スピリチュアリズム研究ノート: 目次

<Ⅰ.基本編>

1.旅のガイドブック(死後の旅路の行程)

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-18eb.html

 

2.『シルバーバーチの霊訓』講座(2019年~)

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/10/post-55c0.html

 

3.講座・講演会の講義録(2018年~)

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/12/post-16cf.html

 

 

<Ⅱ.研究編、その1>

1.スピリチュアリズムについて

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-6a12.html

 

2.霊的成長について

霊的成長について:目次

 

3.心霊治療・医療

心霊治療・医療:目次

 

4.霊能者・心霊現象

霊能者・心霊現象:目次

 

5.意識の進化(個別化から個性化の道へ)

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-e188.html

 

6.動物について

動物について:目次

 

7.宗教について

宗教について:目次

 

8.スピリチュアリズムとキリスト教

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-ef22.html

 

9.心霊研究

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-ed20.html

 

10.研究編ノート

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-8f54.html

 

 

<Ⅲ.研究編、その2

1.なぜ「19世紀半ば」であったのか

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/05/19-b815.html

 

2.日本におけるスピリチュアリズムの黎明期

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-707f.html

 

3.霊媒・三田光一研究

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-eb9c.html

 

4.浅野和三郎研究

https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2017/04/post-d069.html

 

 

 

 

 

 

第5講、地上人生、生と死(2023年)

<目次>

1、地球という惑星

2、地上人生の始期

・人間の始期

・生まれ出る際の問題

3、地上人生の終期

・死とは何か

・さまざまな「死の形」

4、地上人生の役割

・本来の世界と地上世界

・地上人生の意義

5、講座に寄せられた質問

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

1、地球という惑星

ア、「霊」と「物質」という二つの要素

A、「霊的要素」と「物的要素」

創造者である神は138億年前に物的な宇宙を創った。神が創った宇宙は「霊(神の一部、霊的要素)」と「物(普遍的物質又は根源的物質、物的要素)」という二つの要素から構成されている。その両者の上に創造者としての神が君臨している(霊の書33⑬~⑭参照)。

「霊(霊的要素)」の個別化によって、宇宙に遍満する「霊的エネルギー(普遍的要素としての霊、一般的な霊)」や「個別霊(意識)」、さらには「意識」に内在する「神の分霊」が生じた。

これに対して「物(物的要素)」の個別化によって「個々の物質の素材」が、さらには物が霊と繋がる為の接着剤的な働きをする中間物質の「普遍的流動体(→人間の肉体と霊体を接着させる接合体、さらに生命素や活力、シルバーコードやエクトプラズムなどの素材として)」が生じた(霊の書34③~⑫参照)。この中間物質には霊的要素の多いものから物的要素の多いものまで多岐に亘っている。

 

B、三種類の「霊」

一般に「霊」は次の三つの用例で用いられている。まず「神の分霊」の意味として、次に宇宙は「神」と同質の「霊」によって満たされていることから宇宙に遍満する「霊的エネルギー(一般的な霊)」という意味で、さらに「個別霊(→個性を具えた個的存在としての霊、個別意識)」という意味で、この三種類で用いられている。このように「霊」と言っても文脈によって意味は異なるので、どの「霊」を指しているのかは各自で判断しなければならない。なお個別霊は「霊的要素」の個別化によって生じたが、それが何時どのようにして為されたかは高級霊といえども分からないという(霊の書57⑭~⑮)。

 

イ、地球の誕生

 神の創造物である「根源的物質」が変化して個々の物質となって(→物体の一つ一つは根源的物質が変化したもの:霊の書36⑤参照)、それが空間にまき散らされ、その一部が凝縮して今から約46億年前、物的な地球という天体が形成された(霊の書41②~③参照)。

地球という惑星は完全な状態で創造されたのではなかった(184⑦参照)。地球誕生の初期に見られた大規模な火山噴火や激しい造山活動などの中で進化してきた。そして地球は次第に荒々しい現象が収まって穏やかになってきた。その穏やかになった地球の表面に人間を頂点にした様々な生物が出現した(→生物の出現は地球の発達段階に応じて、それに適合した形の生物が現れた:霊の書42④~⑤参照)。

 

ウ、生命体

 無機物たる水・空気・鉱物・無機化合物等の個々の物質は、物的要素たる「根源的物質」が変化した(霊の書36⑤、57⑬参照)ものだが、いまだ非活性化の状態にある。

物質と霊はその質的差異が大きすぎるため直接には結びつかない。両者の結合は「根源的物質(普遍的物質)」が変化した半物質状の「普遍的流動体」によって行われる(霊の書34③、50①参照)。

物質はこの「普遍的流動体」の一種である生命素と一体化することによって、活性化して有機物となり(霊の書50②、48⑥~⑨参照)、初めて生命の器たる物的身体となる(霊の書49④参照)。この物的身体に霊的要素が流入することによって人間などの生命体となる。

半物質状の「普遍的流動体」は目的に応じて生命素となったり、霊と物質を結合させる接合体となったり、シルバーコードになったり、物質化現象を出現させるエクトプラズムとなったりと、さまざまに変化する(霊の書34⑧参照)。

 

◆ポイント

*神の被造物たる物的な宇宙は「霊(神の一部、霊的要素)」と「物(普遍的物質又は根源的物質、物的要素)」の二つの要素から構成されている

*神の一部である「霊(霊的要素)」は個別化によって、宇宙に遍満する「霊的エネルギー(一般的な霊)」や「個別霊(意識)」、さらには「神の分霊」として存在する

*「物(物的要素)」は「個々の物質の素材」として、また半物質状の「普遍的流動体」として存在する

*「物(個々の物質)」+「生命素(半物質の普遍的流動体)」➡活性化して生命の器たる物的身体になる

*「生命の器たる物的身体(活性化した物)」+「霊的要素」➡生命体(人間、動物、植物)

 

エ、天体固有の半物質の「普遍的流動体」

<地上圏霊界>       <人体の構成・名称>

 

各天体の物的要素は「根源的物質」の個別化によって生じた「個々の物質の素材」が、その天体の性質に応じて変化したもの。そのため各天体を移動できるクラスの霊(→再生を必要とする地上圏霊界を卒業した霊、高級霊)が、天体上で生活する「霊媒」と接触する場合には、その天体の中間物質(半物質)で形成された「普遍的流動体(ダブル、エーテル複体、接合体など)」をまとう必要がある(霊の書63⑩参照)。

両者(→各天体を移動できる霊と天体に住む霊媒)の霊格の差が大きい場合には、その天体出身の霊を「霊界の霊媒」として用いる。そして「霊界の霊媒」が、かつてその天体の中間境で脱ぎ捨てた「半物質的身体(普遍的流動体、ダブル、エーテル複体、接合体など)」を再度まとって、天体の物質界で生活する霊媒にコンタクトを取る方法を用いる。

地球という天体に於いて「死」を迎えた者は「中間境」で霊的調整を行い(個人的存在114⑦参照)、さらに霊的身体(幽体)を完成させて「半物質的身体(ダブル、エーテル複体、接合体など)」を中間境に脱ぎ捨てていく(永遠の大道50⑪、個人的存在80①参照)。地球を構成する物質が変化して作られた中間物質の「半物質的身体(接合体)」は、地球という天体のオリジナルなものである(霊の書63⑨~⑩参照)。

 

2、地上人生の始期

①、人間の始期

ア、古い霊と新しい霊

人間は物的体験を積む為に肉体をまとって地球に生まれてきた。シルバーバーチは「人間界への誕生には二種類ある」として、「古い霊が再び地上へ戻ってくる場合と、“新しい霊”が物質界で個体としての最初の段階を迎える場合です」(593②~③参照)と述べている。

「古い霊」とは進化の完成のために物的体験を積むため再生して来る「再生霊」のこと(593⑥~⑩参照)。この「再生霊」には霊性の汚れが極端で“霊の海”に埋没した霊が、上位の霊性レベルにある天体から下位の天体に再生する「落第生の霊」を含む(続霊訓104⑪~⑬参照)。また初めて人間の身体に宿る「新しい霊」とは「動物の類魂の中でも最も進化した類魂」(5101⑧~⑨参照)のこと(同趣旨、個人的存在81②~⑤、247⑯~248②参照)。

 

イ、地上人生のスタート時期

A、はじめに

子孫を残すために有性生殖を行う高等動物には雄雌の別がある。人間にも性別があり生殖細胞としては「卵と精子」がある。この二つが合一することを「受精」と呼んでいる。その受精の瞬間から遺伝子に書き込まれているプログラムが始動する。

人間は「受胎の瞬間から個性ある霊となる」(893⑧参照)と言われている。この「受胎」という言葉をどのように理解するかによって、地上人生のスタート時期が異なる。

 

B、二つの立場(受精時説と子宮着床時説)

イラストは人間の始期を「受精時」とするか、「子宮着床時」とするかを表したもの。まず一つ目の立場は「受胎」という言葉を「妊娠」の意味として理解して、受精卵が子宮に着床する「妊娠成立期(受精から約2週間後)」とする説であり、広く受け入れられている考え方である。この立場では“子宮着床前の胚”は人間ではなくモノ(細胞の塊)となる。

二つ目の立場は父方の精子と母方の卵が合体(DNAが融合)して、結合体である「受精卵が出来上がる時」とする「受精時」説である(453⑨~⑪、メッセージ203⑩~⑭参照)。この立場では“活性化した物質”(霊の書34④、48⑥~⑨、49④、49⑥~⑪参照)である卵と精子が合体して受精卵となって、同時にそこに霊的要素が流入して初めて個別意識を持った個別霊となる(5145⑩~⑬参照)。この時点から自我意識(個的意識)が始まり、それ以降は永遠に個性を具えた「個性ある霊」(893⑧参照)となる。その為に受精直後の“初期の胚(→受精時から14日目までの初期の胚)”はモノではなく人間となる。

 

C、初期の胚は“モノ”の根拠(研究者の立場)

<研究用の受精卵>

受精卵の問題は“研究者側の立場”に立って考えるのか、それとも“生命倫理側の立場”に立って考えるのかによって結論は異なる。

母胎から月に一個の割合で卵が作られる。不妊治療では排卵誘発剤を用いて複数個の卵を作り、それを卵巣から取り出して試験管(またはシャーレ)の中でまとめて体外受精させる。受精した一個を母体に戻して余った受精卵は凍結保存される。最終的に子宮に戻されなかった余剰受精卵や異常があった受精卵は廃棄されるか、または“ヒトES細胞”などの胚の研究に利用されている。なぜならこれらの受精卵は着床前でまだ胎児にもなっていないモノ(細胞の塊)だから。子宮に着床する前の初期の胚は受胎前だからモノとされている。

 

<有力な根拠>

その有力な根拠としてオーストラリアの哲学者ノーマン・フォード(サレジオ修道会の神父)が1988年に唱えた説がある。彼によれば「14日目までの胚は一卵性双生児になる可能性があるから、まだ人の個体ではなく“細胞の塊”にすぎない」と。さらにイギリスの哲学者メアリ・ワーノックを委員長とする諮問委員会が1984年にまとめた「人の受精と発生に関する委員会の報告書」がある。この報告書によれば「受精後14日までの胚は原始線条がまだ発現していないことから、自己同一性を持った個体とはみなされない」とある。ワーノック報告の背景には、英国国教会では体外受精に対して条件付容認(寛容説)を取っていることがあげられている。

これらの説を受けて多くの国では「人間の始期」を、原始線条の出現期以降(受精後約2週間)とする考え方を採用して、これが胚研究の国際基準となっている。いわゆる「14日ルール」のことである。これは「胚を受精後14日以降、または原始線条(胚の発生初期に臓器分化を開始する直前に形成される線条のこと)の形成以降、培養してヒト胚を発生させることを禁じるルール」のことを指す。なお2021年5月末に国際幹細胞学会(ISSCR)はガイドラインを改定して、ヒト胚研究の国際ルールである「14日ルール」を禁止項目から除外して緩和した。

*秋葉悦子著『人の始まりをめぐる真理の考察』毎日アースデイ2010年他、参照

 

<日本では>

20047月の総合科学技術会議「生命倫理専門調査会の最終報告書」では「14日目までの初期胚は人そのものではないが、人の生命の萌芽として尊重されるべき存在である」としている。日本ではこの最終報告書に基づき、初期胚は「人」ではなく「モノ(細胞の塊)」であるので、胚を研究用に用いても何ら問題はないとの解釈に立っている。

 

<カトリック教会の立場>

カトリック教会では「人の生命は受精時に始まる(→それ故に受精卵は人間である)」という立場を採っている(教理聖省『堕胎に関する教理聖省の宣言』カトリック中央協議会1974年参照)。この立場から「大部分の生殖医療は禁止、体外受精・胚移植・胚凍結など人工的な手段による妊娠や胚を用いた研究」は認めていない。なおプロテスタントは体外受精を結婚した夫婦間に限り認めている。

*教皇庁生命アカデミー著『着床前の段階のヒト胚』カトリック中央協議会2008年参照。

 

D、シルバーバーチの立場

シルバーバーチは「受胎作用は精子と卵子とが結合して、自我を表現するための媒体を提供する」ことであり、この媒体(受精卵の原型)に「小さな霊の分子が自然の法則に従って融合」する、その瞬間(→受精卵の原型に霊的要素が流入するその瞬間)が「意識を持つ個体としての生活が始まる」時期と述べる(3173⑦~⑫、語る414①~③参照)。

ここからスピリチュアリズムでは「受胎の瞬間」とは、世間で広く理解されている「妊娠成立期(受精卵が子宮に着床した時)」ではなく、父方と母方のDNAが融合して物的な結合体の「受精卵(接合子)が出来上がった時」となる。

 

②、生まれ出る際の問題

ア、産児制限

生命の誕生を阻止する産児制限は、結局のところ「動機は何か」の問題に帰着する(450⑧~51①、語る412①~④参照)。シルバーバーチは出産を制限する際の動機が正しければ問題ないが(8130③~④参照)、肉体的快楽だけを求めて妊娠を避ける者は、その動機が利己的であり程度が低いので感心しない(452③~⑤参照)。また両親の霊的進化にとって生命の誕生が不可欠の場合は必ず生まれてくる(語る412⑧参照)。生まれてくる宿命を持った霊は、避妊をしない夫婦を選ぶ(451③、最後啓示135⑤参照)と述べる。

 

イ、不妊体質で生まれた女性

一般に「女性は子供を産んで一人前であり、子供を持つことが女の幸せである」とする旧来の女性観に立った世間からの暗黙の圧力がある。そこに近年の医療技術の発達、さらにマスコミの影響も加わって、不妊治療を受ければ誰でも母親になれるという安易な風潮が出来上がってしまった。

医療の世界では、妊娠したくとも妊娠できない、そのことを苦痛に感じて来院した人の病名を“不妊症”と呼んでいる。従来から“原因不明な不妊”は「妊娠を望んでいるカップルの10組に1組の割合で存在する」と言われている。いわば妊娠しにくい体質を持った人たちの存在である。医療関係者によれば、現状は多額の費用をかけて不妊治療を受けても、妊娠する確率は1020%であるという。

 スピリチュアリズムの観点からいえば、再生人生を「“不妊体質という身体”をまとって地上体験を積む」という選択をして生まれてきたにもかかわらず、それでもなお妊娠したいと望むその動機は何かが問題となる。動機面から言えば子供を持つことによって、自分たちを人間的に成長させたいと願うカップルも存在する。この場合は実子ということに拘らなければ、子供を養子に迎い入れて共に成長していくという選択肢もある。

 地上人生では子供と共に霊的成長を図って行くのが一般的なコースとなっているが、それだけに限らずその他の“霊的成長の為のオプション”も多数用意されている。一例として「仕事」を通して霊的成長を図るという選択肢もあり、多くの人が選択している。スピリチュアリズムでは地上世界は「学校」という位置づけであり、そこに於ける“教育課程”は人によって異なる。子供の有無や障害を持って地上という「学校」で学ぶなど、さまざまなコースが用意されている。

 

3、地上人生の終期

①、死とは何か

ア、この世に於ける「死」

A、「三徴候」の確認

何をもって「死」と判断するのかは時代や文化によって幅があるが(脳死から細胞死まで)、腐敗により死臭が漂うことで死は決定的なものとなる。

死者が蘇生したという話、いわゆる「早すぎる埋葬」は昔から存在した。19世紀初頭に「死は心臓と肺が機能を停止した時に訪れる」という事実が明らかにされるまで、「死」は“細胞死(腐敗により死臭が漂う)”であった。

その後、医療の世界では「心拍停止」「自発呼吸停止」「瞳孔散大・対光反射消失(脳幹の機能が喪失している)」の「三徴候」を確認してから「死」と診断する慣行が定着している。現在では立ち会った医師は患者の「三徴候」を確認した後に、家族に向かって死を宣告する。

 

B、新たな「死の概念」の登場

物質次元から「死」を見れば物的身体の崩壊過程として現れるため、どの時点で死と判定するかは難しい。「心臓死」の場合は法律(*墓地埋葬法)によって死者を一定期間観察する道が残されている。また昔は土葬が主流であったため、仮死状態や棺に入った状態から蘇生した場合でもそれなりに対応できた。しかし「脳死」にはその道はない。

昨今は「脳死」という新たな「死」が登場している。この「脳死」とは20世紀後半に導入された「臓器移植と対になった新たな“死”の概念」である(→脳死とは大脳・小脳・脳幹を含む脳の全ての機能が不可逆的に停止した状態を言う:平成22年度版『法的脳死判定マニュアル』参照)。

1967年に南アフリカのケープタウン大学で人間から人間に対して世界初の心臓移植が行われた。その翌年の1968年に、従来から問題となっていた“脳疾患の末期患者”を表す言葉として「脳死」が使われるようになった(ハーバード大学医学部『脳死判定基準』参照)。

この「脳死」という概念を導入することによって、始めて「ドナーの心臓は生きているが、ドナーは死んでいる」状態が出現した(→脳死と心臓死との時間差を利用)。新たな“死”の概念を導入することによって「ドナーは死者から」という高い壁をクリアすることが出来た。その結果「脳死者からの臓器摘出」、つまり“死体”から脈を打っている心臓を取り出すことが可能となり、執刀医は殺人罪で訴追されることなく心臓移植手術を行うことが出来るようになった。

 このように医学技術を優先した「死の定義」が作られたことによって、移植医療はますます発達して移植用臓器のニーズは高まった。その結果「人体の商品化」がもたらされた。この背景には「死は忌み嫌うもの」や「死は敗北である」という意識が存在する。

 

*蘇生の可能性があるために「墓地、埋葬等に関する法律(昭和23531日法律第48号)」第3条では「埋葬又は火葬は、他の法令に別段の定があるものを除く外、死亡または死産後24時間を経過した後でなければ、これを行ってはならない。但し、妊娠7箇月に満たない死産の時は、この限りでない」と定めている。

 

イ、スピリチュアリズムの「死」の定義

A、シルバーコードによって結ばれている

形がない“霊的な心・本来の私という意識”が、自らの霊性を向上させる為には(→霊性の向上とは潜在している“神の分霊”を意識の領域に顕在化させていくこと、顕在化に伴って意識が拡大して行く、イラスト右AからEへ)、各種形体(→地上では肉体、幽界では幽体、霊界では霊体など)をまとってこの世では物的体験・あの世では霊的体験を積む必要がある。

この世で体験を積むためには「霊的な心」は、肉体をまとう必要がある(→肉体をまとうことによって肉体本能に強く影響を受けた意識となる)。その肉体とより精妙な霊的身体(→中間物質で出来た結合組織の接合体を含む)との間には、二本の太いシルバーコード(→頭部と臍の部分)と糸状の細いシルバーコードがクモの巣状に張り巡らされている。

 

B、二本の太いシルバーコードが切断

老化から死への長い“死のプロセス”は、各臓器と繋がった細いシルバーコードが萎縮または切断する所から始まる。細いシルバーコードが萎縮または切断することによって、生命力(霊的エネルギーの一種)の流れに障害が生じて臓器は不活性化となる(臓器の不具合)。

生物学的には“死のプロセス”の最初の兆候は“肉体の老化・病気”として現れる。そして最後に二本の太いシルバーコードの切断によって“死のプロセス”の前半は完了する。後半は霊的世界に舞台を移して、他界者は中間境で明確な「死の自覚(→私は死んだ人間だという自覚)」を得て、物的バイブレーションから霊的バイブレーションへの切り替えが完了した時点で一連の“死のプロセス”は終了する。切り替えが完了することによって物質性の濃い霊体が完成するから。なお“死のプロセス”が何時まで経っても完了しない者を地縛霊と言う。

このようにスピリチュアリズムでは、太いシルバーコードが双方ともに切れた瞬間をもって「死」と定義している(11206⑫~207⑦、永遠の大道115⑮~116③参照)。これに対して切断されずに、霊的身体が肉体から離れた状態で体験したことを蘇生後に語る現象を「臨死体験」(Near Death Experience)という。臨死体験者の中には「紐のようなものが自分の位置まで伸びているのが見えた(→シルバーコードのこと)」と述べている者もいる。

 蘇生可能性という観点から見れば、物的身体と霊的身体を結んでいるシルバーコードが切断されていなければ必ず蘇生するので死者ではない。地上世界は「学校」であるという観点から見れば、植物状態の患者でも“私(霊的な心・本来の私という意識)”はボロボロになってしまった肉体に繋がれた状態に置かれても、なお何らかの物的体験を積んでいること、または周りの者や家族に対して何らかの体験を積ませていることが考えられる。このように考えれば「臓器移植を前提とした脳死」には問題があると言わざるを得ない。霊界通信によれば高級霊は臓器移植を認めていない(9127⑩参照)。

 

C、医師は霊視能力者ではない

人間の死は“シルバーコードの切断の瞬間”としても、現実問題として医師は霊視能力者ではない。そのため“シルバーコードの切断の瞬間”を見極めて死の診断を行うことはできない。物質次元から見た“人間の死”とは、徐々に「生命現象が終息していくプロセス」として現れるので、医師にとってはどの時点をもって死とするかの診断は難しい。

近代医学の著しい進歩によって、重篤の患者は人工呼吸器や蘇生技術等の助けを借りて、命を長らえることができるようになった。病床では脳疾患の末期的病態にある患者に対して、従来の医療行為の継続か、または治療水準の切り下げかの判断に際して「臨床的脳死診断」が行われることもある(→これ以降は延命治療の中止を考える時期となる)。

このように脳が機能停止した「脳死」は臓器移植が絡まなければ、単に脳疾患の末期的病態の患者に対する“通常の臨床医学上の問題”に過ぎないといえよう。

 

D、「死」とはバイブレーションの切り替え

スピリチュアリズムでは「死」とは、肉体を脱ぎ捨てて霊的身体に移行するための通過地点に過ぎないと説く。バイブレーションの観点から「死」を見れば、従来の鈍重な肉体を通して感知していた粗い物的バイブレーションの世界から、精緻な霊的バイブレーションの世界へと切り替わる、そのことを「死」と呼んでいるに過ぎない(344④~⑤参照)。

 

②、さまざまな「死の形」

ア、不慮の死(急死、事故死、戦死)

A、無理に生木を裂く状態(予期せぬ死)

スピリチュアリズムの観点に立って「人は死んだらどうなるか」を考えて見た場合に、そこには「死の形」ごとに生じる特有の問題が見えてくる。

「本来の死」は細いシルバーコードが一本一本穏やかに切れて、最後に太いシルバーコードが切断して死を迎える。この前後に亘って他界者は“死後の深い眠り”に入る。眠りの中で粗い物的バイブレーションから精緻な霊的バイブレーションに切り替わる準備が行われる。

これに対して「急死・事故死・戦死」などの「不慮の死」は、本来の想定していた死のプロセスを踏まないケースであり、他界者に死の準備が整っていない段階で無理に生木を裂くように肉体から離される死である。

これら「不慮の死」の場合には、急激にシルバーコードが切断することによって突然に死を迎えるので、他界者にショック状態を引き起こす。その状態を緩和する為に「霊的エネルギーの注入や長期の休養」などの処置が霊的世界で行われている(6106⑤~107③、メッセージ61⑬~62①参照)。

 

B、霊的知識の有無と休養期間

<休眠の必要性>

事故や戦死などの「不慮の死」によって眠ることが出来ない他界者は、死のプロセスを進めるために必要な調整、バイブレーションの切り替えがなかなか完了せず、調整期間が長引いてしまうことになる。この場合でも他界者の“表面意識(→顕在意識のようなもの)”に「死の自覚」が芽生えてくると、急激な眠気を催すようになる。なぜなら粗い物的バイブレーションから精緻な霊的バイブレーションに切り替える為には眠ることが必要だからである。

「不慮の死」を遂げた他界者に霊的知識がある場合には、相応の霊的調整期間を経て「死の自覚」が持てるようになる。これに対して霊的知識がない場合には霊的調整の為の長い休養期間が必要となる。その調整期間は正常死のケースよりも長くかかるのが通例である(8巻103⑦~⑬参照)。その場合には「地縛霊(→死の自覚が何時まで経っても芽生えない他界者)」となって地上圏をうろつかないためにも、速やかに“休眠”を取る必要がある(霊訓下125⑫~⑮、126③~⑦参照)。なぜなら霊肉分離が本来の過程を経ずに、急激に引き剥がされることによるショックを“休眠”の中で調整していく必要があるから。「不慮の死」を遂げた他界者は張り詰めた意識状態(一種の興奮状態)にあり、なかなか眠ることが出来ずに死を遂げた場所やゆかりの場所をさ迷い歩くことが多い。

 

<霊的な事柄をどちら側から見るか>

時間の流れはあの世では純粋に精神的なものなので、精神的な時間の流れの中で計る。これに対してこの世では地球と太陽の位置関係の中で、機械的に時間の流れを計る。このような違いがあるので“死の眠り(休眠期間)”をどちら側の観点から見るかで意味が違ってくる。

死後の目覚めに要する時間は、霊界側の時間の流れからすれば「死の自覚(→私は死んだ人間だ、死んで霊の世界に来たという自覚)」が理解できるまでに霊的バイブレーションが整った時点、つまり「死の自覚の芽生え」が他界者の意識に生じた時点で目覚める。これはあくまでも精神的な時間であるため、いつ目覚めるかは霊的状態の変化によるので、個々人が有する其々の条件(→霊的知識の有無や霊格の程度、さらには人の為に尽くすなど善意の波動を受ける立場の人は目覚めが早い)によって異なる。

この眠りからの目覚めに要する時間を地上側から見れば、機械的な時間の流れで計るため「Aさんでは〇〇日、Bさんでは〇〇日、Cさんでは〇〇日かかりました」と表現しているに過ぎない。このように「死の眠り」を霊的視点から“霊的状態の変化”として見るか、物的視点から“この世的な時間の流れ”の中で計るかにより、目覚め迄に要する時間は異なる。

 

イ、意識的に命を絶つ行為(自殺、死刑)

A、「学校」を中退する行為

自ら命を絶つ自殺(9206⑤~⑥参照)、他人の命を絶つ殺人(5215①参照)、犯罪者に対し法の執行によって命を絶つ死刑(4210⑦~⑩参照)など、人間が人間の生命を奪う行為は霊的摂理に反している。

命を自ら意識的に絶つ自殺者の場合は、地上生活を通して霊的成長するせっかくの機会を自らの手で投げ出してしまうことになる。これに対して殺人の被害者や死刑囚の場合には自らの意に反して命が絶たれてしまい、その結果としてまたとない物的体験を積む機会が奪われてしまうことになる。特に死刑囚の場合は刑務所の中で自分自身を見つめ直して(→強制的に内省の時間が持てる)、自らの性格の弱点を矯正するせっかくのチャンスが奪われてしまうから。

例えて見れば自殺は自らの意志で本来の就学期間を全うせずに「学校を中退する行為」であり、他殺の被害者や死刑の場合は他人の命を無理やり奪って「学校を中退させてしまう行為」であると表現できる。

 

B、自殺の場合

<シルバーバーチの見解>

シルバーバーチは「(自殺行為に関して)寿命を全うせずに無理やり霊界へ行けば、長い調整期間の中でその代償を支払わなければならなくなる」「(利己的な波動によって)周囲にミゾをこしらえてしまうから」(語る407③~⑥参照)、霊的進歩の妨げになるからと述べている。しかし一口に自殺者といっても地上人生をどのように送ってきたか、霊的な発達程度はどうか、自殺の動機は何かなど、自殺に至る事情や心情など、考慮すべき条件がケースごとに異なっている。そのため自殺者の死後の状況もそれぞれであり一律ではない。

 

<利己的要素が強い自殺>

自殺の動機に「利己的要素」がより多く付着している者ほど、自殺者の意識は内側に強く向いて閉じられている。いわば本人が作った思念という厚い壁が周りを取り囲んでいる状態であり、その壁を外側から砕くことは非常に困難である(個人的存在88⑥~⑫参照)。

筆者の知人に自殺者がいる。たまたま自殺の数時間前に電話で話をした。その際に知人の自殺を決意した感情的な思念が私には“鉄の板”のように感じられた。この体験から自殺者(霊)の周りには陰湿で感情的なネガティブな思念が“鉄の板”のように取り巻いている、それを外から破るのは難しいとの印象を持った。ここに利己的要素の強い自殺には霊界側から(外部から)救済の手がなかなか届きにくい理由がある。

このようなケースでは自己の“利己性の罪”の償いのため、自ら作り出した「暗黒の世界」に、いわば意識が内側に向いて閉じられているがゆえの暗黒の世界に、長期間閉じ込められることになる。「死んだつもりなのに相変わらず自分がいる」「その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断する」(9209⑩~⑬参照)。結局、時間をかけてでも本人の意識の変化を待って、内側からその壁を壊していくほかない(→同様に引き籠りも自らの意志で“部屋から出る”という気持ちにならない限り根本的な解決は難しい)。

 

<利他的要素が強い自殺>

これに対して自己犠牲的な動機が強い自殺の場合は(9210③参照)、自らの命を絶つ行為に利己性は薄いので、その人の意識は外側に向いて開いている(個人的存在89⑥~⑧参照)。そのため一旦は暗い世界に落ちるとしても、霊界の救済霊との接触は極めてスムーズに運ぶことになる。

 

<憑依霊による自殺>

これ以外に自殺を決行する明確な意思はなかったにも拘らずに、地縛霊や邪霊に憑依されてしまって自殺する場合がある。この場合も自殺者はしばらくのあいだ暗闇で過ごすことになるとしても、自殺の責任は主に憑依霊側にあるので、救済霊との接触がはかられて周囲を取り巻く思念と言う壁を打ち破ることができる。

なお憑依霊を呼び寄せた何らかの“受け皿”が自殺者側にあったとしても(個人的存在252⑨参照)、その“受け皿”となった歪んだ性格の矯正は自ら幽界の下層界で行うことになる(→浄化の為の界が下層界にある)。一方憑依霊は、本人に憑依して自殺をさせてしまったという行為の責任を負うので、その償いをしなければならない。

 

C、死刑の場合

死刑制度は死後の世界に関して何の準備もできていない死刑囚から肉体を無理やり分離させてしまい、霊界側の問題児である「地縛霊や邪霊」を増やしてしまう結果となっている。死刑を執行された霊のバイブレーションは、地上人の物的バイブレーションに極めて近いため、何らかの“受け皿”を持つ地上人の波長と容易く同調してしまう。

その為「怒りと復讐心に燃えた霊」による憑依現象は親和性の法則から多発する(霊訓下154⑮~155⑩参照)。地上人(霊的敏感者)の歪んだ性癖や習性(→自己中心的・意志薄弱・自主性がないなどの未熟な魂の持ち主や、薬物依存・アルコール依存・自傷行為などの悪習慣)がエサ蒔きとなって、そこに親和性を持った邪霊が引き付けられるから。

シルバーバーチは「死刑に処するということは正義からではなく報復心に駆られているという意味において間違いである」(新啓示28⑦~⑧参照)として、正義と復讐を区別するようにと述べている。

このように死刑制度は単に犯罪者から肉体を奪うだけであって(→あの世に行っても単に肉体が無いだけであって性格は変わらず、地上時代に有していた意識状態はそのまま)、地縛霊や邪霊による憑依という形で地上にトラブルのタネを蒔いているにすぎない。高級霊からの霊界通信では例外なく死刑制度を批判している(6150⑧~151③参照)。

処罰制度には懲罰的要素も必要であるが、同時に矯正的・厚生的な要素も必要である(霊訓上47⑪参照)。暴徒や死刑囚など蛮行を行う者は「一種の病人」(4巻207⑤参照)であるとの観点から対処する必要がある。霊界通信には「罪人は矯正するか隔離するかのいずれかにすべきであって、身体を奪ってはなりません」(続霊訓101④~⑥参照)とある。

その為には現在の刑務所を取り巻く問題の改善が必要となる。例えば矯正・厚生的観点から受刑者の矯正プログラムの改善や、すし詰め状態の収容の改善を図る必要がある。少なくとも内省的になれる空間の構築という観点からの改善は必要であろう。

 

ウ、安楽死、延命処置、尊厳死

A、安楽死

安楽死は医師が直接薬剤を投与することにより患者の自然な死期を早めて死亡させる「積極的安楽死」と、苦痛を長引かせないように医療行為を控えたり延命治療を中止したりして死期を早める「消極的安楽死(尊厳死のこと)」とがある(ブリタニカ国際大百科事典)。

日本の「安楽死裁判」で問題になったのは「積極的安楽死」であり、関与した医師は「嘱託殺人(→患者の嘱託を受けて死期を早める処置を行う)」や「承諾殺人(→患者の承諾を得て処置を行う)」の罪に問われている。法律上問題となる「積極的安楽死」は「自殺ほう助(自殺関与罪)」や「殺人(殺人罪)」との区別が難しい。

シルバーバーチは「回復の見込みがない患者(→植物状態の患者や不治の患者、筋萎縮性側索硬化症・ALS患者など)」を人為的に死なせる安楽死は、当然のこととして認めていない。なぜなら死後に備えの出来ていない者に一種のショックを与えてしまい、そのショックが何かと良からぬ影響をもたらしてしまうことになるから(448⑦~⑨参照)。さらに植物状態になっていても、本人自身が何らかの学びをしている場合があること(最後啓示155⑪~⑬参照)。または周りの家族に対して何らかの学びをさせていることも考えられるから。

 

B、延命処置を施すこと

シルバーバーチは患者に延命処置を施すことに関しては問題ないという。なぜなら霊は肉体を去るべき時が来れば、どのような医学的処置を取ろうが肉体から離れていくので、延命処置の効果は「ある程度までのこと」(449⑧~⑩参照)であり、いわば「寿命の範囲内のこと(=寿命の糊代部分)」だからと述べる。

 

C、尊厳死

尊厳死(消極的安楽死)は「必要以上の延命治療を受けず、人間らしい最後を全うしよう」という考え方に立って、回復の見込みのない時点での人工呼吸装置など機械的な延命工作を、あくまでも本人の意志に基づいて辞退、結果的に死を選ぶことを言う(日本大百科全書)。近代医学が死に臨む人の人間性を無視しがちであることの反省から生まれた概念(広辞苑)。

尊厳死は“医師の行為の妥当性の問題”と“患者本人の動機の問題”とに分けて考えて見る必要がある。医師が患者の苦痛を和らげ除去する以外の延命のための治療を行わない行為、栄養補給のカンフル剤は用いるが静かに死を待つだけの医療行為に関しては、霊は肉体を去るべき時が来れば必ず去るもの(4巻48②~③参照)なので問題はない。

これに対して患者本人は何のために「延命のための医療は望まない(リビング・ウィル)」で尊厳死を望むのかという問題がある。その理由に経済的な問題や厭世観、また多数の生命維持装置等によって無理やり命を永らえさせられる状態(スパゲッティ症候群)に対する忌避もあろう。シルバーバーチは常々「動機は何か」を問題にする。この点から尊厳死を考えて見れば「リビング・ウィルを望む本人の動機は何か」という問題に帰着する。

 

4、地上人生の役割

①、本来の世界と地上世界

ア、本来の世界

私たちの本来の住処は、霊的家族(類魂)が待つ「霊界(狭義)」である。この「霊界(狭義)」は「同一霊格で、親和性を有する霊」が集団で生活する均一な世界である。そのような環境(→同一霊格で親和性がある霊の集団)の中で生活しているために、出会う人も自分と同じ霊格やタイプの者となり、遭遇する体験も似通った体験となる(→それ故に類魂と言うシステムを利用したり、指導霊となって利他的行為を行ったりして霊的成長を図る)。

シルバーバーチは「こちらでは同一レベルにまで進化した者どうしの生活が営まれており、霊格による区別がはっきりしているからです。ですから地上のように比較対象というものがありません」(1巻174②~④参照)と述べている。

 

イ、地上世界

   

A、肉体を通して自我を表現する世界

人間は霊であり、霊性を向上させる為に地上世界(=海底)に降りて来た。この地上で一定期間を過ごすためには、“霊的な心(=本来の私という意識)”は肉体(=潜水具)を通して自我を表現しなければならない。それ故に肉体は個別霊が地上世界でまとう衣服に例えられる。この個別霊と肉体との関係をシルバーバーチは「身体はあなたが住む家である」「家であってあなた自身ではない」(1巻27⑩参照)と表現している。

 なお人間には“二つの心(自我)”がある。まず自我の本体を表す“霊的な心(→この心の中に神の分霊が内在している)”がある。そして“霊的な心”は、地上では肉体(=潜水具)を通して“地上的自我(→海底において潜水具を通して表現している私のこと)”を表現している。この地上で表現している地上的自我を“物的な心(=現在の私という意識)”という。

 

B、多様な霊格の霊が交わる世界

地上世界は霊格がバラバラで親和性がない個別霊、本来の住処である霊界(狭義)では絶対に交わることがない個別霊が共通構造の肉体(=潜水具)をまとうことによって、地上(=海底)という同一平面で交わって生活している混在社会である。

 

ウ、地上世界は相対性・両極性の世界

地上世界は霊的に見て混在した世界、比較対象の有る世界なので本来の住処である霊界(狭義)では出会うことがない人や体験(→直接体験、間接体験)に遭遇できる。地上では困った隣人がいれば手を差し伸べる愛にあふれた人がいる一方で、自分の快楽しか眼中にない自己中心的思考の持ち主や利己主義者もいる。このような快楽主義者や利己主義者の末路を見聞きして自らの教訓としている。いわばこの世は本来の住処では絶対に出会うことがない“肉体をまとった霊”と、日常的に(→直接に又は報道を通して間接に)出会うことができる両極性に満ちた世界となっている。

 

エ、地上世界の役割

A、意志力と集中力を身に付ける

地上は物質の世界なので、思いは行為(→物や言葉と言った物的外形)を伴って始めて相手に理解される。例えば地上では「有難うという感謝の思い」は言葉に包んで相手に伝えるか、または贈答品という形を伴った行為に包み込んで伝えなければ相手は理解できない。心の中で“感謝の気持ち”を発しただけでは相手は真意を認識できない。

このように地上では思いは、言葉や行為と言った物質に包んで表現しなければならず、そこに意志力と集中力が要求される。例えばある人が頭の中で単に善行を想念しただけでは、その人の外観からは何も伝わってこないので善行にならない。頭の中で思い描いた想念に何らかの行為や言葉をプラスすれば、他人から見て善行として認識できる(→例えば電車の中で老人に席を譲るという思いを頭の中で想念しただけでは善行とは言えず、実際に行為に移さなければ善行にならない)。

このように地上世界では、頭に思い描いているアイディアという思念を誰が見ても分かるカタチにして行く必要がある。その為には意志力と集中力によって何らかのカタチに作り上げて行かなければならない。霊的世界は思念が基本となっているので、死後の世界にスムーズに適応できるようになるためには、地上世界で培った意志力と集中力という体験が大いに役に立つことになる。地上世界の存在目的は霊性の開発にある。その霊性の開発には強い意志力と集中力を必要とする。物的世界はそれらを強化するには絶好の環境にある。

 

B、この世は学校

私たちはこの地上世界で苦と楽、悲しみと喜び、愛と憎しみ、勇気と臆病、平静さと怒り、嵐と晴天、明るい側面と暗い側面、困難、闘争など、さまざまな両極性を体験(→直接体験又は間接体験)することによって学んで、各自が霊性の向上を図っていく仕組みとなっている。このように地上世界は学ぶ機会に数多く出合える場となっているので「学校」(474⑫参照)と言われている。

シルバーバーチも「地球は学習のために通う“学校”です。その(学校での)学習は、比較対象の体験による以外には有り得ない」(到来25⑩~⑬参照)、「人生とは学校です。刻苦と闘争、努力と困難、逆境と嵐の中をくぐってこそ魂は真の自我に目覚める」(4214⑩~⑪参照)と述べる。このようにスピリチュアリズムでは地上世界を「学校」と呼んでいる。肉体は“私という意識”がまとう「学校の制服」である。

 

②、地上人生の意義

ア、苦難は魂の磨き粉

A、魂の磨き粉

霊的観点から見れば、地上人生はホンの一瞬のことに過ぎない。シルバーバーチは「永遠の観点から地上人生を見る」「視点を変えてみる」ということを私たちに説いている。この観点から苦難を見ると別の側面が見えてくる。

この世的な幸せを得ることが人生の目標、物的要求を満たすことだけが目標といった人生からでは「魂を向上させる(→霊性の向上とは“本来の私という意識”に潜在している“神の分霊”をより多く顕在化させていくこと、イラストAからBCDEへ)」ことはできない。

この世に生まれてきた人間は、何らかの荷を背負い困難と取り組みながら、そこから何かを学び取って霊性を向上させる、それが地上人生の本来の姿である(152⑨参照)。なぜなら人間は、困難、苦労、悲しみ、痛みなどを体験して、それらが魂の琴線に触れることによって、初めて自我に目覚めて霊的真理を受け入れる素地が出来上がるから(164②、3130⑨参照)。いわばそれらの体験は、受容性に富む魂を作り出すための“魂の磨き粉”の役割を担っていると言える(769⑧~⑩、3213⑨参照)。魂の目覚め(霊的自覚)は簡単には得られない。シルバーバーチは「成長は困難に堂々と対処し、挑戦を正面から受け止め、そして克服していく中で得られる」(1273⑥参照)と述べる。

 

B、自動的に磨かれることはない

ただし「困難・障害・病気など」に出会いさえすれば自動的に人間性が磨かれる、というわけではない。その「困難・障害・病気など」が人生を別の視点から見つめさせるきっかけとなって、結果的に人間性を磨くことに繋がるということである(8138⑥、8140⑧~⑩参照)。受け身的ではなく果敢に困難に挑み、そこから何かをつかみ取って行く態度が必要となる。

例えば70歳の老人が自らの来し方を振り返って、「あの時の苦労がなければ自分の一生はチャランポランな人生だった、あの時のもがき苦しんだ苦労が自分を磨いた」という独白と同じ。苦しみの渦中にいる当の本人は目の前の試練に悪戦苦闘して闘っており、周りを見回す精神的余裕はないだろうが、それを乗り切った暁には大きく成長して霊性も一段と磨かれることになるということ。このことは「困難・障害・病気など」に果敢に挑戦して、乗り切った多くの人が体験談として述べている。

 

イ、霊性レベルと磨き粉の関係

A、研磨剤の粒子

シルバーバーチは「地球は宇宙の惑星の中でも最も進化の程度の低い部類に属する」(11177⑭~⑮参照)と述べる。霊性レベルと環境は一致するので、地上人類の霊性レベルの低さ故に“磨き粉の粒子”はそれなりに粗い。その“目の粗い磨き粉”を使って体を洗っているようなものである(→目の粗い磨き粉とは、重い病気にかかったり重大事故や災害に巻き込まれたりと言った厳しい体験のこと)。例えれば軽石に石鹸を付けて体をゴシゴシと洗うようなもので、汚れは落ちるが当然に肌は痛い。そこまでしないと余りにも低いレベルにある地球人の霊性は目覚めないから。

 

B、「学校の試験」のようなもの

人間は霊であり、霊として何をなさねばならないか、ということを物的体験によって表面的な自覚ではなく心の底から自覚する(→明確な霊的自覚を持つこと)、その為の仕組みが各自の人生の随所に組み込まれている。いわば「困難・障害・病気・災害」は「学校の試験」のようなものであり、霊的視点がどこまで身に付いたかを人生の節目で試される。

 

ウ、霊性の開発

A、故事「人間万事塞翁が馬」

大部分の人は「困難や障害はできるだけ避けるべき」との心情を持って生活している。シルバーバーチはこのような多くの人の願いとは真逆のことを説いて、困難や障害に出会ったらそこから逃げるのではなく、これらに対して積極的に立ち向かって自らの手で克服していく、その為の心構えを説いている(31⑫~2①参照)。

シルバーバーチはこの世的な視点で幸不幸を見るのではなく、霊的視点から見ることを私たちに説いている。このような霊的視点から見れば、不幸な人生が霊的に見れば幸多い人生であったということもあり得る。地上的な意味での幸福になることが地上人生の目的ではないから。

 

B、刻苦と苦難、修養と節制の生活

シルバーバーチは人々から忌避されてきた困難や障害に魂の磨き粉という役割を持たせて、新しい意味付けを行った。そして霊性の向上には「修養と節制の生活」と「刻苦と苦難」、この双方が必要になると述べた(997④~⑤参照)。

霊性の向上とは“霊的な心・本来の私という意識”の領域に潜在している“神の分霊”をより多く顕在化させていく霊的成長のこと。現在の胚芽的存在から、最終的には“霊的な心・本来の私という意識”の全体に神の分霊を顕在化させて行くことが最終目標となる。このことから人は「神のミニチュア」と言われている(1巻80⑧~⑫、11109④~⑤参照)。

霊性の向上は「刻苦と苦難と修養と節制の生活」を通してしか成しえない。このように“本来の私という意識”に内在している“神の分霊”を顕在化させて、分霊に宿された資質(→あらゆる種類の美徳・善行・能力のこと。親切、同情、慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善、愛などの神の属性のこと:1巻154⑭~155③、6176⑤参照)が、形体を通して外部に滲み出て行く霊性の向上は、悪戦苦闘しながら困難や障害等と闘って勝ち取って行くもの。最も達成が困難なものであるために永遠の時が用意されている。

 

5、講座に寄せられた質問

①、質問その1

<質問>「ごく稀に人や動物を殺めたり、傷つけたりをしても平気、もしくは何の罪悪感も持たない人がいます。このような人を見る度に人間は“神の分霊”を内包しているという認識が覆されるような気がします。シルバーバーチの立場からどう考えたら良いか?」

<回答>

ア、高級霊はどのように見ているか

高級霊は悪人や罪を犯す者、残虐行為をする者を、一様に「霊的成長が未熟な人」「未熟な魂」と見ています。つまり「霊的な心(=自我の本体、本来の私という意識)」に潜在している“神の分霊”の顕現度合いが極めて低い人のことです。このような人を含めて個別意識を持った人間として生まれてきたからには、全ての人間に“神の分霊”が宿っています。

シルバーバーチは「あなたが悪い奴らと思っている人間は未熟な人間ということです」「悪い人間というのは霊的成長における幼児なのです」「善なるもの、聖なるもの、美なるもの、愛、叡智、そのほか人生の明るい側面だけに神が宿っているかに考える旧式の思想は捨てなければいけません」(5152⑤~⑭参照)。また「地上で“悪”と呼んでいるものは不完全な段階で神を表現している“不完全さ”を意味するに過ぎません」(5149⑨~⑩参照)。さらに「悪魔はキリスト教が生み出したもの」(5154⑤~⑥参照)と述べています。

 モーゼスの『霊訓』では「悪の軍団とは未発達・未熟な霊のこと」(霊訓上33⑮参照)。またマイヤース霊は「未熟な魂、これから数え切れないほどの体験を通じて、改良と形成を繰り返し、誰もが通過すべきコースを歩み、何時かは誰もが体験する試練を受けて辛く深い挫折感を味わうことになるのである。絶対的多数の魂が一度はそうした未熟な状態にあったのである」(個人的存在207⑩~⑫参照)と述べています。

 したがって人間(→個別意識を持った個別霊)として生まれてきた以上は、肌の色に関係なく、また善人や悪人の区別なく、全員の霊的な心(本来の私という意識)の中に“神の分霊”は潜在しています。霊的な心の中に“神の分霊”が潜在していることと、顕在化率(顕現の度合い、上記イラスト右)の問題とを区別しなければならない。

 

イ、霊媒体質者の憑依の問題

次に罪を犯す者や残虐行為を行う者を「霊媒体質者の憑依」という観点から考えて見ます。私たちは時々ニュースで無差別殺人事件や通り魔事件の報道に接することがあります。その際に事件の加害者は、しばしば「神の声を聴いた」とか、耳元で「事件を起こせ」とのささやき声が聞えたなどと話すことがあります。

 加害者の言動からこの様な事件を見ると、真っ先に「憑依の疑い」が思い浮かびます。憑依は霊的敏感者である本人側に邪霊を引き寄せる何らかの“受け皿(→例えば薬物依存、自殺願望、強い憎しみ、自己中心的思考、意志薄弱など)”が存在する場合に起きます。但し霊的敏感者だからと言って見境なく憑依される訳ではないです。

モーゼスの『霊訓』には「地上の罪悪と悲劇の多くは邪霊が同種の人間に働いた結果に他ならない」(霊訓下156②~③参照)、「地上の大都会はまさに悪徳と残忍と利己主義と無慈悲と悲劇のるつぼである」(霊訓下157②参照)とあります。憑依にも親和性が働くので本人側に邪霊を引き寄せる何らかの“受け皿”が存在することが不可欠です。

 

②、質問その2

<質問>「私自身、霊訓の内容の実践は少しずつしか出来なくても生きる方向性として心の支えにしております。ですが、ハート出版と潮文社の本が全て絶版になっていることが気になっています。物理的心霊現象が下火になって精神的心霊現象へと移ったように、次の段階が用意されているのでしょうか」

<回答>

 私が見た1980年から現在までのスピリチュアリズムの世界の印象を述べて見ます。

 日本に於ける「スピリチュアリズム史」をひもとけば、1930年代から1950年代前半までは物理的心霊現象の全盛期、1960年代から1970年代にかけて心霊治療が、1980年代に入ると「質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」が前面に出てきました。その普及の一翼を担った出版社が「潮文社」と「ハート出版」であった。1980年代から1990年代に於ける一連の出版によって、スピリチュアリズムの基本文献が容易く日本語で読めるようになりました。

これら日本語訳を基にして「スピリチュアリズムの全体図」という複数の“海図(マップ)”が作られました(→信仰を前面に掲げた海図やオーソドックスな海図など)。学習者は従来の“海図”なきスピリチュアリズムの世界に「スピリチュアリズムの全体図」という“海図”を携えて、迷信や商業主義が混在した“荒海(=スピリチュアリズムの世界)”を安全に航海できるようになりました。

 これ以降、霊的知識の普及活動(→各種講座・勉強会・読書会など集団を通して、または個々人に対する個別対応を通して普及させる)と、学んだ知識を日常生活に活用する各自の実践活動が“車の両輪”となって、スピリチュアリズムは大きく進展しています。

日本に於いては、現在は“知識としてのスピリチュアリズム”から“生き方としてのスピリチュアリズム”への移行過程にあります。この大きな流れは私たちの目に触れることなく、現在社会の底流部分で静かに進行しています(→個人の意識の変革運動という形で進行しているので表立って変化が無いように見えるだけ)。シルバーバーチは霊的知識の普及によって世界各地で難攻不落と思われた城壁が崩れ落ちていると述べています(1巻44④~⑤参照)。近年における地球レベルでの人権意識の高まりや、女性の地位の向上、宗教界をめぐる動きなどはその一つの表れです。

質の高い高等なスピリチュアリズム文献の出版に携わった潮文社やハート出版が撤退した後の日本のスピリチュアリズム界の動向は、個人の意識の変革や社会の意識の変革と相まって、今後一段とレベルアップして進展して行くものと思われます。それは個々人が霊界からもたらされた霊訓を咀嚼して、如何にして自分のものにして行くかの段階に入ったことを意味しているから(→従来までの知識の吸収から生き方の変革へという形をとって)。

 

③、質問その3

<質問>「祈りについて。祈りの言葉はたった一言しかありません。「何とぞ私を人の為に役立てる方法を教え給え。これです」とあります。わたし色々してしまうのですが、皆さんはどうされていますか? 須江先生自身はどうされていますか?」

