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第5講:霊的世界(帰幽霊が辿る旅の行程)

目 次

1.死の前後

①.老化現象

②.スピリチュアリズムから見た「死」の定義

③.死後の目覚め

④.死者の出迎え

⑤.霊界の病院

⑥.自分で自分を裁く

⑦.中間境から幽界へ

 

2.「地縛霊」「低級霊」「邪霊」

①.地縛霊

・一つの考え方:「地縛霊」の定義

・一つの考え方:「低級霊」「邪霊」の定義

・高級霊の解説

②.幽霊

③.邪霊、憑依現象など

 

3.幽界の下層世界

①.地上的習慣が色濃く残る

②.幽界の下層

③.浄化の為の世界

④.地上に通信を送る霊たち

⑤.霊的自覚の芽生え

 

4.意識の変遷図と解説

 

5.個別問題

①.死後の環境

・霊の世界

・霊の世界での移動、時間

・飲食、休息、仕事、視力

・コミュニケーション

・思念体・想念体

②.地上的血縁関係

・意識の二重構造

・霊界に於ける地上的血縁関係の行方

・胎児や子供の霊

③.再会時の識別・身元の確認

 

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1.死の前後

①.老化現象

構造面から人体を見れば、次元の異なる「物的身体」と「霊的身体」とが重なり合って存在している。これを二次元的に見れば「人間は物的身体と霊的身体、そして両者を結び付ける生命の糸(→中間物質の接合体)、この三つの要素から成り立っている」(語る110⑨~⑩)と説明ができる。

 

物的面から老化現象を見れば、脳や各種臓器に加齢に伴う「細胞の老化、死滅、ガン化」が起こり、骨格筋細胞の減少や臓器の萎縮、さらには慢性炎症等によって徐々に生理機能が低下する現象が起きてくる。

 

霊的面から老化現象を見れば、物的身体は成長するに伴って物的エネルギーが強まっていくことから、霊に対する拘束力を強めていく(9巻68⑪~⑫)。これに対して「病気、虚弱、加齢」は、物的身体と霊的身体との調和を崩す原因となる(語る110⑩~⑪)。一般に加齢に伴って物的身体に起きる不具合という症状は、霊体が肉体から離れる為の準備であり自然な現象である。

調和が崩れることによって霊的身体と物的身体とを繋ぐ“連絡網(→半物質状の細かなシルバーコード)”が切断、または委縮により接合部分が緩んでしまって、霊的エネルギーの流通ルート(→半物質的身体から物的身体へのルート)に問題が発生する。それによって脳や各種臓器に流れるはずの霊的エネルギーが、それらに十分に供給されずに枯渇して、各部位の活力が低下してしまうことになる。

 

意識面に関して言えば、この世では霊的自我は「物的脳」を通して自己を表現しているため、身体機能が衰えてくれば、それだけ霊の表現が制約されることになる(最後啓示96⑩)。また霊的エネルギーの枯渇によって、顕在意識の領域に浮上してくる霊的意識の割合は極端に低下する(→肉体の欲求や煩悩等の“本能に起因する意識”と比較して)。これが老化に伴って起こる意識面での変化である。昨今話題に上がる「切れる老人」は“本能に起因する意識”が暴走してしまった最たる現象と言えようか。

 

②.スピリチュアリズムから見た「死」の定義

自我の本体である霊魂は自らの霊性を向上させる為には(→潜在している“霊”を意識の領域に顕在化させること)、各種「形体」をまとって物的体験や霊的体験を積む必要がある。その「形体」の一つである肉体と“霊体(→物的要素が濃い霊的な形体)”とは、無数のシルバーコードによって結ばれている(→永遠の大道115⑮~⑰では“ダブルと肉体”との間)。この中の主要な糸が切れた瞬間をもって(→頭部にある太いコードと臍の部分にある太いコードの双方が切断した瞬間:永遠の大道116②~③)、スピリチュアリズムでは「死」と定義する(8巻135③~④、10巻50⑭、11巻207⑥)。

これに対して切断されずに、霊体が肉体から離れた状態で体験したことを蘇生後に述べる現象を「臨死体験」という(→臨死体験者の中には「紐のようなものが自分の位置まで伸びているのが見えた」と述べている方もいる)。

 

主要なシルバーコードがいったん分離したら、再び蘇生することはない(11巻207⑥~⑦)。一般に離脱の過程は「かなりの時間を要する」。離脱が始まると心臓は鼓動を止め始め、離脱が完了すれば物的身体は活力源を失って心臓は機能を停止して死が訪れる(11巻207②~③、到来221⑨~⑬)。「死」を物質次元から見れば物的身体の“崩壊過程(脳死の段階→心臓死の段階→細胞死の段階)”として現れるため、昨今は臓器移植と“対”になった「脳死という定義」で、人為的な「死」が登場している(→平成22年度版『法的脳死判定マニュアル』参照)。

 

人間の「“死にぎわ”には大変な量の心霊的エネルギーや霊的エネルギーが放出される」(到来237⑪)。このエネルギーを使って遠くにいる縁者(→両者間に磁気的回路が出来ているから)に、生前の姿を見せるという現象が洋の東西を問わず数多く報告されている(→危機幻像:Crisis Apparitions)。死んだとはいえ死者はいまだ地上的波動の中にいるため、生前の容姿をまとって出現することが可能だからである(到来237⑪~238①)。

一般には「死んだ肉親が、死亡時刻とちょうど同じころ夢枕に立った」という形の報告が多い(田中千代松著『新・心霊科学事典』59頁~60頁)。なお『心霊研究―その歴史・原理・実践』(和田芳久訳、技術出版1995年刊、92頁)には、1918年12月7日に飛行機事故で死亡したマコンネル大尉が、その死を知らない友人の眼前に出現したという事例が載っている。

 

このように「死」とは、物的身体を脱ぎ捨てて霊的身体に移行するための通過地点に過ぎない。バイブレーションの観点から「死」を見れば、従来の物的身体を通して感知していた“物的波動の世界”から、霊的身体を通して感知する“霊的波動の世界”に切り替わることをいう(3巻44④~⑤)。その切り替えには「死の自覚」という意識を持つことが不可欠の条件となっている。なぜなら霊の世界では何事も“自覚する”ことで、次のステージへと続くドアが開いていくからである。

このように「死の自覚」を持って霊的波動の切り替えが完了した死者は、霊的な感覚器官の使用が可能となって、いわば小鳥が鳥籠から解き放たれて大空に羽ばたいていくような軽やかな感覚となる(1巻180⑨~⑪)。そのため「死」は「第二の誕生」(3巻44⑬)であり、また「死は大きな解放」(4巻44⑩)であると表現されている。

 

