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第2講:スピリチュアリズムから見た「死」とは <講義用ノート>

目 次

1.他界観

①.日本的他界観とスピリチュアリズム的死生観

・日本的他界観

・日本の伝統的な霊的世界観

・スピリチュアリズムの考え方

②.個別事例の検証

・「夢枕に立つ」現象

・「お迎え」現象

 

2.多様な「死」

①.「死」とは何か

・死の判定基準

・霊界側から見た「死」とは

②.不慮の死(急死・事故死・戦死)

・死者の状態

・霊界の病院

③.意識的に命を絶つ行為(自殺、殺人、死刑)

・「学校」を中退する

・自殺の場合

・殺人の被害者の場合

・死刑の場合

④.ニュースで話題となっている「死」

・受胎とは受精時のこと

・出生前診断、着床前診断、体外受精、受精卵の研究

・罪悪感のある妊娠中絶

・安楽死、延命処置、尊厳死

 

<注1>~<注10

 

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1.他界観

①.日本的他界観とスピリチュアリズム的死生観

ア)日本的他界観

一般的な西洋人が考える「あの世観(霊の世界)」とは、「天上(天国)」と「地下(地獄)」に二分された世界であり、そこには「神とサタンとの戦い」などに見られるように物事を善と悪に二分する倫理観の文化が存在している。

 

これに対して日本人が考える伝統的な「あの世観」には、西洋人とは異なり同一平面上にある“山を他界”と見做す傾向がある。江戸時代に幕府の宗教統制策によって檀家制度が整備されるまでは、山に散骨する葬送(山送り)がしばしば見られた。恐山・立山・熊野三山などには「死者が集う場所」としての(山岳)信仰もある。

また民俗学からは「祖霊が小高い丘から」または「草葉の陰」から「子孫を見守る」と言う観念がある。さらに沖縄には「海の彼方(ニライ・カナイ)」という他界観がある。このように日本人が長年に亘って培ってきた習俗には、死者の霊を身近に感じる「水平型他界観」が見られる。

 

イ)日本の伝統的な霊的世界観

A:「〇〇家」を単位としたあの世

日本には「人は死んであの世に行き先祖に迎えられる」、その後「子孫となって生まれ変わる」と言った「〇〇家」を単位とした「あの世観」がある。さらに長年の風習から「墓参に行くと祖霊の霊魂に出会える」とか、「お盆に迎え火を焚けば祖先の霊魂が来てくれる」など霊を身近に感じており、日頃から「あの世の祖霊」との交流が頻繁に行われてきた(注1)。

 

B:死霊(個別霊)から祖霊(集合魂)へ

日本の伝統的な習俗からは、供養の対象となる“死霊(死者の魂)”は「弔い上げ(33回忌、地方によっては50回忌もある)」によって初めて汚れを拭い去って清まり、個性を失って先祖の霊に融合して「祖霊という大きな海」に溶け込む。つまり33回忌までは死霊という名の個別霊、それ以降は「〇〇家、〇〇一族」というラベルの付いた“集合魂の海”に溶け込むという観念がある。

 

この祖霊が草葉の陰から子孫を見守る形で、または再生することによって、「祖霊という大きな海」と地上にいる一族との間を行き来することになる(注1)。このケースで交流する“霊魂(意識)”は、先祖の“誰の誰兵衛”と言った個人名を持つ霊魂ではない。日本の伝統的な霊魂観からは「祖霊」とは個性を失った先祖の霊魂の集合体であり、一種の「集合魂」のことになる。スピリチュアリズムで言うところの「個別霊(→死後も個性は存続する)」ではない。

 

祖霊(→死霊は33回忌以降に祖霊という名の集合魂に溶け込む)は「祀られる」ことによって霊性が向上して*、神格化して祖神や氏神となる。この「死霊→祖霊→祖神・氏神」という流れは、民族宗教である神道にも取り入れられている。神道では「神」と「祖先」との間には明確な境界がなく渾然一体のものとして扱われており、遠い祖先は祖先であると同時に「神(人格神)」としても崇められている。

 

*霊性の向上

日本の伝統的な霊的世界観では「祖霊」は「祀られる」ことによって霊性が向上する。これに対してスピリチュアリズムでは、他者に対する利他的行為によって個別霊の霊性は向上する。前者は「祀られる」という“他力的行為”によって、後者は「利他的行為」という“自力的行為”によって霊性が向上する、という明確な違いが存在する。

 

C:先祖の霊の集合体

この「先祖の霊の集合体」を民俗学者の柳田国男氏は「ひと固まりの先祖になる」と表記し、文化人類学者の波平恵美子氏は「人はプールから出てプールに戻る」として「いのちのプール」と表現した。また作家の五木寛之氏は「大いなる海の中に溶解し、大海の一滴として循環する」と述べている。三人ともに“先祖の霊は個別性を失う”とする点では共通する。

 

上記のように祖霊とは個別性を失った「先祖の集合体」という点につき、事典には次のような記述がある(国学院大学日本文化研究所編『神道事典、縮刷版』弘文堂参照)。それによると「祖霊とは先祖の霊」であり、「個性を持たない霊魂を言うことが多い」「死んでから一定年数(→多くは33年、地方によっては50年もある)以内の供養の対象となる死霊と区別して、個性を失ったものを祖霊」とし「祖霊がさらに神霊へと昇華する」。さらに「神格化した祖霊が、氏神や村落共同体などにより祖神や氏神として祀られる」と記載されている。

 

ウ)スピリチュアリズムの考え方

A:死んでも“私”は生きている

スピリチュアリズムでは「日本の伝統的な霊魂観」とは異なって、個別霊として「死の先にも人生は続く」とか、「“あの世”と“この世”は交流している」などと説いている。つまり地上では「誰の誰兵衛」と名乗っていた“霊魂(=意識)”は、死後も霊の世界で永遠に生き続けて、親和性を持ったこの世の人たちを見守っている(→少なくとも霊的自覚を持つまでは、血縁者や地上的な事柄に関心を持ち続ける)。死によって肉体を棄て去った“霊魂(=私という意識)”は、表現器官を霊的身体に移行させて霊的世界で生活している。

