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第1講:スピリチュアリズムの基本――霊的摂理について <講義用ノート>

目 次

1.スピリチュアリズムとは

・「霊魂説」を認める立場のこと

・スピリチュアリズムの位置関係

・スピリチュアリズムの普及運動

・自然発生的なスピリチュアリズム

・近代スピリチュアリズム

 

2.スピリチュアリズムの「世界観」

①.シルバーバーチの神に対する考え方

・創造説

・神と人間の間に摂理が介在する

②.霊界人の神観

・神はその働きによって知るのみ

・比喩「曇り空でも太陽の存在は感じられる」

 

3.基本的な霊的法則

①.因果律

・因果律の目的は霊性の進化

・「因・縁・果」の関係

・因果律は国家や民族に対しても働く

・複合的に働く因果律

・「因果律の拡張」と「業因縁の継承」について

②.一般的な愛

・愛の多様な形態

・血縁重視の利己的な愛と利他的な愛

・地上に通信を送る霊

③.自由意志

・自由意志を使って霊性の向上を目指す

・自由意志と宿命との関係

・自由意志の行使という二つの側面

④.親和性

・基本的な法則

・憑依(親和性の法則の一種、負の親和性)

⑤.知識には責任が伴う

 

<注1>~<注10

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

1.スピリチュアリズムとは

ア)「霊魂説」を認める立場のこと

一般に「Spiritualism(スピリチュアリズム)」は「心霊主義」や「心霊学」などと訳されてきたが、現在では英語の発音表記そのままに「スピリチュアリズム」と訳されている。なお「心霊主義」とは霊魂の実在を前提とした説である。具体的には「死後の世界の存在」を前提として「死後も人間の個性は存続する」こと、さらに「死者との交信を認めてあの世とこの世は交流している(→プラスに働けば霊からの有益な情報がインスピレーションとして届く、マイナスに働けば憑依現象となる)」ことを信じる「霊魂説」(注1)を肯定する立場のことを言う。

 

シルバーバーチは「スピリチュアリズム」とは知識のことであると述べる(7175⑧参照)。知識であるが故に「スピリチュアリズム」を「商売の手段」や「娯楽の手段」として世俗的に用いる人、あるいは日常生活に霊的知識を生かすことをせずに、一般的な知識の一つとして「引き出しに仕舞い込む人」も当然に出てくる。

 

イ)スピリチュアリズムの位置関係

A:全体の位置関係

 

宗教・信仰(信念重視) ← スピリチュアリズム思想・哲学

                   ↑↑

        スピリチュアリズムの土台部分(霊魂説) → 科学(実証重視)

 

 

B:「実証重視」と「信念重視」という二面性

一般に「近代スピリチュアリズム」の位置関係は「右隣りには実証を重視した科学の世界」が広がっており、反対側の「左隣には信念を重視した信仰・宗教の世界」が広がっていると言われている。そのため「実証を重視するスピリチュアリストは、科学へ傾斜する」傾向を強め、「信念を重視するスピリチュアリストは、信仰へ傾斜する」傾向を強めていく。このようなスピリチュアリズムの「実証重視」と「信念重視」という二面性は、スピリチュアリストだけに留まらず、証拠に対して求める“厳密さの程度”にも違いが現れている(注2)。

 

C:いわゆる「事実」としての「霊魂説」

19世紀後半の西洋社会でブームとなった「家庭交霊会」では心霊現象が頻発して起きた。この心霊現象は間もなく科学者の目に留まり、広く関心を呼び起こして科学的な調査研究の対象となった。当時の一流の科学者の調査研究によって心霊現象の仕組みが明らかとなって、その結果「霊魂説」が確固たる「事実(=いわゆる事実として)」として打ち立てられた(→スピリチュアリズムでは「霊魂説」を「スピリチュアリズム思想の土台部分」として位置付けしている)。

この「スピリチュアリズム思想の土台部分」である「霊魂説」は、実証重視の科学の世界へと繋がっている。そして各種心霊現象を調査研究する「心霊研究」として発展し、その後「超心理学」と呼ばれるようになって学問分野の一角を占めるに至っている。

 

D:スピリチュアリズム思想

この「霊魂説」の上部構造に高級霊から霊界通信によってもたらされた「スピリチュアリズム思想(→神の啓示をまとめた総合的思想:続霊訓43⑭参照)」がある。この「スピリチュアリズム思想」には「人生をどのように生きるべきか」や、人生に於いて遭遇する「困難や苦難にどのように対処したらよいか」など、人の生き方を深く掘り下げて考えてみる際のヒントが散りばめられている。

 

高級霊が述べているように「知識には責任が伴う」ことから、「スピリチュアリズム思想」を学んで知識の分量を増やしていくと、次第にその人の「生き方が問われてくる」ことになる。いわば生き方の「質的な転換(→知識から生き方へ)」を迫られることになるわけである。この「質的な転換」は個々人の自由意志にゆだねられているが、なかには「スピリチュアリズム思想」をこの世を生き抜くための「生き方の指針(=実践哲学、信仰)」にまで高めていく人も出てくる。そのため上部構造たる「スピリチュアリズム思想」は信仰と相性が良く、宗教の世界へと繋がっている。

 

E:質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism

このようにスピリチュアリズム思想には、各自の生き方を変えて個々人の集合体である社会をも変えていく力がある。ここには多くの人が理解する物的指向の強いこの世的な幸福追求型の「世俗的なスピリチュアリズム(=現世利益的なスピリチュアリズム)」といったイメージは全くない。むしろ“霊的知識の体系”を自己の生き方に活かして霊的成長を図るという「実践哲学」的な意味合いが強く見えてくる。そのため本稿ではスピリチュアリズムを「世俗的なスピリチュアリズム(=現世利益的なスピリチュアリズム)」としてではなく、霊的知識を自己の霊的成長に活かしていく「質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」として用いている。

 

ウ)スピリチュアリズムの普及運動

(近代)スピリチュアリズムは19世紀半ば以降(558③~④参照)、霊的知識を日常生活に生かして個々人の意識を変えていく運動、霊界主導で「地球を霊的に浄化する」目的を持った普及運動として、顕幽二つの世界で同時に展開している。シルバーバーチは「地上だけでなく霊界でも大変な規模で布教活動が行われている」(道しるべ199⑤~⑥参照)と述べている。

 

この世では霊的知識を普及させて、「人間は霊的存在であり、肉体はこの世で生活するための“制服”である」という意識に目覚めさせる「意識の変革」運動として。他方幽界の下層界では“物的指向が強い霊”や“浄化の界層にいる霊”に対して、「霊的自覚(→霊として今“何を為さなければならないか”という自覚)」を持たせていく運動として展開している。なぜなら“狂信的な宗教信者”は、死んでも「霊的自覚」が芽生えるまでは地上時代そのままの意識状態を保っており(→慣性の法則を参照)、霊界から親和性のある地上人に「教唆や幇助」という形で影響を及ぼしているから。

高級霊は地上世界で展開しているスピリチュアリズムの普及運動は「霊界主導」であり、「地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけである」(霊訓上203⑱参照)と述べる。

