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第8講:宗教について

目 次

1.宗教・信仰について

①.シルバーバーチの宗教批判

・霊力の流入は既成宗教を通しては無理

・真の「宗教」とは

・「布教形態」の違い

②.盲目的信仰、知識の裏付けある信仰

③.破邪顕正

・解体と構築の関係

・「スピリチュアリズムの本質」は宗教性にある

④.子供に対する宗教教育の問題

 

2.既成宗教とスピリチュアリズムとの融合

①.キリスト教的スピリチュアリズム

・キリスト教とスピリチュアリズムの融合

・「キリスト教心霊主義者」と「反キリスト教心霊主義者」

②.和製スピリチュアリズム

・明治憲法下での「信教の自由」

・スピリチュアリズムの普及運動

・思想・信教の自由の保障

③.ブラジルのスピリチュアリズム(スピリティスト・カトリック)

・「スピリチュアリズム」と「スピリティズム」

・志向性の違い

・宗教と相性が良いスピリティズム

・スピリチュアリズムの変容

 

3.霊団の系譜

①.司令塔の神庁の存在

②.スピリチュアリストは「悪魔と戯れる者」

③.聖ルイの霊団(地上側にカルデックを置く)

・顕幽両界の浄化運動

・最初の礎石を置く

・反スピリチュアリズ陣営からの猛攻

④.インペレーター霊団(地上側にモーゼスを置く)

・キリスト教神学の壁を打ち破る

・インペレーター霊団の使命

⑤.シルバーバーチ霊団(地上側にバーバネルを置く)

 

4.キリスト教批判

①.人間イエスに関すること

・イエスは人間であった

・イエスは霊能者であった

・時代の制約下に置かれたイエスの生涯

・神の摂理に忠実に生きたイエス

・イエスの使命、イエスの訓え

・霊界におけるイエス

②.キリスト教の神学・教義・組織

・贖罪

・懺悔

・洗礼

・キリストの復活・聖痕

・キリスト教の教義

・教会・牧師・組織

・聖書について

 

<注1>~<注14

 

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1.宗教・信仰について

①.シルバーバーチの宗教批判

ア)霊力の流入は既成宗教を通しては無理

辞書で「宗教」の項目を見れば「宗教とは超自然的な存在に対する信仰と、それに伴う儀礼や制度のこと」と記載されている。一般に「宗教」という言葉からは、行事や儀式や祭礼などの“形”がまずもって連想されてくる。現実には特定の「宗教」に入信した信者は、教団の特殊な「形式を守り教義に盲従する」ことが求められる。高級霊はこのような「宗教」には何の価値もないと否定する(11巻101⑪)。また地上には霊界側から見て「宗教」と言えるものは殆ど存在しないとも述べる(続霊訓79⑭)。

 

霊力(→霊的エネルギー:3巻116⑫、神の力:1巻61⑩)は幾世紀にもわたり「その時代の宗教を通して顕現しようとしてきた」(9巻114⑩~⑪)。しかし人間は長い歴史の中で“単純素朴な霊的真理”に、本来の「宗教」とは何の関係もない教義や宗教的儀式、宗教的建造物、聖遺物などの夾雑物を挟み込んでしまい、肝心の基礎を忘れ去ってしまった。シルバーバーチによれば現在では霊力が一番見られなくなっている場所は宗教界であるという(9巻112①~②)。

 

このような現状に対して霊界の上層部では、「地上への(霊力の)流入は既成の宗教界を通しては無理との判断」に至り、「宗教界とは無縁の者を通じて行うとの決断」(9巻115⑥~⑦)が為されたと言う。地上への霊力流入の手段として、霊界側には高級霊を支配霊とした霊団を置き、その指導の下で地上側に心霊グループを組織して、それを核として普及する形態が取られた。

 

イ)真の「宗教」とは

シルバーバーチは「人の為に自分を役立てること」(3巻79④、7巻21④)や、「霊性に動かされた行為、無私と利他的行為、弱き者へ力を貸してあげること」(3巻70⑮~71②)が私たちの説く「宗教」であると述べる。

本来の「宗教」が想定していた形とは、“潜在的完全性(霊)”を意識の領域に顕在化させていく為の手段としての利他的行為であって、その本質は「霊性に関わるもの」(12巻136②、語る152⑥)、「霊性を基盤とする」(霊訓上149⑩)ものである(→宗教の本質は奉仕の一語に尽きる:12巻133⑨~⑩)。

 

宇宙に遍満している“霊力(→神はどこにでもあまねく存在している:12巻137⑫)”は、同胞に対して奉仕することによって(→霊力の水平的ルート)、より多く自分の中に取り込むことが出来る(→霊力の垂直的ルート)。表現を変えれば、霊力を自分以外の存在物に“流す行為(→奉仕のこと、自らをどれだけ霊力の通路として役立てたか)”は、結果的に自らの霊性を高めていくことにも繋がる。

このように考えて見れば、シルバーバーチが言う真の「宗教」とは「奉仕を基調とする宗教」という意味も理解できる(→自分を起点とした“霊力の流入”や“霊力の流出”によって、絶対的に不足している霊力が地上に万遍なく行き渡り、最終的には地上天国が建設されて行くから。「神に奉仕すること」と同じである:12巻130①~②)。同じ「宗教」という言葉を使っていても、霊界側と地上側ではその中身は全く異なっている。

 

ウ)「布教形態」の違い

一般に行われている宗教の勧誘には、マスコミを使った宣伝によって、教団主催の行事に参加させて、さらには個別訪問などによって、入会させる勧誘形態が多く見られる。概して無差別的に誰彼かまわずに押し付ける布教形態(→個別訪問型営業の類似形態)に特徴がある。ケースによっては「しつこい勧誘」や「悪質な勧誘」の問題も起きてくる。

 

これに対してスピリチュアリズムの「布教」は“時期の来た人(=必要とする人)”に、必要に応じて説いていくという形態である。その際に一人一人の理性に訴えて(12巻140③~④、140⑪~⑬)、納得ずくによって「布教」するスタイルをとる。このように霊的事柄に関しては、必要としている人が自ら足を運んで真理を得る、いわば“待ちの形態”に特徴がある(→購入意思のあるお客が、目的に応じた店舗に来店する形)。

シルバーバーチは教団が行うマスコミを通じての宣伝や、行事や集会の熱狂的な雰囲気を通して多くの人を改心させる布教形態では「霊的な価値を悟らせることはできない」(新啓示112⑦~⑧)と述べる(4巻120②~④)。なぜなら霊的な問題に関する限り“集団回心”は有り得ないから(11巻103⑨~⑩)。

 

霊的な援助は全体を見渡せる位置にいる霊側の判断で、霊側に都合の良いタイミングで行われる(10巻172⑨)、これが霊的な援助をする際の原則となる。シルバーバーチは「ドアを押してみてすぐに開けば、その道を行けばよろしい。カギの掛かったドアをしつこく叩いてはいけません。時間とエネルギーの無駄です」(10巻44④~⑤、172⑤)と述べている。

 

②.盲目的信仰と知識の裏付けある信仰

シルバーバーチは単なる信仰や盲目的信仰、理性が同意できない信仰、奇跡を期待するような信仰を「浅はかな信仰心」(6巻21②)と呼んで非難している(2巻126①~②)。なぜならこれらの信仰心は、厳しい環境に遭遇すればあっけなく崩れ去ってしまうから。このような信仰に替わって「知識を土台とした信仰」(1巻62⑫、6巻136①)を薦めている。

当然のごとく人間の限られた能力では宇宙の全ての法則に通暁することは出来ないので、どうしても知り得ないことは「知識を土台とした信仰」で補うほかない。

 

シルバーバーチが言う「信仰」とは訳も分からずに信じる盲信のことではなく、確固とした知識の上に立った信念、すべてはよきにはかられているのだと云う信念のこと(→ある程度は“信じる”と言うことがどうしても必要となる:2巻126⑤~⑧)。また「知識」とは表面的な知識ではなく、物事を見通す洞察力や直観力を含んだ広い意味での「知識」のことである。これは霊性レベルに応じて深まって行くもの(→潜在的完全性が意識の領域に顕在化していく割合、つまり霊性レベルのこと。この霊性レベルが10%の霊の場合、理解力の程度は10%に過ぎない)。

そのため現在の自分の霊性レベルまでの「物事を見通す力」は身につけているが、それ以上の「知識」は備わっていないといった場合に、その不足している部分については、これまでに獲得した霊的知識には裏付けあるので、明かされていない知識にも同様の裏付けあるという「信仰(信念)」で補うことになる。

 

③.破邪顕正(はじゃけんしょう)

ア)解体と構築の関係

何であれ新しいものを構築するためには、それに先立って従来からある何物かを破壊しなければならない(→再構築にはそれに先立っての破壊が必要です:2巻174⑪)。人が霊的知識を受け入れるというためには、まずもってそれと相反した固着観念となっている思想や教義を取り除かねばならない(道しるべ196⑥、霊訓下96⑪~⑭)。