 

B:スピリチュアリズムの観点に立ったグリーフケアの必要性

コロナ感染者の死は残された遺族に深刻な喪失感を残す場合がある。報道によれば病院は感染症患者の対応に手一杯で「遺族の心をケアする余力はない」という。このような状況下で「突然の死に強い喪失感に陥った遺族に対する慰めが(グリーフケア)、今真剣に求められている」と伝えている。

 

スピリチュアリズム的死生観では「死んでも私は生きている」「死の先にも人生は続く」と説くので、愛する者との死別は一時のものとなる。お互いに愛があれば親和性から惹かれ合って、霊の世界で再び出会うことが出来る。このような「事実」を知ることによって、愛する者を失った心の痛みが癒されることになる。コロナ禍の中でこのようなスピリチュアリズム的死生観に立ったグリーフケアの必要性が、今ほど求められている時期はない。さらに「死後生」の「事実」は遺族に対して「再会できるまでの期間をどう生きるか」という問いかけをすることにもなる。

 

②.個別事例の検証

ア)「夢枕に立つ」現象

A:死に際に放出されるエネルギー量

シルバーバーチは「(人間の)“死に際”には大変な量の心霊的エネルギーや霊的エネルギーが放出される」(到来237⑪参照)と述べる。これらの“死に際”に放出されるエネルギーを使って遠くにいる縁者に生前の姿を見せる現象や、「死んだ肉親が死亡時刻とちょうど同じころ夢枕に立った」という現象、または死の直前に別れの挨拶の為に世話になった人の下を訪れる現象などが報告されている(→これらの現象には「危機幻像」や「夢枕に立つ」「虫の知らせ」などの名称が付けられている)。

 

B:現実か、それとも幻覚か

この場合に唯物論的な「死は終焉であり、死後の世界はない」との考え方に立てば、遠く離れた縁者は当然に“死者の幻覚”を見たことになる。これに対して他界者は33回忌までは供養を必要とする死霊と説く「日本の伝統的な霊魂観」や、個別霊として永遠に生き続けると説く「スピリチュアリズム的な死生観」に立てば、これらは背後霊の力を借りて縁者に生前の姿を見せた現象となる。つまり死の直後の他界者は一般には“死の眠り”についていることが多いため、死者の背後霊が縁者に“死に際”に放出されるサイキックエネルギーを使って見せた現象と言える。

 

イ)「お迎え」現象(注2)

A:お迎え現象とは

死期が迫った者のもとに亡くなった家族や親類がやってくるという現象は、自宅で家族に見守られながら死を迎える時代には普通に見られた現象であった。

学術研究誌(→『死生学研究、第9号』20083月、東京大学大学院人文社会系研究科発行、213頁~214頁)には「部屋の隅に誰かいるって言うので誰なのかと聞くと“母ちゃんだ”迎えに来たのかと会話していました。亡くなる1ケ月くらい前です(故人89歳男性、回答者63歳娘)」や、「最期の日に、背広姿の男性と着物姿のお婆さんが来ていると語った。亡くなった本人の母と息子だねと家族で語った(故人81歳女性、回答者56歳嫁)」などの報告事例の記載がある。

 

B:日本における調査

仙台市内を中心にして在宅緩和ケアを行っている医師たちは、2003年から2007年にかけて682人の遺族に対して「在宅緩和ケアを利用して亡くなった患者が、他人には見えない人や風景について語ったことがあったか」という設問でアンケート調査票を送付した(366通が回収された)。回収された42.3%(155件)で看取りの際に「患者が他人には見えない人の存在や風景について語ったことがあった」とする回答があり、この内「すでに亡くなった家族や知り合いが現れたケース」が155件中82件あった。4割以上にこの現象が現れると言うことは、例外的事例とは言えない。

この調査結果は『現代の看取りにおける“お迎え”体験の語り――在宅ホスピス遺族アンケートから』として『死生学研究、第9号』(20083月発行)に掲載された。

 

C:驚愕や恐怖感を伴う幻覚

従来の医療現場では「お迎え」は全て意識障害の「せん妄」と疑われて、患者に興奮を鎮めて幻覚を抑える働きがある抗精神病薬が投与されていた(森田達也・白土明美著『死亡直前と看取りのエビデンス』医学書院2015年)。なぜなら患者は「血まみれの顔や魑魅魍魎」などの不気味なものを見たという恐怖感や驚きから興奮状態に陥り、しばしばベッドから飛び降りて骨折するなど、医療事故が発生していたからである。

 

D:穏やかな心の状態を作る目的

このような恐怖感が見られる意識障害と異なり、死んだ両親や血縁者などの身近な霊が現れる「お迎え」では、現象の体験者には押し並べて「落ち着き」や「安心感」等のプラスの効果が見られる。霊的な事柄に対して頑なな態度をとり続けてきた故人でさえも、穏やかな心持にさせて死を迎えるという効果が「お迎え現象」には見られる。生前口癖のように「死は怖い」と言っていた老人の「死に顔が非常に穏やかであった」と語る遺族もいる。

 

スピリチュアリズムの立場から言えば体験者に穏やかな精神状態を作り出して、死後の世界の入り口で待つガイドとスムーズな出会いをさせる、このことを可能とさせる心の状態を作り出す目的(→血縁者を出現させることによって)が「お迎え現象」にはあるからである。ここから恐怖感を伴う意識障害との違いが明白となる。

 

E:死生観による対処の違い

このように「お迎え現象」は、スピリチュアリズム的死生観に立って初めて正しく理解できる。「死後の世界」や「死後個性の存続」を認めない唯物論が幅を利かせる“表の世界”では、霊視・霊聴現象はすべて「せん妄」扱いにされると言った現実があるが、その根底には死生観の違いや「霊的体質」に関する無知が存在する。

なお33回忌を過ぎた先祖が「お迎え」の当事者として現れた場合には、「日本の伝統的な霊魂観」からは説明がつかないという問題がある。なぜならそれらの他界霊は「祖霊」と言う名の集合体(=集合魂)に溶け込んで個別性を失っているから。