<回答>

ア、祈りに対するシルバーバーチの見解

A、祈りとは魂の行

祈りとは自分自身の振動数を高めて、少しでも高い界層との霊的な交わりを求める行為です(3141④~⑥参照)。シルバーバーチは「祈りとは魂の行」(3226⑪参照)であり「より多くのインスピレーションと霊的エネルギーを摂取するための手段である」(3227①参照)と述べています。このように「祈りとは魂の行」であるため、祈りが出来ない時や祈りたくない時は祈る必要はないことになります(3227⑥、7205①参照)。

自分自身の振動数を高める為に行う「人のために役立ちたいとする祈り」は、一種の「磁気力にも似た吸引力」のような力が発生して、祈る者の霊的成長に見合った分の援助を自動的に引き寄せることになります(1170⑩~⑪、11114⑪~⑫参照)。

 

B、定型的な祈り、御利益信心的な祈り

無意味な文句の繰り返しや、神に挨拶するための機械的な祈り、集団で行う紋切り型の祈りには何の効果もない。祈りの効果を決定づけるのは、祈る人の霊格と動機です(到来173⑦~⑨参照)。

祈りに類似したものに「ああして欲しい、こうして欲しい、金が欲しい、家が欲しい」など、何らかの物的な願いを叶えてもらうために祈願する“要求型の祈り”があります。これをシルバーバーチは御利益信心と呼んでいます。この種の祈りは利己的な要求なので本来の意味での祈りではないです。御利益信心は当人の霊的成長にはプラスにならないので何の効用もない(1169⑩~⑬参照)。シルバーバーチは「利己的な祈りは時間と言葉と精神的エネルギーの無駄遣い」(7198⑭参照)であると述べています。

 

C、霊界での祈りの扱われ方

祈りに対する回答は、その時の祈る者の霊的成長にとって一番望ましい形で与えられます(158⑭~59②参照)。そのため祈る者の動機次第によっては、何の反応もないということもあり得ます。

祈りは「祈りの純粋性や利他性の度合い」に応じて「仲立ち」を経ながら相応のレベルまで届きます。霊界通信の『ベールの彼方の生活』には霊界には祈りを専門に処理する霊団がおり、祈りに含まれる純粋性や利他性などを分析して、価値評価の高い祈りは順次高位の霊に取り次がれていく(彼方1208⑥~⑧参照)との記載があります。同趣旨として「人間が祈りを発すると、それを中継する霊が受け取り(→無数の階梯をなして存在する天使的存在によって)、その霊自身の判断による回答」(続霊訓78②~③参照)を授かるという記載もあります。なお“要求型の祈り”は物質志向が強いため上昇せずに、祈る内容に応じて親和性から幽界の下層界にいる低級霊との間に繋がりが生じます。

 

イ、質問に対する回答

推測するに多くの人の祈りには「何らかの物的な願いを叶えてもらう」ための“要求型の祈り”が多いのではないかと思われます。シルバーバーチの「祈りとは魂の行」(3226⑪参照)との定義から見れば、一般に神社仏閣で行われている祈りとは、同じ祈りという言葉を使っているが“似て非なるもの”という事になります。

 私自身、シルバーバーチの上記の言葉に巡り合うまでは、物的な願い事である“要求型の祈り”を日常的に行っていました。現在は“要求型の祈り”は無くなり、時々神社仏閣を訪れた際には心の中で「こんにちは」「お邪魔します」と挨拶する程度に留めています。

 

④、質問その4

<質問>

①「霊界と繋がった霊的な能力(スピリチュアル能力)を持つ本物の霊能者は少ないと講義内で説明がありました。英国等で広まっており日本でも知られているミディアムについてはどう思われますか?」

②「ミディアムになる為の養成講座が日本でもいくつかあり、その中でミディアムシップは技術なので誰でもできると説明されていることが多い。先生のお考えでは、やはりこの様な講座で習得した技術では本物の霊能者ではないと思われますか?」「また,この様な養成講座で死者と通信できるミディアムになれると思いますか?」

<回答>

A、質問①について

◆本来の在り方

霊能者は「見えた、聞えた」の霊的情報を正確に相談者に提供する。相談者はもたらされた霊的情報を参考にして、霊的真理に沿った生き方へと自らの「意識の転換」をはかって行く、これがスピリチュアリズム本来の在り方ではないかと思われます。

 

◆「自力で」または「背後霊を通して」

霊能者が「見えた、聞えた」と言っても、その情報は霊能者の背後を通して見せてもらっているもの、自力で見ているわけではない。自力で見ている場合はこの世レベルのサイキック能力(→透視、予知、テレパシーなどの超感覚的知覚)です。多くの霊能者はこのサイキック・レベルに留まっているのではないかと思われます。

 

◆背後霊のレベルを高める

スピリチュアル能力を持つ場合でも霊能者の背後霊のレベルによっては、相談者に不正確な情報を伝えてしまうこともあります。例えばある霊能者は背後霊から「相談者に蛇が付いている」光景を見せられ、別の霊能者は「蛇が見えるがその奥に人霊が見える」光景を見せられた。それぞれ見えた霊的事実に霊能者の解釈をプラスして相談者に伝えたとします。

見えたと言っても霊能者に親和性から憑いている背後霊のレベルによっては、見える範囲は自ずと異なってきます。感応する背後霊のレベルを高めないと正確な霊的情報を伝えることは出来ないです(→スピリチュアル能力を高める)。

霊能者が話す内容や噂話、書かれたものを読む限りでは、大部分の霊能者はスピリチュアリズムの基本的理解が不十分であることが分かります。なお個別の霊能者に対する評価は差し控えます。

 

B、質問②について

◆霊的な能力は先天的なもの

 私は「霊的な能力は先天的なもの」との立場に立っております。そのため霊的な能力がない「霊的鈍感者」は「ミディアムになる為の養成講座」に熱心に通っても、能力発揮はある程度まで、ものにならないと考えています。しかし今生での体験が次の再生人生で生かされて、霊能者としての人生を歩むという事は当然に考えられます。

例えば歌は誰でも歌えます。しかし歌好きの中には絶対音感に優れた人がいる一方で、音痴(先天的音楽機能不全)の人もいます。音痴の人が熱心に音楽学校に通い、歌唱レッスンを受けても“優れた歌い手”にはなれないのと同じです。

 

◆サイキック能力者から本物の霊能者へ

 先天的に有する霊能力を発現させる為には、精神統一会や優れた指導者、霊能養成講座に通うのが一般的なコースでしょう。シルバーバーチは「最初は精神統一の為のグループに加わることを勧めます」「初めから霊能養成会に参加することは勧めない」(8巻158⑨~⑫参照)と述べています。

 霊能を発揮させたいと望む霊的敏感者は、精神統一会や霊能養成講座を上手に利用して修行を行えば、霊能(サイキック能力)発現のきっかけは作れると思います(→霊的敏感者であれば“それなりのサイキック能力者”にはなれる)。本物の霊能者であるスピリチュアル能力者になれるか否かは、開発した才能(サイキック能力)を他人の為に活用して自らの人間性を磨いて行くことが必須となります。

その利他的行為によって自らの霊的バイブレーションは高まって行きます。その結果、高い背後霊と感応できるようになり、機会が与えられてよりレベルの高い霊と交信できる霊能者になれるでしょう(→シルバーバーチが言う本物の霊能者のこと)。

 

⑤、質問その5

<質問>「日本には数多くの霊能者がいます。これ等の者に相談する際には決して安くない金額を取られます。やはりこの様に商売としている者は一律に霊界からの援助が無くなり、能力が退化するものなのでしょうか?」

<回答>

 霊能力を商売にしている霊能者は一律に「霊界からの援助が無くなり、能力が退化する」とまでは言えないでしょう。それは霊能者が如何なる動機で高額の相談料を採っているかに掛かっているからです。

一般に霊能者が金銭的になり過ぎると意識の指向性が“地上的なモノ(→ベクトルの向きが下)”に向かい、その結果として霊的バイブレーションが下がって感応する霊は物質臭の強い霊だけとなってしまうものです。高額の相談料を受け取る霊能者は、低級霊や邪霊に付け狙われる確率が極めて高く跳ね上がります。その際に必ず動機が斟酌されます。何のために高額な相談料を取るのかという問題です。例えば毎月の“売り上げ(相談回数)”目標を立てて、今月は目標を達成できなかったので来月は宣伝活動を強化しようと目論む霊能者がいれば、確実に低級霊や邪霊のオモチャにされるでしょう。

 今まで高いレベルの霊が霊能者の霊的能力を使って働いていたが、金銭に執着してくると霊能者のバイブレーションと合わなくなり離れて行く、今度は同じ霊能力を低級霊が使うようになります(→霊能者の背後霊がより低い霊と交代して行く)。

 

⑥、質問その6

<質問>「シルバーバーチの霊訓で説く子育て、保育幼児教育、青年期の教育など。また児童虐待、少子化、子を産み育てる意味など」

<回答>

ア、教育に関する基本的立場

 シルバーバーチは教育問題に関して次のような基本的立場を述べています。交霊会参加者からの「現代の教育に欠けているものは何か?」との質問に対して、「人間が霊的な宿命を背負っている霊的存在であるという事実」に向けさせる教育的視点がないと指摘しています(268④~⑥参照)。

さらに別の箇所で「意義ある社会の一員としていかなる事態においても、社会のため、人類のために貢献できる人物に育てるための知識を授けることが、教育の根本義なのです」(福音109⑧~⑨参照)と述べています。

 

イ、子供に対する教育の問題

子供に対しては、宗教教育に関しての回答ではあるが次のように述べています。子供は感受性が強いので「知能的にも教えられたことが果たして真理であるかどうかを自分で判断することが出来ません。とても従順ですから、教えられたことは何もかも本当のことと信じて、そのまま飲み込んでしまう」「教え込んだことがそのまま子供の性格のタテ系となりヨコ系となって織り込まれて行く」「教わったことはそのまま潜在意識に印象付けられ、それが子供のその後の思想を築いてゆく土台となる」(4218③~⑩参照)。

子供の教育は特に慎重であらねばならないので、両親や小学校の教員の責任は重いと言えます。

 

ウ、子育て・児童虐待に関して

 一般に子育ては親にとって苦労が多いもの。その苦労の多い子育てを、多くの人は自らの霊性向上の為の手段として選択しました。地上生活が悩みと苦しみが絶えないのは「魂が目を覚ます場所」(9巻164⑮~165①参照)だから。困難・苦難・面倒は魂の進化にとって必須なもの(→魂の磨き粉)だから(1089④参照)。両親の霊的進化にとって子供の存在が不可欠である場合は、必ず子供は生まれてくるものです(語る412⑧参照)。

 親による児童虐待(→身体的暴力や性的虐待、食事を与えないことや病気の世話をしないことなどの養育の放棄、言葉や態度による心理的虐待など)は、親の霊的進化にとって障害となります。子と共に霊的成長をするという“またとないチャンス”を活かしきれずに、ケースによっては重い“霊的負債(マイナスのカルマ)”を背負うことにもなります。

 

エ、少子化の問題

 日本では少子化問題が騒がれていますが、霊的視点に立って地上世界は「学校」という観点から見るならば、この問題はさほど意味はないです。過去の植民地宗主国のイギリスやフランスを見ても分かるように、中東やアフリカ系の人が国籍を取得して次々と新しい国民となって入ってきています。

これは地球という学校における「クラス(→日本国と言う箱)」の構成員の移動に例えて見れば良く分かります。“日本国と言う箱”の主要な構成員である日本民族が減少して(→地上での学びの課程が修了したから)、新しい人たちが他所のクラスから“日本国と言う箱”に移動して来るだけのこと。それが自ずと多様な国民性を生み出すことになるから。

 

⑦、質問その7

<質問>「現代で霊訓を受け取った場合、内容は現代的表現になるのでしょうか。また受け取った霊的能力者が心理学や量子物理学に精通していた場合、双方の概念で説明された霊訓の内容になるのでしょうか?」

<回答>

ア、精神的心霊現象の一種である「霊界通信」

 精神的心霊現象(主観的心霊現象)の一つである霊界通信(霊言現象や自動書記現象など)は、霊媒の潜在意識を使用して行われます(4157⑫参照)。通信霊は霊媒のオーラと通信霊自身のオーラを融合させて、霊界から携えてきた思念を霊媒の潜在意識に蓄積されている用語を使って文章にする。そのため通信内容は通信霊が英語圏の人であっても、霊媒が日頃から用いている言語(→例えば日本語)になります。また通信霊が千年前の人であっても通信は霊媒の潜在意識に蓄えられた用語を使って行われるため、現代的表現になります。

 霊媒の潜在意識の中に用語や概念が豊富にあれば、通信霊は制約を受けずに多様な通信や哲学的な通信が送れます(→霊界の言語である思念を地上の特定の言語に翻訳する能力が高い霊媒の場合)。そのため霊媒の潜在意識に「心理学や量子物理学」の知識が豊富にあれば、通信霊はそれらの用語を使って学術的な通信を送ることが出来ます。この場合は潜在意識に用語の蓄積がない無学文盲の霊媒とは異なって、質の高い専門的な通信が送れるので通信内容の幅が格段に広がります。

 

イ、物理的心霊現象の一種である「直接談話現象」

物理的心霊現象(客観的心霊現象)の一つに「直接談話現象」があります。これは霊媒の潜在意識に蓄積された単語や思想を使って文章にして、それを霊媒の声帯を用いて行う「霊言現象」とは異なります。

直接談話現象とは、霊媒から抽出したエクトプラズムで模擬咽頭を作り、この咽頭を使って通信を行う現象のことです。この模擬咽頭がメガホンに付着して部屋を動き回ることも多いです。

直接談話現象の場合は、言語や方言は通信霊が地上で生活していた当時の言葉であり、イントネーションも当時のままです。そのため霊媒自身は全く知らない古語や外国語であったりする場合もあります(→異言または異種言語発話現象のこと)。

 

⑧、質問その8

<質問>「除霊の際の霊的能力者と憑依霊とのやり取りが、心理カウンセラーとクライアントのやり取りに似ていると思うのですが、どう思われますか?」

<回答>

 心理カウンセラーとクライアントのやり取りの詳細は分かりませんが、本来の除霊は憑依霊の“心”を納得させて(→憑依している霊によっては、霊自身の“心”に「死の自覚」または「霊的自覚」を芽生えさせて行う)、オーラの融合を解消させるのが目的なので共通する箇所はあると思います。

 

夏期講座:シルバーバーチから見た霊性医療(2023年8月)

<目次>

1、基本的な事項

・スピリチュアリズムの人体観

・シルバーバーチの健康観・病気観

2、心霊治療の概略

・心霊治療の目的

・三種類の心霊治療

・心霊治療の種類

・心霊治療の周辺部

3、心霊治療の背景

・心霊治療のメカニズム

・治療エネルギー

・心霊治療家側の問題

・患者側の問題

 

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1、基本的な事項

 一般にスピリチュアリズムの世界では「心霊治療」という言葉が広く用いられているが、この「治療」という言葉には「病気の治癒や症状の軽快の為に行う医療行為」(国語辞典)という意味がある。そのため資格のない者が治療や診断などの「医療行為」を行えば「医師法」に抵触する恐れがある。将来「心霊治療」がメジャーになって行けば「治療」という言葉が問題になってくると思われる。

近年では「心霊医療」という表記が使われているが、夏期講座では一般に流布している「心霊治療」という用語をそのまま用いて解説する。

 

①、スピリチュアリズムの人体観

ア、人体観

この世は「唯物論の世界」である。そのためこの世の科学や医学の人体観では可視の肉体だけを対象としている。但し近年では“心(=物的な心、精神)”の状態によって引き起こされる病気の心身症が注目されている。

これに対してスピリチュアリズムでは、肉体以外に人間の肉眼では見ることのできないもう一つの体である「霊体」の存在を明らかにしている。スピリチュアリズムによれば霊体と肉体という二つの異質な体が重なり合って、または霊体は肉体に浸透する形で人間の体は作られていると説明されている。なお霊体には「霊的な心(本来の私という意識)」が、肉体には「物的な心」がある。顕在意識を通して形成された「物的な心」によって地上的人格(パーソナリティ)が作られる。

両者は質的な差異が大きいため中間物質で出来た「接合体(→ダブルやエーテル複体と言われるものと同じ)」によって結合されている。接合体を正確に言えば「高等な意識中枢(霊的な心)と脳(物的な心)との連絡の仕事を受け持つ精妙な組織」(個人的存在79⑥参照)という表現になる。この接合体は肉体とそっくりな形体をしており、この中に“チャクラ”と言われているエネルギーの流出入口や、東洋医学でいう所の“経絡”が存在する。一般の人は振動数の違いから霊体を見ることはできないが、霊視能力者は見ることが出来る。このようにスピリチュアリズムでは「霊体と肉体は接合体によって結合されている」という人体観を持つ。

 

イ、シルバーコード

霊体と肉体は中間物質で出来た二本の太いシルバーコード(→額の部分と腹の部分にある)と、網目状の細いシルバーコードによって繋がれている。スピリチュアリズムではこの二本の太いシルバーコードが切断された瞬間を以って死と呼んでいる(1050⑭、永遠の大道116②~③参照)。肉体はシルバーコードを通して“霊的エネルギー(生命力)”の供給を受けているが、切断によって流入経路が途切れてしまうと自壊作用によって土に帰る。

心霊現象の一つに幽体離脱(→肉体から霊体が離れる現象)がある。この場合には霊体と肉体はシルバーコードによって結ばれている。幽体離脱中に起きる肉体の異変はシルバーコードを通して霊体に伝わり、瞬時に両者は合体して身体は再び“物的バリア”に包まれる。

なおこのシルバーコードはどこまでも無限に伸びる性質を有している。臨死体験者の中には“銀色の紐”で繋がっていたと述べる者もいる。病床で死の宣告が為された場合であっても、肉体と霊体は依然としてシルバーコードによって繋がっていれば“死者”は必ず生き返る。その間の体験が「臨死体験」談として語られている。

 

②、シルバーバーチの健康観・病気観

ア、調和状態

シルバーバーチは「健康とは身体と精神と霊の三者の関係」が調和状態にあること(1127⑫、9171⑧参照)。これに対して病気とは、三者間の調和の欠如によって生命力の流れが阻害され、病的症状が出る状態であると述べる(2193⑬、9171⑦~⑪参照)。

 ここでいう「身体」とは肉体のことであり、“本来の私という意識(→自我の本体)”が地上世界で自己を表現する為にまとう「表現器官」のこと。次に「精神(=心)」とは地上人生を歩む人間の意識、「地上的な自我意識」になる。意識には肉体を持つが故に発生する「本能に起因する意識、及びそこから派生する意識」と、自我の本体である“本来の私という意識”から流れ込む「霊的意識」、この二つの出自が異なる意識が物的脳で統合されて一つになる。これが「精神(心)」(→いわゆる地上的な自我意識のことで、表面意識または顕在意識のこと)になる。三番目の「霊」とは“神の分霊”を内在させた“本来の私という意識”のこと。

 

イ、病気の原因

本来人間は「身体と精神と霊」の三者が調和状態(→この状態を健康と呼ぶ)でなければならないのだが、何らかの原因があって不調和状態になる、この状態を病気と呼んでいる。

 人間はさまざまな場面で自由意志を濫用して、それぞれのレベルに応じた摂理違反行為を日常的に行っている。たとえば暴飲暴食や昼夜逆転の生活など「身体レベル」で、また「精神レベル」では過重な緊張やストレスなどの負荷を日常的に掛けている。さらに霊性の低さに起因する利己主義や貪欲等の「霊的レベル」で、不調和状態を自ら作っている。

 この他に私たちは日常的に“過度の心配や取り越し苦労をする”ことによって、「生命力が流れる通路(→主に中間物質の接合体と物的身体を結ぶ通路)」を遮断してさまざまな病を発症させている。このように霊的摂理に違反することを行った結果、「身体と精神と霊」とが不調和状態となって病が発生する(→但しカルマが原因となって発症する病を除く)。

 

2、心霊治療の概略

①、心霊治療の目的

シルバーバーチは「健康とは身体と精神と霊の三者の関係」が調和状態にあること(1127⑫参照)。これに対して病気とは三者間の調和の欠如によって生命力(霊的エネルギー)の流れが阻害され、病的症状が出る状態と述べる(2193⑬、9171⑦~⑪参照)。

心霊治療には三つの段階がある。まず治療によって「病気も治り魂も目覚める」段階、次に「魂の目覚めはないが病気が治る」だけの段階、最後に「魂の目覚めも治病もないが、治療を施すだけ」の段階である(6181⑫~⑮参照)。

 霊的実在の証明という観点から見るならば、心霊治療によって患者の身体を癒して悩みを解消してあげても、霊的に何の感動を覚えなかったらその治療は失敗したことになる。心霊治療の目的は「眠れる魂を目覚めさせ、霊的自覚をもたらす(→霊的に何を為さなければならないかという自覚)」ことなので、「身体は治らなくても魂に何か触れるものがあれば、その治療は成功」となる。このように心霊治療の本質は魂に関わることであって、物的身体に関わることではない(1124③~⑤、9169①~③参照)。心霊治療は患者の病気が治ることが目的ではなく、心霊治療を通して「患者の魂が目覚めること」にある(→心霊治療は単なる病気直しの手段ではない)。

心霊治療や各種心霊現象などの全ての霊的活動の目標は、人間は霊的存在であることを理解させることによって「生命の実相に目覚めさせること」(613⑤参照)にあるから。

なお『シルバーバーチの霊訓』を読んでいると、頻繁に「霊」という用語が出て来る。この「霊」には三種類の意味がある。まず「神の分霊」として用いる場合がある。次に「一般的な霊」として用いる場合、さらに「個別霊」として用いる場合がある。「霊」がどの意味で使われているかは文脈から判断しなければならない。

 

②、三種類の心霊治療

ア、磁気治療、心霊治療、霊的治療

 

分類

主役

A

マグネチック・ヒーリング

ヒーラー自身の肉体エネルギーを患者に与えることによって病気を治癒する

指圧、マッサージ、整体

治療師

B

サイキック・
ヒーリング

サイキック・ヒーラー。
ヒーラー自身の霊体エネルギーを患者に与えることによって病気を治癒する

気功治療、レイキ、手かざしなど

治療師

C

スピリット・
ヒーリング

霊医が宇宙に遍満している霊的エネルギー(治療エネルギー)を、地上のヒーラーを通路にして患者に流す、これによって病気を治癒する

スピリチュアル・ヒーリング

霊界の霊医

 

上記の通り心霊治療には三種類ある(1126⑬~127③参照)。まず治療家自身の物的身体が持っている豊富な生体エネルギー(生体磁気エネルギー)を、患者に注入することで病気が治る場合がある(→マッサージ、按摩、鍼灸など)。この磁気的で生理的な治療は「A、マグネチック・ヒーリング」と呼ばれるものであり、霊界との関わりは全くない物的身体レベルの治療である(644⑬~45②参照)。死後の世界を一切認めない唯物論者でも、エネルギッシュでパワーのある人の側に行くと、しばしば体調不良が軽減するという現象が存在する事から、この「マグネチック・ヒーリング」は認めている。

次に心霊的ではあっても霊的とは言えないもので、治療家自身の霊的身体が持つサイキック・エネルギーを使う「B、サイキック・ヒーリング」がある(→気功治療など)。ほとんどの遠隔治療は此処に入る(1127④~⑤参照)。唯物論者にとってこの領域は、気功を認めるか否かで見解が異なるのでグレーゾーンと言える。

そして最も程度が高い治療法で、治療家は“霊力の通路”となる「C、スピリチュアル・ヒーリング(=スピリット・ヒーリング)」がある(1127①~②参照)。死後の世界を否定する唯物論者は、この治療法は一切認めない。

 

 このように心霊治療と言っても「A、物質次元の磁気的なもの」や、エネルギーの質は「スピリチュアル・ヒーリング」より落ちるが魂への影響力が限定的な「B、治療家の霊的身体を使用した心霊的なもの」。さらにその上に「C、霊界の高い界層からのエネルギー」を使用した治療がある(最後啓示204⑦~⑨参照)。心霊治療がどの段階の霊的エネルギーを用いて行うことが出来るかは、治療家の霊性の高さによって決まる(最後啓示205⑨~⑩参照)。

 

イ、スピリチュアル・ヒーリングとは

霊界の「霊医」が関与した「スピリチュアル・ヒーリング(=スピリット・ヒーリング)」とは、“霊界の医師”が患者の病が治るべき時機が到来している時に(→未到来の場合は治病なし、一定期間が経過後に効果が出てくる場合もある)、治療家を通して治療エネルギーを患者に注ぎ込んで一瞬のうちに治してしまうものを言う(1127①~②参照)。

その際に使われる治療エネルギーは“霊医(霊界の医師)”が霊界にある化学物質に相当する霊的素材を、患者の症状に応じて“調合”して作り上げたもの。その治療エネルギーを治療家が通路となって、中間物質に転換して患者に注ぎ込む、この治療スタイルを「スピリチュアル・ヒーリング(=スピリット・ヒーリング)」と言う(9174⑪~⑬、175⑥~⑨、最後啓示189①~⑤、190⑥~⑧参照)。

 

ウ、ヒーラーの分類

心霊治療家には「主役が治療家であるサイキック・ヒーラー」と、「主役が霊医であるスピリチュアル・ヒーラー(→治療家は霊力の通路)」がいる。後者のヒーラーは、通常の方法では物質界に届かないエネルギーを治療に用いるため、霊界の医師との間で可能な限り波長の一致をはかる必要がある(→親和性の法則から)。そのため「生活態度を可能な限り理想に近づける努力」(9173⑦~⑨参照)をする必要がある。

 

エ、まとめ

◆主役は治療家

・マグネチック・ヒーリング、治療家の肉体磁気エネルギーを使用、物的身体レベル

・サイキック・ヒーリング、治療家のサイキック・エネルギーを使用、霊的身体レベル

◆主役は霊医

・スピリチュアル・ヒーリング、宇宙に遍満している霊的エネルギーの一種である治療エネルギーを使用、治療家は“通路”となる。治療家の霊性レベルに応じて“通路”を流れる治療エネルギーの質が決まる。

 

マグネチック・ヒーリングやサイキック・ヒーリングは治療家の肉体や霊的身体に具わっているエネルギーを使用する為に、多くの患者に対応すれば当然にエネルギー不足に陥り疲労困憊となる。これに対してスピリチュアル・ヒーリングの場合は、治療家はエネルギーが流れる通路になるため患者の数をこなしても疲労感を感じにくい。

 

③、心霊治療の種類

ア、遠隔治療

心霊治療には治療家と患者が相対して行う「直接治療または接触治療(contact healing)」と呼ばれるものと、相対せずに患者不在の形で、または物理的な距離をおいて行われる「遠隔治療(absent healingdistant healing)」とがある。

 直接治療や遠隔治療は「治療の申込」によって開始される(9巻176⑨~177②、ハリー・エドワーズ著、梅原隆雅訳『霊的治療の解明』29⑩~30⑧参照)。この患者側からの「申込」と治療者の「承諾」によって、治療家と患者の間に治療エネルギーが流れる磁気的な通路が出来上がる(最後啓示27⑦~⑨参照)。

治療の申込は「患者から」「患者の周辺部の人から」「治療家から」の要請によって始まる。その際に本人が自分のために遠隔治療がなされていることを知らない場合でも、また治療家が一方的に施してあげる場合でも、両者間に磁気的通路が構築されるので遠隔治療は可能である(9177③~178⑥参照)。

霊界の「霊医」から送られた治療エネルギーは、治療家の“霊的身体(→物質性の濃い霊体、つまり幽体のこと)”を通過することによって“中間物質(→半物質的治療光線:9176④参照)”に転換されて、患者との間に出来上がった磁気的通路に乗って流れていく。

 

イ、セルフヒーリング

本来の“心霊治療(スピリット・ヒーリング)”では、治療家は“治療エネルギー(霊的エネルギー)”の通路となって、このエネルギーを能動的に用いて患者の病を癒している。この“スピリット・ヒーリング”の場合には、治療家の“地上的自我である精神(現在の私)”は受け身の状態となっている。

治療家自身が病となった時は、この治療エネルギーを自分に向けることによって病を癒すことができる。自分で自分を治癒する「セルフヒーリングには精神統一と受容性」(1174③~④参照)が必要になってくる。このようにして自分で自分を治せる治療家は数多く存在する(到来231⑩~⑪参照)。

 

ウ、心霊手術

治療家はトランス状態となって、霊界の「霊医」に一時的に肉体を使用させる(→患者は意識を保っている)。「霊医」は外科手術の要領で治療を行う。この治療を「心霊手術(spirit operations)」という。心霊手術には「霊界の霊医が治療師と一体となって行う場合(→霊医は治療師の身体を完全に支配下に置いて、自分の身体と同様に自由自在に使用する)」と、「治療師の生体エネルギーを使って行う場合」とがある。両者とも直接に患者の肉体に対して物質次元での治療を施す(→腫瘍などの病変組織を取り出す)ことに変わりはない。

 人体の構造は霊的身体と物的身体(肉体)、そして両者をつなぎ留めている中間物質の接合体の三つの要素から出来上がっている。肉体に現れた異常部位は人体と同一形体をした接合体の同じ場所にも表れるので、一般にこの接合体の異常を外科手術の要領で取り除くと、肉体に表れた異常が治るという仕組みである(→フィリピンのトニーは直接“肉体の患部”を外科手術の要領で治療を施している)。

 物理的心霊現象の一つである心霊手術が1980年代のブラジルやフィリピンで行われていたのは、霊的風土が心霊手術を行うに適していたから。霊的実在の証明はその地の住民の程度(→教育水準、文化の程度、霊的なレベル)に合わせないといけないから、と言われている(9102⑦~⑬参照)。

 

エ、憑依霊の除霊

A、異常行動や病気の発症

物質界と霊的世界が接する界(中間境)の下層にいる「死の自覚がない地縛霊」や、幽界の下層にいる邪霊が、患者側(→霊的敏感者の場合)に存在する何らかの霊を引き寄せる“受け皿(→例えば薬物依存、自殺願望、強い憎しみなど)”に応じて憑依する。その憑依の結果、患者に異常行動を取らせるケースや、憑依霊が持つ病気が患者に発症するケースがある。

 

B、ウィックランド博士の事例

憑依霊の除霊治療では、アメリカの精神科医カール・ウィックランド博士による治療がよく知られている(近藤千雄訳、ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版1993年。抄訳として田中武訳『医師の心霊研究30年』出版科学総合研究所1983年参照)。

 ウィックランド博士は患者が行う異常行動の原因は憑依霊にあるとして、患者に一種の電気ショックを与えて憑依霊を引き離す。そして患者から離れた憑依霊を、背後霊団のマーシーバンドが取り押さえて霊媒(ウィックランド夫人)にかからせる。霊媒に乗り移った憑依霊は、霊媒の口を使って博士と対話を行う。その対話の過程で憑依霊に死の自覚が芽生えて来て、マーシーバンドに伴われて患者から離れていく。このような方法で患者の異常行動や病の原因となっている霊を取り除いて治療を行った。ウィックランド博士が行った除霊治療は一種の“招霊実験の医学版”である。

 地縛霊は、霊的無知、誤った宗教的信仰、唯物的固定観念などが原因で「死の自覚」が持てず、霊的な波長に反応しないため周りにいる救済霊の姿が見えない(→肉体が無いにもかかわらず有ると思い込み、長年の習慣から肉眼で見ようとするため)。ウィックランド博士の霊媒はマーシーバンドという高級霊団によって保護されているので、地縛霊や邪霊を憑依させても害はない(→この除霊は霊界の霊団によるスピリット・ヒーリングのケース)。

 

C、除霊治療

一般的に行われている除霊治療には、形式や儀式偏重の傾向が見受けられる。この傾向につきシルバーバーチはキリスト教で行う悪魔払いの儀式を例に取り上げて、「ただの儀式として行うのであれば何の効果もない」「儀式は物的表現形式にすぎず、その反応はせいぜい精神の次元止まり、霊にまで及ぶことは滅多にない」(最後啓示92①~④参照)と述べる。

 

④、心霊治療の周辺部

ア、信仰治療

信仰治療は信仰の効用を利用して間接的に疾病を治療する療法で、「患者に対する治療行為が同時に信仰儀礼の一部」となっている点に特徴がある。M.エディ夫人(18211910米国)によってアメリカで創設されたキリスト教の一派、クリスチャン・サイエンスの信仰治療は良く知られている。

心霊治療(→スピリット・ヒーリングの場合)の治療主体は霊界にいる「霊医」。治療家は「霊医」と患者との間の通路となって、霊的エネルギーの変換器の役割を果たす。

これに対して信仰治療の場合は神や仏が治療を行うとされるので、病気を治すためには患者に強い信心が必要となる。そのため「病人に対してなされた祈りに効果がなく死が訪れたのは、まわりの者たちの信仰が充分でなかったためである」とされる。なぜなら「充分な信仰さえあれば神は彼らの祈りに応えてくれる」と教えられてきたから。

 イギリスの著名な心霊治療家ハリー・エドワーズ(1893年→1976年)は、患者が信仰を有していなくてもよい事例として「霊的治療が信仰治療ではないという証拠は、信仰を持つには若すぎる赤ん坊や子供が癒されるという事実によっても簡単に示される」。また本人が知らなくても「第三者からの依頼によって遠隔治療を受けるといった患者も存在する」をあげている(ハリー・エドワーズ著『霊的治療の解明』1984年、162頁~170頁参照)。

 

イ、暗示効果

精神状態を正すことで病を治す治療法として「偽薬(主薬を配合しない薬)」を使った治療がある。薬自体に何の作用がなくても患者は薬効があると信じて飲むと何らかの効果が生まれる(プラシーボ効果)。他に暗示法やイメージ法などがあるが心霊治療とは異なる。

19526月にハリー・エドワーズが盲人の目に心霊治療を施したら右目の視力が回復した。このケースに対して、英国医師会は「治癒は暗示に過ぎない」と述べた。この暗示に過ぎないという医学的説明に対して、エドワーズは「(英国医師会は)50年もの間の全盲状態の後、ただ見えますという暗示だけで視力が回復したとまじめに主張した」「(暗示だけで視力が回復するのならば)いったいなぜ、眼科医はもっと早くそれをしなかったのか、なぜ50年もほっておいたのか」と批判した(梅原隆雅訳『霊的治療の解明』168頁~170頁参照)。

 

ウ、補完・代替医療

伝統医学として、東洋医学(漢方)、気の医学(気功)、アーユルヴェーダ(→インドの伝統医学で心や体、行動、環境等の全体の調和が健康にとって重要とする治療)、ユナニ医学(→アラブ・イスラム圏の伝統医学で薬草や食事療法を中心とした治療法)などがある。また民間療法として、腹式呼吸法、カイロプラクティック、レイキ、ハーブ療法、食餌療法など数多くあり、いわば百花繚乱状態とも言える(→なかには迷信もあるので注意)。

 

3、心霊治療の背景

①、心霊治療のメカニズム

    

ア、「霊医」→「治療家」

治療エネルギー(→宇宙に遍満している霊的エネルギー:11213⑭参照)とは「賦活性をもった生命力の一種」(5127⑧参照)のこと。霊界の「霊医」は患者のオーラを診断して、「化学物質に相当する霊的素材」を一人一人の症状に合わせて“調合”し、治療エネルギーを作る(9174⑪、175⑥~⑨、最後啓示189②~⑤参照)。いわばスピリチュアル・ヒーリングはオーダーメイドの治療であり、準備は実際の治療行為の前に終了している。

それを霊的波長にも物的波長にも感応する治療家の霊的身体に、治療エネルギーの波長を落として潜在エネルギーの形で送る。治療家は送られてきた治療エネルギーを自身の霊的身体で「半物質的な治療エネルギーに転換」(最後啓示190⑥~⑧参照)する。

 

イ、「治療家」→「患者」

病を持つ患者は当然波長が低くなっている。そのため霊界からの高い波長を持った治療エネルギーを注ぐには、治療家の霊的身体を使って患者に合った程度まで波長を下げる必要がある(626⑥~⑪参照)。

治療家の霊的身体が持つサイキック・エネルギーと結合して中間物質に変換した治療エネルギーは、患者の霊と精神と肉体の三者が合一する場(639⑤~⑥参照)である松果体ないしは太陽神経叢を通って(640⑩参照)、患者の体内に流れ込んで全身に行き渡る。その時に患者は「電気的な温もりを感じる」(640⑪参照)。そのエネルギーが患者の「魂にカツを入れて居眠りの状態から目を覚まさせる」(9172⑫~⑬参照)。その結果、患者自身の肉体に具わっている自然治癒力が機能を発揮して健康状態を取り戻すことになる(9172⑭参照)。

 

ウ、テレパシーの使用

治療家と患者が対面していない場合(遠隔治療:absent healingdistant healing)は、患者側の“治療の申し込み”という思念が治療家のもとに届けられる。治療家が申し込みを受託した時点で、両者間にテレパシーによる“懸け橋”ができあがる。その“懸け橋”に乗って中間物質に転換された治療エネルギーは、患者の松果体ないしは太陽神経叢に送り届けられて、そこから全身に行き渡る(最後啓示191②~192⑦参照)。

 

②、治療エネルギー

ア、霊的・治療エネルギー

治療エネルギーとは「生命力の一部」であり「霊的エネルギーの一つ」(1128⑦、2108③~⑤参照)でもある。そのエネルギーが通路である治療家の霊的身体を通過して、患者の霊的身体に届けるのが心霊治療である(最後啓示69⑤~⑥参照)。

霊界の「霊医」は日頃から、治療家を通してどの程度の治療エネルギーが患者に送れるか、エネルギーの効果的な組み合わせはどれか等の研究を行っている(1130⑪~⑬、11149⑨~⑪参照)。なぜなら治療エネルギーは治療家の霊性によって制約を受けるから。ここから心霊治療家は流入する治療エネルギーの質量を高めるために、日常生活において霊性向上の努力が求められることになる(最後啓示70⑪~⑫参照)。

このような形で「霊医→治療家(通路、変圧器)→患者」と流れてきた治療エネルギーは、患者側に存在する「霊的無知、誤った生き方、誤った考え、高慢、自惚れ、嫉妬心、失望」(1134⑨~⑫参照)によって流入が拒まれてしまうことがある(→しばしば治療家は患者に治療エネルギーが入って行かず、跳ね返されると述べる)。

 

イ、治療効果

霊界の「霊医」から治療家がどの程度の治療エネルギーを受け取れるか、また患者が治療家からどの程度の治療エネルギーを受け取れるかは、さまざまな条件の下で治療が行われるので、やってみないとわからない。その時々の治療家の健康状態や、患者の霊的・精神的・身体的条件が、その患者に注入される霊力の質と量を決めることになるから(福音119⑩~120⑧参照)。

 心霊治療によって患者の病気が回復するということは、その背後に何らかの法則が存在しているということであり、さらに患者の魂がその法則を受け入れる時期に来ていることを意味する(247⑭~48②参照)。このような形で「本当の霊的治療が効を奏した時は、病はけっしてぶり返さない」(991⑫参照)。

なお心霊治療の目的は霊を目覚めさせることにあり、寿命を長引かせることではない。そのため寿命が来ている患者の場合には、治療によって魂が首尾よく肉体から離れるのを助けることになり、結果的に患者が死亡する場合も有り得る(最後啓示202⑧~⑩、9巻74⑪~⑬参照)。

 

③、心霊治療家側の問題

ア、治療家と霊界の関係

霊界側の協力を得るための最初の一歩は、地上人が行動で示さなければならない。まず真摯で献身的な治療家が正しい霊的法則に則って治療に当たっていることが必要である。この時の治療家は「サイキック・ヒーラー」に分類される。

この治療家の熱誠と霊性に、霊界の「霊医」が親和性から引き寄せられる(1172⑨~⑪参照)。そして治療家と「霊医」との協調関係が徐々に高まっていく。同時にその治療家のもとに、霊力を受け入れるだけの用意ができた患者が引き寄せられてくる(→患者本人による自発的な意思の発現という形をとって、霊界主導で治療家の下に連れてこられる)。

 

イ、治療家の霊性と治療エネルギーの関係

宇宙に無限に存在する“霊的エネルギー(治療エネルギー)”をどれだけ受け入れることが出来るかは、ひとえに治療家自身の霊的進化にかかっている。治療家の霊性が向上すればそれだけ受容性が高まるので、それに見合った良質の治療エネルギーが流入してくる(9103⑪~104⑧、最後啓示69⑨~70⑬参照)。そのためには「霊医」との調和状態を高めるために、治療家は可能な限り“理想に近づけた日常生活”を送る必要が出てくる。

このことから治療家に課せられた責務は、ひたすら自身の霊性を高めて良質の“治療エネルギーの受容能力”を増すことに尽きる。シルバーバーチは「現段階の地上界では、大霊の最高の治癒エネルギーは使用できません。治療家が霊的に向上するにつれて、より高いレベルのエネルギーが使用できる」(語る114⑨~⑪参照)と述べている。

 治療家の霊性を高めるということは、イラストで示した“本来の私という意識(=自我の本体、霊の心、魂)”に潜在している“神の分霊”を、“本来の私という意識”の領域により多く顕在化して行くこと(イラスト右)。顕在化率が高まれば治療家を流れる治療エネルギーの質が高まる。

 

ウ、受容力以上の霊的エネルギーが流れた場合

治療家の受容力が発達して、より高い運動速度・威力を持ったエネルギーに耐えられるようになると治療エネルギーは強度を増す(11149⑬~⑮参照)。流入する霊的エネルギーの分量に制限を加えているのは治療家の霊的発達レベルであり、それがどれだけの霊力を受け入れることが出来るかを決定づけるから(9171②~③参照)。なお強すぎる霊的エネルギーは治療家の霊的身体を通過する際に障害を引き起こす(11149⑬参照)。

 モーゼスの『霊訓』には「前節の通信(死刑制度を霊的観点から見た場合の誤り)が書かれた時の勢いはこれまでになく激しいものだった・・・書き綴っている時は手がヒリヒリし、腕ががくがくして、強烈なエネルギーが身体を流れるのを感じた。書き終わった時はぐったりとして横になるほど疲れ果て、頭の奥に激しい痛みを覚えた。そこで翌日さっそくその頭痛の原因を尋ねた」。このモーゼスの問いかけにインペレーターは「あの時の頭痛はエネルギーの強さと、それをそなたより引き出す時の速さが度を越したからである」(霊訓上46②~⑩参照)との記載がある。

 治療家の治療行為が、上記のような高い“霊的エネルギーの通過”に伴う症状に妨げられることなく行うことができれば、治療に一層の効果をもたらすことになる(→治療家の霊性が向上することによって、通路を流れる治療エネルギーの質が向上するから)。そのためには「霊医」から流れてくるより高い強烈な威力を持った治療エネルギーに、自らの霊的身体が耐えられるように治療家の霊性レベルを向上させる必要がある。そのためには自己犠牲を伴った利他的行為を行って、潜在している“神の分霊”を“本来の私という意識”の領域により多く顕在化させて、自らの霊的な受容力を増すことが求められてくる。

 

エ、治療家の仕事

A、治療家の営業活動

霊界とパイプのできた心霊治療家のもとには、いわば霊界側が“営業マン”となって患者を連れてくる。そのため治療家みずから患者を求め歩いて「病気を治してほしい人はいませんか」とか、「私は治療家です。どなたか治してほしい方はいませんか」などと(10142⑪~143②、1164⑩~⑫参照)、日常的に触れ回って“営業活動”をする必要はない。なぜなら霊界側が選んだ患者が、みずからの意志で治療家のもとを訪れるから。

なお治療家のもとを訪れた患者に対しては分け隔てなく心霊治療を施すが、施した後のことは患者自身の責任に帰する(1165⑪~66②参照)。治療家の責任の範囲は訪れた患者に対して治療を施すまでであり、患者が「仮に治療のあと間違った生活をしてさらに厄介なことになっても、それは患者自身の責任」(1167②~③参照)だから。

 

B、霊視能力や病気の診断能力

治療家の仕事に際して患者の“オーラが見える、見えない”は治療そのものとは何の関係もない。また病気の原因が診断できるか否かも関係ない(9179⑦~⑫、最後啓示194⑫~195⑤参照)。これに対して主役が治療家である“サイキック・ヒーラー”の場合は、これらの能力は治療家の仕事に何らかの形で役に立つかもしれない(→医師法違反にならない範囲で)。しかし主役が「霊医」である“スピリチュアル・ヒーラー”の場合は関係ない。むしろ親和性を高めて「霊医」が扱いやすい状態になることが大切である(9179⑧~⑨参照)。

 

C、治癒率について

数多い治療家の中には治癒率を誇る者もいる。心霊治療の目的やカルマの存在から考えてみれば、治療家が患者の病をどれだけ治癒させたか、という“治癒の成果”を誇ることは全く無意味なことである。

治癒率を誇る治療家には、心霊治療の主役は「霊医」であり“治療家は霊力の通路に過ぎない”という本質が抜け落ちていること。さらにカルマが絡んだ病気の場合には、カルマが解消する時期が到来(→霊的負債の完済時期)していなければ、治療家がいくら熱意を込めて治療しても患者の肉体に現れた病は癒えないということの理解がない。なぜなら心霊治療は“因果律の法則の枠内”で行われる行為であるから。治療家の行為は“実態(→患者が治る時期にあること)”と“外形(→実体が無いにもかかわらず患者にいまだ病が存在すること)”の不一致を解消することであって、奇跡を起こしているのではない。

 

オ、治療家の生き方の問題

治療家の患者を思いやる人間性は、自らの苦しみの体験から生まれてくる。治療家や霊能者の人生には共通したパターンがある。「必ず人生のどん底を味わい、もはや物質の世界には頼りにすべきものがないと諦めた土壇場で霊的真理との出会いがある」。このような絶体絶命の体験を味わうことによって霊的意識が芽生え、霊界との間にリンクができるから(1163⑭~⑮、121③~⑥、最後啓示34①~⑧参照)。人生のどん底を体験した治療家や霊能者は、現在どん底にある者の気持ちが良く分かる。相談者としての共感能力が高まるから。

 

カ、治療家は変圧器・コンデンサー

治療家は治療エネルギーが流れる通路であり、高い霊的波長を物的波長に変換するコンデンサーのような存在である(624⑤参照)。その治療エネルギーが治療家を通って患者に流入して乱れてしまった調和を取り戻すことになる。

 

キ、スピリチュアル・ヒーラーへの道

A、治療家は通路意識に徹する

治療家は霊的な受容性を高めて治療霊団との一体化を深めるためにも、個人的な感情を極力控えて無垢な状態を維持した“通路意識”に徹する必要がある(最後啓示71②~③参照)。ここから治療家は“通路としての高い品質を保つ(→霊性を高める)”ためにも、当然に日常生活のあらゆる面で自己コントロール(→自己修養)に徹する必要性が出てくる。シルバーバーチは「少しでも多くの霊力が流入するようにとの祈り以外のものがあってはなりません。あくまでも道具なのですから、自分勝手な考えを差し挟むことは許されません。霊力の流れの通路であること、それが治療家の仕事です」(最後啓示71③~⑥参照)と述べている。

 

B、「霊医」が使いやすい状態をキープする

治療家は「霊医」が使いやすいような状態を常に維持すること、霊力の通路であるという意識に徹すること、“道具”として完全になることを心がけること、このようなことが努力目標として求められる。日常生活の中で努力する、そのことが霊力の流れを豊かにする(9179⑧~⑪参照)。治療家の霊性が下がれば、「霊医」との波長が合わなくなるので質の良い高い治療エネルギーを受け取れなくなるから。

 治療家のもとにやってくる患者は病を抱えているため波長が低くなっている。このような患者と日夜接していると治療家自身の波長も患者に引きずられて低くなってしまうので、祈りや瞑想の時間を意識的にもって霊性レベルの向上に努める必要が出てくる(→何もせず感謝されていると落ちていくから、日々のメンテナンスが必要となってくる)。

上記のように治療家は「生活態度を可能な限り理想に近づける努力をしなければならない」(9173⑧~⑨参照)ので、スピリチュアル・ヒーラーへの道は厳しい。世の中には“自称スピリチュアル・ヒーラー”は多いが本物は少ない。

 

④、患者側の問題

ア、治療家と患者の関係

A、患者側の協力

患者は複数の治療家から遠隔治療を受けても問題ない(645⑩~⑬参照)。また患者が精神を統一して遠隔治療に協力することは、両者の波長の調整にプラスになるので治療効果が増す(7182⑧~⑬参照)。遠隔治療を行う際に時間を指定して行っても良い。しかし治療家の能力が一段と発達すれば、治療霊団との連絡がしっかりと出来上がるのでそれも不要となる(999⑬~100④参照)。

 

B、患者のうろたえの感情

心霊治療の最大の障害物は、患者の不安と取り越し苦労、そして“うろたえの感情”である。なぜならその不安や“うろたえの感情”が、治療エネルギーが通過する連絡通路を塞いでしまうから。霊力が一番よく働くのは受け身的で穏やかな雰囲気の時である(5128①~⑩、645④~⑨参照)。

 

C、病気治癒には条件がある

病気が治るためにはそれだけの霊的な資格がなければならないので、治らない場合は治るための霊的資格ができていないからと言える(9185⑤、186③~④、到来177⑫~⑬参照)。なぜなら患者には病気がきっかけとなって従来の生活を反省して、本来の生き方を学ぶ機会が与えられたのだから(1166④~⑤参照)、いわば病気は「魂の磨き粉」の役割を担っているから(→“本来の私という意識”に内在している“神の分霊”を、病という磨き粉を使って発現させているようなもの)。

治療家は患者側に存在する「治る時期の未到来」の問題や、病は「魂の磨き粉」という表現は、患者の精神状態を見ながらオブラートに包んだ表現で言うべきであろう。ストレートに言うと傷つけてしまうことになる。これは霊能者にも同じことが言える。低級霊の変化霊や想念霊の問題もあるので、安易に霊視したことをそのまま伝えると誤解を与えることになりかねない場合もある。

 患者の霊的成長段階によって、その人に注がれる治癒力の分量が決まるので(福音131⑮~⑯参照)、患者の魂に治療エネルギーを吸収する受け入れ態勢が出来ていない時は何の効果もない(到来151⑪~⑫参照)。治療家の責任は患者に治療を施すことであり、治療を施した後のことは患者自身の責任に帰すべき問題となる(1166①参照)。

 

イ、カルマと治る時期の問題

A、受け入れる段階にあるか否か

患者の中には“カルマ(霊的負債)”によって病が発症している場合がある。その肉体的苦痛が患者の霊的成長にとって不可欠の要素(→病が魂の磨き粉として必須)となっている場合で、目標とする成長レベルにいまだ達していなければ、いくら治療エネルギーを注いでも、いかなる治療家によっても治すことはできない。なぜなら患者の魂に治療エネルギーを受け入れる為の準備が整っていないから(1135⑧~⑩、619⑫~⑭参照)。

病とカルマとの関係から言えば、患者は“病という体験”を通して前世での霊的負債を返済しているので、完済しない限り治癒はあり得ない(1170⑪~⑮参照)。

 

B、「外形」を「実態」に合わせる

例えば銀行から借金してマイホームを購入した場合、銀行は購入したマイホームの土地と建物に抵当権を設定する。20年後に住宅ローンの返済が完了したとする(→これ以降、債務者は何時でも抵当権を抹消することが出来る)。これを心霊治療に当てはめれば、住宅ローンが完済となった時とは、カルマという霊的負債が無くなった時のこと。霊的負債を完済したので肉体に存在している病気は“治る時期が到来”したということになる。

しかし住宅ローンという借金を完済しても、登記簿上にはいまだ銀行の抵当権が付いたまま残っている(→病気は存在している)。この抵当権を抹消して始めて「自宅は完全に自分のものだ(→私の病気は完治し健康体に戻った)」と第三者に主張できる。

心霊治療家はこの「実態(→借金は完済した。病気の原因は消滅した)」と「外形(→いまだ自宅には銀行の抵当権が付いたままの状態にある。いまだ私は病気で苦しんでいる)」の不一致状態を正しているに過ぎない。いわば治療家は法務局に「抵当権抹消登記申請」をして、実態にそぐわない外形を正す行為を行っているようなもの。毎月の借金の返済(→カルマの解消の為に行う諸々の行為)はあくまでも“債務者である患者自身”が地道に行わなければならない。

 

