて「個々の意識」が猿の形体(イラストの形体a)をまとった「集合魂・集合意識(イラストの意識A)」の時期もあったという意味。

また無限の広がりを持つ意識を「意識には無限の次元、レベル、界層がある」(1080④参照)と述べている。“本来の私という意識”に内在している“神の分霊”の顕在化率は0%~100%まであり(イラスト参照)、その範囲内で意識は拡大して行く。意識は環境を形成するので「無限の次元・レベル・界層」が存在する。

他の霊界通信にも「大海は神(の分霊)が外部に向けて顕現していく存在の場です」(彼方4巻144①~②参照)との表現がある。これはシルバーバーチが述べる「意識」を「大海」に読み替えれば同じ内容となる。人間で言えば“本来の私という意識”が「大海」であり、そこが「霊(=神の分霊)の顕現の場」ということになる。

このように人間という物的形体をまとった「意識(個別意識)」と、人間以下の生物という物的形体をまとった「意識(=集合魂を構成する個々の意識、ある種のエッセンスのこと)」では、「意識」や「霊性・神の分霊」の在り方が異なっている。

 

オ、例えを使って説明する

丼ぶり(→出身母体の種属たるグループ)にイクラが山盛りになっている図を使って説明する。イクラの一粒が「A個々の意識またはある種のエッセンス」であり、地上世界で私たちが見かける個々の動物の形体に存在する核の部分の“エッセンスたる幽質”のこと。その動物の“エッセンスたる幽質”部分に地上体験が記録される。死後にその幽質に書き込まれたデータを“丼(→種属たるグループ、集合魂、集合意識)”に持ち帰る。その過程が延々と続く。

地上で見かける一匹の動物、つまり「個々の意識・エッセンス部分+接合体+物的形体」には、生命素を取り込む為に中間物質の接合体が物的形体と一対となって存在する(個人的存在19⑦~⑧参照)。しかし霊的要素たる「意識(集合魂・集合意識)」は“出身母体の種属たるグループ”の言わば共有状態となっている(→ペットは人間の愛を受けて一時的に共有状態から個別の霊的要素が出現する)。「霊性・神の分霊」は丼に内在しており(→因果律は丼、つまり種属ごとのグループを単位として働くから)、個々の意識(イクラの一粒)には内在していない。

人間以下の場合は出身母体の種属たるグループ(集合魂・集合意識)を単位として「進化」して行く。種属たるグループの進化に伴って「個々の意識・エッセンス部分」がまとう形体も「植物→昆虫→魚類→〇〇→〇〇」と一学年ずつ進級して行く(永遠の大道259頁~260頁参照)。形体が無い“集合魂という意識”(5巻103④参照)の霊的進化に伴って、その個々の意識がまとう表現形体も一歩一歩発達して行く。

 

②.個々の個体を有した動物の死後

ア、大部分の動物の死後

地上世界で哺乳類という物的形体をまとった“個々の意識”には、人間のような個別意識はなく共通の特徴を具える“種属というグループ”ごとに「類魂意識」を共有するだけである(8206⑧~⑨参照)。人間との接触を通して愛の相互作用という形で「霊的進化を促進し合う」(8186②参照)関係にない大部分の動物の死後は、物的形体の中核部分たる「個々の意識・エッセンス部分」は所属するそれぞれの“種属というグループ(集合魂・集合意識)”の中に融合していく(8186⑤参照)。

 

イ、ペットの死後

A、人間から愛を受けた動物

人間の生活領域に近づいてきた動物(ペット)の場合は、人間との接触によって個別意識が芽生えてくる(8210④、到来220⑧~⑨参照)。犬は今から1万5000年~1万年前に狩猟採集民の猟犬・番犬として飼われた。猫は農耕が始まった1万年~5000年くらい前に、ネズミの害を防ぐ目的で人間に飼われ始めた。なおペット化される為には最低限「人間の生活領域に入る」「人間に可愛がられる」「犬や猫などの動物は仕草で愛を表現する」の要件が必要である。

 しかし依然として因果律は“種属というグループ”ごとに働くため、霊の世界(→幽界の下層にある幻想の世界、Y―1)で幽質をまとった“個体(A個々の意識・エッセンス部分+B接合体+C幽質の身体)”としての存続は一時的なものに過ぎない。

なおペットは死後、担当する霊界人の世話を受けながら、幽質でできた形体をまとった状態で、他界してくる飼い主を幽界の下層界(Y―1)で待つ(8巻187⑦~⑨参照)。この「事実」が知れ渡れば、ペット・ロスで悩む人たちにとっては朗報となる。

 一時的に幽質をまとった動物(ペット)について、シルバーバーチは人間に可愛がられた動物は「類魂全体に対して貢献したことになります。類魂全体としてその分だけ進化が促進されたことになるのです」「全体のために個が犠牲になったということです。そうしたことが多ければ多いほど類魂の進化が促進され、やがて動物の段階を終えて、人間の形体での個体としての存在が可能な段階へと進化してゆく」(592⑧~⑫参照)と述べる。

 

B、ペットは貢献度の高い社員

集合魂とペットとの関係につき、企業の経済活動を例にして説明する。死後出身母体たる“種属というグループ”に直帰する動物の“個々の意識”を一般社員に、ペットを貢献度の高い社員に、出身母体たる“種属というグループ(集合魂・集合意識)”を会社に置き換えて解説して見る。

現実社会では「〇〇株式会社」と「△△株式会社」の企業間取引は、それぞれの会社の営業部に所属する社員がまとめ上げて、最後に代表権を持つ者が会社を代表して契約を締結する。その権利義務の帰属主体は社長や個々の営業部の社員には無く、それぞれの会社に帰属する。営業部の社員がいくら頑張って案件をまとめ上げても、あるいは会社に対する貢献度がずば抜けて高くとも(→ペットの場合に該当)、その成果は会社に帰属し、会社の業績アップにつながるだけである。この事例からも分かるように、ペットは出身母体たる“種というグループ”の進化に大きく貢献したことになる。このように考えれば理解し易いと思う。

 

C、死後一時的に幽質をまとう

数多い動物の中には人間と接触することによって、人間らしい個性的な意識や個的存在としての意識を一時的に表すものもいる(589⑪~⑬参照)。これらは人間の“愛”によって一時的に個別意識を持ったままでの存続が可能となった動物(ペット)である。この動物は死後、幽質をまとって生前の形体を維持しながら生活することができる(8185⑬参照)。このように人間には、いまだ個別意識が芽生えていない動物に対して、“愛の力(→家族の一員という形で)”によって一時的に個別意識を授ける能力がある。

地上でペットとして可愛がられた動物は、死後の一時期、幽質をまとって幽界の下層界(Y―1)で人間の霊に混じって生きていけるが、飼主との同居期間は長続きしない(591③~⑤参照)。「霊的自覚」が芽生えた人間の霊は幽界の上層界(X)に移行していくのに対して、進化のスピードが遅いペットの霊は下層界(Y―1)に取り残される。

意識面から見ればペットは「集合魂・集合意識」であり、飼主たる人間は「個別霊・個別意識」であるから。この違いは進化のスピードに表れる。取り残されたペットの霊は、やがてその動物の出身母体である“種属ごとのグループ”の中に融合して個性を失っていく(591⑪、8206⑤~⑥参照)。

 

2.動物実験について

①.暮らしに深く根付いている

ア、顕現の程度に差がある

動物に潜在している「霊性(→集合魂という因果律の主体となる種属の中に潜在している神の分霊)」と、人間に潜在している「霊性・神の分霊」とは本質においては同じもの。しかし個別霊と集合魂といった「意識」の有り方の違いや、潜在している「霊性・神の分霊」の顕現の程度に於いて差があるだけ(8181⑫~182①参照)。

動物の種属ごとの「集合魂・類魂意識」に潜在している「霊性・神の分霊」の顕現を増して行くためには、形体なき「集合魂・類魂意識」は物的身体をまとって(5巻103④~⑤参照)、地上体験を積む必要がある。なぜなら個々の意識がまとう物的形体、その地上体験の集積が種属たる「集合魂・類魂意識」を形成するから。

 

イ、霊性の進化という観点から見ると

現代社会では動物を使った基礎研究は、医学技術の開発、新薬開発、化粧品・食品添加物・農薬の毒性試験など、各分野で広く行われており、私たちの暮らしに深く根付いている。

シルバーバーチは屠殺や実験で犠牲となった動物には、その出身母体である“種属というグループ(=集合魂、集合意識)”を単位として「埋め合わせの法則」が働く(596⑨~97①参照)。その際に「一匹とか一頭とかについてではなく、その動物の属する類魂全体を単位として法則が働く」「類魂全体としての因果律がある」(596⑪~97①、97③参照)からと述べる。

また動物実験という残虐行為の影響は「動物自身だけでなく、それを働いた人間にも」霊性の停滞という形で現れる(メッセージ231⑤~⑥参照)。なぜなら動物実験は無慈悲で残虐な行為であり、残忍性と野蛮性は物的世界に霊的エネルギーが流れようとする通路を遮断してしまうから。これに対して利他的行為は、宇宙に遍満している霊的エネルギーが私を通路として他者に流れて行く行為であり霊性の向上につながる。シルバーバーチは「人間の残忍性は動物の進化を遅らせる」(8207②~③参照)と同時に、「自らの進化を遅らせる」(8207②~③参照)ことになるとして動物実験に反対する。

 

②.動機と道義心の関係から

ア、動機は何か

動物虐待に繋がる動物実験は霊的摂理に反する行為だが(4202③~⑥、8123⑬参照)、実験者の中には「病で苦しむ人を何とか救いたい」「人類を病魔から解放したい」といった真摯で誠実な動機から行う者もいる。

シルバーバーチも「しょせん地上世界は発展途上にある未熟な世界です。それゆえ、同胞のためと思ってすることが、他の生命の権利に干渉する事態がどうしても生じます。そこで私は動機を重視するのです」(道しるべ224②~⑤参照)と述べる。さらにシルバーバーチは動物虐待という問題の特殊性を考慮して「動機は人のためと云うことで結構ですが、しかしそれが動物に苦痛を与えているわけです。そうした点を総合的に考慮した上で判断が下されます。いずれにせよ私としては苦痛を与えると云うことには賛成できません」(5115⑪~116①参照)とより厳しく述べている。

 

イ、霊的摂理に反した行為

霊的摂理から見た結論は「実験者の動機は誠実であるが動物実験は霊的摂理に反した行為である」。これは実験者の「動機と道義心」の問題として考えることが出来る。道義心とは「行為時の霊的意識レベル(→本来の私という意識に“神の分霊”が顕在化する比率に応じた意識レベル)」なので、「動物実験を行う行為者の動機は何か」そして「その動機は道義心に適っているか」が問われることになる。

実験者の動物実験当時の「道義心(=霊的意識レベル)」では問題なかった。なぜなら動機が誠実なので動物実験が霊的法則違反であることが分からなかったから。そのため霊的法則に違反した行為の因果律はいったん凍結状態となる。その後、実験者の霊性が向上した段階で過去の霊的違反行為は解凍して因果律が動き出す。顕在意識レベルで霊的法則違反を認識した段階で、実験者は何らかの償いをすることになる。

 

ウ、意識の進化と環境の関係

意識の進化という観点から見ると「人間の霊性の発達と自然界の現象との間には密接な関係がある」(598④参照)ので、「人間が進化すればするほど地上から(動物実験といった)残忍性や野蛮性が消えていく」(5100①~②参照)。将来的には動物を使った基礎研究は、動物を使わない他の手段に置き換わって行くのではないだろうか。なぜなら人間の思念によって環境が作られて行くため、霊的レベルと環境(→社会環境、研究や実験環境など)は一致するから。

この点から見ても動物実験を必要とする現代人の霊性レベルは、階層構造的な霊的世界に於いてはかなり低いということが分かる。シルバーバーチもこの点を考慮して「しょせん地上世界は発展途上にある未熟な世界です」(道しるべ224②~③参照)と述べている。

 

エ、蕎麦屋の蕎麦汁の話

実験者の真摯で誠実な動機と動物実験との関係につき「蕎麦屋の蕎麦汁」を使って説明する。蕎麦屋で蕎麦を食べた時に、注意して食べたにもかかわらず汁が跳ねて服につきシミとなった。蕎麦屋の店内の暗い照明では見えなかったので、服がシミになっていることに気がつかなかった。料金を支払って外に出て、明るい太陽の下で良く確認したら服にシミがついているのが分かった。これは霊性が向上して薄暗い低い世界から明るい高い世界に来ると、自分の意識の中にある“シミ(→未熟な部分や人に迷惑をかけたこと)”が浮き上がって来てよく見えてくるという例えである。

 上記の事例で蕎麦汁が跳ねて服についたことに気が付かなかった場合は、道義心つまりその時点で到達した霊的意識レベルに反しないケースである。この場合はより明るい世界に来て、服にシミがついていたことに始めて気がつくことになる。

一般に「進化」の低い段階では、ある行為が霊的法則違反であると言うことが認識できない。現在の地球人の霊性レベルでは動物実験が霊的法則違反であることに気づかないのと同じ。なぜなら蕎麦汁が服についたことに気づかない、道義心に反していないから。しかし道義心に反していないからといって“服についたシミ(→霊的法則違反の動物実験を行ったこと)”がなかったことになるわけではない。

これに対して蕎麦汁が跳ねて服についたことに気づいていれば、道義心に反した行為となる(→動物実験が霊的法則違反であることを理解した実験者の場合)。なぜなら服がシミになったことを認識しているから。このように考えれば理解できるのではないだろうか。

 

オ、進化の低い段階では摂理違反に気付かない

A、因果律が解凍する

霊性が向上して一段と明るい世界に来ると、それまで気が付かなかった自分の「意識」の中にある“大きなシミ(→地上で償うべきカルマ)”や“小さなシミ(→己の未熟な部分や人に迷惑をかけたことなど)”が、意識の表面(→顕在意識・表面意識の領域)に浮かび上がってきて良く見えるようになる。そして何とかしたい気持ちに襲われる。いわば凍結していた因果律が、霊性の向上によって解凍して動き出したから。

 実験者が「病で苦しむ人を何とか救いたい」との真摯で誠実な動機は、行為時に於いてはその時点で到達した霊的意識レベルである道義心に反していない。そのため動物実験という霊的法則に反する行為の因果律はいったん凍結される。

その後実験者の霊性が向上して、過去に於いて行った行為が意識の表面に浮かび上がってくる。その時点に於ける道義心は、過去に行った動物実験に対して霊的法則違反を告げる。なぜなら霊性が向上したことによって、凍結状態にあった因果律が解凍して動き出したから。実験者が霊性向上の道を辿るためには、これを何らかの形で処理しなければならない。

 

B、浮上してきた因果律を処理する

日本には古くから牛や馬などの動物を扱う人たちが、人間の犠牲となった牛馬等の動物霊を供養するため、馬供養塔や牛供養塔などの石碑を立てて祀るという風習があった。また人間が生きていく上で、その犠牲となった「動物に感謝する」「命に感謝して食する」という風習もある。

ここから類推して実験者は何らかの形で利他的行為、たとえば「動物愛護運動」といった「動物の権利」を守る活動や霊的知識の普及活動などを行って、意識の表面に浮上してきたマイナスの因果律を処理するのではないだろうか(→実験者が生前に霊的法則違反に気づいた場合の例。死後に気付けば霊界から運動をバックアップする形で)。

 

③.現代人に共通のカルマとして

動物実験によって得られたデータは、さまざまな製品の安全性の検証に用いられて、現代人の生活の利便性に寄与している。いわば現代社会は動物の犠牲の上に成り立っていると言えよう。動物虐待という霊的法則に反したカルマは、当事者(=実験者)だけに留まらず広く“受益者である現代人”も背負うことになる。当事者が作ったカルマとは性格が異なるが、受益者である以上何らかのカルマを“広く薄く背負う”ことになるから。

このように動物実験によって利便性を受ける者が負う責任、つまり「受益者理論」を使えば、責任は個々において背負うのが摂理であり他人の行為に責任を負わないとする「自己責任の原理」(658①~②、11174⑧~⑩参照)の問題をクリアすることになる。

 現代社会は各地で紛争が絶えず、既得権者による目に余る横暴や、社会格差から派生する悲劇などが各地で日常的に起きている。それらを私たちはマスコミやインターネットのSNSなどを通して知ることになる。このような重苦しい時代の空気の中で私たちは生きざるを得ない、という制約を負わされることによって、未熟な社会が生み出したカルマを“受益者の一人”として刈り取っているわけである。

 

3.肉食の問題

①.シルバーバーチの基本的見解

ア、地上世界は「学校」

スピリチュアリズムでは地上世界は「学校」または「トレーニングセンター」という位置づけである(9129⑤~⑥参照)。私たち人間には限定的な自由意志があり、それを行使しながら各種地上体験を積んで霊性の向上を目指している。

その体験学習の一つに肉食の問題がある。この肉食の問題にどのように対処するかは各自の判断に任されているが、ここでも動物実験と同じように「動機と道義心」との関係が問題となってくる。シルバーバーチは肉食につき「その人個人の判断力に任せるべき事柄です。何事につけ、動機が最後の判定材料となります」(最後啓示126③~④参照)と述べる。その動機は最終的には道義心でチェックすることになるが。

 

イ、理想と現実

A、理想

シルバーバーチは人類がすべての生き物に敬意を抱くこと(8181③参照)、さらに「食料を得るために殺すのは間違いであることを人類が悟る段階」(道しるべ132④~⑤参照)に到達すること、これが理想であると述べる。

 

B、現実

シルバーバーチは私たちが住む地上世界は発展途上にあり、この「未熟な世界に於いては完全な理想が実現されることは期待できない」(道しるべ131⑭参照)、「今すぐには実現できないと知りつつ、理想を説いている」(道しるべ132⑦~⑧参照)と述べる。

そして理想と現実の乖離が甚だしいからと言って「理想へ向けての努力をしないで良いと言うことにはならない」(道しるべ132①~②参照)とも述べる。このような理想と現実の狭間にあって、発展途上の地上世界でも実行可能な方法を次のように述べている。

 

ウ、食料とする際には

A、殺害の観念が付きまとう食料は避ける

シルバーバーチによれば「殺害の観念がつきまとう食料品はなるべくなら摂取しない」(8189⑭参照)ことが望ましい。諸々の事情によってやむを得ず生物を殺害して食料にする場合には、できるだけ「苦痛を与えない方法を取る」。その際に「残酷な殺し方は止めてください」(道しるべ132③~⑥参照)と述べる。

その理由を「食料を得るために殺すのは間違いであることを人類が悟る段階まで一足飛びに到達することはできない以上」(道しるべ132④~⑤参照)やむを得ないからと述べる。

 

B、指標を「意識」の有無に置く

やむを得ず殺害して食料にする場合には、その指標を「意識」の有無に置くべきと述べる。「意識を指標とすべきです。意識がある限り、それを殺すことは間違いです」(道しるべ223⑩参照)。なおここで言う「意識」とは「個別意識や類魂意識」のことである。意識を指標に置くシルバーバーチの立場からは、類魂意識を持つ哺乳類を殺害して食料とすることは“間違い(アウト)”になる。

 

C、「意識」を基準にした分類

人間を頂点とした「進化体系」を生物学では大まかに「人間→哺乳類→鳥類→爬虫類→両生類→魚類→昆虫→単細胞生物」という流れで説明している。ここに植物とペットを加えて意識をまとめると、人間は個別意識を持ち、哺乳類は類魂意識を有する。それ以下の進化体系にある生物には個別意識も類魂意識もない。

シルバーバーチは各生物に関して「意識(意識なるもの)」を次のように述べている。

・植物―意識はあるが、あなた方のいう意識とは違う(語る436⑤~⑦参照)

・単細胞生物・菌類―意識的生命のある所には造化活動がある(道しるべ223①参照)

・爬虫類・両生類・魚類―個別意識・類魂意識なし(道しるべ222⑩、223⑤~⑥参照)

・鳥類―小鳥でも犬より知的に進化しているものもいる(595①~②参照)

・哺乳類―動物には種属全体としての類魂がある(8206⑧~⑨参照)

・ペット―人間とよく似た個的意識が芽生えている(8206⑨~⑩、210④参照)

・人間―個別的意識形体を取っているのが人間(7200⑫参照)

 

D、個々人の判断にまかせる事柄

 肉食の問題は「殺害の観念」や「意識の有無」以外に「動機と程度の問題」(8181③~④参照)も考慮しなければならない。このような点をメルクマールに置くとしても、最終的にはシルバーバーチも述べているように「肉食はその人個人の判断力にまかせる事柄」(最後啓示126③参照)となる。

 

②.「個別意識」「類魂意識」の有無

ア、類魂意識はどの段階から有するか

シルバーバーチは「意識」を「自意識(=自我意識、個別意識)」や「類魂意識」という意味で使用している。例えば「意識とは自分が何であるか、誰であるかについての認識のこと」(道しるべ222⑫~⑬参照)という具合に。

その「意識(→個別意識や類魂意識のこと)」はどの段階から始まるかにつき「病原菌に意識があるでしょうか。ヘビに意識があるでしょうか。ノミやシラミに意識があるでしょうか。微生物に意識があるでしょうか」(道しるべ222⑨~⑪参照)と述べる。

ここから明らかなように爬虫類のヘビに個別意識も類魂としての意識もないと言うことは、それ以下の「進化体系」にある「両生類・魚類・単細胞生物や菌類、植物」などには、個別意識も「類魂意識(→仲間意識のようなもの)」もないことになる。なおここで言う「意識」とは「個別意識(=自我意識、自意識)」や「類魂意識」の有無のことである。

 

イ、「動物」の範疇に鳥類を含めるか

ポイントはシルバーバーチがいう「動物(→哺乳類の意味)」という言葉の範疇に「鳥類」が入っているか否かである。なぜならシルバーバーチは「動物」には個別意識はないが、その萌芽形態たる「類魂意識」を有する、それ以下の進化体系にある生物には「類魂意識」以上の「意識」はない。霊訓には「動物の世界には個的意識はなくとも、その奥には類魂としての意識が存在します。動物よりさらに下がると類魂の意識もなくなります」(道しるべ223⑤~⑥参照)とある。

 なおシルバーバーチは「動物」を哺乳類として用いており、「鳥類」をその範疇に入れていない(1巻178⑩~⑪、10202③参照)。このことから推測して「鳥類」には「類魂意識」以上の「意識」はないと言うことになる。一律に鳥類はすべて「類魂意識」がないと線引きすることには疑問が残るが、霊界から見た分類法は地上世界とは必ずしも一致しないと考えた方が良いと思われる。

 

ウ、「鳥肉」をどのように考えるか

シルバーバーチは鳥類を「類魂意識」を有する「動物」の範疇に入れていないので、「意識(→個別意識・類魂意識)」の問題はクリアできるので食しても問題ないことになる。しかし現実問題として鳥を食糧にするためには殺害しなければならないこと、肉食であること、鳥類といっても「進化」の進んだ“鳥の種”もいること、このような問題は残る。

シルバーバーチの「肉食に関する基本的見解」を踏まえた上で「鳥肉」の問題を考えて見ると、最終的にはこれも「動機と道義心」の問題として「その人個人の判断力にまかせるべき事柄」(最後啓示126③参照)となる。「鳥肉」「両生類・爬虫類の肉」「魚肉」などの「肉食」の問題は、シルバーバーチの見解を踏まえつつ各自で判断すれば良いことになる(→シルバーバーチは基本点しか述べていないので)。

 

エ、身体がより物質的だから

霊的修行によって体質的に敏感になる人が多いと言われる。修行の結果、肉食などの「重い食事」が次第に摂れなくなる場合があるという。このようなことから一般に霊能者(霊媒体質者)や霊的修行者は昔から肉食を避ける傾向にある。また科学的なアプローチから「肉食がその人の性格にどのような影響を及ぼすのか」などの調査研究もある。

 なお地球人よりも霊的進化の進んだ天体に住む“人間的存在(→「霊的身体・接合体・物的身体」をセットにして物的体験を積んでいる個別霊たる天体人)”も、その純度の高い身体を維持する為に食料を必要とする。しかし地球人が食する肉食等の食料は、その天体人の身体では消化できない(霊の書266①~③参照)。なぜなら地球人と比べて霊的レベルが高いために、まとう物的身体がより希薄化しており物質性が薄いから。希薄化した身体ではその食事を受け付けない。

私たちは健康を維持する為にも、栄養学的に見て動物性食品の摂取が奨励されているが、それは地球人の身体が“より物質的”だからである。それは霊性の低さの証明でもある。

 

オ、「肉食の問題」まとめ

A、原則

・すべての生き物に敬意を抱くこと

・食料を得るために殺害することは間違い、殺害の観念が付きまとう食品は避けること

B、やむを得ず殺害して食料とする場合

・苦痛を与えない方法を取る、また残酷な殺し方は止めること

・指標を「意識」の有無に置く、意識とは「個別意識、類魂意識」のこと

・哺乳類は類魂意識を有するので食料とするのは“間違い(アウト)”

・「鳥、両生類、爬虫類、魚」には類魂意識はないので「意識」の問題はクリアする。しかしこれらを食料とするには殺害しなければならない。食料としては“グレーゾーン”になる

C、結論

・地球は発展途上の未熟な世界。故に「肉食の問題」はその人の判断力に任せる事柄となる

 

③.一つの考え方

ア、「物質+生命素=生命体」

肉食の問題を「中間物質が付着した家畜の肉」という観点から考えて見たい。物質は「根源的物質(=普遍的物質)」が変化した「普遍的流動体(=半物質状の中間物質)」の一種である生命素と一体化することによって活性化して有機物となり、始めて生命が宿る物的形体たる身体(=生命体)となり得る(霊の書48⑤~50②参照)。

つまりイラストにあるように「物質」に「中間物質の生命素」が加わることによって、物質が活性化して有機物となり、犬という「C、物的身体」が出来上がる。この物的身体に霊的要素である「A、個々の意識、エッセンス部分」が、「B、接合体」を接着剤として「C、物的身体」と結合する。そして我々が地上で見かける犬となる。

 

イ、個々の物的形体には接合体が付着する

地上でさまざまな個性を見せる個体(一匹一匹の動物、個々の意識)にも、ペットのように所属する“種属というグループ”にとって先駆け的な存在といえる個体もいれば、反対に“アウト・ロー”的な個性を持った個体もいる。

個々の動物はそれぞれ固有の物的形体を持つと同時に、その肉体に対応した接合体(=ダブル、エーテル複体)を有している(個人的存在19⑦~⑧参照)。しかし人間とは異なって個別の肉体に対応した霊的要素(→霊の心・意識、霊的身体など)は有していない。その種属ごとに「集合魂・類魂意識」があり「集合魂・類魂全体として因果律」が働く(5巻97①~③参照)。個々の物的形体を持つ動物はその「集合魂・類魂意識」を共有しているにすぎない。

 

ウ、肉食とは動物の身体と幽質を食すること

A、移植医療との比較

移植医療とはドナーの臓器を人体部品のように考えて、レシピエントの機能不全に陥った臓器と交換して生命を長らえさせるための医療である。移植医療の臓器にはドナーの幽質の一部が付着しており、これを体内に取り込んだレシピエントの体質によっては問題が発生することが知られている(クレア・シルビア著、飛田野裕子訳『記憶する心臓』角川書店1998年参照)。

 

B、肉食の問題

 死によって一匹一匹の動物の「個々の意識・エッセンス部分」は所属する種属たる「集合魂・類魂意識」に帰り、物的身体は腐敗作用によって土に帰っていく。肉食とは「個々の意識」が地上体験を積むためにまとった一匹一匹の動物の物的身体を食する行為である。この肉食にも移植医療と同様なことが言える。

私たちが動物の肉を食すると言うことは、動物の物的身体と合わせて半物質状の接合体も同時に食していることになる。なおこの接合体にはその個体が地上時代に見せていた性格傾向や、屠殺の際の“激しい感情”などが染み込んでいる。

移植医療との違いは長期間にわたって患者の一部となって存続する臓器と、一時的にエネルギー源に変えるために体内に取り入れる食料という違いである。大部分の「肉食」の場合には問題は発生しないであろう。

 

エ、モヤーとした悪想念を発する

A、中間境での滞在

大部分の「個々の意識」は所属する「意識(→出身母体たるグループ、動物の“種属”に該当する集合魂)」に戻っていくが、数多い個体の中には本来の界に戻る途中の「中間境」に、何らかの理由で留まってしまうものもいるであろう(→コンピュータ・プログラムの欠陥であるバグと同じ)。半物質状の中間物質を有しているので中間境での滞在は可能だから。

 

B、悪想念の塊を発する

一匹一匹の動物の姿をまとった「個々の意識・エッセンス部分」の中には、中間境で自己の存在を強烈に主張するケースも出てくるであろう。具体的な感情表現を主張するだけの進化レベルに達していない、家畜という物的形体をまとった「個々の意識」は、モヤーとした悪想念の塊という形で“嫌悪感という感情”を表現してくるのではないだろうか。

これは地縛霊が「臓器+幽質+意識」をセットにして、レシピエントの体内から積極的に自己の存在を主張する移植医療のケースと似ている。なぜなら「臓器」または「食肉の一片」が存在する場所に「地縛霊の意識」または「家畜という個々の意識に付着した中間物質」も存在するから。

 

C、中間境の下層界

マイヤース霊は「中間境」の下層世界を「テロリスト界」と呼んだが、そこには例外的に動物霊の一種である「非人霊・類人霊」がいるという(個人的存在251⑫~252④参照)。さらには人間の想念が作り出した魑魅魍魎なども存在する。

このような「動物霊」の地上時代は“アウト・ロー”的な個性を見せていたのかもしれない。また屠殺される際の激しい感情が「個々の意識に付着した中間物質の接合体」の中に染み込んでいるケースもある。このような個性や感情が「食肉の一片」には付着しているが、これを霊媒体質者は感じ取ってしまう場合がある。このように肉食にはさまざまな問題がある。

 

4.その他の問題

①.害虫・有害鳥獣の駆除

ア、比較衡量の問題

現代社会は哺乳類であるネズミや有害鳥獣の駆除、有害昆虫の駆除、ウィルスなどの殺菌等、このような“殺害行為”が日常的に行われている。これらの「有害動物や有害昆虫の駆除」等によって、社会環境が改善されて多少なりとも快適な生活が送れるという利益を私たちは受けている。しかし繁華街におけるネズミの問題や、森林伐採によって人里に下りてきた鳥獣(有害鳥獣)の問題、異常繁殖した昆虫(バッタなど)など、これらについて根本的原因を作ったのは我々人間であるという認識を持つ必要はある。

 シルバーバーチは「すべての生命に敬意を抱くことが原則だが、これも動機と程度問題である」と述べる(8181③~④参照)。この問題は二つの価値観が対立する問題である。一つは生き物を殺害する行為であること、他方は人間が生きていくための「環境の整備・人間の健康面の配慮」という問題である。これら二つの相対立する価値観を比較考量して、「動機と程度問題」がクリアすれば駆除は妥当であるという考え方ができる。

この問題でも私たちは駆除等によって快適な生活を送ることができるので「受益者の一人」という立場に立つ。そのため同時代人として駆除に伴う殺害行為に対して、マイナスのカルマを“広く薄く背負う”ことになる。

 害虫や有害鳥獣の駆除の問題も「根本原因を作ったのは人間側にある」との認識を持つことは当然であるが、これも人間社会全体の「動機と道義心」の問題と考えることも出来る。つまり現代社会が人間以外の生き物の犠牲の上に営まれている“未熟な社会”であることを多くの人が認識して、一人一人が環境の改善に取り組むようになって社会全体の霊性が向上すれば、次第に駆除の方法が現在とは違った形で行われるようになるのではないだろうか(→例えば最近普及してきた野良猫の避妊手術など)。

 

イ、人類の生き方と関わってくる問題

シルバーバーチはそもそもウィルスが発生することは「人類の生き方がどこか間違っていることの証拠」(最後啓示83⑤~⑥参照)と述べる。また「ホコリや病気は原因をたどれば人間の利己心、邪心に行きつく」「直接の原因は衛生の悪さ、不潔な育児環境、直射日光や新鮮な空気の不足にある」「さらに原因をたどれば、そういう環境を改めようとしない、恵まれた環境にある人達の同胞への利己心、同胞への非人間性に行きつく」「そういう利己心を捨て、弱者を食い物にするようなマネをやめ、我欲や野心を生む制度を改めれば、害虫や寄生虫は発生しなくなる」(597⑦~⑬参照)とも述べている。

 哺乳類のネズミは飲食店が出す残飯の管理の悪さから歓楽街では異常繁殖している。また本来その地方にいない生き物を人間が持ち込んだ結果、その地で異常繁殖を起こして環境悪化を招いている事例もある。

例えばオーストラリアでのウサギの異常繁殖の事例(5118⑩~119①参照)や、日本における外来魚や外来種の植物が異常繁殖して問題を起こしている事例などがある(→千葉県で異常繁殖している小鹿に似た“キョン”の問題)。このように人間側から見て有害とされる「動物や昆虫の発生」の問題は、シルバーバーチが述べるように人類の生き方と深くかかわっている問題である。

 

②.動物愛護の問題

ア、意識の変化を求められる運動

人類の進化という観点から見れば、現在は前世紀から続いてきた「女性の権利」獲得運動がやっとヤマ場を越えて、次なる争点である「民族的マイノリティー」や「性的マイノリティー」の人権問題に移ってきたという段階である。

今回のテーマである「動物に対する残虐行為」「肉食」「動物愛護」等の問題は、人間の権利がある程度の進展を見せた段階以降に、始めて「動物の権利」として正面から取り上げられるテーマではないだろうか。なぜなら動物虐待や肉食等の行為は人類が長年にわたって日常的に行ってきたものであり、人類の意識に深く染み込んでしまっているから。

 今までの人類の意識水準では当然のように行われてきた動物虐待や肉食等の行為も、将来意識水準が向上して動物に対する見方に変化が出てくれば、自ずと変わっていくものであろう。このような人類の意識の変化を伴う事柄は一朝一夕には行かないものである。

この動物に対する問題は、一時期は急速に進展するが他の時期では後退をする、これを繰り返しながら長い時間をかけて人類の意識が変わって行く、その中で解決されて行くものだから。意識の変化を伴う運動は、せっかちに事を為そうとしても旨くいかずに挫折をするだけである(→あせりが運動を過激にしていく)。

 一種の「意識変革運動」であるスピリチュアリズム普及運動に於いても、「動物に対する一連の問題」は傍系の位置にある。普及運動に携わるスピリチュアリストの中にも、動物実験や肉食等の問題に鈍感な人が多く、それほど問題意識は高くないから。

 

イ、動物愛護のルーツ

イエスは動物について何ら述べていないが、そのことについてシルバーバーチは「その当時はまだ動物の幸不幸を考えるほど人類が進化していなかったから」(5119⑧~⑨参照)と述べる。その後人類の「意識が進化」して、動物虐待の禁止などを唱えた動物愛護運動が19世紀のイギリスで起きた。

動物虐待防止法は、1822年に「家畜の虐待と不適当取り扱い防止条例(マーチン法)」として、イギリスに於いて初めてが成立した。また1824年には動物虐待防止協会(SPCA)が設立されて、1840年に王立動物虐待防止協会となった。

動物愛護運動はその後「動物実験反対」「動物虐待防止」「ベジタリアン運動」「健康維持」「毛皮使用素材の非着用」「スポーツハンティング禁止」「自然破壊に反対する」「エコロジー運動」等へと広がりを見せている。

 

ウ、運動それ自体が“魂の磨き粉”

「意識の進化」という観点から考えれば、地上世界は物的形体をまとった人間だけの専有物ではなく、同様に動物や植物も地上で体験を積んで“所属する集合魂”の進化に寄与している。このようにさまざまな進化レベルにある「意識」が物的身体をまとって自然界で共存している。これらの事実を紹介して、正しい知識を広めるという形で動物愛護運動が行われている。この動物愛護運動の背後には霊界の霊団による指導があるという(8219⑬参照)。

シルバーバーチは動物愛護運動につき「この種の仕事は内奥の生命、霊的実在についての知識に目覚め、他の生命との霊的つながりを理解した者が、自分を役立てるという動機一つに鼓舞されて仕事に従事するということであらねばなりません」(8220⑫~⑭参照)と述べている。

 当然に肉体を持った人間集団が行う“普及運動”である以上、そこには世俗的な問題も生じてくる。運動の中でさまざまな問題にぶつかることが多いが、その“問題”は当人にとって見ればいわば“魂の磨き粉(→磨き粉の粒子には粒が粗いものからきめが細かいものまである)”的な役割を持つことになる。シルバーバーチは「悲しいことですが、この道(=動物愛護)に携わっている人が本来の目的を忘れて我欲を優先させ、一身上の都合の方が大義より大切であると考えるようになったりします」(8209⑧~⑩参照)とも述べている。

 

5.講座に寄せられた質問

①.質問その1

<質問>「連続講座の中で、ニューエイジ系の書籍には“自己を癒す”や“自己愛の強調”などのフレーズが頻繁にみられるとして、シルバーバーチの説く霊訓との違いを指摘されていました。両者の違いにつき具体例を挙げて説明願います」

<回答>

コップに水を注ぐとコップ一杯まで水が溜まる。さらに水を注げばコップの縁から水があふれだす。この良く使われている例を使って“水を愛に読み替えて”説明してみる。

自己変革の第一歩は“己自身を知る”ことから始まる。自分の欠点を認めて有りのままの自分を受け入れること、そこから変化の兆しが見えてくる。ニューエイジ系(→精神世界系)の書籍にしばしば見かける「自己を癒す、自己を許す、自己愛の強調」などのフレーズは、本人自身をコップに例えれば、コップを愛で満たすことを指す(→例えば自傷行為を繰り返す人が、まずは自分自身を愛する自己愛へ)。コップに少量の愛しかなければ人に優しくなれない。まずは自分自身をいたわり癒し、愛でコップを満たす。そしてコップの縁を超えて溢れ出た愛を、他者に利他的行為と言う形で分け与える。

このように他者に対して利他的行為を行う前段階、ウォーミングアップにニューエイジ系の主たる関心がある。ウォーミングアップによって次第に本人自身が愛や寛容さという霊的エネルギーで満たされることになる(→コップが愛・霊的エネルギーで一杯になる)。

シルバーバーチはコップの縁から溢れ出した愛・霊的エネルギーを、利他的行為という形で他者に流すことを説いている。なぜなら自己愛ではなく、利他的行為こそが霊的成長に不可欠な行為だからである。ここにニューエイジ系とシルバーバーチが説く霊訓の主たる違い、視点の置き所の違いがある。

 

②.質問その2

<質問>「再生について質問します。連続講座の中で一度話をされましたがよく理解できませんでした。初心者にもわかるように“地上人生を承知して生まれてきた”箇所の説明を再度お願いします」

<回答>

ア、二つの意識

潜水作業を例にして説明します。潜水士は海底作業をサポートする支援船の上で、同僚と共にこれから海底に降りて行う作業の手順や、持参する装備品をチェックする。海底に降りれば「水圧・潮流・水温・明るさ」などの影響を受けながらの海底作業となるため。そのため支援船にいた時のクリアな意識状態とは異なり、制約された意識状態に置かれるので準備を念入りに行う必要がある。

この支援船の世界が本来の住処である「狭義の霊界」であり、船上で支援する同僚が「霊的家族のメンバー」である。支援船にいる時の意識状態が「A、本来の私という意識」。そして海底が「地上世界」であり、潜水具が「肉体」である。

 

上記のイラストを使って説明する。海底で何の作業を行うのか、例えば沈没船の引き上げ作業か、海底トンネルの建設作業かなど、これが「P、再生・地上人生のテーマ」となる。また水深10メートルでの作業か、100メートルを超える水深での作業かの違いによって困難さの程度が異なる。これが「Q、物的試練」であり、潜水時間が「R、寿命」となる。

 海底作業(→地上体験)に際して持参する装備品(→ハンディキャップ)が、「S、国・民族」「T、家庭環境」「U、性別」「V、体質・性格・才能・障害の有無」「W、両親」である。この「SW」を使って「P、再生・地上人生のテーマ」の達成を図っていく。

さらに海底に降り立った時の意識状態が「A―1、現在の私という意識」となる。この「A―1、現在の私という意識」はクリアな「A、本来の私という意識」に対して、重い潜水具を装着して「水圧・潮流・水温・明るさ」などの影響を受けながら、海底作業に専念するので制約された意識状態に置かれる。

 

イ、地上人生を承知して生まれてきた

A、「本来の私」が決定した大枠

支援船にいる時の「A、本来の私という意識」は、海底作業における作業テーマ「P、再生・地上人生のテーマ」を達成するために、海底で行う作業手順を自らの自由意志で決定する。この「A、本来の私という意識」が決めた海底での作業スケジュール(→地上人生の大枠)は、現実に海底で潜水具を装着して作業する「A―1、現在の私という意識」から見れば、海底作業の大枠はすでに決まっているとなる。好き勝手に潜水士は海底作業を行っているわけではない。

 

B、「現在の私」から見れば宿命

大枠の中で「A―1、現在の私という意識」は、遭遇する困難に対して自由意志(→現場サイトの裁量の範囲内での自由意志)を行使しながら海底作業を行っている(→地上人生を送っている)。

この制約された意識状態にある「A―1、現在の私という意識」は、「A、本来の私という意識」が決めた工程どおりに作業を進めて行くが、ともすれば目先の作業やアクシデントの対応に追われて意識の片隅に押しやられる。

以上から「A、本来の私という意識」から見て海底作業の大枠を承知して「A―1、現在の私という意識」は海底に降り立ったとなる。このように考えれば地上的観点(→現在の私という意識)ではなく霊的観点(→本来の私という意識)に立って始めて“地上人生を承知して出生した”と言えることになる。「A―1、現在の私という意識」から見ればそれは宿命となる。

 

③.質問その3

<質問>「講座の説明では“極楽・天国のようなエリア”は幽界の下層界にあるとのことですが、もっと高い世界にあると思っていました」

<回答>

ア、幽界は上層界と下層界に分けられる

・幽界の上層界Xは「霊的自覚」が芽生えた霊が生活するエリア

・幽界の下層界Yは霊の意識の指向性が「下・物質界」を向いている霊が生活するエリア

 

幽界の分類は人によって異なる。私は意識の指向性が「↑(霊的成長)」か「↓(物的なもの)」かによって分類している。この立場から説明する。なお幽界とは潜水士が海底作業を終えて、気圧を調整しながら水面(→狭義の霊界)に浮上して行く過程のことをいう。

幽界は大きく分けて「上層界、X」と「下層界、Y」に分けられる。幽界の上層界とは、意識の指向性が“上”、つまり霊性の向上に向けられている「霊的自覚(→霊として何をなすべきかを認識した霊)」が芽生えた霊が生活するエリア。これに対して幽界の下層界とは、意識の指向性が未だに“下”、つまり物質界に向けられている霊が生活するエリアとなる。

 

イ、下層界は二つに大別できる

Y―1、奮闘努力が不要「極楽・天国のようなエリア、楽しい思い出が再現されたエリア」

Y―2、意識に深く染み付いた煩悩を鎮めて「魂の歪みを矯正する浄化の為のエリア」

 

この下層界は大きく分けて「極楽のような世界」、つまり「真の意味での創造というものが存在しない」「地球人類の大半が理想郷と見なしている世界」(永遠の大道122④~⑦参照)がある。もう一つのエリア、魂(=意識)に深く染み付いた煩悩を鎮めたり魂の歪みを矯正したりする世界(→カトリックの教理で言うところの“煉獄”のような場所で、苦しみを引き寄せる世界のこと)がある。下層界はこの二つのエリアに大別できる。

 地上生活を終えた他界者のほぼ全ては、中間境を経て親和性によって幽界の下層界に長期・短期の違いはあるが一旦は落ち着く(→無数に存在するY―1の世界に、または無数に存在するY―2の世界に)。これらの界層は霊が地上時代に培った霊的成長に見合ったエリアであり、地上時代の霊性そのままが死後の姿となった住環境である。

 なお「極楽・天国のようなエリア」と言っても、それは他界霊の内面にある思いや願望が外部に現れた世界であり、地上的なモノが再現された世界に過ぎない。意識の指向性が「↓地上的なモノ」に向いている他界霊が集まって生活するエリアのため、階層構造的に存在する霊の世界では低い幽界の下層界に置かれる。

 

④.質問その4

<質問>「シルバーバーチが述べる病気の原因をお尋ねします」

<回答>

ア、シルバーバーチの健康観・病気観

シルバーバーチは「健康とは身体と精神と霊の三者の関係」が調和状態にあること(1127⑫、9171⑧参照)。これに対して病気とは、三者間の調和の欠如によって生命力の流れが阻害され、病的症状が出る状態であると述べる(2193⑬、9171⑦~⑪参照)。

 ここでいう「身体」とは肉体のことであり、“本来の私という意識(→自我の本体)”が地上世界で自己を表現する為にまとう「表現器官」のこと。次に「精神(=心)」とは地上人生を歩む人間の意識、「地上的な自我意識」になる。意識には肉体を持つが故に発生する「本能に起因する意識、及びそこから派生する意識」と、自我の本体である“本来の私という意識”から流れ込む「霊的意識」、この二つの出自が異なる意識が物的脳で統合されて一つになる。これが「精神(心)」(→いわゆる地上的な自我意識のことで、表面意識または顕在意識のこと)になる。三番目の「霊」とは“神の分霊”を内在させた“本来の私という意識”のこと。

 

イ、病気の原因

本来人間は「身体と精神と霊」の三者が調和状態(→この状態を健康と呼ぶ)でなければならないのだが、何らかの原因があって不調和状態になる、この状態を病気と呼んでいる。

 人間はさまざまな場面で自由意志を濫用して、それぞれのレベルに応じた摂理違反行為を日常的に行っている。たとえば暴飲暴食や昼夜逆転の生活など「身体レベル」で、また「精神レベル」では過重な緊張やストレスなどの負荷を日常的に掛けている。さらに霊性の低さに起因する利己主義や貪欲等の「霊的レベル」で、不調和状態を自ら作っている。

 この他に私たちは日常的に“過度の心配や取り越し苦労をする”ことによって、「生命力が流れる通路(→主に中間物質の接合体と物的身体を結ぶ通路)」を遮断してさまざまな病を発症させている。このように霊的摂理に違反することを行った結果、「身体と精神と霊」とが不調和状態となって病が発生する(→但しカルマが原因となって発症する病を除く)。

 

⑤.質問その5

<質問>「瞑想は精神状態が悪いときは避けた方が良いと講座で説明がありました。私は協会の精神統一会に興味があります。しかし身内を亡くして1ケ月程で精神的に参っています。このような状態の者も精神統一会の参加は控えた方が良いのでしょうか」

<回答>

ア、死んでも“私”は生きている

 死とは地上生活にとって必需品である肉体を脱ぎ捨てて、一段波長の高い霊的身体をまとうこと。霊的世界は肉体をまとった物質の世界より波長が高いので、波長の低いこの世から波長の高いあの世は見えない。逆に高いあの世からは、低いこの世が良く見える。

両者に愛の絆があれば、他界者は何くれと残された者に対して、インスピレーションという形で援助の手を差し伸べてくる。但しインスピレーションは波長が繊細なため安定した精神状態の時に受けとれる。残された者が余りにも悲しみに打ちひしがれていたり(→悲しみの涙が他界者を遠ざける)、極端に霊的感受性が弱かったりすると他界者の存在が感じ取れない。

 

イ、精神状態が悪いときの瞑想

一般論から述べると精神状態や身体が悪いときは、波長の低い状態が呼び寄せる低級霊の影響下に置かれるので、そのような状態の時は瞑想は避けた方が望ましい。なぜなら「瞑想や祈り」は「修行」であり「魂の行」なので、無理して焦って行わなくとも、精神状態や身体が落ち着いてから行えば良いというのが私の意見です。

牧師のモーゼスは支配霊のインペレーター霊から「そうした精神状態が呼び寄せる低級霊に憑依される危険からそなたを守るのが精一杯である」「そのような状態の時は我らの世界との交信は求めぬように忠告する」(霊訓下45①~②参照)と言われた。

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

第6講:霊性の向上

<目次>

1.はじめに

2.霊的成長とは

3.霊優位の生活

・「霊が主・モノが従」という意識

・霊的摂理を実生活に応用した生き方

・霊優位の修養的な生活、利他的行為

・なぜ困難・障害・病気があるのか

・動機と道義心の問題

・取り越し苦労、心配性がもたらす影響

4.精神統一(瞑想)

・精神統一とは

・精神統一の病的状態

5.祈り

6.講座に寄せられた質問

 

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1.はじめに

ア、二種類の発達・開発

A、スピリチュアル能力の開発

「発達・開発」には二種類ある。まず“本来の私という意識(=自我の本体、霊の心)”に主眼を置いた霊性の向上がある。霊性の向上とは“本来の私という意識”の開発のことで、イラストで示したように潜在している“神の分霊”を意識の表面により多く顕在化させて行くことである(→イラスト左から右へ)。霊性の向上の究極の形は“本来の私という意識”全体に“神の分霊”が顕現した状態、つまり「私の意識=神の意識」となる。顕在化が増すことによって“本来の私という意識”がまとう形体(→肉体や霊的身体など)からは、“神の属性”である愛や寛容、謙虚さと言ったオーラがより多く外部に滲み出てくる。これがスピリチュアル能力の開発である。

 

B、サイキック能力の開発

これに対して“本来の私という意識”が自己を表現する為にまとう形体を開発するという側面がある。これは霊的身体に具わっている能力、つまり霊的な五感を肉体レベルで発現させるサイキック能力の開発のことである。サイキック能力を肉体レベルで発揮できる人を霊的能力者という。また霊能開発とは肉体レベルにより多くのサイキック能力を発現させることをいう。

 

C、両者の関係

スピリチュアル能力の開発とは“本来の私という意識”そのものの進化のことである(→イラストAからDへ)。より高い霊との接触が可能となって指導や援助が受けられる。これに対してサイキック能力の開発とは単なる形体に具わっている能力の開発に過ぎない(到来81⑪~⑮参照)。サイキック能力はスピリチュアル能力の開発に応じて自然に発揮されてゆくもの(2巻108⑥~⑧参照)。シルバーバーチは繰り返しスピリチュアル能力の開発、つまり「霊性そのものの開発が何よりも大切」(4212⑥参照)であると述べる。

 

イ、スピリチュアル能力の開発

A、日常生活の中で行う“行”とは

 それではスピリチュアル能力を開発するためにはどうすべきか。最も一般的な方法としては「①利他的行為の勧め」と「②困難・苦難に対する姿勢の問題」、さらに「③霊的知識を日常生活に活かすこと」や「④肉体煩悩に流されない(→霊優位の意識を持つ)」が挙げられる。これ等①~④を日常生活の中で実践する、そのことが霊性の開発に繋がる。これがモノの世界で生きる私たちが手軽に実践できる“一般的な行”である。ここには目新しさや派手さは一切ない。特別な団体やグループに所属して“何らかの特別な行”を行うことでもない。

 

B、利他的行為の勧め

シルバーバーチは繰り返し「自分を人の為に役立てること」(2巻16③参照)を私たちに説いている。他者(→自分以外の人間、動物、植物)のために役立とうとする利他的行為は、自己を通路として宇宙に遍満している霊的エネルギーを他者に流す行為のことである。利他的行為はシルバーバーチの教えの中心テーマの一つとなっている(224②、136⑥参照)。地上世界がいま最も必要としている行為は利他的行為である(259③参照)。

 

C、困難・苦難に対する姿勢

 さらにシルバーバーチは「試練と体験を通してこそ霊は成長する:7134⑨参照」「何らかの荷を背負い、困難と取り組むということが旅する魂の本来の姿:152⑨参照」と述べる。そのため霊訓では「困難を避けるのではなく、それと取り組み、それを自らの手で克服していくための心構え」(32①参照)、前向きの姿勢を一貫して説いている。

今まさに困難・苦難の渦中にいる人にとっては、それらを前向きにとらえる気持ちにはなれないであろう。しかし年老いて自らの来し方を振り返って見た場合に、困難・苦難が自分を成長させる為の“魂の磨き粉”になっていたことに気づくはずである。安易な人生からでは真に価値あるものは得られないから。

一般に困難、苦労、悲しみ、痛みなどを体験して、それらが魂の琴線に触れることによって、初めて霊的真理を受け入れる素地が出来上がるもの。いわばそれらの体験は、受容性に富む魂を作り出すための“魂の磨き粉”の役割を担っている。

 

D、霊的知識を日常生活に活かす

 肉体をまとった私たちは「因果律(カルマの法則・因縁果の法則)」「愛(愛の法則・親和性の法則・利他性の法則)」「霊的成長(再生の法則・自由意志の法則・自己責任の法則・償いの法則・埋め合わせの法則・補完の法則・霊優位)」などの霊的法則や「他界霊が辿る旅の行程」などを学んだら、それらの霊的知識を日常生活に活かして「霊的自覚」を高めて行く。その為の普段の行いが大切となる(9巻117⑭~118③参照)。これらの地道な積み重ねが“本来の私という意識”に潜在している“神の分霊”を顕在化させることに繋がるから。なお「霊的自覚」とは「私は霊である、霊として何を為すべきかの自覚」のこと、意識の指向性が「↓(地上的なモノ)」に向いている状態を「↑(霊的成長)」向きに変えることを言う。

 

E、肉体煩悩に流されない(霊優位の意識を持つ)

肉体(→潜水具)は“本来の私という意識”がモノの世界(→海底)で生きる為に、自己を表現する為にまとう形体である(→人が海底作業をする為には潜水具をまとう必要があるのと同じ)。肉体をまとうことによって物的脳を介して発せられる“意識(→顕在意識、地上的自我意識、現在の私という意識)”は、絶えず「食欲、性欲、所有欲、縄張り意識」などの自己保全に傾く肉体本能に翻弄されたり、制約を受けたりする(→海底では水圧・潮流・水温などによって作業が制約されるため、船上で計画したスケジュール通りには進まない)。

シルバーバーチは意識と肉体の関係を「住人と家」に例えて述べている。「身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。家であってあなた自身ではない。家である以上は住み心地よくしなければならない。手入れがいる。あくまで住居であり住人ではないことを忘れてはいけない」(1巻27⑩~⑫参照)と述べる。このようにモノの世界で生きる私たちにとって最も困難な肉体煩悩に流されずに、“霊優位の意識状態”を絶えず意識し保つことの大切さを説いている。

 

2.霊的成長とは

ア、「進化」とは霊的成長のこと

<イラスト①>

 

<イラスト②>

<イラスト③>

  

シルバーバーチは“イラスト①”のような形、つまり「進化とは内部に存在する完全性(=神の分霊)という黄金の輝きを発揮させるために不純物という不完全性を除去し磨いていくこと」(6114⑪~⑫参照)。または“イラスト②”のように「霊的進化はひとえにインディビジュアリティ(→意識の総体)の限りない開発です」(9131④~⑤参照)と述べる。『シルバーバーチの霊訓』には光(=神)と鏡(=意識)を例にして、鏡の表面を磨くことによって光の反射率が高まるとの記載がある(5148⑤~⑦参照)。

 

表面意識とは「同一界層における存在者どうしが認識し合う自我意識(→顕在意識)」のこと。他界霊は次の「」という具合に表面意識を深めて行き、“本来の私という意識”との乖離を狭めて行く。

1,地上人の表面意識とは?「顕在意識の領域(物的脳を介した意識)」と「浅い潜在意識の領域(過去のどこかの時点で意識的に吹き込まれた指示と各種情報が集積している)」

2,幽界下層(幻想Y―1と浄化Y―2の世界)の霊の表面意識とは?「浅い潜在意識の領域(地上での諸々の体験と知識が集積、潜在意識に蓄えられた地上的習慣や体験に縛られた意識状態)」

3,幽界上層・狭義の霊界の入口にいる霊の表面意識とは?「深い潜在意識の領域(前世の記憶などが溶け込んでいる、次第に本来の私という意識が浮上してくる)」

4,狭義の霊界の霊の表面意識とは?「さらに深い潜在意識の領域(イラスト②の掌のことで他の指に繋がっている類魂意識、霊の表面意識と類魂意識の切り替えが容易くできる)」

 

 他界霊が本来の住処である「e狭義の霊界(イラスト③)」で待つ“霊的家族たる類魂”と合流するまでは、霊の表面意識(→霊の顕在意識に相当する意識:永遠の大道148③~④参照)に“本来の私という意識”を浮上させていく過程となる。この過程は潜水士が海底作業を終えて水圧の調整をしながら、ゆっくりと海上に浮上して行くのと同じ。

そして他界霊が霊的家族の下に帰還して、地上体験をメンバー全員の共有体験とする(→この状態が類魂意識)。これ以降の霊的進化は“本来の私という意識”の限りない拡大・深化という形で進む。

このようにシルバーバーチが言う「進化」とは“イラスト①”のように“本来の私という意識”に潜在している“神の分霊”を、“意識(=本来の私という意識)”の領域により多く顕在化させていく過程(→個性化の道のこと、類魂意識の限りない拡大・深化のこと)に他ならない。別の見方をすれば“イラスト②”のように意識の拡大・深化のことになる。この意識の進化の過程が、“神の属性(→愛・寛容さ・叡智など)”が形体を通してより多く外部に発揮されて行く「霊的成長」のことになる(→高級霊の形体や思念からは“神の属性”である愛のオーラが強く発散される)。このように“イラスト①”の左から右の過程は“イラスト②”のインディビジュアリティの限りない拡大・深化と連動している。

 

イ、霊的成長に終わりはない

人間は「完全へ向けて絶え間なく努力していくのであり、その過程に“終局”はない」(福音177⑨~⑩参照)。このように終わりなき旅路に於いて、人間という霊的存在はどうなっていくのか、消えてしまうのか。

この件に関して、シルバーバーチは「オーケストラが完全なハーモニーで演奏しているとき、たとえばバイオリンの音は消えてしまうのでしょうか」(464⑩~65②参照)と問いかけている。バイオリンという音色(→個別霊であるバイオリンが持つ音色という個性)が消えてしまうことはなく、ますますオーケストラ全体に溶け込み調和が高まって行くと(1114⑪~⑫参照)。

結局、霊の客観的存在である個的存在(→バイオリン)は永遠に存在し、そして「ますます個性(→バイオリンの音色)が顕著になって」(新啓示163⑬~⑭参照)、内在する神性を発揮する“個性化の道(→愛・謙虚さと言った神の属性が形体を通してより多く外部に滲み出てくること)”を深めて行くことになる(→イラスト①左から右へ、但し意識の領域に“神の分霊”が100%顕在化する終着点はないが)。その過程に於いて意識は徐々にレベルを高めていく。なお“意識”は「開発されるほど単純さへ向かう」と同時に、「奥行き(=意識の深奥)を増していく」(6135④参照)。意識が拡大し深化して行くことである(イラスト②)。

 

3.霊優位の生活

①.「霊が主・モノが従」という意識

A、霊が主でありモノは従

人間は霊的存在であるので霊が主体であり肉体は霊の従属物、死によって霊が去れば身体は朽ち果てる(1132⑬~⑭参照)。肉体は“本来の私という意識”が地上で自我を表現する為にまとう“衣装(→潜水具)”である。

あの世では幽界の下層界を除いて(→下層界は意識の指向性がモノに向いている霊や“霊的牢獄”に捕らわれた霊が住む世界、意識がモノに縛られた霊の住む世界)、あの世はモノが支配する世界ではないので当然に「霊は物質に優る」感覚を実感として感じる。

マイヤース霊は「(あの世では)精神の支配力が飛躍的に増大し、霊的ないしは精神的な意味での苦痛を覚えることはあっても、地上的ないしは肉体的な意味での痛みを覚えることはない。つまり形態が精神の支配者となる事はない」(永遠の大道67⑩~⑬参照)からと述べる。あの世では憎しみを抱くと姿が醜くなるという具合に、この世とは異なって「精神・意識が形体の支配者」の世界である。

 

B、本能に起因する意識

物質の世界を歩む私たちは肉体をまとって生活しているため、多くの時間、意識(→顕在意識、現在の私という意識)は物質の支配下に置かれている。例えば体調が悪ければ気持ちはブルー、空腹になればイライラするなど、私たちの意識は四六時中モノに支配された状態となっている。特に女性には生理があるので、この問題は如実に感じられると思う。

物質の世界であるこの世で生活するために不可欠な肉体は、本能に起因する意識(→肉体を維持し保全しようとする本能意識)と、自己顕示欲・物欲・名誉欲等と言った本能から派生する意識とが、物的脳を通して強烈に顕在意識(→地上的自我意識、現在の私という意識)に働きかけを行っている。そのため易きに流れる煩悩に満ちた快楽重視の生活になってしまう。余程“修養的な生き方”に徹する覚悟がなければ、モノに支配された“安易な生き方”に流されてしまう。その結果、顕在意識に上がってくる利他的に働く霊的意識の割合は限りなく低くなる。

 このように精神(顕在意識)が物質によって支配されている地上世界においては、例えれば人は物的要素に偏らずに霊的要素に比重を置いた生活を目標とした「加圧トレーニング」をしているようなものと言える。この霊優位の意識状態を少しでも長く保つ努力をすることによって、物質の世界にありながら本能意識に流されない生き方が出来るようになっていく。

 

C、民芸品「起き上がり小法師」の例え

この「霊が主・モノが従」の意識状態を「起き上がり小法師(→重心が低い位置にある人形)」を使って説明してみる。台の上に「起き上がり小法師」を置く。この状態が「モノが優位、それに霊が従属する意識状態」であり、この世的には最も安定した通常の意識状態となる。その状態から「起き上がり小法師」を傾けた状態にする。これが「霊が優位、それにモノが従属する意識状態」となる。この世的には異常な意識状態となるため、気を抜くと元の安定した状態に戻ってしまう。霊的知識を「生き方の指針にする」とは、傾けた状態を絶えず意識するようにして、この時間を長くしていくことを指す。

 

②.霊的摂理を実生活に応用した生き方

ア、知識であるが故に多様な使われ方がされている

「スピリチュアリズム(思想)の本質は宗教性にある」(続霊訓77⑩参照)が、単にスピリチュアリズムと言う場合は「大自然の法則のこと」(948⑥参照)を指しているに過ぎない。いわば啓示を一つにまとめた総合的な思想のことであり(続霊訓43⑬~⑭参照)、スピリチュアリズムは名称や霊的な知識を表現している言葉に過ぎない(1176②~③、7175⑧参照)。

このように単なる「名称、知識」であるが故に、スピリチュアリズムという言葉を用いる人の考え方如何によっては、それを「商売の手段」としても、また知識として「引き出しに仕舞い込む」こともできる。

 

イ、知識を実生活の場で実践する

一般に人がスピリチュアリズムを学ぼうとする背景は各人各様だが、そこには何らかの世俗的な事情を抱えた人から、学びを通して自分自身を変えたいと願う人まで、何らかの動機が存在している。

私たちは『シルバーバーチの霊訓』を通して霊的知識を学んでいるが、その知識は実生活の場で実践して初めて理解したことになる(163⑩~⑪参照)。シルバーバーチは「知っているということと、それを応用することとは別問題です。知識は実生活に活用しなくてはなりません」(342⑪~⑫参照)と述べる。人の霊性レベルの判断指標は日常の行為にあるから(9117⑭~118③参照)。霊的知識を知っているということと知識を実生活に応用ができると言うことは別問題だから。このように学んだ霊的知識を実生活に活用することがスピリチュアリズムを学ぶ者の目標となっている(341⑭~42③参照)。

 

ウ、知識と責任の関係

学んだ霊的知識を日常生活でどのように活用するかはその人自身の責任となる(1142⑬参照)。知識と責任との関係につきシルバーバーチは「知識に大きな責任が伴う。知っていながら罪を犯す人は、知らずに犯す人より重い責任を取らされる。その行為がいけないことであることを知っているということが罪を増幅する(→この世でも刑法の量刑に表れる)」「知識の受容力を増したことはそれだけ大きい責任を負う能力を身に付けたこと」(到来218①~④参照)と述べている。

 

③.霊優位の修養的な生活、利他的行為

ア、最初の一歩は自己修養から

霊的知識を学んでそれを日常生活に応用するためには「霊の優位性の自覚に基づく修養的生活」(福音243⑩参照)が求められる。なぜならその人の霊性レベルの判断指標は日常の行為にあるから(9117⑭~118③参照)。自己修養が出来ていない人は他人を正しい道に導くことは出来ないので、変革の第一歩は自己修養からとなる(→まずは自分が変わる)。

シルバーバーチは「精神的にも霊的にも自己を厳しく修養し、生活の全ての側面を折り目正しく規制し、自分は本来霊であるという意識」(福音243⑦~⑧参照)を持った、「霊の優位性の自覚に基づく修養的生活」(福音243⑩参照)のスタイルが最高の生き方であると述べている。その目標に向けた努力の過程が「魂の成長(→“本来の私という意識”に内在している“神の分霊”が意識の領域に顕在化していくこと)」をもたらしてくれるから。

 

イ、二種類の利他的行為

A、奉仕は霊の通貨

シルバーバーチは「人の為に役立つことが霊の通貨」(350⑮~51①参照)、「無私の善行は霊の通貨」(295⑮参照)であると述べている。このように他者のために役立とうとする利他的行為を「霊の通貨」に例えて、自己を通路として宇宙に遍満している霊的エネルギーを他者に流す行為の重要さを説いている。この利他的行為はシルバーバーチの教えの中心テーマの一つとなっている(224②、136⑥参照)。地上世界がいま最も必要としている行為は利他的行為だからである(259③参照)。

 利他的行為にはその性質に応じて、より専門性を持った行為から、誰でも行える一種の労務提供型の行為まで幅広く存在する。専門性を持った利他的行為には、自分の経験や体験を人のために生かす形の利他的行為(→カウンセリングや現在行っている仕事の延長線上の行為)などがあり、そこにはさまざまな分野がある。

シルバーバーチは利他的行為には二種類(→利他的行為の原則と特則)あるとして、次のように述べている。「真理を普及すること(→特則のこと)のみが、人のための仕事ではありません。他にも色々あります。貧困に喘いでいる人々への物質的援助もそうです。病に苦しむ人々の苦痛を取り除いてあげることもそうです。不正と横暴を相手に闘うこともそうです。憎しみ合いの禍根を断ち、人間的煩悩を排除して、内奥の霊性に神の意図されたとおりに発現するチャンスを与えてあげる仕事もそうです」(4111⑫~112②参照)。

 

B、利他的行為の原則(人の為になる行為なら何でも良い)

シルバーバーチは宗教の基本は「いつどこにいても人のために自分を役立てること」であり、「奉仕こそ霊の通貨」(757⑦~⑧参照)であると述べている。これは信仰者の最大の関心事である“神に対する奉仕”は、表現を変えれば“神の子である地上の同胞に奉仕すること”であるから(最後啓示61⑤~⑥参照)。このようにまずは自分の出来ることから利他的行為を行いなさいということになる。

 

C、利他的行為の特則(霊的真理の普及をしなさい)

スピリチュアリズムという霊的思想(11175⑬参照)を普及する行為は、人間の生き方や社会の在り方を根本的に変える利他的行為である。この行為は一般的な利他的行為(上記B)に対して、より専門性を持った利他的行為にあたる(→「人の為になる行為なら何でも良い」の特則になる)。霊的知識を学んだスピリチュアリストは、いわばその道の“スペシャリスト”なので、上記「B」のような一般的な利他的行為に留まらず、専門性を生かした「C」のような行為も出来る。利他的行為の選択の幅が広がることになる。

 

ウ、利他的行為の原則と特則の例え

A、ボランティアを行う医師の行為

利他的行為の原則と特則の関係を、休日に地震の被災地で“瓦礫の片付け”を行うボランティアのグループに入って、復旧活動に携わる医師の行為を例にとって考えて見れば良く分かる。

医師は休暇を取って被災地に入る。被災地で「医療行為が求められていない“平時の時”」は、その医師の利他的行為は賞賛されて何等問題は生じない。しかしその被災地において「医療行為が求められているような“非常時”」においては、ケースによっては問題が発生する場合がある。医師が“非常時”においても、なおも“瓦礫の片付け”にこだわり、それを優先して行い続けている場合には「道義上の責任」が生じる。なぜなら医療行為は医師でなければできない行為であり、職業倫理上も自ら率先して医療行為に携わることが求められるからである。

 このように代替可能な“瓦礫の片づけ行為(→労務提供型の利他的行為)”と、一身専属的な“緊急医療行為(→専門性を持った利他的行為)”とを同列に並べて、自分の好みで前者を選択するということは、ケースによっては許されない場合がある。

 

B、スピリチュアリストの場合

同様なことは霊的真理を理解したスピリチュアリストにもいえる。ただし霊的真理を理解し、自覚したといっても、その理解の深さや自覚の程度は各人各様、ピンからキリまでなので“能力に応じた責任の発生”ということになる。

これに対して医師は、一定の能力を有していると判定された者にのみ与えられた公的資格なので、その名称を有する者には一定以上の能力があるという“社会の期待感(→当然に責任もあるということ)”がある。そこにスピリチュアリストとの本質的な差異がある。

 スピリチュアリストが行っている霊的真理の普及活動は、人間の生き方の本質部分に深くかかわっている利他的行為である。利他という点では他の行為、一般的なボランティア活動と質的には同一だが、人の生き方や社会の在り方を根本から変えるという点では、利他の程度は極めて高い行為と言える(→社会変革を目指したものだから)。したがってあまた存在する利他的行為の中でも霊的真理の普及活動は、人の霊的成長や社会の根本的な変革に直結するため、利他的行為の頂点に位置しているといえるのではないだろうか。

 

④.なぜ困難・障害・病気があるのか

ア、魂の磨き粉

この世には預金の残高を増やすことが目標、身の回りを高級なモノで飾り立てることが目標、または地上的な“ワクワク体験(→旅行、グルメ、買い物など)”を行うことが目標など、一般に価値の基準をモノや地上的な体験に比重を置く人は多い。このような物的要求を満たすだけが目標といった人生からでは、「魂(意識)を向上させる」という真に価値あるものは得られない。

 人間の本来の姿はなんらかの荷を背負い、困難と取り組みながら何かを学び取って霊性を向上させる、それが地上人生の本来の姿である(152⑨参照)。なぜなら人間は、困難、苦労、悲しみ、痛みなどを体験して、それらが魂の琴線に触れることによって、初めて自我に目覚めて霊的真理を受け入れる素地が出来上がるから(164②、3130⑨参照)。いわばそれらの体験は、受容性に富む魂を作り出すための“魂の磨き粉”の役割を担っている(769⑧~⑩、3213⑨参照)。

ただし苦しみさえすれば自動的に人間性が磨かれる、というわけではない。その苦しみが人生を別の視点から見つめさせるきっかけとなって、結果的に人間性を磨くことに繋がるということである(8138⑥、140⑧~⑩参照)。

 

イ、新しい意味付け

シルバーバーチは「地球は宇宙の惑星の中でも最も進化の程度の低い部類に属する」(11177⑭~⑮参照)と述べている。環境と霊性レベルは一致するので地上世界は物質臭が強く貪欲や利己主義で満ちている(→戦争、貧困など)。そのため地上人類の霊性レベルの低さ故に“磨き粉の粒子”はそれなりに粗い。いわば重い病気や重大事故と言った“目の粗い磨き粉”を使って体を洗っているようなもの。地球の霊性レベルに応じた粗い研磨剤入りの磨き粉となっている。例えれば軽石に石鹸を付けて体を洗うようなもので、汚れは落ちるが当然に体は痛い。そこまでしないと地球人の霊性が目覚めないから。

 この世的には「困難や障害はできるだけ避けるべき」として、面倒なことが生じないことを願って生活している人は多い。シルバーバーチは困難や障害を避けるのではなく、これらに積極的に立ち向かって自らの手で克服していく、その為の心構え「前向きの姿勢」を説いている(31⑫~2①)。人々から忌避されてきた「困難や障害に魂の磨き粉という役割」を持たせて、新しい意味付けを行った。そして霊的成長には従来から宗教や修養の世界では普通に説かれてきた「修養と節制の生活」、これに「刻苦と苦難」、この双方が必要になると述べた(997④~⑤参照)。

 

⑤.動機と道義心の問題

ア、混在社会における善悪の判断基準

A、地上世界と霊界との違い

人間は物的身体をまとった霊である。地上世界は霊的成長レベルの多様な霊が、同一構造にある物的身体を身にまとって生活している混在社会である。これに対して霊界は、同一レベルの霊が集まって生活している均一な世界である。