霊的次元から見れば、「死」とは肉体的束縛からの解放なので(→肉体という牢獄からの解放:4巻134②)、「死の自覚」を持った当人にとっては喜ばしい現象である。ただし未だに肉体があると思い込み、物質界に繋がれた状態の地縛霊は除く(8巻64⑤)。シルバーバーチは遺族の嘆き悲しみは死者の為ではなく自身の為なので、死者のために涙を流すべきではないと述べる(6巻153⑦~⑧、8巻64④)。なぜなら遺族の必要以上の嘆き悲しみは、死者をいつまでも地上に繋ぎとめてしまう事になるからである(→世界各地に散見されるが、近年まで東アジアの葬儀に見られた“泣き女”という風習は、形骸化しているとはいえ霊的世界へ飛び出そうとする死者を地上につなぎ留めてしまうことになる)。

死者は「死の自覚」を持つことによって、自我の本体である霊魂の表現媒体は霊的身体となって(1巻74⑤)、生活の舞台は“霊界(広義)”に移行する。

 

③.死後の目覚め

死の直後は深い眠りに入るのが一般的である。なかには例外的に物的身体から徐々にシルバーコードが切断されて、霊的身体(→中間物質と幽体の原型)が肉体から離れていく自分の死の状況を、リアルタイムで守護霊から見せてもらえる人もいる。シルバーバーチは「死ぬ時の様子が自分で意識できるのは、よほど霊格が高い人に限られる」(4巻140⑤)と述べている。

 

一般にこの深い眠りの中で“霊魂の表現器官(→体験を積むために必要な「形体」の移行)”を物的身体から霊的身体に移行させるための調整が行われる。しかし事故死や戦死の場合には、急激なシルバーコードの切断によって眠ることが出来ずに地上をさ迷うことになる。このような意識状態を私達も日常的に体験することがある(→翌日に楽しいことが待っている場合には、神経が興奮状態にあって、なかなか眠りに就けないという状態と似ている)。このように眠ることが出来ない死者は、死のプロセスを進めるために必要な“調整期間”がなかなか完了せず、長引いてしまうことになる。この場合でも死者の“表面意識(→普段用いている意識)”に「死の自覚」が芽生えてくると、急激な眠気を催すようになる。なぜなら霊的波長の調整を行うためには眠ることが必要だからである。

 

モーゼスの『霊訓』には非業の死を遂げた者は激しいショックの為に休息が出来ず、事故現場をいつまでもうろつき回る。地縛霊となって周辺をうろつかない為にも休眠をした方が良いとの記載がある(霊訓下125⑫~⑮、126③~⑦)。鉄道自殺した霊は未遂に終わったと勘違いして事故現場をうろつき回り、付近にいる霊的に敏感な“自殺志願者(→多くは「生を終えたいという死の願望を持つ」者で、何らかの自殺の「受け皿」がある者)”に無意識的に憑依して、再び自殺を繰り返すことがある。

 

死ぬ時は例外なく愛で繋がった霊が付き添って面倒を見てくれている(12巻48⑤~⑥)。多くの人にとって“死の移行過程”は、無意識状態となっている為に苦痛は伴わない(4巻140④~⑤)。地上という「学校」で霊的摂理を学んで“自然な生き方”ができている者は、霊的身体を調整する必要がないので、死に方があっさりとしており苦痛はない。しかし現状は地上で十分な霊的成長を遂げないうちに霊界(広義)に来る人が多いという(福音76②~⑭)。

 

死後の目覚めは“霊的な理解力”が芽生えた時であり、無知・誤解・迷信等は障害物となって霊の世界での目覚めの妨げとなる。霊的知識を有する者や人の為に尽くした者の目覚めは早いという。なぜなら善意の波動が目覚めを促進させるから(4巻139③~⑨、語る217⑭~218⑦)。目覚めるまでの意識の回復時間は、霊格の程度(霊的進化の程度)によって異なるので一概には言えない(4巻140①、語る218⑩~⑫)。

 

④.死者の出迎え

迎えに当たる霊は帰幽霊の背後霊や縁故者、愛の衝動から援助しようとする者などで、大勢の霊が待機している(3巻17⑨~⑩)。これらの霊は帰幽霊に姿を見せるために霊的波長を下げて降りてくる(10巻61⑩)。霊の世界に於ける“一種の物質化現象”である。

霊界側の“迎え方”は帰幽霊の死後の知識に応じてさまざまなスタイルを取る(→仙人、僧侶、神父など、死者の信仰形態に合わせて)。帰幽霊が新しい環境に馴染むまで“迎えという仕事”に携わる(3巻13⑧~⑭)

 

帰幽霊に「死の自覚」が芽生えるまでは(→本人に死に関して受け入れ態勢が整うまでは)、完全に目隠しされた状態に置かれる。なぜなら物的波長から霊的波長に切り替えができていないので、霊的視力が使えないため“迎えの霊”の存在が見えないから(3巻15⑧~⑩)。

この件につき精神科医ウィックランド博士の招霊実験会に出現した「タイタニック号事件で他界した男性の霊」の話が参考になる。実験会に出現した霊は「溺れたのです。でもまた息を吹き返しました」「どこにいるか分かりません。目が見えなくなってしまった! 何も見えない! 海の水で目をやられたのかも知れませんが、とにかく見えません」。これに対してウィックランド博士は「それは霊的な暗闇のせいですよ。死後にも生命があることを知らずに肉体から離れた人は、暗闇に置かれるのです。無知が生み出す暗闇です」と諭している場面がある(ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版1993年刊、513頁)。

 

地上の懐かしい環境をうろつき回ってみたが、誰一人として自分の存在に気付いてくれないことに落胆した帰幽霊は、やがて“霊の表面意識”の中に「死の自覚」が芽生えてくるようになると、物的世界とは別の世界にいるという現実を次第に理解し始めるようになる(12巻35⑫)。意識の切り替えの進行に伴って「死の自覚」という意識が徐々に明確になって行くから。

霊的な理解は「自覚が全てのカギ」(3巻19④)となるので、「明確な死の自覚」によって意識の焦点は物的なものから霊的なものへと移行する。シルバーバーチは少数ながら死後「死の自覚」が持てずに相変わらず物質界に繋がれた地縛霊がいると述べている(8巻64⑤)。比較的定評ある交霊録にも500年もの間、地縛霊であった霊が救済された事例が載っている(→「左近将監と其の周囲」、豊島伊都男編『筑紫交霊録』所収)。

大半の霊は程なくして「明確な死の自覚」を持てるようになるが、そこから次の段階である「明確な霊的自覚」という意識を持つ迄には相当な時間がかかるという(10巻60⑥~⑧)。

 

⑤.霊界の病院

“死の壁”をどのように通過するかは各人各様である。死は悲劇ではないが、帰幽霊の中には霊的調整の期間が必要な霊もいる(8巻71②~③)。事故死などによって物的身体から霊的身体が急激に分離(引き裂く)された場合には、分離に伴うショックが霊的身体にまで及んで、一時的な障害が生じることがある。このような特別な看護を必要とする霊の為の施設が(3巻16⑭~17⑥)、霊的世界の入り口である「中間境」には用意されている(続霊訓191⑦、191⑩~⑮:桑原啓善訳『続霊訓』155⑥~⑩)。

