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第11講:動物について

目 次

1.動物の進化

①.シルバーバーチの言う「進化」とは

・進化の一地点でまとう物的形体のこと

・「進化」の定義

・霊的進化の指標

・「意識の進化」と「形体の発達」の違い

・「意識(意識なるもの)」という用語

②.動物の霊、意識、類魂

・「霊」のあり方と因果律

・動物の死後について

・ペットについて

 

2.個別問題について

①.動物実験・残虐行為

・暮らしに深く根付いている

・動機と道義心の関係から

・蕎麦屋の蕎麦汁の話

・現代人に共通のカルマとして

②.肉食の問題

・シルバーバーチの基本的見解

・「意識」を基準にした分類

・「個別意識」「類魂意識」の有無

・身体がより物質的だから

③.一つの考え方

・意識に関して

・肉食に関して

④.害虫・有害鳥獣の駆除

・比較衡量の問題

・人類の生き方と関わってくる問題

⑤.動物愛護の問題

・意識の変化を求められる運動

・動物愛護のルーツ

・運動それ自体が“魂の磨き粉”

 

<注1>

・主流派科学が説く「進化論」

・有神論的進化論

・浅野和三郎の「進化論」

・一つの考え方

<注2>~<注4>

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

1.動物の進化

①.シルバーバーチの言う「進化」とは

ア)進化の一地点でまとう物的形体のこと

今回のテーマである「動物」という生命体は、進化の一地点で「意識(→霊が顕現する場所、集合魂という因果律の主体となる器)」を構成する「個々の意識(→因果律の主体とはならない)」が、地上体験を積むためにまとう物的形体(→意識の進化レベルに応じた物的形体を一匹一匹としてまとう)を指す言葉である。

なお動物を論じる際には個々の物的形体を中心にして考察する立場(→唯物論的一元論に立つダーウィンの進化論の観点から:注1)と、神の一部である「意識」に焦点を当てて考察する立場(→霊肉実体二元論のスピリチュアリズムの観点から)がある。今回の「動物について」では形体なき「意識」にポイントを置いて説明し、意識が進化していく途上でまとう「動物」という特定の物的形体は「意識」を補完する程度に留める。

 

イ)「進化」の定義

A:潜在的完全性の顕在化の過程

シルバーバーチは「進化とは内部に存在する完全性という黄金の輝きを発揮させるために不純物という不完全性を除去し磨いていくこと」(6114⑪~⑫)、または「霊的進化はひとえにインデビジュアリティの限りない開発です」(9131④~⑤)と説明している。

つまりシルバーバーチが言う「進化」とは、個別霊たる人間で言えば自我の本体に潜在している“霊(→神の分霊、潜在的完全性)”を、“意識(→意識なるもの、霊の外皮)”の領域により多く顕在化させていく過程(→個性化の道)に他ならない(333②~⑤)。

 

B:意識と形体の関係

さらに意識と形体の関係につき、シルバーバーチは「大霊の一部である意識の・・・この意識は私の知る限り無窮の過去より常に存在してきたものですが、それがさまざまな形態を通じて顕現し、その表現を通じて絶え間なく洗練されつつ、内在する神性をより多く発現していくのです。これまでもありとあらゆる生命現象を通じて顕現し、今なお顕現し続けております」(3113④~⑧)と述べる。

 

このようにして“意識(意識なるもの)”は進化レベルに対応した無数の形体を順次まといながら、意識の中に潜在している“霊”の顕現を増して「集合魂(→因果律の主体となる集合魂という器から出現する形体は無数)」から、「個別霊(→因果律の主体となる個別意識から出現する形体は一つのみ)」へ進化してきた。そして個別霊は進化するにつれてますます「個性化の道(→神の属性である愛・寛容さ・叡智・公正・親切・優しさ等が意識の領域により多く顕現して行くこと)」を強めていくことになる。シルバーバーチは個性化の道を「神性を増し、物質性を減らしていく、それが創造の全目的」(3113⑨~⑪)と述べている。

 

ウ)霊的進化の指標

A:利他的行為という愛

宇宙に遍満している「霊的エネルギー(→普遍的要素としての霊の一種)」は、個別化の頂点に立つ人間を通路として“生物(→動物、植物、菌類、原生生物、原核生物)”の世界に流れ込んでいく。これをシルバーバーチは「創造的エネルギーが人間を通じて働いている」(3113⑭)と表現している。

霊的エネルギーの流入を決定づけるポイントは利他的行為という愛である。なぜなら「生命が高級になればなるほど愛他性を増し排他性を減らす」(3114①~②)から。ここから霊的進化の指標は“愛”であり(590⑬)、残虐性や野蛮性ではないことが分かる(8179①~⑥、8207②~③、5100⑨)。

 

B:人間を介して流れ込む

霊的エネルギーは個別化の頂点に立つ人間の“愛”を介して生物の世界へ流入していく(590⑪)。そのため物的形体の発達がより上位にある動物は、人間から“愛”を受け取るために人間の生活領域に近づいてくる(590⑥~⑦、8211⑪)。

なお生物は個々の物的形体に対応した形で、半物質状の“組織(→接合体やダブル等)”を有している(個人的存在19⑦~⑧)。その接合体から活力源である“中間物質の生命素”(霊の書49⑥~⑪、49⑮~50②)を取り込んで、物的身体にある各部位を活性化させている。

 

エ)「意識の進化」と「形体の発達」の違い

A:進化と形体との関係

上述したようにシルバーバーチは自我の本体たる“意識(意識なるもの)”が低い段階から高い段階に向かって発達する状態、つまり自我の本体に内在している“霊(神の分霊)”が“意識の領域”に顕在化していく過程を「進化(霊的進化)」と呼んでいる(9131④~⑦)。この形体なき“意識(意識なるもの)”が「進化」して行く為には、何らかの“形体”をまとって“体験(→物的体験、霊的体験)”を積む必要がある。物質世界で体験を積むためにまとう物的形体は「意識の進化」の程度に応じて変化するため、地球人がまとう形体は進化レベルに相応しい姿になっている。

シルバーバーチは、地球はあまた存在する“人間的存在(→霊的身体・接合体・物的身体をセットにして物的体験を積んでいる個別霊)”が体験を積む惑星の中でも最底辺に位置していると述べる(11177⑭~⑮)。そのため地球人がまとう物的形体は極めて物質性が濃く作られている。その結果、必然的に際限なき貪欲や利己主義を誘発してしまうことになる。なぜなら他の存在を押しのけて、物的個体の生存を強調する“本能に起因する意識”が強く作用するから。我々地球人はこのような世界で物的体験を積んでいる。

 

B:まとう物的形体の発達

“意識(意識なるもの)”の進化レベルが低ければ、地上でまとう物的形体は単純な形となる。この形体が低い段階から高い段階に至ることを「発達」と呼んでいる。つまり「発達」とは“意識(→神の分霊を内在させた霊魂、本来の私、霊の外皮)”の「進化」に応じてまとう物的形体が、「単細胞 → 魚類 → 両生類 → 爬虫類 → 鳥類 → 哺乳類」という形で「進歩(→物的衣装の進歩)」していくことを言う。

なお個別霊たる人間がまとう物的形体を「発達」という観点から見れば、人間の肉体はこの地上において「創造の最終地点」に立っている。そのため最も優れた形体をまとう個別霊たる人間は「全生命体の頂点に立つ(→個別化の頂点)」ことになる(新啓示21⑤~⑥、3144③~④)。

 

C:鏡の研磨作業

シルバーバーチは具体例として、“鏡(→意識、霊の外皮)”に映る“像(→霊、神の分霊)”が歪んで見えるからと言って像の本体が歪んでいるわけではない。鏡の表面を磨くことによって正しく像を映し出すことができると述べる(5149⑥~⑩)。

いわば意識は地上世界で“物的体験(→困難や障害を魂の磨き粉にして)”を積みながら鏡の研磨作業を行っているようなもの。その研磨の過程を「進化」と呼ぶ。

 

オ)「意識(意識なるもの)」という用語

高級霊は「意識」という言葉を次のように用いている。まず植物に関しては「植物には意識があるが、あなた方のいう意識とは違う」(語る436⑥)、「植物には思考力はなく意志もない」(霊の書231⑤)として。「(哺乳類の)動物よりさらに下がると類魂の意識もなくなる」(道しるべ223⑥)と。

これに対して「類魂意識」を持つ動物たる哺乳類(道しるべ223⑤)では「動物には自我意識はない(→個別意識はない)、死後その魂はその道の担当の霊によって種ごとに分類される」(霊の書233⑫~⑬)として「意識」を使用する。人間の場合は「意識とは自分が何であるか、誰であるかについての認識のこと」(道しるべ222⑬)として。さらには「意識は神の一部」「自我意識」「類魂意識」などと用いられている。

 

