スピリチュアリズム研究ノート: 目次

◆書籍『スピリチュアリズム研究ノート』出版のお知らせ

 

<Ⅰ.基本編>

1.旅のガイドブック(死後の旅路の行程)

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-18eb.html

 

2.『シルバーバーチの霊訓』講座(2019年~2024)

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/10/post-55c0.html

 

3.講座・講演会の講義録(2018年~2024年)

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/12/post-16cf.html

 

 

<Ⅱ.研究編、その1>

1.スピリチュアリズムについて

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-6a12.html

 

2.霊的成長について

霊的成長について:目次

 

3.心霊治療・医療

心霊治療・医療:目次

 

4.霊能者・心霊現象

霊能者・心霊現象:目次

 

5.意識の進化(個別化から個性化の道へ)

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-e188.html

 

6.動物について

動物について:目次

 

7.宗教について

宗教について:目次

 

8.スピリチュアリズムとキリスト教

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-ef22.html

 

9.心霊研究

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-ed20.html

 

10.研究編ノート

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-8f54.html

 

 

<Ⅲ.研究編、その2

1.なぜ「19世紀半ば」であったのか

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/05/19-b815.html

 

2.日本におけるスピリチュアリズムの黎明期

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-707f.html

 

3.霊媒・三田光一研究

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-eb9c.html

 

4.浅野和三郎研究

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-d069.html

 

 

 

 

 

 

著書『スピリチュアリズム研究ノート』全体の目次・詳細目次

<総論編>

第1講:基本的な項目、その1  

第2講:基本的な項目、その2  

第3講:近代スピリチュアリズム  

第4講:霊的実在の証明手段の変更 

第5講:スピリチュアリズムの普及運動、その1

第6講:スピリチュアリズムの普及運動、その2

第7講:日本に於けるスピリチュアリズム小史、その1

第8講:日本に於けるスピリチュアリズム小史、その2

第9講:日本に於けるスピリチュアリズム小史、その3

 

<基本編>

10講:基本的な霊的法則

11講:霊界の住人たち

12講:霊能者

13講:心霊現象

14講:地上人生について

15講:さまざまな「死のカタチ」

16講:スピリチュアリズムと宗教

 

<関心の高いテーマ>

17講:他界霊が辿る旅の行程、その1

18講:他界霊が辿る旅の行程、その2

19講:他界霊が辿る旅の行程、その3

20講:心霊治療(心霊医療)、その1

21講:心霊治療(心霊医療)、その2

22講:霊的成長について、その1

23講:霊的成長について、その2

 

<研究編>

24講:動物について、その1

25講:動物について、その2

26講:意識の変遷、その1

27講:意識の変遷、その2

28講:再生

29講:類魂

30講:スピリチュアリズムが目指す「新しい世界(地上天国)」

 

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著書『スピリチュアリズム研究ノート』詳細目次

 

<総論編>

第1講:基本的な項目、その1

① スピリチュアリズムの「神」概念

ア、スピリチュアリズムは「創造論」に立つ

イ、スピリチュアリズムは「汎神論」ではない

ウ、神と万物の間に「摂理」がある

エ、霊界人の神観

② 地球という惑星

ア、「霊的要素」と「物的要素」

イ、地球の誕生

ウ、生命体

③ 代表的な死生観

ア、「死は終焉」と考える唯物論者の死生観

イ、「生命(霊)の海に溶け込む」という考え方

ウ、日本の伝統的な霊的世界観

エ、スピリチュアリズムの考え方

 

第2講:基本的な項目、その2

① 基本的な用語の解説

ア、「Spiritualism」言葉の意味

イ、「スピリチュアリズム」と「心霊研究」の違い

ウ、スピリチュアリズムの「人体観」

エ、「霊的な心」と「物的な心」

オ、シルバーコード

カ、オーラ

キ、霊魂説とは

② スピリチュアリズムの周辺部

ア、オカルティズム(オカルト)

イ、魔術

ウ、神智学

エ、ニューエイジ、ニューエイジ運動

オ、心霊研究(超心理学)

 

第3講:近代スピリチュアリズム

① 近代スピリチュアリズムの歩み

ア、素朴なスピリチュアリズム

イ、エプワース牧師館事件

ウ、発端はハイズヴィルの怪奇現象

エ、心霊現象の発生と霊媒体質者の存在との因果関係

オ、エクトプラズム

カ、科学的検証を伴った心霊ブーム

キ、霊との交信は科学的に証明が可能

② スピリチュアリズムの位置関係

ア、「実証重視」と「信念重視」という二面性

イ、いわゆる「事実」としての「霊魂説」

ウ、スピリチュアリズム思想

③ 質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism

ア、世俗的なスピリチュアリズム

イ、本来のスピリチュアリズムとは

 

第4講:霊的実在の証明手段の変更

19世紀後半から20世紀初頭の証明方法

ア、交霊会のブーム

イ、詐術の嫌疑との闘い

ウ、物理的心霊現象という形で関心を呼びこむ

エ、20世紀初頭にアプローチの変化

20世紀半ば以降の証明方法

ア、主たる証明方法としての「心霊治療(心霊医療)」

イ、シルバーバーチの出現と「霊的教訓」

 

第5講:スピリチュアリズムの普及運動、その1

① 霊界を挙げての組織だった活動

ア、「地上の悲劇」「霊界の悲劇」とは

イ、本来は宗教界の役割だが

ウ、宗教界とは無縁の者を通して普及を行う

エ、司令塔の「神庁」の存在

② 顕幽二つの世界で同時に行われている

ア、霊界主導の運動

イ、この世に於ける運動には二つの側面がある

ウ、幽界の下層界の浄化

③ 霊団の系譜

ア、聖ルイの霊団(地上側にアラン・カルディクを置く)

イ、インペレーター霊団(地上側にWSモーゼスを置く)

ウ、シルバーバーチ霊団(地上側にモーリス・バーバネルを置く)

④ シルバーバーチについて

ア、シルバーバーチに関する情報

イ、霊訓を地上に降ろす

ウ、霊界通信の判断基準

エ、バーバネルの自由意志

 

第6講:スピリチュアリズムの普及運動、その2

◆ 既成宗教とスピリチュアリズムとの融合

① キリスト教的スピリチュアリズム

ア、スピリチュアリズムとキリスト教の融合

イ、「キリスト教心霊主義者」と「反キリスト教心霊主義者」

② 和製スピリチュアリズム

ア、明治憲法下での「信教の自由」

イ、スピリチュアリズムの普及活動

ウ、後継者の活動によって芽を出す

③ ブラジルのスピリチュアリズム(スピリティスト・カトリック)

ア、「スピリチュアリズム」と「スピリティズム」

イ、指向性の違い

ウ、宗教と相性が良いスピリティズム

エ、スピリチュアリズムの変容

④ 霊界主導による普及活動の経路

ア、霊的潮流

イ、スピリチュアリズムは「意識を変える運動」

 

第7講:日本に於けるスピリチュアリズム小史、その1

① 江戸時代末期~明治時代

ア、神道系の復興運動

イ、日本で心霊研究はいつ始まったか

ウ、心霊研究と民俗学の関係

エ、井上円了の不思議研究会

オ、「コックリさん」

カ、催眠術

② 明治時代末期~大正時代

ア、出版による霊的環境の整備

イ、高橋五郎

ウ、平田元吉

エ、平井金三

オ、その他

カ、文学者と心霊

③ 福来友吉と千里眼事件

ア、「悲劇の人」福来友吉

イ、「催眠」はオカルトと近代科学の狭間にあった

ウ、千里眼事件

エ、「千里眼事件」その後

 

第8講:日本に於けるスピリチュアリズム小史、その2

① 心霊科学研究会

ア、心霊科学研究会の設立

イ、関東大震災

ウ、大阪で機関誌『心霊界』を発行

② 昭和3年(霊的潮流のターニングポイント)

ア、第一次大本事件、大赦令による免訴

イ、国際スピリチュアリスト連盟(ISF

ウ、浅野の強い願い

エ、スピリチュアリズムの「黎明期」から「発展期」へ

オ、物理霊媒を三系統に分類

カ、「霊能は業である」

③ 福来友吉と浅野和三郎

ア、福来友吉

イ、浅野和三郎

④ 霊能者に対する弾圧

ア、物理霊媒ヘレン・ダンカン投獄事件

イ、心霊写真展覧会事件の概要

ウ、真相は「心霊知識の普及センター」つぶし

エ、投獄事件の背景と影響

 

第9講:日本に於けるスピリチュアリズム小史、その3

① 物理的心霊現象の曲がり角

ア、百花繚乱の時代

イ、曲がり角

② 日本における「心霊治療」の黎明期

ア、生体エネルギーを使った除霊治療

イ、サイキック・ヒーラー

ウ、日本心霊科学協会における取組み

③ シルバーバーチ・ブーム

ア、第一次シルバーバーチ・ブーム

イ、第二次シルバーバーチ・ブーム

④ 日本に於ける霊的潮流の方向性

ア、本格的な流入

イ、スピリチュアリズムの発展期

ウ、時期の到来

エ、拝金主義と霊的環境整備という二つの相反する動き

オ、インターネットの普及

 

<基本編>

10講:基本的な霊的法則

① 因果律

ア、因果律の目的は霊性の進化

イ、「因・縁・果」の関係

ウ、因果律は国家や民族に対しても働く

エ、複合的に働く因果律

オ、「因果律の拡張」と「業因縁の継承」について

② 一般的な愛(利他的行為)

ア、愛の多様な形態

イ、血縁重視の利己的な愛と利他的な愛

③ 親和性

ア、基本的な法則

イ、憑依(親和性の法則の一種、負の親和性)

④ 自由意志

ア、自由意志を使って霊性の向上を目指す

イ、自由意志の行使という二つの側面

 

11講:霊界の住人たち

① 「天使的存在」と「人間的存在」

ア、天使的存在

イ、人間的存在

② 霊的世界の主な住人たち、その1

ア、各界の経綸を司る天使的存在

イ、妖精(想念霊、原始霊)

ウ、想念霊(思念霊)

エ、人間に愛された動物

③ 霊的世界の主な住人たち、その2

ア、守護霊

イ、背後霊

ウ、支配霊(背後霊の一種)

エ、指導霊(背後霊の一種)

オ、指導霊崇拝批判

 

12講:霊能者

霊能者(霊媒体質者)とは

ア、言葉の意味

イ、人は誰でも潜在的な霊能者

ウ、霊界と繋がった霊能者とこの世だけの霊能者

エ、霊能者はより多くの利他的行為が出来る人

オ、何のために霊界のスピリットは霊能者を支援するのか

② 霊的な能力(サイキック能力、スピリチュアル能力)

ア、二種類の能力

イ、霊的進化の指標

ウ、霊的に進化したと言える為には

③ 霊的影響力の違い

ア、霊力の通路となり得る者とは

イ、霊力の通路としての影響力の違い

④ 霊能者と金銭

ア、評価の指標

イ、目的限定の能力

 

13講:心霊現象

① 心霊現象の種類

② 物理的心霊現象について

ア、物的要素が濃いエクトプラズム

イ、エクトプラズムについて

③ 物理的心霊現象の目的

ア、受容性に見合ったもの

イ、物理的心霊現象は補助的手段

ウ、ハンネン・スワッハー・ホームサークル

④ 交霊会について

ア、交霊会の参加者・立会人

イ、交霊会参加者の心得

ウ、レギュラーメンバーの存在意義

⑤ 霊界通信について

ア、潜在意識との関係

イ、霊界通信の良し悪し

ウ、その他の問題

 

14講:地上人生について

1、地上人生の始期

① 「古い霊」と「新しい霊」

② 地上人生のスタート時期

ア、はじめに

イ、二つの立場(受精時説と子宮着床時説)

ウ、初期の胚は“モノ”の根拠(研究者の立場)

エ、カトリック教会の立場

オ、シルバーバーチの立場

③ 生まれ出る際の問題

ア、産児制限

イ、不妊体質で生まれた女性

2、地上人生の役割

① 本来の世界と地上世界

ア、本来の世界

イ、地上世界

ウ、地上世界は相対性・両極性の世界

エ、地上世界の役割

② 地上人生の意義

ア、苦難は魂の磨き粉

イ、霊性レベルと磨き粉の関係

ウ、霊性の開発

 

15講:さまざまな「死のカタチ」

① 死とは何か

ア、この世に於ける死

イ、スピリチュアリズムの死の定義

さまざまな「死のカタチ」

ア、不慮の死(急死、事故死、戦死)

イ、意識的に命を絶つ行為(自殺、死刑)

ウ、安楽死、延命処置、尊厳死

③ 特殊なケース(人工妊娠中絶、流産)

ア、人工妊娠中絶をめぐる二つの考え方

イ、罪悪感のある中絶行為

ウ、「自然流産、死産児」のケース

エ、罪悪感の薄い“中絶行為”

④ 中絶された霊

ア、二つのケース

イ、胎児霊との対面

ウ、水子供養の背景

エ、研究者が説いた「水子供養の背景」

オ、「水子の祟り」とは何か

⑤ 死の周辺の問題

ア、臓器移植

イ、輸血、その他

ウ、火葬

エ、献体

オ、グリーフケア

 

16講:スピリチュアリズムと宗教

① 宗教

ア、言葉の意味

イ、宗教界の現状

ウ、「勧誘形態」の違い

エ、スピリチュアリズムの勧誘形態

② 盲目的信仰と知識の裏付けある信仰

③ 破邪顕正(はじゃけんしょう)

ア、解体と構築の関係

イ、「スピリチュアリズムの本質」は宗教性にある

④ 子供に対する宗教教育の問題

⑤ 高級霊のキリスト教批判、その1

ア、イエスは人間であった

イ、イエスは霊能者であった

ウ、時代の制約下に置かれたイエスの生涯

エ、神の摂理に忠実に生きたイエス

オ、イエスの使命、イエスの訓え

カ、霊界におけるイエス

⑥ 高級霊のキリスト教批判、その2

ア、贖罪

イ、懺悔

ウ、洗礼

エ、キリストの復活・聖痕

オ、キリスト教の教義

カ、教会・牧師・組織

キ、聖書について

 

<関心の高いテーマ>

17講:他界霊が辿る旅の行程、その1

① 旅の行程

ア、はじめに

イ、大まかな行程

② 死の準備段階としての老化

ア、老化を物的面から見ると

イ、エネルギー面から見ると

ウ、両者を繋ぐ連絡網の接続不良

エ、意識面から見ると

③ 臨死体験

ア、臨死体験とは何か

イ、臨死体験の特徴

ウ、臨死体験が意味するもの

④ 「お迎え」

ア、「お迎え」とは

イ、何のために「お迎え」を体験するのか

ウ、アンケート調査

エ、死生観による対処の違い

⑤ 「夢枕に立つ」「虫の知らせ」現象

ア、言葉の意味

イ、具体的な事例

ウ、死に際に放出されるエネルギー

 

18講:他界霊が辿る旅の行程、その2

① 通過点の「死」

ア、太いシルバーコードの切断

イ、霊肉分離の過程

ウ、「死」とはバイブレーションの切り替え

② 死の深い眠り

ア、振動数に見合った身体をまとう準備

イ、眠ることが出来ない者

ウ、死んだことに気が付かない

③ ガイドとの出会い

ア、霊的知識の有無と死後の世界への移行

イ、「自分は死んだと言う自覚」を持つ

ウ、ガイド(指導霊)の役割

④ 死後の世界

ア、次元の異なる場が重なり合う世界

イ、思念が実在の世界

ウ、思念体・想念体

エ、個々の問題

 

19講:他界霊が辿る旅の行程、その3

① この世に隣接したあの世(中間境)

ア、縁者、友人知人の出迎え

イ、霊界の「病院」

ウ、自分で自分を裁く

エ、「死の自覚を持つ」ことの重要さ

オ、中間境から幽界へ

② 幽界の下層界

ア、幽界の特徴

イ、地上とよく似た世界

ウ、浄化の為の世界

エ、地上的血縁関係の行方

③ 幽界の上層界から霊界(狭義)へ

ア、霊的自覚の芽生え

イ、幽界の上層界

ウ、幽界の存在意義

エ、霊的家族(類魂)との再会

オ、再生不要の「地球圏霊界」への旅立ち

 

20講:心霊治療(心霊医療)、その1

① はじめに

ア、「心霊治療」という名称

イ、死生観による違い

② 日本の医療の変遷

ア、古代の医療

イ、中世の医療

ウ、江戸時代の医療

エ、明治時代の医療

オ、「心霊治療」受難の時代

カ、明治後期から昭和初期にかけて

③ 心霊治療の周辺部

ア、信仰治療

イ、暗示効果

ウ、補完・代替医療

 

21講:心霊治療(心霊医療)、その2

① 心霊治療の概略

ア、健康観・病気観

イ、心霊治療の目的

ウ、三種類の心霊治療

② 心霊治療の種類

ア、遠隔治療

イ、セルフヒーリング

ウ、心霊手術

エ、憑依霊の除霊

③ 心霊治療の背景

ア、心霊治療のメカニズム

イ、治療エネルギー

④ 個別問題

ア、心霊治療家の問題

イ、患者側の問題

 

22講:霊的成長について、その1

① 二つの心

② 利他的行為

ア、川の流れ(摂理)に沿った生き方

イ、霊的エネルギーの流入と霊的成長

ウ、二種類の利他的行為

③ 霊優位の生活

ア、「霊が主・モノが従」という意識

イ、霊的摂理を実生活に応用した生き方

ウ、霊優位の修養的な生活(最初の一歩は自己修養から)

④ その他の問題

ア、なぜ困難・障害・病気があるのか

イ、動機と道義心の問題

ウ、取り越し苦労、心配性がもたらす影響

 

23講:霊的成長について、その2

① 精神統一(瞑想)

ア、精神統一の必要性

イ、「アンテナの錆び落とし」と「受信装置の周波数」との関係

ウ、平均的な振動数に見合った霊

エ、技の修得と霊格の向上は別

② 精神統一の病的状態

ア、先人たちの体験から

イ、モーゼスの『霊訓』における瞑想

ウ、『シルバーバーチの霊訓』における瞑想

③ 祈り

ア、祈りの対象と忠誠を捧げるべき対象

イ、祈りとは魂の行

ウ、祈りの効用

エ、定型的な祈り、御利益信心的な祈り

オ、仲立ちを介した祈り

カ、霊界での祈りの扱われ方

 

<研究編>

24講:動物について、その1

① 動物の死後

ア、「個別霊」と「集合魂」の違い

イ、イラストの説明

ウ、ダーウィンの進化論との違い

エ、因果律の表れ方

オ、一般的な「意識」とは異なる

カ、霊的要素は共有する

② 個々の個体を有した動物の死後

ア、一般の動物の死後

イ、動物に再生はない

ウ、中間物質、霊的要素

エ、ペットの死後

 

25講:動物について、その2

① 動物実験について

ア、暮らしに深く根付いている

イ、動機と道義心の関係から

ウ、現代人に共通のカルマとして

② 肉食の問題

ア、シルバーバーチの基本的見解

イ、「個別意識」「類魂意識」の有無

③ その他の問題

ア、害虫・有害鳥獣の駆除

イ、動物愛護の問題

 

26講:意識の変遷、その1

① さまざまな「私という意識」

ア、意識とは何か

イ、三パターンの「私という意識」

ウ、意識レベル

② 各段階における意識

ア、地上人の表面意識

イ、霊界人の表面意識

 

27講:意識の変遷、その2

① 地上体験を持ち帰る―意識面から見ると

ア、意識の区分け

イ、出生準備段階    

ウ、地上時代(幼児期)における特徴

エ、地上時代(10代以降)における特徴

オ、幽界の下層における特徴

カ、幽界の上層における特徴

キ、狭義の霊界における特徴

② 意識と形体との関係

ア、「進化」を霊的観点から見ると

イ、物的形体の創造

 

28講:再生

① 再生は異論の多いテーマ

ア、古代社会の再生観

イ、大まかな区分け

ウ、不一致の理由

② 何が再生するのか

ア、用語の整理

イ、霊的意識の一部が地上に再生する

ウ、一つの意識に溶け込む二つの部分意識

③ 何のために再生するのか

ア、地上は混在社会

イ、地上人生で達成すべきテーマ

④ 再生回数のカウントの仕方

ア、テーマの達成という観点から見ると

イ、再生カウント

⑤ 地上人生を承知して再生する

ア、潜水作業を例にして説明する

イ、物的試練

ウ、「R寿命」「S民族」「W両親」という条件

エ、人生の大枠の中で背負う荷物

 

29講:類魂

① 「再生・類魂」という考え方

② 霊の形体面から(客観的存在、本来の私)

ア、二つの側面

イ、意識は形体をまとって自我を表現する

ウ、因果律の主体

エ、永遠に個霊としての存在を維持する

オ、意識は形体を通して体験を積む

③ 平面的に意識が拡大する(主観的存在、拡大した私)

④ 立体的に意識が拡大する(主観的存在、拡大した私)

⑤ 中心霊の部分的側面

ア、“私”は独立した存在であると同時に部分的存在でもある

イ、たとえ

⑥ その他の問題

ア、前世記憶の問題

イ、アフィニティ

ウ、霊魂に退化はない

 

30講:スピリチュアリズムが目指す「新しい世界(地上天国)」

ア、霊的知識を日常生活に活かしていく

イ、個々人が変われば社会も変わる

ウ、二方面からのアプローチが必要

エ、「新しい世界(地上天国)」の建設

 

 

◆書籍『スピリチュアリズム研究ノート』出版のお知らせ

書籍『スピリチュアリズム研究ノート』は、公益財団法人日本心霊科学協会主催の「シルバーバーチの霊訓の連続講座」(2019年~2024年)及び「公開月例講演会」(20182月)に於いて使用する為に準備した資料を、項目別にまとめて一冊の本として出版(500部を自費出版)したものです。

書籍の販売は日本心霊科学協会で行っております。なお値段は「一冊千円」(注)です。郵送の場合はこれに送料が加わります。詳細は直接協会に問合せして下さい。(2024714

 

<注>

今回販売用として450部と、書籍の著作権を日本心霊科学協会に譲渡いたしました。一冊千円の値段は譲渡した450部に関してとなります。その後、協会の判断で増刷した場合には、その時の原価計算になりますので、確実に値段は千円以上になると思います。

 

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<書籍の情報>

書籍名 『スピリチュアリズム研究ノート』

著者名 須江克則(スエカツノリ)

発行所 公益財団法人日本心霊科学協会

    〒1610034 東京都新宿区上落合1丁目1212

    ℡ 0333627111

    郵便振替口座 00150337677

発行日 202477日 初版発行

書籍サイズ A5版(148×210)、398ページ

 

<全体の目次・詳細目次>

著書『スピリチュアリズム研究ノート』全体の目次・詳細目次

 

<筆者のプロフィール>

東京シルバーバーチの会代表(2024年3月まで「東京シルバーバーチ読書会」を主催、各地において勉強会を主催、執筆)

ブログ「スピリチュアリズム研究ノート」の執筆者

公益財団法人日本心霊科学協会元評議員

 

 

私の霊的人生の歩み(2024年7月7日)

目次

① スピリチュアリズムとの出会い

30歳頃までは霊的敏感者であった

・臨死体験との共通点

・「精神統一」が体験できる団体を探す

・綱引き

② パイプの構築に努力した時期

・地縛霊について

・守護霊や先祖霊との関係を密にする努力

・スピリチュアリズムからの解説

・先祖霊からのメッセージ

・地縛霊となった“牧師の妻”はどのようにして学んだか?

③ 「第二幕」に移行する

・関心の対象が次第に変化して行った

・講演会

・最後の「祖霊祭」で起きた不思議なこと

・スピリチュアリスト人生の「前半(第一幕)」と「後半(第二幕)」

・スピリチュアリストとしての「まとめの時期」

 

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◆はじめに

本文は「シルバーバーチの霊訓、連続講座」(2019年1月~2024年7月)の最終回の講座(202477日)、その「講座に寄せられた質問、その3」の「回答部分」である。今回はページ数の関係からこの部分を切り離して、これに「私の霊的人生の歩み」というタイトルを付けて公表することにした。

この「私の霊的人生の歩み」を一読すれば分かる通り、大半が私の個人的な事柄で占められている。この様な内容の文章を読まされた読者は何を思うだろうかと考えて、一度はボツにした原稿である。この原稿を知人に見せたら「これをボツにするのはもったいないよ。『マイ・ウエイ』の“須江さんバージョン”で良いのでは、このまま公開したら」と言われた。そんな事情やこんな事情があって復活させた次第である。

7月の講座が最終回という事もあり、今回は“私とスピリチュアリズムとの関係”に関する質問が多かった。「講座に寄せられた質問、その3」は次のようなものであった。

、「スピリチュアリズムとの出会いは何か、何時ごろか?」

、「今までに印象に残る霊体験が有りましたら教えて下さい」

、「スピリチュアリストとして、須江先生はご自身の人生をどのように見ておりますか?」

、「須江先生が霊的なことに気が付いたのは何がきっかけだったのでしょうか。その辺の事情をお聞かせいただけたら幸いです」など。

 

① スピリチュアリズムとの出会い

ア)30歳頃までは霊的敏感者であった

◆幽体離脱の体験

子供の頃から30歳頃までの期間、私は霊的に敏感な体質であった。30歳以降は次第に霊的に鈍感な体質へと変化した。幽体離脱の体験は子供の頃から30歳頃まで時々あった。また“将来の私の姿を見る”という「予知」と思われる体験もあった。

幽体離脱はリラックス状態の時に起きた。幽体離脱した私はトンネル状の通路に入る、そしてその通路をものすごいスピードで抜けると宇宙空間にポンと飛び出す、気が付くと私の意識は宇宙空間に浮かんでいる。そこから地球を眺めているという体験がある。さらには幽体離脱して私がゆっくりと空に昇って行く、この様な現象も時々起きた。

 

◆「不思議現象」と「霊界の存在」は直接には結びつかない

20歳代の一時期に住んでいた古い木造アパートの部屋では、不思議な現象(→幽霊の出現、ラップ音、電化製品の異常など)が時々起きた。部屋の中で起きた不思議な現象は当時、霊的敏感者であった私から中間物質のエクトプラズムを抽出して、それに霊側のエネルギーを加えて一つに混ぜ合わせて現象出現に使ったから、時々不思議な現象が起きたと今では理解している(→エクトプラズムを抽出し易い霊的敏感者が近くにいたから現象が起きた)。

さらに電気や磁気は、質的差異が大きい霊と物質を結び付ける中間物質の「普遍的流動体」が変化したもの(→普遍的流動体は電気や磁気よりも純度が高く霊妙:霊の書34頁、50頁参照)。そのため心霊現象の出現時には、計測機器に「電気の異常」や「磁気の乱れ」という形で、最初に異常が感知される。事実「物理的心霊実験会」では、カメラ(シャッターが切れない)や計測機器などにしばしば異常が起きることが知られている。

長い間、私は誰でもこの様な「不思議現象」という異常な体験を日常的に経験している、ごく“ありふれた話”なので世間では特別話題にしないだけと思っていた。身の回りで「サイキック現象」が起きても、当時の私はそれを「霊界が存在する」とか「霊魂が存在する」などと結びつけて考えることはしなかった。30歳頃までの私は「霊界や霊魂の存在」は半信半疑の状態であった。

この私自身の体験から言えることは、スピリチュアリズム普及のために「物理的心霊現象の実験会」を開催して、参加者に「サイキック現象」を見せたからと言って、それが直ちにスピリチュアリズムの「霊魂説(=霊界や霊魂の存在、顕幽の相互交流)」の理解に繋がると言う訳ではないこと。取り上げ方次第では奇術師が行うショーと同様に、単に「不思議な現象が見られて面白かった」で終わってしまうことが多い。

 

イ)臨死体験との共通点

日本で「臨死体験」と言う言葉が普通に使われるようになったのは1990年代以降のことである。「NHKスペシャル、立花隆リポート」(1991年放映)や、立花隆著『臨死体験』(文芸春秋1994年刊)の影響が大きいと言われている。私は1990年代の後半に立花氏の著書『臨死体験』を読んだ。一読した感想は私の幽体離脱体験と共通する部分が多いということであった。この立花氏の著書に刺激されて、臨死体験に関心を持った。

多くの臨死体験の書籍に共通して見られる記述は、体験者の多くが「暗く長いトンネル」「洞窟や井戸」「筒状の場所」に引き込まれて、信じがたいスピードでその中を突き進んだという体験である。私が幽体離脱する際の過程もこれと同じである。

臨死体験者の多くは、「肉体からの分離感」(→ベッドに横たわる自分を、天井付近から見おろしている“もう一人の自分”がいるという感覚)を伴っていること。その際に肉体から抜け出している間の本人の意識は、肉体ではなく「分離した自分」の中にあること。さらに「分離した自分」の心の状態は、完全に覚醒して意識水準は高く驚くほど思考が明晰になっていることが報告されている。この体験者の意識状態は、宇宙空間から地球を眺めていた際の私の意識状態と同じである。私だけでなく多くの幽体離脱の体験者が同様な意識状態を有していることや、宇宙空間から地球を眺めるという体験をしていることが分かった。

 

ウ)「精神統一」が体験できる団体を探す

私は30歳頃までは「唯物論者」であり、「宗教は嫌い」で「あの世や霊界のスピリットの存在」は余り信じていなかった。そんな私をスピリチュアリズの世界に引き寄せるきっかけとなったのは、瞑想法の一つの「精神統一」であった。20代後半、精神統一を基本から学びたくなって、実施している主催団体を探していた。

1980年(昭和55年)に池袋の西武デパートにあった書店で、日本心霊科学協会発行の書籍『心霊科学入門』に出会った。この本は当時としては珍しく、心霊の世界を客観的な視点に立って書かれていた。興味を持ち30分位立ち読みしたが、購入するお金が無かったので棚に戻した。後日気になったので電話帳で「日本心霊科学協会」の電話番号と住所を調べた。

 

エ)綱引き

◆「邪魔する霊的勢力」とは?

この頃、「私をスピリチュアリズの道に引き込もうとする霊的な勢力」と、それを「邪魔する霊的な勢力」との間で“綱引き”があったらしい。これは後日「霊査」(→背後霊からの霊的なメッセージ)で分かった。

この世でも「心霊やスピリチュアリズム」という言葉を聞いただけで、強い拒否反応を示す人がいる。この様な人が死んであの世に行っても「霊的自覚」(→霊として何を為さなければならないかという自覚のこと)が芽生えるまでは、地上時代の性格(→利己主義や貪欲と言った肉体本能に起因する性格)は何ら変わらず、そのまま維持されている。そのような霊が集団を作り「邪魔する霊的勢力」の一部となる。

 

◆「心霊の世界」に近づいたり離れたりを繰り返す

休日に電話帳からメモして置いた「日本心霊科学協会の住所地」を直接訪ねて見た。迷いながらも訪ね当てた住所地は「古い木造アパートの取り壊し現場」であった。その時の私の印象は「心霊という胡散臭いものを研究している団体」(→当時はそう思っていた)と「古い木造アパートの取り壊し現場」が妙に一致して、この団体は何処かに引っ越したと思った。納得してそのまま最寄り駅の「下落合駅」から電車に乗って帰宅した。

その後、気になったのでメモして置いた番号に電話を掛けてみた。繋がった(→引っ越しをすれば住所と一緒に電話番号も変わるのが普通なので、メモした番号にダメもとで電話を掛けてみた。その電話が繋がったので掛けた本人の方がビックリした)。電話で住所を確認すると“先日の原因”が分かった。本来「上落合1丁目(正)」と記載すべきところ、誤って「下落合1丁目(誤)」と記載した私の転写ミスであった。

後日改めて協会を訪ねて見た。受付担当者の話から、この団体で「精神統一会」を実施していることが分かった。協会に入会して初めての「精神統一会」に、大きな期待感を持って出向いた。しかしその曜日を担当していた霊能者は、宗教的な雰囲気の強い方であった。そこは「場違いな世界」であった。期待感が強かった分だけ、落胆も大きかった。宗教嫌いな私は「やばい団体に入会した」(→当時の率直な感想です)と思い一年近く協会から遠ざかっていた。再び精神統一がしたくなった。今度は曜日を変えて違う霊能者の下で「精神統一会」に通った。

この後「精神統一会」を通して、私は初めて「スピリチュアリズムの世界」を知った(→私が体験した「不思議現象」と「霊魂説」が一つに繋がった)。当時を振り返って見ると、これら一連の出来事からこの期間、私をめぐって二つの霊的な勢力の間で“綱引き”があったことが分かる。紆余曲折を経て、最終的に私を「スピリチュアリズへの道」に引き込むことに成功した。

 

② パイプの構築に努力した時期

ア)地縛霊について

◆バイブレーションの切り替えには「死の自覚」が必要

他界者は「死の自覚」(→自分は死んで霊の世界に来たという自覚)を持つことによって、物的バイブレーションから霊的バイブレーションへの切り替えが完了する(→俗にいう“成仏した”ということ)。その後は霊的身体が持つ霊的視力(→霊的五感の一つ)の完全な使用が可能となる。霊的視力は「死の自覚」の芽生えとともに少しずつ能力が機能し始める。

 

◆「地縛霊」の視力

地縛霊とは死んで霊の世界に来たことを理解せずに、肉体が無いにもかかわらず未だに肉体を有していると思っている、本人の意識の上では「地上世界に住んでいる霊」である。

一般に交霊会に出て来る地縛霊は、しばしば「真っ暗な世界にいる、何も見えない」と言う。死後も「死の自覚」が芽生えない地縛霊は、長年の習慣から地上に脱ぎ棄ててきた肉体の目(肉眼)でモノを見ようとするために、周囲に展開する霊的環境や霊的なモノが見えないからである。定評ある文献には「死後にも生命があることを知らずに肉体から離れた人は、暗闇に置かれるのです。無知が生み出す暗闇です」と諭している場面がある(ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版、513頁参照)。

 

◆地上からの“愛念”は地縛霊に届き易い

このような地縛霊に対しては、霊界のスピリットから送られてくる“愛の念”よりも(→愛情を持た呼びかけ)、地上人から送られてくる“愛の念”の方が地縛霊には届き易いという現実がある(→死んで霊的バイブレーションの世界に来たにも拘らず、本人は未だに物的バイブレーションの世界に住んでいるから)。

この様な理由から先祖霊は私に“白羽の矢”を立ててスピリチュアリズムを学ばせて、地上人の私を経由して(→私から送る“念”に感応し易いから)、地縛霊に「死の自覚」を持たせようとしたものと思われる。地上にいる私が霊的摂理を勉強して納得すれば、その“納得したという念”が私に憑依している地縛霊や私と縁がある地縛霊にも伝わり、彼らも納得する。このような形で「幽界の下層界の浄化」が行われたことが後日「霊査」で分かった。

<注> この“念の特徴”について、タイタニック号の事故で死去したウィリアム・ステッドは「生前から親密な間柄だった者のことを強く念じると、その念は生き生きとして活力のあるエネルギーとなり、電波と全く同じように宙を飛び、間違いなくその霊に届く」(ブルーアイランド92⑪~93④)とあの世から通信を送ってきた。

 

イ)守護霊や先祖霊との関係を密にする努力

◆先祖霊が私を協会に連れて来た

この頃の特徴的な「霊査」に「この者はよう信ずることをしないのだが、わしが連れて来たので、よろしく頼む。佐一郎」(霊能者小池先生)がある。先祖霊の一人「佐一郎」霊は私を地縛霊となっている先祖霊を救済する為の“パイプ役”(→地上側から地縛霊に“愛念”を送って「死の自覚」を持たせる役)として用いる為に、スピリチュアリズムが学べる場である日本心霊科学協会に連れて来た(→詳細は「綱引き」の項を参照)。当時「霊界や霊魂の存在」に半信半疑な私の「霊的教育」を、「佐一郎」霊は「わしが連れて来たので、よろしく頼む」と言って協会に託した。

この他に「守護霊が(または背後霊が)指導がしづらいと言っている」(霊能者森先生)という「霊査」が複数回ある。また「守護霊や先祖霊との“パイプ”を密にするように」と言った内容の「霊査」も受け取った。当時の「霊査」には、未浄化霊(地縛霊)の先祖、例えば「やたらと井戸を埋めた霊」「胸が悪い霊」「厳しい言葉で人を諫めた霊」などが次から次へと出てきた。

 

◆アイヌの木彫り像

この頃、北海道旅行に行った知人から、お土産としてアイヌの木彫り像(→爺さんと婆さんが一体となった木彫り像)をもらった。この木彫り像を部屋の片隅に置いて、“先祖霊との関係を密にする”ために、その像に毎日挨拶をするようにした。爺さんの像は男の先祖、婆さんの像は女の先祖に見立てて、木彫り像の頭を撫でて挨拶(→おはよう、ただいまなど)をしていた。これを一年以上続けていた。この期間、守護霊には心の中で挨拶をするようにしていた。

木彫り像に対する挨拶が習慣となり一年以上過ぎた日曜の朝、私が寝ている布団の胸元から、アイヌの爺さんの木彫り像が体をひねりながらニョコニョコと出てきた。本来は無表情の木彫り像が満面笑みをたたえて(→少女漫画によく描かれている目から♡マークや◇マークの様なキラキラしたものが無数に出ていた)、“感謝と愛のオーラ”をシャワーのように私に降り注いてくれた。役目を果たした爺さんの木彫り像が布団の中に引き込むと、次に婆さんの木彫り像がニョコニョコと出て来て、同様に私に愛念に満ちたキラキラなオーラを降り注いてくれた。

このアイヌの木彫り像の出現から、私は素直に「先祖がお礼に出てきた」と言う印象を持った。しかし時間の経過と伴に木彫り像に「自然霊(妖精)が宿ってしまった」という反省が芽生えてきた。当時は私の精神状態が良かったので、引き寄せられて像に宿った霊は「問題ない自然霊」であったが、精神状態の如何によっては当然に真逆のことも起こり得る(→低級霊や邪霊によってイタズラされる、例えば“呪いの木彫り像”など)。その後、私は“木彫り像に直接触れる形”で行っていた挨拶は止めにした。心の中で挨拶するだけに留めて、意識を木彫り像に極力向けないようにした(→無視した)。

 

ウ)スピリチュアリズムからの解説

◆カギは「エクトプラズム」

この現象をスピリチュアリズム的に解釈すればどうなるか。一つの考え方として、私の背後霊や先祖霊が私の体内から中間物質のエクトプラズムを抽出して(→当時はまだ霊的敏感者であったから可能)、これに霊側で用意したエネルギーと混ぜて作ったものを木彫り像の周りに塗り付けた。その事によって物質にすぎない木彫り像は一時的に活性化して、不思議な現象が起きたということが考えられる。

これは物理霊媒の亀井三郎氏による実験会で、事前に用意した瀬戸物製のバンビ(またはセルロイドに似た物質で出来たバンビ)が霊媒のエクトプラズムなどを使って一時的に活性化して、バンビが自分で口を開いたり、本来は曲がるはずがない後ろ足を器用に曲げて、自分の頭をかく現象が起きたりしたことと同じである(『心霊研究』197210月号所収、大西弘泰著「心霊研究者の歩んだ道」参照)。

 

◆私の意識が木彫り像から離れた

私が木彫り像を先祖に見立てている期間は、像がアンテナの役割を果たしていた。その後、私の意識が木彫り像から離れたことによって、像に引き寄せられた「自然霊」は離れて元の世界に帰って行ったと説明できる。

霊界通信に次の一文がある。「そのことを考えている間は存在する(→私が「先祖霊=木彫り像」と思っている間はその関係が成り立つ)。それについて考えることを止めたら目の前から消え去る」(『500に及ぶあの世からの現地報告』125頁参照)。この原理の地上版と言った形で、私が像と先祖を結び付けている間は、挨拶という形で呼びかければ先祖霊や“先祖を真似た霊”は出て来る。私の意識が「自然霊(妖精)」が憑依した木彫り像から離れるに従って、不思議現象も治まって“ただの物質の木彫り像”に戻ったということである。あれから40年が過ぎた。その間一度もアイヌの木彫り像に不思議な現象は起きていない。

 

◆霊には性別は無い

本来、霊には性別は無いのだが(→肉体がない霊は生殖活動がない)、当時の私は「霊にも性別は有る」と思っていた。そのため爺さんの木彫り像は男の先祖に、婆さんの木彫り像は女の先祖に見立てて挨拶を行っていた。この霊の性別に関しては次のような通信がある。シルバーバーチは「霊の世界では界を上がるにつれて男女の差が薄れていく」(4巻141⑬参照)、またマイヤース霊も「魂には女性も男性もない、つまり性別はない」(個人的存在105⑬~⑭参照)と述べている。

死後「死の自覚」を持った他界霊は、「霊的自覚」の芽生えに伴って界層の上昇が起きる。地上的な習慣(→肉体の存在を前提にした習慣や、男女の性差を前提とした観念)を色濃く残している幽界の下層界を離れて行くに従って、他界霊は次第に地上的な観念や習俗から離脱して行く。男女の別はなくなっていくから。

 

エ)先祖霊からのメッセージ

◆「霊査」の内容に変化

この頃から精神統一会での「霊査」が劇的に変わってきた。指導がしづらいと言われていた私が「祖霊の守りが厚い」(霊能者森先生)と言われるようになった。この変化は私と背後霊(→守護霊や先祖霊など)との間の“パイプが繋がった”からと説明できる。

この時期の代表的な「霊査」には「最近、周りが非常に明るくなってきた(→霊的な雰囲気、オーラのこと)」「沢山の立派な背後霊が付いている」(以上霊能者森先生)とか、「気が大変キレイになってきた、祖霊の非常に高い霊からの気が懸かりつつある」(霊能者斎藤先生)などがある。

 

◆衝撃的な通信

この頃、霊能者を経由して衝撃的な通信を受け取った。1646年(正保3年)10月に死去して、それ以来340年近く地縛霊であった先祖霊からのメッセージであった。「イヤー有難いことでございます。我らが末の者の内に一人でもこの様な心掛けの者が出て来てくれたことは、うれしいことでございます。まだまだ未熟者なれど、よくよく我ら先霊の者も学んでいることを、よく伝えて下され。正保3年10月 正典」(霊能者榎本先生)。

霊能者によれば、僧の姿をした地縛霊の「正典」霊は私に憑依して一緒に勉強していたという。私が心霊のことを一つ理解すれば、その“理解したという念”が憑依霊に伝わり、憑依霊も一つ理解する。その“理解したという念”が光となって、地縛霊が住む「暗い世界を次々に駆け巡って行った」ということらしい。

 

オ)地縛霊となった“牧師の妻”はどのようにして学んだか?