 

この病院に収容された霊は「ショックの後遺症」(3巻17⑤)を癒すための処置や霊的身体を形成するための調整、または新しい霊的生活に順応するための調整が「霊的エネルギーの注入」という形で行われている(メッセージ61⑫~62②)。

霊界の病院で治療を受ける霊には「霊性に歪みがある霊」(最後啓示40⑦)、「霊的に病んでいる霊」(8巻116⑬)、「魂に深い傷を負った霊」(4巻139⑦)、「精神的に不安定で指導と助けが必要な霊」「無残な事故で急死した霊」(6巻106⑤~107③)、「爆撃や爆弾の直撃にて戦死した霊」(3巻16⑮)、「若死にした者、乱暴な最期を遂げた者」(続霊訓191⑧~⑨)などがいる。これらの霊は地縛霊にならないためにも「特別な看護」が必要となる。

 

⑥.自分で自分を裁く

帰幽霊は死後「中間境」でまどろみながら、地上時代の言動や心に宿した想念の全記録を、フラッシュバック的な映像の形で見せられる。この場合の想念とは強く念じた想いや片時も頭から離れない想念のことであり、日常の他愛もない想念のことではない(ブルーアイランド94④~⑭参照)。そして「本来の私」である魂自身が審判者となって(→後記のA意識が、B意識及びC意識を裁く)、地上時代の自分を霊的法則という物差しを使って裁くことになる(霊訓下221⑫~⑱)。これは誰かから命じられるわけでもなく自然な形で、自分の一生を振り返って見て「世の中のためにどれだけ自分を役立てたか」という判断基準で“自分(=インディビジュアリティ、本来の私:A意識)”で“自分(=パーソナリティ等、地上で見せていた人格等:BC意識)”の地上生活を裁くことになる(7巻87⑨~⑪、9巻210⑥~⑧)。その結果、やるべきことをやらずに終わったことや(5巻179①)、逃がしてしまった好機が幾つもあったことを知って後悔し、すべてをすぐにでも償いたい気持ちになる。

 

⑦.中間境から幽界へ

帰幽霊が霊の世界の生活に順応していくための施設や(メッセージ62④~⑩)、自分で自分を裁く場が物質界と霊的世界が接する地点、いわゆる「中間境」に用意されている。この「中間境」で休息しながら物的波長から霊的波長への調整や、霊的機能の発達を図ることになる。そして霊の世界の生活に順応する為の準備が「整った時点で本来の霊格に合った境涯へ赴く」(続霊訓191⑩~⑭)。

この場合の「本来の霊格に合った境涯」とは「地上で培われた霊性に相応しい界層」(12巻34②)や、「地上時代に培った霊的成長と民族の資質に似合った場所」(ブルーアイランド125①、138②~③)のことなので、死後に赴く幽界の環境は「地上時代の魂の成長度によって決まる」(12巻36⑥)ともいえる。この段階では“霊の表面意識”に本来のインディビジュアリティは未だ浮上していないので、その霊的レベルに見合った界層のことではない(→霊的レベルが高い霊であっても、再生人生に於いて“本能を強めた生き方”をしてしまい霊性を停滞させる場合もあるから)。

 

2.「地縛霊」「低級霊」「邪霊」

①.地縛霊

ア)一つの考え方:地縛霊の定義

死んで霊の世界に来た者の多くは、霊的波長よりは物的波長の中で暮らしている“霊(低級霊)”である。その物的波長の中で暮らしている霊の中でも、死によって肉体を棄てたにもかかわらず本人は死を自覚せずに、いまだに肉体があると信じており、意識が地上世界に向いている霊、つまり「意識の切り替えが長引いて完了していない霊」のことを当ブログでは特に「地縛霊」と呼ぶことにしている。

 

この定義の利点は、帰幽霊の意識が「死の自覚」を持つことによって切り替わって、地上時代に味わった「物的身体がもたらしていた一切の痛みと苦労と障害から解放される」(7巻48⑬~⑭)、「肉体の病に苦しむことがない」(7巻88⑬)という箇所の説明が容易になることである。現実に病気で苦しむ地縛霊を招霊した交霊会で、霊が死の自覚を持つことによって意識が切り替わり、霊も憑依された者も病から解放されるという現象が起きている。立ち会った者なら、死者にとって“意識の切り替え”の重要さは容易に理解できる。

 

ウィックランド著『迷える霊との対話』の中に、落馬によって首や背骨を傷めて死んだ霊の話が出てくる。霊本人は“死の自覚がなく(今は死んでいる気がしません)”いまだに肉体の痛みを引きずっており、憑依された夫人(患者)も長年にわたって同様の箇所の痛みに悩まされてきた。夫人に憑依した霊はウィックランド博士の説得によって次第に「死の自覚」が芽生えてきた。その結果わずかながら霊的視力が使えるようになってきて、周りで待機していた母の姿を認めることが出来た。博士から「お母さんとマーシーバンド(救済のための霊団)の方たちと一緒になったつもりになってごらんなさい」(→意識の焦点を救済霊に合わせる。棄て去った肉体から救済霊に“意識のスイッチ”を切り替えること)と言われて、地縛霊は患者から離れていった。その後患者は首や背骨の痛みから解放された(ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版、399頁~415頁)。

これは「死の自覚」を持つことによって、死者の意識が“病を持った肉体”から離れると同時に病からも解放されて、憑依されていた者の病が治癒されるという好例である。

 

イ)一つの考え方:「低級霊」「邪霊」の定義

当ブログでは「地縛霊」とは、上記のとおり「意識の切り替え」が長引いて「明確な死の自覚」が持てない霊のこと。これに対して「低級霊」とは「明確な死の自覚」を有するも「明確な霊的自覚」を持たない霊のこととする。さらに「邪霊」とは積極的に地上世界に悪影響を及ぼしている霊のことであり、それは「地縛霊の一部」と「低級霊の一部」からなるとする。

 

「地縛霊」「低級霊」「邪霊」を上記のように区別する利点は、帰幽霊の旅の行程がよく分かり霊的理解がスムーズになること、さらに「供養の対象」となる霊の範囲が特定できることなどである。

供養という観点から見れば「地縛霊」は未だ意識の切り替えが完了していないので、形体に具わっている霊的な“感覚器官”を使用することはできない。そのため救済霊との接触は難しいが、地上から送る縁者の念は「地縛霊」に届きやすいという特徴がある(→両者の間に一種の“磁気回路”が出来ているから)。この“念の特徴”について、タイタニック号の事故で死去したウィリアム・ステッドは「生前から親密な間柄だった者のことを強く念じると、その念は生き生きとして活力のあるエネルギーとなり、電波と全く同じように宙を飛び、間違いなくその霊に届く」と述べている(ブルーアイランド92⑪~93④)。