 

2.多様な「死」

①.「死」とは何か

ア)死の判定基準

A:「三徴候」により判定する慣行

19世紀初頭に「死は心臓と肺が機能を停止した時に訪れる」という事実が明らかにされるまでは、長い間「死の判定基準」は「細胞死(腐敗)」であった。その後は「心拍停止」「自発呼吸停止」「瞳孔散大・対光反射喪失」の「三徴候」をもって「死」と診断する慣行が長年に亘って続けられてきた。

物質次元では人間の「死」は徐々に「生命現象が収束していくプロセス」として。または物的生命体の崩壊過程としてグラデーション的に表れるので、生と死を明確に区切る「死亡時刻」という観念には本来馴染まないもの(→死亡時刻は財産や地位の継承等の問題解決の為の方策)。

 

B:「脳死」の出現

1967年に南アフリカで初めて心臓移植手術が行われた。その際に問題となったのが心臓の提供者であるドナーは「死者でなければならない」であった。この「死者という壁」をどのように乗り切るかが最大の課題であった。

従来から医療の分野では「不可逆的昏睡状態」「全脳梗塞状態」「中枢死状態」等と呼ばれてきた“脳疾患の末期患者”の存在が知られていた。世界初の心臓移植が行われた翌年の1968年に、従来から問題となっていた“脳疾患の末期患者”を表す言葉として、初めて「脳死」が使われるようになった(→ハーバード大学医学部の脳死判定基準)。この「脳死」という新たな概念の導入によって「死の判定基準」は拡張されて、初めて「ドナーの心臓は生きているが、ドナーは死んでいる」状態が出現した。

この概念により執刀医は“死者からの臓器摘出”というプロセスを踏んでいるため、刑法上の殺人罪には当たらず訴追されないというロジックが出現した。現在では移植用臓器のニーズの高まりに伴って、「人体の商品化(→臓器は代替物)」が加速度的に進んでいる。

 

C:「臓器移植法」の施行

日本では199710月に「臓器移植法」が施行され、この法律によって臓器移植を前提とした「脳死」概念が導入された。「脳死」の定義や手続きは「臓器移植法」6条及び「臓器移植法施行規則」2条の規定で定められている。

それによれば「脳死」とは「脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止」した状態であり、その状態にある者の身体から「移植術に使用されるための臓器」を摘出して、レシピエントに移植ができるとした(法6条)。この法律の施行によって臓器提供の場合に限って「法的脳死判定」が行われて、そこで「脳死(法的脳死)」と判定されれば「法的脳死者」とされた。これ以降「脳死」と確定された臓器提供者からは、速やかに臓器が摘出されることになった。

 

イ)霊界側から見た「死」とは

A:人間の構造

人間の構造は「物的要素」と「霊的要素」、そして両者をドッキングさせるための「中間物質(→複体、ダブル、接合体などの名称がある)」の三者が重なり合って存在している(語る110⑨~⑩参照)。「物的要素」には「肉体(注3)」とコントロールセンターとしての機能を持つ「物的脳」とがある。「霊的要素」には「霊体(注3)」と「霊の心(→霊が顕現する場所、霊的意識、本来の私)」がある。

 

B:「死」とはシルバーコードの切断の瞬間

スピリチュアリズムの観点から見れば、この世における「死」とは自我意識の表現器官たる形体の変化、肉体から霊的身体へである。肉体と霊的身体(→正確には肉体と中間物質の接合体)を繋ぐ太いシルバーコードが切断した時をもって「死」と定義している(1050⑭、永遠の大道116②~③参照)。これに対してあの世における「死」とは、霊的身体のグラデーション的変化をいう。

 

C:臨死体験者、植物状態の患者の場合

霊的観点から言えばシルバーコードが切断されていなければ「死」ではない。臨死体験者はシルバーコードが繋がっているので生還できた。回復が不可能な植物状態の患者の場合は、病床に於いて自ら何らかの物的体験を積んでいるか、または周りの者に病気の我が身を提供して何らかの体験を積ませているか(→菩薩行、消極的利他的行為)の何れかである。その為いまだシルバーコードは繋がっている(8136⑪~⑬、最後啓示155⑪~⑬参照)。

 

このように霊的観点から見た死とは「シルバーコードの切断の瞬間」であるとしても、現実問題として医師は霊視能力者ではない。そのため生命現象が終息していくプロセスの何れかの時点をもって死と診断せざるを得ない。

 

②.不慮の死(急死、事故死、戦死)

ア)死者の状態

A:無理に生木を裂く状態(予期せぬ死)

急死・事故死・戦死などによる“不慮の死”とは、本来の想定した死のプロセスを踏まないケースであり、霊(=意識)に死の準備が整っていない段階で無理に生木を裂くように肉体から離されることをいう。これら“不慮の死”の場合には死者に急激な霊肉分離に伴うショック状態を引き起こすが、それを緩和するための霊的処置、例えば霊的エネルギーの注入や長期の休養などの処置が霊的世界で行われている(6106⑤~107③、メッセージ61⑬~62①参照)。

 

B:霊的知識の有無と休養期間

急激な死に方をした死者に霊的知識がある場合には、相応の霊的調整期間を経て死の自覚が持てるようになる。霊的知識がない場合には霊的調整のための長い休養期間が必要となるが、その期間は正常死のケースより長くかかるのが通例である。その場合には「地縛霊」となって地上圏をうろつかないためにも、速やかに“休眠”を取る必要がある(霊訓下125⑫~⑮参照)。なぜなら霊肉分離が本来の過程を経ずに急激に引き剥がされるためのショックを、“休眠”の中で調整していく必要があるから(→興奮状態にあって眠れないから)。

 

イ)霊界の病院

A:中間境にある施設

物質の世界である「この世」と霊の世界である「あの世」が接する境界、いわゆる「中間境(→幽界の下層世界の一つ:注4)」で他界者は物的波長から霊的波長の切り替えを行う。この中間境には、急激な霊肉分離に伴うショック状態を癒す為の特別な施設が用意されている。霊界通信では一般に“病院”と云う名で登場してくる。

 