まとめると人間は個別意識を持つ。哺乳類(→シルバーバーチは“四つ足の哺乳類”を動物と呼んでいる。生物学で用いる動物の概念とは異なることに注意)は、個別意識はないが類魂意識を持つ。哺乳類以下の動物は“広い意味での意識(→意識なるもの)”はあるが、個別意識や類魂意識はない。このように同じ“意識”という言葉を使っても意味する内容は同じではない。“意識の有り方”も個々の人間が専属的に有する、つまり一つの意識から一つの物的形体が出現する個別意識と、ペットを含めた動物以下の一匹一匹の個体が共有状態で有する、つまり一つの意識から無数の物的形体が出現する集合魂とは違いがある。

 

②.動物の霊、意識、類魂

ア「霊」のあり方と因果律

人間はAさんBさんCさんという具合に、個々人ごとに「霊」を一身専属的に有しているので因果律は個々に発生する。これに対して発達レベルが人間以下の“生物(→動物、植物、菌類、原生生物、原核生物)”では、進化レベルによって“種というグループ(=集合魂)”の大きさに違いはあるものの、「霊」は“種というグループ”全体に及ぶ形で内在している。そのため因果律は“種というグループ”ごとに発生する(597③、語る199①~③)。人間という物的形体をまとった「意識(個別意識)」と、動物という物的形体をまとった「意識(→集合魂を構成する個々の意識)」では、「意識」や「霊」の在り方が異なっている。

 

イ)動物の死後について

地上世界で哺乳類という物的形体をまとった“個々の意識”には、人間のような個別意識はない(→動物の“種”ごとに「類魂意識」を有するが:8206⑧~⑨)。人間との接触を通して「(愛の相互作用という形で)霊的進化を促進し合う」(8186②)関係にない大部分の動物の死後は、所属するそれぞれの“種ごとのグループ(=集合魂)”の中に融合していく(8186⑤)。

 

ウ)ペットについて

A:人間から愛を受けた動物

人間の生活領域に近づいてきた動物(ペット)の場合は、人間との接触によって個別意識が芽生えてくるが(8210④、到来220⑧~⑨)、依然として因果律は“種というグループ”ごとに働くため、霊の世界に於ける“個体としての存続(→死後の世界で担当する霊の世話を受けながら形体を保ったまま飼い主を待つ)”は一時的なものに過ぎない。

一時的に幽質をまとった動物(ペット)についてシルバーバーチは「(人間に可愛がられた動物は)類魂全体に対して貢献したことになります。類魂全体としてその分だけ進化が促進されたことになるのです」「全体のために個が犠牲になったということです。そうしたことが多ければ多いほど類魂の進化が促進され、やがて動物の段階を終えて、人間の形体での個体としての存在が可能な段階へと進化してゆく」(592⑧~⑫)と述べている。

 

B:貢献度の高い社員

集合魂とペットとの関係につき企業の経済活動を例にして、社員を“個々の意識”に、貢献度の高い社員をペットに、会社を“種ごとのグループ(集合魂)”に見立てて解説してみる。現実社会では「〇〇株式会社」と「△△株式会社」の企業間取引は、それぞれの会社の営業部に所属する社員がまとめ上げて、最後に代表権を持つ者が会社を代表して契約を締結する。その権利義務の帰属主体は社長や個々の営業部の社員にはなく、それぞれの会社に帰属する。営業部の社員がいくら頑張ってまとめ上げても(→会社に対する貢献度がずば抜けて高くとも)、その成果は会社に帰属する(→類魂全体に貢献したことになる)。このように考えれば分かりやすいと思う。

 

C:死後一時的に幽質をまとう

数多い動物の中には人間と接触することによって、人間らしい個性的な意識や個的存在としての意識を一時的に表すものもいる(589⑪~⑬)。人間の“愛”によって一時的に個別意識を持ったままでの存続が可能となった動物(ペット)であり、これらは死後、幽質をまとって生前の形体を維持しながら生活することができる(8185⑬)。

このように人間には、いまだ個別意識が芽生えていない動物に対して、一時的に「霊的要素」を授ける“能力(愛の力)”がある。地上でペットとして可愛がられた動物は、死後の一時期、幽質をまとって霊の世界で人間の霊に混じって生きていける(588⑪)。しかし「霊的自覚」が芽生えた人間の霊と、ペットの霊との進化のスピードの違いから同居期間は長続きしない(591③~⑤)。取り残されたペットの霊は、やがてその動物の出身母体であるグループの中に融合して個性を失っていく(591⑪、8206⑤~⑥)。

 

2.個別問題について

①.動物実験・残虐行為

ア)暮らしに深く根付いている

動物に潜在している「霊」(→集合魂という因果律の主体となる器の中に潜在している)と、人間に潜在している「霊」とは本質においては同じものだが、程度(→個別霊と集合魂といった霊の有り方の違いや顕現の程度)に於いては差がある(8181⑫~182①)。神の一部である意識の中に潜在している“霊の顕現(→神の属性の発揮)”を増して、意識のレベルアップを図っていくためには、何らかの表現形体をまとって体験を積む必要がある。

 

現代社会では動物を使った基礎研究は、医学技術の開発、新薬開発、毒性試験(→化粧品、食品添加物、農薬)などの分野で広く行われており、私たちの暮らしに深く根付いている。

屠殺や実験で犠牲となった動物には、その“種”が属する「意識又は意識なるもの」を単位として「埋め合わせの法則」が働いている(596⑨~97①)。それをシルバーバーチは「一匹とか一頭とかについてではなく、その動物の属する類魂全体を単位として法則が働く」(596⑪~97①、97③)と述べる。また動物実験という残虐行為の影響は「動物自身だけでなく、それを働いた人間にも」霊性の停滞という形で現れると述べる(メッセージ231⑤~⑥、8207②~③)。

動物実験は無慈悲で残虐な行為であり、残忍性と野蛮性は物的世界に霊的エネルギーが流れようとする通路を遮断してしまう。シルバーバーチは「人間の残忍性は動物の進化を遅らせる」(8207②~③)と同時に、「自らの進化を遅らせる」(8207②~③)ことになるとして動物実験に反対する。

 

イ)動機と道義心の関係から

A:動機は何か

動物実験は霊的摂理に反する行為だが(4202③~⑥、8123⑬)、実験者の中には「病で苦しむ人を何とか救いたい」とか、「人類を病魔から解放したい」といった誠実な動機から行う者もいる。シルバーバーチも「しょせん地上世界は発展途上にある未熟な世界です。それゆえ、同胞のためと思ってすることが、他の生命の権利に干渉する事態がどうしても生じます。そこで私は動機を重視するのです」(道しるべ224②~⑤)と述べる。

さらにこの問題の特殊性を考慮して「動機は人のためと云うことで結構ですが、しかしそれが動物に苦痛を与えているわけです。そうした点を総合的に考慮した上で判断が下されます。いずれにせよ私としては苦痛を与えると云うことには賛成できません」(5115⑪~116①、語る415⑫~416⑦)とも述べている。

 

B:霊的摂理に反した行為

霊的摂理から見た結論は「実験者の動機は誠実であるが動物実験は霊的摂理に反した行為である」となる。これは実験者の「動機と道義心」の問題として考えることが出来る。この事例では実験者の行為当時の道義心には問題ないため(→当該行為時の意識レベルではクリアしている)、霊的法則に違反したという因果律はいったん凍結状態となる。しかし霊性が向上した段階で過去の霊的違反行為は解凍して因果律が動き出す。その段階で実験者は何らかの償いをすることになる。

 

C:意識の進化と環境の関係

人間の霊性の発達と自然界の現象との間には密接な関係があるので(598④)、人間が進化すればするほど地上から動物実験といった残忍性や野蛮性が消えていく(5100①~②)。なぜなら人間の思念によって環境が作られて行くため、霊的レベル(意識の進化)と環境は一致するから。この点から見ても動物実験を必要とする現代人は、階層構造的な霊的進化の世界に於ける立ち位置は、かなり低いということが分かる。シルバーバーチもこの点を考慮して「しょせん地上世界は発展途上にある未熟な世界です・・・」(道しるべ224②~③)と言っている。

 

ウ)蕎麦屋の蕎麦汁の話

A:進化の低い段階では摂理違反に気付かない

実験者の真摯で誠実な動機と動物実験との関係につき「蕎麦屋の蕎麦汁」を使って説明する。蕎麦屋で蕎麦を食べた時に、注意して食べたにもかかわらず汁が跳ねて服につきシミとなった。蕎麦屋の店内の暗い照明では見えなかったので、服がシミになっていることに気がつかなかった。料金を支払って外に出て、明るい太陽の下で良く確認したら服にシミがついているのが分かった。霊性が向上して薄暗い低い世界から明るい高い世界に来ると、自分の意識の中にある“シミ”が浮き上がって来て、よく見えてくるようになるという例えである。

 

上記の事例で、蕎麦汁が跳ねて服についたことに気が付かなかった場合は、いわば“道義心(→その時点で到達した霊的意識の水準)”に反しないケースである。この場合はより明るい世界に来て、服にシミがついていたことに始めて気がつくことになる。一般に「進化」の低い段階では、ある行為が霊的法則違反であることを認識できない場合がある(→蕎麦汁が服についたことに気づかない、道義心に反していないから)。しかし道義心に反していないからといって“服についたシミ”がなかったことになるわけではない。これに対して蕎麦汁が跳ねて服についたことに気づいていれば、道義心に反した行為となる。なぜなら服がシミになったことを認識しているから。