C、病は魂の磨き粉

病と霊的エネルギーとの関係から言えば、魂がその反応を示す段階まで発達していなければ肉体への反応も起こり得ない。心霊治療が功を奏するためには、霊的エネルギーを受け入れるだけの態勢が、患者の魂に出来ていることが絶対条件となる。魂に受け入れ態勢が整うまでは往々にして“悲しみや病気がお伴をする”ことになる(→患者に伝える場合は慎重に)。なぜなら戦争ばかりしている地球人の極めて低い霊性レベルから見れば、病気は霊性の向上のための「魂の磨き粉(→磨き粉の粒子は粗い)」という位置づけになっているから。

心霊治療は最初に魂が癒され、その結果肉体が癒されるのが順序(622⑤~⑩参照)、つまり病気の原因が消滅してから肉体に表れた病気が無くなるということ。治療家は「治るべき条件の整った人を治しているだけ」(到来152⑦参照)とも言える。

 

◆出典及び主なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)文献

1.「シルバーバーチの霊訓、1巻~12巻」潮文社

2.「シルバーバーチの霊訓、スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ」スピリチュアリズム普及会

3.「地上人類への最高の福音、シルバーバーチの霊訓」スピリチュアリズム普及会

4.「霊的新時代の到来、シルバーバーチの霊訓」スピリチュアリズム普及会

5.「シルバーバーチは語る」スピリチュアリズム普及会

  現在は新版「シルバーバーチの教え」上巻と下巻になっている

6.「シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ」ハート出版

7.「シルバーバーチの新たなる啓示」ハート出版

8.「シルバーバーチ最後の啓示」ハート出版

9.「モーゼスの霊訓、上」スピリチュアリズム普及会

10.「モーゼスの霊訓、下」スピリチュアリズム普及会

11.「インペレーターの霊訓(続霊訓)」潮文社

12.「霊の書」アラン・カルデック編、スピリチュアリズム普及会

13.「霊媒の書」アラン・カルデック編、スピリチュアリズム普及会

14.「永遠の大道」マイヤースの通信、スピリチュアリズム普及会

15.「個人的存在の彼方」マイヤースの通信、スピリチュアリズム普及会

16.「ベールの彼方の生活、1巻~4巻」、潮文社

17.「ブルーアイランド」、ハート出版

18.「迷える霊との対話」、ハート出版

19.「500に及ぶあの世からの現地報告」、スピリチュアリズム普及会

20.「霊的治療の解明」梅原隆雅訳、国書刊行会1984

 

*上記「118」近藤千雄訳

*潮文社は廃業、全て絶版。但し「1」は、アマゾンのオンデマンドで購入できる

*ハート出版、0335906077(全て絶版)

*スピリチュアリズム普及会、0532410537(自費出版、注文すれば届く)

 

 

第4講、霊能者、心霊現象(2023年)

<目次>

1、顕幽の交流

2、霊能者について

・霊能者(霊媒体質者)とは

・霊的影響力の違い

・霊的な能力(サイキック能力、スピリチュアル能力)

・霊能者と金銭

3、心霊現象について

・心霊現象の種類

・物理的心霊現象について

・物理的心霊現象の目的

4、交霊会について

5、霊界通信について

6、憑依(マイナスの親和性)

7、講座に寄せられた質問

 

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1、顕幽の交流

ア、基本的な法則

スピリチュアリズムの土台部分である霊魂説には「この世とあの世は相互に交流が行われている」がある。この交流の根底には「親和性の法則」が存在する。これは霊的成長度が同じで親和性を有する者との交流が日常的に行われている霊界では基本的な法則だが(最後啓示149①参照)、霊界とこの世との間にもこの法則は働いている(5234①~③参照)。なぜなら「人のため」という利他的な願望は、自動的に同じ願望を抱く霊界人を引き寄せるから(217⑤~⑥参照)。

 

イ、最初の一歩は地上人が行動で示す

霊界側から地上人を援助するプロセスを見ると、まず霊界人の援助を引き寄せる為の何らかの“利他的な行動や強い思い”が地上人側に先行して存在する必要がある。最初の一歩は地上人側からであり「必要な条件を人間側が用意する」(2209⑨参照)ことから始まる。 

なぜなら地上人の利他的な行動や思いに共鳴した霊界人が親和性によって引き寄せられるから。霊界人から見れば地上人の意識の高さや霊的成長度はオーラから一目瞭然にわかるので、それだけの“資格”がなければ霊界人の援助は引き寄せられない。これが基本となる。

 

ウ、何のために霊界人は地上人を援助するのか

   

地上人が人のために行う利他的行為は、地上人自身のみならず霊界人にとっても霊性向上のチャンスとなるので、「親和性の法則」から同じ願望を持つ霊界人を引き寄せることになる。なぜなら親和性によって引き付けられた霊界人は、地上人の“利他的行為を援助する”ことによって(→法律用語だが教唆や幇助という形で)、宇宙に遍満している神の一部たる霊的エネルギーを、自らを通路にして他者である地上人に流すことが出来るから。

霊界人は地上人を援助する際に必ず霊的エネルギーの一部が霊界人の中に蓄積される。蓄積された霊的エネルギーは、霊界人自身の“霊的な心(本来の私という意識)”を活性化させて、内在している“神の分霊”の顕在化を促進させる。それによって自らの霊性レベルを引き上げることができる。霊界人も自身の霊性向上の為に常に“人世のために働く”ことを願っている(→なぜなら霊性向上は霊的本能の表れだから)。その為に絶えず霊的エネルギーの“通路・道具”となり得る地上側の協力者を求めている。

利他的行為は霊的エネルギーの循環を促進させる。これに対して利己的行為は霊的エネルギーの循環を阻止し、その結果、停滞が生じて流れに淀みが生じ、その淀みが諸々の災禍(→病気、事故、争い、戦争等)を招き寄せる原因となる。このことをシルバーバーチは「唯物主義(物質中心主義)と利己主義という地上世界を蝕む二つのガン」(1巻101⑫~⑭参照)という形で指摘している。

 

2、霊能者について

①、霊能者(霊媒体質者)とは

ア、言葉の意味

A、顕と幽の間を取り持つ人

霊能者(霊媒体質者)とは「精神的心霊現象」や「物理的心霊現象」を生起し、あるいは繊細な霊的バイブレーションを知覚できる能力を持った者をいう。なお生者と死者との間のコミュニケーションを司る者や、物理的心霊現象を生起させる者を、特別に「霊媒」と呼ぶことがある。この霊媒能力は生来的なものである。また霊能者は霊的な感受性が強い「霊媒体質者」でもある。

「霊能者」や「霊媒」という言葉は19世紀半ば以降のスピリチュアリズム普及運動の中で盛んに使われるようになったが、生者と死者を取り持つ行為自体は古代から洋の東西を問わず存在している。

 

B、霊的感受性

人間を体質別に分けると「霊的に敏感な体質を持つ者(感受性が強い)」と「霊的に鈍感な体質を持つ者(感受性が弱い)」に大別できる。一本の線上の左端には体質面から見て「霊的に極めて強い敏感な者(霊媒体質者)」がいる。そこから右に行くに従って鈍感の割合が強くなって行き、右端には「霊的に極めて強い鈍感な者」がいる。人が持つ霊的感受性はこの左端から右端までの何れかの地点の体質を生まれながらに身に付けて来ている。

このように生まれながらに特有の敏感体質を持つ者を霊能者という。いわば霊能者とは感受性が特別に強いが故に、取り扱いが難しい“精密機械のような体質”を持った者で、その能力を使いこなすにはそれなりの訓練が必要になってくる。

 

イ、人は誰でも潜在的な霊能者

生者も霊である。霊的な視覚・霊的な聴覚・霊的な触覚などの能力自体は、霊的身体が持つ知覚力なので本来的に全ての人間に具わっている。それ故に「人間はみんな潜在的な霊能者」(新啓示117⑦参照)といえる。

人間は物質文明の発達と引き換えに、それまで肉体機能の一部のように自然に使えていた、霊的身体に具わっている“心霊的な能力(サイキック能力)”が退化してしまった(5105②、福音31⑦~⑩参照)。しかしごく少数だが肉体をまとったままの状態でもこの能力を使用できる者がいる。この者を「霊能者・超能力者(サイキック能力者)」と呼ぶ。

 

ウ、霊界と繋がった霊能者とこの世だけの霊能者

人間は霊的成長に伴って“霊体に具わっているサイキック能力”が発揮できるようになっていく。いずれは人間のすべてが発揮する能力だから(5105⑤~⑥参照)。

霊能者の多くは霊界とは何の繋がりもない地上界の範囲内だけの“五感の延長”である心霊的な能力、例えば「霊的な働きかけがないテレパシー、透視、予知などの“ESP・超感覚的知覚”」を有するに過ぎない(福音79⑬~80②参照)。霊界と繋がった霊的な能力(スピリチュアル能力)を持つ“本物の霊能者”は少ない(1163⑪~⑫参照)。

ここから霊能者には“五感の延長”に過ぎない「サイキック能力者」と、霊界と繋がった「スピリチュアル能力者」の二つに大別できる。後者の「スピリチュアル能力者」は霊性レベルに応じた相応の霊界人から、インスピレーションや直感という形で援助が得られる。

なお心霊的な能力が潜在意識の表面近くまで来ている人は(→イラストBの領域、今生に於いて“霊媒体質者としての人生を送る”と決めて生まれてきた者)、霊能開発などによって容易く使用できるようになる(2105④~⑪参照)。このことをシルバーバーチは「人間のすべてが例外なく霊的資質を宿しております。ただそれが発現しやすい段階にまで来ているか否かの差があるだけです」(道しるべ250③~④参照)と述べている。

 

エ、霊能者はより多くの利他的行為が出来る人

  

イラストにもある通り人は誰でも自我の本体(霊的な心・本来の私という意識)の中に“神の分霊”を潜在的に宿している。その潜在的完全性(神の分霊)を意識の領域(霊的な心・本来の私という意識)に顕在化させていくことが、永遠の旅人たる人間の宿命(→霊的本能だから)となっている。

利他的行為を通して徐々に“神の分霊”の顕在化率を高めて意識を拡大させて行くと、最終的には“本来の私という意識”全体に“神の分霊”が顕在化する状態、つまり「霊的な心・本来の私という意識=神の意識」となる。しかしシルバーバーチによれば永遠にこの状態には至らないと言う(福音177⑨~⑩参照)。

意識に潜在している“神の分霊”を顕在化させて行くためには、肉体や霊的身体などの形体をまとって利他的行為を積み重ねて(→形体なき高級霊の場合は思念を通して利他的行為を行う)、その体験によって潜在的完全性(=神の分霊)を顕現させていくことになる。“神の分霊”の顕現度合いに応じて、愛や慈悲心などの“神の属性”が形体を通して外部に滲み出てくる(→高級霊の思念や形体からは愛に溢れた雰囲気が滲み出ている)。この“神の分霊”の顕現はあくまでも自らの行為によって顕在化させていくのであり、他者の祈りや祭りごとによって他力本願的に霊的進化が進むのではない。

 霊能者とは地上人生に於いて、一般人よりも多くの利他的行為ができる能力(→霊力の通路となる能力)を与えられた者である。スピリチュアリズムが目指している世界(地上天国)の招来に果たすことのできる役割は、一般人に比べても格段に大きいからである。それを「地上へ誕生する前の本人の自由意志」(新啓示118①参照)で決めてきた。

 

②、霊的影響力の違い

ア、霊力の通路となり得る者とは

シルバーバーチは“霊力の通路”として、霊能者が果たす役割の重要性をしばしば強調して述べている。たとえば「霊媒というチャンネルが増えれば増えるほど霊的真理という活力あふれる水が地上へ流れ込む」(2182⑮~183①参照)。さらには「大霊の力はそれを顕現させる能力を具えた人を通してしか発現できません。それが霊媒現象の鉄則です」(新啓示51①~②参照)などと。このような文言を目にするたびに、「霊力の通路となりうるのは霊能者のみなのか」という素朴な疑問が湧いてくる。

 しかし『シルバーバーチの霊訓』をじっくりと読んでみれば、霊能者以外の一般人もまた立派に霊力の通路たり得ることを述べている。たとえば「通路は霊媒に限りません。それとは気づかぬままに通路となっている人も大勢います」(179⑨~⑩参照)とか、「私たちが欲しいのはそういう道具、霊媒、あるいは普通の男女、その人を通じて霊力が受け入れられ、霊の教えが語られ、知識が伝達されるような精神構造をした人たちです」(3123⑤~⑦参照)。さらには「霊力に反応する人であればいつでもどこでも神の道具となります」(431⑤~⑥参照)などの表現が見受けられる。

 

イ、霊力の通路としての影響力の違い

霊能者も一般人の男女も「霊界側の真理普及の計画」を推し進める際に、霊力を地上に降ろす際の“手足・通路”となりうることには変わりない。しかし役割や影響力という観点から見ると両者には大きな違いがある。なぜなら霊能者がいなければ霊界から地上に霊的教訓を降ろすことや、霊的証拠を提示することができないからである。

このような役割を持つ霊能者は、「際限なき貪欲と利己主義、唯物主義」がはびこる地上世界という“戦場”においては、破壊力の大きな「戦車」にたとえることができる。なぜならたった一台の「戦車の破壊力(影響力)」は、歩兵(一般人の男女)が持つ「小銃の破壊力(影響力)」の数千倍もの威力があるから。

以上からも明らかなように霊力の通路となりうるのは、霊能者だけに限らず当然に一般人の男女も成り得る。このことはシルバーバーチがしばしば述べているように「奉仕を基調とする真の宗教を確立する」(5巻130⑮~131①参照)や「奉仕は霊の通貨です」(11142②参照)など、利他的行為を推奨している言葉からも分かる。

両者の大きな相違点は霊力の通路としての影響力、つまり「戦車」の砲塔から放たれる弾丸の破壊力(影響力)と、歩兵が持つ小銃の破壊力(影響力)の違いだけである。このようにシルバーバーチは、スピリチュアリズムの普及運動において重要な役割を演ずる「霊能者(戦車)」を、「一般人の男女(歩兵)」以上に強調して述べただけである。

 

ウ、日本に於ける「攻めの普及活動」

浅野和三郎氏(1874年→1937年)は日本における「スピリチュアリズム(心霊主義)&サイキカル・リサーチ(心霊研究)」の草分けの一人である。また日本の「伝統的な祖霊観・霊魂観」と「近代スピリチュアリズム」を融合させて「和製スピリチュアリズム(神道的スピリチュアリズム)」を打ち立てた人でもある。

大正時代の末期から昭和初期にかけて、浅野和三郎氏は霊能者を活用した「攻めの普及活動」を行おうと考えて、スピリチュアリズムの普及に大きな貢献ができる優秀な霊能者を探し求めていた。それは当時(20世紀初頭)の欧米社会においては「物理的心霊現象の霊媒、これが何れの国でも先ず心霊運動の口火を切る役」になっていたからであった(浅野和三郎著「種子は地に蒔かれた」昭和5年1月号『心霊と人生』掲載)。

 昭和3年(1928年)9月にロンドンで行われた第3回「国際スピリチュアリスト連盟(International Spiritualist Federation、略称ISF)」の大会に参加した浅野氏は、英米の多くのスピリチュアリストや霊媒と接触して交霊会に参加する機会に恵まれた。これらの体験はその後の浅野氏が日本に於いてスピリチュアリズムの普及を進めていく上で、かけがえのない財産となった。

帰国した翌年の昭和4年(1929年)以降、浅野氏のもとに亀井三郎氏(1902年?→1968年、本名は松森俊雄)など物理的心霊現象を引き起こすことが出来る霊能者が次々と集まってきた。それらの霊能者を前面に据えたデモンストレーションによって霊的知識の普及に弾みがつき、霊的レベルの向上がもたらされた(→霊能者という“戦車”を中核に据えた“攻めの普及活動”が行われた)。このことによって日本のスピリチュアリズムは「黎明期」から「発展期」へと大きく飛躍した。

 

③、霊的な能力(サイキック能力、スピリチュアル能力)

ア、二種類の能力

霊的能力の発達には、まず“本来の私という意識(自我の本体)”に内在している“神の分霊”を、意識の領域に顕在化させていく「自我の本体そのものの進化」、いわゆる「霊の進化(スピリチュアル能力の発達)」がある。次にこれとは別に“自我の表現器官たる霊体”に具わっている「心霊能力の開発」、つまり自我が霊の世界において自己を表現する為にまとう霊体に具わっている能力、自我の表現器官に関する発達(サイキック能力の発達)がある。

このように霊的能力の発達には「自我の本体の進化(スピリチュアル能力の発達)」と「自我の表現器官の発達(サイキック能力の発達)」の二種類ある(499⑩~⑭、到来81⑪~⑮参照)。霊能開発をしようとして精神統一の訓練をすると最初に心霊的(サイキック)な能力が出てくる(1157⑫~⑬参照)。人間は例外なく心霊的な能力を具えているから(1237⑦参照)。この心霊的な能力が発現した後に霊的(スピリチュアル)な能力が出てくる。

 

イ、霊的進化の指標

シルバーバーチは一貫して「霊の進化(スピリチュアル能力の発達)」の必要性を説いている。霊的進化の指標はサイキック能力の発現ではないから。「人の為に役立つ仕事を目的として霊界のスピリットの協力を得ながら心霊能力を開発した時」(2109①~③、福音81⑦~⑫参照)が本当の意味で霊的進化の始まりの時と述べている。

そのためにはサイキック能力を開発する為の霊能開発と同時並行して、他者のために役立つ仕事をして霊界人の協力を得る必要がある。これに対してサイキック能力は霊的身体という形体に具わっている能力であり、霊が進化していく過程で自然に発揮されていくものである。サイキック能力が発揮できるようになることが必ずしも「霊の進化」の指標とはならない(12214④~⑤参照)。

 

ウ、霊的に進化したと言える為には

霊能者(霊媒体質者)の“心霊的な能力の発達(→霊が使用する形体の発達のこと、サイキック能力の発達)”に“霊性の進歩(スピリチュアル能力の発達)”が伴っていなければ、霊的に進化したとは言えない(499⑩~⑭、到来81⑪~⑮参照)。なお心霊現象は霊媒体質者が有する心霊的(サイキック)な能力と、霊界人の協力による霊的(スピリチュアル)な能力の組み合わせで起こるものである(福音81①~④参照)。

 

④、霊能者と金銭

ア、評価の指標

しばしば霊能者は金銭的になり過ぎると“仕事”がうまくいかなくなると言われている。一般に「霊能者と金銭」の問題は、霊能者を評価する際の指標として良く用いられている。それは霊能者が金銭的になり過ぎると“意識の指向性(→ベクトルの向き)が下・地上的なモノ”に向かい、その結果として霊的波長が下がって感応道交する霊は物質臭の強い霊だけとなってしまうからである。

霊媒現象における“霊界人の協力”は顕幽を隔てるバイブレーションの壁を、親和性と“愛の力”をベースにして乗り越えて発揮されるもの。霊能者が金銭的になり過ぎるとバイブレーションが物質的となって、援助しようとする霊界人との関係が疎遠になるから。その結果、親和性の法則により物質レベルのバイブレーションに見合った低級霊や邪霊を呼び寄せてしまい、その影響下に置かれるからとされる。

 

イ、目的限定の能力

高級霊は「(霊媒能力は)あくまで霊的な目的のために使用しなければならない。営利目的のため、単なる好奇心の満足のため、あるいは低劣な無意味な目的のために使用してはならない」(続霊訓123⑬~⑮参照)と述べる。また日本における「スピリチュアリズム(心霊主義)&サイキカル・リサーチ(心霊研究)」の草分けの一人である浅野和三郎氏も「たとえ乞食になろうとも、霊媒になって飯を食おうなどとはお考えにならぬが得策です」(脇長生編『精神統一入門』霊魂研究資料刊行会、58⑨~⑩参照)と述べている。多くの事例を見てきた先人たちによれば、営利目的に走った霊能者は物質臭に満ちた霊に翻弄されてしまい、悲惨な末路を辿る者が多いという。

 上記のように高級霊や先人たちは、一様に霊能力は営利目的や単なる好奇心の満足のために使用してはいけないと述べる。なぜなら霊能力は地上人生に於いて利他的行為にのみ使用するという、目的を限定して与えられた能力だから。

シルバーバーチは霊能力の問題を、常に“潜在的完全性(神の分霊)”の顕在化という観点に立って述べている。「霊媒はやむにやまれぬ献身的精神に燃えなければならない。その願望そのものが霊格を高めていく」(6巻118①~⑥、到来112④~⑩参照)からと。

 

3、心霊現象について

、心霊現象の種類

心霊現象には誰にでも見える形で出現する“物質化現象・空中浮揚・物体移動・物品引き寄せ・叩音”などの「物理的心霊現象(客観的心霊現象)」と、霊媒の潜在意識を操作して行われる“霊視・霊聴・霊言・自動書記”などの「精神的心霊現象(主観的心霊現象)」、そして両者の中間形態の「心霊治療(心霊医療)」の三つに分けることが出来る。

心霊治療は身体の病気を治すという意味では物質的だが、それを治すエネルギーは霊的なもので、二重の要素を持つ(新啓示41⑭~⑯参照)から。

 

②、物理的心霊現象について

ア、物的要素が濃いエクトプラズム

A、霊の進化と物的エネルギーの関係

霊の進化と物的エネルギーの関係には「霊は進化するほど物的エネルギーが扱えなくなり、精神的感応力に訴えて知的な指導と指揮にあたることになる」(続霊訓160⑬~⑭参照)という。なぜなら物理的心霊現象を起こす為にはエクトプラズムの材料となる中間物質が必要となるから。実験に携わる霊界人はいまだ物的波動から抜け切っていない霊性レベルの低い霊であり、その霊が霊界側の技術者となって高級霊の監督の下で物理的心霊現象を演出するために働くことになる(霊訓上64⑬~65④、77⑧参照)。

 

B、物理的心霊現象の材料

客観的な心霊現象である「物理的心霊現象」の出現には、霊媒から流出するエクトプラズムがカギを握っている。エクトプラズムは物質と生命との中間的存在(半物質)である接合体の中で作られる(個人的存在82⑨~⑩参照)。

霊媒がトランス状態になると体内で精製されたエクトプラズムが外部に流出して、これに霊界の技術者が特殊な成分を混ぜ合せて、物理的心霊現象を引き起こす際の材料として使われる。このエクトプラズムを豊富に作る能力を持っている人が物理的霊媒になる(個人的存在82⑫~⑬参照)。霊的体質の違いによってエクトプラズムには個体差がある。

 

イ、エクトプラズムについて

A、名付け親

このエクトプラズムの名付け親は、フランスの生理学者(パリ大学医学部教授、1913年ノーベル生理医学賞を受賞)のシャルル・リシェ(Charles Richet1850年→1935年)である。リシェはイタリア人霊媒ユーサピア・パラディーノ(Paladino Eusapia18541918)を調査して、物理的心霊現象は霊媒の体内から出る「半物質状の透明な物体」がさまざまに変化して、物質化して現象を起こすということを突き止めた。その半物質状の物体を「エクトプラズム」と名付けた(デボラ・ブラム著『幽霊を捕まえようとした科学者たち』文芸春秋259頁~262頁参照)。

 

B、エクトプラズムの性質

エクトプラズムは多量の白血球と上皮細胞を含んだ唾液の成分に似ており、これが霊媒の口・鼻孔・目・くるぶしの裏側などの皮膚の薄いところから出て来て物質化現象を引き起こすことが知られている。エクトプラズムの性質に関しては、湿り気があり独特のにおいがする。またエクトプラズムはすべて霊媒の細胞からできており、物理現象がどのような形態であっても、エクトプラズムは全て霊媒の身体から出て霊媒の身体に戻って行くので「エクトプラズムは霊媒の一部である」ことになる。そして物理的心霊現象の目的を果たしたエクトプラズムが、霊媒の体内に戻る速さもまた瞬間的であり「まるでゴムのようにビューンという音とともに消えてしまったことがある」という(ハリー・エドワーズ著『ジャック・ウェバーの霊現象』国書刊行会1985年、135頁~144頁参照)。このようにエクトプラズムは物質化現象の材料として使われる。

なお交霊会で物理的心霊現象が出現している最中に、支配霊の許可を得ずに自分勝手にフラッシュや照明などの強い光を当てたり、出現した現象を掴んだりすると、霊媒は「自分の一部」を乱暴に扱われることになるので出血したり人事不省になったりする。注意する必要がある(M・バーバネル著『これが心霊の世界だ(新装版)』56①~⑤参照)。

 

C、霊媒の霊格とエクトプラズムの関係

エクトプラズムは霊媒から抽出されるため、「霊媒の体質が粗野であればエクトプラズムも精神的ないし霊的に程度が低く、精妙度が劣る。精神的に霊的に垢抜けした霊媒であれば、その性質がエクトプラズムにも反映する」(190⑬~91①参照)という具合に、霊媒の霊的レベルはエクトプラズムの質に反映する。当然に物理霊媒の霊格が低いほどエクトプラズムの質は落ちることになる(メッセージ84⑦~⑨参照)。

また霊媒自身の健康状態によっても左右される(ハリー・エドワーズ著『ジャック・ウェバーの霊現象』136⑤参照)。このような性質が有るため霊媒は霊的レベルの向上を心がけた生活を送れば、人間性が向上すると同時にエクトプラズムの質まで向上することになる。

 

③、物理的心霊現象の目的

ア、受容性に見合ったもの

19世紀後半から20世紀初頭にかけて盛んに行われた物理的心霊現象は科学者の関心を呼んだ。それは「従来の物理的法則では解釈のつかない現象を、あくまでも科学的手段によって、その実在性を立証する」(新啓示40⑨~⑩参照)ものであった。

この時期に頻発した心霊現象は、地上に霊的真理を普及するという計画の一環として行われたものであった。その方法は当時の人たちの受容性に見合った形がとられた。なぜなら霊的実在の証明方法は当然に人間の霊性レベルに応じて手段は変化して行くから。物理的心霊現象から「心霊治療と霊的教訓」への移行はその表れの一つであった。それは「霊媒現象の歴史が、詐術の嫌疑との闘いの連続であった」(新啓示42⑭参照)ことが背景にある。

 

イ、物理的心霊現象は補助的手段

「いつの時代にも自分の目で確かめ、手で触れないと気が済まない人、つまり物的次元での証拠を必要とする人」(到来49③~⑨参照)はいる。その人のために物的な現象は「霊的真理の実在性の証明」には必要である。シルバーバーチは物理的心霊現象の役割を「注意をひくためのオモチャにすぎない」(1巻126⑩参照)と述べる。

物理的心霊現象を伴う交霊会や精神的心霊現象などの霊媒現象の目的は、「見る目を持つ者、聞く耳を持つ者、触れる手を持つ者に一点の疑いもなく霊的真理の実在性を納得」させて、人間は霊的な存在であるということを自覚させることにある(1161④~⑤、2181⑮~182②参照)。この目的から見て交霊会の参加者が様々な現象が見られて「面白かった」だけで終われば、奇術師が行うショーと何ら変わらず、その交霊会は失敗したことになる。

本来、物理的心霊現象は霊的自覚を得るための補助的なものに過ぎなかった。20世紀に入ると物理的心霊現象は徐々に後退して「心霊治療と霊的教訓という高等な側面」(9165⑧~⑩参照)が前面に出てきた。

 

ウ、ハンネン・スワッハー・ホームサークル

バーバネルが霊媒となってシルバーバーチが出現する交霊会は「ハンネン・スワッハー・ホームサークル」という名称で知られている(110①参照)。このサークルでも交霊会の初めにテーブル現象がしばしば行われていた。参加者全員がテーブルの上に手を置き賛美歌(→交霊会がキリスト教文化圏で行われたから。その文化圏にいる人なら誰もが知っている讃美歌が“場”のバイブレーションを高めるために選ばれたものと思われる)を歌っているうちにテーブルが動き出す。そしてシルバーバーチ霊団のメンバーが各々テーブルを動かして挨拶をした(714①~⑩参照)との記載がある。

翻訳者の近藤千雄氏によれば、このテーブル現象は「交霊会の霊的磁場を強固なものにするため」(霊媒の書90⑦参照)であったという。物理現象によって何の問題も起こらなかったのは「背後に高級霊団が控えており、邪魔が入らないように万全の対策を講じていたから」(霊媒の書90⑧参照)と述べている。

 

4、交霊会について

ア、交霊会の参加者・立会人

A、霊的な柵の構築

霊的面から交霊会を見れば、会場に入ってほしくない霊を締め出すために、霊界側に“霊的な柵(→通信霊や霊媒の周りに霊的な結界を作る)”をこしらえる必要がある。その為にはエネルギーを参加者から供給してもらわなければならない(794⑥~⑦参照)。

参加者全員から少しずつエネルギーを取り出し、それを霊界側が用意したエネルギーとミックスして“霊的な柵”を作ったり、通信霊や霊媒にエネルギーを供給したりするなど、支配霊は交霊会の運営のために使用する(794⑩~⑪、2137⑦~138④参照)。

交霊会で使われるエネルギーは霊媒や参加者以外にも、室内にあるあらゆる物(→カーテン、カーペット、家具、その他の備品)からも抽出される。物質化霊の衣装に色を付けるために部屋中の素材から色素だけを抽出することもあるという(道しるべ95④~96⑦参照)。

 

B、霊界側から見た交霊会

 公開交霊会では支配霊を中心とする霊団が霊媒と通信霊を取り囲んで行われている。なぜならば交霊会に無分別な霊がもぐり込んできて「通信を正確に伝えるのに必要なデリケートなバイブレーションを台無しにしてしまう」から。それだけ周到に注意を払っても「その囲いの外から自分の存在を認めてもらおうとして大声で叫んでいる霊を鎮めることは出来ない」(M・バーバネル著『これが心霊の世界だ、新装版』潮文社87⑧~⑨参照)。ある公開交霊会では“結界”の外から、ロンドン訛りの霊から「なあ、ねえさん、オレにもやらせてくれなよ。ほかの連中はみんなやったじゃねえか」(バーバネル著『これが心霊の世界だ、新装版』88①参照)と言われたという。

このように霊の世界に行けばすぐに高い霊格が得られるというわけではなく、この世の人間と何ら変わるところはない。霊と云えども単に肉体がないだけであって、その本性は「霊的自覚(→意識の指向性が上・霊性向上に向く、霊として何をすべきかの自覚のこと)」が芽生えてくるまでは地上時代と何ら変わりはない。交霊会を台無しにされないためにも霊界側に“霊的な柵”を作る必要があるわけである。

 

C、具体例

シルバーバーチの交霊会に参加した霊媒のリリアン・ベイリー女史(Lilian Bailey)は、霊視で交霊会の舞台裏で働く“霊界の技術者”たちの姿を実況してみせた。「このボリュームあふれるエネルギー、迫りくるパワーは物質化現象に使われるものですね」「何人かのスピリットがそのエネルギーを部屋の中央へ運んで一つの固まりをこしらえているようです」「私が見たところでは大きな柱のようですね。白い柱です。コチコチに固いものではありません。そこから何本かの紐状のものが伸びて、メンバーの一人一人とつながろうとしています。各メンバーから何かを摂取しようとしているみたいです」(4181③~182④参照)と述べている。

 

イ、交霊会参加者の心得

A、交霊会の参加者は単なる見学者ではない

上記のように交霊会の参加者は単なる見学者ではなく、交霊会に必要なエネルギーを供給する役割を果たしている(→主に交霊会の運営や霊的な結界を作る際のエネルギー源として使用される)。なお交霊会の会場の雰囲気は受け身的でなければいけない(福音208⑩~209⑦参照)。なぜなら地上側はあくまでも受信者だから。

現象を起こすために用いるエネルギーは、霊媒や参加者の身体機能が受け身的な状態の時のみ利用できる。激論をしてエネルギーが脳に動員されている状態の時や、消化器官が活発に活動している状態の時はそれぞれの器官で消費されているので使用できない(続霊訓169⑥~170③参照)。出席者の中に一人でも病気や精神的悩みを抱えている者がいると、オーラ本来の機能が低下して通信に影響が出てくる(続霊訓166④~⑪参照)。また参加者が特別な先入観を抱いている場合や出席者の間に不協和音があると、それが交信の障害となって霊媒と支配霊との融和を妨げることになる。

交霊会の進行中は絶え間なく精神的エネルギーが作用しているので、「出席者の想念、思念、意志、欲求、願望のすべてが通信に何らかの形で影響を及ぼす」(4159⑩~⑪、福音208⑩~⑫参照)ことになる。

 

B、心霊研究者や懐疑論者はエネルギーの供給を無意識に拒絶

心霊研究者や懐疑論者は霊媒(超能力者)による何らかの行為が、心霊現象に介在しているか否かに関して強い関心を持っている。そのため実験に不正行為が介在しないようにあらゆるケースを想定して、厳格に管理された条件下で行おうとする。当然に心霊現象の出現は弱く小さくなる。なぜなら心霊研究者や懐疑論者は心霊現象の出現に必要なエネルギーの供給を無意識的に拒絶するから。このように参加者が持つ思念や特別な先入観などは、心霊現象に大きく影響を及ぼすことになる。

また霊界にいる低級霊の妨害も考慮しなければならない。学術的な研究目的ではなく、単なる懐疑論者が催す興味本位の交霊会では、支配霊はエネルギー不足から会場を霊的にガードする“柵(結界)”が構築できず、低級霊のなすがままにされてしまう場合がある。交霊会のメンバーの間に意見の衝突があって雰囲気が乱れている時も、低級霊の介入を許すスキを与えてしまうことになる(福音236⑫~⑬参照)。

 

ウ、レギュラーメンバーの存在意義

交霊会はレギュラーメンバーで定期的に開くのが安全である(2133⑭~134②参照)。すぐれた支配霊による交霊会では、レギュラーメンバーは何らかの存在意義を持った者が厳選される。中にはただ出席して椅子に腰かけているだけで好影響を及ぼす人もいる。

このようなレギュラーメンバーによる交霊会では、普段からその人のオーラを通じて霊的エネルギーが供給されているため霊的に安定している。しかし初めての人ばかりの集まりだと、交霊会の環境・条件を改めて整える必要がある(2143⑧~⑮参照)。

 

5、霊界通信について

ア、潜在意識との関係

A、潜在意識の持つ自動連携機能を操作して行う

 

身体機能をコントロールする潜在意識は(→この機能はイラストのB潜在意識の浅い部分に存在する)、顕在意識の命令にしたがって機能することに慣れている。一般的な霊媒現象はその潜在意識の持つ自動連繋機能を操作して行われる。つまり命令の指示系統を通常の「A顕在意識の指示 →B 身体機能をコントロールする潜在意識」から、「外部にいる知的存在の指示 → B身体機能をコントロールする潜在意識」に変える必要がある(→憑依現象もこれと同じパターン)。なぜなら霊媒現象の一つである霊界通信はすべて霊媒の潜在意識を使用して行われるから(266⑬、メッセージ80⑦~⑫参照)。

その為には支配霊は霊媒の潜在意識の連携パターンを熟知する必要がある。これをシルバーバーチはタイプライターに例えて説明している(メッセージ81⑤~⑧参照)。一般的な和文タイプライターでは文字配列表にカーソルを合わせてキーを押すと、該当する活字が用紙に押し付けられて印字する仕組みになっている。この例からも分かる通り、支配霊や通信霊は前もって霊媒の“身体機能と結びついた潜在意識”の機能を熟知しておく必要がある。

 

B、霊媒現象と睡眠との違い

なおこの場合の潜在意識とは、身体をコントロールしている潜在意識や今生の記憶が貯蔵された潜在意識のことであって、比較的浅い部分に存在する潜在意識(B)のことである。霊界通信などの霊媒現象を起こす為には霊媒の潜在意識を使用する必要があるので、霊媒が睡眠状態に入ると“身体をコントロールする潜在意識”も活動を停止してしまうので現象が起こせない。ここに霊媒現象と睡眠との違いがある(メッセージ74②~75⑪参照)。

 

C、オーラの融合

霊媒に乗り移った霊は意識に浮かんだ映像、思想、アイディアなどの思念(霊界の言語)を、地上の特定の言語である音声に転換しなくてはならない(→霊界の言語である思念を地上の特定の言語に翻訳する)。その際に霊媒のオーラと霊のオーラがどこまで融合できるかがポイントになる(→オーラを通して操作するから)。なぜならオーラの融合具合によって、霊媒の潜在意識の中にある語彙(→霊媒自身が忘れている語彙もあるが、記憶の層にちゃんと残っている:878⑧~⑨参照)に付着している“色”を、どこまで排除できるかの問題があるから(188⑦~89②参照)。

通信霊が高級霊であってもオーラの融合具合によっては、霊媒の潜在意識に影響された通信となってしまう(→霊訓の内容は別にして、ホワイト・イーグルの霊訓やオーエンの『ベールの彼方の生活』にはキリスト教の色が強く出ている)。

 

D、霊界通信のメカニズム

霊媒現象の一種である霊界通信は霊媒の潜在意識を使用して行われる(4157⑫参照)。通信霊は霊媒のオーラと通信霊自身のオーラを融合させて、霊界から携えてきた映像、思想、アイディア等の思念を霊媒の潜在意識にある単語や思想を使って文章にする(→方法その1)。または霊媒の潜在意識が自動翻訳機的な働き方をすることによって、潜在意識が自ら単語や思想を選び出して文章にする(→方法その2)。

例えば“方法その2”では、通信霊は霊媒の“柔らかいロウのような潜在意識”(永遠の大道27⑮~⑯参照)に“シンボル・型”を押し当てる、その押し当てられた“シンボル・型”に当てはまる用語や概念を霊媒自身の潜在意識が自ら選び出してくるという方法で。そして“方法その1”や“方法その2”によって思念を地上の特定の言語に文章化して、霊媒の潜在意識と繋がった言語機能に関わる器官(声帯、舌、口など)を使って、一連の言葉として霊媒の口から発声される。これが霊言現象の仕組みである。

 霊界通信を受け取る霊媒の優劣とは、ひとえに霊から通信を受け取る受信能力(→通信装置のアンテナの受信感度の問題)と、受け取った思念を特定の言葉に置き換える為の翻訳能力(→霊媒の潜在意識にどの程度の言葉や抽象的な概念・用語が蓄えられているかの問題)の高さ如何に掛かっていると言えよう。

 

E、霊媒の固着観念と通信内容

霊媒の精神を強く支配している固着観念があって、それが何らかの表現を強く求めているような場合がある。そのようなケースでは支配霊・通信霊は、霊界から携えてきた通信を送る前にその観念を一時的に吐き出させる必要がある。吐き出された通信は霊媒の潜在意識の中に存在する特定の観念の表明であり、何らかの強い思いである(189③~⑦参照)。このような事例があるので通信内容を鵜呑みにせず、必ず理性で吟味する必要がある。

また霊媒に俗世的な問題に関する質問をした場合は、内容が地上レベルの為に霊媒の潜在意識を刺激して、その潜在意識にある固着観念に沿った内容の回答をするので、霊媒自身の意見となる。これに対して霊の方から自発的に俗世的な問題に関するメッセージを送ってきた場合は、霊媒の潜在意識が通路となって降ろされたものである。

シルバーバーチは「霊からの自発的なアドバイスと、人間側からの質問に対する返答とを区別しなさい」「日常的な悩みについての質問をすることは感心しませんが、霊の方から日常的な問題についてアドバイスしてきた時は素直に受け取って結構です」(266⑬~67⑧参照)。また「支配霊がかかっている時は霊媒の潜在意識が活発に働いています。そこへ世俗的な質問をすると、たちまち意識の焦点が地上次元へと下がり、その次元での回答が出されます」(267⑪~⑬参照)と述べている。

 

イ、霊界通信の良し悪し

A、霊界通信の判断基準

霊界通信の判断基準のポイントは、「通信内容の質の高さ」と「霊媒の潜在意識に付着している“色”をどれだけ排除できたか」にある。一般に霊界通信は霊媒の潜在意識にある単語や概念を用いて通信を送ること(個人的存在20⑪~21④参照)、さらには霊媒の発声器官を使用すること、このようなことから多かれ少なかれ霊媒の潜在意識に脚色されてしまうものである。

 

B、潜在意識に付着する“色”の問題

霊媒の潜在意識を使った霊界通信の良し悪しは、「オーラの融合具合」「頑なに固執している固着観念の問題」「霊媒の健康状態」「会場を取り巻く雰囲気の問題」など、多くの条件によって左右される(189③~⑧、6207①~⑤参照)。

霊媒の潜在意識に付着している“色”の問題は(→通信内容に霊媒の潜在意識によって、どこまで歪められているかの問題)、通信霊のオーラと霊媒のオーラが完全に融合しているか、部分的か、全く融合していないかに掛かっている。「百%融合できたとしたら霊媒の潜在意識による影響はゼロということになる」(4159①~②参照)。このように通信霊が伝えたいとする内容は霊媒の潜在意識によって影響を受けるため、霊媒を通して地上側に百%伝わることは滅多にない(1巻88①~②参照)。

 

C、シルバーバーチの霊訓の優位性

霊媒の潜在意識の影響の問題については、シルバーバーチは「回を追うごとにコントロールがうまくなり、ごらんの通りになりました。今ではこの霊媒の潜在意識にあるものを完全に支配して(→潜在意識を“自己主張しない道具”として使って)、私自身の考えを100パーセント述べることができます」(917⑮~18②参照)と述べている。

これはバーバネルの“潜在意識による脚色”の問題を完全に克服できたということ、シルバーバーチが事前に用意した通信内容を交霊会において100パーセント述べることが出来たということである(→ポイントは三者間のオーラの完全な同調)。この状態は極めて稀有な現象であることが分かる。ここに数多い霊界通信が存在する中で『シルバーバーチの霊訓』が最高峰の位置を占める理由がある。

シルバーバーチは専属霊媒のバーバネルが死去すれば別の霊媒を通じて通信することはないと述べている。その理由を「この霊媒を通じて語るための訓練に大変な年数を費やして来ましたので、同じことを初めからもう一度やり直す気にはなれません」(828⑥~⑨参照)と言う。ここからもオーラの同調がいかに大変であるかが推測できる。

 

D、ホワイト・イーグルとの比較

シルバーバーチは「同志の一人であるホワイト・イーグルには彼なりの考えがあってのことでしょう」(新啓示25④参照)と述べて、同志と呼んでいる。霊的レベルはシルバーバーチと同格の高級霊であると思われるが、その霊界通信にはキリスト教や神智学の影響が強く表れている(→でくのぼう出版、桑原啓善訳『光への道』『秘儀への道』は色が強い)。

霊界通信に霊媒の潜在意識に付着している“色”が強く表れたのは、ホワイト・イーグルと霊界の霊媒(?)と地上の霊媒のグレース・クックの三者のオーラの同調が、完璧の域までは達していなかったことが考えられる。このためグレース・クックの潜在意識にある、言葉や概念に付着している“色”が、オーラの同調が完璧ではなかったために払拭しきれず、霊界通信にキリスト教や神智学の影響が強く表れてしまったと言える。

ここに霊界通信の難しさがある。支配霊又は通信霊が極めて高級な霊といえども、オーラの同調が完璧の域まで達していなければ、多かれ少なかれ霊媒の固着観念に色付けされた霊界通信となってしまうという好例である。

 

ウ、その他の問題

A、用語がないので通信できなかった例

霊媒現象では霊媒の潜在意識にある用語や抽象的な概念が使われるので、無学文盲の霊媒では高度な通信は送れない。このことに関してマイヤース霊は自動書記霊媒のカミンズの“記憶の層(→潜在意識の比較的浅い部分に存在する今生に関する記憶の層の部分)”に、天文学に関する用語が無かった為に通信が送れないとして一時通信を中断したことがある。そしてカミンズに百科事典の天文学の項目を読むように指示して読ませた。マイヤース霊が欲しかったのは宇宙に関する用語であって、知識ではなかった(個人的存在20⑪~21②参照)。

 

B、霊媒の人間性の問題

霊媒には霊媒としての考えがあり偏見があり好き嫌いがあるので、霊界通信にはある程度まで霊媒の固着思想が影響を及ぼしている(4158⑪~159②参照)。このような問題があるため霊媒の潜在意識が心霊現象に及ぼす影響の問題や、人間的性質の完全な排除の問題など、霊媒の人間性がしばしばテーマとなっている。

シルバーバーチは「通信のメカニズム」に関して「安ものの楽器よりも名匠の作になる楽器の方が良い音楽を生むのと同じで、霊媒も教養が高いほどよい、良い道具ほど良い通信を受けやすいから」(4巻160⑧~⑩、メッセージ83⑤~84⑫参照)と述べる。マイヤース霊の通信からも分る通り(個人的存在20⑪~21②参照)、霊媒の潜在意識に多くの言葉が蓄積されてないと、送れる通信の内容が限定されてしまうから。さらにシルバーバーチは「高級霊が人間性の低い霊媒を通して出ようとしても、その霊格の差のために出られません。接点が得られないから」(4161⑩~⑪、メッセージ83⑤~84⑫参照)と述べる。

 

C、情報源との連絡網

通信霊は霊媒の潜在意識を支配すると同時に、情報の供給源である霊界との連絡網を維持しなければならない。この世でもテレビの収録現場でカメラの前に立つ司会者は、シナリオ通りに出演者と会話を交えて番組を進めているが、予想外の展開になった時はカメラの死角にいるアシスタントがボードを使って必要な情報を司会者に送っている。司会者はテレビカメラに向き合って番組を進めると同時に、想定外の情報はアシスタントから入手している。

このようにテレビの収録現場では出演者やスタッフが“平面上の同じ空間”で仕事をして番組を作成しているが、霊界通信では霊の世界から波動の異なる物質の世界へと、次元を超えて通信を送らなければならない。さらに地上側の雰囲気が悪いと霊界との連絡網が限定されると同時に、通信霊と霊媒のつながりも弱くなってしまう。そのためより一層通信が困難となる(2118⑪~119⑥、メッセージ20⑤参照)。

 

D、多様な通信霊と通信内容

霊の世界は無辺であり、そこに住む霊の体験も多様であり無限であるので、霊界通信としてどういう内容のことが伝えられるかはひとえに通信霊の霊的レベルに係っている。霊の世界に移行後も固着観念を捨てきれずに地上的波動の中で暮らしている「霊的自覚」の芽生えが無い霊は、その固着観念に沿った内容のメッセージを送ってくることになる。ここに霊によって送られてくる内容に食い違いが生じる理由の一端がある(1087①~88①、到来30②~⑧参照)。

霊界通信は送られてきた内容によって価値が決まるので(2204⑦~⑬、道しるべ37①~②参照)、価値ある情報を入手したければ自らの霊性を高めると同時に、感応道交する霊のレベルを上げる必要がある。このように多様な通信霊の存在と通信内容が存在するため、霊界通信に接する場合には理性で通信内容を吟味して、常識的に考えて辻褄が合わないものは拒否する態度が必要となってくる(1088②~③参照)。

 

E、犠牲を伴った行為

霊妙な波長にある霊の世界から荒い波長の地上世界に、霊媒現象という形で霊が戻って来るには、多くの困難な条件をクリアする必要がある。そのため困難を克服して戻ってくる霊は愛念を抱く者や、使命がある霊に限られる。愛念こそが「地上の縁者を慰め、導き、手助けしようと思わせる駆動力」となるからである(189⑨~90①参照)。ここから多くの霊界通信は意識の関心が地上に向いている(→意識の指向性・ベクトルの向きが下を向いている霊)、物質臭の抜けきらない幽界の下層に居住する血縁者からのものとなる。ここに血縁重視の霊界通信が多くなる理由がある。

 さらに何らかの使命がある霊性レベルの高い霊の場合には、波長の切り替えを行って地上の荒い波長に同調させなければならない。このような困難を乗り越えてまで遂行しようとする使命とは、人間は霊であり自我の本体には例外なく神の分霊が宿っていること、その神性を地上生活中に自覚して(→霊的自覚のこと)意義ある地上生活を送ってもらいたい為である。ここに霊媒現象に秘められた目的がある(最後啓示49⑥~⑧、187⑤~⑧参照)。

 

エ、自動書記通信

自動書記通信で有名なモーゼスの場合は、一人きりになって心が受け身的になっている時に通信が不意に来るという。その際にモーゼスのオーラがしみ込んだノートや、使い慣れたテーブル、自分の部屋の方が現象は出やすいと述べる(霊訓上17⑨~⑩、20⑥~⑦参照)。

モーゼスは霊から、仕事で過労気味の時、興奮状態の時、身体の調子が悪い時、精神的な悩みや心配事のある時、食事のすぐ後、身体が眠気を催している時は自動書記をしないようにと注意された(霊訓上77⑫~78⑧、79④~80⑰参照)。このような状態の時は霊媒の波長はより物質性が強まっているから。

 

6、憑依(マイナスの親和性)

ア、意識の振れ幅

地上の人間の一日は、高尚な意識状態から動物性を過度に発現させた意識状態の両端の間で、絶え間なく揺れ動いている。人の魂を揺さぶる行動や話を見聞きすれば意識は高揚する。これに対して過度のアルコール摂取は、自らの“理性の蓋”を開放して動物性を強く発現させることになる。このように人間は意識の揺れ幅の状態に応じて、日常的にあらゆる霊的レベルにある霊からの影響力にさらされている。霊的に敏感者の場合には憑依される形で、霊的に鈍感な者の場合には邪霊の影響下にさらされるという形になる。

例えば(霊的に鈍感な者の場合)日頃まじめな人が一時的に邪霊の影響下に置かれて、ふとしたことから魔が差してスーパーで万引きをするとか、酒の席で悪い友人に誘われて違法カジノに行くなど、後で振り返ってみれば「なんであんなことをしたのか」と自分を責めることになる場合もある。

このような場合でも実際に引き寄せるのは自分と同じ霊性レベルの霊だけであり(894⑭~⑮参照)、それも「両者の間に親和関係がある場合に限られる」(語る435⑦~436③参照)。ただし憑依は本人側(霊的敏感者に限る)に霊を引き寄せる何らかの“受け皿”が存在する場合に起きるのであって、見境なく起きるわけではない。

 

イ、マイナス作用の親和性

親和性の法則には、原因があればその“原因の性質”に応じた形で、両者間に「親しみ結びつきやすさ」という関係がある。原因を発する者の行為や言動に相応した霊界人が引き寄せられるという関係は憑依現象にも言える。なぜなら憑依現象は親和性が“マイナスの作用”となって表れたものだから。これに対して霊界人の援助は親和性が“プラスの作用”となって表れたもの。

親和性があると言うことは人間の堕落した生活が“受け皿”となって同類の邪霊を引き寄せることになるので、人間の側から餌をまかなければ憑依は防げることになる(霊訓上48⑫~⑭、50⑥~⑧参照)。シルバーバーチは「自分は大人物であると思い込んでいる人間、大酒飲み、麻薬中毒患者などがこちらへ来ると、地上で似たような傾向を持つ人間を通じて満足感を味わおうとする」(5234⑦~⑨参照)と述べる。専門書によれば薬物依存症は「脳の神経回路が薬物に支配されてしまい、薬物の使用を自分の意志でコントロールできない状態(→生命力が流れる通路に障害物ができる:9巻125⑨参照)」であるという。既に存在する薬物に支配された神経回路を邪霊が代用できる為、影響が及ぼし易くなるから。

 

ウ、顕幽の悪循環を断ち切る

霊的世界に移行後さほど時間がたっていない霊の場合や、物質臭が極めて強い幽界の底辺部分で生活する霊にとっては、同じような“受け皿”を持った地上人には親和性から影響力を行使しやすいという特徴がある。なぜなら長年に亘って形成されたマイナスの性格傾向は、その人の潜在意識にパターン化されて組み込まれているから。

死後間もない霊や幽界の底辺部分にいる霊と地上人との間に、共通の文化・思考法・似たような地上体験などがあれば、憑依は殊更に簡単に行えてしまう(→地上的な習慣はパターン化されて潜在意識に組み込まれるため、いまだ霊的自覚が芽生えない霊界人の表面意識に色濃く残っているから)。

 高級霊は「地上の罪悪と悲劇の多くは邪霊が同種の人間に働いた結果に他ならない」(霊訓下156②~③参照)ので、その「悪循環を断ち切る方法は人類全体の道徳的意識の高揚と物的生活の向上に俟つほかない」(霊訓上50②~③参照)と述べる。

その為には地上においては霊的知識の普及活動(→各種講座・勉強会・読書会など集団を通して、または個々人に対する個別対応を通して普及させる)と、学んだ知識を日常生活に活用する各自の実践活動が求められている。これらが“車の両輪”となって、悪しき連鎖(→邪霊の影響下に置かれたり憑依現象が発生したりするなど)が断ち切られて行く。地上の問題を根本的に解決するには、個々人の意識の変化が喫緊の課題となっている。

 