◆『筑紫交霊録』の「明子さん」の事例

日本の良質な霊界通信の一つに『筑紫交霊録』(筑紫交霊録刊行会1976年)がある。その中に“牧師の妻”が死んで地縛霊となった話が載っている(→『筑紫交霊録』の「明子さん」の項目を参照、『心霊研究』20229月号掲載)。

明子さんは死んであの世に来てみたら、そこはキリスト教の教え通りの天国ではなかったと言う。明子さんは生前に、死んだら「死を自覚しなければならない」とか、「死んだ者には(肉体が無いので)病が無い」ということを考えて見たこともなかったと言う。そんな明子さんは死んだら地縛霊となって暗い世界に来てしまった。

地縛霊となった明子さんは半醒半睡状態のままで、明子さんの背後霊によって年下の従兄弟に憑かされて、スピリチュアリズムの勉強会に出席して学んでいた。そして自分の置かれた現状を理解して地縛霊から脱することが出来た。現在は物的バイブレーションから霊的バイブレーションに切り替わったので「私は自由に飛び回れるので、勉強会に先に行って聞いている」という。

 

◆供養の対象となる霊

この話から分かることは、スピリチュアリズムに関する勉強会には、この世の人間と一緒に「物的バイブレーションに感応し易い霊」も同席して学んでいるということである。例えば「地縛霊」(→死んで肉体を棄てたにも拘らず本人の意識の上では地上世界に住んでいる霊)、「物的指向性が極めて強い低級霊」、宗教の教義や思想などに本人の意識がガンジガラメに縛られて「霊的牢獄に閉じ込められている霊」(→自分で作った想念や、特定の教義・思想に縛られた状態にある自縛霊)など。つまり霊界の救済霊よりも地上人から送られてくる“愛の念”のほうが届き易い霊たちである(→いわゆる“供養の対象”となる霊のこと)。

 

③ 「第二幕」に移行する

ア)関心の対象が次第に変化して行った

精神統一会における「霊査」が劇的に変化した頃を境にして、私の関心が次第に日本的な先祖供養を中心とした心霊の世界の勉強から、『シルバーバーチの霊訓』を中心とした本格的なスピリチュアリズムの勉強に移行して行った。

そのきっかけを作ったのは『心霊研究』に連載(19826月~198310月)された近藤千雄編著「シルバーバーチは語る―シルバーバーチ霊言集より―」であった。私はこの連載に大いに触発された。

この移行期の代表的な「霊査」には「十字架が見える。今後キリスト教と関連するモノから影響を受けることになるかもしれない」(霊能者森先生)や、「神父さんがいる。須江さんが神父さんと二重写しに見えた」(霊能者内野先生)がある。

 

イ)講演会

◆講演者は私に興味を持った

私が協会の役員をしていた頃、講演会の講演者に英国から霊能者が来た。その講演会の司会を私が行った。講演の最後の質疑応答の際に霊能者は会場の質問者を差し置いて、司会者の私にばかり興味を示した。私に「スピリチュアリズムとの出会いは」とか、「何の仕事をしているのか」などといった個人的な質問をしてきた。司会者としての役目柄、私は霊能者の関心を会場に戻すのに苦労した。

講演会終了後に再び講演者(霊能者)に捕まり、通訳を介してさらに詳細に聞かれた。英国の霊能者には、私が多くの参加者を前にして「スピリチュアリズムに関する講義」をしている姿が見えたらしい。それで私に強い関心を持ったようであった。今考えて見れば霊能者は30年後の私が、同じ会場で「シルバーバーチの霊訓、連続講座」を行っている姿を「予知」(予知的透視)したことになる(→私が協会で「連続講座」を行うようになってから、最近この英国の霊能者のことを思い出した)。

 

◆予知と自由意志

英国の霊能者は未来の私の姿を「予知」したが、人間には自由意志があるので必ずしも「予知」した通りの“未来の姿”が実現するとは限らない(→台風の進路予測と同じ)。私の場合であればあの時点での「顕在意識」(→肉体本能に起因する意識と霊的意識という出自の異なる二つの意識のせめぎ合いで形成される意識のこと、一般に言う意識のこと)は自由意志によって、スピリチュアリズムへの道ではなく「煩悩まみれの道」を選択した可能性の方が強かった。もしもあの時点で私が「煩悩まみれの道」へと踏み込んで行ったら、その後どのような人生を歩んでいたであろうか。

思うに死んであの世に来たら私の「再生テーマ」(→地上で行うテーマには個別霊としてのカルマ解消の側面と、類魂の一員として地上で何らかの新たな体験を積むという側面、この二つの側面がある)が未達成であることに気付き、このままでは霊界で待つ霊的家族(類魂)の元には戻れない。そこで幽界の下層界から再度(再再度?)地上に再生して、未達成の「再生テーマ」に再び(三度?)取り組むことになるのではないだろうか。

 

◆二者択一の岐路

現在の私が存在するのは、人生の途上に於いて“二者択一の岐路”に差しかかった際に、守護霊からのインスピレーションに従った結果であると思っている。例えばドアの前に立ちドアが開いたら進む、開かなかったら道を変える、無理にドアをこじ開けないという具合に。

一般に人は岐路に差しかかった際に、余り我を張らずに周りの人の意見をよく聞いて、それを参考にしながら、今後の進むべき道を自らの自由意志で選択する。この様な事を日常的に行っているのではないだろうか。その繰り返しの結果が、その人にとっての現在地点となっているから。

生き方に迷いが生じた際に思い出す「霊査」がある。「他の人の口を借りてモノ申すこと多し、聞き流しすること無きように」(霊能者小池先生)。当時はこの「霊査」の深い意味が分からなかったが、多少なりとも人生経験を積んできた今なら良く分かる。

 

ウ)最後の「祖霊祭」で起きた不思議なこと

◆風邪をこじらせた

私は1994年の「祖霊祭」で不思議な体験をした。この体験を通して“一つの仕事”をやり遂げたという印象を持った。祖霊祭前の一週間は仕事が忙しく、帰宅は毎日“午前様”。病院に行く時間もなく、風邪をこじらせてフラフラの状態で「祖霊祭の前夜祭」に臨んだ。当時の私は“裏方の責任者”の立場にあったが、このような状態では無理なので、翌日の「本祭」は欠席しようと思った。

 

◆暗闇に光が差し込む夢

その夜、夢を見た。夢は今まさに山(富士山?)の山頂から太陽が昇ってくる場面から始まった。夢の中で光景を眺めていると場面が変わり、朝日にキラキラと輝く“光”が地縛霊の住む“暗闇の世界”に差し込んできて、周りが次第に明るくなって行った。

次にその光景が一転して山の中腹を一台のバスが昇って行くのが見えた。大勢の霊が乗ったバスの車内からは、和気あいあいとした楽しそうな雰囲気が感じられた。その時、地縛霊となっていた先祖霊が浄化し向上して行く場面を、背後霊は私に見せてくれたと思った。

 

◆不思議な心霊治療

寝ている最中に体のあちらこちらを治療されているのが感じられた。翌朝、すがすがしい目覚めであった。前日までの割れるような頭痛や体の痛みは消えていた。私の周りで小鳥がチイチイとさえずっている、そんな軽やかな目覚めであった。

これは「前夜祭」で私の状態を見かねた誰かが、治療家に緊急の心霊治療をお願いして行われたものと思っていた。なぜなら心霊治療は、何らかの形で「治療の申込」が有って始まるものであるから(→心霊治療にも本人の自由意志の問題があるから:ハリー・エドワーズ著『霊的治療の解明』国書刊行会1984年刊、29頁~30頁参照)。しかし誰も依頼した人はいなかった。

さらに疑問は残る。高い波長の治療エネルギーを、患者の低い波長レベルに転換する役割を持つ“治療家の役”を、一体だれが担ったのだろうか。また心霊治療家ハリー・エドワーズの“即効性ある本来の心霊治療”を話としては聞いていたが、それと同じことが自分の体を実験台にして、一晩で劇的に良くなるのを自ら体験することになろうとは思っても見なかった。何とも言えない不思議な体験であった。

最後の祖霊祭(1994年)を無事にやり遂げて、8月に協会を退会した。私のスピリチュアリストとしての仕事はこれで終わったと思った。今から振り返るとこれは単に「第一幕の終了」に過ぎなかった。

 

エ)スピリチュアリスト人生の「前半(第一幕)」と「後半(第二幕)」

◆未浄化霊の救済から始まった

最近、来し方を振り返って見ることが多くなった。振り返って見て明らかになったことは、先祖霊の一人(佐一郎霊)が苦労しながら、私を“スピリチュアリズムが学べる場”(=日本心霊科学協会)に連れてきたこと。その目的は地縛霊となっている先祖霊に「死の自覚」を持たせる、そのパイプ役として私を用いることにあったようである。

このように私のスピリチュアリスト人生は「未浄化霊を救済する仕事(=供養)」から始まった。そして「供養とは何か」を考えさせられる一連の出来事があった。その後「最後の祖霊祭」では、地縛霊となっていた多くの先祖霊が救済されていく場面を、背後霊は私に“夢”という形で見せてくれた(→「暗闇の世界」に朝日が差し込む場面や、山の中腹を一台のバスが登って行く場面など)。このようにスピリチュアリスト人生「前半(第一幕)」に一貫して存在したテーマは「地縛霊の救済(=供養)」であった。

 

◆足元を固めて次に進む

足元が固まって「後半(第二幕)」へ移行することができた。やっと私の「再生テーマ」と思われる「スピリチュアリズム普及の仕事」に関わることが出来た。最近になって分かってきたことは、私が「後半(第二幕)」へと進んで行く為には、どうしても「足元を固める」必要があったということ。直接「スピリチュアリズム普及の仕事(第二幕)」に関わることは出来ないということが分かってきた(→足元を固めることを怠った結果、スピリチュアリズム普及に携わる中で低級霊や邪霊によって足元をすくわれる場合があるから)。

 

◆“学びの場”が供養の場となっている

シルバーバーチは交霊会には、地上側の参加者(→レギュラーメンバーとその日のゲスト)だけに留まらず、霊界側からも大勢の霊たちが参加していると述べている。例えば「今夜だけでも5000人もの霊が集まっている」「地上だけでなく霊界でも大変な規模で布教活動が行われている」(道しるべ198頁~199頁参照)と述べた箇所がある。このように霊界側でも地上の“学びの場”を、有効に活用している実態が窺える。

シルバーバーチが述べたケースや、牧師の妻が地縛霊を脱したケース、また私の先祖霊のケースなどから見ても、霊界側ではあらゆる機会を使って「幽界の下層界の浄化」を行っていることが分かる(→スピリチュアリズムに関する各種講演会や勉強会、さらには交霊会などには、この世の参加者だけでなく、あの世からも幽界の下層界を浄化する為に大勢の霊が参加している)。

 

オ)スピリチュアリストとしての「まとめの時期」

冒頭で述べた「講座に寄せられた質問」に触発されて、昔「精神統一会」に参加した際に受け取った「霊査」をまとめたノートを取り出してきた。その中には何度も警告されていたにもかかわらず、若さ故にその意味する内容が分からず、心の重荷となるような“汚点”を残してしまった出来事もある。

スピリチュアリストとしての“まとめの時期”に入った今、一連の「霊査」を読み返して見て当時は理解できなかった“事柄”が、見事に“一つの流れ”の中に組み込まれていることが分かってきた。それが今回「私の霊的人生の歩み」を執筆するに至った動機である。

 

第2講、地上人生の目標は「霊的成長」(2024年7月7日)

<目次>

1、地上人生の役割

・地上人生の特徴

・潜水具をまとって海底作業をする

2、利他的行為

・宇宙に遍満する霊的エネルギー

・川の流れに沿った生き方

・霊的エネルギーの流入と霊的成長(垂直方向と水平方向の二つのルート)

・二種類の利他的行為

3、霊優位の生活

・「霊が主・モノが従」という意識

・霊的摂理を実生活に応用した生き方

・霊優位の修養的な生活

・なぜ「困難・障害・病気」が存在するのか

・動機、道義心

・取り越し苦労、心配性がもたらす影響

4、地球人が目指す「地上天国」という世界

5、講座に寄せられた質問

6、「連続講座」を終えるに際して

 

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1、地上人生の役割

①地上人生の特徴

ア、地上世界とは

人間は霊であり、霊性を向上させる為に物的地球に生まれてきた。この地球で生活するには「霊的な心(本来の私という意識)」は肉体を通して自我を表現しなければならない。

地上世界は本来の住処である霊界(狭義)では絶対に交わることが無い霊が(→高い霊は高い霊の世界、普通の霊は普通の霊の世界、低い霊は低い霊の世界で生活する)、肉体をまとうことによって平面上で交わって生活している混在社会である。そのため両極性に満ちた比較対象が存在する世界となっている。

 

イ、この世は「学校」

私たちは霊界(狭義)では体験できないことが混在社会である地上世界では体験できるので、地上は霊性向上の為に学ぶ機会に数多く出合える場となっている。

私たちはこの地上世界で「苦と楽」「悲しみと喜び」「愛と憎しみ」「勇気と臆病」「平静さと怒り」「嵐と晴天」「明るい側面と暗い側面」など、さまざまな両極性を体験することによって学んで、各自霊性の向上を図っていく仕組みとなっている。シルバーバーチも「地球は学習のために通う“学校”です。その(学校での)学習は、比較対象の体験による以外には有り得ない」(到来25⑩~⑬参照)。また「人生とは学校です。刻苦と闘争、努力と困難、逆境と嵐の中をくぐってこそ魂は真の自我に目覚める」(4214⑩~⑪参照)と述べる。

このようにスピリチュアリズムでは地上世界を「学校」(474⑫参照)と呼んでいる。肉体は“私という意識”がまとう「学校の制服」である。

 

ウ、モノの世界で「集中力、意志力」を鍛える

地上世界は独裁者や権力者でさえも自分の思い通りには動かない世界である。地球という物的世界では、何を為すにしても困難が伴うもの。この困難な世界で一つのものをやり遂げる「意志力や集中力」を鍛えることが出来れば、その努力はあの世に行ってから大いに役立つことになる。

これに対して「意志力や集中力」を十分に身に付けずにあの世へ移行すれば、日常の生活に不便が生じる。なぜならあの世は何事も意念によって作り出される世界だから(→あの世は「霊・意識が主で、モノや環境が従」の世界)。

 

②潜水具をまとって海底作業をする

ア、海底作業に例えると

次に「潜水具(=肉体)」をまとって行う「海底作業(=地上での仕事)」を例にして地上世界の役割を説明する。

「潜水士(=再生する霊)」は海底作業をサポートする「支援船(=霊界)」の中で、「同僚(=霊的家族・類魂メンバーABCDE…)」と共にこれから「海底(=地上世界)」に降りて行う「作業の手順(=地上人生の大まかな枠組み)」や、海底に持参する「装備品(=能力や才能など)」を念入りにチェックする。なぜなら「潜水具(=肉体)」をまとって海底に降りれば、「水圧・潮流・水温・明暗など(=肉体本能に基づく煩悩、例えば食欲・性欲・所有欲など)」の影響を強く受けながらの困難な作業となるため、事前に準備を念入りに行う必要があるからである。

意識面では支援船にいる時の「クリアな意識状態A」とは異なり、海底では「制約された意識状態A―1」(→肉体本能によって制約された意識状態)に置かれる。なお今回の海底作業は、橋脚建設の為に障害となっている“海底の岩を取り除く”仕事であるとする。これは今生に於いて「再生してやるべき仕事(=再生人生のテーマ)」のことである。通常の場合「再生テーマ」は「個別霊としてのカルマの解消」と、「類魂の一員として新たな地上体験を積む」という二つの側面を有している。

海底で潜水具の「ボンベの空気(=寿命)」の残量が一定以下になるまで、岩を取り除く作業を行うが、時間内(=寿命)に岩を完全に取り除くことが出来なければ、(→飽和潜水作業では中継地点で)再度ボンベを取り換えて海底に降りて続きの作業を行う(→再生人生のテーマが未達成のため霊界で待つ霊的家族の下には戻れず、幽界の下層界から再度又は再再度、地上に再生してやり残した仕事を行う)。

今回潜水具をまとって海底に降りて行く役になった「霊的家族のメンバーのAA―1)」が「再生霊」、同僚の「メンバーのB」が支援船の上から「専属的にAA―1)の支援」の役にあたる「守護霊」となる。

さらにAが支援船の上にいる時のクリアな意識状態を「霊的な心・本来の私という意識」とする。潜水具を付けて海底に降り立ち「水圧・潮流・水温・明暗などで制約された意識状態(=肉体本能で制約された意識状態)」を、「現在の私という意識(=地上的自我意識)」とする。これが地上での通常の意識状態(=地上的自我意識)となる。

なお「ボンベの空気(=寿命)」の残量が一定以下になると「海底(=地上世界)」を離れて水圧を調整しながら海面に浮上して行く。その過程が「幽界」(→意識を調整する場)である。「A―1」は浮上して行くに従い「本来のクリアな意識、A」を取り戻して行く。

 

イ、守護霊の意識

「再生霊A」の守護霊役のBは支援船にいて(→Bはクリアな意識状態で全体を見渡せる位置にいる)、海底に降り立った「A―1(→肉体をまとうことによって、Aの意識は肉体本能によって制約され状態のA―1となる)」に、両者間に架設された「磁気的回路(=通信ケーブル)」を使って何くれと指示を出している(→インスピレーションによって)。

地上に降り立った「A―1」は、「意識や心は物的脳の副産物(=意識のニューロン仮説)」と考えてあの世や守護霊の存在を否定していれば、両者間を繋ぐ磁気的回路は断線しているので守護霊は本人(A―1)にインスピレーションを送れない。その場合は「他人を経由して」送る(→私が霊界の存在に半信半疑であった頃、背後霊から「他の人の口を借りてモノ申すこと多し、聞き流しすること無きように」と言われた)。

 

ウ、二つの「自由意志」

狭義の霊界で(=海の上に浮かぶ支援船の上で)Aはクリアな意識状態の下で、今回の「再生人生の大枠(=海底作業全体の手順・スケジュール)」を「霊的家族(=類魂のメンバー)」のアドバイスを受けながらAの自由意志で決めた。

この「大枠」は「地上世界(=海底)」に降り立った「A―1(→肉体をまとうことによって、Aの意識は肉体本能によって制約され状態のA―1となる)」にとっては、変更できない「宿命(=人生の大枠)」となる。これを「潜水士(=再生する霊)」の立場から見ればどうなるか。

海底に降り立った「潜水士(A―1)」は「決められた作業手順(=Aが決めた人生の大枠、宿命)」に沿って海底作業を行う。その作業手順に沿って個々の作業を行っている最中に“突発的な障害”が生じた時は、その都度「現場サイドの自由意志」で障害に臨機応変に対処する。

このように自由意志には支援船にいる時の自由意志(→海底作業全体のスケジュールを決める)と、海底作業中にその都度対応を迫られる自由意志(→現場サイドの自由意志)の二種類が存在する。

 

2、利他的行為

①川の流れ(摂理)に沿った生き方

ア、宇宙に遍満する霊的エネルギー

神によって作られた宇宙には、神の一部である「霊的エネルギー(=一般的な霊のこと)」が遍満している。

人間の利他的行為によって霊的エネルギーは、霊体の「霊的な心」にある「魂の窓」から流入する(2121⑤、2124⑨)。そして「霊的な心・本来の私という意識」を活性化させて、潜在している「霊(=神の分霊)」を顕在化させる。その結果、神の完全性(→神の属性たる愛や親切など)が「霊的な心・本来の私という意識」により多く顕現して、それが形体(→肉体や霊的身体、形体なき高級霊は思念)を通して外部にオーラという形で滲み出てくる(→霊界は「意識が主で、形体は従」の世界)。

物質レベル(=物的地球)で絶対的に不足している霊的エネルギーは、このような形で人間社会の隅々にまで流入して来る(→潜在していた霊的エネルギーが顕在化して行く)。

 

イ、知識から生き方へ

シルバーバーチは「知識には責任が伴う」(153②、9135③参照)と述べる。スピリチュアリズム思想を学んで知識の分量を増やしていくと、次第にその人の生き方が問われてくる。なぜなら生き方の「質的な転換(知識から生き方へ)」が求められるから、学んだ霊的知識を日常生活に反映させようとする力が強まるから。

 

ウ、流れに沿った生き方

霊的摂理に沿った生き方を“川の流れ”に例えて説明してみる。まず“川の流れ”に乗る為には「川(霊的摂理のこと)」を知らなければならない。

まず「第一段階」として「インターネットによる情報発信」や「入門講座や勉強会」など、あらゆる機会を使って多くの人が霊的摂理とは何かにつき、知る機会を設ける必要がある。次に「第二段階」としては、上記によって霊的摂理に触れた人の中から、関心を示して学び始める人が出てくる。学習者は自らの学びを通して知識の分量を増やしていくことになる。さらに「第三段階」としては、その中から実生活に霊的摂理を応用した生き方(383⑦参照)に向かう人たちが出てくる。その人たちは各々試行錯誤の中から自分の生活スタイルに合った霊的摂理の活用法を見出していく。

シルバーバーチは霊的摂理を知っているというだけでは(→「第一段階」や「第二段階」では)、身についたとはいえない。それを「第三段階」の実生活の場で実践して初めて理解したことになる。なぜならその人の霊性レベルの判断指標は「普段行っている行為」(9巻117⑭~118③参照)にあるからと述べる。

 

エ、より多く「神の属性」を表した生き方へ

人間という霊は各自肉体をまとって地上体験を積み重ねながら、霊的成長を図っている。霊性を開発するためには霊的成長を促すような生活、例えば“神の属性”の一つである「寛容の精神、同情心、愛の心など」を持つようにする。また「無私の行為(利他的行為など)」によって自分の行動の基調を自分で変えていくことが必要となる。

霊性が開発された分だけ“潜在的完全性(神の分霊)”が「霊的な心・本来の私という意識」に顕在化してくる。その結果その人の肉体を通してより多くの“神の属性”(→愛、寛容さ、叡智、真理、公正、親切、優しさ、思いやり心、協力の精神など)が滲み出て来る(→霊格の高い霊とは、完全性がより高い霊のこと)。

 

②霊的エネルギーの流入と霊的成長

ア、「垂直方向」と「水平方向」の二つのルート

A、垂直方向のルート

霊的宇宙に遍満している霊的エネルギーが、“物質レベルの人間社会”(=物的地球)の隅々にまで満ちて行く為には二つのルートがある。

まず「垂直方向のルート」(→霊的エネルギーは物的地球に降りて来る)がある。人間の利他的行為によって霊的宇宙に遍満している霊的エネルギーは、霊体にある「魂の窓」(2121⑤、2124⑨参照)から流入して、自我の本体(霊的な心・本来の私という意識)を活性化させて、潜在している“神の分霊(霊)”の顕現を促して行く。人間の自我の本体を活性化させた霊的エネルギーは“霊的身体”に流れ込む。さらに中間物質(=半物質状の接合体)を経由して肉体に流れ込んで、それぞれの部位を活性化させる。

 

B、水平方向のルート

次に「水平方向のルート」(→人から人へ、または人から動植物へ)がある。「垂直方向のルート」によって流れ込んで来た霊的エネルギーは、私たちが「他者」に対して行う利他的行為によって「水平方向のルート」に転換して、物的地球の隅々にまで流れて行く。

霊的宇宙に遍満している霊的エネルギーは、このような「垂直方向のルート」と「水平方向のルート」によって“物質レベルの人間社会”の隅々にまで及んでいく。

 

イ、利他的行為の本質

A、霊的エネルギーの移動

宗教では利他的行為が推奨されている。これはスピリチュアリズムの観点から見ても正しさが証明されている。他者に対して行う利他的行為の本質は、霊的レベルから物的レベルに変換した霊的エネルギーを「私から貴方に流す」ことに他ならないから。

この利他的行為を通して霊的宇宙に遍満している霊的エネルギーは、本人の「魂の窓」を通って「霊的な心」に流れ込む(→霊力の通風孔を大きくする:2121⑤~⑥参照)。その結果、本人の霊性も高まっていく(→流れ込む霊的エネルギーの質が高まり分量も増えていく)。このように霊性の向上には利他的行為が大きく寄与している。

ここから多くの霊的エネルギーを自らの中に呼び込む為には、自分を経由して他者により多く“流す行為”が必要となる。自らが通路(=パイプ)となって流れて来た霊的エネルギーを、利他的行為によって「私から他者」へ移動させることである。

 

B、霊的エネルギーの流入と霊的成長

霊的エネルギーの流入と霊的成長は密接に関係している。霊的成長のキーワードは「人のために自分を役立てる」ことである。人のためを思って何らかの利他的行為を行うことは、霊的宇宙に遍満している霊的エネルギーを物的レベルに変換して、自分を経由して他者に流すことに他ならないからである。

個々人の利他的行為(→霊的エネルギーを相手に流す「水平方向のルート」のこと)と、霊性の向上に向けた修養と節制の努力の積み重ね(→霊性レベルの向上により自らの中に質の高い多くの霊的エネルギーが流れ込む「垂直方向のルート」のこと)、この両者の組み合わせによって、物的な地上世界(=物的地球)に絶対的に不足している霊的エネルギーは次第に分量を増やしていくことになる。

ここに修養的な生活と、利他的行為を基本に据えた生活(997④参照)が推奨される理由がある。その結果「物質レベルの人間社会」(=物的地球)の霊的レベルは一段と向上して、人間の行為の基調が「利己的から利他的へ」と代わり、その結果「唯物主義と利己主義の二つのガン」(1巻101⑫~⑭参照)は徐々に駆除されてゆく。

 

③二種類の利他的行為

ア、利他的行為(奉仕)は霊の通貨

A、最も必要としている行為

シルバーバーチは「人の為に役立つことが霊の通貨」(350⑮~51①参照)とか「無私の善行は霊の通貨」(295⑮参照)であると述べる。このように他者のために役立とうとする利他的行為を「霊の通貨」に例えている。

霊的宇宙に遍満している霊的エネルギーが「物質レベルの人間社会」(=物的地球)の隅々まで流れて行くには、人が通路となって他者に流す利他的行為が必要である。この利他的行為はシルバーバーチの教えの中心テーマの一つとなっている(224②、136⑥参照)。物的地球(=地上世界)がいま最も必要としている行為は利他的行為だからである(259③参照)。

 

B、専門性を持った行為から労務提供型まで

利他的行為にはその性質に応じて、より専門性を持った行為から、誰でも行える一種の労務提供型の行為まで幅広く存在する。

専門性を持った利他的行為には、自分の経験や体験を人の為に生かしていく形の利他的行為(→カウンセリングや現在行っている仕事の延長線上の行為)などがあり、それにはさまざまな分野がある。

 

C、原則と特則

シルバーバーチは利他的行為には二種類(→利他的行為の原則と特則)あるとして、次のように述べている。「真理を普及すること(→特則のこと)のみが、人のための仕事ではありません。他にも色々あります。貧困に喘いでいる人々への物質的援助もそうです。病に苦しむ人々の苦痛を取り除いてあげることもそうです。不正と横暴を相手に闘うこともそうです。憎しみ合いの禍根を断ち、人間的煩悩を排除して、内奥の霊性に神の意図されたとおりに発現するチャンスを与えてあげる仕事もそうです」(4111⑫~112②参照)。

このように利他的行為の“原則の仕事”は幅広くあることを例示して見せた。

 

イ、利他的行為の原則と特則

A、原則:人の為になる行為なら何でも良い

シルバーバーチは宗教の基本は「いつどこにいても人のために自分を役立てること」であり、「奉仕こそ霊の通貨」(757⑦~⑧参照)であると述べている。これは信仰者の最大の関心事である“神に対する奉仕”は、見方を変えれば神の子である地上の同胞に奉仕することであるから(語る83⑮、最後啓示61⑤~⑥参照)。

このようにまずは自分が出来ることから、人の為に役立つ何らかの利他的行為を行いなさいということ。これが原則だから。

 

B、特則:霊的真理の普及をしなさい

スピリチュアリズムという霊的思想(11175⑬参照)を普及する行為は、人間の生き方や社会の在り方を根本的に変える利他的行為である(→意識の変革運動だから)。この行為は一般的な利他的行為に対して、より専門性を持った利他的行為にあたる。上記Aの原則(人の為になる行為なら何でも良い)の特則になる。

霊的知識を学んだスピリチュアリストは、いわばその道の“スペシャリスト”なので上記Aのような一般的な利他的行為に留まらず、専門性を生かした行為も出来る。利他的行為の選択の幅が広がることになる。

 

ウ、たとえ(ボランティアを行う医師の行為)

利他的行為の原則と特則の関係は、休暇を取って地震の被災地で“瓦礫の片付け”などのボランティア活動する、医師の行為を例にして考えて見れば良く分かる。医師は休暇を取って被災地に入る。被災地で「医療行為が求められていない“平時の時”」は、その医師の利他的行為は何ら問題ない。しかしその被災地において「医療行為が求められている“非常時”」においては、ケースによって問題が発生する場合がある。

例えば医師が“非常時”に於いて、なおも“瓦礫の片付け”にこだわり、それを優先して行い続ける場合には「道義上の責任」が生じる。なぜなら医療行為は医師でなければできない行為であり、職業倫理上も自ら率先して医療行為に携わることが求められるからである。

このように代替可能な“瓦礫の片づけ行為”(→労務提供型の利他的行為)と、一身専属的な“緊急医療行為”(→余人を以って替えがたい専門性を持った利他的行為)とを同列に並べて、自分の好みで前者を選択することはケースによって許されない場合がある。

 

3、霊優位の生活

①「霊が主・モノが従」という意識

A、霊が主でありモノは従

人間は霊的存在であるので霊が主体であり肉体は霊の従属物、死によって霊が去れば肉体は朽ち果てる(1132⑬~⑭参照)。肉体は“本来の私という意識(=霊的な心)”が地上で自我を表現する為にまとう“衣装(=潜水具)”である。

あの世では物的要素が強い「幽界の下層界」(→幽界の下層界とは、意識の指向性が未だにモノに向いている霊や、“霊的牢獄”に捕らわれた霊が住む世界)を除いては、あの世はモノが支配する世界ではないので(→あの世とは、意識や精神と言った思念が形体や環境を作る世界のこと)、当然に「霊(意識、精神)は物質に優る」感覚を実感として感じる。

あの世では“憎しみを抱くと姿が醜くなる”という具合に、この世とは異なって「精神や意識が形体の支配者」の世界である。マイヤース霊は「(あの世では)精神の支配力が飛躍的に増大し、霊的ないしは精神的な意味での苦痛を覚えることはあっても、地上的ないしは肉体的な意味での痛みを覚えることはない。つまり形態が精神の支配者となる事はない」(永遠の大道67⑩~⑬参照)からと述べる。

 

B、本能に起因する意識

物質の世界に住む私たちは肉体をまとって生活しているため、多くの時間、意識(→顕在意識のこと)は物質の支配下に置かれている。例えば体調が悪ければ気持ちはブルー、空腹になればイライラするなど、私たちの意識は四六時中モノに支配された状態となっている。特に女性は生理を体験(→生理というモノに意識が支配される感覚を体験)しているので、この問題は、如実に感じられると思う。酒やギャンブルなど依存症の根治は「モノが主、意識が従」の生き方を(→事あるごとに酒やギャンブルなどに逃げようとする生き方を断固たる意志の力で)変える必要がある。

地上世界で生活する為には肉体をまとう。まとうことによって本能に起因する意識(→肉体を維持し保全しようとする本能意識)と、自己顕示欲・物欲・名誉欲等と言った本能から派生する意識とが、脳を通して形成される顕在意識に強い影響を及ぼしてくる。

そのため易きに流れる“煩悩に満ちた快楽重視の生活”になってしまう。余程“修養的な生き方”に徹する覚悟がなければ、モノに支配された“安易な生き方”に流されてしまう。顕在意識に上がってくる霊的意識の割合は限りなく低くなる。

 

C、民芸品「起き上がり小法師」の例え

本来の「霊が主・モノが従」の意識状態を「起き上がり小法師(→重心が低い位置にある人形)」を使って説明してみる。

台の上に「起き上がり小法師」を置く。この状態が「モノが優位、それに霊が従属する意識状態」であり、この世的には最も安定した通常の意識状態となる。その状態から「起き上がり小法師」を傾けた状態にする。これが「霊が優位、それにモノが従属する意識状態」となる。この世的には異常な意識状態となるため、気を抜くと元の安定した状態に戻ってしまう。霊的知識を「生き方の中に活かす」とは、傾けた状態を絶えず意識するようにして、この時間を長くしていくことを指す。

 

②霊的摂理を実生活に応用した生き方

ア、知識であるが故に多様な使われ方がされている

「スピリチュアリズム(思想)の本質は宗教性にある」(続霊訓77⑩参照)が、単にスピリチュアリズムと言う場合は「大自然の法則のこと」(948⑥参照)を指しているに過ぎない。いわばスピリチュアリズムは名称や霊的な知識を表現している言葉に過ぎない(1176②~③、7175⑧参照)。

このように単なる「名称、知識」であるが故に、スピリチュアリズムという言葉を用いる人の考え方如何によっては、それを「商売の手段」としても、また知識として「引き出しに仕舞い込む」こともできる。

 

イ、知識を実生活の場で実践する

人はなぜスピリチュアリズム(→思想、知識)を学ぼうとするのか、その背景を見れば何らかの世俗的な事情を抱えた人から、学びを通して自分自身を変えたいと願う人まで、そこにはその人なりの“何らかの動機”が存在している。

私たちは『シルバーバーチの霊訓』を通して霊的知識を学んでいるが、その知識は実生活の場で実践して初めて理解したことになる(163⑩~⑪参照)。シルバーバーチは「知っているということと、それを応用することとは別問題です。知識は実生活に活用しなくてはなりません」(342⑪~⑫参照)と述べる。その理由は人の霊性レベルの判断指標は日常の行為にあるから(9117⑭~118③参照)。霊的知識を知っているということと、知識を実生活に応用ができると言うことは別問題だから。

このように学んだ霊的知識を実生活に活用することがスピリチュアリズムを学ぶ者の目標となっている(341⑭~42③参照)。

 

ウ、知識と責任の関係

学んだ霊的知識を日常生活でどのように活用するかはその人自身の責任となる(1142⑬参照)。

知識と責任との関係につき、シルバーバーチは次のように述べている。「知識に大きな責任が伴う。知っていながら罪を犯す人は、知らずに犯す人より重い責任を取らされる。その行為がいけないことであることを知っているということが罪を増幅する」(→この世でも刑法の量刑に表れる)。また「知識の受容力を増したことはそれだけ大きい責任を負う能力を身に付けたこと」(到来218①~④参照)などと述べている。

 

③霊優位の修養的な生活(最初の一歩は自己修養から)

霊的知識を学んでそれを日常生活に応用するためには「霊の優位性の自覚に基づく修養的生活」(福音243⑩参照)が求められる。なぜならその人の霊性レベルの判断指標は日常の行為にあるから(9117⑭~118③参照)。自己修養が出来ていない人は他人を正しい道に導くことは出来ないので、変革の第一歩は自己修養からとなる。まずは自分が変わることから始める。

シルバーバーチは「精神的にも霊的にも自己を厳しく修養し、生活の全ての側面を折り目正しく規制し、自分は本来霊であるという意識」(福音243⑦~⑧参照)を持った、「霊の優位性の自覚に基づく修養的生活」(福音243⑩参照)が最高の生き方と述べている。その目標に向けた努力の過程が「魂の成長(→“本来の私という意識”に内在している“神の分霊”が意識の領域に顕在化していくこと)」をもたらしてくれるから。

 

④なぜ困難・障害・病気があるのか

ア、魂の磨き粉

人間の本来の姿はなんらかの荷を背負い、困難と取り組みながら何かを学び取って霊性を向上させる、それが地上人生の本来の姿である(152⑨参照)。なぜなら人間は、困難、苦労、悲しみ、痛みなどを体験して、それらが魂の琴線に触れることによって、初めて自我に目覚めて霊的真理を受け入れる素地が出来上がるから(164②、3130⑨参照)。

それらの体験は、受容性に富む魂を作り出すための“魂の磨き粉”の役割を担っている(769⑧~⑩、3213⑨参照)。ただし苦しみさえすれば自動的に人間性が磨かれる、というわけではない。その苦しみが人生を別の視点から見つめさせるきっかけとなって、結果的に人間性を磨くことに繋がるということである(8138⑥、140⑧~⑩参照)。

 

イ、新しい意味付け

シルバーバーチは「地球は宇宙の惑星の中でも最も進化の程度の低い部類に属する」(11177⑭~⑮参照)と述べている。戦争が絶えず貧困がはびこる地上世界(=物的地球)は、物質臭が強く貪欲や利己主義で満ちていることから見ても、地球人の霊性レベルは限りなく低い。なぜなら環境と霊性レベル(=意識レベル)は一致するから。

このように地上人類の霊性レベルの低さ故に“魂の磨き粉の粒子”はそれなりに粗い。いわば重い病気や重大事故と言った“目の粗い磨き粉”を使って体を洗っているようなもの、汚れは落ちるが当然に体は痛い。そこまでしないと地球人の霊性が目覚めないから。

この世的には「困難や障害はできるだけ避けるべき」として、面倒なことが生じないことを願って生活している人は多い。これに対してシルバーバーチは「人間の進むべき方向を示し、その道中に生ずる困難を避けるのではなく、それと取り組み、それを自らの手で克服して行く為の心構え」(3巻1⑫~2①参照)を説いている。

人々から忌避されてきた「困難や障害に魂の磨き粉という役割」を持たせて、新しい意味付けを行った。霊的成長には従来から宗教や修養の世界では普通に説かれてきた「修養と節制の生活」、これに「刻苦と苦難(魂の磨き粉)」この双方が必要になると述べた(997④~⑤参照)。

 

⑤動機と道義心の問題

ア、混在社会における善悪の判断基準

A、万人に共通した基準は存在しない

人間は肉体をまとった霊である。霊的成長レベルの多様な霊が、共通の肉体を身にまとって生活している地上世界には、万人に共通した“善悪の判断基準(=出来合いの尺度)”は存在し得ない(5217⑪~⑫参照)。

なぜなら“出来合いの尺度”によって善悪(正誤)を判断すれば、霊的成長の低い人には厳しくなり霊的成長の高い人には緩いものとなってしまうから。そのためその霊が到達した霊性レベルから判断する必要が出てくる(5218⑥参照)。

 

B、動機と道義心

シルバーバーチは常に「動機は何か」を問題にする。「その動機が問題です。いかなる問題を考察するに際しても、真っ先に考慮すべきことは“それは霊にとっていかなる影響をもつか”ということです」(6121②~③参照)と述べる。さらに善悪の判断基準を「判定装置(=道義心)」に求めている(760⑪~61⑥参照)。

言い換えれば人の思考や行為の根本に存在する原動力(=動機)を、道義心でチェックするという図式になる。当該動機が道義心から見て是認できるか否かという観点から見る。

 

イ、道義心

自分の行為や人の行為を評価する際には、最初に「行為の背後にある動機は何か」を問題にする。次にその動機は道義心に適っているかを問うことになる。

シルバーバーチは道義心を「霊的自我(→霊的な心・本来の私という意識)の中に絶対に誤ることのない判定装置(=神の分霊)が組み込まれている」(1294①~②参照)と述べる。霊的自我のレベルが高い霊(→“本来の私という意識”に“神の分霊”の顕現の度合いが高い霊)は霊的意識レベルも高いので、道義心を「行為時の霊的意識レベル」と言いかえることもできる。

つまり「〇〇のためという動機で行った行為」につき、それまでに到達した霊的意識レベルを指標として“動機の純粋性”をチェックすれば良いことになる。

 

ウ、行為の評価

<未熟さ故に許される行為>

例えば施しをする際に本来であれば相手にモノを手渡すべきところ、放り投げて与えたとする(→その行為当時、自分は立派なことをしたと思っている。動機は道義心に適っているから)。その後本人の霊性レベル(=意識レベル)が向上したことにより、行為当時には気が付かなかった“自らの中にある傲慢さ”に気付いて良心の呵責を覚える。

これはその人(霊)の行為は霊性レベルが上がることによって、その都度“新しい尺度(=道義心)”で評価を受ける可能性があるという事である。

未熟さ故に許されてきた「食べ物を放り投げて渡していた行為」は、霊性レベルが一段階高まるとそのレベルから判断し直されて、行為時とは異なった切り口から再評価なされることも有り得る。過去の行為に何らかの責任を取りたいとの気持ちが湧いてくる場合も有り得る(→子供時代は許されていた行為も大人になれば許されないということ)。

 

<保留中の行為の評価>

判断が保留されていた行為は(→“休眠状態”にあった行為の因果律)、霊性レベルが一段と向上することを停止条件(注)として、そのレベルに行為者の意識が到達すると因果律は動きだして、良心の呵責を覚えるようになる。

その後さらに霊性レベルがアップすれば、そのレベルに見合った別の“凍結中(=休眠状態・保留状態)”であった因果律が深い意識の底から浮かび上がってくる。このようにして霊的進化の階段を上ることによって、意識の中にある己の未熟さを一つ一つ“クリア”して、純粋さを増しながら進化の階段を一段一段と登っていく。

 

<注>停止条件とは停止状態に置かれていたある事柄が、霊性が一定レベルに達することで初めて効力が発生することを言う。凍結状態(→行為当時、判断を一時保留)にあった因果律が、条件が成就することにより解凍し動き出すこと。

 

⑥取り越し苦労、心配性がもたらす影響

ア、霊的エネルギーの循環

宇宙に遍満している霊的エネルギーは、自我の本体(=霊的な心・本来の私という意識)にある「魂の窓」(2124⑨、3117⑪参照)から取り込まれて、その人の「霊的要素(→霊的な心、霊体)」を活性化して、接合体やエーテル複体などの名称のある「半物質」を経由して「物的要素(→物的な心、各種臓器)」へと、各部位を活性化させながら流れて行く。

さらにその人の利他的行為によって「他者(人間、動植物等)」に流れて行く。霊的エネルギーは人間を通路として他者に働きかけるものだから(332⑬、590⑪~⑬参照)。このように自己を起点とした霊的エネルギーの循環ルートが出来上がる。その人の霊性が高ければ質の良い霊力が大量に流入して、これが他者へと流れ込んでいく。

 

イ、通路を塞ぐ阻害要因、一つ目のタイプ

この世には“霊的エネルギー(生命力)”の通路を塞ぐ阻害要因を持った人、いわゆる「霊的な動脈硬化の要因」を持った人は数多く存在する。最も一般的な阻害要因としては、「霊性の低さ」と「ネガティブ思考」の二つがある。

一つ目は「霊性が低いタイプ」である。このタイプには霊性の未熟さの表れである「残忍性や野蛮性」が意識の中に深く根付いている者、さらには異常なまでの物欲や度を越した利己性の持主などがいる。

 

ウ、通路を塞ぐ阻害要因、二つ目のタイプ

二つ目は「度を越したネガティブ思考のタイプ」である。このタイプには(度を越した)心配性の人や取越し苦労性の人などがいる(4172⑧、1147⑩~⑫参照)。このような人は「霊的エネルギーの通路(→半物質状の接合体から脳や各種臓器へ繋がる通路)」を自ら塞いでしまうことになる。いわゆる「霊的な動脈硬化」の要因を持った人と言える。

この要因を持った人が「過労・ストレス・不規則な生活など」によって、本来“脳や物的身体の各部位”に流れるはずの霊的エネルギー(=霊的生命力)が、通路が塞がれたことによって流れずに枯渇して不調和状態となってしまう。その結果、精神的な病気や肉体の病気を発症することがある。

なぜなら健康とは「身体(=肉体)と精神(=地上的自我意識)と霊(=本来の私という意識)の三者の関係」が調和状態にあること(1127⑫参照)、病気とはそれが不調和状態となることだから。

この「霊的な動脈硬化の要因」を持った人が、必要以上に心配事で悩んだり、取り越し苦労によって心を奪われたりすると、本人の周りに霧のような障壁が立ち込めてしまい、援助しようとする霊界人の接近を阻んでしまう。さらに「恐怖心、信念の欠如、懐疑の念」などによって、霊力が働く通路を自ら塞いでしまうことになる(163③~④、73①~②参照)。

シルバーバーチは「あなたが悩みを抱くと、霊と身体との間の水門が閉ざされ(→半物質状の接合体から脳や各種臓器へ繋がる通路のこと)、身体は生命力の補給路を失うことになる」(949②~③参照)と述べている。

これに対して本人に霊的知識に裏打ちされた「静かで穏やかな確信があるとき」は、通路が開かれているため受容性は高く、霊力はその本来の働きをする。

 

エ、回復する手段

霊的な動脈硬化の要因の一つである“ネガティブ思考の持ち主”が、霊的エネルギーの循環を正常に回復する手段として知られているのが、「瞑想(→肉体や精神に障害がある場合は避ける)」と「笑い・微笑みの効用(→肉体や精神に障害があっても有効)」である。

私たちは物質世界で生活している以上は、悩みや取り越し苦労と無縁ではいられないので、目標を少しずつ高めていく中で自己改善を図るのが現実的であろう。最初は「必要以上に悩むことからの脱却」を目標に置き、それが可能になれば徐々に目標を高めていく方法をとる。最初から実現不可能な目標を設定しても意味がないから。

 

4、地球人が目指す「地上天国」という世界

ア、霊的知識を日常生活に活かしていく

 

シルバーバーチが述べる「霊性の向上・進化」(→上記イラスト「ABCDE」へと進むこと)とは、本来の私という意識(=霊的な心、自我の本体)に潜在している“神の分霊”を意識の領域に顕在化させていく“意識の進化”のことであり、形体に具わっているサイキック能力の開発ではない。

シルバーバーチは「霊的知識に沿った生き方」や「霊性の向上」が最も大切であると述べている。霊訓には「獲得した知識は着実に実生活に生かしていくように心掛ける」(226⑤参照)などの記述がある。

なお「霊性の向上」を目指す為には、獲得した霊的知識を「生き方の指針」に据えて、自らの日常生活を変えていく「意識の変革」が必要となる。なぜなら「死の先にも人生は続く」という“事実”の理解が広まって行けば、その後の人生観が大きく変化して行くから。

 

イ、個々人が変われば社会も変わる

人々の間にスピリチュアリズムの本質的な理解が広がり、霊的知識を「自らの生き方の指針」にする人たちが数多く出現して行けば、その社会の構成員の意識に変化が生じて“社会の慣習や制度”は質的な転換を迫られることになる。

現在のスピリチュアリズム・ブームが、表層的な「世俗的・現象的なスピリチュアリズム」から、より本質的な「生き方の指針としてのスピリチュアリズム(質の高い高等なスピリチュアリズム、Higher Spiritualism)」に移行していけば、人々の意識に大きな変革が起こって、唯物主義を基調とした社会制度は徐々に変わっていくことになる。

欧米人には「救世主待望論」を主張する人が多いが、社会全体の意識レベルの向上は個々人の意識の変革が積み重なって少しずつ向上して行くもの。一人の救世主が現れて、一夜明ければ地球の霊性が他力的に向上していた、社会が変わっていたというものではない。社会の意識を変える運動は時間のかかる最も困難な「社会変革運動」である。それ故に「スピリチュアリズム普及運動」も焦りは禁物、往々にして焦りは運動を過激にしていくから。

 

ウ、二方面からのアプローチが必要

A、地上世界の取り組み

個々人による各方面での利他的行為によって、地上世界(物的世界)に絶対的に不足している霊的エネルギーはその分量を増して行く。

数多い利他的行為の中でも「人の生き方を変える力・人生観を変えてしまう力」がある霊的知識の普及は、地上世界を蝕む“ガン(→際限なき貪欲や利己主義、唯物主義など)”を駆除する際に最も有効な働きをする。霊的知識を普及させて「地上世界を浄化していくこと」が喫緊の課題となっている。

 

B、幽界の下層界の取り組み

それには地上世界の浄化と同時並行的に、幽界の下層界の浄化が必要となってくる。「スピリチュアリズムの普及運動」は幽界の下層にいる霊に対して「霊的自覚(→霊として何を為すべきかの自覚)」を持たせる運動という側面もある。

これは地上の親和性ある人間に対して「教唆(→けしかけること)や幇助(→霊の世界からの手助け)」と言った形で、利己的な行為を助長する低級霊に対して「霊的自覚」を持たせる為の取り組みと言った活動が幽界では行われている。現在進行中の「スピリチュアリズム普及運動」は、霊界主導による顕幽両界にまたがる壮大な運動である。

 

エ、「地上天国(新しい世界)」の建設

地球を争いが絶えない地獄のような世界にするか、地球に霊的知識をベースにした「地上天国」を建設するかは、自由意志を持った人間次第である。

宇宙の中で地球の果たす役割に変更がなければ「地上天国」が建設されたとしても、地上世界が「学校」であることに変わりはない。「学校」である以上は何らかの霊性向上の為の“魂の磨き粉”は存在する。ただし「霊性の向上」に応じて“磨き粉”の粒子は細かくなるが。

例えを使って表現すれば、物質性が格段に強く霊性が低い現在の地球では、“軽石”に石鹸をつけて洗っているようなものである。当然に身体は痛い(→磨き粉の粒子は物質性の濃さに比例して大きくなる。その結果、重大事故や重い病気などを体験することによって目覚めるケースが多い)。霊性レベルの高まりによって物質性が希薄な「地上天国」になると、“絹のタオル”に石鹸をつけて洗うような感覚となって、身体が受けるダメージは格段に軽減する(→軽微な事故や体調不良などによって目覚める)。

このような「地上天国」とは、困難や苦難が無く、願望が何でも叶う世界のことではない。依然として地上世界でしか償えないカルマの解消の場として、また更なる霊性の向上を目指すための「学校」として地球は存在する。無くなるのは無用の悲劇・残虐行為・飢餓などの「社会制度に起因する無用な悲劇」である(道しるべ217③~⑨参照)。願望が何でも叶う世界とは、幽界の下層界にある“地上時代の記憶の再現や補完”に過ぎない「極楽・天国のようなエリア、楽しい思い出が再現されたエリア」のことである。

「地上天国」の住人は霊的進化が最重要目標となっているため、当然に「霊的知識を日常生活に活かす生き方」を行っている。さらにまとう肉体からは霊性の向上に応じて、「愛・寛容さ・叡智・親切・優しさ・思いやりの心など」の“神の属性(完全性)”がオーラという形で外部に滲み出ている。遠い未来の地球の姿の記述が『ベールの彼方の生活』にある。それによれば「人間は地球上でさほどせわしく東奔西走している様子は見られない・・・内省的生活の占める割合が増えている」(彼方4270⑪~⑯参照)という。

 

5、講座に寄せられた質問

①質問その1

<質問>「認知症は発症してから徐々に自我と記憶が崩壊して行く病です。患者自身が過去を振り返ったり今後の生き方を考えたりすることは不可能です。家族を含めてカルマとして諦めるしかないのでしょうか。カルマの問題ならばなぜ増えているのでしょうか」

<回答>

若年性認知症と高齢者の認知症とを分けて考えた方が良いと思います。高齢者の認知症には、一般に言われている様に「肉体の衰えに対する戸惑の軽減や、死に対する恐怖感の軽減」という側面が有ると思います。

人は高齢になればなるほど、“生命力の通路”であるシルバーコードは徐々にやせ細って行きます。その結果十分な量の生命力が、脳や各臓器に流れて行かずに機能は低下します。定評ある「マイヤースの通信」には次のような記載があります。老齢による物忘れや、理解力の衰えなど脳の機能の低下の問題は、「二本の太いシルバーコードのうちの、脳とつながった一本がすり減ってきて、最悪の場合はプッツリと切れてしまい、魂(→地上的自我意識)が日中の覚醒時にもダブル(→中間物質の接合体)の中へ引っ込んで脳との連絡が取れなくなってしまっている。もう一本の太陽神経叢とつながっているコードと、他の何本かの細いコードが繋がっているために身体上の機能だけは維持されている。一見すると痴呆的な症状を見せていても、その魂は少しも惚けていない。脳の機能との連絡が衰えているだけ」(永遠の大道126⑭~127④参照)とあります。

また物質である臓器には「経年劣化や耐用年数の問題」があります(→臓器の耐用年数は各自で異なる。長寿者の臓器は特別に丈夫に作られている)。各自に於ける長年の生活習慣や携わった職種、職場環境などによっても、臓器の劣化のスピードは違ってきます。劣化が進んだ臓器から順番に不具合(→認知症を含む各種病気)が生じて来ます。多くの高齢者は“肉体の劣化(病気など)”と上手に折り合いを付けながら、死を迎える為の“心の準備”を行っています。

さらに本人の長年に亘る「生き方の問題」もあります。霊的法則に「思念が環境(形体)を作る」があります。この法則は唯物論的な死生観が蔓延している“この世”にも当てはまります。このように高齢者の認知症の中には、本人の“意識の在り方”に沿った形で、形体を自ら作っている側面もあると思われます。近年の寿命の延びと並行して、認知症を含む何らかの病気を持つ高齢者の割合は、年々増加傾向にあります。

医学上は若年性認知症と高齢者の認知症との違いはないと言われています。若年性認知症の場合も高齢者の認知症と同様に、生命力が流れる通路の「シルバーコードに問題があるケース」や、本人が長年に亘って培ってきた「生き方に問題があるケース」も有ると思います。さらには「身体や精神的レベル」で何らかの摂理違反行為を繰り返し行った結果として(→職種や職場環境に問題がある場合も多い)、本人に認知症の症状が表れるケースもあると思います。しかし「カルマの問題」は世間で言われるほど多くは無いと思います。

 

②質問その2

<質問1>「瞑想と精神統一という言葉についての違い」

<質問2>「シルバーバーチは瞑想や精神統一について解説しているのでしょうか。もしやり方や効能について語っているなら教えて頂きたい」

<質問1に対する回答>

『シルバーバーチの霊訓』では「瞑想」は「精神統一」と同じ意味で使われています。なお「精神統一」とは、数多くある「瞑想法」の一つの形態のことです。翻訳者の近藤千雄氏は神道の影響を強く受けた方なので、シルバーバーチが述べる「瞑想」に「精神統一」という言葉を使って訳しております。

日本には数多くの瞑想法が紹介されております。最もポピュラーな瞑想法には「精神統一」や「座禅」や「古神道の鎮魂法」などがあり、昔からよく知られております。この他に近年では「ヨーガの瞑想法」や「タントラヨガの瞑想法(TM瞑想)」や「イメージ瞑想法」なども紹介されており、まさに百花繚乱の状態です。

さらにスムーズに精神統一(瞑想)に入る為の準備や手段として、読経や念仏を唱える(→精神統一に入る準備として祝詞を読上げるなど)、呼吸法(→精神統一に入る準備として、意識的に大きく腹式呼吸を数回繰り返してから自然な呼吸で統一に入るなど)、滝業・水行やヨーガの運動法(→精神統一に入るために、体のコンディションを整える)などがあります。これらを精神統一の前段階の準備として取り入れることによって、意識の切り替えをスムーズに行うことが出来ます。

 

<質問2に対する回答>

精神統一が目指すところは「脳の働きを鎮め、潜在的な個性を発現させて本来の生命力との調和を促進しようとするもの」(1155⑦参照)です。このように精神統一には「潜在力が目を覚ます機会を与えるという効用」があります。―①

またシルバーバーチは「精神統一をなさることです。時には煩雑なこの世の喧騒を離れて魂の静寂の中にお入りなさることです」「静かで受身的で受容性のある心の状態こそ霊にとって最も近づき易い時です。静寂のときこそ背後霊が働きかける絶好機なのです」「片時も静寂を知らぬ魂は騒音のラッシュの中に置かれており、それが背後霊との通信を妨げ、近づくことを不可能にします」「少しの間でいいのです。精神を静かに統一するように工夫することです」「背後霊のオーラとあなたのオーラとが融合する機会が多いほど、それだけ高度なインスピレーションが入ってきます」(218⑨~⑮参照)として、精神統一の重要さを述べています。―②

このように精神統一には「①潜在力が目を覚ます機会を与える効用」と、精神統一を続けていると次第に「②霊界からのインスピレーションを受けやすい体質へと変化」していく効用とがあります。シルバーバーチは精神統一には「①と②」のような効果があると述べています。

 

6、「連続講座」を終えるに際して

ア、講座の経緯

私は2018年2月に日本心霊科学協会の「公開月例講演会」で「シルバーバーチの霊訓のポイントの解説」を行った。

講演会の終了後に「スピリチュアリズムの全体を網羅した講座があれば良いのだが」という感想を頂いた。その声に応える形で日本心霊科学協会主催による「シルバーバーチの霊訓、連続講座」が、翌年(2019年)から今年(2024年)まで毎年開催された(→但し2020年はコロナ禍によって途中で中断となり、2021年からはオンライン受講が始まった)。

 

イ、シルバーバーチの説くスピリチュアリズムとは?