B:どのような霊が収容されるのか

この“病院”に収容された霊は「ショックの後遺症」(317⑤参照)を癒すための処置や、霊的身体を形成するための調整、または新しい霊的生活に順応するための調整が「霊的エネルギーの注入」という形で行われている(メッセージ61⑬~62①参照)。

 

霊界の“病院”で治療を受ける霊には「霊性に歪みがある霊」(最後啓示40⑦参照)、「霊的に病んでいる霊」(8116⑬参照)、「魂に深い傷を負った霊」(4139⑦参照)、「精神的に不安定で指導と助けが必要な霊」(500に及ぶ117⑩参照)、「無残な事故で急死した霊」(6106⑤~107③参照)、「爆弾の直撃にて戦死した霊」(316⑮参照)、「若死にした者、乱暴な最期を遂げた者」(続霊訓191⑧~⑨参照)などがいる。これらの霊は地縛霊にならないためにも「特別な看護」が必要となる。

 

③.意識的に命を絶つ行為(自殺、殺人の被害者、死刑)

ア)「学校」を中退する行為

自ら命を絶つ自殺、他人の命を絶つ殺人、法を犯した者に対し法の執行によって命を絶つ死刑など、“人間が人間の生命を奪う行為”は霊的摂理に反している。

なぜなら自ら命を意識的に絶つ自殺者の場合は、地上生活を通して霊的成長するせっかくの機会を自らの手で投げ出してしまうから。これに対して殺人の被害者や死刑囚の場合には、自らの意に反して命が絶たれてしまい、その結果またとない地上体験を積む機会が奪われてしまうから(→死刑囚の場合は刑務所の中で自らの性格の弱点を矯正するチャンスが奪われるから)。

いわば自殺は自らの意志で本来の就学期間を全うせずに「学校を中退すること」であり、他殺や死刑は他人の命を無理やり奪って「学校を中退させてしまうこと」であるから。

 

イ)自殺の場合

A:シルバーバーチの見解

シルバーバーチは「(自殺行為に関して)寿命を全うせずに無理やり霊界へ行けば、長い調整期間の中でその代償を支払わなければならなくなる」「(利己的な波動によって)周囲にミゾをこしらえてしまうから」(語る407③~⑥参照)、霊的進歩の妨げになるからと述べている。しかし一口に自殺者といっても地上人生をどのように送ってきたか、霊的な発達程度はどうか、自殺の動機は何かなど、自殺に至る事情や心情など、考慮すべき条件がケースごとに異なっている。そのため自殺者の死後の状況もそれぞれであり一律ではない。

 

B:利己的要素が強い自殺

一般に自殺の動機に「利己的要素」がより多く付随している者ほど、自殺者の意識は内側に強く向いて閉じられている。いわば本人が作った“思念という厚い壁”が周りを取り囲んでいる状態であり、その壁を外側から砕くことは非常に困難である(→筆者の知人が自殺を決意した。その決意した思念を筆者は“鉄の板”のように感じた。この体験から類推して自殺霊の周りには“鉄の板のような思念”が取り巻いている、それを外から破るのは難しい)。ここに霊界側から救済の手がなかなか届きにくい理由がある。

このようなケースでは自己の“利己性の罪”の償いのため、自ら作り出した「暗黒の世界」に、いわば意識が内側に向いて閉じられているがゆえの暗黒の世界に、長期間閉じ込められることになる。「死んだつもりなのに相変わらず自分がいる」「その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断する」(9209⑩~⑬参照)現象を作り出す。結局、時間をかけてでも本人の意識の変化を待って、内側からその壁を壊していくほかない(→引き籠りも自らの意志で“部屋から出る”という気持ちにならない限り解決は難しい)。

 

C:利他的要素が強い自殺

これに対して自己犠牲的な動機が強い自殺の場合は(9210③参照)、自らの命を絶つ行為に利己性は薄いので、その人の意識は外側に向いて開いている。そのため一旦は暗い世界に落ちるとしても、霊界の救済霊との接触は極めてスムーズに運ぶことになる。

 

D:憑依霊による自殺

これ以外に憑依霊による自殺がある。この場合も自殺者はしばらくのあいだ暗闇で過ごすことになるとしても、自殺の責任は主に憑依霊側にあるので、救済霊との接触がはかられて壁を打ち破ることができる。なお憑依霊を呼び寄せた何らかの“受け皿”が自殺者側にあったとしても、その“受け皿”となった歪んだ性格の矯正は自ら幽界の下層界で行うことになる(→浄化の為の界が下層界の中にある)。一方憑依霊は、本人に憑依して自殺をさせてしまったという行為の責任を負うので、その償いをしなければならない。

 

ウ)殺人の被害者の場合

殺人の被害者は、本人の意に反して無理やり肉体という衣装を脱がされてしまって“学校を中退”する様なもの。殺人の加害者は他人の物的衣装を破壊して“地上という学校”で学ぶ権利を奪ってしまった。意に反して学校を“中退”させられた殺人の被害者は、いつまでも意識の焦点が「学校生活(物的世界)」に向いてしまうことになる。

 

通り魔殺人や自爆テロ・無差別テロなどの被害者は、地上世界から霊的世界への移行理由が「本人の意に沿わない」としても、霊としては速やかに「霊的波長の調整(→霊的波長に感応するために物的波長からの切り替え作業)」を行って、新しい環境に馴染んで行かなければならない。しかし多くの被害者は無理やり他人から命を奪われたことから、なかなか「霊的波長の調整」が完了せず、いつまでも地上時代の生活を引きずってしまうことが多い。

 

エ)死刑の場合

死刑制度は死後の世界に関して何の準備もできていない死刑囚から、肉体を無理やり分離させてしまい、霊界側の問題児である「地縛霊」や「邪霊」を増やしてしまう結果となっている。

死刑を執行された霊の波長は地上人の物的波長に極めて近く、何らかの“受け皿を持つ地上人”との接触がたやすく行われてしまう。その為「怒りと復讐心に燃えた霊」による憑依現象は親和性の法則から多発することになる。地上人の歪んだ性癖や習性がエサ蒔きとなって、そこに親和性を持った邪霊が引き付けられてしまう。