 

B:因果律が解凍する

霊性が向上して一段と明るい世界に来ると、それまで気が付かなかった自分の「意識」の中にある“大きなシミ(→地上で償うべきカルマ)”や“小さなシミ(→己の未熟な部分や人に迷惑をかけたことなど)”が、意識の表面に浮かび上がってきて良く見えるようになる。そして何とかしたい気持ちに襲われる。いわば凍結していた因果律が、霊性の向上によって解凍して動き出したから。

 

実験者が「病で苦しむ人を何とか救いたい」との真摯で誠実な動機は、行為時に於いては“道義心(→その時点で到達した霊的意識の水準)”に反していない。そのため動物実験という霊的摂理に反する行為の因果律はいったん凍結される。

その後実験者の霊性が向上して、過去に於いて行った行為が「意識」の表面に浮かび上がってきたとする。その時点に於ける道義心は、過去に行った動物実験に対して「レッドカード(→重い処分)」を切ることになる。なぜなら霊性が向上したことによって、凍結状態にあった因果律が解凍して動き出したから。実験者が霊性向上の道を辿るためには、この「レッドカード」を何らかの形で処理しなければならない。

 

C:浮上してきた因果律を処理する

日本には古くから牛や馬などの動物を扱う人たちが、人間の犠牲となった牛馬等の動物霊を供養するため、馬供養塔や牛供養塔などの石碑を立てて祀るという風習があった。また人間が生きていく上で、その犠牲となった「動物に感謝する」「命に感謝して食する」という風習もある。ここから類推して実験者は何らかの形で利他的行為(→たとえば「動物愛護運動」といった「動物の権利」を守る活動や、霊的知識の普及活動など)を行って、浮上してきた負の因果律を処理するのではないだろうか。

 

エ)現代人に共通のカルマとして

動物実験によって得られたデータは、さまざまな製品の安全性の検証に用いられて、現代人の生活の利便性に寄与している。いわば現代社会は動物の犠牲の上に成り立っていると言えよう。動物虐待という霊的法則に反したカルマは、当事者(=実験者)だけに留まらず広く“受益者である現代人”も背負うことになる。当事者が作ったカルマとは性格が異なるが、受益者である以上何らかのカルマを“広く薄く背負う”ことになるから。

このように動物実験によって利便性を受ける者が負う責任、つまり「受益者理論」を使えば責任は個々において背負うのが摂理であり他人の行為に責任を負わないとする「自己責任の原理」(658①~②、11174⑧~⑩)の問題をクリアすることになる。

 

現代社会は各地で紛争が絶えず、既得権者による目に余る横暴、社会格差から派生する悲劇などが各地で起きており、それらを私たちはマスコミを通して知ることになる。このような重苦しい時代の空気の中で私たちは生きざるを得ない、という制約を負わされることによって、未熟な社会が生み出したカルマを“受益者の一人”として刈り取っているわけである。

 

②.肉食の問題

ア)シルバーバーチの基本的見解

A:地上世界は「学校」

スピリチュアリズムでは地上世界は「学校」または「トレーニングセンター」であるという位置づけをしている(8195⑤、9129⑤~⑥)。私たち人間には自由意志があり、それを行使しながら各種地上体験を積んで霊性の向上を目指している。その体験学習の一つに肉食の問題がある。この肉食の問題にどのように対処するかは各自の判断に任されているが(最後啓示126③~④)、ここでも動物実験と同じように動機と道義心との関係が問題となってくる。

 

B:シルバーバーチが述べる理想

シルバーバーチは「(人類が)すべての生き物に敬意を抱くこと」(8181③)、さらに「食糧を得るために殺すのは間違いであることを人類が悟る段階」(道しるべ132④)に到達すること、これが理想であると述べる。

 

C:妥協案を提示

シルバーバーチは私たちが住む地上世界は発展途上にあり、この「未熟な世界に於いては完全な理想が実現されることは期待できない」(道しるべ131⑭)こと、「今すぐには実現できないと知りつつ、理想を説いている」(道しるべ132⑦~⑧)と述べる。そして「理想へ向けての努力をしないで良いと言うことにはならない」(道しるべ132①~②)とも述べる。このような理想と現実の狭間にあって、発展途上の地上世界でも実行可能な方法を述べた。

 

それによれば「殺害の観念がつきまとう食糧品はなるべくなら摂取しない」(8189⑭)こと。やむを得ず生物を殺害して食糧にする場合には、なるべく苦痛を与えずに残酷な方法は取らないことと述べた(道しるべ132③~⑥)。その際の指標を「意識」の有無に置くべきとも述べている(→意識を指標とすべきです。意識がある限り、それを殺すことは間違いです:道しるべ223⑩)。ここで言う「意識」とは「個別意識や類魂意識」のことである。

 

さらに「動機と程度の問題」(8181③~④)も考慮しなければならないとしている(→無差別的な殺害やスポーツハンティングは当然に問題となろう)。このような点をメルクマールとして、個々の事例に応用して各自が判断していけば良いことになる(最後啓示126③~④)。

 

イ)「意識」を基準にした分類

意識の記述に関しては『シルバーバーチの霊訓』の中に散見して述べられている。そのためこの問題は難しくてよく分からないという声を聞く。この難しい意識の問題も次のように整理して見れば理解が進むのではないだろうか。人間を頂点とした「進化体系」を生物学では大まかに「人間→哺乳類→鳥類→爬虫類→両生類→魚類→昆虫→単細胞生物」という流れで説明している。なお鳥類は爬虫類である恐竜から「進化」したといわれているので、爬虫類の上位に置かれている。ここに植物とペットを加えて意識を分類すると次の通りになる。

 

A:植物」―意識はあるが、あなた方のいう意識とは違う(語る436⑤~⑦)

B:単細胞生物・菌類」―意識的生命のある所には造化活動がある(道しるべ223①)

C:爬虫類・両生類・魚類」―個別意識・類魂意識なし(道しるべ222⑩、223⑤~⑥)

D:鳥類」―小鳥でも犬より知的に進化しているものもいる(595①~②)

E:哺乳類」―動物には種属全体としての類魂がある(8206⑧~⑨)

F:ペット」―人間とよく似た個的意識が芽生えている(8206⑨~⑩、210④)

G:人間」―個別的意識形体を取っているのが人間(7200⑫)

 

ウ)「個別意識」「類魂意識」の有無

A:類魂意識はどの段階から有するか

シルバーバーチは「意識」を「自意識(自我意識、個別意識)」や「類魂意識」という意味で使用している(→自分が何であるか、誰であるかの認識のこと:道しるべ222⑫~⑬)。その「意識(→個別意識や類魂意識のこと)」はどの段階から始まるかにつき「病原菌に意識があるでしょうか。ヘビに意識があるでしょうか。ノミやシラミに意識があるでしょうか。微生物に意識があるでしょうか」(道しるべ222⑨~⑪)と述べている。ここから明らかになることは、爬虫類のヘビに個別意識も類魂としての意識もないと言うことは、それ以下の「進化体系」にある「両生類・魚類・単細胞生物や菌類、植物」などには、個別意識も「類魂意識(仲間意識のようなもの)」もないことになる。ここで言う「意識」とは「個別意識(自我意識、自意識)」や「類魂意識」の有無のことである。

 

B:動物の範疇に鳥類を含めるか

上記の引用箇所では「鳥類」のことは直接触れられていない。ポイントはシルバーバーチがいう「動物」という言葉の範疇に「鳥類」が入っているか否かということである。なぜならシルバーバーチは「動物」には個別意識はないが、その萌芽形態たる「類魂意識」を有する。しかしそれ以下の進化体系にある生物には、「類魂意識」以上の「意識」はないと述べているから。

 

シルバーバーチは「動物の世界には個的意識はなくとも、その奥には類魂としての意識が存在します。動物よりさらに下がると類魂の意識もなくなります。微生物には意識はありません」(道しるべ223⑤~⑥)と述べている。注記の「注2」でも明らかなようにシルバーバーチは「動物」を哺乳類として用いており、「鳥類」をその範疇に入れていない。このことから推測して「鳥類」には「類魂意識」以上の「意識」はないと言うことになる。

違和感は残るが、鳥類の知性は「本能、反射、走性」(注3)レベルが主であり、「経験に基づく学習能力」という知性は、哺乳類と比較すれば低いということなのであろう。数多い鳥類の中には哺乳類より知性が高い鳥の種もいるので(595①~②)、一律に鳥類はすべて「類魂意識」がないと線引きすることには疑問が残る。霊界に於ける分類法は地上世界とは必ずしも一致しないと考えた方が良いと思われる。

 