 

エ)自然発生的なスピリチュアリズム

A:霊魂不滅

霊魂(=意識)は肉体が滅びても永遠に存在するという考え方、つまり「死者の霊魂」や「死後の世界」を前提とした「霊魂不滅」という考え方は、洋の東西を問わず古代から存在してきた。この「霊魂不滅」を前提として祖先崇拝や輪廻転生説が生まれた(注3)。

日本の古代社会では霊魂を「たま」と呼び、死者の霊魂と人間との間を取り持つコミュニケーションの媒介者を「口寄せ」と呼んでいた。この「口寄せ」が「神憑り」して、顕幽の橋渡しを行っていた。旧約聖書(サムエル記上28、イザヤ書8参照)などにも死者の声を聴く「口寄せ」や霊媒の話が登場するので「神憑り」現象は日本だけの話ではない。

 

B:科学的検証が伴わないスピリチュアリズム

このような古代から世界各地に存在してきた「死者の霊魂」や「死後の世界(他界)」を前提としたコミュニケーションを「自然発生的なスピリチュアリズム(=素朴なスピリチュアリズム)」と呼ぶことにする。近代スピリチュアリズムの「霊魂説」の観念と共通した部分が多いが、ここには多くの「迷信・俗信」や「詐術・錯誤」が混在している。

 

オ)近代スピリチュアリズム

A:ハイズヴィル事件(=フォックス家事件)

ハイズヴィル事件(=フォックス家事件)とは、18483月にハイズヴィル(→アメリカのニューヨーク州ロチェスター近郊の寒村)で、幽霊が出ると噂のある木造の家で起きたポルターガイストのこと。その家にフォックス家の両親とその姉妹(マーガレットとケイト)が1847年に引っ越してきた。始めのうちは何事もなかったが翌年18483月以降、ラップ音や家中の家具が動くなどの現象、ポルターガイストが連日起きた。

 

331日の夜にひときわ大きなラップ音が発生したので、姉妹が手を叩くという方法で通信を試みたところ、霊側からラップ音による返答があった。さらには“アルファベットの文字”を使って通信が行われたことによって霊の身元が判明した。

被害者の霊はチャールズ・B・ロスマ(31歳)という名前の行商人であり、5年前この家に住んでいた住人に包丁で喉を切られて、所持金の五百ドルを奪われて殺害された。さらに死体は階段を引きずられて地下室の土間に埋められた、ということが判明した。翌日、霊からの情報を基に地下室の床を掘って調査を始めたが水が湧いてきたため中止。その年の夏に作業を再開、僅かな人間の頭髪と人骨が現われたが、殺害された行商人のものと断定するまでには至らなかった。

 

B:物証発見

ハイズヴィル事件の56年後に急展開があった。1904年11月に“お化け屋敷”の地下室で遊んでいた小学生たちは、地下室の崩れた新旧の壁と壁の間から完全な白骨化した死体を発見した。通報により家の所有者が調査したところ、死体の傍から当時の行商人が金銭を入れて持ち歩いていたブリキ缶が発見された。このような物証から白骨死体は1848年にフォックス家の姉妹とラップで交信した行商人とされた。この白骨死体発見のニュースは、当時の新聞に載っている(→19041123日付『ボストン・ジャーナル:Boston journal』に1904年11月22日ロチェスター発の記事として掲載された)。

 

C:科学的検証を伴った心霊ブーム

1848331日の幽霊との通信がきっかけとなって、各地に心霊現象を起こすことのできる霊媒が次々と現れた(→日本では1970年代ユリ・ゲラーのスプーン曲げがテレビで放映され、これがきっかけとなって各地に能力者が出現した。古くは明治441月の千里眼事件に触発されて、“月の裏側の念写”で有名な三田光一など、念写や透視ができる霊能者が次々と出現した。この状況と同じ)。

1870年以降、当時の一流の科学者を巻き込んだ調査研究によって、次第に心霊現象の仕組みが明らかとなってきた(注4)。この調査研究は「科学的検証を伴った心霊ブーム」に道を開いて、1882年のSPR(英国心霊研究協会)創設に繋がった。

 

D:霊との交信は科学的に証明が可能

このような多くの学者の科学的検証によって「霊魂説」が次第に「証明」されてきた。ハイズヴィル事件(1848331日)以降の「この世とあの世の交信は、科学的に証明が可能」を強調するスピリチュアリズムを、従来の自然発生的に存在するスピリチュアリズムと区別する意味で「近代スピリチュアリズム(=新スピリチュアリズム)」と呼んでいる。田中千代松著『新霊交思想の研究:改訂版』共栄書房1981年刊、8頁⑭~⑮では「死者の霊との交信が科学的に可能であるという確信の上に立っている」とある。

 

2.スピリチュアリズムの「世界観」

①.シルバーバーチの神に対する考え方

ア)創造説(注5)

A:全ての存在に宿る

シルバーバーチの「神観」は唯一絶対的な創造者が宇宙を創ったとする「創造説」の立場に立つ(1196⑤、3184⑪~⑫参照)。この立場に立って(→神とは全存在の第一原理:霊の書22④参照)、シルバーバーチは被造物のすべてに創造者である神が宿っているとして「神は全生命に宿っております。全存在の内部に宿っております。全法則に宿っております。神は宇宙の大霊です・・・神は全存在です」(5140⑪~⑫参照)と述べている。

これは全ての“存在”の中に、“霊(神の分霊:注6)”と“霊が顕現する場所(意識、霊の外皮、魂)”が二重構造(ワンセット)となって組み込まれているということを意味する。

 

B:個別霊の場合

この二重構造となっている“霊(神の分霊)”と“霊が顕現する場所(意識、霊の外皮、魂)”との関係、すなわち顕現状況は個々人によって異なっている。

霊の顕現の度合いが高い霊とは、神の属性(→親切、同情、慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善、愛など:1巻19⑧~⑨、1巻155①~②参照)が形体からより多く滲み出ている高級霊であり、低ければ「残虐性、野蛮性、傲慢さなど」が形体からより多く滲み出ている低級霊である。

 

C:動物の場合

動物の場合では“集合魂(=霊の外皮、意識、霊が顕現する場所)”に潜在している“霊”の顕現の度合いが相対的に高ければ、その集合魂(→例えば丼ぶりなどの器)から派生する“個々の存在(→丼ぶりに盛られたイクラの一粒)”がまとう物的形体は、より個別化が進んだ高等な動物となる(→遂には類魂意識を持つまでに進化して、地上世界で“個々の存在”がまとう形体は哺乳類となる)。これに対して顕現の度合いが相対的に低い場合は、集合魂を構成する“個々の存在”がまとう物的形体は、生物学でいうところの「進化体系(人間→哺乳類→鳥類→爬虫類→両生類→魚類→昆虫→単細胞生物)」の中で“低いランク”の形体をまとうことになる。

 