7、講座に寄せられた質問

①、質問その1

<質問>「類魂について知りたいです。今の人生で関わっている人々と何か関係が有るのでしょうか。また旅先で非常に心惹かれる場所や出会う人もヒントになるのでしょうか」

<回答>

ア、類魂とは

 

A、霊的グループ

霊界(狭義)では霊的レベルが同一で、しかも完璧な親和性を持った霊たちは「類は友を呼ぶ」「似た者どうしは自然と寄り集まる」という形で霊的グループを形成している。このグループを「霊的家族」または「類魂(グループ・ソウル)」と呼んでいる。幽界の「虚の世界」を卒業して、霊界の「実相の世界」へ移行した“私”は、自動的に「霊的家族(類魂)」のもとに引き寄せられる。この“私”という意識(=霊的な心、本来の私という意識)の中に、地上時代に形成された「地上的人格(=地上的自我意識、物的な心)」が溶け込んでいる。

 

B、地上体験を持ち寄る

霊界では「霊的家族(類魂)」は各メンバーそれぞれが地上体験を持ち寄って、一つの大きな意識(=類魂意識、拡大した私という意識、イラスト右の意識)を作っている。各メンバーはその意識を共有して、無数にある地上体験を相互にカバーし合って、共同して霊的成長を図っている。つまり「あなたの“物的な心”が地上で体験した出来事は、私の“物的な心”では体験していないが、そのあなたの体験は私の地上体験でもある」という意識状態を作って霊的成長をしていく。別の表現を使えば、メンバー自らの地上体験をそれぞれの“直接体験(→あなたの体験は私の体験でもある)”に変換する「意識の共有化」を行って、共有状態の意識を作り出す。このように特定のメンバーの地上体験をメンバー全員の“直接体験”に転換して、「霊的家族」全員が共同で霊的成長を図っていく(→それぞれのメンバーの“霊的な心”のレベルを向上させる)、類魂とはそのシステムのことを言う。

 そしてこの「類魂というシステム」によって、地上に再生して物的体験を積むことが霊的成長に不可欠な「地上圏(地上→中間境→幽界の下層界→幽界の上層界→狭義の霊界)」という霊的世界を卒業して行く。

 霊界通信では「類魂の一人一人が体験と叡智を持ち帰って」(個人的存在116④参照)とか、「それぞれの(ダイヤモンドの)面が違った時期に地上に誕生して他の面の進化のために体験を求める」(476⑧~⑨参照)などと表現されている。

 

イ、人生で関わりを持つ人や場所

A、アフィニティの場合

 

いわゆる「ベースとなる類魂」とは「霊的家族全員が共同で霊的成長を遂げて行くグループのこと(→イラストABCD・・・)」。このグループから同時期に地上に生まれ出て体験を積むのは一人のみなので、同一類魂の構成員であるABが地上で同一時期に出会うことはない。

例外的に「アフィニティ(双子霊・ツインソウル)」と言う同系統で親和性が極めて強い関係にある魂がある。これは二つの人格は一つの魂の半分ずつというケースである(→イラスト右のA1A2)。シルバーバーチは「別々の人間でありながら一個の魂の半分ずつ」(10117③~④参照)、「(アフィニティは)一個の魂が半分に分かれた存在で、二つが同時に地上へ誕生することがある」(10136⑦~⑧参照)と述べている。言いかえれば個別霊Aの地上的人格A1A2は、肉体的には別々の人間でありながら一個の魂の半分ずつと言うことになる。地上に誕生した「男女一対魂」をツインソウルと言う。

 

B、何らかの因縁がある場合

 しばしばあるケースとして、前世での何らかの縁がお互いを引き付け合う親和力(因縁)となって、親しみを感じたり(→前世でお世話になった)、排斥し合ったりする関係(→前世で傷つけあった)へと発展する場合が考えられる。

 

C、デジャブの場合

また「初めて見る場所や光景であるのに、以前見た経験があるという思いにとらわれること」を“デジャブ(既視感)”という。このデジャブをスピリチュアリズム的に解釈すれば、睡眠時において幽体離脱してある光景を見た、その記憶が蘇ったというケース。さらにはその人は忘れてしまったが、潜在意識の中にある“今生の記憶の層”に蓄えられている過去の記憶が、何らかの形で再現されたケース等が考えられる。前世の記憶の再現といったケースは極めてまれな例であると思われる。

 

②、質問その2

<質問>「憑依現象について。地上的な名声や権力に固執する霊に憑依されることによって、他者から見れば非常に嫌な人間が社会的地位と金銭的な幸運に恵まれることがあるのでしょうか」「血縁者にそのような人間がいて、周囲の人間が精神的苦痛と金銭的不利益を被っていても、ひたすら忍従すべきでしょうか。因果律に則り、きっと行動の報いを刈り取る時が来る、私は菩薩道を実践していると心底思えればよいのでしょうが、私は未熟者なので、自分の怒りや憎しみを無視しているだけの自己欺瞞ではとも思います。自分も過去、こういった人生で他者に迷惑をかけたのかもしれないと忍従していれば許容できるようになるのでしょうか」

<回答>

ア、憑依現象について(質問の前段部分)

霊的世界に移行後さほど時間がたっていない霊や、物質臭が極めて強い幽界の下層界にいる霊にとっては、同じような“受け皿(→例えば自殺願望を持つ者は自殺霊を引き寄せる)”を持つ地上人には影響力を行使しやすい。

 他界霊は「霊的自覚」が芽生えるまでは、生前の「社会的な名声や権力に固執する」と言った性格傾向をそのままの状態で有している。そのような他界霊は親和性から、今を生きる“名声や権力に固執する地上人”に対して、霊の世界から影響力を行使している。

 霊からの影響力の行使によって、実力が伴わずに一時の波に乗って“社会的地位や金銭に恵まれた人”が、スキャンダルで転落するとか破産するなどと言った話題を、私たちは時々見聞きすることがある。本来“社会的地位や金銭”は自らの魂を磨くための“磨き粉”だと割り切った人生を送れば、低級霊の策動と思われる“どんでん返しの様な人生”には合わないと思われるのだが(→月の裏側の念写で有名な三田光一の“金塊引揚げ詐欺事件”参照、金塊引揚詐欺事件: スピリチュアリズム研究ノート)。

 

イ、カルマの解消の問題(質問の後段部分)

 背景には因果律の問題が絡んでいると思われますが(シルバーバーチは地上でもあるいは霊界でも偶然にそうなったというものは一つもありません。因果律は絶対であり、ありとあらゆる出来事を規制していると述べる:1180⑤~⑦参照)、迷惑を受けている人は相手の理不尽さに唯々諾々として従う必要はないでしょう。言うべき事、主張すべき事があればそれを相手にきっぱりと伝えるべきでしょう。それをしないと自分の精神が病んでしまいます。そういう悪戦苦闘する中で自らのカルマが消えて行くものだから。

 周囲の人間に対して「精神的苦痛と金銭的不利益」を与えている者が近親者の場合には、理不尽さに異議を唱えながらも何らかの形で手を差し伸べてしまうこともあるでしょう。この被害を受けている人の“もがき苦しみ”が自らの霊的負債の返済に繋がっていると同時に、意図せずにプラスのカルマ(→近親者として何らかの形で手を差し伸べてしまうという状態)を積むことにもなるということです。物事には必ず二面があります。難しい問題ですがシルバーバーチの立場からこの問題を考えると上記のようになります。

 

③、質問その3

<質問>「幸せとは何でしょうか」

<回答>

 「幸せ」とは相対的な表現です。現在「幸せ」と思っていたとしても、状況が変われば「幸せ」とは思えなくなるでしょう。幽界の下層界に広がる「天国・極楽といったエリア」で生活する霊は、自分の思いが何でも叶うので正に「幸せ」そのものです。しかしそのような霊にもいつかは「霊的自覚」が芽生えて来て、現在の境地が「幸せ」と思えなくなる時期が必ずやってくるものです。

霊は「霊的自覚」が芽生えて来ると「霊的本能(=霊的な心に潜在している“神の分霊”を顕在化して行くこと、イラストABCDEへ)」に従った生き方をしていくもの。その右肩上がりの霊的進化の過程で一瞬立ち止まって現在地を見て「幸せ」と感じるもの、その到達点も明日になれば自分の未熟さが見えて来て「幸せ」とは思えなくなるものです。

 

④、質問その4

<質問>「高級霊とはどのあたりにいる霊のことか」

<回答>

 高級霊という言葉は相対的な表現です。人によって定義がバラバラです。少なくとも高級霊と言うからには「霊的自覚」を持ち、意識の指向性が“上(霊性向上)”を向いている霊であり、霊格が自分より高い霊ということになるでしょう。

 類魂(霊的家族)とはグループ全員で地上体験を持ち寄って(→共有体験という形で)、共同して霊的成長をしていくシステムのこと。個別霊はこの類魂というシステムを使って、再生して物的体験を積むことが霊的成長にとって不可欠な界層の「地上圏(地上→中間境→幽界の下層界→幽界の上層界→狭義の霊界)」を卒業して行く。シルバーバーチは地上に再生する必要がなくなった「地上圏」を卒業した霊なので、当然に高級霊である。

いまだ再生が必要な成長レベルに留まっている霊の場合には(→「地上圏」を卒業していない霊)、高級霊とは一般に霊性レベルが自分より高い霊を指すことが多い(→相対的な表現だから)。

 

⑤、質問その5

<質問>「支配霊について」

<回答>

支配霊とは「交霊会における霊界側の司会者」とされる霊、または「霊団全体の指揮に当たる霊」(7176⑫~177③参照)のこと。交霊会が円滑に進行するように働く霊のことで、死者との交信を目的とする交霊会や諸々の霊媒現象の生起に携わる特別な霊能者に憑く。すべての霊能者の背後に支配霊がいるわけではない。

なおスピリチュアリズムの普及という特別な使命を持ったシルバーバーチは「シルバーバーチ霊団」全体の指揮に当たる霊なので「支配霊」という表現になる。シルバーバーチの役割から見て(→シルバーバーチよりも高い霊のマウスピースとなって霊的知識を普及させるという役目)当然にバーバネルの守護霊よりも霊性レベルは上。

 

⑥、質問その6

<質問>「一般の人の背後霊と霊媒体質者の背後霊の違い」

<回答>

ア、ハイリスク・ハイリターンの再生人生

 霊能者(霊媒体質者)とは地上人生に於いて、一般人よりも多くの利他的行為ができる能力(→霊力の通路となる能力)を与えられた者である。スピリチュアリズムが目指している世界(地上天国)の招来に果たすことのできる役割は、一般人に比べても格段に大きい。

 再生に際して「霊能者(霊媒体質者)」という特別の能力が与えられたということは、一般人よりも遥かに責任が重いということである。今生に於いてその霊的能力を“世のため人のため(→霊的成長が促進する)”に使わずに、私利私欲に使ったり煩悩まみれの生活を送ったりすれば(→霊性の停滞が発生する)、死後その行為に対して重い責任を問われることになる。

現状は霊的能力を何ら開発もせずに死蔵したり、私利私欲の為に使ったりと、本来の使用法から外れた霊能者(霊媒体質者)が圧倒的に多い。このような者は死後に於いて厳しく責任を問われることになる。いわば“ハイリスク・ハイリターン”の人生、つまり物的誘惑の多い霊能者としての仕事を無事にやり遂げれば大きな霊的成長がもたらされ(ハイリターン)、常に付きまとう低級霊や邪霊の策動に乗った人生を歩めば長期間の霊性の停滞が待ち受けている(ハイリスク)、極めてリスキーな再生人生を自ら選択したということである。

 

イ、霊力の通路としての影響力の違い

シルバーバーチは“霊力の通路”として、霊能者が果たす役割の重要性をしばしば強調して述べている。霊能者も一般人の男女も「霊界側の真理普及の計画」を推し進める際に、霊力を地上に降ろす際の“手足・通路”となりうることには変わりない。しかし役割や影響力という観点から見ると両者には大きな違いがある。なぜなら霊能者がいなければ霊界から地上に霊的教訓を降ろすことや、霊的証拠を提示することができないからである。

 

ウ、戦車と歩兵の違い

霊力の通路となりうるのは、霊能者(以下、戦車に例える)だけに限らず当然に一般人の男女(以下、歩兵に例える)も成り得る。両者の大きな相違点は霊力の通路としての影響力の違い、つまり「戦車」の砲塔から放たれる弾丸の破壊力(影響力)と、「歩兵」が持つ小銃の破壊力(影響力)の違いだけである。

シルバーバーチは「霊媒というチャンネルが増えれば増えるほど霊的真理という活力あふれる水が地上へ流れ込む」(2182⑮~183①参照)と述べているが、これはスピリチュアリズムの普及運動において重要な役割を演ずる「霊能者(戦車)」を、「一般人の男女(歩兵)」以上に強調して述べただけである。

 

エ、「霊力の通路」に応じた背後霊が憑く

 背後霊は地上人の霊的進化に見合った霊が霊的親和性から、人間を指導する目的で、または自身の霊的向上の為の必要性から援助している(霊訓上30⑫~⑬参照)。地上に戻ってくる霊は、地上の人間と連絡が取りやすい幽界にいる霊である。その中で一般人の場合には、主に「霊的自覚」が芽生えた幽界の上層界にいる霊が指導や援助を行う目的で降りてくる。

高級霊の場合は霊能者(霊媒体質者)に必要に応じて憑く(霊訓上31⑧参照)。なぜなら霊媒の霊的能力を通して地上世界にスピリチュアリズムを普及することができるから。当然に霊的能力を私利私欲に使う者や死蔵する者には高級霊はつかない。その者の霊性レベルに見合った霊が背後霊として憑く。別の問題として霊的能力の使用法如何によっては、一般人以上に霊能者は低級霊や邪霊の影響力を受けやすい(ハイリスク)という問題もある。

 

第3講、基本的な霊的法則、霊界の住人たち(2023年)

<目次>

1、スピリチュアリズムの「神観」

・神と顕現する場の関係

・神と人間との間に摂理が介在する

・霊界人の神観

2、基本的な霊的法則

・因果律

・一般的な愛

・親和性

・自由意志

3、見えない世界の霊的存在とは

・「天使的存在」と「人間的存在」

・霊的世界の主な住人たち、その1

・霊的世界の主な住人たち、その2

4,講座に寄せられた質問

 

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1、スピリチュアリズムの「神観」

①、神と顕現する場の関係

ア、全ての存在に宿る

シルバーバーチの「神観」は唯一絶対的な創造者である「神」あるいは「サムシング・グレート(偉大なる存在)」が宇宙を創ったとする「有神論・創造説」(注1)の立場に立つ(1196⑤、3184⑪~⑫参照)。この「創造主としての神」の立場から、被造物のすべてに創造者である神が「宇宙の隅々まで行き渡っている」とする。

シルバーバーチは「神は全生命に宿っております。全存在の内部に宿っております。全法則に宿っております」(5140⑪参照)と述べる。これは創造者である神と同質の霊が、個別霊の場合は“神の分霊”という形で、その他の場合は“霊(根源的素材たる普遍的要素としての霊)”という形で、神が顕現する“場(意識、魂)”とワンセットになって、全ての存在の内部に組み込まれていることを意味する。

 

イ、神の愛(普遍的な愛)

神は人智を超えた何らかの意図(設計図)によって宇宙を創った。神は宇宙にある全ての存在が自力によって「愛、慈悲心、寛容心、公正」などの“神の属性(完全性)”を100%支障なく発揮できる様な仕組み、つまり霊的法則を創った。

このように神の意図(設計図)が最初にあって、その意図を実現する為に“神の愛”がある。この“神の愛”を隈なく全存在物に行き渡らせるための手段として“摂理(霊的法則)”は存在する(→万物が自力で霊的成長する為の公平な仕組み、その仕組みの背後に愛がある)。ここから「神の意図(設計図)→神の愛→摂理(霊的法則)→全存在物」という関係性が見えてくる。なおシルバーバーチは「神は無限なる愛」(6153①)であり「愛とは摂理のこと」(8126⑪~⑫)と述べている。

このような形で創られた宇宙には“神の愛”が「普遍的要素としての霊(=霊的エネルギー)」に姿を変えて遍満している。この“霊力(=霊的エネルギー)”が霊的法則の作用によって、遅かれ早かれ宇宙の隅々にまで過不足なく及んでいくことになっている。その時の宇宙の姿は“神の属性(完全性)”が100%発揮された“完成された世界”となるであろう。

 

ウ、“神の分霊(霊)”と“場”がワンセット

A、個別霊の場合

人間たる個別霊にも“神の分霊”と神が顕現する“場”(→場とは「本来の私という意識」や「霊的な心」のこと。この顕現の度合いに応じて霊性の高い人や霊性の低い人“が存在する)が、自我の本体にワンセットになって組み込まれている。その“場”に於ける顕現状態は個々人によって異なっている。“場”に内在している“神の分霊”の顕現の度合いが高い霊とは、神の属性(→親切、同情、慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善、愛など:1巻19⑧~⑨、1巻155①~②参照)が形体からより多く、オーラという形で滲み出ている高級霊である。低ければ「残虐性、野蛮性、傲慢さなど」が形体からより多く滲み出ている低級霊である。

霊界ではそれぞれの霊は「意識の進化(→顕現する場・本来の私という意識・霊的な心に潜在している神の分霊が少しずつ表面に顕在化して行くこと)」に見合った形体をまとう。そして同一レベルの形体をまとった霊は親和性から集まって環境を形成するので「意識=形体=環境」という関係になる。霊界には意識の進化状況に応じて環境(=界層)は無限に存在する。必ずしも4界(物質界、幽界、霊界、神界)または7界(物質界、アストラル界、メンタル界、ブディー界、アートマ界、モナド界、ロゴス界)と言う訳ではない。

 

B、動物の場合

「神は全生命に宿っている」(5巻140⑪参照)ので当然に動植物にも宿っている。動物の場合では“集合魂(→イラストの升が神の一部である普遍的要素としての霊が顕現する場所となる集合魂)”に潜在している“霊”の顕現度合いが相対的に高ければ、その集合魂から派生する“個々の意識(イラスト、Aのエッセンス部分)”がまとう物的形体(イラスト、Cの物的身体)は、より個別化が進んだ高等な動物となる。そして長い年月の末に意識は類魂意識(グループ・スピリット)を持つまでに進化して、地上世界で“個々の意識”がまとう形体は哺乳類となる。

これに対して集合魂に潜在している“霊”の顕現度合いが相対的に低い場合は、集合魂を構成する“個々の意識(イラスト、Aのエッセンス部分)”がまとう物的形体は、生物学でいうところの「進化体系(人間→哺乳類→鳥類→爬虫類→両生類→魚類→昆虫→単細胞生物)」の中で“低いランク”の形体をまとうことになる。

 

C、自然界の場合

「神は全存在の内部に宿っている」(5巻140⑪参照)ので、当然に自然界の中にも“神の一部である霊”と神が顕現する“場”がワンセットになって組み込まれている(→シルバーバーチの神観は設計者である神は万物の外にいるとする有神論の立場、神と被造物とは同一とする汎神論とは異なる)。

顕現度合いが低ければ、地球の誕生当時に見られたように自然は大規模な噴火・嵐・地殻変動などを伴った荒々しい表情を見せることになる。物的地球は誕生して以降も進化し続けている。現在では荒々しい自然現象の頻度は太古に比べて低くなっており、穏やかな表情を見せている。

このような自然界から、人はその背後に潜在的に宿っている“神の一部である霊”の存在を感じ取り、畏敬の念を抱くことになる。自由意志を持った人間世界とは異なって、自然界からはストレートに神の存在を感じ取ることができる。それが自然崇拝へと繋がった。なお動植物の世界では個体の行動や存在それ自体に本能が作用している。そのため本能が作用している分だけ、個体からは神の存在をストレートに感じ取れない。

 霊的世界は神の被造物である全存在の内部に潜在している“神の一部である霊”が、顕現する場に顕在化している割合に応じたヒエラルキーの世界となっている。大まかにいえば「人間→動物→植物→自然」という階層構造となっている。

 

②、神と人間との間に摂理が介在する

ア、公平性の確保

創造主である神は人智では知り得ない“何らかの目的(神の意図・設計図)”のもとに宇宙を創り(→それ故に神は宇宙の外にいる)、統治する手段として摂理(→自然界を支配している理法や法則のこと)を創った。シルバーバーチはたびたび「摂理の神」(福音47⑫参照)を強調する。図式的に言えば「神→神の摂理⇔万物」となる。この神観では神と人を含む一切の万物は直接相対することはなく、両者の間には必ず「神の摂理(法則)」が介在する。神は摂理の裏側に隠れる形で存在することになる。

摂理が介在することによって万物を分け隔てなく平等に扱うことが出来るので御利益信仰は起こりようもない。なぜなら何人たりとも「神の摂理」に則れば霊的成長がもたらされ、逆らえば霊的成長が損なわれることになるからである。いわば「神の摂理」という川の流れに沿って生きるのか、それとも逆らって生きるのか。そこには各自の自由意志が介在する。

 

イ、人格神の否定

シルバーバーチは、神は人間的憤怒に動かされるような人間的存在ではない(372⑨~⑩参照)とか、「生身の一個の人物を絶対服従の対象としてはいけない」(386⑫参照)、神は個的存在ではない、人物的存在でもない(11108①参照)と述べて、現人神や人格神を否定している。

さらに「大霊(神)による直接の関与などというものは絶対にありません。あなた方が想像なされるような意味での人間的存在ではないのです」(到来46⑩~⑪参照)と述べて、神が法則を介さずに直接関与する形態(神⇔人間)を否定している。

 

ウ、「神⇒摂理(法則)⇔人間」の関係

 神と人間との関係は「神とは法則なのです。あなたが正しいことをすれば、自動的にあなたは自然法則と調和するのです」(779⑫~80②参照)と述べているように、神は法則を介して人間に働いている。図式的に言えば「神⇒摂理(法則)⇔人間」となる。

シルバーバーチは「摂理の神」を前面に出すことによって、奇跡や依怙贔屓等による例外規定は一切存在せず、人間を含めた万物に公平に神の愛が行き渡ることになると説く。このように人間側から見れば神は法則として現れるので(→法則の裏側に神がいる)、「神は法則です」と述べたまで(→神は全法則に宿っている:5140⑪参照)。

 

エ、祈りと摂理の関係

上記のような「神⇒摂理(法則)⇔人間」という神観が普及することによって、多くの信仰者が抱いている“神と人間が直接相対する神観”から生じる「神との取引」という行為。例えば高価な供え物をすることによって神の加護が増すという神観(→人身御供・生贄など)は誤りであることが明らかになっていく。

このようにして霊的摂理が普及して霊的観点から見た“本来の神観”が理解されるに伴って、従来の“御利益信仰的な神観”(→長時間祈りを捧げることによって願望が叶うなど)は質的に変革されることになり、地上世界が大きく変わっていくことになる。

人が何を信じようと、どのような信仰対象を持とうと、その対象に対して何を祈ろうと本人の自由だが、祈りが霊的摂理に合致していなければ叶えられない点だけは事実である。霊的真理が普及していくに従って、この点が明確となって行く。

 

オ、「祈りの対象」と「忠誠を捧げるべき対象」の違い

シルバーバーチは祈りの対象は神であると述べる(11113⑩~⑪参照)。なぜなら祈りとは、神の分霊である自己とその始源との一層緊密な繋がりを求めるための手段であるから(12125⑪参照)。従って神の使者である高級霊やイエスを祈願の対象とするのは間違いとなる(語る159⑦参照)。

 これに対してシルバーバーチは忠誠を捧げるべき対象は「宇宙の大霊すなわち神と、その永遠不変の摂理」(メッセージ165⑮~⑯、7207③~④参照)であると述べて、祈りの対象とは区別して用いている。なぜなら祈りの照準は当然に「神」でなければならないのに対して、個別霊が永遠の旅を続けていく為には「流れに乗る」という意味で「摂理」に合わせる必要が出てくる。そのため忠誠の対象として「神」に「永遠不変の摂理(統治の手段)」が加わった。

 

③、霊界人の神観

ア、神はその働きによって知るのみ

肉体をまとった状態では直接に神を認識することは不可能である。一方霊界人にとっても神はその働きによって知り得るのみである。シルバーバーチの霊性レベルでさえも「私はまだ宇宙の最高の顕現を見たと宣言する勇気はない」(6128⑨参照)として、高級霊でも“神(→宇宙の最高の顕現)”を見ることはできないと述べている。

 

イ、比喩「曇り空でも太陽の存在は感じられる」

モーゼス著『霊訓』のインペレーター霊によれば「(地上にいた時より)神については(多くを)知ることを得た。が、神そのものを直接には知りえぬ」「われらにとっても神はその働きにより知り得るのみ」(霊訓上38⑬~⑮参照)と述べる。さらに「たとえ(神を直接に)拝したことはなくとも、われらはその御業を通じて神の奥知れぬ完璧さをますます認識する」「われらは無数の方法で、その存在を認識する」(霊訓下31④~⑥参照)という。

 一般に用いられている比喩を使って表現すれば、「雲が重く垂れこめた曇天の日や雨の日であっても、私たちは昼間の明るさを通して太陽の存在を実感として感じ取る。雲に隠れているから、雨が降っているからといって太陽は存在しないとは誰も言わない」。ここに出て来る「太陽」を「神」に置き換えれば霊界人の神観が分かる。

 

2、基本的な霊的法則

①、因果律

ア、因果律の目的は霊性の進化

辞典の記載によれば「因果律とは一切のものは原因があって生じ、原因が無くては何ものも生じないという原理」(広辞苑)とある。

シルバーバーチによれば「(因果律とは)原因はそれ相当の結果を生み、自分が蒔いたタネは自分で刈り取る」(182③~④参照)ことであり、数多くある霊的法則の中でも基本的な法則の一つである。さらに因果律の根本には霊性の進化という目的があるため(1180⑥~⑦参照)、高級霊といえども“原因と結果”の過程に介入することは出来ない(7186⑪~⑫参照)。また行為者は永遠の旅路のどこかの時点で、必ず「蒔いたタネの刈り取り」を行う。必ずしも短い「地上生活期間中に(因果律が)成就されるとは限らない」(1179⑪~⑫参照)と述べる。

 

イ、「因・縁・果」の関係

私たちの毎日は絶えず「原因」を作り、その「結果」を刈り取りながら生活をしているようなものである。何らかの摂理違反行為という「原因」を作れば、それは本人自身が必ず返済していかなければならない(→例:暴飲暴食はやがて体の不調となって表れる)。その返済方法は条件(縁)に応じて異なるが。

 シルバーバーチも条件(縁)については「種を蒔きさえすれば芽が出るというものではない。芽を出させるだけの養分が揃わなくてはならない。養分が揃っていても太陽と水がなくてはならない。そうした条件が全部うまく揃った時にようやく種が芽を出し、成長し、そして花を咲かせる」(163⑫~64①参照)と述べる。

 このように宇宙は「原因と結果の法則(=因果律)」を基本として形成されているので、何らかの原因を作れば機械的に相応の結果が発生するのが原則である。しかし条件(縁)によっては表れ方(結果)が法則の範囲内で異なって出てくる(→水や光の当て具合で異なる)。

 

ウ、因果律は国家や民族に対しても働く

戦争や過去の植民地支配などによって引き起こされた行為は、当然に個人の集合体である国家や民族に対しても何らかの結果(→例:植民地宗主国に見られる負の遺産など)となって返ってくる(482①~②、433⑮~34①参照)。霊的摂理に逆らった行為を行えば、その行為の主体が「個人・集団・民族・国家」を問わず、いつかはその代償を支払わされることになるからである(語る93⑨~⑩参照)。

 

エ、複合的に働く因果律

各自は「民族・国家・地域・家など」、自分の周りで複合的に働くカルマを駆使しながら、自らが持って生まれてきたカルマの解消を図っている。

私がある国家や民族の下に生まれてきたと言うことは、その国家や民族が過去に作ったカルマを“大枠”として用いながら、その枠組みの中で自らのカルマの解消を図っていくということである。

民族や国家などの因果律の“大枠”による縛りの強弱は、一般には市井で暮らす庶民であれば影響は比較的薄いが、国家の意思決定の過程に直接携わる国家公務員や、国家を背負って他国で働く駐在員であれば縛りは強い。このように複合的に働くカルマを駆使しながら、自らのカルマの解消に努めると同時に霊性の向上を図っている。

例えば対外折衝という形で国家の意思決定に携わる国家公務員は、相手国との粘り強い交渉という“外交の場”を使いながら、自らが有するカルマの解消を図っていく。その他の国民は“重苦しい時代の空気(→例えばコロナ禍を生きる、近隣諸国との緊張関係の中で生きるなど)”を受忍するという行為を通して、その受忍の過程で自らが有するカルマの解消を図って行く。それと同時に過去に国家が作った“縺れた糸”をほぐしていくという形で。

 

オ、「因果律の拡張」と「業因縁の継承」について

A、「家(イエ)」と「家(家制度)」

日本に於いて見られる独特な因果律は、「仏教の縁起(因縁生起)」に「先祖崇拝思想」と「家の観念」が結びついて、国民の間に広く受け入れられてきたもの。この中の「先祖崇拝思想」は考古学の調査(→石と墓の配置など)から、既に縄文時代にはその痕跡が見られる。

古代より「家(イエ)」は家族生活の場であると同時に、社会の伝統的な構成単位である親族集団を指す言葉でもあった。このような生活の場や親族集団としての「家(イエ)」とは別に、「構成員の生死を超えて家産・家業・家名などの継承によって存続すべき家(家制度)」がある。

このような生活共同の単位としての「家(イエ)」が「家制度」という形で、社会の中に制度として組み込まれたのは比較的新しい。近年では「家」は家族と同義語と見なされる「家(イエ)」を指すことが多い。

 

B、「家制度」

江戸時代の「家制度」は「家禄制度」と結びついた武家階層や朝廷に仕える公家から始まり、徐々に豪商や豪農に広がったが、名家でもなく資産も無い大部分の庶民には初めから無縁な制度であった。それが明治31年(1898年)制定の明治民法によって、全国民を対象とした「家制度(=家族制度)」が創設された。これは戸主に家の統率権限を与えた制度で、古くからあった「家(イエ)」と言う家族集団を制度化したもの。明治民法の制定によって、日本における「家制度」は従来の「上層の家」から「庶民の家」へと拡大された。

この「家制度の拡大」につき著名な民法学者の中川善之助氏(1897年→1975年)は次のように述べている。「日本には二つの家族観がある」「一方に由緒正しき家系の名家名門である上層の『家』を基準に考えるもの、他方に戸主も家族も働いて共同生活をまっとうしている庶民の『家』を基準に考えるものがある」。

一般に「家の因縁」と言う場合の「家」とは、「構成員の生死を超えて家産・家業・家名などの継承によって存続すべき家(家制度)」を指すことが多い。このため「家」を「庶民の家」ではなく「由緒正しき家系の名家名門の家」という意味で、この立場から次に「家の因縁」を見て行く。

 

C、スピリチュアリズムから見た「家の因縁」とは

宗教では「先祖から流れてきている悪因縁は、身内の誰かが消さなければならぬ」として、この流れを断ち切るには「布施心が悪因縁を解消する最も良い方法」であると言われている。世俗的な心霊の世界でも、頻繁に「親の因果が子に報う(→先祖が犯した悪い行いが原因で、何の罪もない子がその報いを受けて不幸になる)」が説かれている。

 これに対してシルバーバーチは「原因を作った者は自ら償いをして刈り取る」という「自己責任の原則」(6巻58①~⑧、59⑫参照)を述べている。この「自己責任の原則」から見れば、孫は祖父が蒔いたタネ(原因)を祖父に代わって刈り取ることはできない。祖父が作った原因は祖父自ら何らかの形で、霊界でまたは再生して刈り取りをすることになる。

 孫は再生するに当たり、自身のカルマを解消するために日本という民族集団が有する大枠としてのカルマを使って、さらに「名門の〇〇家」に生まれて、この家に存在する“カルマの流れ”を利用しながら(→例えば代々の当主は極端な吝嗇家で傲慢な人であり、それによって作り出された家にまつわるカルマの流れ)、自分自身のカルマの解消をはかるのが最も適していると判断して再生したもの。血縁を重視して「名門の〇〇家」に再生したのではない。通常は祖父という霊魂と孫という霊魂の間には血縁関係はないから。

このように一般に言われている「因果律の拡張、業因縁の継承」は、シルバーバーチが述べている「各自が各自の人生の重荷を背負う(自己責任の原則)」という因果律の原則から見ると問題がある。

 

②、一般的な愛(利他的行為)

ア、愛の多様な形態

A、愛は全ての根源

愛は宇宙の原動力であり全ての根源となっている。例えばキリスト教文化圏では「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ福音書22㊴参照)という「隣人愛」があり、これが道徳・哲学・宗教等いずれの立場からも最も根源的な観念の一つとされている。儒教文化圏の東洋にも「仁(→血縁に根差す愛)」「仁道(→仁を無縁の人にまで広げていくこと)」「慈愛」といった観念がある。

シルバーバーチも同様に「愛が全ての根源です。人間的愛はそのほんのささやかな表現に過ぎませんが、愛こそ神の摂理の遂行者です」(1巻60⑭~61①参照)と述べている。霊界人が地上人に対して手助けするのも愛に根差しているから。このように愛は様々な形態の背後に存在しており、世の中の全ての根源となっている。

 

B、進化レベルの距離間に応じた「愛」の感じ方

一般にお世話をする者とされる者との“進化レベルの距離”が近い場合、例えばペットの犬や猫に対して、飼主が愛情を込めて世話をすれば、愛くるしい動作を伴った反応が返ってくる。お互いに「愛」を仲立ちとした良好な関係が築かれているから。

これに対して両者間の進化レベルの差が大きい爬虫類のトカゲや両生類のカエルをペットとしている場合ではどうか、当然に反応は鈍いであろう。さらに進化レベルに差がある昆虫の鈴虫の場合はどうか。飼主が与える餌や飼育箱の掃除・温度管理などの飼育環境の整備を鈴虫の視点から見れば、時間になると餌が出て来たり清掃されていたり、また温度が一定に管理されていたりと、鈴虫に感受性があれば一種の“法則性”として感じるのではないだろうか。

 このように人間と相手の“進化レベルの距離”が大きければ大きいほど、相手の受け止め方の違いは大きい。両者の距離の隔たりが大きいほど相手は人間の行為を愛情としてではなく、むしろ“無機質な法則”として受け取るのではないだろうか。

 

C、一本の線で「愛」を表現する

次に一本の線を引いて、線上の左端には物質性を帯びた究極の「利己的な愛(→束縛する愛、血縁や仲間重視の愛)」を置き、線上の右端には「利他的な愛(→与えるだけの愛)」の極致である“神の愛”を置く。ここでは「私」を起点にして、進化レベルの高い霊との関係で「私が感じる主観的な愛」がどのように変わっていくのかを見て行く。

この線上を物質性の濃い左端に行けばいくほど、「愛の表現」に利己性や特殊性が帯びてきて、そこに何らかの物質的見返りである「お金、モノ、保護などの対価」が伴ってくる。

一方右に行けば行くほど愛に内在するところの利己性や特殊性が薄れてきて、利他性が増して愛に普遍性が帯びてくる。受け取る「愛」の対象者も左端の「一対一」の特定の個人から、右端に行くに従って万人に、すべての生き物に、自然に、宇宙へと拡大して行く。

 

D、高級霊の「愛」

霊界通信で定評がある『シルバーバーチの霊訓』や『モーゼスの霊訓』を読んでみれば、高級霊の「愛」には普遍性が伴っていることが分かる。例えば人間の自由意志を尊重して「どうぞご自分の信じる道を歩まれるがよろしい」と突き放した言い方をする場合がある。

手取り足取り手助けしてくれるのが「愛」だと思っている、依存心の強い生き方をしている人にとっては、本人の自由意志を尊重する高級霊の「愛」からは一種の冷たさが感じられるのではないだろうか。高級霊レベルの「愛」でさえ、万人が等しく「愛」として感じるわけではない。さらに「超高級霊の世界」に行けば「愛」を受け取る対象がさらに拡大して、愛に内在する“規則性・公平性・普遍性”といった無機質さが前面に出てくる。

 

E、神=愛=摂理

線上の右端に位置する神は(→厳密には創造者であるため線上の欄外に置かれるが)、宇宙を統治する仕組みとして「神→摂理(法則)⇔万物」を創った。その仕組みの背後には、万物が平等に霊的成長を果たすための“究極の愛”が隠されている。なぜなら「(究極の)愛とは摂理のこと」「神そのものが愛」、すなわち「神=愛=摂理」だから(8126⑪~⑫参照)。このように考えると究極的な「愛」の表現は“法則”となっていく。

この“法則”として現われた「愛」が不完全な世界に行くに従って、“法則”の裏側に隠されていた温かみが表面に現われてきて(→愛する者と愛される者との距離が近くなるから)、次第に「愛」に個別事情と言った利己性や特殊性が帯びてくることになる。

 

イ、血縁重視の利己的な愛と利他的な愛

愛には普遍性を帯びた高い霊性を伴った愛から、血縁関係から発する“閉鎖的で内向的な愛”まで幅広く存在する。家族的な絆に根ざした血縁的な愛よりも「奉仕的精神から発動した愛」には、行為の純粋さが高い分だけ“神の属性(→愛・寛容さ・叡智・親切・優しさ・思いやりの心など)”がより多く顕在化している。なぜなら排他性を帯びた内向的愛よりも発展性がある外向的愛の方が、利他性指向が強い分だけ上だから(1145⑪参照)。

 

ウ、地上に通信を送る霊

シルバーバーチは次元の異なる地上に通信を送ることは、霊的波長から物的波長への切り替えを伴うことから「容易なことではない、(通信霊は)大へんな努力を必要とする」、そのため通信霊は必然的に「愛念を抱く者に限られる」(189⑨~⑪参照)と述べている。

このような困難を乗り越えて地上に送られてくる霊界通信の多くは、未だに意識の関心が地上に向いている物質臭が抜け切らない霊、物的波長に馴染み易い幽界の下層界に居住する血縁の霊からの通信である。ここに血縁重視の霊界通信が多くなる理由がある。

霊的自覚が深まるにつれて、霊には霊性レベルを向上させるという上昇志向が強まって行くため、次第に地上への関心は薄れて行く。そのため自覚が芽生えた霊からの通信は減っていく。傾向として地上への通信は、霊に何らかの使命がある場合に限られてくる。

 

③、親和性

ア、基本的な法則

A、最初の一歩は地上人が行動で示す

霊的摂理に「親和性の法則」がある。これは霊的成長度が同じで親和性を有する者との交流が日常的に行われている霊界では基本的な法則だが(最後啓示149①参照)、霊界とこの世との間でも「親和性の法則」は働く(5234①~③参照)。

 例えば人の為という利他的な願望は、自動的に同じ願望を抱く霊界人を引き寄せる(129⑤~⑦、217⑤~⑥参照)。そのプロセスを見ると、まず霊界人を引き寄せる為の何らかの“利他的な行動や強い思い”が地上人側に先行して存在する必要がある。最初の一歩は地上人側からであり「必要な条件を人間側が用意する」ことから始まる(2209⑨~⑫参照)。

なぜなら地上人の利他的な行動や思いに共鳴した霊界人が親和性によって引き寄せられるから。霊界人から見れば地上人の霊的成長度は霊体オーラから一目瞭然にわかるので、それだけの“資格”がなければ霊界人は引き寄せられない。これが基本となる。

 

B、何の為に霊界人は地上人を指導・援助するのか

 

地上人が人の為に行う利他的行為は、地上人のみならず霊界人にとっても霊性向上のチャンスとなるので、同じ願望を持つ霊界人を引き寄せることになる。なぜなら親和性によって引き付けられた霊界人は、地上人の“利他的行為を援助する”という行為を通して、自らの霊性レベルを引き上げることができるから。霊界人も霊性向上のため常に“人世のため”に働くことを願っている。そのため霊界人はたえず霊的エネルギーの“通路・道具”となる協力者を求めている。

宇宙に遍満している霊的エネルギーは他者に対する利他的行為によって(→行為者が地上人や霊界人を問わず)、行為者自身を通路として流れて行く。その際に必ずその一部が行為者に蓄積される。蓄積された霊的エネルギーは行為者の“本来の私という意識(霊的な心)”を活性化させて、その意識に潜在している“神の分霊”の顕在化を促進させるから。

 

C、「引き寄せの法則」の問題点

巷には「思いは現実になる」を応用して、これを「成功法則」とうたったセミナーや解説本で溢れている。それらには「お金の引き寄せ」「恋の引き寄せ」「思い通りの進学先や就職先を実現させる」等のタイトルが並んでいる。当然に引き寄せる対象は、物質性が強いこの世的なモノであり、それは本人自身の利己的な願望でしかない。

 利他的願望は霊性向上の為の動力源(→霊的な本能だから)となり、利己的願望は物的世界に縛り付けるという霊的摂理の原理から見ても、巷にあふれている「引き寄せの法則」には問題がある。そこには物的願望が叶えさえすれば良いと言う利己的思いが強くある。地上世界は霊性レベルを向上させるために物的体験を積むための「学校」と言った観点や、各自が遭遇する困難や障害は“魂の磨き粉”であると言った観点は全くない。

地上人が己の利己的願望達成の為に引き寄せる霊界人とは、親和性の法則から見て物質臭の強い低級霊や地縛霊(→いまだ死んだという自覚のない霊)である。引き寄せる人が霊的に敏感体質者の場合には、良からぬ影響を受けることがある。

 

イ、憑依(親和性の法則の一種、負の親和性)

A、意識の振れ幅

地上の人間の一日は、高尚な意識状態から動物性を過度に発現させた意識状態の間で、絶え間なく揺れ動いている。人の魂を揺さぶる行動や話を見聞きすれば意識は高揚する。これに対して過度のアルコール摂取は、自らの“理性の蓋”を開放して動物性を強く発現させることになる。

このように人間は意識の揺れ幅に応じて、あらゆる霊的レベルの霊からの影響力にさらされている。しかし「実際に引き寄せるのは自分と同じ霊格を持った霊だけ」(894⑭~⑮参照)であり、「両者の間に親和関係(→何らかの共通の受け皿)がある場合に限られる」(語る435⑦~436③参照)。例として自殺願望がある人は自殺霊を引き寄せるなどがある。

 

B、マイナス作用の親和性

親和性の法則には、原因があればその“原因の性質”に応じた「親しみ結びつきやすさ」という関係がある。原因を発する者の行為や言動に応じた霊界人が引き寄せられるという関係は憑依現象にも言える。なぜなら憑依現象は親和性が“マイナスの作用”となって表れたものだから。これに対し霊界人からの援助は親和性が“プラスの作用”となって表れたもの。

霊的世界に移行後さほど時間がたっていない霊や、物質臭が極めて強い幽界の底辺部分にいる霊にとっては、同じような“受け皿(→例えば自殺願望を持つ者は自殺霊を引き寄せる)”を持つ地上人には影響力を行使しやすい。長年に亘って形成されたマイナスの性格傾向は、その人の潜在意識にパターン化されて組み込まれている。死後間もない霊や幽界の底辺部分にいる霊と、地上人(→霊媒体質者に限る)との間に共通の文化・思考法・似たような地上体験などがあって、さらに“受け皿”が存在すれば憑依は殊更に簡単に行えてしまう。

 親和性があると言うことは人間の堕落した生活が同類の邪霊を引き寄せることになるので、人間の側から“餌(受け皿)”をまかなければ憑依は防げることになる(霊訓上48⑫~⑭、50⑥~⑧参照)。シルバーバーチは「自分は大人物であると思い込んでいる人間、大酒飲み、麻薬中毒患者などがこちらへ来ると、地上で似たような傾向を持つ人間を通じて満足感を味わおうとするもの」(5234⑦~⑨参照)と述べる。

 なおシルバーバーチは「調和のとれた生活、正しい心掛けと奉仕の精神にあふれた生活、我を張らず、欲張らず、独りよがりにならない生活を心掛けていれば、憑依現象は絶対に起きない」(語る436①~③参照)と述べる。

 

C、顕幽の悪循環を断ち切る

高級霊は「地上の罪悪と悲劇の多くは邪霊が同種の人間に働いた結果に他ならない」(霊訓下156②~③参照)ので、その「悪循環を断ち切る方法は人類全体の道徳的意識の高揚と物的生活の向上に俟つほかない」(霊訓上50②~③参照)と述べる。地上においては霊的知識の普及活動、そして知識を日常生活に活用する為の実践活動が、マイナスの連鎖を断ち切る為には喫緊の課題となっている。

 この地上人と霊界人の関係を物理の「音叉(おんさ)」の実験に例えて見れば良く分かる。固有振動数が同じ共鳴箱付き音叉を二つ用意して、片方を鳴らすと空気の振動を伝わって他方の音叉もなり始めるが、固有振動数が違う場合は共鳴しないという現象と同じである。

 

④、自由意志

ア、自由意志を使って霊性の向上を目指す

霊的摂理の中に「自由意志の行使」という法則がある。人間はロボットではないので、一定の枠組みの中で神からの授かりものである自由意志を有している(3162⑨、435④参照)。

これを用いて自らの判断で行為を行うことによって霊性レベルのアップをはかっている。当然にその使用法を誤れば霊性の停滞を招き、それ相応の責任が発生する(→マイナスのカルマの発生)。これは個人であろうと国家であろうと同様である。

 

イ、自由意志と宿命との関係

 

A、再生テーマの設定

しばしば自由意志と宿命との関係が問題となる。再生に際して「本来の私という意識(霊的な心、霊的意識)」は指導霊の助言を得ながら「出生に際してのテーマ(再生テーマ)」を設定する。テーマには二つの側面がある。まず「本来の私という意識(霊的な心)」に内在する“神の分霊”を意識の領域により多く顕在化させる為に「新たな地上体験を積む」という側面(→シルバーバーチは「潜在的大我の発達にとって必要な資質を身に付ける」と述べる:1109⑧参照)。次に「地上でしか償えないカルマの解消を図る」という側面がある。

 

B、「本来の私(という意識)」の自由意志

これらの「再生テーマ」を地上人生の中で達成するため、「本来の私という意識(霊的な心、霊的意識)」は最も適した「試練、寿命、性別、両親、体質など」を自由意志で選定する。なお過酷な体験の中で“再生テーマ”をクリアしていく道を選択した場合には(→ハイリスク・ハイリターンの道を選択)、当然に背負うハンディキャップは厳しいものになる。

 

C、「現在の私(という意識)」の自由意志

地上に誕生して肉体をまとうことによって、肉体本能に強く影響を受けた「現在の私という意識(物的な心)」が生まれる。この「現在の私という意識(物的な心)」は「本来の私という意識(霊的な心)」が自由意志で設定した大枠としての地上人生に沿って(→この大枠は現在の私から見れば宿命となる)、遭遇する試練に対して“現場サイドの自由意志”を行使しながら乗り切って行く(→運命づけられた一定のワクの中で自由意志が許されている:485①~②参照)。その過程で“再生テーマ”の達成を図っていくことになる。

 

ウ、自由意志の行使という二つの側面

自由意志の行使の問題は、まず「本来の私という意識(霊的な心)」が行使する側面(1109⑨参照)と、他方「現在の私という意識(物的な心)」が行使する側面の二方面から考察する必要がある。後者はいわば“現場サイドの自由意志”である(注2)。

 自由意志は「本来の私という意識(霊的な心)」が進化した分だけその行使範囲は広くなる(164⑩~⑫参照)。その結果として「現在の私という意識(物的な心)」が行使できる“自由意志(=現場サイドの自由意志)”の行使可能性の限界がそれだけ拡大する。

 

3、見えない世界の霊的存在とは

 霊的世界には他界した人間の霊以外にどのような霊が生活しているのか。以下項目ごとに見て行くことにする。

 

①、「天使的存在」と「人間的存在」

霊的存在には霊的成長に物的身体をまとって体験を積む必要がある「天体人・宇宙人」と呼ばれている「人間的存在(個別霊)」と、霊的成長に物的体験を不要とする「天使」と呼ばれている「天使的存在(個別霊)」という二系統の霊がいる。高級霊からの霊界通信ではこの分野に関しての情報は少ない。

 なおスピリチュアリズムでは高級霊という言葉を頻繁に使用するが、この言葉は相対的な表現である。一般には本人の生活面の指導を行って、霊的成長を支援する役割を持った霊界人を指すことが多い。

一般には“本来の私という意識”に潜在している“神の分霊(完全性)”の顕在化が高ければ、神の属性(→親切、同情、慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善、愛など:1巻19⑧~⑨、1巻155①~②参照)が形体からより多く滲み出ている高級霊である。これに対して顕在化が極めて低ければ「残虐性、野蛮性、傲慢さなど」が形体からより多く滲み出ている低級霊である。

シルバーバーチは「霊的進化の末に二度と地上世界へ生身に宿って戻ってくる必要のない段階まで到達した」(1112⑦~⑧参照)霊である。つまり「地球圏霊界」を卒業した霊なので超高級霊と言う表現になるが、煩雑になるので高級霊で統一した。

 

ア、天使的存在

A、霊的成長に物的体験は不要

個別意識を持った主な意識的生命体(個別霊)には、「天使的存在」(6巻163⑩、480②~⑦参照)と「人間的存在(→地球人を含む天体人、宇宙人のこと)」(語る202⑤参照)がいる。両者の違いは霊的成長に物的体験を必要とするか否かによって区別されている。

「天使的存在(以下天使と記載)」とは、個別性を特定の形体ではなく色彩や光輝で表現して、霊的体験を積んでいる個別霊のこと。霊的成長に物的体験を不要とする点に特徴がある(4巻80④~⑤参照)。なお天使とは「人間的存在」とは霊系が異なる自然霊のことで、高級な自然霊を「天使」と言い低級な自然霊を「妖精(精霊)」と呼んでいる。

 

B、「宇宙の経綸」の仕事

この広い宇宙には物的身体をまとって物的体験を積まなくても、霊的成長ができる天使が住む界層が存在する。これらの天使は一度も物質界に誕生したことがなく居ながらにして高級霊であり、宇宙の上層部に所属して「宇宙経綸の仕事(→霊的摂理の執行)」を担当している個別霊である(480④~⑤、新啓示124④~⑧参照)。

個別霊たる天使にも上級天使や下級天使など、霊的成長度に応じた階層構造的な序列がある。なお西洋人は「守護霊や背後霊」を天使と呼ぶ場合があるが、それらは過去に地球という物質界で生活したことがある人霊であって本来の意味での天使ではない。

 

イ、人間的存在

A、人間的存在が住む惑星

個別霊たる「人間的存在(天体人又は宇宙人)」は、霊的進化に“物的身体をまとって体験を積む”ことが必要な意識的生命体(個別霊)である。その為に形体は「霊的身体+中間物質の接合体(接着剤の役割)+物的身体」という多重構造となっている。なお「人間的存在」と言っても、物的身体が持つ物質性は各天体人の霊的進化によって異なっている。この宇宙には重い物的身体を持つ霊的進化の低い天体人(→地球人)から、希薄な物的身体を持つ高度に進化した天体人まで幅広く存在している。

宇宙には霊的進化に物的体験を必要とする「人間的存在」が住む天体(→惑星、恒星、衛星、彗星など)は数多く存在する(6170④~⑦参照)。地球以外の天体で生活する「人間的存在」の姿かたちは、個々の天体ごとに物的条件(→気圧、気温、環境等)が異なるため、普段私たちが見慣れている姿かたちをしているわけではない(6170⑧参照)。しかし意識的生命体(個別霊)であるという意味では、我々地球人と同じ組織的存在である(6170⑪~171①参照)。

 シルバーバーチによれば宇宙に数多くある人間的存在の住む天体の中でも、地球より霊性レベルが劣っている天体は一つだけであると言う(語る202⑤~⑦参照)。「人間的存在」の霊的レベル、つまり天体人の固有振動数に応じて意識がまとう物的身体の振動数に違いがあるため、霊的レベルの低い天体の住人(→意識の精妙化の度合いが低いので形体の振動数は粗い)は高い天体の住人(→意識の精妙化の度合いが高いので形体の振動数は細かい)の姿は見えない。

そのため霊的レベルの高い「人間的存在(→振動数が高い存在)」は一種の物質化現象によって、低い天体の住人(→振動数が低い存在)に姿を見せることになる。マスコミで時々話題に上がるUFOの問題も、このように物的身体を有する“人間的存在の振動数の違い”から考えて見ると理解できると思われる。

 