C:「鳥肉」をどのように考えるか

シルバーバーチは鳥類を「類魂意識」を有する「動物」の範疇に入れていないので、「意識(個別意識・類魂意識)」の問題はクリアできるとしても、現実問題として鳥を食糧にするためには殺害しなければならないこと、肉食であること、鳥類といっても「進化」の進んだ“鳥の種”もいること(→小鳥でも犬より知的に進化しているものもいる:595①~②)、このような問題は残る。

シルバーバーチの上記に掲げた「肉食に関する基本的見解」を踏まえた上で「鳥肉」の問題を考えて見ると、最終的にはこれも「動機と道義心」の問題として「その人個人の判断力にまかせるべき事柄」(最後啓示126③~④)となる。これらの問題を踏まえて各自で判断すれば良いことになる。

最終的には「鳥肉」「両生類・爬虫類の肉」「魚肉」などの「肉食」の問題は、『シルバーバーチの霊訓』を踏まえつつ(→シルバーバーチは基本点しか述べていないので)、食べ物に関する「思想」の一つと考えた方がより現実的な妥当性がはかられるのではないだろうか。

 

エ)身体がより物質的だから

霊的修行によって体質的に敏感になる人が多いと言われるが、修行の結果、肉食などの「重い食事」が次第に摂れなくなる場合があるという。このようなことから一般に霊能者(霊媒体質者)や霊的修行者は昔から肉食を避ける傾向にある。また科学的なアプローチから「肉食がその人の性格にどのような影響を及ぼすのか」などの調査研究もある。

 

なお地球人よりも霊的進化の進んだ天体に住む“人間的存在(→霊的身体・接合体・物的身体をセットにして物的体験を積んでいる個別霊)”も、その純度の高い身体を維持する為に食糧を必要とする。しかし地球人が食する肉食等の食糧は、その天体人の身体では消化できないという。なぜなら地球人と比べて霊的レベルが高いために、まとう物的身体がより希薄化されているから。私たちの健康を維持する為に、栄養学的に見て動物性食品の摂取が奨励されているが、それは地球人の身体が“より物質的”だからである。それは霊性の低さの証明でもある(霊の書266①~③、268⑫)。

 

③.一つの考え方

ア)意識に関して

A:霊が顕現する場所としての意識

地上に存在する物的形体から「意識又は意識なるもの」を見れば、「G:人間」は一身専属的に“霊的意識(→霊が顕現する場所、以下同じ)”を有している。そのため因果律は個々人ごとに働くので「人間は個別意識を持つ個別霊」と表現される。これに対してペット以下の「A~F」の場合は、物的形体こそ個別性を有するものの個々の個体に対応した“霊的意識”は有せず、“種というグループ”ごとに巨大な「意識又は意識なるもの(→霊が顕現する場所、集合魂)」を有しているに過ぎない。そのため因果律は個々の個体が所属する“種というグループ”ごとに働く(語る199①~②)。

 

B:集合魂を構成する個々の意識

集合魂という因果律の主体となる“器(=種というグループ、集合魂)”、その器に卵(→鮭の成熟卵から分離したイクラの卵)が盛られているとする。器に盛られた卵(→イクラの卵の一粒)である個々の意識が、器の進化レベルに対応した何らかの物的形体をまとって地上体験を積み、死後その体験を持ち帰って器全体が「進化」する。

 

C:因果律は器に対して働く

「霊」は“個々の意識(→イクラの卵の一粒)”ではなく“器(=種というグループ、集合魂)”を通して作用しているので、因果律は器全体として働く(→自由意志は集合魂や個別意識に対して働く:5112④~⑥)。霊の世界で「意識又は意識なるもの(→器つまり集合魂という意識又は意識なるもののこと)」が「進化(潜在的完全性の顕在化)」していくに従って、“個々の意識”がまとう物的形体は「A B C D」と「発達」していく。「進化」するにつれて“器”の大きさが次第に小さくなって、そこに盛られた魚卵の数(→個々の意識)も減っていく。

 

上記「E」の哺乳類になると、個別意識の萌芽形態たる「類魂意識」を持つようになる。この段階になると“個々の意識(=卵)”は充分に成長して大きくなっている。しかしこの進化レベルにあっても「霊」は“個々の意識”ではなく“器(=種というグループ、集合魂)”を通して作用するので、因果律は器全体として働く(語る199①~③)。

さらに人間の愛情を受けた「F」のペットの段階になれば「限定的な個別意識(一時的な個別意識)」を持つようになる。しかし最終的には出身母体である器に戻って行くので(591⑪~92②)、「E」と同様に因果律は器全体として働く。なぜならこの「進化」レベルであっても「霊」は“個々の意識”に働きかけるのではなく“器(=種というグループ、集合魂)”を通して作用しているから。

 

シルバーバーチは「進化が進むにつれて類魂の数は少なくなり(→集合魂を構成する個々の意識の減少)、個別化された魂が増えていく」(8206⑭~⑮)と述べている。ここで言う「個別化された魂が増えていく」とは、集合魂の中に個々の意識を分ける境界線が浮き上がってくる状態のこと。この状態になると地上でまとう形体は“個別意識の萌芽形態たる類魂意識”を持った哺乳類となる。地上で個性を見せるペットの場合は、集合魂の中に潜在的に存在する境界線が一時的にクッキリと浮き上がってきて、限定的に個別意識を表す状態と説明ができる。

 

上記「G」の個別霊である人間の段階になれば、“一粒の卵(=個々の意識)”の集合体であった「意識又は意識なるもの」は充分に「進化」して、「集合魂」から「個別意識」へと質的に転化した。ここに「霊」を一身専属的に有する「個別意識(人間)」が誕生した。これ以降、因果律は「個別意識」を有する個々人ごとに働くことになる。

 

D:卵と器の同化によって個別意識が誕生する

まとめると「AD」までは「個別意識・自意識」や「類魂意識(→仲間意識のようなもの)」はない(→Dの鳥類については、一律にないと断定して良いか疑問もあるが)。「E」の哺乳類になると「類魂意識(→個別意識の萌芽形態)」を持つようになる。「F」のペットは一時的に個別意識を持つ。「G」の人間になると恒久的に一身専属的な個別意識を有する(→いったん個別意識を持った人間として誕生すれば、極悪非道の地上人生を送ったとしても、再び集合魂に戻ることはない)。

 

集合魂(→主に物的形体をまとって進化する)から、個別霊(→個別意識を有するので主に霊的身体をまとって進化する、物的形体をまとうのは一時的なもの)の進化につき、「卵と器」の例えを用いて一つの考え方を述べてみる。

最初は巨大な器に魚卵のイクラが無数に盛られている状態とする。次第に“種というグループ”に相当する器が小さくなって、そこに盛られたイクラの数も減って行く。悠久の時を経て「意識又は意識なるもの」がある進化の水準に達すると、イクラの卵がウズラの卵に質的に転化して(→類魂意識を持つ哺乳類の段階)、器に盛られた数も減少してくる。その後人間という形体をまとうまでに「意識又は意識なるもの」が進化すると、器に一個のニワトリの卵が盛られている状態となる。これが人間としての形体を持つまでに「意識又は意識なるもの」が進化した最終段階のイメージ(→この段階でも集合魂であることに変わりはない)。人間として生まれる直前に於いて(→集合魂から個別霊へのジャンプ直前)、一個の卵と一つの器の関係のままで待機状態となる。人間に出生することが霊界の上層で決まれば(→守護霊の決定、所属する類魂の決定など)、その後は霊的法則に則って「卵と器」は同化して一個の個別意識となる。そして“新入生”の個別霊として、母体に宿って物的身体を持った人間の誕生となる。

 

E:マイヤース霊の説明

この「集合魂(意識又は意識なるもの)」の進化についてマイヤース霊は分かり易く説明している。「植物・昆虫・魚類・鳥類・それに四足動物を学校の学年別のように考えれば分かり易いでしょう。物的形態の死滅後、植物のエッセンスないしは魂が無数に集まって一つにまとまった存在を形成し、やがて一学年進級して昆虫の身体に宿ります。その昆虫の魂が無数に集まって一つのまとまった存在を形成すると、今度は魚類あるいは鳥類の身体へと進級します。こうした過程が延々と続いて、遂には人間に飼い馴らしている動物の中でも最も知的なものへと進化して行きます」(永遠の大道259⑪~260①)。

 

シルバーバーチは表現こそ違っているが同様の趣旨の発言をしている。交霊会の参加者から出た「動物の類魂は同じ種類の動物に何回も生まれ代わるのですか、それとも一回きりですか」の質問に対して、「一回きりです。無数の類魂(→個々の意識)が次々と生まれ代わっては類魂全体(→集合魂)のために体験を持ち帰ります。動物の場合はそれぞれ一度ずつです。全体として再生する必要はありません。それでは進化になりません」(595④~⑦)と述べている。

 