D:自然界の場合

当然に自然界の中にも“霊(神の分霊)”と“霊が顕現する場所”が二重構造になって組み込まれている。顕現の度合いが低ければ、地球の誕生当時に見られたような大規模な噴火・嵐・地殻変動などを伴った荒々しい表情を見せることになる。地球は誕生して以降も進化し続けている。現在では荒々しい自然現象の頻度は低くなって穏やかな表情を見せているが。

このような自然界から、人はその背後に潜在的に宿っている“霊(神の分霊)”の存在を感じ取り、畏敬の念を抱くことになる(→自由意志を持った人間世界とは異なって、自然界からはストレートに神の存在を感じ取ることができる。それが自然崇拝へと繋がった)。

 

このように霊的世界は“全存在の内部”に潜在している“霊(神の分霊)”が、“顕現する場所(意識、霊の外皮、魂)”に顕在化している度合い(0%~100%)に応じたヒエラルキーの世界となっている(→大まかにいえば「人間→動物→植物→自然」という階層構造で)。

 

イ)神と人間の間に摂理が介在する

A:公平性の確保

シルバーバーチは「摂理の神」(→神とは摂理のこと:福音47⑫参照)を強調する。図式的に言えば「神→神の摂理⇔万物」となる。この神観では「神」と「人を含む一切の万物」は直接相対することはなく、両者の間には必ず「神の摂理(=法則)」が介在する。そのため万物を分け隔てなく平等に扱うことが出来るので御利益信仰は起こりようもない。なぜなら何人たりとも「神の摂理」に則れば霊的成長がもたらされ、逆らえば霊的成長が損なわれることになるから(→いわば神の摂理という川の流れに沿って生きるのか、それとも逆らって生きるのか。そこには人間の自由意志が介在する)。

 

B:人格神の否定

シルバーバーチは、神は人間的憤怒に動かされるような人間的存在ではない(372⑨~⑩参照)とか、「生身の一個の人物を絶対服従の対象としてはいけない」(386⑫参照)、神は個的存在ではない、人物的存在でもない(11108①参照)と述べて、現人神や人格神を否定している。さらに「大霊(神)による直接の関与などというものは絶対にありません。あなた方が想像なされるような意味での人間的存在ではないのです」(到来46⑩~⑪参照)と述べて、神の直接関与(神⇔人間)を否定している。

 

神と人間との関係は「神とは法則なのです。あなたが正しいことをすれば、自動的にあなたは自然法則と調和するのです」(779⑫~80②参照)と述べているように「神⇒摂理(法則)⇔人間」である。シルバーバーチは「摂理の神」を前面に出すことによって、奇跡や依怙贔屓等による例外規定は一切存在せず、人間を含めた万物に公平に神の愛が行き渡ることになると説く。このように人間側から見れば神は法則として現れるので(→法則の裏側に神がいる)、神は法則ですと述べた(→神は全法則に宿っている:5140⑪参照)。

 

C:祈りと摂理の関係

上記のような「神⇒摂理(法則)⇔人間」という神観が普及することによって、多くの信仰者が抱いている「神⇔人間」という、人間が神に直接相対する神観は誤りであることが明らかになっていく。人が何を信じようと、どのような信仰対象を持とうと、その対象に対して何を祈ろうと本人の自由だが、祈りが霊的摂理に合致していなければ叶えられない点だけは事実である。霊的真理が普及していくに従って、この点が明確となって行く。

したがって既成宗教の神観が霊的真理に則った神観に転換されない限り(注7)、宗教の独善主義や排他主義はなくならない。このようにして霊的真理が普及して霊的観点から見た“本来の神観”が理解されるに伴って、従来の“御利益信仰的な神観”が質的に変革されることになり、地上世界が大きく変わっていくことになる。

 

D:祈りの対象と忠誠を捧げるべき対象

シルバーバーチは祈りの対象は神であると述べる(11113⑩~⑪参照)。なぜなら祈りとは、神の分霊である自己とその始源との一層緊密な繋がりを求めるための手段であるから(12125⑪参照)。従って神の使者である高級霊やイエスを祈願の対象とするのは間違いとなる(語る159⑦参照)。

 

これに対してシルバーバーチは忠誠を捧げるべき対象を「宇宙の大霊すなわち神と、その永遠不変の摂理」(メッセージ165⑮~⑯、7207③~④参照)であると述べて、祈りの対象とは区別して用いている。なぜなら祈りの照準は当然に「神」でなければならないのに対して、個別霊が永遠の旅を続けていく為には「流れに乗る」という意味で「摂理」に合わせる必要が出てくる。そのため忠誠の対象として「神」に「永遠不変の摂理(統治の手段)」が加わった。

 

②.霊界人の神観

ア)神はその働きによって知るのみ

肉体をまとった人間的存在の段階では直接に神を認識することは不可能である。一方霊界人にとっても「神はその働きによって知り得るのみ」であるという。シルバーバーチの霊性レベルでさえも「私はまだ宇宙の最高の顕現を見たと宣言する勇気はない」(6128⑨参照)として、神の最高の顕現を見ることはできないと述べている。

 

イ)比喩「曇り空でも太陽の存在は感じられる」

モーゼス著『霊訓』のインペレーター霊によれば「(地上にいた時より)神については(多くを)知ることを得た。が、神そのものを直接には知りえぬ」「われらにとっても神はその働きにより知り得るのみ」(霊訓上38⑬~⑮参照)と述べる。さらに「たとえ(神を直接に)拝したことはなくとも、われらはその御業を通じて神の奥知れぬ完璧さをますます認識する」「われらは無数の方法で、その存在を認識する」(霊訓下31④~⑥参照)という。

 

一般に用いられている比喩を使って表現すれば、「雲が重く垂れこめた曇天の日や雨の日であっても、私たちは昼間の明るさを通して太陽の存在を実感として感じ取る。雲に隠れているから、雨が降っているからといって太陽は存在しないとは誰も言わない」となる。

 

3.基本的な霊的法則

①.因果律

ア)因果律の目的は霊性の進化

国語辞典では「因果律とは一切のものは原因があって生じ、原因が無くては何ものも生じないという原理」(広辞苑)とある。

シルバーバーチは「(因果律とは)原因はそれ相当の結果を生み、自分が蒔いたタネは自分で刈り取る」(182③~④参照)ことであり、数多くある霊的法則の中でも基本的な法則の一つである。そして因果律の根本には霊性の進化という目的があるため(1180⑥~⑦参照)、高級霊といえども“原因と結果”の過程に介入することは出来ないという(7186⑪~⑫参照)。そのため行為者は永遠の旅路のどこかの時点で、必ず「蒔いたタネの刈り取り」を行うことになる。必ずしも短い「地上生活期間中に(因果律が)成就されるとは限らない」(1179⑪~⑫参照)と述べる。

 

イ)「因・縁・果」の関係

A:仏教の「因・縁・果」

百科事典の解説では「(仏教では)因と果との直結を排して、その間に条件をたてる。その条件を縁と言う」(日本大百科全書)との記載がある。例えば“モミ(因)”を蒔いても、それだけでは“稲穂(果)”は実らない。タネを蒔いてそこに“日光、水、土、温度などの条件(縁)”が全て揃って、初めてモミは芽を出し成長して稲穂となる。この「因と縁と果の関連が仏教思想の根幹にある」(日本大百科全書)という。

