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第3講:他界霊の意識の変化 <講義用ノート>

目 次

1.スピリチュアリズムの基本

①.人間の構造、形体面から

②.人間の構造、意識面から

・私とは“意識”のこと

・本能に起因する意識

・出自の異なる二つの意識

・持ち帰る「新たな体験」

③.人間の構造、意識と形体の関係

・意識レベルに応じた形体をまとう

・地球人は物質性が極めて強い形体をまとう

・地上での悟りと霊的な悟り

 

2.他界霊の意識の変遷

①.グラデーション的に変化する世界

・死後の世界の概略

・死後の行程

・幽界の上層界と下層界

②.意識の変遷図

・意識の区分

・1図~7図の略図

・略図の解説

 

3.中間境での他界霊の意識

①.「死後」すみやかに「死の自覚」を持つことの大切さ

・意識の切り替えによる波長の調整

・霊的視力の有無

・地縛霊

・「死の自覚」を持つことの大切さ

・地上人の供養

・幽霊とは

②.「自分で自分を裁く」行為

・二種類の回想体験

・霊的法則という物差し

・進むべき道が明らかとなる

 

4.幽界での他界霊の意識

①.中間境から幽界へ

②.幽界の下層界

・地上的人格の残像

・思念は環境を形成する

・意識の二重構造

・浄化の為の世界

③.霊的自覚の芽生え

 

<注1>~<注10

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

1.スピリチュアリズムの基本

①.人間の構造、形体面から

A:重なり合って存在する

人間の構造は「私という意識(心)」と、その意識を表現する為の「形体」とに分けることが出来る。ここでは形体面を見ることにする。

私たち人間は「物的要素(肉体)」と「霊的要素(霊体)」、そして両者を結合させるための「中間物質(接合体)」という三つの要素が重なり合って存在している(語る110⑨~⑩、8106⑥~⑪参照)。

 

B:中間物質(注1)

スピリチュアリズムでは、質的差異が大きい「霊的要素(霊体)」と「物的要素(肉体)」とを繋ぐ「中間物質の接合体」の存在を明らかにしている。この「接合体」は肉眼では見えないが肉体とそっくりな形をした半物質状の中間物質で出来ており、数多くの糸状の細いシルバーコードと二本の太いシルバーコード(→額部分にある松果体、俗にいう“第三の目”の部分と、腹部の太陽神経叢の部分)によって肉体と繋がっている(永遠の大道115⑮~⑰、個人的存在79①、霊媒の書29⑭参照)。

 

C:霊的要素

霊的要素としては「私という意識(自我の本体、霊的な心、本来の私)」と「霊的身体」とがある。霊的身体には霊的世界で使用する為の“五感(霊視、霊聴等)”が具わっている。この“五感”は霊的身体が持つ知覚力なので、本来的に全ての人間に具わっている。その霊体に具わっている能力(→サイキック能力)が、体質的に物的身体を通して外部に容易に発現しやすい人を“霊的な敏感者”という(注2)。

 

②.人間の構造、意識面から

ア)私とは“意識”のこと

A:理解のカギは“意識”にある

スピリチュアリズムを理解するカギは“意識(注3)”にある。シルバーバーチは意識を類魂の視点(拡大した私)から述べることが多いが、個別霊としての意識(本来の私)を十分に理解した上で類魂を説かないと、両者の意識に混乱が生じてしまう。その為に当ブログでは理解のし易さを考えて、意識を主に個別霊の視点(本来の私)に立って述べる。

 

B:「本来の私」と「現在の私」

私とは意識であり意識とは霊魂のこと(教え下204④参照)、自我の本体(本来の私、霊的意識、霊的な心)のことである。なお自我という言葉には「本来の自我意識(霊的な心、本来の私)」と、地上で物的脳を介して見せる「地上的自我意識(物的な心、現在の私)」の二通りの用例がある(注4)。

 

私たちが日常的に脳を介して意識する「地上的自我意識(パーソナリティ、物的な心、現在の私)」は、「本来の自我意識(インディビジュアリティ、霊的な心、本来の私)」の一部分のことである。シルバーバーチは『地上に生まれてきたパーソナリティは一個のインディビジュアリティの側面の一つ』(9200⑩~⑪参照)と述べる。

神の分霊たる“霊”は、この「本来の自我意識」の中に潜在している。そのため潜在している“霊”と、その“霊”が顕在化する場所(霊の外皮たる魂、意識)を、ワンセットにして「霊魂(本来の自我意識)」と呼んでいる。

 

C:潜在している“分霊”を顕在化させる

人間は肌の色に関係なく、個々人の“意識(本来の自我意識、霊魂)”の中には“分霊(神の分霊)”が宿っている(153⑬、80⑧~⑫参照)。違いは各自に内在している“分霊”が意識の領域に顕在化している割合が、他人と比較して多いか少ないかだけである(→個別霊は0%~100%の範囲内で“神の分霊”が意識の中に顕在化している)。

意識の領域に“分霊”の顕在化率が高くなればなるほど、その人の形体(→肉体や霊的身体)を通して“神の属性(→愛、親切、同情、慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善など:1巻19⑧~⑨、1巻155①~②、2巻107⑤~⑦参照)”がより多く外部に滲み出てくる。

 

イ)本能に起因する意識

A:意識は何らかの形体をまとって自己表現する

形体が無い“本来の私”という意識が“進化(注5)”して行く為には、この世では肉体という形体をまとう必要がある。そして地上体験を通して潜在している“分霊(神の分霊)”を“本来の私(本来の自我意識、霊魂)”の中に顕在化させて行かなければならない。

 