マイヤース霊はさらに続けて「そして、いつかは地上へ戻り、人間の身体に宿ることになります・・・『創世記』の第一章に出てくる“禁断の木の実”・・・禁断の木の実であるリンゴを食べたということは、魂の進化の歴史における、動物的段階から人類への過度期を象徴的に述べているのです」(永遠の大道260⑰~261⑤)。「全宇宙を通しての進化の趨勢は単純から複雑へと向かっており、“動物的感性”とでも言うべきもの、要するに物的身体の死後に生き残る部分は、少なくとも短時間こちらの世界に生き続け、地上時代に近い状態で生活しています。しかし、宿命的に地上へ戻ることになっています。そして機が熟せば人間の身体に宿ることになります」(永遠の大道261⑰~262③)と。

 

なおマイヤース霊は集合魂を構成する“個々の意識”を「ある種のエッセンス」と呼んでいる。このエッセンスが「最終的には新たな次元の進化の系統へと向上して人間的資質を身に付けることになっている」(永遠の大道262⑤)と。マイヤース霊が「エッセンスないしは魂が無数に集まって一つにまとまった存在」としているものを、筆者は「器(集合魂のこと)」と呼んだ。そしてマイヤース霊が「エッセンスないしは無数の魂」と呼んでいるものを「器」に盛られた「卵(イクラの卵、ウズラの卵)」に例えて説明した。

 

イ)肉食に関して

A:物質が活性化して生命がまとう形体となる

肉食の問題を「中間物質が付着した家畜の肉」という観点から考えて見たい。

物質は「根源的物質(=普遍的物質)」が変化した「普遍的流動体(半物質状の中間物質)」の一種である生命素と一体化することによって活性化して有機物となり、始めて生命の物的形体たる身体(=生命体)となり得る(霊の書48⑤~49⑤)。

 

B:個々の意識には接合体が付着する

地上でさまざまな個性を見せる“個々の動物(個々の意識)”にも、ペットのように所属する“種というグループ”にとって先駆け的な存在といえる個体もいれば、反対に“アウト・ロー”的な個性を持った個体(個々の意識)もいる。個々の動物は、それぞれ固有の物的形体を持つと同時に、その肉体に対応した接合体(ダブル)を有している(個人的存在19⑦~⑧)。

しかし人間とは異なって個別の肉体に対応した“霊的要素(→霊の心、霊)”は有していない。その種ごとに巨大な「意識又は意識なるもの(集合魂)」という“霊的要素(→霊の心、霊)”があり、個々の物的形体を持つ動物はそれを共有しているにすぎない。なおペットは夢を見ると言うことを根拠に、個々の個体にも一身専属的に霊的要素を有するという意見もあるが、物質界にいるペットが見る夢は“脳に残る残像”であり、人間のように背後霊に連れられて幽界旅行をするわけではない。

 

C:肉食とは動物の身体と幽質を食すること

死によって動物の「個々の意識」は所属する霊のグループである「意識又は意識なるもの(集合魂)」に帰り、物的身体は腐敗作用を通じて土に帰っていく。その際に腐敗のスピードをコントロールするために、物体には半物質状の生命素の一部が必ず付着している。私たちが動物の肉を食すると言うことは、動物の物的身体と合わせて“接合体(→幽質、半物質状の生命素の一部)”も同時に食していることになる。なおこの接合体にはその個体が地上時代に見せていた性格傾向や、屠殺の際の“激しい感情”などが染み込んでいる。

 

当ブログの記事「移植医療とスピリチュアリズム」で見てきたように(→移植医療とスピリチュアリズム:https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/05/post-7030.html)、移植医療の臓器にはドナーの幽質の一部が付着しており、これを体内に取り込んだレシピエントの体質によっては問題が発生することが知られている。これと同じ現象が「肉食」でも言えることになる。

移植医療とはドナーの臓器を人体部品のように考えて、レシピエントの機能不全に陥った臓器と交換して生命を長らえさせるための医療である。これに対して「肉食」とは、「個々の意識(一匹一匹の動物)」が地上体験を積むためにまとった物的身体を食する行為である。両者の大きな違いは、長期間にわたって患者の一部となって存続する臓器と、一時的にエネルギー源に変えるために体内に取り入れる食料という違いである(→家畜の肉を長期間に渡って大量に食する場合は両者の中間的な位置づけになるが)。大部分の「肉食」の場合には問題は発生しないであろうが、例外的に次に述べるように体質によっては問題が起きることもありえる。

 

D:モヤーとした悪想念を発する

大部分の「個々の意識」は所属する「意識又は意識なるもの(→動物の“種”に該当する集合魂)」に戻っていくが、数多い個体の中には本来の界に戻る途中の「中間境(→地上界と幽界の境)」に、何らかの理由で留まってしまうものもいるであろう(→半物質状の中間物質を有しているので、理論上は中間境での滞在が可能)。このような一匹一匹の物的形体を持った動物の姿をまとった「個々の意識」の中には、中間境で自己の存在を強烈に主張するケースも出てくるであろう。

その際に具体的な感情表現を主張するだけの「進化」レベルに達していない、家畜という物的形体をまとった「個々の意識」は,モヤーとした悪想念の塊という形で“嫌悪感という感情”を表現してくるのではないだろうか(→霊の心を専有していないから)。これは地縛霊が「臓器+幽質+意識」をセットにして、レシピエントの体内から積極的に自己の存在を主張するケースと似ている。なぜなら“臓器又は食肉の一片”が存在する場所に“地縛霊の意識又は家畜という個々の意識に対応する中間物質”も存在するから。

 

マイヤース霊は「中間境」の下層世界を「テロリスト界」(個人的存在252④)と呼んだが、そこには例外的に「非人霊、類人霊(一種の動物霊)」がいるという(→さらには人間の想念が作り出した魑魅魍魎などの存在)。このような「動物霊」の地上時代は“アウト・ロー”的な個性を見せていたのかもしれない。また屠殺される際の激しい感情が「個々の意識に付着した半物質(接合体)」の中に染み込んでいるケースもある。このような個性や感情が「食肉の一片」には付着しているが、これを霊媒体質者は感じ取ってしまう場合がある。

 

④.害虫・有害鳥獣の駆除

ア)比較衡量の問題

現代社会は哺乳類であるネズミや有害鳥獣の駆除、有害昆虫の駆除、ウィルスなどの殺菌等、このような“殺害行為”が日常的に行われている。

これらの「有害動物や有害昆虫の駆除」等によって、社会環境が改善されて多少なりとも快適な生活が送れるという利益を私たちは受けている。しかし繁華街におけるネズミの問題や、森林伐採によって人里に下りてきた鳥獣(有害鳥獣)の問題、異常繁殖した昆虫(バッタなど)など、これらについて根本的原因を作ったのは我々人間であるという認識を持つ必要はある。

 

シルバーバーチは全ての生命に敬意を抱くことが原則だが、これも動機と程度問題であると述べる(8181③~④)。この問題は二つの価値観が対立する問題である。一つは生き物を殺害する行為であること、他方は人間が生きていくための「環境の整備・人間の健康面の配慮」という問題である。これら二つの相対立する価値観を比較考量して、「動機と程度の問題」がクリアすれば駆除は妥当であるという考え方ができる。

この問題も私たちは駆除等によって快適な生活を送ることができるので、「受益者の一人」という立場に立つ。そのため同時代人として駆除に伴う殺害行為に対して、マイナスのカルマを“広く薄く背負う”ことになる。

 

害虫や有害鳥獣の駆除の問題も「根本原因を作ったのは人間側にある」との認識を持つことは当然であるが、これも人間社会全体の「動機と道義心」の問題と考えることも出来る。つまり現代社会が人間以外の生き物の犠牲の上に営まれている“未熟な社会”であることを多くの人が認識して、一人一人が環境の改善に取り組むようになって社会全体の霊性が向上すれば、次第に駆除の方法が現在とは違った形で行われるようになるのではないだろうか(→例えば野良猫の避妊手術など)。

 

イ)人類の生き方と関わってくる問題

シルバーバーチはそもそもウィルス(ビールス)が発生することは「人類の生き方がどこか間違っていることの証拠」(最後啓示83⑤~⑥)と述べる。また「ホコリや病気は原因をたどれば人間の利己心、邪心に行きつく」「直接の原因は衛生の悪さ、不潔な育児環境、直射日光や新鮮な空気の不足とかにある」「さらに原因をたどれば、そういう環境を改めようとしない、恵まれた環境にある人達の同胞への利己心、同胞への非人間性に行きつく」「そういう利己心を捨て、弱者を食い物にするようなマネをやめ、我欲や野心を生む制度を改めれば、害虫や寄生虫は発生しなくなる」(597⑦~⑬)とも述べている。

 

哺乳類のネズミは飲食店が出す残飯の管理の悪さから歓楽街では異常繁殖している。また本来その地方にいない生き物を人間が持ち込んだ結果、その地で異常繁殖を起こして環境悪化を招いている事例もある。例えばオーストラリアでのウサギの異常繁殖の事例(5118⑩~119①)や、日本における外来魚や外来種の植物が異常繁殖して問題を起こしている事例などがある。このように人間側から見て有害とされる「動物や昆虫の発生」の問題は、シルバーバーチが述べるように人類の生き方と深くかかわっている問題である。

 

