交霊会における禁止事項
よく知られた事実として、物理的心霊実験の最中に霊媒に強い光(電灯やフラッシュ等)を当てることは、霊媒の身体に危害を生じることになり厳禁となっている(→なぜなら主として霊媒の体から心霊現象を現出するためのエクトプラズムを取り出しているから)。また交霊会の支配霊の許可を受けずに現象物に触れたり、覆いを外したりしてはならなし、会が始まってからの入場は、「霊的な場」の雰囲気を乱すとの理由から禁止されている。
一般的に「霊的に高い雰囲気の会」の場合には、日頃から霊的な雰囲気と調和しているレギュラーメンバー以外の人が参加する場合には、交霊会に異質な霊的雰囲気を持ち込むことになるので支配霊の許可が必要であるとされている(→霊格が高い人であってもその会に異質な雰囲気を持ち込むことになるから)。このように交霊会にはルールがあるので、参加者の自分勝手な行動は禁止されている。
粕川章子は「亀井霊媒現象について」(南博編『近代庶民生活誌、第19巻』三一書房、所収)の中で、照明の明かりと霊媒の危険性について述べている。「昨年10月電気クラブで、電気実業界の名士連が集まって実験をした際に、実験の最中に誰かの間違いで突然スイッチを入れてしまった。不意に光線を浴びた霊媒は悲惨の極みであった。・・・彼の顔は何とも云われぬ苦悩の表情で歪んで見えた。私は今にも彼が血を吐いて倒れるのではないかと思えたほど不安に襲われた。クック嬢の怪我を思い起こして、もうこれで当分亀井さんも駄目になると観念したほど彼の動かぬ体が苦しみもがきつつ・・・」とリアルに述べている。
昭和20年代後半、医師の熊谷頼明は弟の博彰とともに、日本橋の大西弘泰宅で開かれている実験会に遅刻して参加した。一般に物理現象の交霊中に会場に出入りすることは厳禁なのだが、暗闇にまぎれてそっと列席者の間に紛れ込んだという。このとき空中のメガフォンからモゴール霊(亀井の支配霊)のブッキラボウな声がして、「そこにおる熊谷。今から20年ほど前に、お前たちの親父が実験会にやってきて、飛んでいるものをつかんで、現象のじゃまをした」となじったという。熊谷兄弟は、暗闇にまぎれてこっそり割り込んだことをどうして知ったのかと驚いたという。
大西宅の交霊会で、熊谷兄弟がモゴール霊から云われたことを帰宅して父親に尋ねたら「実は本当なのだ。しかしそれをいうと小田君が怒るから黙っていたのだ。なにが動いても決してさわってはならぬと厳重に注意されていたのだが、あまりいろんなものが飛び回っているので、誰かが持ちまわっているのではないかと思って、ついついつかんでしまったのだ。すると別に持ち回っている人の気配はなかったが、そのうちになにか強い力でまた持ってゆかれた。不思議な事があるものだと、実は思っていたのだ」(小田秀人著『超心霊学入門』81頁)と語ったという。
熊谷兄弟の父が出席した実験会では、理論物理学者の石原純博士(1881年→1947年)が考案した装置が使われた。その仕組みは、高さ1メートルの養鶏用の四角な金網籠の中に夜光液を塗ったゴムまりなどを入れて、金網の継ぎ目は針金で厳重にしばったものであった。これに亀井霊媒が今まで使ったこともないし、自分にも吹けないから駄目だというのを押し切って、夜光液を塗ったハーモニカを机の上に用意した。当夜の現象はことのほか素晴らしかったという。
実験会の模様を小田秀人著『超心霊学入門』83頁~から引用する。
――(実験会では)闇の中からトロイメライの曲が響き渡りますと、アチコチからラップが聞こえてきました。そして空中から亀井霊の支配霊のモゴールさんが、ブロークンな英語交りで「ハロー、コンバンハ、ミナサン」と愛嬌をふりまきました。そのうち金網籠や机の上に被せてあった黒い布がサッとはがれました。ゴムまりやおもちゃなどに塗ってある夜光液のために、あたりまで明るく見え、金網の目の一つ一つまでくっきりと目の前1メートルばかりのところに認められました。金網の中のゴムまりは、初めのうちはギコチなく左・右と転がっていましたが、そのうち突然一つのまりが金網の天井にぶつかり、やがてスッと天井を抜けだして、そのまま空中に(一つまた一つと)舞い上がりました。やがてまりは金網の上に落ち、一呼吸してその中に入りました。そのうちに興に乗ってきたのか、ゴムまりは金網の存在など無視したかのように、天井にぶつかる様子もなく、飛びだし、また飛び込んだりしました。やがて机を1メートル、2メートルと浮揚させたり落ちつけたり、また机の上のいろいろのもの、たとえばおもちゃやサイレンなどがガラガラ、ビュービューと音を立てながら物凄い勢いで列席者の間を浮揚したりしました(→この時、熊谷博士が動いているものをつかんだ)。そのうちに霊媒自身が危ぶんだハーモニカが空中に浮かび上がりました。そして「軍艦マーチ」や「ダニューブ河の漣」「荒城の月」などをいとも巧みに演奏し、列席者のアンコールにも応えてくれたりしました。最後に霊からの合図で、物質化の写真を撮影して会は終わりました――。
小田によれば当日の「(亀井)霊媒への謝礼もいつもの二倍にふんぱつした」という。
◆浅野和三郎研究:目次
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