このように地上は霊界とは異なって、さまざまなレベルの霊が同一平面上で生活しているため、私たちは霊界では体験できないことを直接あるいは間接に体験することができて、霊性向上の為に学ぶ機会が数多く出合える場となっている。ここに地上世界は魂を磨く為の“学校”であるとする理由がある。

 

B、万人に共通した基準は存在しない

地上では多様な霊的成長レベルにある霊が生活しているため、万人に共通した“善悪の判断基準(=出来合いの尺度)”は存在し得ない(5217⑪~⑫参照)。なぜなら“出来合いの尺度”によって“善悪・正誤”を判断すれば、ある人には厳しくある人には緩いものとなってしまうから。そのためその霊が到達した霊性レベルから判断する必要が出てくる(5218⑥参照)。

 

C、動機と道義心

シルバーバーチは常に「動機は何か」を問題にする。「その動機が問題です。いかなる問題を考察するに際しても、真っ先に考慮すべきことは“それは霊にとっていかなる影響をもつか”ということです」(6121②~③参照)と述べる。さらに善悪の判断基準を「判定装置(→道義心)」に求めている(760⑪~61⑥参照)。言い換えれば人の思考や行為の根本に存在する原動力(動機)を、道義心でチェックするという図式になる(→当該動機が道義心から見て是認できるか否か)。

 

イ、道義心

行為の評価はまず「行為の背後にある動機は何か」が問題となる。次にその動機は道義心に適っているかが問われる。シルバーバーチは道義心を「霊的自我(→本来の私という意識)の中に絶対に誤ることのない判定装置(→神の分霊)が組み込まれている」(1294①~②参照)と述べる。霊的自我のレベルが高い霊(→“本来の私という意識”に“神の分霊”の顕現の度合いが高い霊)は霊的意識レベルも高いので、道義心を「行為時の霊的意識レベル」と言いかえることもできる。したがって「〇〇のためという動機で行った行為」につき、それまでに到達した霊的意識レベルを指標として“動機の純粋性”をチェックすれば良いことになる(→顕在意識に上がってくる“良心の声”を指標。何が“良心の声”か、それを見極めるだけの霊性レベルが必要となるが)。

 

ウ、一つの考え方

A、因果律が解凍

行為者は一段高い霊的意識レベルから当時の行為を再評価して、その結果、霊的法則違反を自覚するようになると(→良心の呵責を覚えるという形で)、自らの行為に対して何らかの責任を取りたいとの気持ちが湧いてくる。

いわば霊性レベルが一段と向上することを停止条件(注)として、そのレベルに行為者の意識が到達すると、それまで意識の中に潜在していた“休眠状態にあった因果律”が動きだして、良心の呵責を覚えるようになる。その後さらに霊性レベルがアップすれば、そのレベルに見合った別の凍結中であった因果律が深い意識の底から浮かび上がってくる。

 たとえば施しをする際に本来であれば相手にモノを手渡すべきところ、放り投げて与えたとする。本人の意識レベルが向上したことにより、行為当時には気が付かなかった“自らの中にある傲慢さ”に気付いて良心の呵責を覚える。このように霊的進化の階段を上ることによって、意識の中にある己の未熟さを一つ一つ“クリアー”して、「魂のシミ」を少しずつ消して行く。そして純粋さを増しながら進化の階段を一段一段と登っていく。

 

<注>停止条件とは停止状態に置かれていたある事柄が、霊性が一定レベルに達することで初めて効力が発生することを言う。凍結状態にあった因果律が、条件が成就することにより解凍し動き出すこと。

 

B、たとえ

蕎麦屋で蕎麦を食べた時に跳ねた汁が服に付きシミとなったが、店内の薄暗い照明では見えなかったので気がつかなかった。料金を支払って外に出て、明るい太陽の下で良く確認したら服がシミになっているのが分かった。霊性が向上して薄暗い低い世界から明るい高い世界に来ると、自分の中にある“シミ”が見えてくるようになるから。

上記の事例で、蕎麦汁が跳ねて服に付いたことに気が付かなかった場合は道義心に反しないケースである。この場合はより明るい世界に来て、服にシミが付いていたことに始めて気がつく。進化の低い段階では、ある行為が霊的法則違反であることが認識できない(→蕎麦汁が服に付いたことに気づかない、道義心に反していないから)。しかし道義心に反していないからといって“服に付いたシミ”がなかったことになるわけではない。

 

C、生きるということは多くのシミを付けること

霊性が向上して一段と明るい世界に移動して来ると、それまで気が付かなかった自分の中にある未熟な部分や人に迷惑をかけたことなど(→大きな“シミ”や小さな“シミ”)が、意識の表面に浮かび上がってきて良く見えるようになる。

前世で社会的に活躍した人の場合は、必然的にたくさんの“シミ”を作っているので“シミ抜き”の数も多くなるであろう。物的身体という排他性を持った“衣装”を身につけて生きるということは、聖人君子と言われるような人でさえも、必然的にたくさんの“シミ”を付けながら学んでいるということである。しかし“シミ”がつくことを恐れる必要は全くない。シルバーバーチも「地上にあってもこちらの世界にあっても、人間は何らかの借金をこしらえているものです」(語る106⑪~⑫参照)と述べているから。

 

⑥.取り越し苦労、心配性がもたらす影響

ア、霊的エネルギーの循環

宇宙に遍満している霊的エネルギーは、自我の本体(本来の私という意識)にある「魂の窓」(2124⑨、3117⑪参照)から取り込まれて、その人の「霊的要素(→霊の心、霊体)」を活性化して、接合体やエーテル複体などの名称のある「半物質」を経由して「物的要素(→物的脳、各種臓器)」へと、各部位を活性化させながら流れて行く。

さらにその人の利他的行為によって「他者(人間、動植物等)」に流れて行く。霊的エネルギーは人間を通路として他者に働きかけるものだから(332⑬、590⑪~⑬参照)。このように自己を起点とした霊的エネルギーの循環ルートが出来上がる。その人の霊性が高ければ質の良い霊力が大量に流入して、これが他者へと流れ込んでいく。

 

イ、通路を塞ぐ阻害要因

この世には“霊的エネルギー(生命力)”の通路を塞ぐ阻害要因を持った人、いわゆる「霊的な動脈硬化の要因」を持った人が数多く存在する。最も一般的な阻害要因としては、次の二つのタイプがある。一つ目は「霊性が低いタイプ」である。このタイプには霊性の未熟さの表れである「残忍性や野蛮性」が意識の中に深く根付いている者、さらには異常なまでの物欲や度を越した利己性の持主などがいる。

 

ウ、ネガティブ思考

A、霊的な動脈硬化の要因を持った人

二つ目は「度を越したネガティブ思考のタイプ」である。このタイプには(度を越した)心配性の人や取越し苦労性の人などがいる(4172⑧、1147⑩~⑫参照)。このような人は「霊的エネルギーの通路(→半物質状の接合体から物的脳や各種臓器へ繋がる通路)」を自ら塞いでしまうことになる。いわゆる「霊的な動脈硬化」の要因を持った人と言える。

 この要因を持った人が「過労・ストレス・不規則な生活」によって、本来“物的脳や物的身体の各部位”に流れるはずの霊的エネルギー(=霊的生命力)が、通路が塞がれたことによって枯渇して不調和状態となってしまい、その結果、精神的な病気や肉体の病気を発症することがある。なぜなら健康とは「身体(→肉体)と精神(→地上的自我意識)と霊(→本来の私という意識)の三者の関係」が調和状態にあること(1127⑫参照)、病気とはそれが不調和状態となることだから。

 

B、通路を塞ぐ

この「霊的な動脈硬化の要因」を持った人は、必要以上に心配事で悩むことや、取り越し苦労によって心を奪われたりすると、本人の周りに霧のような障壁が立ち込めてしまい、援助しようとする霊界人の接近を阻んでしまう。さらに「恐怖心、信念の欠如、懐疑の念」などによって、霊力が働く通路を自ら塞いでしまうことになる(163③~④、73①~②参照)。

シルバーバーチは「あなたが悩みを抱くと、霊と身体との間の水門が閉ざされ(→半物質状の接合体から物的脳や各種臓器へ繋がる通路のこと)、身体は生命力の補給路を失うことになる」(949②~③参照)と述べている。これに対して本人に霊的知識に裏打ちされた「静かで穏やかな確信があるとき」は、通路が開かれているため受容性は高く、霊力はその本来の働きをする。

 

エ、回復する手段

霊的な動脈硬化の要因の一つである“ネガティブ思考の持ち主”が、霊的エネルギーの循環を正常に回復する手段として知られているのが、「瞑想(→肉体や精神に障害がある場合は避ける)」と「笑い・微笑みの効用(→肉体や精神に障害があっても有効)」である。

私たちは物質世界で生活している以上、悩みや取り越し苦労と無縁ではいられないので、努力目標を少しずつ高めていく、その中で自己改善を図っていくのが現実的な方法であろう。最初は必要以上に悩むことからの脱却を目標に置き、それが可能になれば徐々に目標を高めていくという方法をとる、最初から実現不可能な目標を設定しても意味がないから。

 

4.精神統一(瞑想)

①.精神統一とは

ア、精神統一の必要性

霊界との霊的な交わりを求める手段として「精神統一(瞑想)」と「祈り」がある。ここでは「精神統一(瞑想)」を見て行く。精神修養法の一つである精神統一には、精神状態の調整や精神面のバランスを高める効果、身体面における高いリラックス効果があることで知られている。そのため現代のストレス社会の中で近年“瞑想の効用”がクローズアップされてきている。

 精神統一が目指すところは「脳の働きを鎮め、潜在的な個性を発現させて本来の生命力との調和を促進しようとするもの」(1155⑦参照)であり、「①潜在力が目を覚ます機会を与える効用」がある。さらに精神統一には、受け身的で受容性ある心の状態を作り出す訓練の側面もあるので、次第に「②霊界からのインスピレーションを受けやすい体質へと変化」していく。このように精神統一には「①と②」のような効用がある。

 霊が最も近づきやすいのは、「静かで受け身的で受容性のある心の状態」のときである(218⑩参照)。この状態は霊と地上人のオーラが融合し易くなっており、インスピレーションを受け取り易くなるから(218⑭~⑮参照)。なお精神統一の訓練を継続して行っていると、最初に“心霊的な面(→形体に具わったサイキック能力)”が開発されて、その後に“霊的な面(→潜在している神の分霊が意識の領域に顕在化していくスピリチュアル能力)”が開発されていくことが知られている(1157⑫~⑬参照)。

 

イ、「アンテナの錆び落とし」と「受信装置の周波数」との関係

A、固有の周波数を持った通信装置

人間とは霊的存在である。私たちの周りには高いものから低いものまであらゆるレベルの霊や地上人の思念が取り巻いている。その中でどの思念と通じ合い影響力を受けるかは、その人の霊的レベルにかかっている。

人間を固有の周波数を持った“通信装置”に例えてみると“瞑想のメカニズム”がよく理解できる。私たちは誰でも霊界と交流できる受信装置の“アンテナ”を持っているが、通常人の場合は錆が付着して感度が悪い状態となっている。これに対して霊的に敏感な霊媒体質者は先天的にアンテナが磨かれていて感度が良好な状態となっている。その結果いろんな霊の影響を受け易くなっている。精神統一という身体技法は、この通信装置の“アンテナ”の錆を落として感度を上げる行為と考えればその仕組みが理解しやすい。

 

B、同じ波長の霊と同調を良好にする

私たちの日常生活では絶えず“通信装置のアンテナ”から雑多な思念を受け取っている。さらに人の意識(=顕在意識)は五感から入るさまざまな刺激に対して過敏に反応して、興奮した状態に置かれている。精神統一は意識を鎮めて、意識の焦点を自己の身体からずらせていく技法のことである。ズレの程度が大きければ深い統一状態となり、ズレが小さければ浅い統一状態となる。統一の熟練者は容易く深い統一状態に移行することができる。このようにして統一者の“固有の周波数”に見合った霊的波長を持つ霊と、同調を良好にさせる行為が精神統一である。

 

C、固有の振動数を引き上げる

その人に感応道交してくる霊は、修業者の固有の波長(→受信装置の周波数、振動数)に見合った霊なので、精神統一の実修と同時に修業者の固有の波長を上げる努力をしなければ、「アンテナの錆び落とし」が進んだ分だけ霊からの影響を受けやすくなる。

したがって精神統一を行おうとする者は「アンテナの錆び落とし」をして背後霊との結びつきを強固にすると同時に(→精神統一の修錬は受信感度を高める行為だから)、「受信装置の周波数」を上げて感応道交する霊の選別を行う必要がある(→修養的生活を心がけることにより修業者の固有の振動数を引き上げることが大切となる)。

 

ウ、平均的な振動数に見合った霊

人間は肉体をまとって雑多な人間が混在している社会で生活している以上、低い意識状態から高い意識状態の間を終日揺れ動いている。高い意識状態を一日中保っていられるわけではない。霊性レベルが高いと言われる人でさえ、肉体が不調の時は意識が肉体面に向かうため、霊性レベルを落とすことになる。

精神統一をしている状態の時に霊界(幽界)から働きかける霊は、「同調の原理」から統一者の日頃の心境に応じた霊である(→その人の“平均的な振動数”に応じた霊)。一般に精神統一は清浄な気分で行うため、その人の最も高い振動状態で行うのが普通だが、体調不良や精神状態の悪化などから、稀に低い波長のままで統一に入る場合もある。このような状態の時は、霊的敏感者は憑依され易くなる。

 精神統一者が統一時において高い背後霊と感応道交しようとするためには、日頃から「意識の底上げ」を心掛けなければならない。なお修業者の固有の振動数とは、その人の“平均的な振動数”のことである。修養的生活を心がけるということは、その人の“平均的な振動数”の底上げを図る努力を行うということである(→通信装置の固有の周波数を上げること)。

 

エ、技の修得と霊格の向上は別

上記のように考えれば、精神統一が習熟していくことと、統一者の心境(霊格)が高まることは必ずしもイコールではないことが分かる。なぜなら精神統一の熟練者が必ずしも人格者とは限らないから。時々性格的に偏った人に出会うことがあるから。

精神統一はあくまで技法であり、アンテナを磨くだけにすぎない。坐っているだけでひとりでに霊格が上がることはない。精神統一の実修というアンテナの錆落としと同時に、修養的生活と利他的行為を行って通信装置の固有の周波数を高める努力が必要となる。なぜなら精神統一によってアンテナの錆落としが進んだ分だけ、固有の周波数に見合った霊の影響をより一層受けやすくなるから。同調してくる霊を選別する必要があるから。

 

②.精神統一の病的状態

ア、先人たちの体験から

A、病的状態の報告例

精神統一(瞑想)に長年携わってきた先人たちの体験から「宗教の作法において熱中すると無我の状態となり、一種の統一状態に入るのでさまざまな障害が現れやすい」、精神統一によって「精神錯乱の状態を呈する場合も決して珍しくない」などの事例が報告されている。また「霊能を啓開されたがために、かえって不幸な結果を招いている実例があまりにも多く見聞する」「性格的に著しく調和を欠いた問題行動を起こしやすい人間を生み出してしまう」などという報告例もある(→心霊科学研究会発行の機関誌『心霊と人生』や日本心霊科学協会発行の機関誌『心霊研究』によると)。

さらに日常生活における行動で、ふとした出来心、激情、陰鬱な気分、イライラ、不可解な衝動、精神的奇行などが生じたり、強められたりすることも起きてくる。これは“アンテナ”が磨かれた分、同調の原理から修業者の固有の波長に見合った霊からの影響力が強く作用した結果であると思われる(→何らかの“受け皿”があるから)。このような事例が数多く『心霊と人生』や『心霊研究』誌で報告されていることから、霊媒体質者は特に注意する必要がある。

 

B、危険性ある精神統一とは

一般に危険性がある精神統一とは、「統一の前提条件が欠けた状態」で行うケース、統一の目標を「利己的なもの・物質的なもの」に置いたケース、このような場合に多く見られる。また霊的敏感者で精神的に障害をもっている人や、情緒不安定者・ノイローゼ気味の人の場合には、精神統一中に霊動が発動しやすくなり危険な状態になることが多い。

 

イ、モーゼスの『霊訓』における瞑想

A、瞑想のすすめ

高級霊のインペレーターはモーゼスの『霊訓』の中で、「われらの側より最も近づき易い魂は普段より霊的交わりを重ねている者である」(霊訓上167⑦~⑧参照)として、背後霊との感応道交の大切さを述べている。

さらに利他的行為と修養的生活の大切さを次のように述べている。「同胞のための公共的奉仕の生活に勤しみつつ、一方においては絶え間なく霊的向上のための生活、真理への憧れと発展、霊との交わり、物質的・地上的なものからの超脱・・・霊的向上の生活」(霊訓下202⑦~⑪参照)が大切であることを説いている。

 

B、モーゼスに対して

モーゼスのような高い境地の者に対してさえ、「神経組織全体が過労ぎみで緊張の極みにある時は・・・せめてそうした精神状態が呼び寄せる低級霊に憑依される危険からそなたを守るのが精一杯である。そのような状態の時はわれらの世界との交信は求めぬように忠告する」(霊訓下44⑮~45②参照)と述べている。

さらに「霊的知覚が鋭敏さを増すにつれて邪霊の敵対行為も目立ってくる」(霊訓下193②参照)として、精神的・肉体的に状態が悪い時は「霊との交わり」をしないようにと忠告している。高級背後霊との感応道交が常にはかられているからと云っても、状態によっては肉体特有の波長の低さゆえに低級霊の影響を受けてしまう場合があるからである。

 

C、瞑想を避けた方が良い人たち

同調の原理につきインペレーター霊は「磁石が鉄を引きつける如くに霊的影響力を何でも引き寄せてしまう・・・地上では低き次元での霊的引力の作用が現実にある」(霊訓下126⑧~⑩参照)と述べる。

さらに霊との交わりを避けるべき者として「軽薄なる心で以て霊界と係わりをもつ者」「単なる好奇心の対象に過ぎぬものに低俗なる動機からのめり込む者」「見栄っ張りの自惚れ屋」「軽率者、不実者、欲深者、好色家、卑怯者、おしゃべり」などの者を例示している。

なぜなら「この種の者にとっては危険が実に大である」から。「われらとしては、性格的に円満を欠く者が心霊的なものに係わることは勧められぬ」「節度なき精神、興奮しやすき感情、衝動的かつ無軌道な性格の持ち主は低級霊にとって恰好の餌食となる。その種の人間が心霊に係わることは危険である」(霊訓下168⑤~⑮参照)とも述べている。このようにモーゼスの『霊訓』では誰かれ構わずに、やみくもに「瞑想」を含めた心霊的な行為を行うことは勧めていない。

 

D、モーゼスの『霊訓』の役割

モーゼスの『霊訓』では低級霊の跋扈を、詳細に事例を挙げて述べている(霊訓上12節・13節、霊訓下29節参照)。推察するにモーゼスの支配霊のインペレーター霊には、地上人類浄化のための「マスタープラン(=総合的基本計画)」(896⑩、1128⑩参照)に沿った“先陣としての仕事”が割り当てられていた。

その仕事とは盤石なキリスト教社会に霊的真理普及のための「橋頭堡」を築くことであった。そのためには地上側に強固なキリスト教神学を固着観念として持っている牧師のモーゼスを立たせて、霊側と地上側に於ける“論争”という形をとって神学という厚い壁に亀裂を入れること。さらにはモーゼスに悪影響を及ぼして“計画阻止を企てる邪霊集団”(福音236⑦~⑧参照)と、熾烈に切り結んで影響力を排除して、霊的真理を地上に根付かせる必要があったから、と考えられる。

 このことはインペレーター霊の次の言葉から明らかである。「今そなたを中心として進行中の新たな啓示の仕事と、それを阻止せんとする一味(→邪霊・低級霊などの未熟霊の集団)との間に熾烈なる反目がある。われらの霊団と邪霊集団との反目であり、言い換えれば人類の発達と啓発のための仕事と、それを遅らせ挫折させんとする働きとの闘いである」(霊訓下152⑬~153③参照)と。

その後インペレーター霊が獲得した陣地を足掛かりにして、後に続く霊団が陣営を広げてスピリチュアリズムを地上に根付かせることに成功した。ここに霊界における霊団の役割分担が垣間見えてくる。

 

ウ、『シルバーバーチの霊訓』における瞑想

シルバーバーチは参加者の質問に応えて「精神統一をなさることです。時には煩雑なこの世の喧騒を離れて魂の静寂の中にお入りなさることです」「静かで受身的で受容性のある心の状態こそ霊にとって最も近づき易い時です。静寂のときこそ背後霊が働きかける絶好機なのです」「片時も静寂を知らぬ魂は騒音のラッシュの中に置かれており、それが背後霊との通信を妨げ、近づくことを不可能にします」「少しの間でいいのです。精神を静かに統一するように工夫することです」「背後霊のオーラとあなたのオーラとが融合する機会が多いほど、それだけ高度なインスピレーションが入ってきます」(218⑨~⑮参照)として精神統一の重要さを述べている。

 上述したように統一時は霊にとって最も近づき易い時であり、近づいてくる霊は「同調の原理」から統一者の日頃の心境に応じたレベルの霊である。『シルバーバーチの霊訓』の記載からも分かる通り、シルバーバーチは利他的行為や霊的視野から物事を見ることの重要さを繰り返し述べている。これらが前提にあってその上で精神統一を勧めているのであり、上記の回答部分だけを取り出して、やみくもに「霊との交わり」を求めて精神統一(瞑想)に入ると、人によってはさまざまな問題が起こるので注意する必要がある(→精神統一を行おうとする者には一般に霊的敏感者が多いので注意)。

 以上のことから云えることは、高級霊のシルバーバーチやインペレーター霊は「霊的教訓」の内容を理解できるレベルの人に対して、“精神統一(瞑想)の勧め”を述べているのであって、これを万人向けに一般化することは弊害が伴う。「霊との交わり」には前提条件がある。

 

5.祈り

ア、祈りの対象と忠誠を捧げるべき対象

“本来の私という意識”に潜在している“神の分霊”を顕在化させるための手段としては、祈りと瞑想が良く知られている。ここでは祈りを見ていく。

 シルバーバーチは「祈りの対象」は神であると述べる(11113⑩~⑪参照)。なぜなら祈りとは“神の分霊”である自己とその始源との一層緊密な繋がりを求める為の手段であるから(12125⑪参照)。いわば他家に嫁いた女性が親元に里帰りをするようなもの。したがって神の使者である高級霊やイエスを祈願の対象とするのは間違いとなる(語る159⑦参照)。

 シルバーバーチは「忠誠を捧げるべき対象」は「神と永遠不変の摂理」(7207③~④参照)であると述べる。これに対して祈りの対象は「神のみ」(11113⑩~⑪参照)として、両者を区別して用いている。なぜなら祈りの照準は“自己とその始源との緊密化”という観点からみて当然に「神」でなければならないのに対して、永遠の旅を続ける為には「流れに乗る」という意味で「摂理」に合わせる必要が出てくる。そのため忠誠の対象として「神」に「永遠不変の摂理」が加わった。

 

イ、祈りとは魂の行

祈りとは自分自身の波長を高めて、少しでも高い界層との霊的な交わりを求める行為である(3141④~⑥参照)。シルバーバーチは「祈りとは魂の行」(3226⑪参照)であり「より多くのインスピレーションと霊的エネルギーを摂取するための手段である」(3227①参照)と述べる。このように「祈りとは魂の行」であるため、祈りが出来ない時や祈りたくないと思えば祈る必要はないことになる(3227⑥、7205①参照)。

 

ウ、祈りの効用

波長を高める霊的活動としての祈りや人のために役立ちたいとする祈りは、一種の「磁気力にも似た吸引力」のような力が発生して、祈る者の霊的成長に見合った分の援助を自動的に引き寄せる(1170⑩~⑪、11114⑪~⑫参照)。しかし祈りによって自然法則(=因果律の法則)の働きを変えることはできない。また「地上的な労力の代用にもなりえない」(3218⑩~⑪参照)。

祈りに対する回答はその時の祈る者の霊的成長にとって一番望ましい形で与えられる(158⑭~59②参照)。祈りの動機次第によっては、何の反応もないということもあり得る。

 

エ、定型的な祈り、御利益信心的な祈り

無意味な文句の繰り返しや、神に挨拶するための機械的な祈り、集団で行う紋切り型の祈りには何の効果もない。祈りの効果を決定づけるのは、祈る人の霊格と動機である(到来173⑦~⑨参照)。

祈りに類似したものに物的な要求である「ああして欲しい・こうして欲しい、金が欲しい、家が欲しい」など、「何らか物的な願いを叶えてもらう」ために「高次の存在」に祈願する“要求型の祈り”がある。これをシルバーバーチは御利益信心と呼んでいる。この種の祈りは利己的な要求なので本来の意味での祈りではない。御利益信心は当人の霊的成長にはプラスにならないので何の効用もない(1169⑩~⑬参照)。シルバーバーチは「利己的な祈りは時間と言葉と精神的エネルギーの無駄遣い」(7198⑭参照)であると述べる。

 

オ、仲立ちを介した祈り

限界ある人間が「指導霊崇拝」を回避するための祈り方として「高級霊は私たち人間の“兄や姉”であり、最終責任者の神に取り次ぐ中継役である」とする祈り方がある。モーゼスの『霊訓』には「神の概念が理解できた者なら直接神に祈ることです。それができないのであれば、自分にとって最も身近な信仰の対象を仲立ちとして祈るがよろしい。その仲立ちによって祈りが神へ届けられます」(続霊訓75⑨~⑪、同趣旨12122⑫~123③参照)との記載がある。

この「祈りの仲立ち」とはイメージしやすい守護霊なり指導霊なりを「仲立ち」としたスタイルの祈りのこと。守護霊や指導霊が一種の“ライフル銃の照準器”的な役割を果たすことになり、最終的には“神に祈りのピントが合う”ことになるから。

 

カ、霊界での祈りの扱われ方

祈りは「祈りの純粋性や利他性の度合い」に応じて「仲立ち」を経ながら相応のレベルまで届く。霊界通信の『ベールの彼方の生活』には霊界には祈りを専門に処理する霊団がおり、祈りに含まれる純粋性や利他性などを分析して、価値評価の高い祈りは順次高位の霊に取り次がれていく(彼方1208⑥~⑧参照)との記載がある。同趣旨として「人間が祈りを発すると、それを中継する霊が受け取り(→無数の階梯を為して存在する天使的存在によって)、その霊自身の判断による回答」(続霊訓78②~③参照)を授かるという記載もある。

なお“要求型の祈り”は物質志向が強いため上昇せずに、祈る内容に応じて親和性から幽界の下層界にいる低級霊との間に繋がりが生じる。

 

6.講座に寄せられた質問

①.質問その1

<質問>「心霊治療の治療エネルギーは松果体か太陽神経叢に送られるとのことですが、それはなぜ違うのですか。治療者の体質ですか。人により、どこそこのチャクラが活性化しているとか、していないとか聞きます。そういうことなのでしょうか」

<回答>

ア、霊と精神と肉体が合一する場

心霊治療のメカニズムは次の通り。

霊界の「霊医」は宇宙に遍満している霊的エネルギーから治療エネルギーを取り出して、それを患者の症状に見合った形に“調合”する。そして「霊医」は“調合”した高い波長を持った治療エネルギーを治療家に送る。その治療エネルギーは治療家の霊的身体が持つサイキック・エネルギーと結合して中間物質に変換し、患者に見合った程度まで波長を下げる。波長を下げた治療エネルギーは患者の「霊と精神と肉体が合一する場(→中間物質の接合体の中にある)」から流れ込んで全身(→霊体や肉体)に行き渡る。

その治療エネルギーが患者の「魂(→本来の私という意識)にカツを入れて居眠りの状態から目を覚まさせる」。その結果、患者自身の肉体に具わっている自然治癒力が機能を発揮して健康状態を取り戻すことになる(9172⑫~173②参照)。これが心霊治療のメカニズムである。

この「三者が合一する場」をシルバーバーチは次のように述べている。「いにしえの賢人が指摘している“第三の目”とか“太陽神経叢”などを使用することもあります。そこが霊と精神と肉体の三者が合一する“場”なのです」(639⑤~⑥参照)。また「(治療エネルギーは患者の)松果体や太陽神経叢を通って体内に流れ込みます。その活エネルギーは全身に行き渡ります。電気的な温みを感じるのはその時です」(640⑩~⑪参照)と。

このように「三者が合一する場」が「いにしえの賢人が指摘している」額部分と腹部にあると指摘しただけ。そこがヨガで言うチャクラの部分と重なるだけのこと。これ以外に近藤千雄訳ではシルバーバーチがチャクラに言及した箇所はない。むしろスピリチュアリズムではその部分に「太いシルバーコード」があるという事実の方が大切。

 

イ、太いシルバーコード

霊的身体(→半物質状の接合体を含む)と肉体との間には、太いものから細いものまでさまざまなシルバーコードが蜘蛛の巣状に張り巡らされている。シルバーバーチは二本ある太いシルバーコードが分離した瞬間が死であり、分離したら肉体は二度と生き返らないと述べている(11207⑥参照)。

マイヤースの通信では「ダブル(→接合体、エーテル複体、中間物質と同じ)というのは、もし人間の目に映じれば肉体とそっくりな形をしており、数多くの糸状の細いコードと二本の太い銀色のコードで連結されている。(太いシルバーコードの)一本は太陽神経叢、もう一つは脳(松果体)と繋がっている。このコードは弾力性に富み、睡眠中にいくらでも伸びる。死の現象はこれら大小のコードが切断されることから始まり、最後に二本のシルバーコードが切断した時に完結する」(永遠の大道115⑮~116③参照)とある。

 

ウ、結論

 患者の中間物質で出来た接合体にある「霊と精神と肉体が合一する場」から治療エネルギーが患者に流れ込む。松果体や太陽神経叢は「三者が合一する場」であり、その部分から霊的身体と肉体を繋ぐ「太いシルバーコード」が出ている。その接合点である松果体や太陽神経叢から治療エネルギーが流入すると霊界通信では述べているだけ。

 心霊治療の治療エネルギーは松果体と太陽神経叢の双方、またはいずれか一方に送られてそこから流入する。その理由はそこが「三者が合一する場」であるから。人体の仕組みがそのようになっているからである。体質的なことやチャクラの活性化とは趣旨が違う。

 

②.質問その2

<質問項目の一覧>

・協会の精神統一会の仕組みと取り組み方

・実生活での霊性向上の取り組み方

・霊的敏感者の日常での霊障に対する対処法

・霊性の成長に根差した夫婦関係の実践

<回答>

ア、質問「協会の精神統一会の仕組みと取り組み方」とは?

私は協会を離れた者ですので、協会の立場に立って話すことはできません。会員であった1986年に私が執筆して、当時協会の理事であった中西旭先生(神社本庁教学顧問)が監修し、理事会の承認を得て1988年に協会の出版物となった『初心者のための精神統一入門』があります。以下この冊子から引用します。

 

A、協会と精神統一会との関係

 日本心霊科学協会の寄付行為第3条に「この法人は、心霊現象に関する諸般の科学的研究を行うと共に、その成果に基づき、人生の新指導原理の普及を図って人類の福祉に貢献する」とある(冊子2頁上段)。この「指導原理の普及(→科学的研究の成果である霊魂説の普及のこと)に基づいて、会員及びその関係者の霊魂の浄化、向上及び進化を図るために(→スピリチュアル能力の開発、つまり“本来の私という意識”の開発のことであってサイキック能力の開発ではない)、研修部門の中に精神統一会の開催が掲げられている」(冊子2頁下段)。

 

B、精神統一の目標とは

まず「統一者それぞれの心身の根源である霊魂(→本来の私という意識)の浄化向上のため、高級祖霊と直結することを目指すところにある」(冊子2頁下段)。そして「霊能開発(→サイキック能力)は自らの霊魂(→本来の私という意識)が浄化向上するに伴って、各人の使命に基づいて開発されるもの。したがって協会で行っている精神統一研修会では、霊能開発(→サイキック能力)は優先した目的とはしていない」(冊子3頁上段)とある。

協会で行う精神統一研修会は参加者のそれぞれに対して、「死後個性の存続の証拠提供の場」として、さらに「心霊知識の普及の場」としての役割がある。

 

C、参加者の心構え

 「精神統一研修会は修行の場」(冊子5頁上段)です。「一般に自分だけでは向上し心境が高まることは難しいもの、統一会に参加して精神統一をすると協会の背後霊団の守護や指導があって、その人の背後の様々な因縁を持っている霊が整理されていく。しかしその人が絶対的真理に目覚めず心構えが変わらない限りは、いったんは整理されたものが再び同じような因縁を持って現れる」。したがって「日常生活における心境の向上に努力し、さらに精神統一によって背後の整理を行うならば、高級祖霊に感応してその守護と指導が得られる」(冊子5頁下段)とある。

 

D、精神統一の継続と同時に日常生活に於ける心の在り方が大切

 前述したように「精神統一によってその人の背後が整理されても、依然として心境が同じであれば、また別の同じような因縁を持った霊がかかってくる」(冊子8頁下段)。したがって「日常生活を見直して心境を高める努力を行う(→固有の周波数をアップする)と同時に、精神統一の実修(→アンテナの錆落とし)を継続して行い、より高い背後霊と感応して結びつきを強めて行くことが必要になる」(冊子9頁上段)とある。

 精神統一にはその者の背後で働く霊との結びつきを強める働きがある(→アンテナの錆落とし)。その際に働きかけを行うのは、地上の人間の心境に応じたレベルの霊(→固有の周波数を持った霊)であるから。

 

イ、質問「実生活での霊性向上の取り組み方」とは?

 一般的な方法としては「①利他的行為を心掛ける」「②困難・苦難を前向きにとらえる」「③霊的知識を日常生活に活かす努力」「④肉体煩悩に流されない生き方」を心掛けた生活を送れば、守護霊や背後霊とのパイプが太くなり霊性が次第に向上して行く。

 

ウ、質問「霊的敏感者の日常での霊障に対する対処法」とは?

 日頃から本人の守護霊や背後霊との結びつきを強めて、磁気的な回路を強固にする努力を行うこと(→例えば自分の守護霊や背後霊に毎朝心の中で挨拶をするなど)や、上記「質問イの①~④」の実践を行って本人の意識の底上げを行うこと。

私が実践していることは、日課となっている瞑想の際に守護霊や背後霊に挨拶をする。また外出する際には、自分は守護霊や背後霊にしっかりと守られているとの強い信念を持って、自分の周りに意念で透明なカプセル状の膜を作り、それで自分の周囲を覆う。このようなことを長年行ってきました。

 

エ、質問「霊性の成長に根差した夫婦関係の実践」とは?

A、性別の違い

 男性と女性は互いに補完し合う関係にあるので(234⑫参照)、どちらが上でもどちらが下でもない。二つの性で互いに足らざるところを補い合って全体を完成させるという「補完の法則」の適用下にある。霊の世界では界を上がるにつれて男女の差が薄れてくるので(4巻141⑬参照)、本来“魂”には女性や男性といった性別はない(個人的存在105⑬参照)。

一般に女性は感受性が強く、男性より繊細な属性を具えている。そのため霊的に見て敏感であり、霊的影響力を受けやすいという特徴を持っている(221⑭~22⑦参照)。

 

B、霊的成長を目指すなら

たとえ夫婦と言え霊的成長に二人三脚は有り得ない(霊訓下198⑭~⑯参照)。自分を変えて行くのは自分自身、霊的成長は他人から与えられるものではなく自分で成長していくもの(1巻118⑩~⑫参照)。魂の成長は個人的な問題だから(2巻71⑨参照)。

夫婦の在り方も互いに霊的成長の道を歩む“同志的存在(→互いに相手の霊的成長を願うという関係)”という形になるのではないだろうか。モーゼスの『霊訓』に「結婚の絆は不滅である。但しその絆は親友同士の関係程度の意味である」(霊訓上81⑫参照)とある。

 なお霊の世界では霊的親和性が無ければ再会はない(10117⑭~⑮参照)。また「二度三度と結婚して複数の妻ないしは夫がいる場合は、最も親和性の強い相手と引き合いひかれあう」(個人的存在52⑮~⑰参照)という。

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

 

第5講 心霊治療・医療

目 次

1.はじめに

2.日本の医療の変遷

・近代以前の医療

・明治時代の医療

・「心霊治療」受難の時代

・明治後期から昭和初期にかけて

3.心霊治療の概略

・心霊治療の目的

・三種類の心霊治療

・心霊治療の種類

4.心霊治療の周辺部

5.心霊治療の背景

・心霊治療のメカニズム

・治療エネルギー

6.個別問題

・心霊治療家の問題

・患者側の問題

7.講座に寄せられた質問

 

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1.はじめに

ア、「心霊治療」という名称

 一般にスピリチュアリズムの世界では「心霊治療」という言葉が広く用いられているが、この「治療」という言葉には「病気の治癒や症状の軽快の為に行う医療行為」(国語辞典)という意味がある。そのため資格のない者が治療や診断などの「医療行為」を行えば「医師法」に抵触する恐れがある。

「治療」という言葉が使えるのは法的根拠がある医師と歯科医師、そして法的に医業類似行為と認定されている鍼灸師や柔道整復師、あん摩・マッサージ指圧師の職種にある者のみである(→厚生労働省、平成3年628日医事第58号通達「医業類似行為に対する取扱いについて」参照)。将来「心霊治療」がメジャーになって行けば「治療」という言葉が問題になってくると思われる。

近年では「心霊医療」という表記が使われているが、当講座では一般に流布している「心霊治療」という用語をそのまま用いて解説する。最初に日本の医療史の中で「民間医療」、その中でも特に「心霊治療」はどのような扱いをされてきたかを、日本の歴史をさかのぼって概観して行く。

 

イ、死生観による違い

心霊治療(スピリット・ヒーリング)をどのように理解するかは、その人の死生観によって見解は異なる。イラストA説の「死は終焉」と考える唯物論者は「死後の世界」を一切認めないので、当然に「霊医」という存在を言下に否定する。

イラストB説は、死と共に“私という個人”は消えてなくなって、死後は一種の「生命エネルギーのような大きな海」に溶け込むとする立場である(→作家の五木寛之氏を含む多くの人が主張している)。さらにC説は、供養の対象となる死者の魂は“弔い上げ(33年、50年)”によって清まり、個性を失って先祖の霊に融合して「祖霊という大きな海」に溶け込むとする日本の伝統的な霊的世界観である。このB説及びC説では、死後は一種の集合魂である「霊の海」に溶け込むと理解されているので、個別霊である「霊医」の存在を説明できない。

イラストD説の「スピリチュアリズムの死生観」に立って、始めて個別霊である「霊医」の存在が理解できる。なぜならD説は「死後も人間の個性は存続する(→死んでも“私”は生きている)」や「この世とあの世は交流している」ことを認めているから。

 

2.日本の医療の変遷

①.近代以前の医療

ア、古代の医療

A、医学知識の流入

大陸との交流によって日本に体系的な医学が入ってきた。古墳時代中期(390年~500年)に朝鮮から「良医(くすし)」や「医博士(くすりのはかせ)」が来て、日本に医療を伝えたことが『古事記』や『日本書紀』に記載されている。その後、遣隋使や遣唐使さらには留学僧や留学生たちによって、少しずつ中国の伝統的な医学知識が日本に入ってきた。

 

B、巫術(ふじゅつ)

古代社会では病を癒す療法は、もっぱら禁厭(きんえん、→まじないを行うこと)祈祷や、草根木皮(そうこんもくひ)による内服療法であった。757年制定の「養老律令」には、祈祷による医療行為を禁ずる規定があった(→僧尼令2条「卜相吉凶条」参照、注1)。

巫術(=シャーマニズム)については『古事記』に4世紀に在位した仲哀天皇が行った旨の記載がある(注2)。しかし古墳時代には盛んに行われていた巫術は、時代が下るにしたがって禁止されていった。

 

C、小規模な公的医療制度

大宝元年(701)制定の大宝律令の中に、日本で最初の公的な医療制度である「医疾令(いしちりょう)」の記載がある(注3)。「医疾令」によって医療は全て国の管理下(注4)に置かれて実施された(→ただし僧医は典薬寮に属さず官医に組み込まれていなかった)。

日本では奈良時代から平安中期頃までは、この「医疾令」にしたがって不十分ながら「国営医療」が実施されていた。1156年の保元の乱、1159年の平治の乱以後は天皇政治の衰微と共に律令制も崩壊した。禄を失った官医が巷に出て自ら生計を立てるようになったのが、日本の開業医の発端であるという。

 

D、日本の医療は僧医が担っていた

日本に仏教が伝来すると、仏教は多くの僧医(→僧侶である医師を僧医と呼んだ)を輩出した。近世に至るまで僧医が日本の医療の主流であったが、僧医の医療技術は「草根木皮(そうこんもくひ)の漢方や加持祈祷が主流」であった。

 

イ、中世の医療

中世の医療の特徴として日本に西洋医学が入ってきた事であった。ポルトガル人のルイス・デ・アルメイダ(Luis de Almeida 1525年→1583年)は、1552年(天文21年)に来日したが、当初は貿易商としてであった。その後アルメイダは1555年(弘治元年)にイエスズ会の宣教師(諸説あり)として、また日本初の南蛮外科医という資格で再度来日した。

豊後の国の領主大友宗麟の庇護を受けたアルメイダは、豊後府内(現在の大分県大分市)に貿易で得た私財を投じて乳児院を建てた。さらに1556年には、日本で初めて洋式の病院を開いて西洋医学を伝えたことで知られている。

 

ウ、江戸時代の医療

江戸時代は律令制が崩壊しており、現代のような医業における免許制度はなく、医者になりたいと思う者は誰でも自由に医業を行うことが出来た。医者を希望する者は、一般には漢文を学んで(→医学書の多くが漢文で書かれていたので四書五経を修める必要があった)、医者に弟子入りして手ほどきを受けながら学んだ。名前が知られるようになると大名のお抱え医者となった。

当時の医療は「伝染病に対しては西洋医学も東洋医学も全く無力であったが、解剖学は西洋医学が進んでいた。これ以外の医療分野では大差なかった」という。

自分より上位にある者の存在を許さない権力者は、宗教者が医療行為などを通して民衆の心を掌握して、目立つ存在となってくると権力を行使して統制を強めてくる(注5)。幕府は宗教団体や個人が行う宗教行為を相次いで規制していった。この幕府によって行われた宗教統制は明治以後も基本的に引き継がれた。

 

ここまで近代以前の医療の変遷を概観したが、古代社会で認められていた「巫術(霊媒行為)」は時代が下るに従って禁止されて行ったことが分かる。この動きが明治時代に入ると近代合理主義思想の導入によってさらに強まって行った。この流れを次の項目で見て行く。

 

②.明治時代の医療

ア、医療制度の整備

明治政府は国家の近代化政策推進のために西欧の近代合理主義思想を導入した。そして近代化の一環として、明治元年127日に「医学振興に関する太政官布告」を出して近代化路線を医業の面で打ち出した。この布告の背景には当時、医者は誰でもなれて開業することが出来たので、いい加減な施術や売薬等による弊害が目立っていたことがあった。この布告によって、今後は「免許を得た者でなければ医業を行うことが許されなくなる」として、医師試験の必要性を一般に知らしめた。

明治初期の医療制度を担っていたのは漢方医であった(→医師の約7割)。当時の政府の方針は西洋列強に追いつくために長い歴史がある漢方医制度は「古い時代の遺物」であると見做して切り捨て、新しい西洋医学による「医制(医療制度)」を採用するというものであった(注6)。

 

イ、民間医療に対する規制

明治政府は呪法や“民間の医術”の横行は時に社会的弊害が伴うとして、「加持祈祷等による医療行為」に対して厳しい態度で臨んできた。近代合理主義思想に合致しないものは、ことごとく迷信と見なして取締まりの対象として排除していった(注7)。

 政府は内務省通達によって(→明治15710日の内務省通達、明治1710月に再度「禁厭祈祷による医療妨害行為の禁止」の通達を出した)、教導職の「病気治し」行為が取り締まり対象であることを通知している。この時代、霊媒行為や加持祈祷行為禁止に関する明治政府の一連の通達は、公認非公認を問わず宗教活動に従事する人達にとって重圧となった。

 

③.「心霊治療」受難の時代

ア、民間医療が隆盛を極めた時代

日本では明治時代コレラ、ペスト、赤痢等の伝染病が繰り返し流行していた。大正から昭和にかけて徐々に医療水準の向上や衛生状態が整ってきたとはいっても、伝染病による死者数は現代と比較すると高水準にあった。

明治政府による医療制度改革によって、医師免許を得た者のみが医療行為が行えるように制度変更された。そのため漢方のみを学んだ者が医師となる道は閉ざされた。なお医師の資格を持つ者が漢方の診療を行うことは問題ない。当時は近代西洋医学の教育を受けた医師は少数であり、一般の人々が今日のように気軽に医療を受診できる状況にはなかった(注8)。そのため巷ではさまざまな民間医療が興隆を極めていた。

 

イ、庶民が頼る「医療」

このような時代、庶民は伝統的な医療(→明治の初期まで主流だった漢方や各種養生論)や民間療法(→薬草、温灸、指圧、食餌療法等)、庶民の中に深く根付いていた加持祈祷による療法や呪術療法、各種宗教の独自な療法などに頼らざるを得なかった。

僧侶でも神官でもない修験者(山伏)は、公的資格のない宗教者であったが、村落の祭礼行事に深くかかわってきた実績があった。民間医療を見る場合に修験者の存在は外せない。修験者は「病気直しのための祈祷」を通して、中世後期以降「加持祈祷や薬草に関する知識を持った専門家」として、僧医とともに民間医療の担い手として役割を果たしていた(注9)。明治政府は医学との境界があいまいな民間療法に対して徐々に規制を強めていった。

 

ウ、長南年恵、三田光一、浜口熊嶽のケース

A、長南年恵

霊能者の長南年恵(おさなみとしえ1863年→1907年)は現在の山形県鶴岡市(庄内藩)の没落士族の家に生まれた。田中千代松編『新・心霊科学事典』(潮文社1984年刊、320頁以下)によれば、年恵25歳、食事に変化が起き、以後サツマ芋を生のまま一日200g程度と少量の生水を取るだけで、煮焼したものは受け付けなかった。

年恵30歳頃、この頃から次第に霊能力を発揮し始める。アポーツ(八幡宮のお札など)や失せ物を言い当てる。家なり震動など。と同時にほとんど何も食べなくなり、果物の汁を吸う程度で水も少しばかり口を湿すくらい。

年恵31歳、両便(大小便)不通になる。40日間ほど腹の張りや胸のもやつきが続いて苦しむが、それが収まると“神様がおいでになるように”なった。

年恵32歳(明治28年前後)、7月より60日間“妄りに吉凶禍福を説き、愚民を惑わし世を茶毒する詐欺行為”として山形県監獄鶴岡支署に拘留される、続いて翌年10月にも同罪で7日間再拘留される(注10)。

浅野和三郎が主宰する「心霊科学研究会」の機関誌『心霊界』創刊号(大正132月)に「長南年恵の奇蹟的半生」という記事がある。この中に年恵は「日清戦争の予言が的中したこと」「不思議に病気が治るので遠方から病人が訪ねて来ること」「空中で笛・鈴などの音楽の合奏があること」などの記載がある。

 

B、三田光一

「月の裏側の念写」で有名な三田光一(1885年→1940年)は、明治末期から昭和初期にかけて活躍した霊能者である。三田は明治38年頃(19歳から20歳にかけて)、三度“罪”を犯して服役している。当時は心霊現象が詐欺罪や窃盗罪(→アポーツ現象などの物品引き寄せ)として扱われた時代であった。なお三田は「心霊治療師」でもあった(注11)。

 

C、浜口熊嶽

明治から昭和初期に活躍した有名な「心霊治療師」に浜口熊嶽(はまぐちゆうがく1878年→1943年)がいる。昭和初期の三重県にゆかりのある三有名人の一人(→真珠の御木本幸吉、政治家の尾崎行雄、気合術の浜口熊嶽)に挙げられたことがある。

浜口は気合術を病気治療に使った。治療スタイルは生体エネルギー(→肉体磁気エネルギー)によって行うタイプである。その浜口の治療が官憲の目に留まり医師法違反などによって起訴されて、生涯数多くの裁判を体験した。今もその資料が残っている(注12)。

 

エ、霊媒行為や病気直しは取締りの対象

当時は心霊治療を行う者は絶えず取締りの対象とされていた。このように霊媒行為(→三田光一の事例)や民間療法の病気治し(→長南年恵や浜口熊獄の事例)については、迷信の名のもとに取締りの対象とされてきた長い歴史が日本にはあった。

当時は「心霊治療」と言っても、治療師の“生体エネルギー(→霊体エネルギー、肉体磁気エネルギー)”使った治療(→直接・遠隔・除霊等)であった。これは浜口熊獄や三田光一の事例からも窺える。なかには治療師の霊性レベルによっては、本人は意識していなくとも霊界の「霊医」が働いたケースがあったことは否定できない(→長南年恵のケース?)。

しかし1930年以前は霊的実在を証明するための手段として、霊界側が「組織的にスピリット・ヒーリング(sprit healing)を用いた」とは考えにくい(→本講座、第1講の「7.霊的実在の証明手段の変更」令和42月号『心霊研究』15頁以下参照)。このようなケースがあったとすれば、治療師と「霊医」との間で親和性の法則が働いた結果による場合か、両者に何らかの個人的な繋がりがあって「スピリット・ヒーリング(sprit healing)」が行われたものと思われる。

 

④.明治後期から昭和初期にかけて

ア、警察処罰令による取締り

明治30年後半ごろから催眠術が大流行し、「催眠術で治療行為を行う者」が現われてトラブルが続出したため、政府は明治41年(1908年)9月に「警察犯処罰令」(注13)を公布して同年10月から施行した。この中に「濫りに催眠術を施したる者」との規定を入れて、催眠術に対して取締りを強化した。

 

イ、催眠術から霊術へ

この「警察犯処罰令」の適用と、福来友吉の「千里眼事件」の余波から、治療行為に催眠術を使うことができなくなった治療師は、「催眠」という表現を止めて「霊術」に看板を書き換えて治療行為を続けていた。

当時の霊術家は精神療法・心理療法・催眠療法・気合療法家等の肩書きを用いて「感応術・読心術・テレパシー」等を使った精神療法や、「祈祷・加持・予言・降神」などを行っていた。「警察犯処罰令」等の一連の取締り法令の施行によって、治療行為の名称が「催眠術から心霊的な表現に変更」になったに過ぎなかった。政府はその後も民間療法に対しては、監視を強化して行った(注14)。

 

ウ、霊術家の退場

大正中期から昭和初期にかけて、無数の道場、精神治療院、霊術団体などが存在していたが、これらを舞台にして盛んに行われた霊術家の治療行為(→霊術、心理療法、手技療法、健康法、電気療法、光線療法等)も昭和10年頃を境にして姿を消していった。

 

3.心霊治療の概略

①.心霊治療の目的

シルバーバーチは「健康とは身体と精神と霊の三者の関係」が調和状態にあること(1127⑫参照)。これに対して病気とは三者間の調和の欠如によって生命力(霊的エネルギー)の流れが阻害され、病的症状が出る状態と述べる(2193⑬、9171⑦~⑪参照)。

心霊治療には三つの段階がある。まず治療によって「病気も治り魂も目覚める」段階、次に「魂の目覚めはないが病気が治る」だけの段階、最後に「魂の目覚めも治病もないが、治療を施すだけ」の段階である(6181⑫~⑮参照)。

 霊的実在の証明という観点から見るならば、心霊治療によって患者の身体を癒して悩みを解消してあげても、霊的に何の感動を覚えなかったらその治療は失敗したことになる。心霊治療の目的は「眠れる魂を目覚めさせ、霊的自覚をもたらす(→霊的に何を為さなければならないかという自覚)」ことなので、「身体は治らなくても魂に何か触れるものがあれば、その治療は成功」となる。このように心霊治療の本質は魂に関わることであって、物的身体に関わることではない(1124③~⑤、9169①~③参照)。

心霊治療や各種心霊現象などの全ての霊的活動の目標は、人間は霊的存在であることを理解させることによって「生命の実相に目覚めさせること」(613⑤参照)にあるから。

なお『シルバーバーチの霊訓』を読んでいると、頻繁に「霊」という用語が出て来る。この「霊」には三種類の意味がある。まず「神の分霊」として用いる場合がある。次に「一般的な霊」として用いる場合、さらに「個別霊」として用いる場合がある。「霊」がどの意味で使われているかは文脈から判断しなければならない。

 

②.三種類の心霊治療

ア、磁気治療、心霊治療、霊的治療

 

分類

主役

A

マグネチック・ヒーリング

ヒーラー自身の肉体エネルギーを患者に与えることによって病気を治癒する

指圧、マッサージ、整体

治療師

B

サイキック・
ヒーリング

サイキック・ヒーラー。
ヒーラー自身の霊体エネルギーを患者に与えることによって病気を治癒する

気功治療、レイキ、手かざしなど

治療師

C

スピリット・
ヒーリング

霊医が宇宙に遍満している霊的エネルギー(治療エネルギー)を、地上のヒーラーを通路にして患者に流す、これによって病気を治癒する

スピリチュアル・ヒーリング

霊界の霊医

 

上記の通り心霊治療には三種類ある(1126⑬~127③参照)。まず治療家自身の物的身体が持っている豊富な生体エネルギー(生体磁気エネルギー)を、患者に注入することで病気が治る場合がある(→マッサージ、按摩、鍼灸など)。この磁気的で生理的な治療は「A、マグネチック・ヒーリング」と呼ばれるものであり、霊界との関わりは全くない物的身体レベルの治療である(644⑬~45②参照)。死後の世界を一切認めない唯物論者でも、エネルギッシュでパワーのある人の側に行くと、しばしば体調不良が軽減するという現象が存在する事から、この「マグネチック・ヒーリング」は認めている。

次に心霊的ではあっても霊的とは言えないもので、治療家自身の霊的身体が持つサイキック・エネルギーを使う「B、サイキック・ヒーリング」がある(→気功治療など)。ほとんどの遠隔治療は此処に入る(1127④~⑤参照)。唯物論者にとってこの領域は、気功を認めるか否かで見解が異なるのでグレーゾーンと言える。

そして最も程度が高い治療法で、治療家は“霊力の通路”となる「C、スピリチュアル・ヒーリング(=スピリット・ヒーリング)」がある(1127①~②参照)。死後の世界を否定する唯物論者は、この治療法は一切認めない。

 

 このように心霊治療と言っても「A、物質次元の磁気的なもの」や、エネルギーの質は「スピリチュアル・ヒーリング」より落ちるが魂への影響力が限定的な「B、治療家の霊的身体を使用した心霊的なもの」。さらにその上に「C、霊界の高い界層からのエネルギー」を使用した治療がある(最後啓示204⑦~⑨参照)。心霊治療がどの段階の霊的エネルギーを用いて行うことが出来るかは、治療家の霊性の高さによって決まる(最後啓示205⑨~⑩参照)。

 

イ、スピリチュアル・ヒーリングとは

霊界の「霊医」が関与した「スピリチュアル・ヒーリング(=スピリット・ヒーリング)」とは、“霊界の医師”が患者の病が治るべき時機が到来している時に(→未到来の場合は治病なし、一定期間が経過後に効果が出てくる場合もある)、治療家を通して治療エネルギーを患者に注ぎ込んで一瞬のうちに治してしまうものを言う(1127①~②参照)。

その際に使われる治療エネルギーは“霊医(霊界の医師)”が霊界にある化学物質に相当する霊的素材を、患者の症状に応じて“調合”して作り上げたもの。その治療エネルギーを治療家が通路となって、中間物質に転換して患者に注ぎ込む、この治療スタイルを「スピリチュアル・ヒーリング(=スピリット・ヒーリング)」と言う(9174⑪~⑬、175⑥~⑨、最後啓示189①~⑤、190⑥~⑧参照)。

 

ウ、ヒーラーの分類

心霊治療家には「主役が治療家であるサイキック・ヒーラー」と、「主役が霊医であるスピリチュアル・ヒーラー(→治療家は霊力の通路)」がいる。後者のヒーラーは、通常の方法では物質界に届かないエネルギーを治療に用いるため、霊界の医師との間で可能な限り波長の一致をはかる必要がある(→親和性の法則から)。そのため「生活態度を可能な限り理想に近づける努力」(9173⑦~⑨参照)をする必要がある。

 

エ、まとめ

◆主役は治療家

・マグネチック・ヒーリング、治療家の肉体磁気エネルギーを使用、物的身体レベル

・サイキック・ヒーリング、治療家のサイキック・エネルギーを使用、霊的身体レベル

◆主役は霊医

・スピリチュアル・ヒーリング、宇宙に遍満している霊的エネルギーの一種である治療エネルギーを使用、治療家は“通路”となる。治療家の霊性レベルに応じて“通路”を流れる治療エネルギーの質が決まる。

 

マグネチック・ヒーリングやサイキック・ヒーリングは治療家の肉体や霊的身体に具わっているエネルギーを使用する為に、多くの患者に対応すれば当然にエネルギー不足に陥り疲労困憊となる。これに対してスピリチュアル・ヒーリングの場合は、治療家はエネルギーが流れる通路になるため患者の数をこなしても疲労感を感じにくい。

 

③.心霊治療の種類

ア、遠隔治療

心霊治療には治療家と患者が相対して行う「直接治療または接触治療(contact healing)」と呼ばれるものと、相対せずに患者不在の形で、または物理的な距離をおいて行われる「遠隔治療(absent healingdistant healing)」とがある。

 直接治療や遠隔治療は「治療の申込」によって開始される(注15)。この患者側からの「申込」と治療者の「承諾」によって、治療家と患者の間に治療エネルギーが流れる磁気的な通路が出来上がる(最後啓示27⑦~⑨参照)。

治療の申込は「患者から」「患者の周辺部の人から」「治療家から」の要請によって始まる。その際に本人が自分のために遠隔治療がなされていることを知らない場合でも、また治療家が一方的に施してあげる場合でも、両者間に磁気的通路が構築されるので遠隔治療は可能である(9177③~178⑥参照)。

霊界の「霊医」から送られた治療エネルギーは、治療家の“霊的身体(→物質性の濃い霊体、つまり幽体のこと)”を通過することによって“中間物質(→半物質的治療光線:9176④参照)”に転換されて、患者との間に出来上がった磁気的通路に乗って流れていく。

 

イ、セルフヒーリング

本来の“心霊治療(スピリット・ヒーリング)”では、治療家は“治療エネルギー(霊的エネルギー)”の通路となって、このエネルギーを能動的に用いて患者の病を癒している。この“スピリット・ヒーリング”の場合には、治療家の“地上的自我である精神(現在の私)”は受け身の状態となっている。

治療家自身が病となった時は、この治療エネルギーを自分に向けることによって病を癒すことができる。自分で自分を治癒する「セルフヒーリングには精神統一と受容性」(1174③~④参照)が必要になってくる。このようにして自分で自分を治せる治療家は数多く存在する(到来231⑩~⑪参照)。

 

ウ、心霊手術

治療家はトランス状態となって、霊界の「霊医」に一時的に肉体を使用させる(→患者は意識を保っている)。「霊医」は外科手術の要領で治療を行う。この治療を「心霊手術(spirit operations)」という。心霊手術には「霊界の霊医が治療師と一体となって行う場合(→霊医は治療師の身体を完全に支配下に置いて、自分の身体と同様に自由自在に使用する)」と、「治療師の生体エネルギーを使って行う場合」とがある。両者とも直接に患者の肉体に対して物質次元での治療を施す(→腫瘍などの病変組織を取り出す)ことに変わりはない。

 人体の構造は霊的身体と物的身体(肉体)、そして両者をつなぎ留めている中間物質の接合体の三つの要素から出来上がっている。肉体に現れた異常部位は人体と同一形体をした接合体の同じ場所にも表れるので、一般にこの接合体の異常を外科手術の要領で取り除くと、肉体に表れた異常が治るという仕組みである(→フィリピンのトニーは直接“肉体の患部”を外科手術の要領で治療を施している)。

 物理的心霊現象の一つである心霊手術が1980年代のブラジルやフィリピンで行われていたのは、霊的風土が心霊手術を行うに適していたから。霊的実在の証明はその地の住民の程度(→教育水準、文化の程度、霊的なレベル)に合わせないといけないから、と言われている(9102⑦~⑬参照)。

 

エ、憑依霊の除霊

A、異常行動や病気の発症

物質界と霊的世界が接する界(中間境)の下層にいる「死の自覚がない地縛霊」や、幽界の下層にいる邪霊が、患者側(→霊的敏感者の場合)に存在する何らかの霊を引き寄せる“受け皿(→例えば薬物依存、自殺願望、強い憎しみなど)”に応じて憑依する。その憑依の結果、患者に異常行動を取らせるケースや、憑依霊が持つ病気が患者に発症するケースがある。

 

B、ウィックランド博士の事例

憑依霊の除霊治療では、アメリカの精神科医カール・ウィックランド博士による治療がよく知られている(近藤千雄訳、ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版1993年。抄訳として田中武訳『医師の心霊研究30年』出版科学総合研究所1983年参照)。

 ウィックランド博士は患者が行う異常行動の原因は憑依霊にあるとして、患者に一種の電気ショックを与えて憑依霊を引き離す。そして患者から離れた憑依霊を、背後霊団のマーシーバンドが取り押さえて霊媒(ウィックランド夫人)にかからせる。霊媒に乗り移った憑依霊は、霊媒の口を使って博士と対話を行う。その対話の過程で憑依霊に死の自覚が芽生えて来て、マーシーバンドに伴われて患者から離れていく。このような方法で患者の異常行動や病の原因となっている霊を取り除いて治療を行った。ウィックランド博士が行った除霊治療は一種の“招霊実験の医学版”である。

 地縛霊は、霊的無知、誤った宗教的信仰、唯物的固定観念などが原因で「死の自覚」が持てず、霊的な波長に反応しないため周りにいる救済霊の姿が見えない(→肉体が無いにもかかわらず有ると思い込み、長年の習慣から肉眼で見ようとするため)。ウィックランド博士の霊媒はマーシーバンドという高級霊団によって保護されているので、地縛霊や邪霊を憑依させても害はない(→この除霊は霊界の霊団によるスピリット・ヒーリングのケース)。

 

C、除霊治療

一般的に行われている除霊治療には、形式や儀式偏重の傾向が見受けられる。この傾向につきシルバーバーチはキリスト教で行う悪魔払いの儀式を例に取り上げて、「ただの儀式として行うのであれば何の効果もない」「儀式は物的表現形式にすぎず、その反応はせいぜい精神の次元止まり、霊にまで及ぶことは滅多にない」(最後啓示92①~④参照)と述べる。

 

4.心霊治療の周辺部

ア、信仰治療

信仰治療は信仰の効用を利用して間接的に疾病を治療する療法で、「患者に対する治療行為が同時に信仰儀礼の一部」となっている点に特徴がある。M.エディ夫人(18211910米国)によってアメリカで創設されたキリスト教の一派、クリスチャン・サイエンスの信仰治療は良く知られている。

心霊治療(→スピリット・ヒーリングの場合)の治療主体は霊界にいる「霊医」。治療家は「霊医」と患者との間の通路となって、霊的エネルギーの変換器の役割を果たす。

これに対して信仰治療の場合は神や仏が治療を行うとされるので、病気を治すためには患者に強い信心が必要となる。そのため「病人に対してなされた祈りに効果がなく死が訪れたのは、まわりの者たちの信仰が充分でなかったためである」とされる。なぜなら「充分な信仰さえあれば神は彼らの祈りに応えてくれる」と教えられてきたから。

 イギリスの著名な心霊治療家ハリー・エドワーズ(1893年→1976年)は、患者が信仰を有していなくてもよい事例として「霊的治療が信仰治療ではないという証拠は、信仰を持つには若すぎる赤ん坊や子供が癒されるという事実によっても簡単に示される」。また本人が知らなくても「第三者からの依頼によって遠隔治療を受けるといった患者も存在する」をあげている(ハリー・エドワーズ著『霊的治療の解明』1984年、162頁~170頁参照)。

 

イ、暗示効果

精神状態を正すことで病を治す治療法として「偽薬(主薬を配合しない薬)」を使った治療がある。薬自体に何の作用がなくても患者は薬効があると信じて飲むと何らかの効果が生まれる(プラシーボ効果)。他に暗示法やイメージ法などがあるが心霊治療とは異なる。

19526月にハリー・エドワーズが盲人の目に心霊治療を施したら右目の視力が回復した。このケースに対して、英国医師会は「治癒は暗示に過ぎない」と述べた。この暗示に過ぎないという医学的説明に対して、エドワーズは「(英国医師会は)50年もの間の全盲状態の後、ただ見えますという暗示だけで視力が回復したとまじめに主張した」「(暗示だけで視力が回復するのならば)いったいなぜ、眼科医はもっと早くそれをしなかったのか、なぜ50年もほっておいたのか」と批判した(梅原隆雅訳『霊的治療の解明』168頁~170頁参照)。

 

ウ、補完・代替医療

伝統医学として、東洋医学(漢方)、気の医学(気功)、アーユルヴェーダ(→インドの伝統医学で心や体、行動、環境等の全体の調和が健康にとって重要とする治療)、ユナニ医学(→アラブ・イスラム圏の伝統医学で薬草や食事療法を中心とした治療法)などがある。また民間療法として、腹式呼吸法、カイロプラクティック、レイキ、ハーブ療法、食餌療法など数多くあり、いわば百花繚乱状態とも言える(→なかには迷信もあるので注意)。

 

5.心霊治療の背景

①.心霊治療のメカニズム

ア、「霊医」→「治療家」

治療エネルギー(→宇宙に遍満している霊的エネルギー:11213⑭参照)とは「賦活性をもった生命力の一種」(5127⑧参照)のこと。霊界の「霊医」は患者のオーラを診断して、「化学物質に相当する霊的素材」を一人一人の症状に合わせて“調合”し、治療エネルギーを作る(9174⑪、175⑥~⑨、最後啓示189②~⑤参照)。いわばスピリチュアル・ヒーリングはオーダーメイドの治療であり、準備は実際の治療行為の前に終了している。

それを霊的波長にも物的波長にも感応する治療家の霊的身体に、治療エネルギーの波長を落として潜在エネルギーの形で送る。治療家は送られてきた治療エネルギーを自身の霊的身体で「半物質的な治療エネルギーに転換」(最後啓示190⑥~⑧参照)する。

 

イ、「治療家」→「患者」

病を持つ患者は当然波長が低くなっている。そのため霊界からの高い波長を持った治療エネルギーを注ぐには、治療家の霊的身体を使って患者に合った程度まで波長を下げる必要がある(626⑥~⑪参照)。

治療家の霊的身体が持つサイキック・エネルギーと結合して中間物質に変換した治療エネルギーは、患者の霊と精神と肉体の三者が合一する場(639⑤~⑥参照)である松果体ないしは太陽神経叢を通って(640⑩参照)、患者の体内に流れ込んで全身に行き渡る。その時に患者は「電気的な温もりを感じる」(640⑪参照)。そのエネルギーが患者の「魂にカツを入れて居眠りの状態から目を覚まさせる」(9172⑫~⑬参照)。その結果、患者自身の肉体に具わっている自然治癒力が機能を発揮して健康状態を取り戻すことになる(9172⑭参照)。

 

ウ、テレパシーの使用

治療家と患者が対面していない場合(遠隔治療:absent healingdistant healing)は、患者側の“治療の申し込み”という思念が治療家のもとに届けられる。治療家が申し込みを受託した時点で、両者間にテレパシーによる“懸け橋”ができあがる。その“懸け橋”に乗って中間物質に転換された治療エネルギーは、患者の松果体ないしは太陽神経叢に送り届けられて、そこから全身に行き渡る(最後啓示191②~192⑦参照)。

 

②.治療エネルギー

ア、霊的・治療エネルギー

治療エネルギーとは「生命力の一部」であり「霊的エネルギーの一つ」(1128⑦、2108③~⑤参照)でもある。そのエネルギーが通路である治療家の霊的身体を通過して、患者の霊的身体に届けるのが心霊治療である(最後啓示69⑤~⑥参照)。

霊界の「霊医」は日頃から、治療家を通してどの程度の治療エネルギーが患者に送れるか、エネルギーの効果的な組み合わせはどれか等の研究を行っている(1130⑪~⑬、11149⑨~⑪参照)。なぜなら治療エネルギーは治療家の霊性によって制約を受けるから。ここから心霊治療家は流入する治療エネルギーの質量を高めるために、日常生活において霊性向上の努力が求められることになる(最後啓示70⑪~⑫参照)。

このような形で「霊医→治療家(通路、変圧器)→患者」と流れてきた治療エネルギーは、患者側に存在する「霊的無知、誤った生き方、誤った考え、高慢、自惚れ、嫉妬心、失望」(1134⑨~⑫参照)によって流入が拒まれてしまうことがある(→しばしば治療家は患者に治療エネルギーが入って行かず、跳ね返されると述べる)。

 

イ、治療効果

霊界の「霊医」から治療家がどの程度の治療エネルギーを受け取れるか、また患者が治療家からどの程度の治療エネルギーを受け取れるかは、さまざまな条件の下で治療が行われるので、やってみないとわからない。その時々の治療家の健康状態や、患者の霊的・精神的・身体的条件が、その患者に注入される霊力の質と量を決めることになるから(福音119⑩~120⑧参照)。

 心霊治療によって患者の病気が回復するということは、その背後に何らかの法則が存在しているということであり、さらに患者の魂がその法則を受け入れる時期に来ていることを意味する(247⑭~48②参照)。このような形で「本当の霊的治療が効を奏した時は、病はけっしてぶり返さない」(991⑫参照)。

なお心霊治療の目的は霊を目覚めさせることにあり、寿命を長引かせることではない。そのため寿命が来ている患者の場合には、治療によって魂が首尾よく肉体から離れるのを助けることになり、結果的に患者が死亡する場合も有り得る(最後啓示202⑧~⑩、9巻74⑪~⑬参照)。

 

6.個別問題

①.心霊治療家の問題

ア、治療家と霊界の関係

霊界側の協力を得るための最初の一歩は、地上人が行動で示さなければならない。まず真摯で献身的な治療家が正しい霊的法則に則って治療に当たっていることが必要である。この時の治療家は「サイキック・ヒーラー」に分類される。

この治療家の熱誠と霊性に、霊界の「霊医」が親和性から引き寄せられる(1172⑨~⑪参照)。そして治療家と「霊医」との協調関係が徐々に高まっていく。同時にその治療家のもとに、霊力を受け入れるだけの用意ができた患者が引き寄せられてくる(→患者本人による自発的な意思の発現という形をとって、霊界主導で治療家の下に連れてこられる)。

 

イ、治療家の霊性と治療エネルギーの関係

宇宙に無限に存在する“霊的エネルギー(治療エネルギー)”をどれだけ受け入れることが出来るかは、ひとえに治療家自身の霊的進化にかかっている。治療家の霊性が向上すればそれだけ受容性が高まるので、それに見合った良質の治療エネルギーが流入してくる(9103⑪~104⑧、最後啓示69⑨~70⑬参照)。そのためには「霊医」との調和状態を高めるために、治療家は可能な限り“理想に近づけた日常生活”を送る必要が出てくる。

このことから治療家に課せられた責務は、ひたすら自身の霊性を高めて良質の“治療エネルギーの受容能力”を増すことに尽きる。シルバーバーチは「現段階の地上界では、大霊の最高の治癒エネルギーは使用できません。治療家が霊的に向上するにつれて、より高いレベルのエネルギーが使用できる」(語る114⑨~⑪参照)と述べている。

 治療家の霊性を高めるということは、イラストで示した“本来の私という意識(=自我の本体、霊の心、魂)”に潜在している“神の分霊”を、“本来の私という意識”の領域により多く顕在化して行くこと(イラスト右)。顕在化率が高まれば治療家を流れる治療エネルギーの質が高まる。

 

ウ、受容力以上の霊的エネルギーが流れた場合

治療家の受容力が発達して、より高い運動速度・威力を持ったエネルギーに耐えられるようになると治療エネルギーは強度を増す(11149⑬~⑮参照)。流入する霊的エネルギーの分量に制限を加えているのは治療家の霊的発達レベルであり、それがどれだけの霊力を受け入れることが出来るかを決定づけるから(9171②~③参照)。なお強すぎる霊的エネルギーは治療家の霊的身体を通過する際に障害を引き起こす(11149⑬参照)。