B、振動数の違い

霊界では低い振動数の界層に住む霊は、自分たちより一段高い振動数を持つ界層の世界に住む住人の姿は見えない(→この世に住む低い波長の肉体をまとった人間には中間境や幽界の下層界は見えないのと同じ)。このことから推測するに地球人が見ている宇宙とは、地球と同一振動数の宇宙、またはそれ以下の宇宙を見ているに過ぎない。なぜならより精妙な振動数を持つ進化レベルの高い人間的存在が住む宇宙は見えないから(→このことから宇宙には振動数に応じた無数の宇宙が存在することになる。最先端宇宙論では「パラレル宇宙論・並行宇宙論」が議論されている)。

今後、惑星探査が進展しても、地球人に見える範囲は当該惑星の低い振動数であった過去の世界の光景でしかない。地球人固有の霊的レベルを上げない限りは、現在の高い振動数を持つ天体人(人間的存在)の姿かたちは永遠に見えないであろう(→低い振動数の世界から高い振動数の世界は見えないから)。

SF映画で取り上げられる“宇宙人との遭遇”は、低い振動数を持つ地球人の都合からではなく、高い振動数を持つ天体人側の必要性から物質化現象によって実現するもの。

 

②、霊的世界の主な住人たち、その1

ア、各界の経綸を司る天使的存在

各界層における「霊的摂理の執行」は、界層担当の「天使的存在(以下天使と記載)」を通して行われる。例えば幽界に居住する霊が自らの自由意志で利他的行為を行えば、その行為に対して幽界担当の天使は霊的成長というプラスの評価を下す。それに対して利己的な行為を行えば霊性の停滞というマイナスの評価を下すことになるという具合に。

このような幽界に居住する霊の行為に対して、神の摂理に沿って何らかの評価を下すのが「宇宙経綸を執行」する幽界担当の天使である。なぜなら「無限の階梯の一つ一つの界層に神の意志の行使者が控えている」(霊の書213⑪参照)から。

 

イ、妖精(想念霊、原始霊)

A、想念霊としての妖精

低級な自然霊である妖精(精霊)は、天使の末端の仕事を受け持っている。天使は仕事を遂行する際に手足が必要となる場合は、その都度、想念(思念)で妖精を作り出す。天使によって創り出された妖精は「想念霊としての妖精(原始的精気)」と呼ばれる。

この点につき定評ある霊界通信には「自由意志もなく、何の目的なのかについての自覚もないまま大自然の様々な側面での現象の演出に携わっている」「指令を発する存在がいて、それに反応して働く存在(精霊)がいる」(霊の書214⑩~⑫参照)との記載がある。地球の進化のしるしである地震・火山の噴火・雷など(12109⑪~⑬参照)、自然現象の裏側でも妖精は働いている。

この「想念霊としての妖精」には人間とは異なって個別性や知性はなく、仕事が終われば霊の世界の大気中に融解して消滅する(コナン・ドイル著『妖精物語』コスモ・テン198頁~203頁参照、ドイルは霊視能力者のリードビーター主教の精霊研究を紹介している)。

これは霊界では想念(思念)で作られたものは本人がそれを必要だと思わなくなるまで存在し続け、不要となれば消えてしまうという原理があるから(500現地報告125⑩~⑬、330⑧~⑩参照)。

なおこの種の妖精には知性はないが「森の中や川辺、湖の近くなどで孤独を楽しんでいる人間に感情面での影響を及ぼすこともある」(個人的存在246③~⑦参照)。私たちは木立が発する香気を浴びることによって精神的に安らぎと爽快さが得られる。この森林浴の効果には「妖精が人間の感情面に及ぼす影響」が考えられる。

 

B、原始霊としての妖精

妖精には「想念霊としての妖精」の他に、天使や人間と同様に「個別霊」としての「半理知的原始霊」(彼方4巻278⑧参照)という妖精(精霊)がいる。この原始霊としての妖精(→実在の自然霊)は人間よりは進化の程度は低いが生命力を持った存在であり(最後啓示179⑫~180①参照)、鉱物の凝縮力として働くもの、植物の新陳代謝を促進するもの、動物の種族ごとの類魂として働くものなど、無数の分野の自然法則の運用に貢献している(彼方4巻278⑧~⑯参照)。

妖精(精霊)の中でも高級な原始霊は「デーバ」と呼ばれており、生命力を持った存在だが人間よりは進化の程度は低い。物理的心霊現象を起こす際には裏側で働いている(最後啓示179⑦~180⑦参照)。

前述のコナン・ドイル著『妖精物語』によれば、原始霊は各段階を経て“火の精”から“空気の精”に進化して行くという(前著200頁参照)。人間とは進化の系統が異なる存在であり、高級霊からの霊界通信でも情報が限られた分野である。

 

ウ、想念霊(思念霊)

霊の世界では思念は何らかの形体を伴って現実化する。思念で環境や客観的な存在物を作り出すことが出来る。この思念によって出現した“霊の分身”を想念霊と呼ぶ。この想念霊を作り出せるのは「天使的存在」と「人間的存在」だけである。

この世の人間も意識する意識しないに関わらず日常的に想念霊を作り出している。例えば恨みから他人を呪うとその呪いの念が想念霊となって、呪われた人の周りを取り巻くことがある。呪われた人が霊的に敏感体質者であって、なお且つ何らかの親和性や“霊的な受け皿”があれば呪った人の念(→呪った人が想念で作った想念霊)の影響を受ける。

人間の強い思いが想念霊を作り出すという現象は、宗教や信仰の世界ではしばしば見られる。信心深い人が自分自身の想念で作り出した“神仏の姿(想念霊)”や“イエスの姿(想念霊)”を(到来236⑫~⑭参照)、本人自身が見て驚くと言った現象が時々話題となる。

 

エ、人間に愛された動物

数多い動物の中には人間と接触することによって、人間らしい個性的な意識を表現する個的存在(ペット)がいる(589⑪~90⑬参照)。それらは人間の愛によって死後一時的に個別意識を持ったままでの存続が可能となった動物である。

このような人間に愛された一部の動物は死後、幽質をまとって生前の形体を維持しながら(8185⑬参照)幽界の下層界で飼主と一緒に生活することができる(8巻187⑦~⑨、個人的存在247③~④参照)。しかし幽質をまとった存続は一時的なものであり、ペットの霊はやがてその動物の出身母体であるグループの中に融合して個性を失っていく(591⑪、8206⑤~⑥参照)。融合したペットはグループの進化に貢献したことになる。

 

③、霊的世界の主な住人たち、その2

ア、守護霊

A、誰にでも必ず一体の守護霊が付いている

人間には全員に守護霊が一人(→守護霊は生涯変更なし)、受胎(→受精時:453⑩~⑪参照)から死の瞬間まで(1巻179③参照)、あるいは地上に誕生する前から付いている(1179②~⑨、10138⑪参照)。守護霊は個人でも集団でも守護される側の霊格にあった霊がつく(霊の書208⑧~⑪、210⑤~⑨参照)。

人間と守護霊との関係は、原則として霊的親和性によって結びつくが、例外として血縁関係による結びつきも存在する。シルバーバーチは「(人間と守護霊の関係は)霊的親和性による結びつきです。たまには血縁関係が縁になることもありますが大部分は、血縁はありません」(道しるべ228⑤~⑫参照)と述べる。

多くの場合「守護霊は再生する前まで顔見知りの間柄」(霊の書208⑦参照)にある霊である。ここから守護霊は同じ類魂のメンバーという説が有力に主張されている(スピリチュアリズム普及会発行『続スピリチュアリズム入門』35⑩参照)。

守護霊は本人の特質を見極めた上で、本人の霊的進化に最も適した形で任命されて付く(道しるべ230⑬~⑭参照)。守護霊も霊的に進化するために本人との間に霊的な関係を持つことになる。

両者の関係をリング上で闘う“ボクサーA(再生霊)”と、リングサイドで闘いを見守る“セコンドB(守護霊)”に例えて見れば、両者の関係の一端が理解できると思う。Aは闘いの相手の一挙一動に全意識が集中しているため、巨視的に闘いの全容を見ることが出来ない。しかしBは介添人という立場で、闘い全体を俯瞰できる位置にいる。そのためAに対して的確な支援ができる(注2)。

 

B、霊的回路を敷設する

守護霊はその人間が辿るべき道をあらかじめ分かっているが(1179⑥~⑦参照)、人間側から両者間に“磁気的な回路”を敷設しておかなければ(→日頃から思念を守護霊に向けるなど)、守護霊は影響力を行使できない(2209⑥~⑬参照)。

両者の結びつきが強いほど守護霊は両者間に敷設された“磁気的な回路”を通して強い影響力が行使できる(道しるべ228⑪~⑫参照)。しかし多くの人は霊的世界を信じていないので、守護霊との間には“磁気的な回路”は敷設されていない。その為に守護霊は霊力の行使に苦労しているのが現状であるという。

このことに関してシルバーバーチは「守護霊の働きかけを全く感受できない場合は、霊力を使用して外部環境から操作せざるを得ない」(到来33⑨~⑬参照)と述べる。この「外部環境から操作する」とは、本人の血縁者などが有する磁気的回路(愛の絆)を守護霊は一時的に借用して、このルートからインスピレーションを送って導くことが考えられる。

 

C、日本的な霊魂観に立った「守護霊説」批判

日本的な霊魂観に立って書かれている『心霊科学入門』(板谷樹・宮沢虎雄共著、日本心霊科学協会発行)では「(守護霊は)多くの場合300年~700年前他界した祖先の霊魂で、男には男の守護霊が、女には女の守護霊が付いている」(前著188頁参照)とある。この日本的な「守護霊説」には次のような問題がある。

 

<問題点①、原則として霊的親和性、例外として血縁関係>

守護霊は原則として霊的親和性によって付く。上述したようにシルバーバーチは「(守護霊は)霊的親和性による結びつきです。たまには血縁関係が縁になることもあります」(道しるべ228⑤~⑫参照)と述べている。

 

<問題点②、男には男の、女には女の守護霊が?>

霊は性交によって子孫を作る必要はないことや、男女の性別は「地上人生のテーマ(→地上でしか償えないカルマを解消することと、新たな地上体験を積むことの二点)」達成に最も適した性を“私(→本来の私という意識、霊的な心)”が選択する、この点から見ても霊には性別はない(→今生は男で生まれ、来世は女で生まれるなど、良くあるパターン)。

シルバーバーチは「霊の世界では界を上がるにつれて男女の差が薄れていく」(4巻141⑬参照)、またマイヤース霊も「魂には女性も男性もない、つまり性別はない」(個人的存在105⑬~⑭参照)と述べている。地上的な習慣を色濃く残している幽界の下層界を離れるに従って、霊的自覚の芽生えに伴って次第に地上的な観念や習俗から離脱して行くので、男女の別はなくなっていくから。

 

<問題点③、通信は霊媒の潜在意識を使って送られるから>

霊界通信は霊媒の潜在意識にある用語を使って地上に送られる(個人的存在20⑪~21④参照)。そのため通信霊と霊媒のオーラの融合具合によっては、霊媒の潜在意識にある“色”が付着した通信となってしまう(→ホワイト・イーグルの通信はキリスト教と神智学の影響が強い、オーエン著『ベールの彼方の生活』はキリスト教の影響が強いなどが好例)。

霊媒の固着観念に日本的な霊魂観が強く染みついていれば、その“色”が強く表に出てきてしまう。このような点から見ても日本的な霊魂観に立った「守護霊説」には問題がある。

 

イ、背後霊

A、背後霊は入れ替えがある

背後霊とは人間の背後にいて感応する霊の総称のこと。一般には「守護霊」「支配霊」「指導霊」から「邪霊」「因縁霊」「憑依霊」まで、あらゆる霊が背後霊には含まれる。しかし現在では主に善霊を指す用語として使われている。

この背後霊という言葉は日本心霊科学協会の初代理事長夫人、霊能者の吉田綾氏が「背後から護るという意味で、人間に憑いてその人を護っている何人かの霊たちに付けた呼び名」であると言う。これ以降「背後霊」の意味は「善霊を指す言葉」として使われるようになった(出典『心霊科学入門』188頁参照)。

なお背後霊の範疇に含まれる「守護霊」は別枠扱いとされることが多い。地上人の出生から死までの期間、守護霊は一人のみで生涯変わらないが(1179⑤参照)、背後霊は複数存在する(1179②~⑥参照)。一般の人の場合は霊的成長とともに背後霊は入れ替わっていく(霊訓上31④~⑤参照)。

 背後霊は主に地上圏に近い霊たちである(霊訓上31⑥~⑧参照)。地上人の霊的進化に見合った霊が霊的親和性から、人間を指導する目的で、または自身の霊的向上の為の必要性から援助している(霊訓上30⑫~⑬参照)。地上に戻ってくる霊は、地上の人間と連絡が取りやすい幽界にいる霊である。その中で一般人の場合には、主に「霊的自覚」が芽生えた幽界の上層界にいる霊が指導や援助を行う目的で降りてくる。

高級霊の場合は霊媒体質者に必要に応じて憑く(霊訓上31⑧参照)。なぜなら霊媒の霊能力を通して地上世界にスピリチュアリズムを普及することができるから。また霊媒は睡眠中に幽界の下層界に降りて、担当する救済霊を手助けして“迷っている霊”の浄化の手伝いを行うことが出来るから(202112月号『心霊研究』11頁~12頁参照)。

 

B、二人三脚で霊的成長を目指す

背後霊となる為には自薦や他薦があり(2131②~④参照)、その霊的レベルや担当する分野などはさまざまである(2130③~④参照)。背後霊も自身の霊性向上のために地上人を援助している(霊訓上30⑫~⑬参照)。さしずめ地上人は背後霊に対して“活動する場”を提供して、二人三脚で霊的成長を目指している“同志的存在”とでも言えようか。

本人が背後霊に気持ちを向けることによって両者間に“磁気的な回路(絆)”が架設されて、それが次第に強固になっていく(1135⑭参照)。その“磁気的な回路(絆)”を通って背後霊から支援のための霊的エネルギーが送られてくる。その際の援助や指導は霊界人の都合とタイミングで行われる。またその方法はあくまで霊的影響力の行使という形になる(10166⑫~167③参照)。

地上人が背後霊の霊的支援を受けて、困難に打ち勝って物事をやり遂げれば、地上人自身の成果であると同時に背後霊にとっても成果となる(→リング上で闘うボクサーの勝利であると同時にリングサイドにいるセコンドの勝利でもある)。

 

ウ、支配霊(背後霊の一種)

A、支配霊とは

支配霊とは「交霊会における霊界側の司会者」(田中千代松編『新・心霊科学事典』潮文社93頁参照)とされる霊、または「霊団全体の指揮に当たる霊」(7176⑫~177③参照)のことである。シルバーバーチのような霊格の高い支配霊は霊界の霊媒を介して、本来の個性を犠牲にして地上圏に降りてきている(2119⑧参照)。霊的な飛躍の為の犠牲である。

 

B、霊媒が他界した場合

物理的心霊現象が盛んな頃は、支配霊は担当する物理霊媒が他界したら別の霊媒を探して仕事を継続していた(827⑪~28①参照)。なぜなら物理現象を扱う支配霊は高度な技能を持つ“技術屋さん(職人さん)”だから。

これに対して精神的心霊現象の場合には原則として霊媒が他界したら支配霊の仕事は終了する。なぜなら精神現象を扱う霊媒は物理霊媒より支配霊との関係がはるかに緊密だから(828②~⑤参照)。

シルバーバーチ(支配霊)の場合はバーバネル(霊媒)が死去すれば、支配霊としての仕事は終了する。シルバーバーチの仕事は高度な内容であった為に、大変な時間と労力をかけてオーラの融合を図って仕事を行ってきたことから、再び別の霊媒を探して通信を行うことはないという(828⑥~⑨参照)。

 

C、支配霊の霊格

支配霊の霊格は霊媒が行う仕事によって異なり、霊媒より高い場合(→霊視・霊聴・霊言・自動書記などの精神的心霊現象の場合)もあれば低い場合(→物質化現象・念写・アポーツなどの物理的心霊現象の場合に見られる)もある。

霊媒の潜在意識を使って生起する精神的心霊現象を扱う支配霊の場合は、霊格は必ず霊媒よりも高い。なぜなら“純粋な霊的教訓”を地上に降ろす為には、オーラの融合の訓練と併せて霊媒の生活面の指導も行う必要があるから(→霊媒の霊格を上げる必要があるから)。

これに対して物理的心霊現象を扱う霊媒の支配霊は、必ずしも霊格が高い霊ばかりではない。なぜなら物理現象を演出するには地上的要素が強く残っている必要があるから(7176⑨~177⑨参照)。

熟練した支配霊が行う霊媒現象には「霊媒との調和の程度が高く潜在意識による着色が少ない」(メッセージ82⑪~⑫参照)が、人間的に問題がある霊媒の場合には「低級霊が支配霊のスキを狙って憑依してくる」(最後啓示158③~⑤参照)ので要注意。

 

エ、指導霊(背後霊の一種)

指導霊(→背後霊と呼ばれることが多い)の主な役目は、本人の霊的面からの監督指導である。指導霊は守護霊とは異なって、成長過程の一時期だけを担当して、次の段階になると霊は入れ替わる(到来21⑭~22⑤参照)。

指導霊は親和性ある者どうしが引かれ合って、または前世の縁(→日本的心霊の世界で言う“因縁霊”のことで、プラスの縁であれば指導霊として付き、マイナスの縁であれば憑依霊として付く)で自分を役立てたいという欲求に沿って人間を選択する(最後啓示89②~⑪参照)。

指導霊自身も霊的成長のため(→コーチとしてのキャリアのアップのため)、自分の持っている資質を犠牲にして地上圏に降りてくる。地上時代に指導に当たっていた霊が、本人の死後も引き続き幽界で指導霊として担当する場合もある(続霊訓120②~③参照)。

 

オ、指導霊崇拝批判

A、指導・監督に誤りを犯すことがある

霊的な理解力は霊的発達の程度に応じたもの。その霊の霊的レベルが限界となるので高級霊といえども完璧ではない。そのため指導や監督の際に誤りを犯すこともある(6207④~⑧参照)。絶対に誤りを犯さないのは創造者の「神」のみ(818⑤~⑥参照)。

シルバーバーチは常々指導霊は崇拝対象とされることを望まないとして、指導霊の資格を得た霊は自身が崇拝の対象とされることは間違いであるとの認識を持っている(821②~③参照)と述べる。そして「指導霊崇拝」(818③参照)や「イエス崇拝」(3104⑨、5206⑧~⑨参照)等の「高級霊信仰(高級霊崇拝)」を批判している。なぜなら彼らは最終的な責任者ではないからである。

 

B、高級霊は取次役である

シルバーバーチは「祈りの対象」は神であると述べる(11113⑩~⑪参照)。なぜなら祈りとは、神の分霊である自己とその始源との一層緊密な繋がりを求めるための手段であるから(12125⑪参照)。従って神の使者である高級霊やイエスを祈願の対象とするのは間違いとなる(語る159⑦参照)。

一つの解決策として高級霊(=守護霊や指導霊)は“取次ぎ役”であるとの認識を持つことが、守護霊崇拝や指導霊崇拝に陥るのを避けるポイントになる。

 

C、イエスは最高神界の数ある存在の一人

キリスト教徒やイエス信奉者は絶対に受け入れないであろうが「キリスト(=ナザレのイエス)は唯一の絶対神ではありません。至尊至高の神性を具えた最高神界の数ある存在のお一人です。父と呼んでいる存在はそれとは別です。それは人間が思考しうる限りの究極の実在の表現です。従って父はキリストより大であり、キリストは父に所属する存在であり神の子です」(彼方4231②~⑤参照)というスピリチュアリズムに沿った考え方がある。

 

4、講座に寄せられた質問

①、質問その1

<質問>「霊的知識を得た次の段階、霊的実践や霊的成長の具体的な道筋をテーマにしたお話をして頂けると参考になり、とてもありがたいです」

<回答>

 これを主題にした講座は、来年開催予定の「関心の高いテーマ」の中で取り上げますので、今回は概略を述べるに留めます(→連続講座の第8講「霊的成長について」の中で取り上げる予定です)。

 

ア、「霊的な本能」とは

 

人間は霊であり、霊的身体には「霊的な心(本来の私という意識)」が具わっている。この「霊的な心」の中に完全性である「神の分霊」が潜在している。そのため人間はしばしば「ミニチュアの神」とされている。

霊である人間が誰しも持っている「霊的な本能」とは、この「霊的な心」に潜在している「完全性(=神の分霊)」を“心(=本来の私という意識)”の領域に顕在化させていくことに他ならない。

 

イ、知識には責任が伴う

 シルバーバーチは「知識には責任が伴う」(1巻53②、9巻135③参照)と述べる。スピリチュアリズム思想を学んで知識の分量を増やして行くと、次第にその人の生き方が問われてくる。生き方の「質的な転換(知識から生き方へ)」が求められてくるから。

この点につきシルバーバーチは、霊的知識は実生活の場で実践して初めて理解したことになる(163⑩~⑪参照)。「知っているということと、それを応用することとは別問題です。知識は実生活に活用しなくてはなりません」(342⑪参照)と述べる。なぜならその人の霊性レベルの判断指標は日常の行為にあるから(9117⑭~118③参照)。

 

ウ、最終的には「信仰生活(広義)」に移行して行く

 スピリチュアリズム思想は「信仰・宗教」と相性が良い。そのため霊的知識を増やして行くとモノの見方が徐々に地上的な尺度ではなく、霊的観点に立った見方に変化して行く。その結果、地上生活が煩悩まみれの生活から、精神面の向上(→物的な心の向上、引いては霊的な心の向上)を重視した広い意味での“信仰生活”へと軸足が移行して行く。

 

②、質問その2

<質問>「病気の理由について。「発達障害」というのはスピリチュアル的にどのような意味を持つのでしょうか? 平成以降の生まれの人に集中しています。昭和の時代にはありませんでした」

<回答>

ア、「発達障害」とは何か

 ネット記事の「メディカルノート」によれば、「発達障害とは、生まれつきの脳の障害の為に言葉の発達が遅い、対人関係をうまく築くことが出来ない、特定分野の勉学が極端に苦手、落ち着きがない、集団生活が苦手、といった症状が現れる精神障害の総称」のこと。

 

イ、「発達障害」は昭和の時代にはなかった

発達障害という言葉は「1987年から1993年まで使われていたアメリカ精神医学会の診断と分類の為の基準の第3版(DSM)の中で、精神遅滞(知的障害)、広汎性発達障害(自閉症など)、特異的発達障害(発達性言語障害、学習障害など)の上位概念として用いられていた言葉」のこと(日本大百科全書)。

その後「2013年にアメリカ精神医学会の診断と分類の為の基準の第5版(DSM)が発表された。その中に神経発達障害の章が創設され、そこに含まれる診断名として、知的障害、コミュニケーション障害、自閉症スペクトラム障害、注意欠陥多動性障害、特異的学習障害、発達性協調運動障害などが挙げられている」(日本大百科全書)。

日本では2004年に「発達障害者支援法」が成立して広く使われるようになった。そのため「発達障害」は極めて新しい言葉である。しかしその中に含まれている各種の障害は従来から知られていたものである。質問者が述べた「発達障害は昭和の時代にはなかった」との指摘は正しい。

 

ウ、脳という表現器官の故障に過ぎない

 スピリチュアリズムの観点から「発達障害」を見れば、脳の機能である「霊的な心(霊的意識)」から流れてくる繊細な波長の信号と、「物的な心(精神)」から流れてくる粗い波長の信号を受信する機能が正常に働かない、刺激に対して脳が異常な反応を示す状態にあると言える。

「発達障害」は単に脳という受信・発信を司る器官が、機能不全に陥っている状態にあるだけ。その結果、特定の分野の課題を処理する機能が人より劣っている、そういう状態でも「私という自我(霊的な心、物的な心)」は正常である。「発達に障害がある」状態で収集した地上体験を通して「私という自我」は学んでいると言える。

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

<注1>

◆「有神論」とは

・「有神論」とは神は被造物の世界とは区別されて、被造物の世界の外にある超越した存在とする立場(→創造者の親と被造物の子は別人格)。神と被造物の世界とは本質的に同一とする汎神論(→親と子は別々に見えるが実は同一人格)とは対立する。但し神は人格神ではない。

 

◆「創造論」とは

・「創造論(創造説)」とは「ダーウィン的な進化論を否定して、神による天地創造を主張する」説のこと。しかし一般には、創造論とは「キリスト教の『聖書』に書かれていることは事実である」との立場から狭義の意味で使われている。そのため現状では「創造論者とはキリスト教徒のこと」を指す言葉になっている。しかし創造論者には大きく分けて二つの立場が存在する。

・まずキリスト教とは関係なく、神の存在と神の創造を認める立場の「宗教や思想」がある。創造説に立つスピリチュアリストはここに含まれる。これを「広義の創造論」と呼ぶことにする。これに対してキリスト教徒の『聖書』をベースにした創造論を「狭義の創造論」と呼んで区別することにする。この「狭義の創造論」の中に現在アメリカで興隆を極める独断的で原理主義的な「特殊創造論者」がいる。その影響力の強さ故に、近年では創造論は極めて狭義の意味で使用されるようになってしまった。

・有神論的進化論の立場に立つ遺伝学者のフランシスコ・コリンズは「過去100年余り“創造論者”という言葉は、理神論者や有神論者を含む広い意味としてではなく、一部の特定層を指す言葉として乗っ取られ、固有名詞化されてしまった」と述べて「特殊創造論者」を批判している(フランシスコ・コリンズ著、中村昇・中村佐知訳『ゲノムと聖書』NTT出版2008年刊168頁)。

 

◆「有神論的進化論」とは

・なお有神論的進化論(折衷的進化論)とは、人間の進化を「肉体上の進化」と「知的進化(人間に宿る霊の観点から見る)」に分けて、前者は進化論の観点から、後者は創造論の観点から論じる立場のこと。

・有神論的進化論は19世紀のスピリチュアリストの間では、広く受け入れられていた説である。進化論で著名なアルフレッド・ラッセル・ウォーレスもこの立場に立っている。なお国書刊行会から1985年から1986年にかけて刊行された世界心霊宝典シリーズに『スピリチュアリズムの真髄』(原題:The Higher Spiritualism1956年発行)という書籍がある。この著書を読んでみれば、著者のジョン・レナードは有神論的進化論の立場に立っていることが分かる。このような点から見て現在でも有神論的進化論に立つスピリチュアリストは数多く存在すると思われる。なおスピリチュアリズムは創造論の立場に立つ。

 

◆シルバーバーチの汎神論的な表現

・高級霊のシルバーバーチは「大霊は人間をはじめとしてあらゆる生命形態に内在しております。すべてが神であり神がすべてなのです」(道しるべ46⑨~⑩)と述べて、汎神論的な表現(すべては神)を使っている。

・この言葉だけを見れば、シルバーバーチは「汎神論」を述べているのではないかと誤解してしまう。スピリチュアリストもシルバーバーチの神観は「汎神論」であると理解している人は多い。

・たとえばハンネン・スワッファーは「シルバーバーチの哲学の基本的概念は、いわゆる汎神論である」(語る18⑬)と述べている。また『シルバーバーチの霊訓』4巻の編者ウィリアム・ネイラーも、まえがき部分で「愛他精神と素朴さと叡智に満ち、汎神論に裏打ちされたその明晰な教訓は、常に人生における霊的要素と同胞との関係における慈悲心の大切さを強調する」(45⑫~⑬)とも述べている。ハンネン・スワッファーもウィリアム・ネイラーも安易に「汎神論」という言葉を使用している。しかし『シルバーバーチの霊訓』全体を読めば、シルバーバーチは神の創造を前提にして個々の霊的教訓を述べているので、明らかに「汎神論」ではないことが分かる。

 

◆シルバーバーチの「神観」は

・シルバーバーチは「創造主である大霊は、自分が創造したものの総計よりも大きいのでしょうか」との質問に対して「そうです。ただし、創造は今なお続いており、これからも限りなく続きます」(到来23⑨)と応えている。また「ああ、大霊よ。あなたは、形態の如何を問わず、全生命の創造主にあらせられます。あなたの摂理は全生命を支える無限なる摂理であり、あなたの計画は宇宙の生命活動の全側面に配慮した完璧なる計画であり、そのすべてをあなたの愛が育んでいるのでございます」(到来132④~⑦)。

・このような表現に見られるように、神と万物を「創ったもの」と「創られたもの」に分けて、両者の間に一線を引いていることが分かる。このように神の創造を前提とした上で個々の霊的教訓を述べていることから、シルバーバーチの神観は明らかに「有神論・創造論」であり、「汎神論」ではないことが分かる。

 

<注2>

◆「意識」を潜水士に例えて説明する

・今も昔も海底で作業をするには潜水具を身に付けなければならない。ここでは1800年頃の潜水士の海底作業を例にして「意識」を説明してみる。

・海上に停泊して潜水士の作業を支援する作業船の世界を霊界とし、海上から支援するメンバーの「ABCDEFG」を霊的家族(類魂)とする。

・海底を地上世界とし、肉体を潜水具とする。そして橋脚の整地作業に関する一連の海底作業を、「現在の私」が今回の地上人生で達成すべき仕事(使命)とする。

Aは支援船の上にいる時はクリアな意識状態にあった。そのAが支援船を離れて海底に降り立つと、1800年頃の性能の悪い潜水具の影響と、さらに「水圧、水流、水温、視界など」の制約を受けて限定された意識状態に陥る。

・支援船の上にいる時のAのクリアな意識状態を「本来の私という意識(本来の私)」とし、海底に降り立った時のAの限定された意識状態を「現在の私という意識(現在の私)」とする。

・さらに作業を終えて海面に浮上して行く過程を「幽界」とする。Aは海面に浮上して行くに従い、本来のクリアな意識状態を取り戻して行く。

 

◆二つの「自由意志」の問題

・海上に停泊する船上で、「本来の私A」はこれから行う海底作業全体の手順をクリアな意識状態の中でAの自由意志で決定した。

・海底に降り立った「現在の私A」は「本来の私A」が決めた作業手順に従って作業を進めて行く。その作業の途中で何らかのアクシデントが起きた場合には、「現在の私A」は「現場サイドの自由意志」で乗り切って行く。

・このように海底作業全体の手順という大枠を決めた「本来の私A」の「自由意志」があり(この大枠は「現在の私」から見れば宿命となる)、「現在の私A」はこの大枠の範囲内で「自由意志」の行使が許されている。

 

◆守護霊は「霊的家族(類魂)」のメンバー

・守護霊は「再生する前までは顔見知りの間柄」(霊の書208⑦参照)であり、守護される側の霊格にあった霊がつく(霊の書208⑨~⑪、210⑤~⑨参照)。両者の関係は原則として霊的親和性による結びつきである(道しるべ228⑤~⑫参照)。このことから守護霊は同じ「霊的家族(類魂)」のメンバーが原則として付く。

・今回「霊的家族(類魂)」のメンバーAが地上に再生する霊となり、メンバーBAの守護霊役となる事になった。

・肉体(潜水具)をまとって地上世界(海底)に降り立ったAは限定された意識状態にある。これに対して守護霊役のBは支援船の上から海底にいるAに向けて支援する仕事に就く。このことからBはクリアな意識状態でAの地上生活全体(海底作業)を見渡せる位置にいる。

・守護霊役のBは両者間に敷設された磁気的回路を通して、地上で悪戦苦闘するAに対してインスピレーションでアドバイスを送っている。地上に降り立ったAが、あの世の存在や守護霊の存在を否定していれば、両者間に磁気的回路が構築されずBは「現在の私A」にインスピレーションを送れない。

 

 

第2講、スピリチュアリズムの普及運動(2023年)

<目次>

1、スピリチュアリズムの普及活動の展開

・霊界を挙げての組織だった活動

・スピリチュアリズムの普及に対する妨害

・霊団の系譜

2、シルバーバーチについて

・シルバーバーチに関する情報

・霊界通信の判断基準

3、既成宗教とスピリチュアリズムの融合

・キリスト教的スピリチュアリズム

・和製スピリチュアリズム

・スピリティズム

4、霊界主導による普及活動の経路

・霊的潮流

・スピリチュアリズムは「意識を変える運動」

5,講座に寄せられた質問

 

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1、スピリチュアリズムの普及活動の展開

①、霊界を挙げての組織だった活動

ア、地上の悲劇

 地球人類の歴史は飽くなき富の獲得と覇権をめぐる紛争の繰り返しであった。さらに近代以降の相次ぐ発明と発見そしてテクノロジーの発達は、唯物主義の蔓延という副産物をもたらした。その結果、唯物主義の病的症状たる際限なき貪欲と利己主義、さらには自分の国さえよければという「偏狭な愛国心」が世界を闊歩する異常な現状を生んでしまった。その背景には人の意識の中に深く巣くう「唯物主義(物質中心主義)と利己主義という地上世界を蝕む二つのガン」(1巻101⑫~⑭参照)の存在がある。

 また人々の霊的真理に対する無知の程度がひど過ぎて、それが各種の悪弊を生み出す原因となっている。そのため地上世界で寿命を終えた多くの人たちは物事の実相も知らずに続々と霊的世界に入って行く。これら幽界の下層界に落ち着いた「不幸な霊の面倒を見る」(8巻109⑥~⑨参照)ために多くの霊界人が動員されている。この現状をシルバーバーチは「霊界の悲劇」と呼んでいる(724⑥~⑦参照)。なぜなら地上時代に利己主義者であった者は、死後も「霊的自覚(→霊として今“何を為さなければならないか”という自覚)」が芽生えるまでは、利己主義という個性はそのまま本人の意識の中に維持されているから。

 

イ、本来は宗教界の役割だが

辞書によれば宗教とは「超自然的な存在に対する信仰と、それに伴う儀礼や制度のこと」とある。現実には特定の宗教に入信した信者は、教団の教義に盲従することが求められている。高級霊は「形式を守り教義に盲従するというだけの宗教」(11101⑪参照)には何の価値もないと否定する。また霊界側から見て「今日の地上には宗教と言えるものは殆ど存在しない」(続霊訓79⑭参照)とも述べている。

霊力(霊的エネルギー)に関してシルバーバーチは「霊力は一つの計画の下に働きます。(過去に於いては)幾世紀にもわたってその時代の宗教を通して顕現しようとして来ました」(9114⑩~⑪参照)。しかし人間は長い歴史の中で、本来の「宗教」とは何の関係もない教義や宗教的儀式、宗教的建造物、聖遺物などの夾雑物を“単純素朴な霊的真理”の中に挟み込んでしまい、肝心の基礎を忘れ去ってしまった。現在では「霊の力が一番見られなくなっている場所は、皮肉にも、本来そこにこそ存在しなければならないはずの宗教界です」(9112①~②参照)と手厳しく述べている。

 

ウ、宗教界とは無縁の者を通して普及を行う

 このような現状に対して「霊界の上層部において、もはや地上への(霊力の)流入は既成の宗教界を通じては無理との判断」に至り、「宗教界とは無縁の者を通じて行うとの決断が下された」(9115⑥~⑦参照)。そして地上への霊力流入の手段として、霊界側には高級霊を支配霊とした霊団を置き、その霊団の指導の下で地上側に心霊グループを組織して、それを核として普及する形態が取られた。

このことは1848年以降の主な霊団の役割を見ていけば推測できる。この一連の経緯を概観すれば、霊界主導で始まったスピリチュアリズム普及運動の目的、それに基づいた各霊団の役割分担の概要が見えてくる。

 

エ、司令塔の「神庁」の存在

霊界は階層構造的な世界になっている。組織と言う観点から見ても「光り輝く存在、高等審議会、神庁、天使団」などと呼ばれる高級霊団(神庁)の上にも、さらに高級な霊団が「連綿として無限の奥までつながっている」(9222③~④参照)。このような高級な霊団の中に、地球の進化に責任を負っている「霊団(→地球に於ける神庁のこと)」が存在する。

その霊団で開かれる会議を主宰しているのが、二千年前に地上に生を受けて短い生涯を閉じた“ナザレのイエス”である(581②~③参照)。そのイエスは地球を霊的に浄化する目的を持ったスピリチュアリズム普及運動の最高責任者の立場にある(578③参照)。

シルバーバーチは「地球浄化の大事業の推進に当たっている霊団(=神庁)」から指示を仰いで(1118⑭~19③参照)、地上側の霊媒の協力を得ながら霊的真理を語っている。これ故にシルバーバーチの立ち位置は、スピリチュアリズム普及運動の傍系ではなく本流に位置していると言える。

 

オ、顕幽二つの世界で同時に行われている

A、霊界主導の運動

霊的知識を地上に根付かせて「地球を霊的に浄化する(霊媒の書9⑩参照)」ための運動は(1176⑦、1118⑮他参照)、地上世界では入念な計画に沿って1848年から「近代スピリチュアリズム」の普及運動という形で組織的に始まった(558③~④参照)。これ以降、本格的に地上世界に霊的潮流が流れ込んできた。この潮流は霊界主導であり「地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけ」である(霊訓上203⑱参照)。

 

B、この世に於ける運動には二つの側面がある

 この霊界主導の運動には「社会変革運動としての側面」と「個人の意識の変革運動としての側面」の二面がある。一つ目は霊的真理の普及によって無知を無くして、地上にはびこる悪弊を駆除して行く「社会変革運動」としての「公の側面」がある。二つ目は個々人が霊的知識を日常生活に生かして自らの意識を変えていく「個人の意識変革運動」としての「私の側面」である。この変革運動のための手法が20世紀初頭に物理的心霊現象から「心霊治療と霊的教訓」に移行した。

この「個人の意識変革運動」とは、人間は霊的存在であり肉体はこの世で生活する為に「魂がまとう衣服」(3171⑥~⑦参照)であること。さらに人生は「死によって終了するのではない」ということを学ばせて、本人の生き方を煩悩にまみれた生き方から、霊的摂理に沿った生き方に変えて行くという内容を含んだ運動である。

 

C、幽界の下層界の浄化

<幽界の全体図>

 

<顕幽二つの世界で展開>

この普及運動は顕幽二つの世界で同時に展開されている。この点につきシルバーバーチは「地上だけでなく霊界でも大変な規模で布教活動が行われている」(道しるべ199⑤~⑥参照)と述べている。あの世では幽界の下層界で生活する「物的指向が強い霊(内面にある思いや願望が外部に現れた世界で生活する霊):Y―1」や「浄化の界層にいる霊:Y―2」が対象となる。これらの霊に対して「霊的自覚(→霊として今“何を為さなければならないか”という自覚)」を持たせて、幽界の下層界を浄化する運動として展開している。

なぜなら他界者は肉体を捨てただけで「習性も特性も性癖も個性も地上時代そのまま、利己的な人は相変らず利己的、貪欲な人は相変らず貪欲、悩みを抱いている人は相変らず悩んでいる」状態(724⑩~⑭参照)。また狂信的な宗教者は地上時代そのままの教義を維持している(→霊的牢獄に閉じ込められている)。少なくとも他界者の表面意識に「霊的自覚」が芽生える迄は地上時代そのままの意識状態を保っており、霊界から親和性のある地上人に「教唆(そそのかす)や幇助(手助けをする)」という形で影響を及ぼしているから。

 

②、スピリチュアリズムの普及に対する妨害

ア、スピリチュアリストは「悪魔と戯れる者」

スピリチュアリズムの勃興期、西洋では庶民の間で霊媒能力を持つ者を中心とした“小さな家庭内サークル”がブームとなり、「お茶とテーブル傾斜への招待が、普通の社交行事」となっていた。この社会現象に対して立ちはだかったのはキリスト教会であった。宗教界からは「テーブル・トーキングは悪魔のなせる業」であり、スピリチュアリストは「反キリスト者である」との厳しい批判が行われた(デボラ・ブラム著『幽霊を捕まえようとした科学者』文芸春秋、36頁~37頁)。1854年ケベック(カナダ)の大司教は教書の中でスピリチュアリストを「悪魔と戯れる者」と述べて批判した(イヴォンヌ・カステラン著、田中義廣訳『心霊主義』白水社121頁~126頁)。

 

イ、公開焼却、禁書目録

キリスト教陣営からは1861年スペインのバルセロナで、スピリチュアリズム文献300冊の公開焼却処分が行われた。また1864年には「禁書目録(→心霊主義的な、もしくは心霊主義に関するすべての著作、冊子、定期刊行物のすべて)」も出された(イヴォンヌ・カステラン著『心霊主義』白水社123頁~125頁)。

さらにはスピリチュアリズムの普及を快く思わぬ低級霊の策動(3巻38⑫参照)、この策動に影響された霊媒のいかさまの物理的心霊現象。また奇術師側からの心霊現象に対する執拗なまでの攻撃など(松田道弘著『トリックスター列伝』東京堂出版290⑪~291④参照)、このような「反スピリチュアリズム陣営」からの猛攻があった。

 

③、霊団の系譜

ア、聖ルイの霊団(地上側にアラン・カルディクを置く)

A、最初の礎石を置く

この項目では大まかにスピリチュアリズム普及運動に携わる「霊団の系譜」を見ていく。まず先鋒として神庁から“聖ルイ(→13世紀に実在したフランスの国王ルイ9世を中心とした霊団)”が指名された。聖ルイの霊団は地上側の協力者に、聖書に関する知識が豊富なアラン・カルデック(仏1804年→1869年)を起用した。そして霊団はカルデックに「最初の礎石を置く」ための仕事に従事させた(→文中では「最初の礎石を置くことがあなたの使命です」となっている:アラン・カルデック著、浅岡夢二訳『霊との対話』幸福の科学出版278⑩参照)。

 

B、反スピリチュアリズム陣営からの猛攻

聖ルイの霊団はキリスト教会からの激しい攻撃にさらされながらも、地上側の協力者であるカルデックを導きながら地上世界に確固たる「霊的橋頭堡」を築くことができた。その一つの表れが、アラン・カルデック編纂の『霊の書:1857年』と『霊媒の書:1861年』の出版である。近藤千雄訳『霊媒の書』の“訳者あとがき”には、カルデックに対して「既成宗教界、とくにキリスト教界からの非難中傷が激しかったようで、カルデックはそれに対する理論武装に大変な神経と紙面を費やしている」(霊媒の書293②~③参照)とある。

 カルデックの著書にはキリスト教神学に関する事柄が多く記載されているが、全体的に見てキリスト教神学に対する「対決姿勢」はモーゼスの『霊訓』と比較して弱い。その理由につき支配霊の聖ルイはカルデックに対して、18566月のボタン家の交霊会で「それらのある部分は、もっとずっと後になってからでないと発表できない、と云うことが分かるようになるでしょう。新たな考え方が広まり、根付くまで、待つ必要があるのです」(浅岡夢二訳『霊との対話』293①~③参照)と意味深長な言い方をしている。その背景には「反スピリチュアリズム陣営」からの猛攻があったからで、時期が到来するのを待たなければならなかったからであった。

 

イ、インペレーター霊団(地上側にWSモーゼスを置く)

A、キリスト教神学の壁を打ち破る

スピリチュアリズムの勃興期、スピリチュアリズムの普及を果たして行くためには、前途に立ちはだかるキリスト教神学という厚い壁を切り崩して、普及運動を前進させる必要があった。そのため高級霊インペレーターを中心とした霊団は、聖ルイの霊団が築いた「霊的橋頭堡」を足掛かりとして、地上側の協力者に国教会の牧師のウイリアム・ステイトン・モーゼス(英1839年→1892年)を選んで、立ちはだかる厚い壁に果敢に挑んでいった。

推測するにモーゼスは出生するに先立って、霊界に於いてインペレーターと十分な打ち合わせをした上で地上に生を享けたと思われる。地上に誕生して物的身体をまとうことによって、この打ち合わせの記憶はモーゼスの潜在意識の奥深くに仕舞い込まれた。出生後のモーゼスはキリスト教神学を学び、それを固着観念として定着させて国教会の牧師となった。インペレーターにとって手ごわい“相方(たたき台)”として成長していった。

 このような準備を整えた上で1873330日以降、霊団からのメッセージをモーゼスに受信させた(霊訓上17①~②参照)。次第に霊団から受け取る文章がキリスト教の信仰と真っ向から対立する内容のものとなっていった。そのためモーゼスは自身の支配思想であるキリスト教神学との葛藤(破邪顕正)が始まった。

霊的真理を述べる立場にあるインペレーター霊団は、キリスト教神学というドグマを打ち砕くため、モーゼスを“たたき台(→キリスト教界の代表者という形を取って)”にした熾烈な論争を展開していった。モーゼス自身の激しく揺れ動く心の葛藤を経て、インペレーター霊団は最終的にキリスト教神学に代わって霊的真理を説くことに成功した。ちなみにこの時のモーゼスの葛藤が仏教用語の“破邪(→誤った見解を打ち破ること)”であり、霊的真理の受容が“顕正(→正しい真理を示すこと)”である。

 

B、インペレーター霊団の使命

キリスト教神学という厚い壁を打ち砕くためには、霊団のすべてのエネルギーをこの“一点に集約”する必要があった。そのため異論が多く複雑で一筋縄ではいかない再生に関しては、『モーゼスの霊訓』には一部言及した箇所はあるが積極的には述べていない(霊訓下132⑪~⑯、続霊訓104⑨~⑭、続霊訓132⑬~133⑨参照)。なぜなら論議の対象になり易い再生の問題はインペレーター霊団の仕事ではなかったからである。ここにインペレーター霊団の特殊性があった。

インペレーター霊団はモーゼスとの間で“論争という手法”を使って、キリスト教神学の問題点を浮かび上がらせて、厚い壁の一角を切り崩すことに成功した。

 

ウ、シルバーバーチ霊団(地上側にモーリス・バーバネルを置く)

聖ルイの霊団の後を引きついたインペレーター霊団は、キリスト教の本丸に果敢に挑んでその一角を切り崩した(→モーゼスの『霊訓:1883年』『続霊訓:1879年・1880年・1882年』の出版)。これらの霊団が地ならしをした所にシルバーバーチ霊団が登場して、地上側の霊媒にモーリス・バーバネル(英1902年→1981年)を置いて1920年から(1巻8~9頁参照)1981年の長きに亘って(→最初の15年は準備期間:4168③参照)霊的教訓を説き続けてきた。

 最初の霊談集は1938年に『シルバーバーチの教え』として出版された(→この書籍には、霊界側の意図・神の摂理・死後の世界・再生・心霊治療などが幅広く網羅されている)。この著書の項目からも分る通り、シルバーバーチ霊団はスピリチュアリズ思想全般を説く役割を持っていた。

まとめると「聖ルイの霊団」は1850年代に「最初の礎石」を置くことに注力した。この後1880年代に「インペレーターの霊団」が登場して、当時立ちはだかるキリスト教神学という厚い壁の一角を切り崩すことに成功した。これらの霊団が築いた「橋頭保」の上に立って「シルバーバーチの霊団」は1920年~1981年の長きに亘り霊的教訓全般を説いた。

このようにそれぞれに担当する霊団には役割があり、各霊団の間には連携があり、獲得した「橋頭堡」を足掛かりにして、さらに陣営を拡大させて地上世界に霊的真理を普及させて来たことが分かる。

 

2,シルバーバーチについて

①、シルバーバーチに関する情報

ア、神庁からの要請

A、思念は環境を形成する

シルバーバーチは3000年前に地上生活を送った霊(3153①参照)であり、地上に再生して霊的進化を遂げる段階を卒業した古代霊(1112⑦~⑧参照)である。そのシルバーバーチが住む境涯は、適材適所で生きる喜びにあふれ芸術の花が咲き乱れた、光り輝く色彩豊かな環境であるという(2158⑪~⑭、922④参照)。

霊界では思念は実態そのもの。その思念は環境を形成するので、自ずと霊格と形体と環境は一致する。そのため同一霊格で親和性のある霊が集まった高い境涯では、同じような思念をそれぞれの霊が発するため光り輝く環境となる。

 

B、神庁からの呼び出し

ある時シルバーバーチは、地上の霊的刷新(→地球を霊的に浄化すること)に責任を負っている霊界の上層にある神庁からお呼びが掛かり、他の同僚と一緒に仕事の要請を受けた(916⑬~⑭、1112⑫~⑭参照)。

その仕事とは“愛(霊的エネルギー)の欠乏”により暗くてじめじめした魅力に乏しい地上世界、弾力性を失ったクッションのようで何もかもだらしなく感じられる地上世界に戻って(2158②、822⑭参照)、高級指導霊のメッセンジャーとして、受け入れる用意のできた人(=大人の霊)に単純明快な形で霊的真理を届けることであった(1112⑫~13②参照)。この点からもシルバーバーチは誰彼かまわずに霊的教訓を説こうとしたのではなく、あくまでも「大人の霊」を対象として説こうと決意して地上に降りてきたことが窺える。

 

イ、霊訓を地上に降ろす

A、霊界の霊媒

シルバーバーチという名の古代霊は「霊的進化の末に二度と地上世界へ生身に宿って戻ってくる必要のない段階まで到達した」(1112⑦~⑧参照)霊である。その進化レベルにある霊は、波長の低い地上圏に降りて来て地上側の霊媒と直接交信することは不可能である(810⑩~⑪参照)。

そのため地上との接触には霊界側に霊媒を置く必要があった(1113⑦~⑩参照)。高級指導霊たちは霊的波長を変える「変圧器の役目」を担う「霊界側の霊媒」として、地上時代にレッドインディアンであった霊の霊体(を持つ霊界人)を用意してくれた(810⑨~⑬、1113⑪~⑫参照)。

 

B、個人情報は開示していない

シルバーバーチという名の古代霊は地上時代のことを「証明する手段は何一つない」(811⑭参照)との理由から、地上で如何なる人物だったのか、活躍した時代は何時かなど、一切の個人情報は開示していない。

また「私の名はシルバーバーチではありません」(1112①参照)とも述べている。この「シルバーバーチ」という名前は、かつて地上でインディアンだった「変圧器の役目」をしている霊の名前であるという(1112②~③参照)。さらに「地上時代の私はレッドインディアンではない。このインディアンよりはるかに古い時代の別の民族の者」(1112⑥~⑦参照)、いわば古代霊であるという。

この古代霊の使命はシルバーバーチよりさらに高級な指導霊たちのメッセンジャーとなって、霊的教訓を「受け入れる用意の出来た人間」(1112⑮参照)の「理性と知性と常識」(812②参照)に訴える形で届けること、と述べている。

 スピリチュアリズムの普及に多大な貢献をしたイギリスの著名なジャーナリストのハンネン・スワッハーは、「シルバーバーチは実はインディアンではない。いったい誰なのか、本当のところは分からない。本来属する界は波長が高すぎて地上とは直接の交信が不可能であるために低い界の霊の幽体を使用している。シルバーバーチと名のるインディアンはたぶんその幽体の持ち主であろう」(110⑫~11①参照)。このように「シルバーバーチ」という名は「霊界の霊媒の名前」であると述べている。

 

C、三者のオーラの調整

シルバーバーチという名で呼ばれている高級霊と、霊界の霊媒のインディアン霊、そして地上側の霊媒モーリス・バーバネル(→1932年創刊の週刊心霊新聞サイキック・ニューズの編集長)、この三者の霊的波長の調整に関しては次のような記述がある。

シルバーバーチは「私の方はバイブレーションを下げ、霊媒の方はバイブレーションを高めています。それがうまくいくようになるまで15年もかかりました」(4168②~③参照)。三者が調整を繰り返しながら完全に融合できるまで15年かかったということは、始めて入神した1920年から1935年迄の期間は霊的波長の調整に費やしたということになる。

 

D、霊的真理を地上に降ろす際のルート

高級霊シルバーバーチという名の古代霊

霊界の霊媒でインディアンだった霊

地上の霊媒のモーリス・バーバネル

交霊会参加者及び「シルバーバーチの霊訓」の読者

 

②、霊界通信の判断基準

ア、判断基準

A、ポイント

霊界通信の判断基準のポイントは、「通信内容の質の高さ」と「霊媒の潜在意識に付着している“色”をどれだけ排除できたか」にある。一般に霊界通信は霊媒の潜在意識にある単語や概念を用いて通信を送ること(個人的存在20⑪~21②参照)、さらには霊媒の発声器官を使用すること、このようなことから多かれ少なかれ霊媒の潜在意識にある固着観念に脚色されてしまうものである。

 

B、潜在意識を完全に支配する

霊媒の潜在意識の影響の問題について、シルバーバーチは「回を追うごとに(潜在意識の)コントロールがうまくなり、ごらんの通りになりました。今ではこの霊媒の潜在意識にあるもの(=単語・概念・思想等)を完全に支配して、私自身の考えを100パーセント述べることができます」(917⑮~18②参照)と述べている。