このように死刑制度は単に犯罪者から肉体を奪うだけであって、地縛霊による憑依という形で地上にトラブルのタネを蒔いているにすぎない。このように高級霊からの霊界通信では例外なく死刑制度を批判している(4210⑦~⑩、6150⑧~151③、続霊訓100⑫~101⑥参照)。

 

シルバーバーチは「死刑に処するということは正義からではなく報復心に駆られているという意味において間違いである」(新啓示28⑦~⑧参照)として、正義と復讐を区別するようにと述べている。また別の霊界通信では、肉体を強制的に奪われた死刑囚のその後を「心は汚れ果て、堕落しきり、肉欲のみの、しかも無知なる彼らは、その瞬間、怒りと憎悪と復讐心に燃えて霊界に来る。それまでは肉体という足枷があった。が、今その足枷から放たれた彼らは、その燃え盛る悪魔の如き邪念に駆られて暴れまわる」(霊訓上41⑩~⑬参照)と述べる。

処罰制度には懲罰的要素も必要であるが、同時に矯正的・厚生的な要素も必要である(霊訓上47⑪参照)。死刑囚などの堕落者は「一種の病人」(4巻207⑤参照)であるとの観点から対処する必要がある(→罪人は矯正するか隔離するかのいずれかにすべき:続霊訓101④~⑥参照)。

 

④.ニュースで話題となっている「死」

ア)受胎とは受精時のこと(注5)

A:シルバーバーチの立場

シルバーバーチは“受胎(→内容的には受精時のこと)”の瞬間(846⑤参照)に精子と卵子の接合子(→活性化した物質)に霊的要素が結合して、この時点から個的意識を持った自我意識が始まる(→個別霊としての始期)、それ以降は永遠に個性を具えた存在を維持すると述べる(4巻53⑨~⑪、メッセージ203⑩~⑭参照)。つまり「受精卵(→子宮着床前や子宮着床後の胚)」は個別意識を持った人間であるとの立場である(→当然に体外受精で作られた複数個の受精卵も全て権利の主体たる人間となる)。

 

シルバーバーチが現代人に霊的教訓を説いた頃(1920年~1980年)は、生殖技術の萌芽期であり、『霊訓』では具体的な問題としてはあまり触れられていない。しかしシルバーバーチが述べた「人間の始期を受精時」とする立場からは、生殖医療にまつわる様々な問題の解決の糸口が見つかる。

 

B:カトリックの立場

シルバーバーチが言う「人間の始期を受精時」(453⑨~⑪参照)とする立場について、カトリックの教理でも同じことが主張されている。ヴァチカンの教理聖省が1974年に出した『堕胎に関する教理聖省の宣言』(カトリック中央協議会1975年発行のパンフレット)によれば、「受精の瞬間から人間的生命の冒険が始まる」(6頁)とある。その後ヴァチカンはこの見解を発展させて「ヒト胚の研究利用」や「人工妊娠中絶」等、現代の生命科学が直面する倫理上の問題に関して積極的に自らの主張を展開している(ホセ・ヨンパルト、秋葉悦子共著『人間の尊厳と生命倫理・生命法』成文堂2006年刊参照)。例えば「体外受精で作られた受精卵は人間であり、権利の主体である」「人間の受精卵を意図的に破壊することは特に重大な問題として断罪されねばならない」(カトリック中央協議会発行『生命の始まりに関する教書』1996年第3版、27頁~28頁参照)など。

 

イ)出生前診断、着床前診断、体外受精、受精卵の研究

A:罪悪感の薄い選択的中絶など

<出生前診断>

近年の「生命選択の技術」の進歩は倫理上の新たな問題を生み出した。「出生前診断」では妊婦の血液を採取して(→採取した血液には母体由来のDNAと胎児由来のDNAが含まれている)、胎児由来のDNAで染色体を調べる。染色体の検査から胎児にダウン症などの異常が見つかると、約9割の妊婦が人工妊娠中絶を選択するという(202141日の朝日新聞記事より)。これは病気や障害のある人の存在を否定する「命の選別」と言われている「選択的中絶(→罪悪感の薄い中絶)」のことである。

 

<着床前診断>

さらに遺伝病を防ぐために受精卵の遺伝子を調べる「着床前診断」もある。「着床前診断」では両親から取り出した精子と卵子をシャーレで体外受精させて、受精した受精卵から一部の細胞を取り出して遺伝子を調べる。そして遺伝子に異常のない受精卵を子宮に移植するという方法がとられている。

 

<体外受精>

一般に医療現場で不妊治療の一環として行われている「体外受精」は、複数個の受精した受精卵の中から原則として最も形体の良い一個を選び、それを母親の子宮に戻して着床させる(→体外受精の妊娠率は1020%)。残りの受精卵は妊娠が成功しなかった場合に備えて冷凍保存される。その後不要になった受精卵は廃棄される。日本では廃棄が決まった受精卵を使った研究が行われている(→受精卵の廃棄は胎児となる「物的な表現器官」を破棄する行為である)。報道によれば2017年の総出産数の16人に1人が体外受精によって生まれているという。

 

B:受精卵の臨床技術への応用

受精卵の臨床技術への応用研究は、近年しばしばニュースで取り上げられている。その一つにES細胞(=胚性幹細胞)、受精後5~7日程度経過した細胞を培養してさまざまな細胞を作り出す技術を用いた研究がある(→IPS細胞の場合は生命倫理上の問題は少ない)。ES細胞は主に発生工学(→胚に人為的な操作を加えるとか、受精卵へのDNAの注入など、バイオテクノロジーの一分野のこと)や、再生医療等の研究に用いられる。

 

ゲノム編集技術(→染色体の一部を改変すること)を人間の受精卵に用いて、人為的に人間の容姿や能力を変える「デザイナーベビー」の研究。さらに哺乳類のクローン技術を応用した「クローン人間」の研究などもある。