B:物的脳を通して自我を表現する

地上で生活する為には“本来の私という自我意識”は、肉体のコントロールセンターとしての機能を持つ物的脳を通して自己表現をせざるを得ない(→脳を介して表現される意識を顕在意識とか物的な心という)。利他的に働く“本来の私”という意識の一部(→海面上に現れた氷山部分、霊的な心の一部:注6)は、脳を介して“現在の私(物的な心)”に流れ込むが、肉体を有するが故に利己的に働く「本能に起因する意識」に強く制約される。

 

C:肉体を持つが故に働く意識

人間は肉体を維持し保全しようとする意識(→本能に起因する意識)と、自己顕示欲・物欲・名誉欲等と言った“本能から派生する意識”が、“現在の私(→物的脳を介して意識する私、物的な心、パーソナリティ)”に強烈に影響を及ぼしている(語る186⑧~⑨参照)。

 

人間の一日は大部分、肉体本能に影響された意識状態によって支配されていると言える。例えば腹が空けばイライラし体調が悪ければ気持ちはブルー、私たちの意識は四六時中モノに支配された状態となっている。そのため意識的に“現在の私”という意識を高める努力をしなければ、易きに流れる煩悩に満ちた快楽重視の生活になってしまう。

 

ウ)出自の異なる二つの意識

A:価値判断は意識が行う

A:モノ等の対象物」―→「B:目(網膜は情報収集器官)」―→「C:大脳(情報を整理・統合する器官)」―→「D:地上的自我意識(利他的意識と利己的意識のせめぎ合いの中で形成された意識が価値判断を行う)」―→「C:大脳(価値判断に基づき身体の各部位に指令を出す)」―→「E:何らかの動作(筋肉を動かす)」

 

物的脳の容量には限界があるので、脳で受信できる利他的に働く霊的意識の範囲は、「注6」で述べたように最大限「海面上に浮かんだ氷山部分」、通常はその一部分を感知するだけである。この感知した領域から流れ込む利他的に働く霊的意識と、肉体を持つが故に利己的に働く本能に起因する意識、この出自の異なる二つの意識が物的脳を介して一つに統合されて地上的自我意識(物的な心)が形成される。

 

情報収集器官である目の網膜によって集められた情報は、大脳の各部位で整理統合される。その整理統合された情報の価値の判断をするのは地上的自我意識(現在の私)である。この地上的自我意識はその表現器官を肉体に依存しているため、利他的に働く霊的意識よりも利己的に働く本能に起因する意識の影響を強く受けてしまう。そのため大脳には、地上的自我意識から物質性の濃い指令が発せられる。その指令に沿って肉体の各部位は筋肉を動かして、各種の動作を伴った行動(→言葉を発する、何らかの行動を取る)を行う(注7)。

 

B:異なる意識がせめぎ合う

「注7」で述べたように、その人の地上的人格(パーソナリティ、物的な心、地上的自我意識)は利他的に働く意識と利己的に働く意識、この出自の異なる二つの意識のせめぎ合いの中で形作られてゆく(道しるべ46⑤~⑦参照)。

この世は物質の世界なので余ほど気を引き締めて生活をしないと利己的に働く意識が強くなって、その結果“安易な生き方”に流れてしまい、地上的人格(地上的自我意識、顕在意識)に上がってくる利他的に働く霊的意識の割合は限りなく低くなる。そのため多くの人は利己性が強調された地上的人格像を形成してしまう。

 

エ)持ち帰る「新たな体験」

A:取り込む領域

「注6、注7」で述べたように地上特有のパーソナリティは、“海面上に浮かぶ氷山”部分から流れ出る霊的意識と、肉体を有するが故に必然的に発生する本能に起因する意識とが物的脳で一つに統合されて形成されたもの。

一般に地上人生で身に付けた知識や思想・特定の教義や体験などは、その人の比較的浅い部分の潜在意識に取り込まれて固着観念となる。いわば“独特なイロ”が付く霊的意識となる。この意識部分(→例示した“海面上に浮かぶ氷山”に取り込まれる)に取り込んだ体験が、新たな地上体験として霊的家族・類魂に持ち帰ることになる。

 

B:物質臭に満ちた意識

“海面上に浮かぶ氷山”に例えられる比較的浅い部分の潜在意識に取り込まれた“新たな地上体験”には、しばしば“ケバケバしい物質臭に満ちた意識(→強欲・淫乱・執着・ねたみ等の煩悩に満ちた意識)”が付着している。

これらの地上体験を通してその人の人格の一部となってしまった“煩悩に満ちた意識”を、幽界の下層界での厳しい体験を通して取り除いていく。一連の体験を経て“地上体験が昇華”されて、海面下に隠れている“氷山部分(より深い潜在意識・霊的意識)”と融合して行く。その過程が幽界生活となる。

 

C:他界霊の意識

幽界の下層界で生活する他界霊の意識は、表面意識の“浅い部分の霊的意識(→海面上に浮かんだ氷山部分)”と、霊的自覚が芽生えるまでは浮上してこない“より深い霊的意識(→海面下に隠れた氷山部分)”の二つに分けることが出来る。

 

③.人間の構造、意識と形体の関係

ア)意識レベルに応じた形体をまとう

A:表現器官としての形体

形体が無い“私という意識(自我の本体)”が進化して行く為には、何らかの“形体”をまとって体験を積む必要がある。『シルバーバーチの霊訓』には「意識は脳とは完全に独立した形でも存在します」「心はそれ自体で存在します。しかし、それを自覚するには何らかの表現器官が必要です。そのために人間に幾つかの身体が具わっている」とある(3194⑩~195②参照)。

 