シルバーバーチの宗教に対しての姿勢には、教会による虚偽の教えを破壊する“破邪の要素”と、受け入れる用意の出来た人に霊的知識を提供する“建設的な要素”という二面がある(福音251⑤~⑬)。解体なしにはその土地の上に建物を再建することは出来ないので、破邪が顕正に先立つことになる(語る60⑨~⑩、霊訓上103④)。

高級霊のインペレーターは、破邪顕正の必要性を「古き啓示の上に築き上げられた迷信の数々をまず取り崩さねばならぬ。新しきものを加える前に異物を取り除かねばならぬ」(霊訓上29⑫~⑬)、「破邪が顕正に先立つ」(霊訓上103④)と述べている。

 

思想の純粋性を高めるのと正比例する形で、本人の“精神的に煩悶”する深さの程度、さらには煩悶のための一定期間が必要となる。なぜなら価値あるものを入手するためには、その代償を支払わなければならないからである。それによってその人のスピリチュアリズムに関する理解が純粋なものとなるか、いいどこ取りの「折衷的スピリチュアリズム」になるかが決まってくるから。

一般にその人の固着観念となっている思想や教義を、後から100%取り除こうとしても無理である。そのため「私は純粋なスピリチュアリズムを唱えている」と言う場合でも、用語や概念の使い方の中に従来まで信仰していた宗教の教義や、影響を受けた思想などの“残滓(色合い)”が、色濃く残っている場合が多い。

 

イ)「スピリチュアリズムの本質」は宗教性にある

「スピリチュアリズムの本質は宗教性にある」(続霊訓77⑩)。そのため実践面においてしばしば“何らかの信仰形式”をとらざるを得ない場面が出てくる(→例えば“何らかの形”を作って“場の霊的磁場”を高める必要性が生じるケース)。その際に借用する信仰形式はサークルメンバーの精神風土に負うところが強い。メンバーが居住する精神風土がキリスト教圏であれば、キリスト教の信仰形式を借用する。

たとえばバーバネルが霊媒となった交霊会は「ハンネン・スワッハー・ホームサークル」(1巻10①)という名称で知られているが、交霊会の初めに賛美歌が歌われている(7巻14③)。我が国でも霊的行事を行う際には、日本の精神風土に根差した「霊魂観・神観」による信仰形式(→民俗信仰、神道や日本仏教的な形式)を借用して行われている(注1)。この信仰形式の借用を根拠として、イギリスのスピリチュアリズムは“キリスト教の一派”であり、日本のスピリチュアリズムは“神道の一派”であるとは言わない。

 

スピリチュアリズム思想の信奉者には、キリスト教が嫌いな者、神道が嫌いな者、宗教全般が嫌いな者など、その精神性はさまざまである。このような多様性が存在する中で、将来的にはどのような信仰や思想を持っている者であっても、参加可能となる“スピリチュアリズム的な形式”が構築されて行けば、参加者の心理的な抵抗は格段に薄れていくと思われる。それまでの過度期に於いては、既成宗教の形式を借用した霊的行事の存在は、それなりに意義を持っている。

 

④.子供に対する宗教教育の問題

シルバーバーチはその人の固着観念となった思想や教義を排除することの難しさを「精神が従順で感化されやすく、与えられたものは何でも吸収していく幼少時に教え込まれた教義を捨てることは容易ではありません。それがいつしか潜在意識のタテ糸となりヨコ糸となって、その深層を形成します」(10巻175④~⑥)と述べている。

子供時代に受けた宗教教育は、子供の精神構造の柔軟さゆえに容易に潜在意識の中に固着し蓄積して、その人の思想のベース部分を形成していく。そしてそれが支配的な思想となって、後から入ってくる思想の受容に障害となる。年齢を重ねるに従って柔軟さが無くなって、新しい思想の受容を拒否する傾向が強くなる。さらには後から入ってきた思想が支配的な思想によって変質してしまうケースも見られる。ここから「破邪顕正の問題」が生じる。

 

シルバーバーチの専属霊媒のバーバネルは、スピリチュアリズムが「拒否されるケース」として、聖職者のスピリチュアリズムに関する対応にそれが見受けられると述べている。聖職者は「死後個性の存続」や「顕幽の交流」といった霊的事実に対して、キリスト教の教義からこれらを頑なに拒否していると言う(注2)。

これに対してスピリチュアリズムが「変質するケース」としては、その時代の支配的思想や民族宗教によって変質していくケースがある。いわゆる「折衷的スピリチュアリズム」または「ローカル・スピリチュアリズム」と言われるものである。代表的な事例としては「キリスト教的スピリチュアリズム」や「和製スピリチュアリズム」、さらにはブラジルにおける「カルデシズム(=スピリティズム)」などが良く知られている。次の項目では既成宗教によって“変質したスピリチュアリズム”として、代表的な三パターンを概観してみる。

 

2.既成宗教とスピリチュアリズムとの融合

①.キリスト教的スピリチュアリズム

ア)キリスト教とスピリチュアリズムの融合

キリスト教の場合には「キリスト教的スピリチュアリズム(=キリスト教心霊主義)」に、スピリチュアリズムの変質が見られる(注3)。「確信的なキリスト教徒」の場合は、キリスト教の教義がその人の支配思想となっている。そのため後から入ってきたスピリチュアリズムは、その人の支配思想(→キリスト教の教義)に合致するように解釈し直されて変質してしまうことになる。

一般にある思想を受け入れたということは、当人の精神構造に於いて熾烈な思想闘争が存在したことを物語る。それが不完全な場合には、いわば“いいとこ取り”の折衷的な思想となって「ローカル・スピリチュアリズム」が誕生する。

 

イ)「キリスト教心霊主義者」と「反キリスト教心霊主義者」

ジャネット・オッペンハイムは、イギリスのヴィクトリア朝(1837年→1901年)やエドワード朝(1901年→1910年)の社会精神史を扱った『英国心霊主義の抬頭』の中で、スピリチュアリストを「キリスト教心霊主義者」と「反キリスト教心霊主義者」の二つに分けてその違いを述べている。

 

オッペンハイムによれば「キリスト教心霊主義者」の大部分はキリスト教信者によって占められており、スピリチュアリズムによって「死後の世界の存在が証明されれば、キリスト教の立場が強化されて教義体系が補強される」と信じているという(注4)。

これに対して「反キリスト教心霊主義者」の多くは、「無神論者や世俗主義者、自由思想家を経由してスピリチュアリストに転向した者である」と述べる(注5)。

 

著名なスピリチュアリストの宗教性を見れば、オッペンハイムが述べていることは理解できる。たとえば心霊研究協会(SPR)の創設メンバーであるヘンリー・シジウィックやマイヤース、さらにはガーニーやポドモアは聖職者の息子であったが、成長するにつれてキリスト教に対する信仰を失っていった(注6)。またシルバーバーチの専属霊媒のバーバネルは、小さい頃から両親の宗教に関する議論(→父親は無神論者、母親は信心深いキリスト教徒)を見聞きして、「私は次第に無神論に傾き、それから更に不可知論へと変わって行った」(10巻215⑥~⑩)と述べている。これに対してモーゼスは牧師であったためスピリチュアリズムの受容には熾烈な思想闘争を経る必要があった(注6)。

 

②.和製スピリチュアリズム

ア)明治憲法下での「信教の自由」

日本では明治初期の一時期、復古的な天皇親政による「神道国教化政策」がとられた(→明治初期の宗教政策:https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2016/06/post-c278.html)。程なくして明治政府は「開明化政策」を推し進めて近代国家としての体面を保つため、「政教分離」の観点から神道を二つに分けた。これは「神道は宗教に非ず、国家の祭祀道徳である」とする「神道非宗教論」に立つものであった。この政府見解は浄土真宗本願寺派の指導的僧侶の島地黙雷(しまじもくらい:1838年→1911年)の説によったものであった。

 

1945年までの日本は、従来までの神道を「祭祀中心の神道(皇室の神道、神社神道):A」と、「信仰中心の宗教主義的神道:B」の二つに分けて、Bを切り離して「民間の神道」として扱い、Aの「神道は非宗教である」とする国家神道体制をとってきた(注7)。なお宗教学者の村上重良氏は「明治15年及び明治33年の内務省達」を根拠として、これ以降の神道を国家神道と呼んだ。

 

この国家神道体制下において「神社の強制参拝問題(→昭和7年9月の上智大学学生による靖国神社の礼拝拒否問題や朝鮮総督府の神社参拝強制問題など)」が起きている。昭和14年以降はキリスト教徒であろうと「神社参拝拒否」は事実上不可能な状態になっていた(→新田均著『現人神、国家神道という幻想』神社新報社2014年刊157頁によれば、法的強制はなかったものの事実上の強制があり、昭和14年ともなると、実際上、参拝拒否は不可能な状態になっていたと言う)。

 

明治憲法は第28条に信教の自由を定めていた。条文では「日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りにおいて信教の自由を有する」とあり、この権利には「安寧秩序(→公共の安全・平和と社会の秩序が保たれること)」と「臣民の義務」という二つの制限が設けられていた(注8)。条件付ながら信教の自由が保障されたとはいえ、「皇室の信仰」や「国民道徳であり非宗教である神道」に反しない限りという制約のもとであった。