このような物的身体を操作する研究は、霊は予め選択した「人生のテーマ(→新たな体験を積むこととカルマの解消の二つ)」に最もふさわしい“オーダーメイドの物的身体”をまとって出生する、というスピリチュアリズムの観点から見ても問題がある(注6、注7)。なお物的身体に霊が宿らなければ人間ではない。あくまでも中身のないロボットである。

 

C:不妊体質で生まれた女性の存在

一般に「女性は子供を産んで一人前であり、子供を持つことが女の幸せである」とする世間からの暗黙の圧力がある。そこに近年の医療技術の発達、さらにマスコミの影響も加わって、不妊治療を受ければ誰でも母親になれるという安易な風潮が出来上がってしまった。

医療の世界では、妊娠したくとも妊娠できない、そのことを苦痛に感じて来院した人の病名を“不妊症”と呼んでいる。従来から“原因不明な不妊”は「妊娠を望んでいるカップルの10組に1組の割合で存在する」と言われている。いわば妊娠しにくい体質を持った人たちの存在である。医療関係者によれば、現状は多額の費用をかけて“不妊治療(タイミング法→人工授精→体外受精)”を受けても、妊娠する確率は1020%であるという。

 

スピリチュアリズムの観点からいえば、再生人生を“不妊体質という身体”で地上体験を積むとして、自ら選択して生まれてきたにもかかわらず、妊娠したいと望むその動機は何かが問題となるであろう。動機面から言えば子供を持つことによって、自分たちを人間的に成長させたいと願うカップルも存在する。この場合は実子ということに拘らなければ、子供を養子に迎い入れて共に成長していくという選択肢もある。

 

体外受精に伴う余剰受精卵の廃棄(→受精卵を破壊する“ES細胞の研究”含む)や「出生前診断」「着床前診断」、さらには「代理出産」(注8)や「中絶・流産」(注9)の問題などは、デリケートな扱いが必要なテーマである。

 

ウ)罪悪感のある妊娠中絶

人工妊娠中絶は「罪悪感ある中絶行為」と、選択的中絶や受精卵の破棄などといった「罪悪感の薄い中絶行為」とに分けることができる。

母親の動機面から「人工妊娠中絶」を見れば、ライン上の一方の端に極めてエゴイズムの強い中絶があり、そこから徐々に動機面で考慮すべき要素が入って来て、その対極に母胎の保護のための緊急避難的な中絶がある。このように妊娠中絶といってもその内容はさまざまであるが、高級霊は一様に妊娠中絶行為を「物的身体を奪う殺人と同じ」(8131②~⑩、最後啓示94⑤参照)であると述べている。しかしその際に当然に「動機は何か」が考慮されるが(8131⑥~⑦参照)。

 

エ)安楽死、延命処置、尊厳死

A:安楽死

安楽死の定義は「医師が直接薬剤を投与することにより患者を死亡させること」(→積極的安楽死)である。日本で行われた安楽死裁判では、関与した医師は「嘱託殺人(→患者の嘱託を受けて死期を早める医学的処置を行う)」や「承諾殺人(→患者の承諾を得て医学的処置を行う)」の罪に問われている。

 

シルバーバーチは「回復の見込みがない患者(→植物状態の患者や不治の患者、筋萎縮性側索硬化症・ALS患者など)」を人為的に死なせる安楽死は、当然のこととして認めていない。なぜなら死後に備えの出来ていない霊に一種のショックを与えてしまい、そのショックが何かと良からぬ影響をもたらしてしまうことになるから(448⑦~⑨参照)。さらに植物状態になっていても、本人自身が何らかの学びをしている場合があること(最後啓示155⑪~⑬参照)。または周りの家族に対して何らかの学びをさせていることも考えられるから(→菩薩行、消極的な利他的行為)。

 

B:延命処置を施すこと

シルバーバーチは患者に延命処置を施すことに関しては問題ないという。なぜなら霊は肉体を去るべき時が来れば、どのような医学的処置を取ろうが肉体から離れていくので、延命処置の効果は「ある程度までのこと」(449⑧~⑩参照)であり、いわば「寿命の範囲内のこと(=寿命の糊代部分)」だからと述べる。

 

C:尊厳死

尊厳死は“医師の行為の妥当性の問題”と“患者本人の動機の問題”とに分けて考えて見る必要がある。医師が患者の苦痛を和らげ除去する以外の延命のための治療を行わない行為(→栄養補給のカンフル剤は用いる)、いわば静かに死を待つだけの医療行為に関しては、人は「死すべき時が来れば死ぬということ」であり問題はない。

 

これに対して患者本人は何のために「延命のための医療は望まない(=リビング・ウィル)」で尊厳死を望むのかという問題がある。その理由の一つに医療費という経済的な問題があると思われる。また多数の生命維持装置等によって無理やり命を永らえさせられる状態(スパゲッティ症候群)に対する忌避もあろう。

典型的な尊厳死と言われた元米国駐日大使のE・ライシャワーの死(肝臓がん)は、「神から与えられた自らの命は、神の導きのまま自然死を迎え、それで神の下に帰る」であった。結局のところ「尊厳」という言葉にどのような意味を盛り込むのか、リビング・ウィルを望む本人の動機は何か、という問題に帰着するであろう(注10)。

 

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<注1>

■『柳田国男事典』(勉誠出版1998年)の「山の神・田の神」の項目には、先祖と子孫の交流については「人は亡くなると祖先神となって山に鎮まり自然神である山の神となる」「春先には里に降りて来て田の神となり、子孫の農耕生活を守護し、そして秋の収穫後は再び山に戻って山の神となる」として、地上にいる一族との間で行き来するとの記載がある。

 

<注2>

■仙台で在宅緩和ケアを行っている医師たちは、2003年から2007年にかけて行ったアンケート調査をまとめて、それを2008年に東京大学大学院の研究誌『死生学研究、第9号』(20083月)に「現代の看取りにおけるお迎え体験の語り――在宅ホスピス遺族アンケートから」として掲載した。

2008年以前は、医療関係者の間では患者の「お迎え現象」を目撃しても、それを公表することが憚れる、そんな雰囲気が職場にはあったという。このアンケート調査が公表された以降は、医療関係者の間で「お迎え現象」が注目されるようになってきて、ここ10年余りで職場の雰囲気に変化が生じてきたという。