私という意識が地上で物的体験を積むためには、霊格に関係なく全員が同一構造の肉体をまとう必要がある。これに対してあの世で霊的体験を積むためにまとう霊的身体は、その霊の霊的レベルに応じた相応の形体となる。

 

B:神の属性が形体を通して滲み出る

このように形が無い意識が体験を積むためにまとう形体からは、進化レベルの向上に比例して“神の属性(→愛・寛容さ・叡智・親切・優しさ・思いやりの心など)”がより多く外部に滲み出てくる。そのため霊界通信には、高級霊の姿からは「慈愛に満ちた雰囲気」が形体(霊的身体)を通して滲み出ている、と同時に「強い光輝が伴っている」と言った記載がある。これに対して“傲慢さ、残忍さ、野蛮さ”などの獣性は霊性の停滞を招くので(8207②~③、5100⑨参照)、幽界下層に存在する“浄化の為の界層”で過ごす霊の姿からは、貧弱な霊性が滲み出ている。

 

イ)地球人は物質性が極めて強い形体をまとう

A:自己主張が強くなる

地球人がまとう肉体(物的身体)には、進化レベルに相応した極めて物質性が濃いという特徴がある(→霊性レベルが高まれば、まとう物的身体は次第に希薄化する)。物質性が濃ければそれだけ自己保全の本能が強く働くことになる。なぜなら物的個体の生存を強調する“本能に起因する意識”が強く顕在意識に作用するから。その結果、際限なき貪欲や利己心、すべてが“自分ファーストや自国ファースト”といった行動や発言として表れてくる。また自己保全に由来する自己主張も極めて強く、その強さに応じて他者との衝突も多くなる。

 

B:肉体は“学校の制服”

我々地球人は肉体という形体をまとって、両極性の世界(→利他性に満ちた行動や利己性に満ちた行動をとる人たちと日常的に出会う混在した世界)で物的体験を積み重ねながら学んでいる。それ故にスピリチュアリズムでは地上世界を「学校」と呼んでいる。肉体は“私という意識”がまとう「学校の制服」である。

 

ウ)地上での悟りと霊的な悟り

A:地上での悟り

地上では「魂が目を覚ました(→霊的に覚醒する、霊的自覚を持つ)」という場合でも、物的身体を通して自己表現をしている以上、肉体の欲求や煩悩等の“本能に起因する意識”に絶えず悩まされることになる。なぜなら地上世界では「霊的なバイブレーションよりは物的なバイブレーションの方が感応しやすい」から(444⑬~⑭参照)。

いわば地上では「霊的覚醒」の状態を、絶えず物的なバイブレーションによって試されている様なもの。この点が霊界に於ける「自覚(悟り)」との違いになっている。

 

B:霊界での悟り

霊界では霊的身体で自己を表現するため、地上のように物的身体で表現する必要がない分、“自覚(悟り)したという意識”はよりクリアな状態となっている。我々は肉体を持つが故に、人は絶えず「本能に起因する意識」によって自覚の程度を試されるといえる。

 

2.他界霊の意識の変遷

①.グラデーション的に変化する世界

ア)死後の世界の界層

あの世とは霊的な波長・バイブレーションが、低い段階から高い段階へと“グラデーション的に変化する一つの世界”のこと。この「霊の世界(広義の霊界)」を分かり易く表現する為に、地上と接する界層を特別に「中間境(幽界の下層界の一部)」と呼んでいる。その上の界層を順次「幽界」や「霊界(狭義)」と呼ぶ。

 

従ってこの世からあの世へは、意識の深まりに伴って「A:物質の世界」→「B:中間境(物的から霊的なバイブレーションに転換する為の界)」→「C:幽界(下層界、上層界)」→「D:霊界(狭義)」と移行し、それらの界層は連続して繋がっている。意識の深まりに伴って周囲のバイブレーションも変化して行く。BAより、CBより、DCよりバイブレーションは高い。その為それぞれ下位の者から上位の世界は見えない。

 

イ)死後の行程(AFの順番で私の意識は拡大して行く)

他界霊は次のような意識の段階を経ながら“霊界(狭義)”で待つ霊的家族のもとに帰って行く。その行程を次に示す。

 

A:極限状態(シルバーコードで肉体と霊体は繋がっている:臨死体験、お迎え現象など)

B:死(シルバーコードが切断する:虫の知らせ、夢枕に立つ現象などは切断直後の現象)

C:ガイドとの出会い(出会いには他界者が穏やかな意識状態にあることが必要不可欠)

500に及ぶ現地報告』92⑫~⑯参照

D:明確な死の自覚を持つ(この自覚を有した霊は中間境を抜けて幽界の下層に移行する)

E:明確な霊的自覚を持つ(この自覚を有した霊は幽界の上層に移行する)

F:さらに自覚が深まる(狭義の霊界に移行して“霊的家族たる類魂”と合流する)

 

ウ)幽界の上層界と下層界

<幽界は上層界と下層界に分けられる>

X:幽界の上層界は「霊的自覚」が芽生えた霊が生活するエリア

Y:幽界の下層界は霊の意識の指向性が「下・物質界」を向いている霊が生活するエリア

 

<下層界は二つに大別できる>

Y―1:奮闘努力が不要の「極楽・天国のようなエリア、楽しい思い出が再現されたエリア」

Y―2:意識に深く染み付いた煩悩を鎮めて「魂の歪みを矯正する浄化の為のエリア」

 

<幽界の概要>

幽界は大きく分けて上層界と下層界に分けられる。幽界の上層界とは、意識の指向性が“上”、つまり霊性の向上に向けられている「霊的自覚(→霊として何をなすべきかを認識した霊)」が芽生えた霊が生活するエリア。これに対して幽界の下層界とは、意識の指向性が未だに“下”、つまり物質界に向けられている霊が生活するエリア。