シルバーバーチが説くスピリチュアリズムとは、単なる「心霊現象の研究」や「死者の霊を呼び出す交霊会」のことではない。高級霊から霊界通信によってもたらされた霊的知識を日常生活に活かして、自分の生き方を変えていく「実践哲学」のこと。別の表現で言えば「生き方としてのスピリチュアリズム」や「意識の変革(人生観の変化を促す)を目指すスピリチュアリズム」のことになる。

なお「実践哲学」とは、日常の生活面での指針を授ける哲学、実践を理論の根底に置く哲学で、道徳論や倫理学のこと(→質の高い高等なスピリチュアリズム:Higher Spiritualismのこと)。

 

ウ、一般の「修養団体・倫理団体」との違い

スピリチュアリズムの普及運動とは、霊界主導による「顕幽両界にわたる意識の変革運動」のことであり、全体を霊界の高級霊が主導している。普及運動はこの世に様々な影響を及ぼしている幽界の下層界の浄化と、地上の浄化の両面で同時並行的に行われている。霊界主導で顕幽両界に亘る運動という点が、主としてこの世だけを対象とする一般の「修養団体・倫理団体」との相違点となっている。

スピリチュアリズムを学んで「あの世がある」「死んでも“私”は生きている」という事実を理解したなら、その知識が「今、この世をどのように生きたら良いか」を考えるきっかけとなる。その結果「自分の生き方」を見直して行こうとする意欲が湧いてくる。

シルバーバーチは『霊訓』の中で、私たち人間は「霊的に成長するという目的」を持って地上に生まれてきたこと(→再生には個別霊としてカルマの解消を図る側面と、新たな地上体験を積んで類魂全体で霊的成長を図る側面の二面がある)、さらに「物事を霊的視点に立って見る」こと、このような点を学ぶことが大切であると述べている。

 

エ、「連続講座」閉校の辞

2024年の「シルバーバーチの霊訓、連続講座」は、過去に行った講演や講座の中から参加者の関心の高かったテーマを二点選んで(→心霊治療と霊的成長)、連続講座の「まとめ」として開催しました。

7年間(2018年~2024年)の長きに亘って、日本心霊科学協会で公開月例講演会や連続講座という形で「シルバーバーチの霊訓」を取り上げて頂きました。またこの間「勉強会の場所」や、協会の「インターネット環境(2021年以降)」を利用させて頂きました。有難うございます。今回で終了です。

この期間に於ける日本心霊科学協会と瀬尾理事長、さらには事務局の皆様方、毎回受付や会場の掃除などの裏方をして頂いた方々のご尽力に感謝いたします。

 

第1講、心霊治療(心霊医療)(2024年4月7日)

<目次>

1、基本的な事項

・基本点のまとめ

・スピリチュアリズムの人体観

・シルバーコード

・シルバーバーチの健康観・病気観

2、心霊治療の概略

・心霊治療の目的

・三種類の心霊治療

・心霊治療の種類

3、心霊治療の背景

・心霊治療のメカニズム

・治療エネルギー

・心霊治療家側の問題

・患者側の問題

4、講座に寄せられた質問

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

1、基本的な事項

①基本点のまとめ

ア、心霊治療とは

心霊治療には次の二つのパターンがある。

、治療家の身体(肉体、霊体)に存在するエネルギーを使って病を癒す治療法。

、霊界のスピリット(霊医)が扱う治療エネルギーを、治療家の霊体を通すことによって純度を落として、それを患者に注入して病気を治す治療法(→治療エネルギーは治療家の体を通過することによって中間物質に転化する:最後啓示190⑦参照)。

 

イ、心霊治療(スピリット・ヒーリング)出現の背景

スピリチュアリズムの勃興期、霊界側は従来の自然法則では説明ができない現象を「物理的心霊現象」という形で出現させて、著名な科学者(→ウィリアム・クルックス、シャルル・リシェ、オリバー・ロッジなど)を巻き込んで「霊的実在の証明」を行おうとした。

 

<「反スピリチュアリズム陣営」からの猛攻>

霊魂説(死後個性の存続、顕幽の交流)の証明を目的としたスピリチュアリズムの普及運動は、一貫して「詐術の嫌疑との闘いの連続」(新啓示42⑭参照)であった。例えばスピリチュアリズムの普及を快く思わぬ「低級霊の策動」に影響された霊媒の“いかさま”による物理的心霊実験会の出現。さらには奇術師側からの心霊現象に対する攻撃として「メンタル・マジック」の登場(松田道弘著『トリックスター列伝』東京堂出版290⑪~291④参照)などがあった。なおメンタル・マジックとは、透視、読心、予言、浮遊、念動などの超能力を奇術師の演出で行うマジックをいう。

 

<古典物理学の破綻>

20世紀に入り相対性理論や量子力学などの登場により、従来までのニュートン力学やマクスウェルの電磁気学などを基礎とする物理学(古典物理学)の理論体系が破たんした。

 

上記のような事情によって、霊界から地上への働きかけにも当然に変化が生じて来た。1930年前後よりスピリチュアリズムの普及手段が、従来の物理的心霊現象から「心霊治療(sprit healing:スピリット・ヒーリング)」と「霊的教訓」に移行してきたのはその一つの表れであった(新啓示41⑬~⑭参照)。

治療師の生体エネルギー(肉体、霊体)を使った心霊治療は従来からあった(注1)。この心霊治療という形式を用いながら“中身(治療の質)”を高めてより洗練した形に作り変える。これを「霊的実在の証明」の手段として用いる方式が1930年前後から始まった。

 

<注1>

明治から大正期にかけて活躍した翻訳家の高橋五郎は、自身の著書『心霊万能論』(明治43年刊)の中で「スピリチュアル・ヒーリング」を「霊療」と訳した。松原皎月(まつばらこうげつ)は1935年に『心霊治療法』を刊行した。なお松原は昭和初期に活躍した最も著名な霊術家であり「洗心会」を主宰した。松原の『心霊治療法』には、治療師の生体エネルギーを使った治療法や遠隔治療などが紹介されている。

 

ウ、シルバーバーチ出現時期との関係

高級霊シルバーバーチがモーリス・バーバネル(Barbanell, Maurice 19021981)を霊媒にして活動を開始した時期と、心霊治療の普及時期はほぼ一致している。

心霊治療の目的及び「スピリチュアル・ヒーリング」のメカニズムの詳細は、シルバーバーチによって初めて明らかにされた。シルバーバーチの出現時期と心霊治療とは、次のような事柄からも密接に関連していることが分かる。

 

、シルバーバーチの交霊会で述べられた広範囲に及ぶ霊的教訓は、1932年に創刊された「サイキック・ニューズ」に掲載された。

、掲載された霊的教訓をまとめた書籍が1938年に刊行された。その『Teachings of Silver Birch(邦題:シルバーバーチの教え)』に心霊治療に関する詳細な記述があること。

1927年から始まった心霊治療(スピリット・ヒーリング)の開拓者WT・パリッシュ(Parish)や、1946年パリッシュ死去後、心霊治療に関して指導的地位に就いたハリー・エドワーズ(Edwards, Harry)の両名は、シルバーバーチの交霊会(ハンネン・スワッファー・ホームサークル)に招かれて心霊治療に関して詳細なレクチャーを受けた。その記述が潮文社版『シルバーバーチの霊訓4巻・6巻』に載っている。

、シルバーバーチからレクチャーを受けたエドワーズは、自著の中で心霊治療(スピリット・ヒーリング)のメカニズムを解説している。

 

②スピリチュアリズムの「人体観」

この世は「唯物論の世界」である。そのためこの世の科学や医学の人体観では可視の肉体だけを対象としている。但し近年では“心(=物的な心、精神)”の状態によって引き起こされる病気の心身症が注目されている。

スピリチュアリズムでは、肉体以外にバイブレーションの違いから人間の肉眼では見ることのできないもう一つの体である「霊体」の存在を明らかにしている。スピリチュアリズムによれば霊体と肉体という二つの異質な体が重なり合って、または霊体は肉体に浸透する形(→しばしば「スポンジと水」に例えられて説明されている)で人間の体は作られていると説明している。

霊体には「霊的な心」(本来の私という意識、自我の本体)が、肉体には「物的な心」(地上的自我意識)がある。顕在意識を通して形成された「物的な心」によって地上的人格(パーソナリティ)が作られる。

霊体と肉体は質的な差異が大きいため(→身体から発するバイブレーションの違いから)、両者は中間物質で出来た「接合体」(注2)によって結合されている。接合体は肉体とそっくりな形体をしており、この中に“チャクラ”と言われているエネルギーの流出口・流入口や、東洋医学でいう所の“経絡”(→エネルギーの通路)が存在する。一般の人はバイブレーションの違いから、接合体や霊体を見ることはできないが霊視能力者には見える。

このようにスピリチュアリズムでは「霊体と肉体は接合体によって重なり合う形で結合されている」という人体観を持つ。

 

<注2>

接合体を正確に言えば「高等な意識中枢(霊的な心)と脳(物的な心)との連絡の仕事を受け持つ精妙な組織」(個人的存在79⑥参照)という表現になる。

 

③シルバーコード

霊体と肉体は中間物質で出来た二本の太いシルバーコード(→額の部分と腹の部分にある)と、網目状に張り巡らされた細いシルバーコードによって繋がれている。スピリチュアリズムではこの二本の太いシルバーコードが切断された瞬間を以って死と呼んでいる(1050⑭、永遠の大道116②~③参照)。

肉体の各臓器はシルバーコードを通して“霊的エネルギー(生命力)”の供給を受けているが、切断によって流入経路が途切れてしまうと自壊作用によって土に帰る。

心霊現象の一つに幽体離脱がある。この場合には霊体と肉体はいまだシルバーコードによって結ばれている。幽体離脱中に起きる肉体の異変は、両者を繋ぐシルバーコードを通して瞬時に霊体に伝わる。両者は再び合体して肉体は物的バリアに包まれる。

このシルバーコードはどこまでも無限に伸びる性質を有している。臨死体験者の中には“銀色の紐”で繋がっていたと述べる者もいる。病床で「死の宣告」が為された場合であっても、依然として肉体と霊体がシルバーコードによって繋がっていれば“死者”は必ず生き返る。その間の体験が「臨死体験」談として語られている。

 

④シルバーバーチの健康観・病気観

ア、三者の関係

A、調和と不調和状態

シルバーバーチは「健康とは身体と精神と霊の三者の関係」が調和状態にあること(1127⑫、9171⑧参照)。病気とは、三者間の調和の欠如によって生命力(霊的エネルギー)の流れが阻害され、病的症状が出る状態であると述べる(2193⑬、9171⑦~⑪参照)。

 

B、身体、精神、霊

「身体」とは肉体のことであり、「本来の私という意識(自我の本体)」が地上で自我を表現する為にまとう「表現器官」のこと。

「精神(心)」は地上人生を歩む人間の「地上的な自我意識」のこと。意識には出自(→発生箇所)の違いによって、肉体を持つが故に発生する「肉体本能に起因する意識、及びそこから派生する意識:利己的に働く本能意識a」と、自我の本体である「霊的な心・本来の私という意識」から流れ込む「利他的に働く霊的意識b」がある。この出自が異なる「ab」の意識が物的脳で一つに統合されて顕在意識となる。この顕在意識によって作り出されたのが「精神(心)」で「地上的な自我意識(物的な心)」のこと。

三番目の「霊」(注3)とは“神の分霊”を内在させた「霊的な心・本来の私という意識(自我の本体)」のこと。“神の分霊”の「顕在化率」に応じて、個別霊の霊的レベルが決まる。

 

<注3>

「霊」という用語の意味は「神の分霊」とか、「一般的な霊」とか、「個別霊」などとして用いる場合がある。その「霊」が何れを指しているのかは、文脈から判断する事になる。

 

C、病気の原因

本来人間は「身体と精神と霊」の三者が調和状態(→この状態を健康と呼ぶ)でなければならないのだが、何らかの原因があって不調和状態になる、この状態を病気と呼んでいる。人間はさまざまな場面で「自由意志を濫用」して、それぞれのレベルに応じた摂理違反行為を日常的に行っている。

次のような霊的摂理に違反する行為を行うことによって「身体と精神と霊」とが不調和状態となり病が発生する。

 

<身体レベル>

病気の原因の中で最も多い。暴飲暴食や昼夜逆転の生活などが典型例。なお職種や労働環境面から発症リスクが高い職場がある。例えば長距離トラックの運転手で、長時間に及ぶ時間外労働が常態化している職場。仕事が多忙で連日深夜まで残業がある職場。会社の営業マンで連日の接待で、帰宅は常に“午前様”という職場など。相撲の力士は太ることも仕事の一つだが、生活習慣病や内臓系の病気のリスクがある。

 

<精神レベル>

人は毎日の仕事や人間関係の中で、知らず知らずの内に病気の原因を作っている。多くの人は過重な緊張やストレスなどの負荷を日常的に掛けている。「個人が有するストレス耐性」の限度を超えると、精神が病んだり神経性の病気の発症リスクが高まったりする。仕事の職種や内容によっては、個人に強い負荷が掛かる。

 

<霊的レベル>

霊性の低さに起因する“利己主義や貪欲など”によって不調和状態を自ら作っている。一般に病気が発症した場合は重くなる傾向にある。

 

<生命力が流れる通路>

日常的に“過度の心配や取り越し苦労をする”ことによって「通路」(→主に中間物質の接合体と物的身体を結ぶ通路)を遮断して、さまざまな病を発症させている。病気の原因としては非常に多い。

 

<カルマが原因>

カルマが原因となって発症する場合があるが、世間で言われるほど多くは無い。

 

2、心霊治療の概略

①心霊治療の目的

心霊治療には三つの段階がある(6181⑫~⑮参照)。

、治療によって「病気も治り魂も目覚める」段階

、「魂の目覚めはないが病気が治る」だけの段階

、「魂の目覚めも治病もないが、治療を施すだけ」の段階。

 

霊的実在の証明という観点から見るならば、心霊治療によって患者の身体を癒して悩みを解消してあげても、霊的に何の感動を覚えなかったらその治療は失敗したことになる。心霊治療の目的は「眠れる魂を目覚めさせ、霊的自覚をもたらす」ことなので、「身体は治らなくても魂に何か触れるものがあれば、その治療は成功」となる。

シルバーバーチは心霊治療の本質は魂に関わることであって、物的身体に関わることではないからと述べる(1124③~⑤、9169①~③参照)。歴史的経緯からみても「心霊治療はスピリチュアリズム普及の手段」という位置付けにある。患者の病気が治ることが目的ではなく心霊治療を通して「患者の魂が目覚めること」にあるので、心霊治療は単なる病気直しの手段ではない。この点が通常の医療と異なる箇所。

心霊治療や各種心霊現象などの全ての霊的活動の目標は、人間は霊的存在であることを理解させることによって「生命の実相に目覚めさせること」(613⑤参照)にあるから。

 

②三種類の心霊治療

ア、磁気的な治療、心霊的な治療、霊的な治療

 


分類

主役

A

マグネチック・ヒーリング

ヒーラー自身の肉体エネルギーを患者に与えることによって病気を治癒する

指圧、マッサージ、整体

治療師

B

サイキック・
ヒーリング

サイキック・ヒーラー。
ヒーラー自身の霊体エネルギーを患者に与えることによって病気を治癒する

気功治療、レイキ、手かざしなど

治療師

C

スピリット・
ヒーリング

霊医が宇宙に遍満している霊的エネルギー(治療エネルギー)を、地上のヒーラーを通路にして患者に流す、これによって病気を治癒する

スピリチュアル・ヒーリング

霊界の霊医

上記の通り心霊治療には三種類ある(1126⑬~127③参照)。

 

、マグネチック・ヒーリング(上記A

治療家自身の物的身体(肉体)が持っている豊富な生体エネルギー(生体磁気エネルギー)を、患者に注入することで病気や体調不良を治す場合(→マッサージ、按摩、鍼灸など)。

磁気的で生理的な治療で、霊界との関わりは全くない物的身体レベルの治療である(644⑬~45②参照)。死後の世界を一切認めない唯物論者でも、エネルギッシュでパワーのある人の側に行くと体調不良が軽減するので「マグネチック・ヒーリング」は認めている。

 

、サイキック・ヒーリング(上記B

心霊的(サイキック)ではあっても霊的(スピリチュアル)とは言えないもの。治療家自身の霊的身体が持つサイキック・エネルギーを使う治療法(→気功治療など)。ほとんどの遠隔治療は此処に入る(1127④~⑤参照)。唯物論者にとっては、気功を認めるか否かで見解が異なるのでグレーゾーン。

 

,スピリチュアル・ヒーリング(=スピリット・ヒーリング、上記C

最も程度が高い治療法。治療家は“霊力の通路”となる(1127①~②参照)。死後の世界を否定する唯物論者は、この治療法は一切認めない。議論がかみ合わない。

 

この様に一口に「心霊治療」と言っても、物質次元の磁気的な「マグネチック・ヒーリング」。エネルギーの質は「スピリチュアル・ヒーリング」より落ちるが、魂への影響力が限定的な「サイキック・ヒーリング」。その上に「霊界の高い界層からのエネルギー」を使用した「スピリチュアル・ヒーリング」がある(最後啓示204⑦~⑨参照)。

心霊治療がどの段階の霊的エネルギーを用いて行うことが出来るかは、治療家の霊性の高さによって決まる(最後啓示205⑨~⑩参照)。

 

イ、スピリチュアル・ヒーリングとは

霊界の「霊医」が関与した「スピリチュアル・ヒーリング(=スピリット・ヒーリング)」とは、“霊界の医師”が患者の病が治るべき時機が到来している時に、治療家を通して治療エネルギーを患者に注ぎ込んで一瞬のうちに治してしまう治療(1127①~②参照)のこと。

 

 

*イラストの点線部分は患者の人体構造を平面的に表したもの

 

治療で使われる治療エネルギーは、“霊医(霊界の医師)”が霊界にある化学物質に相当する霊的素材を、患者の症状に応じて実際に“調合”して作り上げたもの。

その治療エネルギーを治療家が通路となって、中間物質に転換して患者に注ぎ込む、この治療スタイルを「スピリチュアル・ヒーリング(=スピリット・ヒーリング)」と言う(9174⑪~⑬、175⑥~⑨、最後啓示189①~⑤、190⑥~⑧参照)。

 

ウ、ヒーラーの分類

心霊治療家には「主役が治療家であるサイキック・ヒーラー」と、「主役が霊医であるスピリチュアル・ヒーラー(→治療家は霊力の通路)」がいる。

スピリチュアル・ヒーラーは、通常の方法では物質界に届かないエネルギーを治療に用いるため、親和性から霊界の医師との間で可能な限り波長の一致をはかる必要がある。そのため「生活態度を可能な限り理想に近づける努力」(9173⑦~⑨参照)をする必要がある。

 

エ、まとめ

◆主役は治療家

・マグネチック・ヒーリング、治療家の肉体磁気エネルギーを使用、物的身体レベル

・サイキック・ヒーリング、治療家のサイキック・エネルギーを使用、霊的身体レベル

◆主役は霊医

・スピリチュアル・ヒーリング、宇宙に遍満している霊的エネルギーの一種である治療エネルギーを使用、治療家は“通路”となる。治療家の霊性レベルに応じて“通路”を流れる治療エネルギーの質が決まる。

 

「マグネチック・ヒーリング」や「サイキック・ヒーリング」は治療家の肉体や霊的身体に具わっているエネルギーを使用する為に、多くの患者に対応すれば当然にエネルギー不足に陥り疲労困憊となる。これに対して「スピリチュアル・ヒーリング」は、治療家はエネルギーが流れる通路になるため患者の数をこなしても疲労感を感じにくい。

 

③心霊治療の種類

ア、遠隔治療

心霊治療には治療家と患者が相対して行う「直接治療または接触治療(contact healing)」と呼ばれるものと、相対せずに患者不在の形で、または物理的な距離をおいて行われる「遠隔治療(absent healingdistant healing)」とがある。

直接治療や遠隔治療は「治療の申込」によって開始される(9巻176⑨~177②参照)。患者側からの「申込」と治療者の「承諾」によって、治療家と患者の間に治療エネルギーが流れる磁気的な通路が出来上がる(最後啓示27⑦~⑨参照)。

 

「治療の申込と承諾」に関してはハリー・エドワーズ著『霊的治療の解明』に興味深い記述がある(梅原隆雅訳『霊的治療の解明』1984年刊29⑩~30⑧参照)。―ある治療師の奥さんが背骨を悪くした。その晩、夫の治療師が霊媒となって交霊会を持った。子供たちは交霊会に現れた治療霊(霊医)に向かって「なぜ治療霊は母親のことを治してくれないのかと食ってかかった」。それに対して治療霊は「私たちは頼まれていなかったのですよ」。そこで息子は「それじゃあ今からはっきりとお願いしましょう」。治療霊はそれに応えて「よろしい、やってみましょう」といった。その晩母親は背骨をいじり回されているのを感じたが翌朝全快して普段と変わらずに歩き回れたという―。

心霊治療には本人の自由意志の問題があり、上記の事例では正にこのテーマが絡んでくる。霊界側では患者側からの治療の「申込」がないという事は、本人は治療を望んでいないと解せられるので手出しができないからである。

治療の申込は「患者から」「患者の周辺部の人から」「治療家から」の要請によって始まる。その際に本人が自分のために遠隔治療がなされていることを知らない場合でも、また治療家が一方的に施してあげる場合でも、両者間に磁気的通路が構築されるので遠隔治療は可能である(9177③~178⑥参照)。

霊界の「霊医」から送られた治療エネルギーは、治療家の“霊的身体(→物質性の濃い霊体、つまり幽体のこと)”を通過することによって“中間物質(→半物質的治療光線:9176④参照)”に転換されて、患者との間に出来上がった磁気的通路に乗って流れていく。

 

イ、セルフヒーリング(自己治療法)

本来の“心霊治療(スピリット・ヒーリング)”では、治療家は“治療エネルギー(霊的エネルギー)”の通路となって、このエネルギーを能動的に用いて患者の病を癒している。この「スピリット・ヒーリング」の場合には、治療家の“地上的自我である精神”は受け身の状態となっている。

治療家自身が病となった時は、この治療エネルギーを自分に向けることによって病を癒すことができる。自分で自分を治癒する「セルフヒーリングには精神統一と受容性」(1174③~④参照)が必要になってくる。自分で自分を治せる治療家は数多く存在する(到来231⑩~⑪参照)。

 

ウ、心霊手術

治療家はトランス状態となって、霊界の「霊医」に一時的に肉体を使用させる(→患者は意識を保っている)。「霊医」は外科手術の要領で治療を行う。これを「心霊手術(spirit operations)」という。

心霊手術には「霊界の霊医が治療師と一体となって行う場合(→霊医はトランス状態の治療師の身体を完全に支配下に置いて、自分の身体と同様に自由自在に使用する)」と、「治療師の生体エネルギーを使って行う場合」とがある。両者とも直接に患者の肉体に対して物質次元での治療を施す(→腫瘍などの病変組織を取り出す)ことに変わりはない。

人体の構造は霊的身体と物的身体(肉体)、そして両者をつなぎ留めている中間物質の接合体の三つの要素から出来上がっている。肉体に現れた異常部位は人体と同一形体をした接合体の同じ場所にも表れるので、一般にこの接合体の異常を外科手術の要領で取り除くと、肉体に表れた異常が治るという仕組み。英国人の心霊治療家チャップマン(霊医はラング医師)はこの方式。フィリピンのトニーは手刀で肉体をなぞると開く。開いた箇所から直接“肉体の患部”を外科手術の要領で取り出すという方式。

物理的心霊現象の一つである心霊手術が1980年代のブラジルやフィリピンで盛んに行われていたのは、霊的風土が心霊手術を行うに適していたから。霊的実在の証明はその地の住民の程度(→教育水準、文化の程度、霊的なレベル)に合わせないといけないから、と言われている(9102⑦~⑬参照)。

 

エ、憑依霊の除霊

A、異常行動や病気の発症

物質界と霊的世界が接する界(中間境)の下層にいる「死の自覚がない地縛霊」や、幽界の下層にいる邪霊などが、患者側(→霊的敏感者の場合)に存在する何らかの霊を引き寄せる“受け皿”(→例えば薬物依存、自殺願望、強い憎しみなど)に応じて憑依する。

憑依の結果、患者に異常行動を取らせるケースや、憑依霊が持つ病気が患者に発症するケースがある。

 

B、ウィックランド博士の事例

憑依霊の除霊治療では、アメリカの精神科医カール・ウィックランド博士による治療がよく知られている(近藤千雄訳、ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版1993年。抄訳として田中武訳『医師の心霊研究30年』出版科学総合研究所1983年参照)。

ウィックランド博士は患者が行う異常行動の原因は憑依霊にあるとして、患者に一種の電気ショックを与えて憑依霊を引き離す。患者から離れた憑依霊を、背後霊団のマーシーバンドが取り押さえて霊媒(ウィックランド夫人)にかからせる。霊媒に乗り移った憑依霊は、霊媒の口を使って博士と対話を行う。その対話の過程で憑依霊に死の自覚が芽生えて来て、マーシーバンドに伴われて患者から離れていく。このような方法で患者の異常行動や病の原因となっている霊を取り除いて治療を行った。

ウィックランド博士の霊媒はマーシーバンドという高級霊団によって保護されているので、地縛霊や邪霊などを憑依させても害はない。ウィックランド博士が行った除霊治療は一種の“招霊実験の医学版”である。

地縛霊は、霊的無知、誤った宗教的信仰、唯物的固定観念などが原因で「死の自覚」が持てず、霊的な波長に反応しないため周りにいる救済霊の姿が見えない(→肉体が無いにもかかわらず有ると思い込み、長年の習慣から肉眼で見ようとするため、何にも見えず真っ暗な世界にいる)。

 

3、心霊治療の背景

①心霊治療のメカニズム

    

ア、「霊医」→「治療家」

霊界の「霊医」は患者のオーラを診断して、「化学物質に相当する霊的素材」を一人一人の症状に合わせて“調合”し、治療エネルギーを作る(9174⑪、175⑥~⑨、最後啓示189②~⑤参照)。治療エネルギー(→宇宙に遍満している霊的エネルギー:11213⑭参照)とは「賦活性をもった生命力の一種」(5127⑧参照)のこと。

スピリチュアル・ヒーリングはオーダーメイドの治療であり、準備は実際の治療行為の前に終了している。「霊医」は霊的波長にも物的波長にも感応する治療家の霊的身体に、治療エネルギーの波長を落として潜在エネルギーの形で送る。治療家は送られてきた治療エネルギーを自身の霊的身体で「半物質的な治療エネルギーに転換」(最後啓示190⑥~⑧参照)する。

 

イ、「治療家」→「患者」

病を持つ患者は当然に波長が低い(→患者の意識は肉体の痛みや不快感に24時間向けられているから。意識は「肉体が主・霊が従」の関係にある)。そのため高い波長を持った治療エネルギーを患者に注ぐには、治療家の霊的身体を使って患者に合った程度まで波長を下げる必要がある(626⑥~⑪参照)。

治療家の霊的身体が持つサイキック・エネルギーと結合して中間物質に変換した治療エネルギーは、患者の霊と精神と肉体の三者が合一する場(639⑤~⑥参照)である松果体乃至は太陽神経叢を通って(640⑩参照)、患者の体内に流れ込んで全身に行き渡る。その時に患者は「電気的な温もりを感じる」(640⑪参照)。そのエネルギーが患者の「魂にカツを入れて居眠りの状態から目を覚まさせる」(9172⑫~⑬参照)。

その結果、患者自身の肉体に具わっている自然治癒力が機能を発揮して健康状態を取り戻すことになる(9172⑭参照)。「霊力が患者の霊を再充電して」調和を回復させるから(11214⑧~⑨参照)。

 

ウ、テレパシーの使用

治療家と患者が対面していない場合(遠隔治療:absent healingdistant healing)は、患者側の“治療の申し込み”という思念が治療家のもとに届けられる。治療家が申し込みを受託した時点で、両者間にテレパシーによる“懸け橋”ができあがる。

その“懸け橋”に乗って中間物質に転換された治療エネルギーは、患者の松果体ないしは太陽神経叢に送り届けられて、そこから全身に行き渡る(最後啓示191②~192⑦参照)。

 

②治療エネルギー

ア、霊的エネルギーの一種

治療エネルギーとは「生命力の一部」であり「霊的エネルギーの一つ」(1128⑦、2108③~⑤参照)でもある。そのエネルギーが通路である治療家の霊的身体を通過して、患者の霊的身体に届けるのが心霊治療である(最後啓示69⑤~⑥参照)。

霊界の「霊医」は日頃から、治療家を通してどの程度の治療エネルギーが患者に送れるか、エネルギーの効果的な組み合わせはどれか等の研究を行っている(1130⑪~⑬、11149⑨~⑪参照)。なぜなら治療エネルギーは治療家の霊性によって制約を受けるから。心霊治療家は流入する治療エネルギーの質量を高めるために、日常生活において霊性向上の努力が求められることになる(最後啓示70⑪~⑫参照)。

「霊医→治療家(通路、変圧器)→患者」と流れてきた治療エネルギーは、患者側に存在する「霊的無知、誤った生き方、誤った考え、高慢、自惚れ、嫉妬心、失望」(1134⑨~⑫参照)によって流入が拒まれてしまうことがある(→しばしば治療家は患者に治療エネルギーが入って行かず、跳ね返されると述べる)。

 

イ、治療効果

霊界の「霊医」から治療家がどの程度の治療エネルギーを受け取れるか、また患者が治療家からどの程度の治療エネルギーを受け取れるかは、さまざまな条件の下で治療が行われるので、やってみないとわからない。その時々の治療家の健康状態や、患者の霊的・精神的・身体的条件が、その患者に注入される霊力の質と量を決めることになるから(福音119⑩~120⑧参照)。

心霊治療によって患者の病気が回復するということは、その背後に何らかの法則が存在しているということであり、さらに患者の魂がその法則を受け入れる時期に来ていることを意味する(247⑭~48②参照)。このような形で「本当の霊的治療が効を奏した時は、病はけっしてぶり返さない」(991⑫参照)。

心霊治療の目的は霊を目覚めさせることにあり、寿命を長引かせることではない。そのため寿命が来ている患者の場合には、治療によって魂が首尾よく肉体から離れるのを助けることになり、結果的に患者が死亡する場合も有り得る(最後啓示202⑧~⑩、9巻74⑪~⑬参照)。死に対する考え方が霊側と地上側では異なるから。

 

③心霊治療家側の問題

ア、治療家と霊界の関係

霊界側の協力を得るための最初の一歩は、地上人が行動で示さなければならない。真摯で献身的な治療家が正しい霊的法則に則って治療に当たっていることが必要である。この時の治療家は「サイキック・ヒーラー」に分類される。

治療家の熱誠と霊性に、霊界の「霊医」が親和性から引き寄せられる(1172⑨~⑪参照)。そして治療家と「霊医」との協調関係が徐々に高まっていく。同時にその治療家のもとに、霊力を受け入れるだけの用意ができた患者が引き寄せられてくる(→患者本人による自発的な意思の発現という形をとって、霊界主導で治療家の下に連れてこられる)。

 

イ、治療家の霊性と治療エネルギーの関係

宇宙に無限に存在する“霊的エネルギー(治療エネルギー)”をどれだけ受け入れることが出来るかは、ひとえに治療家自身の霊的レベル(霊的進化)にかかっている。治療家の霊性が向上すればそれだけ受容性が高まるので、それに見合った良質の治療エネルギーが流入してくる(9103⑪~104⑧、最後啓示69⑨~70⑬参照)。

そのためには「霊医」との調和状態を高めるために、治療家は可能な限り“理想に近づけた日常生活”を送る必要が出てくる。このことから治療家に課せられた責務は、ひたすら自身の霊性を高めて良質の“治療エネルギーの受容能力”を増すことに尽きる。シルバーバーチは「現段階の地上界では、大霊の最高の治癒エネルギーは使用できません。治療家が霊的に向上するにつれて、より高いレベルのエネルギーが使用できる」(語る114⑨~⑪参照)と述べている。

治療家の霊性を高めるということは、イラストで示した“本来の私という意識(=自我の本体、霊的な心、魂)”に潜在している“神の分霊”を、“本来の私という意識”の領域により多く顕在化して行くこと(イラスト右)。顕在化率が高まれば治療家を流れる治療エネルギーの質が高まる。

 

ウ、受容力以上の霊的エネルギーが流れた場合

治療家の受容力が発達して、より高い運動速度・威力を持ったエネルギーに耐えられるようになると治療エネルギーは強度を増す(11149⑬~⑮参照)。流入する霊的エネルギーの分量に制限を加えているのは治療家の霊的発達レベル。それがどれだけの霊力を受け入れることが出来るかを決定づけるから(9171②~③参照)。

なお強すぎる霊的エネルギーは治療家の霊的身体を通過する際に障害を引き起こす(11149⑬参照)。モーゼスの『霊訓』には「前節の通信(戦死者や死刑制度を霊的観点から見た場合の誤り)が書かれた時の勢いはこれまでになく激しいものだった・・・書き綴っている時は手がヒリヒリし、腕ががくがくして、強烈なエネルギーが身体を流れるのを感じた。書き終わった時はぐったりとして横になるほど疲れ果て、頭の奥に激しい痛みを覚えた。そこで翌日さっそくその頭痛の原因を尋ねた」。モーゼスの問いかけにインペレーターは「あの時の頭痛はエネルギーの強さと、それをそなたより引き出す時の速さが度を越したからである」(霊訓上46②~⑩参照)とある。

治療家の治療行為が、上記のような高い“霊的エネルギーの通過”に伴う症状に妨げられることなく行うことができれば、治療に一層の効果をもたらすことになる(→治療家の霊性が向上することによって、通路を流れる治療エネルギーの質が向上するから)。

そのためには「霊医」から流れてくるより高い強烈な威力を持った治療エネルギーに、自らの霊的身体が耐えられるように治療家の霊性レベルを向上させる必要がある。その為には自己犠牲を伴った利他的行為を行って、潜在している“神の分霊”を“本来の私という意識”の領域により多く顕在化させて、自らの霊的な受容力を増すことが求められてくる。

 

エ、治療家の仕事

A、治療家の営業活動

霊界とパイプのできた心霊治療家のもとには、いわば霊界側が“営業マン”となって患者を連れてくる。そのため治療家みずから患者を求め歩いて「病気を治してほしい人はいませんか」とか、「私は治療家です。どなたか治してほしい方はいませんか」などと(10142⑪~143②、1164⑩~⑫参照)、日常的に触れ回って“営業活動”をする必要はない。霊界側が選んだ患者が、みずからの意志で治療家のもとを訪れるから。

治療家のもとを訪れた患者に対しては分け隔てなく心霊治療を施すが、施した後のことは患者自身の責任に帰する(1165⑪~66②参照)。治療家の責任の範囲は訪れた患者に対して治療を施すまでであり、患者が「仮に治療のあと間違った生活をしてさらに厄介なことになっても、それは患者自身の責任」(1167②~③参照)だから。

 

B、霊視能力や病気の診断能力

治療家は患者の“オーラが見える、見えない”は治療そのものとは何の関係もない。また病気の原因が診断できるか否かも関係ない(9179⑦~⑫、最後啓示194⑫~195⑤参照)。主役が治療家である“サイキック・ヒーラー”の場合は、これらの能力は治療家の仕事に何らかの形で役に立つかもしれない(→医師法違反にならない範囲で)。

主役が「霊医」である“スピリチュアル・ヒーラー”の場合は関係ない。むしろ親和性を高めて「霊医」が扱いやすい状態になることが大切である(9179⑧~⑨参照)。

 

C、治癒率について

数多い治療家の中には治癒率を誇る者もいる。心霊治療の目的やカルマの存在から考えてみれば、治療家が患者の病をどれだけ治癒させたか、という“治癒の成果”を誇ることは全く無意味なことである。

治癒率を誇る治療家には、心霊治療の主役は「霊医」であり“治療家は霊力の通路に過ぎない”という本質が抜け落ちていること。カルマが絡んだ病気の場合には、カルマが解消する時期が到来(→霊的負債の完済時期)していなければ、治療家がいくら熱意を込めて治療しても患者の肉体に現れた病は癒えないということの理解がない。心霊治療は“因果律の法則の枠内”で行われる行為であるから。

治療家の行為は“実態(→患者が治る時期にあること)”と“外形(→実体が無いにもかかわらず患者にいまだ病が存在すること)”の不一致を解消することであって、奇跡を起こしているのではない。

 

オ、治療家は変圧器

治療家は治療エネルギーが流れる通路であり、高い霊的波長を物的波長に変換する変圧器のような存在である(624⑤参照)。その治療エネルギーが治療家を通って患者に流入して乱れてしまった調和を取り戻すことになる。

 

カ、スピリチュアル・ヒーラーへの道

A、治療家は通路意識に徹する

治療家は霊的な受容性を高めて治療霊団との一体化を深めるためにも、個人的な感情を極力控えて無垢な状態を維持した“通路意識”に徹する必要がある(最後啓示71②~③参照)。治療家は“通路としての高い品質を保つ(→霊性を高める)”ためにも、当然に日常生活のあらゆる面で自己コントロール(→自己修養)に徹する必要性が出てくる。

シルバーバーチは「少しでも多くの霊力が流入するようにとの祈り以外のものがあってはなりません。あくまでも道具なのですから、自分勝手な考えを差し挟むことは許されません。霊力の流れの通路であること、それが治療家の仕事です」(最後啓示71③~⑥参照)と述べている。

 

B、「霊医」が使いやすい状態をキープする

治療家は「霊医」が使いやすいような状態を常に維持すること、霊力の通路であるという意識に徹すること、“道具”として完全になることを心がけること、このようなことが努力目標として求められる。日常生活の中で努力する、そのことが霊力の流れを豊かにする(9179⑧~⑪参照)。

治療家の霊性が下がれば、「霊医」との波長が合わなくなるので質の良い高い治療エネルギーを受け取れなくなるから。治療家のもとにやってくる患者は病を抱えているため波長が低くなっている。患者と日夜接していると治療家自身の波長も患者に引きずられて低くなってしまうので、祈りや瞑想の時間を意識的にもって霊性レベルの向上に努める必要が出てくる(→何もせず感謝されていると落ちていくから、日々のメンテナンスが必要となってくる)。

上記のように治療家は「生活態度を可能な限り理想に近づける努力をしなければならない」(9173⑧~⑨参照)ので、スピリチュアル・ヒーラーへの道は厳しい。世の中には“自称スピリチュアル・ヒーラー”は多いが本物は少ない。

 

④患者側の問題

ア、治療家と患者の関係

A、患者側の協力

患者は複数の治療家から遠隔治療を受けても問題ない(645⑩~⑬参照)。患者が精神を統一して遠隔治療に協力することは、両者の波長の調整にプラスになるので治療効果が増す(7182⑧~⑬参照)。遠隔治療を行う際に時間を指定して行っても良い。

治療家の能力が一段と発達すれば、治療霊団との連絡がしっかりと出来上がるのでそれも不要となる(999⑬~100④参照)。

 

B、患者のうろたえの感情

心霊治療の最大の障害物は、患者の不安と取り越し苦労、そして“うろたえの感情”である。その不安や“うろたえの感情”が、治療エネルギーが通過する連絡通路を塞いでしまうから。霊力が一番よく働くのは受け身的で穏やかな雰囲気の時である(5128①~⑩、645④~⑨参照)。

 

C、病気治癒には条件がある

病気が治るためにはそれだけの霊的な資格がなければならないので、治らない場合は治るための霊的資格ができていないからと言える(9185⑤、186③~④、到来177⑫~⑬参照)。なぜなら患者には病気がきっかけとなって従来の生活を反省して、本来の生き方を学ぶ機会が与えられたのだから(1166④~⑤参照)。病気は「魂の磨き粉」の役割を担っているから(→“本来の私という意識”に内在している“神の分霊”を、病という磨き粉を使って発現させているようなもの)。

患者の霊的成長段階によって、その人に注がれる治癒力の分量が決まるので(福音131⑮~⑯参照)、患者の魂に治療エネルギーを吸収する受け入れ態勢が出来ていない時は何の効果もない(到来151⑪~⑫参照)。

治療家の責任は患者に治療を施すことであり、治療を施した後のことは患者自身の責任に帰すべき問題となる(1166①参照)。

 

イ、カルマと治る時期の問題

患者の中には“カルマ(霊的負債)”によって病が発症している場合がある。肉体的苦痛が患者の霊的成長にとって不可欠の要素(→病が魂の磨き粉として必須)となっている場合で、目標とする成長レベルにいまだ達していなければ、いくら治療エネルギーを注いでも、いかなる治療家によっても治すことはできない。なぜなら患者の魂に治療エネルギーを受け入れる為の準備が整っていないから(1135⑧~⑩、619⑫~⑭参照)。

病とカルマとの関係から言えば、患者は“病という体験”を通して前世での霊的負債を返済しているので、完済しない限り治癒はあり得ない(1170⑪~⑮参照)。

 

銀行から借金してマイホームを購入するケースを使って説明する。マイホーム購入者が借り入れを起こすと、銀行は保全のため物件に抵当権を設定する。20年後に住宅ローンの返済が完了したとする。この段階に至って初めて借金は完済、つまりカルマが解消したので肉体に存在している病気は“治る時期が到来”したことになる。

しかし借金を完済しても、登記簿上にはいまだ銀行の抵当権が付いたまま残っている。この抵当権を抹消して始めて「自宅は完全に自分のものだ」と第三者に主張できる。いわば心霊治療家はこの「実態(→借金は完済した、原因は消滅した)」と「外形(→いまだ銀行の抵当権が付いている、病気は残っている)」の不一致状態を正しているに過ぎない。

治療家は法務局に「抵当権抹消登記申請」をして、実態にそぐわない外形を正す行為を行っているようなもの。毎月の借金の返済(→カルマの解消の為に行う諸々の行為)はあくまでも“債務者である患者自身”が地道に行わなければならない。

 

ウ、病は魂の磨き粉

病と霊的エネルギーとの関係から言えば、魂がその反応を示す段階まで発達していなければ肉体への反応も起こり得ない。心霊治療が功を奏する為には、霊的エネルギーを受け入れるだけの態勢が、患者の魂に出来ていることが絶対条件となる。魂に受け入れ態勢が整うまでは往々にして“悲しみや病気がお伴をする”ことになる(→患者に伝える場合は慎重に)。

戦争ばかりしている地球人の極めて低い霊性レベルから見れば、病気は霊性の向上のための「魂の磨き粉」(→磨き粉の粒子は粗い)という位置づけになっているから。心霊治療は最初に魂が癒され、その結果肉体が癒されるのが順序(622⑤~⑩参照)。治療家は「治るべき条件の整った人を治しているだけ」(到来152⑦参照)とも言える。

 

4、講座に寄せられた質問

①、質問その1

<質問>「思い悩んでいる時や、決断が必要な際、直感や閃きによって良い結果を生んだという経験は多くの人が持っていると思いますが、自分の経験や思索の結果から出た答えなのか、それとも背後霊や守護霊のメッセージだったのか、見分ける方法があるのでしょうか」

<回答>

人間は肉体を持つが故に霊的感受性が鈍くなっています。霊的敏感者でない一般人の場合は“ひらめき”が「自分の経験や思索の結果」か、それとも「背後霊や守護霊からのメッセージなのか」を見分けるのは難しいと思います。

私が行っている方法は、その“ひらめき”が全体として「利他的指向か(全体のことを考えているか)、または利己的指向か(自分のことのみ考えているか)」を判断基準にしています。また「背後霊や守護霊からのメッセージ」はリラックス状態の時に届きます。睡眠中に何らかのアドバイスを受けて、それを日中に一休みしている時に思い出すこともあります。

シルバーバーチは霊界のスピリットからの「交信を伝えるバイブレーションは極めて微妙なもので、感情によってすぐに乱される。不安・ショック・悲しみといった念を出すと、たちまちあなたの周囲に重々しい雰囲気、交信の妨げとなる壁をこしらえる」(到来259①参照)ので、心の平静を保って穏やかな雰囲気を発散(受容性や受け身の姿勢)するようにしなければならないと述べています。ここからメッセージを受け取った時の心の状態はどうかが判断基準になると思います。

このように「利他性指向か、利己性指向か」や「受け取った際の心の状態」を基準に置かれて見てはいかがでしょうか。霊的なメッセージは、時間が経っても記憶に鮮明に残っているものです。

 

②、質問その2

<質問>「蒔いたタネは自ら刈り取る、の法則によって霊界で苦悶している魂も多々あると思いますが、こういう霊を招霊してメッセージを受け取れるのでしょうか。高級霊からのメッセージと同じように、現世で生きている私たちへの教訓になるのではないか、と思うのですが」

<回答>

、アラン・カルデック著、浅岡夢二訳『天国と地獄』(幸福の科学出版2006年)

、アラン・カルデック著、浅岡夢二訳『霊との対話』(幸福の科学出版2006年)

上記の二冊には「苦しんでいる霊」「自殺した人の霊」「後悔する犯罪者の霊」「強情な霊」「天国と地獄の間にいる霊」「地獄で苦しむ霊」などを招霊している場面が描かれています。またそこから教訓を引き出して説いている場面が数多く載っています。宗教系の出版社ですが読んでみる価値はあると思います。

 

③、質問その3

<質問>「すべての意識に神の分霊が宿っているのなら、少しは神との交信も出来そうなものですが」

<回答>

ア、神の分霊

善人だけに留まらず悪人を含む全ての人間の「意識」(→本来の私という意識、霊的な心、自我の本体)には「神の分霊」(完全性)が宿っています。そのため「人間はミニチュアの神」と言われているのです。(→完全性の顕在化の度合いは各自で異なる)この「意識」を「霊的意識」と言います。

 