これに対して死の自覚を持った「低級霊」の場合は、霊的レベル相応の“霊的感覚器官”の使用が可能となっている。そのため救済霊は「低級霊」との接触がし易い。このような違いが存在する為、原則として「供養の対象」は「地縛霊」のみであって、「低級霊」は霊界の救済霊の管轄となる。

 

帰幽霊は「中間境」で物的波長から霊的波長に切り替えのための調整を行っている。その内の一部が「地縛霊」や「邪霊(地縛霊の一部)」となって存在している。イリュージョンの世界である幽界(下層界)では、幽体をまとった「霊(低級霊)」が滞在しているが、その「霊(低級霊)」の一部が「邪霊(低級霊の一部)」となって存在している。

 

ウ)高級霊の解説

シルバーバーチは次のように述べている。「地縛霊=邪霊」として用いている箇所として「そういう人たちは(=復讐心に燃えている霊)みな地縛霊になっている」(10巻194④)。「地縛霊」本来の使い方をしている箇所として、「自分の肉体がなくなったことに気づかない、霊的には死者同然の霊」(8巻95③)や「最後の審判日を待ちわびながら死体の埋葬地で暮らしている霊」(メッセージ70④~⑬、5巻46⑨~48③)など。

 

モーゼスの『霊訓』でも「地縛霊は地上時代の肉体的欲望と性向を残している。それを直接感識する器官はすでにないが、欲求だけは消えない」(霊訓上49⑥~⑦)、「地縛霊が酒色に耽る人間を虜にして今一度地上的快楽を味わう」(霊訓上49⑯)、「かつて宿っていた肉体の欲情による地縛的状態から抜け切れずにいる霊」(続霊訓119⑬)など、「地縛霊」「低級霊」「邪霊」の区別があいまいである。

 

シルバーバーチやモーゼスの『霊訓』で使われている「地縛霊」とは、物質臭が強く霊的状態が地上的波動に合致している「低級霊」や「邪霊」のことで、地上にも霊界にも適応できない霊のことである(8巻168⑧~⑨、福音238⑥~⑧)。このように定評ある霊界通信からは、高級霊は押し並べて「地縛霊」「邪霊」「低級霊」の区別が曖昧である。

なぜなら高級霊から見れば「霊的自覚」を持たない霊は、「地縛霊」も「低級霊」も「邪霊」も押し並べて物質臭が強く「霊界の悲劇」(7巻24⑥~⑦)の対象となる霊であるから、どれも同じように見えるのかもしれない。

 

前述したように物的身体に宿る我々から見れば、自分は死んでいるという意識を持った物質臭の強い霊と(→筆者はこれを「低級霊」と呼ぶ)、まだ死の自覚がなく病気の痛みを引きずったままの霊とを区別する意味は大きい。区別することによって、病を持ったまま亡くなった霊の“苦しむという意識”が説明しやすくなる。両者の“意識の違い”が明確になる。

 

②.幽霊

幽霊は悲惨な地上生活ゆえに、いつまでも地上の雰囲気から抜け出られないでいる霊が姿を見せた場合(6巻79①~②、到来286④)や、何らかの事情があって強い憎しみや恨みを抱いたその念がずっと残っていて(→認知症の場合も感情は何時までも残っている)、それが何かの拍子に霊の姿となって見える場合(6巻79③、到来286⑤~⑥)のいずれかである。「一般に幽霊が出たという場合は、いわゆる地縛霊の仕業である」(語る432⑥~⑪)。

マイヤース霊は「一般に幽霊が出たという場合、それは強烈な記憶の糸に引かれた地上時代の一念が、死に際して残した遺像を媒体として他愛もない現象を起こしているにすぎないことが多い」(永遠の大道125①~③)と述べている。シルバーバーチの「地球のエーテル層に刻み込まれた像が想念の波動を受けて一人歩きする」(語る432⑩)と同じである。

 

③.邪霊、憑依現象など

上述したようにシルバーバーチやモーゼスの『霊訓』では、物質臭の強い「地縛霊」「邪霊」「低級霊」を明確には区別していない。当ブログでは「邪霊」が所属する界層と霊の状態とを、「中間境」にいる「地縛霊の一部」と幽界の下層にいる「低級霊の一部」で、積極的に地上世界に悪影響を及ぼしている霊のこととしている。

その際に地上人側に「邪霊」の影響を受けやすい何らかの要因があって(→体質や肉体的バリアーの著しい低下など)、両者の親和性から「邪霊」が影響力を行使したり、憑依したりするケースが生じてくる。

 

シルバーバーチは「邪霊」は霊的波長が地上人に近いため、波長が合う人間の欲望を増幅する(10巻72⑧~⑨)、悪魔が誘惑するのではなく自分にそう言う要素があるから悪の道に入る(到来32③~④)と述べる。またモーゼスの『霊訓』には酒場や悪徳の巣窟には同様な性向を持つ霊がうろつきまわっている(霊訓上54⑧~⑨)。さらにダービー開催日は道徳的感覚が狂い、心の平衡が崩れ物欲を充たそうとする人たちに「邪霊」が取り入る隙を窺っている(霊訓上74⑤~⑬)。また自制心と規律に欠ける者や節度と調和を欠く者は「邪霊」の攻撃の的にされやすい(続霊訓148⑩~⑪)などの記載がある。

 

憑依される人間はそれなりの弱点をもっており、その弱点が物質臭の強い「低級霊」や悪意を持った「邪霊」を引き付ける“受け皿”となっている。また「感受性が発達するほど地上近くをうろつく低級霊に憑依される危険性が増えてくる」(続霊訓160⑦~⑧)。霊媒体質者は“精密機械”と同じなので、常に自分の理性で安定性を保っていないと容易く他者に操られてしまう危険性がある、特に注意を要する。

一般に「邪霊」を引き付ける要因としては、人間側に“何らかの条件”があることが必要である。例として身体と精神と霊の関係が調和を欠いている場合、アルコールの取り過ぎや薬物中毒を引き起こしている場合、度を越した虚栄心や利己心の持主などが上げられている。そういう要因を持った人間に親和性から意識的に取り付く場合や、無意識のうちに憑ってくる場合がある(6巻151⑦~152③、到来223⑫~224①)。

 

地上の人間はあらゆる霊的レベルにある霊からの影響にさらされているといえる。そのうち実際に引き寄せるのは自分と同じ霊格を持った霊だけであり(8巻94⑭~⑮)、両者の間に親和関係がある場合に限られる(語る435⑦~436③)。親和性があると言うことは人間の堕落した生活が同類の邪霊を引き寄せることになるので、人間の側から“餌”をまかなければ憑依は防げることになる(霊訓上48⑫~⑭、50⑥~⑧)。