⑤.動物愛護の問題

ア)意識の変化を求められる運動

人類の進化という観点から見れば、現在は前世紀から続いてきた「女性の権利」獲得運動がやっとヤマ場を越えて、次なる争点である「民族的マイノリティー」や「性的マイノリティー」の人権問題に移ってきたという段階である。今回のテーマである「動物に対する残虐行為」「肉食」「動物愛護」等の問題は、人間の権利がある程度の進展を見せた段階以降に、始めて「動物の権利」として正面から取り上げられるテーマではないだろうか。なぜなら動物虐待や肉食等の行為は、人類が長年にわたって日常的に行ってきたものであり(注4)、人類の意識に深く染み込んでしまっているから。

 

今までの人類の意識水準では当然のように行われてきた動物虐待や肉食等の行為も、将来意識水準が向上して動物に対する見方に変化が出てくれば、自ずと変わっていくものであろう。このような人類の意識の変化を伴う事柄は一朝一夕には行かないものである。この動物に対する問題は、一時期は急速に進展するが他の時期では後退をする、これを繰り返しながら長い時間をかけて人類の意識が変わって行く、その中で解決されて行くものだから。意識の変化を伴う運動は、せっかちに事を為そうとしても旨くいかずに挫折をするだけである(→あせりが運動を過激にしていく)。

 

一種の「意識変革運動」であるスピリチュアリズム普及運動に於いても、「動物に対する一連の問題」は傍系の位置にある。普及運動に携わるスピリチュアリストの中にも、動物実験や肉食等の問題に鈍感な人が多く、それほど問題意識は高くないから。マイヤース霊も「動物を使って実験するのも可能でしょう」(個人的存在19⑥~⑦)と述べている。このマイヤース霊の発言は地上時代に染み込んだ“動物に対する意識”を変えることが、いかに難しいものであるかの好例である(→この世とあの世で知識を深めたマイヤース霊でさえも、地上時代に培った“動物に対する意識”を変えることがいかに難しいかが、この発言から読み取れる)。

 

イ)動物愛護のルーツ

イエスは動物について何ら述べていないが、そのことについてシルバーバーチは「その当時はまだ動物の幸不幸を考えるほど人類が進化していなかったから」(5119⑧~⑨)という。その後人類の「意識」が「進化」して、動物虐待の禁止などを唱えた動物愛護運動が19世紀のイギリスで起きた。

動物虐待防止法は、1822年に「家畜の虐待と不適当取り扱い防止条例(マーチン法)」として、イギリスに於いて初めてが成立した。また1824年には動物虐待防止協会(SPCA)が設立されて、1840年に王立動物虐待防止協会となった。

動物愛護運動はその後「動物実験反対」「動物虐待防止」「ベジタリアン運動」「健康維持」「毛皮使用素材の非着用」「スポーツハンティング禁止」「自然破壊に反対する」「エコロジー運動」等へと広がりを見せている。

 

ウ)運動それ自体が“魂の磨き粉”

「意識の進化」という観点から考えれば、地上世界は物的形体をまとった人間だけの専有物ではなく、同様に動物や植物も地上で体験を積んで“所属する集合魂”の進化に寄与している。このようにさまざまな進化レベルにある“意識”が物的身体をまとって自然界で共存している。これらの事実を紹介して、正しい知識を広めるという形で動物愛護運動が行われている。この動物愛護運動の背後には霊界の霊団による指導があるという(8219⑬)。

シルバーバーチは「この種の仕事(=動物愛護)は内奥の生命、霊的実在についての知識に目覚め、他の生命との霊的つながりを理解した者が、自分を役立てるという動機一つに鼓舞されて仕事に従事するということであらねばなりません」(8220⑫~⑭)と述べている。

 

当然に肉体を持った人間集団が行う“普及運動”である以上、そこには世俗的な問題も生じてくる。運動の中でさまざまな問題にぶつかることが多いが、その“問題”は当人にとって見ればいわば“魂の磨き粉(→粒が粗いものからきめが細かいものまである)”的な役割を持つことになる。

シルバーバーチは「悲しいことですが、この道(=動物愛護)に携わっている人が本来の目的を忘れて我欲を優先させ、一身上の都合の方が大義より大切であると考えるようになったりします」(8209⑧~⑩)とも述べている。

 

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<注1>

①.主流派科学が説く「進化論」

◆「進化」とは

「進化」とは「進歩、発展すること」であり、この言葉はさまざまな分野で多様な形で用いられている。生物の分野では「(進化とは)時間の経過とともに、生物の形態・機能が遺伝的に変化して行く現象」(生物事典、旺文社)として。また「進化論」は「生物が進化するという考えを説明する為に提唱された説、ダーウィンの自然選択説が発表されるに及んで進化の概念が確立された」(生物事典、旺文社)と記載されている。

 

◆「種」とは何か

主流派科学では生物分類の基本単位である「種」を次のように解説している。「種とは同一の祖先から出た生物集団で、共通した形態的特徴を持っている。交配が可能で、交配によってできた子も生殖能力を持つ。染色体数・核型が同じである」(水野文夫・浅島誠共著『理解しやすい生物ⅠⅡ、改訂版』文英堂2008年刊改訂版387頁、および新訂『生物図表』浜島書店2007年刊214頁参照)。この定義のポイントは「生殖的隔離」にある。

 

解説書によれば「種」が確立するための「生殖的隔離」とは、同じ場所に生息していても遺伝的要因や繁殖時期の違いなどで交配ができない状態をいう。たとえばイヌにはシェパード、スピッツ、秋田犬などが存在するが、それぞれは相互に交配が可能であり、生まれた子も健全に育ち生殖能力を持っているので同じ「種」である。しかしトラとライオンは人為的に交配させれば子を産むが一代限りであり、自然界では交配しないので、別々の「種」となる。またロバとウマは交配可能であるが、子であるラバは繁殖能力がないので、ロバとウマはそれぞれ別の「種」であると説明されている(生物事典、他)。

 

◆主流派科学の「進化論」

主流派科学では生命の起源に関して、あらゆる生物は一つまたは複数の共通の祖先から自然の作用によって生まれたものであり、その祖先それ自体も非生命体(無機物)から生じたものであるとして、「無機物→有機物→原始原核生物(生物の共通の祖先)→〇〇」の流れで生物の進化を説明している。この点から進化論は、宇宙の一切の存在や現象は物質で説明できるとする唯物論の立場に立っていることが分かる。

なお“ネオ・ダーウィニズム(→「総合説」「現代進化論」「ダーウィニズム」とも呼ばれている)”では、「共通の祖先」「漸進的進化による大進化」「自然選択」は完全に証明されているとの立場に立っている。

 

進化論は生物学の一分野であるにもかかわらず、現在では「全ての生物の関係を理解する上での基礎的な枠組み」として用いられている。この進化論は19世紀以降、政治や社会、公衆衛生、学問、思想などのあらゆる分野において応用されて用いられ、生物学という枠を超えて大きな影響力を及ぼしてきた(→スペンサーの社会進化論は有名)。しかし近年の「ID理論」の登場によって「進化論」を巡る状況は大きく変化してきている。この主流派科学の進化論に対して創造論では、万物は神によって創造されたとする立場に立つ。このように個々の生命体の発生や進化に関して進化論と創造論では、相反する立場に立っている。

 

なおIDとは「インテリジェント・デザイン(Intelligent Design)」のことで、その頭文字をとって「ID理論」と呼んでいる。「知的設計・知的デザイン」のこと。「ID理論」では、生物の進化は自然発生的なものではなく、「何らかの存在による、何らかの意図のもとに系統だって進んできた」という考え方をとる。この「何らかの知性を持った存在の関与」に関しては、それが「神であるとは限らない」と主張する点が「ID理論」の特徴となっている。

 

◆小進化とは

生物学では進化の仕組みを調べる方法として、主に「種」の遺伝子的変化を調べるというアプローチの仕方をする。この「種」レベルの進化的変化を「小進化」と呼んでいる(→種内でおこる形質の変化。または遺伝子頻度の変化や、観察や実験ができる程度の小規模な変化などのこと)。「種の分化」や「種内の品質の分化」などが小進化の例として挙げられている。

「種」の枠内での小規模の進化(変種)は家畜の育種などに見られるが、これらは集団の中にすでにあった変種を利用するものである。また交配と選抜によってかなりの程度、品種改良が出来ることは農作物によっても証明されている。このように小進化は日常的に観察されている。しかし「種」の枠内の変化といっても、そこには一定の限度があることも知られている。農作物の場合では「各生物体の遺伝システムには独自の制約が組み込まれているため、それぞれの動植物の平均値から大きくズレないように、ストップがかかる」という。これは「半年間にわたって絶えず花を咲かせるバラはあるが、一年中花を咲かせ続けるバラはない」という形で説明されている。当然に「種」を跨いだ交配は出来ない。同じ「種」の枠内での「小規模な進化(変異)」は、創造論者も進化論者も認めている。

 