これはバーバネルの“潜在意識による脚色”の問題を完全に克服できたということ、シルバーバーチが事前に用意した通信内容を交霊会において100パーセント述べることが出来たということである。ポイントは三者間のオーラの完全な同調が実現したことにある。これは霊界通信に於いては極めて稀有な事例である。ここに『シルバーバーチの霊訓』が、数多く存在する霊界通信の中でも最高峰の位置を占める理由がある。

 

イ、ホワイト・イーグルの通信

A、ホワイト・イーグルは高級霊

一般にホワイト・イーグルはシルバーバーチと同格の高級霊であると言われている。シルバーバーチも「同志の一人であるホワイト・イーグルには彼なりの考えがあってのことでしょう」(新啓示25④)と述べて、ホワイト・イーグルを同志と呼んでいる。

またシルバーバーチは光明と美に溢れた境涯にいる同輩の多くに「地球浄化の大事業への参加の要請があった」(最後啓示58⑥~⑦)と述べている。推測するにその時の同輩の一人がホワイト・イーグルを名のる霊であったのではないだろうか。

翻訳家の桑原啓善氏によれば、ホワイト・イーグルの霊媒グレース・クック(1979年他界)とシルバーバーチの霊媒モーリス・バーバネル(1981年他界)は親友であったという(桑原啓善訳『光への道』でくのぼう出版206頁⑦~⑧参照)。

 

B、ホワイト・イーグルの通信には霊媒の“色”が強く出ている

 ホワイト・イーグルの霊界通信にはキリスト教や神智学の影響が強く表れている。この理由はホワイト・イーグルと霊界の霊媒(?)と地上の霊媒のグレース・クックの三者のオーラの同調が、完璧の域までは達していなかったことが考えられる。

このためグレース・クックの潜在意識にある、言葉や概念に付着している“色”が、オーラの同調が完璧ではなかったために払拭しきれず、霊界通信にキリスト教や神智学の影響が強く表れてしまったと言える。例えば桑原啓善訳『光への道』と『秘儀への道』(でくのぼう出版)、この二冊は霊媒の潜在意識に存在する“色”が強く出ている。

ここに霊界通信の難しさがある。支配霊又は通信霊が極めて高級な霊といえども、オーラの同調が完璧の域まで達していなければ、多かれ少なかれ霊媒の固着観念に色付けされた霊界通信となってしまうという好例である。

 シルバーバーチは専属霊媒のバーバネルが死去すれば別の霊媒を通じて通信することはないと述べている。その理由を「この霊媒を通じて語るための訓練に大変な年数を費やして来ましたので、同じことを初めからもう一度やり直す気にはなれません」(828⑥~⑨参照)と言う。ここからもオーラの同調がいかに大変であるかが推測できる。

 

ウ、バーバネルの自由意志

A、入神状態に好感を抱かなかった

霊媒のバーバネルは「始めのうち私は入神状態にあまり好感を抱かなかった」(10218③~④参照)。またハンネン・スワッハーの助言にもかかわらず1932年創刊の心霊新聞『サイキック・ニューズ』(10219②参照)にシルバーバーチの霊訓を公表することを拒み続けていた。しかし1935年頃にバーバネルが霊媒であることを内密にするという条件のもとで、シルバーバーチの霊訓が掲載されるようになったという(最後啓示213②~⑦参照)。

 

B、抵抗し続けた期間

このようにバーバネルがスワッハーの助言に抵抗し続けた期間は、シルバーバーチが述べた「(三者のオーラの融合が)うまく行くようになるまで15年もかかりました」(4168②~③参照)との発言から考えると、「純粋なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」を地上に下ろすための準備期間と符合する。ここからシルバーバーチはバーバネルのパーソナリティを熟知していて、頑なな抵抗に合うことを事前に予想していたことになる。

 

C、1935年以降

交霊会で出された霊言は『サイキック・ニューズ』や『ツー・ワールズ』に発表された。その後それらの紙面に掲載された霊訓を編纂して、最初の霊言集が1938年に『シルバーバーチの教え』というタイトルで出版された。そして1959年になって、バーバネル自身が「シルバーバーチの霊媒は誰か、実はこの私である」という見出しで公表した(最後啓示213⑪~⑬参照)。

なおバーバネルやスワッファーも述べているように、シルバーバーチの霊言は句読点を書き込むほかは非の打ちどころのないものであり、あたかも出版を前提とした文章であったという(10221⑬~222③、語る18⑪~⑫参照)。

 

3.既成宗教とスピリチュアリズムとの融合

スピリチュアリズムは「地上人生をどのように生きるべきか」や、人生において遭遇する「困難や苦難にどのように対処したらよいか」など、人の生き方に強く影響を及ぼす思想である。それ故に「信仰・宗教」と相性が良い。スピリチュアリズムが普及し受容されて行く過程で、その地方の「信仰・宗教」と折衷して、スピリチュアリズム思想が変容して行く傾向が見られる。

例えばキリスト教圏では「キリスト教的スピリチュアリズム」として受容されていった。さらに「神道は非宗教であり道徳である」との考え方が一般的だった時代に普及した日本では、「神道的スピリチュアリズム(=和製スピリチュアリズム)」という形式を採用して広がった。またブラジルのスピリチュアリズムは、アフリカ渡来の民俗宗教(カンドンブレ)や土着の習合宗教のウンバンダ、さらには「民俗カトリック」と習合化した「カルデシズム(スピリティズム)」として普及している。以下に於いてこれら三つの代表的な「折衷的スピリチュアリズム」を概観して行く。

 

①.キリスト教的スピリチュアリズム

ア、キリスト教とスピリチュアリズムの融合

A、世界クリスチャン・スピリチュアリスト協会(GWCSA

キリスト教の場合には「キリスト教的スピリチュアリズム(=キリスト教心霊主義)」に、スピリチュアリズムの変質が見られる。この変質の事例として「世界クリスチャン・スピリチュアリスト協会」(GWCSA1931年結成)を取り上げて見る。この協会に入会する際の宣誓書はキリスト教の教義にスピリチュアリズムを接木した“折衷的なスピリチュアリズム”になっている。

例えば宣誓書の中に「私は犯した罪はイエス・キリストの贖罪の力を通じ、本人自身の改悛と他者への奉仕によってのみ、償われ得ることを信じます」とある(アーネスト・トンプソン著、桑原啓善訳『近代神霊主義百年史』コスモ・テン・パブリケーション134頁~139頁参照)。この文章はキリスト教の「贖罪説」とスピリチュアリズムが説く因果律との折衷になっている(→なぜイエス・キリストの贖罪の力を通じなければ償われないのか疑問)。

シルバーバーチは因果律の観点から、いかなる人間も自分以外の者のために代わって苦しみを受けることはできない。自分を成長させるのは自分であり、他人は代わって行うことは出来ないと述べて、贖罪説を因果律の観点から否定している。GWCSAの宣誓書を一読して言えることは、全般的にキリスト教的な表現に満ちていることである。

 

B、確信的なキリスト教徒

 一般に「確信的なキリスト教徒」の場合は、キリスト教の教義がその人の支配思想となっている。そのため後から入ってきたスピリチュアリズムは、その人の支配思想(→キリスト教の教義)に合致するように解釈し直されて変質してしまうことになる。このことは世界クリスチャン・スピリチュアリスト協会(GWCSA)の宣誓書から分かる。

本人がある思想を受け入れたということは、当人の精神面に於いて熾烈な思想闘争を経て、破邪顕正(→誤った見解を打ち破り正しい見解を示すこと)の末に受け入れたことを物語る。その破邪顕正が不完全な場合には、いわば“いいとこ取り”の折衷的なスピリチュアリズムとなってしまう。

 

イ、「キリスト教心霊主義者」と「反キリスト教心霊主義者」

A、ジャネット・オッペンハイムによれば

英国史が専門のジャネット・オッペンハイムは、英国のヴィクトリア朝(1837年→1901年)やエドワード朝(1901年→1910年)の社会精神史を扱った著書『英国心霊主義の抬頭』の中で、スピリチュアリストを「キリスト教心霊主義者」と「反キリスト教心霊主義者」の二つに分けて両者の違いを述べている。

 オッペンハイムによれば「キリスト教心霊主義者」の大部分はキリスト教信者によって占められており、「心霊主義(スピリチュアリズム)によって死後の世界の存在が証明されれば、キリスト教の立場が強化されて教義体系が補強される」(和田芳久訳『英国心霊主義の抬頭』工作舎97頁、120頁参照)と信じているという。これに対して「反キリスト教心霊主義者」の多くは「無神論者や世俗主義者、自由思想家を経由してスピリチュアリストに転向した者である」(『英国心霊主義の抬頭』121頁、141頁参照)と述べる。

 

B、著名なスピリチュアリストの宗教性

オッペンハイムが述べていることは、著名なスピリチュアリストの宗教性を見れば理解できる。たとえば心霊研究協会(SPR)の創設メンバーであるヘンリー・シジウィックやマイヤース、さらにはガーニーやポドモアは聖職者の息子であったが、成長するにつれてキリスト教に対する信仰を失っていった(デボラ・ブラム著『幽霊を捕まえようとした科学者たち』62頁、『英国心霊主義の抬頭』159頁参照)。

またシルバーバーチの専属霊媒のバーバネルは、父親は無神論者であり母親は信心深いキリスト教徒であったため、小さい頃から両親の宗教に関する議論を見聞きしていたと言う。その結果バーバネルは「私は次第に無神論に傾き、それから更に不可知論へと変わって行った」(10215⑥~⑩参照)と述べている。これに対してモーゼスは牧師であったためスピリチュアリズムの受容には熾烈な思想闘争を経る必要があった。その過程の一部がモーゼスの『霊訓』から読み取れる。

 

②.和製スピリチュアリズム

この項目では日本では何ゆえに神道と融合したスピリチュアリズム(→和製スピリチュアリズム)が唱えられてきたのか、その原因を明治以降の歴史を通して明らかにする。

 

ア、明治憲法下での「信教の自由」

A、神道非宗教論

日本では明治初期の一時期、復古的な天皇親政による「神道国教化政策」がとられていた(→18683月王政復古・祭政一致の制に復し神祇官が再興された:太政官布告)。その後明治政府は「開明化政策」を推し進めて、近代国家としての体面を保つために「政教分離」の観点から神道を二つに分けた(→1882124日内務省達及び1884811日太政官達によって“祭と教”が分離された)。この方針は「神道は宗教に非ず、国家の祭祀道徳である」とする「神道非宗教論」に立つものであった。この政府見解は浄土真宗本願寺派の指導的僧侶の島地黙雷(しまじもくらい:1838年→1911年)の説に基づくものという。

 1945年までの日本は、従来までの神道を「祭祀中心の神道(皇室の神道、神社神道):A」と、「信仰中心の宗教主義的神道:B」の二つに分けて、神道からBを切り離して「民間の神道(→教派神道など)」として扱った。Aに付いては「神道は非宗教である(→神道は国民の道徳である)」として国家神道体制をとった。

 

B、神社の強制参拝問題

この国家神道体制下において、朝鮮総督府の神社参拝強制問題や昭和7年(1932年)9月に起きた上智大学の学生による靖国神社の礼拝拒否問題など、たびたび「神社の強制参拝問題」が起きている。

昭和14年(1939年)以降はキリスト教徒であろうと「神社参拝拒否」は事実上不可能な状態になっていた(→なぜなら“神道は宗教ではなく国民の道徳だから”、国民全員が神社に参拝しなければならないとの考えに基づく)。ある学者は「これは“法的強制”はなかったものの“事実上の強制”があり、昭和14年ともなると、実際上、参拝拒否は不可能な状態になっていた」(新田均著『現人神、国家神道という幻想』神社新報社157頁)と述べている。

 

C、信教の自由

明治憲法は第28条に信教の自由が定められていた。条文では信教の自由の権利には「安寧秩序(→公共の安全・平和と社会の秩序が保たれること)」と「臣民の義務」という二つの制限が設けられていた。条件付ながら信教の自由が保障されたとはいえ、それは「皇室の信仰」や「国民道徳であり非宗教である神道」に反しない限りという制約の下であった。

 隣国の中国では現行憲法に「信教の自由」の定めがあり、個々人がどのような宗教を信仰し、宗教活動を行っても、国家権力によって禁止または制限されないという権利が保障されている。しかし2019年時点での実際の運用は、「宗教事務条例」によって宗教活動が出来る場所や条件が厳しく制限されている。これは明治憲法の「信教の自由」と同じである。

 

イ、スピリチュアリズムの普及活動

A、浅野和三郎氏の固着観念

浅野和三郎(1874年→1937年)氏は日本に於けるスピリチュアリズム普及の功労者である。その浅野和三郎氏の思想の形成には、幼少時代の漢学を通じて形成された儒教的な考え方や、郷土に色濃く残っていた水戸学の影響、そして“時代の雰囲気”であるナショナリズムなどが強く影響を及ぼしていた。これらが浅野氏の潜在意識の中に固着して根付いた上に、高級軍人の兄の浅野正恭(1858年→1954年)氏の思想的影響や職場であった海軍機関学校という環境、さらには本田霊学の流れを汲む大本神諭(大本霊学)の影響などが積み重なって、浅野和三郎氏の固着観念に独特な「復古神道・天皇中心主義思想」が育っていった。

このような状況の中で後から入ってきたスピリチュアリズム思想は、浅野氏の支配思想である「復古神道・天皇中心主義思想」と融合した形の「和製スピリチュアリズム」に姿を変えしまった。この結果「スピリチュアリズム思想」は、天皇を頂点としたピラミッド体制の内側に収まる形で語られることになった。

なお「和製スピリチュアリズム」とは、当講座では広い意味として「日本の民俗信仰・日本仏教・神道などが混在した“日本的霊魂観”と合体したスピリチュアリズム」のことを指している。

 

B、時代の制約下にあったスピリチュアリズムの普及活動

戦前の日本は「近代天皇制イデオロギー」や「神国思想」が支配思想となって席巻し、「天皇は“現人神”とされた時代」であった。スピリチュアリズムでは“唯一の神”のみを認めて、天皇の現人神を否定する。従って「国体」を否定するスピリチュアリズムは、戦前の日本を席巻した皇国史観(→天皇中心の超国家主義的な日本史観)とは相容れない。

戦前の「近代天皇制イデオロギー」を過度に強調し皇国史観の超原理主義が蔓延した社会では、日本の「国体」を否定するスピリチュアリズム思想は危険思想であり、そのままの形で広めようとすれば当然に厳しい弾圧を受けてしまい普及は難しい(→1940年~1941年の心霊写真展覧会事件及び心霊関係者弾圧事件を参照)。

例えばスピリチュアリズムを仲間内で語り合い、それを外部に普及させるという“活動形態(→勉強会、読書会など)”をとることは「国体」論との関係から見ても難しかった。このような活動を行えば内通者による通報によって、権力の介入を招き弾圧を受ける恐れがあったから。さらに当時の支配思想とは異なった思想を秘密裏に広げて、唯物論と利己主義を打破して“新しい世界”の建設を目論む秘密結社、または“宗教思想の普及”を装った社会変革を目論む集団と認定される危険性が高いから。

 

C、浅野氏が抜擢された理由

浅野和三郎氏は大正10年(1921年)に発生した「第一次大本事件」に連座して、主犯格の一人として厳しい取調べを受けた。その時の詢問状況から権力が何を問題にして、どのような形で介入してくるのかを体験を通して学んだ。

 このような過酷な体験を通して学んだ浅野氏は、スピリチュアリズムの普及活動にその教訓を生かすことができた。それが当時の支配思想たる皇国史観、国体思想、神道、古神道等を盛り込んだ「日本思想、日本精神」の中に「スピリチュアリズム思想」を取り込み、融合同化して「和製スピリチュアリズム」として打ち立てたことに見られる。それによって権力からの弾圧を上手に回避させることができた。

幸いにも浅野氏自身の固着思想に「復古神道・天皇中心主義思想」があったことから、その変質過程は自然に行うことが出来た。浅野氏という“フィルター”を通って出てきた「スピリチュアリズム思想」は、「体制内思想(→天皇を頂点とする思想体系の枠内に収まる形で)」としての「和製スピリチュアリズム」であった。

 昭和15年秋の「心霊写真展覧会事件」のような個々の事例では、霊能者や関係者は詐欺罪等によって弾圧を受けたが、スピリチュアリズムという思想自体はマルクス主義思想とは異なって、直接に禁止・弾圧を受けることはなかった。なぜなら和製スピリチュアリズムという形で「体制内思想」に姿を変えていたからであった。ここに「復古神道・天皇中心主義思想」を固着思想として持っていた浅野氏が、思想的に厳しい対応を迫られた時代に、霊界から霊的真理普及のために抜擢された理由があった。

当時の支配思想によってスピリチュアリズムは和製スピリチュアリズムに変質してしまったが、この変質によって思想的に厳しい時代を生き抜いて“スピリチュアリズムの命脈”を後世に繋げて行けた。

 

ウ、後継者の活動によって芽を出す

昭和初期の思想的に厳しい時代、浅野和三郎氏はスピリチュアリズムを和製スピリチュアリズムという形に変質させて普及活動を行った。その活動は後継者によって芽を出し(→桑原啓善氏、粕川章子氏、田中武氏、近藤千雄氏などによるシルバーバーチの翻訳)、紆余曲折を経ながら成長して、浅野氏の主だった「同行者や共鳴者」が死去した1980年代以降に花開いた(→日本心霊科学協会の機関誌『心霊研究』19826月号以降に「シルバーバーチは語る」の連載が始まった)。

そして20世紀末から始まった「インターネットの急激な普及」という時代の追い風に乗って、日本のスピリチュアリズム界に従来までの「日本的な霊魂観」と結びついた和製スピリチュアリズに替わって、「純粋なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」という足場(霊的橋頭堡)を、ささやかながらも築くことができた。

なお浅野和三郎氏の死去後の日本におけるスピリチュアリズム史を大まかに見れば、1950年代までは物理的心霊現象全盛期、1960年代から1970年代は心霊治療の定着期、1980年代以降は「純粋なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」の普及へと重点が移り、それが2000年以降はインターネットの普及により加速したという流れとなっている。

 

③.ブラジルのスピリチュアリズム(スピリティスト・カトリック)

ア、「スピリチュアリズム」と「スピリティズム」

現在「近代スピリチュアリズム(=新スピリチュアリズム)」を表現する言葉には、「スピリチュアリズム(Spiritualism)」と「スピリティズム(Spiritism)」という二通りの言葉が用いられている。

前者は「心霊主義」の一般的な表現として使われているが、特に「スピリティズム」に対峙する言葉として用いる場合に“イギリス系スピリチュアリズム(またはアングロサクソン系スピリチュアリズム)”という言葉で用いられることがある。

また後者の「スピリティズム」は“フランス系スピリチュアリズム”を指す言葉として使われている。フランスのスピリチュアリズムは、「再生とカルマ(→再生はカルマと表裏一体の関係にある)」を中心テーマに据えたアラン・カルデックの教義を中心として発達したため、その教義に基づく教えを学ぶ点に特徴がある。

 

イ、指向性の違い

A、英国系は科学的側面を重視

大まかに言えば、イギリス人の持つ実証的精神や探究心旺盛な気質が作用して、当時のイギリス系は「スピリチュアリズムの土台部分である霊魂説(→科学的な検証が可能)」に重きを置いた。このことがその後の心霊研究協会(SPR)の設立などに見られるように、スピリチュアリズムの科学的側面を指向する傾向を強めていくことになった。

英国の科学的側面重視は次のような発言からも分かる。心霊誌「ツー・ワールズ」の主筆であったアーネスト・トンプソンは「再生に付いては科学的に証明できる証拠がありません」「スピリチュアリズムでは再生を原理として採用しません。スピリチュアリズムは科学的事実に忠実に立脚するわけですから、再生を除外したことは賢明なことと言わねばなりません」という言葉に表れている(アーネスト・トンプソン著、桑原啓善訳『近代神霊主義百年史』コスモ・テン・パブリケーション237頁、297頁参照)。

 焦点となった再生は霊魂説からは説明できない。高級霊によってもたらされた霊界通信から明らかになった事柄である。トンプソンが「再生に付いては、科学的に証明できる証拠がありません」と述べている部分は正しい。結局のところ再生は、高級霊からもたらされた霊界通信をどのように理解するかの問題にかかっているから。

 

B、仏国系は信仰・宗教面を重視

これに対してカルデックは「再生とカルマ」や「スピリチュアリズムの立場からキリスト教を解釈し直す」ことを主要テーマに置いた。そのためスピリティズムは霊魂説の上部構造である「スピリチュアリズム思想(→高級霊からもたらされたもので科学的検証が不可能)」を強調した。このことが信仰や宗教との相性を良くして、スピリティズムは強い宗教性を帯びることになった。

 

C、両者の違い

イギリス系スピリチュアリズムは「土台部分(下部構造:C)」の霊魂説にスポットを当てたのに対して、アラン・カルデックは「物理的霊媒は精神的に低い」として「スピリチュアリズム思想(上部構造:B)」にスポットを当てた。

そのためフランス系スピリチュアリズムは、科学の研究分野(→心霊現象の研究)に進んで行ったイギリス系とは対照的に、次第に信仰や宗教性を強めることになった。このように両者は視点の置き所が違っていたため、結果的に「スピリチュアリズムの分裂」という事態を招くことになってしまった。

 はからずも「信念重視は、信仰へ傾斜する:A」傾向へと、「実証重視は、科学へ傾斜する:D」傾向へという形で、両者の指向性の違いがスピリチュアリズムの持つ二面性(→宗教指向と科学指向という相反する立場)からくっきりと浮かび上がってしまうことになった。なおこの信念重視と実証重視という二面性は、“証拠に対して求める厳密さの程度”にも、その違いが明確に現れてくる。

 

ウ、宗教と相性が良いスピリティズム

その後「スピリティズム」は次第に「スピリチュアリズム」とは一線を画して、「カルデックの教義に基づく教え」を指す言葉として使われるようになった。

両者が明確に分離していった理由は、「再生」を巡ってイギリス系のスピリチュアリストとの間で確執があったこと。カルデックの背後霊団の役割は「最初の礎石を置くこと」であり、モーゼスの背後霊団との役割に違いがあった。この違いに見られるカルデックのキリスト教に対するスタンスが穏やかであったこと。さらにはスピリティズムの主要テーマとして「再生とカルマ」を置いたこと。このような理由からスピリディズムは宗教と相性の良い思想となった。

 

エ、スピリチュアリズムの変容

A、ブラジルで盛んになった

スピリティズムはラテン諸国を中心に広まったが、フランス本国ではカトリックの伝統的教義と相反するため衰退した。ブラジルという国は、ローマ・カトリックの影響力の強い国であると同時にスピリティズム(=カルデシズム)の盛んな国でもある。この地でスピリティズムの宣教は1865年頃から始められた(歴史読本特別増刊・事典シリーズ第20号『世界宗教総覧』新人物往来社1993年刊372頁参照)。

 

B、土着の宗教との習合化

ブラジルではアフリカの民俗宗教のカンドンブレやブラジルの習合宗教であるウンバンダなどの「霊と霊媒の宗教」、さらには「民俗カトリック(またはフォーク・カトリシズム)」などと習合化していった。ブラジルのスピリティズムは、宗教統計調査*に「スピリティスト・カトリック」という項目が立てられるくらいに盛んである(→この統計調査ではスピリティズムはキリスト教の一派という扱いである)。

 19世紀後半にスピリティズムがラテン・アメリカに伝えられると「アラン・カルデックの教えを信奉する運動(一種の宗教運動、カルデシズム)」として、“カトリック(→民俗カトリックのこと)”や土着の宗教と習合した「折衷型スピリチュアリズム(=ローカル・スピリチュアリズム)」となって広く普及していった。

 

2000年にブラジル地理統計院(Instituto Brasileiro de Geografia e Estatistica IBGE)が発表した「IBGE、国勢調査2000年――宗教人口統計表」及び、ダヴィド・B・パレット編『世界キリスト教百科事典』(教文館1986年刊)741頁~752頁参照。

 

C、カルデシズムの現状

 現代ブラジルにおけるカルデシズムは、当初のスピリチュアリズム思想から大きく変容しているという。このようにブラジルにおいては、いわばスピリティズムがさまざまな宗教や習俗と結びついて土着化し、次第に変容して「ブラジル化」していきつつある状態が見て取れる(津城寛文著『“霊”の探求』春秋社21頁。および藤田富雄著「ブラジルにおけるカルデシズムの一考察」174頁以下参照)。

 

4、霊界主導による普及活動の経路

①、霊的潮流

ア、デイヴィスの調和哲学

霊界主導で始まった物的地球を「霊的に刷新するための運動(New Spiritualism Modern Spiritualism)」は、ニューヨーク州ハイズヴィルで1848331日の晩に、フォックス家の姉妹と霊の“ラップ(叩音)による会話”で始まった。この霊界主導で始まったスピリチュアリズムの普及運動の幕開けを、事前に背後霊を通して受信していた者がいた。

その受信者とは「調和哲学(哲学的スピリチュアリズム:Philosophical Spiritualism)」を説いたアンドリュ-・ジャクソン・デイヴィス(Andrew Jackson Davis1826年→1910年)であった。

デイヴィスは1848331日のメモ(または日誌)に次のように記している。「けさ日の出頃、寝ている私の顔の上を温かい息が吹き抜けた。そして優しく、しかし力強い声で“友よ、いよいよ仕事が開始された。見よ、生きた証拠が生まれようとしている”と言った。いったい何のことだろうと、一人考えていた」(ジョン・レナード著、近藤千雄訳『スピリチュアリズムの真髄』国書刊行会59頁~60頁、93頁、156頁参照)。

 

イ、先進国の英仏を発信地として広まった

この霊界主導による“運動の口火(1848331日)”は、先進国の大都会に住む上流階級出身者が受け取ったものではなかった。当時の二流国家の農業国アメリカの片田舎に住む、名もない姉妹が霊の交信者となって普及運動の口火が切られたのであった。

このようにして口火が切られたスピリチュアリズムの普及運動は、またたく間にアメリカ中を席巻した後、1852年に霊媒ハイデン夫人の渡英が切っ掛けとなって大西洋を渡ってヨーロッパに舞台を移した。そして各国の上流階級から一般庶民まで巻き込んだ一大ブームとなった。その後当時の先進国であるイギリスやフランスを発信地として、スピリチュアリズムは全世界に向けて、主として「アメリカ→イギリス・フランス→世界へ(日本へ)」という流れで広まっていった。

 スピリチュアリズムは日本や中国が霊界から受信して、そこから世界に向けて発信されたのではなかった。なぜなら19世紀は白人至上主義の時代であり、思想などの普及経路はキリスト教の宣教と重ね合わせた形で、西洋から中南米・アジア・アフリカへという“大きな流れ”が存在していたからである。霊界側はこのような地上世界の勢力図を上手に使って、霊的潮流を全世界に行き渡らせていった。

 

ウ、西洋から東洋へという流れ

定評ある霊界通信にはキリスト教的な“色”が付いていると良く言われる。それは霊界通信の受信者にイギリスやフランスの霊媒が用いられたからである。この為「霊媒現象のメカニズム(→霊媒の潜在意識にある用語を使用して通信が送られる)」からも明らかなように、どうしても霊界通信にはキリスト教的な“色”や、西洋的な価値観が付き纏ってしまうからである(→霊媒が日本人や中国人であれば、同様に通信内容に人種特有の“色”が付く)。

そのような欠陥はあるものの高級霊からの通信の受信者に日本や中国の霊媒を選ばずに、イギリスやフランスの霊媒を選んだのは、ひとえに当時は「東洋→西洋」という流れよりも「西洋→東洋」という流れの方が主流であったこと。この流れを使うことによって1800年代後半から1900年代前半の世界においては最もスムーズにスピリチュアリズムが普及して行くと霊界側が判断して、地上側の「大きな流れ」を霊界側が利用したものと思われる。

 この霊的潮流は、日本には明治時代に西洋の各種思想とともに断片的に流れ込んできた。その後明治末期から大正時代にかけて心霊関係の書籍の翻訳(→主に高橋五郎氏や平田元吉氏らによって英語から日本語へ)という形で、主にイギリス系のスピリチュアリズムが流入して一大出版ブームが起きた。大まかに言えば霊的潮流の日本への流入は、主として「アメリカ→イギリス→日本」という経路を辿って翻訳によって日本に入ってきた。

 

②、スピリチュアリズムは「意識を変える運動」

ア、霊的知識を日常生活に活かしていく

 シルバーバーチは「獲得した知識は着実に実生活に生かしていくように心掛ける」(226⑤参照)などと、事ある毎に「霊的知識に沿った生き方」や「霊性の向上」が最も大切であると述べている。

個々人が「霊性の向上」を目指して行く為には、獲得した霊的知識を「生き方の指針」に据えて、日常生活を変えていく「意識の変革」が必要となる。なぜなら「死の先にも人生は続く(→死は第二の誕生)」という「スピリチュアリズム的死生観」が真に理解されることによって、その人の人生観が大きく変化して行くから。

 

イ、個々人が変われば社会も変わる

スピリチュアリズムの本質的な理解が広がり、普遍的な「スピリチュアリズム思想」を「自らの生き方の指針」にしようとする人たちが数多く出現して行けば、その社会の構成員の意識に変化が生じて、社会の慣習は質的な転換を迫られることになる。

現在のスピリチュアリズム・ブームが今後、表層的なスピリチュアリズム(→世俗的、現象的なもの)から、より本質的な「生き方の指針としてのスピリチュアリズム」に移行していけば、人々の意識に大きな変革が起きて、この世の唯物主義を基調とした社会制度は徐々に変わっていくことになる。

 欧米人には「救世主待望論」を主張する人が多いが、“社会全体の意識レベルの向上”は個々人の意識の変革が積み重なって少しずつ向上して行くもの。一人の救世主が現れて、一夜明ければ地球の霊性が他力的に向上していた、社会が変わっていたというものではない。意識を変える運動は時間のかかる最も困難な「社会変革運動」である。

 

5、講座に寄せられた質問

①、質問その1

<質問>「死んで眠りから目覚める時間はどのくらいか」

<回答>

ア、死とは何か

一般に死の瞬間は無意識状態となっているため死に苦痛は伴わない(4140④参照)。死んでいく本人にとって死は悲劇ではない。あとに残された家族にとっては悲劇となることがある(672④~⑥参照)。なお死ぬ時の様子が意識できるのはよほど霊格が高い人に限られる(4140⑤参照)。

 霊体と肉体との間にはシルバーコードが張り巡らされている。そのコードをスムーズに肉体から引き離す為に霊界の医師が面倒を見てくれる。また魂が肉体から脱け出るのを手助けする為に知人が付き添ってくれている。臨終の床にいる人が良く肉親の霊や知らない人がそばにいるのに気付くのはそのため(3212⑨~213①参照)。これは一般的には「お迎え現象」と言われるもの。

二本の太いシルバーコードが切断した瞬間に死が訪れる。シルバーコードの分離の瞬間が死であり、分離したら肉体は二度と生き返らない(1050⑭~⑮、11207⑥参照)。より正確に言えば物的身体と霊的身体との間には二本の太いシルバーコードと細いシルバーコードが網目状に繋がっている。その太い「シルバーコードの一本は太陽神経叢、もう一つは脳と繋がっている。このコードは弾力性に富み、睡眠中にいくらでも伸びる。死の現象はこれら大小のコードが切断されることから始まり、最後に二本のシルバーコードが切断した時に完結する」(永遠の大道115⑰~116③参照)。

 死に際には大変な量の心霊的エネルギーや霊的エネルギーが放出される。死に際のエネルギー放出によって遠くにいる縁者に「死の予感」を伝える「虫の知らせ」や、生前の姿を見せる「夢枕に立つ」現象などが起きる(到来237⑪~238①参照)。

 

イ、死の眠り

 死とは物的身体から霊的身体に移行する際に振動数が変化する、その変化を意味するに過ぎない。振動数が変化する為には一時的な意識の中断が必要となる(→パソコンでソフトをインストールする際の再起動の様なもの)。なぜなら、魂(意識)がそれまでの一定の振動数の物的身体から異なる振動数を持つ霊的身体へと移るための準備をしなければならないから(永遠の大道114⑩~⑫参照)。死の前後の意識の中断が「死の眠り」である。

他界者はあの世で深い「死の眠り」から目覚めるが、その目覚めまでに要する時間は人によって異なる。なぜなら「死の眠り」の中で死後の世界へ適応する為の調整が行われるので、目覚めはその調整が一定程度進んだ時に生じること。他界者に霊的知識があれば目覚めは早く(語る217⑭参照)、死後の世界を否定する者の目覚めは遅いこと。霊的世界に於ける時間の流れ(精神的時間)は地上世界とは異なっていること。このように目覚めに要する時間は他界者個々人の事情に左右される。

 

ウ、眠ることが必要な者

事故や戦死などの「不慮の死」によって眠ることが出来ない死者は、死のプロセスを進めるために必要な調整、バイブレーションの転換がなかなか完了せずに調整期間が長引いてしまうことになる。この場合でも死者の“表面意識”に「死の自覚」が芽生えてくると、急激な眠気を催すようになる。なぜなら霊的なバイブレーションに切り替える為には眠ることが必要だからである。

定評ある霊界通信には非業の死を遂げた者は張り詰めた意識状態の為に休息が出来ず、事故現場をいつまでもうろつき回る。地縛霊となって周辺をうろつかない為にも休眠をした方が良いとの記載がある(霊訓下125⑫~⑮、126③~⑦参照)。急激なシルバーコードの切断によって意識は興奮状態にあり、眠ることが出来ずに地上をさ迷うことになるから。

 

②、質問その2

<質問>「質疑応答で、死後に眠りにつくがその時間は霊性等により様々とのことでしたが、1、幽界や霊界は時間が存在するのか?

、存在するとして、地上で言う時間と違いがあるのか?

,違いがあればその詳細など」

<回答>

ア、時間の機械的要素と精神的要素

地上の時間は太陽と地球の自転・公転によって刻まれた純粋に機械的な要素が強い時間の流れになっている。霊の世界でも「物事が発生して進行に要する時間」(最後啓示183⑩~⑪参照)は存在するが、地上で用いる時間とは意味が異なっており、精神的要素が強い。同じ時間と言っても地上で用いる時間とは意味が異なる。

シルバーバーチは「こちらでは霊的状態で時間の流れを計ります。言い換えれば、経験していく過程の中で時の流れを感じとります。一種の精神的体験です」(2146⑪~⑫参照)と述べている。

また「復活の日まで待つ」という想念を拵えたキリスト教徒の場合は、自ら作った想念体の中に入り込むので、その想念が破れるまでは“ただ待つだけ”の意識状態に置かれる(→精神的時間の流れはストップしているから)。自ら作った想念体を自分自身で崩さない限りは“霊的牢獄(想念の牢獄)”から抜け出せない(メッセージ70⑪~⑬、71⑨~⑪参照)。シルバーバーチは「もし自分が待っているという事実に気がつけば、その思念体(=想念体)が破れるはず。自分でこしらえた牢獄だから」(547⑫~⑬参照)と述べる。

 

イ、「浦島太郎」の話

日本の昔話に「浦島太郎」の話がある。あらすじは「浦島太郎は浜辺で子供たちにいじめられている亀を助けた。太郎は亀を助けたお礼に海の中にある龍宮城に案内された。龍宮城では乙姫様から手厚い歓待を受けた。楽しい毎日を過ごしていたが次第に村や両親が恋しくなり帰りたくなった。帰り際に乙姫様から「玉手箱」を受け取った。太郎は村に戻ったが両親はおろか誰も知り合いはいなかった。近くにいた老人にここに住んでいた浦島太郎を知らないかと尋ねたら、300年前に海に出て戻らなかった人の名前だと教えてくれた。すっかり落ち込んだ太郎は開けてはいけないと言われた玉手箱を開けると、白い煙が立ち込め太郎は老人になっていた」

 

ウ、死の眠りからの目覚め

この「浦島太郎」の話から霊界における時間(→精神的要素が強い時間の流れ)とこの世に於ける時間の流れ(→太陽と地球の自転公転による機械的な時間の流れ)が分かる。龍宮城で乙姫様から歓待を受けた太郎は楽しいひと時を過ごした。この満たされた時間が村や両親を思い出すことによって破られた。太郎にとって龍宮城での時間の流れは純粋に精神的なもの、精神的な時間の流れの中にある。これが霊界における時間の流れ。これに対して300年という地上の時間の流れは純粋に機械的な時間の流れとなっている。

死後の目覚めに要する時間は霊界側の時間の流れからすれば、「死の自覚(→死んで霊の世界に来たという自覚)」が理解できるまでに霊的波長が整った時点、つまり「死の自覚の芽生え」がAさんの意識に生じた時点で目覚める。これはあくまでも精神的な時間である為にいつ目覚めるかは(→霊的状態の変化)、AさんBさんCさん其々の条件(→霊的知識の有無、霊格の程度、人の為に尽くすなど善意の波動を受ける人は早い)によって異なっている。この眠りからの目覚め(→霊的状態の変化)を地上側から見れば、目覚めまでに要する機械的な時間の流れで計るため、Aさんでは〇〇日、Bさんでは〇〇日、Cさんでは〇〇日かかりましたと表現しているに過ぎない。このように「死の眠り」を霊的視点で見るか(→精神的時間)、この世的な時間で計るか(→機械的時間)によって異なる。

 

③、質問その3

<質問>「臨死体験という現象がありますが、スピリチュアリズムから見たその意義を教えて頂きたい」

<回答>

ア、臨死体験とは何か

A、言葉の定義

臨死体験(Near Death Experience)とは「臨床的に死を宣告された、もしくはそのように見えた者が、その後蘇生した時点で(あるいはそれからしばらくした後に)語る、その間の体験のこと」を指す。

この定義の中で使われる「臨床死(=臨床的な死)」という言葉は「外部から観察できる生命のあらゆる徴候(→意識、反射、呼吸、心臓の停止などのこと)はすべて喪失しているが、生命全体としては死に至っていない状態のこと」を言う。一般に「死のプロセス」は「臨床死」の状態から間もなく「生物学的死(代謝活動の崩壊、腐敗)」へと移行していく。

 

B、「臨死体験」が研究対象となる

臨死体験は世界各国で古くから存在しており「人類に共通した宗教体験」の一つである。臨死体験の研究起源は二つある(笠原敏雄著『超心理学ハンドブック』ブレーン出版1989年刊、273頁以下参照)。

 

<心霊研究、超心理学の系譜>

一つ目の起源は1882年に超常現象を科学的に研究するために創立されたSPR(心霊研究協会)の「死後生存の可能性の検討に沿った研究」である。この系統の研究としては、SPRの創立者の一人であるイギリスの物理学者バレット(William F. Barrett1844年→1925年)が行った研究(1926年)や、アメリカ心霊研究協会カーリス・オシス(Karlis Osis)が行った1961年と1977年の研究(日本語訳、笠原敏雄訳『人間が死ぬとき―臨床例の統計的分析』たま出版)が良く知られている。

 

<偶発事例の収拾の系譜>

 二つ目の起源としては「死後生存との関係は特に顧慮しない研究」であり、「偶発的体験に絞った調査報告」である。スイスの地質学者のアルベルト・ハイム(Albert Heim1849年→1937年)はアルプス登攀中に滑落して臨死体験をした。ハイムは自身の体験から、登攀中の転落事故で臨死体験をした登山仲間の事例を集めて1892年にスイス登山クラブの年報に発表した。この系統にアメリカの精神科医レイモンド・ムーディ(Raymond Moody1944年→ )が行った研究(1975年)がある。

 

C、「臨死体験」ブーム

 上記のように二つの研究起源を持つそれぞれの系統は互いに無関係に行われてきたが、現在では相互に交流しながら研究が行われている。このように「心霊研究、超心理学」の系統で行われてきた臨死体験の研究は、いわゆる「偶発事例の収拾」の系統と合体することによって大きな広がりを見せて、医療現場や医学関係者を中心とした1980年代以降のブームに繋がっていった。

 アメリカでは1970年代中頃から「臨死体験」という現象が注目されるようになってきた。そのきっかけとなったのは医師のエリザベス・キューブラーロス(Elisabeth Kübler Ross1926年→2004年)や、レイモンド・ムーディの著書であった。その後医師のマイケル・セイボム(Michael B Sabom)は1977年に臨死体験の研究報告を『フロリダ医師会誌』に掲載し、その後1982年に著書『Recollections of Death』(邦訳:マイケル・B・セイボム著、笠原敏雄訳『あの世からの帰還』日本教文社2005年)を出版した。このような経緯を経て1980年代になると臨死体験は広く知られるようになった。

 

イ、臨死体験の特徴

A、意識は“肉体の外”にある

臨死体験者の大部分が「意識は肉体の外にある」という体外離脱体験(肉体離脱体験)をしているが、この体験は臨死体験とは関係ないさまざまな状況下でも起こりうる。

多くの臨死体験事例において、体外離脱した際にベッドに横たわっている状態では見えない位置にある医療器具や、医療関係者の動作、医師の頭頂部にある肉体的特徴などを正確に言い当てている。さらに浮揚した状態で病室の外に出ていって、そこに置いてある物品を正確に言い当てた事例などがある。

 

B、トンネル体験

臨死体験者の多くは「暗く長いトンネル」「洞窟や井戸」「筒状の場所」に引き込まれて、信じがたいスピードで暗いトンネルを突き進んだ体験を持つ。その際に「耳障りな音」がしたという報告がなされている。

 

C、“光”の体験

臨死体験者の多くが「光に包まれた世界に入って行く」「光に包まれて至福の時間が持てた」などの体験を語っている。この“光”の体験から宗教性を感じる人と感じない人がいる。

俳優の安田伸氏(1932年→1996年)は1990年(58歳)に肝臓ガンの宣告を受けて二週間余り危篤状態に陥った。その間二回の「臨死体験」をした。安田氏の臨死体験によれば、気が付くと古代エジプトみたいな宮殿で、柱も天井もすべて黄金色、そして宮殿内も遠方も黄金の光で包まれていた場所に佇んでいたという。欧米では宗教性を帯びた「光の体験」が良く報告されているが、安田氏の「光の体験」には宗教性は帯びていない。また安田氏は、臨死体験中は非常に気持ちが良かったと述べている(出典:立花隆著『証言・臨死体験』文春文庫、2001年刊)。

 

D、走馬燈的な回想体験

臨死体験者の中には「一瞬のうちに自分の全生涯を見た」とか、「第三者的な感覚で、相手の気持ちになって見ていた」と報告する事例がある。自分の一生をパノラマ的に展開するのを地上的な時間の感覚ではなく一瞬に感じ取るようである。ここから意識が肉体から分離した状態の空間には、地上世界において“地球の自転・公転という機械的な尺度ではかる時間”とは異なった時間の流れがあること。いわば「時間の精神的要素」が支配した状態で走馬燈的な人生の回想体験をするようである。

 

E、神秘的体験

体験者の多くは自分のそばに他者の存在を感じ取っている。ムーディは『かいまみた死後の世界』の中でこの存在者を「死につつある人間が死後の世界へ容易に移行できるようにするため」(74頁)と述べている。これは霊界通信が明らかにしている「死のプロセス」を順調に完了させるために手引きしてくれる“ガイド”であり、その存在を示唆している。一般に臨死体験者は既に他界している肉親に温かく迎えられたと述べる事例は多い。

 

F、不本意な生還

死の淵から生還した人は「お前の地上での仕事はまだ完了していない。地上へ戻りなさい」と言われて戻るケースがある。体験者によれば大部分の者はいや応なしに戻らされている。

俳優の北林谷栄氏(1911年→2010年)は1989年(78歳)にアメリカのオレゴン州にフジテレビの仕事で滞在していた。その滞在中に頭部前頭葉の動脈瘤破裂で脳内出血を起こした。その際に臨死体験をした。北村氏の場合は「ツル状の植物の棚があって、それが池をおおっていました。そして左側の方に人がいました」「その人は、あなたはここを通れません」と述べた。言葉ではなくその意味が思念で北村氏に伝わってきたという(出典:立花隆著『証言・臨死体験』文春文庫、2001年刊)。

 

ウ、臨死体験が意味するもの

A、物的脳から離れた心の存在

臨死体験者に対するインタビューはある程度の時間がたってから行われるが、臨死体験は通常の体験よりも長い時間にわたって記憶が鮮明に保たれていることが知られている。この点から見て、一般に問題とされる「記憶変容の可能性」は低いといえる。

 臨死体験者の報告事例の中には、本人の視点が肉体の外にあること。その一点からその場の状況を眺めていたこと。体外離脱体験中に起きた心の状態は、臨死体験時の本人の視点は肉体の外にあって、ベッドに横たわる自分の肉体を他人事のような感覚で見下ろす「肉体からの分離感」を伴っていること。肉体から抜け出している間の本人の意識は、肉体ではなく「分離した自分」の中にあること。医師が述べる「ご臨終です」との宣告を、病室の上方から浮揚状態で聞いていた患者は「自分は生きているのに」として反発する意識が芽生えたこと。自分の肉体から分離することによって体が軽くなったような感覚を持つこと。さらに“分離した自分の心の状態”は完全に覚醒して意識水準は高く、驚くほど思考が明晰になっていることなどが報告されている。

このような体外離脱状態での意識の存在は、物的脳によって意識される肉体的な“物的な心”から解放された別のもう一つの心、つまり“霊的な心(肉体を離れた心)”が存在していることを強く示唆している。

 

B、生き方の変化

多くの臨死体験者には「死に対して恐怖感が薄らいだ」など、死に対する意識の変化が生じている。臨死体験とは“霊の世界”の入り口部分を覗いた体験のことだが、臨死体験者は「死」の向こう側にも人生がある(→死後の存続、霊の世界の実在性)という確信が湧いてくる。臨死体験中に“すでに亡くなっている他者との出会い”があった場合は、より強くなるようである。そのため体験者は、その後の地上人生において死を恐れなくなる。

例えばムーディの『かいまみた死後の世界』の中に登場する、ある臨死体験者はその典型例である。「あの体験以来、私は死を恐れなくなりました。葬式に出席しても気の毒だとは思いません。私は亡くなった方のために、むしろ喜ばしい気がします。死者が体験する世界が、私にはわかっているからです」(129頁)とある。

前述した安田氏は「臨死体験ではじめて死ぬのが怖くなくなったということではない。ただあの体験で、死んでいく過程がこんなに気持ちがいいものかと知って、一層死を恐れない気持ちが強くなった」と述べている。この意見も多くの臨死体験者と同様である。

臨死体験中において、その体験者の全生涯を瞬時に見せられる“パノラマ現象(人生の回想シーン現象)”を体験した者は、その後の人生に於いて何を優先するか、という価値観の変化(→財産や業績を重視した価値観から愛や思いやり重視の価値観へと変化)や、その後の地上人生を大切にして、前向きに生きるようになる割合が高くなるようである。従来の「先入観を伴った物の見方が薄らいできた」ことや、「人を裁く気持ちが薄れて寛容さが出てきた」などの報告がある。

 

C、スピリチュアリズムの観点から

臨死体験はあくまでも霊的世界の入り口を覗いただけであり、直ちに「死後個性の存続」の証明に繋がるわけではない。しかし臨死体験が意味するプラス効果として、次のような点があげられている。臨死体験をすることによって死に対する不安が減少すること、今この時を一生懸命生きようとする意欲が増大すること。多くの体験者が広い意味での信仰心が高まったことや信仰心が強化されたことを述べている。さらに医療関係者に対しては「昏睡状態にある患者に対する態度が、完全に意識ある患者に接するときと同様な態度で臨む必要があること」を明らかにした点があげられている(→なぜなら体外離脱状態で医療関係者の会話を聞いているから)。

 臨死体験研究の副産物として「終末期医療に対する考え方」「臨終時体験(お迎え現象)」「死」「死の周辺部」に関する意識を徐々に変えてきたことがある。この臨死体験の研究はキリスト教圏の欧米が先行しており、それが“逆輸入”して日本に入ってきたものであった。

前世紀末からの急激な先端医療技術の発達は、「死」の問題と密接な関係にある「移植医療の領域」と、「生」の問題と密接な関係にある「生殖医療の領域」の発達をもたらした。同時についぞ科学の領域に登場することがなかった“物的世界の外側にある世界”の扉を少しだけ開けて、唯物論的思考が一辺倒の現代社会に小さな“風穴”を開けた。この“風穴”が意識の変化を促す第一歩になって行くのではないだろうか。

 

④、質問その4

<質問>「肉親に全く理解できない性格の人間がいます。周囲はみな一方的に譲歩させられるばかりで本人は反省の色がありません。こういった関係性の因果律についてどのように考えればよいのでしょうか」

<回答>

ア、地上世界とは

A、肉体を通して自我を表現する世界

人間は霊であり、霊性を向上させる為に地球という物的世界に降りて来た。この地球で一定期間を過ごすためには、“本来の私という意識(自我の本体)”は肉体を通して自我を表現しなければならない。それ故に肉体は個別霊が地上世界でまとう衣装に例えられる。

 

B、多様な霊格の霊が交わる世界

地上世界は霊格がバラバラで親和性がない個別霊、本来の住処である霊界(狭義)では絶対に交わることがない個別霊が共通構造の肉体をまとうことによって、地上という同一平面で交わって生活している混在社会である。

C、地上世界は相対性・両極性の世界

地上世界は霊的に見て混在した世界、比較対象の有る世界なので本来の住処である霊界(狭義)では出会うことがない人や体験(→直接体験、間接体験)に日常的に遭遇できる。いわばこの世は両極性に満ちた世界となっている。

 

イ、この世は「学校」

私たちは霊界(狭義)では体験できないことを、地上で直接にあるいは間接に体験することができる。快楽主義者や利己主義者の末路を見聞きして自らの教訓としている。このように地上は霊性向上の為に学ぶ機会に数多く出合える場となっている。地上は両極性の社会故に数多くの学びができるので、この世は「学校」(474⑫参照)であると言われている。

私たちはこの地上世界で苦と楽、悲しみと喜び、愛と憎しみ、勇気と臆病、平静さと怒り、嵐と晴天、明るい側面と暗い側面、困難、闘争など、さまざまな両極性を体験(→直接体験又は間接体験)することによって学んで、各自霊性の向上を図っていく仕組みとなっている。シルバーバーチも「地球は学習のために通う“学校”です。その(学校での)学習は、比較対象の体験による以外には有り得ない」(到来25⑩~⑬参照)。また「人生とは学校です。刻苦と闘争、努力と困難、逆境と嵐の中をくぐってこそ魂は真の自我に目覚める」(4214⑩~⑪参照)と述べる。このようにスピリチュアリズムでは地上世界を「学校」と呼んでいる。肉体は“私という意識”がまとう「学校の制服」である。

 

ウ、再生を因果律から考えると

A、地上人生を承知して出生する

本来の世界にいる「本来の私A」は「再生テーマ(→今回の地上人生で解消すべきカルマと新たな地上体験を積むこと)」を自ら選択して地上世界へ降りていく。一般にその選択が我々の記憶にないのは、地上に誕生すると肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がってこないから(1巻38①~⑤参照)。

本来の世界にいる私はこれから降りていく地上世界での「大枠(→寿命、試練など)」を「本来の私A」の自由意志で決めた。地上に再生した「現在の私A-1」は「本来の私A」が計画した「大枠」に沿って地上生活を送る。再生人生でAが自ら選択した「試練(→広い意味での人間関係に関すること、金銭に関すること、性に関することなど)」を、地上人生を歩む「A-1」は現場サイドの裁量の範囲内でその都度、自由意志を行使しながら選択して行く(→霊性を高める道を選択するか、または霊性を停滞させてしまう道を選択するか)。

 

B、テーマ達成の為、最も適した条件を選択

「本来の私A」は今回の「再生人生におけるテーマ(→カルマの解消と新たな地上体験を積む)」を達成するため、主な「試練」と「寿命」をAの自由意志で設定した。さらにAは再生人生のテーマ達成に最も適した条件(SW)を選択した。その条件とは「国・民族S」「家庭環境T」「性別U」「体質V」「両親W」などである。このように「本来の私A」が設定した「大枠」に沿って「現在の私A―1」は肉体をまとって地上人生を歩んでいく。

 

C、上記を踏まえて考えて見ると

 原因を作っている人を「Xさん」とし、被害を被っている人を「Yさん」として考えて見ます。先ずXさん自身は霊性の低さ故に周りが被る困惑や迷惑が理解できないことが考えられます。また混乱の原因を作っているXさんは、Yさんの家族の一員として生まれることによって“何らかの学び”をしていることが考えられます。いずれにせよXさん自身が原因となって作ったYさんの家族に及ぼした困惑や迷惑行為は、その後マイナスのカルマとなってXさん自身が霊界でまたは再生して償いをすることになるでしょう。