 

この下層界は大きく分けて“極楽のような世界”、つまり「真の意味での創造というものが存在しない」「地球人類の大半が理想郷と見なしている世界」のこと(永遠の大道122④~⑦参照)。これに対して魂(=意識)に深く染み付いた煩悩を鎮めたり魂の歪みを矯正したりする世界(→カトリックの教理で言うところの“煉獄”のような場所で、苦しみを引き寄せる世界のこと)がある。下層界はこの二つの世界に大別できる。

 

地上生活を終えた他界者のほぼ全ては、中間境を経て親和性によって幽界の下層界に長期・短期の違いはあるが一旦は落ち着く(→無数に存在するY―1の世界に、または無数に存在するY―2の世界に)。これらの界層は霊が地上時代に培った霊的成長に見合ったエリアであり、地上時代の霊性そのままが死後の姿となった住環境である。

 

②.意識の変遷図

ア)意識の区分

<A意識>

より深い「本来の私という霊的意識」で、海面下に隠れている氷山部分のこと。

<B意識>

物的脳を介して形成される「現在の私という意識」に影響を及ぼす霊的意識で、海面上に浮かぶ氷山部分のこと。この部分に“地上体験や知識”を取り込み、そこから地上臭を拭い去ってA意識の中に溶け込ませる役割を担う霊的意識。

<C意識>

物的脳を介して形成される「現在の私という意識(顕在意識)」。C意識は「本能に起因する意識」に強く影響を受ける。

 

イ)1図~7図の略図

・1図と7図:霊界(狭義)                

図は崩れた形だが長方形の形         | A 

          

2図:出生準備段階、6図:幽界の上層           

長方形が点線でABに二分されている   A : B

 

・3図:地上時代(幼児期)                   

長方形のABの境界が点線になっている  A :B   C

 

・4図:地上時代(10代以降)                  

長方形のABCの境界は実線       A |B |C

 

・5図:幽界の下層                     ・・・

長方形のABCの境界は実線       |A |B |C  :

  Cは点線で囲まれている            ―――――・・・

 

ウ)略図の解説

◆1図、7図:霊界(狭義)

霊界(狭義)では個別霊は形体面から見た客観的存在と、類魂の一員という主観的存在の二面を併せ持っている。個別霊の霊的意識(=インデビジュアリティ)は「同一霊格で親和性のある複数の個別霊」の意識と繋がっている(ベースとなる類魂の意識)。

 

6図のB意識に存在した“無害化”された地上的体験は、AとBを隔てていた境界線の壁が消滅することにより、Aに溶け込み混じり合う。1図のAとの違いは、7図のAには今回の地上体験が混じり合っていること。B意識がA意識に溶け込むことによって“霊的家族(→同一霊格で親和性のある複数の個別霊)”もその体験を使用することが出来るようになる。

 

◆2図:出生準備段階

地上に再生することが決まれば「待機状態」に入る。この段階になると個別霊の霊的意識の中に、専ら地上的人格に影響を及ぼす“霊的意識B(→地上体験で色付きとなる意識)”が境界線(→未完成の点線として)によって区分けされる。この段階ではいまだAとBの境界線は未完成の状態にある。このBの部分が“海面上の氷山”または“ダイヤモンドの相”に相当する部分のこと。

 

シルバーバーチは霊界の記録簿を調査して母胎に宿る以前の“バーバネル”を選び出した(917①~②、語る22⑦)。この段階ではまだバーバネルが母胎に宿る前のことなので、いわば「霊界の出生リスト表」から選んだことになる。<2図>の“バーバネル”という個別霊の意識(=インディビジュアリティ)の霊的レベルと「今度生まれたらスピリチュアリズムの普及に生涯を捧げると約束した」(10214④~⑤)という決意に着目して地上側の霊媒に選出したのではないかと思われる。

                                                

◆3図:地上時代(幼児期)

幼児期段階ではAとBを仕切る境界線の壁はいまだ未完成(点線)である。そのためAに溶け込んでいる「前世の記憶」はABの未完成の壁を通ってBに入り、そして条件が整った時点で幼児の顕在意識たるCに浮き上がってくる。これが時々出現する「前世を話す子供(江戸時代の勝五郎の再生話は有名)」の再生話のメカニズム。

 

◆4図:地上時代(10代以降)

この段階になるとAとBを仕切る境界線の壁は完成(実線)する。“地上的自我”が確立して地上体験を積み重ねていくと、霊的意識Bは独特な色に染まって行く。本来人間は霊であるので当然に霊的知識を有しているのだが、新たに地上体験を積むために霊的意識のAとBに蓋をする(→Bを地上体験という色で染めて、それをAにとけ込ませる必要から)。

自由意志を行使しながら地上体験を積ませて、人生は“死によって終了するのではない”ということをCの顕在意識に学ばせていく。そして生き方を変えていく。その過程の体験を持ち帰るのが本来の姿。

 

しかし多くの人間は地上体験によって、Bの潜在意識の浅い部分には長い間に習慣化・パターン化した悪癖や動物性が過度に強調された性癖が、Bのより深い部分には偏見に満ちた固着観念や宗教の教義、記憶としてため込んだ思想や知識などがとけ込んでいる。人によっては「残忍さ・傲慢さ・貪欲・淫乱」等といった歪んだ欲望が過度に強調されて、その人の地上的人格の一部(BとCの部分)となってしまった者も出てくる。

 

霊媒現象は霊媒の“潜在意識B”にある用語を使う(個人的存在20⑪~参照)。そのため霊能者と通信霊とのオーラの融合が不十分な場合は、霊界通信に霊能者の“潜在意識B”にある思想や偏見で“色”が付いてしまう。