◆大進化とは

生物学では、数万年から数十万年に及ぶ長い時間をかけて「属、科、目、綱など」の大規模な進化的な変化(新しい種や属などの形成)が起こることを大進化と定義している。大進化の仕組みは「突然変異や遺伝子の流入により、遺伝子に変異が生じる。また、自然選択や遺伝子浮動によって、遺伝子頻度が変化する。さらに、隔離されることによって、独自の変異を重ね新しい種が生まれる」(新訂『生物図表』浜島書店2007年刊214頁参照)と説明がされている。

 

進化論で問題となるのは「種」を跨いだ「大規模な進化」は起こるのか否か、自然発生的に漸進的に進化してきたのか否かということである。主流派科学では「種」の中で起きた小さな変異が、世代交代に伴って次第に増加していって、元の「種」とは似ても似つかない「種(別種の誕生)」となり、この繰り返しの結果「種」の間の大きな違いとなって、基本種を跨いだ大規模な進化(大進化)となったと説明している。つまり「単細胞生物」→「多細胞生物」→〇〇→「脊椎のある魚類」→「両生類」→「爬虫類」→「鳥類や哺乳類」へと、完成度の低いものから高いものへと漸進的に進化したとしている。

 

生物学では、大進化とは単に小進化の積み重ねとされているので、「小進化と大進化との間には本質的な差異はない」(生物事典)と言われている。総合進化説では進化には「種分化(→新種が生まれる過程のこと)」「系統進化(→原始的なウマから現代のウマへの進化)」「大進化(→爬虫類から鳥類・哺乳類への進化)」の三種類があるとする。総合進化説ではこれらの三種類の進化の全てが、「突然変異」と「自然選択」によっておこると説明している。なお創造論者は、大進化は有り得ないことと見ている。

 

②.有神論的進化論

◆有神論的進化論とは

有神論的進化論(または進化論的創造論、折衷的進化論)は主張する人によって内容が異なるが、大まかに言えば人間の進化を「肉体上の進化(→肉体器官の観点から見る)」と「知的進化(→肉体器官に宿っている霊の観点から見る)」に分けて、前者は進化論の観点から、後者は創造論の観点から論ずる立場のことを言う。多くのキリスト教徒(とくにヨーロッパ)やキリスト教信仰を持つ学者がこの説を支持している。

 

唯物論的な進化論によれば、人間は本質的には動物と変わりないが、能力的に進化した「完成された動物」とされている。有神論的進化論では、肉体器官が高度な理性や自我意識を受け入れるのに十分な段階まで進化した時点で(→肉体は進化論的観点に立って動物界から進化した)、「霊的要素」たる「霊的意識の流入」があったとする(ウォーレス)。

唯物論的進化論では理性や自我意識は下等動物の知性と本能から発達したものとするが、有神論的進化論ではそれらは“霊的要素”なので霊の世界から「霊的流入」したものとする。物的要素と生命的要素が一体化して「限りなく洗練された段階(→霊的要素を受け入れるに十分な準備ができた段階)で霊的流入が起きる」とする。

 

◆同時代のスピリチュアリストとの関係

有神論的進化論は19世紀のスピリチュアリストの間では、広く受け入れられていた説である。ウォーレスもこの立場に立っている。なお国書刊行会から1985年から1986年にかけて刊行された世界心霊宝典シリーズに『スピリチュアリズムの真髄』(原題:The Higher Spiritualism1956年発行)という書籍がある。この著書を読んでみれば、著者のジョン・レナードは有神論的進化論の立場に立っていることが分かる。このような点から見て現在でも有神論的進化論に立つスピリチュアリストは数多く存在すると思われる。

 

◆創造論

創造論(創造説)は「ダーウィン的な進化論を否定して、神による天地創造を主張する」説。一般に創造論はキリスト教の『聖書』に書かれていることは事実である(→『聖書』の記述は一言一句事実であるとする者と、記述を象徴的に理解する者とがいるが)という前提に立って述べられているので、現状は「創造論者とはキリスト教徒のこと」を指す言葉になっている。しかし創造論者には大きく分けて二つの立場が存在する。

 

まずキリスト教の『聖書』とは関係なく、神の存在と神の創造を認める立場の「宗教や思想」があり、創造説に立つスピリチュアリストはここに含まれる。これを「広義の創造論」と呼ぶことにする。これに対してキリスト教徒の『聖書』をベースにした創造論を「狭義の創造論」と呼んで区別することにする。この「狭義の創造論」の中にアメリカで興隆を極める独断的で原理主義的な「特殊創造論者」がいる。そのため近年では創造論は極めて狭義の意味で使用されるようになってしまった。

 

有神論的進化論の立場に立つ遺伝学者のフランシスコ・コリンズは「過去100年余り“創造論者”という言葉は、理神論者や有神論者を含む広い意味としてではなく、一部の特定層を指す言葉として乗っ取られ、固有名詞化されてしまった」と述べて「特殊創造論者」を批判している(フランシスコ・コリンズ著、中村昇・中村佐知訳『ゲノムと聖書』NTT出版2008年刊168頁)。

 

③.浅野和三郎の「進化論」

◆浅野の「進化」についての考え方

浅野和三郎が唱えた「類別的進化論(または差別的進化説)」によれば(浅野和三郎著『心霊研究とその帰趨』心霊科学研究会1964年刊181頁~185頁、春川栖仙編『スピリチュアリズム用語辞典』ナチュラルスピリット2009年刊343頁)、人類の祖先は高級な自然霊であって、最初から人類として進化してきた、そのため主流派科学の進化論が言うような猿から進化したのではない。なぜなら猿の祖先は一段低い自然霊であって最初から猿として発達してきたからと述べている。

このように浅野は、あらゆる生物は「種」ごとに、最初からそれぞれ類別的な進化を遂げてきたとして、「現在地上の何れの地点にも、人と猿との中間的生物が発見されない以上、私はこの差別的進化説があくまで正しいと信ずる」と述べている。ダーウィンの進化論を「無差別的進化説」として批判した浅野の「類別的進化論(または差別的進化説)」は、「折衷的な進化論」である。

 

浅野は20世紀前半、西洋の多くのスピリチュアリストが「有神論的進化論(=進化論的創造論、折衷的進化論)」の立場に立っていたので、自信をもって「類別的進化論」を主張したのではないだろうか。ただし浅野は人類の祖先は「高級な自然霊である」と述べたが、当時の西洋のスピリチュアリストは「神による創造」の立場に立っていたため、この点の違いは大きいが。

ダーウィンとは異なって「人間の道徳的性質は外から授けられた」と主張したA.R.ウォーレス(Alfred Russel Wallace1823年→1913年)は、主流派科学の世界から次のように言われている。「ウォーレスは進化論を人間精神に、すなわち崇高な感情に、宗教的な感情に、また美的感覚に適用しようとはしなかった。このような一線を画することによって、ウォーレスは幾分神秘的で哲学的な観念論者となった。人体構造の進化については自然選択の力を強く主張したが、人間の知的・美的・道徳的属性を説明するためには、超自然的なものが必要だと感じていた」(渡辺正雄編著『ダーウィンと進化論』共立出版1984年刊135頁、ピーター・レイビー著、長澤純夫・大曽根静香訳『博物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスの生涯』新思索社2007年刊312頁)と。

 

◆「浅野の進化論」批判

浅野の進化論は折衷的進化論であるため、有神論的進化論批判と同様なことが言える。なお浅野は、前世霊(当然に人霊)を前提としているため、「意識の進化」「進化に応じた物的身体をまとう(→浅野は「類別的進化論」を述べている)」「地上体験を積むことによって意識は進化する(→浅野は浄化した自我意識と未浄化な自我意識とに区別しているが)」「進化とは内在する神性がより多く発現すること」といった観点が曖昧である。浅野は人間や動物をあくまで物質世界の側から見ており、霊の世界で進化していくという「意識を中心にした進化」という観点から見ていない。

 

さらに浅野は「高級霊である自然霊(=天使的存在)が人類の遠い祖先である」と述べている。これは宇宙の経綸を担当する“天使的存在”が、「意識なるもの」にさらなる「進化」をさせるため、神の意志を代行して“霊的レベルに応じた物的身体”を意念で作り出す行為を誤解して(→「意識なるもの」は最初から存在している、神の一部だから:3113④)、高級な自然霊が人類を生み出したと述べている。ここからも浅野の「類別的進化論」には、霊界における「意識なるもの」がさらなる進化を果たすため、物的身体をまとって地上体験を積むと言う観点が抜け落ちていることが分かる。

ここから言えることは浅野の「類別的進化論」や「分霊再生(創造的再生や部分再生を含む)」は、地上側から限られた情報を元にして組み立てられた思考の産物であるということ。この点に時代的な制約下でスピリチュアリズムの普及に携わらなければならなかった浅野の思索の限界が見て取れる。

 