イ、キャッチしにくい

霊的意識の一部は、中間物質を介して脳に微弱な波動の形で送られますが、その脳には生命維持のための要求や情報が各器官から絶え間なく送られてきております。それ故に脳がよほど受け身的でないと霊的意識から送られてくる高度な情報は、“本能に起因する意識や情報”によって歪められたり着色されたりします(永遠の大道161④~⑪参照)。

その為にシルバーバーチは瞑想を推奨しております。なぜなら瞑想は意識的に“脳を受け身の状態”に持っていく技法であり、霊的意識から流れてくる微弱な波動を感知しやすくなるからです。

またシルバーバーチは守護霊・背後霊とのパイプを密にすることを勧めています。「背後霊とのオーラとあなたのオーラとが融合する機会が多いほど、それだけ高度なインスピレーションが入ってくる」(2巻18⑭~⑮)と述べています。

さらにシルバーバーチは「統一中に浮かぶアイディアの中から、本物のインスピレーションと直感できるのは一定の霊格を持った者のみ」(道しるべ221③~⑤)と述べています。本物と雑念との見分けは難しい。

 

ウ、霊格の差がありすぎる

人間は直接「神との交信」はできません。身近な例を持ち出せば、人間は昆虫のアリと直接に交信は出来ません。人間とアリとでは、あまりにも霊格が違いすぎるからです。それと同じです。

モーゼスの『続霊訓』の中に次のような一文があります。「神が直接霊媒に働きかけることは絶対にありません。如何なる人間といえども神と直接交信することは出来ません。人間が足元の草の葉と交信できないのと同じ程度に於いて不可能なことです」(66⑬~⑭参照)。

 

2024年『シルバーバーチの霊訓』連続講座 目次 

第1講、心霊治療(心霊医療)(2024年4月7日)

 

第2講、地上人生の目標は「霊的成長」(2024年7月7日)

 

私の霊的人生の歩み(2024年7月7日)

 

 

第5講、地上人生、生と死(2023年)

<目次>

1、地球という惑星

2、地上人生の始期

・人間の始期

・生まれ出る際の問題

3、地上人生の終期

・死とは何か

・さまざまな「死の形」

4、地上人生の役割

・本来の世界と地上世界

・地上人生の意義

5、講座に寄せられた質問

 

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1、地球という惑星

ア、「霊」と「物質」という二つの要素

A、「霊的要素」と「物的要素」

創造者である神は138億年前に物的な宇宙を創った。神が創った宇宙は「霊(神の一部、霊的要素)」と「物(普遍的物質又は根源的物質、物的要素)」という二つの要素から構成されている。その両者の上に創造者としての神が君臨している(霊の書33⑬~⑭参照)。

「霊(霊的要素)」の個別化によって、宇宙に遍満する「霊的エネルギー(普遍的要素としての霊、一般的な霊)」や「個別霊(意識)」、さらには「意識」に内在する「神の分霊」が生じた。

これに対して「物(物的要素)」の個別化によって「個々の物質の素材」が、さらには物が霊と繋がる為の接着剤的な働きをする中間物質の「普遍的流動体(→人間の肉体と霊体を接着させる接合体、さらに生命素や活力、シルバーコードやエクトプラズムなどの素材として)」が生じた(霊の書34③~⑫参照)。この中間物質には霊的要素の多いものから物的要素の多いものまで多岐に亘っている。

 

B、三種類の「霊」

一般に「霊」は次の三つの用例で用いられている。まず「神の分霊」の意味として、次に宇宙は「神」と同質の「霊」によって満たされていることから宇宙に遍満する「霊的エネルギー(一般的な霊)」という意味で、さらに「個別霊(→個性を具えた個的存在としての霊、個別意識)」という意味で、この三種類で用いられている。このように「霊」と言っても文脈によって意味は異なるので、どの「霊」を指しているのかは各自で判断しなければならない。なお個別霊は「霊的要素」の個別化によって生じたが、それが何時どのようにして為されたかは高級霊といえども分からないという(霊の書57⑭~⑮)。

 

イ、地球の誕生

 神の創造物である「根源的物質」が変化して個々の物質となって(→物体の一つ一つは根源的物質が変化したもの:霊の書36⑤参照)、それが空間にまき散らされ、その一部が凝縮して今から約46億年前、物的な地球という天体が形成された(霊の書41②~③参照)。

地球という惑星は完全な状態で創造されたのではなかった(184⑦参照)。地球誕生の初期に見られた大規模な火山噴火や激しい造山活動などの中で進化してきた。そして地球は次第に荒々しい現象が収まって穏やかになってきた。その穏やかになった地球の表面に人間を頂点にした様々な生物が出現した(→生物の出現は地球の発達段階に応じて、それに適合した形の生物が現れた:霊の書42④~⑤参照)。

 

ウ、生命体

 無機物たる水・空気・鉱物・無機化合物等の個々の物質は、物的要素たる「根源的物質」が変化した(霊の書36⑤、57⑬参照)ものだが、いまだ非活性化の状態にある。

物質と霊はその質的差異が大きすぎるため直接には結びつかない。両者の結合は「根源的物質(普遍的物質)」が変化した半物質状の「普遍的流動体」によって行われる(霊の書34③、50①参照)。

物質はこの「普遍的流動体」の一種である生命素と一体化することによって、活性化して有機物となり(霊の書50②、48⑥~⑨参照)、初めて生命の器たる物的身体となる(霊の書49④参照)。この物的身体に霊的要素が流入することによって人間などの生命体となる。

半物質状の「普遍的流動体」は目的に応じて生命素となったり、霊と物質を結合させる接合体となったり、シルバーコードになったり、物質化現象を出現させるエクトプラズムとなったりと、さまざまに変化する(霊の書34⑧参照)。

 

◆ポイント

*神の被造物たる物的な宇宙は「霊(神の一部、霊的要素)」と「物(普遍的物質又は根源的物質、物的要素)」の二つの要素から構成されている

*神の一部である「霊(霊的要素)」は個別化によって、宇宙に遍満する「霊的エネルギー(一般的な霊)」や「個別霊(意識)」、さらには「神の分霊」として存在する

*「物(物的要素)」は「個々の物質の素材」として、また半物質状の「普遍的流動体」として存在する

*「物(個々の物質)」+「生命素(半物質の普遍的流動体)」➡活性化して生命の器たる物的身体になる

*「生命の器たる物的身体(活性化した物)」+「霊的要素」➡生命体(人間、動物、植物)

 

エ、天体固有の半物質の「普遍的流動体」

<地上圏霊界>       <人体の構成・名称>

 

各天体の物的要素は「根源的物質」の個別化によって生じた「個々の物質の素材」が、その天体の性質に応じて変化したもの。そのため各天体を移動できるクラスの霊(→再生を必要とする地上圏霊界を卒業した霊、高級霊)が、天体上で生活する「霊媒」と接触する場合には、その天体の中間物質(半物質)で形成された「普遍的流動体(ダブル、エーテル複体、接合体など)」をまとう必要がある(霊の書63⑩参照)。

両者(→各天体を移動できる霊と天体に住む霊媒)の霊格の差が大きい場合には、その天体出身の霊を「霊界の霊媒」として用いる。そして「霊界の霊媒」が、かつてその天体の中間境で脱ぎ捨てた「半物質的身体(普遍的流動体、ダブル、エーテル複体、接合体など)」を再度まとって、天体の物質界で生活する霊媒にコンタクトを取る方法を用いる。

地球という天体に於いて「死」を迎えた者は「中間境」で霊的調整を行い(個人的存在114⑦参照)、さらに霊的身体(幽体)を完成させて「半物質的身体(ダブル、エーテル複体、接合体など)」を中間境に脱ぎ捨てていく(永遠の大道50⑪、個人的存在80①参照)。地球を構成する物質が変化して作られた中間物質の「半物質的身体(接合体)」は、地球という天体のオリジナルなものである(霊の書63⑨~⑩参照)。

 

2、地上人生の始期

①、人間の始期

ア、古い霊と新しい霊

人間は物的体験を積む為に肉体をまとって地球に生まれてきた。シルバーバーチは「人間界への誕生には二種類ある」として、「古い霊が再び地上へ戻ってくる場合と、“新しい霊”が物質界で個体としての最初の段階を迎える場合です」(593②~③参照)と述べている。

「古い霊」とは進化の完成のために物的体験を積むため再生して来る「再生霊」のこと(593⑥~⑩参照)。この「再生霊」には霊性の汚れが極端で“霊の海”に埋没した霊が、上位の霊性レベルにある天体から下位の天体に再生する「落第生の霊」を含む(続霊訓104⑪~⑬参照)。また初めて人間の身体に宿る「新しい霊」とは「動物の類魂の中でも最も進化した類魂」(5101⑧~⑨参照)のこと(同趣旨、個人的存在81②~⑤、247⑯~248②参照)。

 

イ、地上人生のスタート時期

A、はじめに

子孫を残すために有性生殖を行う高等動物には雄雌の別がある。人間にも性別があり生殖細胞としては「卵と精子」がある。この二つが合一することを「受精」と呼んでいる。その受精の瞬間から遺伝子に書き込まれているプログラムが始動する。

人間は「受胎の瞬間から個性ある霊となる」(893⑧参照)と言われている。この「受胎」という言葉をどのように理解するかによって、地上人生のスタート時期が異なる。

 

B、二つの立場(受精時説と子宮着床時説)

イラストは人間の始期を「受精時」とするか、「子宮着床時」とするかを表したもの。まず一つ目の立場は「受胎」という言葉を「妊娠」の意味として理解して、受精卵が子宮に着床する「妊娠成立期(受精から約2週間後)」とする説であり、広く受け入れられている考え方である。この立場では“子宮着床前の胚”は人間ではなくモノ(細胞の塊)となる。

二つ目の立場は父方の精子と母方の卵が合体(DNAが融合)して、結合体である「受精卵が出来上がる時」とする「受精時」説である(453⑨~⑪、メッセージ203⑩~⑭参照)。この立場では“活性化した物質”(霊の書34④、48⑥~⑨、49④、49⑥~⑪参照)である卵と精子が合体して受精卵となって、同時にそこに霊的要素が流入して初めて個別意識を持った個別霊となる(5145⑩~⑬参照)。この時点から自我意識(個的意識)が始まり、それ以降は永遠に個性を具えた「個性ある霊」(893⑧参照)となる。その為に受精直後の“初期の胚(→受精時から14日目までの初期の胚)”はモノではなく人間となる。

 

C、初期の胚は“モノ”の根拠(研究者の立場)

<研究用の受精卵>

受精卵の問題は“研究者側の立場”に立って考えるのか、それとも“生命倫理側の立場”に立って考えるのかによって結論は異なる。

母胎から月に一個の割合で卵が作られる。不妊治療では排卵誘発剤を用いて複数個の卵を作り、それを卵巣から取り出して試験管(またはシャーレ)の中でまとめて体外受精させる。受精した一個を母体に戻して余った受精卵は凍結保存される。最終的に子宮に戻されなかった余剰受精卵や異常があった受精卵は廃棄されるか、または“ヒトES細胞”などの胚の研究に利用されている。なぜならこれらの受精卵は着床前でまだ胎児にもなっていないモノ(細胞の塊)だから。子宮に着床する前の初期の胚は受胎前だからモノとされている。

 

<有力な根拠>

その有力な根拠としてオーストラリアの哲学者ノーマン・フォード(サレジオ修道会の神父)が1988年に唱えた説がある。彼によれば「14日目までの胚は一卵性双生児になる可能性があるから、まだ人の個体ではなく“細胞の塊”にすぎない」と。さらにイギリスの哲学者メアリ・ワーノックを委員長とする諮問委員会が1984年にまとめた「人の受精と発生に関する委員会の報告書」がある。この報告書によれば「受精後14日までの胚は原始線条がまだ発現していないことから、自己同一性を持った個体とはみなされない」とある。ワーノック報告の背景には、英国国教会では体外受精に対して条件付容認(寛容説)を取っていることがあげられている。

これらの説を受けて多くの国では「人間の始期」を、原始線条の出現期以降(受精後約2週間)とする考え方を採用して、これが胚研究の国際基準となっている。いわゆる「14日ルール」のことである。これは「胚を受精後14日以降、または原始線条(胚の発生初期に臓器分化を開始する直前に形成される線条のこと)の形成以降、培養してヒト胚を発生させることを禁じるルール」のことを指す。なお2021年5月末に国際幹細胞学会(ISSCR)はガイドラインを改定して、ヒト胚研究の国際ルールである「14日ルール」を禁止項目から除外して緩和した。

*秋葉悦子著『人の始まりをめぐる真理の考察』毎日アースデイ2010年他、参照

 

<日本では>

20047月の総合科学技術会議「生命倫理専門調査会の最終報告書」では「14日目までの初期胚は人そのものではないが、人の生命の萌芽として尊重されるべき存在である」としている。日本ではこの最終報告書に基づき、初期胚は「人」ではなく「モノ(細胞の塊)」であるので、胚を研究用に用いても何ら問題はないとの解釈に立っている。

 

<カトリック教会の立場>

カトリック教会では「人の生命は受精時に始まる(→それ故に受精卵は人間である)」という立場を採っている(教理聖省『堕胎に関する教理聖省の宣言』カトリック中央協議会1974年参照)。この立場から「大部分の生殖医療は禁止、体外受精・胚移植・胚凍結など人工的な手段による妊娠や胚を用いた研究」は認めていない。なおプロテスタントは体外受精を結婚した夫婦間に限り認めている。

*教皇庁生命アカデミー著『着床前の段階のヒト胚』カトリック中央協議会2008年参照。

 

D、シルバーバーチの立場

シルバーバーチは「受胎作用は精子と卵子とが結合して、自我を表現するための媒体を提供する」ことであり、この媒体(受精卵の原型)に「小さな霊の分子が自然の法則に従って融合」する、その瞬間(→受精卵の原型に霊的要素が流入するその瞬間)が「意識を持つ個体としての生活が始まる」時期と述べる(3173⑦~⑫、語る414①~③参照)。

ここからスピリチュアリズムでは「受胎の瞬間」とは、世間で広く理解されている「妊娠成立期(受精卵が子宮に着床した時)」ではなく、父方と母方のDNAが融合して物的な結合体の「受精卵(接合子)が出来上がった時」となる。

 

②、生まれ出る際の問題

ア、産児制限

生命の誕生を阻止する産児制限は、結局のところ「動機は何か」の問題に帰着する(450⑧~51①、語る412①~④参照)。シルバーバーチは出産を制限する際の動機が正しければ問題ないが(8130③~④参照)、肉体的快楽だけを求めて妊娠を避ける者は、その動機が利己的であり程度が低いので感心しない(452③~⑤参照)。また両親の霊的進化にとって生命の誕生が不可欠の場合は必ず生まれてくる(語る412⑧参照)。生まれてくる宿命を持った霊は、避妊をしない夫婦を選ぶ(451③、最後啓示135⑤参照)と述べる。

 

イ、不妊体質で生まれた女性

一般に「女性は子供を産んで一人前であり、子供を持つことが女の幸せである」とする旧来の女性観に立った世間からの暗黙の圧力がある。そこに近年の医療技術の発達、さらにマスコミの影響も加わって、不妊治療を受ければ誰でも母親になれるという安易な風潮が出来上がってしまった。

医療の世界では、妊娠したくとも妊娠できない、そのことを苦痛に感じて来院した人の病名を“不妊症”と呼んでいる。従来から“原因不明な不妊”は「妊娠を望んでいるカップルの10組に1組の割合で存在する」と言われている。いわば妊娠しにくい体質を持った人たちの存在である。医療関係者によれば、現状は多額の費用をかけて不妊治療を受けても、妊娠する確率は1020%であるという。

 スピリチュアリズムの観点からいえば、再生人生を「“不妊体質という身体”をまとって地上体験を積む」という選択をして生まれてきたにもかかわらず、それでもなお妊娠したいと望むその動機は何かが問題となる。動機面から言えば子供を持つことによって、自分たちを人間的に成長させたいと願うカップルも存在する。この場合は実子ということに拘らなければ、子供を養子に迎い入れて共に成長していくという選択肢もある。

 地上人生では子供と共に霊的成長を図って行くのが一般的なコースとなっているが、それだけに限らずその他の“霊的成長の為のオプション”も多数用意されている。一例として「仕事」を通して霊的成長を図るという選択肢もあり、多くの人が選択している。スピリチュアリズムでは地上世界は「学校」という位置づけであり、そこに於ける“教育課程”は人によって異なる。子供の有無や障害を持って地上という「学校」で学ぶなど、さまざまなコースが用意されている。

 

3、地上人生の終期

①、死とは何か

ア、この世に於ける「死」

A、「三徴候」の確認

何をもって「死」と判断するのかは時代や文化によって幅があるが(脳死から細胞死まで)、腐敗により死臭が漂うことで死は決定的なものとなる。

死者が蘇生したという話、いわゆる「早すぎる埋葬」は昔から存在した。19世紀初頭に「死は心臓と肺が機能を停止した時に訪れる」という事実が明らかにされるまで、「死」は“細胞死(腐敗により死臭が漂う)”であった。

その後、医療の世界では「心拍停止」「自発呼吸停止」「瞳孔散大・対光反射消失(脳幹の機能が喪失している)」の「三徴候」を確認してから「死」と診断する慣行が定着している。現在では立ち会った医師は患者の「三徴候」を確認した後に、家族に向かって死を宣告する。

 

B、新たな「死の概念」の登場

物質次元から「死」を見れば物的身体の崩壊過程として現れるため、どの時点で死と判定するかは難しい。「心臓死」の場合は法律(*墓地埋葬法)によって死者を一定期間観察する道が残されている。また昔は土葬が主流であったため、仮死状態や棺に入った状態から蘇生した場合でもそれなりに対応できた。しかし「脳死」にはその道はない。

昨今は「脳死」という新たな「死」が登場している。この「脳死」とは20世紀後半に導入された「臓器移植と対になった新たな“死”の概念」である(→脳死とは大脳・小脳・脳幹を含む脳の全ての機能が不可逆的に停止した状態を言う:平成22年度版『法的脳死判定マニュアル』参照)。

1967年に南アフリカのケープタウン大学で人間から人間に対して世界初の心臓移植が行われた。その翌年の1968年に、従来から問題となっていた“脳疾患の末期患者”を表す言葉として「脳死」が使われるようになった(ハーバード大学医学部『脳死判定基準』参照)。

この「脳死」という概念を導入することによって、始めて「ドナーの心臓は生きているが、ドナーは死んでいる」状態が出現した(→脳死と心臓死との時間差を利用)。新たな“死”の概念を導入することによって「ドナーは死者から」という高い壁をクリアすることが出来た。その結果「脳死者からの臓器摘出」、つまり“死体”から脈を打っている心臓を取り出すことが可能となり、執刀医は殺人罪で訴追されることなく心臓移植手術を行うことが出来るようになった。

 このように医学技術を優先した「死の定義」が作られたことによって、移植医療はますます発達して移植用臓器のニーズは高まった。その結果「人体の商品化」がもたらされた。この背景には「死は忌み嫌うもの」や「死は敗北である」という意識が存在する。

 

*蘇生の可能性があるために「墓地、埋葬等に関する法律(昭和23531日法律第48号)」第3条では「埋葬又は火葬は、他の法令に別段の定があるものを除く外、死亡または死産後24時間を経過した後でなければ、これを行ってはならない。但し、妊娠7箇月に満たない死産の時は、この限りでない」と定めている。

 

イ、スピリチュアリズムの「死」の定義

A、シルバーコードによって結ばれている

形がない“霊的な心・本来の私という意識”が、自らの霊性を向上させる為には(→霊性の向上とは潜在している“神の分霊”を意識の領域に顕在化させていくこと、顕在化に伴って意識が拡大して行く、イラスト右AからEへ)、各種形体(→地上では肉体、幽界では幽体、霊界では霊体など)をまとってこの世では物的体験・あの世では霊的体験を積む必要がある。

この世で体験を積むためには「霊的な心」は、肉体をまとう必要がある(→肉体をまとうことによって肉体本能に強く影響を受けた意識となる)。その肉体とより精妙な霊的身体(→中間物質で出来た結合組織の接合体を含む)との間には、二本の太いシルバーコード(→頭部と臍の部分)と糸状の細いシルバーコードがクモの巣状に張り巡らされている。

 

B、二本の太いシルバーコードが切断

老化から死への長い“死のプロセス”は、各臓器と繋がった細いシルバーコードが萎縮または切断する所から始まる。細いシルバーコードが萎縮または切断することによって、生命力(霊的エネルギーの一種)の流れに障害が生じて臓器は不活性化となる(臓器の不具合)。

生物学的には“死のプロセス”の最初の兆候は“肉体の老化・病気”として現れる。そして最後に二本の太いシルバーコードの切断によって“死のプロセス”の前半は完了する。後半は霊的世界に舞台を移して、他界者は中間境で明確な「死の自覚(→私は死んだ人間だという自覚)」を得て、物的バイブレーションから霊的バイブレーションへの切り替えが完了した時点で一連の“死のプロセス”は終了する。切り替えが完了することによって物質性の濃い霊体が完成するから。なお“死のプロセス”が何時まで経っても完了しない者を地縛霊と言う。

このようにスピリチュアリズムでは、太いシルバーコードが双方ともに切れた瞬間をもって「死」と定義している(11206⑫~207⑦、永遠の大道115⑮~116③参照)。これに対して切断されずに、霊的身体が肉体から離れた状態で体験したことを蘇生後に語る現象を「臨死体験」(Near Death Experience)という。臨死体験者の中には「紐のようなものが自分の位置まで伸びているのが見えた(→シルバーコードのこと)」と述べている者もいる。

 蘇生可能性という観点から見れば、物的身体と霊的身体を結んでいるシルバーコードが切断されていなければ必ず蘇生するので死者ではない。地上世界は「学校」であるという観点から見れば、植物状態の患者でも“私(霊的な心・本来の私という意識)”はボロボロになってしまった肉体に繋がれた状態に置かれても、なお何らかの物的体験を積んでいること、または周りの者や家族に対して何らかの体験を積ませていることが考えられる。このように考えれば「臓器移植を前提とした脳死」には問題があると言わざるを得ない。霊界通信によれば高級霊は臓器移植を認めていない(9127⑩参照)。

 

C、医師は霊視能力者ではない

人間の死は“シルバーコードの切断の瞬間”としても、現実問題として医師は霊視能力者ではない。そのため“シルバーコードの切断の瞬間”を見極めて死の診断を行うことはできない。物質次元から見た“人間の死”とは、徐々に「生命現象が終息していくプロセス」として現れるので、医師にとってはどの時点をもって死とするかの診断は難しい。

近代医学の著しい進歩によって、重篤の患者は人工呼吸器や蘇生技術等の助けを借りて、命を長らえることができるようになった。病床では脳疾患の末期的病態にある患者に対して、従来の医療行為の継続か、または治療水準の切り下げかの判断に際して「臨床的脳死診断」が行われることもある(→これ以降は延命治療の中止を考える時期となる)。

このように脳が機能停止した「脳死」は臓器移植が絡まなければ、単に脳疾患の末期的病態の患者に対する“通常の臨床医学上の問題”に過ぎないといえよう。

 

D、「死」とはバイブレーションの切り替え

スピリチュアリズムでは「死」とは、肉体を脱ぎ捨てて霊的身体に移行するための通過地点に過ぎないと説く。バイブレーションの観点から「死」を見れば、従来の鈍重な肉体を通して感知していた粗い物的バイブレーションの世界から、精緻な霊的バイブレーションの世界へと切り替わる、そのことを「死」と呼んでいるに過ぎない(344④~⑤参照)。

 

②、さまざまな「死の形」

ア、不慮の死(急死、事故死、戦死)

A、無理に生木を裂く状態(予期せぬ死)

スピリチュアリズムの観点に立って「人は死んだらどうなるか」を考えて見た場合に、そこには「死の形」ごとに生じる特有の問題が見えてくる。

「本来の死」は細いシルバーコードが一本一本穏やかに切れて、最後に太いシルバーコードが切断して死を迎える。この前後に亘って他界者は“死後の深い眠り”に入る。眠りの中で粗い物的バイブレーションから精緻な霊的バイブレーションに切り替わる準備が行われる。

これに対して「急死・事故死・戦死」などの「不慮の死」は、本来の想定していた死のプロセスを踏まないケースであり、他界者に死の準備が整っていない段階で無理に生木を裂くように肉体から離される死である。

これら「不慮の死」の場合には、急激にシルバーコードが切断することによって突然に死を迎えるので、他界者にショック状態を引き起こす。その状態を緩和する為に「霊的エネルギーの注入や長期の休養」などの処置が霊的世界で行われている(6106⑤~107③、メッセージ61⑬~62①参照)。

 

B、霊的知識の有無と休養期間

<休眠の必要性>

事故や戦死などの「不慮の死」によって眠ることが出来ない他界者は、死のプロセスを進めるために必要な調整、バイブレーションの切り替えがなかなか完了せず、調整期間が長引いてしまうことになる。この場合でも他界者の“表面意識(→顕在意識のようなもの)”に「死の自覚」が芽生えてくると、急激な眠気を催すようになる。なぜなら粗い物的バイブレーションから精緻な霊的バイブレーションに切り替える為には眠ることが必要だからである。

「不慮の死」を遂げた他界者に霊的知識がある場合には、相応の霊的調整期間を経て「死の自覚」が持てるようになる。これに対して霊的知識がない場合には霊的調整の為の長い休養期間が必要となる。その調整期間は正常死のケースよりも長くかかるのが通例である(8巻103⑦~⑬参照)。その場合には「地縛霊(→死の自覚が何時まで経っても芽生えない他界者)」となって地上圏をうろつかないためにも、速やかに“休眠”を取る必要がある(霊訓下125⑫~⑮、126③~⑦参照)。なぜなら霊肉分離が本来の過程を経ずに、急激に引き剥がされることによるショックを“休眠”の中で調整していく必要があるから。「不慮の死」を遂げた他界者は張り詰めた意識状態(一種の興奮状態)にあり、なかなか眠ることが出来ずに死を遂げた場所やゆかりの場所をさ迷い歩くことが多い。

 

<霊的な事柄をどちら側から見るか>

時間の流れはあの世では純粋に精神的なものなので、精神的な時間の流れの中で計る。これに対してこの世では地球と太陽の位置関係の中で、機械的に時間の流れを計る。このような違いがあるので“死の眠り(休眠期間)”をどちら側の観点から見るかで意味が違ってくる。

死後の目覚めに要する時間は、霊界側の時間の流れからすれば「死の自覚(→私は死んだ人間だ、死んで霊の世界に来たという自覚)」が理解できるまでに霊的バイブレーションが整った時点、つまり「死の自覚の芽生え」が他界者の意識に生じた時点で目覚める。これはあくまでも精神的な時間であるため、いつ目覚めるかは霊的状態の変化によるので、個々人が有する其々の条件(→霊的知識の有無や霊格の程度、さらには人の為に尽くすなど善意の波動を受ける立場の人は目覚めが早い)によって異なる。

この眠りからの目覚めに要する時間を地上側から見れば、機械的な時間の流れで計るため「Aさんでは〇〇日、Bさんでは〇〇日、Cさんでは〇〇日かかりました」と表現しているに過ぎない。このように「死の眠り」を霊的視点から“霊的状態の変化”として見るか、物的視点から“この世的な時間の流れ”の中で計るかにより、目覚め迄に要する時間は異なる。

 

イ、意識的に命を絶つ行為(自殺、死刑)

A、「学校」を中退する行為

自ら命を絶つ自殺(9206⑤~⑥参照)、他人の命を絶つ殺人(5215①参照)、犯罪者に対し法の執行によって命を絶つ死刑(4210⑦~⑩参照)など、人間が人間の生命を奪う行為は霊的摂理に反している。

命を自ら意識的に絶つ自殺者の場合は、地上生活を通して霊的成長するせっかくの機会を自らの手で投げ出してしまうことになる。これに対して殺人の被害者や死刑囚の場合には自らの意に反して命が絶たれてしまい、その結果としてまたとない物的体験を積む機会が奪われてしまうことになる。特に死刑囚の場合は刑務所の中で自分自身を見つめ直して(→強制的に内省の時間が持てる)、自らの性格の弱点を矯正するせっかくのチャンスが奪われてしまうから。

例えて見れば自殺は自らの意志で本来の就学期間を全うせずに「学校を中退する行為」であり、他殺の被害者や死刑の場合は他人の命を無理やり奪って「学校を中退させてしまう行為」であると表現できる。

 

B、自殺の場合

<シルバーバーチの見解>

シルバーバーチは「(自殺行為に関して)寿命を全うせずに無理やり霊界へ行けば、長い調整期間の中でその代償を支払わなければならなくなる」「(利己的な波動によって)周囲にミゾをこしらえてしまうから」(語る407③~⑥参照)、霊的進歩の妨げになるからと述べている。しかし一口に自殺者といっても地上人生をどのように送ってきたか、霊的な発達程度はどうか、自殺の動機は何かなど、自殺に至る事情や心情など、考慮すべき条件がケースごとに異なっている。そのため自殺者の死後の状況もそれぞれであり一律ではない。

 

<利己的要素が強い自殺>

自殺の動機に「利己的要素」がより多く付着している者ほど、自殺者の意識は内側に強く向いて閉じられている。いわば本人が作った思念という厚い壁が周りを取り囲んでいる状態であり、その壁を外側から砕くことは非常に困難である(個人的存在88⑥~⑫参照)。

筆者の知人に自殺者がいる。たまたま自殺の数時間前に電話で話をした。その際に知人の自殺を決意した感情的な思念が私には“鉄の板”のように感じられた。この体験から自殺者(霊)の周りには陰湿で感情的なネガティブな思念が“鉄の板”のように取り巻いている、それを外から破るのは難しいとの印象を持った。ここに利己的要素の強い自殺には霊界側から(外部から)救済の手がなかなか届きにくい理由がある。

このようなケースでは自己の“利己性の罪”の償いのため、自ら作り出した「暗黒の世界」に、いわば意識が内側に向いて閉じられているがゆえの暗黒の世界に、長期間閉じ込められることになる。「死んだつもりなのに相変わらず自分がいる」「その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断する」(9209⑩~⑬参照)。結局、時間をかけてでも本人の意識の変化を待って、内側からその壁を壊していくほかない(→同様に引き籠りも自らの意志で“部屋から出る”という気持ちにならない限り根本的な解決は難しい)。

 

<利他的要素が強い自殺>

これに対して自己犠牲的な動機が強い自殺の場合は(9210③参照)、自らの命を絶つ行為に利己性は薄いので、その人の意識は外側に向いて開いている(個人的存在89⑥~⑧参照)。そのため一旦は暗い世界に落ちるとしても、霊界の救済霊との接触は極めてスムーズに運ぶことになる。

 

<憑依霊による自殺>

これ以外に自殺を決行する明確な意思はなかったにも拘らずに、地縛霊や邪霊に憑依されてしまって自殺する場合がある。この場合も自殺者はしばらくのあいだ暗闇で過ごすことになるとしても、自殺の責任は主に憑依霊側にあるので、救済霊との接触がはかられて周囲を取り巻く思念と言う壁を打ち破ることができる。

なお憑依霊を呼び寄せた何らかの“受け皿”が自殺者側にあったとしても(個人的存在252⑨参照)、その“受け皿”となった歪んだ性格の矯正は自ら幽界の下層界で行うことになる(→浄化の為の界が下層界にある)。一方憑依霊は、本人に憑依して自殺をさせてしまったという行為の責任を負うので、その償いをしなければならない。

 

C、死刑の場合

死刑制度は死後の世界に関して何の準備もできていない死刑囚から肉体を無理やり分離させてしまい、霊界側の問題児である「地縛霊や邪霊」を増やしてしまう結果となっている。死刑を執行された霊のバイブレーションは、地上人の物的バイブレーションに極めて近いため、何らかの“受け皿”を持つ地上人の波長と容易く同調してしまう。

その為「怒りと復讐心に燃えた霊」による憑依現象は親和性の法則から多発する(霊訓下154⑮~155⑩参照)。地上人(霊的敏感者)の歪んだ性癖や習性(→自己中心的・意志薄弱・自主性がないなどの未熟な魂の持ち主や、薬物依存・アルコール依存・自傷行為などの悪習慣)がエサ蒔きとなって、そこに親和性を持った邪霊が引き付けられるから。

シルバーバーチは「死刑に処するということは正義からではなく報復心に駆られているという意味において間違いである」(新啓示28⑦~⑧参照)として、正義と復讐を区別するようにと述べている。

このように死刑制度は単に犯罪者から肉体を奪うだけであって(→あの世に行っても単に肉体が無いだけであって性格は変わらず、地上時代に有していた意識状態はそのまま)、地縛霊や邪霊による憑依という形で地上にトラブルのタネを蒔いているにすぎない。高級霊からの霊界通信では例外なく死刑制度を批判している(6150⑧~151③参照)。

処罰制度には懲罰的要素も必要であるが、同時に矯正的・厚生的な要素も必要である(霊訓上47⑪参照)。暴徒や死刑囚など蛮行を行う者は「一種の病人」(4巻207⑤参照)であるとの観点から対処する必要がある。霊界通信には「罪人は矯正するか隔離するかのいずれかにすべきであって、身体を奪ってはなりません」(続霊訓101④~⑥参照)とある。

その為には現在の刑務所を取り巻く問題の改善が必要となる。例えば矯正・厚生的観点から受刑者の矯正プログラムの改善や、すし詰め状態の収容の改善を図る必要がある。少なくとも内省的になれる空間の構築という観点からの改善は必要であろう。

 

ウ、安楽死、延命処置、尊厳死

A、安楽死

安楽死は医師が直接薬剤を投与することにより患者の自然な死期を早めて死亡させる「積極的安楽死」と、苦痛を長引かせないように医療行為を控えたり延命治療を中止したりして死期を早める「消極的安楽死(尊厳死のこと)」とがある(ブリタニカ国際大百科事典)。

日本の「安楽死裁判」で問題になったのは「積極的安楽死」であり、関与した医師は「嘱託殺人(→患者の嘱託を受けて死期を早める処置を行う)」や「承諾殺人(→患者の承諾を得て処置を行う)」の罪に問われている。法律上問題となる「積極的安楽死」は「自殺ほう助(自殺関与罪)」や「殺人(殺人罪)」との区別が難しい。

シルバーバーチは「回復の見込みがない患者(→植物状態の患者や不治の患者、筋萎縮性側索硬化症・ALS患者など)」を人為的に死なせる安楽死は、当然のこととして認めていない。なぜなら死後に備えの出来ていない者に一種のショックを与えてしまい、そのショックが何かと良からぬ影響をもたらしてしまうことになるから(448⑦~⑨参照)。さらに植物状態になっていても、本人自身が何らかの学びをしている場合があること(最後啓示155⑪~⑬参照)。または周りの家族に対して何らかの学びをさせていることも考えられるから。

 

B、延命処置を施すこと

シルバーバーチは患者に延命処置を施すことに関しては問題ないという。なぜなら霊は肉体を去るべき時が来れば、どのような医学的処置を取ろうが肉体から離れていくので、延命処置の効果は「ある程度までのこと」(449⑧~⑩参照)であり、いわば「寿命の範囲内のこと(=寿命の糊代部分)」だからと述べる。

 

C、尊厳死

尊厳死(消極的安楽死)は「必要以上の延命治療を受けず、人間らしい最後を全うしよう」という考え方に立って、回復の見込みのない時点での人工呼吸装置など機械的な延命工作を、あくまでも本人の意志に基づいて辞退、結果的に死を選ぶことを言う(日本大百科全書)。近代医学が死に臨む人の人間性を無視しがちであることの反省から生まれた概念(広辞苑)。

尊厳死は“医師の行為の妥当性の問題”と“患者本人の動機の問題”とに分けて考えて見る必要がある。医師が患者の苦痛を和らげ除去する以外の延命のための治療を行わない行為、栄養補給のカンフル剤は用いるが静かに死を待つだけの医療行為に関しては、霊は肉体を去るべき時が来れば必ず去るもの(4巻48②~③参照)なので問題はない。

これに対して患者本人は何のために「延命のための医療は望まない(リビング・ウィル)」で尊厳死を望むのかという問題がある。その理由に経済的な問題や厭世観、また多数の生命維持装置等によって無理やり命を永らえさせられる状態(スパゲッティ症候群)に対する忌避もあろう。シルバーバーチは常々「動機は何か」を問題にする。この点から尊厳死を考えて見れば「リビング・ウィルを望む本人の動機は何か」という問題に帰着する。

 

4、地上人生の役割

①、本来の世界と地上世界

ア、本来の世界

私たちの本来の住処は、霊的家族(類魂)が待つ「霊界(狭義)」である。この「霊界(狭義)」は「同一霊格で、親和性を有する霊」が集団で生活する均一な世界である。そのような環境(→同一霊格で親和性がある霊の集団)の中で生活しているために、出会う人も自分と同じ霊格やタイプの者となり、遭遇する体験も似通った体験となる(→それ故に類魂と言うシステムを利用したり、指導霊となって利他的行為を行ったりして霊的成長を図る)。

シルバーバーチは「こちらでは同一レベルにまで進化した者どうしの生活が営まれており、霊格による区別がはっきりしているからです。ですから地上のように比較対象というものがありません」(1巻174②~④参照)と述べている。

 

イ、地上世界

   

A、肉体を通して自我を表現する世界

人間は霊であり、霊性を向上させる為に地上世界(=海底)に降りて来た。この地上で一定期間を過ごすためには、“霊的な心(=本来の私という意識)”は肉体(=潜水具)を通して自我を表現しなければならない。それ故に肉体は個別霊が地上世界でまとう衣服に例えられる。この個別霊と肉体との関係をシルバーバーチは「身体はあなたが住む家である」「家であってあなた自身ではない」(1巻27⑩参照)と表現している。

 なお人間には“二つの心(自我)”がある。まず自我の本体を表す“霊的な心(→この心の中に神の分霊が内在している)”がある。そして“霊的な心”は、地上では肉体(=潜水具)を通して“地上的自我(→海底において潜水具を通して表現している私のこと)”を表現している。この地上で表現している地上的自我を“物的な心(=現在の私という意識)”という。

 

B、多様な霊格の霊が交わる世界

地上世界は霊格がバラバラで親和性がない個別霊、本来の住処である霊界(狭義)では絶対に交わることがない個別霊が共通構造の肉体(=潜水具)をまとうことによって、地上(=海底)という同一平面で交わって生活している混在社会である。

 

ウ、地上世界は相対性・両極性の世界

地上世界は霊的に見て混在した世界、比較対象の有る世界なので本来の住処である霊界(狭義)では出会うことがない人や体験(→直接体験、間接体験)に遭遇できる。地上では困った隣人がいれば手を差し伸べる愛にあふれた人がいる一方で、自分の快楽しか眼中にない自己中心的思考の持ち主や利己主義者もいる。このような快楽主義者や利己主義者の末路を見聞きして自らの教訓としている。いわばこの世は本来の住処では絶対に出会うことがない“肉体をまとった霊”と、日常的に(→直接に又は報道を通して間接に)出会うことができる両極性に満ちた世界となっている。

 

エ、地上世界の役割

A、意志力と集中力を身に付ける

地上は物質の世界なので、思いは行為(→物や言葉と言った物的外形)を伴って始めて相手に理解される。例えば地上では「有難うという感謝の思い」は言葉に包んで相手に伝えるか、または贈答品という形を伴った行為に包み込んで伝えなければ相手は理解できない。心の中で“感謝の気持ち”を発しただけでは相手は真意を認識できない。

このように地上では思いは、言葉や行為と言った物質に包んで表現しなければならず、そこに意志力と集中力が要求される。例えばある人が頭の中で単に善行を想念しただけでは、その人の外観からは何も伝わってこないので善行にならない。頭の中で思い描いた想念に何らかの行為や言葉をプラスすれば、他人から見て善行として認識できる(→例えば電車の中で老人に席を譲るという思いを頭の中で想念しただけでは善行とは言えず、実際に行為に移さなければ善行にならない)。

このように地上世界では、頭に思い描いているアイディアという思念を誰が見ても分かるカタチにして行く必要がある。その為には意志力と集中力によって何らかのカタチに作り上げて行かなければならない。霊的世界は思念が基本となっているので、死後の世界にスムーズに適応できるようになるためには、地上世界で培った意志力と集中力という体験が大いに役に立つことになる。地上世界の存在目的は霊性の開発にある。その霊性の開発には強い意志力と集中力を必要とする。物的世界はそれらを強化するには絶好の環境にある。

 

B、この世は学校

私たちはこの地上世界で苦と楽、悲しみと喜び、愛と憎しみ、勇気と臆病、平静さと怒り、嵐と晴天、明るい側面と暗い側面、困難、闘争など、さまざまな両極性を体験(→直接体験又は間接体験)することによって学んで、各自が霊性の向上を図っていく仕組みとなっている。このように地上世界は学ぶ機会に数多く出合える場となっているので「学校」(474⑫参照)と言われている。

シルバーバーチも「地球は学習のために通う“学校”です。その(学校での)学習は、比較対象の体験による以外には有り得ない」(到来25⑩~⑬参照)、「人生とは学校です。刻苦と闘争、努力と困難、逆境と嵐の中をくぐってこそ魂は真の自我に目覚める」(4214⑩~⑪参照)と述べる。このようにスピリチュアリズムでは地上世界を「学校」と呼んでいる。肉体は“私という意識”がまとう「学校の制服」である。

 

②、地上人生の意義

ア、苦難は魂の磨き粉

A、魂の磨き粉

霊的観点から見れば、地上人生はホンの一瞬のことに過ぎない。シルバーバーチは「永遠の観点から地上人生を見る」「視点を変えてみる」ということを私たちに説いている。この観点から苦難を見ると別の側面が見えてくる。

この世的な幸せを得ることが人生の目標、物的要求を満たすことだけが目標といった人生からでは「魂を向上させる(→霊性の向上とは“本来の私という意識”に潜在している“神の分霊”をより多く顕在化させていくこと、イラストAからBCDEへ)」ことはできない。

この世に生まれてきた人間は、何らかの荷を背負い困難と取り組みながら、そこから何かを学び取って霊性を向上させる、それが地上人生の本来の姿である(152⑨参照)。なぜなら人間は、困難、苦労、悲しみ、痛みなどを体験して、それらが魂の琴線に触れることによって、初めて自我に目覚めて霊的真理を受け入れる素地が出来上がるから(164②、3130⑨参照)。いわばそれらの体験は、受容性に富む魂を作り出すための“魂の磨き粉”の役割を担っていると言える(769⑧~⑩、3213⑨参照)。魂の目覚め(霊的自覚)は簡単には得られない。シルバーバーチは「成長は困難に堂々と対処し、挑戦を正面から受け止め、そして克服していく中で得られる」(1273⑥参照)と述べる。

 

B、自動的に磨かれることはない

ただし「困難・障害・病気など」に出会いさえすれば自動的に人間性が磨かれる、というわけではない。その「困難・障害・病気など」が人生を別の視点から見つめさせるきっかけとなって、結果的に人間性を磨くことに繋がるということである(8138⑥、8140⑧~⑩参照)。受け身的ではなく果敢に困難に挑み、そこから何かをつかみ取って行く態度が必要となる。

例えば70歳の老人が自らの来し方を振り返って、「あの時の苦労がなければ自分の一生はチャランポランな人生だった、あの時のもがき苦しんだ苦労が自分を磨いた」という独白と同じ。苦しみの渦中にいる当の本人は目の前の試練に悪戦苦闘して闘っており、周りを見回す精神的余裕はないだろうが、それを乗り切った暁には大きく成長して霊性も一段と磨かれることになるということ。このことは「困難・障害・病気など」に果敢に挑戦して、乗り切った多くの人が体験談として述べている。

 

イ、霊性レベルと磨き粉の関係

A、研磨剤の粒子

シルバーバーチは「地球は宇宙の惑星の中でも最も進化の程度の低い部類に属する」(11177⑭~⑮参照)と述べる。霊性レベルと環境は一致するので、地上人類の霊性レベルの低さ故に“磨き粉の粒子”はそれなりに粗い。その“目の粗い磨き粉”を使って体を洗っているようなものである(→目の粗い磨き粉とは、重い病気にかかったり重大事故や災害に巻き込まれたりと言った厳しい体験のこと)。例えれば軽石に石鹸を付けて体をゴシゴシと洗うようなもので、汚れは落ちるが当然に肌は痛い。そこまでしないと余りにも低いレベルにある地球人の霊性は目覚めないから。

 

B、「学校の試験」のようなもの

人間は霊であり、霊として何をなさねばならないか、ということを物的体験によって表面的な自覚ではなく心の底から自覚する(→明確な霊的自覚を持つこと)、その為の仕組みが各自の人生の随所に組み込まれている。いわば「困難・障害・病気・災害」は「学校の試験」のようなものであり、霊的視点がどこまで身に付いたかを人生の節目で試される。

 

ウ、霊性の開発

A、故事「人間万事塞翁が馬」

大部分の人は「困難や障害はできるだけ避けるべき」との心情を持って生活している。シルバーバーチはこのような多くの人の願いとは真逆のことを説いて、困難や障害に出会ったらそこから逃げるのではなく、これらに対して積極的に立ち向かって自らの手で克服していく、その為の心構えを説いている(31⑫~2①参照)。

シルバーバーチはこの世的な視点で幸不幸を見るのではなく、霊的視点から見ることを私たちに説いている。このような霊的視点から見れば、不幸な人生が霊的に見れば幸多い人生であったということもあり得る。地上的な意味での幸福になることが地上人生の目的ではないから。

 

B、刻苦と苦難、修養と節制の生活

シルバーバーチは人々から忌避されてきた困難や障害に魂の磨き粉という役割を持たせて、新しい意味付けを行った。そして霊性の向上には「修養と節制の生活」と「刻苦と苦難」、この双方が必要になると述べた(997④~⑤参照)。

霊性の向上とは“霊的な心・本来の私という意識”の領域に潜在している“神の分霊”をより多く顕在化させていく霊的成長のこと。現在の胚芽的存在から、最終的には“霊的な心・本来の私という意識”の全体に神の分霊を顕在化させて行くことが最終目標となる。このことから人は「神のミニチュア」と言われている(1巻80⑧~⑫、11109④~⑤参照)。

霊性の向上は「刻苦と苦難と修養と節制の生活」を通してしか成しえない。このように“本来の私という意識”に内在している“神の分霊”を顕在化させて、分霊に宿された資質(→あらゆる種類の美徳・善行・能力のこと。親切、同情、慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善、愛などの神の属性のこと:1巻154⑭~155③、6176⑤参照)が、形体を通して外部に滲み出て行く霊性の向上は、悪戦苦闘しながら困難や障害等と闘って勝ち取って行くもの。最も達成が困難なものであるために永遠の時が用意されている。

 

5、講座に寄せられた質問

①、質問その1

<質問>「ごく稀に人や動物を殺めたり、傷つけたりをしても平気、もしくは何の罪悪感も持たない人がいます。このような人を見る度に人間は“神の分霊”を内包しているという認識が覆されるような気がします。シルバーバーチの立場からどう考えたら良いか?」

<回答>

ア、高級霊はどのように見ているか

高級霊は悪人や罪を犯す者、残虐行為をする者を、一様に「霊的成長が未熟な人」「未熟な魂」と見ています。つまり「霊的な心(=自我の本体、本来の私という意識)」に潜在している“神の分霊”の顕現度合いが極めて低い人のことです。このような人を含めて個別意識を持った人間として生まれてきたからには、全ての人間に“神の分霊”が宿っています。

シルバーバーチは「あなたが悪い奴らと思っている人間は未熟な人間ということです」「悪い人間というのは霊的成長における幼児なのです」「善なるもの、聖なるもの、美なるもの、愛、叡智、そのほか人生の明るい側面だけに神が宿っているかに考える旧式の思想は捨てなければいけません」(5152⑤~⑭参照)。また「地上で“悪”と呼んでいるものは不完全な段階で神を表現している“不完全さ”を意味するに過ぎません」(5149⑨~⑩参照)。さらに「悪魔はキリスト教が生み出したもの」(5154⑤~⑥参照)と述べています。

 モーゼスの『霊訓』では「悪の軍団とは未発達・未熟な霊のこと」(霊訓上33⑮参照)。またマイヤース霊は「未熟な魂、これから数え切れないほどの体験を通じて、改良と形成を繰り返し、誰もが通過すべきコースを歩み、何時かは誰もが体験する試練を受けて辛く深い挫折感を味わうことになるのである。絶対的多数の魂が一度はそうした未熟な状態にあったのである」(個人的存在207⑩~⑫参照)と述べています。