 モーゼスの『霊訓』には「前節の通信(戦死者や死刑制度を霊的観点から見た場合の誤り)が書かれた時の勢いはこれまでになく激しいものだった・・・書き綴っている時は手がヒリヒリし、腕ががくがくして、強烈なエネルギーが身体を流れるのを感じた。書き終わった時はぐったりとして横になるほど疲れ果て、頭の奥に激しい痛みを覚えた。そこで翌日さっそくその頭痛の原因を尋ねた」。このモーゼスの問いかけにインペレーターは「あの時の頭痛はエネルギーの強さと、それをそなたより引き出す時の速さが度を越したからである」(霊訓上46②~⑩参照)との記載がある。

 治療家の治療行為が、上記のような高い“霊的エネルギーの通過”に伴う症状に妨げられることなく行うことができれば、治療に一層の効果をもたらすことになる(→治療家の霊性が向上することによって、通路を流れる治療エネルギーの質が向上するから)。そのためには「霊医」から流れてくるより高い強烈な威力を持った治療エネルギーに、自らの霊的身体が耐えられるように治療家の霊性レベルを向上させる必要がある。そのためには自己犠牲を伴った利他的行為を行って、潜在している“神の分霊”を“本来の私という意識”の領域により多く顕在化させて、自らの霊的な受容力を増すことが求められてくる。

 

エ、治療家の仕事

A、治療家の営業活動

霊界とパイプのできた心霊治療家のもとには、いわば霊界側が“営業マン”となって患者を連れてくる。そのため治療家みずから患者を求め歩いて「病気を治してほしい人はいませんか」とか、「私は治療家です。どなたか治してほしい方はいませんか」などと(10142⑪~143②、1164⑩~⑫参照)、日常的に触れ回って“営業活動”をする必要はない。なぜなら霊界側が選んだ患者が、みずからの意志で治療家のもとを訪れるから。

なお治療家のもとを訪れた患者に対しては分け隔てなく心霊治療を施すが、施した後のことは患者自身の責任に帰する(1165⑪~66②参照)。治療家の責任の範囲は訪れた患者に対して治療を施すまでであり、患者が「仮に治療のあと間違った生活をしてさらに厄介なことになっても、それは患者自身の責任」(1167②~③参照)だから。

 

B、霊視能力や病気の診断能力

治療家の仕事に際して患者の“オーラが見える、見えない”は治療そのものとは何の関係もない。また病気の原因が診断できるか否かも関係ない(9179⑦~⑫、最後啓示194⑫~195⑤参照)。これに対して主役が治療家である“サイキック・ヒーラー”の場合は、これらの能力は治療家の仕事に何らかの形で役に立つかもしれない(→医師法違反にならない範囲で)。しかし主役が「霊医」である“スピリチュアル・ヒーラー”の場合は関係ない。むしろ親和性を高めて「霊医」が扱いやすい状態になることが大切である(9179⑧~⑨参照)。

 

C、治癒率について

数多い治療家の中には治癒率を誇る者もいる。心霊治療の目的やカルマの存在から考えてみれば、治療家が患者の病をどれだけ治癒させたか、という“治癒の成果”を誇ることは全く無意味なことである。

治癒率を誇る治療家には、心霊治療の主役は「霊医」であり“治療家は霊力の通路に過ぎない”という本質が抜け落ちていること。さらにカルマが絡んだ病気の場合には、カルマが解消する時期が到来(→霊的負債の完済時期)していなければ、治療家がいくら熱意を込めて治療しても患者の肉体に現れた病は癒えないということの理解がない。なぜなら心霊治療は“因果律の法則の枠内”で行われる行為であるから。治療家の行為は“実態(→患者が治る時期にあること)”と“外形(→実体が無いにもかかわらず患者にいまだ病が存在すること)”の不一致を解消することであって、奇跡を起こしているのではない。

 

オ、治療家の生き方の問題

治療家の患者を思いやる人間性は、自らの苦しみの体験から生まれてくる。治療家や霊能者の人生には共通したパターンがある。「必ず人生のどん底を味わい、もはや物質の世界には頼りにすべきものがないと諦めた土壇場で霊的真理との出会いがある」。このような絶体絶命の体験を味わうことによって霊的意識が芽生え、霊界との間にリンクができるから(1163⑭~⑮、121③~⑥、最後啓示34①~⑧参照)。人生のどん底を体験した治療家や霊能者は、現在どん底にある者の気持ちが良く分かる。相談者としての共感能力が高まるから。

 

カ、治療家は変圧器・コンデンサー

治療家は治療エネルギーが流れる通路であり、高い霊的波長を物的波長に変換するコンデンサーのような存在である(624⑤参照)。その治療エネルギーが治療家を通って患者に流入して乱れてしまった調和を取り戻すことになる。

 

キ、スピリチュアル・ヒーラーへの道

A、治療家は通路意識に徹する

治療家は霊的な受容性を高めて治療霊団との一体化を深めるためにも、個人的な感情を極力控えて無垢な状態を維持した“通路意識”に徹する必要がある(最後啓示71②~③参照)。ここから治療家は“通路としての高い品質を保つ(→霊性を高める)”ためにも、当然に日常生活のあらゆる面で自己コントロール(→自己修養)に徹する必要性が出てくる。シルバーバーチは「少しでも多くの霊力が流入するようにとの祈り以外のものがあってはなりません。あくまでも道具なのですから、自分勝手な考えを差し挟むことは許されません。霊力の流れの通路であること、それが治療家の仕事です」(最後啓示71③~⑥参照)と述べている。

 

B、「霊医」が使いやすい状態をキープする

治療家は「霊医」が使いやすいような状態を常に維持すること、霊力の通路であるという意識に徹すること、“道具”として完全になることを心がけること、このようなことが努力目標として求められる。日常生活の中で努力する、そのことが霊力の流れを豊かにする(9179⑧~⑪参照)。治療家の霊性が下がれば、「霊医」との波長が合わなくなるので質の良い高い治療エネルギーを受け取れなくなるから。

 治療家のもとにやってくる患者は病を抱えているため波長が低くなっている。このような患者と日夜接していると治療家自身の波長も患者に引きずられて低くなってしまうので、祈りや瞑想の時間を意識的にもって霊性レベルの向上に努める必要が出てくる(→何もせず感謝されていると落ちていくから、日々のメンテナンスが必要となってくる)。

上記のように治療家は「生活態度を可能な限り理想に近づける努力をしなければならない」(9173⑧~⑨参照)ので、スピリチュアル・ヒーラーへの道は厳しい。世の中には“自称スピリチュアル・ヒーラー”は多いが本物は少ない。

 

②.患者側の問題

ア、治療家と患者の関係

A、患者側の協力

患者は複数の治療家から遠隔治療を受けても問題ない(645⑩~⑬参照)。また患者が精神を統一して遠隔治療に協力することは、両者の波長の調整にプラスになるので治療効果が増す(7182⑧~⑬参照)。遠隔治療を行う際に時間を指定して行っても良い。しかし治療家の能力が一段と発達すれば、治療霊団との連絡がしっかりと出来上がるのでそれも不要となる(999⑬~100④参照)。

 

B、患者のうろたえの感情

心霊治療の最大の障害物は、患者の不安と取り越し苦労、そして“うろたえの感情”である。なぜならその不安や“うろたえの感情”が、治療エネルギーが通過する連絡通路を塞いでしまうから。霊力が一番よく働くのは受け身的で穏やかな雰囲気の時である(5128①~⑩、645④~⑨参照)。

 

C、病気治癒には条件がある

病気が治るためにはそれだけの霊的な資格がなければならないので、治らない場合は治るための霊的資格ができていないからと言える(9185⑤、186③~④、到来177⑫~⑬参照)。なぜなら患者には病気がきっかけとなって従来の生活を反省して、本来の生き方を学ぶ機会が与えられたのだから(1166④~⑤参照)、いわば病気は「魂の磨き粉」の役割を担っているから(→“本来の私という意識”に内在している“神の分霊”を、病という磨き粉を使って発現させているようなもの)。

治療家は患者側に存在する「治る時期の未到来」の問題や、病は「魂の磨き粉」という表現は、患者の精神状態を見ながらオブラートに包んだ表現で言うべきであろう。ストレートに言うと傷つけてしまうことになる。これは霊能者にも同じことが言える。低級霊の変化霊や想念霊の問題もあるので、安易に霊視したことをそのまま伝えると誤解を与えることになりかねない場合もある。

 患者の霊的成長段階によって、その人に注がれる治癒力の分量が決まるので(福音131⑮~⑯参照)、患者の魂に治療エネルギーを吸収する受け入れ態勢が出来ていない時は何の効果もない(到来151⑪~⑫参照)。治療家の責任は患者に治療を施すことであり、治療を施した後のことは患者自身の責任に帰すべき問題となる(1166①参照)。

 

イ、カルマと治る時期の問題

A、受け入れる段階にあるか否か

患者の中には“カルマ(霊的負債)”によって病が発症している場合がある。その肉体的苦痛が患者の霊的成長にとって不可欠の要素(→病が魂の磨き粉として必須)となっている場合で、目標とする成長レベルにいまだ達していなければ、いくら治療エネルギーを注いでも、いかなる治療家によっても治すことはできない。なぜなら患者の魂に治療エネルギーを受け入れる為の準備が整っていないから(1135⑧~⑩、619⑫~⑭参照)。

病とカルマとの関係から言えば、患者は“病という体験”を通して前世での霊的負債を返済しているので、完済しない限り治癒はあり得ない(1170⑪~⑮参照)。

 

B、「外形」を「実態」に合わせる

例えば銀行から借金してマイホームを購入した場合、銀行は物件に抵当権を設定する。20年後に住宅ローンの返済が完了したとする。この段階に至って初めて借金は完済、つまりカルマが解消したので肉体に存在している病気は“治る時期が到来”したことになる。しかし借金を完済しても、登記簿上にはいまだ銀行の抵当権が付いたまま残っている。この抵当権を抹消して始めて「自宅は完全に自分のものだ」と主張できる。

いわば心霊治療家はこの「実態(→借金は完済した、原因は消滅した)」と「外形(→いまだ銀行の抵当権が付いている、病気は残っている)」の不一致状態を正しているに過ぎない。いわば治療家は法務局に「抵当権抹消登記申請」をして、実態にそぐわない外形を正す行為を行っているようなもの。毎月の借金の返済(→カルマの解消の為に行う諸々の行為)はあくまでも“債務者である患者自身”が地道に行わなければならない。

 

C、病は魂の磨き粉

病と霊的エネルギーとの関係から言えば、魂がその反応を示す段階まで発達していなければ肉体への反応も起こり得ない。心霊治療が功を奏するためには、霊的エネルギーを受け入れるだけの態勢が、患者の魂に出来ていることが絶対条件となる。魂に受け入れ態勢が整うまでは往々にして“悲しみや病気がお伴をする”ことになる(→患者に伝える場合は慎重に)。なぜなら戦争ばかりしている地球人の極めて低い霊性レベルから見れば、病気は霊性の向上のための「魂の磨き粉(→磨き粉の粒子は粗い)」という位置づけになっているから。

心霊治療は最初に魂が癒され、その結果肉体が癒されるのが順序(622⑤~⑩参照)。治療家は「治るべき条件の整った人を治しているだけ」(到来152⑦参照)とも言える。

 

7.講座に寄せられた質問

①.質問その1

<質問>「シルバーバーチによると“神とは摂理のこと”ですが、第4講で取り上げた親和性の法則の他にどのようなものがありますか。一通り列挙して頂けると有難いです」

<回答>

ア、神は摂理として表れる

神は私たちの前には摂理(法則)として表れる。図式的に言えば「神→神の摂理⇔万物」となる。シルバーバーチは「神とは宇宙の自然法則です・・・神は全生命に宿っています。全存在の内部に宿っています。全法則に宿っています」(5巻140⑦~⑪参照)と述べる。

 

イ、基本的な霊的法則と派生的な法則

1「神」は創造者、万物は神の作品

スピリチュアリズムでは「神」を「一切の創造主」(1巻196⑤参照)として、宇宙はその「神」によって創られた作品であると説明している(→全宇宙が神の創造物であり、その隅々まで神の霊が浸透している、語る356⑤~⑥参照)。ここから万物を創造した「神」と創造された存在物という関係が出来上がり、神と万物の間には厳然とした一線が引かれていることが分かる。

 霊界は“神の分霊”の顕在化の程度に応じてヒエラルキーの世界になっている。万物に内在している神そのものは完全だが、その神が完全な形で顕現しているわけではなく、無限の時間をかけて不純物を取り除いて顕現の度合いを高めていく(6114⑧~⑫参照)。その“神の分霊”の顕現の割合に応じた序列が厳然と存在する世界である。

 

2因果律(基本的な法則)

宇宙の最も基本的な法則の一つに「因果律」がある。これはすべての現象は何らかの原因があって発生するという「原因と結果の法則」のこと。この「原因と結果の法則」には「カルマの法則」や、原因があっても条件(縁)によってその表れ方(結果)が法則の範囲内で異なって生じるという「因縁果の法則」がある(→同じタネをまいても水や光の当て具合によっては収穫量に差が出る、水や光が条件・縁となるから)。また社会現象は一見すると複雑に見えるが、個々の単純に働く因果律が複合的に作用した結果に過ぎない。

 

3愛の法則(基本的な法則)

愛は宇宙の原動力であり、霊的宇宙と物的宇宙の全ての根源となっている。シルバーバーチは「愛が全ての根源です。人間的愛はそのほんのささやかな表現に過ぎませんが、愛こそ神の摂理の遂行者です」(1巻60⑭~61①参照)と述べている。

この「愛の法則」から派生したものに「親和性の法則」がある。“霊と霊”さらには“霊と地上人”どうしが親和性によって引かれ合うという関係(→霊界では同一霊格で親和性ある霊が霊的家族・類魂を作る)、この親和性のベースには愛がある。憑依現象は親和性がマイナスとなって表れたもの(→愛が自己中心的に働いた結果、憑依となって表れた)。

さらに「愛の法則」の根幹部分には「利他性の法則」がある。自己中心的な愛は自分を萎縮させるのに対して、利他的行為は宇宙に遍満している霊的エネルギーを私が通路となって他者に流す“自分を拡大して行く行為”である。

 

4霊的成長(基本的な法則)

万物は霊的成長の道を歩むという法則がある。私たちは地上世界で困難・苦難を“魂の磨き粉”にして、日々霊性向上の道を歩んでいる。

霊的成長の仕組みとしての「再生の原理」がある。私たちは「再生の原理」を使って霊的成長をして「地球圏霊界」を卒業して行く。そして地上に再生する必要がない「宇宙圏霊界(→太陽系霊界、さらに天の川銀河圏霊界など)へと旅立ってゆく。

個別霊たる人間は動物と異なり、個々人は霊的摂理という川の流れに沿って生きるのか、それとも逆らって生きるか、その選択を行う自由意志を持っている。人間はこの自由意志を行使して霊的成長をして行く(→自由意志の法則)。さらに霊的成長は自分自身の力で獲得する自己責任が原則となっている(→自己責任の法則)。

霊的成長の法則の一つに自分自身が犯した罪は自分の行為を通して償うという「償いの法則」がある(630⑨参照)。この法則は光を見出すのは闇の中、低く下がれるだけ高く上がれるという形でも表れる(11153⑩~⑪参照)。

 人間が意識するかしないかに関わらず、すべての現象には「埋め合わせの法則(1巻38⑩~⑫、42⑬~⑭参照)」が働いてバランスが保たれている(→例えば目が見えない人の場合は勘が鋭くなるなど、障害を持った肉体に宿った場合には必ず埋め合わせがある)。人間にも、動物にも、その他の生物にも「埋め合わせの法則」が働いて霊的成長をして行く。

 人間には男性と女性の性別がある。二つの性で互いに足らざるところを補い合って全体を完成させるという原理があり、この「補完の法則」は日常生活の隅々に行き渡っている(→理性で回答のでないところは直感で補うなど)。これもまた霊的成長の為にある。

 物質の世界で生きる私たちは“霊優位”で生きるのか、肉体煩悩の赴くまま“モノ優位”で生きるのかの選択を絶えず迫られている。これも霊的成長の法則の一つである。

 

②.質問その2

<質問>「霊訓を読んでいると“地縛霊、邪霊、低級霊”という言葉が良く出てきますが、その違いがよく分かりません」「先生は明確に区別して説明をしておりますが、その区別する利点は何でしょうか」

<回答>

ア、高級霊の見解

『シルバーバーチの霊訓』では「地縛霊=邪霊」として用いている箇所としては「そういう人たちは(=復讐心に燃えている霊のこと)みな地縛霊になっている」(10194④参照)がある。また「地縛霊」本来の使い方をしている箇所としては「自分の肉体がなくなったことに気づかない、霊的には死者同然の霊」(895③参照)や「最後の審判日を待ちわびながら死体の埋葬地で暮らしている霊」(メッセージ70④~⑬、546⑨~48③参照)などがある。

 モーゼスの『霊訓』では「地縛霊は地上時代の肉体的欲望と性向を残している。それを直接感識する器官はすでにないが、欲求だけは消えない」(霊訓上49⑥~⑦参照)、「地縛霊が酒色に耽る人間を虜にして今一度地上的快楽を味わう」(霊訓上49⑯参照)、「かつて宿っていた肉体の欲情による地縛的状態から抜け切れずにいる霊」(続霊訓119⑬参照)などの記載がある。高級霊は「地縛霊」「低級霊」「邪霊」の区別があいまいである。

 

イ、「霊的自覚」がポイント

『シルバーバーチの霊訓』やモーゼスの『霊訓』で使われている「地縛霊」とは、物質臭が強く霊的状態が地上的波動に合致している霊のことで、「低級霊」や「邪霊」までも含んでいる。これらは地上にも霊界にも適応できない霊のことである(8168⑧~⑨、福音238⑥~⑧参照)。

このように高級霊は押し並べて「地縛霊」「邪霊」「低級霊」の区別が曖昧である。なぜなら高級霊から見れば「霊的自覚G」を持たない霊は、「地縛霊」も「低級霊」も「邪霊」も押し並べて物質臭が強く「霊界の悲劇(→地上の落伍者、備えなき者、未熟者が次から次へと霊界に送り込まれて来ること)」(724⑥~⑦参照)の対象となる霊であるから、どれも同じように見えるのかもしれない。

 

ウ、筆者の見解

A、旅の行程

他界者はどのような段階を経て本来の世界へ戻っていくのか。ポイントは「死の自覚(→肉体を棄てて霊の世界に来たという自覚)F」と「霊的自覚(→霊として何を為すべきかという自覚)G」である。その行程を次に示す。

、極限状態(シルバーコードで肉体と霊体は繋がっている。臨死体験、お迎え現象など)

現在地「a地上世界」

、死(シルバーコードが切断する。虫の知らせ、夢枕に立つ現象などは切断直後の現象)

 現在地「b中間境(=幽界の下層界の一部)」

C、死後の深い眠り(眠りの中で物的波長から霊的波長への切り替えが進む)

 現在地「b中間境」

D、ガイドとの出会い(出会いには他界者が穏やかな意識状態にあることが必要不可欠)

 現在地「b中間境」

E、“本来の私”が審判者(俗説の閻魔大王のこと)となって私の地上体験をチェックする

 現在地「b中間境」

F、明確な死の自覚を持つ(この自覚を有した者は中間境を抜けて幽界の下層に移行する)

現在地「c幽界の下層(Y―1またはY―2)」

G、明確な霊的自覚を持つ(この自覚を有した者は幽界の上層に移行する)

現在地「d幽界の上層」

H、さらに自覚が深まる(狭義の霊界に移行して“霊的家族たる類魂”と合流する)

 現在地「e狭義の霊界」

 

B、地縛霊、低級霊、邪霊の定義

死んで霊の世界に来た他界者の多くは、いまだに“モノに意識が向いている”ため、霊的波長よりは物的波長の中で暮らしている者である。その物的波長の中で暮らしている者の中でも、死によって肉体を棄てたにもかかわらず本人は死を自覚せずに、いまだに肉体があると信じており、意識が地上世界に向いている者。つまり「意識の切り替えが長引いて完了していない他界者」のことを「地縛霊」と呼ぶ(→意識が地上に縛られている霊だから、成仏できない霊)。

「地縛霊」とは上記のとおり「意識の切り替え」が長引いて完了せず「明確な死の自覚F」が持てない霊のこと。これに対して「低級霊」とは「明確な死の自覚F」を有するも「明確な霊的自覚G」を持たない霊のことで、幽界の下層界(Y―1、Y―2)で生活する霊のこと。さらに「邪霊」とは積極的に地上世界に悪影響を及ぼしている霊のことであり、それは「地縛霊の一部」と「低級霊の一部」からなると定義する。

 このように「地縛霊」「低級霊」「邪霊」を区別する利点は、他界者の旅の行程がよく分かり霊的理解がスムーズになること、さらに「バイブレーションの切り替え」や「供養・救済の対象」となる霊の範囲が特定できることなどである。

 

C、霊的バイブレーションへの切り替え

他界者は「死の自覚(→自分は死んで霊の世界に来たという自覚)」を持つことによって、物的バイブレーションから霊的バイブレーションへの切り替えが完了する。その後は霊体が持つ“五感”である霊的視力の完全な使用が可能となる。霊的視力は「死の自覚F」の芽生えとともに少しずつ能力が機能し始める。

 死後も「死の自覚F」が芽生えず、未だに肉体を有していると思っている他界者は、地上に脱ぎ棄ててきた肉体の目でモノを見ようとするため、しばしば何も見えず暗闇に置かれると述べる。定評ある文献には「死後にも生命があることを知らずに肉体から離れた人は、暗闇に置かれるのです。無知が生み出す暗闇です」と諭している場面がある(ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版1993年、513⑫~⑬参照)。

 

D、病気の状態を持ち越す他界者

他界者は「死の自覚F」を持つことによって、“意識の焦点”が肉体から霊的身体に切り替わる。その結果、脱ぎ棄てた肉体に存在した病気、その病気の苦しみから解放される。このことに関してシルバーバーチは、地上時代に味わった「物的身体がもたらしていた一切の痛みと苦労と障害から解放される」(748⑬~⑭参照)、「肉体の病に苦しむことがない」(788⑬参照)と述べる。現実に他界者が「死の自覚F」を持つことにより、他界者の意識が“病を持った肉体”から離れると同時に病からも解放されたという話がある。病は肉体にあって霊的身体にはないから(ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版、399頁~415頁参照)。

 

E、地上側の「供養・救済の対象」となる霊、その1

シルバーバーチは「死の自覚F」が持てずに霊的調整が長引いて中間境に留まる他界者(=地縛霊)について、「死んだことを認めようとしない人も同じです。自らその事実を認めない限り、私たちにもどうしようもない」(5巻46⑭~47①参照)と述べる。死んだことを認めようとしない他界者は、いまだ意識の切り替えが完了していないので、霊的身体に具わっている霊的な“感覚器官”を使用することはできない。自力で霊的視力を使えるまでに至っていないので、救済霊の姿が見えず他界者側からの接触は難しい。

しかし地上から送る縁者の念は、両者の間に存在する愛に基づく“磁気回路”を通って「死の自覚」がない他界者(=地縛霊)に届き易い。この特性を生かして地縛霊に対しては、地上側からの救済活動が主となってくる。

これに対して「死の自覚F」を持った幽界の下層界にいる「低級霊Y―1、Y―2」の場合は、霊的レベル相応の“霊的な感覚器官”の使用が可能となっているので、救済霊は「低級霊」との接触がし易い。ここから「供養・救済の対象」は原則として中間境にいる「地縛霊」のみであって、幽界の下層界にいる「低級霊」は霊界の救済霊の管轄となる。但し例外として幽界の下層界で「霊的牢獄」にいる霊や極めて物質指向の強い霊のケースが問題となる。

 

F、地上側の「供養・救済の対象」となる霊、その2

 幽界の下層にいる「低級霊」の中でも、地上時代の思想や宗教の教義と言った固着観念に縛られて「霊的牢獄」に閉じ込められている霊や、極めて物質指向の強い「低級霊」の場合には救済霊が行う救済効果が今一つ上がらないことが多い。

これらの霊は意識の指向性が“地上的なモノ”に強く向いている点から、地上側からの念が届きやすいという特徴がある(2巻45⑧~⑩参照)。このような「霊的牢獄」に閉じ込められている霊や、物質に対する指向性が極めて強い「低級霊」の場合には、霊界側と地上側の双方からの「救済活動(→救済とは“地上的なモノ”に縛られた意識からの解放、“霊的牢獄”からの解放のこと)」が行われている。霊界側の救済霊と共に地上の縁者からの“救済の為の念”も大きな助けとなる。

 

③.質問その3

<質問>「霊能者〇〇〇〇さんについて質問させてください。瞑想の世界で有名な方です。その方は組織運営が得意で、荒稼ぎをしているという批判を耳にします。しかし病気直しについては評判が良いようです。病が改善されたという体験談が後を絶たない様子です」。また「サマディとはどのような現象なのでしょうか」(個人を特定する箇所は省略した)

<回答>

ア、霊能者と金銭の問題

 霊能者が金銭的になり過ぎて荒稼ぎをし出すようになると、それまでの人助けをしようとする高尚な意識状態から離れて行き、日頃の関心が“より効率的にお金を稼ぐ”ことに向く。霊能者の意識の“指向性がモノ”に向かう結果、霊的波長が下がってしまう。波長が下がることによってそれまで霊能者を指導してきた高級霊は離れて行き、感応道交する霊は物質臭の強い幽界の下層にいる低級霊だけになってしまう。その為、霊能者を評価する際の指標として「霊能者と金銭」の問題は良く使われている。

 

イ、“表の顔”と“裏の顔”

 霊能者に限らず一般に人には「表の顔(→公人、よそ行きの顔)」と「裏の顔(→私人、家庭での顔)」がある。親しくならない限り人には「裏の顔」は見せないのが普通。しかし時間をかけてその人を観察して見ると、周囲から「裏の顔」の評判が漏れ伝わってくるもの。その評判は案外その人の本質をついている可能性が高い。

 多くの人は霊能者と言うと尊敬のまなざしで見たり一目置いたりする態度をとる。霊能者とは体質的に「霊的に敏感な人」と言うだけ、人とは違った特異体質を持っているに過ぎない。例えば聴音能力に“絶対音感”がある。この音感を持った人はみな人格者かと言うと相でもない。問題ある人も多い。それと同じく霊能者と言ってもピンキリである。

 

ウ、心霊治療

 本当の心霊治療の場合、シルバーバーチも述べているように「本当の霊的治療(=スピリット・ヒーリング)が効を奏した時は、病は決してぶり返さない」(991⑫参照)もの。心霊治療によって症状が良くなった、病が回復したと言っても多くの場合、数年後にぶり返しているのが現実。その為ほとんどの心霊治療家は、実態は“サイキック・ヒーリング”レベルだと思われる。

質問者の霊能者〇〇〇〇氏の場合、心霊治療を受けた患者の追跡調査をすれば、その点は明らかとなる。しかし病気が治った時点で大部分つながりが切れるので難しいと思われる。

 

エ、サマディ(三昧)とは

 サマディとはヨガの用語。一番深い瞑想状態で本人の自我意識が消滅した状態を言う。

 

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<注1>

757年に公布・施行された「養老律令(ようろうりつりょう)」の「僧尼令(そうにりょう)2条」の「卜相吉凶条(ぼくそうきっきょうじょう)」では、妖言によって治安や人心を乱すことから、僧尼が吉凶を占うことが禁止された。また祈祷による医療行為も禁じられた。しかしここで禁止されたのは根拠不明の祈祷や呪術であって、仏教経典に根拠を有する祈祷等は禁止されていなかった。また「僧尼令5条」の「非寺院条」では、「妄りに罪福を説いた者」は還俗にするとの規制がある(→非公認の宗教活動を禁じた)。

 

<注2>

『古事記』の「人代篇、其の四」に仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)が琴を弾き、神功皇后(じんぐうこうごう)が憑り代となり武内宿禰大臣(たけうちのすくねのおおおみ)が審神者(沙庭)として帰神を行った旨の記載がある。

 

<注3>

医疾令(いしちりょう)の中に医学教育の内容や試験の仕方、入学資格、修業年限等が細かく規定されていた。この法令に基づいて宮内省の中に、医療・調薬を担当する部署である「典薬寮(てんやくりょう、くすりのつかさ)」が置かれた。この長官に典薬頭を置き、その下に「医博士(くすりのはかせ)、医師(くすし)、医生(いしょう)」を置いた。

 

<注4>

医療に携わる医師を官学で養成して、そこで養成された官医を諸国に配置して医療に携わらせる「医療の国有化を目指した」制度であった。しかし公的医療制度自体が小規模であったため、この恩恵にあずかれる人は限定されていた。そのため制度は「十分に機能しなかった」と言われている。

 

<注5>

幕府は「本山末寺制の導入(16319月)」や「諸宗寺院法度(しょしゅうじいんはっと、16657月)」。さらには「諸社禰宜神主法度(しょしゃねぎかんぬしはっと、16657月)」などを矢継ぎ早に定めて、宗教団体に対する監視・統制を強めた。また「公事方御定書(くじかたおさだめがき)」の「新規之神事并奇怪異説御仕置之事(しんきのしんじ あわせて きかいいせつおしおきのこと)」では、個人や小規模の宗教的行為を規制して、民衆の心を掴もうとする宗教者を権力者の監視下に置いた。

 

<注6>

政府は明治中期にかけて公的医療制度の構築のため矢継ぎ早に通達を出している。政府は医学部卒業生に「近代合理主義思想に基づいた医学教育制度構築のための主導的役割を担わせた」。このような方針に基づいて、明治末にかけて西洋近代医学に基づいた医療の免許制度が確立していった。

 

<注7>

近代合理主義思想に合致しないものは、ことごとく迷信と見なして取締まりの対象として排除した。次の一連の通達からも分かる。

・明治6年(1873年)115日に教部省通達(梓巫市子馮祈祷狐下ケ禁止ノ件、教部省第二号達)によって、「梓巫(あずさみこ)、市子(いちこ)、馮祈祷(よりきとう)、狐下(きつねさげ)等が禁止」された。依頼者の求めに応じて霊を呼び出して霊媒にかからせる行為を禁じたものである。

・明治7年(1874年)67日に教部省は「禁厭祈祷(きんえんきとう)ヲ以って医薬ヲ妨クル者取締ノ件、教部省第22号達」を出して、「まじない、護摩祈祷などによる災厄除け、病気治癒などの医療類似行為」を行うことを禁じた。

・明治15年(1882年)1月に内務省通達によって「神官の教導職兼補の廃止」が出された。これによって神官と教導職が分離され、“神道は非宗教”であるため神官は布教をしないとされた。教導職でなければ布教活動は厳禁とされたので、多くの教団指導者は「教導職の資格」を取得して一連の通達を回避していった。

・明治15年(1882年)2月に再度「禁厭祈祷をもって医薬を妨げることを禁じる」通達が出された。

・明治15年(1882年)710日に「神官や僧侶などが禁厭祈祷(きんえんきとう)により病人を治療することを禁止する」内務省通達が出された。

・明治17年(1884年)10月には、内務省は神道教派内の教会によって行われる「禁厭祈祷による医療妨害行為の禁止」を改めて出している。

 

<注8>

このような医師不足や公的医療保険制度の未整備によって、日本では昭和30年代後半まで、庶民が気軽に医療を受診できる環境にはなかった。国民健康保険制度が整備されて「国民皆保険」が達成されたのは昭和36年のこと。

 

<注9>

宗教は死後の世界(魂の行くえ)を扱うが、一般に民衆が宗教に求めるものは「病気治し」や「商売繁盛」「家庭全般の悩み事」等の現世利益である。始めから高邁な真理探求を求めて宗教の世界にやってくる人はまれであろう。宗教者の多くは民衆の心をつかむため、その手段として心霊治療(→主に生体エネルギーを使った治療のこと)や加持祈祷行為による現世利益を前面に出して、信者の獲得を目指してきた。

 

<注10

弟の長南雄吉は「当時の日本の官憲はいかにして心霊現象を撲滅し、この無邪気なる霊覚婦人を抑圧すべきかに全力を挙げたのでした。西洋の物質文明に中毒した日本の官憲は、恐らく国内に係る心霊現象の起こるのを国家の恥辱とでも考えたのでしょう。とにかく当時の長南年恵に対して執れる態度方針は無茶というか、乱暴というか」(南博編『近代庶民生活誌19 ―迷信・占い・心霊現象』三一書房219頁)と述べている。

 

<注11

不自然な点として毎回出所した直後に再び“罪”を犯して、すぐに捕まり「警察での取調→裁判→拘置所生活」を繰り返している箇所である。拘置所から出所して自由の身となった日が数日もない不自然な経緯から、「監視」という付加刑が付いているとはいえ、三田光一は警察から徹底的にマークされていたことが推測できる。

三田光一は「心霊治療師」としての一面も持っていた。その治療光景は子息の三田晴康によれば次のような状況であったという。

三田は病人からの話を聞いてから「病人の枕元に正座して精神統一に入り、約一分位経過してから覚醒、詳しく病状を説明した後、再び精神統一に入り、そのままの状態で主として右手(時には両手)を病人の各部から続いて患部と思われるところに次々と当ててゆきます」。その際の三田の表情は「勿論その間正座は少しも崩さず、また極度の差こそあれ念写の場合と同様、歯ぎしりする位力を入れ、汗をかき、約3分位して静かに覚醒致します(三田晴康著「父三田光一の思い出」、雑誌『福心会報』№1411頁以下参照)。このような治療状況から判断して三田の病気治療は「サイキック・エネルギー」や「マグネティック・エネルギー(肉体磁気エネルギー)」を使った治療法であったことが分かる。

 

<注12

浜口熊嶽が行った気合術は修験道にその起源を有し、明治以降は香具師による大道芸の技になっていたもの。その浜口熊嶽が関与した次のような興味深い裁判がある。

浜口は明治32年(1899年)10月末に「大阪府違警罪に違反」したとして逮捕拘留された。大阪区裁判所では罰金刑の有罪判決を受けたが、控訴審の大阪地裁で同年1216日に判決があり、「主文:原判決を取り消し被告熊蔵を無罪とす」として、浜口勝訴となった。この判決には「気合術実験」という実地検分があり、判決に先立って125日、裁判官の実地検分が浜口の施術所で行われた。大阪地裁の判決は、このような実地検分の状況が判決に現れたものであった。この判決を不服として検事側が上告し、明治33118日の大阪控訴院判決は「主文:本件上告は之を取り消す」として浜口の全面勝訴に終わった。

 資料には次のように記されている。明治32125日浜口の気合術による治療の実地検分が行われた。裁判官、検事、弁護士、医師等の立会いの下で、患者の抜歯やリュウマチの治療を行った。医師によって浜口が気合術を行う前に診断された15名の患者が実験台として選ばれた。浜口は患者の正面に座り、「呪文のあと九字を繰り返すこと三度」吉田徳松の上顎第3歯を、一切手を触れずに抜歯した。次にリューマチで歩行困難な前田喜一にも同様に「呪文九字のあと例のパァパァが2回繰り返され、駄目押しのパァが1回前田喜一にあびせられると、彼は自発的に立ち上がって歩きだした」。再び抜歯、いぼ取り等と実験が続いた。事前の診察をしていた医師が再度、施術後の患者の状況を診察して治病効果を確認した(井村宏次著『霊術家の饗宴』心交社88頁~94頁参照)。

さらに明治36年(1903年)930日の『神戸又新日報』には、医師法違反事件の被告である浜口は、裁判官の面前で手を触れずに抜歯を行った旨の記事が載っている。1審無罪後、検事側の控訴があり、同年1031日発行の『神戸新聞』によれば控訴審で再び裁判官による実地検分が行われた。当日の患者の中に左右の肩がリュウマチで苦しんでいる地裁の末永判事がいて、一回の施術で治ったという。その際の浜口の様子は「額より流れる汗は玉のごとく」であったとのこと(田中生著「霊術師濱口熊嶽、上」雑誌『心霊研究』195411月号、田中平助著「霊術師濱口熊嶽、下」雑誌『心霊研究』195412月号参照)。

 

<注13

この「警察犯処罰令」は徳川幕府の「御定書百箇条(公事方御定書、くじかたおさだめがき)」の「新規之神事并奇怪異説(しんきのしんじ あわせて きかいいせつ)」の禁止が時代に合った姿に変えられたものであった。この中に「濫りに催眠術を施したる者」との規定を入れて、催眠術に対して取締りを強化した。

ちなみに「警察犯処罰令」は第2条で「左の各号の一つに該当する者は30日未満の拘留又は20円未満の科料に処す」として、「17、妄りに吉凶禍福を説き又は祈祷、符呪等を為し若しくは守札類を授与して人を惑わしたる者」「18、病者に対し禁厭、祈祷、符呪等を為し又は禅符、神水等を与え医療を妨げる者」「19、濫りに催呪術を施したる者」を取締りの対象とする旨を定めている。

 

<注14

政府は明治44年(1911年)に按摩術営業取締規則、鍼術・灸術営業取締規則を制定した。昭和5年(1930年)11月には警視庁は療術行為に関する取締規則(警視庁令第43号)を公布して監視を強化した。同様な規則は他県でも公布された。

 

<注15

心霊治療は直接・遠隔を問わず治療依頼により開始する(9176⑨~177②参照)。治療の依頼がないということは本人が治療を望んでいないとも受け取れる。これは自由意志の問題とも絡んでくるため霊界側は本人が望んでいない以上は手出しができないからである。

治療依頼に関しては、ハリー・エドワーズ著『霊的治療の解明』(29⑩~30⑧参照)に次のような興味深い事例が載っている。

――ある治療師の奥さんが背骨を悪くした。その晩、夫の治療師が霊媒となって交霊会を持った。子供たちは交霊会に現れた治療霊(霊医)に向かって「なぜ治療霊は母親のことを治してくれないのかと食ってかかった」。それに対して治療霊は「私たちは頼まれていなかったのですよ」。そこで息子は「それじゃあ今からはっきりとお願いしましょう」。治療霊はそれに応えて「よろしい、やってみましょう」といった。その晩母親は背骨をいじり回されているのを感じたが翌朝全快して普段と変わらずに歩き回れたという――

 

◆日本の医療の変遷、主な参照文献

・酒井シズ著『日本の医療史』(東京書籍1982年刊)

・吉良枝郎著『日本の西洋医学の生い立ち』(築地書館2000年刊)

・小川鼑三著『医学の歴史』(中公新書1964年刊)

・山折哲雄監修『日本宗教史年表』(河出書房新社2004年刊)

・井村宏次著『霊術家の饗宴』(心交社1984年刊)

*通達の年月日については『日本の医療史』所収の「日本の医療年表」と『日本宗教史年表』を参照した

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

第4講:顕幽の交流

目 次

1.親和性の法則

・基本的な法則

・憑依(負の親和性)

2.霊能者について

・霊能者(霊媒)とは

・霊的影響力の違い

・霊的能力(サイキック能力、スピリチュアル能力)

・霊能者と金銭

3.心霊現象について

・心霊現象の種類

・物理的心霊現象について

・物理的心霊現象の目的

4.交霊会・霊界通信について

・交霊会の参加者・立会人

・霊界通信について

・霊媒現象の周辺部

・予知・予言について

5.講座に寄せられた質問

 

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◆はじめに

スピリチュアリズムの土台部分である霊魂説には「この世とあの世は相互に交流が行われている」がある。この交流がなされる根底には「親和性の法則」が存在する。最初にこの法則の解説から始める。次に「顕幽の交流」の要となる「霊能者」の問題を扱い、その霊能者の周りで生起する「心霊現象」、さらには「交霊会」や「霊界通信」を見て行く事にする。

 

1.親和性の法則

①.基本的な法則

ア、霊界とこの世の間にも働く

霊的摂理に「親和性の法則」がある。これは霊的成長度が同じで親和性を有する者との交流が日常的に行われている霊界では基本的な法則だが(最後啓示149①参照)、霊界とこの世との間にもこの法則は働いている(5234①~③参照)。

 人の為という利他的な願望は、自動的に同じ願望を抱く霊界人を引き寄せる(217⑤~⑥参照)。例えば献身的に心霊治療を行っているサイキックヒーラーがいた場合に、このヒーラーの治療状況を霊界側から一定期間見ていた霊医が、この“治療家は本物だ”と判断して援助が為されて、スピリットヒーリングが始まるケースである。なぜならヒーラーが煩悩に惑わされることなく、当初の決意を失わずに治療が続けられるかを見極める為の一定の観察期間(=試用期間)と、オーラの同調の為の期間が必要だからである。

 

イ、最初の一歩は地上人が行動で示す

霊界側からの援助が始まるプロセスを見ると、まず霊界人の援助を引き寄せる為の“何らかの利他的な行動や強い思い”が地上人側に先行して存在する必要がある。最初の一歩は地上人側からであり、「必要な条件を人間側が用意する」(2209⑨参照)ことから始まる。なぜなら地上人の利他的な行動や思いに共鳴した霊界人が親和性によって引き寄せられるから。霊界人から見れば地上人の意識の高さや霊的成長度はオーラから一目瞭然にわかるので、それだけの“資格”がなければ霊界人の援助は引き寄せられない。これが基本となる。

 

ウ、何のために霊界人は地上人を指導するのか

地上人が人のために行う利他的行為は、地上人のみならず霊界人にとっても霊性向上のチャンスとなるので、「親和性の法則」から同じ願望を持つ霊界人を引き寄せることになる。なぜなら親和性によって引き付けられた霊界人は、地上人の“利他的行為を援助する”ことによって、自らの霊性レベルを引き上げることができるから。霊界人も霊性向上の為に常に“人世のために働く”ことを願っている。その為に絶えず霊的エネルギーの“通路・道具”となり得る地上側の協力者を求めている。

 

エ、「引き寄せの法則」の問題点

巷には「思いは現実になる」という霊的法則を応用して、これをこの世的な「成功法則」と謳ったセミナーや解説本で溢れている。それによると強い願望である“富の獲得”や望み通りの人間関係が達成されたイメージを強く持つと、その思念が「お金を引き寄せる」「恋を引き寄せる」「思い通りの進学先や就職先を実現させる」ことになると説かれている。当然に引き寄せる対象は物質性が強い“この世的なモノや利己的な願望”である。

 他界霊の利他的願望は霊性向上の為の動力源となり(→ベクトルの向きが上、霊性向上を向いているから)、モノや利己的願望は物的世界に縛り付けるという原則から見ても(→ベクトルの向きが下、物質界を向いているから)、巷で喧伝されている「引き寄せの法則」には問題がある。そこには地上世界は霊性レベルを向上させるために物的体験を積むための「学校」と言った観点や、各自が遭遇する困難や障害は“魂の磨き粉”であると言った観点は全くない。

このような地上人が己の利己的願望達成の為に引き寄せる霊界人とは、親和性の法則から見て物質臭が強い低級霊(→幽界下層の“浄化の世界”にいる霊)や地縛霊(→いまだ死んだという自覚のない霊)、さらには邪霊(→悪意を持った低級霊や地縛霊)などである。引き寄せる人が霊的に敏感な体質者の場合には、親和性の法則から良からぬ影響を受けるケースがあるので注意(→稀に霊的敏感者が遊び半分で行う“こっくりさん”と同様なことが起こり得る)。

 

②.憑依(負の親和性)

ア、意識の振れ幅

地上の人間の一日は、高尚な意識状態から動物性を過度に発現させた意識状態の両端の間で、絶え間なく揺れ動いている。人の魂を揺さぶる行動や話を見聞きすれば意識は高揚する。これに対して過度のアルコール摂取は、自らの“理性の蓋”を開放して動物性を強く発現させることになる。このように人間は意識の揺れ幅の状態に応じて、日常的にあらゆる霊的レベルにある霊からの影響力にさらされている。例えば日頃まじめな人が一時的に邪霊の影響下に置かれて、ふとしたことから魔が差してスーパーで万引きをするとか、酒の席で悪い友人に誘われて違法カジノに行くなど、後で振り返ってみれば「なんであんなことをしたのか」と自分を責めることになる。

しかし「実際に引き寄せるのは自分と同じ霊格を持った霊だけ」(894⑭~⑮参照)であり、それも「両者の間に親和関係がある場合に限られる」(語る435⑦~436③参照)。憑依は本人側に霊を引き寄せる何らかの“受け皿”が必ず存在する(→霊的に敏感者の場合には直接憑依するという形で)。

 

イ、マイナス作用の親和性

親和性の法則には、原因があればその“原因の性質”に応じた形で、両者間に「親しみ結びつきやすさ」という関係がある。原因を発する者の行為や言動に相応した霊界人が引き寄せられるという関係は憑依現象にも言える。なぜなら憑依現象は親和性が“マイナスの作用”となって表れたものだから。これに対して霊界人の援助は親和性が“プラスの作用”となって表れたもの。

親和性があると言うことは人間の堕落した生活が“受け皿”となって同類の邪霊を引き寄せることになるので、人間の側から餌をまかなければ憑依は防げることになる(霊訓上48⑫~⑭、50⑥~⑧参照)。シルバーバーチは「自分は大人物であると思い込んでいる人間、大酒飲み、麻薬中毒患者などがこちらへ来ると、地上で似たような傾向を持つ人間を通じて満足感を味わおうとする」(5234⑦~⑨参照)と述べる。専門書によれば薬物依存症は「脳の神経回路が薬物に支配されてしまい、薬物の使用を自分の意志でコントロールできない状態(→生命力が流れる通路に障害物ができる:9巻125⑨参照)」であるという。既に存在する薬物に支配された神経回路を邪霊が代用できる為、影響が及ぼし易くなるから。

 

ウ、顕幽の悪循環を断ち切る

霊的世界に移行後さほど時間がたっていない霊の場合や、物質臭が極めて強い幽界の底辺部分で生活する霊にとっては、同じような“受け皿”を持った地上人には親和性から影響力を行使しやすいという特徴がある。なぜなら長年に亘って形成されたマイナスの性格傾向は、その人の潜在意識にパターン化されて組み込まれているから。死後間もない霊や幽界の底辺部分にいる霊と地上人との間に、共通の文化・思考法・似たような地上体験などがあれば、憑依は殊更に簡単に行えてしまう(→地上的な習慣はパターン化されて潜在意識に組み込まれるため、いまだ霊的自覚が芽生えない霊界人の表面意識に色濃く残っているから)。

 高級霊は「地上の罪悪と悲劇の多くは邪霊が同種の人間に働いた結果に他ならない」(霊訓下156②~③参照)ので、その「悪循環を断ち切る方法は人類全体の道徳的意識の高揚と物的生活の向上に俟つほかない」(霊訓上50②~③参照)と述べる。

その為には地上においては霊的知識の普及活動(→各種講座・勉強会・読書会など集団を通して、または個々人に対する個別対応を通して普及させる)と、学んだ知識を日常生活に活用する各自の実践活動が求められている。これらが“車の両輪”となって、悪しき連鎖(→邪霊の影響下に置かれたり憑依現象が発生したりするなど)が断ち切られて行く。地上の問題を根本的に解決するには、個々人の意識の変化が喫緊の課題となっている。

 この地上人と霊界人の関係を「音叉(おんさ)」の実験に例えて見れば良く分かる。固有振動数が同じ共鳴箱付き音叉を二つ用意して、片方を鳴らすと空気の振動を伝わって他方の音叉もなり始める、音叉の固有振動数が違う場合は共鳴しないという現象がある。ここからも連鎖を断ち切る為には固有振動数を変える、霊性向上の努力が必要となってくる。

 

エ、邪霊に憑依されるまでの三つの段階

A、第一段階のレベル

アラン・カルデック編『霊媒の書』には「低級霊(邪霊)に憑依されるまでの三つの段階」として、憑依が進行して行く状況が紹介されている(208頁~211頁参照)。

前著によれば、霊能者は常に低級霊(→幽界の下層界にいる物質臭の強い霊や、浄化の界層にいる霊)や邪霊(→悪意を持った低級霊や地縛霊)に付け狙われている。しかし低級霊や邪霊と波長が合って通信状態に入っても、一時的なものですぐに縁が切れるので、これは憑依ではない。本人も低級霊や邪霊にしつこく付きまとわれている状態を理解している。霊能者がこんな事をしていてはダメだと判断して生活を変えて行けば(→固有振動数を変える)、憑依の危険から逃れることは可能である。しかし「自分は特殊な人間」であると思い込み始めて自惚れてくると(→固有振動数が一致して行く)、次第に第二段階に移行していく。このように第一段階は「しつこく付きまとわれる」レベルであるという。

 

B、第二段階のレベル

前著によれば、低級霊や邪霊がしつこく付きまとって日常生活に支障を来すレベルに、幻惑が加わった状態、これが第二段階のレベル。低級霊や邪霊が霊能者の思念そのものに直接的に働きかけて幻想を生じさせるレベルである。その結果、霊能者の正邪や善悪の判断力は麻痺してしまうことになる。低級霊や邪霊が最も恐れるのは、霊能者の周辺にいる第三者の説諭によって、霊能者が理性を取り戻すことであるという。

 アラン・カルデックは第二段階に陥った霊能者の状態を次のように述べている。霊能者自身に「自分は神の化身であると思い込ませ、それらしき勿体ぶった態度で御託宣を述べさせる。誰が聞いても滑稽きわまる内容なのであるが、その辺の判断力がマヒしているから、本人は微塵もおかしいとは思わずに大真面目で大言壮語をする」(210①~③参照)。低級霊や邪霊は「慈悲心だの人類救済だの神の愛と言った美辞麗句を吹き込む。当人は既に魅入られているから、救世主にでもなったかのような錯覚に陥って、大真面目にそれらしいことを口にする」(210⑰~211①参照)と。

 

C、第三段階のレベル

前著によれば第三段階は、当人の思考活動だけでなく自由意志まで完全にマヒし、人格全体が憑依されてしまうレベル。「精神が憑依されていく場合は、支離滅裂な行為をしながら、それを正常で立派な行為と思っている」「肉体的に憑依されている場合は肉体器官そのものも支配されて、不随意筋まで自由に操られるようになる」(211⑨~⑬参照)という。

ウィックランド著『迷える霊との対話』(近藤千雄訳ハート出版1993年刊、抄訳として田中武訳『医師の心霊研究30年、日本心霊科学協会叢書』1983年刊がある)に、この第三段階にある憑依患者が正常な精神状態に戻った事例が載っている。

 

2.霊能者について

①.霊能者(霊媒)とは

ア、言葉

A、顕と幽の間を取り持つ人

霊能者(霊媒)とは、一般に霊体の目で見る霊視・霊体の耳で聞く霊聴・潜在意識を介して受ける自動書記などの「精神的心霊現象」、または物品浮揚・物品移動・物質化現象などの「物理的心霊現象(→霊能者から出るエクトプラズムが重要な役割を果たしている)」によって、この世とあの世(霊的世界)の間のコミュニケーションを司る媒介者をいう。この言葉は19世紀半ば以降のスピリチュアリズム普及運動の中で盛んに使われるようになったが、現象自体は古代から洋の東西を問わず存在している。日本では「霊媒型巫者」の卑弥呼や「口寄せ巫女(→東北地方のイタコ、南西諸島のユタなど)」の存在はよく知られている。

 

B、特有の体質を持つ者を霊能者という

人間を体質的に分けると「霊的に敏感な人」と「霊的に鈍感な人」に大別できる。一本の線上の左端には体質的に「霊的に極めて強い敏感な者」がいる。そこから右に行くに従って鈍感の割合が強くなって行き、右端には「霊的に極めて強い鈍感な者」がいる。人が持つ霊的感受性はこの左端から右端の何れかの地点の体質を生まれながらに身に付けて来ている。このように生まれながらに特有の敏感体質を持つ者を霊能者という(→霊能者とは取り扱いが難しい“精密機械のような体質”を持った者、その能力を使いこなすにはそれなりの訓練が必要になる)。

 

イ、人は誰でも潜在的な霊能者

生者も霊であるので、霊的な能力自体は霊的身体が持つ知覚力なので本来的に全ての人間に具わっている。それ故に「人間はみんな潜在的な霊能者」(新啓示117⑦参照)といえる。人間は物質文明の発達と引き換えに心霊的な能力を失ってしまったが(5105②、福音31⑦~⑩参照)、ごく少数だがこの能力を有する者がいる。この者を霊能者(霊媒体質者)と呼ぶ。

 

ウ、霊界と繋がった霊能者

人間は霊的成長に伴って“霊体に具わっている能力”が発揮できるようになっていく。いずれは人間のすべてが発揮する能力だから(5105⑤~⑥参照)。しかしこの世で霊的能力が発揮できる能力を持った霊能者の多くは、霊界とは何の繋がりもない“五感の延長”である心霊的な能力、地上界の範囲内だけの物的法則と繋がった心霊的能力を有するに過ぎない(福音79⑬~80②参照)。霊界と繋がった霊的な能力(スピリチュアル能力)を持つ者は少ない(1163⑪~⑫参照)。「進化の先駆け」である本物の霊能者は少ないということ。

シルバーバーチは人間のすべてが例外なく霊的資質を宿している、ただそれが発現しやすい段階にまで来ているか否かの差があるだけです(道しるべ250③~④参照)と述べる。なお心霊能力が潜在意識の表面近くまで来ている人は、霊能開発などによって容易く使用できるようになる(2105④~⑪参照)。

 

エ、霊能者はより多くの利他的行為が出来る人

  

イラストにもある通り人は誰でも自我の本体(本来の私という意識)の中に“神の分霊”を潜在的に宿している。その潜在的完全性(神の分霊)を意識の領域(本来の私という意識)に顕在化させていくことが、永遠の旅人たる人間の宿命となっている(→イラスト参照、利他的行為を通して徐々に“神の分霊”の顕在化率を高めていく、最終的には本来の私という意識一杯一杯まで高めていく。ゴールである“本来の私という意識”イコール神を目指す)。

その為には肉体や霊的身体などの形体をまとって利他的行為を積み重ねて(→高級霊は思念を通して利他的行為を行う)、その体験によって潜在的完全性を顕現させていくことになる。分霊の顕現度合いに応じて、愛や慈悲心などの“神の属性”が形体を通して滲み出てくる(→高級霊の思念や形体からは愛に溢れた雰囲気が滲み出ている)。この分霊の顕現はあくまでも自らの体験によって顕在化させていくのであり、他者の祈りや祭りごとによって他力本願的に霊的進化が進むのではない。

 霊能者とは地上人生に於いて、一般人よりも多くの利他的行為ができる能力(→霊力の通路となる能力)を与えられた者である。スピリチュアリズムが目指している世界(地上天国)の招来に果たすことのできる役割は、一般人に比べても格段に大きいからである。それを「地上へ誕生する前の本人の自由意志」(新啓示118①参照)で決めてきた。

 

②.霊的影響力の違い

ア、霊力の通路となり得る者とは

シルバーバーチは“霊力の通路”として、霊能者が果たす役割の重要性をしばしば強調して述べている。たとえば「霊媒というチャンネルが増えれば増えるほど霊的真理という活力あふれる水が地上へ流れ込む」(2182⑮~183①参照)。さらには「大霊の力はそれを顕現させる能力を具えた人を通してしか発現できません。それが霊媒現象の鉄則です」(新啓示51①~②参照)などと。このような文言を目にするたびに、「霊力の通路となりうるのは霊能者のみなのか」という素朴な疑問が湧いてくる。

 しかし『シルバーバーチの霊訓』をじっくりと読んでみれば、霊能者以外の一般人もまた立派に霊力の通路たり得ることが述べられている。たとえば「通路は霊媒に限りません。それとは気づかぬままに通路となっている人も大勢います」(179⑨~⑩参照)とか、「私たちが欲しいのはそういう道具、霊媒、あるいは普通の男女、その人を通じて霊力が受け入れられ、霊の教えが語られ、知識が伝達されるような精神構造をした人たちです」(3123⑤~⑦参照)。さらには「霊力に反応する人であればいつでもどこでも神の道具となります」(431⑤~⑥参照)など。

 

イ、霊力の通路としての影響力の違い

霊能者も一般人の男女も「霊界側の真理普及の計画」を推し進める際に、霊力を地上に降ろす際の“手足・通路”となりうることには変わりない。しかし役割や影響力という観点から見ると両者には大きな違いがある。なぜなら霊能者がいなければ霊界から地上に、霊的教訓を降ろすことや霊的証拠を提示することができないからである。

このような役割を持つ霊能者は、「際限なき貪欲と利己主義、唯物主義」がはびこる地上世界という“戦場”においては、破壊力の大きな「戦車」にたとえることができる。なぜならたった一台の「戦車の破壊力(影響力)」は、歩兵(一般人の男女)が持つ「小銃の破壊力(影響力)」の数千倍もの威力があるから。

以上からも明らかなように霊力の通路となりうるのは、霊能者だけに限らず当然に一般人の男女もなりえる。このことはシルバーバーチがしばしば述べているように「奉仕を基調とする宗教」(5巻130⑮~131①参照)や「奉仕は霊の通貨」(11142②参照)など、利他的行為を推奨している言葉からも分かる。両者の大きな相違点は霊力の通路としての影響力、つまり「戦車」の砲塔から放たれる弾丸の破壊力と、歩兵が持つ小銃の破壊力の違いだけである。このようにシルバーバーチは、スピリチュアリズムの普及運動において重要な役割を演ずる「霊能者(戦車)」を、「一般人の男女(歩兵)」以上に強調して述べただけである。

 

ウ、日本に於ける「攻めの普及活動」

大正時代の末期から昭和初期にかけて、浅野和三郎は霊能者を活用した「攻めの普及活動」を行おうと考えて、スピリチュアリズムの普及に大きな貢献ができる優秀な霊能者を探し求めていた。それは当時(20世紀初頭)の欧米社会においては「いずれの国においても客観的(物理的)心霊現象の霊媒が、心霊運動の口火を切る役になっていた」からであった。

 昭和3年(1928年)9月にロンドンで行われた第3回「国際スピリチュアリスト連盟(International Spiritualist Federation、略称ISF)」の大会に参加した浅野和三郎は、英米の多くのスピリチュアリストや霊媒と接触して実験会に参加する機会に恵まれた。これらの体験はその後の浅野が日本に於いてスピリチュアリズムの普及を進めていく上で、かけがえのない財産となった。

帰国した翌年の昭和4年(1929年)以降、浅野のもとに亀井三郎など物理的心霊現象を引き起こすことが出来る霊能者が次々と集まってきた。それらの霊能者を前面に据えたデモンストレーションによって霊的知識の普及に弾みがつき、霊的レベルの向上がもたらされた(→霊能者という“戦車”を中核に据えた“攻めの普及活動”が行われた)。このことによって日本のスピリチュアリズムは「黎明期」から「発展期」へと大きく飛躍した。

 

③.霊的能力(サイキック能力、スピリチュアル能力)

ア、二種類の能力

霊的能力の発達には、まず“本来の私という意識(自我の本体)”に内在している“神の分霊”を、意識の領域に顕在化させていく「自我の本体そのものの進化」、いわゆる「霊の進化(スピリチュアル能力の発達)」がある。次にこれとは別に“自我の表現器官たる霊体”に具わっている「心霊能力の開発」、つまり自我が霊の世界において自己を表現する為にまとう霊体に具わっている能力、自我の表現器官に関する発達(サイキック能力の発達)がある。

このように霊的能力の発達には「自我の本体の進化(スピリチュアル能力の発達)」と「自我の表現器官の発達(サイキック能力の発達)」の二種類ある(499⑩~⑭、到来81⑪~⑮参照)。霊能開発をしようとして精神統一の訓練をすると最初に心霊的(サイキック)な能力が出てくる(1157⑫~⑬参照)。人間は例外なく心霊的能力を具えているから(1237⑦参照)。この心霊的な能力が発現した後に霊的(スピリチュアル)な能力が出てくる。

 

イ、霊的進化の指標

シルバーバーチは一貫して「霊の進化(スピリチュアル能力の発達)」の必要性を説いている。霊的進化の指標はサイキック能力の発現ではないから。「人の為に役立つ仕事を目的として霊界のスピリットの協力を得ながら心霊能力を開発した時」(2109①~③、福音81⑦~⑫参照)が本当の意味で霊的進化の始まりの時と述べている。

そのためには霊能開発と並行して他者のために役立つ仕事をして、霊界人の協力を得る必要がある。これに対してサイキック能力は霊的身体という形体に具わっている能力であり、霊が進化していく過程で自然に発揮されていくものである。サイキック能力が発揮できるようになることが必ずしも「霊の進化」の指標とはならないから(12214④~⑤参照)。

 

ウ、霊的に進化したと言える為には

霊能者(霊媒体質者)の“心霊的な能力の発達(→霊が使用する形体の発達のこと、サイキック能力の発達)”に“霊性の進歩(スピリチュアル能力の発達)”が伴っていなければ、霊的に進化したとは言えない(499⑩~⑭、到来81⑪~⑮参照)。なお心霊現象は霊媒体質者が有する心霊的(サイキック)な能力と、霊界人の協力による霊的(スピリチュアル)な能力の組み合わせで起こるものである(福音81①~④参照)。

 

④.霊能者と金銭

ア、評価の指標

しばしば霊能者は金銭的になり過ぎると“仕事”がうまくいかなくなると言われている。一般に「霊能者と金銭」の問題は、霊能者を評価する際の指標として良く用いられている。それは霊能者が金銭的になり過ぎると意識の指向性(→ベクトルの向き)が下・地上的なモノに向かい、その結果霊的波長が下がって感応道交する霊は物質臭の強い霊だけとなってしまうからである。

霊媒現象における“霊界人の協力”は顕幽を隔てるバイブレーションの壁を、親和性と“愛の力(磁気的な通路)”をベースにして乗り越えて発揮されるもの。霊能者が金銭的になり過ぎるとバイブレーションが物質的となって、援助しようとする霊界人との関係が疎遠になるから(→霊訓では“愛の力”が低下するからという表現が使われている)。親和性の法則により物質レベルのバイブレーションに見合った低級霊や邪霊を呼び寄せてしまい、その影響下に置かれるからとされる。

 

イ、目的限定の能力

高級霊は「(霊媒能力は)あくまで霊的な目的の為に使用しなければならない。営利目的の為、単なる好奇心の満足の為、あるいは低劣な無意味な目的の為に使用してはならない」(続霊訓123⑬~⑮参照)と述べる。また日本における「スピリチュアリズム(心霊主義)&サイキカル・リサーチ(心霊研究)」の草分けの一人である浅野和三郎も「たとえ乞食になろうとも、霊媒になって飯を食おうなどとはお考えにならぬが得策です」(脇長生編『精神統一入門』霊魂研究資料刊行会、58⑨~⑩参照)と述べている。多くの事例を見てきた先人たちによれば営利目的に走った霊能者の末路は悲惨だという。

 上記のように高級霊や先人たちは、霊能力は営利目的や単なる好奇心の満足のために使用してはいけないと述べる。なぜなら霊能力は“地上人生で利他的行為にのみ使用する”という、目的を限定して与えられた能力だから。

シルバーバーチは霊能力の問題を、常に“潜在的完全性(分霊)”の顕在化という観点に立って述べている。「霊媒はやむにやまれぬ献身的精神に燃えなければならない。その願望そのものが霊格を高めていく」(6巻118①~⑥、到来112④~⑩参照)からと。

 

3.心霊現象について

①.心霊現象の種類

心霊現象には誰にでも見える形で出現する“空中浮揚・物体移動・物品引き寄せ”などの「物理的心霊現象」と、霊媒を通して語られる“霊視・霊聴・霊言・自動書記”などの「精神的心霊現象」、そして両者の中間形態の「心霊治療(心霊医療)」の三つに分けることが出来る。

心霊治療は身体の病気を治すという意味では物質的だが、それを治すエネルギーは霊的なもので、二重の要素を持つ(新啓示41⑭~⑯参照)。

 

②.物理的心霊現象について

ア、物的要素が濃いエクトプラズム

A、霊の進化と物的エネルギーの関係

霊の進化と物的エネルギーの関係には「霊は進化するほど物的エネルギーが扱えなくなり、精神的感応力に訴えて知的な指導と指揮にあたることになる」(続霊訓160⑬~⑭参照)という記述がある。なぜなら物質化現象を起こす為にはエクトプラズムの材料となる中間物質が必要となるから。実験に携わる霊界人はいまだ物的波動から抜け切っていない霊性レベルの低い霊であり、その霊が霊界側の技術者となって高級霊の監督の下で物理的心霊現象を演出するために働くことになる(霊訓上64⑬~65④、77⑧参照)。

 

B、物質化現象の材料

客観的な心霊現象である「物理的心霊現象」の出現には、霊媒から流出するエクトプラズムがカギを握っている。エクトプラズムは物質と生命との中間的存在(半物質)である接合体の中で作られて(個人的存在82⑨~⑩参照)、物質化現象の材料となる。

このエクトプラズムを豊富に作る能力を持っている人が物理的霊媒になることが多い(個人的存在82⑫~⑬参照)。霊的体質の違いによってエクトプラズムには個体差があるが、トランス状態になるとそれが外部に流出する。これに霊界の技術者が特殊な成分を混ぜ合せて、物理的心霊現象を引き起こす為の材料を作る。

 

C、名付け親

このエクトプラズムの名付け親は、フランスの生理学者(パリ大学医学部教授、1913年ノーベル賞受賞)のシャルル・リシェ(Charles Richet1850年→1935年)である。

リシェは多くの霊媒を調査して、物理的心霊現象は霊媒の体内から出る半物質状の透明な物体がさまざまに変化して、物質化して現象を起こすということを突き止めた。その半物質状の物体を「エクトプラズム」と名付けた。

 

イ、エクトプラズムについて

A、エクトプラズムの性質

エクトプラズムは多量の白血球と上皮細胞を含んだ唾液の成分に似ており、これが霊媒の口・鼻孔・目・くるぶしの裏側などの皮膚の薄いところから出て来て物質化現象を引き起こすことが知られている。エクトプラズムの性質に関しては、湿り気があり独特のにおいがする。またエクトプラズムはすべて霊媒の細胞からできており、物理現象がどのような形態であっても、エクトプラズムは全て霊媒の身体から出て霊媒の身体に戻って行くので「エクトプラズムは霊媒の一部である」ことになる。さらに物理的心霊現象の目的を果たしたエクトプラズムが、霊媒の体内に戻る速さもまた瞬間的であり「まるでゴムのようにビューンという音とともに消えてしまったことがある」という(ハリー・エドワーズ著『ジャック・ウェバーの霊現象』国書刊行会1985年、135頁~144頁参照)。このようにエクトプラズムは物質化現象の材料に使われる。

上記で紹介した『ジャック・ウェバーの霊現象』の中に「エクトプラズムが製造されると、専門の霊が出現を希望するスピリットのエーテル体(幽体)の周りにそのエクトプラズムを塗り付ける。その際、そのスピリットはエクトプラズムの中から物質化する為に必要なエネルギーを吸収することが出来る。そうすることによって内臓までも物質化させて、地上時代と全く同じ固さの物質をまとうことになる。それでしゃべったり歩いたりと、人間と同じことが出来るわけである」(138⑮~139⑤参照)との記載がある。

 

B、霊媒の霊格とエクトプラズムの関係

エクトプラズムは霊媒から抽出されるため、「霊媒の体質が粗野であればエクトプラズムも精神的ないし霊的に程度が低く、精妙度が劣る。精神的に霊的に垢抜けした霊媒であれば、その性質がエクトプラズムにも反映する」(190⑬~91①参照)という具合に、霊媒の霊的レベルはエクトプラズムの質に反映する。

物理霊媒の霊格が低いほどエクトプラズムの質は落ちる(メッセージ84⑦~⑨参照)。また霊媒自身の健康状態によっても左右される(ハリー・エドワーズ著『ジャック・ウェバーの霊現象』136⑤参照)。このような性質を持つため霊媒は霊的レベルの向上を心がけた生活を送れば、人間性が向上すると同時にエクトプラズムの質まで向上することになる。

 

③.物理的心霊現象の目的

ア、受容性に見合ったもの

物理的心霊現象は従来の物理的法則では解釈のつかない現象を、あくまで科学的手段によって実在性を立証するという目的を持ったもの。その方法は当時の人たちの受容性に見合った形がとられることになる。19世紀後半から20世紀初頭は「従来の物理的法則では解釈のつかない現象を、あくまで科学的手段によって、その実在性を立証する」(新啓示40⑨~⑩参照)として、物理的心霊現象が科学者の関心を呼んだ時期であった。

この時期に頻発した現象は、地上に霊的真理を普及するという計画の一環として行われたものであった。霊的実在の証明方法は当然に人間の霊性レベルに応じて手段は変化して行く。物理的心霊現象から「心霊治療と霊的教訓」への変化はその表れの一つであった。それは「霊媒現象の歴史が、詐術の嫌疑との闘いの連続であった」(新啓示42⑭参照)から。

 

イ、物理的心霊現象は補助的手段

いつの時代にも「自分の目で確かめ、手で触れないと気が済まない人、物的次元での証拠を必要とする人」(到来49③~⑨参照)はいるので、その人のために物的な現象は必要である。シルバーバーチはスピリチュアリズムにおける様々な物理的心霊現象は「注意をひくためのオモチャにすぎない」(1巻126⑩参照)と述べる。

物理的現象が伴う交霊会や精神的心霊現象などの目的は、見る目を持つ者、聞く耳を持つ者、触れる手を持つ者に一点の疑いもなく霊的真理の実在性を納得させて、人間は霊的な存在であるということを自覚させることにある。本来、物理的心霊現象は霊的自覚を得るための補助的なものに過ぎなかった(1161④~⑤、2181⑮~182②参照)。

20世紀に入ると物理的心霊現象は徐々に後退して「心霊治療と霊的教訓という高等な側面」(9165⑧~⑩参照)が前面に出てきた。

 

ウ、ハンネン・スワッハー・ホームサークル

バーバネルが霊媒となってシルバーバーチが出現する交霊会は「ハンネン・スワッハー・ホームサークル」という名称で知られている(110①参照)。このサークルでも交霊会の初めにテーブル現象がしばしば行われていた。参加者全員がテーブルの上に手を置き賛美歌を歌っているうちにテーブルが動き出す。そしてシルバーバーチ霊団のメンバーが各々テーブルを動かして挨拶をした(714①~⑩参照)との記載がある。

翻訳者の近藤千雄氏によれば、このテーブル現象は「交霊会の霊的磁場を強固なものにするため」(霊媒の書90⑦参照)であったという。物理現象によって何の問題も起こらなかったのは「背後に高級霊団が控えており、邪魔が入らないように万全の対策を講じていたから」(霊媒の書90⑧参照)と述べている。

 

4.交霊会・霊界通信について

①.交霊会の参加者・立会人

ア、霊的エネルギー

A、霊的な柵の構築

霊的面から交霊会を見れば、会場に入ってほしくない霊を締め出すために(→周りに霊的な結界を作るため)、霊界側に“霊的な柵”をこしらえられるだけのエネルギーを参加者から供給してもらわなければならない(794⑥~⑦参照)。参加者全員から少しずつエネルギーを取り出し、それを霊界側が用意したエネルギーとミックスして、支配霊は交霊会の運営のために使用する(794⑩~⑪、2137⑦~138④参照)。このように「参加者全員のエネルギー」と「霊界側のエネルギー」が融合して、交霊会には霊的な“結界”が作られる。

 公開交霊会では支配霊を中心とする霊団が霊媒と通信霊を取り囲んで行われている。なぜならば交霊会に無分別な霊がもぐり込んできて「通信を正確に伝えるのに必要なデリケートなバイブレーションを台無しにしてしまう」から。それだけ周到に注意を払っても「その囲いの外から自分の存在を認めてもらおうとして大声で叫んでいる霊を鎮めることは出来ない」(M・バーバネル著『これが心霊の世界だ、新装版』潮文社87⑧~⑨参照)。ある公開交霊会では“結界”の外から、ロンドン訛りの霊から「なあ、ねえさん、オレにもやらせてくれなよ。ほかの連中はみんなやったじゃねえか」(バーバネル著『これが心霊の世界だ、新装版』88①参照)と言われたという。

このように霊の世界に行けばすぐに高い霊格が得られるというわけではなく、この世の人間と何ら変わるところはない。霊と云えども単に肉体がないだけであって、その本性は「霊的自覚(→意識の指向性が上・霊性向上に向く、霊として何をすべきかの自覚)」が芽生えてくるまでは地上時代と何ら変わりはない。交霊会を台無しにされないためにも“霊的な柵”を作る必要があるわけである。

 

B、顕幽のエネルギーを融合して用いる

物質化現象を起こすために使われるエネルギーは、参加者全員から少しずつ取り出し、それを霊界側が用意したエネルギーとミックスして交霊会の運営の為に使用する(7巻94⑩~⑪、2137⑦~138④参照)。このように「参加者全員のエネルギー」と「霊界側のエネルギー」が融合して“霊的な柵”を作ったり、通信霊や霊媒にエネルギーを供給したりして交霊会の運営の為に利用される。