 

■心理学者のカーリス・オシス(1917年生、哲学博士)は、1961年から1964年にかけてアメリカ東部5州に住む医師・看護師各2,500名を対象にした大規模な調査を行った(5,000通の調査票の内1,004通が回収された)。さらに1972年から1973年にかけてインド北部で医師と看護師にインタビューをして、704通の調査票が得られた。

回収された1,700通余りの調査票を分析して、臨終時の体験は「大半が薬物や高熱や脳の疾患とも無関係」また「性別、年齢、宗教とも無関係」であること。さらにこれらの現象は「患者のお迎えという明白な目的を持っており、精神病的な幻覚とは大きく異なる」と述べている。日本における調査結果と類似するが「霊姿は必ずと言ってよいほど、死後の世界から訪れた使い」として、「大多数は他界した肉親であった」という。このようにオシスの調査から「お迎え」には、アメリカやインド北部、さらには日本との共通性が窺えて興味深い(K・オシス、E・ハラルドスン『人間が死ぬとき』たま出版1979年刊)。

 

<注3>

■肉体、霊体

地上でまとう「肉体は各種のバイブレーションの固まり」であり、霊的世界でまとう霊体は一段と精妙なバイブレーションで出来た身体。「(霊的世界でまとう)身体は、死後下層界を旅するのに使用され、霊的に向上するにつれて、更に恒久性のある崇高な性質を帯びた身体へと転換される。この過程は延々と限りなく繰り返される」(彼方2127①~③参照))。地上の人間には肉体よりバイブレーションが高い霊体をまとった幽界の下層界の住人の姿は見えない。

 

<注4>

■あの世とは霊的な波長・バイブレーションが、低い段階から高い段階へとグラデーション的に変化する一つの世界、霊的な世界のこと。この広大な「霊の世界(広義の霊界)」を分かり易く表現する為に、地上と接する界層を特別に「中間境(幽界の下層界の一部)」と呼ぶ。その上の界層を順次「幽界の下層」「幽界の上層」「霊界(狭義)」などと呼ぶ。

従ってこの世からあの世へは「A:物質の世界」→「B:中間境(物的バイブレーションから霊的バイブレーションに転換する為の界)」→「C:幽界(下層界、上層界)」→「D:霊界(狭義)」と連続して繋がっている。ABより、BCより、CDよりバイブレーションが低い。それぞれ下位の者から上位の世界は見えない(→例えば母親は子供がつく嘘は良く分かる。なぜなら上から下は心の内がよく見えるから。しかし子供は母親のもっともらしい嘘は見抜けない)。

 

<注5>

■生命倫理上の問題(モノか人間か):質問事項に対する回答

現状では体外受精で子宮に戻されなかった余剰受精卵や異常があった受精卵は、廃棄されるか“ヒトES細胞”などの胚の研究に利用されている。

なぜならこれらの受精卵は着床前でまだ胎児にもなっていない“モノ”だからとされる(→子宮に着床する前の初期の胚は、受胎・妊娠前だからモノとされる)。

その有力な根拠としてオーストラリアの哲学者ノーマン・フォード(サレジオ修道会の神父)が唱えた説がある。彼によれば「14日目までの胚は一卵性双生児になる可能性があるから、まだ人の個体ではなく“細胞の塊”にすぎない」と。さらにイギリスのワーノック委員会が1984年に発表したワーノック報告の「受精後14日までの胚は原始線条がまだ発現していないことから、自己同一性を持った個体とはみなされない」の存在も大きい。

 

これらの説を受けて多くの国では「人間の始期」を、原始線条の出現期以降(受精後約2週間)とする考え方が胚研究の国際基準となっている(→但しイスラム教では受精後40日と説いているという)。ワーノック報告の背景には、英国国教会では体外受精に対して条件付容認を取っていることがあげられている。なおカトリック教会では人工授精・体外受精・胚の研究は認めていない。

 

<注6>

■大枠としての地上人生を「本来の私」は承知している

A:最初に「①再生人生テーマ」を選ぶ(→新たな体験を積む事、カルマの解消を図る事)

B:次に再生人生の中でテーマを達成するために最も適した「②試練」を選択する、例えば大きな試練の括りとして「人間関係」「様々な物欲」「性にまつわること」等を選択する

C:試練に挑戦するに最も適した「③長さ・寿命」を決める(→寿命には糊代部分がある)

D:上記に最も適した「④民族、性別、両親、体質、障害等のハンディキャップ」を決める

E:地上に再生した「現在の私」は上記“①~④の大枠(→本来の私が自由意志で決めた大枠は、現在の私から見れば宿命となる)”の中で、現場サイドの自由意志を行使しながら再生人生のテーマに果敢に挑戦していく

 

<注7>

■潜水具を使った例え(本来の私と現在の私の関係)

19世紀、海底での作業は困難を極めた。海上に停泊している支援船から伸びた呼吸用のホースを、頭部をすっぽりと覆う鋼鉄製の器具(→金魚鉢をひっくり返した形状)に接続して、それを頭部に装着して海底作業を行っていた。これを例にして説明する(→船上にいる私を「本来の私」、海底作業をしている私を「現在の私」、潜水具を「肉体」とする)。

 

Aは地上世界で生活(→いわば“海底”での作業)するためには肉体をまとって(→潜水具を装着して)、本来の意識レベルを落として地上体験を積まなければならない(→海底で体感する水圧と酸素不足から朦朧とした意識状態の中で、予め決められた手順で作業を行う為)。肉体(→潜水具)は「本来の私:A」が地上世界で自己表現(→海底作業)するためにまとう形体である。「現在の私:A-1」はもどかしい状態の中で地上体験を積んで、寿命がきて霊界に帰り本来の意識状態を取り戻す(→作業時間が経過して支援船に戻る)。

 

この海底で作業をしている制約された私の意識状態を「現在の私:A-1」とし、作業を終えて支援船に戻ったときの私の意識状態を「本来の私:A」とする。意識面から言えば「A―1」はAの限定された意識であり(→酸素不足でもうろうとした状態にある意識)、「本来の私:A」の意識の一部である。この「A―1」の作業能力の限界は、潜水具の性能向上にもよるが、Aの持つ能力(→霊的レベル)が限界となる。