 次にYさん側から考えて見ます。因果律の観点から言えばYさん自身が前世で何らかのマイナスのカルマ(→地上でしか償えないカルマ)を作ってしまったことが考えられます。今回の地上人生でカルマの解消という再生テーマ達成に最も適した家族構成になったものと思われます。また問題児のXさんと家族と言う関係を持つことによって、Yさんに問題の多いXさんの霊性を向上させるという“お手伝いのチャンス”が与えられたことが考えられます。この“お手伝い”はYさん自身のカルマの解消と共に、Xさんに対する“菩薩行(→プラスのカルマを積む)”を行うチャンスとなるから。難しいテーマですがこれが質問に対する私の回答です。

 

⑤、質問その5

<質問>「現在、認知症の母の介護をしております。家族や自分自身すら忘れて行く認知症についてスピリチュアリストはどのように考えたら良いでしょうか」

<回答>

ア、認知症とは

 認知症は記憶力・判断力・理解力と言った認知機能の低下による症状(→物が覚えられない、今まで出来ていたことが出来なくなるなど)や、怒りっぽくなる、攻撃的になる、意味もなく徘徊するなどと言った行動が見られる症状のこと。2025年には推定で65歳以上の2割が認知症になると言われている。

 一般に認知症患者の接し方については、頭ごなしにしかること、細かく指示をすること、指摘をすることなどの「否定する、禁止する、命令する」言葉は避けて、患者が安心して落ち着ける場を作ってあげることが推奨されている。

 

イ、スピリチュアリズムの観点から見ると

霊体と肉体は中間物質が変形した二本の太いシルバーコード(→額の部分と腹の部分にある)と、細いシルバーコードが網目状に繋がっている。認知症患者に特徴的に見られる理解力の衰えなど脳の機能の低下や、知的コントロールの低下に関して、定評ある霊界通信に次のような記載がある。

霊体と肉体を繋いでいる「二本の太いシルバーコードのうちの、脳とつながった一本がすり減ってきて、最悪の場合はプッツリと切れてしまい、魂(=意識)が日中の覚醒時にもダブル(=接合体)の中へ引っ込んで脳との連絡が取れなくなってしまっている。ただもう一本の、太陽神経叢とつながっているコードと、他の何本かの細いコードが繋がっているために身体上の機能だけは維持されている」「一見すると痴呆的な症状を見せていても、その魂(=意識)は少しも惚けていない。脳の機能との連絡が衰えているだけで、自我の本体(→この文脈からでは“自我の本体”ではなく“物的な心”のこと)はダブル(=接合体)の方へ止むを得ず移っているだけ」(永遠の大道126⑭~127④参照)。意識の表現器官が故障しているだけのこと。

 

私の父は2012年に亡くなった。晩年は難聴が進行して認知症になり徘徊を繰り返した。兄の家族が自宅介護をしていたが、何かある度に私が応援に呼ばれた。父の体験から質問者の介護の大変さは良く分かる。父が攻撃的になる度に症状発症前の“穏やかな父”はどこに行ってしまったのかと悩んだ。そんな時に『永遠の大道』の該当箇所を読み気持ちが軽くなったのを覚えている。質問者の参考までに。

 

⑥、質問その6

<質問>「スピリチュアリズムを知らない人に、人生の目的を伝える場合、スピリチュアリストとしてどのように言ったら良いでしょうか」

<回答>

 知らない人にはスピリチュアリズムと言う用語は使わない方が無難でしょう。この用語を使わなくても基本的な霊的真理である因果律や愛の法則などは伝えることが出来ます。

 一般に内省的な人であれば、または節目の年齢(50歳、60歳、70歳など)に達した人であれば、自らの来し方を一度ならず振り返って見たことがあるでしょう。その際に自分の性格上の欠点や繰り返す行動の背後にある問題点に気付くことでしょう。問題点の主なものとして「,人間関係にまつわる問題(1-1:家族、1-2:親戚、1-3:職場、1-4:地域社会など)」「,性にまつわる問題(2-1:〇〇,2-2:〇〇,2-3〇〇)」「,所有欲にまつわる問題(3-1:〇〇,3-2:〇〇,3-3:〇〇)」などが代表的なものになる。

これ等が人生上の節目ごとに現れる「試練(1-1,1-2,1-3,1-4)」となって、この「試練」を使って「地上人生のテーマ」をやり遂げることになっている。この「地上人生のテーマ」は潜在意識の中にあるので、地上人生中に知ることが出来る人は少ない。しかし人生で遭遇する「試練(1-1,1-2,1-3,1-4)」は、自らの面前で展開している事柄なので、穏やかに指摘してあげれば本人も気付くでしょう。その「試練」に対して霊性の向上の道を行くか、または霊性の停滞やマイナスのカルマを作る方向へと進むのか、このアドバイスはスピリチュアリズムという言葉を使わなくても可能でしょう。

 

⑦、質問その7

<質問その7の1>「フォックス家事件について。ネット上で読んだのですが、その後姉妹は、実は一連のことは自分たちが詐欺を行い騙してきたと告白したと知りました。」

<質問その7の2>20世紀初頭のアプローチの変化について。物理的心霊現象が次第に衰退して、心霊治療と霊的教訓と言う高等な側面に変化したということですが、霊界主導で地球を霊的に浄化する目的であれば、誰でも納得できるような物理的心霊現象の方が霊や死後の世界を世間に広められると思うのですが。相対性理論、量子力学などが発達してきた現代だからこそ科学的にアプローチできると思います。さらに世間ではそもそも物理的な現象自体一般的でないのに、高等な側面をどのように理解すればいいでしょうか」

<回答>

ア、フォックス家事件について

 フォックス家の姉妹と通信を行った霊とのやり取りは、内容の重大さに驚いた両親が呼び寄せた多くの村人の注視の中で行われたこと。霊との間の質問はフォックス家に集まった村人に引き継がれて、その中いたダスラーが中心となって、板に書いたアルファベットの文字を指示して霊に質問した、それによって加害者や被害者の名前などの詳細が明らかとなったこと。その際フォックス家姉妹の役割はラップと言う現象を起こす際のエクトプラズムの供給源となった。このような客観的な状況を見ても詐術説は当たらない。

 なお10歳前後の子供に周りの大人から「あれは姉妹が演出した詐術であろう」と迫れば、前言を翻すなど忖度した証言になってしまうのも無理はない。そもそも10歳前後の子供の証言に証拠価値があるのか疑問に思う(→司法機関でも子供の証言の難しさが度々議論されている。唯一の目撃者が子供の場合の扱い)。

 

*三浦清宏著『新版、近代スピリチュアリズムの歴史―心霊研究から超心理学へ』国書刊行会2022年刊行、14頁~参照

 

イ、20世紀初頭のアプローチの変化について

A、シルバーバーチによれば

シルバーバーチは「地上に於いてはその計画達成に二つの方法があります。一つは近道とでもいうべきもので、大勢の人の目を見張らせる方法で手っ取り早く魅了してしまうやり方です(→物理的心霊現象のこと)。これにも利点はあります。が、結果として及ぼす影響力に永続性がありません。容易に得られるものには余り価値はないものです。もう一つの方法は個々の魂が辛苦と闘争と困難、悲しみと悩み、病と悲哀を通して自ら学ぶことです(→心霊治療や霊的教訓のこと)・・・こうして得られたものはそう易々と失われるものではありません」(2巻61④~⑪参照)として、物理的心霊現象の限界を述べている。

 さらにシルバーバーチは地上に戻るにしても物理現象を手段とするか、霊言現象による真理の唱道者となるかの選択があったという。結局難しい道である霊言現象による霊的教訓の道を選んだと述べている(918⑦~⑨参照)。個々人の意識の変革を通して普及を図って行く道、確実ではあるが困難さを伴う道を選択した。

 

B、詐術の嫌疑との闘いの歴史

 スピリチュアリズムは「霊媒現象の歴史が詐術の嫌疑との闘い」(新啓示42⑭参照)であった。これはお金の誘惑に負けた霊媒が頻繁に現れて物理的現象の詐術を行ったことや、奇術師側からの執拗な挑戦があったこと等に見られる。これらがスピリチュアリズム普及の妨げとなった。

心霊現象からヒントを得て、奇術師が取り入れたパフォーマンスの実演は、スピリチュアリズムの勃興期の1851年にはすでに行われていた。心霊現象は詐術であるとの立場をとっていたスッコットランドの奇術師のジョン・ヘンリー・アンダーソン(John Henry Anderson1814年→1874年)は、ニューヨーク公演でテーブル傾斜とラップを取り入れたパフォーマンスを行っている。この時以降、心霊現象は詐術であるとの「アンチ・スピリチュアリズムの世論」を受けて、奇術師側からスピリチュアリズムに対する執拗なまでの攻撃が始まった。そのもっとも顕著な事例に「メンタル・マジック」がある。

 奇術師はさまざまなトリックを考案して、自らのレパートリーを広げて「メンタル・マジック」を作っていった。その結果「20世紀のはじめ、奇術師たちは霊媒のトリックを再現するという口実のもとに心霊術のトリックをショーに仕立てて、予言や読心術を主題にしたメンタル・マジックという分野を開発した」(松田道弘著『トリックスター列伝』東京堂出版2008年刊291頁参照)。奇術師は心霊現象をショーにしたことで、一般人は本物の心霊現象とショーとの見分けがつきにくくなったことが大きい。

 そもそも物理的「現象はせいぜい副次的な意味しかない」(霊訓下57⑥参照)。なぜなら心霊現象の「目的は霊的教訓にある」(霊訓下161④~⑤参照)から。物理的心霊現象はその性格上モノを扱うために、霊界側で働く霊は幽界の下層界にいる霊になる。その低級霊が高級霊の監督の下に各種心霊現象を起こすことになる。その波長は物質性を帯びている為、当然に邪霊の影響に絶えずさらされることになる(霊訓下160⑬~⑮参照)。物質まみれの霊媒が邪霊の標的となって詐術を行い、それがスピリチュアリズム普及の障害となった。

 

C、物理的心霊現象には限界がある

 物理的心霊現象の役割は「霊界や霊魂は存在すること」や、「あの世とこの世は交流している」と言う霊魂説の証明にある。これ以上の深い霊的真理や、霊界人の具体的な生活状況等に関しては地上に降ろすことは出来ない。このように物理的心霊現象には限界がある。

さらに同じ空間で複数人が同じ現象を見ても、全員が納得できるとはいかないものである。その典型例が清田益章氏によるスプーン曲げの実験であった。清田氏が反論の余地がないまでに明白な現象を起こしても、彼は過去に詐術を行ったということだけで、面前で起きた驚異的な現象を認めようとしない者もいるから(超心理学者の笠原敏雄氏の著書、参照)。

 私の印象を言えばこの40年~50年で、スピリチュアリズムに対する受容は格段に進んだという感触を持っている。必ずしも物理的心霊現象に触れなくても、霊的摂理を受け入れることが出来る人が多くなってきたという印象を持っている。

 

⑧、質問その8

<質問>「因果律について」

<回答>

次回の「第3講:基本的な霊的法則、霊界の住人たち」で因果律を取り上げます

 

第1講、近代スピリチュアリズムの歩み(2023年) 

<目次>

1、スピリチュアリズムの基本

・基本的な事柄、用語の解説

・世俗的なスピリチュアリズム

・代表的な死生観

2、スピリチュアリズムの歴史

・素朴なスピリチュアリズム

・近代スピリチュアリズム

・霊的実在の証明手段の変更

3、スピリチュアリズムの位置関係

4、スピリチュアリズムの周辺部

・宗教、オカルティズム、魔術、神智学、ニューエイジ運動、心霊研究

5、講座に寄せられた質問

 

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1,スピリチュアリズムの基本

①、基本的な事柄、用語の解説

ア、言葉の意味

一般に「Spiritualism(スピリチュアリズム)」は「心霊主義」や「心霊学」などと訳されてきたが、現在では英語の発音表記そのままに「スピリチュアリズム」と訳されている。

事典によれば「スピリチュアリズム」とは「広く霊魂の実在と、(その霊魂が)人間に対して様々な働きかけを認める立場」(百科事典マイペディア)のこと。これは「霊魂説」のことである。訳の「心霊主義」に関しては「人間は肉体と霊魂から成り、死により肉体が消滅しても霊は存在し続け現世の人と交渉を持つことが出来るという信仰。特に19世紀中ごろから欧米を中心に流行した同種の思想を近代心霊主義という」(日本大百科全書)とある。

 

イ、「スピリチュアリズム」と「心霊研究」の違い

A、スピリチュアリズムとは

スピリチュアリズム(Spiritualism)とは他界霊の存在を前提として、各種の「心霊現象には霊的に何らかの意味があるとして受け入れる思想」のこと。高級霊から霊界通信によってもたらされた情報をまとめたものをスピリチュアリズム思想という。

「あの世が存在するなら、死んでも“私という意識”が存在するなら、今をどう生きるべきか」といった生き方の問題を各人に問いかける内容を含んだ思想のことをスピリチュアリズムという。

 

B、心霊研究とは

霊能者の周辺で起きる心霊現象がある。例えば何にも無い部屋の空間でラップ(叩音)がなる、原因も無く電灯が点滅する、FAXが原因も無くカタカタとなると言った現象である。心霊研究(Psychical Research)とは「このような心霊現象を科学的立場から調査・研究する」ことである。つまり「心霊現象の研究」のことを言う。このように「スピリチュアリズム」と「心霊研究」は別々のものであり、しばしば混同されることが多い。

スピリチュアリスト(→スピリチュアリズムの思想を受け入れる人)は心霊研究者を兼ねることがあるが、心霊研究者は必ずしもスピリチュアリストではない。現在では心霊研究(=超心理学)は学問分野の一角を占めており学会もある(→日本超心理学会)。日本の学術的な心霊研究は福来友吉氏が明治40年代に行った千里眼や念写の研究に始まる。

 

C、日本心霊科学協会では

『心霊研究』誌は公益財団法人日本心霊科学協会が発行している機関誌である。その創刊号(19472月号)に「日本心霊科学協会会則」が、また法人格を取得(19497月)した翌月号に「財団法人日本心霊科学協会寄付行為抄」が載っている。そこに「本会は心霊現象に関する諸般の科学的研究を行うと共に、その帰結である人生の新指導原理の普及を図って、人類の福祉に貢献することを目的とする」とある。これは『心霊研究』の創刊号以来、表紙に「Psychical Research and Spiritualism」と記載していることと同趣旨である。

海外では「Psychical Research」と「Spiritualism」とは異なる概念のため、別々の組織で運営されているのに対して日本では一つの組織で行っている。これは過去に於いて「スピリチュアリズム」を「心霊主義」と訳してきた経緯から、「心霊主義」が「心霊研究」を含む用語と混同されたこと。さらに欧米から日本に流入した初期に於いて「スピリチュアリズム」と「心霊現象研究」の違いが明確でなかったことに理由があると思われる(注1)。ここに浅野和三郎氏の流れを源流とする日本心霊科学協会という組織の特殊性があり、双方にバランスをとる必要性から運営の難しさの原因があると思われる。

 

<注1>

浅野和三郎著『世界的名霊媒を訪ねて(旧題名、欧米心霊行脚録)』心霊科学研究会発行3頁参照。浅野和三郎氏の「スピリチュアリズム」に対する訳は、最終的には「心霊主義」から宗教性を帯びた「神霊主義」に落ち着いた。

1928年(昭和3年)開催の第三回国際スピリチュアリスト連盟(ISF)の大会に浅野和三郎(神霊主義者)氏は福来友吉(心霊研究家)氏と共に出席した。その際の新聞には「日本のスピリチュアリストの代表として福来友吉が参列する」(前著)と報道された。著名な心霊研究家の福来友吉氏はスピリチュアリストとして紹介されている。

 

ウ、霊魂説とは

「霊魂説」には次の二つの内容が含まれる。まず「死後の世界」の存在を肯定して「死後も人間の個性は存続する」こと。これは「死んでも“私”は生きている」ということである。この世で利己主義者であった者は、あの世でも「霊的に覚醒(霊的自覚)」するまでは利己主義者のまま、利己主義という個性は死んでも維持されるから。

さらに「死者との交信を認めてあの世とこの世は交流している」ことを信じる立場のこと。顕幽の交流がプラスに働けば霊からの有益な情報がインスピレーションとして届くが、マイナスに働けば憑依現象となる。

 

エ、スピリチュアリズムの人体観

この世は「唯物論の世界」である。そのためこの世の科学や医学の人体観では可視の肉体だけを対象としている。但し近年では“心(=物的な心、精神)”の状態によって引き起こされる病気の心身症が注目されている。

これに対してスピリチュアリズムでは、肉体以外に人間の肉眼では見ることのできないもう一つの体である「霊体」の存在を明らかにしている。スピリチュアリズムによれば霊体と肉体という二つの異質な体が重なり合って、または霊体は肉体に浸透する形で人間の体は作られていると説明されている。

両者は質的な差異が大きいため中間物質で出来た“接合体(→ダブルやエーテル複体と言われるものと同じ)”によって結合されている。接合体を正確に言えば「高等な意識中枢(霊的な心)と脳(物的な心)との連絡の仕事を受け持つ精妙な組織」(個人的存在79⑥参照)という表現になる。この接合体は肉体とそっくりな形体をしており、この中に“チャクラ”と言われているエネルギーの流出入口や、東洋医学でいう所の“経絡”が存在する。一般の人は振動数の違いから霊体を見ることはできないが、霊視能力者は見ることが出来る。このようにスピリチュアリズムでは「霊体・接合体・肉体の三者が重なり合う」という人体観を持つ。

 

オ、シルバーコード

霊体と肉体は中間物質で出来た二本の太いシルバーコードによって繋がれている(→額の部分と腹の部分にある、魂の緒ともいう)。スピリチュアリズムではこの二本の太いシルバーコードが切断された瞬間を以って死と呼んでいる(1050⑭、永遠の大道116②~③参照)。肉体はシルバーコードを通して“霊的エネルギー(生命力)”の供給を受けているが、切断によって流入経路が途切れてしまうと自壊作用によって土に帰る。

心霊現象の一つに幽体離脱(→肉体から霊体が離れる現象)がある。この場合には霊体と肉体はシルバーコードによって結ばれている。幽体離脱中に起きる肉体の異変はコードを通して霊体に伝わり、瞬時に両者は合体して身体は再び“物的バリア”に包まれる。

なおこのコードはどこまでも無限に伸びる性質を有している。臨死体験者の中には“銀色の紐”で繋がっていたと述べる者もいる。病床で死の宣告が為された場合であっても、肉体と霊体は依然としてシルバーコードによって繋がっていれば“死者”は必ず生き返る。その間の体験が「臨死体験」として語られている。

 

カ、オーラ

オーラとは身体から放射されるエネルギーのことで、目には見えない光輝性を持った放射物のことを言う。オーラは生物だけでなく無生物からも出ている。なお物品のオーラに刻み込まれている情報を読み取る現象は「サイコメトリー」と呼ばれている。あらゆる存在物、意識を持たない物品にもオーラはある(1239⑬参照)。

人間の場合にはオーラは、主に肉体から発するものと霊体から発するものとがある。肉体のオーラはその人の健康状態や気性、習性などに関連したものが色彩を帯びて表れる(語る432②参照)。霊体のオーラからは魂の状態や霊的進化レベルが読み取れる。このようにオーラにはその人がどんな人物かの情報が刻まれているので、オーラが見える人には「オーラが開いた本のように、何もかも読み取らせてくれる」(語る431⑨参照)。

 

②、世俗的なスピリチュアリズム

ア、一般的なイメージ

世の中の多くの人たちが「スピリチュアリズム」や「スピリチュアル(霊的な)」という言葉に対して抱く一般的なイメージは、おおよそ「占い的なもの」や「娯楽的なもの」と思われる。これはスピリチュアリズムが世俗的な欲求とセットとなった開運や、個人的な慰め・癒しといった“娯楽の一環”として用いられていること、または“生業の手段(→物品販売、霊感商法、占い)”として使われていることからも分かる。

近年マスコミやビジネスの世界で盛んに取り上げられている「スピリチュアリズム」や「スピリチュアル」には、来世の存在や死後個性の存続と言ったスピリチュアリズムが持つ本来のテーマは含まれていない。また霊性の向上と言ったスピリチュアリズムの本質的な理解からは懸け離れた形で世俗的に用いられている(→例えば精神世界や癒しをテーマにしたフェアやイベントなどに特徴的に見られる)。

このように目指す方向が“物質的(→ベクトルがこの世的なモノに向いている)”であることなどに特徴が見られる。その為これらを「世俗的なスピリチュアリズム(現世利益的なスピリチュアリズム)」と呼ぶことができる。一般に世間に流布しているスピリチュアリズムとはこの「世俗的なスピリチュアリズム」を指す。

 

イ、本来のスピリチュアリズムとは

これに対してシルバーバーチに代表される「本来のスピリチュアリズム」とは、個々人が霊的知識を日常生活に活かして、自身の生き方を変えて霊性の向上を図っていくという「実践哲学(→実践を理論の根底に置く哲学のこと)」的な考え方を言う。

「本来のスピリチュアリズム」には各人に対して「来世があるならば今をどのように生きたらよいか、生きるべきか」を問いかけてくる、極めて倫理観に満ちた思想のことである。ここに「世俗的なスピリチュアリズム」と「本来のスピリチュアリズム」との違いがある。

 

③、代表的な死生観

ア、「死は終焉」と考える唯物論者の死生観(イラストA図)

脳科学者を含む多くの人たちは唯物論的な考え方である「心は脳の副産物」とか、「意識は脳の神経細胞(ニューロン)が生み出す脳内過程に過ぎない」という「意識のニューロン仮説」を主張している。この死生観では「私という意識は死によって雲散霧消してしまう」ので、当然に「死後の世界」は存在しないと述べる。そのためより一層この世に対する執着が強くなっていく。

 死後の世界を一切認めない「死は終焉」という考え方の最大の問題点は「逃げ得を許すこと」である。死後の世界は存在しないので存命中に悪事が発覚しなければ「逃げ得」となるので、この世で“悪行の限り”を尽くしても「不正を咎められることはない」と考える人が出てくる。

悪事という原因(タネを蒔く)を作れば何時かは必ず“刈り取り”という結果が待っているはずだが、「死は終焉」なので因果律は完結せずに強制的に終了してしまう。その為この死生観には因果律の観点から見て問題がある。これでは人間社会が長年に亘って作り上げてきた倫理観が崩壊してしまい、ますます社会が悪くなっていく。

 

イ、「生命(霊)の海に溶け込む」という考え方(イラストB図)

上記のような唯物論的な考え方に馴染めない人たちの多くは、死を「生命循環」的に考える傾向がある。これには唯物論に近い考え方の人たち(→死は終焉、但し生きていた証は残る)から、よりスピリチュアリズムに近い考え方の人たち(→弔い上げまでは死霊という名の個別霊、それ以降は祖霊という名の“霊の海”に溶け込むとする日本の伝統的な霊魂観)まで幅がある。

 この考え方によれば、死とともに“私という人格”は消えてなくなって、死後は一種の「生命エネルギーのような大きな海」に溶け込む。そこから「大海の一滴」という形で次の新たな生命が生み出されると説く。死とともに個性を持った自分は消えるが、「生命エネルギー」という概念の中に“自分が存在したという証”は残ると考える(五木寛之著『玄冬の門』ベスト新書124130参照)。日本人は比較的この“生命の海”に溶け込むという「生命循環」的な考え方に馴染み易い。

 

ウ、日本の伝統的な霊的世界観(イラストC図)

日本の伝統的な習俗には、供養の対象となる“死霊(死者の魂)”は「弔い上げ(→最終年忌のことで死後33年目や49年目の例が多い)」によって初めて汚れを拭い去って清まり、個性を失って先祖の霊に融合して「祖霊という霊の海」に溶け込むという考え方がある。いわば死後33年目(または49年目)までは死霊という名の個別霊、それ以降は個性を失って「〇〇家」や「〇〇一族」というラベルの付いた「霊の海」に溶け込んでいくことになる。

この「祖霊」が草葉の陰から子孫を見守る形で、または再生することによって「祖霊という霊の海」と地上にいる一族との間を行き来することになる。なお「祖霊」とは個性を失った“先祖の霊魂の集合体”のことであり、一種の「集合魂(霊の海)」のこと(國學院大學日本文化研究所編『神道事典、縮刷版』弘文堂390頁、『柳田国男全集13』ちくま文庫所収「先祖の話」参照)。これはスピリチュアリズムで言うところの死後も個性が存続する「個別霊」ではない。

 この個別霊たる死霊が祖霊(→死後33年目又は49年目以降は祖霊という名の一種の“集合魂”となる)となり、祖霊は神格化して祖神や氏神として祀られる「死霊→祖霊→祖神・氏神」という流れは、民族宗教である神道にも取り入れられている。神道では「神」と「祖先」との間には明確な境界がなく渾然一体のものとして扱われており、遠い祖先は祖先であると同時に「神(人格神)」としても崇められている。

なお「生命(霊)の海に溶け込む、イラストB図」や「日本の伝統的な霊的世界観、イラストC図」の最大の問題点は、因果律の「自分が蒔いたタネは自分で刈り取る」に反して、自分が蒔いたタネは集合魂という集団で刈り取ることになってしまう点にある。

 

エ、スピリチュアリズムの考え方(イラストD図)

スピリチュアリズムでは「死の先にも人生は続く」と説く。死によって肉体の機能は停止するが、それ以降“私という意識”の表現形体は従来までの鈍重な肉体から、より精妙な霊的身体(→物質性の濃い霊体、いわゆる幽体のこと)に切り替わる。その切り替えには“バイブレーションの調整(→低い物的波長からより高い霊的波長への切り替え)”を伴うため、必ず「死の眠り」が存在する。このように「死」とは生活の場がこの世からあの世に代わる通過点(→乗り継ぎ客は同じでも電車が変わる乗換駅)に過ぎないと主張する。

 

2,スピリチュアリズムの歴史

①、素朴なスピリチュアリズム

霊魂は肉体が滅びても永遠に存在するという考え方は、洋の東西を問わず古代から存在していた。この「霊魂不滅」を前提として「祖先崇拝」や「輪廻転生説」が生まれた(平凡社『哲学事典』参照)。

日本の古代社会では霊魂を「たま」と呼び、死者の霊魂と人間との間を取り持つコミュニケーションの媒介者を「口寄せ」と呼んでいた。この「口寄せ」が「神憑り」して、顕幽の橋渡しを行っていた。旧約聖書の「サムエル記上、28」や「イザヤ書、8」などにも、死者の声を聴く「口寄せ」や霊媒の話が登場するので「神憑り」現象は日本だけの話ではない。

 このような古代から世界各地に存在してきた「死者の霊魂」や「死後の世界(他界)」を前提としたコミュニケーションを「心霊術又は交霊術」と言う。近代スピリチュアリズムの「霊魂説」の観念と共通した部分が多いが、ここには多くの迷信や俗信が混在している。この自然発生的に生まれたスピリチュアリズムを1848年以降のスピリチュアリズムと区別して、便宜「素朴なスピリチュアリズム」呼ぶことにする。

 

②、近代スピリチュアリズム

ア、発端はハイズヴィルの怪奇現象

A、霊との交信が成立

1848年以降のスピリチュアリズムを「近代スピリチュアリズム」と呼ぶ。その発端はハイズヴィルの怪奇現象であった。アメリカのニューヨーク州ロチェスター近郊のハイズヴィルに、幽霊が出ると噂されていた木造の地下室付きの家があった。その家に1847年12月にフォックス家の一家(→夫と妻、そして10歳のマーガレットと7歳のケイトの姉妹。但し姉妹の年齢は資料によりさまざま)が引っ越してきた。

始めのうちは何事もなかったが翌年の3月以降、物理的な原因がないにもかかわらず拳で家の壁を叩く音やノックの音、家中の家具を動かす音などのポルターガイストが連日起きた。331日の夜にひときわ大きなラップ(叩音)が発生したので、姉妹が手を叩くという方法で通信を試みたところ、霊からラップによる返答が返ってきた。通常ポルターガイストは霊からの一方的な現象なので、このように霊との交信が出来たことは極めて異例のことである。

 フォックス家に集まった者と霊との間で、アルファベット表とラップを組み合わせた通信が取り交わされた結果、霊の身元が判明した。霊の身元はチャールズ・B・ロスマ(31歳)という名前の行商人であり、5年前この家に住んでいた住人に包丁で喉を切られて、所持金の五百ドルを奪われて殺害された。さらに死体は階段を引きずられて地下室の土間に埋められた、ということが判明した。

あまりに重大な内容(強盗殺人)のため隣人がさらに隣人をフォックス家に呼び寄せる中で交信が続けられた。翌日、地下室の床を掘って裏付け調査を始めたが水が湧いてきたため中止。その年の夏に作業を再開、僅かな人間の頭髪と人骨が現われたが、殺害された行商人のものと断定するまでには至らなかったという。

 

B、ハイズヴィル事件の56年後

ハイズヴィル事件の56年後、関係者が全員死去した後に急展開があった。1904年11月に“お化け屋敷”の地下室で遊んでいた小学生たちは、地下室の崩れた壁と壁の間から完全な白骨死体を発見した。通報により家の所有者が調査したところ、死体の傍から当時の行商人が金銭を入れて持ち歩いていたブリキ缶が発見された。

このような物証から白骨死体は1848年にフォックス家の姉妹とラップで交信した行商人とされた。この白骨死体発見のニュースは、当時の新聞に載っている。掲載紙は19041123日付『ボストン・ジャーナル:Boston journal』、この紙面に1904年11月22日ロチェスター発の記事として掲載された。

 

イ、心霊現象の発生と霊媒体質者の存在との因果関係

ラップ(→1848331日夜の叩音による交信)によって霊の世界と交信を行ったフォックス家の姉妹の噂は、瞬く間にニューヨーク州北部から近隣の州へと広がり、大きく報じられて評判となった。

当事者である姉妹は事件の渦中から逃れるため、ロチェスターにいる長女の家に引越をしたが、姉妹の行くところには絶えずラップやその他の心霊現象がついて回った。このことからラップ現象は、姉妹の霊媒体質を介して発生したものであることが明らかとなった(田中千代松編『新・心霊科学事典』所収「人類の将来」参照)。

この一連の事実から心霊現象の発生には、エクトプラズムの供給者である霊媒体質者の存在が不可欠であること、心霊現象の発生と霊媒体質者の存在との因果関係が判明した。

 

ウ、エクトプラズム

心霊現象には誰にでも体感したり見えたりする形で現れる「物質化現象・空中浮揚・物体移動・物品引き寄せ・叩音」等の「物理的(客観的)心霊現象」と、霊媒を通して語られる「霊視・霊聴・霊言・自動書記」等の「精神的(主観的)心霊現象」、そして両者の中間形態の「心霊治療または心霊医療」の三つに分けられる。なお「心霊治療または心霊医療」は「身体の病気を治すという意味では物質的だが、病気を治すエネルギーは霊的なもの、二重の要素を持つ」(新啓示41⑭~⑯参照)ので中間形態に分類される。

客観的な心霊現象である「物理的心霊現象」には、霊媒から流出するエクトプラズムがカギを握っている。エクトプラズムは物質と生命との中間的存在(半物質)である接合体(ダブル)の中で作られて、霊媒がトランス状態に入ると外部に流出する。これに霊界の技術者が特殊な成分を混ぜ合せて、物理的心霊現象を引き起こす際の材料として使用する(4巻181③~182④参照)。このエクトプラズムを豊富に作る能力を持っている人が物理的心霊現象の霊媒になることが多い(個人的存在82⑨~⑬参照)。なお霊的体質の違いによってエクトプラズムには個体差がある。

 

エ、科学的検証を伴った心霊ブーム

この時期フォックス家の姉妹に触発される形で、各地に心霊現象を起こすことのできる霊媒が次々と現れた。これら霊媒の周辺で起きる心霊現象に学者や知識人、聖職者などが関心を持ち、アメリカ社会に一大ブームを巻き起こした。

日本でも過去にこれと似たような現象が起きている。1974年にユリ・ゲラーのスプーン曲げがテレビで放映され、これがきっかけとなって各地に能力者(→スプーン曲げで有名となった清田益章氏など)が出現して「超能力ブーム」を引き起こした。また1910年(明治43年)から1911年(明治44年)にかけて起きた「千里眼事件」、これに触発されて「月の裏側の念写」で有名な三田光一氏など、念写や透視ができる霊能者が次々と出現した。これらの日本での現象はフォックス家の姉妹に触発されて能力者が次々と出現して行った状況と似ている。

 アメリカ東海岸で起きたブームは1850年代にはヨーロッパに飛び火し(→1852年霊媒ハイデン夫人の渡英がきっかけと言われている)、1870年以降、化学者兼物理学者のウィリアム・クルックス(英1832年→1919年)など、当時の一流の科学者を巻き込んだ調査研究によって次第に心霊現象の仕組みが明らかになって行った。この調査研究は「科学的検証を伴った心霊ブーム」に道を開いて1882年に学術的な心霊研究機関のSPR(英国心霊研究協会、Society for Psychical Research)創設に繋がった。SPRの歴代の会長には世界的に著名な科学者が数多く名を連ねている。

 

オ、霊との交信は科学的に証明が可能

このような多くの学者が参加した科学的検証によって「霊魂説」が次第に「証明」されていった。ハイズヴィル事件(1848331日)以降の「この世とあの世の交信は科学的に証明が可能」を強調するスピリチュアリズムを、従来の自然発生的に存在する「素朴なスピリチュアリズム」と区別する意味で「近代スピリチュアリズム(新スピリチュアリズム)」と呼んでいる。社会学者の田中千代松氏は「(近代スピリチュアリズムは)死者の霊との交信が科学的に可能であるという確信の上に立っている」と述べている(田中千代松著『新霊交思想の研究:改訂版』8頁⑭~⑮参照)。

 このような科学的検証は「霊魂説」を「証明」して、高級霊から霊界通信によって「質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」が地上世界にもたらされる際の土台部分となった。

 

③、霊的実在の証明手段の変更

ア、物理的心霊現象という形で関心を呼びこむ

スピリチュアリズムの勃興期、霊界側は従来の物理法則では説明ができない現象を「物理的心霊現象」という形で出現させた。そして当時の科学者の関心を呼びこんで、科学的な手段を用いた方法で霊的実在の証明を行おうとした(新啓示40⑧~⑩参照)。この方法は当時の人たちの唯物論的思考や霊的レベルに対応した証明手段であって、霊界側の「一大計画」に沿ったものであった(550⑤~51④参照)。

 

イ、20世紀初頭にアプローチの変化

地球を霊的に浄化するという目的を持った霊界主導で始まった「近代スピリチュアリズム」運動は、20世紀初頭にアプローチの変化があった。著名な科学者を巻き込んで行われた物理的心霊現象による霊的実在の証明の歴史が「詐術の嫌疑との闘いの連続」(新啓示42⑭参照)であったこと、20世紀に入り古典物理学が破たん(→相対性理論、量子力学などの登場)したこと、このような要因によって霊界から地上への働きかけにも当然に変化が生まれてきた。1920年代以降「心霊治療(sprit healing:スピリット・ヒーリング)が盛んになったのはその一つの表れ」であった(新啓示41⑬~⑭参照)。

 シルバーバーチは物理的心霊現象が次第に衰退して「心霊治療と霊的教訓という高等な側面」(9165⑧~⑨参照)が前面に出てきた背景を「地上の人間の進化のサイクルが変わりつつあるからです」(9165⑨~⑩参照)と説明している。さらに心霊治療(または心霊医療)に関しては「身体の病気を治すという意味では物質的ですが、それを治すエネルギーは霊的なもの」(新啓示41⑭~⑮参照)として、現代の風潮にマッチした霊的実在の証明手段の一つであると述べている。

 

ウ、主たる証明方法としての「心霊治療または心霊医療」


心霊医療の名称

主役

A

マグネチック・ヒーリング

ヒーラー自身の肉体エネルギーを患者に与えることによって病気を治癒する

指圧、マッサージ、整体

治療師

B

サイキック・
ヒーリング

サイキック・ヒーラー。
ヒーラー自身の霊体エネルギーを患者に与えることによって病気を治癒する

気功治療、レイキ、手かざしなど

治療師

C

スピリット・
ヒーリング

スピリット・ヒーラー。
霊医が宇宙に遍満している霊的エネルギー(治療エネルギー)を、地上のヒーラーを通路にして患者に流す、これによって病気を治癒する

スピリチュアル・ヒーリング

霊界の霊医

 

A、広義の心霊治療(または心霊医療)は従来からあった

物質世界に現れた霊的徴候から霊界側の意図を推察してみると、次のような霊界側の「一大計画」(550⑧参照)の存在が推測できる。

治療師の生体エネルギーを使った広義の意味での心霊治療(サイキック・ヒーリング、マグネチック・ヒーリング)は従来からあった。この従来からあった心霊治療という形式を用いながら“中身(治療の質)”を高めてより洗練した形に作り変える。これを「霊的実在の証明」の手段として用いる方式が、地上世界に於ける科学技術の発達と相まって1920年代の後半以降、組織的に行われるようになった。

 

B、霊界の霊医による心霊治療(または心霊医療)

この従来の「物理的心霊現象」から「霊界の霊医による心霊治療(sprit healing)」と「霊的教訓」への転換(9165⑧~⑨参照)は、霊界側の地球を霊的に浄化するという目的の下で「地上世界にスピリチュアリズムを普及する」という戦略に沿ったものであった。

なおこれは主たる証明方法が「霊界の霊医による心霊治療」や「霊的教訓」に転換したという意味であり、従来の「物理的心霊現象」を必要とする人や地域においては、霊的理解の為に未だに主たる証明方法として有効な手段として存在している(9102⑫~⑬参照)。

 イギリスにおける「心霊治療(sprit healing)」の功労者の一人で、シルバーバーチの交霊会に招待されたことがあるW.T.パリッシュは(4巻194頁~198頁参照)、癌を患っていた妻を心霊治療で治癒させたことから名声が広まり、1927年から始めて1946年に死去するまで心霊治療に献身的に携わった。

またハリー・エドワーズ(Harry Edwards1893年→1976年)は1930年代初頭より死去するまでの期間、心霊治療の普及に多大な貢献をした。エドワーズが行った心霊治療の効果は、英国医学協会が1956年に発表した公式声明で「医学では不可能なことが起こった」として公認されている(田中千代松編『新・心霊科学事典』の「エドワーズ、ハリー」の項目参照)。このようにして「心霊治療(sprit healing)」は広く知られるようになった。

 

エ、シルバーバーチの出現と「霊的教訓」

A、シルバーバーチは転換期に出現した

シルバーバーチは1920年に霊媒モーリス・バーバネルを介して出現し、オーラの融合のための試行期間を経て1930年代中頃から「本格的」に活動を開始した。これを時期的に見れば「霊的実在の証明」方式が物理的心霊現象から、「心霊治療と霊的教訓という高等な側面」(9165⑧~⑨参照)の段階に移行した時期と重なっている。

シルバーバーチは霊媒バーバネルの潜在意識にある用語や概念に付着している“色”に影響されずに、純粋な霊的教訓を地上に降ろす為のオーラの融合に「15年もかかりました」(4168②~③参照)と述べている。これは霊的教訓を地上に降ろす為に行ってきた三者間の準備や調整が1935年頃に整ったことを意味する。

なお最初の『シルバーバーチの霊訓(日本語タイトル:シルバーバーチの教え)』は、地上側の霊媒と霊界側の霊媒、そして高級霊のシルバーバーチの三者間のオーラの融合が完璧となった後の1938年に出版された。

 

B、『シルバーバーチの霊訓』は対象者限定の教え

シルバーバーチの使命はスピリチュアリズムの土台部分に当たる「霊魂説の証明」にあったのではない。物理的心霊現象を観察するという手段を踏まなくても、または踏むことによって「霊魂説」の上部構造に位置する「スピリチュアリズム思想(霊的教訓)」を理解できる「大人の霊(→霊的に成人した人間の魂)」を対象とした(918⑦~⑪参照)。

このようにシルバーバーチは霊的教訓を誰彼かまわずに説いているわけではない。いわば「大人の霊」を対象とした「対象者限定の教え」である。なぜなら霊的教訓は本人に受け入れる準備ができるまでは、周りが幾らお膳立てをしても受け付けないからである(155⑫~⑬参照)。

シルバーバーチは「霊的に受け入れ態勢の整った人」に訴えて(3107⑧~⑨参照)、霊的教訓に沿った生き方を日常生活の中で実践することを促した(226⑤参照)。このように「大人の霊」を対象としているだけに求めるハードルは高く設定されている(868①~②、193⑨~⑩参照)。そのため“スピリチュアリズムの周辺部”にいる人たちにとっては「シルバーバーチの教えは厳しい」と感じることになる。

 

C、生き方の変革を求める

「霊的実在の証明」方法としての「物理的心霊現象」は、主に「霊魂説」を証明して霊的知識を普及する、そのためのデモンストレーションとしての意味があった。その後に訪れた「霊的実在の証明」方法としての「心霊治療(スピリット・ヒーリング)」は、「霊的教訓」と同様にその本質を本人の霊的覚醒に置いている(9169①~②参照)。いわば病気治癒をきっかけとして、自らの生活や考え方を見直すという“自己努力を伴った生き方の変革”にある。なぜなら心霊治療の目的が「眠れる魂を目覚めさせ、霊的自覚をもたらすこと」にあるからである(1巻129⑩~⑪参照)。単なる病気直しではないから。なお「心霊治療」の普及時期と、霊的教訓を説いたシルバーバーチの出現時期とは密接に連動している。

このような点から判断して霊界の「一大計画」に沿った地上側の進捗状況は、ワンランク進んで地上人類は「新たな時代(→個人の意識の変革、生き方の変革を求められる時代)」に突入したことが分かる。ここから「物理的心霊現象」から「心霊治療と霊的教訓」へという大きな流れの存在が見えてくる。

 

3.スピリチュアリズムの位置関係

<全体の概略図>

宗教・信仰:A(信念重視) ← スピリチュアリズム思想・哲学:B

                   ↑ ↓

              スピリチュアリズムの土台部分(霊魂説):C → 科学:D(実証重視)  

 

ア、「実証重視」と「信念重視」という二面性

スピリチュアリズムの位置関係は「右隣りには実証を重視した科学の世界:D」が広がっており、反対側の「左隣には信念を重視した信仰・宗教の世界:A」が広がっている。

そのため実証を重視するスピリチュアリストは「科学へ傾斜する:D」傾向を強め、信念を重視するスピリチュアリストは「信仰へ傾斜する:A」傾向を強めていく。このようなスピリチュアリズムの「実証重視:D」と「信念重視:A」という二面性は、スピリチュアリストが有する“傾向の違い”だけに留まらず、証拠に対して求める“厳密さの程度”にも違いが現れている。

 

イ、いわゆる「事実」としての「霊魂説」

19世紀後半の西洋社会でブームとなった「家庭交霊会」では心霊現象が頻発して起きた。この心霊現象は間もなく科学者の目に留まり、広く関心を呼び起こして科学的な調査研究の対象となった。当時の一流の科学者の調査研究によって心霊現象の仕組みが明らかとなって、その結果「霊魂説」が確固たる「事実(=いわゆる事実として)」として打ち立てられた。

スピリチュアリズムでは「霊魂説」を「スピリチュアリズムの土台部分:C」としている。この「スピリチュアリズムの土台部分」である「霊魂説」は、実証重視の「科学の世界:D」へと繋がっている。そして各種心霊現象を調査研究する「心霊研究」として発展し、その後「超心理学」と呼ばれるようになって学問分野の一角を占めるに至っている。

 

ウ、スピリチュアリズム思想

この土台部分の「霊魂説」の上部構造には、高級霊から霊界通信によってもたらされた「スピリチュアリズム思想:B」がある。この「スピリチュアリズム思想」には「人生をどのように生きるべきか」や、人生に於いて遭遇する「困難や苦難にどのように対処したらよいか」など、人の生き方を深く掘り下げて考えてみる際のヒントが散りばめられている。

 シルバーバーチも述べているように「知識には必ず責任が伴う」(1巻119⑬参照)ことから、「スピリチュアリズム思想」を学んで知識の分量を増やしていくと、次第にその人の「生き方が問われてくる」ことになる。なぜなら「知識は実生活に活用しなくてはならない」(3巻42⑪~⑫参照)から。いわば生き方の「質的な転換(知識から生き方へ)」を迫られることになるわけである。

この「質的な転換」は個々人の自由意志にゆだねられているが、なかには「スピリチュアリズム思想」をこの世を生き抜くための「生き方の指針(実践哲学、信仰):A」にまで高めていく人も出てくる。そのため上部構造たる「スピリチュアリズム思想:B」は信仰と相性が良く「宗教・信仰の世界:A」へと繋がっている。

 

エ、質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism

このように「スピリチュアリズム思想」には、各自の生き方を変えて個々人の集合体である社会をも変えていく力がある。ここには多くの人が理解する物的指向が強いこの世的な幸福追求型の「世俗的なスピリチュアリズム(現世利益的なスピリチュアリズム)」といったイメージは全くない。むしろ霊的知識を自己の生き方に活かして霊的成長を図るという「実践哲学」的な意味合いが強く見えてくる。

そのため当講座ではスピリチュアリズムを「世俗的なスピリチュアリズム(現世利益的なスピリチュアリズム)」としてではなく、霊的知識を自己の霊的成長に活かしていく「質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」として用いている。

 

4、スピリチュアリズムの周辺部

①、宗教

ア、言葉の意味

この世の宗教の定義は「超越的絶対者あるいは神聖なものの存在を信じ、それを信仰すること。またはそれらの教義・行事・制度・体系」(広辞苑他)のことである。これに対して霊界で言う宗教とは「人のために役立つ行為、霊性に動かされた行為、無私と利他的行為、自分より恵まれない人へ手を差し伸べること、弱き者へ力を貸してあげること」(370⑮~71②参照)を言う。すなわち「奉仕を基調とする宗教」(5130⑮~131①参照)のことである。このようにあの世の宗教とは、奉仕を基調とした利他的行為のことを指している。

また霊界で言う信仰とは、理性に信仰をプラスした「知識を土台とした信仰」(1巻62⑫参照)のことであり、盲目的信仰ではない。このように同じ「宗教」や「信仰」という言葉を使っていても、地上側と霊界側ではその中身は異なっている。

 

イ、「勧誘形態」の違い

この世の教団が行う勧誘には、誰彼かまわずに勧誘する形態が見られる。そこには「しつこい勧誘」や「悪質な勧誘」の話が必ず付きまとう。シルバーバーチは教団が行う勧誘形態、例えば行事や集会の熱狂的な雰囲気を通して多くの人を改心させる勧誘形態では「霊的な価値を悟らせることはできない」(新啓示112⑦~⑧参照)。なぜなら霊的な問題に関する限り、一人一人が理解の程度に応じて受容して行くのであって“集団回心”は有り得ないからと述べる(11103⑨~⑩参照)。

 

ウ、スピリチュアリズムの勧誘形態

A、受け入れる用意のできた人

スピリチュアリズムの勧誘形態は時期の来た「大人の霊(=霊的に受け入れる用意のできた人間の魂:9巻18⑩、8巻20⑦~⑧参照)」一人一人の理性に訴えて、納得ずくによって行う点に特徴がある。なぜならスピリチュアリズムを学ぶということは、その人の「意識の変革(→生き方が変わること)」を伴う行為だから。

 

B、イギリスの諺

イギリスの諺に「馬を水辺に連れていくことはできても、(水を欲しなければ馬に)水を飲ませることはできない」がある。これを「霊的真理が学べる場所(→講座、勉強会など)に友人を連れていくことはできても、その友人に真理を受け入れるだけの時期が来てなければ、理解してもらうことはできない」と読み替えると、スピリチュアリズムが誰彼構わず勧誘する形態をとらない理由が理解できると思う。

本来、宗教の勧誘形態はこの方法なのだが、現状は献金額や入会者数といった組織維持の論理が優先して無理な勧誘が行われている。また数多ある宗教団体の中にはスピリチュアリズムからの“文言を借用”した組織もあると言う。注意が必要となる。

 

C、購入意思のあるお客が店舗に出向く形

スピリチュアリズム(霊的な事柄)に関しては必要としている人が自ら足を運んで真理を得る形態。いわば購入意思のあるお客が自ら店舗を選択して来店する形態(→講座や勉強会などに自らの意志で訪れること)。勧誘側から見れば“待ちの形態”に特徴がある。このように既存の宗教とスピリチュアリズムでは「宗教」の意味する内容に相違があるため、当然に勧誘形態にも違いが見られる。

 

②、オカルティズム(オカルト

ア、言葉の意味

オカルティズムはラテン語の「隠されたもの」に由来する言葉で「隠秘学」「神秘学」などと訳される。一般的な意味としては「通常の経験や科学では認められない超自然的な力の存在を信じ、それを研究すること。占星術・錬金術・神智学・心霊術などをいう」(広辞苑)。

 

イ、スピリチュアリズムとの違い

オカルティズム(但し魔術を除く)もスピリチュアリズムと同様に、高次の存在や高次の世界に関心を持っている。この点で両者には共通性がある。

スピリチュアリズムでは地上世界は体験を積むための「学校」であるとして、永遠の霊的向上に重きを置く。これに対して地上世界に重きを置くオカルティズムは「主知主義(→知性を重んじる立場)」の傾向が強い。視点の置き所が両者では異なっている。

 

③、魔術

ア、言葉の意味

辞書で魔術を引くと「超自然的手段を用いて、善悪いずれであれ自分が望むようにこの世の現象を操作し変えようとするものがマジックである。よい目的を持つものをホワイト・マジック(白い呪術)、悪い目的を持つものをブラック・マジック(黒い呪術)と言う。魔術と呪術を区別していない」(日本大百科全書)とある。日本で古くから心霊の世界で行われてきた「九字を切る」や「魔よけの呪文」などは典型的な魔術である。

一般に魔術は「この世に存在するものは相互に影響を及ぼし合っている」という相互関係に着目する。人の想念は外界の事象に影響を及ぼすので、強い思いを持つことにより期待通りの成果を得られると述べる(→引き寄せの法則と共通する)。つまり魔術とは自分が意図した通りに何らかの変化を生じさせる術のことである。

 

イ、オカルティズムとの違い

オカルティズム(神智学含む)では秘儀伝授(イニシェーション)や意志力を重視するが、魔術もこれらを重視しているのでこの点で両者は共通する。しかしオカルティズムには隠れた力や存在を信じて「超越的存在との合一を目指す」という考えがあるのに対して、魔術には究極的なものに仕えるとか、自己をより高めるといった観念はなく、物質的で自己中心的な満足を求める傾向が強い。

 

ウ、スピリチュアリズムとの違い

 

魔術は物質的な実現を第一義とするが、霊性の開発という肝心な点は欠落している。これに対してスピリチュアリズムでは「本来の私という意識」に潜在している“神の分霊”の顕在化、つまり相応の形体をまとって利他的行為を行う「霊性の開発」に関心が向いている。スピリチュアリズムと魔術では目指している方向が正反対である。

 

④、神智学

ア、本来の意味

神智学の本来の意味は「神秘的直感によって直接に神を認識し神の啓示に触れようとする立場」のこと。この立場からは「神は叡知的な性格を持ち、宇宙は神の叡智によって形作られている」「人間の智や認識も神の叡智に通じる性格を持ち、人間は神を認識し神に近づくことができる」と説く。このような説を述べる神智学は、神の不可知(→人間の五感では証明や計測できないので神を論議の対象外とする)や人間の認識の限界を強調する正統派神学や哲学からは常に異端視されてきた(世界宗教百科事典)。

なお本来の意味としての神智学が言う「神秘的直感によって直接に神を認識し神の啓示に触れようとする立場」については、スピリチュアリズムの観点から見て問題がある。なぜなら肉体をまとった人間の段階では「神」を直接認識することは不可能であるから。霊界人にとっても「神」はその働きにより知り得るのみである。

モーゼスの『霊訓』に次のような記載がある。「神については知ることを得たが、神そのものは直接には知らない」「我等にとっても神はその働きによって知り得るのみ」(霊訓上38⑬~⑮参照)。さらに「神の姿を拝したことはない」「たとえ拝したことが無くても、我らはその御業を通して神の奥知れぬ完璧さを認識する。我等は無数の方法によって神の存在を認識することを得ている」(霊訓下30⑬、31④~⑥参照)。