このように「地上の罪悪と悲劇の多くは邪霊が同種の人間に働いた結果に他ならない」(霊訓下156②~③)ので、霊的摂理の普及実践は急務の課題となっている。

 

3.幽界の下層世界

①.地上的習慣が色濃く残る

地上時代の習慣は長い間に形作られてきたものなので、死んで物的身体を脱ぎ捨てても好みや習慣(2巻149⑬)、人間的煩悩に満ちた意識は存在する。英国風の家で過ごした人は英国風の家に住み(2巻149⑭~⑮)、利己的な人は相変わらず利己的である。“霊的覚醒(明確な霊的自覚)”が起きるまでは地上時代の習性等は、そのままの状態で維持されている(7巻24⑫~⑭、福音189②~⑥)。人間は死後、誰でも直ちに「本来の意識(インディビジュアリティ)」が自覚できるわけではない。

 

モーゼスの『霊訓』には「人間は霊界に来たからとて、地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えて来るのである。変わるのは肉体を棄てたと云うことのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたとてその本性が変わるものではない。それは、誠実にして純真なる向上心に燃える魂が、死とともに俗悪なる魂に一変することが有り得ぬのと同じである」(霊訓上32⑭~33③)とある。

 

②.幽界の下層

幽界の下層は波動が粗いため地上とよく似ている(4巻136③~④、語る214⑩~⑫)。帰幽霊は地上時代の固定観念を抱いたままであり「思念の表現も極めて地上的で、考えることが全て物的感覚によって行われている」(メッセージ54③~⑤)。

そこは霊的自覚が芽生えていない者が住む世界であり(8巻85⑪)、人間的本能である貪欲や権力欲などが存在している(10巻71⑦、72③~⑨)。なぜなら死んだ人間は霊的には死ぬ前と全く同じであり、単に肉体が無くなっただけで地上時代の行為・思念・性癖等で形成された人間性にいささかも変わりはないから。

 

霊の世界は思念が実在となる世界であり(4巻124⑨)、心に思うことに実体が伴い実感がある。そのため想いが周りの環境を作り上げる(→思念は環境を形成するから)。

幽界の下層は物質臭の強い思念を発する霊が、それぞれに引き寄せられて集まって生活している世界である。その広大な下層世界の中には地上時代に大酒のみであった者や麻薬中毒患者など、同じような傾向を持つ一群の霊が引き寄せられて集まった世界がある。そこには地上人で似たような“受け皿”を持つ人間と「感応し合って欲望を増幅する」(10巻72⑧~⑨)という形で、満足を味わう霊たちの一群がいる。

 

霊の世界は地上生活体験者で構成されているので、地上で起きていることの全てが再現されている(7巻74⑤)。幽界の下層の住人の意識は、地上時代に培ったそのままの状態を引きずっているので、地上時代の宗派の教えを死後も信じて地上の人間に広めようとする者や(福音240⑦~⑧)、霊的真理の普及を快く思わぬ組織的な反抗勢力の集団などもいる(福音236①~⑧)。

また地上時代にある宗教を信じていた先祖霊が、子孫の改宗を快く思わないという話を聞くことがある。子孫の改宗を不満に思うのは本人自身に霊的自覚が芽生えていないから、先祖霊の意識の中に地上時代の宗教がいまだに居座っている物質臭の強い霊だからである。

 

③.浄化の為の世界

数多い帰幽霊の中には、地上体験によって「残忍さ・傲慢さ・貪欲・淫乱」等といった“歪んだ欲望”を培ってしまい、表面意識に深く染みこませてしまった霊もいる。このような霊が赴く幽界の下層界にも親和性が働いているため、同類の霊が引き寄せられてくる(霊訓上161⑬~⑭)。そのためその霊的環境は強い物質臭に満ちている(霊訓下157⑫~⑬)。

 

帰幽霊の意識の中に存在する“歪んだ性癖や習性”が苦悩を引き寄せるため、そこの住環境は邪悪性や非道徳性、利己性を思い知らされるような場所となり、そこに住む者にとっては俗悪臭に満ちた地獄という感覚になる(到来238⑥~⑧、238⑭~239②)。いわばその世界は動物性が過度に発達して霊的な歪みが生じた状態を、悔恨の念によって矯正しようとする界層であり、宗教では「煉獄や地獄」と呼ばれている。

モーゼスの『霊訓』には、地獄とは「魂自らが罪悪(=魂の歪み)を焼き尽くそうとする悔恨の炎」で、身に沁みついてしまった利己主義と犯した罪悪を清める状態(霊訓下221⑬~⑭、221②~③)とある。ここから地獄とは自分自身の中にある意識状態と言える。

このような環境で厳しい体験を経ていく中で、次第に表面意識にある歪んだ性癖は修正されて行く。霊によって長短はあるものの内部から霊的自覚が芽生えてくるまでは、矯正のためにこのような界層に留まることになる。

 

④.地上に通信を送る霊たち

一般に霊の世界から地上に残した肉親、知人、友人に通信を送る動機は愛に発している(6巻115⑥~⑨、到来113①~⑤)。次元の異なる地上に通信を送ることは「容易なことではない」「大へんな努力を必要とする」ので、通信霊は必然的に「愛念を抱く者に限られる」(1巻89⑨~90①)。

ここから多くの霊界通信は意識の関心が地上に向いている、物質臭の抜けきらない幽界の下層に居住する血縁者からのものとなる(→界層の上昇に伴って地上に関する関心は薄くなる)。ここに血縁重視の霊界通信が多くなる理由がある。これは高校に進学した生徒が中学時代のクラスメートや部活の後輩の面倒事に、自分の休みを犠牲にしてまで駆け付けて世話を焼きたがる意識状態と似ている。

 

⑤.霊的自覚の芽生え

帰幽霊は「明確な死の自覚」を持つことによって肉体に縛り付けられてきた意識から解き放たれ、地上時代に培ったレベルに見合った界層に引き寄せられていく(12巻34②、36⑥)。大部分の霊が引き寄せられる界層は物質臭の強い住民が住む世界である。その世界で体験を積み重ねることによって次第に「霊的自覚」が芽生えてくる。

 

一般的な帰幽霊が辿る旅の行程を図式すれば次のようになる

「A:死、寿命が尽きる」―→「B:“死のプロセス”を滞りなく手引きしてくれる指導霊との出会い」―→「C:明確な死の自覚を持つ」―→「D:明確な霊的自覚を持つ」―→「E:霊界(狭義)に入り霊的家族と再会する」

 

上記Cの意識が持てなければ地縛霊となり(→死んでも意識がいまだに肉体に縛られている)、上記Dの意識が持てなければいつまでも「幽界の下層界」から抜け出せない。

Cの意識を持った霊がDの意識を持つ迄には、長い時間かかるのが一般的であると言われている(10巻60⑦~⑧)。地上で霊的知識を学んだ者は、Dの意識に到達するのが一般人よりも早い。ここからもこの世で霊的知識を学ぶことの大切さが窺える。Dの「霊的自覚(霊的覚醒)」の芽生えとともに徐々に幽界の下層界を離れていく。離れるにしたがって地上時代に持っていた偏見や敵意を棄て去っていく(7巻74⑥~⑦)。