 

イ)スピリチュアリズムの普及運動

このような形式的な政教分離社会でスピリチュアリズムを普及させるためには、弾圧回避のため「非宗教である神道」に寄り添う形で、つまり国家神道の体制内思想として普及活動を行わなければならなかった。当時はスピリチュアリズムの普及活動といえども、時の支配思想に合致したものにならざるを得なかったということである。

 

そのため霊界側は「天皇制イデオロギーの源流となった水戸学や復古神道」を固着思想として持っていた浅野和三郎を起用して、彼をスピリチュアリズム普及の為の道具として用いた。起用された浅野は、国家神道の体制内思想として“神道(→当時は非宗教であり国民の道徳であるとされた)”と結びついた「和製スピリチュアリズム(→民俗信仰・日本仏教・神道などが混在している“日本的霊魂観・神観”と合体したスピリチュアリズム)」を唱えた。このことからも浅野の役割は「純粋なスピリチュアリズム」普及のための“霊的な環境整備”にあったと言えよう。

 

浅野は「純粋なスピリチュアリズム」を和製スピリチュアリズムの中に取り込んで種を蒔いたが、その種は後継者によって芽を出し(→桑原啓善氏、粕川章子氏、田中武氏、近藤千雄氏などによるシルバーバーチの翻訳)、紆余曲折を経ながら成長して1980年代以降に花開いた(→日本心霊科学協会の機関誌『心霊研究』1982年6月号以降に「シルバーバーチは語る」の連載が始まった)。

そして20世紀末から始まった「インターネットの急激な普及」という時代の追い風に乗って、日本のスピリチュアリズム界に従来までの「日本的な霊魂観・神観」(→民俗信仰、神道、日本仏教の影響を受けた世界観)と結びついたスピリチュアリズに替わって、「純粋なスピリチュアリズム」という足場(霊的橋頭堡)を、ささやかながらも築くことができた。

 

ウ)思想・信教の自由の保障

ここから言えることはスピリチュアリズムの普及には、「政教分離」の制度が導入されて、その下で完全な「思想・信教の自由」が保障されていること、これらの前提が存在して始めて可能となる。少なくとも日本において「純粋なスピリチュアリズム」が普及していくためには、名実ともに「思想・信教の自由」が保障された日本国憲法の制定が前提条件となり(→制度的保障)、さらに憲法で保障された権利が国民の間に定着(→国民の意識の変化)していくための一定期間が必要であったことが分かる。

 

このような流れの中で日本のスピリチュアリズム史を概観すれば、浅野和三郎が霊界側から選ばれた理由とその役割、「和製スピリチュアリズム」の本質が「純粋なスピリチュアリズム」を導入する為の“霊的な環境整備”にあること、このようなことが明確になってくる。なお浅野和三郎死去後の日本におけるスピリチュアリズム史を大まかに見れば、1950年代までは物理的心霊現象全盛期、1960年代から1970年代は心霊治療の定着期、1980年代以降は純粋なスピリチュアリズムの普及へと重点が移り、それが2000年以降はインターネットの普及により加速したという流れとなる。

 

③.ブラジルのスピリチュアリズム(スピリティスト・カトリック)

ア)「スピリチュアリズム」と「スピリティズム」

現在「近代スピリチュアリズム(=新スピリチュアリズム)」を表現する言葉には、「スピリチュアリズム(Spiritualism)」と「スピリティズム(Spiritism)」という二通りの言葉が用いられている。前者は「心霊主義」の一般的な表現として使われているが、特に「スピリティズム」に対峙する言葉として用いる場合に“イギリス系スピリチュアリズム(またはアングロサクソン系スピリチュアリズム)”を指す言葉として用いられることがある。また後者の「スピリティズム」は“フランス系スピリチュアリズム”を指す言葉として使われている。フランスのスピリチュアリズムは、「再生とカルマ(→再生はカルマと表裏一体の関係にある)」を中心テーマに据えたアラン・カルデックの教義を中心として発達したため、その教義に基づく教えを学ぶ点に特徴がある。

 

イ)志向性の違い

大まかに言えば、イギリス人の持つ実証的精神や探究心旺盛な気質が作用して、当時のイギリス系は「スピリチュアリズムの土台部分である霊魂説(科学的な検証が可能)」に重きを置いた。このことがその後の心霊研究協会(SPR)の設立などに見られるように、スピリチュアリズムの科学的側面を志向する傾向を強めていくことになった(→トンプソンの「再生に付いては科学的に証明できる証拠がありません」という言葉に表れている。注9)。

 

これに対してカルデックは主要テーマに「再生とカルマ」や「スピリチュアリズムの立場からキリスト教を解釈し直す」ことを置いたため、スピリティズムは霊魂説の上部構造である「スピリチュアリズム思想(高級霊からもたらされたもので科学的検証が不可能)」を強調した。このことが信仰や宗教との相性を良くして、スピリティズムは強い宗教性を帯びることになった。

 

いわばイギリス系スピリチュアリズムは、土台部分(下部構造)の霊魂説にスポットを当てたのに対して、アラン・カルデックは「物理的霊媒は精神的に低い」(注10)として、上部構造の“スピリチュアリズム思想”にスポットを当てた。そのため科学の研究分野に進んで行ったイギリス系とは対照的に、フランス系は次第に信仰や宗教性を強めることになった。このように両者は視点の置き所が違っていたため、結果的に「スピリチュアリズムの分裂」という事態を招くことになってしまった。

 

はからずも「信念重視は、信仰へ傾斜する」という傾向と、「実証重視は、科学へ傾斜する」という傾向が、スピリチュアリズムが持つ二面性(→宗教志向と科学志向という相反する立場)として、志向性の違いからくっきりと浮かび上がってしまうことになった。なおこの信念重視と実証重視という二面性は、“証拠に対して求める厳密さの程度”にその違いが明確に現れてくる。

 

ウ)宗教と相性が良いスピリティズム

その後「スピリティズム」は次第に「スピリチュアリズム」とは一線を画して、「カルデックの教義に基づく教え」を指す言葉として使われるようになった。両者が明確に分離していった理由は、「再生」を巡ってイギリス系のスピリチュアリストとの間で確執があったこと(注11)。カルデックのキリスト教に対するスタンスが穏やかであったこと(→カルデックの背後霊団の役割は「最初の礎石を置くこと」であり、モーゼスの背後霊団との役割に違いがあった)。さらにはスピリティズムの主要テーマとして「再生とカルマ」を置いたこと。このような理由からスピリディズムは宗教と相性の良い思想となった。

 

エ)スピリチュアリズムの変容

スピリティズムはラテン諸国を中心に広まったが、フランス本国ではカトリックの伝統的教義と相反するため衰退した。ブラジルという国は、ローマ・カトリックの影響力の強い国であると同時にスピリティズム(=カルデシズム)の盛んな国でもある。この地でスピリティズムの宣教は1865年頃から始められた(注12)。

ブラジルではアフリカの民俗宗教のカンドンブレやブラジルの習合宗教であるウンバンダなどの「霊と霊媒の宗教」、さらには「民俗カトリック(またはフォーク・カトリシズム)」などと習合化していった。ブラジルのスピリティズムは、宗教統計調査(注13)に「スピリティスト・カトリック」という項目が立てられるくらいに盛んである(→この統計調査ではスピリティズムはキリスト教の一派という扱いである)。

 

19世紀後半にスピリティズムがラテン・アメリカに伝えられると「アラン・カルデックの教えを信奉する運動(一種の宗教運動、カルデシズム)」として、“カトリック(民俗カトリックのこと)”や土着の宗教と習合した「折衷型スピリチュアリズム(=ローカル・スピリチュアリズム)」となって広く普及していった。

 

現代ブラジルにおけるカルデシズムは、当初の“スピリチュアリズム思想”から大きく変容しているという。このようにブラジルにおいては、いわばスピリティズムがさまざまな宗教や習俗と結びついて土着化し、次第に変容して「ブラジル化(=ローカル・スピリチュアリズム)」していきつつある状態が見て取れる(注14)

 

3.霊団の系譜

①.司令塔の神庁の存在

霊界は階層構造的な世界になっている。組織と言う観点から見ても「光り輝く存在、高等審議会、神庁、天使団」などと呼ばれる高級霊団の上にも、さらに高級な霊団が「連綿として無限の奥までつながっている」(9巻222③~④)と言う。このような高級霊団の中に於いて、地球の進化に責任を負っている「霊団(=地球に於ける神庁)」が存在する。

その霊団で開かれる会議を主宰しているのが、二千年前に地上に生を受けて短い生涯を閉じた“ナザレのイエス”である(5巻81②~③)。そのイエスは地球を霊的に浄化する目的を持った、スピリチュアリズム普及運動の総責任者の立場にある(5巻78③)。シルバーバーチはその「霊団(=神庁)」から指示を仰いで(11巻18⑭~19③)、地上側の霊媒の協力を得ながら霊的真理を語っている(→これゆえにシルバーバーチの立ち位置は、スピリチュアリズム普及運動の本流に位置していると言える)。