 

B:シルバーバーチの「縁」の解説

私たちの日常は絶えず「原因」を作り、その「結果」を刈り取りながら生活をしているようなもの(→暴飲暴食はやがて体の不調となって表れる)。何らかの摂理違反行為という「原因」を作れば、それは本人自身が必ず返済していかなければならない。その返済は「条件(霊的条件、物的条件)」に応じて異なるが。

 

シルバーバーチも“条件(縁)”については「種を蒔きさえすれば芽が出るというものではない。芽を出させるだけの養分が揃わなくてはならない。養分が揃っていても太陽と水がなくてはならない。そうした条件が全部うまく揃った時にようやく種が芽を出し、成長し、そして花を咲かせる」(163⑫~64①参照)と述べる。

このように宇宙は「原因と結果の法則(=因果律)」を基本として形成されているので、何らかの原因を作れば機械的に相応の結果が発生するのが原則である。しかし条件(=縁)によってはその表れ方(=結果)が法則の範囲内で異なって出てくる。

 

ウ)因果律は国家や民族に対しても働く

戦争や過去の植民地支配などによって引き起こされた行為は、当然に個人の集合体である国家や民族に対しても何らかの結果(→植民地宗主国に見られる負の遺産など)となって返ってくる(482①~②、433⑮~34①参照)。霊的摂理に逆らった行為を行えば、その行為の主体が「個人・集団・民族・国家」を問わず、いつかはその代償を支払わされることになるからである(語る93⑨~⑩参照)。

 

エ)複合的に働く因果律

個々人は自分の周りで複合的に働くカルマ(→民族・国家・地域・家などに働く因果律)を駆使しながら、自らが持って生まれてきたカルマの解消を図っている。

私がある国家や民族の下に生まれてきたと言うことは、その国家や民族が過去に作ってしまったカルマを“大枠”として用いながら、その枠組みの中で自らのカルマの解消を図っていくということである(→因果律の大枠による縛りの強弱は、市井で暮らす庶民であれば影響は薄いが、国家の意思決定の過程に直接携わる国家公務員であれば縛りは強い)。このように複合的に働くカルマを駆使しながら自らの霊性の向上に努めている。

 

例えば対外折衝という形で国家の意思決定に携わる国家公務員は、相手国との粘り強い交渉という“外交の場”を使いながら、自らが有するカルマの解消を図っていく。その他の国民は“重苦しい時代の空気(→例えばコロナ禍を生きる、近隣諸国との緊張関係の中で生きるなど)”を受忍するという行為を通して、その受忍の過程で自らが有するカルマの解消を図って行く。それを通して過去に国家が作った“縺れた糸”をほぐしていくという形で。

 

オ)「因果律の拡張」と「業因縁の継承」について

A:「家」の観念

日本に於いて見られる独特な因果律は、「仏教の縁起(因縁生起)」に「先祖崇拝思想」と「家の観念」が結びついて、国民の間に広く受け入れられてきたもの。この中の「先祖崇拝思想」は考古学の調査(→石と墓の配置など)から、既に縄文時代にはその痕跡が見られると言う。

 

江戸時代の「家制度」は「家禄制度」と結びついた武家階層や朝廷に仕える公家から始まり、徐々に豪商や豪農に広がったが、名家でもなく資産も無い大部分の庶民には初めから無縁な制度であった。それが明治31年(1898年)制定の明治民法によって、全国民を対象とした「家制度」が創設された(→戸主に家の統率権限を与えた制度)。明治民法の制定によって、日本における「家制度」は従来の「上層の家」から「庶民の家」へと拡大された。

この「家制度の拡大」につき著名な民法学者の中川善之助氏(1897年→1975年)は次のように述べている。「日本には二つの家族観がある」「一方に由緒正しき家系の名家名門である上層の『家』を基準に考えるもの、他方に戸主も家族も働いて共同生活をまっとうしている庶民の『家』を基準に考えるものがある」。

 

B:自己責任の原則

宗教では「先祖から流れてきている悪因縁は、身内の誰かが消さなければならぬ」として、この流れを断ち切るには「布施心が悪因縁を解消する最も良い方法」であると言われている。世俗的な心霊の世界でも、頻繁に「親の因果が子に報う(→先祖が犯した悪い行いが原因で、何の罪もない子がその報いを受けて不幸になる)」が説かれている。

 

これに対してシルバーバーチは「原因を作った者は自ら償いをして刈り取る」という「自己責任の原則」(6巻58①~⑧、59⑫参照)を述べている。この「自己責任の原則」から見れば、孫は祖父が蒔いたタネ(原因)を祖父に代わって刈り取ることはできない。祖父が作った原因は祖父自ら何らかの形で、霊界でまたは再生して刈り取りをすることになる。

 

孫は再生するに当たり、自身のカルマを解消するために日本という民族集団が有する大枠としてのカルマを使って、さらに「名門の〇〇家」に生まれて、この家に存在する“カルマの流れ(→例えば代々の当主は極端な吝嗇家で傲慢な人であり、それによって作り出された家にまつわるカルマ)”を利用しながら、自分自身のカルマの解消をはかるのが最も適していると判断して再生したもの。血縁を重視して「名門の〇〇家」に再生したのではない(→通常は祖父という霊魂と孫という霊魂の間には血縁関係はないから)。

このように一般に言われている「因果律の拡張、業因縁の継承」は、シルバーバーチが述べている「各自が各自の人生の重荷を背負う」という因果律の原則から見ると問題がある。

 

②.一般的な愛

ア)愛の多様な形態

A:愛は全ての根源

愛は宇宙の原動力であり全ての根源となっている。例えばキリスト教文化圏では「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ福音書22㊴参照)という「隣人愛」があり、これが道徳・哲学・宗教等いずれの立場からも最も根源的な観念の一つとされている。儒教文化圏の東洋にも「仁(→血縁に根差す愛)」「仁道(→仁を無縁の人にまで広げていくこと)」「慈愛」といった観念がある。シルバーバーチも同様に「愛が全ての根源です。人間的愛はそのほんのささやかな表現に過ぎませんが、愛こそ神の摂理の遂行者です」(1巻60⑭~61①参照)と述べている。このように愛は世の中の全ての根源となっている。

 

B:進化レベルの距離間に応じた「愛」の感じ方

一般にお世話をする者とされる者との“進化レベルの距離”が近い場合、例えばペットの犬や猫に対して、飼主が愛情を込めて世話をすれば、愛くるしい動作を伴った反応が返ってくる。お互いに「愛」を仲立ちとした良好な関係が築かれている。これに対して進化レベルの差が大きい爬虫類のトカゲや両生類のカエルをペットとしている場合ではどうか、当然に反応は鈍いであろう。さらに進化レベルに差がある昆虫の鈴虫の場合はどうか。飼主が与える餌や飼育環境の整備(→飼育箱の掃除や温度管理など)などを鈴虫の視点から見れば、時間になると餌が出て来たり清掃されていたり、また温度が一定に管理されていたりと、鈴虫に感受性があれば一種の“法則性”として感じるのではないだろうか。