 

帰幽霊の意識は「偏見や性癖」に満ちた表面意識(→血縁重視の強い意識、物質臭の強い意識)と、霊的自覚が芽生えてくるまでは表面に浮上してこない「大きな霊的意識(=本来の私、インディビジュアリティ)」という二重構造になっている。そのため地上時代の体験によって形成された「利己的、冷酷、享楽的、血縁重視」といった意識は、「霊の表面意識(→普段用いている意識)」の中に「霊的自覚」が芽生えてくるまでは「偏見や性癖」と言う形で占有し続けることになる。

物質臭が抜けきらない幽界の下層にいる霊界人とはこのような意識構造を持った霊たちである。「霊の表面意識」の中に「霊的自覚」という意識が芽生えてくるまでは、霊的成長はゆっくりとしたスピードである。なぜなら大きな意識であるインディビジュアリティは、霊的成長と共に少しずつ浮かび上がってくるものだから。

 

幽界において「霊的自覚の芽生え」に始まって、徐々に霊的自覚が深まっていった霊は、次第に霊的進化のスピードが速まって界層の上昇が起きてくる(→幽界の上層に浮上していく)。この段階になると潜在していた「大きな霊的意識(=本来の私、インディビジュアリティ)」が表面意識の中に浮かび上がってくるので、次第に「類魂の存在を意識する(→帰るべき我が家を意識する)」ようになる。

このように幽界生活とは「物質臭の強い表面意識(→地上体験によって“色”が付いた“小さな区画のインディビジュアリティ”を含む)」を中和させて、「大きな霊的意識(本来の私、インディビジュアリティ)」の中に穏やかに溶け込ませていく過程に他ならない。物質臭の強い状態で直接溶け込ませることは出来ないため、意識の二重構造は不可欠となっている。これら一連の霊的波長の調整が完了した個別霊は、次の世界である“狭義の霊界”で待つ霊的家族のもとに帰って行く(但し、血縁中心の“家族”ではない)。

 

4.意識の変遷図と解説

A:霊的意識(インディビジュアリティたる霊的意識は無始無終に存在している:到来40②~③。Aの中に「霊」が潜在している。Aの領域に「霊」が顕在化していく割合が0%~100%に応じて霊格の高低が決まる)

B:霊的意識(もっぱら地上人生を歩む私の潜在意識となる部分で、地上体験や知識で着色される領域、この部分を持ち帰ってAの中に溶け込ませる)

C:表面意識(脳を介して意識する顕在意識で、本能に起因する意識に強く影響される)

*地上の人間が用いる意識は「Cの意識」と「Bの意識(脳を通って顕在意識に上がってくる霊的意識の割合は各自異なるが)」を合わせたもの。

 

 

<1図 霊界(狭義)>

 

         

| A意識   |

 

霊界では個別霊Aは形体面から見た客観的存在と、類魂の一員という主観的存在の二面を併せ持っている。個別霊Aの霊的意識(=インデビジュアリティ)は「同一霊格で親和性のある複数の個別霊」の意識と繋がっている(ベースとなる類魂の意識)。

 

 

<2図 出生準備段階>

 

         

|A意識 : B意識|

 

地上に再生することが決まれば「待機状態」に入る。この段階になると個別霊Aの霊的意識の中に、専ら地上的人格が用いる“霊的意識B(地上体験で色付きとなる意識)”が境界線によって区分けされる。この段階ではAとBの境界線は未完成の状態にある。このBの部分が“ダイヤモンドの相”に相当する部分。

 

シルバーバーチは霊界の記録簿を調査して母胎に宿る以前の“バーバネル”を選び出した(9巻17①~②、語る22⑦)。この段階ではまだバーバネルが母胎に宿る前のことなので、いわば「霊界の出生リスト表」から選んだことになる。<2図>Aの“バーバネル”という個別霊の意識(=インディビジュアリティ)の霊的レベルと「今度生まれたらスピリチュアリズムの普及に生涯を捧げると約束した」(10巻214④~⑤)という決意に着目して地上側の霊媒に選出したのではないかと思われる。

 

 

<3図 地上時代(幼児期)>

 

                                    

|A意識    :B意識 | C意識

 

幼児期段階ではAとBを仕切る境界線の壁はいまだ未完成である。そのためAに溶け込んでいる「前世の記憶」はABの未完成の壁を通ってBに入り、そして条件が整った時点で幼児の顕在意識たるCに浮き上がってくる。これが時々出現する「前世を話す子供(江戸時代の勝五郎の再生話は有名)」の再生話のメカニズム。

 

 

<4図 地上時代(10代以降)>

 

                

 |A意識    |B意識 | C意識

 

この段階になるとAとBを仕切る境界線の壁は完成する。“地上的自我”の確立と共に霊的意識Bが地上体験によって独特な色に染めあげられていく。本来人間は霊であるので当然に霊的知識を有しているのだが、新たに地上体験を積むために潜在意識(霊的意識)のAとBに蓋をする(→Bを地上体験という色で染めて、それをAにとけ込ませる必要から)。

自由意志を行使しながら地上体験を積ませて、人生は“死によって終了するのではない”ということをCの顕在意識に学ばせていく。そして生き方を変えていく。その過程の体験を持ち帰得るのが本来の姿。

しかし多くの人間は地上体験によって、Bの潜在意識の浅い部分には長い間に習慣化・パターン化した悪癖や動物性が過度に強調された性癖が、Bのより深い部分には偏見に満ちた固着観念や宗教の教義、記憶としてため込んだ思想や知識などがとけ込んでいる。人によっては「残忍さ・傲慢さ・貪欲・淫乱」等といった歪んだ欲望が過度に強調されて、その人の地上的人格の一部(BとCの部分)となってしまった者も出てくる。

 

霊媒現象は霊媒の“潜在意識B”にある用語を使う。そのため霊能者と通信霊とのオーラの融合が不十分な場合は、霊界通信に霊能者の“潜在意識B”にある思想や偏見で“色”が付く。マイヤース霊は、自動書記霊媒のカミンズの“潜在意識Bにある記憶の層”に天文学に関する用語が無かったため、通信が送れないとして一時中断して、カミンズに百科事典の天文学の項目を読むように指示した。マイヤース霊が欲しかったのは宇宙に関する用語であって、知識ではなかったという(個人的存在20⑪~参照)。

 