 したがって人間(→個別意識を持った個別霊)として生まれてきた以上は、肌の色に関係なく、また善人や悪人の区別なく、全員の霊的な心(本来の私という意識)の中に“神の分霊”は潜在しています。霊的な心の中に“神の分霊”が潜在していることと、顕在化率(顕現の度合い、上記イラスト右)の問題とを区別しなければならない。

 

イ、霊媒体質者の憑依の問題

次に罪を犯す者や残虐行為を行う者を「霊媒体質者の憑依」という観点から考えて見ます。私たちは時々ニュースで無差別殺人事件や通り魔事件の報道に接することがあります。その際に事件の加害者は、しばしば「神の声を聴いた」とか、耳元で「事件を起こせ」とのささやき声が聞えたなどと話すことがあります。

 加害者の言動からこの様な事件を見ると、真っ先に「憑依の疑い」が思い浮かびます。憑依は霊的敏感者である本人側に邪霊を引き寄せる何らかの“受け皿(→例えば薬物依存、自殺願望、強い憎しみ、自己中心的思考、意志薄弱など)”が存在する場合に起きます。但し霊的敏感者だからと言って見境なく憑依される訳ではないです。

モーゼスの『霊訓』には「地上の罪悪と悲劇の多くは邪霊が同種の人間に働いた結果に他ならない」(霊訓下156②~③参照)、「地上の大都会はまさに悪徳と残忍と利己主義と無慈悲と悲劇のるつぼである」(霊訓下157②参照)とあります。憑依にも親和性が働くので本人側に邪霊を引き寄せる何らかの“受け皿”が存在することが不可欠です。

 

②、質問その2

<質問>「私自身、霊訓の内容の実践は少しずつしか出来なくても生きる方向性として心の支えにしております。ですが、ハート出版と潮文社の本が全て絶版になっていることが気になっています。物理的心霊現象が下火になって精神的心霊現象へと移ったように、次の段階が用意されているのでしょうか」

<回答>

 私が見た1980年から現在までのスピリチュアリズムの世界の印象を述べて見ます。

 日本に於ける「スピリチュアリズム史」をひもとけば、1930年代から1950年代前半までは物理的心霊現象の全盛期、1960年代から1970年代にかけて心霊治療が、1980年代に入ると「質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」が前面に出てきました。その普及の一翼を担った出版社が「潮文社」と「ハート出版」であった。1980年代から1990年代に於ける一連の出版によって、スピリチュアリズムの基本文献が容易く日本語で読めるようになりました。

これら日本語訳を基にして「スピリチュアリズムの全体図」という複数の“海図(マップ)”が作られました(→信仰を前面に掲げた海図やオーソドックスな海図など)。学習者は従来の“海図”なきスピリチュアリズムの世界に「スピリチュアリズムの全体図」という“海図”を携えて、迷信や商業主義が混在した“荒海(=スピリチュアリズムの世界)”を安全に航海できるようになりました。

 これ以降、霊的知識の普及活動(→各種講座・勉強会・読書会など集団を通して、または個々人に対する個別対応を通して普及させる)と、学んだ知識を日常生活に活用する各自の実践活動が“車の両輪”となって、スピリチュアリズムは大きく進展しています。

日本に於いては、現在は“知識としてのスピリチュアリズム”から“生き方としてのスピリチュアリズム”への移行過程にあります。この大きな流れは私たちの目に触れることなく、現在社会の底流部分で静かに進行しています(→個人の意識の変革運動という形で進行しているので表立って変化が無いように見えるだけ)。シルバーバーチは霊的知識の普及によって世界各地で難攻不落と思われた城壁が崩れ落ちていると述べています(1巻44④~⑤参照)。近年における地球レベルでの人権意識の高まりや、女性の地位の向上、宗教界をめぐる動きなどはその一つの表れです。

質の高い高等なスピリチュアリズム文献の出版に携わった潮文社やハート出版が撤退した後の日本のスピリチュアリズム界の動向は、個人の意識の変革や社会の意識の変革と相まって、今後一段とレベルアップして進展して行くものと思われます。それは個々人が霊界からもたらされた霊訓を咀嚼して、如何にして自分のものにして行くかの段階に入ったことを意味しているから(→従来までの知識の吸収から生き方の変革へという形をとって)。

 

③、質問その3

<質問>「祈りについて。祈りの言葉はたった一言しかありません。「何とぞ私を人の為に役立てる方法を教え給え。これです」とあります。わたし色々してしまうのですが、皆さんはどうされていますか? 須江先生自身はどうされていますか?」

<回答>

ア、祈りに対するシルバーバーチの見解

A、祈りとは魂の行

祈りとは自分自身の振動数を高めて、少しでも高い界層との霊的な交わりを求める行為です(3141④~⑥参照)。シルバーバーチは「祈りとは魂の行」(3226⑪参照)であり「より多くのインスピレーションと霊的エネルギーを摂取するための手段である」(3227①参照)と述べています。このように「祈りとは魂の行」であるため、祈りが出来ない時や祈りたくない時は祈る必要はないことになります(3227⑥、7205①参照)。

自分自身の振動数を高める為に行う「人のために役立ちたいとする祈り」は、一種の「磁気力にも似た吸引力」のような力が発生して、祈る者の霊的成長に見合った分の援助を自動的に引き寄せることになります(1170⑩~⑪、11114⑪~⑫参照)。

 

B、定型的な祈り、御利益信心的な祈り

無意味な文句の繰り返しや、神に挨拶するための機械的な祈り、集団で行う紋切り型の祈りには何の効果もない。祈りの効果を決定づけるのは、祈る人の霊格と動機です(到来173⑦~⑨参照)。

祈りに類似したものに「ああして欲しい、こうして欲しい、金が欲しい、家が欲しい」など、何らかの物的な願いを叶えてもらうために祈願する“要求型の祈り”があります。これをシルバーバーチは御利益信心と呼んでいます。この種の祈りは利己的な要求なので本来の意味での祈りではないです。御利益信心は当人の霊的成長にはプラスにならないので何の効用もない(1169⑩~⑬参照)。シルバーバーチは「利己的な祈りは時間と言葉と精神的エネルギーの無駄遣い」(7198⑭参照)であると述べています。

 

C、霊界での祈りの扱われ方

祈りに対する回答は、その時の祈る者の霊的成長にとって一番望ましい形で与えられます(158⑭~59②参照)。そのため祈る者の動機次第によっては、何の反応もないということもあり得ます。

祈りは「祈りの純粋性や利他性の度合い」に応じて「仲立ち」を経ながら相応のレベルまで届きます。霊界通信の『ベールの彼方の生活』には霊界には祈りを専門に処理する霊団がおり、祈りに含まれる純粋性や利他性などを分析して、価値評価の高い祈りは順次高位の霊に取り次がれていく(彼方1208⑥~⑧参照)との記載があります。同趣旨として「人間が祈りを発すると、それを中継する霊が受け取り(→無数の階梯をなして存在する天使的存在によって)、その霊自身の判断による回答」(続霊訓78②~③参照)を授かるという記載もあります。なお“要求型の祈り”は物質志向が強いため上昇せずに、祈る内容に応じて親和性から幽界の下層界にいる低級霊との間に繋がりが生じます。

 

イ、質問に対する回答

推測するに多くの人の祈りには「何らかの物的な願いを叶えてもらう」ための“要求型の祈り”が多いのではないかと思われます。シルバーバーチの「祈りとは魂の行」(3226⑪参照)との定義から見れば、一般に神社仏閣で行われている祈りとは、同じ祈りという言葉を使っているが“似て非なるもの”という事になります。

 私自身、シルバーバーチの上記の言葉に巡り合うまでは、物的な願い事である“要求型の祈り”を日常的に行っていました。現在は“要求型の祈り”は無くなり、時々神社仏閣を訪れた際には心の中で「こんにちは」「お邪魔します」と挨拶する程度に留めています。

 

④、質問その4

<質問>

①「霊界と繋がった霊的な能力(スピリチュアル能力)を持つ本物の霊能者は少ないと講義内で説明がありました。英国等で広まっており日本でも知られているミディアムについてはどう思われますか?」

②「ミディアムになる為の養成講座が日本でもいくつかあり、その中でミディアムシップは技術なので誰でもできると説明されていることが多い。先生のお考えでは、やはりこの様な講座で習得した技術では本物の霊能者ではないと思われますか?」「また,この様な養成講座で死者と通信できるミディアムになれると思いますか?」

<回答>

A、質問①について

◆本来の在り方

霊能者は「見えた、聞えた」の霊的情報を正確に相談者に提供する。相談者はもたらされた霊的情報を参考にして、霊的真理に沿った生き方へと自らの「意識の転換」をはかって行く、これがスピリチュアリズム本来の在り方ではないかと思われます。

 

◆「自力で」または「背後霊を通して」

霊能者が「見えた、聞えた」と言っても、その情報は霊能者の背後を通して見せてもらっているもの、自力で見ているわけではない。自力で見ている場合はこの世レベルのサイキック能力(→透視、予知、テレパシーなどの超感覚的知覚)です。多くの霊能者はこのサイキック・レベルに留まっているのではないかと思われます。

 

◆背後霊のレベルを高める

スピリチュアル能力を持つ場合でも霊能者の背後霊のレベルによっては、相談者に不正確な情報を伝えてしまうこともあります。例えばある霊能者は背後霊から「相談者に蛇が付いている」光景を見せられ、別の霊能者は「蛇が見えるがその奥に人霊が見える」光景を見せられた。それぞれ見えた霊的事実に霊能者の解釈をプラスして相談者に伝えたとします。

見えたと言っても霊能者に親和性から憑いている背後霊のレベルによっては、見える範囲は自ずと異なってきます。感応する背後霊のレベルを高めないと正確な霊的情報を伝えることは出来ないです(→スピリチュアル能力を高める)。

霊能者が話す内容や噂話、書かれたものを読む限りでは、大部分の霊能者はスピリチュアリズムの基本的理解が不十分であることが分かります。なお個別の霊能者に対する評価は差し控えます。

 

B、質問②について

◆霊的な能力は先天的なもの

 私は「霊的な能力は先天的なもの」との立場に立っております。そのため霊的な能力がない「霊的鈍感者」は「ミディアムになる為の養成講座」に熱心に通っても、能力発揮はある程度まで、ものにならないと考えています。しかし今生での体験が次の再生人生で生かされて、霊能者としての人生を歩むという事は当然に考えられます。

例えば歌は誰でも歌えます。しかし歌好きの中には絶対音感に優れた人がいる一方で、音痴(先天的音楽機能不全)の人もいます。音痴の人が熱心に音楽学校に通い、歌唱レッスンを受けても“優れた歌い手”にはなれないのと同じです。

 

◆サイキック能力者から本物の霊能者へ

 先天的に有する霊能力を発現させる為には、精神統一会や優れた指導者、霊能養成講座に通うのが一般的なコースでしょう。シルバーバーチは「最初は精神統一の為のグループに加わることを勧めます」「初めから霊能養成会に参加することは勧めない」(8巻158⑨~⑫参照)と述べています。

 霊能を発揮させたいと望む霊的敏感者は、精神統一会や霊能養成講座を上手に利用して修行を行えば、霊能(サイキック能力)発現のきっかけは作れると思います(→霊的敏感者であれば“それなりのサイキック能力者”にはなれる)。本物の霊能者であるスピリチュアル能力者になれるか否かは、開発した才能(サイキック能力)を他人の為に活用して自らの人間性を磨いて行くことが必須となります。

その利他的行為によって自らの霊的バイブレーションは高まって行きます。その結果、高い背後霊と感応できるようになり、機会が与えられてよりレベルの高い霊と交信できる霊能者になれるでしょう(→シルバーバーチが言う本物の霊能者のこと)。

 

⑤、質問その5

<質問>「日本には数多くの霊能者がいます。これ等の者に相談する際には決して安くない金額を取られます。やはりこの様に商売としている者は一律に霊界からの援助が無くなり、能力が退化するものなのでしょうか?」

<回答>

 霊能力を商売にしている霊能者は一律に「霊界からの援助が無くなり、能力が退化する」とまでは言えないでしょう。それは霊能者が如何なる動機で高額の相談料を採っているかに掛かっているからです。

一般に霊能者が金銭的になり過ぎると意識の指向性が“地上的なモノ(→ベクトルの向きが下)”に向かい、その結果として霊的バイブレーションが下がって感応する霊は物質臭の強い霊だけとなってしまうものです。高額の相談料を受け取る霊能者は、低級霊や邪霊に付け狙われる確率が極めて高く跳ね上がります。その際に必ず動機が斟酌されます。何のために高額な相談料を取るのかという問題です。例えば毎月の“売り上げ(相談回数)”目標を立てて、今月は目標を達成できなかったので来月は宣伝活動を強化しようと目論む霊能者がいれば、確実に低級霊や邪霊のオモチャにされるでしょう。

 今まで高いレベルの霊が霊能者の霊的能力を使って働いていたが、金銭に執着してくると霊能者のバイブレーションと合わなくなり離れて行く、今度は同じ霊能力を低級霊が使うようになります(→霊能者の背後霊がより低い霊と交代して行く)。

 

⑥、質問その6

<質問>「シルバーバーチの霊訓で説く子育て、保育幼児教育、青年期の教育など。また児童虐待、少子化、子を産み育てる意味など」

<回答>

ア、教育に関する基本的立場

 シルバーバーチは教育問題に関して次のような基本的立場を述べています。交霊会参加者からの「現代の教育に欠けているものは何か?」との質問に対して、「人間が霊的な宿命を背負っている霊的存在であるという事実」に向けさせる教育的視点がないと指摘しています(268④~⑥参照)。

さらに別の箇所で「意義ある社会の一員としていかなる事態においても、社会のため、人類のために貢献できる人物に育てるための知識を授けることが、教育の根本義なのです」(福音109⑧~⑨参照)と述べています。

 

イ、子供に対する教育の問題

子供に対しては、宗教教育に関しての回答ではあるが次のように述べています。子供は感受性が強いので「知能的にも教えられたことが果たして真理であるかどうかを自分で判断することが出来ません。とても従順ですから、教えられたことは何もかも本当のことと信じて、そのまま飲み込んでしまう」「教え込んだことがそのまま子供の性格のタテ系となりヨコ系となって織り込まれて行く」「教わったことはそのまま潜在意識に印象付けられ、それが子供のその後の思想を築いてゆく土台となる」(4218③~⑩参照)。

子供の教育は特に慎重であらねばならないので、両親や小学校の教員の責任は重いと言えます。

 

ウ、子育て・児童虐待に関して

 一般に子育ては親にとって苦労が多いもの。その苦労の多い子育てを、多くの人は自らの霊性向上の為の手段として選択しました。地上生活が悩みと苦しみが絶えないのは「魂が目を覚ます場所」(9巻164⑮~165①参照)だから。困難・苦難・面倒は魂の進化にとって必須なもの(→魂の磨き粉)だから(1089④参照)。両親の霊的進化にとって子供の存在が不可欠である場合は、必ず子供は生まれてくるものです(語る412⑧参照)。

 親による児童虐待(→身体的暴力や性的虐待、食事を与えないことや病気の世話をしないことなどの養育の放棄、言葉や態度による心理的虐待など)は、親の霊的進化にとって障害となります。子と共に霊的成長をするという“またとないチャンス”を活かしきれずに、ケースによっては重い“霊的負債(マイナスのカルマ)”を背負うことにもなります。

 

エ、少子化の問題

 日本では少子化問題が騒がれていますが、霊的視点に立って地上世界は「学校」という観点から見るならば、この問題はさほど意味はないです。過去の植民地宗主国のイギリスやフランスを見ても分かるように、中東やアフリカ系の人が国籍を取得して次々と新しい国民となって入ってきています。

これは地球という学校における「クラス(→日本国と言う箱)」の構成員の移動に例えて見れば良く分かります。“日本国と言う箱”の主要な構成員である日本民族が減少して(→地上での学びの課程が修了したから)、新しい人たちが他所のクラスから“日本国と言う箱”に移動して来るだけのこと。それが自ずと多様な国民性を生み出すことになるから。

 

⑦、質問その7

<質問>「現代で霊訓を受け取った場合、内容は現代的表現になるのでしょうか。また受け取った霊的能力者が心理学や量子物理学に精通していた場合、双方の概念で説明された霊訓の内容になるのでしょうか?」

<回答>

ア、精神的心霊現象の一種である「霊界通信」

 精神的心霊現象(主観的心霊現象)の一つである霊界通信(霊言現象や自動書記現象など)は、霊媒の潜在意識を使用して行われます(4157⑫参照)。通信霊は霊媒のオーラと通信霊自身のオーラを融合させて、霊界から携えてきた思念を霊媒の潜在意識に蓄積されている用語を使って文章にする。そのため通信内容は通信霊が英語圏の人であっても、霊媒が日頃から用いている言語(→例えば日本語)になります。また通信霊が千年前の人であっても通信は霊媒の潜在意識に蓄えられた用語を使って行われるため、現代的表現になります。

 霊媒の潜在意識の中に用語や概念が豊富にあれば、通信霊は制約を受けずに多様な通信や哲学的な通信が送れます(→霊界の言語である思念を地上の特定の言語に翻訳する能力が高い霊媒の場合)。そのため霊媒の潜在意識に「心理学や量子物理学」の知識が豊富にあれば、通信霊はそれらの用語を使って学術的な通信を送ることが出来ます。この場合は潜在意識に用語の蓄積がない無学文盲の霊媒とは異なって、質の高い専門的な通信が送れるので通信内容の幅が格段に広がります。

 

イ、物理的心霊現象の一種である「直接談話現象」

物理的心霊現象(客観的心霊現象)の一つに「直接談話現象」があります。これは霊媒の潜在意識に蓄積された単語や思想を使って文章にして、それを霊媒の声帯を用いて行う「霊言現象」とは異なります。

直接談話現象とは、霊媒から抽出したエクトプラズムで模擬咽頭を作り、この咽頭を使って通信を行う現象のことです。この模擬咽頭がメガホンに付着して部屋を動き回ることも多いです。

直接談話現象の場合は、言語や方言は通信霊が地上で生活していた当時の言葉であり、イントネーションも当時のままです。そのため霊媒自身は全く知らない古語や外国語であったりする場合もあります(→異言または異種言語発話現象のこと)。

 

⑧、質問その8

<質問>「除霊の際の霊的能力者と憑依霊とのやり取りが、心理カウンセラーとクライアントのやり取りに似ていると思うのですが、どう思われますか?」

<回答>

 心理カウンセラーとクライアントのやり取りの詳細は分かりませんが、本来の除霊は憑依霊の“心”を納得させて(→憑依している霊によっては、霊自身の“心”に「死の自覚」または「霊的自覚」を芽生えさせて行う)、オーラの融合を解消させるのが目的なので共通する箇所はあると思います。

 

夏期講座:シルバーバーチから見た霊性医療(2023年8月)

<目次>

1、基本的な事項

・スピリチュアリズムの人体観

・シルバーバーチの健康観・病気観

2、心霊治療の概略

・心霊治療の目的

・三種類の心霊治療

・心霊治療の種類

・心霊治療の周辺部

3、心霊治療の背景

・心霊治療のメカニズム

・治療エネルギー

・心霊治療家側の問題

・患者側の問題

 

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1、基本的な事項

 一般にスピリチュアリズムの世界では「心霊治療」という言葉が広く用いられているが、この「治療」という言葉には「病気の治癒や症状の軽快の為に行う医療行為」(国語辞典)という意味がある。そのため資格のない者が治療や診断などの「医療行為」を行えば「医師法」に抵触する恐れがある。将来「心霊治療」がメジャーになって行けば「治療」という言葉が問題になってくると思われる。

近年では「心霊医療」という表記が使われているが、夏期講座では一般に流布している「心霊治療」という用語をそのまま用いて解説する。

 

①、スピリチュアリズムの人体観

ア、人体観

この世は「唯物論の世界」である。そのためこの世の科学や医学の人体観では可視の肉体だけを対象としている。但し近年では“心(=物的な心、精神)”の状態によって引き起こされる病気の心身症が注目されている。

これに対してスピリチュアリズムでは、肉体以外に人間の肉眼では見ることのできないもう一つの体である「霊体」の存在を明らかにしている。スピリチュアリズムによれば霊体と肉体という二つの異質な体が重なり合って、または霊体は肉体に浸透する形で人間の体は作られていると説明されている。なお霊体には「霊的な心(本来の私という意識)」が、肉体には「物的な心」がある。顕在意識を通して形成された「物的な心」によって地上的人格(パーソナリティ)が作られる。

両者は質的な差異が大きいため中間物質で出来た「接合体(→ダブルやエーテル複体と言われるものと同じ)」によって結合されている。接合体を正確に言えば「高等な意識中枢(霊的な心)と脳(物的な心)との連絡の仕事を受け持つ精妙な組織」(個人的存在79⑥参照)という表現になる。この接合体は肉体とそっくりな形体をしており、この中に“チャクラ”と言われているエネルギーの流出入口や、東洋医学でいう所の“経絡”が存在する。一般の人は振動数の違いから霊体を見ることはできないが、霊視能力者は見ることが出来る。このようにスピリチュアリズムでは「霊体と肉体は接合体によって結合されている」という人体観を持つ。

 

イ、シルバーコード

霊体と肉体は中間物質で出来た二本の太いシルバーコード(→額の部分と腹の部分にある)と、網目状の細いシルバーコードによって繋がれている。スピリチュアリズムではこの二本の太いシルバーコードが切断された瞬間を以って死と呼んでいる(1050⑭、永遠の大道116②~③参照)。肉体はシルバーコードを通して“霊的エネルギー(生命力)”の供給を受けているが、切断によって流入経路が途切れてしまうと自壊作用によって土に帰る。

心霊現象の一つに幽体離脱(→肉体から霊体が離れる現象)がある。この場合には霊体と肉体はシルバーコードによって結ばれている。幽体離脱中に起きる肉体の異変はシルバーコードを通して霊体に伝わり、瞬時に両者は合体して身体は再び“物的バリア”に包まれる。

なおこのシルバーコードはどこまでも無限に伸びる性質を有している。臨死体験者の中には“銀色の紐”で繋がっていたと述べる者もいる。病床で死の宣告が為された場合であっても、肉体と霊体は依然としてシルバーコードによって繋がっていれば“死者”は必ず生き返る。その間の体験が「臨死体験」談として語られている。

 

②、シルバーバーチの健康観・病気観

ア、調和状態

シルバーバーチは「健康とは身体と精神と霊の三者の関係」が調和状態にあること(1127⑫、9171⑧参照)。これに対して病気とは、三者間の調和の欠如によって生命力の流れが阻害され、病的症状が出る状態であると述べる(2193⑬、9171⑦~⑪参照)。

 ここでいう「身体」とは肉体のことであり、“本来の私という意識(→自我の本体)”が地上世界で自己を表現する為にまとう「表現器官」のこと。次に「精神(=心)」とは地上人生を歩む人間の意識、「地上的な自我意識」になる。意識には肉体を持つが故に発生する「本能に起因する意識、及びそこから派生する意識」と、自我の本体である“本来の私という意識”から流れ込む「霊的意識」、この二つの出自が異なる意識が物的脳で統合されて一つになる。これが「精神(心)」(→いわゆる地上的な自我意識のことで、表面意識または顕在意識のこと)になる。三番目の「霊」とは“神の分霊”を内在させた“本来の私という意識”のこと。

 

イ、病気の原因

本来人間は「身体と精神と霊」の三者が調和状態(→この状態を健康と呼ぶ)でなければならないのだが、何らかの原因があって不調和状態になる、この状態を病気と呼んでいる。

 人間はさまざまな場面で自由意志を濫用して、それぞれのレベルに応じた摂理違反行為を日常的に行っている。たとえば暴飲暴食や昼夜逆転の生活など「身体レベル」で、また「精神レベル」では過重な緊張やストレスなどの負荷を日常的に掛けている。さらに霊性の低さに起因する利己主義や貪欲等の「霊的レベル」で、不調和状態を自ら作っている。

 この他に私たちは日常的に“過度の心配や取り越し苦労をする”ことによって、「生命力が流れる通路(→主に中間物質の接合体と物的身体を結ぶ通路)」を遮断してさまざまな病を発症させている。このように霊的摂理に違反することを行った結果、「身体と精神と霊」とが不調和状態となって病が発生する(→但しカルマが原因となって発症する病を除く)。

 

2、心霊治療の概略

①、心霊治療の目的

シルバーバーチは「健康とは身体と精神と霊の三者の関係」が調和状態にあること(1127⑫参照)。これに対して病気とは三者間の調和の欠如によって生命力(霊的エネルギー)の流れが阻害され、病的症状が出る状態と述べる(2193⑬、9171⑦~⑪参照)。

心霊治療には三つの段階がある。まず治療によって「病気も治り魂も目覚める」段階、次に「魂の目覚めはないが病気が治る」だけの段階、最後に「魂の目覚めも治病もないが、治療を施すだけ」の段階である(6181⑫~⑮参照)。

 霊的実在の証明という観点から見るならば、心霊治療によって患者の身体を癒して悩みを解消してあげても、霊的に何の感動を覚えなかったらその治療は失敗したことになる。心霊治療の目的は「眠れる魂を目覚めさせ、霊的自覚をもたらす(→霊的に何を為さなければならないかという自覚)」ことなので、「身体は治らなくても魂に何か触れるものがあれば、その治療は成功」となる。このように心霊治療の本質は魂に関わることであって、物的身体に関わることではない(1124③~⑤、9169①~③参照)。心霊治療は患者の病気が治ることが目的ではなく、心霊治療を通して「患者の魂が目覚めること」にある(→心霊治療は単なる病気直しの手段ではない)。

心霊治療や各種心霊現象などの全ての霊的活動の目標は、人間は霊的存在であることを理解させることによって「生命の実相に目覚めさせること」(613⑤参照)にあるから。

なお『シルバーバーチの霊訓』を読んでいると、頻繁に「霊」という用語が出て来る。この「霊」には三種類の意味がある。まず「神の分霊」として用いる場合がある。次に「一般的な霊」として用いる場合、さらに「個別霊」として用いる場合がある。「霊」がどの意味で使われているかは文脈から判断しなければならない。

 

②、三種類の心霊治療

ア、磁気治療、心霊治療、霊的治療

 

分類

主役

A

マグネチック・ヒーリング

ヒーラー自身の肉体エネルギーを患者に与えることによって病気を治癒する

指圧、マッサージ、整体

治療師

B

サイキック・
ヒーリング

サイキック・ヒーラー。
ヒーラー自身の霊体エネルギーを患者に与えることによって病気を治癒する

気功治療、レイキ、手かざしなど

治療師

C

スピリット・
ヒーリング

霊医が宇宙に遍満している霊的エネルギー(治療エネルギー)を、地上のヒーラーを通路にして患者に流す、これによって病気を治癒する

スピリチュアル・ヒーリング

霊界の霊医

 

上記の通り心霊治療には三種類ある(1126⑬~127③参照)。まず治療家自身の物的身体が持っている豊富な生体エネルギー(生体磁気エネルギー)を、患者に注入することで病気が治る場合がある(→マッサージ、按摩、鍼灸など)。この磁気的で生理的な治療は「A、マグネチック・ヒーリング」と呼ばれるものであり、霊界との関わりは全くない物的身体レベルの治療である(644⑬~45②参照)。死後の世界を一切認めない唯物論者でも、エネルギッシュでパワーのある人の側に行くと、しばしば体調不良が軽減するという現象が存在する事から、この「マグネチック・ヒーリング」は認めている。

次に心霊的ではあっても霊的とは言えないもので、治療家自身の霊的身体が持つサイキック・エネルギーを使う「B、サイキック・ヒーリング」がある(→気功治療など)。ほとんどの遠隔治療は此処に入る(1127④~⑤参照)。唯物論者にとってこの領域は、気功を認めるか否かで見解が異なるのでグレーゾーンと言える。

そして最も程度が高い治療法で、治療家は“霊力の通路”となる「C、スピリチュアル・ヒーリング(=スピリット・ヒーリング)」がある(1127①~②参照)。死後の世界を否定する唯物論者は、この治療法は一切認めない。

 

 このように心霊治療と言っても「A、物質次元の磁気的なもの」や、エネルギーの質は「スピリチュアル・ヒーリング」より落ちるが魂への影響力が限定的な「B、治療家の霊的身体を使用した心霊的なもの」。さらにその上に「C、霊界の高い界層からのエネルギー」を使用した治療がある(最後啓示204⑦~⑨参照)。心霊治療がどの段階の霊的エネルギーを用いて行うことが出来るかは、治療家の霊性の高さによって決まる(最後啓示205⑨~⑩参照)。

 

イ、スピリチュアル・ヒーリングとは

霊界の「霊医」が関与した「スピリチュアル・ヒーリング(=スピリット・ヒーリング)」とは、“霊界の医師”が患者の病が治るべき時機が到来している時に(→未到来の場合は治病なし、一定期間が経過後に効果が出てくる場合もある)、治療家を通して治療エネルギーを患者に注ぎ込んで一瞬のうちに治してしまうものを言う(1127①~②参照)。

その際に使われる治療エネルギーは“霊医(霊界の医師)”が霊界にある化学物質に相当する霊的素材を、患者の症状に応じて“調合”して作り上げたもの。その治療エネルギーを治療家が通路となって、中間物質に転換して患者に注ぎ込む、この治療スタイルを「スピリチュアル・ヒーリング(=スピリット・ヒーリング)」と言う(9174⑪~⑬、175⑥~⑨、最後啓示189①~⑤、190⑥~⑧参照)。

 

ウ、ヒーラーの分類

心霊治療家には「主役が治療家であるサイキック・ヒーラー」と、「主役が霊医であるスピリチュアル・ヒーラー(→治療家は霊力の通路)」がいる。後者のヒーラーは、通常の方法では物質界に届かないエネルギーを治療に用いるため、霊界の医師との間で可能な限り波長の一致をはかる必要がある(→親和性の法則から)。そのため「生活態度を可能な限り理想に近づける努力」(9173⑦~⑨参照)をする必要がある。

 

エ、まとめ

◆主役は治療家

・マグネチック・ヒーリング、治療家の肉体磁気エネルギーを使用、物的身体レベル

・サイキック・ヒーリング、治療家のサイキック・エネルギーを使用、霊的身体レベル

◆主役は霊医

・スピリチュアル・ヒーリング、宇宙に遍満している霊的エネルギーの一種である治療エネルギーを使用、治療家は“通路”となる。治療家の霊性レベルに応じて“通路”を流れる治療エネルギーの質が決まる。

 

マグネチック・ヒーリングやサイキック・ヒーリングは治療家の肉体や霊的身体に具わっているエネルギーを使用する為に、多くの患者に対応すれば当然にエネルギー不足に陥り疲労困憊となる。これに対してスピリチュアル・ヒーリングの場合は、治療家はエネルギーが流れる通路になるため患者の数をこなしても疲労感を感じにくい。

 

③、心霊治療の種類

ア、遠隔治療

心霊治療には治療家と患者が相対して行う「直接治療または接触治療(contact healing)」と呼ばれるものと、相対せずに患者不在の形で、または物理的な距離をおいて行われる「遠隔治療(absent healingdistant healing)」とがある。

 直接治療や遠隔治療は「治療の申込」によって開始される(9巻176⑨~177②、ハリー・エドワーズ著、梅原隆雅訳『霊的治療の解明』29⑩~30⑧参照)。この患者側からの「申込」と治療者の「承諾」によって、治療家と患者の間に治療エネルギーが流れる磁気的な通路が出来上がる(最後啓示27⑦~⑨参照)。

治療の申込は「患者から」「患者の周辺部の人から」「治療家から」の要請によって始まる。その際に本人が自分のために遠隔治療がなされていることを知らない場合でも、また治療家が一方的に施してあげる場合でも、両者間に磁気的通路が構築されるので遠隔治療は可能である(9177③~178⑥参照)。

霊界の「霊医」から送られた治療エネルギーは、治療家の“霊的身体(→物質性の濃い霊体、つまり幽体のこと)”を通過することによって“中間物質(→半物質的治療光線:9176④参照)”に転換されて、患者との間に出来上がった磁気的通路に乗って流れていく。

 

イ、セルフヒーリング

本来の“心霊治療(スピリット・ヒーリング)”では、治療家は“治療エネルギー(霊的エネルギー)”の通路となって、このエネルギーを能動的に用いて患者の病を癒している。この“スピリット・ヒーリング”の場合には、治療家の“地上的自我である精神(現在の私)”は受け身の状態となっている。

治療家自身が病となった時は、この治療エネルギーを自分に向けることによって病を癒すことができる。自分で自分を治癒する「セルフヒーリングには精神統一と受容性」(1174③~④参照)が必要になってくる。このようにして自分で自分を治せる治療家は数多く存在する(到来231⑩~⑪参照)。

 

ウ、心霊手術

治療家はトランス状態となって、霊界の「霊医」に一時的に肉体を使用させる(→患者は意識を保っている)。「霊医」は外科手術の要領で治療を行う。この治療を「心霊手術(spirit operations)」という。心霊手術には「霊界の霊医が治療師と一体となって行う場合(→霊医は治療師の身体を完全に支配下に置いて、自分の身体と同様に自由自在に使用する)」と、「治療師の生体エネルギーを使って行う場合」とがある。両者とも直接に患者の肉体に対して物質次元での治療を施す(→腫瘍などの病変組織を取り出す)ことに変わりはない。

 人体の構造は霊的身体と物的身体(肉体)、そして両者をつなぎ留めている中間物質の接合体の三つの要素から出来上がっている。肉体に現れた異常部位は人体と同一形体をした接合体の同じ場所にも表れるので、一般にこの接合体の異常を外科手術の要領で取り除くと、肉体に表れた異常が治るという仕組みである(→フィリピンのトニーは直接“肉体の患部”を外科手術の要領で治療を施している)。

 物理的心霊現象の一つである心霊手術が1980年代のブラジルやフィリピンで行われていたのは、霊的風土が心霊手術を行うに適していたから。霊的実在の証明はその地の住民の程度(→教育水準、文化の程度、霊的なレベル)に合わせないといけないから、と言われている(9102⑦~⑬参照)。

 

エ、憑依霊の除霊

A、異常行動や病気の発症

物質界と霊的世界が接する界(中間境)の下層にいる「死の自覚がない地縛霊」や、幽界の下層にいる邪霊が、患者側(→霊的敏感者の場合)に存在する何らかの霊を引き寄せる“受け皿(→例えば薬物依存、自殺願望、強い憎しみなど)”に応じて憑依する。その憑依の結果、患者に異常行動を取らせるケースや、憑依霊が持つ病気が患者に発症するケースがある。

 

B、ウィックランド博士の事例

憑依霊の除霊治療では、アメリカの精神科医カール・ウィックランド博士による治療がよく知られている(近藤千雄訳、ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版1993年。抄訳として田中武訳『医師の心霊研究30年』出版科学総合研究所1983年参照)。

 ウィックランド博士は患者が行う異常行動の原因は憑依霊にあるとして、患者に一種の電気ショックを与えて憑依霊を引き離す。そして患者から離れた憑依霊を、背後霊団のマーシーバンドが取り押さえて霊媒(ウィックランド夫人)にかからせる。霊媒に乗り移った憑依霊は、霊媒の口を使って博士と対話を行う。その対話の過程で憑依霊に死の自覚が芽生えて来て、マーシーバンドに伴われて患者から離れていく。このような方法で患者の異常行動や病の原因となっている霊を取り除いて治療を行った。ウィックランド博士が行った除霊治療は一種の“招霊実験の医学版”である。

 地縛霊は、霊的無知、誤った宗教的信仰、唯物的固定観念などが原因で「死の自覚」が持てず、霊的な波長に反応しないため周りにいる救済霊の姿が見えない(→肉体が無いにもかかわらず有ると思い込み、長年の習慣から肉眼で見ようとするため)。ウィックランド博士の霊媒はマーシーバンドという高級霊団によって保護されているので、地縛霊や邪霊を憑依させても害はない(→この除霊は霊界の霊団によるスピリット・ヒーリングのケース)。

 

C、除霊治療

一般的に行われている除霊治療には、形式や儀式偏重の傾向が見受けられる。この傾向につきシルバーバーチはキリスト教で行う悪魔払いの儀式を例に取り上げて、「ただの儀式として行うのであれば何の効果もない」「儀式は物的表現形式にすぎず、その反応はせいぜい精神の次元止まり、霊にまで及ぶことは滅多にない」(最後啓示92①~④参照)と述べる。

 

④、心霊治療の周辺部

ア、信仰治療

信仰治療は信仰の効用を利用して間接的に疾病を治療する療法で、「患者に対する治療行為が同時に信仰儀礼の一部」となっている点に特徴がある。M.エディ夫人(18211910米国)によってアメリカで創設されたキリスト教の一派、クリスチャン・サイエンスの信仰治療は良く知られている。

心霊治療(→スピリット・ヒーリングの場合)の治療主体は霊界にいる「霊医」。治療家は「霊医」と患者との間の通路となって、霊的エネルギーの変換器の役割を果たす。

これに対して信仰治療の場合は神や仏が治療を行うとされるので、病気を治すためには患者に強い信心が必要となる。そのため「病人に対してなされた祈りに効果がなく死が訪れたのは、まわりの者たちの信仰が充分でなかったためである」とされる。なぜなら「充分な信仰さえあれば神は彼らの祈りに応えてくれる」と教えられてきたから。

 イギリスの著名な心霊治療家ハリー・エドワーズ(1893年→1976年)は、患者が信仰を有していなくてもよい事例として「霊的治療が信仰治療ではないという証拠は、信仰を持つには若すぎる赤ん坊や子供が癒されるという事実によっても簡単に示される」。また本人が知らなくても「第三者からの依頼によって遠隔治療を受けるといった患者も存在する」をあげている(ハリー・エドワーズ著『霊的治療の解明』1984年、162頁~170頁参照)。

 

イ、暗示効果

精神状態を正すことで病を治す治療法として「偽薬(主薬を配合しない薬)」を使った治療がある。薬自体に何の作用がなくても患者は薬効があると信じて飲むと何らかの効果が生まれる(プラシーボ効果)。他に暗示法やイメージ法などがあるが心霊治療とは異なる。

19526月にハリー・エドワーズが盲人の目に心霊治療を施したら右目の視力が回復した。このケースに対して、英国医師会は「治癒は暗示に過ぎない」と述べた。この暗示に過ぎないという医学的説明に対して、エドワーズは「(英国医師会は)50年もの間の全盲状態の後、ただ見えますという暗示だけで視力が回復したとまじめに主張した」「(暗示だけで視力が回復するのならば)いったいなぜ、眼科医はもっと早くそれをしなかったのか、なぜ50年もほっておいたのか」と批判した(梅原隆雅訳『霊的治療の解明』168頁~170頁参照)。

 

ウ、補完・代替医療

伝統医学として、東洋医学(漢方)、気の医学(気功)、アーユルヴェーダ(→インドの伝統医学で心や体、行動、環境等の全体の調和が健康にとって重要とする治療)、ユナニ医学(→アラブ・イスラム圏の伝統医学で薬草や食事療法を中心とした治療法)などがある。また民間療法として、腹式呼吸法、カイロプラクティック、レイキ、ハーブ療法、食餌療法など数多くあり、いわば百花繚乱状態とも言える(→なかには迷信もあるので注意)。

 

3、心霊治療の背景

①、心霊治療のメカニズム

    

ア、「霊医」→「治療家」

治療エネルギー(→宇宙に遍満している霊的エネルギー:11213⑭参照)とは「賦活性をもった生命力の一種」(5127⑧参照)のこと。霊界の「霊医」は患者のオーラを診断して、「化学物質に相当する霊的素材」を一人一人の症状に合わせて“調合”し、治療エネルギーを作る(9174⑪、175⑥~⑨、最後啓示189②~⑤参照)。いわばスピリチュアル・ヒーリングはオーダーメイドの治療であり、準備は実際の治療行為の前に終了している。

それを霊的波長にも物的波長にも感応する治療家の霊的身体に、治療エネルギーの波長を落として潜在エネルギーの形で送る。治療家は送られてきた治療エネルギーを自身の霊的身体で「半物質的な治療エネルギーに転換」(最後啓示190⑥~⑧参照)する。

 

イ、「治療家」→「患者」

病を持つ患者は当然波長が低くなっている。そのため霊界からの高い波長を持った治療エネルギーを注ぐには、治療家の霊的身体を使って患者に合った程度まで波長を下げる必要がある(626⑥~⑪参照)。

治療家の霊的身体が持つサイキック・エネルギーと結合して中間物質に変換した治療エネルギーは、患者の霊と精神と肉体の三者が合一する場(639⑤~⑥参照)である松果体ないしは太陽神経叢を通って(640⑩参照)、患者の体内に流れ込んで全身に行き渡る。その時に患者は「電気的な温もりを感じる」(640⑪参照)。そのエネルギーが患者の「魂にカツを入れて居眠りの状態から目を覚まさせる」(9172⑫~⑬参照)。その結果、患者自身の肉体に具わっている自然治癒力が機能を発揮して健康状態を取り戻すことになる(9172⑭参照)。

 

ウ、テレパシーの使用

治療家と患者が対面していない場合(遠隔治療:absent healingdistant healing)は、患者側の“治療の申し込み”という思念が治療家のもとに届けられる。治療家が申し込みを受託した時点で、両者間にテレパシーによる“懸け橋”ができあがる。その“懸け橋”に乗って中間物質に転換された治療エネルギーは、患者の松果体ないしは太陽神経叢に送り届けられて、そこから全身に行き渡る(最後啓示191②~192⑦参照)。

 

②、治療エネルギー

ア、霊的・治療エネルギー

治療エネルギーとは「生命力の一部」であり「霊的エネルギーの一つ」(1128⑦、2108③~⑤参照)でもある。そのエネルギーが通路である治療家の霊的身体を通過して、患者の霊的身体に届けるのが心霊治療である(最後啓示69⑤~⑥参照)。

霊界の「霊医」は日頃から、治療家を通してどの程度の治療エネルギーが患者に送れるか、エネルギーの効果的な組み合わせはどれか等の研究を行っている(1130⑪~⑬、11149⑨~⑪参照)。なぜなら治療エネルギーは治療家の霊性によって制約を受けるから。ここから心霊治療家は流入する治療エネルギーの質量を高めるために、日常生活において霊性向上の努力が求められることになる(最後啓示70⑪~⑫参照)。

このような形で「霊医→治療家(通路、変圧器)→患者」と流れてきた治療エネルギーは、患者側に存在する「霊的無知、誤った生き方、誤った考え、高慢、自惚れ、嫉妬心、失望」(1134⑨~⑫参照)によって流入が拒まれてしまうことがある(→しばしば治療家は患者に治療エネルギーが入って行かず、跳ね返されると述べる)。

 

イ、治療効果

霊界の「霊医」から治療家がどの程度の治療エネルギーを受け取れるか、また患者が治療家からどの程度の治療エネルギーを受け取れるかは、さまざまな条件の下で治療が行われるので、やってみないとわからない。その時々の治療家の健康状態や、患者の霊的・精神的・身体的条件が、その患者に注入される霊力の質と量を決めることになるから(福音119⑩~120⑧参照)。

 心霊治療によって患者の病気が回復するということは、その背後に何らかの法則が存在しているということであり、さらに患者の魂がその法則を受け入れる時期に来ていることを意味する(247⑭~48②参照)。このような形で「本当の霊的治療が効を奏した時は、病はけっしてぶり返さない」(991⑫参照)。

なお心霊治療の目的は霊を目覚めさせることにあり、寿命を長引かせることではない。そのため寿命が来ている患者の場合には、治療によって魂が首尾よく肉体から離れるのを助けることになり、結果的に患者が死亡する場合も有り得る(最後啓示202⑧~⑩、9巻74⑪~⑬参照)。

 

③、心霊治療家側の問題

ア、治療家と霊界の関係

霊界側の協力を得るための最初の一歩は、地上人が行動で示さなければならない。まず真摯で献身的な治療家が正しい霊的法則に則って治療に当たっていることが必要である。この時の治療家は「サイキック・ヒーラー」に分類される。

この治療家の熱誠と霊性に、霊界の「霊医」が親和性から引き寄せられる(1172⑨~⑪参照)。そして治療家と「霊医」との協調関係が徐々に高まっていく。同時にその治療家のもとに、霊力を受け入れるだけの用意ができた患者が引き寄せられてくる(→患者本人による自発的な意思の発現という形をとって、霊界主導で治療家の下に連れてこられる)。

 

イ、治療家の霊性と治療エネルギーの関係

宇宙に無限に存在する“霊的エネルギー(治療エネルギー)”をどれだけ受け入れることが出来るかは、ひとえに治療家自身の霊的進化にかかっている。治療家の霊性が向上すればそれだけ受容性が高まるので、それに見合った良質の治療エネルギーが流入してくる(9103⑪~104⑧、最後啓示69⑨~70⑬参照)。そのためには「霊医」との調和状態を高めるために、治療家は可能な限り“理想に近づけた日常生活”を送る必要が出てくる。

このことから治療家に課せられた責務は、ひたすら自身の霊性を高めて良質の“治療エネルギーの受容能力”を増すことに尽きる。シルバーバーチは「現段階の地上界では、大霊の最高の治癒エネルギーは使用できません。治療家が霊的に向上するにつれて、より高いレベルのエネルギーが使用できる」(語る114⑨~⑪参照)と述べている。

 治療家の霊性を高めるということは、イラストで示した“本来の私という意識(=自我の本体、霊の心、魂)”に潜在している“神の分霊”を、“本来の私という意識”の領域により多く顕在化して行くこと(イラスト右)。顕在化率が高まれば治療家を流れる治療エネルギーの質が高まる。

 

ウ、受容力以上の霊的エネルギーが流れた場合

治療家の受容力が発達して、より高い運動速度・威力を持ったエネルギーに耐えられるようになると治療エネルギーは強度を増す(11149⑬~⑮参照)。流入する霊的エネルギーの分量に制限を加えているのは治療家の霊的発達レベルであり、それがどれだけの霊力を受け入れることが出来るかを決定づけるから(9171②~③参照)。なお強すぎる霊的エネルギーは治療家の霊的身体を通過する際に障害を引き起こす(11149⑬参照)。

 モーゼスの『霊訓』には「前節の通信(死刑制度を霊的観点から見た場合の誤り)が書かれた時の勢いはこれまでになく激しいものだった・・・書き綴っている時は手がヒリヒリし、腕ががくがくして、強烈なエネルギーが身体を流れるのを感じた。書き終わった時はぐったりとして横になるほど疲れ果て、頭の奥に激しい痛みを覚えた。そこで翌日さっそくその頭痛の原因を尋ねた」。このモーゼスの問いかけにインペレーターは「あの時の頭痛はエネルギーの強さと、それをそなたより引き出す時の速さが度を越したからである」(霊訓上46②~⑩参照)との記載がある。

 治療家の治療行為が、上記のような高い“霊的エネルギーの通過”に伴う症状に妨げられることなく行うことができれば、治療に一層の効果をもたらすことになる(→治療家の霊性が向上することによって、通路を流れる治療エネルギーの質が向上するから)。そのためには「霊医」から流れてくるより高い強烈な威力を持った治療エネルギーに、自らの霊的身体が耐えられるように治療家の霊性レベルを向上させる必要がある。そのためには自己犠牲を伴った利他的行為を行って、潜在している“神の分霊”を“本来の私という意識”の領域により多く顕在化させて、自らの霊的な受容力を増すことが求められてくる。

 

エ、治療家の仕事

A、治療家の営業活動

霊界とパイプのできた心霊治療家のもとには、いわば霊界側が“営業マン”となって患者を連れてくる。そのため治療家みずから患者を求め歩いて「病気を治してほしい人はいませんか」とか、「私は治療家です。どなたか治してほしい方はいませんか」などと(10142⑪~143②、1164⑩~⑫参照)、日常的に触れ回って“営業活動”をする必要はない。なぜなら霊界側が選んだ患者が、みずからの意志で治療家のもとを訪れるから。

なお治療家のもとを訪れた患者に対しては分け隔てなく心霊治療を施すが、施した後のことは患者自身の責任に帰する(1165⑪~66②参照)。治療家の責任の範囲は訪れた患者に対して治療を施すまでであり、患者が「仮に治療のあと間違った生活をしてさらに厄介なことになっても、それは患者自身の責任」(1167②~③参照)だから。