物質化現象を起こす為の交霊会で使われるエネルギーは、霊媒や実験会の参加者、さらには実験室内にあるあらゆる物(→カーテン、カーペット、家具、その他室内備品)からも抽出される。物質化霊の衣装に色を付けるために部屋中の素材から色素だけを抽出することもあるという(道しるべ95④~96⑦参照)。

 

C、具体例

シルバーバーチの交霊会に参加した霊媒のリリアン・ベイリー女史(Lilian Bailey)は、霊視で交霊会の舞台裏で働く“霊界の技術者”たちの姿を実況してみせた。「このボリュームあふれるエネルギー、迫りくるパワーは物質化現象に使われるものですね」「何人かのスピリットがそのエネルギーを部屋の中央へ運んで一つの固まりをこしらえているようです」「私が見たところでは大きな柱のようですね。白い柱です。コチコチに固いものではありません。そこから何本かの紐状のものが伸びて、メンバーの一人一人とつながろうとしています。各メンバーから何かを摂取しようとしているみたいです」(4181③~182④参照)と述べている。

 

イ、交霊会参加者の心得

A、実験会の参加者は単なる見学者ではない

実験会の参加者は単なる見学者ではなく、物理的実験に必要なエネルギーを供給する役割を果たしている(→主に交霊会の運営や霊的な結界などに使用される)。交霊会の会場の雰囲気は受け身的でなければいけない(福音208⑩~209⑦参照)。なぜなら地上側はあくまでも受信者だから。

現象を起こすために用いるエネルギーは、霊媒や参加者の身体機能が受け身的な状態の時のみ利用できる。激論をしてエネルギーが脳に動員されている状態の時や、消化器官が活発に活動している状態の時はそれぞれの器官で消費されているので使用できない(続霊訓169⑥~170③参照)。出席者の中に一人でも病気や精神的悩みを抱えている者がいると、オーラ本来の機能が低下して通信に影響が出てくる(続霊訓166④~⑪参照)。また参加者が特別な先入観を抱いている場合や出席者の間に不協和音があると、それが交信の障害となって霊媒と支配霊との融和を妨げることになる。

交霊会の進行中は絶え間なく精神的エネルギーが作用しているので、「出席者の想念、思念、意志、欲求、願望のすべてが通信に何らかの形で影響を及ぼす」(4159⑩~⑪、福音208⑩~⑫参照)ことになる。

 

B、心霊研究者や懐疑論者はエネルギーの供給を無意識に拒絶

一般に心霊研究者や懐疑論者は、心霊現象に霊媒(超能力者)による不正行為が存在したか否かに関して常に強い関心を持っている。そのため実験に不正行為が介在しない為にあらゆるケースを想定して、厳格に管理された条件下で行おうとする。当然に心霊現象の出現は弱く小さくなる。なぜなら心霊研究者や懐疑論者は物理的実験に必要なエネルギーの供給を無意識的に拒絶するから。このように参加者が持つ思念や特別な先入観などは、心霊現象に大きく影響を及ぼすことになる。

また霊界にいる低級霊の妨害も考慮しなければならない。学術的な研究目的ではなく、単なる懐疑論者が催す興味本位の実験会では、支配霊はエネルギー不足から実験会場を霊的にガードする“柵(結界)”が構築できず、低級霊のなすがままにされてしまう場合がある。実験会のメンバーの間に意見の衝突があって雰囲気が乱れている時も、低級霊の介入を許すスキを与えてしまうことになる(福音236⑫~⑬参照)。

 

ウ、レギュラーメンバーの存在意義

交霊会はレギュラーメンバーで定期的に開くのが安全である(2133⑭~134②参照)。すぐれた支配霊による交霊会では、レギュラーメンバーは何らかの存在意義を持った者が厳選される。中にはただ出席して椅子に腰かけているだけで好影響を及ぼす人もいるという。このようなレギュラーメンバーによる交霊会では、普段からその人のオーラを通じて霊的エネルギーが供給されているため霊的に安定している。しかし初めての人ばかりの集まりだと、交霊会の環境・条件を改めて整える必要がある(2143⑧~⑮参照)。

 

②.霊界通信について

ア、霊媒の潜在意識を使用する

A、霊言現象の仕組み

霊媒現象の一種である霊界通信は霊媒の潜在意識を使用して行われる(4157⑫参照)。通信霊は霊媒のオーラと通信霊自身のオーラを融合させて、霊界から携えてきた映像、思想、アイディアを霊媒の潜在意識にある単語や思想を使って文章にする(→方法その1)。または霊媒の潜在意識が自動翻訳機的な働き方をすることによって自ら単語や思想を選び出して文章にする(→方法その2)。例えば“方法その2”では、通信霊は霊媒の“柔らかいロウのような潜在意識”(永遠の大道27⑮~⑯参照)にシンボルを押し当てる、その押し当てられた“型”に当てはまる用語や概念を霊媒自身の潜在意識が自ら選び出してくるという方法で。

そして“方法その1”や“方法その2”によって文章にして、霊媒の潜在意識と繋がった言語機能に関わる器官(声帯、舌、口)を使って、一連の言葉として霊媒の口から発声される。これが霊言現象の仕組みである。

 

B、一時的に吐き出させる

その際に霊媒の精神を強く支配している固着観念があって、それが何らかの表現を強く求めているような場合がある。そのようなケースでは霊界から携えてきた通信を送る前に、その観念を一時的に吐き出させる必要がある。その際の通信は霊媒の潜在意識の中に存在する特定の観念の表明であり、何らかの強い思いでしかない(189③~⑦参照)。このような事例があるので通信内容を鵜呑みにせず、必ず理性で吟味する必要がある。

 

C、霊界通信の良し悪し

霊媒の潜在意識を使った霊界通信の良し悪しは、「オーラの融合具合」「頑なに固執している固着観念の問題」「霊媒の健康状態」「会場を取り巻く雰囲気の問題」など、多くの条件によって左右される(189③~⑧、6207①~⑤参照)。霊媒の潜在意識に付着している“色”の問題は(→通信内容に霊媒の潜在意識によって、どこまで歪められているかの問題)、通信霊のオーラと霊媒のオーラが完全に融合しているか、部分的か、全く融合していないかに掛かっている。「百%融合できたとしたら霊媒の潜在意識による影響はゼロということになる」(4159①~②参照)。

このように通信霊が伝えたいとする内容は霊媒の潜在意識によって影響を受けるため、霊媒を通して地上側に百%伝わることは滅多にない(1巻88①~②参照)。この点からもシルバーバーチが「霊媒の潜在意識にあるものを完全に支配して、私自身の考えを百%述べることが出来る」(917⑮~18②参照)状態は、極めて稀有な現象であることが分かる。ここに数多い霊界通信が存在する中で『シルバーバーチの霊訓』の優位性の根拠がある。

 

D、用語がないので通信できなかった例

霊媒現象では霊媒の潜在意識にある用語が使われるので、無学文盲の霊媒では高度な通信は送れない。このことに関してマイヤース霊は自動書記霊媒のカミンズの“記憶の層(→潜在意識の比較的浅い部分に存在する再生人生に於ける記憶の層の部分)”に、天文学に関する用語が無かった為に通信が送れないとして一時通信を中断したことがある。そしてカミンズに百科事典の天文学の項目を読むように指示して読ませた。マイヤース霊が欲しかったのは宇宙に関する用語であって、知識ではなかった(個人的存在20⑪~21②参照)。

 

E、霊媒の人間性の問題

霊媒には霊媒としての考えがあり偏見があり好き嫌いがあるので、霊界通信にはある程度まで霊媒の固着思想が影響を及ぼしている(4158⑪~159②参照)。このような問題があるため霊媒の潜在意識が心霊現象に及ぼす影響の程度や、人間的性質の完全な排除の問題など、霊媒の人間性がしばしばテーマとなっている。

シルバーバーチは「通信のメカニズム」に関して「安ものの楽器よりも名匠の作になる楽器の方が良い音楽を生むのと同じで、霊媒も教養が高いほどよい、良い道具ほど良い通信を受けやすいから」(4巻160⑧~⑩、メッセージ83⑤~84⑫参照)と述べる。マイヤースの通信からも分る通り(個人的存在20⑪~21②参照)、霊媒の潜在意識に多くの言葉が蓄積されてないと、送れる通信の内容が限定されてしまうから。さらにシルバーバーチは「高級霊が人間性の低い霊媒を通して出ようとしても、その霊格の差のために出られません。接点が得られないから」(4161⑩~⑪、メッセージ83⑤~84⑫参照)と述べる。

 

イ、情報源との連絡網

通信霊は霊媒の潜在意識を支配すると同時に、情報の供給源である霊界との連絡網を維持しなければならない。この世でもテレビの収録現場でカメラの前に立つ司会者は、シナリオ通りに出演者と会話を交えて番組を進めているが、予想外の展開になった時はカメラの死角にいるアシスタントがボードを使って必要な情報を司会者に送っている。司会者はテレビカメラに向き合って番組を進めると同時に、想定外の情報はアシスタントから入手している。

このようにテレビの収録現場では出演者やスタッフが“平面上の同じ空間”で仕事をして、番組を作成しているが、霊界通信では霊の世界から波動の異なる物質の世界へと、次元を超えて通信を送らなければならない。さらに地上側の雰囲気が悪いと霊界との連絡網が限定されると同時に、通信霊と霊媒のつながりも弱くなってしまう。そのためより一層通信が困難となる(2118⑪~119⑥、メッセージ20⑤参照)。

 

ウ、多様な通信霊と通信内容

霊の世界は無辺であり、そこに住む霊の体験も多様であり無限であるので、霊界通信としてどういう内容のことが伝えられるかはひとえに通信霊の霊的レベルに係っている。霊の世界に移行後も固着観念を捨てきれずに地上的波動の中で暮らしている「霊的自覚」の芽生えが無い霊は、その固着観念に沿った内容のメッセージを送ってくることになる。ここに霊によって送られてくる内容に食い違いが生じる理由がある(1087①~88①、到来30②~⑧参照)。

霊界通信は送られてきた内容によって価値が決まるので(2204⑦~⑬、道しるべ37①~②参照)、価値ある情報を入手したければ自らの霊性を高めると同時に、感応道交する霊のレベルを上げる必要がある。このように多様な通信霊の存在と通信内容が存在するため、霊界通信に接する場合には理性で通信内容を吟味して、常識的に考えて辻褄が合わないものは拒否する態度が必要となってくる(1088②~③参照)

 

エ、犠牲を伴った行為

霊妙な波長にある霊の世界から荒い波長の地上世界に、霊媒現象という形で霊が戻って来るには、多くの困難な条件をクリアする必要がある。そのため困難を克服して戻ってくる霊は愛念を抱く者や、使命がある霊に限られる。愛念こそが「地上の縁者を慰め、導き、手助けしようと思わせる駆動力」となるからである(189⑨~90①参照)。ここから多くの霊界通信は意識の関心が地上に向いている(→意識の指向性・ベクトルの向きが下を向いている霊)、物質臭の抜けきらない幽界の下層に居住する血縁者からのものとなる。ここに血縁重視の霊界通信が多くなる理由がある。

 さらに何らかの使命がある霊性レベルの高い霊の場合には、波長の切り替えを行って地上の荒い波長に同調させなければならない。このような困難を乗り越えてまで遂行しようとする使命とは、人間は霊であり自我の本体には例外なく神の分霊が宿っていること、その神性を地上生活中に自覚して(→霊的自覚のこと)意義ある地上生活を送ってもらいたい為である。ここに霊媒現象に秘められた目的がある(最後啓示49⑥~⑧、187⑤~⑧参照)。

 

オ、自動書記通信

自動書記通信で有名なモーゼスの場合は、一人きりになって心が受け身的になっている時に通信が不意に来るという。その際にモーゼスのオーラがしみ込んだノートや、使い慣れたテーブル、自分の部屋の方が現象は出やすいと述べる(霊訓上17⑨~⑩、20⑥~⑦参照)。

モーゼスは霊から、仕事で過労気味の時、興奮状態の時、身体の調子が悪い時、精神的な悩みや心配事のある時、食事のすぐ後、身体が眠気を催している時は自動書記をしないようにと注意された(霊訓上77⑫~78⑧、79④~80⑰参照)。このような状態の時は霊媒の波長はより物質性が強まっているから。

 

③.霊媒現象の周辺部

ア、バーバネルの場合

シルバーバーチの霊媒バーバネルが入神に至るまでの状況は、まず気持ちを落ち着かせて受け身の心境を作る。いわば気分的に身を投げだす状態に置く。その状態で祈ると次第に温かみを感じて(→霊界人のオーラと霊媒のオーラが融合していく時の反応)、呼吸がリズミカルになり意識が薄らいでいく。その時の状況は柔らかい毛布で包まれたみたいな感じであるという(1巻14⑦~16③参照)。また意識が回復して目覚めた時は、部屋がどんなに温かくしてあっても下半身が妙に冷えており、時には入神中に感情が使用されたのが分かるという(1巻15④~⑤参照)。このようにオーラを介して霊媒現象が行われる。

 

イ、潜在意識との関係

A、潜在意識の持つ自動連携機能を操作して行う

身体機能をコントロールする潜在意識は(→この機能は潜在意識の浅い部分に存在する)、顕在意識の命令にしたがって機能することに慣れている。一般的な霊媒現象はその潜在意識の持つ自動連繋機能を操作して行われる。つまり命令の指示系統を通常の「顕在意識の指示 → 身体機能をコントロールする潜在意識」から、「知的存在の指示 → 身体機能をコントロールする潜在意識」に変える必要がある(→憑依現象もこれと同じパターン)。

なぜなら霊媒現象はすべて霊媒の潜在意識が使用されて行われているから(266⑬、メッセージ80⑦~⑫参照)。その為には支配霊は霊媒の潜在意識の連携パターンを熟知する必要がある(メッセージ81④~⑧参照)。

これはタイプライターに例えて説明がなされている。一般的な和文タイプライターでは文字配列表にカーソルを合わせてキーを押すと、該当する活字が用紙に押し付けられて印字される仕組みになっている。この例からも分かる通り、支配霊や通信霊は前もって霊媒の“身体機能と結びついた潜在意識”の機能を熟知しておく必要がある。

 

B、霊媒現象と睡眠との違い

なおこの場合の潜在意識とは、身体をコントロールしている潜在意識や記憶が貯蔵された潜在意識のことであって、比較的浅い部分に存在する潜在意識のことである。霊媒現象を起こすためには霊媒の潜在意識を使用する必要があるので、霊媒が睡眠状態に入ると“身体をコントロールする潜在意識”も活動を停止してしまうので現象が起こせない。ここに霊媒現象と睡眠との違いがある(メッセージ74②~⑪参照)。

 

C、オーラの融合がポイント

霊媒に乗り移った霊は意識に浮かんだ映像、思想、アイディアを音声に変えなくてはならない。その際に霊媒のオーラと霊のオーラがどこまで融合できるかがポイントになる(→オーラを通して操作するから)。なぜならオーラの融合具合によって、霊媒の潜在意識の中にある語彙(→霊媒自身が忘れている語彙もあるが、記憶の層にちゃんと残っている:878⑧~⑨参照)に付着している“色”を、どこまで排除できるかの問題があるから(188⑦~89②参照)。通信霊が高級霊であってもオーラの融合具合によっては、霊媒の潜在意識に影響された通信となってしまう(→霊訓の内容は別にして、ホワイト・イーグルの霊訓やオーエンの『ベールの彼方の生活』にはキリスト教の色が強く出ている)。

 

D、ホワイト・イーグルの場合

シルバーバーチは「同志の一人であるホワイト・イーグルには彼なりの考えがあってのことでしょう」(新啓示25④参照)と述べて、同志と呼んでいる。霊的レベルはシルバーバーチと同格の高級霊であると思われるが、その霊界通信にはキリスト教や神智学の影響が強く表れている(→でくのぼう出版、桑原啓善訳『光への道』『秘儀への道』は色が強い)。

霊界通信に霊媒の潜在意識に付着している“色”が表れたのは、ホワイト・イーグルと霊界の霊媒(?)と地上の霊媒のグレース・クックの三者のオーラの同調が、完璧の域までは達していなかったことが考えられる。このためグレース・クックの潜在意識にある、言葉や概念に付着している“色”が、オーラの同調が完璧ではなかったために払拭しきれず、霊界通信にキリスト教や神智学の影響が強く表れてしまったと言える。ここに霊界通信の難しさがある。支配霊又は通信霊が極めて高級な霊といえども、オーラの同調が完璧の域まで達していなければ、多かれ少なかれ霊媒の固着観念に色付けされた霊界通信となってしまうという好例である。

 

ウ、「優秀な霊能者」と「重度の憑依患者」はコインの裏表

霊媒現象の全ては霊媒の潜在意識を使用して行われるので(266⑬参照)、霊媒現象の良し悪しは支配霊と霊媒のオーラとの融合具合にかかっている。両者のオーラの融合具合が進むほど純粋な通信を受信できるようになる、これを「優秀な霊能者」という。支配霊や通信霊がいかに高級霊であっても、霊媒とのオーラの融合具合が悪ければ高度な通信は送れず、その通信内容は単に霊媒の潜在意識の表明でしかない。

 これに対して憑依現象は、親和性の法則によって自分の霊的波長に見合った憑依霊(→中間境の下層にいる地縛霊や幽界の下層にいる邪悪な意図を持った邪霊)を呼び込み、霊媒体質者のオーラと融合して潜在意識が支配されてしまう状態をいう。憑依霊は霊媒体質者の身体機能や思考機能をコントロールして、異常な行動や言動や病気を引き起こすことになる。憑依現象にも両者のオーラの融合具合に応じて、軽い憑依現象から重大な憑依現象まである。このように霊媒体質者が同意して潜在意識を使用させるのが霊媒現象であり、霊媒体質者の意思を無視して潜在意識を支配する場合が憑依現象である。

 

④.予知・予言について

霊界から送られてきた情報で「霊的なものは霊的に理解するのが鉄則」であり、「象徴的に述べられているものをそのまま真実として読み取ってはいけない」(2208⑪~⑫参照)。

高級霊にとっても「未来の出来事の予見は、ある一定のプロセスによって閃光の形でひらめく」こと、地上と霊界では時間の流れが異なること、複数の次元にわたる大変な調整が必要(→台風の進路予想に似ている)であり至難の業であることなどから、「先のことがすべて分かっているわけではない」(道しるべ77①~④、到来192①~⑨参照)という。

 

5.講座に寄せられた質問

①.質問その1

<質問>「偶発的な事故で亡くなった場合は、自らが設定した寿命と言えるのでしょうか」

<回答>

ア、「偶発事故」について

「偶発事故」に関してシルバーバーチは「一つとして偶然というものが無いのです。偶発事故というものが無いのです。すべてが不変絶対の法則によって統制されているのです。霊的な意識が芽生え、真の自我に目覚めた時、何もかも一目瞭然と分かるようになります」(1巻60⑤~⑧参照)と述べている。

この世で起きる全ての事象は、原因と結果の綴れ織りの中で存在している。そのため表面上は偶発事故や奇跡と見える現象の裏側には、当然に因果律の存在がある。どのような現象であろうと自然法則の枠内で起こるものなので、因果律から離れた偶然という現象はない。この世で起きる現象の中で因果関係が分からない現象をたまたま偶発事故と呼んでいるに過ぎない(→奇跡は全ての条件が揃った時に起きるもので、私たちにはそれが教育的配慮から見えないだけである)。したがって「偶発的な事故」は霊的背景が見えないこの世的な見方に過ぎない。

 

イ、「自ら設定した寿命」について

地上人生を送る際の寿命は“本来の私”が自ら設定したもの(8巻71⑩~⑪参照)。この寿命には“幅(糊代部分)”がある(482②~④参照)。例えば物的脳で感知する“現在の私という意識”が有する自由意志で「薬物依存、アルコール依存、暴飲暴食」など不健康な生活を送るとか、危険な職業に従事する場合などには、想定していた寿命の早い段階(→“寿命の糊代部分”の早い段階)で死を迎えることもある。このように大体において定められた時期に霊界に来るが、そこには例外もある(最後啓示133②~⑦参照)。それはナザレのイエスのケースである。

 

ウ、ナザレのイエスの場合

イエスは宗教改革者であると同時に、信仰と政治の双方の自由を説いた偉大な社会改革者でもあった(霊訓下25⑥、26①、26⑦参照)。その説く教えは「(宗教改革者・社会改革者ゆえに)余りに厳しく、一般民衆には付いて行けなかった。その生活上の戒律は余りに霊的に過ぎ、放縦と安逸の時代にはそぐわなかった」(霊訓下203⑨~⑭参照)。そして過激な「宗教改革者・社会改革者」であったが故に、当時の支配者であった権力者たちから睨まれて刑死した。偉大なる使命を持って地上に誕生したが故に、予定外に早期に地上人生を終えた。モーゼスの『霊訓』には「イエスの地上での生涯は失敗であり、後世の潜在的影響力で終わった」(霊訓下186⑦参照)との記載がある。

改革者という使命を持ったイエスの事例は例外として、シルバーバーチは「個人には自由意思があり、また、もろもろの事情によって寿命を伸び縮みさせることも不可能ではない」(482③~④参照)。「圧倒的多数の人間の地上生活の寿命は、あらかじめ分かっております。同時に、自由意志によってその死期を伸ばすことが出来るケースもたくさんあります」(新啓示20⑩~⑫参照)と述べている。

 

②.質問その2

<質問>「育児放棄や虐待、子供に貧困を押し付ける親は負のカルマを負うと理解してよろしいのでしょうか」「今回の講義を拝聴していると、親は子供に何をしても無罪のような印象を受けたためお尋ねします」

<回答> 

ア、「育児放棄や虐待」

 霊的に成長していく道は数多くあるが、子供を授かった親は子供の育児を通して霊的に成長して行く道を選択したはず(→本来の私という意識の立場で)。親としての責任は子供が自然な成長を遂げるようにしてあげること(11118⑫~⑬参照)。育児放棄や虐待はせっかくのチャンスを活かすことが出来ずに、質問者が言うように“負のカルマ”を作ってしまったと言えると思われる。

 

イ、「子供に貧困を押し付ける」

 霊的な問題とお金の問題は分けて考える。シルバーバーチは「お金は霊的成長とは何の関係もないこと、進化は各自の生活そのものによって決まって行く」(福音247⑧~⑨参照)、「経済的事情は物的身体を束縛することは有っても、魂までは束縛することはできない。束縛しているのは経済的事情ではなく、その人自身の精神です」(道しるべ182①~②参照)、「物的財産は霊的成長を難しくする」(新啓示197①参照)と述べている。

 物的なモノは地上生活を送るに際してそれなりの役割があるが、誰しも死によって全ての金銭や物的財産を地上に置き去りにして霊界に行かなければならない。霊訓を読んでみると、次の世界へ携えて行けるものは“愛・情愛・無私の行為”といった永遠の資質だけであるので、物的なモノに必要以上の価値を置いてはいけないということが読み取れる。

現実に親の失業や諸々の事情によって経済的に逼迫する中でも、親の愛を受けて立派に育つ子供もいる。重要なのは経済的なモノではなく、親が子に注ぐ愛であると考える。

 

ウ、「親は子供に何をしても無罪」

人は何の目的も無く地上に生まれる訳ではない。一般的に地上に誕生する者は二つの側面から成る「P(再生)地上人生のテーマ」、つまり「X負のカルマの解消(個別霊側から見た側面)」と「Y新たな地上体験を積む(霊的家族側から見た側面)」を設定して生まれ出るもの。そのテーマ達成に最も適した「Q試練」「S国・民族」「T家庭環境」「U性別」「V体質」「W両親(親から見て子供)」を選んで地上に誕生してくる。

他方の親もやはり「地上人生のテーマXY」を持って、霊的に成長するという目的を有して地上に誕生した。ここにXYというテーマに沿って双方の霊的成長に最も適した「親と子」という組み合わせが出来上がる。

ケースによっては組み合わせが「ハイリスク・ハイリターン(→危険性の可能性と裏腹に成功すれば大きな成長がもたらされる)」を伴う場合もあり得る。例えば霊能者は霊的真理の普及に大きな貢献ができる可能性を持っているが(→ハイリターン)、同時にモノや煩悩に対する誘惑も強くなる(→ハイリスク)。

親も子も「X負のカルマの解消」と「Y新たな地上体験を積む」ことを目的に関係を持った訳なので、親が子に対して霊的成長を損なう行為を行えば当然に「負のカルマ」を積み上げてしまうことになる。親が子に対して何をしても「無罪」となる訳ではない。

 

③.質問その3

<質問>「スピリチュアリズムの基本原則について」

<回答>

ア、根幹部分に「霊魂説」がある

まずスピリチュアリズムの土台部分に「霊魂説」がある。「霊魂説」とは「死後の世界の存在」を前提として「死後も人間の個性は存続する(→死んでも“私”は生きている)」こと、さらに「死者との交信を認めてあの世とこの世は交流している(→プラスに働けば霊からの有益な情報がインスピレーションとして届くが、マイナスに働けば憑依現象となる)」ことを肯定する立場のこと。

「霊魂説」は心霊現象を起こす主体は、あの世にいる「何らかの知的存在である」とする立場を統一的に説明する際に用いられる仮説である。スピリチュアリズムではこの「霊魂説」は「スピリチュアリズムの土台部分C」とされており、この土台の上部構造に高級霊から霊界通信によってもたらされた「スピリチュアリズム思想B」が存在する。

 

イ、上部構造にある「スピリチュアリズム思想」

高級霊から霊界通信によってもたらされた「スピリチュアリズム思想B」には、人の生き方の変革(→個人の意識変革運動としての側面)だけにとどまらず、社会の有り方(→社会の変革運動としての側面)さえも変えてしまう力がある。

また「スピリチュアリズム思想」には「人生をどのように生きるべきか」や、人生において遭遇する「困難や障害にどのように対処したらよいか」など、人の生き方を深く掘り下げて考えてみる際のヒントが散りばめられている。

 

ウ、「スピリチュアリズム思想」の基本原則(主なもの)

主な基本原則を項目的に列挙すれば以下の通りである。これら基本原則から「スピリチュアリズム思想B」で説かれている各種法則が派生している。ここでは基本的な“法則(=神の摂理)”のみを列挙する。

,スピリチュアリズムの「神観」、宇宙における原理・現象の一切を創造者としての「神」の存在を肯定する「創造説」に立って説明している

,「因果律」、この因果律とは一切のものには原因があって生じ、原因がなくては何ものも生じないという原理のこと、基本的な霊的法則の一つである

,「愛」、この愛は宇宙の原動力であり、世の中の全ての根源となっている。行為者の愛から発した利他的行為によって、宇宙に遍満する霊的エネルギーは万物に行きわたる。その際に通路となった行為者の霊的成長を促進させる。このように「愛」は「因果律」と同様に基本的な霊的法則の一つである

  

,万物は永遠の「霊的成長」の道を歩む、基本的な霊的法則の一つである。ここから「自由意志」「償いの法則」「再生・類魂」など、各種法則が派生している

 

④.質問その4

<質問>「神様とは摂理と本に書いてありますが、今一つ飲み込めないでいます。白髭の優しい男性のイメージを抱いていたせいかもしれませんが、摂理についても教えて頂ける機会があれば有難いと思います」

<回答>

ア、公平性の確保

シルバーバーチは「摂理の神」を強調して「神とは摂理のこと」(福音47⑫参照)と述べる。図式的に言えば「神→神の摂理⇔万物」となる。この神観では「人を含む一切の万物」は「神」と直接相対することはなく、両者の間には必ず「神の摂理(=法則)」が介在することになる。そのため万物を分け隔てなく平等に扱うことが出来る。なぜなら誰であろうとも「神の摂理」に則れば、「人を含む一切の万物」にとっての目標である「霊的成長」が平等にもたらされ、摂理に逆らえば「霊的成長」が損なわれることになるから。

いわば「神の摂理」という川の流れに沿って生きるのか、それとも逆らって生きるのか。そこには人間の自由意志が介在する(→人間以下の動植物には自由意志はない:5112⑤~113②参照)。

 

イ、人格神の否定

シルバーバーチは、神は人間的憤怒に動かされるような人間的存在ではない(372⑨~⑩参照)とか、「生身の一個の人物を絶対服従の対象としてはいけない」(386⑫参照)、神は個的存在ではない、人物的存在でもない(11108①参照)と述べて、現人神や人格神を否定している。さらに「大霊(神)による直接の関与などというものは絶対にありません。あなた方が想像なされるような意味での人間的存在ではないのです」(到来46⑩~⑪参照)と述べている。

 神と人間との関係は「神とは法則なのです。あなたが正しいことをすれば、自動的にあなたは自然法則と調和するのです」(779⑫~80②参照)と述べるように「神→摂理(法則)⇔人間」となる。シルバーバーチは「摂理の神」を前面に出すことによって、奇跡や依怙贔屓等による例外規定は一切存在せず、人間を含めた万物に公平に神の愛が行き渡ることになると説いている。このように人間側から見れば神は法則として現れるので(→法則の裏側に神がいる)、神は法則ですと述べたまで(→神は全法則に宿っている:5140⑪参照)。

 

ウ、一本の線で「愛」を説明すると

第2講でも解説したが再度取り上げて説明する。一本の線を引いて線上の左端には物質性を帯びた「利己的な愛(→束縛する愛、血縁や仲間重視の愛)」を置き、線上の右端には「利他的な愛(→与えるだけの愛)」の極致である“神の愛”を置く。

この線上を物質性の濃い左端に行けばいくほど、「愛の表現」に利己性や特殊性が帯びてきて、そこに何らかの物質的見返り、つまり「愛」に「お金、モノ、保護などの対価」が伴ってくる。一方右に行けば行くほど「愛」に内在するところの利己性が薄れてきて、「愛」に利他性が増して来て普遍性を帯びてくる。「愛」を受け取る対象者も特定の個人から、次第に万人に、すべての生き物に、自然に、宇宙へと拡大して行く。

このように対象者の拡大に伴って「愛」に内在する所の「規則性、公平性、普遍性」といった無機質さが前面に出てくる。このように考えると究極的な「愛」の表現は“法則”となって万物の前に表れる(→愛する者と愛される者との距離が大きいから。飼主と犬猫の関係と飼主と鈴虫の関係の比較、第2講参照)。

この“法則”として現われた「愛」が不完全な世界に行くに従って、“法則”の裏側に隠されていた温かみが表面に現われてきて(→愛する者と愛される者との距離が近くなるから)、次第に「愛」に個別事情と言った特殊性(→血縁、仲間、お金、モノ、保護の対価など)が帯びてくることになる(注1)。

線上の右端に位置する神は(→厳密には創造者であるため線上の欄外に置かれるが)、宇宙を統治する仕組みとして「神→法則(摂理)⇔万物」を創った。その仕組みの背後には、万物が平等に霊的成長を果たすための“究極の愛”が隠されている。なぜなら「愛とは摂理のこと、神そのものが愛」、すなわち「神=愛=摂理」だから(8126⑪~⑫参照)。

 

エ、「摂理」について

「摂理」については上記「③.質問その3」の「スピリチュアリズムの基本原則について」を参照のこと。

 

⑤.質問その5

<質問>「スピリチュアリズムの勉強を始めてから、死後の世界への憧れが強くなってしまい、ほとほと困っています。早くお迎えが来ないかなと。どうしたら良いでしょうか?」

<回答>

ア、この世は「学校」

 スピリチュアリズムを勉強して、あの世のことを知れば知るほど質問者のような状況に陥る人は多い。それだけこの世が矛盾に満ちた“暗い世界”と言うことになる。

スピリチュアリズムではこの世は「学校」と位置付けている。その「学校」でさまざまな「困難や障害(→定期試験や魂の磨き粉に例えられる)」に出会いながら「地上人生(再生人生)のテーマ」を達成すべく、日々努力しているのが私たちの日常生活ということになる。

私は学生時代、試験が近づくと試験科目とは関係の無い本が急に読みたくなり、一日中読みふけっていた。当然のごとく成績は超低空飛行であった。地上世界と言う「学校」で「早くお迎えが来ないかな」という心理は、「卒業」を待ち侘びる状態と同じだが、ゆとりを持って卒業するか超低空飛行で卒業するかの違いは、あの世に行ってから大きい。

 

イ、この世はモノの世界、集中力や意志力を鍛える世界

地上という「学校」を“不十分な学び”の状態のままで「卒業」してしまうとどうなるか。幽界の下層界にある「極楽・天国のようなエリア(幻想の世界)」を、スピリチュアリズムを学んだ多くの人たちが短期間で通過して行くのに対して、十分に学びきらないうちに「卒業」した人は「霊的自覚(→霊として何を為すべきかという自覚)」の芽生えが遅れ、「幻想の世界」の滞在時間が長くなる傾向がある。

地上世界は独裁者や権力者でさえも自分の思い通りには動かない世界である。この困難に満ちた世界で一つのものをやり遂げる「意志力」や「集中力」を十分に身に付けることができさえすれば、その努力はあの世に行ってから大いに役立つことになる。なぜならあの世は何事も意念によって作り出される世界だから。

シルバーバーチ的に言えばまだお迎えが来ないということは“やり残している課題”があるということ。お迎えが来るその日まで「意志力」や「集中力」を高める生活を心掛けて過ごせば、その努力はあの世に行ってから大いに役立つことになる。楽しみはもう少し先に置いておきましょう。

 

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<注1>愛を正三角形で表現すると

利己性や特殊性を帯びた「愛」が、次第に「愛の表現」に普遍性を帯びてくることは、正三角形を使った例えからも説明が出来る。一本の直線を引き、この線の中心に「私」を置く。この「私」から上に向かって垂直線()を引く。「私」の真上の垂直線上にAを、少し高い位置にBを、さらに高い位置にCを、さらに高い位置にDを置く(→霊格はABCDの順に高くなる)。Aは「私」のすぐ上にいるので、「私」はAの愛を一身に受けとめることが出来る。この関係は母親と第一子の関係に見られる。

次に垂直線上のBを起点に正三角形を描く。すると「私」を含めた一定の長さを持った底辺が出来る。Bから「私」が受け取る主観的な愛は一対一のAの愛よりも希薄化する。例えば母親と五人の子供の関係。母親の子どもに注ぐ愛は変わらないが、第一子が受け止める主観的な愛は五分の一となり希薄化する。

同じくCを起点に正三角形を描く。「私」を含めたさらに長い底辺が描ける。Cから受け取る主観的な愛は、愛を受け取る対象者の拡大によってBの愛よりもさらに希薄化する。Cの愛には普遍性が帯びてくる。

さらに高い位置にいるDを起点に正三角形を描く。「私」を含めたさらに長い底辺が描ける。愛を受け取る対象者は万物に拡大する。Dから「愛」を受ける「私」にとっては、これは一般にいう所の「愛」とは呼べない別物と感じる。このように「利己性や特殊性を帯びた一対一の愛(私とAの関係)」は、対象者の拡大によって次第に「普遍性を帯びた愛(私とBやCの関係)」に変わり、最終的には「法則としての愛(私とDの関係)」になっていく。

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

 

第3講:思想家を悩ませてきた問題

目 次

1.人は死んだらどうなるのか

・死とは何か

・さまざまな「死」

・死の直後の状態

2.何のためにこの世に苦難はあるのか

・本来の世界と地上世界

・地上人生の意義

3.何のためにこの世に生まれてくるのか

・地上生活の始期

・再生の概略

・再生条件の設定

・再生に関する個別テーマ

 

*本文中イラストは省略してます

 

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1.人は死んだらどうなるのか

◆はじめに

昔読んだ本の中に「長年にわたり思想家を悩ませてきた問題」という項目があった。今回はここで取り上げられていた問題点をスピリチュアリズムの観点から考えて見たい。

最初に「人は死んだらどうなるのか」がある。この世に生まれてくれば、何時かはこの世を去らなければならない。人は永遠にこの世で生き続けることはできないから。この問題をスピリチュアリズムの立場から簡潔に言えば「死んでも“私”は霊的世界で生きている」となる。初めに「死とは何か」から見ていくことにする。

 

①.死とは何か

ア、この世に於ける「死」

A、「三徴候」の確認

何を持って「死」とするのかは時代や文化によって異なるが、腐敗により死臭が漂うことで死は決定的なものとなる。死者が蘇生したという話、いわゆる「早すぎる埋葬」は昔から存在した。19世紀初頭に「死は心臓と肺が機能を停止した時に訪れる」という事実が明らかにされるまで、「死」は“細胞死(腐敗により死臭が漂う)”であった。

その後、医療の世界では「心拍停止」「自発呼吸停止」「瞳孔散大・対光反射喪失」の「三徴候」を確認してから「死」と診断する慣行となった。現在では立ち会った医師は患者の「三徴候」を確認した後に、家族に向かって死を宣告する。

 

B、新たな「死の概念」の登場

物質次元から「死」を見れば物的身体の“崩壊過程(脳死の段階→心臓死の段階→細胞死の段階)”として現れるため、どの時点で死と判定するかは難しい。昨今は「脳死」という新たな「死」が登場している。この脳死とは20世紀後半に導入された「臓器移植と対になった新たな“死”の概念」である(→平成22年度版『法的脳死判定マニュアル』参照)。

1967年に南アフリカのケープタウン大学で人間から人間に対して世界初の心臓移植が行われた。その翌年の1968年に、従来から問題となっていた“脳疾患の末期患者”を表す言葉として「脳死」が使われるようになった(→ハーバード大学医学部『脳死判定基準』参照)。この「脳死」という概念を導入することによって、始めて「ドナーの心臓は生きているが、ドナーは死んでいる(→“死体”から脈を打っている心臓を取り出すこと)」状態が出現した。新たな“死”の概念を導入することによって「ドナーは死者から」という高い壁をクリアすることが出来た。その結果「脳死者からの臓器摘出」が可能となり、執刀医は訴追されずに心臓移植手術を行うことが出来るようになった。

 

イ、スピリチュアリズムの「死」の定義

A、シルバーコードによって結ばれている

形がない“本来の私という意識(自我の本体)”が、自らの霊性を向上させる為には(→霊性の向上とは潜在している“神の分霊”を意識の領域に顕在化させていくこと)、各種「形体(肉体、幽体、霊体など)」をまとって物的体験や霊的体験を積む必要がある。

地上体験を積むためには肉体をまとう必要がある。その肉体とより精妙な霊的身体(→中間物質で出来た結合組織の接合体を含む)との間には、二本の太いシルバーコード(→頭部と臍の部分)と糸状の細いシルバーコードがクモの巣状に張り巡らされている。

 

B、二本の太いシルバーコードが切断

長い“死のプロセス”は無数にある細いシルバーコードが萎縮または切断される所から始まる。肉体の各部位と繋がった細いシルバーコードが萎縮または切断することによって、霊的エネルギーの流れに障害が生じて臓器は不活性化となる。生物学的には“死のプロセス”の最初は“肉体の老化”として現れる。そして最後に二本の太いシルバーコードの切断によって“死のプロセス”の前半は完了する(→後半は霊的世界に舞台を移し、中間境で他界者は「明確な死の自覚」を得て、霊的バイブレーションへの切り替えが完了した時点で一連の“死のプロセス”は終了する)。

このようにスピリチュアリズムでは、太いシルバーコードが双方ともに切れた瞬間をもって「死」と定義している(11206⑫~207⑦、永遠の大道115⑮~116③参照)。これに対して切断されずに、霊的身体が肉体から離れた状態で体験したことを蘇生後に語る現象を「臨死体験」(Near Death Experience)という。臨死体験者の中には「紐のようなものが自分の位置まで伸びているのが見えた(→シルバーコードのこと)」と述べている者もいる。

 

C、「死」とはバイブレーションの切り替え

スピリチュアリズムでは「死」とは、肉体を脱ぎ捨てて霊的身体に移行するための通過地点に過ぎないと説く。バイブレーションの観点から「死」を見れば、従来の鈍重な肉体を通して感知していた物的バイブレーションの世界から、霊的バイブレーションの世界へと切り替わる、そのことを「死」と呼んでいるに過ぎない(344④~⑤参照)。

 

②.さまざまな「死」

ア、不慮の死(急死、事故死、戦死)

A、無理に生木を裂く状態(予期せぬ死)

スピリチュアリズムの観点に立って「人は死んだらどうなるか」を考えて見た場合に、そこには“死のカタチ”ごとに生じる特有の問題が見えてくる。

「本来の死」は細いシルバーコードが一本一本穏やかに切れて、最後に太いシルバーコードが切断して死を迎え、直ちに“死後の深い眠り”に入って行く(→物的波長から霊的波長に切り替わるため)。これに対して「急死・事故死・戦死」などの「不慮の死」は、本来の想定していた死のプロセスを踏まないケースであり、他界者の意識に死の準備が整っていない段階で無理に生木を裂くように肉体から離される死である。これら「不慮の死」の場合には急激にシルバーコードが切断することによって突然に死を迎えるので、他界者にショック状態を引き起こす。その状態を緩和する為に「霊的エネルギーの注入や長期の休養」などの処置が霊的世界で行われている(6106⑤~107③、メッセージ61⑬~62①参照)。

 

B、霊的知識の有無と休養期間

「不慮の死」を遂げた他界者に霊的知識がある場合には、相応の霊的調整期間を経て「死の自覚」が持てるようになる。霊的知識がない場合には霊的調整のための長い休養期間が必要となるが、その期間は正常死のケースよりも長くかかるのが通例である(8巻103⑦~⑬参照)。その場合には「地縛霊」となって地上圏をうろつかないためにも、速やかに“休眠”を取る必要がある(霊訓下125⑫~⑮参照)。なぜなら霊肉分離が本来の過程を経ずに、急激に引き剥がされることによるショックを“休眠”の中で調整していく必要があるから。「不慮の死」を遂げた他界者は一種の興奮状態にあり、なかなか眠ることが出来ずに地上のゆかりの場所をさ迷い歩くから。

 

イ、意識的に命を絶つ行為(自殺、死刑)

A、「学校」を中退する行為

自ら命を絶つ自殺(9206⑤~⑥参照)、他人の命を絶つ殺人(5215①参照)、犯罪者に対し法の執行によって命を絶つ死刑(4210⑦~⑩参照)など、人間が人間の生命を奪う行為は霊的摂理に反している。

命を自ら意識的に絶つ自殺者の場合は、地上生活を通して霊的成長するせっかくの機会を自らの手で投げ出してしまうことになる。これに対して殺人の被害者や死刑囚の場合には自らの意に反して命が絶たれてしまい、その結果またとない物的体験を積む機会が奪われてしまうことになる。特に死刑囚の場合は刑務所の中で自分自身を見つめ直して、自らの性格の弱点を矯正するせっかくのチャンスが奪われてしまうから。例えれば自殺は自らの意志で本来の就学期間を全うせずに「学校を中退する行為」であり、他殺の被害者や死刑の場合は他人の命を無理やり奪って「学校を中退させてしまう行為」である。

 

B、自殺の場合

◆シルバーバーチの見解

シルバーバーチは「(自殺行為に関して)寿命を全うせずに無理やり霊界へ行けば、長い調整期間の中でその代償を支払わなければならなくなる」「(利己的な波動によって)周囲にミゾをこしらえてしまうから」(語る407③~⑥参照)、霊的進歩の妨げになるからと述べている。しかし一口に自殺者といっても地上人生をどのように送ってきたか、霊的な発達程度はどうか、自殺の動機は何かなど、自殺に至る事情や心情など、考慮すべき条件がケースごとに異なっている。そのため自殺者の死後の状況もそれぞれであり一律ではない。

 

◆利己的要素が強い自殺

自殺の動機に「利己的要素」がより多く付随している者ほど、自殺者の意識は内側に強く向いて閉じられている。いわば本人が作った思念という厚い壁が周りを取り囲んでいる状態であり、その壁を外側から砕くことは非常に困難である(個人的存在88⑥~⑫参照)。

筆者の知人に自殺者がいる。たまたま自殺の数時間前に電話で話をした。その際に知人の自殺を決意した感情的な思念が私には“鉄の板”のように感じられた。この体験から自殺霊の周りには陰湿で感情的な思念が“鉄の板”のように取り巻いている、それを外から破るのは難しいとの印象を持った。ここから利己的要素の強い自殺には霊界側から救済の手がなかなか届きにくい理由がある。

このようなケースでは自己の“利己性の罪”の償いのため、自ら作り出した「暗黒の世界」に、いわば意識が内側に向いて閉じられているがゆえの暗黒の世界に、長期間閉じ込められることになる。「死んだつもりなのに相変わらず自分がいる」「その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断する」(9209⑩~⑬参照)現象を作り出す。結局、時間をかけてでも本人の意識の変化を待って、内側からその壁を壊していくほかない(→同様に引き籠りも自らの意志で“部屋から出る”という気持ちにならない限り解決は難しい)。

 

◆利他的要素が強い自殺

これに対して自己犠牲的な動機が強い自殺の場合は(9210③参照)、自らの命を絶つ行為に利己性は薄いので(三浦綾子著『塩狩峠』の主人公)、その人の意識は外側に向いて開いている(個人的存在89⑥~⑧参照)。そのため一旦は暗い世界に落ちるとしても、霊界の救済霊との接触は極めてスムーズに運ぶことになる。

 

◆憑依霊による自殺

これ以外に憑依霊に憑依されて自殺する場合がある(矢作直樹著『人は死なない』自殺未遂のBさんの事例)。この場合も自殺者はしばらくのあいだ暗闇で過ごすことになるとしても、自殺の責任は主に憑依霊側にあるので、救済霊との接触がはかられて壁を打ち破ることができる。なお憑依霊を呼び寄せた何らかの“受け皿”が自殺者側にあったとしても(個人的存在252⑨参照)、その“受け皿”となった歪んだ性格の矯正は自ら幽界の下層界で行うことになる(→浄化の為の界が下層界にある)。一方憑依霊は、本人に憑依して自殺をさせてしまったという行為の責任を負うので、その償いをしなければならない。

 

C、死刑の場合

死刑制度は死後の世界に関して何の準備もできていない死刑囚から肉体を無理やり分離させてしまい、霊界側の問題児である「地縛霊や邪霊」を増やしてしまう結果となっている。死刑を執行された霊の波長は地上人の物的波長に極めて近く、何らかの“受け皿”を持つ地上人との接触が容易く行われる。その為「怒りと復讐心に燃えた霊」による憑依現象は親和性の法則から多発することになる(霊訓下154⑮~155⑩参照)。地上人の歪んだ性癖や習性がエサ蒔きとなって、そこに親和性を持った邪霊が引き付けられてしまうから。シルバーバーチは「死刑に処するということは正義からではなく報復心に駆られているという意味において間違いである」(新啓示28⑦~⑧参照)、正義と復讐を区別するようにと述べている。

このように死刑制度は単に犯罪者から肉体を奪うだけであって、地縛霊による憑依という形で地上にトラブルのタネを蒔いているにすぎない。高級霊からの霊界通信では例外なく死刑制度を批判している(6150⑧~151③参照)。

処罰制度には懲罰的要素も必要であるが、同時に矯正的・厚生的な要素も必要である(霊訓上47⑪参照)。暴徒や死刑囚など蛮行を行う者は「一種の病人」(4巻207⑤参照)であるとの観点から対処する必要がある。霊界通信には「罪人は矯正するか隔離するかのいずれかにすべきであって、身体を奪ってはなりません」(続霊訓101④~⑥参照)とある。

 

、安楽死、延命処置、尊厳死

A、安楽死(講座に寄せられた質問)

安楽死は医師が直接薬剤を投与することにより患者の自然な死期を早めて死亡させる「積極的安楽死」と、苦痛を長引かせないように医療行為を控えたり延命治療を中止したりして死期を早める「消極的安楽死(尊厳死のこと)」とがある(ブリタニカ国際大百科事典)。日本の「安楽死裁判」で問題になったのは「積極的安楽死」であり、関与した医師は「嘱託殺人(→患者の嘱託を受けて死期を早める処置を行う)」や「承諾殺人(→患者の承諾を得て処置を行う)」の罪に問われている。法律上問題となる「積極的安楽死」は「自殺ほう助(自殺関与罪)」や「殺人(殺人罪)」との区別が難しい。

シルバーバーチは「回復の見込みがない患者(→植物状態の患者や不治の患者、筋萎縮性側索硬化症・ALS患者など)」を人為的に死なせる安楽死は、当然のこととして認めていない。なぜなら死後に備えの出来ていない霊に一種のショックを与えてしまい、そのショックが何かと良からぬ影響をもたらしてしまうことになるから(448⑦~⑨参照)。さらに植物状態になっていても、本人自身が何らかの学びをしている場合があること(最後啓示155⑪~⑬参照)。または周りの家族に対して何らかの学びをさせていることも考えられるから。つまり病人という存在それ自体が“消極的な利他的行為(→菩薩行のこと)”となっている。

 

B、延命処置を施すこと

シルバーバーチは患者に延命処置を施すことに関しては問題ないという。なぜなら霊は肉体を去るべき時が来れば、どのような医学的処置を取ろうが肉体から離れていくので、延命処置の効果は「ある程度までのこと」(449⑧~⑩参照)であり、いわば「寿命の範囲内のこと(=寿命の糊代部分)」だからと述べる。

 

C、尊厳死

尊厳死(消極的安楽死)は「必要以上の延命治療を受けず、人間らしい最後を全うしよう」という考え方に立って、回復の見込みのない時点での人工呼吸装置など機械的な延命工作を、あくまでも本人の意志に基づいて辞退、結果的に死を選ぶことを言う(日本大百科全書)、近代医学が死に臨む人の人間性を無視しがちであることの反省から生まれた概念(広辞苑)。

尊厳死は“医師の行為の妥当性の問題”と“患者本人の動機の問題”とに分けて考えて見る必要がある。医師が患者の苦痛を和らげ除去する以外の延命のための治療を行わない行為、栄養補給のカンフル剤は用いるが静かに死を待つだけの医療行為に関しては、霊は肉体を去るべき時が来れば必ず去るもの(4巻48②~③参照)なので問題はない。

これに対して患者本人は何のために「延命のための医療は望まない(=リビング・ウィル)」で尊厳死を望むのかという問題がある。その理由に経済的な問題や厭世観、また多数の生命維持装置等によって無理やり命を永らえさせられる状態(スパゲッティ症候群)に対する忌避もあろう。シルバーバーチは常々「動機は何か」を問題にする。この点から尊厳死を考えて見れば「リビング・ウィルを望む本人の動機は何か」という問題に帰着する。

 

③.死の直後の状態

ア、死後の深い眠り

A、眠りの中でバイブレーションの調整を行う

ここではスピリチュアリズムの観点に立って他界者の“死の直後の状況”を見ることにする。死の直後は深い眠りに入るのが一般的である(ブルーアイランド73⑩~⑮訳者注参照)。この深い眠りの中で自我(本来の私という意識)の表現器官を肉体から霊的身体に移行させるための調整が行われる。

例えばパソコンでソフトをインストールする際に、起動している“基本ソフト(operation system)”があればソフトの改変を行うことはできない。そのため再起動(深い眠り)してソフトの書き換えを完了させる場合がある、この現象と似ている。

 

B、眠ることが必要

「不慮の死」によって眠ることが出来ない死者は、死のプロセスを進めるために必要な調整、バイブレーションの転換がなかなか完了せずに調整期間が長引いてしまうことになる。この場合でも死者の“表面意識(→霊界人が普段用いている顕在意識のこと:永遠の大道148③参照)”に「死の自覚」が芽生えてくると、急激な眠気を催すようになる。なぜなら霊的なバイブレーションに切り替える為には眠ることが必要だからである。

定評ある霊界通信には非業の死を遂げた者は激しいショックの為に休息が出来ず、事故現場をいつまでもうろつき回る。地縛霊となって周辺をうろつかない為にも休眠をした方が良いとの記載がある(霊訓下125⑫~⑮、126③~⑦参照)。

 

イ、眠りからの目覚め

A、付き添う霊

死ぬ時は例外なく愛で繋がった霊が付き添って面倒を見てくれている(1248⑤~⑥参照)。多くの人にとって死の移行過程は、無意識状態となっている為に苦痛は伴わない(4140④~⑤参照)。

 

B、目覚めまでの時間

死の眠りから目覚めまでに要する意識の回復時間は、寿命を全うした「通常死」か、あるいは事故死や戦死等の「不慮の死」か、さらに死者に霊的知識があるかなどによって異なる。死後の目覚めは“霊的な理解力”が芽生えた時なので、霊的知識があれば目覚めは早い(4138⑥~⑧参照)。目覚めるまでの意識の回復時間は、他界者の霊的進化の程度や諸事情によって異なるので一概には言えない(4140①参照)。

 

ウ、意識が混乱した状態

A、地上と酷似した世界

他界者が“通常死(→寿命を全うした病死含む)”の場合は「死後の眠り」からの目覚めは、ぐっすりと眠ったあとの目覚めに似ている。あの世で目覚めて周りを見回すと環境が地上世界と酷似していることや、生前の肉体と同じ姿形をしていること、さらには生前と同一の意識状態を変わらずに保っていること。このように自然な形で霊的世界に移行するため、自分が死んだことになかなか気が付かない。その為にどのような者でも自動的にガイドが付いて、移行過程の“死のプロセス”を乗り切ることになる(500現地報告84⑦~⑫参照)。

 

B、意識が混乱する

このように“死の自覚(自分は死んだという自覚)”が生まれにくい中で、意識が混乱した状態に陥る他界者も多いという。あの世で他界者は目覚めると、深い霧に覆われたような静かな場所に一人佇んでいる。霊界通信には「地上を去ってこちらへ来る者は例外なく厚い霧状のとばりに包まれている」(彼方2巻36⑯参照)とある。他界者の多くは死の前後の環境変化に次第に精神的に不安定となって意識が混乱した状態となる。「自分は死んだのかな?」「死んだのかもしれない」「自分の体があるので死んでいるはずはない」など、意識が激しく揺れ動く。混乱状態がひどい他界者は霊的波長を調整するため「再び眠る」ことになる。

 

エ、ガイドとの出会い

A、誰がガイド役になるのか

他界者の意識が混乱した状態にある中で死んだことを「明確」に悟らせるために、主に血縁者や知人などが“死のプロセス”を導くガイド(指導霊)役となって死者の前に現れる(3巻15①~②参照)。ガイドの出現の仕方は、本来の霊的波長から他界者の波長まで下げて姿を現すので(1061⑨~⑩参照)、霊的世界における一種の“物質化現象”と言える。

 

B、ガイドの主な仕事

他界者が最初に出会う霊界人はガイドである。霊界通信には「あなたが直接、私の所に来ることが必要だったから」(500に及ぶ166⑧参照)との記載がある。他界者がガイドの言うことに素直に聞くことが出来るかどうかが最初の関門となる。拒否した場合にはガイドは他界者の周囲で見守っている。

ガイドの仕事は他界者に「死の自覚(→自分は死んだのだという自覚)」を持たせて、中間境での霊的調整を手助けすることにある。ガイドは意識が混乱した状態にある他界者に対して、死んで霊の世界に移行してきたという事実を、さまざまな方法によって悟らせようとする(316⑨~⑩参照)。霊界通信によればガイドは他界者自身の遺体を空中から見せたり、近親者が他界者の遺体に取りすがっているのを脇で眺めさせたり、他界者自身の葬式を近くで見学させるなど、あらゆる方法を使って「自分は死んだ」ということを理解させようと努めるという。ここにおけるポイントは「明確な死の自覚」を他界者が持てるか否かにある。「死の自覚」を持って霊的調整が完了した他界者は“新調の幽体”を完成させて、地上世界で培った相応の世界(幽界の下層界)に飛び出して行く(永遠の大道50⑪~⑫参照)。

以上の事柄から死とは“私(という意識)”の表現形体が肉体から霊的身体に変わる現象のことであり、設問の「人は死んだらどうなるのか」に対する回答は「死んでも“私”は霊的世界で生きている」となる。

 

2.何のためにこの世に苦難はあるのか

◆はじめに

次に「長年にわたり思想家を悩ませてきた問題」の中に「何のためにこの世に苦難はあるのか」があった。この問題をスピリチュアリズムの観点から簡潔に言えば、人生上の苦難は“魂の磨き粉”という位置づけになる。以下に於いて詳細に見ていくことにする。

 

①.本来の世界と地上世界

ア、本来の住処

私たちの本来の住処は霊的家族が待つ霊界(狭義)である。この霊界(狭義)は「同一霊格で、親和性を有する霊」が集団で生活する均一な世界である。そのような環境(→同一霊格で親和性がある霊の集団)の中で生活しているために、出会う人も自分と同じ霊格やタイプの者となり、遭遇する体験も似通った体験となる。シルバーバーチは「こちらでは同一レベルにまで進化した者どうしの生活が営まれており、霊格による区別がはっきりしているからです。ですから地上のように比較対象というものがありません」(1巻174②~④参照)と述べている。

 

イ、地上世界

A、肉体を通して自我を表現する世界

人間は霊であり、霊性を向上させる為に地球という物的世界に降りて来た。この地球で一定期間を過ごすためには、“本来の私という意識(自我の本体)”は肉体を通して自我を表現しなければならない。それ故に肉体は個別霊が地上世界でまとう衣装(→制服、コート)に例えられる。この個別霊と肉体との関係をシルバーバーチは「身体はあなたが住む家である」「家であってあなた自身ではない」(1巻27⑩参照)と表現している(→車と運転手の関係)。

 

B、多様な霊格の霊が交わる世界

地上世界は霊格がバラバラで親和性がない個別霊、本来の住処である霊界(狭義)では絶対に交わることがない個別霊が共通構造の肉体をまとうことによって、地上という同一平面で交わって生活している混在社会である。

 

C、地上世界は相対性・両極性の世界

地上世界は霊的に見て混在した世界、比較対象の有る世界なので本来の住処である霊界(狭義)では出会うことがない人や体験(→直接体験、間接体験)に遭遇できる。地上では困った隣人がいれば手を差し伸べる愛にあふれた人(→被災地に率先してボランティアに出向く者)がいる一方で、我が子をマンションの一室に閉じ込めたまま食事も与えずに恋人に会いに行く者や、自分の快楽しか眼中にない利己主義者がいる。いわばこの世は本来の住処では絶対に出会うことがない“肉体をまとった霊”と、日常的に(→直接に又は報道を通して間接に)出会うことができる両極性に満ちた世界となっている。

 

ウ、この世は学校

私たちは霊界(狭義)では体験できないことを、地上で直接にあるいは間接に体験することができる。快楽主義者や利己主義者の末路を見聞きして自らの教訓としている。このように地上は霊性向上の為に学ぶ機会に数多く出合える場となっている。地上は両極性の社会故に数多くの学びができるので、この世は「学校」(474⑫参照)であると言われている。

私たちはこの地上世界で苦と楽、悲しみと喜び、愛と憎しみ、勇気と臆病、平静さと怒り、嵐と晴天、明るい側面と暗い側面、困難、闘争など、さまざまな両極性を体験(→直接体験又は間接体験)することによって学んで、各自霊性の向上を図っていく仕組みとなっている。シルバーバーチも「地球は学習のために通う“学校”です。その(学校での)学習は、比較対象の体験による以外には有り得ない」(到来25⑩~⑬参照)、「人生とは学校です。刻苦と闘争、努力と困難、逆境と嵐の中をくぐってこそ魂は真の自我に目覚める」(4214⑩~⑪参照)と述べる。このようにスピリチュアリズムでは地上世界を「学校」と呼んでいる。肉体は“私という意識”がまとう「学校の制服」である。

 

②.地上人生の意義

ア、苦難は魂の磨き粉

A、魂の磨き粉

霊的視野から見れば、地上人生はホンの一瞬のことに過ぎない。シルバーバーチは「永遠の観点から地上人生を見る」「視点を変えてみる」ということを私たちに説いている。この観点から苦難を見ると別の側面が見えてくる。

この世的な幸せを得ることが人生の目標、物的要求を満たすことだけが目標といった人生からでは「魂を向上させる(→霊性の向上とは“本来の私という意識”に潜在している“神の分霊”をより多く顕在化させていくこと)」ことはできない。

この世に生まれてきた人間は、何らかの荷を背負い困難と取り組みながら、そこから何かを学び取って霊性を向上させる、それが地上人生の本来の姿である(152⑨参照)。なぜなら人間は、困難、苦労、悲しみ、痛みなどを体験して、それらが魂の琴線に触れることによって、初めて自我に目覚めて霊的真理を受け入れる素地が出来上がるから(164②、3130⑨参照)。いわばそれらの体験は、受容性に富む魂を作り出すための“魂の磨き粉”の役割を担っていると言える(769⑧~⑩、3213⑨参照)。魂の目覚め(霊的自覚)は簡単には得られない。シルバーバーチは「成長は困難に堂々と対処し、挑戦を正面から受け止め、そして克服していく中で得られる」(1273⑥参照)と述べる。

 

B、自動的に磨かれることはない

ただし「困難・障害・病気など」に出会いさえすれば自動的に人間性が磨かれる、というわけではない。その「困難・障害・病気など」が人生を別の視点から見つめさせるきっかけとなって、結果的に人間性を磨くことに繋がるということである(8138⑥、8140⑧~⑩参照)。受け身的ではなく果敢に困難に挑み、そこから何かをつかみ取って行く態度が必要となる。

例えば70歳の老人が自らの来し方を振り返って、あの時の苦労がなければ自分の一生はチャランポランな人生だった、あの時の苦労が自分を磨いた、という独白と同じ。苦しみの渦中にいる当の本人は悪戦苦闘して闘っており、周りを見回す精神的余裕はないだろうが、それを乗り切った暁には大きく成長して霊性も一段と磨かれることになるということ。このことは「困難・障害・病気など」を乗り切った多くの人が体験談として述べている。

 

イ、霊性レベルと磨き粉の関係

A、研磨剤の粒子

シルバーバーチは「地球は宇宙の惑星の中でも最も進化の程度の低い部類に属する」(11177⑭~⑮参照)と述べる。環境と霊性レベルは一致するので、地上人類の霊性レベルの低さ故に“磨き粉の粒子”はそれなりに粗い。その“目の粗い磨き粉”を使って体を洗っているようなものである(→目の粗い磨き粉とは、重い病気にかかったり重大事故や災害に巻き込まれたりと言った厳しい体験のこと)。例えれば軽石に石鹸を付けて体をゴシゴシと洗うようなもので、汚れは落ちるが当然に肌は痛い。そこまでしないと余りにも低いレベルにある地球人の霊性は目覚めないから。

 

B、「学校の試験」のようなもの

人間は霊であり、霊として何をなさねばならないか、ということを物的体験によって表面的な自覚ではなく心の底から自覚する(→明確な霊的自覚を持つこと)、その為の仕組みが各自の人生の随所に組み込まれている。いわば「困難・障害・病気・災害」は「学校の試験」のようなものであり、霊的視点がどこまで身に付いたかを人生の節目で試される。

 

ウ、霊性の開発

A、故事「人間万事塞翁が馬」

大部分の人は「困難や障害はできるだけ避けるべき」との心情を持って生活している。シルバーバーチはこのような多くの人の願いとは真逆のことを説いて、困難や障害に出会ったらそこから逃げるのではなく、これらに積極的に立ち向かって自らの手で克服していく、その為の心構えを説いている(31⑫~2①参照)。

例えば「コロナ禍」で事業が立ちいかなくなったら、債権者に頭を下げて回り、罵声に耐えながら再起を図る、または事業をたたむということ。仮にも責任を部下に押し付けたり、海外に逃亡したり、自殺したりと見苦しく逃げ回らないということ。

シルバーバーチはこの世的な視点で幸不幸を見るのではなく、霊的視点から見ることを説いた。このような霊的視点から見れば、不幸な人生が霊的に見れば幸多い人生であったということもあり得る。地上的な意味での幸福になることが地上人生の目的ではないから。

 

B、刻苦と苦難、修養と節制の生活

シルバーバーチは人々から忌避されてきた困難や障害に魂の磨き粉という役割を持たせて、新しい意味付けを行った。そして霊性の向上には「修養と節制の生活」と「刻苦と苦難」、この双方が必要になると述べた(997④~⑤参照)。霊性の向上とは“本来の私という意識”の領域に潜在している“神の分霊”をより多く顕在化させていく霊的成長のこと。現在の胚芽的存在から、最終的には“本来の私という意識”一杯に神の分霊を顕在化して行くこと、そのため人は「神のミニチュア」と言われている(1巻80⑧~⑫、11109④~⑤参照)。

霊性の向上は「刻苦と苦難と修養と節制の生活」を通してしか成しえない。このように“本来の私という意識”に内在している“神の分霊”を顕在化させて、分霊に宿された資質(→あらゆる種類の美徳・善行・能力のこと、親切、同情、慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善、愛などの神の属性のこと:1巻154⑭~155③、6176⑤参照)が、形体を通して外部に滲み出て行く霊性の向上は、悪戦苦闘しながら困難や障害等と闘って勝ち取って行くもの。最も達成が困難なものであるために永遠の時が用意されている。ここから設問の「何のためにこの世に苦難はあるのか」のスピリチュアリズムの立場に立った回答が出てくる。

 

3.何のためにこの世に生まれてくるのか

◆はじめに

思想家を悩ましてきた三番目の問題に「何のためにこの世に生れてくるのか」があった。同じ人間なのに障害を持って生まれてくる人や、人生の途上で遺伝性の病気や難病を発症する人がいる。また経済的に恵まれた環境で育つ者がいる一方で、極貧の中で育つ者もいる。さらに両親の愛を一身に受けて育つ者がいるかと思えば、育児放棄をする両親の下で生まれ育つ者もいる。この格差をどのように考えたら良いだろうか。スピリチュアリズムの観点から見ていくことにする。

 

①.地上生活の始期

ア、古い霊と新しい霊

人間は「何のためにこの世に生まれてくるのか」を解説する前提として「誕生の問題」を明確にしておきたい。シルバーバーチは「人間界への誕生には二種類ある」として、「古い霊が再び地上へ戻ってくる場合と、“新しい霊”が物質界で個体としての最初の段階を迎える場合です」(593②~③参照)と述べる。ここでいう“古い霊”とは進化の完成の為に物的体験を積むため再生して来る「再生霊」のこと(593⑥~⑩参照)。また初めて人間の身体に宿る“新しい霊”とは「動物の類魂の中でも最も進化した類魂」(5101⑧~⑨参照)のことである(→同趣旨、個人的存在81②~⑤、247⑯~248②参照)。

 

イ、人間の始期

A、地上人生のスタート時期

子孫を残すために有性生殖を行う高等動物には雄雌の別がある。人間にも性別があり生殖細胞としての卵と精子がある。この二つが合一することを「受精」と呼んでいる。その受精の瞬間から遺伝子に書き込まれているプログラムが始動する。一般に地上人生のスタート時期は「受胎の瞬間から人間」になると言われているが(893⑧参照)、この「受胎」という言葉をどのように理解するかは人によって見解が異なる。

 

B、二つの立場(受精時説と妊娠時説)

イラストは人間の始期を「受精時」とするか、「子宮着床時」とするかを表したもの。まず一つ目の立場は「受胎」という言葉を「妊娠」の意味として理解して、受精卵が子宮に着床する「妊娠成立期(受精から約2週間後)」とする説であり、広く受け入れられている考え方である。この立場では“子宮着床前の胚”は人間ではなくモノ(=細胞の塊)となる。

二つ目の立場は父方の精子と母方の卵が合体(=DNAが融合)して、結合体である「受精卵が出来上がる時」とする「受精時」説である(453⑨~⑪、メッセージ203⑩~⑭参照)。この立場では“活性化した物質”(霊の書34④、48⑥~⑨、49④、49⑥~⑪参照)の卵と精子が合体して受精卵となって、同時にそこに霊的要素が流入して初めて個別意識を持った個別霊となる(5145⑩~⑬参照)。この時点から自我意識(=個的意識)が始まり、それ以降は永遠に個性を具えた存在となる(893⑧参照)。その為に受精直後の“初期の胚(→受精時から14日目までの初期の胚)”はモノではなく人間となる。

 

C、初期の胚は“モノ”の根拠(研究者の立場)

◆研究用の受精卵

受精卵の問題は“研究者側の立場”に立って考えるか、それとも“生命倫理側の立場”に立って考えるかで結論は異なってくる。

母胎から月に一個の割合で卵が作られる。不妊治療では排卵誘発剤を用いて複数個の卵を作り、それを卵巣から取り出して試験管の中でまとめて体外受精させる。受精した一個を母体に戻して余った受精卵は凍結保存される。最終的に体外受精で子宮に戻されなかった余剰受精卵や異常があった受精卵は廃棄されるか、または“ヒトES細胞”などの胚の研究に利用されている。なぜならこれらの受精卵は着床前でまだ胎児にもなっていないモノ(細胞の塊)だから。子宮に着床する前の初期の胚は受胎前だからモノとされている。

 

◆有力な根拠

その有力な根拠としてオーストラリアの哲学者ノーマン・フォード(サレジオ修道会の神父)が1988年に唱えた説がある。彼によれば「14日目までの胚は一卵性双生児になる可能性があるから、まだ人の個体ではなく“細胞の塊”にすぎない」と。さらにイギリスの哲学者メアリ・ワーノックを委員長とする諮問委員会が1984年にまとめた「人の受精と発生に関する委員会の報告書」がある。この報告書によれば「受精後14日までの胚は原始線条がまだ発現していないことから、自己同一性を持った個体とはみなされない」とある。ワーノック報告の背景には、英国国教会では体外受精に対して条件付容認を取っていることがあげられている。

これらの説を受けて多くの国では「人間の始期」を、原始線条の出現期以降(受精後約2週間)とする考え方が胚研究の国際基準となっている。いわゆる「14日ルール」のことで「受精後14日または原始線条の形成以降、ヒト胚を発生させることを禁じるルール」を指す。なお「原始線条」とは、胚の発生初期、臓器分化を開始する直前に形成される線条のことを指す。(参考、秋葉悦子著『人の始まりをめぐる真理の考察』毎日アースデイ2010年)

 

◆日本では

20047月の総合科学技術会議「生命倫理専門調査会の最終報告書」では「14日目までの初期胚は人そのものではないが、人の生命の萌芽として尊重されるべき存在である」としている。日本ではこの最終報告書に基づき、初期胚は「人」ではなく「モノ(細胞の塊)」であるので、胚を研究用に用いても何ら問題はないとの解釈に立っている。医学雑誌を読むと「14日目」という根拠は「人の胚は体外では発生後14日目までしか生きられない」であり、当然に実験も14日目までに限られることになるからと言う。

 

◆カトリック教会の立場

カトリック教会では「人の生命は受精時に始まる」という立場を採っている(教理聖省『堕胎に関する教理聖省の宣言』カトリック中央協議会1974年参照)。ここから人工授精・体外受精・胚の研究は認めていない(教皇庁生命アカデミー著『着床前の段階のヒト胚』カトリック中央協議会2008年参照)。

 

D、シルバーバーチの立場

シルバーバーチは「受胎作用は精子と卵子とが結合して」「自我を表現するための媒体を提供する」ことであり、この媒体に「小さな霊の分子が自然の法則に従って融合」する、その瞬間が「意識を持つ個体としての生活が始まる」時期と述べる(3173⑦~⑫、語る414①~③参照)。ここからスピリチュアリズムでは「受胎の瞬間」とは、世間で広く理解されている「妊娠成立期(受精卵が子宮に着床した時)」ではなく、父方と母方のDNAが融合して物的な結合体の「受精卵(接合子)が出来上がった時」となる。

 

ウ、産児制限

産児制限は結局のところ「動機は何か」の問題に帰着する(450⑧~51①、語る412①~④参照)。シルバーバーチは出産を制限する際の動機が正しければ問題ないが(8130③~④参照)、肉体的快楽だけを求めて妊娠を避ける者は、その動機が利己的であり程度が低いので感心しないと述べる(452③~⑤参照)。両親の霊的進化にとって生命の誕生が不可欠の場合は必ず生まれてくる(語る412⑧参照)。また生まれてくる宿命を持った霊は、避妊をしない夫婦を選ぶ(451③、最後啓示135⑤参照)と言う。

 

◆講座に寄せられた質問

<質問>「反出生主義について講師はどのように考えるか、見解を伺いたい」

<ウィキペディア>ウィキペディアの記載によれば「反出生主義」とは「生まない自由・権利はあるが(→産児制限は動機がポイントになる)、生む自由・権利はないという思想(→この思想には地上は霊性向上の為の「学校」との観点がない、霊は避妊しない夫婦を選ぶ)、そして出産行為は生まれてくる子供への暴力・親のエゴであるという思想」のこと。この「反出生主義」には「人間が生まれてきたことを否定する誕生否定思想」と「人間を新たに生み出すことを否定する出産否定思想」とがあるとされる。