前世体験はAに溶け込んでいるので「前世を思い出す」と言う行為は、その人の潜在意識の奥深くに存在するAまで意識を保ったままの状態で探ることが可能、ということを意味する(→意識を集中させて「C意識→B意識→A意識」という具合に意識を保ったまま、果たして深層まで辿り着けるのか?)。シルバーバーチは「その人が潜在意識の奥深くまで探りを入れることが出来れば、それは可能です。ですが、はたして地上の人間でその深層まで到達できる人がいるかどうかは、極めて疑問です」「そこまで探りを入れるには大変な霊力が必要です」(6巻182④~⑧)と述べる。

 

 

<5図 幽界の下層>

 

                   

 |A意識    |B意識  |C意識 :   *C意識は点線で囲われている

 

地上時代の習慣は長い間に形づくられてきたものなので、死んで物的身体を脱ぎ捨てても好みや習慣、人間的煩悩に満ちた意識は存在する(2巻149⑬~⑮、7巻24⑫~⑭)。この意識は“地上的人格の残像”として、点線で囲われたCに存在する。人によっては地上人生が“動物性を過度に発現”させるような体験を積んでしまった者もいる。これらが“地上的人格の残像C”や、ケバケバシイ色合いで着色されたBとして存在している。これらをAが再生人生に於ける地上体験として活用するためには、一種の“無害化という作業(→生々しい体験を客観視するレベルにまで高める作業)”を行う必要がある。その場所が幽界の下層である。

 

 

<6図 幽界の上層>

      

             

A意識    :B意識|

 

帰幽霊は幽界の下層界で生活していくうちに、次第に霊的自覚が芽生えてくる。霊的自覚の芽生えとともに地上的残像であるCが消えて行く(界層の上昇が起きる)。

それに応じてAとBを区切る境界線も次第に崩れていく。Aの意識が霊の表面意識に浮き上がってくるに従い、徐々に帰るべき我が家(類魂、霊的家族)を意識するようになる。

 

 

<7図 霊界(狭義)>

             

 |A意識     |

 

6図のBに存在した“無害化”された地上的体験は、AとBを隔てていた境界線の壁が消滅することにより、Aと混じり合う。1図のAとの違いは、7図のAには今回の地上体験が混じり合っていること。

狭義の霊界では「同一霊格で親和性のある複数の個別霊」もその体験を使用することが出来るようになる(→意識が平面的に拡大した類魂意識として)。

 

 

<意識の深奥>

・C意識、脳を介して意識する部分。死とともにC意識は消えてしまうのではなく、一種の“地上的残像”という形で、帰幽霊に霊的自覚が芽生えるまでは存続し続ける。

・B意識の浅い部分には、機械的・自動的に行われる日常の行動や思考パターンがある。さらに深い部分には、偏見に満ちた思想・知識や宗教の教義などによって形成された固着思想が存在する。

・A意識の中には「前世の記憶」が溶け込んでいる。さらに深い部分には“個別霊A(インディビジュアリティ)”がそれまでに身に付けてきた全ての霊的意識が存在する。このA意識は、ベースとなる類魂意識や“拡大した類魂意識”まで、Aの霊格に応じた広がりと奥行きを併せ持つ。

このような“意識の深層”に自力で入って行き、その状態で「回想する」ということは不可能、それは本人が自ら意識の深層に入って行くのではなく、背後霊の働きによってなされる、との記載がある(続霊訓22⑤~⑥)。

 

5.個別問題

①.死後の環境

ア)霊の世界

霊の世界は霊性レベルに応じてグラデーション的に繋がった一つの世界、限りなく続く長い一本の梯子のような世界である。そこにはあらゆる次元の生活の場が、互いに重なり合い融合しあって存在している(4巻146⑦、148①~②)。それぞれの界層には、その界の環境条件に相応しい者たちが集まって生活している。

界層の上昇は「霊性が開発され、魂が向上するにつれて、より高い界層へと適応するようになり、自動的にその界に所属するようになる」(最後啓示40③~⑤)。なお霊的レベルが同一な者が集まる界層では、そこに住む者は同じ客観的な存在物(→湖、丘、庭園、部屋など)を見て触れるといった体験をすることが出来る(8巻87④~⑤、89⑦~⑨)。

 

進化を霊の“形体面(客観的側面)”から見れば「(次のステージに進める準備が出来れば)程度の低い要素が高い要素にその場を譲って行く。何度も死に、何度も誕生する」「低級なものが消えるにつれて浄化され精妙になって行く」(4巻128①~④)。いわば新しい身体へと脱皮して、新たな形体をまとって体験を積んでいく。

ここから霊は自我を発揮して霊性レベルを高めていく為には(→意識の領域に神の属性をより多く顕現させていくこと)、進化レベルに応じた第三者からでも存在を認識できる何らかの“形体(→肉体、幽体、霊体、光輝・色彩など)”をまとって、その形体に見合った界層で“体験(→物的体験や霊的体験)”を積む必要があることが分かる。

 

イ)霊の世界での移動、時間

霊の世界では遠方にいる誰かと会う約束をする場合には、相手に思念を送って都合が良ければ会うことになる。相手に思念を合わせれば、距離を超えて直ちに相手の目の前に姿を現すことが出来る(→意識の焦点を合わせば移動することが出来る:5巻166②)。

 

霊の世界でも「物事が発生して進行に要する時間」(最後啓示183⑩~⑪)は存在するが、地上で用いる時間とは意味が異なっている。シルバーバーチは「こちらでは霊的状態で時間の流れを計ります。言い換えれば、経験していく過程の中で時の流れを感じとります。一種の精神的体験です」(2巻146⑪~⑫)と述べている。

地上の時間の流れは純粋に機械的な要素が強いが、霊の世界では反対に精神的要素が強い。そのため「復活の日まで待つ」というキリスト教徒の場合は、その思念が破れるまでは“ただ待つだけ”の意識状態に置かれる。「もし自分が待っているという事実に気がつけば、その思念体が破れるはず。自分でこしらえた牢獄だから」(5巻47⑫~⑬)。

 

ウ)飲食、休息、仕事、視力

霊の世界では「飲食しなくては」「休息しなくては」と思えば、飲食や休息をする。心臓などの肉体器官が残っていると思えば、存在しないにもかかわらず本人の意識の中ではそれらの機能は維持されている。霊の世界ではそれらの器官は不要であると本人が自覚すると、退化し始めてそのうち消滅してしまう(4巻128⑩~129③)。

また霊の世界では自分がやりたいと思う仕事をする。地上世界のように物的必需品を入手する為に仕事をするということはない(10巻68⑥~⑦)。

 

霊には霊的な眼があるのでお互いを認識し合うことができる(8巻79①)。霊が地上の人間を見る場合には人間の霊体を見ている。その際に肉体は薄ぼんやりとしか見えていないが、霊媒の物的な視力を使えば肉体が良く見える(8巻113⑩、最後啓示192③~④)。人間は霊なので当然に霊的な目や耳を持っている。しかし物的身体にいる間は霊的な器官からの情報は意識できないようになっている(語る394⑦~⑩)。