 

前世体験はAに溶け込んでいるので「前世を自力で思い出せる(→背後霊の力を借りずに)」と言う人は、その人の潜在意識の奥深くに存在するAまで意識を保ったままの状態で探ることが可能、ということを意味する(→精神を統一して「C意識→B意識→A意識」という具合に意識を保ったままの状態で、果たしてA意識の深層まで辿り着けるのか?)。

ヒントは背後霊にある。背後霊はその人に前世を知らせることが霊性向上に寄与すると判断すれば例外的に教えてくれる。しかしそれはあくまで背後霊の判断で行われるもの、地上人側の都合で前世を教えるものではない。

シルバーバーチは「その人が潜在意識の奥深くまで探りを入れることが出来れば、それは可能です。ですが、はたして地上の人間でその深層まで到達できる人がいるかどうかは、極めて疑問です」「そこまで探りを入れるには大変な霊力が必要」(6182④~⑧)と述べる。

 

◆5図:幽界の下層

地上時代の習慣は長い間に形づくられてきたものなので、死んで物的身体を脱ぎ捨てても好みや習慣、人間的煩悩に満ちた意識は存在する(2149⑬~⑮、724⑫~⑭)。この意識は“地上的人格の残像”として、点線で囲われたCに存在する。人によっては地上人生が“動物性を過度に発現”させるような体験を積んでしまった者もいる。これらが“地上的人格の残像C”や、ケバケバシイ色合いで着色されたBとして存在している。これらをAが再生人生に於ける地上体験として活用するためには、一種の“無害化という作業(→生々しい体験を客観視するレベルにまで高める作業)”を行う必要がある。その場所が幽界の下層である。

 

6図:幽界の上層

他界霊は幽界の下層界で生活していくうちに、次第に「霊的自覚」が芽生えてくる。「霊的自覚」の芽生えとともに地上的残像であるCが消えて行く(その結果、界層の上昇が起きる)。

それに応じてAとBを区切る境界線も次第に崩れていく。Aの意識が霊の表面意識に浮き上がってくるに従い、徐々に帰るべき我が家(類魂、霊的家族)を意識するようになる。

 

3.中間境での他界霊の意識

①.「死後」すみやかに「死の自覚」を持つことの大切さ

ア)意識の切り替えによる波長の調整

A:「死」と「死のプロセス」

霊的に見れば「死」とは“太い二本のシルバーコード”が切断した時のこと。また「死のプロセス」とは物的世界の粗い振動数を持つ肉体を捨てて(→捨てるとは“意識の焦点”を肉体から外して霊的身体に向けること)、霊的世界のより細かな振動数に対応する身体に“脱皮”していく一連の過程のことである(注8)。その“脱皮”を完了させるには、自分は死んで霊の世界に来たという「死の自覚」が必要となる。完了した霊は中間境に中間物質の接合体を脱ぎ捨てて、新調の幽体をまとって幽界の相応の界層へ引き寄せられていく。

 

B:「死の自覚」の芽生え

霊界通信によれば、多くの他界霊は“死の深い眠り”から目覚めると地上の懐かしい環境をうろつき回るが、誰一人として自分の存在に気付いてくれない、そのことに落胆するという。やがて“霊の表面意識”の中に「死の自覚」が芽生えてくるようになると、自分の置かれた環境の変化に気付き、物的世界とは別の世界にいるという現実を次第に理解し始めるようになる。このことをシルバーバーチは「やがて(死の)自覚の芽生えとともに別の意識の世界にいるのだと言うことを理解する」(1235⑫参照)と述べる。

そして「死の自覚」の深まりとともに、肉体に向いていた意識が徐々に霊的なものに向かい始めて、物から霊に切り替わって、霊的世界の細かな波長に感応して行く。意識が切り替わって霊的波長の調整が整ってくると、物的要素を多く含んだ幽体が完成する。

 

マイヤースの通信には「中間境に滞在中に各自は半物質的身体から脱皮して、より垢抜けのした身体に宿り(→幽体のこと)、それでこのイリュージョンの世界、地上生活の願望の反映でこしらえた世界で過ごす」(永遠の大道50⑪~⑫参照)。また「地上の旅を終えた魂は、その中間境において古いダブルも脱ぎ捨てて、次の界層にふさわしい身体を身に付ける。その新しい形態に宿って、さらに旅を続けることになる」(個人的存在38⑦~⑧参照)とある。

 

C:「霊的自覚」を持つまでは時間がかかる

大半の他界霊は死後ほどなくして「明確な死の自覚(→自分は死んで霊の世界に来たという自覚)」を持てるようになるが、そこから次の段階である「明確な霊的自覚(→霊として何を為すべきかの自覚)」という意識を持つ迄には相当な時間がかかるという(→霊訓には「完全な自覚に到達するには相当な時間がかかります」とある:1060⑦~⑧参照)。

 

イ)霊的視力の有無

A:ガイドの助力によってモノが見える

霊の世界に来た当初の“死の自覚がない他界霊”は、脱ぎ棄ててきた肉眼でモノを見ようとするため、しばしば「何も見えない」「真っ暗な世界にいる」と述べる。多くの他界霊の視力はガイドや出迎え霊の霊力の助けを借りて“霊的世界の客観物”を見ているにすぎない(→指導霊の霊力の助けを借りてモノを見ることにつき、彼方2巻210頁~215頁参照)。なぜなら物的波長から霊的波長に切り替えができていないので、霊的身体に具わっている霊的視力が使えないため。他界霊に「死の自覚」が芽生えるまでは(→本人に死に関して受け入れ態勢が整うまでは)、完全に目隠しされた状態に置かれるから(315⑧~⑩参照)。