 

このように人間と相手の“進化レベルの距離”が大きければ大きいほど、受け止められ方の違いは大きい。両者の距離の隔たりが大きいほど相手は人間の行為を愛情としてではなく、むしろ“無機質な法則”として受け取るのではないだろうか。

 

C:一本の線で「愛」を表現する

次に一本の線を引いて、線上の左端には物質性を帯びた究極の「利己的な愛(→束縛する愛、血縁や仲間重視の愛)」を置き、線上の右端には「利他的な愛(→与えるだけの愛)」の極致である“神の愛”を置く。ここでは「私(→線上の任意の一点に私を置く)」を起点にして、進化レベルの高い霊との関係で「私が感じる主観的な愛」がどのように変わっていくのかを見て行く。

この線上を物質性の濃い左端に行けばいくほど、「愛の表現」に利己性や特殊性が帯びてきて、そこに何らかの物質的見返りが伴ってくる(→お金、モノ、保護などの対価)。一方右に行けば行くほど愛に内在するところの利己性が薄れてきて、利他性が増して普遍性を帯びてくる。受け取る「愛」の対象者も特定の個人から、万人に、すべての生き物に、自然に、宇宙へと拡大して行く(注8)。

 

D:高級霊の「愛」

霊界通信で定評がある『シルバーバーチの霊訓』や『モーゼスの霊訓』を読んでみれば、高級霊の「愛」には普遍性が伴っていることが分かる。例えば人間の自由意志を尊重して「どうぞご自分の信じる道を歩まれるがよろしい」と突き放した言い方をする場合がある。手取り足取り手助けしてくれるのが「愛」だと思っている、依存心の強い生き方をしている人にとっては、自由意志を尊重する高級霊の「愛」からは一種の冷たさが感じられるのではないだろうか。高級霊レベルの「愛」でさえ、万人が等しく「愛」として感じるわけではない。

 

さらに「超高級霊の世界」に行けば「愛」を受け取る対象がさらに拡大して、愛に内在する“規則性・公平性・普遍性”といった無機質さが前面に出てくる。このように考えると究極的な「愛」の表現は“法則”となっていく。この“法則”として現われた「愛」が不完全な世界に行くに従って、“法則”の裏側に隠されていた温かみが表面に現われてきて(→愛する者と愛される者との距離が近くなるから)、次第に「愛」に個別事情と言った特殊性が帯びてくることになる。

 

このように霊的進化を一本の線で表せば、その線上のいずれかの位置に個別霊は位置している。線上の右端に位置する神は(→厳密には創造者であるため線上の欄外に置かれるが)、宇宙を統治する仕組みとして「神→法則(摂理)⇔万物」を創った。その仕組みの背後には、万物が平等に霊的成長を果たすための“究極の愛”が隠されている(→なぜなら「愛とは摂理のこと、神そのものが愛」。すなわち「神=愛=摂理」だから:8126⑪~⑫参照)。

 

イ)血縁重視の利己的な愛と利他的な愛

愛には普遍性を帯びた高い霊性を伴った愛から、血縁関係から発する“閉鎖的で内向的な愛”まで幅広く存在する。家族的な絆に根ざした血縁的な愛よりも「奉仕的精神から発動した愛」には、行為の純粋さが高い分だけ“神の属性(→愛・寛容さ・叡智・親切・優しさ・思いやりの心など)”がより多く顕在化している。なぜなら排他性を帯びた内向的愛よりも発展性がある外向的愛の方が、利他性指向が強い分だけ上だから(1145⑪参照)。

 

ウ)地上に通信を送る霊

シルバーバーチは次元の異なる地上に通信を送ることは「(霊的波長から物的波長への切り替えを伴うことから)容易なことではない、大へんな努力を必要とする」ので、通信霊は必然的に「愛念を抱く者に限られる」(189⑨~⑪参照)と述べている。従ってこのような困難を乗り越えて地上に送られてくる霊界通信の多くは、未だに意識の関心が地上に向いている、物質臭が抜けきらない幽界の下層界に居住する血縁の霊からの通信である。ここに血縁重視の霊界通信が多くなる理由がある。これは高校に進学した生徒が中学時代のクラスメートや部活の後輩の面倒事に、自分の休みを犠牲にしてまで駆け付けて世話を焼きたがる意識状態と似ている。

 

霊的自覚が深まるにつれて上昇志向が強まって、次第に地上への関心は薄れて行く。そのため自覚が芽生えた霊からの通信は減っていく(→傾向として地上への通信は、霊に何らかの使命がある場合に限られてくる)。

 

③.自由意志

ア)自由意志を使って霊性の向上を目指す

霊的摂理の中に「自由意志の行使」という法則がある。人間はロボットではないので、一定の枠組みの中で神からの授かりものである自由意志を有している(3162⑨、435④参照)。これを用いて自らの判断で行為を行うことによって霊性レベルのアップをはかっている。当然にその使用法を誤れば霊性の停滞を招き、それ相応の責任が発生する。これは個人であろうと国家であろうと同様である(3162⑩参照)。

 

イ)自由意志と宿命との関係

A:再生テーマの設定

しばしば自由意志と宿命との関係が問題となる。再生に際して「本来の私(=自我の本体)」は指導霊の助言を得ながら「出生に際してのテーマ(=再生テーマ)」を設定する。テーマには二つの側面がある。まず潜在的完全性である“霊”を(→本来の私に内在する神の分霊を)、霊の外皮(=魂、意識の領域)により多く顕在化させるために「新たな地上体験を積む」という側面(→潜在的大我の発達にとって必要な資質を身に付ける:1109⑧参照)。次に「地上でしか償えない霊的負債の完済を図ること」という側面がある。

 

B:「本来の私」の自由意志

これらのテーマを再生人生の中で達成するため、「本来の私」は最も適した「試練、寿命、性別、両親、体質など」を自由意志で選定する。なお過酷な体験の中で“再生テーマ”をクリアしていく道を選択した場合には、当然に背負うハンディキャップは厳しいものになる。

 

C:「現在の私」の自由意志

地上に誕生した「現在の私(=本来の私の一部)」は、「本来の私(=自我の本体)」が自由意志で設定した大枠としての地上人生に沿って(→この大枠は現在の私から見れば宿命となる)、遭遇する試練に対して“現場サイドの自由意志”を行使しながら乗り切る(→運命づけられた一定のワクの中で自由意志が許されている:485①~②参照)。その過程で“再生テーマ(→新たな地上体験を積むことや、カルマの解消を図ることなど)”の達成を図っていくことになる。

 

D:ハンディキャップの二面性

なお地上人生を歩む上で課せられたハンディキャップには(→例えば身体障害など)、自らのカルマの解消の為であると同時に、一般人に対して“利他的行為を誘発させる(→いわゆる菩薩行のこと)”という二面性がある。なぜなら関わりを持った周囲の人の冷淡な行為は、それぞれの人にとって霊的エネルギーの流入経路の目詰まりを引き起こし、その結果として当人たちの霊的成長を阻害することになるから。