 

B、霊視能力や病気の診断能力

治療家の仕事に際して患者の“オーラが見える、見えない”は治療そのものとは何の関係もない。また病気の原因が診断できるか否かも関係ない(9179⑦~⑫、最後啓示194⑫~195⑤参照)。これに対して主役が治療家である“サイキック・ヒーラー”の場合は、これらの能力は治療家の仕事に何らかの形で役に立つかもしれない(→医師法違反にならない範囲で)。しかし主役が「霊医」である“スピリチュアル・ヒーラー”の場合は関係ない。むしろ親和性を高めて「霊医」が扱いやすい状態になることが大切である(9179⑧~⑨参照)。

 

C、治癒率について

数多い治療家の中には治癒率を誇る者もいる。心霊治療の目的やカルマの存在から考えてみれば、治療家が患者の病をどれだけ治癒させたか、という“治癒の成果”を誇ることは全く無意味なことである。

治癒率を誇る治療家には、心霊治療の主役は「霊医」であり“治療家は霊力の通路に過ぎない”という本質が抜け落ちていること。さらにカルマが絡んだ病気の場合には、カルマが解消する時期が到来(→霊的負債の完済時期)していなければ、治療家がいくら熱意を込めて治療しても患者の肉体に現れた病は癒えないということの理解がない。なぜなら心霊治療は“因果律の法則の枠内”で行われる行為であるから。治療家の行為は“実態(→患者が治る時期にあること)”と“外形(→実体が無いにもかかわらず患者にいまだ病が存在すること)”の不一致を解消することであって、奇跡を起こしているのではない。

 

オ、治療家の生き方の問題

治療家の患者を思いやる人間性は、自らの苦しみの体験から生まれてくる。治療家や霊能者の人生には共通したパターンがある。「必ず人生のどん底を味わい、もはや物質の世界には頼りにすべきものがないと諦めた土壇場で霊的真理との出会いがある」。このような絶体絶命の体験を味わうことによって霊的意識が芽生え、霊界との間にリンクができるから(1163⑭~⑮、121③~⑥、最後啓示34①~⑧参照)。人生のどん底を体験した治療家や霊能者は、現在どん底にある者の気持ちが良く分かる。相談者としての共感能力が高まるから。

 

カ、治療家は変圧器・コンデンサー

治療家は治療エネルギーが流れる通路であり、高い霊的波長を物的波長に変換するコンデンサーのような存在である(624⑤参照)。その治療エネルギーが治療家を通って患者に流入して乱れてしまった調和を取り戻すことになる。

 

キ、スピリチュアル・ヒーラーへの道

A、治療家は通路意識に徹する

治療家は霊的な受容性を高めて治療霊団との一体化を深めるためにも、個人的な感情を極力控えて無垢な状態を維持した“通路意識”に徹する必要がある(最後啓示71②~③参照)。ここから治療家は“通路としての高い品質を保つ(→霊性を高める)”ためにも、当然に日常生活のあらゆる面で自己コントロール(→自己修養)に徹する必要性が出てくる。シルバーバーチは「少しでも多くの霊力が流入するようにとの祈り以外のものがあってはなりません。あくまでも道具なのですから、自分勝手な考えを差し挟むことは許されません。霊力の流れの通路であること、それが治療家の仕事です」(最後啓示71③~⑥参照)と述べている。

 

B、「霊医」が使いやすい状態をキープする

治療家は「霊医」が使いやすいような状態を常に維持すること、霊力の通路であるという意識に徹すること、“道具”として完全になることを心がけること、このようなことが努力目標として求められる。日常生活の中で努力する、そのことが霊力の流れを豊かにする(9179⑧~⑪参照)。治療家の霊性が下がれば、「霊医」との波長が合わなくなるので質の良い高い治療エネルギーを受け取れなくなるから。

 治療家のもとにやってくる患者は病を抱えているため波長が低くなっている。このような患者と日夜接していると治療家自身の波長も患者に引きずられて低くなってしまうので、祈りや瞑想の時間を意識的にもって霊性レベルの向上に努める必要が出てくる(→何もせず感謝されていると落ちていくから、日々のメンテナンスが必要となってくる)。

上記のように治療家は「生活態度を可能な限り理想に近づける努力をしなければならない」(9173⑧~⑨参照)ので、スピリチュアル・ヒーラーへの道は厳しい。世の中には“自称スピリチュアル・ヒーラー”は多いが本物は少ない。

 

④、患者側の問題

ア、治療家と患者の関係

A、患者側の協力

患者は複数の治療家から遠隔治療を受けても問題ない(645⑩~⑬参照)。また患者が精神を統一して遠隔治療に協力することは、両者の波長の調整にプラスになるので治療効果が増す(7182⑧~⑬参照)。遠隔治療を行う際に時間を指定して行っても良い。しかし治療家の能力が一段と発達すれば、治療霊団との連絡がしっかりと出来上がるのでそれも不要となる(999⑬~100④参照)。

 

B、患者のうろたえの感情

心霊治療の最大の障害物は、患者の不安と取り越し苦労、そして“うろたえの感情”である。なぜならその不安や“うろたえの感情”が、治療エネルギーが通過する連絡通路を塞いでしまうから。霊力が一番よく働くのは受け身的で穏やかな雰囲気の時である(5128①~⑩、645④~⑨参照)。

 

C、病気治癒には条件がある

病気が治るためにはそれだけの霊的な資格がなければならないので、治らない場合は治るための霊的資格ができていないからと言える(9185⑤、186③~④、到来177⑫~⑬参照)。なぜなら患者には病気がきっかけとなって従来の生活を反省して、本来の生き方を学ぶ機会が与えられたのだから(1166④~⑤参照)、いわば病気は「魂の磨き粉」の役割を担っているから(→“本来の私という意識”に内在している“神の分霊”を、病という磨き粉を使って発現させているようなもの)。

治療家は患者側に存在する「治る時期の未到来」の問題や、病は「魂の磨き粉」という表現は、患者の精神状態を見ながらオブラートに包んだ表現で言うべきであろう。ストレートに言うと傷つけてしまうことになる。これは霊能者にも同じことが言える。低級霊の変化霊や想念霊の問題もあるので、安易に霊視したことをそのまま伝えると誤解を与えることになりかねない場合もある。

 患者の霊的成長段階によって、その人に注がれる治癒力の分量が決まるので(福音131⑮~⑯参照)、患者の魂に治療エネルギーを吸収する受け入れ態勢が出来ていない時は何の効果もない(到来151⑪~⑫参照)。治療家の責任は患者に治療を施すことであり、治療を施した後のことは患者自身の責任に帰すべき問題となる(1166①参照)。

 

イ、カルマと治る時期の問題

A、受け入れる段階にあるか否か

患者の中には“カルマ(霊的負債)”によって病が発症している場合がある。その肉体的苦痛が患者の霊的成長にとって不可欠の要素(→病が魂の磨き粉として必須)となっている場合で、目標とする成長レベルにいまだ達していなければ、いくら治療エネルギーを注いでも、いかなる治療家によっても治すことはできない。なぜなら患者の魂に治療エネルギーを受け入れる為の準備が整っていないから(1135⑧~⑩、619⑫~⑭参照)。

病とカルマとの関係から言えば、患者は“病という体験”を通して前世での霊的負債を返済しているので、完済しない限り治癒はあり得ない(1170⑪~⑮参照)。

 

B、「外形」を「実態」に合わせる

例えば銀行から借金してマイホームを購入した場合、銀行は購入したマイホームの土地と建物に抵当権を設定する。20年後に住宅ローンの返済が完了したとする(→これ以降、債務者は何時でも抵当権を抹消することが出来る)。これを心霊治療に当てはめれば、住宅ローンが完済となった時とは、カルマという霊的負債が無くなった時のこと。霊的負債を完済したので肉体に存在している病気は“治る時期が到来”したということになる。

しかし住宅ローンという借金を完済しても、登記簿上にはいまだ銀行の抵当権が付いたまま残っている(→病気は存在している)。この抵当権を抹消して始めて「自宅は完全に自分のものだ(→私の病気は完治し健康体に戻った)」と第三者に主張できる。

心霊治療家はこの「実態(→借金は完済した。病気の原因は消滅した)」と「外形(→いまだ自宅には銀行の抵当権が付いたままの状態にある。いまだ私は病気で苦しんでいる)」の不一致状態を正しているに過ぎない。いわば治療家は法務局に「抵当権抹消登記申請」をして、実態にそぐわない外形を正す行為を行っているようなもの。毎月の借金の返済(→カルマの解消の為に行う諸々の行為)はあくまでも“債務者である患者自身”が地道に行わなければならない。

 

C、病は魂の磨き粉

病と霊的エネルギーとの関係から言えば、魂がその反応を示す段階まで発達していなければ肉体への反応も起こり得ない。心霊治療が功を奏するためには、霊的エネルギーを受け入れるだけの態勢が、患者の魂に出来ていることが絶対条件となる。魂に受け入れ態勢が整うまでは往々にして“悲しみや病気がお伴をする”ことになる(→患者に伝える場合は慎重に)。なぜなら戦争ばかりしている地球人の極めて低い霊性レベルから見れば、病気は霊性の向上のための「魂の磨き粉(→磨き粉の粒子は粗い)」という位置づけになっているから。

心霊治療は最初に魂が癒され、その結果肉体が癒されるのが順序(622⑤~⑩参照)、つまり病気の原因が消滅してから肉体に表れた病気が無くなるということ。治療家は「治るべき条件の整った人を治しているだけ」(到来152⑦参照)とも言える。

 

◆出典及び主なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)文献

1.「シルバーバーチの霊訓、1巻~12巻」潮文社

2.「シルバーバーチの霊訓、スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ」スピリチュアリズム普及会

3.「地上人類への最高の福音、シルバーバーチの霊訓」スピリチュアリズム普及会

4.「霊的新時代の到来、シルバーバーチの霊訓」スピリチュアリズム普及会

5.「シルバーバーチは語る」スピリチュアリズム普及会

  現在は新版「シルバーバーチの教え」上巻と下巻になっている

6.「シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ」ハート出版

7.「シルバーバーチの新たなる啓示」ハート出版

8.「シルバーバーチ最後の啓示」ハート出版

9.「モーゼスの霊訓、上」スピリチュアリズム普及会

10.「モーゼスの霊訓、下」スピリチュアリズム普及会

11.「インペレーターの霊訓(続霊訓)」潮文社

12.「霊の書」アラン・カルデック編、スピリチュアリズム普及会

13.「霊媒の書」アラン・カルデック編、スピリチュアリズム普及会

14.「永遠の大道」マイヤースの通信、スピリチュアリズム普及会

15.「個人的存在の彼方」マイヤースの通信、スピリチュアリズム普及会

16.「ベールの彼方の生活、1巻~4巻」、潮文社

17.「ブルーアイランド」、ハート出版

18.「迷える霊との対話」、ハート出版

19.「500に及ぶあの世からの現地報告」、スピリチュアリズム普及会

20.「霊的治療の解明」梅原隆雅訳、国書刊行会1984

 

*上記「118」近藤千雄訳

*潮文社は廃業、全て絶版。但し「1」は、アマゾンのオンデマンドで購入できる

*ハート出版、0335906077(全て絶版)

*スピリチュアリズム普及会、0532410537(自費出版、注文すれば届く)

 

 

第4講、霊能者、心霊現象(2023年)

<目次>

1、顕幽の交流

2、霊能者について

・霊能者(霊媒体質者)とは

・霊的影響力の違い

・霊的な能力(サイキック能力、スピリチュアル能力)

・霊能者と金銭

3、心霊現象について

・心霊現象の種類

・物理的心霊現象について

・物理的心霊現象の目的

4、交霊会について

5、霊界通信について

6、憑依(マイナスの親和性)

7、講座に寄せられた質問

 

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1、顕幽の交流

ア、基本的な法則

スピリチュアリズムの土台部分である霊魂説には「この世とあの世は相互に交流が行われている」がある。この交流の根底には「親和性の法則」が存在する。これは霊的成長度が同じで親和性を有する者との交流が日常的に行われている霊界では基本的な法則だが(最後啓示149①参照)、霊界とこの世との間にもこの法則は働いている(5234①~③参照)。なぜなら「人のため」という利他的な願望は、自動的に同じ願望を抱く霊界人を引き寄せるから(217⑤~⑥参照)。

 

イ、最初の一歩は地上人が行動で示す

霊界側から地上人を援助するプロセスを見ると、まず霊界人の援助を引き寄せる為の何らかの“利他的な行動や強い思い”が地上人側に先行して存在する必要がある。最初の一歩は地上人側からであり「必要な条件を人間側が用意する」(2209⑨参照)ことから始まる。 

なぜなら地上人の利他的な行動や思いに共鳴した霊界人が親和性によって引き寄せられるから。霊界人から見れば地上人の意識の高さや霊的成長度はオーラから一目瞭然にわかるので、それだけの“資格”がなければ霊界人の援助は引き寄せられない。これが基本となる。

 

ウ、何のために霊界人は地上人を援助するのか

   

地上人が人のために行う利他的行為は、地上人自身のみならず霊界人にとっても霊性向上のチャンスとなるので、「親和性の法則」から同じ願望を持つ霊界人を引き寄せることになる。なぜなら親和性によって引き付けられた霊界人は、地上人の“利他的行為を援助する”ことによって(→法律用語だが教唆や幇助という形で)、宇宙に遍満している神の一部たる霊的エネルギーを、自らを通路にして他者である地上人に流すことが出来るから。

霊界人は地上人を援助する際に必ず霊的エネルギーの一部が霊界人の中に蓄積される。蓄積された霊的エネルギーは、霊界人自身の“霊的な心(本来の私という意識)”を活性化させて、内在している“神の分霊”の顕在化を促進させる。それによって自らの霊性レベルを引き上げることができる。霊界人も自身の霊性向上の為に常に“人世のために働く”ことを願っている(→なぜなら霊性向上は霊的本能の表れだから)。その為に絶えず霊的エネルギーの“通路・道具”となり得る地上側の協力者を求めている。

利他的行為は霊的エネルギーの循環を促進させる。これに対して利己的行為は霊的エネルギーの循環を阻止し、その結果、停滞が生じて流れに淀みが生じ、その淀みが諸々の災禍(→病気、事故、争い、戦争等)を招き寄せる原因となる。このことをシルバーバーチは「唯物主義(物質中心主義)と利己主義という地上世界を蝕む二つのガン」(1巻101⑫~⑭参照)という形で指摘している。

 

2、霊能者について

①、霊能者(霊媒体質者)とは

ア、言葉の意味

A、顕と幽の間を取り持つ人

霊能者(霊媒体質者)とは「精神的心霊現象」や「物理的心霊現象」を生起し、あるいは繊細な霊的バイブレーションを知覚できる能力を持った者をいう。なお生者と死者との間のコミュニケーションを司る者や、物理的心霊現象を生起させる者を、特別に「霊媒」と呼ぶことがある。この霊媒能力は生来的なものである。また霊能者は霊的な感受性が強い「霊媒体質者」でもある。

「霊能者」や「霊媒」という言葉は19世紀半ば以降のスピリチュアリズム普及運動の中で盛んに使われるようになったが、生者と死者を取り持つ行為自体は古代から洋の東西を問わず存在している。

 

B、霊的感受性

人間を体質別に分けると「霊的に敏感な体質を持つ者(感受性が強い)」と「霊的に鈍感な体質を持つ者(感受性が弱い)」に大別できる。一本の線上の左端には体質面から見て「霊的に極めて強い敏感な者(霊媒体質者)」がいる。そこから右に行くに従って鈍感の割合が強くなって行き、右端には「霊的に極めて強い鈍感な者」がいる。人が持つ霊的感受性はこの左端から右端までの何れかの地点の体質を生まれながらに身に付けて来ている。

このように生まれながらに特有の敏感体質を持つ者を霊能者という。いわば霊能者とは感受性が特別に強いが故に、取り扱いが難しい“精密機械のような体質”を持った者で、その能力を使いこなすにはそれなりの訓練が必要になってくる。

 

イ、人は誰でも潜在的な霊能者

生者も霊である。霊的な視覚・霊的な聴覚・霊的な触覚などの能力自体は、霊的身体が持つ知覚力なので本来的に全ての人間に具わっている。それ故に「人間はみんな潜在的な霊能者」(新啓示117⑦参照)といえる。

人間は物質文明の発達と引き換えに、それまで肉体機能の一部のように自然に使えていた、霊的身体に具わっている“心霊的な能力(サイキック能力)”が退化してしまった(5105②、福音31⑦~⑩参照)。しかしごく少数だが肉体をまとったままの状態でもこの能力を使用できる者がいる。この者を「霊能者・超能力者(サイキック能力者)」と呼ぶ。

 

ウ、霊界と繋がった霊能者とこの世だけの霊能者

人間は霊的成長に伴って“霊体に具わっているサイキック能力”が発揮できるようになっていく。いずれは人間のすべてが発揮する能力だから(5105⑤~⑥参照)。

霊能者の多くは霊界とは何の繋がりもない地上界の範囲内だけの“五感の延長”である心霊的な能力、例えば「霊的な働きかけがないテレパシー、透視、予知などの“ESP・超感覚的知覚”」を有するに過ぎない(福音79⑬~80②参照)。霊界と繋がった霊的な能力(スピリチュアル能力)を持つ“本物の霊能者”は少ない(1163⑪~⑫参照)。

ここから霊能者には“五感の延長”に過ぎない「サイキック能力者」と、霊界と繋がった「スピリチュアル能力者」の二つに大別できる。後者の「スピリチュアル能力者」は霊性レベルに応じた相応の霊界人から、インスピレーションや直感という形で援助が得られる。

なお心霊的な能力が潜在意識の表面近くまで来ている人は(→イラストBの領域、今生に於いて“霊媒体質者としての人生を送る”と決めて生まれてきた者)、霊能開発などによって容易く使用できるようになる(2105④~⑪参照)。このことをシルバーバーチは「人間のすべてが例外なく霊的資質を宿しております。ただそれが発現しやすい段階にまで来ているか否かの差があるだけです」(道しるべ250③~④参照)と述べている。

 

エ、霊能者はより多くの利他的行為が出来る人

  

イラストにもある通り人は誰でも自我の本体(霊的な心・本来の私という意識)の中に“神の分霊”を潜在的に宿している。その潜在的完全性(神の分霊)を意識の領域(霊的な心・本来の私という意識)に顕在化させていくことが、永遠の旅人たる人間の宿命(→霊的本能だから)となっている。

利他的行為を通して徐々に“神の分霊”の顕在化率を高めて意識を拡大させて行くと、最終的には“本来の私という意識”全体に“神の分霊”が顕在化する状態、つまり「霊的な心・本来の私という意識=神の意識」となる。しかしシルバーバーチによれば永遠にこの状態には至らないと言う(福音177⑨~⑩参照)。

意識に潜在している“神の分霊”を顕在化させて行くためには、肉体や霊的身体などの形体をまとって利他的行為を積み重ねて(→形体なき高級霊の場合は思念を通して利他的行為を行う)、その体験によって潜在的完全性(=神の分霊)を顕現させていくことになる。“神の分霊”の顕現度合いに応じて、愛や慈悲心などの“神の属性”が形体を通して外部に滲み出てくる(→高級霊の思念や形体からは愛に溢れた雰囲気が滲み出ている)。この“神の分霊”の顕現はあくまでも自らの行為によって顕在化させていくのであり、他者の祈りや祭りごとによって他力本願的に霊的進化が進むのではない。

 霊能者とは地上人生に於いて、一般人よりも多くの利他的行為ができる能力(→霊力の通路となる能力)を与えられた者である。スピリチュアリズムが目指している世界(地上天国)の招来に果たすことのできる役割は、一般人に比べても格段に大きいからである。それを「地上へ誕生する前の本人の自由意志」(新啓示118①参照)で決めてきた。

 

②、霊的影響力の違い

ア、霊力の通路となり得る者とは

シルバーバーチは“霊力の通路”として、霊能者が果たす役割の重要性をしばしば強調して述べている。たとえば「霊媒というチャンネルが増えれば増えるほど霊的真理という活力あふれる水が地上へ流れ込む」(2182⑮~183①参照)。さらには「大霊の力はそれを顕現させる能力を具えた人を通してしか発現できません。それが霊媒現象の鉄則です」(新啓示51①~②参照)などと。このような文言を目にするたびに、「霊力の通路となりうるのは霊能者のみなのか」という素朴な疑問が湧いてくる。

 しかし『シルバーバーチの霊訓』をじっくりと読んでみれば、霊能者以外の一般人もまた立派に霊力の通路たり得ることを述べている。たとえば「通路は霊媒に限りません。それとは気づかぬままに通路となっている人も大勢います」(179⑨~⑩参照)とか、「私たちが欲しいのはそういう道具、霊媒、あるいは普通の男女、その人を通じて霊力が受け入れられ、霊の教えが語られ、知識が伝達されるような精神構造をした人たちです」(3123⑤~⑦参照)。さらには「霊力に反応する人であればいつでもどこでも神の道具となります」(431⑤~⑥参照)などの表現が見受けられる。

 

イ、霊力の通路としての影響力の違い

霊能者も一般人の男女も「霊界側の真理普及の計画」を推し進める際に、霊力を地上に降ろす際の“手足・通路”となりうることには変わりない。しかし役割や影響力という観点から見ると両者には大きな違いがある。なぜなら霊能者がいなければ霊界から地上に霊的教訓を降ろすことや、霊的証拠を提示することができないからである。

このような役割を持つ霊能者は、「際限なき貪欲と利己主義、唯物主義」がはびこる地上世界という“戦場”においては、破壊力の大きな「戦車」にたとえることができる。なぜならたった一台の「戦車の破壊力(影響力)」は、歩兵(一般人の男女)が持つ「小銃の破壊力(影響力)」の数千倍もの威力があるから。

以上からも明らかなように霊力の通路となりうるのは、霊能者だけに限らず当然に一般人の男女も成り得る。このことはシルバーバーチがしばしば述べているように「奉仕を基調とする真の宗教を確立する」(5巻130⑮~131①参照)や「奉仕は霊の通貨です」(11142②参照)など、利他的行為を推奨している言葉からも分かる。

両者の大きな相違点は霊力の通路としての影響力、つまり「戦車」の砲塔から放たれる弾丸の破壊力(影響力)と、歩兵が持つ小銃の破壊力(影響力)の違いだけである。このようにシルバーバーチは、スピリチュアリズムの普及運動において重要な役割を演ずる「霊能者(戦車)」を、「一般人の男女(歩兵)」以上に強調して述べただけである。

 

ウ、日本に於ける「攻めの普及活動」

浅野和三郎氏(1874年→1937年)は日本における「スピリチュアリズム(心霊主義)&サイキカル・リサーチ(心霊研究)」の草分けの一人である。また日本の「伝統的な祖霊観・霊魂観」と「近代スピリチュアリズム」を融合させて「和製スピリチュアリズム(神道的スピリチュアリズム)」を打ち立てた人でもある。

大正時代の末期から昭和初期にかけて、浅野和三郎氏は霊能者を活用した「攻めの普及活動」を行おうと考えて、スピリチュアリズムの普及に大きな貢献ができる優秀な霊能者を探し求めていた。それは当時(20世紀初頭)の欧米社会においては「物理的心霊現象の霊媒、これが何れの国でも先ず心霊運動の口火を切る役」になっていたからであった(浅野和三郎著「種子は地に蒔かれた」昭和5年1月号『心霊と人生』掲載)。

 昭和3年(1928年)9月にロンドンで行われた第3回「国際スピリチュアリスト連盟(International Spiritualist Federation、略称ISF)」の大会に参加した浅野氏は、英米の多くのスピリチュアリストや霊媒と接触して交霊会に参加する機会に恵まれた。これらの体験はその後の浅野氏が日本に於いてスピリチュアリズムの普及を進めていく上で、かけがえのない財産となった。

帰国した翌年の昭和4年(1929年)以降、浅野氏のもとに亀井三郎氏(1902年?→1968年、本名は松森俊雄)など物理的心霊現象を引き起こすことが出来る霊能者が次々と集まってきた。それらの霊能者を前面に据えたデモンストレーションによって霊的知識の普及に弾みがつき、霊的レベルの向上がもたらされた(→霊能者という“戦車”を中核に据えた“攻めの普及活動”が行われた)。このことによって日本のスピリチュアリズムは「黎明期」から「発展期」へと大きく飛躍した。

 

③、霊的な能力(サイキック能力、スピリチュアル能力)

ア、二種類の能力

霊的能力の発達には、まず“本来の私という意識(自我の本体)”に内在している“神の分霊”を、意識の領域に顕在化させていく「自我の本体そのものの進化」、いわゆる「霊の進化(スピリチュアル能力の発達)」がある。次にこれとは別に“自我の表現器官たる霊体”に具わっている「心霊能力の開発」、つまり自我が霊の世界において自己を表現する為にまとう霊体に具わっている能力、自我の表現器官に関する発達(サイキック能力の発達)がある。

このように霊的能力の発達には「自我の本体の進化(スピリチュアル能力の発達)」と「自我の表現器官の発達(サイキック能力の発達)」の二種類ある(499⑩~⑭、到来81⑪~⑮参照)。霊能開発をしようとして精神統一の訓練をすると最初に心霊的(サイキック)な能力が出てくる(1157⑫~⑬参照)。人間は例外なく心霊的な能力を具えているから(1237⑦参照)。この心霊的な能力が発現した後に霊的(スピリチュアル)な能力が出てくる。

 

イ、霊的進化の指標

シルバーバーチは一貫して「霊の進化(スピリチュアル能力の発達)」の必要性を説いている。霊的進化の指標はサイキック能力の発現ではないから。「人の為に役立つ仕事を目的として霊界のスピリットの協力を得ながら心霊能力を開発した時」(2109①~③、福音81⑦~⑫参照)が本当の意味で霊的進化の始まりの時と述べている。

そのためにはサイキック能力を開発する為の霊能開発と同時並行して、他者のために役立つ仕事をして霊界人の協力を得る必要がある。これに対してサイキック能力は霊的身体という形体に具わっている能力であり、霊が進化していく過程で自然に発揮されていくものである。サイキック能力が発揮できるようになることが必ずしも「霊の進化」の指標とはならない(12214④~⑤参照)。

 

ウ、霊的に進化したと言える為には

霊能者(霊媒体質者)の“心霊的な能力の発達(→霊が使用する形体の発達のこと、サイキック能力の発達)”に“霊性の進歩(スピリチュアル能力の発達)”が伴っていなければ、霊的に進化したとは言えない(499⑩~⑭、到来81⑪~⑮参照)。なお心霊現象は霊媒体質者が有する心霊的(サイキック)な能力と、霊界人の協力による霊的(スピリチュアル)な能力の組み合わせで起こるものである(福音81①~④参照)。

 

④、霊能者と金銭

ア、評価の指標

しばしば霊能者は金銭的になり過ぎると“仕事”がうまくいかなくなると言われている。一般に「霊能者と金銭」の問題は、霊能者を評価する際の指標として良く用いられている。それは霊能者が金銭的になり過ぎると“意識の指向性(→ベクトルの向き)が下・地上的なモノ”に向かい、その結果として霊的波長が下がって感応道交する霊は物質臭の強い霊だけとなってしまうからである。

霊媒現象における“霊界人の協力”は顕幽を隔てるバイブレーションの壁を、親和性と“愛の力”をベースにして乗り越えて発揮されるもの。霊能者が金銭的になり過ぎるとバイブレーションが物質的となって、援助しようとする霊界人との関係が疎遠になるから。その結果、親和性の法則により物質レベルのバイブレーションに見合った低級霊や邪霊を呼び寄せてしまい、その影響下に置かれるからとされる。

 

イ、目的限定の能力

高級霊は「(霊媒能力は)あくまで霊的な目的のために使用しなければならない。営利目的のため、単なる好奇心の満足のため、あるいは低劣な無意味な目的のために使用してはならない」(続霊訓123⑬~⑮参照)と述べる。また日本における「スピリチュアリズム(心霊主義)&サイキカル・リサーチ(心霊研究)」の草分けの一人である浅野和三郎氏も「たとえ乞食になろうとも、霊媒になって飯を食おうなどとはお考えにならぬが得策です」(脇長生編『精神統一入門』霊魂研究資料刊行会、58⑨~⑩参照)と述べている。多くの事例を見てきた先人たちによれば、営利目的に走った霊能者は物質臭に満ちた霊に翻弄されてしまい、悲惨な末路を辿る者が多いという。

 上記のように高級霊や先人たちは、一様に霊能力は営利目的や単なる好奇心の満足のために使用してはいけないと述べる。なぜなら霊能力は地上人生に於いて利他的行為にのみ使用するという、目的を限定して与えられた能力だから。

シルバーバーチは霊能力の問題を、常に“潜在的完全性(神の分霊)”の顕在化という観点に立って述べている。「霊媒はやむにやまれぬ献身的精神に燃えなければならない。その願望そのものが霊格を高めていく」(6巻118①~⑥、到来112④~⑩参照)からと。

 

3、心霊現象について

、心霊現象の種類

心霊現象には誰にでも見える形で出現する“物質化現象・空中浮揚・物体移動・物品引き寄せ・叩音”などの「物理的心霊現象(客観的心霊現象)」と、霊媒の潜在意識を操作して行われる“霊視・霊聴・霊言・自動書記”などの「精神的心霊現象(主観的心霊現象)」、そして両者の中間形態の「心霊治療(心霊医療)」の三つに分けることが出来る。

心霊治療は身体の病気を治すという意味では物質的だが、それを治すエネルギーは霊的なもので、二重の要素を持つ(新啓示41⑭~⑯参照)から。

 

②、物理的心霊現象について

ア、物的要素が濃いエクトプラズム

A、霊の進化と物的エネルギーの関係

霊の進化と物的エネルギーの関係には「霊は進化するほど物的エネルギーが扱えなくなり、精神的感応力に訴えて知的な指導と指揮にあたることになる」(続霊訓160⑬~⑭参照)という。なぜなら物理的心霊現象を起こす為にはエクトプラズムの材料となる中間物質が必要となるから。実験に携わる霊界人はいまだ物的波動から抜け切っていない霊性レベルの低い霊であり、その霊が霊界側の技術者となって高級霊の監督の下で物理的心霊現象を演出するために働くことになる(霊訓上64⑬~65④、77⑧参照)。

 

B、物理的心霊現象の材料

客観的な心霊現象である「物理的心霊現象」の出現には、霊媒から流出するエクトプラズムがカギを握っている。エクトプラズムは物質と生命との中間的存在(半物質)である接合体の中で作られる(個人的存在82⑨~⑩参照)。

霊媒がトランス状態になると体内で精製されたエクトプラズムが外部に流出して、これに霊界の技術者が特殊な成分を混ぜ合せて、物理的心霊現象を引き起こす際の材料として使われる。このエクトプラズムを豊富に作る能力を持っている人が物理的霊媒になる(個人的存在82⑫~⑬参照)。霊的体質の違いによってエクトプラズムには個体差がある。

 

イ、エクトプラズムについて

A、名付け親

このエクトプラズムの名付け親は、フランスの生理学者(パリ大学医学部教授、1913年ノーベル生理医学賞を受賞)のシャルル・リシェ(Charles Richet1850年→1935年)である。リシェはイタリア人霊媒ユーサピア・パラディーノ(Paladino Eusapia18541918)を調査して、物理的心霊現象は霊媒の体内から出る「半物質状の透明な物体」がさまざまに変化して、物質化して現象を起こすということを突き止めた。その半物質状の物体を「エクトプラズム」と名付けた(デボラ・ブラム著『幽霊を捕まえようとした科学者たち』文芸春秋259頁~262頁参照)。

 

B、エクトプラズムの性質

エクトプラズムは多量の白血球と上皮細胞を含んだ唾液の成分に似ており、これが霊媒の口・鼻孔・目・くるぶしの裏側などの皮膚の薄いところから出て来て物質化現象を引き起こすことが知られている。エクトプラズムの性質に関しては、湿り気があり独特のにおいがする。またエクトプラズムはすべて霊媒の細胞からできており、物理現象がどのような形態であっても、エクトプラズムは全て霊媒の身体から出て霊媒の身体に戻って行くので「エクトプラズムは霊媒の一部である」ことになる。そして物理的心霊現象の目的を果たしたエクトプラズムが、霊媒の体内に戻る速さもまた瞬間的であり「まるでゴムのようにビューンという音とともに消えてしまったことがある」という(ハリー・エドワーズ著『ジャック・ウェバーの霊現象』国書刊行会1985年、135頁~144頁参照)。このようにエクトプラズムは物質化現象の材料として使われる。

なお交霊会で物理的心霊現象が出現している最中に、支配霊の許可を得ずに自分勝手にフラッシュや照明などの強い光を当てたり、出現した現象を掴んだりすると、霊媒は「自分の一部」を乱暴に扱われることになるので出血したり人事不省になったりする。注意する必要がある(M・バーバネル著『これが心霊の世界だ(新装版)』56①~⑤参照)。

 

C、霊媒の霊格とエクトプラズムの関係

エクトプラズムは霊媒から抽出されるため、「霊媒の体質が粗野であればエクトプラズムも精神的ないし霊的に程度が低く、精妙度が劣る。精神的に霊的に垢抜けした霊媒であれば、その性質がエクトプラズムにも反映する」(190⑬~91①参照)という具合に、霊媒の霊的レベルはエクトプラズムの質に反映する。当然に物理霊媒の霊格が低いほどエクトプラズムの質は落ちることになる(メッセージ84⑦~⑨参照)。

また霊媒自身の健康状態によっても左右される(ハリー・エドワーズ著『ジャック・ウェバーの霊現象』136⑤参照)。このような性質が有るため霊媒は霊的レベルの向上を心がけた生活を送れば、人間性が向上すると同時にエクトプラズムの質まで向上することになる。

 

③、物理的心霊現象の目的

ア、受容性に見合ったもの

19世紀後半から20世紀初頭にかけて盛んに行われた物理的心霊現象は科学者の関心を呼んだ。それは「従来の物理的法則では解釈のつかない現象を、あくまでも科学的手段によって、その実在性を立証する」(新啓示40⑨~⑩参照)ものであった。

この時期に頻発した心霊現象は、地上に霊的真理を普及するという計画の一環として行われたものであった。その方法は当時の人たちの受容性に見合った形がとられた。なぜなら霊的実在の証明方法は当然に人間の霊性レベルに応じて手段は変化して行くから。物理的心霊現象から「心霊治療と霊的教訓」への移行はその表れの一つであった。それは「霊媒現象の歴史が、詐術の嫌疑との闘いの連続であった」(新啓示42⑭参照)ことが背景にある。

 

イ、物理的心霊現象は補助的手段

「いつの時代にも自分の目で確かめ、手で触れないと気が済まない人、つまり物的次元での証拠を必要とする人」(到来49③~⑨参照)はいる。その人のために物的な現象は「霊的真理の実在性の証明」には必要である。シルバーバーチは物理的心霊現象の役割を「注意をひくためのオモチャにすぎない」(1巻126⑩参照)と述べる。

物理的心霊現象を伴う交霊会や精神的心霊現象などの霊媒現象の目的は、「見る目を持つ者、聞く耳を持つ者、触れる手を持つ者に一点の疑いもなく霊的真理の実在性を納得」させて、人間は霊的な存在であるということを自覚させることにある(1161④~⑤、2181⑮~182②参照)。この目的から見て交霊会の参加者が様々な現象が見られて「面白かった」だけで終われば、奇術師が行うショーと何ら変わらず、その交霊会は失敗したことになる。

本来、物理的心霊現象は霊的自覚を得るための補助的なものに過ぎなかった。20世紀に入ると物理的心霊現象は徐々に後退して「心霊治療と霊的教訓という高等な側面」(9165⑧~⑩参照)が前面に出てきた。

 

ウ、ハンネン・スワッハー・ホームサークル

バーバネルが霊媒となってシルバーバーチが出現する交霊会は「ハンネン・スワッハー・ホームサークル」という名称で知られている(110①参照)。このサークルでも交霊会の初めにテーブル現象がしばしば行われていた。参加者全員がテーブルの上に手を置き賛美歌(→交霊会がキリスト教文化圏で行われたから。その文化圏にいる人なら誰もが知っている讃美歌が“場”のバイブレーションを高めるために選ばれたものと思われる)を歌っているうちにテーブルが動き出す。そしてシルバーバーチ霊団のメンバーが各々テーブルを動かして挨拶をした(714①~⑩参照)との記載がある。

翻訳者の近藤千雄氏によれば、このテーブル現象は「交霊会の霊的磁場を強固なものにするため」(霊媒の書90⑦参照)であったという。物理現象によって何の問題も起こらなかったのは「背後に高級霊団が控えており、邪魔が入らないように万全の対策を講じていたから」(霊媒の書90⑧参照)と述べている。

 

4、交霊会について

ア、交霊会の参加者・立会人

A、霊的な柵の構築

霊的面から交霊会を見れば、会場に入ってほしくない霊を締め出すために、霊界側に“霊的な柵(→通信霊や霊媒の周りに霊的な結界を作る)”をこしらえる必要がある。その為にはエネルギーを参加者から供給してもらわなければならない(794⑥~⑦参照)。

参加者全員から少しずつエネルギーを取り出し、それを霊界側が用意したエネルギーとミックスして“霊的な柵”を作ったり、通信霊や霊媒にエネルギーを供給したりするなど、支配霊は交霊会の運営のために使用する(794⑩~⑪、2137⑦~138④参照)。

交霊会で使われるエネルギーは霊媒や参加者以外にも、室内にあるあらゆる物(→カーテン、カーペット、家具、その他の備品)からも抽出される。物質化霊の衣装に色を付けるために部屋中の素材から色素だけを抽出することもあるという(道しるべ95④~96⑦参照)。

 

B、霊界側から見た交霊会

 公開交霊会では支配霊を中心とする霊団が霊媒と通信霊を取り囲んで行われている。なぜならば交霊会に無分別な霊がもぐり込んできて「通信を正確に伝えるのに必要なデリケートなバイブレーションを台無しにしてしまう」から。それだけ周到に注意を払っても「その囲いの外から自分の存在を認めてもらおうとして大声で叫んでいる霊を鎮めることは出来ない」(M・バーバネル著『これが心霊の世界だ、新装版』潮文社87⑧~⑨参照)。ある公開交霊会では“結界”の外から、ロンドン訛りの霊から「なあ、ねえさん、オレにもやらせてくれなよ。ほかの連中はみんなやったじゃねえか」(バーバネル著『これが心霊の世界だ、新装版』88①参照)と言われたという。

このように霊の世界に行けばすぐに高い霊格が得られるというわけではなく、この世の人間と何ら変わるところはない。霊と云えども単に肉体がないだけであって、その本性は「霊的自覚(→意識の指向性が上・霊性向上に向く、霊として何をすべきかの自覚のこと)」が芽生えてくるまでは地上時代と何ら変わりはない。交霊会を台無しにされないためにも霊界側に“霊的な柵”を作る必要があるわけである。

 

C、具体例

シルバーバーチの交霊会に参加した霊媒のリリアン・ベイリー女史(Lilian Bailey)は、霊視で交霊会の舞台裏で働く“霊界の技術者”たちの姿を実況してみせた。「このボリュームあふれるエネルギー、迫りくるパワーは物質化現象に使われるものですね」「何人かのスピリットがそのエネルギーを部屋の中央へ運んで一つの固まりをこしらえているようです」「私が見たところでは大きな柱のようですね。白い柱です。コチコチに固いものではありません。そこから何本かの紐状のものが伸びて、メンバーの一人一人とつながろうとしています。各メンバーから何かを摂取しようとしているみたいです」(4181③~182④参照)と述べている。

 

イ、交霊会参加者の心得

A、交霊会の参加者は単なる見学者ではない

上記のように交霊会の参加者は単なる見学者ではなく、交霊会に必要なエネルギーを供給する役割を果たしている(→主に交霊会の運営や霊的な結界を作る際のエネルギー源として使用される)。なお交霊会の会場の雰囲気は受け身的でなければいけない(福音208⑩~209⑦参照)。なぜなら地上側はあくまでも受信者だから。

現象を起こすために用いるエネルギーは、霊媒や参加者の身体機能が受け身的な状態の時のみ利用できる。激論をしてエネルギーが脳に動員されている状態の時や、消化器官が活発に活動している状態の時はそれぞれの器官で消費されているので使用できない(続霊訓169⑥~170③参照)。出席者の中に一人でも病気や精神的悩みを抱えている者がいると、オーラ本来の機能が低下して通信に影響が出てくる(続霊訓166④~⑪参照)。また参加者が特別な先入観を抱いている場合や出席者の間に不協和音があると、それが交信の障害となって霊媒と支配霊との融和を妨げることになる。

交霊会の進行中は絶え間なく精神的エネルギーが作用しているので、「出席者の想念、思念、意志、欲求、願望のすべてが通信に何らかの形で影響を及ぼす」(4159⑩~⑪、福音208⑩~⑫参照)ことになる。

 

B、心霊研究者や懐疑論者はエネルギーの供給を無意識に拒絶

心霊研究者や懐疑論者は霊媒(超能力者)による何らかの行為が、心霊現象に介在しているか否かに関して強い関心を持っている。そのため実験に不正行為が介在しないようにあらゆるケースを想定して、厳格に管理された条件下で行おうとする。当然に心霊現象の出現は弱く小さくなる。なぜなら心霊研究者や懐疑論者は心霊現象の出現に必要なエネルギーの供給を無意識的に拒絶するから。このように参加者が持つ思念や特別な先入観などは、心霊現象に大きく影響を及ぼすことになる。

また霊界にいる低級霊の妨害も考慮しなければならない。学術的な研究目的ではなく、単なる懐疑論者が催す興味本位の交霊会では、支配霊はエネルギー不足から会場を霊的にガードする“柵(結界)”が構築できず、低級霊のなすがままにされてしまう場合がある。交霊会のメンバーの間に意見の衝突があって雰囲気が乱れている時も、低級霊の介入を許すスキを与えてしまうことになる(福音236⑫~⑬参照)。

 

ウ、レギュラーメンバーの存在意義

交霊会はレギュラーメンバーで定期的に開くのが安全である(2133⑭~134②参照)。すぐれた支配霊による交霊会では、レギュラーメンバーは何らかの存在意義を持った者が厳選される。中にはただ出席して椅子に腰かけているだけで好影響を及ぼす人もいる。

このようなレギュラーメンバーによる交霊会では、普段からその人のオーラを通じて霊的エネルギーが供給されているため霊的に安定している。しかし初めての人ばかりの集まりだと、交霊会の環境・条件を改めて整える必要がある(2143⑧~⑮参照)。

 

5、霊界通信について

ア、潜在意識との関係

A、潜在意識の持つ自動連携機能を操作して行う

 

身体機能をコントロールする潜在意識は(→この機能はイラストのB潜在意識の浅い部分に存在する)、顕在意識の命令にしたがって機能することに慣れている。一般的な霊媒現象はその潜在意識の持つ自動連繋機能を操作して行われる。つまり命令の指示系統を通常の「A顕在意識の指示 →B 身体機能をコントロールする潜在意識」から、「外部にいる知的存在の指示 → B身体機能をコントロールする潜在意識」に変える必要がある(→憑依現象もこれと同じパターン)。なぜなら霊媒現象の一つである霊界通信はすべて霊媒の潜在意識を使用して行われるから(266⑬、メッセージ80⑦~⑫参照)。

その為には支配霊は霊媒の潜在意識の連携パターンを熟知する必要がある。これをシルバーバーチはタイプライターに例えて説明している(メッセージ81⑤~⑧参照)。一般的な和文タイプライターでは文字配列表にカーソルを合わせてキーを押すと、該当する活字が用紙に押し付けられて印字する仕組みになっている。この例からも分かる通り、支配霊や通信霊は前もって霊媒の“身体機能と結びついた潜在意識”の機能を熟知しておく必要がある。

 

B、霊媒現象と睡眠との違い

なおこの場合の潜在意識とは、身体をコントロールしている潜在意識や今生の記憶が貯蔵された潜在意識のことであって、比較的浅い部分に存在する潜在意識(B)のことである。霊界通信などの霊媒現象を起こす為には霊媒の潜在意識を使用する必要があるので、霊媒が睡眠状態に入ると“身体をコントロールする潜在意識”も活動を停止してしまうので現象が起こせない。ここに霊媒現象と睡眠との違いがある(メッセージ74②~75⑪参照)。

 

C、オーラの融合

霊媒に乗り移った霊は意識に浮かんだ映像、思想、アイディアなどの思念(霊界の言語)を、地上の特定の言語である音声に転換しなくてはならない(→霊界の言語である思念を地上の特定の言語に翻訳する)。その際に霊媒のオーラと霊のオーラがどこまで融合できるかがポイントになる(→オーラを通して操作するから)。なぜならオーラの融合具合によって、霊媒の潜在意識の中にある語彙(→霊媒自身が忘れている語彙もあるが、記憶の層にちゃんと残っている:878⑧~⑨参照)に付着している“色”を、どこまで排除できるかの問題があるから(188⑦~89②参照)。

通信霊が高級霊であってもオーラの融合具合によっては、霊媒の潜在意識に影響された通信となってしまう(→霊訓の内容は別にして、ホワイト・イーグルの霊訓やオーエンの『ベールの彼方の生活』にはキリスト教の色が強く出ている)。

 

D、霊界通信のメカニズム

霊媒現象の一種である霊界通信は霊媒の潜在意識を使用して行われる(4157⑫参照)。通信霊は霊媒のオーラと通信霊自身のオーラを融合させて、霊界から携えてきた映像、思想、アイディア等の思念を霊媒の潜在意識にある単語や思想を使って文章にする(→方法その1)。または霊媒の潜在意識が自動翻訳機的な働き方をすることによって、潜在意識が自ら単語や思想を選び出して文章にする(→方法その2)。

例えば“方法その2”では、通信霊は霊媒の“柔らかいロウのような潜在意識”(永遠の大道27⑮~⑯参照)に“シンボル・型”を押し当てる、その押し当てられた“シンボル・型”に当てはまる用語や概念を霊媒自身の潜在意識が自ら選び出してくるという方法で。そして“方法その1”や“方法その2”によって思念を地上の特定の言語に文章化して、霊媒の潜在意識と繋がった言語機能に関わる器官(声帯、舌、口など)を使って、一連の言葉として霊媒の口から発声される。これが霊言現象の仕組みである。

 霊界通信を受け取る霊媒の優劣とは、ひとえに霊から通信を受け取る受信能力(→通信装置のアンテナの受信感度の問題)と、受け取った思念を特定の言葉に置き換える為の翻訳能力(→霊媒の潜在意識にどの程度の言葉や抽象的な概念・用語が蓄えられているかの問題)の高さ如何に掛かっていると言えよう。

 

E、霊媒の固着観念と通信内容

霊媒の精神を強く支配している固着観念があって、それが何らかの表現を強く求めているような場合がある。そのようなケースでは支配霊・通信霊は、霊界から携えてきた通信を送る前にその観念を一時的に吐き出させる必要がある。吐き出された通信は霊媒の潜在意識の中に存在する特定の観念の表明であり、何らかの強い思いである(189③~⑦参照)。このような事例があるので通信内容を鵜呑みにせず、必ず理性で吟味する必要がある。

また霊媒に俗世的な問題に関する質問をした場合は、内容が地上レベルの為に霊媒の潜在意識を刺激して、その潜在意識にある固着観念に沿った内容の回答をするので、霊媒自身の意見となる。これに対して霊の方から自発的に俗世的な問題に関するメッセージを送ってきた場合は、霊媒の潜在意識が通路となって降ろされたものである。

シルバーバーチは「霊からの自発的なアドバイスと、人間側からの質問に対する返答とを区別しなさい」「日常的な悩みについての質問をすることは感心しませんが、霊の方から日常的な問題についてアドバイスしてきた時は素直に受け取って結構です」(266⑬~67⑧参照)。また「支配霊がかかっている時は霊媒の潜在意識が活発に働いています。そこへ世俗的な質問をすると、たちまち意識の焦点が地上次元へと下がり、その次元での回答が出されます」(267⑪~⑬参照)と述べている。

 

イ、霊界通信の良し悪し

A、霊界通信の判断基準

霊界通信の判断基準のポイントは、「通信内容の質の高さ」と「霊媒の潜在意識に付着している“色”をどれだけ排除できたか」にある。一般に霊界通信は霊媒の潜在意識にある単語や概念を用いて通信を送ること(個人的存在20⑪~21④参照)、さらには霊媒の発声器官を使用すること、このようなことから多かれ少なかれ霊媒の潜在意識に脚色されてしまうものである。