<回答>質問者が述べる「反出生主義」は余りにもこの世的な見方に立った思想であり、シルバーバーチの立場とは相いれない。この「反出生主義」は「人間とは何か、霊である」「この世の位置づけ、地上世界は「学校」である」「何のために困難があるのか、魂の磨き粉」という観点から見ても問題がある。スピリチュアリズムでは、人間は霊であり本来の住処は霊界である、霊は霊性向上の為に地上世界に誕生し、様々な体験を重ねて寿命が来て霊界に戻る。この世は「学校」なので身に付いたかを確認する為の「試験(→困難や障害)」は避けることはできないなど、実践哲学的な訓えを説いている。質問者の「反出生主義」には、出産して親となり子供と一緒に霊的に成長して行くという観点が抜け落ちている。

 

エ、不妊体質で生まれた女性

一般に「女性は子供を産んで一人前であり、子供を持つことが女の幸せである」とする世間からの暗黙の圧力がある。そこに近年の医療技術の発達、さらにマスコミの影響も加わって、不妊治療を受ければ誰でも母親になれるという安易な風潮が出来上がってしまった。

医療の世界では、妊娠したくとも妊娠できない、そのことを苦痛に感じて来院した人の病名を“不妊症”と呼んでいる。従来から“原因不明な不妊”は「妊娠を望んでいるカップルの10組に1組の割合で存在する」と言われている。いわば妊娠しにくい体質を持った人たちの存在である。医療関係者によれば、現状は多額の費用をかけて“不妊治療(タイミング法→人工授精→体外受精)”を受けても、妊娠する確率は1020%であるという。

 スピリチュアリズムの観点からいえば、再生人生を“不妊体質という身体”で地上体験を積むとして、自ら選択して生まれてきたにもかかわらず、妊娠したいと望むその動機は何かが問題となるであろう。動機面から言えば子供を持つことによって、自分たちを人間的に成長させたいと願うカップルも存在する。この場合は実子ということに拘らなければ、子供を養子に迎い入れて共に成長していくという選択肢もある。

 

②.再生の概略

ア、再生を理解するための前提、二つの意識

A、地上生活を海底作業に例えて説明

再生を考える場合に“地上で達成すべきテーマ(→海底作業で岩を10個除去する)”を設定した主体、さらにテーマ達成に最も適した環境や肉体条件等(→岩を除去するための道具類)を選択した主体が存在する。この主体が普段は意識にのぼらないが、潜在意識という形で存在する自我の本体たる「本来の私という意識A」である。これに対して「本来の私という意識、A」が設定した再生人生の大枠の中で、現実に地上人生を送る肉体本能に強く影響を受けた「地上的自我意識(現在の私という意識A-1)」がある。この「A―1」は同一界層にいる者どうしがお互いに認識し合う自我、つまり顕在意識のことである。再生はこの“二つの意識状態”を前提として検討する必要がある。この両者の意識の関係を海底作業に例えて説明してみたい。

 今から200年以上昔、1800年頃の海底作業は困難を極めたという。海上に停泊している支援船から伸びた呼吸用のホースを、頭部をすっぽりと覆う鋼鉄製のヘルメット型潜水具に接続して海底作業を行っていた(→当時の潜水具は性能が非常に悪かった)。

    

Aは海底で作業(→地上世界で生活)するためには潜水具を装着して(→肉体をまとって)、海底の水圧と水流、酸素不足によるモウロウとした意識状態の中で、予め決めておいた手順で海底での作業を行う(→本来の意識レベルを落として地上体験を積まなければならない)。潜水具(→肉体)は海底作業(→「本来の私A」が地上世界で自己表現)するためにまとう形体である。Aは「現在の私A-1」という意識状態で海底作業を行う(→地上世界で肉体をまとうことによって、利己的に働く「食欲・性欲・縄張り意識等の自己保全意識」や肉体煩悩に苛まれながら、もどかしい意識状態の中で地上体験を積んで行く)。そして作業時間の終了により浮上して(→寿命が来て)、海上に停泊する支援船に戻り潜水具から解放されて本来の意識状態を取り戻す(→利己的に働く肉体由来の意識から脱して本来の利他的な意識状態を取り戻す)。

 

B、クリアな意識と限定された意識

Aが潜水具をまとって海底で作業している時の意識状態(→肉体をまとって利己的に働く制約された私の意識状態)を「現在の私A―1」とし、作業を終えて支援船に戻ったときの意識状態(→本来の世界に戻った時の私のクリアな利他的に働く意識状態)を「本来の私A」とする。

この海底作業時の水圧と水流、酸素不足でもうろうとした意識状態にある「現在の私(地上的自我意識)A―1」は、「本来の私(本来の自我意識)A」が変容した意識状態であり、限定された意識状態であると言える。「A-1」の海底作業の能力の限界は、潜水具の性能向上にもよるがAの持つ実務能力が限界となる(→地上世界での能力の限界はAの霊性レベルが上限となる)。以下に於いて「二つの意識状態(本来の私A、現在の私A―1)」を使って再生の概要を説明する。

 

イ、再生全体の概略・流れ

   

 

A、地上人生を承知して出生

本来の世界にいる「本来の私A」は、これから降りていく地上世界で何を為すべきかを自覚して地上へ降りていく(→海底での作業工程を承知して潜水具をまとって降りて行く)。実際に肉体に宿ってしまうと(→重厚な潜水具をまとうと)、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま(→1800年前後の性能の悪い潜水具をまとって海底に降りて行くと朦朧とした意識状態となる)、通常意識に浮き上がってこないだけである(1巻38①~⑤参照)。

本来の世界にいる私は(→海上に停泊している支援船の中にいる意識がクリアな状態のA)、これから降りていく地上世界での“大枠”を(→海底での作業手順を)、「本来の私A」の自由意志で決める。地上に再生した「現在の私A-1」は(→海底に降り立ったA-1)、Aが計画した“大枠”に沿って地上生活を送る(→Aが決めた作業手順に沿って海底作業を行う)。再生人生でAが自ら組み込んだ試練を、地上人生を歩む「A-1」は現場サイトの裁量の範囲内でその都度、自由意志を行使しながら霊性を高める道を選択するか、または霊性を停滞させてしまう道の何れかの対応を選択して行く。

 

B、テーマ達成の為、最も適した条件を選択

「本来の私という意識(→支援船にいる時の意識)A」は今回の「再生人生におけるテーマ(→海底にある岩を除去する作業)P」を達成するため、主な「物的試練Q」と「寿命(→作業時間)R」をAの自由意志で設定した。そしてAは再生人生におけるテーマを達成する為に最も適した条件(→ハンディキャップのSWは言わば海底作業をするために必要な工具類)を選択した。その条件とは「国・民族S」「家庭環境T」「性別U」「体質V」「両親W」などである。「本来の私という意識(→支援船にいる時の意識)A」が設定した「大枠(→海底での作業工程)」に沿って「現在の私という意識(→海底作業をしている時の意識)A―1」は地上人生を歩んでいく(→海底で悪戦苦闘しながら岩をどける作業を行う)。

 

C、再生に際しての条件

 P、再生人生のテーマ

    X、負のカルマ解消(個別霊側から見た側面)

    Y、新たな地上体験を積む(霊的家族側から見た側面)

 Q、物的試練(人間関係の問題、所有欲の問題、愛情問題など)

 R、寿命

 S、国・民族(先進国、最貧国、紛争地など、出生地によっては難民となる可能性が大)

 T、家庭環境(富裕層の家庭、貧困家庭、黒人や白人の家庭など)

 U、性別(目標達成に最も適した性別)

 V、体質(霊媒体質、気質、障害を持つなど)

 W、両親

 

③.再生条件の設定

ア、再生人生のテーマ

A、「本来の私」はテーマを決める

再生しようとする霊は何の目的も無しに再生するわけではない。A霊(本来の私)は指導霊のアドバイスを受けて、今回の「再生人生のテーマP」をA霊の自由意志で選定する。再生人生のテーマは「個別霊A自身が有するカルマの解消を図る側面X」と「Aが所属する霊的家族(類魂)に不足している体験を積む側面Y」に大別できる。

 

B、カルマの解消

再生人生のテーマの一つに個別霊Aが過去の地上人生で作ってしまったカルマの解消、つまり地上でしか償えない性質を持ったカルマを解消する(→霊的負債の完済)という側面Xがある(10123⑧~⑨参照)。霊界で引き続き霊的成長の道を歩んでいくためには、“本来の私という意識”に存在する霊的進化の足を引っ張るカルマを、何らかの行動によって消して行かなければならない(→霊性が向上して明るい世界に来れば自らの意識の中にある“シミ”が良く見えてくる、何時かはその“シミ”を消さなくてはならない)。

 

C、新たな地上体験を積む

この世に生れてくる目的のもう一つの側面に、霊性を向上させる為に「新たな地上体験を積むY」がある。個別霊Aは霊的レベルに見合った霊界の相応の界層で親和性のある他の個別霊と「霊的家族(類魂)」という集団を作って、体験を共有しながら霊的成長を図っている。この集団は単なる個別霊の寄せ集めとは違い「大きな意識体を構成する集団」である。「その全体の進化の為に各自が体験を求めて物質界にやってくる」(語る319①~②参照)。

例えばA霊(本来の私)が所属する霊的家族(類魂)では、霊界に於いて進行中の「〇〇〇というプロジェクト」に参加したいと願っているとする。しかし現在の霊的家族には、その仕事に携わるだけの霊的な力量(→例えば思念でモノや環境を作り出す能力)が不足している。そのため個別霊Aは霊的家族を代表して地上に再生することになった(→地上で思念の力を高める)。そして「困難に耐えて忍耐力を強化する」という体験を積むことによって自らの霊的力量を高めて、その高めた成果を霊的家族全員に分け与えようと決意した。

あわせて地上でしか償えない個別霊Aが過去の再生時に作ってしまった“霊的負債(マイナスのカルマ)”の完済を図ろうと決意した。この霊的負債は作った個別霊の自己責任で完済すべきものであり、霊的家族の他のメンバーが肩代わりをしたり、霊的家族全員の負債となったり、自動的に免責されたりするような性格のものではない。

 

イ、最も適した物的試練を選ぶ

A、テーマに沿った試練を選択する

次に個別霊Aは「再生人生のテーマP」を達成するために最も適した「物的試練Q」を選択する。その際に選択する“試練の種類”とは、大きな括りに該当する試練を指す。試練の大きな括りとしては、例えば「人間関係の問題(→この範疇に入るものとして、家族関係、夫婦関係、職場の人間関係、友人関係など)」「所有欲の問題(→この範疇に入る代表的なものとして、物欲や金銭欲など)」「愛情問題(→この範疇に入るものとして、性欲、もつれた愛情問題、LGBTなど)」などがある。

出生後の時代背景や境遇によって、これらの大きな括りの試練の中から、または複数の大きな括りの試練が複合的に重なった中から、最もふさわしい項目の試練が“魂の磨き粉“として、アレンジした形で地上人生を歩むA―1(現在の私)の面前に登場してくる。

 

B、試練の出現の仕方

個別霊Aは「物的試練Q」として大きな括りの試練「人間関係の問題」を選択したとする。暴力的な父親のいる家庭に出生したA―1は「家族関係(Q―①)」という形で最初の試練を受けることになる。このような家庭環境の中で10代のA―1がとりうる選択肢としては、暴力に耐えかねて家出をする道と、じっと耐えて就職や進学という形で穏便に実家を離れる道とがある。A―1は自由意志の行使によって前者の家出の道を選択して、歓楽街にたむろしている不良仲間に入ったとする。

このように試練「Q―①」に対してどのように対処するかは、その時その時のA―1の置かれた境遇によって異なってくる。その為に出生前に細部まで選択してくることは出来ない(→Aはあくまでも大きな括りとしての試練を選択するだけ)。A―1(現在の私)はA(本来の私)が大きな括りとして設定した試練の中から、面前に現れた「家族関係(Q―①)」という試練に対して自由意志を行使しながら、自らの人生を切り開いて行くわけである。いわば自由意志の行使によって「上(→霊性レベルを高める方向)」に行くか、「下(→煩悩に負けて霊性レベルの停滞を招く方向)」に行くかの選択の余地があるわけである。

この「試練Q―①」の対処の仕方によって、次に出現する「試練Q―②」の具体的な試練の形が決まってくる。この「Q―②」をA―1は自由意志の行使によってどのように乗り切るかによって、次に出現する「試練Q―③」の現れ方が決定されるわけである。このように大枠内で選択した試練を使って再生目的の達成をはかることになる。

なお人によっては明確な試練という形がなく、穏やかな生涯を送る場合もある。その場合は日常の小さな出来事の一つ一つが「上(利他的、霊性レベルの向上)」を向いた行動であったか、「下(利己的、霊性レベルの停滞)」を向いた行動であったか、その都度の小さな自由意志の行使の積み重ね、そのトータルが出生時の霊性レベルを超えていれば、その人の再生人生は成功であったことになる(→トータル上が51,下が49の場合は地上人生は成功)。これに対して出生時の霊性レベルを下回った場合には霊性の停滞となる。

 

ウ、寿命を決める

次にA(本来の私)は「物的試練Q」を無理なく体験できる「寿命R」を選択する。寿命には“糊代部分”がある。肉体は一種の機械なので乱暴に扱えば耐用年数を待たずに壊れるし(→壊す意図で乱暴に扱えば自殺となるので、ここでは壊す意図はないが無知から乱暴に扱う場合を指す。例えば荒れた生活や暴飲暴食漬けの生活など)、メンテナンスを欠かさず丁寧に扱えば耐用年数を超えて長持ちする。この範囲を寿命の“糊代部分”と呼ぶことにする。

 

エ、最も適した条件を選択する

A、条件(ハンディキャップ)の決定

A(本来の私)は上記「再生人生のテーマP」「物的試練Q」「寿命R」の条件に最も適した「国・民族(先進国、最貧国、紛争地など)S」「家庭環境(富裕層の家庭、貧困家庭、黒人や白人の家庭など)T」「性別(目標達成に最も適した性別)U」「体質(霊媒体質、気質、障害を持つなど)V」を選択する。最後にAはこれらの前提条件に見合う「両親W」を選定して、その子A―1として地上に誕生する。

なお過酷な体験の中で「再生人生のテーマ」を成し遂げていく道を「本来の私A」が選択した場合には(→ハイリスク・ハイリターンを選択して霊能者として出生する)、当然に「現在の私A―1」が背負うハンディキャップは厳しいものになる。

 

B、自由意志を使って霊性の向上を目指す

霊的摂理の中に「自由意志の行使」という法則がある。人間はロボットではないので、一定の枠組みの中で神からの授かりものである自由意志を有している(3162⑨参照)。これを用いて自らの判断で行為を行うことによって霊性レベルのアップをはかっている。当然にその使用法を誤れば霊性の停滞を招き、それ相応の責任が発生する(4巻35④参照)。

 

C、宿命との関係

地上に誕生した「現在の私(→本来の私の限定された意識状態)A―1」は、「本来の私A」が霊性レベルに応じた範囲内で自由意志を行使して設定したSWという大枠(→大枠は現在の私A―1から見れば宿命となる)、その大枠の地上人生に沿って遭遇する試練に対して“現場サイドの自由意志”を行使しながら乗り切る(→運命づけられた一定のワクの中で自由意志が許されている:485①~②参照)。その過程で二つの側面を持つ“再生テーマXY”の達成を図っていくことになる。

「本来の私A」から見れば、あらかじめ地上で辿る“大枠としての地上人生”を承知して誕生することになる(1109⑦~⑩参照)。これを「現在の私A―1」から見ればこの大枠(→試練、寿命、性別、両親、体質など)は“背負わされた荷物”ということになる。

 

D、二つの側面の自由意志

再生に際しての自由意志の問題は、まず「本来の私」が行使する側面と(1109⑨参照)、他方「現在の私」が行使する側面の二方面から考察する必要がある。後者はいわば“現場サイドの自由意志”の問題である。なお自由意志は「本来の私」という意識が霊的に進化した分だけその行使範囲は広くなる(164⑩~⑫参照)。その結果「現在の私」が行使できる“自由意志(→現場サイドの自由意志のこと)”の行使可能性の限界がそれだけ拡大する。

霊的家族に戻ったAは“現在の私A-1”という意識状態で行った地上体験を、メンバー全員の体験に転換させて「意識の共有化」を行い、共有状態の意識を作り出す。その「意識の共有化」によって霊的家族の霊性は一段と向上する。そして霊界に於ける“希望職種”が要求するだけの力量を満たした「有資格者」となることができるわけである。

 

④.再生に関する個別テーマ

ア、肉体という表現器官の仕様書

地上世界でまとう肉体という表現器官の仕様書は、“本来の私という意識”が選択した再生人生の“テーマ”、例えばどういう種類のカルマXを地上生活で清算するのか、または再生人生で新たに獲得すべき地上体験Yは何か(→例えば思念を高めて創造行為の一端を担う、または類魂が持つ音楽的才能を伸ばす)など、最もふさわしい条件に見合った肉体となっている。個々のケースでは遺伝性の病気を発症するDNAを持つ両親を選択する場合がある。

 肉体の各部位の仕様は各人各様である。例えば「再生人生のテーマP」如何によっては、生まれながらにして遺伝性の病気を持って苦しみながら地上人生を送る者や、人生の途上で病気が発症する者などがいる(→苦しみの中において“再生人生のテーマ”を達成して行くケース)。この場合は再生人生で達成すべきテーマに沿った肉体をまとう必要性から、病気の発症リスクが高いDNAを持つ両親を選択して出生してきたといえる。

また人生の途上で難病などが縁に触れて発症する可能性のあるような肉体器官を持つ人もいる。さらに生まれながらにして肉体部位の欠損や障害などを持って出生する人もいる。これ以外に男に生まれるか女に生まれるかの選択もある。男女の性別やLGBT(性的少数者)の問題は、再生人生のテーマを達成しやすい性を選択して出生したと言える。

 このように私たちの肉体の構造は同じであっても、再生人生のテーマによって“肉体の仕様書”は各自異なっている。オーダーメイドの仕様書によって肉体器官は作られている。以上から言えることは、病気や障害などはその人の“再生人生のテーマ”と密接に絡んでいるため、この世的な観点から軽々しい評価はできない。物質面・肉体面というこの世的な視点からのみ見れば、この世は矛盾に満ちた世界と言えるが霊的視点から見れば何ら矛盾はない。

 

イ、身体上のハンディキャップの二面性

なお地上人生を歩む上で課せられた身体上のハンディキャップには(→例えば身体障害や知的障害など)、「負のカルマの解消X」の為に「本来の私A」は地上人生を歩む「現在の私A―1」に課すという場合と、「新たな地上体験Y」を効率よく積むために課す場合などがある。さらにハンディキャップにはA―1の周りにいる一般人に対して“利他的行為を誘発させる”という「菩薩行的な側面Z」もある。このようにハンディキャップには「個別霊側から見た側面X」「霊的家族側から見た側面Y」という霊的な側面と「菩薩行Z」という地上側から見た側面の二面性がある。

身体上のハンディキャップを有する人に関わりを持った周囲の人(→家族・友人・知人など)の冷淡な行為は、善行を施す貴重な機会を自ら放棄してしまうことになる。その結果、関わりを持った人の「本来の私という意識」にある「魂の窓」から流入する“霊的エネルギーのルート”を目詰まりさせてしまうことになり、霊的成長を阻害することになるから。

 

ウ、新しい霊の場合

A、シルバーバーチの見解

シルバーバーチは進化が原因となって人間界に初めて誕生してくる霊の存在を指摘する。それによれば「(新しい霊は)やっと人間の段階にまで達した新入生です。直前まで動物だった類魂が人間界への仲間入りをしたのです。(集合魂がまとう物的形体が)アメーバの状態から始まって爬虫類、魚類、鳥類、そして動物と、ありとあらゆる進化の段階を経て、今ようやく人間へと達したのです」(5巻93②~⑩参照)。

また「(動物の類魂は各種属にそれぞれの類魂がある。それがさらに細分化してその)細分化したものにもそれぞれの類魂がおります。新しい霊―はじめて人間の身体に宿る霊は、動物の類魂の中でも最も進化した類魂です」(5101⑧~⑨参照)と述べる。

 

B、個別霊Bの未浄化部分の克服方法

個別霊Bは進化の途上にいるため、当然に意識の中に未浄化な部分が残っている。一般にはBは問題ある地上人の背後霊や霊媒体質者の背後霊となって、苦難を共にしながら己の未浄化な部分の克服を遂げていくことが多い。ケースによってはこの“未浄化な意識の一部”の克服を、Bは守護霊となって“新入生の霊A”に託す場合もある(個人的存在97⑱~98⑥参照)。

マイヤース霊は再生の中で、「カルマ」という言葉を「a、本来の意味でのカルマ」「b、型・パターン(類魂全体の音楽の才能が伸びる、信仰心が深まるなど)」「c、未浄化な部分・魂の歪み(一般的な意味でのカルマではない)」の三パターンで使用しているので注意。

 

C、たとえ

選手(A)とコーチ(B)の関係を例にして説明する。例えばコーチB1980年開催の“モスクワ・オリンピック”に出場するはずであったが、当時の日本政府のボイコットによって出られなかった。コーチBは有望な若手選手Aを見出して、その果たされなかった思い(→Bの意識の中にある未浄化な部分)を選手Aに託して指導を行った。この場合“オリンピック出場”という挑戦課題が、Aの初めての地上人生でやり遂げるべきテーマPとなる。このようにAに課せられたテーマは守護霊Bから与えられたものである。

A―1(現在の私)」は守護霊Bから託された“オリンピック出場”というテーマに対して、果敢に挑戦して行く。その過程で厳しい練習に耐えきれずに自殺してしまったとする。これが本来の意味での「A(本来の私)」自身の“負のカルマ”となる。

死によって「A-1」は幽界の下層界に落ち着く。テーマ(オリンピック出場)未達成のため幽界からUターンして、地上に「A-2(今回は女性として)」として再生する。そして再度テーマに果敢に挑戦して行く。

「集合魂」であったAは進化が原因となって人間界に「個別霊」として誕生した。地上に誕生した「A―1」はテーマ未達成の為に霊的家族のもとに戻れず、幽界の下層界から再び地上に「A―2」として再生した。

テーマ達成を基準に再生をカウントする立場では未だAは再生中でありカウントは1回となる。他方単純に地上的人格を基準に「A―1」「A―2」とカウントすれば2回となる。何を基準に「再生1回」とカウントするかによって再生回数は異なる。

 

エ、結論

すべての霊は“地上で達成すべきテーマ”を各自設定して、そのテーマ達成に最も適した環境や肉体条件を「本来の私」が自ら選択して地上世界に生まれてくる。その際に地上で各自が挑むべきテーマには二つの側面がある。「地上でしか償えないカルマの解消X(→個別霊の側面から見た再生)」と、「霊的成長をするために新たな体験を積むY(→霊的家族・類魂という側面から見た再生)」という二つの側面がある。これらのテーマを各自はハンディキャップSWを背負って、地上で遭遇する試練Qを経ていく中で達成して行くことになる。これが「何のためにこの世に生れてくるのか」の回答となる。

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◆質問、その1

<質問>「守護霊は被守護者が辿るべき道をあらかじめ分かっている、とのことですが、被守護者が自殺した場合も守護霊はあらかじめ分かっていたのでしょうか?」

<回答>本文の中でも解説したように各自は地上人生のテーマ達成に最も適した「試練」を選択します。さまざまな事情によって過酷な人生を歩む道を選択する場合もある(→ハイリスク、ハイリターンの道を選択する)が、最終的に被守護者はその「過酷な試練(ハイリスク)」を乗り越えられると判断して誕生したもの。守護霊も被守護者も地上的人格の“現在の私(被守護者の地上的人格)”は厳しい試練に耐えて一回り大きくなって戻ってくると判断して(ハイリターン)、地上世界に送り出したもの。従って“現在の私”の自由意志で選択した自殺は予定外の行動となる。

 

◆質問、その2

<質問>「スピリチュアリズムの知識をどのように現実生活に実践して行くことが出来るのか、また実践者の声など、経験則について伺いたい」

<回答>詳細は「第6講、霊性の向上」の中で解説しますが、私の個人的な感想を述べますと、モノの見方が変わったことにつきます。この世の問題を、あの世を含めた長い時間軸の中で考える習慣がついたことです。これがスピリチュアリズムを勉強して得た最大の成果と言えるものです。

 

◆質問、その3

「反出生主義」と「安楽死」についての質問には、本文中で解説しました。

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

第2講: 基本的事項の整理、その2

目 次

1.階層構造的な霊的世界

2.見えない世界の霊的存在とは

・「天使的存在」と「人間的存在」

・幽界の主な住人たち

・身近な霊的存在

・指導霊崇拝批判

3.代表的な霊的法則「因果律」と「愛」

・因果律

・愛

 

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1.階層構造的な霊的世界

ア)次元の異なる場が重なり合う世界

A、一つの世界

シルバーバーチは「霊界(広義)」とは、霊的レベルが異なった数多くの界層がグラデーション的に連続している世界であり、「霊の世界は一つ、その表現形態は無限である」(4146⑦参照)と述べる。なお霊の世界は地上世界とは異なって地理的な分布ではなく(895⑥参照)、魂の発達程度に応じた“次元の異なる場”が階層構造的に重なり合った世界となっている(4147②、7195⑥参照)。

 

B、死後の世界の界層

このようなグラデーション的に広がる霊の世界の中でも、物質的要素の濃い低い界層を便宜「幽界」と呼んで区別している。「霊界(狭義)」や「幽界」という名称は「霊界(広義)」の中の小さな区域であり、分かり易く表現する為に特別に名付けた名称にすぎない(4127⑥~⑦参照)。

その幽界と地上世界とが接する部分を特別に「中間境」と呼んでおり(永遠大道39①~②、49⑫参照)、そこで物的波長から霊的波長へ変換する為の調整が行われている。イエスも中間境で波長の変換の為にしばしの休息をとっている(永遠の大道114⑭~⑮参照)。他界した霊は中間境で休息しながら霊的機能を発達させて、不足しているものを補う為の処置がとられている(続霊訓191⑩~⑮参照)。霊界通信に登場する「霊界の病院、休息所」(4145⑦~⑧、8116⑬参照)や、死と同時に“私(本来の私という意識)”自身が審判者となって地上時代を反省する(霊訓下221⑫~⑱参照)ためのエリアはこの中間境にある。

 

C、霊的家族のもとに帰還するまでの行程

この世からあの世へは、意識の拡大や意識の深まりに伴って次のように移行し、それらの界層は連続して繋がっている。「a、物質の世界(私たちが生活している地上世界)」→「b、中間境(物的なバイブレーションから霊的なバイブレーションに変換する為の界)」→「c,幽界の下層界(心のバランスを取る為に地上時代の埋め合わせが働く界)」→「d、幽界の上層界(意識の指向性がモノから霊性の向上に切り替わった霊が住む界)」→「e、狭義の霊界(霊的レベルが同一で親和性がある霊が“グループである霊的家族”を作って生活している界)」。これが「狭義の霊界」で待つ霊的家族の下に帰還するまでの大まかな行程である。

私の意識の拡大や深まりに伴って振動数(バイブレーション)はより精妙化して行く。それに応じて周囲の環境も変化して、より精妙化した振動数に対応する界層へ移動して行く。上記bはaより、cはbより、dはcより、edより振動数は高い。その為に振動数の低い下位の者から振動数の高い上位の世界は見えない。

 

D、霊性レベルに応じた生活の場

霊の世界は霊性レベルに応じてグラデーション的に繋がった階層構造的な一つの世界、限りなく続く長い一本の梯子のような世界である。そこにはあらゆる次元の生活の場が互いに重なり合い融合しあって存在している(4148①~②参照)。

それぞれの界層には地上世界とは異なって、そこに住まうだけの霊的成長を達成した、その界の環境条件に相応しい者が霊的親和性によって一緒に生活している(1034③、福音23⑥~⑦参照)。同じレベルの住民の思念で生活が営まれているため(4126②、メッセージ55①~②参照)、思念の波長が合わない霊とは生活を共にできない(続霊訓99⑨参照)。そのため日頃生活する上で交わる相手は「霊的成長度と霊的能力に於いて同等な人たち」に限られることになる(福音30③、30⑪~⑫参照)。ただし幽界は霊的親和性があれば霊的レベルが違っていても、高い霊が低い霊に合わせればいいので一緒に生活することが出来る。例えば人に愛されたペットは幽界の下層界で飼主を待つ(8巻187⑦~⑨参照)、飼い主が他界後は同居することができる(個人的存在247③~④参照)。

 

霊の世界は思念が実在の世界であり(4124⑨参照)、心に思うことに実体が伴い実感がある。その為に住人の共通の想いが周りの環境を作り上げるので「思念は環境を形成する」ことになる。住人は同じ発達レベルにあるため、「湖、川、丘、庭園、部屋」などの客観的存在物はそこに住む住人にとっては同じように映り同じように体験することになる(887④~⑤、89⑦~⑨参照)。なぜならそこに住む者が発する固有振動数と「湖、川、丘、庭園、部屋」が発する振動数は一定の範囲内で同一だから(→人が肉眼で感じる可視光線と同じ)。そのため住人は部屋の壁からは固さを感じることになる(永遠の大道114⑥~⑦参照)。

 

イ)幽界の上層界と下層界

A、幽界の概要

◆幽界は上層界と下層界に分けられる

X、幽界の上層界は「霊的自覚(霊として何を為すべきか)」が芽生えた霊が生活するエリア

Y、幽界の下層界は霊の意識の指向性が「下・物質界」を向いている霊が生活するエリア

◆下層界は二つに大別できる

Y―1、奮闘努力が不要の「極楽・天国のようなエリア、楽しい思い出が再現されたエリア」

Y―2、意識に深く染み付いた煩悩を鎮めて「魂の歪みを矯正する浄化の為のエリア」

 

B、幽界の解説

幽界は大きく分けて上層界と下層界に分けられる。幽界の上層界とは、意識の指向性が“上”、つまり霊性の向上に向けられている「霊的自覚(→霊として何をなすべきかを認識すること、霊的成長を目指す意識)」が芽生えた霊が生活するエリア。これに対して幽界の下層界とは、意識の指向性がいまだに“下”、つまり物質界に向いている霊が生活するエリア。

この下層界は“意識の在り方”から見て大きく二つのエリアに分けられる。まず「極楽のような世界」つまり「真の意味での創造というものが存在しない、地球人類の大半が理想郷と見なしている世界、Y―1」(永遠の大道122④~⑦参照)がある。これに対して「魂(=意識)に深く染み付いた煩悩を鎮めたり魂の歪みを矯正したりする世界、Y―2」、カトリックの教理で言うところの“煉獄”のような場所で、苦しみを引き寄せる世界がある。下層界はこの二つの世界に大別できる。

 

地上生活を終えた他界者のほぼ全ては、中間境を経て親和性によって幽界の下層界に長期・短期の違いはあるが一旦は落ち着く(→無数に存在するY―1の世界に、または無数に存在するY―2の世界の何れかに)。これらの界層は霊が地上時代に培った霊的成長に見合ったエリアであり、地上時代の霊性そのままが死後の姿となった住環境である。ここで地上時代の埋め合わせが働き“心のバランス”が図られる。

なお霊それ自体には民族も国家も血縁関係もない(2130⑭~⑮参照)。これらは単に肉体上の属性、つまり肉体にまつわる所属先や人間関係の差異に過ぎないが、これらが幽界の下層界では他界者の意識の中に深く染み込んでいる。幽界の上層界に移行する為の条件である「霊的自覚」が芽生える迄は、地上時代の意識に縛られた状態で下層界に留まる。

 

ウ)界層の移動

「自我の本体たる霊魂(=本来の私という意識)」には形体はない。霊格を向上させるということは、「本来の私という意識」に潜在している“神の分霊”をより多く顕在化させて行くこと。その為には第三者から見て客観性を備えた何らかの形体(→物的身体や霊的身体)をまとって、他者(→人間、動物、植物など)に対する利他的行為を行い、物的体験や霊的体験を積む必要がある。高級霊の場合は霊的体験を積むことによって思念がより純化して、形体から一段と強い光輝を発するようになる。

「本来の私という意識」の固有振動数がその界のレベルを超えて進化すると、そこを自然に離れていく(4126③、143②参照)。意識が浄化されて向上するにつれて、より精妙化した振動数に満ちた高い境涯への適応性が身に付く。その結果、自動的に一段高い境涯に置かれることになる(8116⑤参照)。「本来の私という意識」が持つ固有振動数と移行先の環境が発する振動数が一定の範囲内で一致するから。このような界層の上昇は「霊体が徐々に浄化され低俗な要素が拭い去られる」(霊訓下148①~④参照)という形で為されている。

 

エ)三者の振動数は一致する

私がまとう形体は「本来の私という意識」に潜在している“神の分霊”が顕現する割合に応じて、グラデーション的に洗練度を増していく。それに比例して居住環境もグラデーション的にレベルアップして行く。なぜなら「本来の私という意識が持つ固有の振動数」と「形体が発する振動数」と「環境が発する振動数」とは一定の範囲内に収まり完全に一致するので、霊格の向上に応じて形体も居住する環境も洗練度を増していくから。この世でも三者の関係は見られる。例えば精神的に荒んでくると(→霊格が下がると)、それが身なりに表れて(→形体から精神状態が分かる)、住む部屋も“ごみ屋敷”になってくる(→居住環境の劣化)。

 

2.見えない世界の霊的存在とは

①.「天使的存在」と「人間的存在」

ア)天使的存在

A、霊的成長に物的体験は不要

個別意識を持った主な意識的生命体(個別霊)には、「天使的存在」(6巻163⑩、480②~⑦参照)と「人間的存在(地球人を含む天体人、宇宙人のこと)」(語る202⑤参照)がある。両者は霊的成長に物的体験を必要とするか否かによって区別されている。「天使的存在(以下天使と記載)」とは、個別性を特定の形体ではなく色彩や光輝で表現して霊的体験を積んでいる個別霊のこと(→“本来の私という意識”の表現媒体である思念に色彩や光輝が伴っている)。霊的成長に物的体験を不要とする点に特徴がある(4巻80④~⑤参照)。

なお天使とは「人間的存在」とは霊系が異なる自然霊のこと。高級な自然霊を天使と言い低級な自然霊を妖精(精霊)と呼んでいる(春川栖仙編『スピリチュアル用語辞典』参照)。このように霊的世界には物的身体をまとって物質の世界に誕生する「人間的存在」と、物質の世界に誕生することが無い自然霊という二系統の霊がいる。高級霊からの霊界通信でもこの分野に関しての詳細は明かされていない。

 

B、「宇宙の経綸」の仕事

この広い宇宙には物的身体を通した体験を持たなくても霊的成長ができる天使が住む界層が存在する。これらの天使は一度も物質界に誕生したことがなく居ながらにして高級霊であり、宇宙の上層部に所属して「宇宙経綸の仕事(=霊的摂理の執行)」を担当している(480④~⑤、新啓示124④~⑧参照)。個別霊たる天使にも霊的成長度に応じた階層構造的な序列がある(→上級天使や下級天使など)。なお西洋人は「守護霊や背後霊」を天使と呼ぶ場合があるが、それらは過去に地球という物質界で生活したことがある人霊であって本来の意味での天使ではない。

 

イ)人間的存在

A、人間的存在が住む惑星

個別霊たる「人間的存在」は、霊的進化に“物的身体をまとって体験を積む”ことが必要な意識的生命体(個別霊)である。その為に形体は「霊的身体+中間物質の接合体+物的身体」という多重構造となっている(→正確には上記右図のように中間物質の接合体の中で霊的身体が成長していく:個人的存在79⑮~⑰参照)。

宇宙には霊的進化に物的体験を必要とする人間的存在が住む天体(→惑星、恒星、衛星、彗星など)は数多く存在する(6170④~⑦参照)。地球以外の天体に住む人間的存在の形体は、個々の天体ごとに物的条件(→気圧、気温、環境等)が異なるため、普段私たちが見慣れている姿かたちをしているわけではない(6170⑧参照)。しかし意識的生命体であるという意味では、我々地球人と同じ組織的存在である(6170⑪~171①参照)。

 

宇宙に数多くある人間的存在の住む天体の中でも、地球より霊性レベルが劣っている天体は一つだけである(語る202⑤~⑦参照)。人間的存在の霊的レベル、つまり各天体人の“意識の固有振動数”に応じて意識がまとう物的身体の振動数に違いがあるため、霊的レベルの低い天体の住人(→意識の精妙化の度合いが低いので形体の振動数は粗い)は高い天体の住人(→意識の精妙化の度合いが高いので形体の振動数は細かい)の姿を見ることはできない。そのため霊的レベルの高い人間的存在(→振動数が高い存在)は一種の物質化現象によって、低い天体の住人(→振動数が低い存在)に姿を見せることになる。マスコミで時々話題に上がるUFOの問題も、このように物的身体を有する“人間的存在の振動数の違い”から考えて見ると理解ができると思われる。

 

B、振動数の違い

霊界では低い振動数の界層に住む霊は、自分たちより一段高い振動数を持つ界層の世界は見えない(→この世に住む低い波長の肉体をまとった人間には中間境や幽界の下層界は見えないのと同じ)。このことから推測するに地球人が見ている宇宙とは、地球と同一振動数の宇宙、またはそれ以下の宇宙を見ているに過ぎない。なぜならより精妙な振動数を持つ進化レベルの高い人間的存在が住む宇宙は見えないから(→振動数に応じた無数の宇宙が存在することになる)。今後、惑星探査が進展しても、地球人に見える範囲は当該惑星の低い振動数であった過去の世界の光景でしかない。地球人固有の霊的レベルを上げない限りは、高い振動数を持つ天体人の人間的存在の姿かたちは永遠に見えないであろう(→低い振動数の世界から高い振動数の世界は見えないから)。

SF映画で取り上げられる“宇宙人との遭遇”は、低い振動数を持つ地球人の都合からではなく、高い振動数を持つ惑星人側の必要性から物質化現象によって実現するもの。

 

②.幽界の主な住人たち

ア)幽界の経綸を司る天使的存在

幽界という界層における「霊的摂理の執行」は、幽界担当の「天使的存在(以下天使と記載)」を通して行われる。幽界に居住する霊が自らの自由意志で利他的行為を行えば、その行為に対して霊的成長という評価が下される。これに対して利己的な行為を行えば霊性の停滞という評価が下される。このように幽界に居住する霊の行為に対して、神の摂理に沿って何らかの評価を下すのが「宇宙経綸を執行」する幽界担当の天使である。なぜなら「無限の階梯の一つ一つの界層に神の意志の行使者が控えている」(霊の書213⑪参照)から。

 

イ)妖精(想念霊、原始霊)

A、想念霊としての妖精

低級な自然霊である妖精は、天使の末端の仕事を受け持っている。天使は仕事を遂行する際に手足が必要な場合は、その都度、想念(思念)で妖精を作り出す。天使によって創り出された妖精は「想念霊としての妖精(原始的精気)」と呼ばれる。この点につき定評ある霊界通信には「自由意志もなく、何の目的なのかについての自覚もないまま大自然の様々な側面での現象の演出に携わっている」「指令を発する存在がいて、それに反応して働く存在(精霊)がいる」(霊の書214⑩~⑫参照)との記載がある。地球の進化のしるしである地震・火山の噴火・雷など(12109⑪~⑬参照)、自然現象の裏側でも働いている。

この「想念霊としての妖精」には人間とは異なって個別性や知性はなく、仕事が終われば霊の世界の大気中に融解して消滅する(コナン・ドイル著『妖精物語』コスモ・テン198頁~203頁参照、ドイルは霊視能力者のリードビーター主教の精霊研究を紹介している)。これは霊界では想念(思念)で作られたものは本人がそれを必要だと思わなくなるまで存在し続け、不要となれば消えてしまうのと同じ原理である(500現地報告125⑩~⑬、330⑥~⑧参照)。なおこの種の妖精には知性はないが「森の中や川辺、湖の近くなどで孤独を楽しんでいる人間に感情面での影響を及ぼすこともある」(個人的存在246③~⑦参照)という。一般に木立が発する香気を浴びることによって精神的に安らぎと爽快さが得られる。この森林浴には「妖精が人間の感情面に及ぼす影響」が考えられる。

 

B、原始霊としての妖精

妖精には「想念霊としての妖精」の他に、天使や人間と同様に「個別霊」としての「半理知的原始霊」(彼方4巻278⑧参照)という妖精がいる。この原始霊としての妖精(→実在の自然霊)は人間よりは進化の程度は低いが生命力を持った存在であり(最後啓示179⑫~180①参照)、鉱物の凝縮力として働くもの、植物の新陳代謝を促進するもの、動物の種族ごとの類魂として働くものなど、無数の分野の自然法則の運用に貢献している(彼方4巻278⑧~⑯参照)。精霊の中でも高級な原始霊は「デーバ」と呼ばれており、生命力を持った存在だが人間よりは進化の程度は低い。物理的心霊現象を起こす際には裏側で働いている(最後啓示179⑦~180⑦参照)。前述のコナン・ドイル著『妖精物語』によれば、原始霊は各段階を経て“火の精”から“空気の精”に進化して行くという(前著200頁参照)。人間とは進化の系統が異なる存在であり、高級霊からの霊界通信でも情報が限られた分野である。

 

ウ)想念霊(思念霊)

霊の世界では思念は何らかの形体を伴って現実化する。思念で環境や客観的な存在物を作り出すことが出来る。この思念によって出現した“霊の分身”を想念霊と呼ぶ。この想念霊を作り出せるのは「天使的存在」と「人間的存在」だけである。この世の人間も意識する・意識しないに関わらず日常的に想念霊を作り出している。例えば恨みから他人を呪うとその呪いの念が想念霊を作り出して、呪われた人の周りを取り巻くことがある。呪われた人が霊的に敏感体質者であり、且つ何らかの“霊的な受け皿”があれば念(想念霊)の影響を受ける。

人間の強い思いが想念霊を作り出すという現象は、宗教や信仰の世界ではしばしば見られる。信心深い人が自分自身の想念で作り出した“神仏の姿(想念霊)”や“イエスの姿(想念霊)”を(到来236⑫~⑭参照)、本人自身が見て驚くと言った現象が時々話題となる。

 

◆具体例その1

私は同一界層にいる遠方の友人と思念による対話を交わそうと思ったとする。私は一瞬だけ精神を統一して「私という人物の想念体」を作り上げる(→イメージとして西遊記の孫悟空の分身、最近話題となっている“アバターロボット”など)。その私の分身である想念体が友人の前に現れて対話をする、その対話をコントロールしているのは遥か遠方にいる私である。そして対話が終わればその想念体から私の思念を抜き取る。すると忽然として友人の前から姿が消える(永遠の大道81⑥~⑫参照)。

◆具体例その2

肉体の死は必ずしも狩猟本能の消滅を意味しない。幽界ではその本能を心ゆくまで楽しむことが出来る。しかしその犠牲になる動物は地上の動物とは生命原理が異なり、単なる想像上の産物に過ぎない。その獲物は人間の潜在意識の中で作り出された想念体であって、思念の電気性の波動によって活性化され、欲求によって刺激されて、いかにも生きているかのように見えるだけである(個人的存在247⑤~⑮参照)。

 

エ)人間に愛された動物

数多い動物の中には人間と接触することによって、人間らしい個性的な意識を表現する個的存在(ペット)がいる(589⑪~90⑬参照)。それらは人間の愛によって死後一時的に個別意識を持ったままでの存続が可能となった動物である。

このような一部の動物(→人間に愛された動物)は死後、幽質をまとって生前の形体を維持しながら(8185⑬参照)幽界の下層界で飼主と一緒に生活することができる(8巻187⑦、個人的存在247③~④参照)。しかし幽質をまとった存続は一時的なものであり、ペットの霊はやがてその動物の出身母体であるグループの中に融合して個性を失っていく(591⑪、8206⑤~⑥参照)。融合したペットはグループの進化に貢献したことになる。

 

オ)問題ある人間の霊

A、地縛霊とは

死んで霊の世界に来た他界者のほぼ全ては、霊的波長よりは物的波長の中で暮らしている“霊(低級霊Y―1、Y―2)”である。その物的波長の中で暮らしている霊の中でも、死によって肉体を棄てたにもかかわらず本人は死を自覚せずに、いまだに肉体があると信じており、意識が地上世界に向いている霊、つまり「意識の切り替えが長引いて完了していない霊」のことを「地縛霊(→中間境で接合体をまとった状態にある霊)」と呼ぶ。

この定義の利点は、他界者の意識が「死の自覚」を持つことによって切り替わって、地上時代に味わった「物的身体がもたらしていた一切の痛みと苦労と障害から解放される」(748⑬~⑭参照)、「肉体の病に苦しむことがない」(788⑬参照)という意識状態が説明できることである。現実に病気で苦しむ地縛霊を招霊した交霊会で、霊が死の自覚を持つことによって意識が物的波長から霊的波長に切り替わり、その結果として霊も憑依された者も病から解放されるという現象が起きている(ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版参照)。このことから他界者にとって“意識の切り替え”が重要であることが理解できる。

 

B、供養の対象となる霊

「死の自覚」が持てずに霊的調整が長引いて中間境に留まる他界者(=地縛霊)について、シルバーバーチは「死んだことを認めようとしない人も同じです。自らその事実を認めない限り、私たちにもどうしようもない」(5巻46⑭~47①参照)と述べる。死んだことを認めようとしない他界者は、いまだ意識の切り替えが完了していないので、形体(=霊的身体)に具わっている霊的な“感覚器官”を使用することはできない。自力で霊的視力を使えるまでに至っていないので、救済霊の姿が見えず他界者側からの接触は難しい。

霊の世界に来てもいまだに肉体があると思い込み「死の自覚」がない他界者は、霊的世界に遍満している霊的エネルギーを無意識のうちに取り入れたり(個人的存在45⑬参照)、周囲で待機している霊(→ガイドや出迎え霊)の視力を一時的に借りたりして、周囲の情景をボンヤリと見ているに過ぎない。しかし地上から送る縁者の念は、両者の間に存在する愛に基づく“磁気回路”を通って「死の自覚」がない他界者(=地縛霊)に届き易い。この特性を生かして地縛霊に対しては、地上側からの救済活動が主となってくる。

これに対して死の自覚を持った幽界の下層界にいる「低級霊Y―1、Y―2」の場合は、霊的レベル相応の“霊的な感覚器官”の使用が可能となっているので、救済霊は「低級霊」との接触がし易い。ここから「供養の対象」は原則として中間境にいる「地縛霊」のみであって、幽界の下層界にいる「低級霊」は霊界の救済霊の管轄となる(→例外は「霊的牢獄」にいる霊や極めて物質指向の強い霊)。

 

C、「霊的牢獄」に閉じ込められた霊などの場合

幽界の下層にいる「低級霊」の中でも、地上時代の思想や宗教の教義と言った固着観念に縛られて「霊的牢獄」に閉じ込められている霊や、極めて物質指向の強い「低級霊」の場合には救済霊が行う救済効果が今一つ上がらないことが多い。これらの霊は意識の指向性が“地上的なモノ”に強く向いている点から、地上側からの念が届きやすいという特徴がある(2巻45⑧~⑩参照)。このような「霊的牢獄」に閉じ込められている霊や、物質に対する指向性が極めて強い「低級霊」の場合には、霊界側と地上側の双方からの「救済活動(→救済とは“地上的なモノ”に縛られた意識からの解放、“霊的牢獄”からの解放のこと)」が行われている。霊界側の救済霊と共に地上の縁者からの“救済の為の念”も大きな助けとなる。

この“念の特徴”について、タイタニック号の事故で死去したウィリアム・ステッドは「生前から親密な間柄だった者のことを強く念じると、その念は生き生きとして活力のあるエネルギーとなり、電波と全く同じように宙を飛び、間違いなくその霊に届く」と述べている(エステル・ステッド著『ブルーアイランド』ハート出版92⑪~93④参照)。両者間に存在する愛によって“敷設された絆”を通して、救済の念は相手に確実に届くことになるから。

 

D、邪霊とは

「低級霊」とは「死の自覚」を有するも「霊的自覚(→霊として何をすべきかの自覚)」を持たない霊のことであり、幽界の下層界に居住する霊のこと(→広義では地縛霊も含む)。また「邪霊」とは積極的に地上世界に悪影響を及ぼしている霊のことであり、それは「地縛霊の一部」と「低級霊の一部」からなる。邪霊には「根っからの邪悪霊」の他に「快楽を求めて鈍重な物質界をうろつき回り、同じく快楽に耽っている人間に部分的に取り憑ついて、快楽のお相伴にあずかる霊」(個人的存在264③~④参照)もいる。

なお幽界には邪霊が一時的に自分の姿を変化させた「化身霊」(スカルソープ著『私の霊界紀行』潮文社80頁~83頁参照)や、邪霊が作り出した「想念霊」もいる。「化身霊」には邪霊自身が「実在の人間の姿、動物の姿、お化け屋敷に出て来る妖怪や怪物の姿」などに変化して恐怖感をあおることがある。霊的知識がない“霊視能力がある霊能者”は、邪霊が作り出した化身霊や想念霊に簡単に騙されてしまうという。

 

E、因縁霊とは何か

日本的心霊の世界では「因縁霊」という言葉がしばしば登場する。この「因縁霊」とはどのような霊を指すのか。

基本的な霊的法則の一つに親和性があり、この法則は霊の世界にいる個別霊と地上の人間の間にも働いている。幽界の下層界に居住する霊の指向性は、強くモノの世界である地上に向いている。その際に地上人側に何らかの弱点がある場合、例えば「負のカルマが絡んでいる場合、生活の乱れ、または度を越した虚栄心や利己主義、さらに酒や薬物などへの依存性など」が存在する場合に、これらが低級霊を引き寄せる際の“霊的な受け皿”となる。低級霊は何らかの原因があって親和性から引き寄せられるのであって、誰彼構わずに影響力を及ぼしてくるわけではない。一般に地上人側にカルマが絡んだ何らかの原因(悪因縁)があって、そこに親和性から引き寄せられた低級霊を「因縁霊」と呼んでいる。

 

③.身近な霊的存在

ア)守護霊

A、誰にでも必ず一体の守護霊が付いている

人間には全員に守護霊が一人、受胎(→受精時:453⑩~⑪参照)の瞬間から、あるいは地上に誕生する前から付いている(1179②~⑨、10138⑪参照)。守護霊は個人の場合でも集団の場合でも守護される側の霊格にあった霊がつく(霊の書208⑧~⑪、210⑤~⑨参照)。多くの場合「再生する前まで顔見知りの間柄」(霊の書208⑦参照)にある霊である。ここから守護霊は同じ類魂のメンバーという説が有力に主張されている(スピリチュアリズム普及会発行『続スピリチュアリズム入門』35⑩参照。なお翻訳者の近藤千雄氏は守護霊とは「本人の魂の親」いわゆる類魂の中心霊とする立場に立つ:霊訓上34⑨参照)。守護霊は本人の特質を見極めた上で、本人の霊的進化に最も適した形で任命されて付く(道しるべ230⑬~⑭参照)。守護霊も霊的に進化するために本人との間に霊的な関係を持つことになる(→ここから筆者は、守護霊は「類魂のメンバー」という立場に立っている)。

両者の関係をリング上で闘う“ボクサーA(再生霊)”と、リングサイドで闘いを見守る“セコンドB(守護霊)”に例えて見れば、両者の関係の一端が理解できると思う。Aは闘いの相手の一挙一動に全意識が集中しているため、巨視的に展開を見ることが出来ない。しかしBは介添人という立場で、闘い全体を俯瞰できる位置にいる。そのためAに対して的確な支援ができる。

 

B、霊的回路を敷設する

人間と守護霊との関係は、原則として霊的親和性によって結びつくが、例外として血縁関係による結びつきも存在する。シルバーバーチは「(人間と守護霊の関係は)霊的親和性による結びつきです。たまには血縁関係が縁になることもありますが大部分は、血縁はありません」(道しるべ228⑤~⑫参照)と述べる。

守護霊は一人のみで生涯変更はない(1巻179⑤参照)。守護霊はその人間が辿るべき道をあらかじめ分かっているが(1179⑥~⑦参照)、人間側から両者間に“磁気的な回路”を敷設しておかなければ(→日頃から思念を守護霊に向けるなど)、守護霊は影響力を行使できない(2209⑥~⑬参照)。両者の結びつきが強いほど守護霊は“磁気的な回路”を通して強い影響力が行使できる(道しるべ228⑪~⑫参照)。しかし多くの人は霊的世界を信じていないので、守護霊との間には“磁気的な回路”は敷設されていない。その為に守護霊や背後霊は霊力の行使に苦労しているのが現状であるという。このことに関してシルバーバーチは「守護霊の働きかけを全く感受できない場合は、霊力を使用して外部環境から操作せざるを得ない」(到来33⑨~⑬参照)と述べる。この「外部環境から操作する」とは、本人の血縁者などが有する磁気的回路(愛の絆)を守護霊や背後霊は一時的に借用して、このルートからインスピレーションを送って導くことが考えられる。

 

C、日本的な霊魂観に立った「守護霊説」批判

日本的な霊魂観に立って書かれている『心霊科学入門』(板谷樹・宮沢虎雄共著、日本心霊科学協会発行)では「(守護霊は)多くの場合300年~700年前他界した祖先の霊魂で、男には男の守護霊が、女には女の守護霊が付いている」(前著188頁参照)とある。この日本的な「守護霊説」には次のような問題がある。

 

◆原則として霊的親和性、例外として血縁関係

守護霊は原則として霊的親和性によって憑く。上述したようにシルバーバーチは「(守護霊は)霊的親和性による結びつきです。たまには血縁関係が縁になることもあります」(道しるべ228⑤~⑫参照)と述べている。

◆男には男の、女には女の守護霊が?

霊は性交によって子孫を作る必要はないことや、男女の性別は「地上人生のテーマ(→地上でしか償えないカルマを解消すること、新たな地上体験を積むこと)」達成に最も適した性を“私”が選択する、この点から見ても霊には性別はない(→今生は男で生まれ、来世は女で生まれるなど)。

シルバーバーチは「霊の世界では界を上がるにつれて男女の差が薄れていく」(4巻141⑬参照)、またマイヤース霊も「魂には女性も男性もない、つまり性別はない」(個人的存在105⑬~⑭参照)と述べている。地上的な習慣を色濃く残している幽界の下層界を離れるに従って(→霊的自覚の芽生えに伴って次第に地上的な観念や習俗から離脱して行く)男女の別はなくなっていくから。

◆霊媒の潜在意識を使って通信が送られる

霊界通信は霊媒の潜在意識にある用語や概念を使って地上に送られる(個人的存在20⑪~21④参照)。そのため通信霊と霊媒のオーラの融合具合によっては、霊媒の潜在意識にある“色”が付着した通信となってしまう(→ホワイト・イーグルの通信はキリスト教と神智学の影響が強い、オーエン著『ベールの彼方の生活』はキリスト教の影響が強いなどが好例)。霊媒の固着観念に日本的な霊魂観が強く染みついていれば、その“色”が強く表に出てきてしまう。このような点から見ても日本的な霊魂観に立った「守護霊説」には問題がある。

 

イ)背後霊

A、背後霊は入れ替えがある

背後霊とは人間の背後にいて感応する霊の総称のこと。一般には「守護霊」「支配霊」「指導霊」から「邪霊」「因縁霊」「憑依霊」まで、あらゆる霊が背後霊には含まれる。現在では主に善霊を指す用語として使われている(→日本心霊科学協会の初代理事長夫人、霊能者の吉田綾氏が「背後から護るという意味で、人間に憑いてその人を護っている何人かの霊たちに付けた呼び名」で、これ以降善霊を指す言葉となった、出典『心霊科学入門』188頁参照)。なお背後霊の範疇に含まれる「守護霊」は別枠扱いとされることが多い。地上人の出生から死までの期間、守護霊は一人のみで変わらないが(1179⑤参照)、背後霊は複数存在する(1179⑥参照)。一般の人の場合は霊的成長とともに背後霊は入れ替わっていく(霊訓上31④~⑤参照)。

 

背後霊は主に地上圏に近い霊たちである(霊訓上31⑥~⑧参照)。地上人の霊的進化に見合った霊が霊的親和性から、人間を指導する目的で、または自身の霊的向上の為の必要性から援助している(霊訓上30⑫~⑬参照)。地上に戻ってくる霊は、地上の人間と連絡が取りやすい幽界にいる霊である。その中で一般人の場合には、主に「霊的自覚」が芽生えた幽界の上層界にいる霊が指導や援助を行う目的で降りてくる。高級霊の場合は霊媒体質者に必要に応じて憑く(霊訓上31⑧参照)。なぜなら霊媒の霊能力を通して地上世界にスピリチュアリズムを普及することができるから。また霊媒は睡眠中に幽界の下層界に降りて、担当する救済霊を手助けして“迷っている霊”の浄化の手伝いを行うことが出来るから。

 

B、二人三脚で霊的成長を目指す

背後霊となる為には自薦や他薦があり(2131②~④参照)、その霊的レベルや担当する分野などはさまざまである(2130③~④参照)。背後霊も自身の霊性向上のために地上人を援助している(霊訓上30⑫~⑬参照)。さしずめ地上人は背後霊に“活動する場”を提供して、二人三脚で霊的成長を目指している“同志的存在”とでも言えようか。

本人が背後霊に気持ちを向けることによって両者間に“磁気的な回路(絆)”が架設されて、それが次第に強固になっていく(1135⑭参照)。その“磁気的な回路(絆)”を通って背後霊から支援のための霊的エネルギーが送られてくる。その際の援助や指導は霊界人の都合とタイミングで行われて、その方法はあくまで霊的影響力の行使という形になる(10166⑫~167③参照)。地上人が背後霊の霊的支援を受けて、困難に打ち勝って物事をやり遂げれば、地上人自身の成果であると同時に背後霊にとっても成果となる(→リング上で闘うボクサーの勝利であると同時にセコンドの勝利でもある)。

 

ウ)支配霊

A、支配霊とは

支配霊とは一般には「交霊会における霊界側の司会者」(田中千代松編『新・心霊科学事典』潮文社93頁参照)とされる霊、または「霊団全体の指揮に当たる霊」(7176⑫~177③参照)のことである。シルバーバーチのような霊格の高い支配霊は霊界の霊媒を介して、本来の個性を犠牲にして地上圏に降りてきている(2119⑧参照)。飛躍の為の犠牲である。

 

B、霊媒が他界した場合

物理的心霊現象が盛んな頃は、支配霊は担当する物理霊媒が他界したら別の霊媒を探して仕事を継続していた(827⑪~28①参照)。なぜなら支配霊は物理現象を扱うという高度な技能を持つ“技術屋さん(職人さん)”だから。これに対して精神的心霊現象の場合には原則として霊媒が他界したら仕事は終了する。なぜなら精神現象を扱う霊媒は物理霊媒より支配霊との関係がはるかに緊密だから(828②~⑤参照)。

シルバーバーチ(支配霊)の場合はバーバネル(霊媒)が死去すれば、支配霊としての仕事は終了する。シルバーバーチの仕事は高度な内容であった為に、大変な時間と労力をかけてオーラの融合を図って仕事を行ってきたことから、再び別の霊媒を探して通信を行うことはないという(828⑥~⑨参照)。

 

C、支配霊の霊格

支配霊の霊格は霊媒が行う仕事によって異なり、霊媒より高い場合(→霊視・霊聴・霊言・自動書記などの精神的心霊現象の場合)もあれば低い場合(→物質化現象・念写・アポーツなどの物理的心霊現象に見られる)もある。霊媒の潜在意識を使って生起する精神的心霊現象を扱う支配霊の場合は、霊格は必ず霊媒よりも高い。なぜなら純粋な霊訓を地上に降ろす為には、オーラの融合と併せて霊媒の生活面の指導も行う必要があるから(→霊媒の霊格を上げる必要があるから)。これに対して物理的心霊現象を扱う霊媒の支配霊は、必ずしも霊格が高い霊ばかりではない。なぜなら物理現象を演出するには地上的要素が強く残っている必要があるから(7176⑨~177⑨参照)。

熟練した支配霊が行う霊媒現象には「霊媒との調和の程度が高く潜在意識による着色が少ない」(メッセージ82⑪~⑫参照)が、人間的に問題がある霊媒の場合には「低級霊が支配霊のスキを狙って憑依してくる」(最後啓示158③~⑤参照)ので要注意。

 

エ)指導霊

指導霊(→背後霊と呼ばれることが多い)の主な役目は、本人の霊的面からの監督指導である。指導霊は守護霊とは異なって、成長過程の一時期だけを担当して、次の段階になると霊は入れ替わる(到来21⑭~22⑤参照)。指導霊は親和性ある者どうしが引かれ合って、または前世の縁(→日本的心霊の世界で言う“因縁霊”のことで、プラスに働けば指導霊としてマイナスに働けば憑依霊として働く)で自分を役立てたいという欲求に沿って人間を選択する(最後啓示89②~⑪参照)。

指導霊自身も霊的成長のため(→コーチとしてのキャリアのアップのため)、自分の持っている資質を犠牲にして地上圏に降りてくる。地上時代に指導に当たっていた霊が、本人の死後も引き続き幽界で指導霊として担当する場合もある(続霊訓120②~③参照)。

 

④.指導霊崇拝批判

ア)指導・監督に誤りを犯すことがある

霊的な理解力は霊的発達の程度に応じたもの。その霊の霊的レベルが限界となるので高級霊といえども完璧ではない。そのため指導や監督の際に誤りを犯すこともある(6207④~⑧参照)。絶対に誤りを犯さないのは創造者の「神」のみ(818⑤~⑥参照)。

シルバーバーチは常々指導霊は崇拝対象とされることを望まないとして、指導霊の資格を得た霊は自身が崇拝の対象とされることは間違いであるとの認識を持っている(821②~③参照)と述べる。そして「指導霊崇拝」(818③参照)や「イエス崇拝」(3104⑨、5206⑧~⑨参照)等の「高級霊信仰(高級霊崇拝)」を批判している。なぜなら彼らは最終的な責任者ではないからである。

 

イ)高級霊は取次役である

シルバーバーチは「祈りの対象」は神であると述べる(11113⑩~⑪参照)。なぜなら祈りとは、神の分霊である自己とその始源との一層緊密な繋がりを求めるための手段であるから(12125⑪参照)。従って神の使者である高級霊やイエスを祈願の対象とするのは間違いとなる(語る159⑦参照)。

これに対してシルバーバーチは「忠誠を捧げるべき対象」を「宇宙の大霊すなわち神と、その永遠不変の摂理」(メッセージ165⑮~⑯、7207③~④参照)であると述べて、祈りの対象とは区別して用いている。なぜなら祈りの照準は当然に「神」でなければならないのに対して、個別霊が永遠の旅を続けていく為には「流れに乗る」という意味で「摂理」に合わせる必要が出てくる。そのため忠誠の対象として「神」に「永遠不変の摂理」が加わった。このようにシルバーバーチは「崇拝の対象は神」(1118②参照)であり「忠誠を捧げるのは神とその永遠不変の摂理」(498⑤~⑥参照)と述べて、両者を使い分けている。

日本的な心霊の世界では、霊能者は神と共に自分の指導霊も崇拝の対象としていることが多い。さらに多神教の世界では、スピリチュアリズム的に言えば自然霊や高級霊である“八百万の神”も崇拝の対象としている。一つの解決策として高級霊(=守護霊や指導霊)は“取次ぎ役”であるとの認識を持つことが、守護霊崇拝や指導霊崇拝に陥るのを避けるポイントになる。

 

ウ)イエスは最高神界の数ある存在の一人

キリスト教徒やイエス信奉者は絶対に受け入れないであろうが「キリスト(=ナザレのイエス)は唯一の絶対神ではありません。至尊至高の神性を具えた最高神界の数ある存在のお一人です。父と呼んでいる存在はそれとは別です。それは人間が思考しうる限りの究極の実在の表現です。従って父はキリストより大であり、キリストは父に所属する存在であり神の子です」(彼方4231②~⑤参照)というスピリチュアリズムに沿った考え方がある。

 

エ)イエス崇拝の誤り、例え

シルバーバーチが述べた「イエス崇拝(キリスト崇拝)」の誤りは(3104⑨、5206⑧~⑪参照)、霊界を会社組織に例えて見れば良く分かる。平社員は日常の業務の指示は直属の担当課長から受ける。だからと言って平社員は上司である課長を崇めたりはしない。なぜなら会社組織の中では社長がトップであり、課長は中間管理職に過ぎないことが分かっているからである。

ビジネスの世界では業績の悪い“問題ある支店”には、本社から実力者が支店長として送り込まれて来て、新任の支店長の下で組織の建て直しが行われる。今回“宇宙という会社”では、問題児の“地球という名の支店”を根本から改革して業績の回復を図ることにした。そこで本社では“支店の責任者(支店長)”に実力者の部長を送り込んできた。本社から送り込まれてきた実力者の支店長がナザレのイエスである(→イエスは「最高神界の数ある存在のお一人」である:彼方4231③参照)。そのイエスが中心となってまとめた“地球という名の支店の再建策”が本社の取締役会で了承された。この“再建策”とは、地球時間の2,000年前から顕幽の両界で始まった「地球を霊的に刷新する」運動、つまりスピリチュアリズム普及運動のことである。

 

この「地球を霊的に刷新する」運動の責任者であるイエスは(メッセージ101⑦、続霊訓120⑩参照)、“宇宙という会社”の職制から見れば中間管理職である支店長にすぎない。但し“神の分霊”たる潜在的完全性が“本来の私という意識”の領域に顕在化している割合は地球レベルでは最大だが。その支店長イエスの下に建て直しを任された直属のプロジェクトチームが作られた。そのメンバーの一人であるシルバーバーチは、支店長にすぎないイエスが崇拝される風潮に対して、崇拝の対象は“宇宙という会社”のトップである社長に捧げるべきと述べた。

イエスは2,000年前に“ナザレのイエス”として地上生活を送り刷新運動の口火を切った。その業績によって“神の分霊”たる潜在的完全性を意識の領域に大きく顕在化することができた(→例えば神の分霊の顕在化率が従来の50%から60%へと)。霊訓には「大霊の顕現としては地上界が賜った最大級のもの」「(霊界に戻り)その霊格は飛躍的に進化を遂げ、地上時代とは比較にならないほど意識の次元が高くなっている」とある(語る161③~⑨参照)。

 

3.代表的な霊的法則「因果律」と「愛」

①.因果律

ア)言葉の意味

辞典では「因果律とは一切のものは原因があって生じ、原因が無くては何ものも生じないという原理」(広辞苑)とある。人の行為は因果律の働きによって「善心による善業(善因善果)、悪心による悪業(悪因悪果)」となる。宗教の世界では「前世の善悪の行為によって、現世において受ける応報」という“業(カルマ)の働き”として用いられている。

シルバーバーチは原因があればそれ相当の結果を生み、自分が蒔いたタネは自分で刈り取る(182③~④参照)のが因果律、霊的法則の中でも基本的な法則の一つであると述べる。そして因果律の根本には霊性の進化という目的があるため(1180⑥~⑦参照)、高級霊といえども“原因と結果”の過程に介入することは出来ない(7186⑪~⑫参照)。そのため行為者は永遠の旅路のどこかの時点で、必ず「蒔いたタネの刈り取り」を行うことになる。必ずしも短い地上生活期間中に因果律が成就されるとは限らないが、何時かは成就する(1179⑪~⑫参照)。一般にはカルマの清算は霊界で行われる(10125⑨~⑩参照)。

 

イ)因果律から見た死生観

代表的な死生観に「A説、心は脳の副産物、死によって私という意識は雲散霧消するので死は終焉、死後の世界はない」がある。この唯物論的死生観の最大の問題点は、死後の世界はないので存命中に悪事が発覚しなければ「逃げ得」となること。悪事という原因を作れば何時かは必ず刈り取りという結果が待っているはずだが、「死は終焉」によって因果律は完結せずに強制的に終了してしまう。これでは基本的法則である因果律が崩壊する。

また死後は「B説、生命の海に溶け込む」と言う死生観や、日本の伝統的な霊的世界観の「C説、死者の霊は弔い上げによって祖霊という海に溶け込む(→〇〇家というラベルの付いた海)」では、因果律の「自分が蒔いたタネは自分で刈り取る」に反して、自分が蒔いたタネは集合魂という集団で刈り取ることになってしまい問題が生じる。ここから「D説、スピリチュアリズム的死生観」である「死んでも“私”は生きている」が因果律から見た場合の正しさが明らかとなる。

 

ウ)「因・縁・果」の関係

私たちの日常は絶えず「原因」を作り、その「結果」を刈り取りながら生活をしているようなもの。暴飲暴食という摂理違反行為はやがて体の不調となって表れることからも、本人自身によって必ず刈り取りを行うようになっている。その原因を解消する為の手段は個々の“条件(縁)”に応じて異なるが。

シルバーバーチも“条件(縁)”については「種を蒔きさえすれば芽が出るというものではない。芽を出させるだけの養分が揃わなくてはならない。養分が揃っていても太陽と水がなくてはならない。そうした条件が全部うまく揃った時にようやく種が芽を出し、成長し、そして花を咲かせる」(163⑫~64①参照)と述べる。

このように宇宙は「原因と結果の法則(因果律)」を基本として形成されているので、何らかの原因を作れば機械的に相応の結果が発生するのが原則だが、条件(縁)によってはその表れ方(結果)が法則の範囲内で異なって生じる。

 

エ)因果律は国家や民族に対しても働く

戦争や過去の植民地支配などによって引き起こされた行為は、当然に個人の集合体である国家や民族に対しても何らかの結果(→植民地宗主国に見られる負の遺産など)となって返ってくる(433⑮~34①参照)。霊的摂理に逆らった行為を行えば、その行為の主体が「個人・集団・民族・国家」を問わず、いつかはその代償を支払わされることになるからである(語る93⑨~⑩参照)。

 

オ)複合的に働く因果律

個々人は自分の周りで複合的に働くカルマ(→民族・国家・地域・家などに働く因果律)を駆使しながら、自らが持って生まれてきたカルマの解消を図っている。

私が日本という国家や民族の下に生まれてきたと言うことは、その国家や民族が過去に作ってしまったカルマを“大枠”として用いながら(→明治から昭和初期にかけて、日本という国が世界に羽ばたいていく際に作り出した負の遺産)、その枠組みの中で自らのカルマの解消を図っていくということである。因果律の大枠による縛りの強弱は市井で暮らす庶民であれば影響は薄いが、国家の意思決定に直接携わる国家公務員であれば縛りは強いという具合に。このように複合的に働くカルマを駆使しながら自らの霊性の向上に努めている。

例えば対外折衝という形で国家の意思決定に携わる国家公務員は、相手国との粘り強い交渉という“外交の場”を使いながら、自らが有するカルマの解消を図っている。その他の国民は“重苦しい時代の空気”を受忍するという行為を通して(→コロナ禍を生きる、近隣諸国との緊張関係の中で生きるなど)、その“受忍の過程”で自らが有するカルマの解消を図って行く。それを通して過去に国家が作った“縺れた糸”をほぐしていくという形で。

 

カ)「因果律の拡張」と「業因縁の継承」について

A、「家」の観念

日本に於いて見られる独特な因果律は「仏教の縁起(因縁生起)」に「先祖崇拝思想」と「家の観念」が結びついて、国民の間に広く受け入れられてきたもの。この中の「先祖崇拝思想」は考古学の調査(→石と墓の配置など)から、既に縄文時代にはその痕跡が見られると言う。

江戸時代の「家制度」は「家禄制度」と結びついた武家階層や、朝廷に仕える公家から始まり、徐々に豪商や豪農に広がったが、名家でもなく資産も無い大部分の庶民には初めから無縁な制度であった。それが明治31年(1898年)制定の明治民法によって、全国民を対象とした「家制度」が創設された(→戸主に家の統率権限を与えた制度で、家族の居住指定権、家族の婚姻・養子縁組同意権、親族会議などが明文化された)。明治民法の制定によって、日本における「家制度」は従来の「上層の家」から「庶民の家」へと拡大された。

この「家制度の拡大」につき著名な民法学者の中川善之助氏(1897年→1975年)は次のように述べている。「日本には二つの家族観がある」「一方に由緒正しき家系の名家名門である上層の『家』を基準に考えるもの、他方に戸主も家族も働いて共同生活をまっとうしている庶民の『家』を基準に考えるものがある」。

 

B、自己責任の原則

宗教では「先祖から流れてきている悪因縁は、身内の誰かが消さなければならぬ」として、この流れを断ち切るには「布施心が悪因縁を解消する最も良い方法」であると言われている。世俗的な心霊の世界でも、頻繁に「親の因果が子に報う(→先祖が犯した悪い行いが原因で、何の罪もない子がその報いを受けて不幸になる)」が説かれている。