 

ウ)自由意志の行使という二つの側面(注9)

このように「本来の私」から見れば、あらかじめ地上で辿る“大枠としての地上人生”を承知して誕生することになる(1109⑦~⑩参照)。これを「現在の私」から見ればこの大枠(=宿命)は“背負わされた荷物”ということになる。

再生に際しての自由意志の行使の問題は、まず「本来の私(=狭義のインディビジュアリティ)」が行使する側面と(1109⑨参照)、他方「現在の私(=パーソナリティ)」が行使する側面の二方面から考察する必要がある。後者はいわば“現場サイドの自由意志”である。

 

自由意志は「本来の私(=狭義のインディビジュアリティ)」という意識(=魂:語る425⑦参照)が進化した分だけその行使範囲は広くなる(164⑩~⑫参照)。その結果として“現在の私”が行使できる“自由意志(=現場サイドの自由意志)”の行使可能性の限界がそれだけ拡大する。

 

④.親和性

ア)基本的な法則

A:最初の一歩は地上人が行動で示す

霊的摂理に「親和性の法則」がある。これは霊的成長度が同じで親和性を有する者との交流が日常的に行われている霊界では基本的な法則だが(最後啓示149①参照)、霊界とこの世との間でも「親和性の法則」は働く(5234①~③参照)。

 

例えば人の為という利他的な願望は、自動的に同じ願望を抱く霊界人を引き寄せる(129⑤~⑥、217⑤~⑥参照)。そのプロセスを見ると、まず霊界人を引き寄せる為の“何らかの利他的な行動や強い思い”が地上人側に先行して存在する必要がある。最初の一歩は地上人側からであり、「必要な条件を人間側が用意する」ことから始まる(2209⑨参照)。なぜなら地上人の利他的な行動や思いに共鳴した霊界人が親和性によって引き寄せられるから。霊界人から見れば地上人の霊的成長度はオーラから一目瞭然にわかるので、それだけの“資格”がなければ霊界人は引き寄せられない。これが基本となる。

 

B:何のために霊界人は地上人を指導するのか

地上人が人のために行う利他的行為は、地上人のみならず霊界人にとっても霊性向上のチャンスとなるので、同じ願望を持つ霊界人を引き寄せることになる。なぜなら親和性によって引き付けられた霊界人は、地上人の“利他的行為を援助する”という行為を通して、自らの霊性レベルを引き上げることができるから(→霊界人も霊性向上のため常に“人世のため”に働くことを願っている)。そのため霊界人はたえず霊的エネルギーの“通路・道具”となる協力者を求めている。

 

C:「引き寄せの法則」の問題点

巷には「思いは現実になる」を応用して、これを「成功法則」とうたったセミナーや解説本で溢れている。それらには「お金の引き寄せ」「恋の引き寄せ」「思い通りの進学先や就職先を実現させる」等のタイトルが並んでいる。当然に引き寄せる対象は、物質性が強いこの世的なモノで利己的な願望である。

 

利他的願望は霊性向上の為の動力源となり、利己的願望は物的世界に縛り付けるという原則から見ても、巷にあふれている「引き寄せの法則」には問題がある。そこには地上世界は霊性レベルを向上させるために、物的体験を積むための「学校」と言った観点や、各自が遭遇する困難や障害は“魂の磨き粉”であると言った観点は全くない。

このような地上人が己の利己的願望達成の為に引き寄せる霊界人とは、親和性の法則から見て物質臭の強い低級霊や地縛霊(→いまだ死んだという自覚のない霊)である。引き寄せる人の体質によっては(→霊的に敏感な体質者の場合)、良からぬ影響を受ける場合がある。

 

イ)憑依(親和性の法則の一種、負の親和性)

A:意識の振れ幅

地上の人間の一日は、高尚な意識状態から動物性を過度に発現させた意識状態の間で、絶え間なく揺れ動いている。人の魂を揺さぶる行動や話を見聞きすれば意識は高揚する。これに対して過度のアルコール摂取は、自らの“理性の蓋”を開放して動物性を強く発現させることになる。このように人間は意識の揺れ幅の状態に応じて、あらゆる霊的レベルにある霊からの影響力にさらされていると言うことが出来る。しかし「実際に引き寄せるのは自分と同じ霊格を持った霊だけ」(894⑭~⑮参照)であり、「両者の間に親和関係がある場合に限られる」(語る435⑦~436③参照)。

 

B:マイナス作用の親和性(注10)

親和性の法則には、原因があればその“原因の性質”に応じた「親しみ結びつきやすさ」という関係がある。原因を発する者の行為や言動に応じた霊界人が引き寄せられるという関係は憑依現象にも言える。なぜなら憑依現象は親和性が“マイナスの作用”となって表れたものだから。これに対して霊界人の援助は親和性が“プラスの作用”となって表れたもの。

 

親和性があると言うことは人間の堕落した生活が同類の邪霊を引き寄せることになるので、人間の側から餌をまかなければ憑依は防げることになる(霊訓上48⑫~⑭、50⑥~⑧参照)。シルバーバーチは「自分は大人物であると思い込んでいる人間、大酒飲み、麻薬中毒患者などがこちらへ来ると、地上で似たような傾向を持つ人間を通じて満足感を味わおうとするもの」(5234⑦~⑨参照)と述べる。

 

C:顕幽の悪循環を断ち切る

高級霊は「地上の罪悪と悲劇の多くは邪霊が同種の人間に働いた結果に他ならない」(霊訓下156②~③参照)ので、その「悪循環を断ち切る方法は人類全体の道徳的意識の高揚と物的生活の向上に俟つほかない」(霊訓上50②~③参照)と述べる。地上においては霊的知識の普及活動、そして知識を日常生活に活用する為の実践活動が、連鎖を断ち切る為の喫緊の課題となっている。

 

この地上人と霊界人の関係を物理の「音叉(おんさ)」の実験に例えて見れば良く分かる。固有振動数が同じ共鳴箱付き音叉を二つ用意して、片方を鳴らすと空気の振動を伝わって他方の音叉もなり始める、音叉の固有振動数が違う場合は共鳴しないという現象と同じである。

 

⑤.知識には責任が伴う

シルバーバーチは「知識には責任が伴う」(153②、9135③参照)と述べる。スピリチュアリズム思想を学んで知識の分量を増やしていくと、次第にその人の生き方が問われてくる。生き方の「質的な転換(知識から生き方へ)」が求められてくる。学んだ霊的知識を日常生活の中に反映させる生き方が求められるから(383⑦参照)。

 

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<注1>

1923年にベルギーのリエージュにおいて結成された国際スピリチュアリスト連盟(ISF: International Spiritualist Federation)は、その規約に基本原則が定められている。この基本原則は第二次世界大戦後の会議で加盟団体の立場を考慮して、「死後も個性は存続する」と「あの世とこの世は交流している」の二箇条に変更になっている。この基本原則から見てもISFは「霊魂説」を肯定する加盟団体の集合体であることが分かる。

 