 

B、潜在意識に付着する“色”の問題

霊媒の潜在意識を使った霊界通信の良し悪しは、「オーラの融合具合」「頑なに固執している固着観念の問題」「霊媒の健康状態」「会場を取り巻く雰囲気の問題」など、多くの条件によって左右される(189③~⑧、6207①~⑤参照)。

霊媒の潜在意識に付着している“色”の問題は(→通信内容に霊媒の潜在意識によって、どこまで歪められているかの問題)、通信霊のオーラと霊媒のオーラが完全に融合しているか、部分的か、全く融合していないかに掛かっている。「百%融合できたとしたら霊媒の潜在意識による影響はゼロということになる」(4159①~②参照)。このように通信霊が伝えたいとする内容は霊媒の潜在意識によって影響を受けるため、霊媒を通して地上側に百%伝わることは滅多にない(1巻88①~②参照)。

 

C、シルバーバーチの霊訓の優位性

霊媒の潜在意識の影響の問題については、シルバーバーチは「回を追うごとにコントロールがうまくなり、ごらんの通りになりました。今ではこの霊媒の潜在意識にあるものを完全に支配して(→潜在意識を“自己主張しない道具”として使って)、私自身の考えを100パーセント述べることができます」(917⑮~18②参照)と述べている。

これはバーバネルの“潜在意識による脚色”の問題を完全に克服できたということ、シルバーバーチが事前に用意した通信内容を交霊会において100パーセント述べることが出来たということである(→ポイントは三者間のオーラの完全な同調)。この状態は極めて稀有な現象であることが分かる。ここに数多い霊界通信が存在する中で『シルバーバーチの霊訓』が最高峰の位置を占める理由がある。

シルバーバーチは専属霊媒のバーバネルが死去すれば別の霊媒を通じて通信することはないと述べている。その理由を「この霊媒を通じて語るための訓練に大変な年数を費やして来ましたので、同じことを初めからもう一度やり直す気にはなれません」(828⑥~⑨参照)と言う。ここからもオーラの同調がいかに大変であるかが推測できる。

 

D、ホワイト・イーグルとの比較

シルバーバーチは「同志の一人であるホワイト・イーグルには彼なりの考えがあってのことでしょう」(新啓示25④参照)と述べて、同志と呼んでいる。霊的レベルはシルバーバーチと同格の高級霊であると思われるが、その霊界通信にはキリスト教や神智学の影響が強く表れている(→でくのぼう出版、桑原啓善訳『光への道』『秘儀への道』は色が強い)。

霊界通信に霊媒の潜在意識に付着している“色”が強く表れたのは、ホワイト・イーグルと霊界の霊媒(?)と地上の霊媒のグレース・クックの三者のオーラの同調が、完璧の域までは達していなかったことが考えられる。このためグレース・クックの潜在意識にある、言葉や概念に付着している“色”が、オーラの同調が完璧ではなかったために払拭しきれず、霊界通信にキリスト教や神智学の影響が強く表れてしまったと言える。

ここに霊界通信の難しさがある。支配霊又は通信霊が極めて高級な霊といえども、オーラの同調が完璧の域まで達していなければ、多かれ少なかれ霊媒の固着観念に色付けされた霊界通信となってしまうという好例である。

 

ウ、その他の問題

A、用語がないので通信できなかった例

霊媒現象では霊媒の潜在意識にある用語や抽象的な概念が使われるので、無学文盲の霊媒では高度な通信は送れない。このことに関してマイヤース霊は自動書記霊媒のカミンズの“記憶の層(→潜在意識の比較的浅い部分に存在する今生に関する記憶の層の部分)”に、天文学に関する用語が無かった為に通信が送れないとして一時通信を中断したことがある。そしてカミンズに百科事典の天文学の項目を読むように指示して読ませた。マイヤース霊が欲しかったのは宇宙に関する用語であって、知識ではなかった(個人的存在20⑪~21②参照)。

 

B、霊媒の人間性の問題

霊媒には霊媒としての考えがあり偏見があり好き嫌いがあるので、霊界通信にはある程度まで霊媒の固着思想が影響を及ぼしている(4158⑪~159②参照)。このような問題があるため霊媒の潜在意識が心霊現象に及ぼす影響の問題や、人間的性質の完全な排除の問題など、霊媒の人間性がしばしばテーマとなっている。

シルバーバーチは「通信のメカニズム」に関して「安ものの楽器よりも名匠の作になる楽器の方が良い音楽を生むのと同じで、霊媒も教養が高いほどよい、良い道具ほど良い通信を受けやすいから」(4巻160⑧~⑩、メッセージ83⑤~84⑫参照)と述べる。マイヤース霊の通信からも分る通り(個人的存在20⑪~21②参照)、霊媒の潜在意識に多くの言葉が蓄積されてないと、送れる通信の内容が限定されてしまうから。さらにシルバーバーチは「高級霊が人間性の低い霊媒を通して出ようとしても、その霊格の差のために出られません。接点が得られないから」(4161⑩~⑪、メッセージ83⑤~84⑫参照)と述べる。

 

C、情報源との連絡網

通信霊は霊媒の潜在意識を支配すると同時に、情報の供給源である霊界との連絡網を維持しなければならない。この世でもテレビの収録現場でカメラの前に立つ司会者は、シナリオ通りに出演者と会話を交えて番組を進めているが、予想外の展開になった時はカメラの死角にいるアシスタントがボードを使って必要な情報を司会者に送っている。司会者はテレビカメラに向き合って番組を進めると同時に、想定外の情報はアシスタントから入手している。

このようにテレビの収録現場では出演者やスタッフが“平面上の同じ空間”で仕事をして番組を作成しているが、霊界通信では霊の世界から波動の異なる物質の世界へと、次元を超えて通信を送らなければならない。さらに地上側の雰囲気が悪いと霊界との連絡網が限定されると同時に、通信霊と霊媒のつながりも弱くなってしまう。そのためより一層通信が困難となる(2118⑪~119⑥、メッセージ20⑤参照)。

 

D、多様な通信霊と通信内容

霊の世界は無辺であり、そこに住む霊の体験も多様であり無限であるので、霊界通信としてどういう内容のことが伝えられるかはひとえに通信霊の霊的レベルに係っている。霊の世界に移行後も固着観念を捨てきれずに地上的波動の中で暮らしている「霊的自覚」の芽生えが無い霊は、その固着観念に沿った内容のメッセージを送ってくることになる。ここに霊によって送られてくる内容に食い違いが生じる理由の一端がある(1087①~88①、到来30②~⑧参照)。

霊界通信は送られてきた内容によって価値が決まるので(2204⑦~⑬、道しるべ37①~②参照)、価値ある情報を入手したければ自らの霊性を高めると同時に、感応道交する霊のレベルを上げる必要がある。このように多様な通信霊の存在と通信内容が存在するため、霊界通信に接する場合には理性で通信内容を吟味して、常識的に考えて辻褄が合わないものは拒否する態度が必要となってくる(1088②~③参照)。

 

E、犠牲を伴った行為

霊妙な波長にある霊の世界から荒い波長の地上世界に、霊媒現象という形で霊が戻って来るには、多くの困難な条件をクリアする必要がある。そのため困難を克服して戻ってくる霊は愛念を抱く者や、使命がある霊に限られる。愛念こそが「地上の縁者を慰め、導き、手助けしようと思わせる駆動力」となるからである(189⑨~90①参照)。ここから多くの霊界通信は意識の関心が地上に向いている(→意識の指向性・ベクトルの向きが下を向いている霊)、物質臭の抜けきらない幽界の下層に居住する血縁者からのものとなる。ここに血縁重視の霊界通信が多くなる理由がある。

 さらに何らかの使命がある霊性レベルの高い霊の場合には、波長の切り替えを行って地上の荒い波長に同調させなければならない。このような困難を乗り越えてまで遂行しようとする使命とは、人間は霊であり自我の本体には例外なく神の分霊が宿っていること、その神性を地上生活中に自覚して(→霊的自覚のこと)意義ある地上生活を送ってもらいたい為である。ここに霊媒現象に秘められた目的がある(最後啓示49⑥~⑧、187⑤~⑧参照)。

 

エ、自動書記通信

自動書記通信で有名なモーゼスの場合は、一人きりになって心が受け身的になっている時に通信が不意に来るという。その際にモーゼスのオーラがしみ込んだノートや、使い慣れたテーブル、自分の部屋の方が現象は出やすいと述べる(霊訓上17⑨~⑩、20⑥~⑦参照)。

モーゼスは霊から、仕事で過労気味の時、興奮状態の時、身体の調子が悪い時、精神的な悩みや心配事のある時、食事のすぐ後、身体が眠気を催している時は自動書記をしないようにと注意された(霊訓上77⑫~78⑧、79④~80⑰参照)。このような状態の時は霊媒の波長はより物質性が強まっているから。

 

6、憑依(マイナスの親和性)

ア、意識の振れ幅

地上の人間の一日は、高尚な意識状態から動物性を過度に発現させた意識状態の両端の間で、絶え間なく揺れ動いている。人の魂を揺さぶる行動や話を見聞きすれば意識は高揚する。これに対して過度のアルコール摂取は、自らの“理性の蓋”を開放して動物性を強く発現させることになる。このように人間は意識の揺れ幅の状態に応じて、日常的にあらゆる霊的レベルにある霊からの影響力にさらされている。霊的に敏感者の場合には憑依される形で、霊的に鈍感な者の場合には邪霊の影響下にさらされるという形になる。

例えば(霊的に鈍感な者の場合)日頃まじめな人が一時的に邪霊の影響下に置かれて、ふとしたことから魔が差してスーパーで万引きをするとか、酒の席で悪い友人に誘われて違法カジノに行くなど、後で振り返ってみれば「なんであんなことをしたのか」と自分を責めることになる場合もある。

このような場合でも実際に引き寄せるのは自分と同じ霊性レベルの霊だけであり(894⑭~⑮参照)、それも「両者の間に親和関係がある場合に限られる」(語る435⑦~436③参照)。ただし憑依は本人側(霊的敏感者に限る)に霊を引き寄せる何らかの“受け皿”が存在する場合に起きるのであって、見境なく起きるわけではない。

 

イ、マイナス作用の親和性

親和性の法則には、原因があればその“原因の性質”に応じた形で、両者間に「親しみ結びつきやすさ」という関係がある。原因を発する者の行為や言動に相応した霊界人が引き寄せられるという関係は憑依現象にも言える。なぜなら憑依現象は親和性が“マイナスの作用”となって表れたものだから。これに対して霊界人の援助は親和性が“プラスの作用”となって表れたもの。

親和性があると言うことは人間の堕落した生活が“受け皿”となって同類の邪霊を引き寄せることになるので、人間の側から餌をまかなければ憑依は防げることになる(霊訓上48⑫~⑭、50⑥~⑧参照)。シルバーバーチは「自分は大人物であると思い込んでいる人間、大酒飲み、麻薬中毒患者などがこちらへ来ると、地上で似たような傾向を持つ人間を通じて満足感を味わおうとする」(5234⑦~⑨参照)と述べる。専門書によれば薬物依存症は「脳の神経回路が薬物に支配されてしまい、薬物の使用を自分の意志でコントロールできない状態(→生命力が流れる通路に障害物ができる:9巻125⑨参照)」であるという。既に存在する薬物に支配された神経回路を邪霊が代用できる為、影響が及ぼし易くなるから。

 

ウ、顕幽の悪循環を断ち切る

霊的世界に移行後さほど時間がたっていない霊の場合や、物質臭が極めて強い幽界の底辺部分で生活する霊にとっては、同じような“受け皿”を持った地上人には親和性から影響力を行使しやすいという特徴がある。なぜなら長年に亘って形成されたマイナスの性格傾向は、その人の潜在意識にパターン化されて組み込まれているから。

死後間もない霊や幽界の底辺部分にいる霊と地上人との間に、共通の文化・思考法・似たような地上体験などがあれば、憑依は殊更に簡単に行えてしまう(→地上的な習慣はパターン化されて潜在意識に組み込まれるため、いまだ霊的自覚が芽生えない霊界人の表面意識に色濃く残っているから)。

 高級霊は「地上の罪悪と悲劇の多くは邪霊が同種の人間に働いた結果に他ならない」(霊訓下156②~③参照)ので、その「悪循環を断ち切る方法は人類全体の道徳的意識の高揚と物的生活の向上に俟つほかない」(霊訓上50②~③参照)と述べる。

その為には地上においては霊的知識の普及活動(→各種講座・勉強会・読書会など集団を通して、または個々人に対する個別対応を通して普及させる)と、学んだ知識を日常生活に活用する各自の実践活動が求められている。これらが“車の両輪”となって、悪しき連鎖(→邪霊の影響下に置かれたり憑依現象が発生したりするなど)が断ち切られて行く。地上の問題を根本的に解決するには、個々人の意識の変化が喫緊の課題となっている。

 

7、講座に寄せられた質問

①、質問その1

<質問>「類魂について知りたいです。今の人生で関わっている人々と何か関係が有るのでしょうか。また旅先で非常に心惹かれる場所や出会う人もヒントになるのでしょうか」

<回答>

ア、類魂とは

 

A、霊的グループ

霊界(狭義)では霊的レベルが同一で、しかも完璧な親和性を持った霊たちは「類は友を呼ぶ」「似た者どうしは自然と寄り集まる」という形で霊的グループを形成している。このグループを「霊的家族」または「類魂(グループ・ソウル)」と呼んでいる。幽界の「虚の世界」を卒業して、霊界の「実相の世界」へ移行した“私”は、自動的に「霊的家族(類魂)」のもとに引き寄せられる。この“私”という意識(=霊的な心、本来の私という意識)の中に、地上時代に形成された「地上的人格(=地上的自我意識、物的な心)」が溶け込んでいる。

 

B、地上体験を持ち寄る

霊界では「霊的家族(類魂)」は各メンバーそれぞれが地上体験を持ち寄って、一つの大きな意識(=類魂意識、拡大した私という意識、イラスト右の意識)を作っている。各メンバーはその意識を共有して、無数にある地上体験を相互にカバーし合って、共同して霊的成長を図っている。つまり「あなたの“物的な心”が地上で体験した出来事は、私の“物的な心”では体験していないが、そのあなたの体験は私の地上体験でもある」という意識状態を作って霊的成長をしていく。別の表現を使えば、メンバー自らの地上体験をそれぞれの“直接体験(→あなたの体験は私の体験でもある)”に変換する「意識の共有化」を行って、共有状態の意識を作り出す。このように特定のメンバーの地上体験をメンバー全員の“直接体験”に転換して、「霊的家族」全員が共同で霊的成長を図っていく(→それぞれのメンバーの“霊的な心”のレベルを向上させる)、類魂とはそのシステムのことを言う。

 そしてこの「類魂というシステム」によって、地上に再生して物的体験を積むことが霊的成長に不可欠な「地上圏(地上→中間境→幽界の下層界→幽界の上層界→狭義の霊界)」という霊的世界を卒業して行く。

 霊界通信では「類魂の一人一人が体験と叡智を持ち帰って」(個人的存在116④参照)とか、「それぞれの(ダイヤモンドの)面が違った時期に地上に誕生して他の面の進化のために体験を求める」(476⑧~⑨参照)などと表現されている。

 

イ、人生で関わりを持つ人や場所

A、アフィニティの場合

 

いわゆる「ベースとなる類魂」とは「霊的家族全員が共同で霊的成長を遂げて行くグループのこと(→イラストABCD・・・)」。このグループから同時期に地上に生まれ出て体験を積むのは一人のみなので、同一類魂の構成員であるABが地上で同一時期に出会うことはない。

例外的に「アフィニティ(双子霊・ツインソウル)」と言う同系統で親和性が極めて強い関係にある魂がある。これは二つの人格は一つの魂の半分ずつというケースである(→イラスト右のA1A2)。シルバーバーチは「別々の人間でありながら一個の魂の半分ずつ」(10117③~④参照)、「(アフィニティは)一個の魂が半分に分かれた存在で、二つが同時に地上へ誕生することがある」(10136⑦~⑧参照)と述べている。言いかえれば個別霊Aの地上的人格A1A2は、肉体的には別々の人間でありながら一個の魂の半分ずつと言うことになる。地上に誕生した「男女一対魂」をツインソウルと言う。

 

B、何らかの因縁がある場合

 しばしばあるケースとして、前世での何らかの縁がお互いを引き付け合う親和力(因縁)となって、親しみを感じたり(→前世でお世話になった)、排斥し合ったりする関係(→前世で傷つけあった)へと発展する場合が考えられる。

 

C、デジャブの場合

また「初めて見る場所や光景であるのに、以前見た経験があるという思いにとらわれること」を“デジャブ(既視感)”という。このデジャブをスピリチュアリズム的に解釈すれば、睡眠時において幽体離脱してある光景を見た、その記憶が蘇ったというケース。さらにはその人は忘れてしまったが、潜在意識の中にある“今生の記憶の層”に蓄えられている過去の記憶が、何らかの形で再現されたケース等が考えられる。前世の記憶の再現といったケースは極めてまれな例であると思われる。

 

②、質問その2

<質問>「憑依現象について。地上的な名声や権力に固執する霊に憑依されることによって、他者から見れば非常に嫌な人間が社会的地位と金銭的な幸運に恵まれることがあるのでしょうか」「血縁者にそのような人間がいて、周囲の人間が精神的苦痛と金銭的不利益を被っていても、ひたすら忍従すべきでしょうか。因果律に則り、きっと行動の報いを刈り取る時が来る、私は菩薩道を実践していると心底思えればよいのでしょうが、私は未熟者なので、自分の怒りや憎しみを無視しているだけの自己欺瞞ではとも思います。自分も過去、こういった人生で他者に迷惑をかけたのかもしれないと忍従していれば許容できるようになるのでしょうか」

<回答>

ア、憑依現象について(質問の前段部分)

霊的世界に移行後さほど時間がたっていない霊や、物質臭が極めて強い幽界の下層界にいる霊にとっては、同じような“受け皿(→例えば自殺願望を持つ者は自殺霊を引き寄せる)”を持つ地上人には影響力を行使しやすい。

 他界霊は「霊的自覚」が芽生えるまでは、生前の「社会的な名声や権力に固執する」と言った性格傾向をそのままの状態で有している。そのような他界霊は親和性から、今を生きる“名声や権力に固執する地上人”に対して、霊の世界から影響力を行使している。

 霊からの影響力の行使によって、実力が伴わずに一時の波に乗って“社会的地位や金銭に恵まれた人”が、スキャンダルで転落するとか破産するなどと言った話題を、私たちは時々見聞きすることがある。本来“社会的地位や金銭”は自らの魂を磨くための“磨き粉”だと割り切った人生を送れば、低級霊の策動と思われる“どんでん返しの様な人生”には合わないと思われるのだが(→月の裏側の念写で有名な三田光一の“金塊引揚げ詐欺事件”参照、金塊引揚詐欺事件: スピリチュアリズム研究ノート)。

 

イ、カルマの解消の問題(質問の後段部分)

 背景には因果律の問題が絡んでいると思われますが(シルバーバーチは地上でもあるいは霊界でも偶然にそうなったというものは一つもありません。因果律は絶対であり、ありとあらゆる出来事を規制していると述べる:1180⑤~⑦参照)、迷惑を受けている人は相手の理不尽さに唯々諾々として従う必要はないでしょう。言うべき事、主張すべき事があればそれを相手にきっぱりと伝えるべきでしょう。それをしないと自分の精神が病んでしまいます。そういう悪戦苦闘する中で自らのカルマが消えて行くものだから。

 周囲の人間に対して「精神的苦痛と金銭的不利益」を与えている者が近親者の場合には、理不尽さに異議を唱えながらも何らかの形で手を差し伸べてしまうこともあるでしょう。この被害を受けている人の“もがき苦しみ”が自らの霊的負債の返済に繋がっていると同時に、意図せずにプラスのカルマ(→近親者として何らかの形で手を差し伸べてしまうという状態)を積むことにもなるということです。物事には必ず二面があります。難しい問題ですがシルバーバーチの立場からこの問題を考えると上記のようになります。

 

③、質問その3

<質問>「幸せとは何でしょうか」

<回答>

 「幸せ」とは相対的な表現です。現在「幸せ」と思っていたとしても、状況が変われば「幸せ」とは思えなくなるでしょう。幽界の下層界に広がる「天国・極楽といったエリア」で生活する霊は、自分の思いが何でも叶うので正に「幸せ」そのものです。しかしそのような霊にもいつかは「霊的自覚」が芽生えて来て、現在の境地が「幸せ」と思えなくなる時期が必ずやってくるものです。

霊は「霊的自覚」が芽生えて来ると「霊的本能(=霊的な心に潜在している“神の分霊”を顕在化して行くこと、イラストABCDEへ)」に従った生き方をしていくもの。その右肩上がりの霊的進化の過程で一瞬立ち止まって現在地を見て「幸せ」と感じるもの、その到達点も明日になれば自分の未熟さが見えて来て「幸せ」とは思えなくなるものです。

 

④、質問その4

<質問>「高級霊とはどのあたりにいる霊のことか」

<回答>

 高級霊という言葉は相対的な表現です。人によって定義がバラバラです。少なくとも高級霊と言うからには「霊的自覚」を持ち、意識の指向性が“上(霊性向上)”を向いている霊であり、霊格が自分より高い霊ということになるでしょう。

 類魂(霊的家族)とはグループ全員で地上体験を持ち寄って(→共有体験という形で)、共同して霊的成長をしていくシステムのこと。個別霊はこの類魂というシステムを使って、再生して物的体験を積むことが霊的成長にとって不可欠な界層の「地上圏(地上→中間境→幽界の下層界→幽界の上層界→狭義の霊界)」を卒業して行く。シルバーバーチは地上に再生する必要がなくなった「地上圏」を卒業した霊なので、当然に高級霊である。

いまだ再生が必要な成長レベルに留まっている霊の場合には(→「地上圏」を卒業していない霊)、高級霊とは一般に霊性レベルが自分より高い霊を指すことが多い(→相対的な表現だから)。

 

⑤、質問その5

<質問>「支配霊について」

<回答>

支配霊とは「交霊会における霊界側の司会者」とされる霊、または「霊団全体の指揮に当たる霊」(7176⑫~177③参照)のこと。交霊会が円滑に進行するように働く霊のことで、死者との交信を目的とする交霊会や諸々の霊媒現象の生起に携わる特別な霊能者に憑く。すべての霊能者の背後に支配霊がいるわけではない。

なおスピリチュアリズムの普及という特別な使命を持ったシルバーバーチは「シルバーバーチ霊団」全体の指揮に当たる霊なので「支配霊」という表現になる。シルバーバーチの役割から見て(→シルバーバーチよりも高い霊のマウスピースとなって霊的知識を普及させるという役目)当然にバーバネルの守護霊よりも霊性レベルは上。

 

⑥、質問その6

<質問>「一般の人の背後霊と霊媒体質者の背後霊の違い」

<回答>

ア、ハイリスク・ハイリターンの再生人生

 霊能者(霊媒体質者)とは地上人生に於いて、一般人よりも多くの利他的行為ができる能力(→霊力の通路となる能力)を与えられた者である。スピリチュアリズムが目指している世界(地上天国)の招来に果たすことのできる役割は、一般人に比べても格段に大きい。

 再生に際して「霊能者(霊媒体質者)」という特別の能力が与えられたということは、一般人よりも遥かに責任が重いということである。今生に於いてその霊的能力を“世のため人のため(→霊的成長が促進する)”に使わずに、私利私欲に使ったり煩悩まみれの生活を送ったりすれば(→霊性の停滞が発生する)、死後その行為に対して重い責任を問われることになる。

現状は霊的能力を何ら開発もせずに死蔵したり、私利私欲の為に使ったりと、本来の使用法から外れた霊能者(霊媒体質者)が圧倒的に多い。このような者は死後に於いて厳しく責任を問われることになる。いわば“ハイリスク・ハイリターン”の人生、つまり物的誘惑の多い霊能者としての仕事を無事にやり遂げれば大きな霊的成長がもたらされ(ハイリターン)、常に付きまとう低級霊や邪霊の策動に乗った人生を歩めば長期間の霊性の停滞が待ち受けている(ハイリスク)、極めてリスキーな再生人生を自ら選択したということである。

 

イ、霊力の通路としての影響力の違い

シルバーバーチは“霊力の通路”として、霊能者が果たす役割の重要性をしばしば強調して述べている。霊能者も一般人の男女も「霊界側の真理普及の計画」を推し進める際に、霊力を地上に降ろす際の“手足・通路”となりうることには変わりない。しかし役割や影響力という観点から見ると両者には大きな違いがある。なぜなら霊能者がいなければ霊界から地上に霊的教訓を降ろすことや、霊的証拠を提示することができないからである。

 

ウ、戦車と歩兵の違い

霊力の通路となりうるのは、霊能者(以下、戦車に例える)だけに限らず当然に一般人の男女(以下、歩兵に例える)も成り得る。両者の大きな相違点は霊力の通路としての影響力の違い、つまり「戦車」の砲塔から放たれる弾丸の破壊力(影響力)と、「歩兵」が持つ小銃の破壊力(影響力)の違いだけである。

シルバーバーチは「霊媒というチャンネルが増えれば増えるほど霊的真理という活力あふれる水が地上へ流れ込む」(2182⑮~183①参照)と述べているが、これはスピリチュアリズムの普及運動において重要な役割を演ずる「霊能者(戦車)」を、「一般人の男女(歩兵)」以上に強調して述べただけである。

 

エ、「霊力の通路」に応じた背後霊が憑く

 背後霊は地上人の霊的進化に見合った霊が霊的親和性から、人間を指導する目的で、または自身の霊的向上の為の必要性から援助している(霊訓上30⑫~⑬参照)。地上に戻ってくる霊は、地上の人間と連絡が取りやすい幽界にいる霊である。その中で一般人の場合には、主に「霊的自覚」が芽生えた幽界の上層界にいる霊が指導や援助を行う目的で降りてくる。

高級霊の場合は霊能者(霊媒体質者)に必要に応じて憑く(霊訓上31⑧参照)。なぜなら霊媒の霊的能力を通して地上世界にスピリチュアリズムを普及することができるから。当然に霊的能力を私利私欲に使う者や死蔵する者には高級霊はつかない。その者の霊性レベルに見合った霊が背後霊として憑く。別の問題として霊的能力の使用法如何によっては、一般人以上に霊能者は低級霊や邪霊の影響力を受けやすい(ハイリスク)という問題もある。

 

第3講、基本的な霊的法則、霊界の住人たち(2023年)

<目次>

1、スピリチュアリズムの「神観」

・神と顕現する場の関係

・神と人間との間に摂理が介在する

・霊界人の神観

2、基本的な霊的法則

・因果律

・一般的な愛

・親和性

・自由意志

3、見えない世界の霊的存在とは

・「天使的存在」と「人間的存在」

・霊的世界の主な住人たち、その1

・霊的世界の主な住人たち、その2

4,講座に寄せられた質問

 

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1、スピリチュアリズムの「神観」

①、神と顕現する場の関係

ア、全ての存在に宿る

シルバーバーチの「神観」は唯一絶対的な創造者である「神」あるいは「サムシング・グレート(偉大なる存在)」が宇宙を創ったとする「有神論・創造説」(注1)の立場に立つ(1196⑤、3184⑪~⑫参照)。この「創造主としての神」の立場から、被造物のすべてに創造者である神が「宇宙の隅々まで行き渡っている」とする。

シルバーバーチは「神は全生命に宿っております。全存在の内部に宿っております。全法則に宿っております」(5140⑪参照)と述べる。これは創造者である神と同質の霊が、個別霊の場合は“神の分霊”という形で、その他の場合は“霊(根源的素材たる普遍的要素としての霊)”という形で、神が顕現する“場(意識、魂)”とワンセットになって、全ての存在の内部に組み込まれていることを意味する。

 

イ、神の愛(普遍的な愛)

神は人智を超えた何らかの意図(設計図)によって宇宙を創った。神は宇宙にある全ての存在が自力によって「愛、慈悲心、寛容心、公正」などの“神の属性(完全性)”を100%支障なく発揮できる様な仕組み、つまり霊的法則を創った。

このように神の意図(設計図)が最初にあって、その意図を実現する為に“神の愛”がある。この“神の愛”を隈なく全存在物に行き渡らせるための手段として“摂理(霊的法則)”は存在する(→万物が自力で霊的成長する為の公平な仕組み、その仕組みの背後に愛がある)。ここから「神の意図(設計図)→神の愛→摂理(霊的法則)→全存在物」という関係性が見えてくる。なおシルバーバーチは「神は無限なる愛」(6153①)であり「愛とは摂理のこと」(8126⑪~⑫)と述べている。

このような形で創られた宇宙には“神の愛”が「普遍的要素としての霊(=霊的エネルギー)」に姿を変えて遍満している。この“霊力(=霊的エネルギー)”が霊的法則の作用によって、遅かれ早かれ宇宙の隅々にまで過不足なく及んでいくことになっている。その時の宇宙の姿は“神の属性(完全性)”が100%発揮された“完成された世界”となるであろう。

 

ウ、“神の分霊(霊)”と“場”がワンセット

A、個別霊の場合

人間たる個別霊にも“神の分霊”と神が顕現する“場”(→場とは「本来の私という意識」や「霊的な心」のこと。この顕現の度合いに応じて霊性の高い人や霊性の低い人“が存在する)が、自我の本体にワンセットになって組み込まれている。その“場”に於ける顕現状態は個々人によって異なっている。“場”に内在している“神の分霊”の顕現の度合いが高い霊とは、神の属性(→親切、同情、慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善、愛など:1巻19⑧~⑨、1巻155①~②参照)が形体からより多く、オーラという形で滲み出ている高級霊である。低ければ「残虐性、野蛮性、傲慢さなど」が形体からより多く滲み出ている低級霊である。

霊界ではそれぞれの霊は「意識の進化(→顕現する場・本来の私という意識・霊的な心に潜在している神の分霊が少しずつ表面に顕在化して行くこと)」に見合った形体をまとう。そして同一レベルの形体をまとった霊は親和性から集まって環境を形成するので「意識=形体=環境」という関係になる。霊界には意識の進化状況に応じて環境(=界層)は無限に存在する。必ずしも4界(物質界、幽界、霊界、神界)または7界(物質界、アストラル界、メンタル界、ブディー界、アートマ界、モナド界、ロゴス界)と言う訳ではない。

 

B、動物の場合

「神は全生命に宿っている」(5巻140⑪参照)ので当然に動植物にも宿っている。動物の場合では“集合魂(→イラストの升が神の一部である普遍的要素としての霊が顕現する場所となる集合魂)”に潜在している“霊”の顕現度合いが相対的に高ければ、その集合魂から派生する“個々の意識(イラスト、Aのエッセンス部分)”がまとう物的形体(イラスト、Cの物的身体)は、より個別化が進んだ高等な動物となる。そして長い年月の末に意識は類魂意識(グループ・スピリット)を持つまでに進化して、地上世界で“個々の意識”がまとう形体は哺乳類となる。

これに対して集合魂に潜在している“霊”の顕現度合いが相対的に低い場合は、集合魂を構成する“個々の意識(イラスト、Aのエッセンス部分)”がまとう物的形体は、生物学でいうところの「進化体系(人間→哺乳類→鳥類→爬虫類→両生類→魚類→昆虫→単細胞生物)」の中で“低いランク”の形体をまとうことになる。

 

C、自然界の場合

「神は全存在の内部に宿っている」(5巻140⑪参照)ので、当然に自然界の中にも“神の一部である霊”と神が顕現する“場”がワンセットになって組み込まれている(→シルバーバーチの神観は設計者である神は万物の外にいるとする有神論の立場、神と被造物とは同一とする汎神論とは異なる)。

顕現度合いが低ければ、地球の誕生当時に見られたように自然は大規模な噴火・嵐・地殻変動などを伴った荒々しい表情を見せることになる。物的地球は誕生して以降も進化し続けている。現在では荒々しい自然現象の頻度は太古に比べて低くなっており、穏やかな表情を見せている。

このような自然界から、人はその背後に潜在的に宿っている“神の一部である霊”の存在を感じ取り、畏敬の念を抱くことになる。自由意志を持った人間世界とは異なって、自然界からはストレートに神の存在を感じ取ることができる。それが自然崇拝へと繋がった。なお動植物の世界では個体の行動や存在それ自体に本能が作用している。そのため本能が作用している分だけ、個体からは神の存在をストレートに感じ取れない。

 霊的世界は神の被造物である全存在の内部に潜在している“神の一部である霊”が、顕現する場に顕在化している割合に応じたヒエラルキーの世界となっている。大まかにいえば「人間→動物→植物→自然」という階層構造となっている。

 

②、神と人間との間に摂理が介在する

ア、公平性の確保

創造主である神は人智では知り得ない“何らかの目的(神の意図・設計図)”のもとに宇宙を創り(→それ故に神は宇宙の外にいる)、統治する手段として摂理(→自然界を支配している理法や法則のこと)を創った。シルバーバーチはたびたび「摂理の神」(福音47⑫参照)を強調する。図式的に言えば「神→神の摂理⇔万物」となる。この神観では神と人を含む一切の万物は直接相対することはなく、両者の間には必ず「神の摂理(法則)」が介在する。神は摂理の裏側に隠れる形で存在することになる。

摂理が介在することによって万物を分け隔てなく平等に扱うことが出来るので御利益信仰は起こりようもない。なぜなら何人たりとも「神の摂理」に則れば霊的成長がもたらされ、逆らえば霊的成長が損なわれることになるからである。いわば「神の摂理」という川の流れに沿って生きるのか、それとも逆らって生きるのか。そこには各自の自由意志が介在する。

 

イ、人格神の否定

シルバーバーチは、神は人間的憤怒に動かされるような人間的存在ではない(372⑨~⑩参照)とか、「生身の一個の人物を絶対服従の対象としてはいけない」(386⑫参照)、神は個的存在ではない、人物的存在でもない(11108①参照)と述べて、現人神や人格神を否定している。

さらに「大霊(神)による直接の関与などというものは絶対にありません。あなた方が想像なされるような意味での人間的存在ではないのです」(到来46⑩~⑪参照)と述べて、神が法則を介さずに直接関与する形態(神⇔人間)を否定している。

 

ウ、「神⇒摂理(法則)⇔人間」の関係

 神と人間との関係は「神とは法則なのです。あなたが正しいことをすれば、自動的にあなたは自然法則と調和するのです」(779⑫~80②参照)と述べているように、神は法則を介して人間に働いている。図式的に言えば「神⇒摂理(法則)⇔人間」となる。

シルバーバーチは「摂理の神」を前面に出すことによって、奇跡や依怙贔屓等による例外規定は一切存在せず、人間を含めた万物に公平に神の愛が行き渡ることになると説く。このように人間側から見れば神は法則として現れるので(→法則の裏側に神がいる)、「神は法則です」と述べたまで(→神は全法則に宿っている:5140⑪参照)。

 

エ、祈りと摂理の関係

上記のような「神⇒摂理(法則)⇔人間」という神観が普及することによって、多くの信仰者が抱いている“神と人間が直接相対する神観”から生じる「神との取引」という行為。例えば高価な供え物をすることによって神の加護が増すという神観(→人身御供・生贄など)は誤りであることが明らかになっていく。

このようにして霊的摂理が普及して霊的観点から見た“本来の神観”が理解されるに伴って、従来の“御利益信仰的な神観”(→長時間祈りを捧げることによって願望が叶うなど)は質的に変革されることになり、地上世界が大きく変わっていくことになる。

人が何を信じようと、どのような信仰対象を持とうと、その対象に対して何を祈ろうと本人の自由だが、祈りが霊的摂理に合致していなければ叶えられない点だけは事実である。霊的真理が普及していくに従って、この点が明確となって行く。

 

オ、「祈りの対象」と「忠誠を捧げるべき対象」の違い

シルバーバーチは祈りの対象は神であると述べる(11113⑩~⑪参照)。なぜなら祈りとは、神の分霊である自己とその始源との一層緊密な繋がりを求めるための手段であるから(12125⑪参照)。従って神の使者である高級霊やイエスを祈願の対象とするのは間違いとなる(語る159⑦参照)。

 これに対してシルバーバーチは忠誠を捧げるべき対象は「宇宙の大霊すなわち神と、その永遠不変の摂理」(メッセージ165⑮~⑯、7207③~④参照)であると述べて、祈りの対象とは区別して用いている。なぜなら祈りの照準は当然に「神」でなければならないのに対して、個別霊が永遠の旅を続けていく為には「流れに乗る」という意味で「摂理」に合わせる必要が出てくる。そのため忠誠の対象として「神」に「永遠不変の摂理(統治の手段)」が加わった。

 

③、霊界人の神観

ア、神はその働きによって知るのみ

肉体をまとった状態では直接に神を認識することは不可能である。一方霊界人にとっても神はその働きによって知り得るのみである。シルバーバーチの霊性レベルでさえも「私はまだ宇宙の最高の顕現を見たと宣言する勇気はない」(6128⑨参照)として、高級霊でも“神(→宇宙の最高の顕現)”を見ることはできないと述べている。

 

イ、比喩「曇り空でも太陽の存在は感じられる」

モーゼス著『霊訓』のインペレーター霊によれば「(地上にいた時より)神については(多くを)知ることを得た。が、神そのものを直接には知りえぬ」「われらにとっても神はその働きにより知り得るのみ」(霊訓上38⑬~⑮参照)と述べる。さらに「たとえ(神を直接に)拝したことはなくとも、われらはその御業を通じて神の奥知れぬ完璧さをますます認識する」「われらは無数の方法で、その存在を認識する」(霊訓下31④~⑥参照)という。

 一般に用いられている比喩を使って表現すれば、「雲が重く垂れこめた曇天の日や雨の日であっても、私たちは昼間の明るさを通して太陽の存在を実感として感じ取る。雲に隠れているから、雨が降っているからといって太陽は存在しないとは誰も言わない」。ここに出て来る「太陽」を「神」に置き換えれば霊界人の神観が分かる。

 

2、基本的な霊的法則

①、因果律

ア、因果律の目的は霊性の進化

辞典の記載によれば「因果律とは一切のものは原因があって生じ、原因が無くては何ものも生じないという原理」(広辞苑)とある。

シルバーバーチによれば「(因果律とは)原因はそれ相当の結果を生み、自分が蒔いたタネは自分で刈り取る」(182③~④参照)ことであり、数多くある霊的法則の中でも基本的な法則の一つである。さらに因果律の根本には霊性の進化という目的があるため(1180⑥~⑦参照)、高級霊といえども“原因と結果”の過程に介入することは出来ない(7186⑪~⑫参照)。また行為者は永遠の旅路のどこかの時点で、必ず「蒔いたタネの刈り取り」を行う。必ずしも短い「地上生活期間中に(因果律が)成就されるとは限らない」(1179⑪~⑫参照)と述べる。

 

イ、「因・縁・果」の関係

私たちの毎日は絶えず「原因」を作り、その「結果」を刈り取りながら生活をしているようなものである。何らかの摂理違反行為という「原因」を作れば、それは本人自身が必ず返済していかなければならない(→例:暴飲暴食はやがて体の不調となって表れる)。その返済方法は条件(縁)に応じて異なるが。

 シルバーバーチも条件(縁)については「種を蒔きさえすれば芽が出るというものではない。芽を出させるだけの養分が揃わなくてはならない。養分が揃っていても太陽と水がなくてはならない。そうした条件が全部うまく揃った時にようやく種が芽を出し、成長し、そして花を咲かせる」(163⑫~64①参照)と述べる。

 このように宇宙は「原因と結果の法則(=因果律)」を基本として形成されているので、何らかの原因を作れば機械的に相応の結果が発生するのが原則である。しかし条件(縁)によっては表れ方(結果)が法則の範囲内で異なって出てくる(→水や光の当て具合で異なる)。

 

ウ、因果律は国家や民族に対しても働く

戦争や過去の植民地支配などによって引き起こされた行為は、当然に個人の集合体である国家や民族に対しても何らかの結果(→例:植民地宗主国に見られる負の遺産など)となって返ってくる(482①~②、433⑮~34①参照)。霊的摂理に逆らった行為を行えば、その行為の主体が「個人・集団・民族・国家」を問わず、いつかはその代償を支払わされることになるからである(語る93⑨~⑩参照)。

 

エ、複合的に働く因果律

各自は「民族・国家・地域・家など」、自分の周りで複合的に働くカルマを駆使しながら、自らが持って生まれてきたカルマの解消を図っている。

私がある国家や民族の下に生まれてきたと言うことは、その国家や民族が過去に作ったカルマを“大枠”として用いながら、その枠組みの中で自らのカルマの解消を図っていくということである。

民族や国家などの因果律の“大枠”による縛りの強弱は、一般には市井で暮らす庶民であれば影響は比較的薄いが、国家の意思決定の過程に直接携わる国家公務員や、国家を背負って他国で働く駐在員であれば縛りは強い。このように複合的に働くカルマを駆使しながら、自らのカルマの解消に努めると同時に霊性の向上を図っている。

例えば対外折衝という形で国家の意思決定に携わる国家公務員は、相手国との粘り強い交渉という“外交の場”を使いながら、自らが有するカルマの解消を図っていく。その他の国民は“重苦しい時代の空気(→例えばコロナ禍を生きる、近隣諸国との緊張関係の中で生きるなど)”を受忍するという行為を通して、その受忍の過程で自らが有するカルマの解消を図って行く。それと同時に過去に国家が作った“縺れた糸”をほぐしていくという形で。

 

オ、「因果律の拡張」と「業因縁の継承」について

A、「家(イエ)」と「家(家制度)」

日本に於いて見られる独特な因果律は、「仏教の縁起(因縁生起)」に「先祖崇拝思想」と「家の観念」が結びついて、国民の間に広く受け入れられてきたもの。この中の「先祖崇拝思想」は考古学の調査(→石と墓の配置など)から、既に縄文時代にはその痕跡が見られる。

古代より「家(イエ)」は家族生活の場であると同時に、社会の伝統的な構成単位である親族集団を指す言葉でもあった。このような生活の場や親族集団としての「家(イエ)」とは別に、「構成員の生死を超えて家産・家業・家名などの継承によって存続すべき家(家制度)」がある。

このような生活共同の単位としての「家(イエ)」が「家制度」という形で、社会の中に制度として組み込まれたのは比較的新しい。近年では「家」は家族と同義語と見なされる「家(イエ)」を指すことが多い。

 

B、「家制度」

江戸時代の「家制度」は「家禄制度」と結びついた武家階層や朝廷に仕える公家から始まり、徐々に豪商や豪農に広がったが、名家でもなく資産も無い大部分の庶民には初めから無縁な制度であった。それが明治31年(1898年)制定の明治民法によって、全国民を対象とした「家制度(=家族制度)」が創設された。これは戸主に家の統率権限を与えた制度で、古くからあった「家(イエ)」と言う家族集団を制度化したもの。明治民法の制定によって、日本における「家制度」は従来の「上層の家」から「庶民の家」へと拡大された。

この「家制度の拡大」につき著名な民法学者の中川善之助氏(1897年→1975年)は次のように述べている。「日本には二つの家族観がある」「一方に由緒正しき家系の名家名門である上層の『家』を基準に考えるもの、他方に戸主も家族も働いて共同生活をまっとうしている庶民の『家』を基準に考えるものがある」。

一般に「家の因縁」と言う場合の「家」とは、「構成員の生死を超えて家産・家業・家名などの継承によって存続すべき家(家制度)」を指すことが多い。このため「家」を「庶民の家」ではなく「由緒正しき家系の名家名門の家」という意味で、この立場から次に「家の因縁」を見て行く。

 

C、スピリチュアリズムから見た「家の因縁」とは

宗教では「先祖から流れてきている悪因縁は、身内の誰かが消さなければならぬ」として、この流れを断ち切るには「布施心が悪因縁を解消する最も良い方法」であると言われている。世俗的な心霊の世界でも、頻繁に「親の因果が子に報う(→先祖が犯した悪い行いが原因で、何の罪もない子がその報いを受けて不幸になる)」が説かれている。

 これに対してシルバーバーチは「原因を作った者は自ら償いをして刈り取る」という「自己責任の原則」(6巻58①~⑧、59⑫参照)を述べている。この「自己責任の原則」から見れば、孫は祖父が蒔いたタネ(原因)を祖父に代わって刈り取ることはできない。祖父が作った原因は祖父自ら何らかの形で、霊界でまたは再生して刈り取りをすることになる。

 孫は再生するに当たり、自身のカルマを解消するために日本という民族集団が有する大枠としてのカルマを使って、さらに「名門の〇〇家」に生まれて、この家に存在する“カルマの流れ”を利用しながら(→例えば代々の当主は極端な吝嗇家で傲慢な人であり、それによって作り出された家にまつわるカルマの流れ)、自分自身のカルマの解消をはかるのが最も適していると判断して再生したもの。血縁を重視して「名門の〇〇家」に再生したのではない。通常は祖父という霊魂と孫という霊魂の間には血縁関係はないから。

このように一般に言われている「因果律の拡張、業因縁の継承」は、シルバーバーチが述べている「各自が各自の人生の重荷を背負う(自己責任の原則)」という因果律の原則から見ると問題がある。

 

②、一般的な愛(利他的行為)

ア、愛の多様な形態

A、愛は全ての根源

愛は宇宙の原動力であり全ての根源となっている。例えばキリスト教文化圏では「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ福音書22㊴参照)という「隣人愛」があり、これが道徳・哲学・宗教等いずれの立場からも最も根源的な観念の一つとされている。儒教文化圏の東洋にも「仁(→血縁に根差す愛)」「仁道(→仁を無縁の人にまで広げていくこと)」「慈愛」といった観念がある。

シルバーバーチも同様に「愛が全ての根源です。人間的愛はそのほんのささやかな表現に過ぎませんが、愛こそ神の摂理の遂行者です」(1巻60⑭~61①参照)と述べている。霊界人が地上人に対して手助けするのも愛に根差しているから。このように愛は様々な形態の背後に存在しており、世の中の全ての根源となっている。

 

B、進化レベルの距離間に応じた「愛」の感じ方

一般にお世話をする者とされる者との“進化レベルの距離”が近い場合、例えばペットの犬や猫に対して、飼主が愛情を込めて世話をすれば、愛くるしい動作を伴った反応が返ってくる。お互いに「愛」を仲立ちとした良好な関係が築かれているから。

これに対して両者間の進化レベルの差が大きい爬虫類のトカゲや両生類のカエルをペットとしている場合ではどうか、当然に反応は鈍いであろう。さらに進化レベルに差がある昆虫の鈴虫の場合はどうか。飼主が与える餌や飼育箱の掃除・温度管理などの飼育環境の整備を鈴虫の視点から見れば、時間になると餌が出て来たり清掃されていたり、また温度が一定に管理されていたりと、鈴虫に感受性があれば一種の“法則性”として感じるのではないだろうか。

 このように人間と相手の“進化レベルの距離”が大きければ大きいほど、相手の受け止め方の違いは大きい。両者の距離の隔たりが大きいほど相手は人間の行為を愛情としてではなく、むしろ“無機質な法則”として受け取るのではないだろうか。

 

C、一本の線で「愛」を表現する

次に一本の線を引いて、線上の左端には物質性を帯びた究極の「利己的な愛(→束縛する愛、血縁や仲間重視の愛)」を置き、線上の右端には「利他的な愛(→与えるだけの愛)」の極致である“神の愛”を置く。ここでは「私」を起点にして、進化レベルの高い霊との関係で「私が感じる主観的な愛」がどのように変わっていくのかを見て行く。

この線上を物質性の濃い左端に行けばいくほど、「愛の表現」に利己性や特殊性が帯びてきて、そこに何らかの物質的見返りである「お金、モノ、保護などの対価」が伴ってくる。

一方右に行けば行くほど愛に内在するところの利己性や特殊性が薄れてきて、利他性が増して愛に普遍性が帯びてくる。受け取る「愛」の対象者も左端の「一対一」の特定の個人から、右端に行くに従って万人に、すべての生き物に、自然に、宇宙へと拡大して行く。

 

D、高級霊の「愛」

霊界通信で定評がある『シルバーバーチの霊訓』や『モーゼスの霊訓』を読んでみれば、高級霊の「愛」には普遍性が伴っていることが分かる。例えば人間の自由意志を尊重して「どうぞご自分の信じる道を歩まれるがよろしい」と突き放した言い方をする場合がある。