これに対してシルバーバーチは「原因を作った者は自ら償いをして刈り取る」「各自が各自の人生の重荷を背負う」という「自己責任の原則」を説いている(6巻58①~⑧、59⑫参照)。この「自己責任の原則」から見れば、孫は祖父が蒔いたタネ(原因)を祖父に代わって刈り取ることはできない。祖父が作った原因は祖父自らが何らかの形で、霊界でまたは再生して刈り取りをすることになる。

 

C、大枠を使って自身のカルマを解消する

孫は再生するに当たり自身が有するカルマ(霊的負債)を解消する為には、日本という民族集団が有するカルマを大枠として使って、さらに「名門の〇〇家」に存在するカルマも利用しながら、自分自身のカルマの解消をはかるのが最も適していると判断して再生したもの。

例えば〇〇家の代々の当主は極端な吝嗇家で傲慢な人であった。その当主たちによって作り出されたカルマが積み重なって、何時しか“〇〇家は傲慢な家”という評価が定着した。孫はその家にまつわるカルマの流れを使って(→“〇〇家は傲慢な家”というレッテルを張られる原因となった数々の負の遺産)、孫自身の意識に染み付いた“傲慢さから派生した負の遺産”の解消を図ろうとした。孫は血縁を重視して「名門の〇〇家」に再生したのではない。通常は“祖父という霊魂”と“孫という霊魂”の間には血縁関係はない。

以上から一般に言われている「因果律の拡張、業因縁の継承(→祖父が蒔いたタネを孫が刈り取る)」は「家」を中心とした考え方であり、「原因はそれ相当の結果を生み、自分が蒔いたタネは自分で刈り取る」(182③~④参照)という因果律から見れば誤りとなる。

 

②.愛

ア)愛は全ての根源

愛は宇宙の原動力であり、世の中の全ての根源となっている。例えばキリスト教文化圏では「隣人愛(→隣人を自分のように愛しなさい:マタイ福音書22㊴参照)」があり、これが道徳・哲学・宗教等いずれの立場からも最も根源的な観念の一つとされている。儒教文化圏の東洋にも「仁」「仁道」「慈愛」といった観念がある。シルバーバーチも同様に「愛が全ての根源です。人間的愛はそのほんのささやかな表現に過ぎませんが、愛こそ神の摂理の遂行者です」(1巻60⑭~61①参照)と述べている。

 

イ)進化レベルの距離間に応じた「愛」の感じ方

一般にお世話をする者とされる者との“進化レベルの距離”が近い場合、例えばペットの犬や猫に対して飼主が愛情を込めて世話をすれば、愛くるしい動作を伴った反応が瞬時に返ってくる。お互いに「愛」を仲立ちとした良好な関係が築かれている。これに対して進化レベルの差が大きい爬虫類のトカゲや両生類のカエルをペットとしている場合ではどうか、当然に反応は鈍いであろう。さらに進化レベルに差がある昆虫の鈴虫の場合はどうか。飼主が与える餌や飼育環境の整備(→飼育箱の掃除や温度管理など)などを鈴虫の視点から見れば、時間になると餌が出て来たり清掃されていたり、また温度が一定に管理されていたりと、鈴虫に感受性があれば一種の“法則性”として感じるのではないだろうか。

このように人間と相手の“進化レベルの距離”が大きければ大きいほど、受け止められ方の違いは大きい。両者の距離の隔たりが大きいほど相手は人間の行為を愛情としてではなく、むしろ“無機質な法則”として受け取るのではないだろうか。

 

ウ)一本の線で「愛」を説明する

次に一本の線を引いて、線上の左端には物質性を帯びた「利己的な愛(→束縛する愛、血縁や仲間重視の愛)」を置き、線上の右端には「利他的な愛(→与えるだけの愛)」の極致である“神の愛”を置く。ここでは「私」を起点にして、進化レベルの高い霊との関係で「私が感じる主観的な愛」がどのように変わっていくのかを見て行く。

この線上を物質性の濃い左端に行けばいくほど、「愛の表現」に利己性や特殊性が帯びてきて、そこに何らかの物質的見返りが伴ってくる(→お金、モノ、保護などの対価)。一方右に行けば行くほど愛に内在するところの利己性が薄れてきて、利他性が増して愛に普遍性が帯びてくる。受け取る「愛」の対象者も特定の個人から、次第に万人に、すべての生き物に、自然に、宇宙へと拡大して行く。

 

エ)高級霊の「愛」

定評ある霊界通信の『シルバーバーチの霊訓』や『モーゼスの霊訓』を読んでみれば、高級霊の「愛」には普遍性が伴っていることが分かる。例えば人間の自由意志を尊重して「どうぞご自分の信じる道を歩まれるがよろしい」と突き放した言い方をする場合がある。手取り足取り手助けしてくれるのが「愛」だと思っている、依存心の強い生き方をしている人にとっては、自由意志を尊重する高級霊の「愛」からは一種の冷たさが感じられるのではないだろうか。高級霊レベルの「愛」でさえ、万人が等しく「愛」として感じるわけではない。

さらに「超高級霊の世界」に行けば「愛」を受け取る対象がさらに拡大して、愛に内在する“規則性・公平性・普遍性”といった無機質さが前面に出てくる。このように考えると究極的な「愛」の表現は“法則”となっていく。この“法則”として現われた「愛」が不完全な世界に行くに従って、“法則”の裏側に隠されていた温かみが表面に現われてきて(→愛する者と愛される者との距離が近くなるから)、次第に「愛」に個別事情と言った特殊性が帯びてくることになる。

線上の右端に位置する神は(→厳密には創造者であるため線上の欄外に置かれるが)、宇宙を統治する仕組みとして「神→法則(摂理)⇔万物」を創った。その仕組みの背後には、万物が平等に霊的成長を果たすための“究極の愛”が隠されている。なぜなら「愛とは摂理のこと、神そのものが愛」、すなわち「神=愛=摂理」だから(8126⑪~⑫参照)。

 

オ)血縁重視の「利己的な愛」と「利他的な愛」

愛には普遍性を帯びた高い霊性を伴った愛から、血縁関係から発する“閉鎖的で内向的な愛”まで幅広く存在する。家族的な絆に根ざした血縁的な愛よりも「奉仕的精神から発動した愛」には、行為の純粋さが高い分だけ“神の属性(→愛・寛容さ・叡智・親切・優しさ・思いやりの心など)”が形体(→本来の私という意識がまとう外皮のこと)からより多く滲み出て来る。なぜなら排他性を帯びた内向的愛よりも発展性がある外向的愛の方が、利他性指向が強い分だけ高いから(1145⑪参照)。

 

カ)地上に通信を送る霊

シルバーバーチは次元の異なる地上に通信を送ることは「(霊的波長から物的波長への切り替えを伴うことから)容易なことではない、大へんな努力を必要とする」ので、通信霊は必然的に「愛念を抱く者に限られる」(189⑨~⑪参照)と述べている。従ってこのような困難を乗り越えて地上に送られてくる霊界通信の多くは、未だに意識の関心が地上に向いている、物質臭が抜けきらない幽界の下層界に居住する血縁の霊からの通信となる。ここに血縁重視の霊界通信が多くなる理由がある。これは高校に進学した生徒が中学時代のクラスメートや部活の後輩の面倒事に、自分の休みを犠牲にしてまで駆け付けて世話を焼きたがる意識状態と似ている。

霊的自覚が深まるにつれて上昇志向が強まって、次第に地上への関心は薄れて行く。そのため「霊的自覚」が芽生えた霊からの通信は減っていく。地上への通信は例外的に霊側に“何らかの使命”がある場合に限られてくる

 

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<質問、その1>

個人ではどうしようもない「コロナ、経済不安、災害」など、スピリチュアリズムの視点での解釈・対処・対応などを伺いたい。

 

◆自然災害という言葉

まず自然災害とは人間側から見た言葉、これらの自然現象は地球の進化の現れである(12109⑪~⑬参照)。地球は誕生初期、大規模な噴火や造山運動など荒々しい現象を伴って「物的地球」は進化して行った。長い年月の後「物的地球」は次第に穏やかになっていった。その「物的地球」を霊界側では霊的成長のための「学校」として使うようになった。穏やかになってきた「物的地球」の表面に“人間を頂点にした様々な生物”が出現した。私たちが今いる「物的地球」が「学校」として使われるようになった。

◆旅人的視点が必要

その「学校」で学ぶ我々は“一時滞在者の旅人”という観点から物事を見ることが必要。霊的真理を知れば「この世は仮の世」であり、「学校」や「トレーニングセンター」という意識になる。いわば長期滞在者用のホテルに住まう「旅人」という感覚になる。

シルバーバーチはイエスの言葉を引用して「この世を旅する者であれ、この世の者となる勿れ」(419⑨参照)と述べている。さらに「私は“俗世にあって俗人となるなかれ”という訓えの通りの立場にあります」(7106⑬~107①参照)とも述べている。そこには未来永劫に住み続ける「住人的視点」でモノを見るのか、一時滞在者の「旅人的視点」でモノを見るのかの違いがある。シルバーバーチは後者の「旅人」的な見方を推奨している。

旅人的視点で見れば、生き方も「死を一つの通過点とした生き方」となっていくため(→私は霊である、本来の住処は霊界である)、その地に根を張った「住人」とは価値観を異にし、「モノに対する執着」は格段に薄くなる。さらに災害や経済不安などに対する見方にも変化が生じてくる。

◆未来の地球

『ベールの彼方の生活』4巻268頁~271頁に「地球進化の未来」が載っている。269頁に「その表面に陸と海の形が現れました。今日の地形とは異なります」、270頁に「地球はますます美しさを増してきました、表面の光が増し、大地そのものも内部から輝きを増しておりました」とある。このように今後も「物的地球」は進化し続けて、当然に地形は変わって行く、未来永劫にわたって今の地形が維持されていくわけではない。

◆意識の転換が必要

あくまでも地上世界の位置づけは「学校」であり、我々はそこで学ぶ「生徒」である。「学校」である以上頻繁に「試験(困難・悲劇など)」がある。その「試験」にどのように向き合うのか、シルバーバーチの立場に立てば「魂の磨き粉」と位置付けて「学業(霊性)」を高めていくことが重要となる(→これが「生徒の本分」だから)。その際「肉体」は「学校」で学ぶための「制服」である、このような見方が大切。人間には寿命があるので、一定年限で誰もが地上世界と言う「学校」を卒業して行く。

このように物事を「この世的な視点」ではなく「霊的視点」に立って眺めることが必要。ここからスピリチュアリズムは個々人の意識の転換を迫る「意識の変革」運動という位置づけとなる。

 

<質問、その2>

日本的な守護霊説の問題点を指摘して頂きたい(本文の中に織り込み済み)、また守護霊とのパイプを繋げる方法を具体的に、出来れば体験談を交えて伺いたい。

 

◆私の個人的な体験談

私は若い頃、霊界の存在を信じてはいなかった。その後、瞑想がしたくなり場所を探していた時に日本心霊科学協会の精神統一会を知った。何度か精神統一会に通っているうちに「この者はよう信じることをしないのだが、わしが連れて来たのでよろしく頼む、〇〇〇〇(実在の先祖の名前)」という“霊査(ワンポイント・アドバイス)”を受け取った。当時は「守りにくい」という霊査がたびたび出ていた。

その頃、私の部屋に友人が北海道旅行でお土産に買ってきた「アイヌの木彫り(お爺さんと御婆さんが一対となった像)」があった。この木彫りを“守護霊・指導霊・先祖”と見なして、毎日木彫りの頭を「おはよう」「ただいま」「おやすみ」と言ってなでていた(→何気なく行っていた行為が守護霊等との回路を作っていったと思われる)。一年くらい経った休みの日の朝、寝ていると布団の胸もとから“ニコニコしたお爺さんの木彫りの像”が満面に笑みを浮かべて出て来た、次に“ニコニコしたお婆さんの木彫りの像”が出てきた(→木彫りの無表情な顔が私のエクトプラズムを使って変貌したものと思われる)。部屋中に“幸せのオーラ”をいっぱい振りまいていった。この“不思議な現象”があってから霊査の内容が変わってきた。頻繁に「良く守られています」「守りが厚い」と言われるようになった。守護霊・指導霊等との回路がやっと出来たと思った瞬間であった。

無表情の木彫りに自然霊(妖精?)が宿ってしまったと思って、それ以降は頭をなでる行為は止して、心の中だけで毎日挨拶するようにした。それ以降、引っ越しを繰り返すも木彫りの像は処分できずに、玄関わきに未だに置いてある。

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

*イラストは省略してあります

第1講:基本的事項の整理、その1

目 次

1.スピリチュアリズムの周辺部

2.さまざまなスピリチュアリズム

3.スピリチュアリズムの位置関係

4.代表的な死生観

5.シルバーバーチとは何者か

6.スピリチュアリズムの普及運動とは

7.霊的実在の証明手段の変更

8.スピリチュアリズムの神観とは

 

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1.スピリチュアリズムの周辺部

ア)宗教

A:言葉の意味

宗教という言葉の辞書的意味は「超越的絶対者あるいは神聖なものの存在を信じ、それを信仰すること。またはそれらの教義・行事・制度・体系」(明鏡国語辞典他)とある。これに対してシルバーバーチは、宗教とは「人のために役立つ行為、霊性に動かされた行為、無私と利他的行為、自分より恵まれない人へ手を差し伸べること、弱き者へ力を貸してあげること」(潮文社370⑮~71②参照)であると述べる。すなわち「奉仕を基調とする宗教」(5130⑮~131①参照)、利他的行為のことである。

また信仰についても理性に信仰をプラスした「知識を土台とした信仰」(1巻62⑫参照)であり、盲目的信仰ではない。同じ「宗教」や「信仰」という言葉を使っていても、地上側と霊界側ではその中身は異なっている。

 

B:「勧誘形態」の違い

教団が行う勧誘には、誰彼かまわずに勧誘する形態が見られる。そこには「しつこい勧誘」や「悪質な勧誘」の話が付きまとう。シルバーバーチは教団が行う勧誘形態、例えば行事や集会の熱狂的な雰囲気を通して多くの人を改心させる勧誘形態では「霊的な価値を悟らせることはできない」(新啓示112⑦~⑧参照)と言う。なぜなら霊的な問題に関する限り、一人一人が理解の程度に応じて受容して行くのであって“集団回心”は有り得ないからと述べる(11103⑨~⑩参照)。

 

スピリチュアリズムの勧誘形態は時期の来た「大人の霊(→霊的に受け入れる用意のできた人間の魂:9巻18⑩参照)」一人一人の理性に訴えて、納得ずくによって行う点に特徴がある。イギリスのことわざに「馬を水辺に連れていくことはできても、(水を欲しなければ馬に)水を飲ませることはできない」がある。これを「霊的真理が学べる場所(講座、勉強会など)に友人を連れていくことはできても、その友人に真理を受け入れるだけの時期が来てなければ、理解してもらうことはできない」と読み替えると、スピリチュアリズムが誰彼構わず勧誘する形態をとらない理由が理解できる。

 

スピリチュアリズム(霊的な事柄)に関しては必要としている人が自ら足を運んで真理を得る形態。いわば購入意思のあるお客が店舗を選択して来店する形態、勧誘側から見れば“待ちの形態”に特徴がある。既存の宗教とスピリチュアリズムでは「宗教」の意味する内容に相違があるため、当然に勧誘形態にも違いが見られる。

 

イ)オカルティズム(オカルト

A:言葉の意味

オカルティズムはラテン語の「隠されたもの」に由来する言葉で「隠秘学」「神秘学」などと訳される。一般的な意味としては「通常の経験や科学では認められない超自然的な力の存在を信じ、それを研究すること。占星術・錬金術・神智学・心霊術などをいう」(広辞苑)。

 

B:スピリチュアリズムとの違い

オカルティズム(但し魔術を除く)もスピリチュアリズムと同様に、高次の存在や高次の世界に関心を持っている。この点で両者には共通性がある。

スピリチュアリズムでは地上世界は体験を積むための「学校」であるとして、永遠の霊的向上に重きを置く。これに対して地上世界に重きを置くオカルティズムは主知主義の傾向が強い。視点の置き所が両者では異なっている。

 

ウ)魔術

A:言葉の意味

魔術を的確に表した言葉に、儀式魔術師のアレイスター・クロウリー(英国Aleister Crowley:1875年→1947年)の「魔術とは意志に従って変化を起こす科学であり業である」(クロウリー著『魔術―理論と実践』)がある。つまり自分が意図したとおりに何らかの変化を生じさせるのが魔術であると。

一般に魔術は「この世に存在するものは相互に影響を及ぼし合っている」という相互関係に着目して「自己の望むどおりの結果をもたらす」と主張する。人の想念は外界の事象に影響を及ぼすので、強い思いを持つことにより期待通りの成果を得られると述べる(→引き寄せの法則と共通する)。

 

B:オカルティズムとの違い

オカルティズム(神智学含む)では秘儀伝授(イニシェーション)や意志力を重視するが、魔術もこれらを重視しているのでこの点で両者は共通する。しかしオカルティズムには隠れた力や存在を信じて「超越的存在との合一を目指す」という考えがあるのに対して、魔術には究極的なものに仕えるとか、自己をより高めるといった観念はなく、物質的で自己中心的な満足を求める傾向が強い。

 

C:スピリチュアリズムとの違い

魔術は物質的な実現を第一義とするが、霊性の開発という肝心な点は欠落している。これに対してスピリチュアリズムでは「本来の私という意識」に潜在している“神の分霊”の顕在化、つまり相応の形体をまとって利他的行為を行う「霊性の開発」に関心が向いている。スピリチュアリズムと魔術では目指している方向が正反対である。

 

エ)神智学

A:本来の意味

神智学の本来の意味は「神秘的直感によって直接に神を認識し神の啓示に触れようとする立場」のこと。この立場からは「神は叡知的な性格を持ち、宇宙は神の叡智によって形作られている」「人間の智や認識も神の叡智に通じる性格を持ち、人間は神を認識し神に近づくことができる」と説く。このような説を述べる神智学は、神の不可知(→人間の五感では証明や計測できないので神を論議の対象外とする)や人間の認識の限界を強調する正統派神学や哲学からは常に異端視されてきた(世界宗教百科事典)。

 

B:近代神智学

ブラヴァツキーとオルコットによって、1875年にニューヨークで「神智学協会」が創設された。この「神智学協会」によって主張された神智学は“本来の意味での神智学”ではなかった。そのため“本来の意味での神智学”と区別する意味で「近代神智学」と呼ばれている。近代神智学は使用する人の立場によって違いがあるが、一般的には「近代神智学はブラヴァツキーの著作の中で明らかにされた神秘主義を基調とした思想体系を指す」とされている。この思想体系は「東洋的要素を大幅に取り入れた点が、キリスト教神智学とは決定的に異なっている」(世界宗教百科事典)。近代神智学は東洋の神秘思想重視の傾向が強い。

 

ブラヴァツキーの近代神智学は、当時の著名なスピリチュアリストにも大きな影響を与えた。ちなみに1878年創設の英国神智学協会では、最初の1年間の入会者のほとんどはスピリチュアリストであったという。このように神智学の論理的で思弁的な理論体系は、さまざまな人たちに影響を与えつつ、ルドルフ・シュタイナーの人智学(→1913年創設の人智学協会は西洋の神秘思想を重視)や20世紀後半のニューエイジ運動に繋がっていった。

 

C:スピリチュアリズムとの違い

ブラヴァツキーによって始められた「近代神智学」は、オカルティズム・東西の神秘思想・魔術・宗教・さまざまな思想等をミックスして一つの理論体系として打ち立てたもの。この点が高級霊からもたらされた霊界通信を基にしているスピリチュアリズムとは本質的に異なっている。

またブラヴァツキーは「死者の霊は稀な例外的な場合以外は、この世に戻ることはできないと私達は主張します。また、全く主観的な方法による以外は、霊と人間と通信することもありません」(ブラヴァツキー著、神智学叢書『神智学の鍵』竜王文庫、36頁参照)と述べて、スピリチュアリズムの根幹部分である「霊との交流(→顕幽の交流は可能であるので、霊媒を通して特定の死者の霊との交信が可能)」を否定した。

 

オ)ニューエイジ運動

A:言葉の意味

1960年代のアメリカに端を発した文化現象に「対抗文化(カウンターカルチャー)」がある。この対抗文化は1970年代に「ニューエイジ運動」として定着していった。ちなみに対抗文化としての多様な形態や行動様式(→音楽、映像、ワークショップ、セラピー、ヨガ、瞑想、東洋医学、地球を一つとみなす環境運動など)を、一括りにした全体を「ニューエイジ」と呼んだ。日本ではニューエイジやニューエイジ運動は「精神世界」と呼ばれることが多い。

 

そのニューエイジの中でも“霊的な部分を総称した言葉や活動”の総体を特別に「ニューエイジ運動」と呼んでいる。宗教学者の島薗進氏は1970年代以降「ニューエイジ運動」は、「新しい意識や文明への移行が近い」という多くの人々の期待を集めて、先進国にとどまらず第三世界も含めて消費文化が発達した大都市において同時多発的に、多様な形態で展開している運動であると述べる(島薗進著『精神世界のゆくえ』51頁参照)。

 

ニューエイジという言葉は、占星術で「魚座の時代が過ぎて新しい水瓶座(アクエリアス)の時代が到来する」という考えが基になっている。魚座の時代は宗教の時代であったが、水瓶座の時代は宗教に代わる新しい霊性(スピリチュアリティ)の時代とされるから。なお社会の有り様も従来の人間中心主義的思考方法から、近年ではニューエイジの思考方法である「共生型や全体論的思考」が市民権を得て生活の中に溶け込んできている。

 

B:「精神世界」というカテゴリー

日本において“ニューエイジ的な宗教観(ニューエイジ運動)”と呼ばれるものは「精神世界」というカテゴリーで括られている。各種の解説書によれば「精神世界」は以下のような区分けをして説明がなされている。

・神道・仏教・民族宗教的な流れをもったもの

・アメリカのチャネリングやセラピーの流れにあるもの

・神秘思想の流れにあるもの

・臨死体験や退行催眠、体外離脱体験等の超心理学の周辺部にあるもの

・宇宙人・UFOの流れにあるもの

 

C:日本に於ける現状

日本ではアメリカとは異なって「伝統的文化に対抗する」という要素は少ない(→アメリカでは支配的なユダヤ教やキリスト教由来の伝統文化と敵対関係にあるのが特徴)。チャネリングは日本の巫者(→イタコ、ユタ、卜占、霊能者など)の「霊的メッセージ」と容易に結びつく。アメリカでは既成宗教とは対立関係にあるが、日本ではむしろ宗教団体がニューエイジ的な思想や、スピリチュアリズム的な思想を組織内に積極的に取り込もうとしているように見える。

 

D:問題点

一般に「ニューエイジ運動(精神世界)」は個々人のゆるやかなネットワークを中心として、内面の成長を追求したいと願う人々がメインのため、インターネット・出版物・自己啓発セミナー・ワークショップ等を媒体とすることが多い。ニューエイジ運動の当事者は純粋に「意識変容」を目指す人たちから、ニューエイジ・グッズの消費者まで幅広く存在する。

 

ニューエイジ系の書籍には「自己を癒す、自己を許す、自己愛の強調、わくわくする、今のままでよい、よい波動を受ける」などのフレーズがしばしば出てくる。基準は「自分を満足させることができるか」にある。スピリチュアリズムでは他者に霊的エネルギーを流す為に利他的行為が推奨されている。ちなみにニューエイジ系は利他的行為を行う前段階として、自己の内面を霊的エネルギーで満たす“ウォーミングアップ”を行っている状態といえる。

 

カ)心霊研究(超心理学)

A:心霊研究の始まり

1848年のハイズヴィル(フォックス家)事件に触発されて多数の霊媒が出現した。霊媒を囲んで行われる“家庭交霊会”では、霊界からのメッセージと共にラップ現象などの物理的心霊現象が頻発して起きた。このような霊媒の周りで起きる心霊現象は、まもなく科学者の関心を引き、ここから心霊研究が始まった。

 

B:研究者は現象の再現性を求めた

研究者の“現象面の科学的研究”について、スピリチュアリストは「信仰の補強としての役割」を期待した。しかし研究者は現象の再現性(追試可能性)と方法の厳格さを求めてきたために、次第に双方の利害や方向性が対立していった。

その後、研究者は霊媒現象に特有な「捉えにくさ、不確実性、不正の介在」などの問題から霊媒を退けて、一般人を対象として統計学を使った実験心理学の手法を用いる方向へと進んでいった。スピリチュアリストと心霊研究者との間の溝は次第に広がって行った。

 

C:スピリチュアリストは梱包材より中身の検証を主張

スピリチュアリストは「心霊現象は人々に霊的なものに関心を向けさせるための手段」であり、次の段階に進むための準備と位置づけた。いわば心霊現象は霊的真理を地上に届けるための“梱包材”のようなもの。その“梱包材”の成分調査や梱包状態の外見調査に明け暮れて中身を開こうとしない、中身の持つ霊的意味を探ろうとしないとの批判がスピリチュアリスト側には根強く存在する。

スピリチュアリズムから心霊研究は分離して、その後霊魂説を放棄して既成科学の傘下へ進む心霊研究(=超心理学)と、霊魂説を前提として霊的教訓を受取るスピリチュアリズムとは、交わることなく並行して進んでいくことになる(→社会学者の田中千代松氏は「同根の平行線」と名づけた:田中千代松編『新・心霊科学事典』所収「総括と展望」参照)。

 

2.さまざまなスピリチュアリズム

ア)素朴なスピリチュアリズム

霊魂は肉体が滅びても永遠に存在するという考え方は、洋の東西を問わず古代から存在していた。この「霊魂不滅」を前提として「祖先崇拝」や「輪廻転生説」が生まれた(平凡社『哲学事典』参照)。

日本の古代社会では霊魂を「たま」と呼び、死者の霊魂と人間との間を取り持つコミュニケーションの媒介者を「口寄せ」と呼んでいた。この「口寄せ」が「神憑り」して、顕幽の橋渡しを行っていた。旧約聖書の「サムエル記上、28」や「イザヤ書、8」などにも、死者の声を聴く「口寄せ」や霊媒の話が登場するので「神憑り」現象は日本だけの話ではない。

 

このような古代から世界各地に存在してきた「死者の霊魂」や「死後の世界(他界)」を前提としたコミュニケーションを「心霊術又は交霊術」と言う。近代スピリチュアリズムの「霊魂説」の観念と共通した部分が多いが、ここには多くの迷信や俗信が混在している。これを便宜「素朴なスピリチュアリズム(自然発生的なスピリチュアリズム)」と呼ぶことにする。

なお「霊魂説」とは「死後の世界」の存在を肯定して「死後も人間の個性は存続する(→死んでも私は生きている)」こと、さらに「死者との交信を認めてあの世とこの世は交流している(→プラスに働けば霊からの有益な情報がインスピレーションとして届く、マイナスに働けば憑依現象となる)」ことを信じる立場のことを言う。

 

イ)近代スピリチュアリズム

A:発端はハイズヴィルの怪奇現象

1848年以降のスピリチュアリズムを「近代スピリチュアリズム」と呼ぶ。その発端はハイズヴィルの怪奇現象であった。

アメリカのニューヨーク州ロチェスター近郊のハイズヴィルに、幽霊が出ると噂されていた木造の地下室付きの家があった。1847年12月にフォックス家の一家(→夫と妻、そして姉妹のマーガレットとケイト)がその家に引っ越してきた。始めのうちは何事もなかったが翌年18483月以降、拳で家の壁を叩く音やノックの音、家中の家具を動かす音などが連日鳴り響いた(→ポルターガイスト現象)。331日の夜にひときわ大きなラップ(叩音)が発生したので、姉妹が手を叩くという方法で通信を試みたところ、霊からラップによる返答が返ってきた(→ポルターガイストで霊との交信が出来たことは極めて異例のこと)。

 

姉妹と霊との間で通信が取り交わされた結果、霊の身元が判明した。霊の身元はチャールズ・B・ロスマ(31歳)という名前の行商人であり、5年前この家に住んでいた住人に包丁で喉を切られて、所持金の五百ドルを奪われて殺害された。さらに死体は階段を引きずられて地下室の土間に埋められた、ということが判明した。

あまりに重大な内容のため隣人を呼び、その隣人がさらに隣人を呼び寄せる中で交信が続けられた。翌日、地下室の床を掘って裏付け調査を始めたが水が湧いてきたため中止。その年の夏に作業を再開、僅かな人間の頭髪と人骨が現われたが、殺害された行商人のものと断定するまでには至らなかったという。

 

ハイズヴィル事件の56年後に急展開があった。1904年11月に“お化け屋敷”の地下室で遊んでいた小学生たちは、地下室の崩れた壁と壁の間から完全な白骨死体を発見した。通報により家の所有者が調査したところ、死体の傍から当時の行商人が金銭を入れて持ち歩いていたブリキ缶が発見された。このような物証から白骨死体は1848年にフォックス家の姉妹とラップで交信した行商人とされた。この白骨死体発見のニュースは、当時の新聞に載っている。掲載紙は19041123日付『ボストン・ジャーナル:Boston journal』、この紙面に1904年11月22日ロチェスター発の記事として掲載された。

 

B:心霊現象の発生と霊媒体質者の存在との因果関係

このラップ(1848331日夜の叩音による交信)によって霊の世界と交信を行ったフォックス家の姉妹の噂は、瞬く間にニューヨーク州北部から近隣の州へと広がり、大きく報じられて評判となった。当事者である姉妹は事件の渦中から逃れるため、ロチェスターにいる長女の家に引越をしたが、姉妹の行くところには絶えずラップやその他の心霊現象がついて回った。このことからラップ現象は、姉妹の霊媒体質を介して発生したものであることが明らかとなった(田中千代松編『新・心霊科学事典』所収「人類の将来」参照)。この一連の事実から心霊現象の発生には、エクトプラズムの供給者である霊媒体質者の存在が不可欠であること。ここから心霊現象の発生と霊媒体質者の存在との因果関係が判明した。

 

なお物理的心霊現象を引き起こすエクトプラズムは、物質と生命との中間的存在であり半物質的な性質を持っている。霊媒の中でもエクトプラズムを豊富に製造できる人が物理霊媒となる。トランス状態に入るとエクトプラズムが外部に引き出されて、各種心霊現象を引き起こす際の材料として使用される(個人的存在82⑨~⑬参照)。シャルル・リシェ(仏1850年→1935年、1913年ノーベル生理医学賞)は、霊媒から出て様々な形に変化して現象を引き起こす半物質状の物体を「エクトプラズム」と名付けた(デボラ・ブラム著『幽霊を捕まえようとした科学者たち』文芸春秋259頁~262頁参照)。

 

C:科学的検証を伴った心霊ブーム

この時期フォックス家の姉妹に触発される形で、各地に心霊現象を起こすことのできる霊媒が次々と現れた。これらの心霊現象に学者や知識人、聖職者などが関心を持ち、アメリカ社会に一大ブームを巻き起こした。日本でもこれと似たような状況は起きている。1974年にユリ・ゲラーのスプーン曲げがテレビで放映され、これがきっかけとなって各地に能力者が出現して「超能力ブーム」を引き起こした。また1910年(明治43年)から1911年(明治44年)にかけて起きた「千里眼事件」、これに触発されて“月の裏側の念写”で有名な三田光一など、念写や透視ができる霊能者が次々と出現した。これらの日本での現象はフォックス家の姉妹に触発されて能力者が次々と出現して行った状況と似ている。

 

アメリカ東海岸で起きたブームは1850年代にはヨーロッパに飛び火し、1870年以降ウィリアム・クルックス(英1832年→1919年)など、当時の一流の科学者を巻き込んだ調査研究によって、次第に心霊現象の仕組みが明らかになって行った。この調査研究は「科学的検証を伴った心霊ブーム」に道を開いて1882年のSPR(英国心霊研究協会)創設に繋がった。

 

D:霊との交信は科学的に証明が可能

このような多くの学者の科学的検証によって「霊魂説」が次第に「証明」されてきた。ハイズヴィル事件(1848331日)以降の「この世とあの世の交信は科学的に証明が可能」を強調するスピリチュアリズムを、従来の自然発生的に存在するスピリチュアリズムと区別する意味で「近代スピリチュアリズム(新スピリチュアリズム)」と呼んでいる。田中千代松著『新霊交思想の研究:改訂版』(8頁⑭~⑮)では「死者の霊との交信が科学的に可能であるという確信の上に立っている」と記されている。

 

このような科学的検証は「霊魂説」を「証明」して、霊界通信によって「質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」が地上世界にもたらされる際の土台部分となった。従来の自然発生的に存在する「素朴なスピリチュアリズム」と区別する意味で、ハイズヴィル事件(1848331日)以降の「この世とあの世の交信は科学的に証明可能」を強調するスピリチュアリズムを「近代スピリチュアリズム(新スピリチュアリズム)」という。

 

ウ)世俗的なスピリチュアリズム

世の中の多くの人たちが「スピリチュアリズム」や「スピリチュアル(霊的な)」「スピリチュアリティ(霊性)」という言葉に対して抱く一般的なイメージは、おおよそ「占い的なもの」や「娯楽的なもの」と思われる。それはスピリチュアリズムという言葉が、世俗的な欲求とセットとなった開運や、個人的な慰め・癒しといった“娯楽の一環”として用いられていること、または“生業の手段”として使われていることからも分かる。

 

ここから見えてくることは、近年マスコミやビジネスの世界で盛んに取り上げられている「スピリチュアリズム」等には、来世の存在や死後個性の存続と言ったスピリチュアリズムが持つ本来のテーマは含まれていない。また霊性の向上と言ったスピリチュアリズムの本質的な理解からは懸け離れた形で世俗的に用いられている。目指す方向が“物質的(この世的)”であることなどに特徴が見られる。そのためこれらを「世俗的なスピリチュアリズム(現世利益的なスピリチュアリズム)」と呼ぶことができる。

これに対してシルバーバーチが私たちに求めているスピリチュアリズムとは、個々人が霊的知識を日常生活に活かして、自身の生き方を変えて霊性の向上を図っていく実践哲学的な考え方を言う(→刻苦と苦難を“魂の磨き粉”にして霊的資質を開発していくこと)。

 

3.スピリチュアリズムの位置関係

ア)全体の位置関係

 

イ)「実証重視」と「信念重視」という二面性

一般に「近代スピリチュアリズム」の位置関係は「右隣りには実証を重視した科学の世界:D」が広がっており、反対側の「左隣には信念を重視した信仰・宗教の世界:A」が広がっている。そのため実証を重視するスピリチュアリストは「科学へ傾斜する:D」傾向を強め、信念を重視するスピリチュアリストは「信仰へ傾斜する:A」傾向を強めていく。このようなスピリチュアリズムの「実証重視:D」と「信念重視:A」という二面性は、スピリチュアリストが有する“傾向の違い”だけに留まらず、証拠に対して求める“厳密さの程度”にも違いが現れている。

 

ウ)いわゆる「事実」としての「霊魂説」

19世紀後半の西洋社会でブームとなった「家庭交霊会」では心霊現象が頻発して起きた。この心霊現象は間もなく科学者の目に留まり、広く関心を呼び起こして科学的な調査研究の対象となった。当時の一流の科学者の調査研究によって心霊現象の仕組みが明らかとなって、その結果「霊魂説」が確固たる「事実(=いわゆる事実として)」として打ち立てられた。スピリチュアリズムでは「霊魂説」を「スピリチュアリズム思想の土台部分:C」としている。この「スピリチュアリズム思想の土台部分」である「霊魂説」は、実証重視の「科学の世界:D」へと繋がっている。そして各種心霊現象を調査研究する「心霊研究」として発展し、その後「超心理学」と呼ばれるようになって学問分野の一角を占めるに至っている。

 

エ)スピリチュアリズム思想

この土台部分の「霊魂説」の上部構造には、高級霊から霊界通信によってもたらされた「スピリチュアリズム思想:B」がある。この「スピリチュアリズム思想」には「人生をどのように生きるべきか」や、人生に於いて遭遇する「困難や苦難にどのように対処したらよいか」など、人の生き方を深く掘り下げて考えてみる際のヒントが散りばめられている。

 

高級霊が述べているように「知識には必ず責任が伴う」(1巻119⑬参照)ことから、「スピリチュアリズム思想」を学んで知識の分量を増やしていくと、次第にその人の「生き方が問われてくる」ことになる(→知識は実生活に活用しなくてはならない:3巻42⑪~⑫参照)。いわば生き方の「質的な転換(知識から生き方へ)」を迫られることになるわけである。この「質的な転換」は個々人の自由意志にゆだねられているが、なかには「スピリチュアリズム思想」をこの世を生き抜くための「生き方の指針(実践哲学、信仰):A」にまで高めていく人も出てくる。そのため上部構造たる「スピリチュアリズム思想:B」は信仰と相性が良く「宗教・信仰の世界:A」へと繋がっている。

 

オ)質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism

このようにスピリチュアリズム思想には、各自の生き方を変えて個々人の集合体である社会をも変えていく力がある。ここには多くの人が理解する物的指向が強いこの世的な幸福追求型の「世俗的なスピリチュアリズム(現世利益的なスピリチュアリズム)」といったイメージは全くない。むしろ霊的知識を自己の生き方に活かして霊的成長を図るという「実践哲学」的な意味合いが強く見えてくる。そのため当講座ではスピリチュアリズムを「世俗的なスピリチュアリズム(現世利益的なスピリチュアリズム)」としてではなく、霊的知識を自己の霊的成長に活かしていく「質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」として用いている。

 

4.代表的な死生観

ア)「死は終焉」と考える唯物論者の死生観(上記のA図)

多くの人は「心は脳の副産物」なので、死によって人間の精神活動一切は終焉するという唯物論的な考え方をしている。この立場では「私という意識は死によって雲散霧消してしまう」ので、当然の結果として「死後の世界」は存在しないとなる。そのためより一層この世に対する執着が強くなっていく。

 

死後の世界を一切認めない「死は終焉」という考え方の最大の問題点は「逃げ得を許すこと」である。この世で“悪行の限り”を尽くしても、見つからなければ「不正を咎められることはない」と考える人が出てくる。これでは人間社会が長年に亘って作り上げてきた倫理観の崩壊であり、ますます社会が悪くなっていく。

 

イ)「生命(霊)の海に溶け込む」という考え方(上記のB図)

上記のような唯物論的な考え方に馴染めない人たちの多くは、死を「生命循環」的に考える傾向がある。これには唯物論に近い考えをする人たち(→死は終焉、但し生きていた証は残る)から、よりスピリチュアリズムに近い考えをする人たち(→33回忌までは死霊という個別霊、それ以降は祖霊という霊の海に溶け込む。日本の伝統的な霊魂観)まで幅がある。

 

この考え方によれば、死とともに“私という個人”は消えてなくなって、死後は一種の「生命エネルギーのような大きな海」に溶け込み、そこから「大海の一滴」という形で次の新たな生命が生み出されると説く。死とともに“個性を持った〇〇という名前の付いた自分”は消えるが、「生命エネルギー」という概念の中に“自分が存在したという証”は残ると考える(五木寛之著『玄冬の門』ベスト新書124130参照)。これに近い考え方が血縁をベースにした日本の伝統的な霊的世界観にもある。日本人は比較的この「生命の循環(生命の海に溶け込む)」説に馴染み易い。

 

ウ)日本の伝統的な霊的世界観(上記のC図)

日本の伝統的な習俗からは、供養の対象となる“死霊(死者の魂)”は「弔い上げ(33回忌)」によって初めて汚れを拭い去って清まり、個性を失って先祖の霊に融合して「祖霊という大きな海」に溶け込む(→33回忌までは死霊という名の個別霊、それ以降は「〇〇家、一族」というラベルの付いた海に溶け込む)。この祖霊が草葉の陰から子孫を見守る形で、または再生することによって、「祖霊という大きな海」と地上にいる一族との間を行き来することになる。なお「祖霊」とは個性を失った“先祖の霊魂の集合体”のことであり、一種の「集合魂(霊の海)」のこと(國學院大學日本文化研究所編『神道事典、縮刷版』弘文堂390頁、『柳田国男全集13』ちくま文庫所収「先祖の話」参照)、スピリチュアリズムで言うところの死後も個性が存続する「個別霊」ではない。

 

この個別霊たる死霊が祖霊(→33回忌以降は祖霊という名の一種の“集合魂”となる)となり、祖霊は神格化して祖神や氏神として祀られる「死霊→祖霊→祖神・氏神」という流れは、民族宗教である神道にも取り入れられている。神道では「神」と「祖先」との間には明確な境界がなく渾然一体のものとして扱われており、遠い祖先は祖先であると同時に「神(人格神)」としても崇められている。

 

エ)スピリチュアリズムの考え方(上記のD図)

スピリチュアリズムでは「死の先にも人生は続く」と説く。死によって肉体の機能は停止するが、それ以降“私という意識”の表現媒体は従来までの鈍重な物的身体(肉体)から、より精妙な霊的身体(→物質性の濃い霊体、いわゆる幽体のこと)に切り替わる。その切り替えには“波長の変換(→低い物的波長からより高い霊的波長への切り替え、バイブレーションの調整)”を伴うため、必ず「死の眠り」が存在する。このように「死」とは生活の場がこの世からあの世に代わる通過点に過ぎないと主張する。

 

5.シルバーバーチとは何者か

ア)神庁からの要請

A:思念は環境を形成する

シルバーバーチは3000年前に地上生活を送った霊(3153①参照)であり、地上に再生して霊的進化を遂げる段階を卒業した古代霊(1112⑦~⑧参照)である。そのシルバーバーチが住む境涯は、適材適所で生きる喜びにあふれ芸術の花が咲き乱れた、光り輝く色彩豊かな環境であるという(2158⑪~⑭、922④参照)。

霊界では思念は実態そのもの。その思念は環境を形成するので、自ずと霊格と環境は一致する。そのため同一霊格で親和性のある霊が集まった高い境涯では、同じような思念をそれぞれの霊が発するため光り輝く環境となる。

 

B:神庁からの呼び出し

ある時シルバーバーチは、地上の霊的刷新(→地球を霊的に浄化すること)に責任を負っている霊界の上層にある神庁からお呼びが掛かり、他の同僚と一緒に仕事の要請を受けた(916⑬~⑭、1112⑫参照)。

その仕事とは暗くてじめじめした魅力に乏しい地上世界、弾力性を失ったクッションのようで何もかもだらしなく感じられる地上世界に戻って(2158②、822⑭参照)、高級指導霊のメッセンジャーとして、受け入れる用意のできた人(=大人の霊)に単純明快な形で霊的真理を届けることであった(1112⑫~13②参照)。ここからシルバーバーチは誰彼かまわずに霊的教訓を説こうとしているのではなく、あくまでも「大人の霊」を対象として説こうと決意して地上に降りてきたことが窺える。

 

イ)シルバーバーチに関する情報

A:霊界の霊媒

シルバーバーチという名の古代霊は「霊的進化の末に二度と地上世界へ生身に宿って戻ってくる必要のない段階まで到達した」(1112⑦~⑧参照)霊である。その進化レベルにある霊は、波長の低い地上圏に降りて来て地上側の霊媒と直接交信することは不可能である(810⑩~⑪参照)。そのため地上との接触には霊界側に霊媒を置く必要があった(1113⑦~⑩参照)。高級指導霊たちは霊的波長を変える「変圧器の役目」を担う「霊界側の霊媒」として、地上時代にレッドインディアンであった霊の霊体を用意してくれた(810⑨~⑬、1113⑪~⑫参照)。

 

B:個人情報は開示していない

シルバーバーチという名の古代霊は地上時代のことを「証明する手段は何一つない」(811⑭参照)との理由から、地上で如何なる人物だったのか、活躍した時代は何時かなど、一切の個人情報は開示していない。

また「私の名はシルバーバーチではありません」(1112①参照)とも述べている。この「シルバーバーチ」という名前は、かつて地上でインディアンだった「変圧器の役目」をしている霊の名前であるという(1112②~③参照)。さらに「地上時代の私はレッドインディアンではない。このインディアンよりはるかに古い時代の別の民族の者」(1112⑥~⑦参照)、いわば古代霊であるという。

この古代霊の使命はシルバーバーチよりさらに高級な指導霊たちのメッセンジャーとなって、霊的教訓を「受け入れる用意の出来た人間」(1112⑮参照)の「理性と知性と常識」(812②参照)に訴える形で届けること、と述べている。

 

スピリチュアリズムの普及に多大な貢献をしたイギリスの著名なジャーナリストのハンネン・スワッハーは、「シルバーバーチは実はインディアンではない。いったい誰なのか、本当のところは分からない。本来属する界は波長が高すぎて地上とは直接の交信が不可能であるために低い界の霊の幽体を使用している。シルバーバーチと名のるインディアンはたぶんその幽体の持ち主であろう」(110⑫~11①参照)として、「シルバーバーチ」は「霊界の霊媒の名前」であると述べている。

 

C:三者のオーラの調整

シルバーバーチという名で呼ばれている高級霊と、霊界の霊媒のインディアン霊、そして地上側の霊媒モーリス・バーバネル(1902年→1981年、1932年創刊の週刊心霊新聞サイキック・ニューズの編集長)、この三者の霊的波長の調整に関しては次のような記述がある。シルバーバーチは「私の方はバイブレーションを下げ、霊媒の方はバイブレーションを高めています。それがうまくいくようになるまで15年もかかりました」(4168②~③参照)。三者が調整を繰り返しながら完全に融合できるまで15年かかった、つまり始めて入神した1920年から1935年までの期間を霊的波長の調整に費やしたということである。

 

D:霊的真理を地上に降ろす際のルート

高級霊シルバーバーチという名の古代霊

霊界の霊媒でインディアンだった霊

地上の霊媒のモーリス・バーバネル

交霊会参加者及び「シルバーバーチの霊訓」の読者

 

ウ)霊界通信の判断基準

A:ポイント

霊界通信の判断基準ポイント

通信内容の質の高さ

霊媒の潜在意識に付着している“色”をどこまで排除できたか(オーラの融合)

 

霊界通信の判断基準のポイントは、「通信内容の質の高さ」と「霊媒の潜在意識に付着している“色”をどれだけ排除できたか」にある。一般に霊界通信は霊媒の潜在意識にある単語や概念を用いて通信を送ること(個人的存在20⑪~21④参照)、さらには霊媒の発声器官を使用すること、このようなことから多かれ少なかれ霊媒の潜在意識に脚色されてしまうものである。

 

B:潜在意識を完全に支配する

霊媒の潜在意識の影響の問題について、シルバーバーチは「回を追うごとにコントロールがうまくなり、ごらんの通りになりました。今ではこの霊媒の潜在意識にあるものを完全に支配して、私自身の考えを100パーセント述べることができます」(917⑮~18②参照)と述べている。

これはバーバネルの“潜在意識による脚色”の問題を完全に克服できたということ、シルバーバーチが事前に用意した通信内容を交霊会において100パーセント述べることが出来たということである(→ポイントは三者間のオーラの完全な同調)。これは霊界通信に於いては極めて稀有な事例である。ここに『シルバーバーチの霊訓』が数多く存在する霊界通信の中でも最高峰の位置を占める理由がある。

 

C:ホワイト・イーグルとの比較

一般にホワイト・イーグルはシルバーバーチと同格の高級霊であると言われているが、その霊界通信にはキリスト教や神智学の影響が強く表れている。この理由はホワイト・イーグルと霊界の霊媒(?)と地上の霊媒のグレース・クックの三者のオーラの同調が、完璧の域までは達していなかったことが考えられる。このためグレース・クックの潜在意識にある、言葉や概念に付着している“色”が、オーラの同調が完璧ではなかったために払拭しきれず、霊界通信にキリスト教や神智学の影響が強く表れてしまったと言える。ここに霊界通信の難しさがある。支配霊又は通信霊が極めて高級な霊といえども、オーラの同調が完璧の域まで達していなければ、多かれ少なかれ霊媒の固着観念に色付けされた霊界通信となってしまうという好例である(注1)。

 

シルバーバーチは専属霊媒のバーバネルが死去すれば別の霊媒を通じて通信することはないと述べている。その理由を「この霊媒を通じて語るための訓練に大変な年数を費やして来ましたので、同じことを初めからもう一度やり直す気にはなれません」(828⑥~⑨参照)と言う。ここからもオーラの同調がいかに大変であるかが推測できる。

 

エ)バーバネルの自由意志

A:入神状態に好感を抱かなかった

霊媒のバーバネルは「始めのうち私は入神状態にあまり好感を抱かなかった」(10218③~④参照)。またハンネン・スワッハーの助言にもかかわらず1932年創刊の心霊新聞『サイキック・ニューズ』(10219②参照)にシルバーバーチの霊訓を公表することを拒み続けていた。しかし1935年頃にバーバネルが霊媒であることを内密にするという条件のもとで、シルバーバーチの霊訓が掲載されるようになったという(最後啓示213②~⑦参照)。

 

B:抵抗し続けた期間

このようにバーバネルがスワッハーの助言に抵抗し続けた期間は、シルバーバーチの「(三者のオーラの融合が)うまく行くようになるまで15年もかかりました」(4168②~③参照)との発言から考えると、「純粋なスピリチュアリズム」を地上に下ろすための準備期間と符合する。ここからシルバーバーチはバーバネルのパーソナリティを熟知していて、頑なな抵抗に合うことを事前に予想していたことになる。

 

C:1935年以降

交霊会の霊言は『サイキック・ニューズ』や『ツー・ワールズ』に発表された。その後それらの紙面に掲載された霊訓を編纂して、最初の霊言集が1938年に『シルバーバーチの教え』というタイトルで出版された。そして1959年になって、バーバネル自身が「シルバーバーチの霊媒は誰か、実はこの私である」という見出しで公表した(最後啓示213⑪~⑬参照)。

なおバーバネルやスワッファーも述べているように、シルバーバーチの霊言は句読点を書き込むほかは非の打ちどころのないものであり、あたかも出版を前提とした文章であったという(10221⑬~222③、語る18⑪~⑫参照)。

 

6.スピリチュアリズムの普及運動とは

ア)「スピリチュアリズム」とは

一般に「Spiritualism(スピリチュアリズム)」は「心霊主義」や「心霊学」などと訳されてきたが、現在では英語の発音表記そのままに「スピリチュアリズム」とされている。なお「心霊主義」とは霊魂の実在を前提とした説のことである。

シルバーバーチは「スピリチュアリズム」とは知識のことであると述べている(7175⑧参照)。知識であるが故に「スピリチュアリズム」を「商売の手段」や「娯楽の手段」として世俗的に用いる人、あるいは日常生活に霊的知識を生かすことをせずに一般的な“知識の一つ”として「引き出しに仕舞い込む人」も当然に出てくる。

 

イ)スピリチュアリズムの普及運動

(近代)スピリチュアリズムは19世紀半ば以降(558③~④参照)、霊界主導で「地球を霊的に浄化する」目的を持った普及運動として展開している。この普及運動は顕幽二つの世界で同時に展開されている。この点につきシルバーバーチは「地上だけでなく霊界でも大変な規模で布教活動が行われている」(道しるべ199⑤~⑥参照)と述べる。

 

この世では「公」と「私」の二つの側面、具体的には霊的真理の普及によって無知を無くして、地上にはびこる悪弊を駆除して行く「社会変革運動」としての「公」の側面と、個々人が霊的知識を日常生活に生かして意識を変えていく個人の「意識変革運動」としての「私」の側面がある。この「意識変革運動」は、人間は霊的存在であり肉体はこの世で生活する為に「魂がまとう衣服である」(3171⑥~⑦参照)という意識に目覚めさせることにある。

 

あの世では幽界の下層界で生活する「物的指向が強い霊:Y―1」や「浄化の界層にいる霊:Y―2」が対象となる。これらの霊に対して「霊的自覚(→霊として今“何を為さなければならないか”という自覚)」を持たせて、幽界の下層界を浄化する運動として展開している。

なぜなら他界者は肉体を捨てただけで「習性も特性も性癖も個性も地上時代そのまま、利己的な人は相変らず利己的、貪欲な人は相変らず貪欲、悩みを抱いている人は相変らず悩んでいる」状態(724⑩~⑭参照)。また狂信的な宗教者は地上時代そのままの思想を維持している。少なくとも他界者の表面意識に「霊的自覚」が芽生える迄は地上時代そのままの意識状態を保っており(注2)、霊界から親和性のある地上人に「教唆や幇助」という形で影響を及ぼしている。

高級霊は地上世界で展開しているスピリチュアリズムの普及運動は「霊界主導」であり、地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけである(霊訓上203⑱参照)と述べる。

 

◆幽界は上層界と下層界に分けられる

X:幽界の上層界は「霊的自覚(霊として何をすべきか)」が芽生えた霊が生活するエリア

Y:幽界の下層界は霊の意識の指向性が「下・物質界」を向いている霊が生活するエリア

◆下層界は二つに大別できる

Y―1:「極楽・天国のような世界」、内面にある願望が全て現象となって叶えられる世界

Y―2:意識に深く染み付いた煩悩を鎮めて「魂の歪みを矯正する浄化の為のエリア」

 

7.霊的実在の証明手段の変更

ア)物理的心霊現象という形で関心を呼びこむ

スピリチュアリズムの勃興期、霊界側は従来の物理法則では説明ができない現象を「物理的心霊現象」という形で示して、当時の科学者の関心を呼びこんで、科学的な手段を用いた方法で霊的実在の証明を行おうとした(新啓示40⑧~⑩参照)。この方法は当時の人たちの唯物論的思考や霊的レベルに対応した証明手段であって、霊界側の「一大計画」に沿ったものであった(550⑤~51④参照)。

 

イ)20世紀初頭にアプローチの変化

このような霊界主導で始まった「近代スピリチュアリズム」運動は、20世紀初頭にアプローチの変化があった。著名な科学者を巻き込んで行われた物理的心霊現象による霊的実在の証明の歴史が「詐術の嫌疑との闘いの連続」(新啓示42⑭参照)であったこと、20世紀に入り古典物理学が破たん(→相対性理論、量子力学などの登場)したこと、このような要因によって霊界から地上への働きかけにも当然に変化が生まれてきた。1920年代以降「心霊治療(sprit healing:スピリット・ヒーリング)が盛んになったのはその一つの表れ」であった(新啓示41⑬~⑭参照)。

 

シルバーバーチは物理的心霊現象が次第に衰退して「心霊治療と霊的教訓という高等な側面」(9165⑧~⑨参照)が前面に出てきた背景を「地上の人間の進化のサイクルが変わりつつあるからです」(9165⑨~⑩参照)と説明している。さらに心霊治療に関しては「身体の病気を治すという意味では物質的ですが、それを治すエネルギーは霊的なもの」(新啓示41⑭~⑮参照)として、現代の風潮にマッチした霊的実在の証明手段の一つであると述べている。

 

ウ)主たる証明方法としての「心霊治療」

心霊医療の名称

主役

A

マグネチック・ヒーリング

ヒーラー自身の肉体エネルギーを患者に与えることによって病気を治癒する

指圧、マッサージ、整体

治療師

B

サイキック・
ヒーリング

サイキック・ヒーラー。
ヒーラー自身の霊体エネルギーを患者に与えることによって病気を治癒する

気功治療、レイキ、手かざしなど

治療師

C

スピリット・
ヒーリング

スピリット・ヒーラー。
霊医が宇宙に遍満している霊的エネルギー(治療エネルギー)を、地上のヒーラーを通路にして患者に流す、これによって病気を治癒する

スピリチュアル・ヒーリング

霊界の霊医

 

A:広義の心霊治療は従来からあった

物質世界に現れた霊的徴候から霊界側の意図を推察してみると、次のような霊界側の「一大計画」(550⑧参照)の存在が推測できる。

治療師の生体エネルギーを使った広義の意味での心霊治療(サイキック・ヒーリング)は従来からあった。この心霊治療という形式を用いながら“中身(治療の質)”を高めてより洗練した形に作り変える。これを「霊的実在の証明」の手段として用いる方式が、地上世界に於ける科学技術の発達と相まって1920年代の後半以降に行われるようになった。

 

B:霊界の霊医による心霊治療

この従来の「物理的心霊現象」から「霊界の霊医による心霊治療(sprit healing)」と「霊的教訓」への転換(9165⑧~⑨参照)は、霊界側の「地上世界にスピリチュアリズムを普及する」という戦略に沿ったものであった。なおこれは主たる証明方法が「霊界の霊医による心霊治療」や「霊的教訓」に転換したという意味であり、従来の「物理的心霊現象」を必要とする人や地域においては、霊的理解の為にいまだに主たる証明方法として有効な手段として存在している(9102⑫~⑬参照)。

 

イギリスにおける「心霊治療(sprit healing)」の功労者の一人で、シルバーバーチの交霊会に招待されたことがあるW.T.パリッシュは(4巻194頁~198頁参照)、癌を患っていた妻を心霊治療で治癒させたことから名声が広まり、1927年から始めて1946年に死去するまで心霊治療に献身的に携わった。

またハリー・エドワーズ(Harry Edwards1893年→1976年)は1930年代初頭より帰幽するまでの期間、心霊治療の普及に貢献した。エドワーズが行った心霊治療の効果は、英国医学協会が1956年に発表した公式声明で「医学では不可能なことが起こった」として公認されている(田中千代松編『新・心霊科学事典』の「エドワーズ、ハリー」の項目参照)。このようにして「心霊治療(sprit healing)」は広く知られるようになった。

 

エ)シルバーバーチの出現と「霊的教訓」

A:シルバーバーチは転換期に出現した

シルバーバーチは1920年に霊媒モーリス・バーバネルを介して出現し、オーラの融合の為の試行期間を経て1930年代中頃から「本格的」に活動を開始した。時期的に見れば「霊的実在の証明」方式が物理的心霊現象から、「心霊治療と霊的教訓という高等な側面」(9165⑧~⑨参照)の段階に移行した時期と重なっている。

前述したようにシルバーバーチは霊媒の潜在意識に影響されずに、純粋な霊的教訓を地上に降ろす為の前提となるオーラの融合に「15年もかかりました」(4168②~③参照)と述べている。これは霊的教訓を地上に降ろすために行ってきた三者間の準備や調整が1935年頃に整ったことを意味する。なお最初の『シルバーバーチの霊訓(日本語タイトル:シルバーバーチの教え)』は、地上側の霊媒・霊界側の霊媒・高級霊のシルバーバーチの三者間のオーラの融合が完璧となった後の1938年に出版された。

 

B:『シルバーバーチの霊訓』は対象者限定の教え

シルバーバーチの使命はスピリチュアリズムの土台部分に当たる「霊魂説の証明」にあったのではない。この“物理的心霊現象を観察する”という手段を踏まなくても、または踏むことによって「霊魂説」の上部構造に位置する「スピリチュアリズム思想(霊的教訓)」を理解できる「大人の霊(=霊的に成人した人間の魂)」が対象となっている(918⑦~⑪参照)。

このようにシルバーバーチは「スピリチュアリズム思想」を「霊的に受け入れ態勢の整った人」に訴えようとした(3107⑧~⑨参照)。なぜなら霊的教訓は本人に受け入れる準備ができるまでは、周りが幾らお膳立てをしても受け付けないからである(155⑫~⑬参照)。たびたび引用している「馬を水辺に連れて行くことは出来ても、(水を欲しなければ馬に)水を飲ませることは出来ない」ということわざと同じである。

 

シルバーバーチは霊的に受け入れる用意のできた「大人の霊」(918⑩~⑪参照)に対して、霊的教訓に沿った生き方を日常生活の中で実践することを促した(226⑤参照)。このようにシルバーバーチは霊的教訓を誰彼かまわずに説いているわけではない。いわば“対象者限定の教え(=大人の霊を対象)”ゆえに求めるハードルは高く設定されている(868①~②、8193⑨~⑩参照)。そのため“スピリチュアリズムの周辺部”にいる人たちにとっては「シルバーバーチの教えは厳しい」と感じることになる。

 

C:生き方の変革を求める

「霊的実在の証明」方法としての「物理的心霊現象」は、主に「霊魂説」を証明して霊的知識を普及する、そのためのデモンストレーションとしての意味があった。これに対してシルバーバーチの出現と同時期に普及し始めた心霊治療(スピリット・ヒーリング)は、その本質を患者の霊的覚醒に置いている(9169①~②参照)。いわば病気治癒をきっかけとして、自らの生活や考え方を見直すという“自己努力を伴った生き方の変革”である。なぜなら心霊治療の目的が「眠れる魂を目覚めさせ、霊的自覚をもたらすこと」にあるから(1巻129⑩~⑪参照)。

このような点から判断して霊界の「一大計画」に沿った地上側の進捗状況は、ワンランク進んで地上人類は「新たな時代」に突入したことが分かる。このように「霊的実在の証明」方法としての「心霊治療(スピリット・ヒーリング)」の普及時期と、霊的教訓を説いたシルバーバーチの出現時期とは密接に連動している。ここから物理的心霊現象から「心霊治療と霊的教訓」へ、という大きな流れの存在が見えてくる。

 

8.スピリチュアリズムの神観とは

ア)神と人間の間に摂理が介在する

シルバーバーチは「摂理の神」(→神とは摂理のこと:福音47⑫参照)を強調する。図式的に言えば「神→神の摂理⇔万物」となる。この神観では「神」と「人を含む一切の万物」は直接相対することはなく、両者の間には必ず「神の摂理(法則)」が介在する。そのため万物を分け隔てなく平等に扱うことが出来るので御利益信仰は起こりようもない。なぜなら何人たりとも「神の摂理」に則れば霊的成長がもたらされ(→霊的成長とは“本来の私という意識”に潜在している“神の分霊”を顕在化させること)、逆らえば霊的成長が損なわれることになるから。いわば神の摂理という川の流れに沿って生きるのか、それとも逆らって生きるのか、その選択には人間の自由意志が介在しているから。

 

イ)人格神の否定

シルバーバーチは、神は人間的憤怒に動かされるような人間的存在ではない(372⑨~⑩参照)とか、「生身の一個の人物を絶対服従の対象としてはいけない」(386⑫参照)とか、神は個的存在でもないし人物的存在でもない(11108①参照)などと述べて、現人神や人格神を否定している。さらに「大霊(神)による直接の関与などというものは絶対にありません。あなた方が想像なされるような意味での人間的存在ではないのです」(到来46⑩~⑪参照)と述べて、人格神や神の直接関与(神⇔人間)を否定している。

 

神と人間との関係は「神とは法則なのです。あなたが正しいことをすれば、自動的にあなたは自然法則と調和するのです」(7巻79⑫~80②参照)と述べているように「神⇒摂理(法則)⇔人間」となっている。シルバーバーチは「摂理の神」を前面に出すことによって、奇跡や依怙贔屓等は一切存在せず、人間を含めた万物に公平に神の愛が行き渡ることになると説く。このように人間側から見れば神は法則として現れるので(法則の裏側に神がいる)、神は法則ですと述べた。「神は全法則に宿っている」から(5巻140⑪参照)。

 

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<注1>

■シルバーバーチは「同志の一人であるホワイト・イーグルには彼なりの考えがあってのことでしょう」(新啓示25④)と述べて、ホワイト・イーグルを同志と呼んでいる。シルバーバーチは光明と美に溢れた境涯にいる同輩の多くに「地球浄化の大事業への参加の要請があった」(最後啓示58⑥~⑦)と述べているので、推測するにその時の同輩の一人がホワイト・イーグルを名のる霊であったのではないだろうか。

桑原啓善氏によれば、ホワイト・イーグルの霊媒グレース・クック(1979年他界)とシルバーバーチの霊媒モーリス・バーバネル(1981年他界)は親友であったという(桑原啓善訳『光への道』でくのぼう出版206頁⑦~⑧参照)。

 

<注2>

■ 慣性の法則

死んだ者は霊的には死ぬ前と全く同じであり、単に肉体が無くなっただけで地上時代に形成された「宗教・行為・思念・性癖等」の人間性にいささかも変わりはない。地上時代に培った習性は簡単には変わるものではなく、死んでも人間は変わらないから。

 

物理の法則に「運動している物体は外部から力を加えられない限り、いつまでも等速直線運動を続ける」という「慣性の法則」がある。この法則を使って霊的自覚を持つまでの他界者の意識状態が説明できる。

地上時代に形成された「偏見や性癖」、さらに「権勢欲や所有欲」などの意識は、物的身体が無くなったからといっても依然として持ち続ける。なぜなら本人が自ら変えようとする意思を起こさない限りは(→意識の表現媒体が肉体から霊体に代わっただけであるから)、そのまま「等速直線運動」が肉体から霊体へと継続されることになるから。

死後の世界で「霊の表面意識」に霊として何を為さなければならないかという「霊的自覚」が芽生えてくれば、この自覚が摩擦力として働くことになるので、「偏見や性癖」などの意識の持続は徐々に失速して行くことになる。

このように意識の中に「霊的自覚(霊的覚醒)」が芽生えてくるまでは、地上時代の習性等の地上的人格の残滓はそのままの状態で維持されている(724⑫~⑭、福音189②~⑥参照)。人間は死後、誰でも直ちに「本来の私という意識(自我の本体)」が自覚できるわけではない。

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

 *イラストは省略

死後の旅路の行程—スピリチュアリズムの観点から

202111月「雑学のつどい」配布資料

 

目 次

1.スピリチュアリズムの基本

①.言葉の定義

・スピリチュアリズムとは何か

・人間の構造

②.死後の世界

・次元の異なる場が重なり合う世界

・死後の行程の概略(AHの順番で私の意識は拡大して行く)

・幽界の上層界と下層界の違い

・界層の移動

 

2.この世に隣接したあの世(中間境)

①.縁者、友人知人の出迎え

・再会時の識別、身元の確認

・霊的視力の問題

②.霊界の「病院」

③.自分で自分を裁く

・回想体験

・具体例

④.「死の自覚を持つ」ことの重要さ

・地縛霊とは

・病気の状態を持ち越す他界者

⑤.中間境から幽界へ

 

3.幽界の下層世界

①.地上とよく似た世界

・地上的習慣が色濃く残る世界

・死後も布教活動をする霊

・慣性の法則

・内面の願望が全て叶う極楽生活

②.浄化の為の世界

・歪みを矯正

・地獄とは“歪みを矯正しようとする意識状態”のこと

③.霊的世界の環境

・コミュニケーション

・時間、移動他

・飲食、休息、仕事、視力

・思念体・想念体

④.地上的血縁関係の行方

・夫婦、家族

・地上に通信を送る霊たち

 

4.幽界の上層から霊界(狭義)へ

①.霊的自覚の芽生え

②.幽界の上層

③.霊的家族(類魂)との再会

・霊的家族

・意識の共有化現象

 

<注1>霊界通信の解説

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<はじめに>

世の中には「あの世の話を拒否する人」は私の体験から見ても数多くいます。そのような人に限って何の知識もないです。スピリチュアリズムを信じていなくても、多少なりとも「死後の世界に関する知識」があれば、悪質な霊感商法に引っ掛かったり、悪質な霊能者や宗教家に騙されたりしないと思います。今回の私の話を「こういう見方もあるのか」と言った軽い気持ちで聞いて頂ければ幸いです。

 

今回の「死後の旅路の行程」は、数多くある霊界通信(注1)の中でも最高峰と言われている『シルバーバーチの霊訓』(1938年他)、さらにモーゼスの『霊訓』(1883年)とアラン・カルデック編『霊の書、思想編』(1857年)『霊媒の書、現象編』(1861年)、これに論理的で哲学的な通信として定評のあるマイヤースの通信の『永遠の大道』(1932年)と『個人的存在の彼方』(1935年)。これらの霊界通信をベースにして「死後の旅路の行程」をまとめたものです。なお「世界三大霊訓」とは『シルバーバーチの霊訓』とモーゼスの『霊訓』、さらにアラン・カルディク編『霊の書』のことで、世界的に広く読み継がれてきた書籍です。

 

1.スピリチュアリズムの基本

①.言葉の定義

ア)スピリチュアリズムとは何か

・一般に「Spiritualism(スピリチュアリズム)」は「心霊主義」や「心霊学」などと訳されてきたが、現在では英語の発音表記そのままに「スピリチュアリズム」と訳されている。

・スピリチュアリズムの訳の「心霊主義」「心霊学」とは霊魂の実在を前提とした説である。

・具体的には「死後の世界の存在」を前提として「死後も人間の個性は存続する(→死んでも“私”は生きている)」こと、さらに「死者との交信を認めてあの世とこの世は交流している(→プラスに働けば霊からの有益な情報がインスピレーションとして届くが、マイナスに働けば憑依現象となる)」ことを信じる「霊魂説」を肯定する立場のことを言う。

 

イ)人間の構造

A:物的要素

・人間は形が無い「私という意識(心)」と、その意識を表現する為の「形体(肉体)」に分けられる。「肉体は私が住む家のようなもの、家であって私自身ではない」(127⑩)。

 →家を修繕しながら住んでいるのが老化、修繕が不可能になり新居に住み替えるのが死。

・人間は「物的要素(肉体)」と「霊的要素(霊体)」、そして両者を結合させるための「中間物質(接合体)」という三つの要素が重なり合って存在している(語る110⑨~⑩参照)。正確には上記の「右の形体図」のようになっている(個人的存在79⑮~⑰参照)。

 

B:中間物質

・スピリチュアリズムでは、質的に異なる「霊的要素の霊体」と「物的要素の肉体」の二つの形体を繋ぐ「中間物質の接合体」の存在を明らかにしている。

・この「接合体」は肉眼では見えないが、肉体とそっくりな形をした半物質状の中間物質で出来ており、数多くの糸状の細いシルバーコードと二本の太いシルバーコード(→額部分にある松果体、俗にいう“第三の目”の部分と、腹部の太陽神経叢の部分)によって肉体と繋がっている(永遠の大道115⑮~⑰、個人的存在79①~②、霊媒の書29⑭参照)。

・中間物質が変形してシルバーコードや、物理的心霊現象を引き起こすエクトプラズムとなる。シャルル・リシェ(仏1850年→1935年、1913年ノーベル生理医学賞)は、霊媒から出て様々な形に変化して現象を引き起こす半物質状の物体を「エクトプラズム」と名付けた(デボラ・ブラム著『幽霊を捕まえようとした科学者たち』文芸春秋259262参照)。

 

C:霊的要素

・霊的要素には「本来の私という意識(自我の本体、霊的な心)」と「霊的身体」とがある。

・霊的身体には霊的世界で使用する為の“五感(霊視、霊聴等)”が具わっている。この“五感”は霊的身体が持つ知覚力なので、本来的に全ての人間に具わっている。

・霊的身体に具わっている五感の能力(→サイキック能力)が、体質的に物的身体を通して外部に容易に発現しやすい人を「霊能者」という(→霊能者の中でも体質的に中間物質のエクトプラズムを豊富に製造できる人が物理的霊媒となる:個人的存在82⑫~⑬参照)。

 

②.死後の世界

ア)次元の異なる場が重なり合う世界

A:一つの世界

・定評ある霊界通信では「霊界(広義)」とは、霊的レベルが異なった数多くの界層(=状態のこと:1093④~⑥参照)がグラデーション的に連続して存在する世界であり(4143①~②参照)、「霊の世界は一つ、その表現形態は無限である」(4146⑦、語る229①参照)と表現されている。

・霊の世界(広義の霊界)は地上世界とは異なって地理的な分布ではなく(895⑥参照)、魂(=意識)の発達程度に応じた“次元の異なる場”が重なり合った世界となっている(4147②、7195⑥参照)。→ラジオの周波数を合わせれば其々の局の放送が聴ける。

 

B:死後の世界の界層

・このようなグラデーション的に広がる霊の世界の中でも、物質的要素の濃い低い界層を便宜「幽界」と呼んで区別している(→名称は日本で広く使われている用語を使用した)。

・「霊界(狭義)」や「幽界」という名称は「霊界(広義)」の中の小さな区域であり、分かり易く表記する為に特別に呼んでいる名称にすぎない(4127⑥、福音83⑤~⑥参照)。

・幽界と地上とが接する部分を特別に「中間境(または冥府)」と呼んでおり(永遠大道49⑫、50⑪参照)、そこでは霊的波長(バイブレーション)の調整が行われる。

・他界した霊は中間境で休息しながら霊的機能を発達させて、不足しているものを補っている(続霊訓191⑩~⑮参照)。霊界通信に登場する「霊界の病院、休息所」(4145⑦~⑧、8116⑬参照)や、死と同時に「本来の私という意識(自我の本体)」が審判者となって地上時代を反省する(霊訓下221⑫~⑱参照)ためのエリアはこの中間境にある。