 

地球霊界にある神庁では地上への霊力の流入に当り、その通路は既成宗教を使わずに「宗教界とは無縁の者を通じて行う」(9巻115⑥~⑦、11巻105④~⑦)ことになった。その為の霊力流入の実行機関として、霊界側に高級霊を支配霊とした担当霊団が置かれ、その支配のもとに地上側に核となる心霊グループが組織された。このことは1848年以降の主な霊団の役割を見ていけば推測できる。この一連の経緯を概観すれば、霊界主導で始まったスピリチュアリズム普及運動の目的、それに基づいた各霊団の役割分担の概要が見えてくる。

 

②.スピリチュアリストは「悪魔と戯れる者」

スピリチュアリズムの勃興期、庶民の間では霊媒能力を持つ者を中心とした“小さな家庭内サークル”がブームとなり、「お茶とテーブル傾斜への招待が、普通の社交行事」となっていた。この社会現象に対して立ちはだかったのはキリスト教会であった。教会は「テーブル・トーキングは悪魔のなせる業」であり、スピリチュアリストは「反キリスト者である」との厳しい批判を行った(デボラ・ブラム著『幽霊を捕まえようとした科学者』文芸春秋、36頁~37頁)。1854年ケベック(カナダ)の大司教は教書の中でスピリチュアリストを「悪魔と戯れる者」と述べて批判した(イヴォンヌ・カステラン著、田中義廣訳『心霊主義』白水社1993年刊121頁~126頁)。

 

③.聖ルイの霊団(地上側にカルデックを置く)

ア)顕幽両界の浄化運動

スピリチュアリズム普及運動の目的は霊的知識を普及して地球を霊的に浄化することである(1巻176⑦、11巻18⑮他)。この霊界主導の普及運動は“物質性が濃い霊界の下層界”の浄化と並行的に、地上世界でも1848年から「近代スピリチュアリズム」の普及運動として始まった。これ以降、本格的に地上世界に霊的潮流が流れ込んできた。この間の記述は『ベールの彼方の生活』に詳述されている(→地上だけでなく霊界でも大変な規模で布教活動が行われている:道しるべ199⑤~⑥)。

 

イ)最初の礎石を置く

大まかにスピリチュアリズム普及に携わる「霊団の系譜」を見ていけば、まず先鋒として神庁から“聖ルイ(13世紀に実在したフランスの国王ルイ9世を中心とした霊団)”が指名された。聖ルイの霊団は地上側の協力者として、聖書に関する知識が豊富であったアラン・カルデックを起用した。霊団はカルデックに「最初の礎石を置く」ための仕事に従事させた(→文中では「最初の礎石を置くことがあなたの使命です」となっている:アラン・カルデック著、浅岡夢二訳『霊との対話』幸福の科学出版2006年刊、278頁)。

 

ウ)反スピリチュアリズ陣営からの猛攻

聖ルイの霊団はキリスト教会からの激しい攻撃にさらされながらも、地上側の協力者であるカルデックを導きながら、地上世界に確固たる霊的橋頭堡を築くことができた(→アラン・カルデック編纂の『霊の書:1857年』『霊媒の書:1861年』の発行)。近藤千雄訳『霊媒の書』の“訳者あとがき”には、カルデックに対して「既成宗教界、とくにキリスト教界からの非難中傷が激しかったようで、カルデックはそれに対する理論武装に大変な神経と紙面を費やしている」(霊媒の書293②~③)とある。

 

カルデックの著書にはキリスト教神学に関する事柄が多く記載されているが、全体的に見てキリスト教の教義に対する「対決姿勢」はモーゼスの『霊訓』と比較して弱い。その理由につき支配霊の聖ルイはカルデックに対して、1856年6月のボタン家の交霊会で「それらのある部分は、もっとずっと後になってからでないと発表できない、と云うことが分かるようになるでしょう。新たな考え方が広まり、根付くまで、待つ必要があるのです」(浅岡夢二訳『霊との対話』293頁)と意味深長な言い方をしている。その背景には「反スピリチュアリズ陣営」からの猛攻があったからであった。それは次のような事実から裏付けられる。

 

キリスト教陣営からは1861年スペインのバルセロナでスピリチュアリズム文献の公開焼却処分や、1864年には禁書目録などが出された(イヴォンヌ・カステラン著『心霊主義』白水社123頁~125頁)。さらにスピリチュアリズムの普及を快く思わぬ低級霊の策動、この策動に影響された霊媒のいかさまの心霊現象の続出。さらには奇術師側からの攻撃など、このような「反スピリチュアリズム陣営」からの猛攻があった。

 

④.インペレーター霊団(地上側にモーゼスを置く)

ア)キリスト教神学の壁を打ち破る

スピリチュアリズムの勃興期、スピリチュアリズムの普及を果たして行くためには、前途に立ちはだかるキリスト教神学という厚い壁を切り崩して、普及運動を前進させる必要があった。そのため高級霊インペレーターを中心とした霊団は、聖ルイの霊団が築いた霊的橋頭堡を足掛かりとして、地上側の協力者に国教会の牧師であったウイリアム・ステイトン・モーゼスを選んで、立ちはだかる厚い壁に果敢に挑んでいった。

推測するにモーゼスは出生するに当たって、霊界に於いてインペレーターと十分な打ち合わせをしたうえで地上に生を享けたと思われる。地上に誕生して物的身体をまとうことによって、この打ち合わせの記憶はモーゼスの潜在意識の奥深くに仕舞い込まれていった。出生後のモーゼスはキリスト教神学を学び、それを固着観念として定着させて国教会の牧師となった。インペレーターにとって手ごわい“相方(たたき台)”として成長していった。

 

このような準備を整えた上で、モーゼスは1873年3月30日以降、霊団からのメッセージを受信するようになった(霊訓上17①~②)。次第に受け取る文章がキリスト教の信仰と真っ向から対立する内容のものとなっていったために、モーゼスは自身の支配思想であったキリスト教神学との葛藤が始まった。

霊的真理を述べる立場にあるインペレーター霊団は、キリスト教神学というドグマを打ち砕くため、モーゼスを“たたき台(キリスト教界の代表者という形を取って)”にした熾烈な論争を展開していった。モーゼス自身の激しく揺れ動く心の葛藤を経て、インペレーター霊団は最終的にキリスト教神学に代わって霊的真理を説くことに成功した(→このモーゼスの葛藤が“破邪”であり霊的真理の受容が“顕正”となる)。

 

イ)インペレーター霊団の使命

キリスト教神学という厚い壁を打ち砕くためには、すべてのエネルギーをこの“一点に集約”する必要があった。そのため異論が多く複雑で一筋縄ではいかない再生に関しては、一部言及した箇所はあるが積極的には述べていない(霊訓下132⑪~⑫、続霊訓104⑨~⑭、続霊訓132⑬~133⑨)。なぜなら再生の問題はインペレーター霊団の仕事ではなかったからである。ここにインペレーター霊団の特殊性があった。

このようにして両者の“論争”という手法を通して、キリスト教神学の問題点を浮かび上がらせて、厚い壁にひびを入れることに成功した。

 

⑤.シルバーバーチ霊団(地上側にバーバネルを置く)

聖ルイの霊団に続くインペレーター霊団は、キリスト教の本丸に果敢に挑んでその一角を切り崩した(→モーゼスの『霊訓:1883年』『続霊訓:1879年・1880年・1882年』の発行)。これらの霊団が地ならしをした所にシルバーバーチ霊団が登場して、1920年から1980年の長きに亘って(→最初の15年は準備期間:4巻168③)霊的教訓を説き続けてきた。

 

最初の霊談集は1938年に『シルバーバーチの教え』として出版された(→この書籍には、霊界側の意図・神の摂理・死後の世界・再生・心霊治療などが網羅されている)。この著書からも分る通り、シルバーバーチ霊団はスピリチュアリズ思想全般を説く役割を持っていた。このように「聖ルイの霊団(最初の礎石を置く:1850年代)」「インペレーターの霊団(キリスト教神学を切り崩す:1880年代)」「シルバーバーチの霊団(霊的教訓全般を説く:1920年~1980年)」にはそれぞれに担当する役割があり、各霊団の間には連携があり、獲得した「橋頭堡」を足掛かりにして、さらに陣営を拡大させて地上世界に霊的知識を普及させて来たことが分かる。

 

4.キリスト教批判

①.人間イエスに関すること

ア)イエスは人間であった

キリスト教では「イエス=神」が教会の公式な教えとなっている。西暦325年にニカイア(→ラテン語読みではニケーア、現在のトルコのイズニク)で開かれた公会議で「イエスは神である。神が人間になったのであって、人間が神になったのではない」という「イエス=神」説が教会の公式見解となった。

これに対してシルバーバーチは「イエスは神ではありません」(9巻140①)、「イエスを信仰の対象とする必要はないのです」(9巻140⑦)と述べている。スピリチュアリズムではイエスは人間として出生し、人間として死んでいった「イエス=人間」説に立っている。