 

他界霊は「自分は死んだのだろうか」と言った“死の意識”の芽生えの程度に比例して、自身の霊的身体に備わっている“霊的な五感(→見る聞く触れるなどのサイキック能力)”の使用が可能となってくる。このように他界霊にとっては、意識の切り替えに必要な「死の自覚」を持つことは必要最低限の条件となっている。

霊界通信の中には「死の自覚」が芽生えない他界霊が、ガイドの案内で見学した“霊界の病院”を描写している箇所がある。霊的視力が芽生えない霊になぜ周囲が見えるか、そのカギはガイドの助力にある。他界霊の“休眠状態にある霊的身体”に、ガイドが一時的に霊的エネルギーを注入して霊的視力を開かせたから。

 

B:習慣的に肉眼でモノを見ようとするから何も見えない

精神科医ウィックランド博士の招霊実験会に「タイタニック号事件」で他界した霊が出現した。霊は「溺れたのです。でもまた息を吹き返しました」「どこにいるか分かりません。目が見えなくなってしまった! 何も見えない! 海の水で目をやられたのかも知れませんが、とにかく見えません」。これに対してウィックランド博士は「それは霊的な暗闇のせいですよ。死後にも生命があることを知らずに肉体から離れた人は、暗闇に置かれるのです。無知が生み出す暗闇です」(ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版1993年刊、513頁参照)と諭している場面がある。

 

この他界霊は未だに意識が脱ぎ棄ててきた肉体に向いているため、自分は死んで霊の世界に来たと言う現実を理解していない。「死の自覚」が芽生えないために意識の切り替えが出来ず、霊的身体に具わっている霊的感覚器官の使用が出来ない、そのため長年の習慣から肉眼でモノを見ようとするから「何も見えない」と言っているに過ぎない。

 

C:自覚が全てのカギ

霊的な理解は「自覚が全てのカギ」(319④参照)となるので、「明確な死の自覚」によって意識の焦点は物的なものから霊的なものへと完全に移行する。「死の自覚」を持つことの大切さがここからも分る。

 

ウ)地縛霊(注9)

A:地縛霊とは

いわゆる「地縛霊」とは「明確な死の自覚」を有しない霊、未だに肉体があると思っている霊のこと。これに対して「低級霊」とは「明確な死の自覚」を有するも、まだ「明確な霊的自覚」は有しない「物質臭」の強い霊のこと。霊の意識の指向性がいまだに物質界を向いている地上的人格の残像が強く残る霊であり、幽界の下層界に住む霊のことをいう。一般に「低級霊」と言う場合は、中間境にいる意識の切り替えが完了していない「移行中の霊」や「地縛霊」も含めている。

 

死んで霊の世界に来た者の多くは、霊的波長よりは物的波長の中で暮らしている“霊(低級霊)”である。その物的波長の中で暮らしている霊の中でも、死によって肉体を棄てたにもかかわらず本人は死を自覚せずに、いまだに肉体があると信じており、意識が地上世界に向いている霊、つまり「意識の切り替えが長引いて完了していない霊」を地縛霊という。または何時までも「死の自覚」がなく、地上に縛られている霊だから「地縛霊」と呼ぶ。

 

B:いつまでも意識の切り替えが完了しない霊

霊の世界では何事も「自覚する」ことが必要で、これが向上の条件になっている。自覚の芽生えとともに次に進むべき世界が次第に見えてくる(320⑩~21③参照)。他界霊は“この世”と“あの世”が接する「中間境」で、霊的世界のバイブレーションに感応するために必要な意識の切り替えをガイドの手助けによって行う。他界霊の意識は「死の自覚の芽生え(→自分は死んだのかな)」に始まって、私は死んで霊の世界に来たのだという「明確な死の自覚」に至るまで、その意識には無数の段階がある。

 

数多い他界霊の中には「死の自覚」が持てずに霊的調整がなかなか完了しないため、何百年も地縛霊状態を続けて「中間境」に滞在している霊もいる。このような他界霊は“新調の衣装”である幽体がいまだ完成せず(→「明確な死の自覚」を持つことによって物的波長から霊的波長に切り替えが完了して幽体の使用が可能となる。その死の自覚がいまだに持てないから)、そのため「半物質状の接合体」を脱ぎ捨てることが出来ずに、いつまでも「中間境」を抜け出せないからである(永遠の大道50⑪~⑫、個人的存在38⑦~⑧参照)。シルバーバーチは少数ながら死後「死の自覚」が持てずに相変わらず物質界に繋がれた地縛霊がいると述べている(864⑤参照)。

 

エ)「死の自覚」を持つことの大切さ

A:小鳥が鳥籠から大空に羽ばたいていく

この「死の自覚」を持つことの大切さは、他界霊の意識が「死の自覚」を持つことによって切り替わって、地上時代に味わった「物的身体がもたらしていた一切の痛みと苦労と障害から解放」(748⑬~⑭参照)されて、霊は「肉体の病に苦しむことがない」(788⑬参照)状態となるから。

この意識の切り替えによって、初めて他界霊は「(死を)小鳥が鳥籠から解き放たれて大空に羽ばたいて行く」(1180⑨~⑪参照)とか、「死とは第二の誕生」(344⑬参照)であると言える状態となる。死ねば直ちにこの意識状態となるわけではない。この点からも死後の早い段階で「明確な死の自覚」を持つことの大切さが理解できる。

 