 

<注8>

■代理出産

不妊には母親の卵巣や卵管には支障がなく排卵は正常に行われるが、子宮に異常がある場合に不妊となるケースがある。この場合にとられる選択肢の一つとして「代理出産」があり、これには人工授精型と体外受精型がある。人工授精型は依頼者側の夫の精子を代理母の排卵日に子宮に直接注入して妊娠(受精)させる方法である。遺伝的には夫の遺伝子と代理母の遺伝子の双方を持つ子供が誕生する。

これに対して体外受精型では依頼者夫婦の精子と卵子を体外で受精させて、受精した受精卵を代理母の子宮に移植して育てる方法である。生まれてくる子供の遺伝子は「夫と妻」の双方とも一致する。代理母は単なる“貸し腹”ということになる。

 

代理出産が「人工授精型代理出産」であろうと「体外受精型代理出産」であろうと、双方には次のような問題が指摘されている。代理母と胎児との絆は確実に日々強まっていくこと。妊娠中における代理母には、肉体上のリスクの存在があること。代理母の家族(夫や子供)に及ぼす影響があること。障害を持った子の出産や希望した性別と異なった子の出産に、依頼者側が赤ん坊の引き取りを拒否した問題がアメリカでは起きていること。体外受精型代理出産には何人もの父親や母親が出てくる可能性があるなど、代理出産には問題が多い。

 

<注9>:講座終了後の質問者に対する回答

■水子供養とは

中絶、流産、死産によって「胎児霊」となったものを一般に「水子霊」という。水子を供養する風習は江戸時代からあった。1970年代に水子供養が盛んになった。その理由は、日本における民俗文化の一つである「供養や祟り」という概念と、「利潤追求」や「宗派拡大」などの世俗的な行為、そして「水子霊」という三者が意図的に結びつけられたからと言われている。この結果、水子が母親にすがって霊障や祟りを引き起こすという観念が出来上がって、いわゆる「水子が祟る」という言葉となって急激に広まった。

この祟りを前面に持ち出した霊能者や宗教団体などが女性の不安感をあおり、そこに乗じて高額な水子地蔵の販売を行った。または祈祷や除霊により水子の霊障を取り除くという供養スタイルを行った。このような形で霊感商法が盛んになって社会問題となった。

 

■水子供養の背景

研究者は水子供養が盛んになった背景を次のように述べている。

1960年代後半から1970年頃にかけて、社会意識が大きく変化したこと。

1948年に制定された優生保護法(現在は母体保護法)の存在が背景にある。これによって人工妊娠中絶の件数が急激に増加したこと。

・日本では人工妊娠中絶は刑法の堕胎罪(刑法212条~216条)によって禁止されているが、母体保護法(旧:優生保護法)第14条に該当する場合のみ、違法性が阻却されて中絶が認められている。現実には「母体保護法第14条①」の「妊婦の健康上の理由」を根拠として、合法的な形で中絶が行われている。

・科学技術の発達によって「超音波健診技術」が出現した。これによって流産胎児に対して従来の「単なる血のかたまり」というモノ的発想から、胎児を人間として扱うという意識の変化があり、この変化が「胎児を供養する」という行為に繋がった。

・この時期、宗教団体や霊能者が水子供養を大体的に宣伝した。

・人工妊娠中絶を行った女性の心理的な負い目、水子に対する懺悔の気持ちがあること。

 

■「水子の祟り」とは何か

高級霊からの霊界通信によれば、霊的世界には胎児霊のための“特別な養育所”が存在しており、この救済システムが完璧に機能しているという。この点から考えても世間で言われている“水子の祟り(→胎児霊の祟り)”はあり得ないことが分かる。さまざまな不幸や霊障が身の回りで起きるという“水子の祟り”を霊的観点から見れば、次のようなことが言える。

 

<親和性の原理から>

胎児霊が母親に憑依してくるのではなく、母親は「親和性の法則」によって自らの霊的波長に見合った地縛霊や邪霊を呼び寄せているケースである。この親和性によって引き寄せた地縛霊や邪霊が、母親に憑依する際に胎児霊や動物の姿に変化する場合がある(変化霊)。この状態を霊視した霊能者が相談者に水子が祟っていると述べるケースである。この他に霊能者の妄想のケースや、さらに悪質なものとして胎児霊が付いていると欺罔して、何らかの意図(経済的利益や宗派拡大など)を実現する場合もある。根本原因は母親の霊性レベルの低さにあるので、高める努力をすれば地縛霊や邪霊と波長が合わなくなって離れていく。

 

<因果律の問題から>

母親の精神的や肉体的な摂理違反行為、たとえば「暴飲暴食、荒れた生活、わがままな態度など」が原因となって、身の回りに様々な不具合という形で表れる場合がある(→何らかの原因を作れば、その原因に見合った相応の結果が生じるという関係)。それを“胎児霊の祟り”としているだけである。母親の生活を正せば自ずと解決していくことが多い。

 

<注10

■一般社団法人日本尊厳死協会が発行するパンフレットによれば「終末期医療の希望文書を作成しておくことに医師の7割以上、看護師の8割以上が賛成(2013年厚労省調査)している」。協会では現在「本人の意思を尊重した終末期医療と、それに携わる医師の免責を保証した尊厳死の法制化に取り組んでいる」という。

 

■協会の「尊厳死の宣言書(リビング・ウイル)」は以下のような文面となっている。

――私は、私の傷病が不治であり、かつ死が迫っていたり、生命維持処置なしでは生存できない状態に陥った場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言いたします。この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。したがって、私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、または撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。

①.私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死が迫っていると診断された場合には、ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命処置はお断りいたします。

②.ただしこの場合、私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な緩和医療を行ってください。

③.私が回復不能な遷延性意識障害(持続的植物状態)に陥った時は生命維持処置を取りやめてください。

以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従ってくださった行為一切の責任は私自身にあることを付記いたします。――

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

 

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