 

シルバーバーチは「イエスは普通の子と同じように誕生しました」(3巻105⑪)、「イエスの誕生には何のミステリーもありません。その死にも何のミステリーもありません。他の全ての人間と変わらぬ一人の人間であり、大自然の法則にしたがってこの物質の世界にやって来て、そして去って行きました」(9巻138⑨~⑪)と述べている。

 

イ)イエスは霊能者であった

イエスは霊的法則に精通した大霊能者であった。そのイエスについてシルバーバーチは次のように述べている。

「イエスは神ではなく人間でした。物理的心霊現象を支配している霊的法則に精通した大霊能者でした。今日でいう精神的心霊現象にも精通していました」(3巻101⑫~⑭)、「イエスは霊能者だったのです」(9巻139①)、「地上を訪れた指導者の中では最大の霊力を発揮した」(9巻141⑦~⑧)、「たった一人の人間があれほど心霊的法則を使いこなした例は地上では空前絶後である」(9巻142④)、「あれだけの威力が発揮できたのは霊格の高さのせいよりも、むしろ心霊的法則を理解し自在に使いこなすことができたからです」(9巻143⑦~⑧)と述べている。またイエスはその霊能を私利私欲のために使わなかった。心霊現象で人々の関心を引き付けて(→いわば心霊現象を「客寄せ」として使う)、集まって来た人々に基本的な霊的真理を説いた(福音263⑫~⑯)。

 

ウ)時代の制約下に置かれたイエスの生涯

シルバーバーチは「イエスも生を受けた時代とその環境に合わせた生活を送らねばならなかったのです。その意味で完全ではありえなかった」(9巻145⑤~⑥)、「イエスの生活が完全であったとは一度も言っておりません。それは有り得ないことです。なぜなら彼の生活も当時のユダヤ民族の生活習慣に合わせざるを得なかったから」(9巻141⑩~⑫)とも述べている。

 

このようにイエスといえども、時代の制約下に置かれた生活をせざるを得なかった。当時のユダヤ民族の生活習慣や、時代的な制約の下で生活して使命を果たしていかなければならなかった。そのため“ナザレのイエス”として「顕現した意識は必然的にその時代のレベルに同調」(語る161④~⑤)したものであった。なぜなら“浮いた存在”であれば奇人変人として扱われて敬遠されてしまい、使命が果たせないから。民衆の中に入って行くためには、その時代の意識にレベルを合わせざるを得なかった。その意味で完全ではありえなかった。

 

エ)神の摂理に忠実に生きたイエス

高級霊はイエスの生涯は“神の摂理に忠実な生き方をした”、その意味においてイエスは“完全な人間”であったと述べている。

イエスの生涯は「霊力との調和が完全」(9巻144⑬)であったこと、「利己的な目的のために(心霊能力を)利用しなかった」(9巻144⑬~144①)こと、「神の意志に背くようなことはしなかった」(9巻145①)こと、「人生の大原則、愛と親切と奉仕という基本原則を強調した」(3巻104①~②)こと、「最高の自己犠牲と誠実さを、身をもって示した」(霊訓上68⑩)こと、「この世に在りつつこの世の住民とならぬ生活、地上への“訪問者”としてこの世の慣習に順応しつつ、しかもそれに隷属せぬ生き方」(霊訓下205⑫~⑬)をしたことなど。

このようなイエスの地上人生から学ぶべき教訓は“神の摂理(霊的法則)に忠実な生き方をした”という模範的な生きざまにある(→イエスの遺した偉大な徳、偉大な教訓は、人間としての模範的な生きざまです:3巻104⑤~⑥)。

 

オ)イエスの使命、イエスの訓え

イエスは二千年前に「霊的新時代の端緒を開くため」(続霊訓66⑫)に地上に誕生した。そのイエスの使命について、シルバーバーチは「当時の民衆が陥っていた物質中心の生き方の間違いを説き、真理と悟りを求める生活へ立ち戻らせ、霊的法則の存在を教え、自己に内在する永遠の霊的資質についての理解を深めさせること」(3巻101⑮~102②)。「当時のユダヤ教の教義や儀式や慣習、あるいは神話や伝説の瓦礫の下敷きとなっていた基本的な真理のいくつかを掘り起こすこと」(福音263⑩~⑪)と述べている。

イエスの訓えの中心は「愛」にあった。「おのれを愛する如く隣人を愛せよ、汝に敵対する者にも優しくすべし」として、「神の愛」による隣人愛を説いた。また信仰と政治の双方の自由を説いたので「宗教改革者であると同時に社会改革者でもあった」(霊訓下25⑥)。

 

一般に霊は予め人生の大まかな行路を承知して出生してくるとされているが、細部については置かれた環境や時の流れ、自由意志の行使などによって変わっていくもの。イエスの場合も同様に大枠の人生行路を承知の上で出生してきた。イエスはその時々の人間関係や事件等に対処しながら布教にあたったが、訓えがその時代の人間には進み過ぎていたため理解されずに刑死した(9巻142⑥~⑨)。

 

イエスは民衆に対して「神への讃仰」「全人類の同胞性」「自己犠牲」「黄金律(他人からしてもらいたいと思うことを他人にしてあげること)」「他人のために自分を役立たせること」「自我を滅却した奉仕を行うこと」などを、日常生活の中で実践するようにと説いた。また当時のユダヤ人にはなかった「霊の不滅性」も説いた。これらの訓えは現在のスピリチュアリストが説く霊的真理と同じものである(霊訓下27④、続霊訓44⑤、73⑮~74①)。

 

カ)霊界におけるイエス

地上時代に「ナザレのイエス」という形体を通して顕現した霊(霊的意識)は、霊界に戻ってから飛躍的に霊的レベルが向上した。その理由は霊的進化の階段を後戻りして、地上世界に肉体をまとって誕生し、短いながらも物的体験を積んだこと。さらに霊的真理を普及する際に立ち塞がった既得権者の厚い壁と理不尽な攻撃、これらが“魂の磨き粉”となって自我の本体の“潜在的完全性(神の分霊)”の顕在化に大きく貢献したこと(→大きな自己犠牲を伴った地上人生によって、潜在している霊を意識の領域により一層顕在化させたから)。

 

シルバーバーチはイエスが本来の所属界で引き続き「地球を霊的に刷新する運動(=スピリチュアリズムの普及運動)」の使命の遂行に携っていること(語る159⑤~⑥、語る160⑩~⑪、語る161③~④)。さらに「ナザレのイエスが手掛けた仕事の延長ともいうべきこの(スピリチュアリズムの名のもとの)大事業の総指揮に当っておられるのが他ならぬイエスであることも知っております。そして当時のイエスと同じように、同種の精神構造の人間からの敵対行為に遭遇しております」(3巻104⑪~⑭)と述べている。

 

②.キリスト教の神学・教義・組織

ア)贖罪

贖罪(しょくざい)とは罪を“贖う(死と罪からの救済)”ことをいう。キリスト教では「自らではあがなうことのできない人間の罪を、神の子であり、人となったキリストが十字架の死によってあがない、神と人との和解を果たした」としている。

シルバーバーチは因果律の観点から「いかなる人間も自分以外の者のために代わって苦しみを受けることはできない」(6巻196③~④)。「自分が過ちを犯したら、その荷は自分で背負ってそれ相当の苦しみを味わわなくてはならない」(6巻196⑥~⑨)と述べて、贖罪説を因果律の観点から否定している。なぜなら自分を成長させるのは自分であり、他人は代わって行うことは出来ないから。

 

同様にインペレーター霊団は「人間の罪を贖ってくれるものと見なすことは赦し難い欺瞞である」(続霊訓26⑨)、「アダムとイブの堕罪の物語は根拠なき作り話」(霊訓下32⑨)であるとして、贖罪説を厳しく批判している。

またアラン・カルデック編の『霊の書』(69⑦~⑫)でも、人類の堕落と原罪とは自由意志のことを言い、比喩でサタンとされるのは未浄化霊の誘惑のことを指すと手厳しい。このようにスピリチュアリズムでは贖罪説を否定している。

 

イ)懺悔(ざんげ)

スピリチュアリズムでは「因果律の法則は誰にも介入することは出来ない」(到来216⑥他)として、キリスト教会が行っている行為の矛盾点を指摘している。シルバーバーチは「(告白は)正しい方向への第一歩でしかありません。告白したことで罪が拭われるものではない」(5巻202①)と述べている。犯した罪は自ら責任を取って償いをする、これが神の摂理である。この摂理は依怙贔屓なしに万人平等に作用する(→適用における公平さの観点から)。

さらにシルバーバーチは「もしも自己中心の生活を送った者が、死の床での信仰の告白一つで、生涯を人のために捧げた人よりも高い界層にいけるとしたら、それは大霊を欺き、完全な公正が愚弄されたことになる」(語る179⑦~⑨)とその矛盾点を指摘している。

 