B:病は脱ぎ棄てた肉体にあるもの

現実に他界霊が「死の自覚」を持つことによって意識の焦点が“病を持った肉体”から離れると同時に、肉体が持つ病からも解放されて(→病は肉体の不具合から生じたのであって霊的身体は病んでいないから)、さらにはその病を持った霊に憑依されていた患者自身の同一箇所の病も治癒されたという話がある。

 

――落馬によって首や背骨を傷めて死んだ霊は、死の自覚がなく(→霊は「今は死んでいる気がしません」と述べている)未だに死の間際の肉体の痛みを引きずっている。その霊が無意識に憑依した夫人(患者)も長年にわたって同様の箇所の痛みに悩まされてきた。夫人に憑依した霊は医師のウィックランド博士の説得によって、次第に「死の自覚」が芽生えてきた。その結果わずかながら霊的視力が使えるようになってきて、周りで待機していた母の姿を認めることが出来た。博士から「お母さんとマーシーバンド(救済のための霊団)の方たちと一緒になったつもりになってごらんなさい」(→意識の焦点を救済霊に合わせる。棄て去った肉体から救済霊に“意識のスイッチ”を切り替えること)と言われて、地縛霊は患者から離れていった。その後患者は首や背骨の痛みから解放された(ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版、399頁~415頁)――

 

C:意識が肉体から離れるメリット

上記の事例では地縛状態の憑依霊が「死の自覚」を持つことによって、意識の焦点が肉体から離れて霊的世界に向いた。その結果、憑依霊は肉体の病から解放されたと同時に、憑依されていた患者も同一箇所の病から解放されるという現象が起きている。

 

他界霊の意識が「死の自覚」を持つことによって肉体から離れて、霊的世界のバイブレーションに感応するようになる。その結果、意識の焦点が“病んだ肉体”からズレる、脱ぎ捨ててきた肉体にまつわる病気の痛みや、肉体の欠陥などに伴う苦しみから解放されることになる。この点につきシルバーバーチは意識が切り替わることによって、地上時代に味わった「物的身体がもたらしていた一切の痛みと苦労と障害から解放される」(748⑬~⑭参照)、「肉体の病に苦しむことがない」(788⑬参照)と述べている。

 

オ)地上人の供養

A:死の自覚なし、霊的な五感の使用は不可

他界霊に「死の自覚」が芽生えない場合は、未だ意識の切り替えが完了していないので、形体(霊的身体)に具わっている霊的な“感覚器官”の使用はできない。そのため救済霊との接触は難しいが、地上から送る縁者の念は両者の間に何らかの“愛に基づく磁気回路(→夫婦愛、家族愛、友人愛など)”が敷設されているので届きやすい。この縁者が送る“愛の念”は「生前から親密な間柄だった者のことを強く念じると、その念は生き生きとして活力のあるエネルギーとなり、電波と全く同じように宙を飛び、間違いなくその霊に届く」という(ブルーアイランド92⑪~93④参照)。

 

B:死の自覚有り、霊的な五感の使用が可能

これに対して「死の自覚」を持った「低級霊」(注10)の場合は、霊性レベル相応の霊体に具わっている“霊的感覚器官”の使用が可能となっている。そのため救済霊は「低級霊」との接触が可能となる。

このように他界霊には「死の自覚」の有無が、霊的な五感の使用の有無となって存在している。そのためスピリチュアリズムでは原則として「供養の対象」となる霊は、地縛霊などの「死の自覚」が芽生えない霊(→中間境で“移行中の霊”を含む)のみであって、霊的視力が使える「低級霊」は霊界の救済霊の管轄となる。

 

カ)幽霊とは

幽霊は悲惨な地上生活ゆえに、いつまでも地上の雰囲気から抜け出られないでいる霊が姿を見せた場合(679①~②、到来286④参照)や、何らかの事情があって強い憎しみや恨みを抱いたその念がずっと残っていて、それが何かの拍子に霊の姿となって見える場合(679③、到来286⑤~⑥参照)のいずれかである。「一般に幽霊が出たという場合は、いわゆる地縛霊の仕業である」(語る432⑥~⑪参照)という。

 

②.「自分で自分を裁く」行為

ア)二種類の回想体験

A:シルバーコードは接続している

「走馬燈的な回想体験」はシルバーコードの接続の有無に着目すると二種類存在する。

しばしば極限状態(→臨死体験や登山者の遭難事故・岩場からの滑落事故、交通事故など)に陥った際に「一瞬の間に自分の全生涯を見た」という体験報告がある。重大事故に遭遇した瞬間に「自動再生装置」のスイッチが入って「人生の回顧、人生のフラッシュバック」が始動する現象である。いわば人間の極限状態の際に放出される心霊的エネルギーを使った一種のサイキック現象と言えるもの。この場合は死の一歩手前で、いまだシルバーコードが繋がった状態で体験する現象、生還者が語る体験談のことである。

 

B:大量の心霊的エネルギーの放出

シルバーバーチは「(人間の)“死に際”には大変な量の心霊的エネルギーや霊的エネルギーが放出される」(到来237⑪参照)と述べる。シルバーコードの切断後、このエネルギーを使って遠くにいる縁者に生前の姿を見せる現象や、「死んだ肉親が、死亡時刻とちょうど同じころ夢枕に立った」という現象、または死の直前に世話になった人のもとを訪れる現象などが報告されている(→「夢枕に立つ」「虫の知らせ」「危機幻像」などと呼ばれている)。これらは“死に際”に放出されるエネルギーを使った現象である。

 

C:シルバーコードが切断した後の体験

次に物的身体と霊的身体を結ぶシルバーコードが切断して死を迎えた後、中間境で自分の一生をパノラマ的に見る現象がある。その映像を見た他界霊は、自分の生涯を回想して何らかの評価を下すことになる。私たちは霊界通信の中でこの“事実”を知ることになる。以下に於いて見ていくのは後者の“中間境での回想体験”である。