④.一つの考え方

◆「意識」の進化

神によって創られた宇宙には「創造者である神」(1196⑤、3184⑪~⑫)と同質の「普遍的要素としての霊」(霊の書56⑥~⑦編者注)が「根源的素材」(5147⑤)として遍満している。そして遥か昔、人智の及ばない何らかの目的のもとで「霊の個別化」(霊の書57⑭、56⑥~⑦)がなされて、「神と同質の霊」とその「霊が顕現する場所(→意識又は意識なるもの、霊の外皮)」という二重構造が生まれた。この「霊が顕現する場所」の領域に「霊(→神と同質の霊、神の分霊)」が顕現を増して行くためには(→顕現の度合いに応じて“神の属性”である愛や叡智などが増して行くこと)、それぞれの時点に於いて意識の進化に見合った何らかの“形体(→物的身体や霊的身体などのこと。霊的身体の場合は洗練の度合いが増すに従って色彩や光輝によって包まれていく)”をまとって、進化レベルに応じた物的体験や霊的体験などを積む必要がある。その形体が「哺乳類、鳥類、魚類、昆虫、植物、菌類、その他」である。

 

地上世界に出現した物的形体(→その背後に“意識+内在する霊”が集合魂として存在する)が単純な形体から複雑な形体に順番に並んでいるために、物質世界だけからこの「進化」の問題を考えれば(→唯物論的一元論)、あたかも“物的形体それ自体”がゆっくりと、斬新的に、または突然変異的に、一段階上の物的形体に「進化」したと考えるのも無理はない。

しかしこの問題は『シルバーバーチの霊訓』からも明らかなように、霊的世界における「意識(意識なるもの)」の「進化(→潜在的完全性の顕在化)」を中心に考えて、その進化レベルに見合った形の物的形体は何かという順番で考えるべきであろう。つまり物的形体自体が勝手に「進化」するのではなく、その背後に存在する「意識」が「進化」していく。その意識の進化レベルに対応した物的形体を“創造して(→神の代行者である造化の天使が霊的摂理に則って形体を意念で創造する)”、それをまとって地上世界で体験を積んでゆく。あくまでも“意識の進化”が主であり、物的形体は従である。

 

シルバーバーチは「意識が完全を目指してゆっくりと上昇していきつつある状態が存在」(3112⑩~⑪)、「(意識が)さまざまな形態を通じて顕現し、その表現を通じて絶え間なく洗練されつつ、内在する神性をより多く発現していく」(3113⑥)、「現在人間という形で表現している意識も、かつては動物、鳥類、魚類、植物、その他、無生物と呼ばれているもの全てを通じて表現されてきた」(3113⑧~⑨)と述べている。

 

◆主流派科学が説く進化論の問題点

主流派科学が説く進化論は唯物論的一元論に立っているため、物的観点からのみ「進化」を考えている点に問題がある。唯物論的進化論には霊的観点がソックリ抜け落ちている。そこに問題を見誤る原因があると言えよう。

また有神論的進化論は「肉体上の進化(→肉体器官の観点から見る)」に主流派科学の進化論を用いているところに問題がある。「知的進化(→肉体器官に宿っている霊の観点から見る)」に関しては「意識」の進化という観点から考えているので問題ないと思われる。

 

<注2>

◆「動物」と「小鳥」とを分けて表記している

シルバーバーチは「確かに自然界には弱肉強食の一面があり、腹がすけば互いに食い合うこともしますが、それは自然界全体としては極めて些細な話であって、人間界と同様に動物界にも調和と協調の原理が働いております。・・・それとは別に人間としての責務にかかわる一面もあります。つまり上に立つ者が低い進化にある者に対して持つ責務です。人間も動物も、樹木や果実、花、野菜、小鳥などと共に一つの生命共同体を構成しているからです。全生命は、進む時は共に進み、後戻りする時は共に後戻りします。ですから、人間が愛と慈悲と同情の心を発揮すれば、それこそオオカミと小ヒツジが相寄って寝そべるようになるでしょう」(1178⑤~⑬)と述べている。

 

◆「動物」と「鳥類」とを明確に分けている

シルバーバーチは「一羽の鳥がやがて一人の人間になっていくのかと云うことであれば、答えはノーです」「精霊進化というのは妖精およびそれに類する存在に関わる自然的生命の進化のことです」「進化とは全生命に関わる自然法則の一環」「低い次元から高い次元へ向けての不断の向上のこと」「進化の法則は全ての生命、すなわち昆虫類、鳥類動物、そして人類のすべてを包摂しています。それぞれに果たすべき役割があり、しかもお互いに関連し合っている」「人間も動物の進化に関連した法則と同じ法則によって支配されている」(10201⑪~202⑥)と述べている。

 

☆コメント、その1

物的形体たる「一羽の鳥」が次に「一匹の哺乳類」となって、やがて「人間」となるというのは、霊の存在を認めない「唯物論的進化論」が唱える説である。「唯物論的進化論」は「意識(霊の外皮)」がまとう衣装たる物的形体が、それ自体が漸進的にまたは突然変異的に、一段階上の物的形体に「進化」していくと主張する立場である。「一羽の鳥がやがて一人の人間になっていくのかと云うことであれば、答えはノーです」(10201⑪~⑫)と否定しているが、これは「唯物論的進化論」的な見方(→つまり物的形体がゆっくりと、または突然変異的に一段階上の形体に進むという連続進化的な見方)を否定しているだけである。

 

☆コメント、その2

シルバーバーチは別の箇所で「いま人間という形態で表現している意識も、かつては動物・鳥類・魚類・植物その他の生物と、無生物と呼ばれているもの全てを通して表現されてきたのです」(メッセージ147⑯~148①)と述べている。ここでシルバーバーチは「進化」を物的形体から見るのではなく、霊的な世界から「意識(霊の外皮)」を中心として見ることを説いている。

 

◆意識の顕現状況の説明で「動物」と「鳥類」を分けている

シルバーバーチは「(大霊の一部である)この意識なるものは、私の知る限り無窮の過去から常に存在してきたものですが、それがさまざまな形態を通じて顕現し、その表現を通して絶え間なく洗練されつつ、内在する神性をより多く発現していく。これまでありとあらゆる生命現象を通して顕現してきて、今なお顕現し続けております。いま人間という形態で表現している意識も、かつては動物鳥類魚類植物その他の生物と、無生物と呼ばれているもの全てを通して表現されてきたのです。これからも進化と成長を続け、発展し、拡張し、神性を増し、物質性を減らしていきます。それが創造の全目的です。大霊の一部である意識が、千変万化の形態を通して絶え間なく顕現していくということです」(メッセージ147⑫~148④)と述べている。

 

<注3>

◆走性(そうせい)

走性とは刺激に対して、体が刺激源に近づいたり(→正の走性)遠ざかったりする行動(→負の走性)のこと。例として、夜行性の昆虫は光源に寄ってくる(→正の走性)。

 

◆反射

反射とは、生体が生まれつき持っている一定の反射行動(機械的な反応)のことで、大脳皮質が関与する意志とは関係なく、反射中枢(脊髄・延髄)で処理される反応のこと。大脳皮質がない下等動物の活動は、ほとんどが反射行動(→無条件反射。これに対して大脳皮質が関係するのは条件反射)で占められる(→ここから“意識的行動と見える”もののほとんどは、その個体の単なる反射行動といえる)。

 

◆本能

本能とは動物が個体維持や種族維持のために表す生まれつきの行動や能力のこと。本能行動は学習や思考によらずに外部の刺激に対して引き起こされる走性や反射が複雑に組み合わさったもので動物の種ごとに決まっている。最近では本能行動と言わずに「生得的行動」「遺伝的にプログラミングされた行動」と言われている。

 

◆経験に基づく学習

経験に基づく学習とは、高等動物になれば生まれつき備わっている本能行動以外に、経験に基づく行動がとれるようになる。経験に基づく行動とは「慣れ」「条件反射」「刷り込み」「試行錯誤」等の学習に基づく行動などが観察される。大脳皮質が発達している霊長類や犬猫などに見られる。予想することや未経験のことに対処する行動が見られる。

 

◆表出機能、信号機能

高等動物の意識は、動物の肉体器官から発する意識(表出機能、信号機能のみ)であって、人間のように肉体器官から離れて、一段高い次元から自分を見つめるという高次の意識はない。その理由は高等動物には自己を客観視するための主体(霊的要素たる自我の本体)がないから。

 

☆コメント

霊の世界に存在する「意識」が物的体験を積んで「進化」するためにまとう物的形体の「発達」過程を、動物が大脳皮質を持っているか否か(→どの発達段階から有するようになるのか)、動物の“種”ごとに決まっている本能行動、経験に基づく学習能力の習得など、これらを総合して判断して見れば、「意識」がまとう物的形体を“系統的”に表すことが出来る。

 

<注4>

キリスト教の『旧約聖書』では、人間は動物よりも優れた存在であるとして(創9②~③)、動物を「清い動物」と「汚れた動物」に分けている(レビ11)。そして人間が食べて良いものは、反芻し蹄が分かれた牛や羊などの「清い動物」であるとする。このような人間を中心にした考え方が、キリスト教をベースにした西洋社会では長年にわたって支配してきた。

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、講義用ノート:目次

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