ウ)洗礼

シルバーバーチは洗礼について次のように述べている。人間は神の摂理に忠実に生きることが大切であり、洗礼を受けたからと言って、人間の霊性は何ら影響を受けることはない。「赤子に二三滴の水を垂らしたからといって、それで摂理が変えられるわけではない」(語る156⑬~157②)と述べている。なぜなら水という物質で神の摂理が変わるわけではないから。

いわば洗礼とは「キリスト教という共同体」に加入するための一種の儀式と見ることが出来る(→会社という共同体に入る為の“内定式”又は“入社式”のようなもの)。したがってスピリチュアリズムでは、本人の霊性の向上と結び付かなければ、取りたてて「洗礼という儀式」に特別な意義はないとしている。

 

エ)キリストの復活・聖痕

イエスは処刑された後、物質化するために自らの霊体の周りにエクトプラズムを引き寄せた(→近くにエクトプラズムを供給する霊媒体質者がいたので可能となった)。そして物質化現象に必要な条件が揃った段階で、その物質化した姿を弟子たちに見せたということになる。「その復活がキリスト教を生む端緒となった」(3巻88③、3巻102⑫~⑬)。

この“イエスの復活”は心霊研究で云うところの物質化現象であり、「物質化に必要な条件が整った時に弟子たちに見せた」(続霊訓65⑦~⑨)もの。クルックス博士の面前に現れた完全物質化したケーティ・キング霊(霊媒フローレンス・クック)と同じ現象である。そこには何ら奇跡的な要素はない。

 

さらにスピリチュアリズムでは、キリスト教の教義にある「世界の終末の日にキリストが再びこの世に現れる」という再臨についても、これは「肉体の復活ではなく“霊”の復活のこと」であると説明している(→肉体に宿っての再臨はありえない、なぜなら肉体は自然法則に従って大地に帰っているから)。スピリチュアリズムの普及活動こそが「キリストからの福音である」とも述べている(霊訓下28⑥、続霊訓67⑧)。

 

なお「熱烈な信仰心が精神に宿る心霊的要素を動かして、キリストのはりつけの時の傷跡などが斑点となって、その人の肉体に現れることがある」(到来29②~④)。これを聖痕(せいこん、→スティグマ、スチグマ)というが、大体においてその人のサイキックの領域に属する現象であり「霊の世界とは何の関係もない」(到来29⑤)。

 

オ)キリスト教の教義

キリスト教の教義である「三位一体説、無原罪懐胎、贖罪説など」は“本来の宗教”とは何ら関係ない(3巻189⑭~190③)。無原罪懐胎はあまりにも荒唐無稽である(→無原罪懐胎とはキリストの母マリアは生殖活動なしに母アンナの体に宿ったので、聖母マリアは原罪なしに生れてきたとする説。故にキリストは人間から生まれた聖なる特別な人であるとなる)。このような教義よりもっと大切なことは日常生活に於いて何をするかである。

シルバーバーチは古い教えの決まり文句や使い古した慣習と儀式を繰り返すだけのキリスト教の教会には、もはや「霊の力は働いていない」。死物と化してしまった教会には、人間を真理に目覚めさせてあげることなどできないと批判する(9巻35⑬~36②)。

 

カ)教会・牧師・組織

本来、教会とは霊的実在に目を向けさせるための場所であったはず。しかし現状はキリスト教の教義や教典によって霊力がすっかり抜き取られてしまった場所となっている(3巻79①、11巻98⑫)。その「教会をイエスは“白塗りの墓”と表現した」(11巻85⑫、9巻112⑫)。シルバーバーチはキリスト教という組織を批判しているが、聖職者に対しても自覚を促している(5巻43⑥~⑧、5巻79⑩、5巻188⑥~⑨、語る151⑪~⑭)。

組織の弊害はキリスト教に限ったことではない。一般に組織に帰属するといつの間にかその組織に呑みこまれてしまい、今度はその組織が人間の意識をがんじがらめに束縛してしまうことがある。

 

キ)聖書について

シルバーバーチは「聖書に書かれていることにはマユツバものが多い。出来すぎた話は全部割り引いて読まれて結構です。実際とは違うのですから」(9巻139⑫~⑬)と手厳しく批判している。モーゼスの『霊訓』でも、さらに厳しく聖書の伝統的解釈である「聖書無謬説(逐語無謬説)」の誤りを指摘している。それによれば「霊的通信のほとんど全てが象徴性を帯びている」「所詮象徴的表現の域を出るものではなく、そのつもりで解釈して貰わなければならぬ。神について霊信を字句通りに解釈するのは愚かである」「神の啓示はそれを授かる者の理解力の程度に合わせた表現で授けられるもの」(霊訓上112⑬~113①)であると述べている。

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

<注1>

公益財団法人日本心霊科学協会では、“場の霊的な雰囲気”を作る際に「神道的形式」を借用してスピリチュアリズムの行事を行ってきた。この点につき協会の内部文書によれば、「多くは神道的であり、また日本仏教的色彩もある。しかし決して一宗一派に偏っておらず、それを超えた簡易な祭祀である・・・それらは将来にわたり、本協会の指導原理に基づく限り、新たな取捨選択も自由である」(祖霊祭施行趣意書より)とある。いわば現代人が最大公約数的に受け入れることが出来る「日本的霊魂観・神観」に則った「神道的・日本仏教的」な形式を借用して、スピリチュアリズムの普及活動を行っているものと思われる。

 

<注2>

■モーリス・バーバネル著、近藤千雄訳『これが心霊の世界だ』(潮文社1995年刊)247頁~248頁参照。

高級霊シルバーバーチの霊媒モーリス・バーバネルは次のように述べている。「聖職者は、自分で気づいているかどうかは別として、それまでに受けた神学上の教育によって、スピリチュアリズムに対して潜在意識的に嫌悪感を抱いているらしいのである。したがって、聖職者に対して感情的にならずにスピリチュアリズムを検討してくれることを望むのは、どだい無理なのである」。ただし「例外はある。聖職にありながらスピリチュアリズムの擁護者として、あるいは闘士として活躍した人がいたし、今でもいる。そういう人は自分自身が霊能者であるとか、結婚した相手の家族に霊能者がいたとか、あるいは個人的なことが原因で、死後の生命の証拠が欲しくて真剣に取り組み、それを見事に手にした、といったケースである」という。

 

■支配思想によってスピリチュアリズム思想が変質してしまった例として「和製スピリチュアリズム」の唱道者、浅野和三郎に見ることが出来る。浅野の思想の形成には、幼少時代の漢学を通じて形成された儒教的な考え方、郷土に色濃く残っていた水戸学の影響や、時代の雰囲気であるナショナリズムなどが強く影響を及ぼしていた。これらが浅野の潜在意識の中に固着して根付いた上に、高級軍人の兄の思想的影響や職場の海軍機関学校の環境、さらには本田霊学の流れを汲む大本神諭(大本霊学)の影響などが積み重なって、浅野の中に独特な「復古神道・天皇中心主義思想」が育っていった。このような状況の中であとから入ってきたスピリチュアリズム思想は、浅野の支配思想である「復古神道・天皇中心主義思想」と融合した形の「和製スピリチュアリズム」となってしまった。

この結果、「スピリチュアリズム思想の根幹部分」は、天皇を頂点としたピラミッド体制の内側に収まる形で語られることになった。結果的に見ればこの変質によって、思想的に厳しい時代を生き抜いて“スピリチュアリズムの命脈”を後世に繋げて行けたことになるが(→この時期、霊界側の戦略はスピリチュアリズムの純粋性よりも、後世に繋げることを重視したのではないだろうか)。

 

<注3>

■世界クリスチャン・スピリチュアリスト協会(GWCSA)

1931年5月30日に「世界クリスチャン・スピリチュアリスト協会」が結成された。この団体はキリスト教の教義とスピリチュアリズムを折衷したスピリチュアリズムを説いている。この団体の折衷的見解は、協会(GWCSA)加入に際して求められる宣誓項目に顕著に表れている。宣誓項目は次の(1)から(9)まである(アーネスト・トンプソン著、桑原啓善訳『近代神霊主義百年史』コスモ・テン・パブリケーション1989年刊、134頁~139頁参照)。

(1)私は愛である“一なる神”を信じます。

(2)私はイエス・キリストの主なることを認めます。

(3)私は神が聖霊の無限の力を通じて顕れ給うことを信じます。

(4)私は人間の魂の不滅及び死後も個人的に存続することを信じます。

(5)私は神との交通、天使との交通、他界の霊との交通を信じます。

(6)私は神により創造されたすべての生命はその完成の時まで、相互に依存し合い、かつ進歩するものであることを信じます。

(7)私は全てを支配し給う神の法は至高の正義であることを信じます。

(8)私は犯した罪はイエス・キリストの贖罪の力を通じ、本人自身の改悛と他者への奉仕によってのみ、償われ得ることを信じます。

(9)私は常に、イエス・キリストの教えと行為を手本として、自己の思想、言葉、行為がそれに習うよう努力いたします。

 