 

C:バイブレーションの違い

・この世からあの世へは、意識の拡大(=意識の深まり)に伴って「A:物質の世界」→「B:中間境(物的なバイブレーションから霊的なバイブレーションに転換する為の界)」→「C:幽界の下層界(心のバランスを取る為の界)」→「D:幽界の上層界」→「E:霊界(狭義)」と移行する。それらの界層は連続して繋がっている。

・意識の拡大に伴って周囲のバイブレーションも変化して、より精妙化して行く。

・上記BAより、CBより、DCより、EDよりバイブレーションの振動数は高い。その為それぞれ下位の者から上位の世界は見えない。

 

D:霊性レベルに応じた生活の場

・霊の世界は霊性レベルに応じてグラデーション的に繋がった一つの世界、限りなく続く長い一本の梯子のような世界である。そこにはあらゆる次元の生活の場が互いに重なり合い融合しあって存在している(4148①~②参照)。

・それぞれの界層には地上世界とは異なって、そこに住まうだけの霊的成長を達成した(→バイブレーションが同一の者)、その界の環境条件に相応しい者が霊的親和性によって一緒に生活している(1034③、福音23⑥~⑦参照)。

・同じレベルの住民の思念で生活が営まれているため(4126②、メッセージ55①~②参照)、思念の波長が合わない者とは生活を共にできない(続霊訓99⑨参照)。

・そのため日頃生活する上で交わる相手は、互いに霊的親和性があり霊的成長度と霊的能力に於いて同等な人たちに限られる(福音30③、30⑪~⑫参照)。ここが地上世界との違い。

 

E:思念が実在の世界

・霊の世界は思念が実在の世界であり(4124⑨参照)、心に思うことに実体が伴い実感がある。そこの住人の想いが周りの環境を作り上げてしまうため「思念は環境を形成する」ことになる(→暴力と恫喝で明け暮れているヤクザは、死後幽界で意識に染み付いた暴力と恫喝が全ての環境に引き寄せられる。そこがヤクザにとっては浄化の世界となる)。

・住人は同じ発達レベルにあるため、丘や川などの客観的存在物はそこに住む住人にとっては同じように映り、同じように体験することになる(887④~⑤、889⑦~⑨参照)。住人が発するバイブレーションと客観的存在物が発するバイブレーションが同じだから。 

 

イ)死後の行程の概略(AHの順番で“私”の意識は拡大して行く)

<概要>

・下記の<死後の行程>の「A」はこの世、「BからEまで」は中間境、「F」は幽界の下層界、「G」は幽界の上層界、「H」は狭義の霊界に当たる。

・他界者が「F」の自覚が何時まで経っても持てなければ「地縛霊(→死んでも意識が肉体に何時までも縛られている者)」となる。「F」の自覚は有したが「G」の自覚が持てなければいつまでも「幽界の下層界(=地上的幻影の世界)」から抜け出せない。

・「F」の自覚を持った他界者が「G」の自覚を持つ迄には、長い時間かかるのが一般的であると言われている(1060⑦~⑧参照)。

・地上で霊的知識を学んだ他界者は「G」の自覚に到達するのが、学ばなかった人よりも早い。ここからもこの世で霊的知識を学ぶことの大切さが窺える(→いち早く地上的幻影の世界、埋め合わせの世界から脱出できるから)。

・「G」の「霊的自覚(霊的覚醒)」の芽生えとともに徐々に幽界の下層界を離れていく(→地上的な慣習からの離脱)。離れるにしたがって地上時代に持っていた偏見や敵意を棄て去って行く(774⑥~⑦参照)。次第に地上との縁が薄れて行く(福音23⑧~⑨参照)。

 

<死後の行程>

A:極限状態(シルバーコードで肉体と霊体は繋がっている:臨死体験、お迎え現象など)

B:死(シルバーコードが切断する:虫の知らせ、夢枕に立つ現象などは切断直後の現象)

C:死後の深い眠り(眠りの中で物的波長から霊的波長への切り替えが進む)

D:ガイドとの出会い(出会いには他界者が穏やかな意識状態にあることが必要不可欠)

E:本来の私自身が審判者(俗説の閻魔大王のこと)となって私の地上体験をチェックする

F:明確な死の自覚を持つ(この自覚を有した者は中間境を抜けて幽界の下層に移行する)

G:明確な霊的自覚を持つ(この自覚を有した者は幽界の上層に移行する)

H:さらに自覚が深まる(狭義の霊界に移行して“霊的家族たる類魂”と合流する)

 

ウ)幽界の上層界と下層界の違い

A:幽界の概要

<幽界は上層界と下層界に分けられる>

X:幽界の上層界は「霊的自覚(霊として何をすべきか)」が芽生えた霊が生活するエリア

Y:幽界の下層界は霊の意識の指向性が「下・物質界」を向いている霊が生活するエリア

 

<下層界は二つに大別できる>

Y―1:奮闘努力が不要の「極楽・天国のようなエリア、楽しい思い出が再現されたエリア」

Y―2:意識に深く染み付いた煩悩を鎮めて「魂の歪みを矯正する浄化の為のエリア」

 

B:幽界の解説

・上記のように幽界は大きく分けて上層界と下層界の二つのエリアに分けられる。

・「幽界の上層界」とは、意識の指向性が“上”、つまり霊性の向上を指向する「霊的自覚(→霊として何をなすべきかを認識した霊)」が芽生えた霊が生活するエリア。

・「幽界の下層界」とは、意識の指向性が未だに“下”、つまり物質界に向けられている霊が生活するエリア。

・この下層界は大きく分けて「Y―1(極楽・天国)」と「Y―2(浄化の世界)」の二つの世界に大別できる。

・まず「極楽のような世界:Y―1」がある。この世界は内面にある願望が全て現象となって叶えられる世界(→大きな家に住みたいと思えば大きな家が出現し、紅茶が飲みたいと思えばテーブルの上に出現する)。そのため「真の意味での創造というものが存在しない」「地球人類の大半が理想郷と見なしている世界」である(永遠の大道122④~⑦参照)。

・これに対して魂(=意識)に深く染み付いた煩悩を鎮めたり「魂の歪みを矯正:Y―2」したりする世界がある。カトリックの教理で言うところの“煉獄のような場所”で、苦しみを引き寄せる世界のこと。歪んだ心が歪んだ世界を引き寄せるから。

 

C:他界した者が赴く世界

・地上生活を終えた他界者のほぼ全ては、中間境を経て親和性によって幽界の下層界に長期・短期の違いはあるが一旦は落ち着く(→無数に存在する「Y―1の世界」の何れかに、または無数に存在する「Y―2の世界」の何れかに引き寄せられる)。

・これから赴く「Y―1」や「Y―2」の界層は、他界者が地上時代に培った霊的成長に見合ったエリアであり、地上時代の意識状態がそのまま死後の住環境となったものである。

 

エ)界層の移動

・他界者は意識がその界のレベルを超えて進化すると(→本来の私という意識の中に潜在している“神の分霊”がより多く顕在化することを霊的進化という)、そこを自然に離れていく(4126③、4143②参照)。意識が浄化されて向上するにつれて、より高い境涯への適応性が身に付くと自動的にその境涯に置かれることになるから(8116⑤参照)。

・界層の上昇は意識が進化すると「霊体が徐々に浄化され低俗な要素が拭い去られる」(霊訓下148①~④)という形で為される。これを霊界に於ける死(身体の精妙化)という。

・「本来の私という意識(自我の本体、霊的な心)」である霊魂には形体はない。そのため霊格を向上させて意識レベルをアップさせる為には、第三者から見て客観性を備えた何らかの“形体(→肉体、幽体、霊体、色彩、光輝など、霊性レベルに見合った形体)”をまとって、物的体験や霊的体験を積む必要がある。

・「本来の私という意識」の領域に潜在している「神の分霊」が顕現する割合に応じて、形体はグラデーション的に洗練度を増していく。洗練度が増すごとに愛や慈悲心などの“神の属性”が形体を通して外部に滲み出てくる(→霊界通信には愛に溢れ慈悲心に富んだ高級霊の形体からは光輝が発散されているとの記載がある、外形から霊的レベルが分かる)。

・それに比例して居住環境もグラデーション的にレベルアップして行く。なぜなら形体と環境は一致するから(→霊格の向上に応じて形体も居住する環境も洗練度を増していくから)。このように「霊格」と「形体」と「居住環境」という三者は密接に関連している。

・この世でも精神的にすさんでくると(→霊格が下がると)、それが身なりに表れて(→形体から精神状態が分かる)、住む部屋も“ごみ屋敷”になってくる(→居住環境の劣化)。

 

2.この世に隣接したあの世(中間境)

①.縁者、友人知人の出迎え

ア)再会時の識別、身元の確認

・霊界生活が長くなって行くと、次第に霊性が向上して「霊の個性」は一層強まっていく。愛や慈悲心などの“神の属性”は、霊性の向上と共に形体からより多く滲み出てくるので“他界時点の容貌や性格”と“現在の姿”は大きく変化しているのが一般的。そのため霊のアイデンティティ(同一性)は何を基準にするかという問題が起きる。

・霊界入口での他界者の出迎えに際して「再会時の識別」を容易にするために、しばしば出迎え霊は“他界時点の容貌や性格”そのままの状態で現れる。例えば自分は死後も存続しているということを分かってもらうために、あえて死亡時の幼児の姿になって他界者の母親の前に現れるケースもある。

・また地上時代に用いていた名前はその人を認知するための手段の一つなので、地上時代の名前が身元確認に必要な霊の場合や、地上時代に著名人であった霊の場合は、必要に応じて「昔の名前」で出現することがある。

 

イ)霊的視力の問題

A:無知が生み出す暗闇

・他界者は「死の自覚(→自分は死んで霊の世界に来たという自覚)」を持つことによって、物的バイブレーションから霊的バイブレーションへの切り替えが完了する。その後は霊体が持つ“霊的五感”の一つである霊的視力の完全な使用が可能となる。霊的視力は「死の自覚」の芽生えとともに少しずつ能力が機能し始める。

・死後も「死の自覚」が芽生えず、未だに肉体を有していると思っている他界者は、地上に脱ぎ棄ててきた肉体の目でモノを見ようとするため、しばしば何も見えず暗闇に置かれると述べる。

・定評ある文献には「死後にも生命があることを知らずに肉体から離れた人は、暗闇に置かれるのです。無知が生み出す暗闇です」と諭している場面がある(ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版、513頁参照)。

 

B:霊的なバイブレーションに切り替えること

・他界者が霊的世界に移行した当座は、本人自身が有する霊的視力はいまだ機能していない(→生まれたばかりの乳児は目が見えないのと同じ)。この場合の他界者は霊的世界に遍満している霊的エネルギーを無意識のうちに取り入れたり(個人的存在45⑬参照)、ガイドや出迎えの霊の視力を一時的に借りたりして、周囲のモノを見ているに過ぎない。

・他界者の「表面意識(→顕在意識に類似した意識のこと:永遠の大道148③~④参照)」に「死の自覚」が芽生えてきたら、その芽生えの程度に応じてモノが自力で見えてくる。

・カギは「死の自覚」を持って、霊的バイブレーションに切り替えを完了させることである。

 

②.霊界の「病院」

・“死の壁”をどのように通過するかは各人各様である。死は悲劇ではないが、他界者の中には事故死など、霊的バイブレーションの調整が必要な者もいる(871②~③参照)。

・事故死などによって肉体から霊的身体が急激に分離(→生木を引き裂くように)された場合には、分離に伴うショックが霊的身体にまで及んで、一時的な障害が生じることがある。

・このような特別な看護を必要とする者の為の施設が(316⑭~17⑥参照)、霊的世界の入り口である「中間境」には用意されている(近藤千雄訳『続霊訓』191⑦、191⑩~⑮参照:桑原啓善訳『続霊訓』155⑥~⑩参照)。

・この「病院」に収容された他界者は「ショックの後遺症」(317⑤参照)を癒すための処置や霊的身体を形成するための調整、または新しい霊的生活に順応するための調整が「霊的エネルギーの注入」という形で行われている(メッセージ61⑫~62②参照)。

 

③.自分で自分を裁く

ア)回想体験

・他界者は死後「中間境」でまどろみながら、地上時代の言動や心に宿した想念の全記録を、フラッシュバック的な映像の形で見せられる。

・この場合の想念とは「強く念じた想いや片時も頭から離れない想念」のことであり、日常の他愛もない想念や妄想のことではない(ブルーアイランド94④~⑭参照)。

・そして「本来の私という意識」が審判者(→俗説の閻魔大王)となって、地上時代の自分を“霊的法則という物差し”を使って裁くことになる(霊訓下221⑫~⑱参照)。

・これは誰かから命じられるわけでもなく自然な形で、自分の一生を振り返って「世の中のためにどれだけ自分を役立てたか」という判断基準で、自分(→本来の私という意識で)で自分(→地上時代の想念や行為を)の地上生活を裁くことになる(787⑨~⑪、9210⑥~⑧参照)。

・その結果、やるべきことをやらずに終わったことや(5179①参照)、逃がしてしまった好機が幾つもあったことを知って後悔し、すべてをすぐにでも償いたい気持ちになる。

 

イ)具体例

・今から200年以上前、1800年前後の海底作業は困難を極めたという。海上に停泊している支援船から伸びた呼吸用のホースを、頭部をすっぽりと覆う鋼鉄製の器具(→ヘルメット型潜水具)に接続して、それを頭部に装着して海底作業を行っていた。

・支援船にいる“私の意識”を「本来の私(という意識):A」とし、海底作業をしている“私の意識”を「現在の私(という意識):A-1」とする。この両者の関係を使って肉体をまとった状態の意識を説明する。

A:海底作業をイメージ

Aは地上世界で生活(→いわば“海底”での作業)するためには肉体をまとって(→潜水具を装着して)、圧倒的に強い肉体煩悩に翻弄されながら、本来の意識レベルを落として地上体験を積んでいる(→海底の水圧と水流、酸素不足によるモウロウとした意識状態の中で、予め決められた手順で海底での作業を行う)。

・肉体(→潜水具)は「本来の私A」が地上世界で自己表現(→海底作業)するためにまとう形体である。Aは煩悩に苛まれながら、もどかしい状態の中で地上体験を積む。そして寿命がきて(→作業時間の経過により、海上に停泊する支援船に戻って)、霊の世界に戻って本来の意識状態を取り戻す。

・人間の意識は肉体をまとうことによって、一日の大部分は物質の本性から生じる様々な身体的欲求(→本能に起因する意識、性にまつわる本能、肉体煩悩、自己保全)によって支配されている(永遠の大道75③142⑭~⑮参照)。例えば腹が空けばイライラし、体調が悪ければ気持ちはブルー、私たちの意識は一日中モノに支配された状態となっている。

・この肉体をまとった制約された私の意識状態(→海底で作業しているAの意識状態のこと)を「A-1」とし、本来の世界に戻って煩悩から解放された時の私のクリアーな意識状態(→作業を終えて支援船に戻った時の意識状態)を「A」とする。

 

B:意識面から見ると

・このように意識面から言えば「A-1:地上的自我意識(現在の私という意識)」は、「A:本来の自我意識(本来の私という意識)」が変容した意識状態であり、限定された意識状態(→水圧と水流、酸素不足でもうろうとした状態にある意識)にあると言える。

・中間境で「自分で自分を裁く」とはAの意識状態の“私”が審判者となって、「A―1」の意識状態の下で行った行動をチェックするということ(→海底で行った作業をチェック)。

・この地上世界での能力「A-1」は(→水圧と水流、酸素不足によるモウロウとした意識状態での海底作業の能力)、「A」の霊性レベル(→技能レベル)が限界となる。

 

④.「死の自覚を持つ」ことの重要さ

ア)地縛霊とは

・死んで霊の世界に来た他界者の多くは、いまだに“モノに意識が向いている”ため、霊的波長よりは物的波長の中で暮らしている者である。

・その物的波長の中で暮らしている者の中でも、死によって肉体を棄てたにもかかわらず本人は死を自覚せずに、いまだに肉体があると信じており、意識が地上世界に向いている者、つまり「意識の切り替えが長引いて完了していない他界者」のことを「地縛霊」と呼ぶ(→意識が地上に縛られている霊だから)。

 

イ)病気の状態を持ち越す他界者

・他界者は「死の自覚」を持つことによって、“意識の焦点”が肉体から霊的身体に切り替わる。その結果、脱ぎ棄てた肉体に存在した病気、その病気の苦しみから解放される。

・定評ある霊界通信には地上時代に味わった「物的身体がもたらしていた一切の痛みと苦労と障害から解放される」(748⑬~⑭参照)、「肉体の病に苦しむことがない」(788⑬参照)との記述がある。

・現実に他界者が「死の自覚」を持つことにより、他界者の意識が“病を持った肉体”から離れると同時に病からも解放されたという話がある。病は肉体にあって霊的身体にはないから(ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版、399頁~415頁参照)。

 

⑤.中間境から幽界へ

・他界者が霊の世界の生活に順応していくための施設や(メッセージ62④~⑩参照)、自分で自分を裁く場が物質界と霊的世界が接する地点、いわゆる「中間境」に用意されている。

・他界者は「中間境」で休息しながら物的波長から霊的波長への調整や、霊的機能の発達を図ることになる。

・そして霊の世界の生活に順応する為の準備が「整った時点で本来の霊格に合った境涯へ赴く」(続霊訓191⑩~⑭参照)。

・この場合の「本来の霊格に合った境涯」とは「地上で培われた霊性に相応しい界層」(1234②参照)のことなので、死後に赴く幽界の環境は「地上時代の魂の成長度によって決まる」(1236⑥参照)ともいえる。

 

3.幽界の下層世界

①.地上とよく似た世界

ア)地上的習慣が色濃く残る世界

・幽界の下層界は「霊的自覚(→霊として何を為すべきかという自覚、霊的成長を目指す生活をする自覚)」が芽生えていない霊が住む世界である(885⑪参照)。

・地上時代の習慣は長い間に形作られてきたものなので、死んで肉体を脱ぎ捨てても好みや習慣(2149⑬参照)、人間的な煩悩、貪欲や権力欲などはそのままの形で意識の中に存在している(1071⑦、72③~⑨参照)。

・地上で利己的な人は幽界でも相変わらず利己的である。他界者の表面意識に「霊的自覚」が芽生えてくるまでは、地上時代に培った固着観念などはそのままの状態で意識の中に存在している。高級霊は「思念の表現も極めて地上的で、考えることが全て物的感覚によって行われる」(メッセージ54③~⑤参照)と述べる。

・幽界の下層界にある「魂の歪みを矯正する世界:Y―2」では、地上時代に大酒飲みであった者や麻薬中毒患者など、同じような性格傾向を持つ一群の他界者が引き寄せられる。

・そこの住人は地上の人間で似たような“習性(受け皿)”を持つ者と「感応し合って欲望を増幅する」(1072⑧~⑨参照)という形で、影響力を行使して満足感を味わっている。例えば大酒飲みに憑依して一緒に酒を飲むという形で(→憑依霊は“酒の気”を味わう)。

 

イ)死後も布教活動をする霊

・霊の世界は地上生活体験者で構成されているので、「霊的自覚」が芽生えない他界者が生活する「幽界の下層界:Y―1、Y―2」では、地上で起きていることの全てが再現されている(774⑤参照)。なぜなら下層界の住人の意識は、地上時代に培ったそのままの状態を引きずっているから。

・そのため地上時代の宗派の教えを死後も信じて地上の人間に広めようとする者や(福音240⑦~⑧参照)、霊的真理の普及を快く思わぬ組織的な反抗勢力の集団などもいる(福音236①~⑧参照)。

・ときどき地上時代にある宗教の熱心な信者であった先祖霊が、子孫の改宗を快く思わないとか、不快さを現象で表すと言った話を聞くことがある。子孫の改宗を不満に思うのは本人自身に霊的自覚が芽生えていないからである。先祖霊の意識の中に地上時代の宗教がいまだに居座っている、幽界の下層界に居住する物質臭の強い霊だからである。

 

ウ)慣性の法則

・死んだ者は霊的には死ぬ前と全く同じであり、単に肉体が無くなっただけで地上時代に形成された「宗教・行為・思念・性癖等」の人間性にいささかも変わりはない。地上時代に培った習性は簡単には変わるものではなく、死んでも人間は変わらないから。

・物理の法則に「運動している物体は外部から力を加えられない限り、いつまでも等速直線運動を続ける」という「慣性の法則」がある。この法則を使って「霊的自覚」を持つまでの他界者の意識状態が説明できる。

・地上時代に形成された「偏見や性癖」、さらに「権勢欲や所有欲」などの意識は、物的身体が無くなったからといっても依然として持ち続ける。なぜなら本人が自ら変えようとする意思を起こさない限りは(→意識の表現媒体が肉体から霊体に代わっただけであるから)、そのまま「等速直線運動」が肉体から霊体へと継続されることになるから。

・死後の世界で他界者の「表面意識」に「霊的自覚(→霊として何を為すべきかという自覚、霊的成長を目指す生活をする自覚)」が芽生えてくれば、この自覚が摩擦力として働くことになる。その為「偏見や性癖」などの意識の持続は、徐々に失速して行くことになる。

・意識の中に「霊的自覚」が芽生えてくるまでは、地上時代の習性等(→地上的人格等の残滓)はそのままの状態で維持されている(724⑫~⑭、福音189②~⑥参照)。人間は死後、誰でも直ちに「本来の私という意識(自我の本体)」が自覚できるわけではない。

 

エ)内面の願望が全て叶う極楽生活

・このような他界者が生活する下層界は、大きく「極楽・天国のようなエリア、楽しい思い出が再現されたエリア:Y―1」と「浄化のためのエリア:Y―2」に分けることができる。総じて幽界の下層界は物質性が色濃く、粗いバイブレーションのため、地上とよく似た世界となっている(4136③~④、語る214⑩~⑫参照)。

・「霊的自覚」が芽生えない他界者は、幽界の下層界で「心に願望を抱いただけで何でも叶えられる」生活、「奮闘努力がいらない」ぬるま湯につかったような生活、地上で満たされなかった欲望の幻影の中での生活を送ることになる(→ロンドンのその日暮らしの花売り娘の例:500現地報告57頁他)。なぜなら“埋め合わせの法則”が働くから。

・このように幽界の下層界は努力がいらない、自分の内面にある願望が現実となって何でも叶う世界である(→思念が現実となる世界だから、“埋め合わせの法則”が働くから)。そのため霊的向上心が薄い他界者ほど、この界層の滞在期間は長くなる。

・指導霊は霊的向上心が芽生えない他界者に対して、さまざまな形で向上心を持たせようと働きかけを行っている。その指導の成果が上がってくると、本人は幻想の世界の生活が次第に退屈となり、願望が何でも叶う生活に飽きがきて(→内面にある願望が全て出尽くしたことによって)、進歩の兆しである「霊的自覚」が芽生えてくるようになる。

 

②.浄化の為の世界

ア)歪みを矯正

A:親和性が働く

・数多い他界者の中には、地上時代に「残忍さ・傲慢さ・貪欲・淫乱」等といった“歪んだ欲望”を培ってしまい、意識に深く染み込ませてしまった者もいる。このような者にとっては、幽界の「幻想の世界」が「浄化のための世界:Y―2」に変わる場合もある。

・幽界は他界者の内面の思いが外部に表れて現実となる世界なので、歪んだ性癖や習性が苦悩を引き寄せることになる。

・このような他界者が赴く幽界の下層界にも親和性が働くため、同類の他界者が引き寄せられる(霊訓上161⑬~⑭参照)。そのため霊的環境は強い物質臭に満ちている(霊訓下157⑫~⑬参照)。この界層(Y―2)での厳しい体験を経ていく中で歪んだ性癖は徐々に修正されていく。

・他界者によって長短はあるものの、内部から「霊的自覚」が芽生えてくるまではこの浄化のための界層に留まることになる。

 

B:歪んだ欲望が苦悩を引き寄せる

・霊の世界は思念が現実となる世界であり(4124⑨参照)、心に思うことに実体が伴い実感が存在する。静かなことが好きな者は静かな環境を引き寄せ、草花を愛する者の周囲には“お花畑”が広がっているという具合に、その者の心の傾向が周りの環境を作り上げる。

・このように思念は環境を形成するので、他界者の“歪んだ性癖や習性”等の意識は苦悩を引き寄せる。当然に住環境は邪悪性や非道徳性、利己性を思い知らされるような場所であり、そこに住む者にとっては俗悪臭に満ちた地獄という感覚になる(到来238⑥~⑧、238⑭~239②参照)。

・いわばそのようなエリアは動物性が過度に発達して霊的な歪みが生じた状態を悔恨の念によって矯正しようとする界層であり、宗教では「煉獄や地獄」と呼ばれている。

 

イ)地獄とは“歪みを矯正しようとする意識状態”のこと

A:歪みを矯正する

・定評ある霊界通信には、地獄とは「魂自らが罪悪(=魂の歪み)を焼き尽くそうとする悔恨の炎こと」「身に染みた利己主義と犯せる罪悪が完全に焼き清められる」状態(霊訓下221⑬~⑭、221②~③参照)とある。ここから地獄とは自分自身の中にある意識状態と言える。

・このような環境で厳しい体験を経ていく中で、次第に意識の中に存在する歪んだ性癖は修正されて行く。他界者によって長短はあるものの内部から霊的自覚が芽生えてくるまでは、矯正のためにこのような界層エリア(Y―2)に留まることになる。

 

B:地上的なものを捨て去る

・幽界の下層界はごく自然な形で地上的なものを捨て去って、次の世界へ進む為の準備をする場所である。この界層で「霊的自覚」が芽生えてくると、その時から向上進化の道を歩むことになる。

・「霊的自覚」が芽生えるまでは、その者の内面にある地上で満たされなかった事柄の埋め合わせ、いわば地上的幻影の中で暮らすことになる。

 

③.霊的世界の環境

ア)コミュニケーション

A:思念でやり取りする

・霊の世界は思念の世界、思念が実在の世界(4124⑨参照)。言葉ではなく思念でやり取りする。テレパシー(精神感応)による意思疎通、以心伝心で通じる、通訳は不要。

・両者の波長が合って相互に共感関係があれば、心に念じた思念や要求は全てがすぐさまテレパシーで相手に伝わる(3212③~⑧、メッセージ245⑥~⑫参照)。

・幽界に来た当初は長年の習慣から地上時代の言語を使うが、次第に霊の言語である思念・テレパシーを使うようになる(4124⑪~⑫参照)。

 

B:有難うという感謝の思い

・地上においては“有難うという感謝の思い”は言葉を相手に発するか、品物を贈るといった人間の五感で認識できる“モノ(言葉や行為)”によって包み込まなければ、心の中で思いを発しただけでは相手は真意を認識できない。

・霊の世界では“有難うという思い”は実在そのもの(7179⑫~⑬参照)。その思いは言葉や物品という形で表さなくとも、思うだけで相手にストレートに届く。

 

C:住人の意識レベルと環境

・霊の世界に存在する界層エリアは、そこに住む者たちの思念で構成されている(→共通の意識レベルにある住人が発する思念で生活環境が作られている)。

・意識がその界のレベルを超えて進化すると、自然にそこから離れて次の段階に移行していく(メッセージ55①~④参照)。

 

イ)時間、移動他

A:時間の機械的要素と精神的要素

・地上の時間は純粋に機械的な要素が強い。霊の世界でも「物事が発生して進行に要する時間」(最後啓示183⑩~⑪参照)は存在するが、地上で用いる時間とは意味が異なって精神的要素が強い。同じ時間と言っても地上で用いる時間とは意味が異なる。

・高級霊は「こちらでは霊的状態で時間の流れを計ります。言い換えれば、経験していく過程の中で時の流れを感じとります。一種の精神的体験です」(2146⑪~⑫参照)と述べている。

・「復活の日まで待つ」という想念を拵えたキリスト教徒の場合は、自ら作った想念体の中に入り込むので、その想念が破れるまでは“ただ待つだけ”の意識状態に置かれる(→時間がストップしているから)。自ら作った想念体を自分自身で崩さない限りは“想念の牢獄”から抜け出せない(メッセージ70⑪~⑬、71⑨~⑪参照)。

・高級霊は「もし自分が待っているという事実に気がつけば、その思念体(=想念体)が破れるはず。自分でこしらえた牢獄だから」(547⑫~⑬参照)と述べる。

 

B:霊界での移動

・霊の世界では遠方にいる誰かと会う約束をする場合には、相手に思念をテレパシーで送って都合が良ければ会うことになる。

・相手に思念を合わせれば(→自分の意識を相手に集中させる、他のことは一切考えない)、距離を超えて直ちに相手の目の前に姿を現すことが出来る。場所の移動も意識の焦点を目的地に合わせさえすれば、距離に関係なく瞬間的に移動する(5166②参照)。

 

C:低い界層から高い界層へは行けない

・霊の世界は霊性レベルに応じたグラデーション的に繋がった一つの世界、限りなく続く長い一本の梯子のような世界である。地上のような平面的な世界ではなく、霊性レベルに応じた内面の世界となっている。

・霊の世界にはあらゆる次元の生活の場が、互いに重なり合い融合しあって存在しているので(4146⑦、148①~②)、自分のバイブレーションを変えるだけで違った界へ移動できる。其々の界層には、その界の環境条件に相応しい者たちが集まって生活している。

・霊性レベルの低い者は自分の霊性レベルより高い世界には行けない。高い界層はより強い光輝に溢れた世界であるため、一時的に背後霊に伴われて行けたとしても、自分がいる界層の暗い光輝と調和せず居心地が悪い(彼方236⑩~⑮参照)。光の強さが違う。

・これに対して自分の住む界層より低い界層には行ける。そこに住む者にとって周囲は明るい世界だが、上の界層から降りてきた者にとっては薄暗く感じる。

・界層の上昇は「霊性が開発され、魂が向上するにつれて、より高い界層へと適応するようになり、自動的にその界に所属するようになる」(最後啓示40③~⑤参照)。

 

D:客観的存在物

・霊的レベルが同一な者が集まる界層では、そこに住む者は周囲の「湖、丘、庭園、部屋など」の客観的な存在物を見て触れるといった体験をすることが出来る(887④~⑤、89⑦~⑨参照)。

・なぜならそこに住む者が発する振動数と「湖、丘、庭園、部屋など」の外的環境が発する振動数が同一であるから。そのため住人は部屋の壁からは、バイブレーションが同じであるために固さを感じる(永遠の大道114⑥~⑦、私の霊界紀行24①~②参照)。

・なお自分の全ての所有物は本人がそれらを必要だと思わなくなるまで存在する、不要であれば消えてしまう(500現地報告125⑩~⑬、330⑥~⑧参照)。

 

ウ)飲食、休息、仕事、視力

A:飲食、休息

・霊の世界では「飲食しなくては」「休息しなくては」と思えば、飲食や休息をする(→肉体が無いので本来は飲食や休息は必要ない)。心臓などの肉体器官が残っていると思えば、存在しないにもかかわらず本人の意識の中ではそれらの機能は維持されている。

・霊の世界ではそれらの器官は不要であると本人が自覚すると、退化し始めてそのうち消滅してしまう(4128⑩~129③参照)。

 

B:仕事

・霊の世界では自分がやりたいと思う仕事をする。地上世界のように物的必需品を入手する為に嫌々と仕事をするということはない(1068⑥~⑦参照)。

 

C:視力

・霊には霊的な眼があるのでお互いを認識し合うことができる(879①参照)。

・霊が地上の人間を見る場合には人間の霊体を見ている。その際に相手の肉体は薄ぼんやりとしか見えていないが、霊能者の物的な視力(肉眼)を使えば相手の肉体が良く見える(8113⑩、最後啓示192③~④参照)。

・人間は霊なので当然に霊的な目や耳を持っている。しかし肉体をまとっている間は霊的な器官からの情報は意識できないようになっている(語る394⑦~⑩参照)。霊能者は例外

 

エ)思念体・想念体

・霊の世界では電車に乗りたいと思えば目の前に現れて、それに乗車すると動き出す。この電車は自分でこしらえた想念体で、自分にとっては本物である(2148⑤~⑩参照)。

・狩猟する者は自分の潜在意識の中で獲物を作り出す(→獲物は想念体だが本人にとっては客観的な存在物)。それらは思念の波動で活性化されており、あたかも生きているかのように見える(個人的存在247⑪~⑫参照)。

 

④.地上的血縁関係の行方

ア)夫婦・家族

A:再生するたびに作られる血縁関係

・霊は何度も再生するので、その度ごとに違った地上的な血縁関係が作られる(到来21⑥~⑧参照)。男女の別も同じ(→前世で男に生まれ、今生で女に生まれたりする)。

・幽界の下層では地上的な血縁関係によるバイブレーションは残っている(10117⑮~118①参照)。「霊的自覚」の芽生えとともに地上的血縁関係に縛られた意識は薄れていく。

 

B:本人が望めば一緒になれる

・幽界で夫婦や家族が一緒になれるかは、本人たちがそれを望むか否かによって異なる。

・死後の世界での結びつきは、結ばれたいという願望が大切な絆となるので、夫婦や家族が親和性(→自然な愛や情、友愛など)によって結ばれていれば、繋がりは切れないので合流できる。

・両者に親和性がなければ再会はない(323⑩~24⑨、10117⑪~118①参照)。愛し合っている二人が死後、一緒になるためには一般に霊格の高い方が待つことになる(8102⑨~⑪参照)。

 

C:愛がない「仮面夫婦」の場合

・地上に於ける一組の男女が相次いで他界した場合には、両者の間に愛がなく(→親和性がなく)、単に肉体の結びつきに過ぎない場合で、しかも両者に霊格の差がある時は確実に死とともに離れていく(4141④~⑧参照)。

 

D:地上的姻戚関係の終了

・地上的姻戚関係は必ずしも死後も続くとは限らない(477④、到来20⑭~21①参照)。

・地上で重要視される血縁関係といった“形体にまつわる属性”は、霊性の進化と共に次第に払拭されていく(→霊的自覚の芽生えとともに)。なぜなら霊の世界では「形体ではなく魂の問題になるから」(4141⑨~⑩参照)。

 

イ)地上に通信を送る霊たち

・一般に霊の世界から地上に残した肉親、知人、友人に通信を送る動機は愛に発している(6115⑥~⑨、到来113①~⑤参照)。

・次元の異なる地上に通信を送ることは「容易なことではない」「大へんな努力を必要とする」ので、通信霊は必然的に「愛念を抱く者に限られる」(189⑨~90①参照)。

・多くの霊界通信は意識の関心が地上に向いている、物質臭の抜けきらない幽界の下層に居住する血縁者からのものとなる(→界層の上昇に伴って地上に関する関心は薄くなるから)。ここに血縁重視の霊界通信が多くなる理由がある。

・これは高校に進学した生徒が中学時代のクラスメートや部活の後輩の面倒事に、自分の休みを犠牲にしてまで駆け付けて世話を焼きたがる意識状態と似ている。

 

4.幽界の上層から霊界(狭義)へ

①.霊的自覚の芽生え

・他界者の意識は物質臭が強い「血縁重視、偏見や性格の偏り」がある「表面意識」と、霊的自覚が芽生えてくるまでは表面に浮上してこない「大きな霊的意識(本来の私という意識)」という二重構造になっている(永遠の大道148③参照)。

・そのため地上時代の体験によって形成された「利己的、冷酷、享楽的、血縁重視」といった意識は、普段用いている他界者の「表面意識」の中に「霊的自覚」が芽生えてくるまでは存在し続けることになる。

・物質臭が抜けきらない幽界の下層にいる他界者とは、このような意識構造を持った者たちである。

・他界者の「表面意識」の中に「霊的自覚」が芽生えてくるまでは、霊的成長はゆっくりとしたスピードである。なぜなら潜在している「大きな霊的意識」は、霊的成長と共に少しずつ浮かび上がってくるものだから。

 

②.幽界の上層

・幽界において個別霊は「霊的自覚」が芽生えてくるに従って、次第に霊的進化のスピードが速まり界層の上昇が起きてくる(→幽界の上層に浮上していく)。

・自覚の深まり(=意識の拡大)とともに“地上時代の記憶の再現”に過ぎなかった意識状態を脱して、徐々に意識の中に秘められた潜在力のすごさを実感するようになる。

・この段階になると潜在していた「大きな霊的意識」が「表面意識」の中に浮かび上がってくるので、次第に「類魂の存在を意識する(→帰るべき我が家を意識する)」ようになる。

・一連のバイブレーションの調整が完了した他界者は次のステージに進むために、しばし“休息(→霊界における死)”する。

・このように同じ幽界でも上層界は、“地上時代の記憶の再現や補完(埋め合わせの原理)”に過ぎない下層界とは明らかに様相が異なっている。

 

③.霊的家族(類魂)との再会

ア)霊的家族

・霊界(狭義)では霊的レベルが同一で、しかも完璧な親和性を持った霊たちは「類は友を呼ぶ」、似た者同士は自然と寄り集まるという形で霊的グループを形成している。このグループを「霊的家族(類魂)」と呼んでいる。

・幽界の「虚の世界」を卒業して、狭義の霊界の「実相の世界」へ移行した「本来の私」は、自動的に「霊的家族(類魂)」のもとに引き寄せられる。

 

イ)意識の共有化現象

・霊的家族に戻った「本来の私」は、今回の地上における自らの再生体験を、類魂メンバーそれぞれの“直接体験(→あなたの体験は私の体験)”に変換する「意識の共有化」を行って、共有状態の意識を作り出す。

・このように特定のメンバーの地上体験をメンバー全員の“直接体験”に転換して、共同で霊的成長を図っていく点に「類魂・再生」の特徴がある。

 

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<注1>霊界通信の解説

A:霊界通信とは

あの世にいる個性を持った存在が霊媒を介してメッセージを地上人に送ることを「霊界通信」という。霊界通信は霊媒の潜在意識を使用するので、霊界通信の良し悪しは通信霊と霊媒のオーラの融合具合にかかっている。

 

B:霊界通信の種類

地上人が受け取る通信の形態により次のように分けられる。

霊媒の喉や口などの発声器官を使ってメッセージを発する「霊言現象」。

霊媒の腕と手首を使ってメッセージをノートなどに書き写す「自動書記通信」。

霊媒の脳に浮き上がってきた言葉やイメージをそのままノートに書き写す「霊感書記」。

 

C:高級霊からの霊界通信

高級霊シルバーバーチによれば霊媒現象(霊界通信)の仕組みは次のようになっているという(8巻10⑩~⑬、1113⑦~⑩参照)。

霊的波長(バイブレーション)は高級霊になればなるほど精妙化の度合いは一段と高くなる。地上の霊媒の波長は、肉体を持っているが故に粗く、精妙化の度合いは低い。両者の波長の開きがあまりにも大きいため、高級霊と地上の霊媒は直接に接触することはできない。そのため両者の間に“霊界の霊媒”を入れて地上に通信を送ることになる。

 

高級霊シルバーバーチという名の古代霊:A

霊界の霊媒でインディアンだった霊:B

地上の霊媒のモーリス・バーバネル:C(霊言現象)

交霊会参加者及び「シルバーバーチの霊訓」の読者

 

D:霊界通信のメカニズム

最初に高級霊(A)は霊界の霊媒の(B)に、通信内容を霊界の共通言語である思念で送る。霊界の霊媒(B)は高級霊(A)から受信した思念を地上の言語に変換するために、地上の霊媒(C)の潜在意識を支配して“記憶の層”にある単語や概念を使って一つの文章を組み立てる。その際に使用する単語や概念は(C)のものなので、当然に(C)の固着観念等の“色”が付いている。この“色付き”問題を回避するため、(B)は自身のオーラと(C)のオーラとの完全な同調を図って、潜在意識の影響を最小限に食い止めようとする。このようにして作成した通信文を(C)の発声器官を使って地上に送り出す(→Cは霊言霊媒となる)。

高級霊(A)と霊界の霊媒(B)は共に霊界人なので、「霊体と霊体」であり、オーラの同調は比較的容易である。しかし霊界人(B)と地上人(C)は「霊体と肉体」であり次元を異にする。そのため同調は困難を極める。ここに霊界通信の困難さがある。

 

もう一つの方法としては、霊界の霊媒(B)は高級霊(A)から受け取った思念の波動を下げて、いわば(B)自身が一種のコンデンサーの役割を果たして、霊媒(C)の潜在意識を支配する。(B)は(A)から受け取ったシンボルという思念を、(C)の「柔らかいロウ」のような潜在意識に押し当てる(→潜在意識は変幻自在なロウのようだという)。その押し当てた“型”に当てはまる用語や概念を、(C)の潜在意識が“C自身の記憶の層”から自ら選び出してきて文章を作成する。あたかも(C)の潜在意識が自動翻訳機的な働きして文章を作成するかのように。このようにして現代語に変換された文章を「霊言」「自動書記」「霊感書記」の何れかの形態を使って地上人に届けられる。

 

E:霊界通信の判断基準

霊界通信の判断基準ポイント

通信内容の質の高さ

霊媒の潜在意識に付着している“色”をどこまで排除できたか(オーラの融合)

 

霊界通信の判断基準のポイントは、「通信内容の質の高さ」と「霊媒の潜在意識に付着している“色”をどれだけ排除できたか」にある。一般に霊界通信は霊媒の潜在意識にある単語や概念を用いて通信を送ること(個人的存在20⑪~21④参照)、さらには霊媒の発声器官を使用すること、そのため多かれ少なかれ霊媒の潜在意識に脚色されてしまうものである。

 

F:霊媒現象と憑依現象との違い

霊媒体質者(霊媒)が同意して潜在意識を使用させるのが霊媒現象であり、憑依現象とは霊媒体質者(霊媒)の意思を無視して潜在意識を支配する場合をいう。

憑依現象とは幽界の下層にいる地縛霊や邪悪な意図を持った低級霊が、霊媒体質者のオーラと融合して潜在意識を支配してしまうことをいう。そして地縛霊などは霊媒体質者の身体機能や思考機能を意のままにコントロールして、異常な行動や言動、さらには病気までも引き起こしてしまう。憑依現象における地縛霊や邪悪霊の支配にも、両者のオーラの融合の度合いに応じて、軽い憑依現象から重大な憑依現象まである。

これに対して霊媒現象(霊界通信の場合)ではオーラの融合が浅い場合は、通信霊は霊媒の潜在意識の支配が不十分なため霊界通信の出来は良くない。潜在意識の支配が完全に近づけば質の高い霊界通信がもたらされる。このように霊媒現象も憑依現象も原理的(=親和性の法則、オーラの融合)には同じだが逆パターンである。

 

出典及び主なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)文献

◆シルバーバーチの霊訓

1.「シルバーバーチの霊訓、1巻~12巻」 潮文社(絶版)

2.「シルバーバーチの霊訓、スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ」

  スピリチュアリズム普及会

3.「地上人類への最高の福音、シルバーバーチの霊訓」 スピリチュアリズム普及会

4.「霊的新時代の到来、シルバーバーチの霊訓」 スピリチュアリズム普及会

5.「シルバーバーチは語る」 スピリチュアリズム普及会

  →現在は、新版「シルバーバーチの教え」上巻と下巻の二冊になっている

6.「シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ」 ハート出版(絶版)

7.「シルバーバーチの新たなる啓示」 ハート出版(絶版)

8.「シルバーバーチ最後の啓示」 ハート出版(絶版)

 

◆モーゼスの霊訓

9.「モーゼスの霊訓、上」 スピリチュアリズム普及会

10.「モーゼスの霊訓、下」 スピリチュアリズム普及会

11.「インペレーターの霊訓(続霊訓)」 潮文社(絶版)

 

◆その他

12.「霊の書」アラン・カルデック編 スピリチュアリズム普及会

13.「霊媒の書」アラン・カルデック編 スピリチュアリズム普及会

14.「永遠の大道」マイヤースの通信 スピリチュアリズム普及会

15.「個人的存在の彼方」マイヤースの通信 スピリチュアリズム普及会

16.「ベールの彼方の生活、1巻~4巻」 潮文社(絶版)

17.「ブルーアイランド」 ハート出版(絶版)

18.「迷える霊との対話」 ハート出版(絶版)

19.「500に及ぶあの世からの現地報告」 スピリチュアリズム普及会

*上記「118」近藤千雄訳

*潮文社は廃業、全て絶版。但し「1」は、アマゾンのオンデマンドで購入できる

*スピリチュアリズム普及会 0532410537 (自費出版、注文すれば届く)

 

 

第4講:霊的に成長する為には <講義用ノート>

目 次

1.分霊と意識はワンセット

・霊と魂

・一つの考え方

 

2.分霊の顕在化率を高める手法とは

・進化と形体との関係

・利他的行為という愛

 

3.霊的エネルギー

①.利他的行為とは霊的エネルギーを相手に流すこと

②.垂直方向のルートと水平方向のルート

・「垂直方向」と「水平方向」の関連性

・霊的エネルギーの流入と霊的成長

③.霊的な動脈硬化

 

4.川の流れ(摂理)に沿った生き方

・知識から生き方へ

・流れに沿った生き方

・より多く「神の属性」を表した生き方へ

 

5.二種類の利他的行為

①.原則と特則

・利他的行為の原則(人の為になる行為なら何でも良い)

・利他的行為の特則(霊的真理の普及をしなさい)

②.具体的事例

・医師の事例

・スピリチュアリストの事例

 

6.祈りと瞑想

①.祈り

・祈りの対象と忠誠を捧げるべき対象

・祈りとは魂の行

・祈りの効用

・定型的な祈り、御利益信心的な祈り

・仲立ちを介した祈り

・霊界での祈りの扱われ方

②.瞑想のメカニズム

 

7.スピリチュアリズムが目指す世界

・霊的知識を日常生活に活かしていく

・個々人が変われば社会も変わる

・二方面からのアプローチが必要

・「地上天国(新しい世界)」の建設

 

<注1>~<注5>

 

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1.分霊と意識はワンセット

ア)霊と魂

頻繁に用いられている「霊spirit」と「魂soul」という言葉は、事典や参考図書等を調べてみても厳密な意味での違いはなく、かなりあいまいに使われている。翻訳者の近藤千雄氏によれば『シルバーバーチの霊訓』では「魂はそのまま霊と置き換えることが出来る。事実シルバーバーチは人間の構成要素を“肉体と精神と霊”と言ったり、“肉体と精神と魂”と言ったりしている」(2217④~⑥参照)として、一般には「霊spirit」と「魂soul」は置き換えが可能な言葉であると述べている。

 

イ)一つの考え方

A:当ブログでの用例

当ブログでは「霊魂」の「霊」とは「神の分霊」という意味で用いている。また「霊魂」の「魂」とは「潜在化している分霊が顕在化する場所」、つまり「神が外部に向けて顕現していく存在の場」(彼方4144①~②参照)という意味で用いている。

 

B:分霊が顕在化する場所とは

私たちの自我の本体、つまり「本来の私という意識(霊+魂=霊魂:注1)」には、各人ごとに「霊(神の分霊)」が潜在している(153⑬参照)。その「霊」が顕在化する場所(→本来の私という意識)を「魂」と呼んでいるに過ぎない。そして「霊(神の分霊)」が「魂」の領域に顕在化する比率(0%~100%)の違いから、意識水準の高い霊(顕在化率が高い霊)や低い霊(顕在化率が低い霊)が存在することになる。

 

C:ワンセットで組み込まれている

<シルバーバーチの見解>

シルバーバーチは「神は全生命に宿っております。全存在の内部に宿っております。全法則に宿っております」(5140⑪~⑫参照)として、被造物のすべてに神が宿っていると述べる。さらに神が顕在化する場所としての「魂とは全宇宙に遍在するものです。“意識”です。一個の身体によって束縛されるものではなく、無限の広がりを持つもの」(12195⑥~⑦参照)とも述べている(→ポイントは“意識”は一つに繋がっている、個々人の意識は類魂意識に、その類魂意識は拡大した類魂意識へと一つながりで繋がっていること)。

 

<存在の場としての意識>

この言葉から神によって創られた宇宙(1196⑤参照)には、神の一部である“霊(神の分霊)”と「神が外部に向けて顕在化していく存在の場としての“意識”」。この二つが常にワンセットになって万物に遍満していることが分かる。なおここで言う“意識”とは我々が一般に使用する所の脳を中心とした意識ではなく、潜在している神の分霊が顕在化する場所という意味での“意識”のことである。

 

<人間にも組み込まれている>

個別霊たる人間の“本来の私という意識”の中にも、「神の一部」(3113④、8105⑩~⑪、1167④~⑤、メッセージ147⑪参照)である「霊(神の分霊)」と「魂(意識)」はワンセットになって組み込まれている。

そのため「あなたも神の一部なのです」「神はあなた方一人一人であると同時にあなた方一人一人が神なのです」「ミニチュアの神です」「あなた方は神の縮図であり、その拡大が神というわけです」「一歩一歩、無限なる神に近づいて行くのです」(180⑧~⑫参照)という表現になる。

 

D:個別霊や集合魂がまとう形体

<人間の形体とは>

説明のしやすさから人間は「霊体と中間物質と肉体」の三者が重なり合って存在するとされているが、実際は「肉体と中間物質」、その中間物質の中に将来、霊的な世界で自我の表現媒体となる幽体の原型となる“エッセンス”が存在している(個人的存在82頁~84頁参照)。このエッセンス部分は睡眠中に抜け出して霊的な世界で種々の体験を積むが、その際に変幻自在に変化する中間物質はシルバーコードになって肉体との間を繋げている。

 

<エッセンス部分にある幽体の完成>

シルバーコードの切断によって死を迎えた他界者は、中間境で「明確な死の自覚」を持つことによってエッセンス部分の幽体が完成して、中間物質で出来た形体を脱ぎ捨てる。そして幽界の下層界にある「極楽」又は「浄化の世界」に入って行く。

 

<意識がまとう形体>

人間は“自我の本体(=本来の私という意識)”に「分霊」を一身専属的に有している。そのため「個別霊(→意識がまとう形体は一体のみ)」と呼ばれている。

進化レベルが人間以下の動植物では、個々の形体(一匹の動物)の中には「分霊」を専有しておらず、それぞれの“出身母体のグループ(→集合意識)”ごとに内在している。そのため因果律は“グループ”ごとに働く。意識(出身母体のグループ)がまとう形体は無数なので「集合魂」と呼ばれている(注2)。

 

<例えを使って説明する>

丼ぶり(出身母体のグループ)にイクラが山盛りになっている図を使って説明する。イクラの一粒が地上世界で私たちが見かける個々の動物の姿、その動物が地上体験を積んで“丼(→グループ又は未発達の魂が無数に集まって一つにまとまった集合魂)”に持ち帰る。その過程が延々と続く。一匹の動物(イクラの一粒)には、生命素を取り込むための中間物質と物的形体が一対となって存在するが、霊的要素は“出身母体のグループ”の共有状態となっている(→ペットは人間の愛を受けて一時的に個別の霊的要素が出現する)。「分霊」は丼に内在しており(因果律は丼、つまりグループを単位として働く)、イクラの一粒には内在していない。人間以下の場合は“出身母体のグループ(集合魂)”を単位として「進化」して行く。グループの進化に伴って、まとう形体も「植物→昆虫→魚類→〇〇」と一学年ずつ進級して行く(永遠の大道259頁~260頁参照:形体が無い集合魂という意識の霊的進化に伴って、その表現形体も一歩一歩発達して行く)。

 

2.分霊の顕在化率を高める手法とは

ア)進化と形体との関係

A:意識レベルに応じた形体をまとって体験を積む

形が無い“意識”が進化して行く為には、何らかの“形体”をまとって“体験(→物的体験や霊的体験)”を積む必要がある。まとう形体は「意識の進化」の程度に応じて変化する。

 

B:霊的進化とはインディビジュアリティの開発のこと

シルバーバーチは「進化とは内部に存在する完全性という黄金の輝きを発揮させるために不純物という不完全性を除去し磨いていくこと」(6114⑪~⑫参照)、または「霊的進化はひとえにインディビジュアリティの限りない開発です」(9131④~⑤参照)と説く。

 

なお『シルバーバーチの霊訓』ではインディビジュアリティを「本当の自我(10116⑦~⑧参照)」「本来の霊的自我(最後啓示95⑥参照)」「魂の全体像(10123②参照)」「霊的意識体(到来40②参照)」として、いわば「意識全体」という意味で用いている。

 

C:個性化の道

人間に関して言えば霊的進化とは、自我の本体に潜在している“分霊”を魂の領域(=本来の私という意識)に、より多く顕在化させていく過程(→個性化の道)に他ならない(333②~⑤参照)。顕現が増してゆくにつれて意識は深まって行く(到来26⑪、4155⑩参照)。そして霊的進化に応じて(→分霊の顕在化率が高まること)、意識がまとう形体(→肉体や幽体や霊体など)からは、“神の属性(→愛・寛容さ・叡智・親切・優しさ・思いやりの心・協力の精神など:注3)”が外部により多く滲み出てくる(→人間はミニチュアの形ながら神の属性の全てを内蔵しているから:6176⑤参照)。したがって神の属性の一つである“愛に満ち溢れた霊”とは霊格の高い霊である。

 

イ)利他的行為という愛

A:人間を通路として流れ込む

宇宙に遍満している「霊的エネルギー(→普遍的要素としての霊の一種)」は、個別化の頂点に立つ人間の愛を通路として“生物(→動物、植物、菌類、原生生物、原核生物)”の世界に流れ込んでいる(→この流れによって生命は進化する:590⑪~⑭参照)。これをシルバーバーチは「創造的エネルギーが人間を通じて働いている」(3113⑭参照)と表現している。

 

人間は進化が人間の次に位置する動物(犬、猫など)との接触を通して、人間の“愛”によってそれらの動物に自我意識を芽生えさせることが出来る(→例えばペットの犬や猫は際立った個性を見せる)。そのため物的形体の発達がより上位にある動物は、人間から“愛”を受け取るために人間の生活領域に近づいてくる(590⑥~⑦、8211⑪参照)。

 

B:霊的進化の指標は“愛”

意識の中により多くの霊的エネルギーを取り込み、活性化させる為のポイントは“利他的行為という愛”にある。なぜなら「生命が高級になればなるほど、愛他性を増し排他性を減らす」(3114①~②参照)から。ここから霊的進化の指標は“愛”であり(590⑬参照)、残虐性や野蛮性ではないことが分かる(8179①~⑥、8207②~③、5100⑨参照)。このように霊的エネルギーの流入には、他者に対する“利他的行為という愛”がカギとなっている。

 

C:消極的な利他的行為から積極的な利他的行為まで

利他的行為には「消極的な利他的行為(→植物は自らの身を他者の生存のために捧げている。哺乳類は血縁や仲間内には手を差し伸べるが、所属する群れ以外には手を差し伸べたりはしない)」から、「積極的な利他的行為(→人間は被災地でのボランティア活動に見られるように、見ず知らずの人たちにも手を差し伸べることが出来る)」までピンからキリまである。

シルバーバーチは「奉仕は霊の通貨」と述べたが、さしずめ「消極的な利他的行為」は額面が少額なコインであり、これに対して「積極的な利他的行為」は高額な額面のコインであると言えようか。

 

3.霊的エネルギー

①.利他的行為とは霊的エネルギーを相手に流すこと

霊的進化の道を歩んで行くためには、さまざまな体験を「魂の磨き粉」にして“分霊”の顕在化率を高めていく必要がある。その手法の一つに利他的行為がある。人間が地上世界で他者に対して行う利他的行為は、霊的エネルギーを「私」から「あなた」へと流していく行為に他ならない。個々人がこの行為を日常生活の中で継続して行えば、各自が有する霊的エネルギーが流れ込む“パイプ”はより太さを増していくことになる。

霊的エネルギーは「通過する道具によって制限される」(1130⑥~⑩参照)ので、霊性が高ければ高いほどそれだけ多くの質の良い霊力が大量に流入して行く。その結果“意識の領域(=魂)”に顕現する“分霊”の割合は少しずつ高まって行く(→顕現の度合いは0%から99.99%の範囲内で)。

 

②.垂直方向のルートと水平方向のルート

ア)「垂直方向」と「水平方向」の関連性

A:垂直方向のルート

宇宙に遍満している霊的エネルギーが、人間社会に満ち満ちていくためには二つのルートがある。まず人間の“自我の本体(=本来の私という意識、霊魂)”にある「魂の窓」(2121⑤、2124⑨参照)から流入した霊的エネルギーは、潜在化している“分霊”を活性化して“意識の領域(=魂)”により多く“分霊”の顕現を促して行く。人間の自我の本体を活性化させた霊的エネルギーは“霊的身体”に流れ込む。さらに中間物質(=半物質状の接合体)を経由して物的身体に流れ込んで、それぞれの部位を活性化させて行く。このような「垂直方向のルート」がある。

 

B:水平方向のルート

このルートで流れ込んできた霊的エネルギーは、他者に対する利他的行為によって「水平方向のルート(→人から人へ、人から動植物へ)」に転換して流れて行く。霊的エネルギーはこのような「垂直方向のルート」と「水平方向のルート」の二つによって、人間社会の隅々まで及んでいく。

 

C:利他的行為の本質

宗教では利他的行為が推奨されている。これはスピリチュアリズムの観点から見ても正しさが証明されている。他者に対して行う利他的行為の本質は、自らの霊的エネルギーを相手に与えることに他ならない。この利他的行為を通してさらに多くの霊的エネルギーは本人の霊的要素の中に流れ込む(→霊力の通風孔を大きくする行為:2121⑤参照)。その結果、本人の霊性も高まっていく(→霊的エネルギーの質が高まり分量も増えていく)。霊性の向上には利他的行為が大きく寄与していることが分かる。

このように多くの霊的エネルギーを自らの中に呼び込む為には、自分を経由して他者により多く“流す行為”が必要となる。その為には利他的行為によって自らが所持する霊的エネルギーを移動させることである。いわば自分の中に一種の“真空状態”を作りだして、さらなる霊的エネルギーを自分の中に呼び込む、という図式になるわけである。

 

イ)霊的エネルギーの流入と霊的成長

霊的エネルギーの流入と霊的成長は密接に関係していることから、霊的成長のキーワードは「人のために自分を役立てる」ことである。なぜなら人のためを思って何らかの利他的行為を行うことは、宇宙に遍満している霊的エネルギーを、自分を経由して他者に流すこと(→施しをすること)に他ならないから。

こうして個々人の利他的行為(→霊的エネルギーを相手に流すという水平方向のルートのこと)と、霊性の向上に向けた修養と節制の努力の積み重ね(→霊性レベルの向上により自らの中により質が高い多くの霊的エネルギーが流れ込む、垂直方向のルートのこと)、この両者の組み合わせによって、地上世界に絶対的に不足している霊的エネルギーは次第に分量を増やしていくことになる。ここに“修養的な生活と利他的行為を基本に据えた生活”(997④参照)が推奨される理由がある。その結果「地上世界の霊的レベル」は一段と向上して、人間の行為の基調が利己的から利他的に代わり、その結果「唯物主義と利己主義の二つのガン」(1巻101⑫~⑭参照)は徐々に駆除されてゆく。

 

③.霊的な動脈硬化

霊性の未熟さやネガティブ思考は“霊的生命力(=霊的エネルギー)の通路”を塞ぐ阻害要因となる。霊性の未熟さの表れである“異常なまでの物的志向性(→異常な物欲、度を越した利己性)”の持ち主や、“度を越したネガティブな感情(→必要以上に心配する、取り越し苦労をする)”の持ち主。いわば“霊的な動脈硬化”の要因を持った人は「霊的生命力の通路」を自ら塞いでしまっていることになる(→主に半物質状の接合体から物的脳や肉体へのルートに問題が発生する)。シルバーバーチは「心配の念はその人の周囲の物的ならびに霊的雰囲気を乱し、私たちによる援助が届けにくくなる」(11114⑬参照)と述べる。

 

その結果、本来“物的脳や物的身体の各部位”に流れるはずの霊的生命力(=霊的エネルギー)が充分に流れずに、精神的な病や肉体的な病となって発症することになる。ネガティブ思考の持ち主(→霊的な動脈硬化の要因を持った人)が霊的エネルギーの循環を正常に回復する手段として知られているのが、一般に「瞑想(→精神的に障害がある場合は避ける)」と「笑い・笑顔の効用(→精神的な障害があっても有効)」である(注4)。なお心霊治療は霊的生命力の流れを外部から強制的に回復させるもの、本人の努力が伴わなければ一時的な効果に終わる。

 

4.川の流れ(摂理)に沿った生き方

ア)知識から生き方へ

高級霊は「知識には責任が伴う」(153②、9135③参照)と述べる。スピリチュアリズム思想を学んで知識の分量を増やしていくと、次第にその人の生き方が問われてくる。なぜなら学んだ霊的知識を日常生活の中に反映させる、生き方の「質的な転換(知識から生き方へ)」が求められるから(383⑦参照)。

 

イ)流れに沿った生き方

まず“川の流れに乗る(→霊的摂理に沿った生き方)”為には何が霊的知識かを知らなければならない。ここから「第一段階」として広く霊的知識を普及させることの大切さが出てくる(→例えばインターネットの活用、講座や勉強会の開催など)。上記のデモンストレーションに刺激を受けて「第二段階」として少数だが霊的知識に関心を示して学び始める人が出てくる。そして学びを通して知識の分量を増やしていくことになる。さらに「第三段階」としてその中からごく少数だが「生き方の質的な転換」が起こり、実生活に霊的知識を応用した生き方に向かう人たちが出てくる。その人たちは各々試行錯誤の中から自分の生活スタイルに合った活用法を見出していく。

 

シルバーバーチは上記「第二段階」の霊的知識を知っているというだけでは、身についたとはいえない。それを「第三段階」の実生活の場で実践して初めて理解したことになると述べる。なぜならその人の霊性レベルの判断指標は日常の行為にあるから(9巻117⑭~118③参照)。

 

ウ)より多く「神の属性」を表した生き方へ(注3)

人間は各自肉体をまとって地上体験を積み重ねながら霊性の開発を図っている。霊性を開発するためには霊的成長を促すような生活、たとえば“神の属性”の一つである「寛容の精神、同情心、愛の心など」を持つようにする、また無私の行為によって自分で自分を変えていくことが必要となる。霊性が開発された分だけ“潜在的完全性(分霊)”が“意識の領域”に顕在化してくる。その結果その人の肉体を通してより多くの“神の属性(→愛、寛容さ、叡智、真理、公正、親切、優しさ、思いやり心、協力の精神など)”が滲み出て来る。

 

5.二種類の利他的行為

①.原則と特則

ア)利他的行為の原則(人の為になる行為なら何でも良い)

シルバーバーチは宗教の基本は「いつどこにいても人のために自分を役立てること」であり「奉仕こそ霊の通貨」(757⑦参照)であると述べている。これは信仰者の最大の関心事である“神に対する奉仕”、つまり地上を霊的エネルギーで満たして「新しい世界の建設」に貢献すること。これは「神の子である地上の同胞に奉仕すること」によって達成されるものだから(語る83⑮、最後啓示61⑤、430⑪~⑫参照)。

シルバーバーチは「奉仕こそ霊の通貨」であると事あるごとに述べている。言いかえれば「人の為に自分を役立てること」と同じである。「新しい世界の建設」はこれが基本となっている。このようにまずは「自分の出来ることから利他的行為を行いなさい」ということになる。

 

イ)利他的行為の特則(霊的真理の普及をしなさい)

スピリチュアリズム(=霊的思想、霊的知識:11175⑬、1176②参照)普及の目的は、人間の生き方や社会の在り方を「物的視点から霊的視点」へと根本的に変える「意識の変革」にある。最終的には個々人の「意識の変革」を目指すスピリチュアリズムの普及は、より専門性を持った利他的行為であり、一般的な利他的行為の「人の為になる行為なら何でも良い」の特則にあたる。

霊的真理を理解したスピリチュアリストは、いわばその道の“スペシャリスト”なので、上記「ア」のような一般的な利他的行為に留まらず、専門性を生かした「イ」のような行為も出来ることになる。利他的行為の選択の幅が広がることになる。

 

②.具体的事例

ア)医師の事例

この“利他的行為の原則”と“利他的行為の特則(専門性)”との関係を、地震の被災地で瓦礫の片付けを行うボランティアのグループに入って、復旧活動に携わる医師の行為を例にとって考えてみると良く分かる。

 

被災地で医療行為が求められていない“平時の時”は、その医師が行う瓦礫の片付けという利他的行為は賞賛されて、なんら問題は生じない。しかしその被災地において医療行為が求められている“非常時”の場合には、少なからず問題が発生する。医師が“非常時”においても、なおも“瓦礫の片付け”にこだわり、それを優先して行い続けている場合には「道義上の責任」が生じる。なぜなら医療行為は医師でなければできない行為であり、職業倫理上も自ら率先して医療行為に携わることが求められるからである。

このように代替可能な“瓦礫の片づけ行為(→労務提供型の利他的行為)”と、一身専属的な“緊急医療行為(→余人を以って替え難い専門性を持った利他的行為)”とを同列に並べて、自分の好みで前者を選択するということは、ケースによっては許されない場合がある。

 

イ)スピリチュアリストの事例

同様なことは霊的真理を理解したスピリチュアリストにもいえる。ただし霊的真理を理解したといっても、その理解の深さや自覚の程度は各人各様なので(→ピンからキリまで)、その“能力に応じた責任の発生”ということになる。

これに対して医師は、一定の能力を有していると判定された者にのみ与えられた公的資格であり、その名称を有する者には一定以上の能力があるという“社会の期待感(→当然に責任もあるということ)”がある。そこにスピリチュアリストとの本質的な差異がある。

 

スピリチュアリストが行っている霊的真理の普及活動は、人間の生き方の本質部分に深くかかわっている利他的行為である。利他という点では他の行為(→上記の一般的なボランティア活動)と質的には同一だが、人の生き方や社会の在り方を根本から変えてしまうという点では、利他の程度は極めて高い行為と言える(→社会変革を目指しているから)。したがってあまた存在する利他的行為の中でも霊的真理の普及活動は、人の霊的成長や社会の根本的な変革に直結するため(→個々人の「意識の変革」は「新しい世界建設」の為の最初の一歩だから)、利他的行為の頂点に位置しているといえるのではないだろうか。

 

6.祈りと瞑想

①.祈り

ア)祈りの対象と忠誠を捧げるべき対象

本来の私という意識に潜在している“分霊”を顕在化させるための手段としては、祈りと瞑想が良く知られている。ここでは祈りを見ていく。

 

祈りの対象は神である(11113⑩~⑪参照)。なぜなら祈りとは、神の分霊である自己とその始源との一層緊密な繋がりを求めるための手段であるから(12125⑪参照)。従って神の使者である高級霊やイエスを祈願の対象とするのは間違いとなる(語る159⑦参照)。

 

シルバーバーチは忠誠を捧げるべき対象は「神と永遠不変の摂理」(7207③~④、メッセージ165⑮~⑯参照)であると述べる。これに対して祈りの対象は「神のみ」(11113⑩~⑪参照)として、両者を区別して用いている。なぜなら祈りの照準は“自己とその始源との緊密化”という観点からみて当然に「神」でなければならないのに対して、永遠の旅を続ける為には「流れに乗る」という意味で「摂理」に合わせる必要が出てくる。そのため忠誠の対象として「神」に「永遠不変の摂理」が加わった。

 

イ)祈りとは魂の行

祈りとは自分自身の波長を高めて、少しでも高い界層との霊的な交わりを求める行為である(3141④~⑥参照)。シルバーバーチは「祈りとは魂の行」(3226⑪参照)であり「より多くのインスピレーションと霊的エネルギーを摂取するための手段である」(3227①参照)と述べる。世間で言う祈り、例えば「何らか願いを叶えてもらう」ために「高次の存在」に祈願する行為とは異なる。

このように「祈りとは魂の行」であるため、祈りが出来ない時や祈りたくないと思えば祈る必要はないことになる(3227⑥、7205①参照)。

 

ウ)祈りの効用(注5)

波長を高める霊的活動としての祈りや衷心からの祈り、人のために役立ちたいとする祈りは、一種の「磁気力にも似た吸引力」のような力が発生して、祈る者の霊的成長に見合った分の援助を自動的に引き寄せる(1170⑩~⑪、11114⑪~⑫参照)。しかし祈りによって自然法則(=因果律の法則)の働きを変えることはできない。また地上的な労力の代用にもなりえない(3218⑩~⑪参照)。

祈りに対する回答は、その時の祈る者の霊的成長にとって一番望ましい形で与えられる(158⑭~59②参照)。祈りの動機次第によっては、何の反応もないということもあり得る。

 

エ)定型的な祈り、御利益信心的な祈り

無意味な文句の繰り返しや、神に挨拶するための機械的な祈り、集団で行う紋切り型の祈りには何の効果もない。祈りの効果を決定づけるのは、祈る人の霊格と動機である(到来173⑦~⑨参照)。御利益信心は利己的な要求なので、これらの祈りは当人の霊的成長にはプラスにならないので何の効用もない(1169⑩参照)。シルバーバーチは「利己的な祈りは時間と言葉と精神的エネルギーの無駄遣い」(7198⑭参照)であると述べる。何々をしてもらいたいと願う“要求型の祈り”は祈りではない。

 

オ)仲立ちを介した祈り

限界ある人間が「指導霊崇拝」を回避するための祈り方として「高級霊は私たち人間の“兄や姉”であり、最終責任者の神に取り次ぐ中継役である」とする祈り方がある。『モーゼスの霊訓』には「神の概念が理解できた者なら直接神に祈ることです。それができないのであれば、自分にとって最も身近な信仰の対象を仲立ちとして祈るがよろしい。その仲立ちによって祈りが神へ届けられます」(続霊訓75⑨~⑪、同趣旨12122⑫~123③参照)との記載がある。

この「祈りの仲立ち」とはイメージしやすい守護霊なり指導霊なりを「仲立ち」としたスタイルの祈りのこと。守護霊や指導霊が一種の“ライフル銃の照準器”的な役割を果たすことになり、最終的には“神に祈りのピントが合う”ことになるから。

 

カ)霊界での祈りの扱われ方

祈りは「祈りの純粋性や利他性の度合い」に応じて、「仲立ち」を経ながら相応のレベルまで届く。霊界通信の『ベールの彼方の生活』には、霊界には祈りを専門に処理する霊団がおり、祈りに含まれる純粋性や利他性などを分析して、価値評価の高い祈りは順次高位の霊に取り次がれていく(彼方1208⑥~⑧参照)との記載がある。同趣旨として「人間が祈りを発すると、それを中継する霊が受け取り、その霊自身の判断による回答」(続霊訓78②~③参照)を授かるという記載もある。

なお“要求型の祈り”は物質志向が強いため上昇せずに、祈る内容に応じて親和性から幽界の下層界にいる低級霊との間に繋がりが生じる。

 

②.瞑想のメカニズム

人間を固有の周波数を持った“通信装置”に例えてみると“瞑想のメカニズム”がよく理解できる。瞑想とはこの通信装置の“アンテナの錆”を落とす行為と言えようか。

霊媒体質者の場合は先天的にアンテナが磨かれていて感度が良好だが(→その結果、いろんな霊の影響を受け易くなる)、通常人は錆が付着して感度が悪い状態となっている。

 

私たちの日常生活では、親和性の法則から絶えず“通信装置のアンテナ”から雑多な思念を受け取っている。五感から入るさまざまな刺激に対して過敏に反応して、意識は興奮した状態にある。瞑想はさまざまな物に反応している状態を鎮めて、意識の焦点を自己の身体からずらせていく技法のこと。ズレの程度が大きければ深い瞑想状態となり、ズレが小さければ浅い瞑想状態となる。熟練者は容易く深い瞑想状態に移行できる。瞑想はいわば瞑想者の“固有の周波数”に見合った霊的波長を持つ霊と、同調を良好にさせる行為であると言える。

 

上記のように考えれば、瞑想が習熟(=アンテナの錆落とし)していくことと、瞑想者の心境が高まること(=固有の周波数がアップすること)は必ずしもイコールではないことが分かる。瞑想はあくまで技法であり、アンテナを磨くだけにすぎないもの。坐っているだけでひとりでに霊格が上がることはない。アンテナの錆落とし(=瞑想の実修)と同時に、通信装置の周波数を高める努力(=修養的生活と利他的行為)が必要となる。なぜなら瞑想によってアンテナの錆落としが進んだ分だけ、固有の周波数に見合った霊の影響をより一層受けやすくなるから(→同調してくる霊を選別する必要がある)。

 