 

イ、近代神智学

ブラヴァツキーとオルコットによって1875年にニューヨークで「神智学協会」が創設された。この「神智学協会」によって主張された神智学は“本来の意味での神智学”ではなかった。そのため“本来の意味での神智学”と区別する意味で「近代神智学」と呼ばれている。

近代神智学は使用する人の立場によって違いがあるが、一般的には「近代神智学はブラヴァツキーの著作の中で明らかにされた神秘主義を基調とした思想体系を指す」(世界宗教百科事典)とされている。この思想体系は「東洋的要素を大幅に取り入れた点が、キリスト教神智学とは決定的に異なっている」(世界宗教百科事典)。近代神智学は東洋の神秘思想重視の傾向が強い。

 ブラヴァツキーの近代神智学は、当時の著名なスピリチュアリストにも大きな影響を与えた。ちなみに1878年創設の英国神智学協会では、最初の1年間の入会者のほとんどはスピリチュアリストであったという。このように神智学の論理的で思弁的な理論体系は、さまざまな人たちに影響を与えつつ、ルドルフ・シュタイナーの人智学(→1913年創設の人智学協会は西洋の神秘思想を重視)や20世紀後半のニューエイジ運動に繋がっていった。

 

ウ、スピリチュアリズムとの違い

ブラヴァツキーによって始められた「近代神智学」は、オカルティズム・東西の神秘思想・魔術・宗教・さまざまな思想等をミックスして一つの理論体系として打ち立てたもの。この点が高級霊からもたらされた霊界通信を基にしているスピリチュアリズムとは本質的に異なっている。

さらに神智学では「死後の世界」と「霊の存在」は認めるが「顕幽の交流」は否定する。この点でスピリチュアリズムとは立場を異にしている。ブラヴァツキーは「死者の霊は稀な例外的な場合以外は、この世に戻ることはできないと私達は主張します。また、全く主観的な方法による以外は、霊と人間と通信することもありません」(ブラヴァツキー著、神智学叢書『神智学の鍵』竜王文庫、36頁参照)と述べて、スピリチュアリズムの根幹部分である「霊との交流(→顕幽の交流は可能であるので、霊媒を通して特定の死者の霊との交信が可能)」を否定した。

 

⑤、ニューエイジ運動

ア、言葉の意味

1960年代のアメリカに端を発した文化現象に「対抗文化(カウンターカルチャー)」がある。この対抗文化は1970年代に「ニューエイジ運動」として定着していった。ちなみに対抗文化としての多様な形態や行動様式(→音楽、映像、ワークショップ、セラピー、ヨガ、瞑想、東洋医学、地球を一つとみなす環境運動など)を一括りにした全体を「ニューエイジ」と呼んだ。日本では「ニューエイジ」や「ニューエイジ運動」は「精神世界」と呼ばれることが多い。

 その「ニューエイジ」の中でも“霊的な部分を総称した言葉や活動”の総体を特別に「ニューエイジ運動」と呼んでいる。宗教学者の島薗進氏は1970年代以降「ニューエイジ運動」は、「新しい意識や文明への移行が近い」という多くの人々の期待を集めて、先進国にとどまらず第三世界も含めて消費文化が発達した大都市において同時多発的に、多様な形態で展開している運動であると述べる(島薗進著『精神世界のゆくえ』51頁参照)。

 「ニューエイジ」という言葉は、占星術で「魚座の時代が過ぎて新しい水瓶座(アクエリアス)の時代が到来する」という考えが基になっている。魚座の時代は宗教の時代であったが、水瓶座の時代は宗教に代わる新しい霊性(スピリチュアリティ)の時代とされるから。なお社会の有り様も従来の人間中心主義的思考方法から、近年では「ニューエイジ」の思考方法である「共生型や全体論的思考」が市民権を得て生活の中に溶け込んできている。

 

イ、「精神世界」というカテゴリー

日本において“ニューエイジ的な宗教観(ニューエイジ運動)”と呼ばれるものは「精神世界」というカテゴリーで括られている。各種の解説書によれば「精神世界」は以下のような区分けをして説明がなされている。

・神道・仏教・民族宗教的な流れをもったもの

・アメリカのチャネリングやセラピーの流れにあるもの

・神秘思想の流れにあるもの

・臨死体験や退行催眠、体外離脱体験等の超心理学の周辺部にあるもの

・宇宙人・UFOの流れにあるもの

 

ウ、日本に於ける現状

日本ではアメリカとは異なって「伝統的文化に対抗する」という要素は少ない(→アメリカでは支配的なユダヤ教やキリスト教由来の伝統文化と敵対関係にあるのが特徴。キリスト教は「スピリチュアリストは悪魔と戯れる者」と批判した)

チャネリングは日本の巫者(→イタコ、ユタ、卜占、霊能者など)の「霊的メッセージ」と容易に結びつく。アメリカでは既成宗教とは対立関係にあるが、日本ではむしろ宗教団体がニューエイジ的な思想や、スピリチュアリズム的な思想を組織内に積極的に取り込もうとしているように見える。

 

エ、問題点

A、幅広い層を取り込んでいる

一般に「ニューエイジ運動(精神世界)」は個々人のゆるやかなネットワークを中心として、内面の成長を追求したいと願う人々がメインのため、インターネット・出版物・自己啓発セミナー・ワークショップ・〇〇フェア等を媒体として活動することが多い。また「ニューエイジ運動」の当事者は純粋に「意識変容」を目指す人たちから、ニューエイジ・グッズの消費者まで幅広く存在する。

 

B、自己愛から利他愛へ

コップに水を注ぐとコップ一杯まで水が溜まる。さらに水を注げばコップの縁から水があふれだす。この良く使われている比喩を使って“水を愛に読み替えて”説明してみる。

自己変革の第一歩は“己自身を知る”ことから始まる。自分の欠点を認めて有りのままの自分を受け入れること、そこから変化の兆しが見えてくる。ニューエイジ系(→精神世界系)の書籍にしばしば見かける「自己を癒す、自己を許す、自己愛の強調」などのフレーズは、本人自身をコップに例えれば、コップを愛で満たすことを指す(→例えば自傷行為を繰り返す人に対して、まずは自分自身を愛する自己愛へと導く)。コップに少量の愛しかなければ人に優しくなれない(→刺々しい人)。まずは自分自身をいたわり癒し、愛でコップを満たす。そしてコップの縁を超えて溢れ出た愛を、他者に利他的行為と言う形で分け与える。

このように他者に対して利他的行為を行う前段階のウォーミングアップに、ニューエイジ系の主たる関心がある。ウォーミングアップによって次第に本人自身が愛や寛容さという霊的エネルギーで満たされることになる(→コップが愛・霊的エネルギーで一杯になる)。

シルバーバーチはコップの縁から溢れ出した愛・霊的エネルギーを、利他的行為という形で他者に流すことを説いている。なぜなら自己愛ではなく、利他的行為こそが霊的成長に不可欠な行為だからである。ここにニューエイジ系とシルバーバーチが説く霊訓の主たる違い、視点の置き所の違いがある。

 

⑥、心霊研究(超心理学)

ア、心霊研究の始まり

1848年のハイズヴィル(フォックス家)事件に触発されて多数の霊媒が出現した。霊媒を囲んで行われる“家庭交霊会”では、霊界からのメッセージと共にラップ現象などの物理的心霊現象が頻発して起きた。このような霊媒の周りで起きる客観的な心霊現象は、まもなく科学者の関心を引き、ここから心霊研究(心霊現象研究)がスピリチュアリズムを母体として始まった。

 

イ、研究者は現象の再現性を求めた

研究者の“現象面の科学的研究”に対して、スピリチュアリストは「信仰の補強としての役割」を期待した。しかし研究者は現象の再現性(追試可能性)と方法の厳格さを求めてきたために、次第に双方の利害や方向性が対立していった。

その後、研究者は霊媒現象に特有な「捉えにくさ、不確実性、不正の介在」などの問題から霊媒を退けて、一般人を対象として統計学を使った実験心理学の手法を用いる方向へと進んでいった。スピリチュアリストと心霊研究者との間の溝は次第に広がって行った。

 

ウ、スピリチュアリストは梱包材より中身の検証を主張

スピリチュアリストは「心霊現象は人々に霊的なものに関心を向けさせるための手段」であり、次の段階に進むための準備と位置づけた。いわば心霊現象は霊的真理を地上に届けるための“梱包材”のようなもの。その“梱包材”の成分調査や梱包状態の外見調査に明け暮れて中身を開こうとしない、中身の持つ霊的意味を探ろうとしないとの批判がスピリチュアリスト側には根強く存在する。

スピリチュアリズムから心霊研究は分離して、その後霊魂説を放棄して既成科学の傘下へ進む心霊研究(=超心理学)と、霊魂説を前提として霊的教訓を受取るスピリチュアリズムとは、交わることなく並行して進んでいくことになる(→社会学者の田中千代松氏は「同根の平行線」と名づけた:田中千代松編『新・心霊科学事典』所収「総括と展望」参照)。

 

5、講座に寄せられた質問

①、質問その1

<質問>「霊的自覚が芽生えてくれば、偏見や性癖などの意識の持続は徐々に失速して行くとのことですが、個性はマイナス面も含めてその人だと思うのですが、そういう意味では人は亡くなった後は完全に生前と同じ性格や意識では無くなってしまうのでしょうか?」

「もし生前と性格が変わる、あるいは亡くなった人が早く幽界の上層界に行った場合は、残された家族は亡くなった人と二度と会えないことになるのでしょうか?」

<回答>

ア、個性とは仮面(マスク)のこと

 Aという役者にテレビドラマのオファーが来た。そのドラマの中での役柄(個性)は「温厚な父親役」だった。Aはドラマの中で一生懸命に温厚な父親役を演じた。次のドラマのオファーが来た。今度のAの役柄(個性)は「冷酷で貪欲な貿易商」であった。このようにAはオファーが来たドラマの役柄(個性)を次々と演じて行くことによって、役者としてのキャリアを積み上げて行く(→個別霊として霊的に進化して行く)。

 この場合にAが演じた「温厚な父親」という役柄や「冷酷で貪欲な貿易商」という役柄は、A自身が役者の世界でキャリアを積み上げて行くために演じた個性である。これらはドラマの中での役柄である。役者A自身とドラマの中での役柄を区別して考えなければいけない(→地上で見せた役柄と言う個性は、本来の私が有する数多い個性の中の一面)。

役柄(個性)とは役者である「本来の私という意識(=自我の本体、霊的な心)」が、地上世界と言うドラマの中で自我を表現する為にまとった衣装のデザインのこと(→地上的人物像、パーソナリティ)である。一種の仮面である。その仮面(→再生人生のテーマ達成に最も適した仮面)をつけて「本来の私という意識」の霊性向上を図っている。いわば地上とはさまざまな仮面をつけた個別霊が、お互いに触れ合い切磋琢磨しながら体験を積む“仮面舞踏会”の世界であると言えようか。

Aの「地上的人物像(→温厚な父親の役柄、冷酷で貪欲な貿易商の役柄と言う仮面)」を通して潜在意識に取り込んだ地上時代の体験は、幽界の下層界で一種の無害化が為されて客観視できるまでに昇華される。その無害化された“地上体験(→温厚な父親の役柄や冷酷で貪欲な貿易商の役柄を通して得た体験)”は、幽界の上層界から霊界(狭義)へと界層が上昇するに伴い「本来の私という意識」の中に今回の地上体験として溶け込んでいく(→A自身の役者としての幅が広がってキャリア・アップに繋がった)。

 

イ、霊体オーラは「開いた本」のようなもの

 人間は肉体と霊体、そして両者を結合させている中間物質で出来た接合体の三者がワンセットになって出来ている。人間は死と共に肉体を切り離し(→肉体と言う第一段階の燃料用ロケットの切り離し)、中間境で物的波長から霊的波長の切り替えを行う。死者が「明確な死の自覚」を持つことによって霊体(幽体)が完成して、中間物質で出来た接合体を切り離して幽界に移行する(→接合体と言う第二段階の燃料用ロケットの切り離し)。そして物質性の濃い霊体(幽体)のみをまとって霊の世界で生活する。

霊界人は相手の霊体オーラを見て、その人自身であることを確認して接している。オーラを見ればその人の「魂の状態、精神の発達状態、魂の進化の程度も分かる」。また「オーラが開いた本のように、何もかも読み取らせてくれる」(語る431⑧~⑫参照)ので人違いは有り得ない。

 

ウ、死後個性の存続

A、アイデンティティの問題

アイデンティティ(同一性)は何を基準にするかという問題がある。たとえば霊界で大きな仕事をする場合には、各自が持てるものを貢献し合うことが大原則となっている。その仕事のため各自は知識と情報を持ちよって、そのうちの一人が全体を代表して行動する。その期間中は他の者のアイデンティティは薄れて一つになる場合がある(語る196⑩~⑫参照)。

 

B、再会時の識別・身元の確認

地上時代に用いていた名前はその人を認知するための手段の一つであり、身元を確認する上で必要であるため用いているに過ぎない(2巻153②~⑨参照)。また交霊会に何年も前に他界した子供がそのままの姿で出現する場合がある。それは他界時の容貌や性格のままの状態で現れて、自分は死後も存続しているということを分かってもらうためである(3巻203④~⑤、8巻113②~④参照)。なお高級霊になると形体が無くなって光輝を発するようになる。その光輝を見ればその霊の霊格や人物情報が一目瞭然に分かる(2巻153⑫~⑬参照)。

 

C、シルバーバーチは

シルバーバーチの霊訓では「霊というものは自分の識別を容易にしてあげるために、一時的にどんな形体にでも取ることが出来ます」「子供の時に他界して地上の時間にして何十年もたっている場合、その母親が他界してきた時に、一時的に他界時の子供の姿になって見せることができます」(8113②~④参照)。また「何年も前に他界した子供がそのままの姿で出現するのは、自分の存続の証拠として確認してもらうため」であり、「身元の確認が問題とされる時に忘れてならないことは、他界した時点での姿や性格やクセを持ち、その時の姿のままを見せないとあなた方が承知してくれないということです。そこで霊媒に映像を見せてそれを伝達させます」(3203④~⑦参照)とある。

 

②、質問その2

<質問>「心霊治療について教えて頂きたいです。息子の“うつ”が治らなくてどうにかしてあげたいと親として思っています」

<回答>

ア、うつ病とは

 日常生活の中で憂うつと感じる出来事は多いが、健康な人は原因が無くなれば憂うつ感は消えて行く。しかしうつ病の人は原因が無くなっても憂うつ感から解放されることがない。いつでも強い抑うつ症状を持ち続けてマイナス思考に陥る。

各種の調査からも明らかなように近年うつ病の患者は急増している。特に働き盛りの世代では、仕事による過労やストレスからうつ病を発症する人が多いという。真面目で他人に気を遣う性格の人ほど生きづらさを感じてうつ病を発症して、引き籠りの症状が出て来る。

 

イ、病気の原因

 シルバーバーチは「健康とは身体と精神と霊の三者の関係」が調和状態にあること(1127⑫、9171⑧参照)。これに対して病気とは、三者間の調和の欠如によって生命力の流れが阻害され、病的症状が出る状態であると述べる(2193⑬、9171⑦~⑪参照)。上記の「身体」とは肉体のこと。次に「精神」とは「地上的自我意識(物的な心)」のこと。「本能に起因する意識」と「霊的意識(本来の私という意識)」という出自が異なる二つの意識が物的脳で統合されて「顕在意識」となる。この「顕在意識」を通して形成された「地上的自我意識(物的な心)」のこと。さらに「霊」とは“神の分霊”を内在させた「本来の私という意識(霊的な心)」のことを指す。

人間は自由意志を濫用して、其々のレベルに応じた摂理違反行為を日常的に行っている。たとえば暴飲暴食や昼夜逆転の生活など「身体レベル」で、また「精神レベル」では過重な緊張やストレスなどの負荷を日常的に掛けている。さらに霊性の低さに起因する利己主義や貪欲等の「霊的レベル」で不調和状態を自ら作っている。この他に私たちは日常的に“過度の心配や取り越し苦労をする”ことによって、「生命力が流れる通路を遮断」して病を発症させている。さらに病気の中には「カルマが原因」となって発症している場合もある。このように霊的摂理に違反することを行った結果、「身体と精神と霊」とが不調和状態となって病が発生する。

 

ウ、霊的エネルギーを循環させる

 宇宙に遍満している霊的エネルギーは本人が霊的摂理に則った生活(→霊が主、モノが従)や他者に対して利他的行為を行うことによって、本人の「霊的な心→霊体→接合体→物的な心→肉体」と循環して各部位を活性化させて行く。

一般にうつ病は過重な緊張やストレスが引き金となって、霊的エネルギー(生命力)が流れる通路を無意識に遮断している場合が多い。また自分自身を愛する自己愛は程度に違いはあるが誰しも持っているものだが、中には必要以上に強い自己愛の持ち主がいる。この場合も自分自身で霊的エネルギーの循環を阻止している。

 

エ、上記を踏まえての回答

 シルバーバーチは「精神上の病も(心霊治療で)治すことができます」(9巻190⑥参照)、「(精神病が)直接治療ができない場合は遠隔治療でエネルギーを送ってあげればよろしい」(最後啓示206②~④参照)と述べている。このように精神病の一種であるうつ病は心霊治療で治せる。

心霊治療を受けると一時的ではあるが、多少なりとも霊的エネルギーの循環が回復して、やる気が湧いて気力がみなぎると言ったプラス思考ができるようになる。しかし今回の病気をきっかけにして自分自身を見つめ直して、従来の「利己的で自己愛的な生き方や考え方」から「利他的な生き方や考え方」へと、意識を根本から変える為の本人の努力が伴わなければ、うつ病の完治は難しいと思われる。

 

意識の変革は日常の何気ない行動が積み重なって変わって行くもの。もし本人の協力が得られるならば、最初は目標のハードルを低めに設定して徐々に高めて行くという方法がある。あくまでも主役は本人であって、家族はサポート役に回る。

その一つの方法として引き籠りを伴ったうつ病の場合は、本人自身の日常行動を客観的に見させる為に「視覚化する」方法がある。例えば一日一回散歩でも買い物でも良いので、外出が出来た場合は「〇」、玄関先まで出られた場合は「△」、一歩も部屋から出られなかった場合は「×」、この「〇△×」をカレンダーの日にちの数字の下に記載して視覚化する。連日「×」が続くとせめて一日くらい「〇」に変えたい、このような意欲が本人に湧いてきたらしめたもの。意識を変えるきっかけとなるから。

 

③、質問その3

<質問>「類魂意識とユングが定義した集合的無意識との違いについて」

<回答>

ア、ユング心理学

「ユング心理学」は深層心理学の一つに分類されている。深層心理学とは「表面(または意識)に現れた心理現象や行動の背後には、表面に現れない無意識的な心理過程や動機があると仮定し、その仕組みを研究する心理学」(百科事典マイペディア)のこと。

ユングは「集合的無意識」という概念を使って「無意識」の働きを説明した。ユングが提唱した「集合的無意識」とは事典の記載によれば「個人的な経験を超えた、人類に普遍的にある無意識。人の心の深層には、祖先の経験したものが蓄積されているとする考えによるもの」(広辞苑)。また「個人的な経験が抑圧されたものを個人的無意識と言うのに対して、普遍的・超個人的なものを集合的無意識という」(ブリタニカ国際大百科事典)とある。このように「集合的無意識」という概念は「すべての人の無意識の世界が繋がった“人類共通の無意識の世界”が存在するという考え方」のこと。

「ユング心理学」は学問的に人の心の働きは無意識が大きく影響するということを明らかにした点に特徴がある。近年研究が進んでいる「トランスパーソナル心理学」も「ユング心理学」と同様に「個を超えた無意識の世界(超個的無意識)」の研究、つまり「人間の知覚を超えたものが人間の心理に与える影響」(ブリタニカ国際大百科事典)を研究している。

 

イ、スピリチュアリズムで言う所の「意識」とは

A、シルバーバーチの見解

 私たちの「意識」は多重構造をしている。シルバーバーチは「意識は脳とは完全に独立した形でも存在することが出来る」(3巻194⑩~⑪参照)、また「意識にも次元の異なる側面が無限にある」(7巻189⑥参照)と述べる。

 

B、顕在意識

まず「意識」には物的脳を介して働く「顕在意識」がある。私たちが日頃用いる「意識」は物体である脳の機能を介して働いている。自我の本体である「霊的な心(本来の私という意識)」から微弱な波動の形で物的脳に流れ込む「霊的意識」は、肉体から発せられる生命維持の為の機能、肉体の各部位から発せられる生理機能、種の保存の為の要求など、自己保全的に働く肉体本能の影響を強く受けるため、顕在意識に占める霊的意識の割合は限りなく低くなる。

 

C、潜在意識の浅い部分

次に「顕在意識の地下領域に相当する意識」(4巻156⑨参照)がある。この「意識」を「潜在意識」という。「潜在意識の浅い部分」にはもっぱら今生を生きる人間の「日常生活で機械的・自動的に行われる身体機能や思考パターン」と「成長過程で身に付けた経験や知識」、さらには「地上生活中に取り込んだ宗教の教義や特定の思想」などが溶け込んでいる。この「浅い部分にある潜在意識」には今生を生きる「個人に関する記憶の貯蔵庫」がある。

 

D、潜在意識の深い部分

この「浅い部分にある潜在意識」の奥には「深い潜在意識」の領域がある。ここに前世の記憶を含む「個人に関する記憶の貯蔵庫」が存在する。この「深い潜在意識」に「神の分霊」が潜在している。またこの「深い潜在意識」は類魂意識と繋がっている。

「神の分霊」の顕在化が増すごとに「深い潜在意識」は一段と拡大して「地球意識」へ、さらには「宇宙意識」へと拡大して行く。なお霊性の進化とは潜在している「神の分霊」をより多く意識の領域に顕在化して行くことである。

 

E、地球意識、宇宙意識

霊からの通信には「アカシック・レコード」に関する記載が見られる。例えば「宇宙には資格ある者なら自由にそして存分に我がものとすることが出来る莫大な霊的宝庫が存在する」(716④~⑤参照)とか、「宇宙の記憶の層には生きとし生けるものすべてのバイブレーションが記録されている」(個人的存在238②参照)などの記載がある。なお「記憶の層」には個別霊レベルの「今生に於ける記憶の層や前世に於ける記憶の層」、さらに「人類レベル・地球レベルの記憶層」、この奥に「宇宙レベルの記憶層」がある。

個別霊は「神の分霊」の顕在化に伴って意識は拡大して行く。まず「個人に関する記憶の貯蔵庫」のレベルから「国や地域の人たちが集積した情報や記憶の貯蔵庫」にアクセスが可能となる。さらに意識は拡大(→意識により多く“神の分霊”が顕在化すること)して「地球意識」に至れば「地球に関する情報や記憶の貯蔵庫」にアクセスが可能となる。さらに「神の分霊」の顕在化に伴って意識は拡大して「宇宙意識」と呼ばれる段階に至る。この段階の個別霊は「宇宙に関する情報や記憶の貯蔵庫」にアクセスが可能となる。このように意識は無限に拡大して、理屈の上では究極の形である「私の意識=神の意識」に至る。

 

ウ、結論

 意識の拡大を上記のように「意識の霊的進化」として考えて見れば、ユングの言う「集合的無意識(人類共通の無意識)」という概念は、スピリチュアリズムで言う「人類の総体としての潜在意識」(永遠の大道148②参照)と読める。その点で両者は共通している。しかし同じ結論に至るにしても、ユングの「集合的無意識」は学問上の仮説なので、霊の存在を前提とするスピリチュアリズムの意識とは説明の仕方に違いがある。

遠い将来この地球上に住む人類の意識が拡大して「地球意識」まで進化すれば、その時の人類の意識は「地球は巨大な生命体(ガイア理論)」という意識状態に至るであろう。

 

④、質問その4

<質問>「霊的真理を授かる恩恵に至った人と言うのは、やはりシルバーバーチ霊が言うような人生のどん底や物質的に絶望した人たちなのでしょうか。調べたことが無いので分からないですが、個人的体験談でもいいので先生の解釈を聞かせていただけたら幸いです」

<回答>

ア、『シルバーバーチの霊訓』では

シルバーバーチは「悟り(→魂の目覚めのこと)は悪戦苦闘の中で得られるもの」(1巻112⑪参照)、「大切な知識、偉大な悟りというものは悲しみと苦しみという魂の試練を通じて得られるもの」(699④~⑤参照)、「魂が目覚めるまでは往々にして悲しみや病気がお伴することになる」(12211⑫参照)、「霊性というものは苦悶と病苦と悲哀の体験を通して初めて覚醒するもの」(語る206⑫参照)などと述べている。

 悪戦苦闘には物質的な面と精神的な面の双方がある。なお精神面に於ける悪戦苦闘は他人からは窺い知れないので、本人が言わない限り分からないことが多い。悪戦苦闘の主な事例を列挙すれば「病気、様々な人間関係、夫婦の問題、子供の問題、お金の問題、雇用・解雇、倒産、事故、災害」等があり、これ等が切っ掛けとなって、モノ的に又は精神的に悪戦苦闘することがある。その危機的体験が触媒となって居眠りしている魂(意識)を目覚めさせることに繋がる(1145⑬~⑮参照)。

 なお「地上世界は、洞察力に富む一部の人を除けば、大きな悲しみの体験をさせられる前に、霊的真理の必要性を知る人はほとんどいない」(道しるべ42⑧~⑨参照)という。

 

イ、魂の目覚め

霊的真理を理解するには魂(意識)に受け入れ態勢が出来上がっていることが必要と言われている。この場合の「受け入れ態勢」とは、何らかの体験が触媒となって自我を内省する状態のことを言う(826⑮~27①参照)。そして魂が目覚める(→自分とは何者か、何の目的で地上に存在するのか?)ためのチャンスが一人一人に必ず地上生活中に訪れることになっている(9169⑫、8巻169⑨、170⑪参照)。地上生活に悩みと苦しみが絶えないのは魂が目を覚ます場所だから(9165①参照)。

 

ウ、個人的な体験

 私の20代から30代に掛けては、精神的に追い詰められた苦しい時期であった。その苦しい時期に日本心霊科学協会を知り、スピリチュアリズムの世界に関心を持った。50歳の時に今後は『シルバーバーチの霊訓』をベースにしたスピリチュアリズムを、私のライフワークにしようと思った。但しあくまでも個人的な研究であり、現在のように「人前に立つ」ことは全く想定していなかった。

これ以降、人生の岐路に差しかかる度ごとに目の前のドアが開いて、その開いた道を進んで行くと何時しか参加者を前にして「人の生き方」を説くようになっていた。このように私の来し方を振り返れば『シルバーバーチの霊訓』にある通りの半生だったと思う。

 

2022年『シルバーバーチの霊訓』連続講座 目次

2022年の講座(イラストは省略)

第1講:基本的事項の整理、その1(2022年)

 

第2講: 基本的事項の整理、その2(2022年)

 

第3講:思想家を悩ませてきた問題(2022年)

 

第4講:顕幽の交流(2022年)  

 

第5講 心霊治療・医療(2022年)  

 

第6講:霊性の向上(2022年)

 

第7講:動物について(2022年)

 

第8講:意識の変遷・拡大、その1(2022年) 

 

第9講:意識の変遷・拡大、その2(2022年)

 

2022年『シルバーバーチの霊訓』連続講座の開催に際して

2021年『シルバーバーチの霊訓』連続講座 目次

2021年の講座

第1講:スピリチュアリズムの基本――霊的摂理について <2021年、講義用ノート>

 

第2講:スピリチュアリズムから見た「死」とは <2021年、講義用ノート>

 

第3講:他界霊の意識の変化 <2021年、講義用ノート> 

 

第4講:霊的に成長する為には <2021年、講義用ノート>

2020年『シルバーバーチの霊訓』連続講座 目次

2020年の講座

第1講:生き方としてのスピリチュアリズムとは <2020年、講義用ノート>

 

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◆講義録の掲載について

本稿は公益財団法人日本心霊科学協会で行った「シルバーバーチの霊訓、連続講座」の為に、準備した“講義用ノート”をアップしたものです(講座では時間の制約もあり“講義用ノート”の全てを講義したものではありません)。

なお2020年講座の第2講以下は“コロナ禍”のため中止となりました。

 

2019年『シルバーバーチの霊訓』連続講座を開催するに当たって

数多くある霊界通信の中でも最高峰と言われるのが『シルバーバーチの霊訓』です。この霊訓は『サイキック・ニュース』の主筆モーリス・バーバネル(19021981)が霊媒となった交霊会で、霊言形式で霊的教訓が語られてきたのを編纂したものです。日本では『シルバーバーチの霊訓』は近藤千雄氏の訳に限って見ても20冊ほど出版されております。

 

近年シルバーバーチに関心を向ける人が増えてきております。しかしシルバーバーチが現代人に伝えようとした霊的教訓を限られた時間の中で理解するのはなかなか困難なものです。そのため多くの愛読者に見られる陥りがちな傾向に「偏った断片的な理解」があります。

今回『シルバーバーチの霊訓』を学びたい方々にとって、霊訓の全体像を理解する為の一助になれば幸いと願って、連続講座を開催することに至りました。

 

スピリチュアリズムの基本と「統一教会」の原理思想の検証(レジュメ&資料) ―2022年11月「雑学のつどい」にて報告—

◆はじめに

・「霊」や「あの世」のことは五感で認識できない見えない世界の話なので多くの人は関心を示さない。また再現性がなく科学の対象にもならず議論がかみ合わない。

・人は年齢を重ねれば社会に関する経験知は豊富になって行く。しかし精神的世界(→死後の世界、信仰、瞑想)は自ら実践するなどの意識的アプローチが無ければ体験できない。

・その結果、多くの人はスピリチュアリズムに関する知識が無い為に、たやすく「統一教会」や「霊感商法を扱う団体」の言葉に騙されてしまう。

・霊的知識を身に付けて「霊感商法」に騙されないようにしましょう。

 

1、スピリチュアリズムの基本

①、「Spiritualism(スピリチュアリズム)」とは

ア、言葉の意味

・一般に「Spiritualism(スピリチュアリズム)」は「心霊主義」や「心霊学」などと訳されてきたが、現在では英語の発音表記そのままに「スピリチュアリズム」とされている。

・辞書で「スピリチュアリズム」を引くと、「広く霊魂の実在と、(その霊魂が)人間に対して様々な働きかけを認める立場」のこととある。これは「霊魂説」のことである。

 

イ、「スピリチュアリズム」と「心霊研究」の違い

・スピリチュアリズムとは他界霊の存在を前提として、各種の「心霊現象には霊的に何らかの意味があるとして受け入れる思想」のこと。これに対して心霊研究とは「心霊現象を科学的立場から調査・研究する」こと、両者は別々のもの。混同されることが多い。

・スピリチュアリスト(→スピリチュアリズムの思想を受け入れる人)は心霊研究者を兼ねることがあるが、心霊研究者は必ずしもスピリチュアリストではない。現在では心霊研究(=超心理学)は学問分野の一角を占めており学会もある(→日本超心理学会)。

・日本の学術的な心霊研究は福来友吉氏が明治40年代に行った千里眼や念写研究に始まる。

 

②、霊魂説とは

・「霊魂説」には次の二つの内容が含まれる。

・まず「死後の世界」の存在を肯定して「死後も人間の個性は存続する」こと。これは「死んでも“私”は生きている」ということ。この世で利己主義者であった者は、あの世でも“霊的に覚醒”するまでは利己主義者のまま、利己主義という個性は死んでも維持される。

・さらに死者との交信を認めて「あの世とこの世は交流している」こと。この顕幽の交流がプラスに働けば霊からの有益な情報がインスピレーションとして届くが、マイナスに働けば憑依現象となる。

 

③、スピリチュアリズムの人体観

*人間の構造は三者が合わさって構成されている

・この世の既成科学や医学の人体観では可視の肉体だけを対象としている(→但し近年では心の状態によって引き起こされる病気の心身症が注目されている)。

・スピリチュアリズムでは、肉体以外に人間の肉眼では見ることのできないもう一つの体である「霊体」の存在を明らかにしている。

・スピリチュアリズムでは霊体と肉体という二つの異質な体が重なり合って、または霊体は肉体に浸透する形で、人間の体は形成されていると説く。

・両者は質的な差異が大きいため中間物質で出来た接合体(→チャクラと言われるエネルギーの流入・流出口や、東洋医学の経絡はこの接合体の中にある)によって結合されている。

・両者の関係は「肉体をスポンジに霊体を水に見立てて、水を含んだスポンジ」に例えられる

・一般の人は霊体を見ることはできないが、霊視能力者は見ることが出来る。

 

④、シルバーコード

・霊体と肉体は二本の太いシルバーコードによって繋がれている(→額の部分と腹の部分)。スピリチュアリズムでは「死」とはこの二本のコードが切断された瞬間のことを言う。

・シルバーコードを通して肉体は“霊的エネルギー(生命力)”の供給を受けている。

・幽体離脱(→肉体から霊体が離れる現象)した際には霊体と肉体はシルバーコードによって結ばれており、このコードはどこまでも無限に伸びる性質を有している。臨死体験者の中には“銀色の紐”で繋がっていたと述べる者もいる(→死の宣告が為されても両者はいまだシルバーコードによって繋がっているので死者は生き返る。その間の体験が臨死体験)。

 

⑤、この世の宗教とあの世の「宗教」との違い

ア、言葉の意味

・この世の宗教の定義は「超越的絶対者あるいは神聖なものの存在を信じ、それを信仰すること。またはそれらの教義・行事・制度・体系」(広辞苑他)のこと。

<宗教>霊界で言う宗教とは「人のために役立つ行為、霊性に動かされた行為、無私と利他的行為、自分より恵まれない人へ手を差し伸べること、弱き者へ力を貸してあげること」(370⑮~71②参照)を言う。すなわち「奉仕を基調とする宗教」(5130⑮~131①参照)のこと。この世の宗教とは異なって、あの世の宗教とは利他的行為のことを指す。

<信仰>霊界で言う信仰とは、理性に信仰をプラスした「知識を土台とした信仰」(1巻62⑫参照)のことであり、盲目的な信仰ではない。

・このように同じ「宗教」や「信仰」という言葉を使っていても、地上側と霊界側ではその中身は異なっている。

 

イ、「勧誘形態」の違い

・この世の教団が行う勧誘には、誰彼かまわずに勧誘する形態が見られる。そこには「しつこい勧誘」や「悪質な勧誘」の話が必ず付きまとう。

・高級霊は教団が行う勧誘形態、例えば行事や集会の熱狂的な雰囲気を通して多くの人を改心させる勧誘形態では「霊的な価値を悟らせることはできない」(新啓示112⑦~⑧参照)と言う。なぜなら霊的な問題に関する限り、一人一人が理解の程度に応じて受容して行くのであって“集団回心”は有り得ないからと述べる(11103⑨~⑩参照)。

・悪徳商法には、冷静な判断が出来ない熱狂的雰囲気の中で商品を売りつける商法がある。

 

ウ、スピリチュアリズムの勧誘形態

A、受け入れる用意のできた人

・スピリチュアリズムの勧誘形態は時期の来た「大人の霊(=霊的に受け入れる用意のできた人間:9巻18⑩参照)」一人一人の理性に訴えて、納得ずくによって行う点に特徴がある。なぜならスピリチュアリズムを学ぶということは、個人の「意識の変革(→生き方が変わること。死後の世界が在るのなら今をどう生きるべきかなど)」を伴うものだから。

 

B、イギリスの諺

・イギリスの諺に「馬を水辺に連れていくことはできても、(水を欲しなければ馬に)水を飲ませることはできない」がある。

・これを「霊的真理が学べる場所(=講座、勉強会など)に友人を連れていくことはできても、その友人に真理を受け入れるだけの時期が来てなければ、理解してもらうことはできない」と読み替えると、スピリチュアリズムが誰彼構わず勧誘する形態をとらない理由が理解できると思う。

・本来、宗教の勧誘はこの形態なのだが、現状は献金額や入会者数といった組織維持の論理が優先して無理な勧誘が行われている。また宗教団体を“金儲け”の手段と考えている組織もある(→税務対策に「宗教活動に対して非課税、収益事業は優遇税率」を利用するなど)。

 

C、購入意思のあるお客が自ら店舗に出向く形

・スピリチュアリズム(霊的な事柄)に関しては必要としている人が自ら足を運んで真理を得る形態。いわば購入意思のあるお客が自ら店舗を選択して来店する形態(→講座や勉強会などに自らの意志で訪れる)、勧誘側から見れば“待ちの形態”に特徴がある。

・既存の宗教とスピリチュアリズムでは「宗教」の意味する内容に相違があるため、当然に勧誘形態にも違いが見られる。

 

⑥、世俗的なスピリチュアリズムとは

ア、一般的なイメージ

・世の中の多くの人たちが「スピリチュアリズム」や「スピリチュアル(=霊的な)」という言葉に対して抱く一般的なイメージは、おおよそ「占い的なもの」や「娯楽的なもの」と思われる。

・現状ではスピリチュアリズムという言葉が、世俗的な欲求とセットとなった開運や、個人的な慰め・癒しといった“娯楽の一環”として用いられている。また物品販売(→霊的エネルギーが入った物品など)や霊感商法と言った“生業の手段”として使われている。

・近年マスコミやビジネスの世界で盛んに取り上げられている「スピリチュアリズム」や「スピリチュアル」には、来世の存在や死後個性の存続と言ったスピリチュアリズムが持つ本来のテーマは含まれていない。また「霊性の向上」と言ったスピリチュアリズムの本質的な理解からは懸け離れた形で世俗的に用いられている。

目指す方向が“物質的(この世的)”であることなどに特徴が見られる。その為これらを「世俗的なスピリチュアリズム(=現世利益的なスピリチュアリズム)」と呼ぶことができる。

 

イ、本来のスピリチュアリズムとは

・これに対して本来のスピリチュアリズムとは、個々人が霊的知識を日常生活に活かして、自身の生き方を変えて霊性の向上を図っていくという「実践哲学的」な考え方を言う。

・スピリチュアリズムは「来世があるならば今をどのように生きたらよいか、生きるべきか」を個々人に問いかける極めて倫理観に満ちた道徳的な思想のこと。

 

⑦、すべての人間が目指す目標

ア、スピリチュアル能力の開発とは

・人間誰しも“本来の私という意識(=自我の本体、霊的な心)”の中に“神の分霊”を内在させている。それ故に「人は神の子、人間は肌の色に関係なくみな平等」と言われている。但しこれは人間を霊的に見た場合であって、肉体的に見れば必ずしも平等ではない。

・「発達・開発」には「スピリチュアル能力」と「サイキック能力」の二種類ある。まず“本来の私という意識”に主眼を置いた霊性の向上(=スピリチュアル能力の開発)がある。

・霊性の向上とは“本来の私という意識”の開発のことで、イラストで示したように潜在している“神の分霊”を意識の表面により多く顕在化させて行くこと(→イラスト左から右へ)。

・霊性の向上の究極の形は“本来の私という意識”全体に“神の分霊”が顕現した状態で「私の意識=神の意識」となる。

顕在化が増すことによって“本来の私という意識(霊的な心)”がまとう形体(肉体や霊体)からは、“神の属性”である愛や寛容さ、謙虚さと言ったオーラがより多く外部に滲み出る。これがスピリチュアル能力の開発であり、霊性の向上が全ての人間が目指す目標となる。

 

イ、サイキック能力の開発とは

・これに対して“本来の私という意識(霊的な心)”が自己を表現する為にまとう形体の開発という側面がある。これは霊体に具わっている能力、つまり霊的な五感を肉体レベルで発現させるサイキック能力の開発のことである。

・本来、霊体に具わっているサイキック能力はスピリチュアル能力の開発に応じて自然に発揮されてゆくもの(2巻108⑥~⑧参照)。

・サイキック能力を肉体レベルで発揮できる人を霊能者という。また霊能開発とは肉体レベルにより多くのサイキック能力を発現させることをいう。世界的にヒットしている「ハリーポッター」の小説の世界をイメージすれば分かると思う(→魔法の技のアップ)。

 

ウ、スピリチュアル能力を開発する為には

・最も一般的な方法としては「①利他的行為の勧め」「②困難・苦難に対する姿勢の問題」「③霊的知識を日常生活に活かすこと」「④肉体煩悩に流されない(→霊優位の意識を持つ)」が挙げられる(注1)。

・これ等①~④を日常生活の中で実践する、そのことが霊性の向上に繋がる。これがモノの世界で生きる私たちが手軽に実践できる“一般的な行”である。ここには目新しさや派手さは一切ない。特別な団体やグループに所属して“何らかの特別な行”を行うことでもない。

 

<注1>

①「利他的行為の勧め」

・高級霊は繰り返し「自分を人の為に役立てること」(2巻16③参照)を説いている。

・他者(→自分以外の人間、動物、植物)のために役立とうとする利他的行為は、自己を通路として宇宙に遍満している霊的エネルギー(=生命力)を他者に流す行為のことである。

・自己を通過して行く際に、霊的エネルギーの一部が私の中に蓄積される(1190⑫参照)。霊的エネルギーは“本来の私という意識”を活性化させて“神の分霊”の顕現を高める。

・地上世界がいま最も必要としている行為は利他的行為であると言う(259③参照)。

◆特定の団体はこの「他者の為に自分を捧げる」を悪用して、「他者」を「特定の組織」に置き換えて説き、信仰心の厚い人から金品や労力を奪い取り、心身を追い詰める。

 

②「困難・苦難に対する姿勢の問題」

・さらに高級霊は「試練と体験を通してこそ霊は成長する:7134⑨参照」「何らかの荷を背負い、困難と取り組むということが旅する魂の本来の姿:152⑨参照」と述べる。

・そのため「困難を避けるのではなく、それと取り組み、それを自らの手で克服していくための心構え」(32①参照)、前向きの姿勢を一貫して説いている。

・今まさに困難・苦難の渦中にいる人にとっては、それらを前向きにとらえる気持ちにはなれないであろう。しかし年老いて自らの来し方を振り返って見た場合に、困難・苦難が自分を成長させる為の“魂の磨き粉”になっていたことに気づくはずである。安易な人生からでは真に価値あるものは得られないから。

・一般に困難、苦労、悲しみ、痛みなどを体験して、それらが魂の琴線に触れることによって、初めて霊的真理を受け入れる素地が出来上がるもの。いわばそれらの体験は、受容性に富む魂を作り出すための“魂の磨き粉”の役割を担っている。

◆特定の団体は「現在の苦しみはカルマによるもの、団体推奨のモノを購入すれば苦しみが軽減する」と近寄って来る。困難はモノによって乗り越えられるものではない。

 

③「霊的知識を日常生活に活かすこと」

・肉体をまとった私たちは「霊的法則*」や「他界霊が辿る旅の行程(→前回2021年に配布した資料を参照して下さい)」などを学んだら、それらの霊的知識を日常生活に活かして「霊的自覚」を高めて行く。そして自分の生き方を変えて行く。その為には普段の行いが大切となる(9巻117⑭~118③参照)。

・これらの地道な積み重ねが“本来の私という意識”に潜在している“神の分霊”を顕在化させることに繋がるから。

・なお「霊的自覚」とは「私は霊である、霊として何を為すべきかの自覚」のこと、意識の指向性が「↓ 地上的なモノ」に向いている状態を「↑ 霊的成長」に向きを変えること。

*霊的法則の一例:因果律の法則、愛の法則、親和性の法則、利他性の法則、自由意志の法則、自己責任の法則、霊優位の法則など。

◆特定の団体は入会して組織の教えを実践すれば、本人はもとより家族も霊的ステージがアップすると説く。特定の組織の教えを実践しても霊性はアップしない。

 

④「肉体煩悩に流されない(霊優位の意識を持つ)」

・肉体(→潜水具)は“本来の私という意識”がモノの世界(→海底)で生きる上で、自己を表現する為にまとう形体である(→海底の作業には潜水具をまとう必要があるのと同じ)。

・肉体をまとうことによって物的脳を介して発せられる“意識(→顕在意識、地上的自我意識、現在の私という意識)”は、絶えず「食欲や休息など生命維持のための要求」「肉体の各部位から発せられる生理的要求」「性欲など種の保存のための要求」「所有欲や縄張り意識」などの自己保全に傾く肉体本能に翻弄されたり、制約を受けたりする。例えば空腹になればイライラした気分になり、体調が悪ければ気持ちはブルーといった状態。

・高級霊は意識と肉体の関係を「住人と家」に例えて述べている。「身体はあなた(という意識)が住む家であると考えればよろしい。家であってあなた自身ではない。家である以上は住み心地よくしなければならない。手入れがいる。あくまで住居であり住人ではないことを忘れてはいけない」(1巻27⑩~⑫参照)と述べる。高級霊は肉体を軽視してない。

・このようにモノの世界で生きる私たちにとって最も困難な肉体煩悩に流されずに、“霊優位の意識状態”を絶えず意識し保つことが大切であると説いている。

◆特定の団体は「肉体は器」なので二の次、意識・精神が大切。肉体にこだわる必要はないと説く。本人の自由意志を妨げたり、現代医学を軽視したりする傾向にあるのは問題。

 

2、「統一教会」の原理思想の根幹部分

①、統一教会(改称、世界平和統一家庭連合)とは

ア、経緯

・霊感商法や募金で悪名高い「統一教会」とは、1954年に韓国で創設された新興宗教で、旧名称は「世界基督教統一神霊協会(旧略称、統一教会)」というキリスト教系の新興宗教である。現在は「世界平和統一家庭連合」に名称を変更している。

1960年代後半から学生を狙った反社会的な「原理運動」による家庭崩壊、学業放棄が社会問題となる。霊感商法が社会問題になった1980年代以降、マスコミによって大々的な批判キャンペーンが展開された。

1968年に「統一教会」の関連団体として結成された保守系政治団体「国際勝共連合(略称、勝共連合)」を通して、政治家などに対する政治工作を活発に行ってきた。

 

イ、教義

・教典は「原理講話(統一原理)」。聖書に預言された「再臨のキリスト(=救世主、メシア)が文鮮明氏である」とする。信者は自分たちのことを「再臨のメシアの教義」を受け入れた特別な存在であると思っている。そして「文鮮明氏=メシア」の教義を広めることが正義であると信じている。なぜならメシアの文鮮明氏を通してのみ全人類が救われるから。

・「統一教会」には「韓民族こそが神によって選ばれた民」とする「選民思想」がある。

・この「文鮮明氏=メシア」の教義から「統一教会」はエホバの証人やモルモン教と共に全てのキリスト教会から異端と見なされている(以上ウィッキペデア参照)。

 

ウ、検証のポイント

・「統一教会」の思想の根幹部分にキリスト教の解釈とは異なった「原罪」と「メシア」の独自解釈がある。

・スピリチュアリズムではキリスト教の教義である「原罪、贖罪」と「メシア」を批判している。今回は「キリスト教の教義」と「統一教会の独自解釈」を合わせて検証する。

 

②、原罪、贖罪、メシアについて

ア、言葉の意味

・原罪とは「キリスト教でアダムとイブが神に背いて禁断の木の実を食べてしまったという人類最初の罪。すべての人間はアダムの子孫として、生まれながら罪を負っているとされる。人間が根源的に負う罪のこと」(日本国語大辞典)。

・贖罪(しょくざい)とは「金や品物を出して罪の償いをすること、罪滅ぼし」「イエス・キリストが人類の為に十字架にかかり、身を捧げたことによって、世の罪を贖い、神と人との和解が成就したこと」(日本国語大辞典)。

・メシアとは「旧約聖書では、超人間的な英知と能力を持ってイスラエルを治める王者をいう。新約聖書では、この世に生まれたイエス・キリストをいう。救世主のこと」(日本国語大辞典)。

 

イ、キリスト教では

・キリスト教では人間が原罪から赦されるためには「イエス・キリストが全ての人間に代わってその罪を負って、十字架上で死んだということを信じること」と説く。

・これは2000年前にイエスが全ての人類(→過去・現在に生きる全人類、将来生まれてくる全人類)の罪を一身に受けて死んだ「代理としての死」を信じること、この死によって「罪人としての人間と神との和解」ができたということを信じることとされている。

 

ウ、統一教会では

・「統一教会」の「原罪」と「メシア」に関する解説は次の通り。

・「人類の始祖がサタンと性的関係を結ぶことによって原罪が生じ、やがてこの罪が全人類に及んだ」「この原罪は、原罪が無い神の一人子メシアによってのみ償われることが出来る」「神は人類を救うために、メシアを送り出す」「送り出されたイエスは十字架に掛かり、その救いは未完成のままに終わった」「神はさらに2000年の歴史をかけて導き、今、再臨のメシアとして文鮮明氏を地上に送り出した」「再臨のメシアである文鮮明氏はサタンと戦い勝利して、人類に最終的な救いをもたらすようになる」「人類は文鮮明メシアによって原罪を拭い去り、完全に救われて地上天国が到来する」(スピリチュアリズム普及会のニューズレター3号、該当箇所の要約)。

 

③、スピリチュアリズムにおける見解

ア、因果律の観点から贖罪説を否定

・高級霊は因果律の観点から「いかなる人間も自分以外の者のために代わって苦しみを受けることはできない。自分を成長させるのは自分であり、他人は代わって行うことは出来ない」(6巻196③~⑨参照)。罪をあがなうのはその罪を犯した当人のみ964⑧参照)であると述べる。

・さらに「贖罪説は神学者が時代の要請にしたがってでっち上げた教説の一つです。自分が過ちを犯したら、その荷は自分で背負ってそれ相当の苦しみを味わわなくてはなりません。そうやって教訓を学ぶのです」(6巻196③~⑨参照)と述べる。

・このように高級霊は贖罪説を因果律の観点から否定している。キリスト教の「贖罪を通してイエスが人類を救済する」というメシアの教義自体、神学者が作成したものと述べる。

 

イ、アダムとイブの物語は作り話

・高級霊は一様に「アダムとイブの堕罪の物語は根拠なき作り話」(霊訓下32⑨参照)であり、「人類の堕落と原罪とは自由意志のことを言い、比喩でサタンとされるのは未浄化霊の誘惑のことを指す」(霊の書69頁参照)として、贖罪説や原罪を厳しく批判する。

・このようにスピリチュアリズムでは「キリスト教」や「統一教会」の思想の根幹である原罪や贖罪説を否定している。

 

ウ、聖書の記載について

・高級霊は「聖書に書かれていることにはマユツバものが多い」「出来すぎた話は全部割り引いて読まれて結構です。実際とは違う」(9139⑫参照)と手厳しく批判している。

・高級霊は聖書の伝統的解釈である「聖書無謬説(逐語無謬説)」の誤りを指摘している。それによれば「霊的通信のほとんど全てが象徴性を帯びている」「所詮象徴的表現の域を出るものではなく、そのつもりで解釈して貰わなければならぬ。神について霊信を字句通りに解釈するのは愚かである」「神の啓示はそれを授かる者の理解力の程度に合わせた表現で授けられるもの」(霊訓上112⑬、112⑱参照)と述べている。

・このように聖書には事実でないことが沢山述べられている。

 

エ、堕天使の存在について

・堕天使とは「キリスト教で悪魔を言う。神の怒りを買い、天上界から下界に堕落させられた天使」(日本国語大辞典)のこと。

・悪魔(サタン)はキリスト教が生み出したものである(5154⑤~⑥参照)。「悪魔」はスピリチュアリズムでは未熟霊(低級霊)のことを指すので、キリスト教でいう「悪魔という天使(堕天使)」の存在を認めていない。

・また悪魔が支配する霊界という存在も認めていない。このようにキリスト教や「統一教会」の思想とスピリチュアリズムでは立場を異にする。

・キリスト教では「悪魔の誘惑」ということが度々言われるが、高級霊は自由意志と自己責任、因果律の観点から「悪魔が誘惑するのではありません。自分にそういう要素があるから悪の道にはまるのです」(到来32③~④参照)と述べている。

 

オ、神との仲介者について

・「統一教会」では教祖の文鮮明氏をキリストの再臨、メシア、神との仲介者としている。そのため「文鮮明メシア」を通してのみ人類は救済されると主張する。

・高級霊は「神とあなたを仲介できる人は一人もいない」(749⑧参照)、「人間に贖い主はいらない、神との仲介者は不要」(560⑩参照)と述べる。

 

◆以上のようにスピリチュアリズムでは「統一教会」の思想の根幹部分や、キリスト教の教義の根幹部分を否定する。

 

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