<注2>

■実証重視の世界

心霊研究は懐疑論者を相手にする既成科学の世界を目指していたため、より厳密に実証性を追求する道を選ばざるを得なかった。そのためSPR(英国心霊研究協会)は懐疑論者の数々の批判に応えるために次第に「証明のハードル」を高くしていった。研究には「詐術や錯誤」を排除するために「徹底した懐疑的態度」と「実証主義で科学的精神に徹した調査研究方法」が導入されて、極めて厳しく管理された実験が行われるようになっていった。

なぜなら心霊現象を学問領域に取り込んで、公認された学術の世界で認知させるためには、不思議な現象にまつわるところの「詐術や錯誤」を注意深く排除して、事実の確認の上に立つ研究態度は欠かせないから。

 

■信念重視の世界

スピリチュアリストたちが住む世界は、信念重視の世界であり、そこでは「生き方の問題」に重きが置かれている。そのため日常的に懐疑論者の眼を意識しなくてすむため、既成科学では証明がつかない「直感による証明」であっても良く、証拠は信念を補強するための役割を担うに過ぎない。このように「証拠に関する考え方」は、実証重視の心霊研究者と信念重視のスピリチュアリストでは大きく異なってくる。

このような立場の違いからスピリチュアリストは、心霊研究者の「徹底した懐疑的態度」と「実証主義で科学的精神に徹した調査研究」に見られる態度、このような執拗なまでの「入り口部分」に対するこだわりには付いていけないという気持ちになってくる。

 

<注3>

■平凡社『哲学事典』1985年刊、「霊魂不滅」の項目参照。

 

<注4>

心霊現象の解明に貢献した主な科学者は以下の通り。

◆ウィリアム・クルックス

世界的に著名な物理学者(→元素タリウムの発見者、クルックス管の発明者)のウィリアム・クルックス(1832年→1919年、英国)は、1870年代に空中浮揚で有名な霊媒のダニエル・ホーム(18331886英国)や、霊媒のフローレンス・クック(18561904英国:→ケティー・キングという霊をエクトプラズムによって完全物質化させた霊媒)を調査研究した。

 

◆シャルル・リシェ

1913年にノーベル賞(生理・医学賞)を受賞したシャルル・リシェ(1850年→1935年、仏国)は多くの霊媒を調査して、物理的心霊現象は霊媒の体内から出る“半物質状の透明な物体”がさまざまな形に変化して、それが物質化して現象を起こすことを突き止めた。その半物質状の物体を「エクトプラズム」と名付けた(デボラ・ブラム著『幽霊を捕まえようとした科学者たち』文芸春秋刊259頁~262頁)。

 

◆オリヴァー・ロッジ

電磁波を研究して検波器(コヒーラー)を発明して無線通信の発展に寄与した著名な物理学者のオリヴァー・ロッジ(1851年→1940年、英国)は、心霊現象や霊界通信を徹底的に研究した。そして「親を、子を、夫を、同胞を、あるいは友人を失える人々よ、悲しむなかれ、彼らは皆生きている」(オリヴァー・ロッジ著、野尻抱影訳『レイモンドー死後の生存はあるか』人間と歴史社1991年刊、“訳者の序”参照)と述べて、「死後個性の存続(→死後も個性を持った“私”は生き続ける)」を主張した。

 

<注5>

■創造論(創造説)は「ダーウィン的な進化論を否定して、神による天地創造を主張する」説。一般に創造論はキリスト教の『聖書』に書かれていることは事実である(→『聖書』の記述は一言一句事実であるとする立場と、記述を象徴的に理解する立場とが存在するが)という前提に立って述べられているので、現状は「創造論者とはキリスト教徒のこと」を指す言葉になっている。しかし創造論者には大きく分けて二つの立場が存在する。

 

まずキリスト教の『聖書』とは関係なく、神の存在と神の創造を認める立場の「宗教や思想」がある。創造説に立つスピリチュアリストはここに含まれる。これを「広義の創造論」と呼ぶことにする。これに対してキリスト教徒の『聖書』をベースにした創造論を「狭義の創造論」と呼んで区別することにする。この「狭義の創造論」の中にアメリカで興隆を極める独断的で原理主義的な「特殊創造論者」がいる。そのため近年では創造論は極めて狭義の意味で使用されるようになってしまった。

 

■有神論的進化論の立場に立つ遺伝学者のフランシスコ・コリンズは「過去100年余り“創造論者”という言葉は、理神論者や有神論者を含む広い意味としてではなく、一部の特定層を指す言葉として乗っ取られ、固有名詞化されてしまった」と述べて「特殊創造論者」を批判している(フランシスコ・コリンズ著、中村昇・中村佐知訳『ゲノムと聖書』NTT出版2008年刊168頁)。

 

<注6>

■一般に「霊」という言葉は次の三つの用例で用いられている。

まず「①神の分霊」として、次に「②普遍的要素としての霊(一般的な霊、宇宙に遍満している霊、霊の海、霊力など)」という用語で、さらに「③人間は個別霊」という形で用いられている。このように同じ「霊」でも意味内容が異なる。文脈からどの「霊」を指しているのかは各自で判断しなければならない。

 

<注7>

GV・オーエン著、近藤千雄訳『ベールの彼方の生活、4巻』潮文社(4231②~⑤)に次のような一文がある。「キリストは唯一の絶対神ではありません。至尊至高の神性を具えた最高神界の数ある存在のお一人です。父と呼んでいる存在はそれとは別です。それは人間が思考しうる限りの究極の実在の表現です。従って父はキリストより大であり、キリストは父に所属する存在であり神の子です」(下線部分は筆者記載)

 

■一つの考え方

宇宙の中で地球は極めて物質性の濃い「人間的存在(→霊的成長に物的体験を必要とする存在。霊的身体と中間物質と物的身体がセットになって体験を積む個別霊)」が住む惑星、戦争ばかりしている霊性レベルの低い惑星である。

シルバーバーチが述べた「イエス崇拝(キリスト崇拝)」の誤りは(3104⑨、5206⑧~⑪参照)、霊界を会社組織に例えて見れば良く分かる。平社員は日常の仕事の指示は直属の担当課長から受ける。だからと言って平社員は上司である課長を崇めたりはしない。なぜなら会社組織の中では社長がトップであり、課長は中間管理職に過ぎないことが分かっているからである。

 

ビジネスの世界では業績の悪い“問題ある支店”には、本社から実力者の課長や部長などが支店長として送り込まれて来て、新任の支店長の下で組織の建て直しが行われる。

今回“宇宙という名の〇〇会社”では、問題児の“地球という名の支店”を根本から改革して業績の回復を図ることにした。そこで本社では“支店の責任者(支店長)”に実力者の課長(あるいは部長)を送り込んできた。本社から送り込まれてきた実力者の支店長がナザレのイエスである。イエスが中心となってまとめた“地球という名の支店の再建策”が本社の取締役会で了承された。この“再建策”とは、地球時間の2,000年前から顕幽の両界で始まった地球を霊的に刷新する運動、つまりスピリチュアリズム普及運動のことである

 