手取り足取り手助けしてくれるのが「愛」だと思っている、依存心の強い生き方をしている人にとっては、本人の自由意志を尊重する高級霊の「愛」からは一種の冷たさが感じられるのではないだろうか。高級霊レベルの「愛」でさえ、万人が等しく「愛」として感じるわけではない。さらに「超高級霊の世界」に行けば「愛」を受け取る対象がさらに拡大して、愛に内在する“規則性・公平性・普遍性”といった無機質さが前面に出てくる。

 

E、神=愛=摂理

線上の右端に位置する神は(→厳密には創造者であるため線上の欄外に置かれるが)、宇宙を統治する仕組みとして「神→摂理(法則)⇔万物」を創った。その仕組みの背後には、万物が平等に霊的成長を果たすための“究極の愛”が隠されている。なぜなら「(究極の)愛とは摂理のこと」「神そのものが愛」、すなわち「神=愛=摂理」だから(8126⑪~⑫参照)。このように考えると究極的な「愛」の表現は“法則”となっていく。

この“法則”として現われた「愛」が不完全な世界に行くに従って、“法則”の裏側に隠されていた温かみが表面に現われてきて(→愛する者と愛される者との距離が近くなるから)、次第に「愛」に個別事情と言った利己性や特殊性が帯びてくることになる。

 

イ、血縁重視の利己的な愛と利他的な愛

愛には普遍性を帯びた高い霊性を伴った愛から、血縁関係から発する“閉鎖的で内向的な愛”まで幅広く存在する。家族的な絆に根ざした血縁的な愛よりも「奉仕的精神から発動した愛」には、行為の純粋さが高い分だけ“神の属性(→愛・寛容さ・叡智・親切・優しさ・思いやりの心など)”がより多く顕在化している。なぜなら排他性を帯びた内向的愛よりも発展性がある外向的愛の方が、利他性指向が強い分だけ上だから(1145⑪参照)。

 

ウ、地上に通信を送る霊

シルバーバーチは次元の異なる地上に通信を送ることは、霊的波長から物的波長への切り替えを伴うことから「容易なことではない、(通信霊は)大へんな努力を必要とする」、そのため通信霊は必然的に「愛念を抱く者に限られる」(189⑨~⑪参照)と述べている。

このような困難を乗り越えて地上に送られてくる霊界通信の多くは、未だに意識の関心が地上に向いている物質臭が抜け切らない霊、物的波長に馴染み易い幽界の下層界に居住する血縁の霊からの通信である。ここに血縁重視の霊界通信が多くなる理由がある。

霊的自覚が深まるにつれて、霊には霊性レベルを向上させるという上昇志向が強まって行くため、次第に地上への関心は薄れて行く。そのため自覚が芽生えた霊からの通信は減っていく。傾向として地上への通信は、霊に何らかの使命がある場合に限られてくる。

 

③、親和性

ア、基本的な法則

A、最初の一歩は地上人が行動で示す

霊的摂理に「親和性の法則」がある。これは霊的成長度が同じで親和性を有する者との交流が日常的に行われている霊界では基本的な法則だが(最後啓示149①参照)、霊界とこの世との間でも「親和性の法則」は働く(5234①~③参照)。

 例えば人の為という利他的な願望は、自動的に同じ願望を抱く霊界人を引き寄せる(129⑤~⑦、217⑤~⑥参照)。そのプロセスを見ると、まず霊界人を引き寄せる為の何らかの“利他的な行動や強い思い”が地上人側に先行して存在する必要がある。最初の一歩は地上人側からであり「必要な条件を人間側が用意する」ことから始まる(2209⑨~⑫参照)。

なぜなら地上人の利他的な行動や思いに共鳴した霊界人が親和性によって引き寄せられるから。霊界人から見れば地上人の霊的成長度は霊体オーラから一目瞭然にわかるので、それだけの“資格”がなければ霊界人は引き寄せられない。これが基本となる。

 

B、何の為に霊界人は地上人を指導・援助するのか

 

地上人が人の為に行う利他的行為は、地上人のみならず霊界人にとっても霊性向上のチャンスとなるので、同じ願望を持つ霊界人を引き寄せることになる。なぜなら親和性によって引き付けられた霊界人は、地上人の“利他的行為を援助する”という行為を通して、自らの霊性レベルを引き上げることができるから。霊界人も霊性向上のため常に“人世のため”に働くことを願っている。そのため霊界人はたえず霊的エネルギーの“通路・道具”となる協力者を求めている。

宇宙に遍満している霊的エネルギーは他者に対する利他的行為によって(→行為者が地上人や霊界人を問わず)、行為者自身を通路として流れて行く。その際に必ずその一部が行為者に蓄積される。蓄積された霊的エネルギーは行為者の“本来の私という意識(霊的な心)”を活性化させて、その意識に潜在している“神の分霊”の顕在化を促進させるから。

 

C、「引き寄せの法則」の問題点

巷には「思いは現実になる」を応用して、これを「成功法則」とうたったセミナーや解説本で溢れている。それらには「お金の引き寄せ」「恋の引き寄せ」「思い通りの進学先や就職先を実現させる」等のタイトルが並んでいる。当然に引き寄せる対象は、物質性が強いこの世的なモノであり、それは本人自身の利己的な願望でしかない。

 利他的願望は霊性向上の為の動力源(→霊的な本能だから)となり、利己的願望は物的世界に縛り付けるという霊的摂理の原理から見ても、巷にあふれている「引き寄せの法則」には問題がある。そこには物的願望が叶えさえすれば良いと言う利己的思いが強くある。地上世界は霊性レベルを向上させるために物的体験を積むための「学校」と言った観点や、各自が遭遇する困難や障害は“魂の磨き粉”であると言った観点は全くない。

地上人が己の利己的願望達成の為に引き寄せる霊界人とは、親和性の法則から見て物質臭の強い低級霊や地縛霊(→いまだ死んだという自覚のない霊)である。引き寄せる人が霊的に敏感体質者の場合には、良からぬ影響を受けることがある。

 

イ、憑依(親和性の法則の一種、負の親和性)

A、意識の振れ幅

地上の人間の一日は、高尚な意識状態から動物性を過度に発現させた意識状態の間で、絶え間なく揺れ動いている。人の魂を揺さぶる行動や話を見聞きすれば意識は高揚する。これに対して過度のアルコール摂取は、自らの“理性の蓋”を開放して動物性を強く発現させることになる。

このように人間は意識の揺れ幅に応じて、あらゆる霊的レベルの霊からの影響力にさらされている。しかし「実際に引き寄せるのは自分と同じ霊格を持った霊だけ」(894⑭~⑮参照)であり、「両者の間に親和関係(→何らかの共通の受け皿)がある場合に限られる」(語る435⑦~436③参照)。例として自殺願望がある人は自殺霊を引き寄せるなどがある。

 

B、マイナス作用の親和性

親和性の法則には、原因があればその“原因の性質”に応じた「親しみ結びつきやすさ」という関係がある。原因を発する者の行為や言動に応じた霊界人が引き寄せられるという関係は憑依現象にも言える。なぜなら憑依現象は親和性が“マイナスの作用”となって表れたものだから。これに対し霊界人からの援助は親和性が“プラスの作用”となって表れたもの。

霊的世界に移行後さほど時間がたっていない霊や、物質臭が極めて強い幽界の底辺部分にいる霊にとっては、同じような“受け皿(→例えば自殺願望を持つ者は自殺霊を引き寄せる)”を持つ地上人には影響力を行使しやすい。長年に亘って形成されたマイナスの性格傾向は、その人の潜在意識にパターン化されて組み込まれている。死後間もない霊や幽界の底辺部分にいる霊と、地上人(→霊媒体質者に限る)との間に共通の文化・思考法・似たような地上体験などがあって、さらに“受け皿”が存在すれば憑依は殊更に簡単に行えてしまう。

 親和性があると言うことは人間の堕落した生活が同類の邪霊を引き寄せることになるので、人間の側から“餌(受け皿)”をまかなければ憑依は防げることになる(霊訓上48⑫~⑭、50⑥~⑧参照)。シルバーバーチは「自分は大人物であると思い込んでいる人間、大酒飲み、麻薬中毒患者などがこちらへ来ると、地上で似たような傾向を持つ人間を通じて満足感を味わおうとするもの」(5234⑦~⑨参照)と述べる。

 なおシルバーバーチは「調和のとれた生活、正しい心掛けと奉仕の精神にあふれた生活、我を張らず、欲張らず、独りよがりにならない生活を心掛けていれば、憑依現象は絶対に起きない」(語る436①~③参照)と述べる。

 

C、顕幽の悪循環を断ち切る

高級霊は「地上の罪悪と悲劇の多くは邪霊が同種の人間に働いた結果に他ならない」(霊訓下156②~③参照)ので、その「悪循環を断ち切る方法は人類全体の道徳的意識の高揚と物的生活の向上に俟つほかない」(霊訓上50②~③参照)と述べる。地上においては霊的知識の普及活動、そして知識を日常生活に活用する為の実践活動が、マイナスの連鎖を断ち切る為には喫緊の課題となっている。

 この地上人と霊界人の関係を物理の「音叉(おんさ)」の実験に例えて見れば良く分かる。固有振動数が同じ共鳴箱付き音叉を二つ用意して、片方を鳴らすと空気の振動を伝わって他方の音叉もなり始めるが、固有振動数が違う場合は共鳴しないという現象と同じである。

 

④、自由意志

ア、自由意志を使って霊性の向上を目指す

霊的摂理の中に「自由意志の行使」という法則がある。人間はロボットではないので、一定の枠組みの中で神からの授かりものである自由意志を有している(3162⑨、435④参照)。

これを用いて自らの判断で行為を行うことによって霊性レベルのアップをはかっている。当然にその使用法を誤れば霊性の停滞を招き、それ相応の責任が発生する(→マイナスのカルマの発生)。これは個人であろうと国家であろうと同様である。

 

イ、自由意志と宿命との関係

 

A、再生テーマの設定

しばしば自由意志と宿命との関係が問題となる。再生に際して「本来の私という意識(霊的な心、霊的意識)」は指導霊の助言を得ながら「出生に際してのテーマ(再生テーマ)」を設定する。テーマには二つの側面がある。まず「本来の私という意識(霊的な心)」に内在する“神の分霊”を意識の領域により多く顕在化させる為に「新たな地上体験を積む」という側面(→シルバーバーチは「潜在的大我の発達にとって必要な資質を身に付ける」と述べる:1109⑧参照)。次に「地上でしか償えないカルマの解消を図る」という側面がある。

 

B、「本来の私(という意識)」の自由意志

これらの「再生テーマ」を地上人生の中で達成するため、「本来の私という意識(霊的な心、霊的意識)」は最も適した「試練、寿命、性別、両親、体質など」を自由意志で選定する。なお過酷な体験の中で“再生テーマ”をクリアしていく道を選択した場合には(→ハイリスク・ハイリターンの道を選択)、当然に背負うハンディキャップは厳しいものになる。

 

C、「現在の私(という意識)」の自由意志

地上に誕生して肉体をまとうことによって、肉体本能に強く影響を受けた「現在の私という意識(物的な心)」が生まれる。この「現在の私という意識(物的な心)」は「本来の私という意識(霊的な心)」が自由意志で設定した大枠としての地上人生に沿って(→この大枠は現在の私から見れば宿命となる)、遭遇する試練に対して“現場サイドの自由意志”を行使しながら乗り切って行く(→運命づけられた一定のワクの中で自由意志が許されている:485①~②参照)。その過程で“再生テーマ”の達成を図っていくことになる。

 

ウ、自由意志の行使という二つの側面

自由意志の行使の問題は、まず「本来の私という意識(霊的な心)」が行使する側面(1109⑨参照)と、他方「現在の私という意識(物的な心)」が行使する側面の二方面から考察する必要がある。後者はいわば“現場サイドの自由意志”である(注2)。

 自由意志は「本来の私という意識(霊的な心)」が進化した分だけその行使範囲は広くなる(164⑩~⑫参照)。その結果として「現在の私という意識(物的な心)」が行使できる“自由意志(=現場サイドの自由意志)”の行使可能性の限界がそれだけ拡大する。

 

3、見えない世界の霊的存在とは

 霊的世界には他界した人間の霊以外にどのような霊が生活しているのか。以下項目ごとに見て行くことにする。

 

①、「天使的存在」と「人間的存在」

霊的存在には霊的成長に物的身体をまとって体験を積む必要がある「天体人・宇宙人」と呼ばれている「人間的存在(個別霊)」と、霊的成長に物的体験を不要とする「天使」と呼ばれている「天使的存在(個別霊)」という二系統の霊がいる。高級霊からの霊界通信ではこの分野に関しての情報は少ない。

 なおスピリチュアリズムでは高級霊という言葉を頻繁に使用するが、この言葉は相対的な表現である。一般には本人の生活面の指導を行って、霊的成長を支援する役割を持った霊界人を指すことが多い。

一般には“本来の私という意識”に潜在している“神の分霊(完全性)”の顕在化が高ければ、神の属性(→親切、同情、慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善、愛など:1巻19⑧~⑨、1巻155①~②参照)が形体からより多く滲み出ている高級霊である。これに対して顕在化が極めて低ければ「残虐性、野蛮性、傲慢さなど」が形体からより多く滲み出ている低級霊である。

シルバーバーチは「霊的進化の末に二度と地上世界へ生身に宿って戻ってくる必要のない段階まで到達した」(1112⑦~⑧参照)霊である。つまり「地球圏霊界」を卒業した霊なので超高級霊と言う表現になるが、煩雑になるので高級霊で統一した。

 

ア、天使的存在

A、霊的成長に物的体験は不要

個別意識を持った主な意識的生命体(個別霊)には、「天使的存在」(6巻163⑩、480②~⑦参照)と「人間的存在(→地球人を含む天体人、宇宙人のこと)」(語る202⑤参照)がいる。両者の違いは霊的成長に物的体験を必要とするか否かによって区別されている。

「天使的存在(以下天使と記載)」とは、個別性を特定の形体ではなく色彩や光輝で表現して、霊的体験を積んでいる個別霊のこと。霊的成長に物的体験を不要とする点に特徴がある(4巻80④~⑤参照)。なお天使とは「人間的存在」とは霊系が異なる自然霊のことで、高級な自然霊を「天使」と言い低級な自然霊を「妖精(精霊)」と呼んでいる。

 

B、「宇宙の経綸」の仕事

この広い宇宙には物的身体をまとって物的体験を積まなくても、霊的成長ができる天使が住む界層が存在する。これらの天使は一度も物質界に誕生したことがなく居ながらにして高級霊であり、宇宙の上層部に所属して「宇宙経綸の仕事(→霊的摂理の執行)」を担当している個別霊である(480④~⑤、新啓示124④~⑧参照)。

個別霊たる天使にも上級天使や下級天使など、霊的成長度に応じた階層構造的な序列がある。なお西洋人は「守護霊や背後霊」を天使と呼ぶ場合があるが、それらは過去に地球という物質界で生活したことがある人霊であって本来の意味での天使ではない。

 

イ、人間的存在

A、人間的存在が住む惑星

個別霊たる「人間的存在(天体人又は宇宙人)」は、霊的進化に“物的身体をまとって体験を積む”ことが必要な意識的生命体(個別霊)である。その為に形体は「霊的身体+中間物質の接合体(接着剤の役割)+物的身体」という多重構造となっている。なお「人間的存在」と言っても、物的身体が持つ物質性は各天体人の霊的進化によって異なっている。この宇宙には重い物的身体を持つ霊的進化の低い天体人(→地球人)から、希薄な物的身体を持つ高度に進化した天体人まで幅広く存在している。

宇宙には霊的進化に物的体験を必要とする「人間的存在」が住む天体(→惑星、恒星、衛星、彗星など)は数多く存在する(6170④~⑦参照)。地球以外の天体で生活する「人間的存在」の姿かたちは、個々の天体ごとに物的条件(→気圧、気温、環境等)が異なるため、普段私たちが見慣れている姿かたちをしているわけではない(6170⑧参照)。しかし意識的生命体(個別霊)であるという意味では、我々地球人と同じ組織的存在である(6170⑪~171①参照)。

 シルバーバーチによれば宇宙に数多くある人間的存在の住む天体の中でも、地球より霊性レベルが劣っている天体は一つだけであると言う(語る202⑤~⑦参照)。「人間的存在」の霊的レベル、つまり天体人の固有振動数に応じて意識がまとう物的身体の振動数に違いがあるため、霊的レベルの低い天体の住人(→意識の精妙化の度合いが低いので形体の振動数は粗い)は高い天体の住人(→意識の精妙化の度合いが高いので形体の振動数は細かい)の姿は見えない。

そのため霊的レベルの高い「人間的存在(→振動数が高い存在)」は一種の物質化現象によって、低い天体の住人(→振動数が低い存在)に姿を見せることになる。マスコミで時々話題に上がるUFOの問題も、このように物的身体を有する“人間的存在の振動数の違い”から考えて見ると理解できると思われる。

 

B、振動数の違い

霊界では低い振動数の界層に住む霊は、自分たちより一段高い振動数を持つ界層の世界に住む住人の姿は見えない(→この世に住む低い波長の肉体をまとった人間には中間境や幽界の下層界は見えないのと同じ)。このことから推測するに地球人が見ている宇宙とは、地球と同一振動数の宇宙、またはそれ以下の宇宙を見ているに過ぎない。なぜならより精妙な振動数を持つ進化レベルの高い人間的存在が住む宇宙は見えないから(→このことから宇宙には振動数に応じた無数の宇宙が存在することになる。最先端宇宙論では「パラレル宇宙論・並行宇宙論」が議論されている)。

今後、惑星探査が進展しても、地球人に見える範囲は当該惑星の低い振動数であった過去の世界の光景でしかない。地球人固有の霊的レベルを上げない限りは、現在の高い振動数を持つ天体人(人間的存在)の姿かたちは永遠に見えないであろう(→低い振動数の世界から高い振動数の世界は見えないから)。

SF映画で取り上げられる“宇宙人との遭遇”は、低い振動数を持つ地球人の都合からではなく、高い振動数を持つ天体人側の必要性から物質化現象によって実現するもの。

 

②、霊的世界の主な住人たち、その1

ア、各界の経綸を司る天使的存在

各界層における「霊的摂理の執行」は、界層担当の「天使的存在(以下天使と記載)」を通して行われる。例えば幽界に居住する霊が自らの自由意志で利他的行為を行えば、その行為に対して幽界担当の天使は霊的成長というプラスの評価を下す。それに対して利己的な行為を行えば霊性の停滞というマイナスの評価を下すことになるという具合に。

このような幽界に居住する霊の行為に対して、神の摂理に沿って何らかの評価を下すのが「宇宙経綸を執行」する幽界担当の天使である。なぜなら「無限の階梯の一つ一つの界層に神の意志の行使者が控えている」(霊の書213⑪参照)から。

 

イ、妖精(想念霊、原始霊)

A、想念霊としての妖精

低級な自然霊である妖精(精霊)は、天使の末端の仕事を受け持っている。天使は仕事を遂行する際に手足が必要となる場合は、その都度、想念(思念)で妖精を作り出す。天使によって創り出された妖精は「想念霊としての妖精(原始的精気)」と呼ばれる。

この点につき定評ある霊界通信には「自由意志もなく、何の目的なのかについての自覚もないまま大自然の様々な側面での現象の演出に携わっている」「指令を発する存在がいて、それに反応して働く存在(精霊)がいる」(霊の書214⑩~⑫参照)との記載がある。地球の進化のしるしである地震・火山の噴火・雷など(12109⑪~⑬参照)、自然現象の裏側でも妖精は働いている。

この「想念霊としての妖精」には人間とは異なって個別性や知性はなく、仕事が終われば霊の世界の大気中に融解して消滅する(コナン・ドイル著『妖精物語』コスモ・テン198頁~203頁参照、ドイルは霊視能力者のリードビーター主教の精霊研究を紹介している)。

これは霊界では想念(思念)で作られたものは本人がそれを必要だと思わなくなるまで存在し続け、不要となれば消えてしまうという原理があるから(500現地報告125⑩~⑬、330⑧~⑩参照)。

なおこの種の妖精には知性はないが「森の中や川辺、湖の近くなどで孤独を楽しんでいる人間に感情面での影響を及ぼすこともある」(個人的存在246③~⑦参照)。私たちは木立が発する香気を浴びることによって精神的に安らぎと爽快さが得られる。この森林浴の効果には「妖精が人間の感情面に及ぼす影響」が考えられる。

 

B、原始霊としての妖精

妖精には「想念霊としての妖精」の他に、天使や人間と同様に「個別霊」としての「半理知的原始霊」(彼方4巻278⑧参照)という妖精(精霊)がいる。この原始霊としての妖精(→実在の自然霊)は人間よりは進化の程度は低いが生命力を持った存在であり(最後啓示179⑫~180①参照)、鉱物の凝縮力として働くもの、植物の新陳代謝を促進するもの、動物の種族ごとの類魂として働くものなど、無数の分野の自然法則の運用に貢献している(彼方4巻278⑧~⑯参照)。

妖精(精霊)の中でも高級な原始霊は「デーバ」と呼ばれており、生命力を持った存在だが人間よりは進化の程度は低い。物理的心霊現象を起こす際には裏側で働いている(最後啓示179⑦~180⑦参照)。

前述のコナン・ドイル著『妖精物語』によれば、原始霊は各段階を経て“火の精”から“空気の精”に進化して行くという(前著200頁参照)。人間とは進化の系統が異なる存在であり、高級霊からの霊界通信でも情報が限られた分野である。

 

ウ、想念霊(思念霊)

霊の世界では思念は何らかの形体を伴って現実化する。思念で環境や客観的な存在物を作り出すことが出来る。この思念によって出現した“霊の分身”を想念霊と呼ぶ。この想念霊を作り出せるのは「天使的存在」と「人間的存在」だけである。

この世の人間も意識する意識しないに関わらず日常的に想念霊を作り出している。例えば恨みから他人を呪うとその呪いの念が想念霊となって、呪われた人の周りを取り巻くことがある。呪われた人が霊的に敏感体質者であって、なお且つ何らかの親和性や“霊的な受け皿”があれば呪った人の念(→呪った人が想念で作った想念霊)の影響を受ける。

人間の強い思いが想念霊を作り出すという現象は、宗教や信仰の世界ではしばしば見られる。信心深い人が自分自身の想念で作り出した“神仏の姿(想念霊)”や“イエスの姿(想念霊)”を(到来236⑫~⑭参照)、本人自身が見て驚くと言った現象が時々話題となる。

 

エ、人間に愛された動物

数多い動物の中には人間と接触することによって、人間らしい個性的な意識を表現する個的存在(ペット)がいる(589⑪~90⑬参照)。それらは人間の愛によって死後一時的に個別意識を持ったままでの存続が可能となった動物である。

このような人間に愛された一部の動物は死後、幽質をまとって生前の形体を維持しながら(8185⑬参照)幽界の下層界で飼主と一緒に生活することができる(8巻187⑦~⑨、個人的存在247③~④参照)。しかし幽質をまとった存続は一時的なものであり、ペットの霊はやがてその動物の出身母体であるグループの中に融合して個性を失っていく(591⑪、8206⑤~⑥参照)。融合したペットはグループの進化に貢献したことになる。

 

③、霊的世界の主な住人たち、その2

ア、守護霊

A、誰にでも必ず一体の守護霊が付いている

人間には全員に守護霊が一人(→守護霊は生涯変更なし)、受胎(→受精時:453⑩~⑪参照)から死の瞬間まで(1巻179③参照)、あるいは地上に誕生する前から付いている(1179②~⑨、10138⑪参照)。守護霊は個人でも集団でも守護される側の霊格にあった霊がつく(霊の書208⑧~⑪、210⑤~⑨参照)。

人間と守護霊との関係は、原則として霊的親和性によって結びつくが、例外として血縁関係による結びつきも存在する。シルバーバーチは「(人間と守護霊の関係は)霊的親和性による結びつきです。たまには血縁関係が縁になることもありますが大部分は、血縁はありません」(道しるべ228⑤~⑫参照)と述べる。

多くの場合「守護霊は再生する前まで顔見知りの間柄」(霊の書208⑦参照)にある霊である。ここから守護霊は同じ類魂のメンバーという説が有力に主張されている(スピリチュアリズム普及会発行『続スピリチュアリズム入門』35⑩参照)。

守護霊は本人の特質を見極めた上で、本人の霊的進化に最も適した形で任命されて付く(道しるべ230⑬~⑭参照)。守護霊も霊的に進化するために本人との間に霊的な関係を持つことになる。

両者の関係をリング上で闘う“ボクサーA(再生霊)”と、リングサイドで闘いを見守る“セコンドB(守護霊)”に例えて見れば、両者の関係の一端が理解できると思う。Aは闘いの相手の一挙一動に全意識が集中しているため、巨視的に闘いの全容を見ることが出来ない。しかしBは介添人という立場で、闘い全体を俯瞰できる位置にいる。そのためAに対して的確な支援ができる(注2)。

 

B、霊的回路を敷設する

守護霊はその人間が辿るべき道をあらかじめ分かっているが(1179⑥~⑦参照)、人間側から両者間に“磁気的な回路”を敷設しておかなければ(→日頃から思念を守護霊に向けるなど)、守護霊は影響力を行使できない(2209⑥~⑬参照)。

両者の結びつきが強いほど守護霊は両者間に敷設された“磁気的な回路”を通して強い影響力が行使できる(道しるべ228⑪~⑫参照)。しかし多くの人は霊的世界を信じていないので、守護霊との間には“磁気的な回路”は敷設されていない。その為に守護霊は霊力の行使に苦労しているのが現状であるという。

このことに関してシルバーバーチは「守護霊の働きかけを全く感受できない場合は、霊力を使用して外部環境から操作せざるを得ない」(到来33⑨~⑬参照)と述べる。この「外部環境から操作する」とは、本人の血縁者などが有する磁気的回路(愛の絆)を守護霊は一時的に借用して、このルートからインスピレーションを送って導くことが考えられる。

 

C、日本的な霊魂観に立った「守護霊説」批判

日本的な霊魂観に立って書かれている『心霊科学入門』(板谷樹・宮沢虎雄共著、日本心霊科学協会発行)では「(守護霊は)多くの場合300年~700年前他界した祖先の霊魂で、男には男の守護霊が、女には女の守護霊が付いている」(前著188頁参照)とある。この日本的な「守護霊説」には次のような問題がある。

 

<問題点①、原則として霊的親和性、例外として血縁関係>

守護霊は原則として霊的親和性によって付く。上述したようにシルバーバーチは「(守護霊は)霊的親和性による結びつきです。たまには血縁関係が縁になることもあります」(道しるべ228⑤~⑫参照)と述べている。

 

<問題点②、男には男の、女には女の守護霊が?>

霊は性交によって子孫を作る必要はないことや、男女の性別は「地上人生のテーマ(→地上でしか償えないカルマを解消することと、新たな地上体験を積むことの二点)」達成に最も適した性を“私(→本来の私という意識、霊的な心)”が選択する、この点から見ても霊には性別はない(→今生は男で生まれ、来世は女で生まれるなど、良くあるパターン)。

シルバーバーチは「霊の世界では界を上がるにつれて男女の差が薄れていく」(4巻141⑬参照)、またマイヤース霊も「魂には女性も男性もない、つまり性別はない」(個人的存在105⑬~⑭参照)と述べている。地上的な習慣を色濃く残している幽界の下層界を離れるに従って、霊的自覚の芽生えに伴って次第に地上的な観念や習俗から離脱して行くので、男女の別はなくなっていくから。

 

<問題点③、通信は霊媒の潜在意識を使って送られるから>

霊界通信は霊媒の潜在意識にある用語を使って地上に送られる(個人的存在20⑪~21④参照)。そのため通信霊と霊媒のオーラの融合具合によっては、霊媒の潜在意識にある“色”が付着した通信となってしまう(→ホワイト・イーグルの通信はキリスト教と神智学の影響が強い、オーエン著『ベールの彼方の生活』はキリスト教の影響が強いなどが好例)。

霊媒の固着観念に日本的な霊魂観が強く染みついていれば、その“色”が強く表に出てきてしまう。このような点から見ても日本的な霊魂観に立った「守護霊説」には問題がある。

 

イ、背後霊

A、背後霊は入れ替えがある

背後霊とは人間の背後にいて感応する霊の総称のこと。一般には「守護霊」「支配霊」「指導霊」から「邪霊」「因縁霊」「憑依霊」まで、あらゆる霊が背後霊には含まれる。しかし現在では主に善霊を指す用語として使われている。

この背後霊という言葉は日本心霊科学協会の初代理事長夫人、霊能者の吉田綾氏が「背後から護るという意味で、人間に憑いてその人を護っている何人かの霊たちに付けた呼び名」であると言う。これ以降「背後霊」の意味は「善霊を指す言葉」として使われるようになった(出典『心霊科学入門』188頁参照)。

なお背後霊の範疇に含まれる「守護霊」は別枠扱いとされることが多い。地上人の出生から死までの期間、守護霊は一人のみで生涯変わらないが(1179⑤参照)、背後霊は複数存在する(1179②~⑥参照)。一般の人の場合は霊的成長とともに背後霊は入れ替わっていく(霊訓上31④~⑤参照)。

 背後霊は主に地上圏に近い霊たちである(霊訓上31⑥~⑧参照)。地上人の霊的進化に見合った霊が霊的親和性から、人間を指導する目的で、または自身の霊的向上の為の必要性から援助している(霊訓上30⑫~⑬参照)。地上に戻ってくる霊は、地上の人間と連絡が取りやすい幽界にいる霊である。その中で一般人の場合には、主に「霊的自覚」が芽生えた幽界の上層界にいる霊が指導や援助を行う目的で降りてくる。

高級霊の場合は霊媒体質者に必要に応じて憑く(霊訓上31⑧参照)。なぜなら霊媒の霊能力を通して地上世界にスピリチュアリズムを普及することができるから。また霊媒は睡眠中に幽界の下層界に降りて、担当する救済霊を手助けして“迷っている霊”の浄化の手伝いを行うことが出来るから(202112月号『心霊研究』11頁~12頁参照)。

 

B、二人三脚で霊的成長を目指す

背後霊となる為には自薦や他薦があり(2131②~④参照)、その霊的レベルや担当する分野などはさまざまである(2130③~④参照)。背後霊も自身の霊性向上のために地上人を援助している(霊訓上30⑫~⑬参照)。さしずめ地上人は背後霊に対して“活動する場”を提供して、二人三脚で霊的成長を目指している“同志的存在”とでも言えようか。

本人が背後霊に気持ちを向けることによって両者間に“磁気的な回路(絆)”が架設されて、それが次第に強固になっていく(1135⑭参照)。その“磁気的な回路(絆)”を通って背後霊から支援のための霊的エネルギーが送られてくる。その際の援助や指導は霊界人の都合とタイミングで行われる。またその方法はあくまで霊的影響力の行使という形になる(10166⑫~167③参照)。

地上人が背後霊の霊的支援を受けて、困難に打ち勝って物事をやり遂げれば、地上人自身の成果であると同時に背後霊にとっても成果となる(→リング上で闘うボクサーの勝利であると同時にリングサイドにいるセコンドの勝利でもある)。

 

ウ、支配霊(背後霊の一種)

A、支配霊とは

支配霊とは「交霊会における霊界側の司会者」(田中千代松編『新・心霊科学事典』潮文社93頁参照)とされる霊、または「霊団全体の指揮に当たる霊」(7176⑫~177③参照)のことである。シルバーバーチのような霊格の高い支配霊は霊界の霊媒を介して、本来の個性を犠牲にして地上圏に降りてきている(2119⑧参照)。霊的な飛躍の為の犠牲である。

 

B、霊媒が他界した場合

物理的心霊現象が盛んな頃は、支配霊は担当する物理霊媒が他界したら別の霊媒を探して仕事を継続していた(827⑪~28①参照)。なぜなら物理現象を扱う支配霊は高度な技能を持つ“技術屋さん(職人さん)”だから。

これに対して精神的心霊現象の場合には原則として霊媒が他界したら支配霊の仕事は終了する。なぜなら精神現象を扱う霊媒は物理霊媒より支配霊との関係がはるかに緊密だから(828②~⑤参照)。

シルバーバーチ(支配霊)の場合はバーバネル(霊媒)が死去すれば、支配霊としての仕事は終了する。シルバーバーチの仕事は高度な内容であった為に、大変な時間と労力をかけてオーラの融合を図って仕事を行ってきたことから、再び別の霊媒を探して通信を行うことはないという(828⑥~⑨参照)。

 

C、支配霊の霊格

支配霊の霊格は霊媒が行う仕事によって異なり、霊媒より高い場合(→霊視・霊聴・霊言・自動書記などの精神的心霊現象の場合)もあれば低い場合(→物質化現象・念写・アポーツなどの物理的心霊現象の場合に見られる)もある。

霊媒の潜在意識を使って生起する精神的心霊現象を扱う支配霊の場合は、霊格は必ず霊媒よりも高い。なぜなら“純粋な霊的教訓”を地上に降ろす為には、オーラの融合の訓練と併せて霊媒の生活面の指導も行う必要があるから(→霊媒の霊格を上げる必要があるから)。

これに対して物理的心霊現象を扱う霊媒の支配霊は、必ずしも霊格が高い霊ばかりではない。なぜなら物理現象を演出するには地上的要素が強く残っている必要があるから(7176⑨~177⑨参照)。

熟練した支配霊が行う霊媒現象には「霊媒との調和の程度が高く潜在意識による着色が少ない」(メッセージ82⑪~⑫参照)が、人間的に問題がある霊媒の場合には「低級霊が支配霊のスキを狙って憑依してくる」(最後啓示158③~⑤参照)ので要注意。

 

エ、指導霊(背後霊の一種)

指導霊(→背後霊と呼ばれることが多い)の主な役目は、本人の霊的面からの監督指導である。指導霊は守護霊とは異なって、成長過程の一時期だけを担当して、次の段階になると霊は入れ替わる(到来21⑭~22⑤参照)。

指導霊は親和性ある者どうしが引かれ合って、または前世の縁(→日本的心霊の世界で言う“因縁霊”のことで、プラスの縁であれば指導霊として付き、マイナスの縁であれば憑依霊として付く)で自分を役立てたいという欲求に沿って人間を選択する(最後啓示89②~⑪参照)。

指導霊自身も霊的成長のため(→コーチとしてのキャリアのアップのため)、自分の持っている資質を犠牲にして地上圏に降りてくる。地上時代に指導に当たっていた霊が、本人の死後も引き続き幽界で指導霊として担当する場合もある(続霊訓120②~③参照)。

 

オ、指導霊崇拝批判

A、指導・監督に誤りを犯すことがある

霊的な理解力は霊的発達の程度に応じたもの。その霊の霊的レベルが限界となるので高級霊といえども完璧ではない。そのため指導や監督の際に誤りを犯すこともある(6207④~⑧参照)。絶対に誤りを犯さないのは創造者の「神」のみ(818⑤~⑥参照)。

シルバーバーチは常々指導霊は崇拝対象とされることを望まないとして、指導霊の資格を得た霊は自身が崇拝の対象とされることは間違いであるとの認識を持っている(821②~③参照)と述べる。そして「指導霊崇拝」(818③参照)や「イエス崇拝」(3104⑨、5206⑧~⑨参照)等の「高級霊信仰(高級霊崇拝)」を批判している。なぜなら彼らは最終的な責任者ではないからである。

 

B、高級霊は取次役である

シルバーバーチは「祈りの対象」は神であると述べる(11113⑩~⑪参照)。なぜなら祈りとは、神の分霊である自己とその始源との一層緊密な繋がりを求めるための手段であるから(12125⑪参照)。従って神の使者である高級霊やイエスを祈願の対象とするのは間違いとなる(語る159⑦参照)。

一つの解決策として高級霊(=守護霊や指導霊)は“取次ぎ役”であるとの認識を持つことが、守護霊崇拝や指導霊崇拝に陥るのを避けるポイントになる。

 

C、イエスは最高神界の数ある存在の一人

キリスト教徒やイエス信奉者は絶対に受け入れないであろうが「キリスト(=ナザレのイエス)は唯一の絶対神ではありません。至尊至高の神性を具えた最高神界の数ある存在のお一人です。父と呼んでいる存在はそれとは別です。それは人間が思考しうる限りの究極の実在の表現です。従って父はキリストより大であり、キリストは父に所属する存在であり神の子です」(彼方4231②~⑤参照)というスピリチュアリズムに沿った考え方がある。

 

4、講座に寄せられた質問

①、質問その1

<質問>「霊的知識を得た次の段階、霊的実践や霊的成長の具体的な道筋をテーマにしたお話をして頂けると参考になり、とてもありがたいです」

<回答>

 これを主題にした講座は、来年開催予定の「関心の高いテーマ」の中で取り上げますので、今回は概略を述べるに留めます(→連続講座の第8講「霊的成長について」の中で取り上げる予定です)。

 

ア、「霊的な本能」とは

 

人間は霊であり、霊的身体には「霊的な心(本来の私という意識)」が具わっている。この「霊的な心」の中に完全性である「神の分霊」が潜在している。そのため人間はしばしば「ミニチュアの神」とされている。

霊である人間が誰しも持っている「霊的な本能」とは、この「霊的な心」に潜在している「完全性(=神の分霊)」を“心(=本来の私という意識)”の領域に顕在化させていくことに他ならない。

 

イ、知識には責任が伴う

 シルバーバーチは「知識には責任が伴う」(1巻53②、9巻135③参照)と述べる。スピリチュアリズム思想を学んで知識の分量を増やして行くと、次第にその人の生き方が問われてくる。生き方の「質的な転換(知識から生き方へ)」が求められてくるから。

この点につきシルバーバーチは、霊的知識は実生活の場で実践して初めて理解したことになる(163⑩~⑪参照)。「知っているということと、それを応用することとは別問題です。知識は実生活に活用しなくてはなりません」(342⑪参照)と述べる。なぜならその人の霊性レベルの判断指標は日常の行為にあるから(9117⑭~118③参照)。

 

ウ、最終的には「信仰生活(広義)」に移行して行く

 スピリチュアリズム思想は「信仰・宗教」と相性が良い。そのため霊的知識を増やして行くとモノの見方が徐々に地上的な尺度ではなく、霊的観点に立った見方に変化して行く。その結果、地上生活が煩悩まみれの生活から、精神面の向上(→物的な心の向上、引いては霊的な心の向上)を重視した広い意味での“信仰生活”へと軸足が移行して行く。

 

②、質問その2

<質問>「病気の理由について。「発達障害」というのはスピリチュアル的にどのような意味を持つのでしょうか? 平成以降の生まれの人に集中しています。昭和の時代にはありませんでした」

<回答>

ア、「発達障害」とは何か

 ネット記事の「メディカルノート」によれば、「発達障害とは、生まれつきの脳の障害の為に言葉の発達が遅い、対人関係をうまく築くことが出来ない、特定分野の勉学が極端に苦手、落ち着きがない、集団生活が苦手、といった症状が現れる精神障害の総称」のこと。

 

イ、「発達障害」は昭和の時代にはなかった

発達障害という言葉は「1987年から1993年まで使われていたアメリカ精神医学会の診断と分類の為の基準の第3版(DSM)の中で、精神遅滞(知的障害)、広汎性発達障害(自閉症など)、特異的発達障害(発達性言語障害、学習障害など)の上位概念として用いられていた言葉」のこと(日本大百科全書)。

その後「2013年にアメリカ精神医学会の診断と分類の為の基準の第5版(DSM)が発表された。その中に神経発達障害の章が創設され、そこに含まれる診断名として、知的障害、コミュニケーション障害、自閉症スペクトラム障害、注意欠陥多動性障害、特異的学習障害、発達性協調運動障害などが挙げられている」(日本大百科全書)。

日本では2004年に「発達障害者支援法」が成立して広く使われるようになった。そのため「発達障害」は極めて新しい言葉である。しかしその中に含まれている各種の障害は従来から知られていたものである。質問者が述べた「発達障害は昭和の時代にはなかった」との指摘は正しい。

 

ウ、脳という表現器官の故障に過ぎない

 スピリチュアリズムの観点から「発達障害」を見れば、脳の機能である「霊的な心(霊的意識)」から流れてくる繊細な波長の信号と、「物的な心(精神)」から流れてくる粗い波長の信号を受信する機能が正常に働かない、刺激に対して脳が異常な反応を示す状態にあると言える。

「発達障害」は単に脳という受信・発信を司る器官が、機能不全に陥っている状態にあるだけ。その結果、特定の分野の課題を処理する機能が人より劣っている、そういう状態でも「私という自我(霊的な心、物的な心)」は正常である。「発達に障害がある」状態で収集した地上体験を通して「私という自我」は学んでいると言える。

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

<注1>

◆「有神論」とは

・「有神論」とは神は被造物の世界とは区別されて、被造物の世界の外にある超越した存在とする立場(→創造者の親と被造物の子は別人格)。神と被造物の世界とは本質的に同一とする汎神論(→親と子は別々に見えるが実は同一人格)とは対立する。但し神は人格神ではない。

 

◆「創造論」とは

・「創造論(創造説)」とは「ダーウィン的な進化論を否定して、神による天地創造を主張する」説のこと。しかし一般には、創造論とは「キリスト教の『聖書』に書かれていることは事実である」との立場から狭義の意味で使われている。そのため現状では「創造論者とはキリスト教徒のこと」を指す言葉になっている。しかし創造論者には大きく分けて二つの立場が存在する。

・まずキリスト教とは関係なく、神の存在と神の創造を認める立場の「宗教や思想」がある。創造説に立つスピリチュアリストはここに含まれる。これを「広義の創造論」と呼ぶことにする。これに対してキリスト教徒の『聖書』をベースにした創造論を「狭義の創造論」と呼んで区別することにする。この「狭義の創造論」の中に現在アメリカで興隆を極める独断的で原理主義的な「特殊創造論者」がいる。その影響力の強さ故に、近年では創造論は極めて狭義の意味で使用されるようになってしまった。

・有神論的進化論の立場に立つ遺伝学者のフランシスコ・コリンズは「過去100年余り“創造論者”という言葉は、理神論者や有神論者を含む広い意味としてではなく、一部の特定層を指す言葉として乗っ取られ、固有名詞化されてしまった」と述べて「特殊創造論者」を批判している(フランシスコ・コリンズ著、中村昇・中村佐知訳『ゲノムと聖書』NTT出版2008年刊168頁)。

 

◆「有神論的進化論」とは

・なお有神論的進化論(折衷的進化論)とは、人間の進化を「肉体上の進化」と「知的進化(人間に宿る霊の観点から見る)」に分けて、前者は進化論の観点から、後者は創造論の観点から論じる立場のこと。

・有神論的進化論は19世紀のスピリチュアリストの間では、広く受け入れられていた説である。進化論で著名なアルフレッド・ラッセル・ウォーレスもこの立場に立っている。なお国書刊行会から1985年から1986年にかけて刊行された世界心霊宝典シリーズに『スピリチュアリズムの真髄』(原題:The Higher Spiritualism1956年発行)という書籍がある。この著書を読んでみれば、著者のジョン・レナードは有神論的進化論の立場に立っていることが分かる。このような点から見て現在でも有神論的進化論に立つスピリチュアリストは数多く存在すると思われる。なおスピリチュアリズムは創造論の立場に立つ。

 

◆シルバーバーチの汎神論的な表現

・高級霊のシルバーバーチは「大霊は人間をはじめとしてあらゆる生命形態に内在しております。すべてが神であり神がすべてなのです」(道しるべ46⑨~⑩)と述べて、汎神論的な表現(すべては神)を使っている。

・この言葉だけを見れば、シルバーバーチは「汎神論」を述べているのではないかと誤解してしまう。スピリチュアリストもシルバーバーチの神観は「汎神論」であると理解している人は多い。

・たとえばハンネン・スワッファーは「シルバーバーチの哲学の基本的概念は、いわゆる汎神論である」(語る18⑬)と述べている。また『シルバーバーチの霊訓』4巻の編者ウィリアム・ネイラーも、まえがき部分で「愛他精神と素朴さと叡智に満ち、汎神論に裏打ちされたその明晰な教訓は、常に人生における霊的要素と同胞との関係における慈悲心の大切さを強調する」(45⑫~⑬)とも述べている。ハンネン・スワッファーもウィリアム・ネイラーも安易に「汎神論」という言葉を使用している。しかし『シルバーバーチの霊訓』全体を読めば、シルバーバーチは神の創造を前提にして個々の霊的教訓を述べているので、明らかに「汎神論」ではないことが分かる。

 

◆シルバーバーチの「神観」は

・シルバーバーチは「創造主である大霊は、自分が創造したものの総計よりも大きいのでしょうか」との質問に対して「そうです。ただし、創造は今なお続いており、これからも限りなく続きます」(到来23⑨)と応えている。また「ああ、大霊よ。あなたは、形態の如何を問わず、全生命の創造主にあらせられます。あなたの摂理は全生命を支える無限なる摂理であり、あなたの計画は宇宙の生命活動の全側面に配慮した完璧なる計画であり、そのすべてをあなたの愛が育んでいるのでございます」(到来132④~⑦)。

・このような表現に見られるように、神と万物を「創ったもの」と「創られたもの」に分けて、両者の間に一線を引いていることが分かる。このように神の創造を前提とした上で個々の霊的教訓を述べていることから、シルバーバーチの神観は明らかに「有神論・創造論」であり、「汎神論」ではないことが分かる。

 

<注2>

◆「意識」を潜水士に例えて説明する

・今も昔も海底で作業をするには潜水具を身に付けなければならない。ここでは1800年頃の潜水士の海底作業を例にして「意識」を説明してみる。

・海上に停泊して潜水士の作業を支援する作業船の世界を霊界とし、海上から支援するメンバーの「ABCDEFG」を霊的家族(類魂)とする。

・海底を地上世界とし、肉体を潜水具とする。そして橋脚の整地作業に関する一連の海底作業を、「現在の私」が今回の地上人生で達成すべき仕事(使命)とする。

Aは支援船の上にいる時はクリアな意識状態にあった。そのAが支援船を離れて海底に降り立つと、1800年頃の性能の悪い潜水具の影響と、さらに「水圧、水流、水温、視界など」の制約を受けて限定された意識状態に陥る。

・支援船の上にいる時のAのクリアな意識状態を「本来の私という意識(本来の私)」とし、海底に降り立った時のAの限定された意識状態を「現在の私という意識(現在の私)」とする。

・さらに作業を終えて海面に浮上して行く過程を「幽界」とする。Aは海面に浮上して行くに従い、本来のクリアな意識状態を取り戻して行く。

 

◆二つの「自由意志」の問題

・海上に停泊する船上で、「本来の私A」はこれから行う海底作業全体の手順をクリアな意識状態の中でAの自由意志で決定した。

・海底に降り立った「現在の私A」は「本来の私A」が決めた作業手順に従って作業を進めて行く。その作業の途中で何らかのアクシデントが起きた場合には、「現在の私A」は「現場サイドの自由意志」で乗り切って行く。

・このように海底作業全体の手順という大枠を決めた「本来の私A」の「自由意志」があり(この大枠は「現在の私」から見れば宿命となる)、「現在の私A」はこの大枠の範囲内で「自由意志」の行使が許されている。

 

◆守護霊は「霊的家族(類魂)」のメンバー

・守護霊は「再生する前までは顔見知りの間柄」(霊の書208⑦参照)であり、守護される側の霊格にあった霊がつく(霊の書208⑨~⑪、210⑤~⑨参照)。両者の関係は原則として霊的親和性による結びつきである(道しるべ228⑤~⑫参照)。このことから守護霊は同じ「霊的家族(類魂)」のメンバーが原則として付く。

・今回「霊的家族(類魂)」のメンバーAが地上に再生する霊となり、メンバーBAの守護霊役となる事になった。

・肉体(潜水具)をまとって地上世界(海底)に降り立ったAは限定された意識状態にある。これに対して守護霊役のBは支援船の上から海底にいるAに向けて支援する仕事に就く。このことからBはクリアな意識状態でAの地上生活全体(海底作業)を見渡せる位置にいる。

・守護霊役のBは両者間に敷設された磁気的回路を通して、地上で悪戦苦闘するAに対してインスピレーションでアドバイスを送っている。地上に降り立ったAが、あの世の存在や守護霊の存在を否定していれば、両者間に磁気的回路が構築されずBは「現在の私A」にインスピレーションを送れない。

 

 

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