 

エ)コミュニケーション

霊の世界は思念の世界、思念が実在である世界である(4巻124⑨)。そのため言葉ではなく思念でやり取りをする。両者の波長が合って相互に共感関係があれば、心に念じた思念や要求は全てがすぐさま伝わる(3巻212③~⑧、メッセージ245⑥~⑫)。霊の世界(幽界)に来た当初は地上時代の言語を使うが、次第に霊の言語である“思念(→物質臭が抜けきらない思念)”を使うようになる(4巻124⑪~⑫)。

地上においては“有難うという思いや思念”は感謝の言葉を相手に発するか、品物を贈るといった形で表さなければ(→いわば感謝の思念を言葉や物品といった物質で包み込む)、相手はその真意が認識できない。しかし霊の世界では“有難うという思いや思念”は実在そのものである(7巻179⑫~⑬)。

霊の世界にある界層はそこに住む者たちの思念で構成されている(→共通の意識レベルにある思念で生活環境が作られている)。意識がその界のレベルを超えて進化すると、自然にそこから離れて次の段階に移行していく(メッセージ55①~④)。

 

オ)思念体・想念体

霊の世界では電車に乗りたいと思えば目の前に現れて、それに乗車すると動き出す。この電車は自分でこしらえた想念体で、自分にとっては本物である(2巻148⑤~⑩)。

狩猟する者は自分の潜在意識の中で獲物を作り出す(→獲物は想念体なので本人にとっては客観的な存在物)。それらは思念の波動で活性化されており、あたかも生きているかのように見える(個人的存在247⑪~⑫)。 

キリスト教徒が自分で「復活の日まで待つ」という想念を拵えた場合には、自ら作った想念体の中にいる。その想念体を自ら崩さない限りは“想念の牢獄”から抜け出せない(メッセージ70⑪~⑬、71⑨~⑪)。

 

②.地上的血縁関係

ア)意識の二重構造

いまだ「明確な霊的自覚」の芽生えない者が住む幽界の下層世界を除いて、霊の世界ではその霊格にあった者が集まって一つの界層を作って生活しており、程度の低い者と高い者とが交り合って一緒に暮らすことはない。ここが霊的発達程度の異なる者が毎日のように顔を突き合わせて生活する地上世界とは異なる点である(→地上には「学校」という役割があるため混在世界となっている)。

死後に赴く世界は、その霊が「地上で身につけた霊的成長に似合った界層(→物質臭の強い地上生活を送った場合は本来の霊的レベルとの乖離が生じる)」(10巻83⑤、12巻34②、12巻36⑥)であり、それより高いところには行けない。地上での体験の内容如何によっては霊性の停滞が起こり、浄化の界層で意識の歪みを修正するケースも出てくる。当然に「本来の私(インディビジュアリティ)」の霊性レベルより低い界層である。なぜなら帰幽霊の意識は「偏見や性癖」に満ちた物質臭の強い表面意識と、霊的自覚が芽生えるまでは表面に浮上してこない「本来の私(インディビジュアリティ)」という二重構造になっているから。

 

イ)霊界に於ける地上的血縁関係の行方

霊は何度か再生するのでその度ごとに地上的な血縁関係が作られる(到来21⑥~⑧)。

幽界で夫婦や家族が一緒になれるかは、本人たちがそれを望むか否かによって異なる。死後の世界での結びつきは、結ばれたいという願望が大切な絆となるので、夫婦や家族が霊的な親和性(→自然な愛や情、友愛など)によって結ばれていれば、繋がりは切れないので合流する。両者に親和性がなければ再会はない(3巻23⑩~24⑨、10巻117⑪~118①)。

地上で愛し合った男女が他界した場合に、両者の間に愛がなく単に肉体の結びつきに過ぎない場合で、しかも両者に霊格の差がある時は確実に死とともに離れていく(4巻141④~⑧)。愛し合っている二人が死後、一緒になるためには一般に霊格の高い方が待つことになる(8巻102⑨~⑪)。

このように地上的姻戚関係は必ずしも死後も続くとは限らない(4巻77④)が、幽界の下層では地上的な血縁関係によるバイブレーションが残っている(10巻117⑮~118①)。地上で重要視される血縁関係といった形体にまつわる属性は、霊性の進化と共に次第に払拭されていく。なぜなら霊の世界では「形体ではなく魂の問題になるから」(4巻141⑨~⑩)。

 

ウ)胎児や子供の霊

胎児や子供の霊の場合は“養母(→地上的縁のある霊や霊的親和性のある霊が担当する:8巻116⑬~⑮)”にあたる霊が付き添って(最後啓示40⑧~⑩)、遊びを通して思念の力を身に付けている。なぜなら意志の力と集中力を学べる地上での体験が少ない胎児や子供の霊は、思念によって全てのものが作られる霊の世界で生活して行くためには、思念の力を強める為の訓練(→意志の力や集中力の強化を高める訓練)を行う必要があるから(彼方2巻190頁~196頁)。さらに地上体験は貴重なので、体験と知識不足を補うために霊媒の背後霊の一人となることが良くある(霊訓上51⑥~⑧、51⑫~⑬)。

 

③.再会時の識別・身元の確認

神の属性が“意識の領域”に顕現を増して霊性が向上して行くと、霊の個性は強まっていく。その際にアイデンティティ(同一性)は何を基準にするかという問題がある。霊の世界では協調が大原則となっている。霊の世界で大きな仕事をする場合は、各自が持てるものを貢献し合って行われている(メッセージ30①~④)。その仕事のため各自は知識と情報を持ちよって、そのうちの一人が全体を代表して行動する。その期間中は他の者のアイデンティティは薄れて一つになる(語る196⑩~⑬)。

高級霊ほどアイデンティティをほとんど失っており、一種の影響力の中枢となっている(続霊訓22⑧~⑨)。高級霊からの霊界通信の場合に、通信霊の名前は霊媒に集中的にもたらされる影響力を代表したもので複数の霊の精神が集約されたものとなっている(続霊訓142⑫~143⑥)。

 

地上時代に用いていた名前はその人を認知するための手段の一つであり、身元を確認する上で必要であるため用いているに過ぎない(2巻153②)。交霊会に何年も前に他界した子供がそのままの姿で出現する場合がある。それは他界時の容貌や性格のままの状態で現れて、自分は死後も存続しているということを分かってもらうためである(3巻203④~⑥、語る230①~③)。霊は自分の識別を容易にしてあげるため一時的にどんな形体にでもなれる(8巻113②~③)。このように他界した時点での姿や性格で出現するのは、存続の証拠として確認の意味があるから(メッセージ230⑤~⑧)。

光輝を発する高級霊の場合は、その光輝が個人を識別する手段となる。光輝を見ればその霊の霊格や人物情報が一目瞭然に分かる(2巻153⑫~⑬)。

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、講義用ノート:目次

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