7.スピリチュアリズムが目指す世界

ア)霊的知識を日常生活に活かしていく

シルバーバーチは事ある毎に「霊的知識に沿った生き方」や「霊性の向上」が最も大切であると述べている。例えば「獲得した知識は着実に実生活に生かしていくように心掛ける」(226⑤参照)など。なおシルバーバーチが述べる「霊性の向上」とは、本来の私という意識(自我の本体)に潜在している“分霊”を顕在化させていく“意識の進化”のことであり、形体に具わっているサイキック能力の開発ではない。

 

個々人が「霊性の向上」を目指して行く為には、獲得した霊的知識を「生き方の指針」に据えて、自らの日常生活を変えていく「意識の変革」が必要となる。なぜなら「死の先にも人生はある(死は第二の誕生)」という「スピリチュアリズム的死生観」が真に理解されることによって、その人のその後の人生観が大きく変化して行くから。

 

イ)個々人が変われば社会も変わる

スピリチュアリズムの本質的な理解が広がり、「普遍的なスピリチュアリズム思想」を「自らの生き方の指針」にしようとする人たちが数多く出現して行けば、その社会の構成員の意識に変化が生じて“社会の慣習や制度”は質的な転換を迫られることになる。

現在のスピリチュアリズム・ブームが今後、表層的なもの(→いわゆる“世俗的・現象的なスピリチュアリズム”のこと)から、より本質的なもの(→生き方の指針としてのスピリチュアリズムのこと)に移行していけば、人々の意識に大きな変革が起こって、唯物主義を基調とした社会制度は徐々に変わっていくことになる。

 

欧米人には「救世主待望論」を主張する人が多いが、“社会全体の意識レベルの向上”は個々人の意識の変革が積み重なって少しずつ向上して行くもの。一人の救世主が現れて、一夜明ければ地球の霊性が他力的に向上していた、社会が変わっていたというものではない。意識を変える運動は時間のかかる最も困難な「社会変革運動」である。それ故に「スピリチュアリズム普及運動」も焦りは禁物、往々にして焦りは運動を過激にしていくから。

 

ウ)二方面からのアプローチが必要

A:地上世界の取り組み

個々人の利他的行為によって、地上世界に不足している霊的エネルギーはその分量を増して行く。数多い利他的行為の中でも人の生き方を変える力がある霊的知識、その普及運動は地上世界を蝕む“ガン(→際限なき貪欲や利己主義、唯物主義など)”を駆除する際に有効な働きをする。このため霊的知識を普及させて「地上世界を浄化していくこと」が喫緊の課題となっている。

 

B:幽界の下層界の取り組み

地上世界の浄化と同時並行的に、幽界の下層世界の浄化が必要となってくる。「スピリチュアリズムの普及運動」は幽界の下層にいる霊に「霊的自覚(→霊として何を為すべきかの自覚)」を持たせる運動という側面もある。つまり地上の親和性ある人間に対して「教唆や幇助」と言った形で、利己的な行為を助長する低級霊に対して、霊界側から働きかけを強化して、それらの霊に対して「霊的自覚」を持たせる為の取り組みが行われている。このように現在進行中の「スピリチュアリズム普及運動」は顕幽両面に亘る壮大な運動である。

 

エ)「地上天国(新しい世界)」の建設

地球を争いが絶えない地獄のような世界にするか、霊的知識をベースにした「地上天国」を建設するかは、自由意志を持った人間次第である。この宇宙の中で地球の果たす役割に変更がなければ「地上天国」が建設されたとしても、この地上世界が「学校」であることに変わりはない。「学校」である以上は何らかの“魂の磨き粉”は存在する。ただし“磨き粉”の粒子は細かくなるが。

 

例えて言えば現在の地球は“軽石”に石鹸をつけて身体を洗っているようなもの、これが「地上天国」になると“絹のタオル”に石鹸をつけて身体を洗うようなもの、身体が受けるダメージは格段に軽減する。このような「地上天国」とは、困難や苦難が無く、願望が何でも叶う世界ではない。願望が何でも叶う世界は幽界の下層世界にある「極楽のようなエリア、楽しい思い出が再現されたエリア」である。

「地上天国」の住人は霊的進化が最重要目標となっているため、当然に霊的知識を日常生活に活かす生き方を目指している。さらにまとう形体からは霊性の向上に応じて“神の属性(→愛・寛容さ・叡智・親切・優しさ・思いやりの心など)”がにじみ出ている。

 

◆遠い未来の地球の姿

「人間は地球上でさほどせわしく東奔西走している様子は見られない・・・内省的生活の占める割合が増えている」(ベールの彼方の生活4270頁参照)

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

<注1>

■霊魂とは

潜在化している「霊」とその「霊」が“顕現する場所”である「魂」、双方を合わせた「霊魂」は“意識(霊的意識)”と同義語とされている(12195⑥~⑦、語る425⑦、教え下204④参照)。ここから「霊魂=自我の本体=意識(霊的意識)」と言う関係性が出てくる。シルバーバーチが例えに用いる個別霊としての「ダイヤモンドや氷山」丸ごと一個分は、内部に「霊」を潜在させた「魂(意識、霊魂)」のことである。

 

<注2>

■神の一部である意識

シルバーバーチは「大霊の一部である意識」「この意識は私の知る限り無窮の過去より常に存在してきたもの」「(その意識が)さまざまな形態を通じて顕現し、その表現を通じて絶え間なく洗練されつつ、内在する神性をより多く発現していく」「(意識は)これまでもありとあらゆる生命現象を通じて顕現し、今なお顕現し続けております」(以上3113④~⑧参照)と述べる。

 

進化レベルに応じた形体をまとう

このようにして“意識(意識なるもの)”は、進化レベルに対応した無数の形体を順次まといながら(→形体の個別化が促進されていく、人間は個別化の頂点に立つ)、意識の中に潜在している“分霊”の顕現を増して「集合魂(→因果律の主体となる“集合魂・集合意識”から出現する形体は無数)」から、「個別霊(→因果律の主体となる個別意識から出現する形体は一つのみ)」へ進化してきた。

そして個別霊は進化するにつれて形体も洗練されていくと同時に、親切・愛・慈悲心などの“神の属性”が形体を通してより多く外部に滲み出てくる(→ますます「個性が強調された個性化の道」を強めていく)。個性化の道をシルバーバーチは「神性を増し、物質性を減らしていく、それが創造の全目的」(3113⑨~⑪参照)と述べている。

 

■まとめると

「神が外部に向けて顕現していく存在の場」としての意識は、「単なる意識(→集合魂または群魂、まとう形体はおおよそ哺乳類以下の動植物)」から個別意識の萌芽形態たる「類魂意識(→まとう形体はおおよそ哺乳類)」へと、さらには悠久の時を経て個別化の頂点である「個別意識(→まとう形体は人間)」へと進化してきた。その後「個別意識」は永遠に続く「個性化の道(→より多くの“神の属性”が、まとう形体を通して外部に滲み出てくる霊的進化の道)」を辿って行くことになる。

 

<注3>

■神の属性である“優しさ”

優しさにもピンからキリまで幅がある。一本の線の左端には特定の者や利害関係者のみに対して優しさを表し、他の者に対しては冷たい、いわば対象者を使い分けた優しさ。右端には万人に対して優しさを表すという具合に。この違いはどこから来るのか。

個別霊は地上世界で体験を積むためには肉体をまとわなければならない。その結果、肉体特有の「自己保存の本能」を持つことになる。霊性レベルが低い地球人の肉体は物質性が極めて濃くできている(→霊性レベルに比例した形体をまとうから)。物的濃度が濃ければ、それだけ自己主張は強くなる。

霊的意識から流れ込む優しさは、本能に起因する自己保存的に働く意識によって変質して行く。このように出自の異なる二つの意識は“物的脳(心)”で統合されて、一つの意識(顕在意識)となって地上的人格が形成されて行く。その形成過程で物質性を帯びた優しさとなって、肉体を通して現れ出る。

 

■神の属性である“助け合い”

地球という名の「学校」で学ぶ者どうしの助け合い。

・お金がある人は、その日の糧に困っている人にお金を提供し

・知識がある人は、道に迷っている人にその知識を提供し

・体力と行動力がある人は、被災地に出向いて困窮している人達の為に労力を提供し

・調整が上手な人は、多彩な考えを持つ人達をまとめる役割を提供し(能力や労力など)

・共感能力が高い人は、悩める人に寄り添って

・いつも笑顔の人は、元気のない人に笑顔で元気づけて、助け合いの輪を広げていく。

 

<注4>

■関節リュウマチの患者に落語を聞かせたところ、笑った後ではナチュラルキラー細胞が活性化して免疫力が高まったこと、血液中の糖質コルチコイド値が下がったこと、このような医学的なデータもある。

 

<注5>

GV・オーエン著『ベールの彼方の生活、第1巻』には「祈りは意念の操作による創造的行為である。信念のもとに祈りを捧げれば、その祈りの対象が意念的に創造され、その結果として“祈りが叶えられる”ことになる。つまり主観的な願いに対し、現実的創造作業による客観的回答が与えられる」(207⑫~⑭参照)との記載がある。

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

 

 

第3講:他界霊の意識の変化 <講義用ノート>

目 次

1.スピリチュアリズムの基本

①.人間の構造、形体面から

②.人間の構造、意識面から

・私とは“意識”のこと

・本能に起因する意識

・出自の異なる二つの意識

・持ち帰る「新たな体験」

③.人間の構造、意識と形体の関係

・意識レベルに応じた形体をまとう

・地球人は物質性が極めて強い形体をまとう

・地上での悟りと霊的な悟り

 

2.他界霊の意識の変遷

①.グラデーション的に変化する世界

・死後の世界の概略

・死後の行程

・幽界の上層界と下層界

②.意識の変遷図

・意識の区分

・1図~7図の略図

・略図の解説

 

3.中間境での他界霊の意識

①.「死後」すみやかに「死の自覚」を持つことの大切さ

・意識の切り替えによる波長の調整

・霊的視力の有無

・地縛霊

・「死の自覚」を持つことの大切さ

・地上人の供養

・幽霊とは

②.「自分で自分を裁く」行為

・二種類の回想体験

・霊的法則という物差し

・進むべき道が明らかとなる

 

4.幽界での他界霊の意識

①.中間境から幽界へ

②.幽界の下層界

・地上的人格の残像

・思念は環境を形成する

・意識の二重構造

・浄化の為の世界

③.霊的自覚の芽生え

 

<注1>~<注10

 

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1.スピリチュアリズムの基本

①.人間の構造、形体面から

A:重なり合って存在する

人間の構造は「私という意識(心)」と、その意識を表現する為の「形体」とに分けることが出来る。ここでは形体面を見ることにする。

私たち人間は「物的要素(肉体)」と「霊的要素(霊体)」、そして両者を結合させるための「中間物質(接合体)」という三つの要素が重なり合って存在している(語る110⑨~⑩、8106⑥~⑪参照)。

 

B:中間物質(注1)

スピリチュアリズムでは、質的差異が大きい「霊的要素(霊体)」と「物的要素(肉体)」とを繋ぐ「中間物質の接合体」の存在を明らかにしている。この「接合体」は肉眼では見えないが肉体とそっくりな形をした半物質状の中間物質で出来ており、数多くの糸状の細いシルバーコードと二本の太いシルバーコード(→額部分にある松果体、俗にいう“第三の目”の部分と、腹部の太陽神経叢の部分)によって肉体と繋がっている(永遠の大道115⑮~⑰、個人的存在79①、霊媒の書29⑭参照)。

 

C:霊的要素

霊的要素としては「私という意識(自我の本体、霊的な心、本来の私)」と「霊的身体」とがある。霊的身体には霊的世界で使用する為の“五感(霊視、霊聴等)”が具わっている。この“五感”は霊的身体が持つ知覚力なので、本来的に全ての人間に具わっている。その霊体に具わっている能力(→サイキック能力)が、体質的に物的身体を通して外部に容易に発現しやすい人を“霊的な敏感者”という(注2)。

 

②.人間の構造、意識面から

ア)私とは“意識”のこと

A:理解のカギは“意識”にある

スピリチュアリズムを理解するカギは“意識(注3)”にある。シルバーバーチは意識を類魂の視点(拡大した私)から述べることが多いが、個別霊としての意識(本来の私)を十分に理解した上で類魂を説かないと、両者の意識に混乱が生じてしまう。その為に当ブログでは理解のし易さを考えて、意識を主に個別霊の視点(本来の私)に立って述べる。

 

B:「本来の私」と「現在の私」

私とは意識であり意識とは霊魂のこと(教え下204④参照)、自我の本体(本来の私、霊的意識、霊的な心)のことである。なお自我という言葉には「本来の自我意識(霊的な心、本来の私)」と、地上で物的脳を介して見せる「地上的自我意識(物的な心、現在の私)」の二通りの用例がある(注4)。

 

私たちが日常的に脳を介して意識する「地上的自我意識(パーソナリティ、物的な心、現在の私)」は、「本来の自我意識(インディビジュアリティ、霊的な心、本来の私)」の一部分のことである。シルバーバーチは『地上に生まれてきたパーソナリティは一個のインディビジュアリティの側面の一つ』(9200⑩~⑪参照)と述べる。

神の分霊たる“霊”は、この「本来の自我意識」の中に潜在している。そのため潜在している“霊”と、その“霊”が顕在化する場所(霊の外皮たる魂、意識)を、ワンセットにして「霊魂(本来の自我意識)」と呼んでいる。

 

C:潜在している“分霊”を顕在化させる

人間は肌の色に関係なく、個々人の“意識(本来の自我意識、霊魂)”の中には“分霊(神の分霊)”が宿っている(153⑬、80⑧~⑫参照)。違いは各自に内在している“分霊”が意識の領域に顕在化している割合が、他人と比較して多いか少ないかだけである(→個別霊は0%~100%の範囲内で“神の分霊”が意識の中に顕在化している)。

意識の領域に“分霊”の顕在化率が高くなればなるほど、その人の形体(→肉体や霊的身体)を通して“神の属性(→愛、親切、同情、慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善など:1巻19⑧~⑨、1巻155①~②、2巻107⑤~⑦参照)”がより多く外部に滲み出てくる。

 

イ)本能に起因する意識

A:意識は何らかの形体をまとって自己表現する

形体が無い“本来の私”という意識が“進化(注5)”して行く為には、この世では肉体という形体をまとう必要がある。そして地上体験を通して潜在している“分霊(神の分霊)”を“本来の私(本来の自我意識、霊魂)”の中に顕在化させて行かなければならない。

 

B:物的脳を通して自我を表現する

地上で生活する為には“本来の私という自我意識”は、肉体のコントロールセンターとしての機能を持つ物的脳を通して自己表現をせざるを得ない(→脳を介して表現される意識を顕在意識とか物的な心という)。利他的に働く“本来の私”という意識の一部(→海面上に現れた氷山部分、霊的な心の一部:注6)は、脳を介して“現在の私(物的な心)”に流れ込むが、肉体を有するが故に利己的に働く「本能に起因する意識」に強く制約される。

 

C:肉体を持つが故に働く意識

人間は肉体を維持し保全しようとする意識(→本能に起因する意識)と、自己顕示欲・物欲・名誉欲等と言った“本能から派生する意識”が、“現在の私(→物的脳を介して意識する私、物的な心、パーソナリティ)”に強烈に影響を及ぼしている(語る186⑧~⑨参照)。

 

人間の一日は大部分、肉体本能に影響された意識状態によって支配されていると言える。例えば腹が空けばイライラし体調が悪ければ気持ちはブルー、私たちの意識は四六時中モノに支配された状態となっている。そのため意識的に“現在の私”という意識を高める努力をしなければ、易きに流れる煩悩に満ちた快楽重視の生活になってしまう。

 

ウ)出自の異なる二つの意識

A:価値判断は意識が行う

A:モノ等の対象物」―→「B:目(網膜は情報収集器官)」―→「C:大脳(情報を整理・統合する器官)」―→「D:地上的自我意識(利他的意識と利己的意識のせめぎ合いの中で形成された意識が価値判断を行う)」―→「C:大脳(価値判断に基づき身体の各部位に指令を出す)」―→「E:何らかの動作(筋肉を動かす)」

 

物的脳の容量には限界があるので、脳で受信できる利他的に働く霊的意識の範囲は、「注6」で述べたように最大限「海面上に浮かんだ氷山部分」、通常はその一部分を感知するだけである。この感知した領域から流れ込む利他的に働く霊的意識と、肉体を持つが故に利己的に働く本能に起因する意識、この出自の異なる二つの意識が物的脳を介して一つに統合されて地上的自我意識(物的な心)が形成される。

 

情報収集器官である目の網膜によって集められた情報は、大脳の各部位で整理統合される。その整理統合された情報の価値の判断をするのは地上的自我意識(現在の私)である。この地上的自我意識はその表現器官を肉体に依存しているため、利他的に働く霊的意識よりも利己的に働く本能に起因する意識の影響を強く受けてしまう。そのため大脳には、地上的自我意識から物質性の濃い指令が発せられる。その指令に沿って肉体の各部位は筋肉を動かして、各種の動作を伴った行動(→言葉を発する、何らかの行動を取る)を行う(注7)。

 

B:異なる意識がせめぎ合う

「注7」で述べたように、その人の地上的人格(パーソナリティ、物的な心、地上的自我意識)は利他的に働く意識と利己的に働く意識、この出自の異なる二つの意識のせめぎ合いの中で形作られてゆく(道しるべ46⑤~⑦参照)。

この世は物質の世界なので余ほど気を引き締めて生活をしないと利己的に働く意識が強くなって、その結果“安易な生き方”に流れてしまい、地上的人格(地上的自我意識、顕在意識)に上がってくる利他的に働く霊的意識の割合は限りなく低くなる。そのため多くの人は利己性が強調された地上的人格像を形成してしまう。

 

エ)持ち帰る「新たな体験」

A:取り込む領域

「注6、注7」で述べたように地上特有のパーソナリティは、“海面上に浮かぶ氷山”部分から流れ出る霊的意識と、肉体を有するが故に必然的に発生する本能に起因する意識とが物的脳で一つに統合されて形成されたもの。

一般に地上人生で身に付けた知識や思想・特定の教義や体験などは、その人の比較的浅い部分の潜在意識に取り込まれて固着観念となる。いわば“独特なイロ”が付く霊的意識となる。この意識部分(→例示した“海面上に浮かぶ氷山”に取り込まれる)に取り込んだ体験が、新たな地上体験として霊的家族・類魂に持ち帰ることになる。

 

B:物質臭に満ちた意識

“海面上に浮かぶ氷山”に例えられる比較的浅い部分の潜在意識に取り込まれた“新たな地上体験”には、しばしば“ケバケバしい物質臭に満ちた意識(→強欲・淫乱・執着・ねたみ等の煩悩に満ちた意識)”が付着している。

これらの地上体験を通してその人の人格の一部となってしまった“煩悩に満ちた意識”を、幽界の下層界での厳しい体験を通して取り除いていく。一連の体験を経て“地上体験が昇華”されて、海面下に隠れている“氷山部分(より深い潜在意識・霊的意識)”と融合して行く。その過程が幽界生活となる。

 

C:他界霊の意識

幽界の下層界で生活する他界霊の意識は、表面意識の“浅い部分の霊的意識(→海面上に浮かんだ氷山部分)”と、霊的自覚が芽生えるまでは浮上してこない“より深い霊的意識(→海面下に隠れた氷山部分)”の二つに分けることが出来る。

 

③.人間の構造、意識と形体の関係

ア)意識レベルに応じた形体をまとう

A:表現器官としての形体

形体が無い“私という意識(自我の本体)”が進化して行く為には、何らかの“形体”をまとって体験を積む必要がある。『シルバーバーチの霊訓』には「意識は脳とは完全に独立した形でも存在します」「心はそれ自体で存在します。しかし、それを自覚するには何らかの表現器官が必要です。そのために人間に幾つかの身体が具わっている」とある(3194⑩~195②参照)。

 

私という意識が地上で物的体験を積むためには、霊格に関係なく全員が同一構造の肉体をまとう必要がある。これに対してあの世で霊的体験を積むためにまとう霊的身体は、その霊の霊的レベルに応じた相応の形体となる。

 

B:神の属性が形体を通して滲み出る

このように形が無い意識が体験を積むためにまとう形体からは、進化レベルの向上に比例して“神の属性(→愛・寛容さ・叡智・親切・優しさ・思いやりの心など)”がより多く外部に滲み出てくる。そのため霊界通信には、高級霊の姿からは「慈愛に満ちた雰囲気」が形体(霊的身体)を通して滲み出ている、と同時に「強い光輝が伴っている」と言った記載がある。これに対して“傲慢さ、残忍さ、野蛮さ”などの獣性は霊性の停滞を招くので(8207②~③、5100⑨参照)、幽界下層に存在する“浄化の為の界層”で過ごす霊の姿からは、貧弱な霊性が滲み出ている。

 

イ)地球人は物質性が極めて強い形体をまとう

A:自己主張が強くなる

地球人がまとう肉体(物的身体)には、進化レベルに相応した極めて物質性が濃いという特徴がある(→霊性レベルが高まれば、まとう物的身体は次第に希薄化する)。物質性が濃ければそれだけ自己保全の本能が強く働くことになる。なぜなら物的個体の生存を強調する“本能に起因する意識”が強く顕在意識に作用するから。その結果、際限なき貪欲や利己心、すべてが“自分ファーストや自国ファースト”といった行動や発言として表れてくる。また自己保全に由来する自己主張も極めて強く、その強さに応じて他者との衝突も多くなる。

 

B:肉体は“学校の制服”

我々地球人は肉体という形体をまとって、両極性の世界(→利他性に満ちた行動や利己性に満ちた行動をとる人たちと日常的に出会う混在した世界)で物的体験を積み重ねながら学んでいる。それ故にスピリチュアリズムでは地上世界を「学校」と呼んでいる。肉体は“私という意識”がまとう「学校の制服」である。

 

ウ)地上での悟りと霊的な悟り

A:地上での悟り

地上では「魂が目を覚ました(→霊的に覚醒する、霊的自覚を持つ)」という場合でも、物的身体を通して自己表現をしている以上、肉体の欲求や煩悩等の“本能に起因する意識”に絶えず悩まされることになる。なぜなら地上世界では「霊的なバイブレーションよりは物的なバイブレーションの方が感応しやすい」から(444⑬~⑭参照)。

いわば地上では「霊的覚醒」の状態を、絶えず物的なバイブレーションによって試されている様なもの。この点が霊界に於ける「自覚(悟り)」との違いになっている。

 

B:霊界での悟り

霊界では霊的身体で自己を表現するため、地上のように物的身体で表現する必要がない分、“自覚(悟り)したという意識”はよりクリアな状態となっている。我々は肉体を持つが故に、人は絶えず「本能に起因する意識」によって自覚の程度を試されるといえる。

 

2.他界霊の意識の変遷

①.グラデーション的に変化する世界

ア)死後の世界の界層

あの世とは霊的な波長・バイブレーションが、低い段階から高い段階へと“グラデーション的に変化する一つの世界”のこと。この「霊の世界(広義の霊界)」を分かり易く表現する為に、地上と接する界層を特別に「中間境(幽界の下層界の一部)」と呼んでいる。その上の界層を順次「幽界」や「霊界(狭義)」と呼ぶ。

 

従ってこの世からあの世へは、意識の深まりに伴って「A:物質の世界」→「B:中間境(物的から霊的なバイブレーションに転換する為の界)」→「C:幽界(下層界、上層界)」→「D:霊界(狭義)」と移行し、それらの界層は連続して繋がっている。意識の深まりに伴って周囲のバイブレーションも変化して行く。BAより、CBより、DCよりバイブレーションは高い。その為それぞれ下位の者から上位の世界は見えない。

 

イ)死後の行程(AFの順番で私の意識は拡大して行く)

他界霊は次のような意識の段階を経ながら“霊界(狭義)”で待つ霊的家族のもとに帰って行く。その行程を次に示す。

 

A:極限状態(シルバーコードで肉体と霊体は繋がっている:臨死体験、お迎え現象など)

B:死(シルバーコードが切断する:虫の知らせ、夢枕に立つ現象などは切断直後の現象)

C:ガイドとの出会い(出会いには他界者が穏やかな意識状態にあることが必要不可欠)

500に及ぶ現地報告』92⑫~⑯参照

D:明確な死の自覚を持つ(この自覚を有した霊は中間境を抜けて幽界の下層に移行する)

E:明確な霊的自覚を持つ(この自覚を有した霊は幽界の上層に移行する)

F:さらに自覚が深まる(狭義の霊界に移行して“霊的家族たる類魂”と合流する)

 

ウ)幽界の上層界と下層界

<幽界は上層界と下層界に分けられる>

X:幽界の上層界は「霊的自覚」が芽生えた霊が生活するエリア

Y:幽界の下層界は霊の意識の指向性が「下・物質界」を向いている霊が生活するエリア

 

<下層界は二つに大別できる>

Y―1:奮闘努力が不要の「極楽・天国のようなエリア、楽しい思い出が再現されたエリア」

Y―2:意識に深く染み付いた煩悩を鎮めて「魂の歪みを矯正する浄化の為のエリア」

 

<幽界の概要>

幽界は大きく分けて上層界と下層界に分けられる。幽界の上層界とは、意識の指向性が“上”、つまり霊性の向上に向けられている「霊的自覚(→霊として何をなすべきかを認識した霊)」が芽生えた霊が生活するエリア。これに対して幽界の下層界とは、意識の指向性が未だに“下”、つまり物質界に向けられている霊が生活するエリア。

 

この下層界は大きく分けて“極楽のような世界”、つまり「真の意味での創造というものが存在しない」「地球人類の大半が理想郷と見なしている世界」のこと(永遠の大道122④~⑦参照)。これに対して魂(=意識)に深く染み付いた煩悩を鎮めたり魂の歪みを矯正したりする世界(→カトリックの教理で言うところの“煉獄”のような場所で、苦しみを引き寄せる世界のこと)がある。下層界はこの二つの世界に大別できる。

 

地上生活を終えた他界者のほぼ全ては、中間境を経て親和性によって幽界の下層界に長期・短期の違いはあるが一旦は落ち着く(→無数に存在するY―1の世界に、または無数に存在するY―2の世界に)。これらの界層は霊が地上時代に培った霊的成長に見合ったエリアであり、地上時代の霊性そのままが死後の姿となった住環境である。

 

②.意識の変遷図

ア)意識の区分

<A意識>

より深い「本来の私という霊的意識」で、海面下に隠れている氷山部分のこと。

<B意識>

物的脳を介して形成される「現在の私という意識」に影響を及ぼす霊的意識で、海面上に浮かぶ氷山部分のこと。この部分に“地上体験や知識”を取り込み、そこから地上臭を拭い去ってA意識の中に溶け込ませる役割を担う霊的意識。

<C意識>

物的脳を介して形成される「現在の私という意識(顕在意識)」。C意識は「本能に起因する意識」に強く影響を受ける。

 

イ)1図~7図の略図

・1図と7図:霊界(狭義)                

図は崩れた形だが長方形の形         | A 

          

2図:出生準備段階、6図:幽界の上層           

長方形が点線でABに二分されている   A : B

 

・3図:地上時代(幼児期)                   

長方形のABの境界が点線になっている  A :B   C

 

・4図:地上時代(10代以降)                  

長方形のABCの境界は実線       A |B |C

 

・5図:幽界の下層                     ・・・

長方形のABCの境界は実線       |A |B |C  :

  Cは点線で囲まれている            ―――――・・・

 

ウ)略図の解説

◆1図、7図:霊界(狭義)

霊界(狭義)では個別霊は形体面から見た客観的存在と、類魂の一員という主観的存在の二面を併せ持っている。個別霊の霊的意識(=インデビジュアリティ)は「同一霊格で親和性のある複数の個別霊」の意識と繋がっている(ベースとなる類魂の意識)。

 

6図のB意識に存在した“無害化”された地上的体験は、AとBを隔てていた境界線の壁が消滅することにより、Aに溶け込み混じり合う。1図のAとの違いは、7図のAには今回の地上体験が混じり合っていること。B意識がA意識に溶け込むことによって“霊的家族(→同一霊格で親和性のある複数の個別霊)”もその体験を使用することが出来るようになる。

 

◆2図:出生準備段階

地上に再生することが決まれば「待機状態」に入る。この段階になると個別霊の霊的意識の中に、専ら地上的人格に影響を及ぼす“霊的意識B(→地上体験で色付きとなる意識)”が境界線(→未完成の点線として)によって区分けされる。この段階ではいまだAとBの境界線は未完成の状態にある。このBの部分が“海面上の氷山”または“ダイヤモンドの相”に相当する部分のこと。

 

シルバーバーチは霊界の記録簿を調査して母胎に宿る以前の“バーバネル”を選び出した(917①~②、語る22⑦)。この段階ではまだバーバネルが母胎に宿る前のことなので、いわば「霊界の出生リスト表」から選んだことになる。<2図>の“バーバネル”という個別霊の意識(=インディビジュアリティ)の霊的レベルと「今度生まれたらスピリチュアリズムの普及に生涯を捧げると約束した」(10214④~⑤)という決意に着目して地上側の霊媒に選出したのではないかと思われる。

                                                

◆3図:地上時代(幼児期)

幼児期段階ではAとBを仕切る境界線の壁はいまだ未完成(点線)である。そのためAに溶け込んでいる「前世の記憶」はABの未完成の壁を通ってBに入り、そして条件が整った時点で幼児の顕在意識たるCに浮き上がってくる。これが時々出現する「前世を話す子供(江戸時代の勝五郎の再生話は有名)」の再生話のメカニズム。

 

◆4図:地上時代(10代以降)

この段階になるとAとBを仕切る境界線の壁は完成(実線)する。“地上的自我”が確立して地上体験を積み重ねていくと、霊的意識Bは独特な色に染まって行く。本来人間は霊であるので当然に霊的知識を有しているのだが、新たに地上体験を積むために霊的意識のAとBに蓋をする(→Bを地上体験という色で染めて、それをAにとけ込ませる必要から)。

自由意志を行使しながら地上体験を積ませて、人生は“死によって終了するのではない”ということをCの顕在意識に学ばせていく。そして生き方を変えていく。その過程の体験を持ち帰るのが本来の姿。

 

しかし多くの人間は地上体験によって、Bの潜在意識の浅い部分には長い間に習慣化・パターン化した悪癖や動物性が過度に強調された性癖が、Bのより深い部分には偏見に満ちた固着観念や宗教の教義、記憶としてため込んだ思想や知識などがとけ込んでいる。人によっては「残忍さ・傲慢さ・貪欲・淫乱」等といった歪んだ欲望が過度に強調されて、その人の地上的人格の一部(BとCの部分)となってしまった者も出てくる。

 

霊媒現象は霊媒の“潜在意識B”にある用語を使う(個人的存在20⑪~参照)。そのため霊能者と通信霊とのオーラの融合が不十分な場合は、霊界通信に霊能者の“潜在意識B”にある思想や偏見で“色”が付いてしまう。

 

前世体験はAに溶け込んでいるので「前世を自力で思い出せる(→背後霊の力を借りずに)」と言う人は、その人の潜在意識の奥深くに存在するAまで意識を保ったままの状態で探ることが可能、ということを意味する(→精神を統一して「C意識→B意識→A意識」という具合に意識を保ったままの状態で、果たしてA意識の深層まで辿り着けるのか?)。

ヒントは背後霊にある。背後霊はその人に前世を知らせることが霊性向上に寄与すると判断すれば例外的に教えてくれる。しかしそれはあくまで背後霊の判断で行われるもの、地上人側の都合で前世を教えるものではない。

シルバーバーチは「その人が潜在意識の奥深くまで探りを入れることが出来れば、それは可能です。ですが、はたして地上の人間でその深層まで到達できる人がいるかどうかは、極めて疑問です」「そこまで探りを入れるには大変な霊力が必要」(6182④~⑧)と述べる。

 

◆5図:幽界の下層

地上時代の習慣は長い間に形づくられてきたものなので、死んで物的身体を脱ぎ捨てても好みや習慣、人間的煩悩に満ちた意識は存在する(2149⑬~⑮、724⑫~⑭)。この意識は“地上的人格の残像”として、点線で囲われたCに存在する。人によっては地上人生が“動物性を過度に発現”させるような体験を積んでしまった者もいる。これらが“地上的人格の残像C”や、ケバケバシイ色合いで着色されたBとして存在している。これらをAが再生人生に於ける地上体験として活用するためには、一種の“無害化という作業(→生々しい体験を客観視するレベルにまで高める作業)”を行う必要がある。その場所が幽界の下層である。

 

6図:幽界の上層

他界霊は幽界の下層界で生活していくうちに、次第に「霊的自覚」が芽生えてくる。「霊的自覚」の芽生えとともに地上的残像であるCが消えて行く(その結果、界層の上昇が起きる)。

それに応じてAとBを区切る境界線も次第に崩れていく。Aの意識が霊の表面意識に浮き上がってくるに従い、徐々に帰るべき我が家(類魂、霊的家族)を意識するようになる。

 

3.中間境での他界霊の意識

①.「死後」すみやかに「死の自覚」を持つことの大切さ

ア)意識の切り替えによる波長の調整

A:「死」と「死のプロセス」

霊的に見れば「死」とは“太い二本のシルバーコード”が切断した時のこと。また「死のプロセス」とは物的世界の粗い振動数を持つ肉体を捨てて(→捨てるとは“意識の焦点”を肉体から外して霊的身体に向けること)、霊的世界のより細かな振動数に対応する身体に“脱皮”していく一連の過程のことである(注8)。その“脱皮”を完了させるには、自分は死んで霊の世界に来たという「死の自覚」が必要となる。完了した霊は中間境に中間物質の接合体を脱ぎ捨てて、新調の幽体をまとって幽界の相応の界層へ引き寄せられていく。

 

B:「死の自覚」の芽生え

霊界通信によれば、多くの他界霊は“死の深い眠り”から目覚めると地上の懐かしい環境をうろつき回るが、誰一人として自分の存在に気付いてくれない、そのことに落胆するという。やがて“霊の表面意識”の中に「死の自覚」が芽生えてくるようになると、自分の置かれた環境の変化に気付き、物的世界とは別の世界にいるという現実を次第に理解し始めるようになる。このことをシルバーバーチは「やがて(死の)自覚の芽生えとともに別の意識の世界にいるのだと言うことを理解する」(1235⑫参照)と述べる。

そして「死の自覚」の深まりとともに、肉体に向いていた意識が徐々に霊的なものに向かい始めて、物から霊に切り替わって、霊的世界の細かな波長に感応して行く。意識が切り替わって霊的波長の調整が整ってくると、物的要素を多く含んだ幽体が完成する。

 

マイヤースの通信には「中間境に滞在中に各自は半物質的身体から脱皮して、より垢抜けのした身体に宿り(→幽体のこと)、それでこのイリュージョンの世界、地上生活の願望の反映でこしらえた世界で過ごす」(永遠の大道50⑪~⑫参照)。また「地上の旅を終えた魂は、その中間境において古いダブルも脱ぎ捨てて、次の界層にふさわしい身体を身に付ける。その新しい形態に宿って、さらに旅を続けることになる」(個人的存在38⑦~⑧参照)とある。

 

C:「霊的自覚」を持つまでは時間がかかる

大半の他界霊は死後ほどなくして「明確な死の自覚(→自分は死んで霊の世界に来たという自覚)」を持てるようになるが、そこから次の段階である「明確な霊的自覚(→霊として何を為すべきかの自覚)」という意識を持つ迄には相当な時間がかかるという(→霊訓には「完全な自覚に到達するには相当な時間がかかります」とある:1060⑦~⑧参照)。

 

イ)霊的視力の有無

A:ガイドの助力によってモノが見える

霊の世界に来た当初の“死の自覚がない他界霊”は、脱ぎ棄ててきた肉眼でモノを見ようとするため、しばしば「何も見えない」「真っ暗な世界にいる」と述べる。多くの他界霊の視力はガイドや出迎え霊の霊力の助けを借りて“霊的世界の客観物”を見ているにすぎない(→指導霊の霊力の助けを借りてモノを見ることにつき、彼方2巻210頁~215頁参照)。なぜなら物的波長から霊的波長に切り替えができていないので、霊的身体に具わっている霊的視力が使えないため。他界霊に「死の自覚」が芽生えるまでは(→本人に死に関して受け入れ態勢が整うまでは)、完全に目隠しされた状態に置かれるから(315⑧~⑩参照)。

 

他界霊は「自分は死んだのだろうか」と言った“死の意識”の芽生えの程度に比例して、自身の霊的身体に備わっている“霊的な五感(→見る聞く触れるなどのサイキック能力)”の使用が可能となってくる。このように他界霊にとっては、意識の切り替えに必要な「死の自覚」を持つことは必要最低限の条件となっている。

霊界通信の中には「死の自覚」が芽生えない他界霊が、ガイドの案内で見学した“霊界の病院”を描写している箇所がある。霊的視力が芽生えない霊になぜ周囲が見えるか、そのカギはガイドの助力にある。他界霊の“休眠状態にある霊的身体”に、ガイドが一時的に霊的エネルギーを注入して霊的視力を開かせたから。

 

B:習慣的に肉眼でモノを見ようとするから何も見えない

精神科医ウィックランド博士の招霊実験会に「タイタニック号事件」で他界した霊が出現した。霊は「溺れたのです。でもまた息を吹き返しました」「どこにいるか分かりません。目が見えなくなってしまった! 何も見えない! 海の水で目をやられたのかも知れませんが、とにかく見えません」。これに対してウィックランド博士は「それは霊的な暗闇のせいですよ。死後にも生命があることを知らずに肉体から離れた人は、暗闇に置かれるのです。無知が生み出す暗闇です」(ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版1993年刊、513頁参照)と諭している場面がある。

 

この他界霊は未だに意識が脱ぎ棄ててきた肉体に向いているため、自分は死んで霊の世界に来たと言う現実を理解していない。「死の自覚」が芽生えないために意識の切り替えが出来ず、霊的身体に具わっている霊的感覚器官の使用が出来ない、そのため長年の習慣から肉眼でモノを見ようとするから「何も見えない」と言っているに過ぎない。

 

C:自覚が全てのカギ

霊的な理解は「自覚が全てのカギ」(319④参照)となるので、「明確な死の自覚」によって意識の焦点は物的なものから霊的なものへと完全に移行する。「死の自覚」を持つことの大切さがここからも分る。

 

ウ)地縛霊(注9)

A:地縛霊とは

いわゆる「地縛霊」とは「明確な死の自覚」を有しない霊、未だに肉体があると思っている霊のこと。これに対して「低級霊」とは「明確な死の自覚」を有するも、まだ「明確な霊的自覚」は有しない「物質臭」の強い霊のこと。霊の意識の指向性がいまだに物質界を向いている地上的人格の残像が強く残る霊であり、幽界の下層界に住む霊のことをいう。一般に「低級霊」と言う場合は、中間境にいる意識の切り替えが完了していない「移行中の霊」や「地縛霊」も含めている。

 

死んで霊の世界に来た者の多くは、霊的波長よりは物的波長の中で暮らしている“霊(低級霊)”である。その物的波長の中で暮らしている霊の中でも、死によって肉体を棄てたにもかかわらず本人は死を自覚せずに、いまだに肉体があると信じており、意識が地上世界に向いている霊、つまり「意識の切り替えが長引いて完了していない霊」を地縛霊という。または何時までも「死の自覚」がなく、地上に縛られている霊だから「地縛霊」と呼ぶ。

 

B:いつまでも意識の切り替えが完了しない霊

霊の世界では何事も「自覚する」ことが必要で、これが向上の条件になっている。自覚の芽生えとともに次に進むべき世界が次第に見えてくる(320⑩~21③参照)。他界霊は“この世”と“あの世”が接する「中間境」で、霊的世界のバイブレーションに感応するために必要な意識の切り替えをガイドの手助けによって行う。他界霊の意識は「死の自覚の芽生え(→自分は死んだのかな)」に始まって、私は死んで霊の世界に来たのだという「明確な死の自覚」に至るまで、その意識には無数の段階がある。

 

数多い他界霊の中には「死の自覚」が持てずに霊的調整がなかなか完了しないため、何百年も地縛霊状態を続けて「中間境」に滞在している霊もいる。このような他界霊は“新調の衣装”である幽体がいまだ完成せず(→「明確な死の自覚」を持つことによって物的波長から霊的波長に切り替えが完了して幽体の使用が可能となる。その死の自覚がいまだに持てないから)、そのため「半物質状の接合体」を脱ぎ捨てることが出来ずに、いつまでも「中間境」を抜け出せないからである(永遠の大道50⑪~⑫、個人的存在38⑦~⑧参照)。シルバーバーチは少数ながら死後「死の自覚」が持てずに相変わらず物質界に繋がれた地縛霊がいると述べている(864⑤参照)。

 

エ)「死の自覚」を持つことの大切さ

A:小鳥が鳥籠から大空に羽ばたいていく

この「死の自覚」を持つことの大切さは、他界霊の意識が「死の自覚」を持つことによって切り替わって、地上時代に味わった「物的身体がもたらしていた一切の痛みと苦労と障害から解放」(748⑬~⑭参照)されて、霊は「肉体の病に苦しむことがない」(788⑬参照)状態となるから。

この意識の切り替えによって、初めて他界霊は「(死を)小鳥が鳥籠から解き放たれて大空に羽ばたいて行く」(1180⑨~⑪参照)とか、「死とは第二の誕生」(344⑬参照)であると言える状態となる。死ねば直ちにこの意識状態となるわけではない。この点からも死後の早い段階で「明確な死の自覚」を持つことの大切さが理解できる。

 

B:病は脱ぎ棄てた肉体にあるもの

現実に他界霊が「死の自覚」を持つことによって意識の焦点が“病を持った肉体”から離れると同時に、肉体が持つ病からも解放されて(→病は肉体の不具合から生じたのであって霊的身体は病んでいないから)、さらにはその病を持った霊に憑依されていた患者自身の同一箇所の病も治癒されたという話がある。

 

――落馬によって首や背骨を傷めて死んだ霊は、死の自覚がなく(→霊は「今は死んでいる気がしません」と述べている)未だに死の間際の肉体の痛みを引きずっている。その霊が無意識に憑依した夫人(患者)も長年にわたって同様の箇所の痛みに悩まされてきた。夫人に憑依した霊は医師のウィックランド博士の説得によって、次第に「死の自覚」が芽生えてきた。その結果わずかながら霊的視力が使えるようになってきて、周りで待機していた母の姿を認めることが出来た。博士から「お母さんとマーシーバンド(救済のための霊団)の方たちと一緒になったつもりになってごらんなさい」(→意識の焦点を救済霊に合わせる。棄て去った肉体から救済霊に“意識のスイッチ”を切り替えること)と言われて、地縛霊は患者から離れていった。その後患者は首や背骨の痛みから解放された(ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版、399頁~415頁)――

 

C:意識が肉体から離れるメリット

上記の事例では地縛状態の憑依霊が「死の自覚」を持つことによって、意識の焦点が肉体から離れて霊的世界に向いた。その結果、憑依霊は肉体の病から解放されたと同時に、憑依されていた患者も同一箇所の病から解放されるという現象が起きている。

 

他界霊の意識が「死の自覚」を持つことによって肉体から離れて、霊的世界のバイブレーションに感応するようになる。その結果、意識の焦点が“病んだ肉体”からズレる、脱ぎ捨ててきた肉体にまつわる病気の痛みや、肉体の欠陥などに伴う苦しみから解放されることになる。この点につきシルバーバーチは意識が切り替わることによって、地上時代に味わった「物的身体がもたらしていた一切の痛みと苦労と障害から解放される」(748⑬~⑭参照)、「肉体の病に苦しむことがない」(788⑬参照)と述べている。

 

オ)地上人の供養

A:死の自覚なし、霊的な五感の使用は不可

他界霊に「死の自覚」が芽生えない場合は、未だ意識の切り替えが完了していないので、形体(霊的身体)に具わっている霊的な“感覚器官”の使用はできない。そのため救済霊との接触は難しいが、地上から送る縁者の念は両者の間に何らかの“愛に基づく磁気回路(→夫婦愛、家族愛、友人愛など)”が敷設されているので届きやすい。この縁者が送る“愛の念”は「生前から親密な間柄だった者のことを強く念じると、その念は生き生きとして活力のあるエネルギーとなり、電波と全く同じように宙を飛び、間違いなくその霊に届く」という(ブルーアイランド92⑪~93④参照)。

 

B:死の自覚有り、霊的な五感の使用が可能

これに対して「死の自覚」を持った「低級霊」(注10)の場合は、霊性レベル相応の霊体に具わっている“霊的感覚器官”の使用が可能となっている。そのため救済霊は「低級霊」との接触が可能となる。

このように他界霊には「死の自覚」の有無が、霊的な五感の使用の有無となって存在している。そのためスピリチュアリズムでは原則として「供養の対象」となる霊は、地縛霊などの「死の自覚」が芽生えない霊(→中間境で“移行中の霊”を含む)のみであって、霊的視力が使える「低級霊」は霊界の救済霊の管轄となる。

 

カ)幽霊とは

幽霊は悲惨な地上生活ゆえに、いつまでも地上の雰囲気から抜け出られないでいる霊が姿を見せた場合(679①~②、到来286④参照)や、何らかの事情があって強い憎しみや恨みを抱いたその念がずっと残っていて、それが何かの拍子に霊の姿となって見える場合(679③、到来286⑤~⑥参照)のいずれかである。「一般に幽霊が出たという場合は、いわゆる地縛霊の仕業である」(語る432⑥~⑪参照)という。

 

②.「自分で自分を裁く」行為

ア)二種類の回想体験

A:シルバーコードは接続している

「走馬燈的な回想体験」はシルバーコードの接続の有無に着目すると二種類存在する。

しばしば極限状態(→臨死体験や登山者の遭難事故・岩場からの滑落事故、交通事故など)に陥った際に「一瞬の間に自分の全生涯を見た」という体験報告がある。重大事故に遭遇した瞬間に「自動再生装置」のスイッチが入って「人生の回顧、人生のフラッシュバック」が始動する現象である。いわば人間の極限状態の際に放出される心霊的エネルギーを使った一種のサイキック現象と言えるもの。この場合は死の一歩手前で、いまだシルバーコードが繋がった状態で体験する現象、生還者が語る体験談のことである。

 

B:大量の心霊的エネルギーの放出

シルバーバーチは「(人間の)“死に際”には大変な量の心霊的エネルギーや霊的エネルギーが放出される」(到来237⑪参照)と述べる。シルバーコードの切断後、このエネルギーを使って遠くにいる縁者に生前の姿を見せる現象や、「死んだ肉親が、死亡時刻とちょうど同じころ夢枕に立った」という現象、または死の直前に世話になった人のもとを訪れる現象などが報告されている(→「夢枕に立つ」「虫の知らせ」「危機幻像」などと呼ばれている)。これらは“死に際”に放出されるエネルギーを使った現象である。

 

C:シルバーコードが切断した後の体験

次に物的身体と霊的身体を結ぶシルバーコードが切断して死を迎えた後、中間境で自分の一生をパノラマ的に見る現象がある。その映像を見た他界霊は、自分の生涯を回想して何らかの評価を下すことになる。私たちは霊界通信の中でこの“事実”を知ることになる。以下に於いて見ていくのは後者の“中間境での回想体験”である。

 

イ)霊的法則という物差し

A:本来の私が審判者

他界霊は死後「中間境」でまどろみながら、地上時代の言動や心に宿した想念の全記録を、フラッシュバック的な映像の形で見せられる。この場合の想念とは強く念じた想いや片時も頭から離れない想念のことであり、日常の他愛もない想念のことではない(ブルーアイランド94④~⑭参照)。

そして一時的に霊的意識の奥深くから浮上してきた“本来の私という意識(自我の本体)”が審判者となって、地上時代の自分(現在の私、地上的自我意識)を「霊的法則という物差し(→現在の到達した霊的レベルで理解できる範囲の法則)」を使って裁くことになる。これは誰かから命じられるわけでもなく自然な形で、自分の一生を振り返って見て「世の中のためにどれだけ自分を役立てたか」という判断基準で“自分(本来の私)”で“自分(現在の私、地上で見せていた人物像)”の地上生活を裁くことになる(787⑨~⑪、9210⑧参照)。その結果、やるべきことをやらずに終わったことや、逃がしてしまった好機が幾つもあったことを知って後悔し、すべてをすぐにでも償いたい気持ちになる(5179①~④参照)。

 

B:たとえ

「自分で自分を裁く」を分かり易い例を挙げれば、個々人が有する「人生のテーマ(→新たな地上体験を積む、カルマの解消)」を達成するために70歳の人生経験豊富な老人(→本来の私、船上にいる私)が、20歳の未熟な若者の能力しか発揮できない“肉体という制服(→ハンディキャップを課した制服、潜水具を装着して海底作業に当たっている私)”をまとって、もどかしい状態の中で悪戦苦闘しながら地上体験をしてきた、その体験を70歳の老人の目から評価する状態(→海底作業の進捗状況を評価する)、と言えようか。

 

ウ)進むべき道が明らかとなる

他界霊は中間境で「走馬燈的な回想体験」をすることによって、地上時代の出来事の因果関係を理解する。問題点がどこにあったかが明らかになり、その後の進むべき方向が見えてくる。その“問題解決の方向”に進むか否かは他界霊の自由意志の問題となる。

自堕落な地上人生を送った者が中間境で「走馬燈的な回想体験」をしたからと言って、直ちに“本性が一変”することは有り得ない。その後の自身の自由意志の行使によって徐々に変化して行くだけ。長年染みついた地上時代の習性や性癖、例えば長年に亘り他人に暴行や恐喝を繰り返し行ってきた者の習性は、中間境で「回想体験」をしたから「死の自覚」を持ったからと言っても簡単には変えられない(→意識の歪みは幽界の下層界で矯正していく)。

 

4.幽界での他界霊の意識

①.中間境から幽界へ

A:霊の世界に順応するための施設

他界霊(=帰還途上の霊)が霊の世界の生活に順応していくための施設や(メッセージ62⑥~⑩参照)、自分で自分を裁く場が物質界と霊的世界が接する地点、いわゆる「中間境」に用意されている。この「中間境」で休息しながら物的波長から霊的波長への調整や、霊的機能の発達を図ることになる。そして霊の世界の生活に順応する為の準備が「整った時点で本来の霊格に合った境涯へ赴く」(続霊訓191⑩~⑭参照)ことになる。

 

B:「本来の霊格に合った境涯」とは

この場合の「本来の霊格に合った境涯」とは「地上で培われた霊性に相応しい界層」(1234②参照)や、「地上時代に培った霊的成長と民族の資質に似合った場所」(ブルーアイランド125①、138②~③参照)のことなので、死後に赴く幽界の環境は「地上時代の魂の成長度によって決まる」(1236⑥参照)ともいえる。この段階では“霊の表面意識(→地上的人格の残像が維持された意識、BC意識)”に「本来の私という意識(自我の本体、A意識)」は未だ浮上していないので、その霊的レベルに見合った界層のことではない(→霊的レベルが高い霊であっても、再生人生に於いて“本能を強めた生き方”をしてしまい、霊性を停滞させてしまう場合もあるから)。

 

②.幽界の下層界

ア)地上的人格の残像

A:シルバーバーチの霊訓では

地上時代の習慣は長い間に形作られてきたものなので、死んで物的身体を脱ぎ捨てても好みや習慣(2149⑬参照)、人間的煩悩に満ちた意識は存在する。英国風の家で過ごした人は英国風の家に住み(2149⑭~⑮参照)、利己的な人は相変わらず利己的である。「霊的自覚」の芽生えが起きるまでは地上的人格の残像(→地上時代に形成された性癖や習性等の意識)は、そのままの状態で維持されている(724⑫~⑭、福音189②~⑥参照)。人間は死後、誰でも直ちに「本来の自我意識(自我の本体)」が自覚できるわけではない。

 

B:その他の霊訓では

モーゼスの『霊訓』にも「人間は霊界に来たからとて、地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えて来るのである。変わるのは肉体を棄てたと云うことのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたとてその本性が変わるものではない。それは、誠実にして純真なる向上心に燃える魂が、死とともに俗悪なる魂に一変することが有り得ぬのと同じである」(霊訓上32⑭~33③参照)とある(→他界霊の表面意識であるB意識に地上的人格の残滓であるC意識が付着)。

 

GV・オーエン著『ベールの彼方の生活』では「人間が地上生活を終えてこちら来た当初は、地上にいた時とそっくりそのまま」「いかなる宗教であれ、信仰厚き者はその宗教の教義に則った信仰と生活様式とをそのまま続けるのが常である」「霊的成長と共に“識別”の意識が芽生え、一界また一界と向上するうちに籾殻が一握りずつ棄て去られて行く」(彼方2179⑦~⑩参照)とある。

 

イ)思念は環境を形成する

A:死の自覚を持った霊

中間境で「走馬燈的な回想体験」などによって、大部分の他界霊は“自分は死んで霊の世界に移行してきた”という現実を理解する(→「死の自覚」を持つ)。そして波長の調整を終えて中間境を出て幽界の相応の世界に移行する。

他界霊の大部分は地上時代に形成された習性・性癖・固着思想(→強く影響を受けた思想や教義)によって、独特な意識を保ったままの状態で、幽界の下層界に無数に存在するそれぞれのエリアに引き付けられていく。

 

B:地上時代そのままの人格

幽界の下層世界に落ち着いた霊の意識は、中間境で「回想体験」を終えたからと言っても地上時代そのままであり、作り出す思念も地上時代の影響を色濃く残している(→意識の指向性がモノに向いている)。地上時代に金儲けが全てであった者は、四六始終その人の意識が株取引で占められていれば、幽界に来てからも金儲け以外の創造的な思念は作れない。そのため他界霊は、霊の世界では全く無意味な金儲けの好きな霊が集まった環境に身を置くことになる(→個人的存在67頁、フェニックス家の次男ウォルターの事例参照)。地上時代に暴行や恐喝で明け暮れていた者は、作り出す思念も暴力の世界そのものであり、幽界での落ち着き先も親和性からそのような場所になる。なぜならその人の思念が住環境をこしらえるから。

少なくとも「霊的自覚の芽生え(→霊として何を為すべきか)」までは、他界霊の行動や思念に「地上的人格の残像」が強く影響を及ぼす。

 

ウ)意識の二重構造

このような地上的習慣が色濃く残る他界霊の意識は「偏見や性癖」に満ちた表面意識(→物質臭の強い意識)と、霊的自覚が芽生えてくるまでは表面に浮上してこない「大きな霊的意識」という二重構造になっている。そのため地上時代の体験によって形成された「利己的、冷酷、享楽的、血縁重視」といった意識は、“霊の表面意識(→普段用いている意識)”の中に「霊的自覚」という意識が芽生えてくるまでは偏見や性癖と言う形で居座り続けることになる。なぜなら霊的成長はゆっくりとしたスピードであり、より深い部分にある「大きな霊的意識」は霊的成長と共に少しずつ表面意識の中に浮かび上がってくるものだから。物質臭が抜けきらない幽界の下層にいる霊界人とはこのような意識構造を持った霊たちである。

 

意識の二重構造につき、マイヤースの通信には「地上生活においてもそうであるが、こちらの生活にも顕在意識というものがある。つまり同一境涯において基本的に類似した存在どうしが認識し合う自我である」(永遠の大道148③~④参照)との記載がある。

 

エ)浄化の為の世界

A:思念が環境を形成する

霊的世界は思念が実在の世界であり(4124⑨参照)、心に思うことに実体が伴い実感がある。そのため想いが周りの環境を作り上げる(→思念は環境を形成するから)。

幽界の下層界は物質臭の強い思念を発する霊が引き寄せられて、集まって生活している世界である。その一群の中には地上時代に大酒のみであった者や麻薬中毒患者などがおり、地上人で似たような傾向を持つ「受け皿」のある人間の欲望を増幅するという形で、影響力を行使して満足を味わう霊もいる(1072⑧~⑨参照)。

 

数多い他界霊の中には、地上体験によって「残忍さ・傲慢さ・貪欲・淫乱」等といった“歪んだ欲望”を培ってしまい、表面意識に深く染みこませてしまった霊もいる。このような霊が赴く幽界の下層界にも親和性が働いているため、同類の霊が引き寄せられてくる(霊訓上161⑬~⑮参照)。そのため霊的環境は強い物質臭(俗悪臭)に満ちた世界となっている(霊訓下157⑫~⑬参照)。

 

B:歪んだ意識が苦悩を引き寄せる

他界霊が有する“歪んだ性癖や習性”は苦悩を引き寄せるため、住環境は邪悪性や非道徳性、利己性を思い知らされるような場所となり、そこに住む者にとっては地獄という感覚になる(到来238⑥~⑧、238⑭~239②参照)。ここから地獄とは「魂自らが罪悪を焼き尽くそうとする悔恨の炎」で、身に沁みついてしまった利己主義と犯した罪悪を清める状態のことなので、地獄とは自分自身の中にあると言える(霊訓下221⑬、221②~③参照)。いわば動物性が過度に発達して霊的な歪みが生じた状態を、悔恨の念によって矯正しようとする界層のことであり、宗教ではこの界層を「煉獄や地獄」と呼んでいる。

このような環境で厳しい体験を経ていく中で、次第に表面意識にある歪んだ性癖は修正されて行く。霊によって長短はあるものの内部から霊的自覚が芽生えてくるまでは、矯正のためにこのような界層に留まることになる。

 

③.霊的自覚の芽生え

幽界において「霊的自覚」が芽生えてきて、徐々に「霊的自覚」が深まっていった霊は、次第に霊的進化のスピードが速まって行く。それに応じて潜在していた「大きな霊的意識」が表面意識の中に浮かび上がってくる。このように幽界生活とは「物質臭の強い表面意識」を中和させて、「大きな霊的意識」の中に穏やかに溶け込ませていく過程に他ならない。物質臭の強い状態で直接溶け込ませることは出来ないため、意識の二重構造は不可欠となっている。これら一連の霊的波長の調整が完了した他界霊は、次の世界である“狭義の霊界”で待つ霊的家族のもとに帰って行く(→但し、血縁中心の“家族”ではない)。「虚像の世界(=幽界)」から「実相の世界」への移行である。

 

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<注1>

■この「中間物質の接合体」には「ダブル」「複体」「エーテル体」「幽質結合体」「ペリスピリット」等、さまざまな名称が付けられている。この接合体には“自我の本体(霊的な心、本来の私という意識)”と“脳を介した意識(物的な心、地上的自我)”とを結合させる機能がある(個人的存在79⑥~⑩参照)。

 

■半物質的な性質を持つシルバーコードや物質化現象の材料となるエクトプラズムは、中間物質の接合体の中で精製される。このエクトプラズムを豊富に製造する能力を持つ者が、物理的心霊現象を起こす物理的霊媒となる(個人的存在82⑫~⑬参照)。

 

<注2>

■人間は体質的に「霊的に敏感な人」と「霊的に鈍感な人」に大別できる。

一本の線上の左端には体質的に「霊的に極めて強い敏感な者」がいる。そこから右に行くに従って鈍感の割合が強くなって行き、右端には自分の目で見たものしか信じない「霊的に極めて強い鈍感な者」がいる。人が持つ霊的感受性は、この左端から右端の何れかの地点の体質を生まれながらに身に付けて来ている。

 

<注3>

ア)現代科学で言う意識

科学の世界では「人間の意識の全ては脳細胞の生理学的活動によって説明できる」「人間が経験する内容は完全に精神内界の出来事である」としている。

この立場から意識は「状況や行動に関して何らかの気付き・自覚がある状態」(広辞苑)とされる。また「無意識とは本人は意識していないが日常の精神に影響を与えている心の深層」(広辞苑)。または「心理学では意識されることなく精神内界で進行する心理過程を無意識と言う」(ブリタニカ国際大百科事典)とある。このように全ての意識は「精神内界」で起きる出来事としている。

現代科学では意識が脳を抜け出す(→臨死体験における体外離脱体験)とか、「脳細胞と切り離された形で意識は存在する」という考えは宗教の範疇とされる。意識は「脳細胞の生理学的活動」によって何人にも感知される所の「顕在意識」と言う意味で用いられている。

 

イ)シルバーバーチが言う意識

シルバーバーチは「意識は脳と完全に独立した形でも存在する。その小さな脳という器との関連で心の働きを考えるのは止めないといけない」(3194⑩~⑪参照)として、現代科学の知見である“意識の概念”の限界を指摘する。そして「意識がさまざまな形体を通して顕現し、その表現を通じて絶え間なく洗練されつつ、内在する神性をより多く発現していく」(3113⑤~⑦参照)と述べる。このように意識は肉体を離れても存在するので、「死後にも立派に意識があり、自覚があり、記憶があり、理性を働かせ愛を表現する力が具わっている」(11202④~⑤参照)となる。

なぜなら“私”とは意識そのものであり(4155②参照)、「身体はあなた(という意識)が住む家」(127⑩参照)だから。その“私”という意識は霊的進化と共に顕在意識の地下領域に当たる潜在意識を深めて、そこに無限の可能性があることを認識して行く(1083⑨、4156⑨参照)。

 

多くの人が“私”と思っている脳を通して形成された“意識(→地上的人物像、パーソナリティ)”とは、“本来の私という意識(→自我の本体、インディビジュアリティ)”の一部にすぎない。シルバーバーチは「地上へ生まれてきたパーソナリティは一個のインディビジュアリティの側面の一つ」(9200⑩~⑪参照)と述べる。マイヤースの死後に刊行された『人間個性と死後の存続(Human Personality and its Bodily Death1903年)』にも、「人間の識閾下(→しきいきか:潜在意識又は無意識unconscious)の自我こそが真の自我であり、通常意識はこの真の自我の一断面にすぎない」とある。

 

ウ)肉体を離れた意識の存在

A:臨死体験

地上の人間も極めてまれに“肉体を離れた意識(→意識と形体との分離)”の存在を感知するケースがある。近年多くの臨死体験事例が報告されている。この事例から明らかになったことは、体外離脱した際にベッドに横たわっている状態では見えない位置にある医療器具や、医療関係者の動作、医師の頭頂部にある肉体的特徴などを正確に言い当てていること。さらに浮揚した状態で病室の外に出ていって、そこに置いてある物品を正確に言い当てたなどが報告されている。

ここから分かることは多くの臨死体験者は肉眼とは別の視力でモノを見ていること(→霊的身体に具わった視力が一時的に使用可能となった)、さらに「意識は肉体の外にある」という体験(=自己視型体験、体外離脱体験)をしているということである。

 

B:肉体からの分離感

体外離脱体験中に起きた心の状態は、臨死体験時の本人の視点は肉体の外にあって、ベッドに横たわる自分の肉体を“他人事のような感覚”で見下ろす「肉体からの分離感」を伴っていること(→本人の視点は肉体の外にある)。肉体から抜け出している間の本人の意識は、肉体ではなく「分離した自分」の中にあること。自分の肉体から分離することによって体が軽くなったような感覚を持つこと。さらに“分離した自分の心の状態”は、完全に覚醒して意識水準は高く、驚くほど思考が明晰になっていることなどが報告されている。

 

C:認知症患者の場合

物的身体と霊的身体を繋いでいる二本の太いシルバーコードのうち脳と繋がった一本がすり減ったり切れたりした場合は、地上的自我意識(物的な心)は表現器官の脳との間で連絡が取れなくなる。いわば“接続不良状態”となった意識は肉体(=脳)から離れて、中間物質の接合体の中に引っ込んでしまい“意識と形体との分離”が発生する。

 

脳と繋がったシルバーコードが切断したことによって、脳に霊的エネルギーが流入しなくなる。その結果、その者の外形は痴呆的症状を見せる。その場合でももう一本の太陽神経叢と繋がったシルバーコードは問題なく繋がっているので、身体上の機能だけは維持されている。このケースでは自我の表現器官である脳に不具合が生じたため、外部に意思を表現できなくなっただけであって、地上的自我意識は正常である(永遠の大道126⑭~127④参照)。

 

D:意識は物的脳を離れても存在する

離脱時の本人の意識は「分離して遊離した身体」にあると言う「自己視型臨死体験」の事例からは、意識は物的脳を離れても存在するという「事実」を強く示唆している。これは科学的知見である「精神(心)は物的脳によって生み出された副産物である」とする立場からは否定されるが。

心霊治療で有名なハリー・エドワーズは、物的脳を通して感知する意識とは別に肉体を離れた意識の存在を「二つの心」として述べている。それによると「私たち各個人は“肉体的な心”のほかに“霊的な心”を持っています・・・」(ハリー・エドワーズ著、梅原伸太郎訳『霊的治療の解明』国書刊行会1984年版、22⑧~23⑦参照)と記している。誤解が生じやすい表現だが、「注4」の潜水具を付けて海底で作業する潜水士の意識(A―1意識、肉体的な心)と、支援船に戻った意識(A意識、霊的な心)の例えを考えれば理解できる。

 

<注4>

■海底作業をイメージ

人間の二つの自我意識(本来の私という意識、現在の私という意識)、つまり「本来の自我意識(本来の私、霊的な心、インディビジュアリティ)」と「地上的自我意識(現在の私、物的な心、パーソナリティ)」の関係を「潜水士の意識」に例えて説明する。

今から200年以上前、1800年前後の海底作業は困難を極めたという。海上に停泊している支援船から伸びた呼吸用のホースを、頭部をすっぽりと覆う鋼鉄製の器具(→ヘルメット型潜水具)に接続して、それを頭部に装着して海底作業を行っていた。

 

Aは地上世界で生活(→いわば“海底”での作業)するためには肉体をまとって(→潜水具を装着して)、本来の意識レベルを落として地上体験を積まなければならない(→海底の水圧と酸素不足によるモウロウとした状態で予め決められた手順で作業を行う)。肉体(→潜水具)は「本来の私A」が地上世界で自己表現(→海底作業)するためにまとう形体である。Aはもどかしい状態の中で地上体験を積んで、寿命がきて(→作業時間の経過により、海上に停泊する支援船に戻って)、本来の意識状態を取り戻す。この海底で作業をしている制約された私の意識状態を「A-1」とし、作業を終えて支援船に戻ったときの私の意識状態をAとする。

 

このように意識面から言えば「A-1:地上的自我意識(現在の私)」は、「A:本来の自我意識(本来の私)」が変容した状態であり、限定された意識状態(→水圧と酸素不足でもうろうとした状態にある意識)にあると言える。この「A-1」の水圧と酸素不足によるモウロウとした状態での海底作業の能力の限界(→地上世界での能力の限界)は、潜水具の性能向上にもよるが、Aの持つ能力(霊性レベル)が限界となる。

 

<注5>

■スピリチュアリズムでは“本来の私という意識”の中に潜在している“霊(神の分霊)”を、より多く意識の領域に顕在化させて行くことを進化(霊的進化)と言う。

人間に関して言えば進化とは、“自我の本体(本来の私という意識、霊的な心)”に潜在している“分霊(神の分霊)”を、より多く意識の領域に顕在化させていく過程に他ならない(333②~④参照)。分霊の顕現が増してゆくにつれて“意識(本来の私という意識)”は深まって行く(到来26⑪、4155⑩~⑪参照)。さらに進化に応じて意識がまとう“表現形体(→肉体や幽体や霊体など)”からは、“神の属性(→愛・寛容さ・叡智・親切・優しさ・思いやりの心・協力の精神など)”がより多く外部に滲み出てくる。これに対して残忍さや野蛮さなどの獣性は、霊性の停滞となって表れる(5100⑨、8207②~③参照)。

 

<注6>

■氷山に例えると

しばしば「自我の本体(=本来の自我意識、本来の私、霊魂、インディビジュアリティ、霊的な心)」と呼ばれている意識は「氷山」に例えられて説明されている(4205②~⑥参照)。氷山は海面上に浮かぶ部分(→“現在の私”に影響を及ぼす霊的意識、B意識)よりも、海面下に隠れている部分(→より深い霊的意識、A意識)の方が遥かに大きい。この「氷山(A意識+B意識)」に例えられる霊的意識の全部は、容量が小さい物的脳には“丸ごと一個分”は入りきれない。

 

物的脳を介して外部に表れた「地上的自我意識(=現在の私、顕在意識、物的な心、パーソナリティ)」、その意識に良心や理性と言う形で利他的に影響を及ぼす「霊的意識(B意識)」は、物的脳が持つ機能によって制約を受ける。霊性の向上により物的脳の処理能力がアップすれば、“海面上に浮かぶ氷山部分(B意識)”の範囲内で脳を通過できる霊的意識の容量は増加していく。地上的自我意識の中に霊的意識の容量が増えた分だけ、その人の肉体を通して利他性がより多く滲み出てくる。

 

<注7>

■大脳の各部位の働き

利他的に働く霊的意識と利己的に働く本能に起因する意識、この相反する二つの意識は実際の脳ではどのように作用しているのか、筆者の考え方を次に示す。

私たちの内面に「怒り、不安、恐怖などの情動」が沸き起こっている時、大脳の奥深くにある大脳基底核(→原始的な感情や意欲である本能や情動を作り出す部位)を取り巻いて存在する大脳辺縁系(→扁桃核、海馬など)が活性化して活発に働いている。この大脳辺縁系は原始的な部位で、人間を含めた動物の本能的な行動や感情に深く関わっている場所である。動物的本能に由来する利己的に働く情動は、地上的自我意識から発せられた指令に沿って大脳辺縁系を激しく活性化させる(X)。

 

これに対して怒りなどの情動をコントロールする機能、理性的な判断や論理的な思考を司る機能が大脳新皮質の中にある前頭葉と呼ばれている場所に存在する。前頭葉は人間やサルなどの高度に発達した動物の脳に見られる。この前頭葉に霊的意識が作用して、ここから発せられた理性的判断は活性化した大脳辺縁系の働きを制御しようとして作用する(Y)。

 

このように動物的本能に淵源を有する利己的に働く情動(X)と、それを制御しようとして働く霊的意識に淵源を有する理性(Y)、この二つの性格の異なる意識が脳を経由して形成された“物的な心”の中で一つに統合されて価値判断が為される。その判断に基づいて発せられた指令は脳の各部位を活性化させて(→その指令に霊的分量が多ければ利他的に働くYが勝ち、少なければ利己的に働くXが勝つ)、一つの言葉や行動となって外部に表現される。

 

<注8>

■マイヤース霊はシルバーバーチと同様に「死とは身体の振動数の変化を意味するに過ぎない」(永遠の大道114⑩参照))、「地上の人間が外的環境を感知するのは、肉体の振動数が環境と同じである一定の範囲に限られているから」(永遠の大道114⑥~⑦参照))と述べる。

 

<注9>

■「メンバーの一人が、最後の審判日を待ちながら死体の埋葬されている墓地で暮らしている霊がいるというが」との質問に対して、シルバーバーチは「事実その通りなのです。それが私たちにとって厄介な問題の一つなのです。教会で聞かされた通りのことが本当に起きるものと信じ切っているものですから、自分からその考えに疑問を感じるようにならない限り、側からはどうしようもないのです。死ねばガブリエルのラッパが聞こえるまで墓地で待つものという想念体を、全生涯をかけて作り上げて来ているわけですから、その想念体が崩れない限りは、いつまでもその牢獄から脱け出られないのです」。さらに地縛霊に死の自覚をさせることの難しさを、次のように述べている。「死んだことが信じられない霊の場合も同じです。信じることを拒んでいる限り、私たちも為す術がありません。もう死んで霊の世界に来ているという事実を信じさせることがどんなに難しいか、皆さんには理解できないでしょう」(メッセージ70④~71①参照)

 

■「何をして過ごすのですか」との問いに、シルバーバーチは「ただ待つだけです(→待つという想念の中にいるだけ:メッセージ71⑨参照)。こちらには“時間”というものがないことを忘れないでください。もし自分が待っているという事実に気が付けば、その思念体が破れるはずなのですが、自分でこしらえた牢獄なのですから」「まわりの出来ごととの関連によって成長と進化を意識していくのでして、時間が刻々と過ぎてゆくというのとは違います。魂が成長し、それにつれて環境が変化していきます。時間というのは出来ごととの関連における地上独自の尺度にすぎません。あなたが無意識であれば時間は存在しません。出来事との関連が無くなるからです」(547⑩~48⑧参照)。

 

<注10

■幽界の下層に住む低級霊は地上的なものを強く引きずっているため(→意識の指向性がいまだモノに向いている霊)、地上世界とよく似た環境の中で「奮闘努力が要らない」ぬるま湯につかったような生活を送ることになる。指導霊はこの界層の「霊的向上心が芽生えない霊や向上心の弱い霊(低級霊)」に、さまざまな形で霊的な向上心を持たせようと指導を行っている。霊は幻想の世界での生活が次第に退屈となって、願望が何でも叶う生活に飽きがくると、進歩の兆し(霊的自覚)が芽生えてくる。地上時代の習性から抜け出して霊的自覚が芽生えるまで、このような一種の過度的な状態が続くことになる。

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

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