■上記項目中、明らかにスピリチュアリズムの基本原則に反しているのは、(2)と(8)である。(2)の「イエス・キリストの主なること」が「三位一体」として「神の子たるキリスト」を指しているのであれば明らかに誤りである。スピリチュアリズムの立場は「イエス人間説」だからである。

また(8)は「贖罪説」について述べているのであれば、スピリチュアリズムの観点から見て誤りである。贖罪とは罪を“贖う(死と罪からの救済)”ことをいうが、高級霊シルバーバーチは因果律の観点から、いかなる人間も自分以外の者のために代わって苦しみを受けることはできない。自分を成長させるのは自分であり、他人は代わって行うことは出来ないと述べて、贖罪説を因果律の観点から否定している。一読して言えることは、全般的にキリスト教的な表現に満ちている。

世界クリスチャン・スピリチュアリスト協会は、海外普及に非常な努力を払っており、各地で布教に成功しているという(『近代神霊主義百年史』134頁~139頁参照)。高級霊シルバーバーチは、霊的真理はそれを受け入れる用意のある人にしか理解されないと述べているので、布教形態が従来のキリスト教的な活動を指すのであれば意味がないことになる(1巻55⑫~56②)。

 

<注4>

■ジャネット・オッペンハイム著、和田芳久訳『英国心霊主義の抬頭』(工作舎1992年刊)97頁、120頁参照。

キリスト教心霊主義者は「奇蹟の全てが、交霊会のテーブルの回りで実証される」こと。「キリスト教の信仰が心霊主義によって裏付けられた」ことによって、聖書の教えを信じることができたという。

 

■ジョン・ハーヴェイ著、松田和也訳『心霊写真』(青土社2009年刊)214頁の注2参照。

霊的な現象を目撃したという体験話は、キリスト教心霊主義者の場合には「歴史上の十字架や聖母や天使たちの目撃談に連なるものと見た」として、宗教的幻像と霊的現象との区別は明確ではないという。

 

<注5>

■ジャネット・オッペンハイム著、和田芳久訳『英国心霊主義の抬頭』(工作舎1992年刊)121頁、141頁参照。

この著書に「誰もが一度は無神論を信奉したが、結局は居心地の悪さを感じて心霊主義に移った」「下層階級では、教会や礼拝堂に通う者が心霊主義に改宗しやすいのではない。改宗しやすいのは世俗主義者と実証主義者なのだ」との記載がある。さらに「反キリスト教心霊主義のメンバーの多くは、正統派キリスト教からではなく、深刻な懐疑主義や徹底的な無神論からやって来た」とある。

 

<注6>

■イギリスの心霊研究協会(SPR)の創設メンバーであるヘンリー・シジウィックは、聖職者の息子として生まれたが信仰を捨てた(デボラ・ブラム著『幽霊を捕まえようとした科学者たち』62頁)。マイヤース、ガーニー、ポドモアも英国国教会の聖職者の息子であったがキリスト教に対する信仰を失っていた。「この時期知識人の多くは不可知論を信奉した。当時は教養を持つということは不可知論者であることを意味していた」(ジャネット・オッペンハイム著『英国心霊主義の抬頭』159頁)。

さらに高級霊シルバーバーチの霊媒であるバーバネルは子供の頃、父母の宗教に関する諍いを見聞きして「私は次第に無神論に傾き、それから更に不可知論へと変わって行った」(10巻215⑩)。このように幼少期に受けた支配思想たるキリスト教を捨ててスピリチュアリズムを受け入れていった人は多い。

 

■上記とは対照的な人物として、W.S.モーゼスがいる。聖職者であったモーゼスは高級霊インペレーターとの論争の中で、徹底した証拠にこだわって頑なに懐疑的な態度を崩さなかったため、霊団の総引き揚げ一歩手前の状態(霊訓下21節、54頁以下)にまで至っている。インペレーターは霊的真理を普及する見地から、モーゼスに対していずれの道を選ぶのかの二者択一(自由意志の行使)を迫り、失敗すれば「われらは再び神の命令を仰ぎ、われらに託された使命達成のために新たなる手段を見出さねばならぬ」(霊訓上216⑱~217①)と述べている。モーゼスの場合にはキリスト教神学が支配思想となって固着して、あとから入ってきたスピリチュアリズム思想を容易に受け入れなかったケースである。

 

<注7>

■神社は非宗教

政府は明治4年(1871年)5月14日の「官社以下定額及神官職員規則等」(太政官布告235号)によって神社を「国家の祭祀」とした。そして社格制度を定めて全ての神社は天皇の祖先神を祀る伊勢神宮を本宗として、それ以下を「官社(官幣社、国弊社)」「諸社(府社、藩社、県社、郷社)」とした。さらに神社に仕える神職には官吏や公吏の地位を与えて特権的地位を認めた。明治15年(1882年)1月24日に神官の教導職兼補を廃止して、神官を葬儀に関与させずに祭祀に専念させることにした。そして祭祀と宗教を分離して「神社神道を宗教でない」とした。

明治憲法下での政教分離は、神社を非宗教である「国家の祭祀」という理論構成で回避させた。明治憲法は「神権天皇制を前提」としていたため、皇祖皇宗を神として崇める神社神道(宮中神道と結合)と他の宗教を同列に扱うことは出来ないので、「神社神道を祭祀のみの超宗教=非宗教」として扱い、全国に広く点在している「神社を国家祭祀の出先機関」とした。当時の政府は神社神道と明治憲法28条(信教の自由:日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りに於いて信教の自由を有する)との関係につき、「神社は宗教にあらず」という説明をして抵触しないと述べていた。

 

■国家神道の体制内思想として

日本では血みどろな宗教戦争は体験していなかったため、明治憲法に規定された「信教の自由」は“お上から恩恵的に与えられたもの”であった。そのため脆弱な権利であった。また「神道を非宗教扱い」にしたため「政教分離」も十分に機能していなかった。この点に西洋と日本の大きな違いがある。西洋ではスピリチュアリズムは常にキリスト教と対峙した緊張関係にあった。日本では浅野和三郎によって、当時の支配思想である「神道に接ぎ木する」形で(→スピリチュアリズムを国家神道の体制内思想として取り込んだ形で)スピリチュアリズムを普及させた。

 

<注8>

■明治憲法の臣民の権利条項については、多くの条文に「法律の留保」が付いていたが信教の自由にはこの条項は付いていない。しかし現実の憲法運用は「行政機関が法律の根拠がなくても命令などによって信教の自由を制限できることを意味していると解されていたし、実際の憲法運用もそうであった」「明治憲法の信教の自由条項は法律の留保がある以上に脆弱な規定であった」(土屋英雄著『思想の自由と信教の自由』尚学社2003年刊、第2章)。なお「法律の留保」に関しても、国民の権利・自由は法律の根拠があれば制限できるという運用がされていた。

 

■隣国の中国では憲法に「信教の自由」あり、個々人がどのような宗教を信仰し、宗教活動を行っても、国家権力によって禁止または制限されないという権利が保障されている。しかし実際の運用は「宗教事務条例」によって、宗教活動が出来る場所や条件が厳しく制限されている(2019年時点)。明治憲法の「信教の自由」と同じである。

 

<注9>

■アーネスト・トンプソン著、桑原啓善訳『近代神霊主義百年史』(コスモ・テン・パブリケーション1989年刊)237頁、297頁参照。

トンプソンは「再生に付いては、科学的に証明できる証拠がありません。したがって、スピリチュアリズムではこれを原理として採用しません。スピリチュアリズムは科学的事実に忠実に立脚するわけですから、再生を除外したことは賢明なことと言わねばなりません」。さらに「実証できない理論を採用しては、かえって運動の障害になるというものです。この点、再生理論を採用しない英米のスピリチュアリズム運動が、非常に強固で盛んなことは当然と言わねばなりません」と述べている。

再生は霊魂説からは説明できない。霊魂説を前提とした高級霊からもたらされた思想である。トンプソンが「再生に付いては、科学的に証明できる証拠がありません」と述べている部分は正しい。結局のところ再生は、高級霊からもたらされた霊界通信をどのように理解するかの問題にかかっている。

 

■1932年にサイキック・ニューズ紙を創刊したアーサー・フィンドレー(Arthur Findlay:1883年→1964年)は「再生は退歩です。再生が大自然の計画だという証拠を私たちは知りません。再生を単純に信じたがる人は、人間がどうやって個性を獲得し、個性的存在となったかを、まだ考えたことのない人たちです」(アーネスト・トンプソン著『近代神霊主義百年史』287頁)と再生肯定論者を批判している。

 

■なお再生や類魂を肯定したマイヤース霊は、霊媒のジェラルディン・カミンズ(Geraldine Cnmmins:1890年→1969年)を介して、自動書記通信の形で1924年と1925年および1927年、1931年の3期に分けて通信を送ってきた。それをジェラルディン・カミンズの友人であるE・B・ギブス(E. B. Gibbes)が集成して1932年に『永遠の大道』として出版した。さらに1933年から1934年にかけて受信したものを『永遠の大道』の続編として、1935年に『個人的存在の彼方』として出版した。このあたりから徐々に再生を肯定する主張が、イギリス系のスピリチュアリズムに浸透していった。