この“地球を霊的に刷新する運動”の責任者であるイエスは、“宇宙という名の会社”の職制から見れば中間管理職である支店長にすぎない(→潜在的完全性が意識の領域に顕在化している割合は地球レベルでは最大だが。その為『ベールの彼方の生活』では「最高神界の数ある存在のお一人」と表現している)。その支店長イエスの下に建て直しを任された直属のプロジェクトチームが作られた。そのメンバーの一人であるシルバーバーチは、支店長にすぎないイエスが崇拝される風潮に対して、崇拝の対象は“宇宙という名の会社”のトップである社長に捧げるべきと述べた。イエスは2,000年前にナザレのイエスとして地上生活を送り刷新運動の口火を切った。その業績によって潜在的完全性を意識の領域に大きく顕在化させた(→例えば顕在化率が従来の50%から60%へと)。文献には「大霊の顕現としては地上界が賜った最大級のもの」「霊界に戻りその霊格は飛躍的に進化を遂げ、地上時代とは比較にならないほど意識の次元が高くなっている」とある(語る161③~⑨参照)。

 

■「指導霊信仰」批判

A:指導・監督に誤りを犯すことがある

霊的な理解は個別霊の霊的発達程度に応じたもの、霊性レベルに応じた理解となる。そのためその霊の霊的レベルが理解力の限界となるため、高級霊といえども完璧ではない(→意識の領域に“霊”の顕現の度合いが50%程度である霊は、摂理に対する理解力も50%程度にすぎない)。シルバーバーチは「これまでに到達した限りの位置から見ると、まだまだその先に別の頂上が見えている・・・私はまだその細部のすべてに通暁しているなどとはとても断言できない」(6128⑨~⑫参照)と述べる。この発言からも摂理に対する理解力は霊性レベルに応じた理解であることが分かる。そのため高級霊といえどもケースによっては指導や監督の際に誤りを犯すこともある(→私たちスピリット自身も誤りを犯す存在である:6207④~⑧参照)。絶対に誤りを犯さないのは創造者の神のみ(818⑤~⑥参照)。

 

B:指導霊は崇拝されることを望まない

シルバーバーチは常々指導霊は崇拝対象とされることは望まないとして、「指導霊の資格を得た霊は自身が崇拝の対象とされることは間違いであるとの認識を持っている」(821②~③参照)と述べる。指導霊は最終的な責任者ではないからとして、シルバーバーチは「指導霊崇拝(818③参照)」や「イエス崇拝(3104⑨、5206⑧~⑨参照)」等の「高級霊崇拝(高級霊信仰)」を批判している。

 

C:高級霊は取次役である

前述したようにシルバーバーチは「崇拝の対象は神」(1118②参照)であり、「忠誠を捧げるのは神とその永遠不変の摂理」(498⑤~⑥参照)と述べて、両者を使い分けている。日本的な心霊の世界では、霊能者は神と共に自分の指導霊も崇拝の対象としていることが多い。さらに多神教の世界ではスピリチュアリズム的に言えば自分より上位にある“修行途上にある霊(→いわば八百万の神)”も崇拝の対象としている。一つの解決策として指導霊は“取次ぎ役”である、あくまでも自分の一歩前を歩む“先達”との認識を持つことが、指導霊崇拝に陥るのを避けるポイントになる。

 

<注8>

■正三角形を使った例え

利己性や特殊性を帯びた「愛」が、次第に「愛の表現」に普遍性を帯びてくることは、正三角形を使った例えからも説明が出来る。一本の直線を引き、この線の中心に「私」を置く。この「私」から上に向かって垂直線()を引く。「私」の真上の垂直線上にAを、少し高い位置にBを、さらに高い位置にCを、さらに高い位置にDを置く(→霊格はABCDの順に高くなる)。Aは「私」のすぐ上にいるので、「私」はAの愛を一身に受けとめることが出来る(→この関係は母親と第一子の間に見られる)。

 

次に垂直線上のBを起点に正三角形を描く。すると「私」を含めた一定の長さを持った底辺が出来る。Bから「私」が受け取る主観的な愛は、一対一のAの愛よりも希薄化する(→母親と五人の子供の関係。母親の子どもに注ぐ愛は変わらないが、第一子が受け止める主観的な愛は希薄化する)。このBの愛を仮に「血縁者の愛」とする。

同じくCを起点に正三角形を描く。「私」を含めたさらに長い底辺が描ける。Cから受け取る主観的な愛は、愛を受け取る対象者の拡大によってBの愛よりもさらに希薄化する。Cの愛には普遍性が帯びてくる。

 

さらに高い位置にいるDを起点に正三角形を描く。「私」を含めたさらに長い底辺が描ける。愛を受け取る対象者は万物に拡大する。Dから「愛」を受ける「私」にとっては、これは一般にいう所の「愛」とは呼べない別物と感じる。このように「利己性や特殊性を帯びた一対一の愛(私とAの関係)」は、対象者の拡大によって次第に「普遍性を帯びた愛(私とBやCの関係)」に変わり、最終的には「法則としての愛(私とDの関係)」になっていく。

 

<注9>

■潜水具を使った例え

19世紀、海底での作業は困難を極めた。海上に停泊している支援船から伸びた呼吸用のホースを、頭部をすっぽりと覆う鋼鉄製の器具(→金魚鉢をひっくり返した形状)に接続して、それを頭部に装着して海底作業を行っていた。これを例にして説明する。

 

Aは地上世界で生活(→いわば“海底”での作業)するためには肉体をまとって(→潜水具を装着して)、本来の意識レベルを落として地上体験を積まなければならない(→海底で体感する水圧と酸素不足から朦朧とした意識状態の中で、予め決められた手順で作業を行う)。肉体(→潜水具)は「本来の私A」が地上世界で自己表現(→海底作業)するためにまとう形体である。Aはもどかしい状態の中で地上体験を積んで、寿命がきて霊界に帰り本来の意識状態を取り戻す(→作業時間が経過して支援船に戻る)。

 

この海底で作業をしている制約された私の意識状態を「現在の私:A-1」とし、作業を終えて支援船に戻ったときの私の意識状態を「本来の私:A」とする。意識面から言えば「A-1」はAの限定された意識であり(→酸素不足でもうろうとした状態にある意識)、「本来の私:A」の意識の一部と言える。この「A-1」の作業能力の限界は、潜水具の性能向上にもよるが、Aの持つ能力(→霊的レベル)が限界となる。

 

<注10

■憑依現象

霊界通信では霊媒の潜在意識にある言葉や概念が使われるが、通信霊はイメージしづらい固有名詞を霊媒に伝えるのに難航するという。

霊的世界に移行後さほど時間がたっていない霊の場合や、物質臭が極めて強い幽界の底辺部分で生活する霊にとっては、同じような“受け皿(→長年に亘って形成されたマイナスの性格傾向は、その人の潜在意識にパターン化されて組み込まれている)”を持った地上人には影響力を行使しやすいという特徴がある。死後間もない霊や幽界の底辺部分にいる霊と地上人との間に、共通の文化・思考法・似たような地上体験などがあれば、憑依は殊更に簡単に行えてしまう。

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

 

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