 

■英米系の流れにあるにもかかわらず、日本では再生論は問題なく取り入れられて「分霊再生、創造的再生説」という形で、浅野和三郎によって主張された。

西洋では再生否定の立場に立つキリスト教の伝播の過程において、土着のシャーマニズムの「霊と霊媒」は駆逐されて(→異端排除、魔女狩りなど)、社会の裏側に押しやられてしまった。また東洋の宗教や精霊信仰は一段低い信仰とされて、キリスト教による改宗の対象とされた。これに対して日本では、身近に「霊と霊媒」が存在したこと(→拝み屋さんの存在)、「仏教の再生論」が庶民の間に根付いていたことなど。このような背景があったため、日本は英米系のスピリチュアリズムの系統にあるにもかかわらず、抵抗なく再生論が取り入れられた。

 

<注10

■アーネスト・トンプソン著、桑原啓善訳『近代神霊主義百年史』(コスモ・テン・パブリケーション1989年刊)238頁~239頁参照。

アクサコフは「カルデックが再生を普及させたのは、彼の偏好によるものです。再生はもともと研究対象ではなくドグマでした。カルデックはこの独断説を守るために、ご承知のように、暗示にかかり易い自動書記霊媒を常に利用しました。スピリチュアリズムは多分にこういうことで始まったものです。しかし、物理的霊媒を使用するなら、その通信は客観的であり、かつ再生理論には常に反撥するものです。しかしカルデックは、物理的霊媒は精神的に低いと言いつつ、この方法を非難する態度を固守してきました。それ故に、スピリティストは実験方法を全くご存知ないのであります」と批判した。

 

■アラン・カルデック編『霊媒の書』13頁参照。

「カルデックは霊界通信によってスピリチュアリズムに入り、当初は物理的心霊現象を軽視していた」「その後カルデックも物理現象の重要性に目覚める。本書(=霊媒の書)がその証と言えるが、フランスでの心霊現象の研究は、カルデックの現象嫌いで二十年ばかり遅れたと言われている」との記述がある。

その後フランスでは、物理的心霊現象の分野においても、シャルル・リシェ(生理学者、ノーベル生理学・医学賞を受賞)や、カミュ・フラマリオン(天文学者)などによって貴重な業績を残している。

 

■田中千代松著『新霊交思想の研究(改訂版)』(共栄書房1981年刊)によれば、「ホームの未亡人は、結婚前の名をジュリー・ド・グルムーリンというロシア人で、近代スピリチュアリズムの研究者であったロシア帝国宮中顧問官アクサコフ、およびセントピータース大学教授フォン・ブートルローの親戚であった」という。D・D・ホームは結婚によってアクサコフと縁続きになった(57頁、89頁参照)。

 

<注11

■近藤千雄氏によれば「カルデックは霊界通信によってスピリチュアリズムに入り、当初は物理的心霊現象を軽視していた。さらに、スピリチュアリズム史上もっとも多彩な現象を見せたD.D.ホームと会った時に、ホームが個人的には再生説を信じないと言ったことで、ますます物理現象を嫌うようになった」「フランスの心霊現象の研究は、カルデックの現象嫌いで二十年ばかり遅れたと言われる」(アラン・カルデック編、近藤千雄訳『霊の書』スピリチュアリズム普及会1996年刊、5頁)という。

 

■スピリティズムとは「カルデックの教義に基づく教え」のことを指す。つまりアラン・カルデックの『霊の書』『霊媒の書』『スピリティズムによる福音』『天国と地獄』『創世記、心霊主義による奇蹟と予言』など、スピリティズムの原典にある原理や体系のことをいう。

 

<注12

■歴史読本特別増刊・事典シリーズ第20号『世界宗教総覧』(新人物往来社1993年刊)372頁参照。

 

<注13

■ブラジルの宗教人口統計によれば、キリスト教徒は全人口の90%近くを占めている。多くのブラジル人は、霊や霊媒と関係がある教会やセンターや寺院などに頻繁に通うという。ラテン・アメリカのカトリックには「伝統的なカトリシズム」と民間信仰の側面を含んだ「民俗カトリック」とがあることは良く知られているが、後者のカトリックには「民俗カトリック治療師」が存在している。

本来キリスト教は霊媒現象を嫌う(コメント1)のだが、ブラジルではキリスト教も「民俗カトリック」として土着化しており、霊の存在を前提とした「治療儀礼(心霊手術や心霊治療)」が盛んに行われている。そのためブラジルにおいては「カトリックは他の宗教に見られるような治療儀礼に反対であると決めつけるのは、間違い」(東長人、パトリック・ガイスラー著『ブラジルの心霊治療、奇跡を操る人々』荒地出版社1995年刊、23頁参照)であるという。

 

■ブラジル司法省は、宗教統計ではそれまで“エスピリタ(=スピリティスト)”と一括して発表していたのを、1965年に「ウンバンディスタ部門」、1969年に「カルデシタ部門」として分けて調査結果を発表した。それ以後の統計ではこの二つは区分されており、現在では「ウンバンディスタ部門」を「ロー・スピリティズム(baixo espiritismo)」とし、「カルデシタ部門」を「ハイ・スピリティズム(alto espiritismo)」として分類している。

1980年の時点では、ハイ・スピリティストに分類される「カルデシズム」は214.9万人であり、ロー・スピリティストに分類される「ウンバンダ(この統計項目では“アフロ・アメリカン・スピリティスト”になっている)」は252.8万人となっている。

 

■なおカトリックの信者であっても、ハイ・スピリティストとロー・スピリティストの活動に参加している潜在的信者は3300万人を超えているという。この数字はブラジル人口の30%以上を占めている(コメント2)。この数字が独り歩きしてブラジルはスピリチュアリズム大国とされている(→実態は“純粋なスピリチュアリズム”ではなく、“習合的または折衷的スピリチュアリズム=ローカル・スピリチュアリズム”であるのだが)。

 

■2000年にブラジル地理統計院(Instituto Brasileiro de Geografia e Estatistica =IBGE)が発表した「IBGE、国勢調査2000年――宗教人口統計表」によると、ブラジルのカトリック教徒の人口は、全人口(1億6987万人)の73.6%(約1億2498万人)で、次に多いのはプロテスタントで全人口の15.4%(約2618万人)となっている。エスピリタ(=スピリティスト)は1.3%(約226万人)、アフリカの民間信仰を起源に持つウンパンダとカンドンブレは0.3%(約53万人)。この調査と1980年時点の調査を比較してみれば、2000年時点のエスピリタの約226万人は、ハイ・スピリティストに分類される「カルデシズム」の214.9万人とほぼ同じ数字である。

 

◆コメント1

霊媒現象を嫌う理由は、古代イスラエルにおいては一般に霊媒は厳禁されていた(イザヤ書8:19-20)。これがキリスト教に引き継がれて、人に憑依する霊はもっぱら悪魔や悪霊と看做され、霊媒は迷信として忌避されたからであった(『岩波キリスト教辞典』1215頁参照)。西洋において霊媒が一般的になったのは19世紀半ば以降のことである。

「民俗カトリック」または「フォーク・カトリシズム」は、ローマ・カトリックに土着的・民俗的要素が融合した宗教原理を云う。特徴として聖人信仰がある。この聖人信仰と祈祷医や呪術医などの「民俗カトリック治療家」が密着している。

―→参考文献 : 東長人、パトリック・ガイスラー著『ブラジルの心霊治療、奇跡を操る人々』264頁以下。『ラテン・アメリカを知る事典』平凡社1987年刊、334頁以下の「フォーク・カトリシズム」の項目参照。

 

◆コメント2

ダヴィド・B・パレット編『世界キリスト教百科事典』(教文館1986年刊)741頁~752頁参照。

キリスト教徒の項目には「スピリティスト・カトリック」という項目がある。1980年時点で「スピリティスト・カトリック」の信徒数は1984.3万人となっている。

なお「スピリティスト・カトリック」の定義は「ローマ・カトリック教会員であって、霊媒宗教、ハイ・スピリティズム、ロー・スピリティズムなど、おもにアフロ・アメリカンのロー・スピリティズム祭祀(ウンバンダ、マクンバなど)に日常的に参加している者」となっている。

さらに注記には「実際には組織的活動をしているスピリティズムに、何らかの形で参加しているカトリック信徒の数はこれをはるかに上回る(1975年の全信徒数の約30%、3300万人)。またカトリック信徒の大多数(6000万人以上)は、スピリティズムの教えを信じている」とある。このようにブラジルではスピリティズムは宗教に分類されている。スピリティズムはキリスト教以外の宗教では最大の勢力を持っている。統計調査からも、1950年以降、信仰者の数も増加傾向にある(前著742頁参照)。

 

<注14

■津城寛文著『“霊”の探求』(春秋社2005年刊)21頁。および藤田富雄著「ブラジルにおけるカルデシズムの一考察」174頁以下参照。

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、講義用ノート:目次

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