 

イ)霊的法則という物差し

A:本来の私が審判者

他界霊は死後「中間境」でまどろみながら、地上時代の言動や心に宿した想念の全記録を、フラッシュバック的な映像の形で見せられる。この場合の想念とは強く念じた想いや片時も頭から離れない想念のことであり、日常の他愛もない想念のことではない(ブルーアイランド94④~⑭参照)。

そして一時的に霊的意識の奥深くから浮上してきた“本来の私という意識(自我の本体)”が審判者となって、地上時代の自分(現在の私、地上的自我意識)を「霊的法則という物差し(→現在の到達した霊的レベルで理解できる範囲の法則)」を使って裁くことになる。これは誰かから命じられるわけでもなく自然な形で、自分の一生を振り返って見て「世の中のためにどれだけ自分を役立てたか」という判断基準で“自分(本来の私)”で“自分(現在の私、地上で見せていた人物像)”の地上生活を裁くことになる(787⑨~⑪、9210⑧参照)。その結果、やるべきことをやらずに終わったことや、逃がしてしまった好機が幾つもあったことを知って後悔し、すべてをすぐにでも償いたい気持ちになる(5179①~④参照)。

 

B:たとえ

「自分で自分を裁く」を分かり易い例を挙げれば、個々人が有する「人生のテーマ(→新たな地上体験を積む、カルマの解消)」を達成するために70歳の人生経験豊富な老人(→本来の私、船上にいる私)が、20歳の未熟な若者の能力しか発揮できない“肉体という制服(→ハンディキャップを課した制服、潜水具を装着して海底作業に当たっている私)”をまとって、もどかしい状態の中で悪戦苦闘しながら地上体験をしてきた、その体験を70歳の老人の目から評価する状態(→海底作業の進捗状況を評価する)、と言えようか。

 

ウ)進むべき道が明らかとなる

他界霊は中間境で「走馬燈的な回想体験」をすることによって、地上時代の出来事の因果関係を理解する。問題点がどこにあったかが明らかになり、その後の進むべき方向が見えてくる。その“問題解決の方向”に進むか否かは他界霊の自由意志の問題となる。

自堕落な地上人生を送った者が中間境で「走馬燈的な回想体験」をしたからと言って、直ちに“本性が一変”することは有り得ない。その後の自身の自由意志の行使によって徐々に変化して行くだけ。長年染みついた地上時代の習性や性癖、例えば長年に亘り他人に暴行や恐喝を繰り返し行ってきた者の習性は、中間境で「回想体験」をしたから「死の自覚」を持ったからと言っても簡単には変えられない(→意識の歪みは幽界の下層界で矯正していく)。

 

4.幽界での他界霊の意識

①.中間境から幽界へ

A:霊の世界に順応するための施設

他界霊(=帰還途上の霊)が霊の世界の生活に順応していくための施設や(メッセージ62⑥~⑩参照)、自分で自分を裁く場が物質界と霊的世界が接する地点、いわゆる「中間境」に用意されている。この「中間境」で休息しながら物的波長から霊的波長への調整や、霊的機能の発達を図ることになる。そして霊の世界の生活に順応する為の準備が「整った時点で本来の霊格に合った境涯へ赴く」(続霊訓191⑩~⑭参照)ことになる。

 

B:「本来の霊格に合った境涯」とは

この場合の「本来の霊格に合った境涯」とは「地上で培われた霊性に相応しい界層」(1234②参照)や、「地上時代に培った霊的成長と民族の資質に似合った場所」(ブルーアイランド125①、138②~③参照)のことなので、死後に赴く幽界の環境は「地上時代の魂の成長度によって決まる」(1236⑥参照)ともいえる。この段階では“霊の表面意識(→地上的人格の残像が維持された意識、BC意識)”に「本来の私という意識(自我の本体、A意識)」は未だ浮上していないので、その霊的レベルに見合った界層のことではない(→霊的レベルが高い霊であっても、再生人生に於いて“本能を強めた生き方”をしてしまい、霊性を停滞させてしまう場合もあるから)。

 

②.幽界の下層界

ア)地上的人格の残像

A:シルバーバーチの霊訓では

地上時代の習慣は長い間に形作られてきたものなので、死んで物的身体を脱ぎ捨てても好みや習慣(2149⑬参照)、人間的煩悩に満ちた意識は存在する。英国風の家で過ごした人は英国風の家に住み(2149⑭~⑮参照)、利己的な人は相変わらず利己的である。「霊的自覚」の芽生えが起きるまでは地上的人格の残像(→地上時代に形成された性癖や習性等の意識)は、そのままの状態で維持されている(724⑫~⑭、福音189②~⑥参照)。人間は死後、誰でも直ちに「本来の自我意識(自我の本体)」が自覚できるわけではない。

 

B:その他の霊訓では

モーゼスの『霊訓』にも「人間は霊界に来たからとて、地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えて来るのである。変わるのは肉体を棄てたと云うことのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたとてその本性が変わるものではない。それは、誠実にして純真なる向上心に燃える魂が、死とともに俗悪なる魂に一変することが有り得ぬのと同じである」(霊訓上32⑭~33③参照)とある(→他界霊の表面意識であるB意識に地上的人格の残滓であるC意識が付着)。

 

GV・オーエン著『ベールの彼方の生活』では「人間が地上生活を終えてこちら来た当初は、地上にいた時とそっくりそのまま」「いかなる宗教であれ、信仰厚き者はその宗教の教義に則った信仰と生活様式とをそのまま続けるのが常である」「霊的成長と共に“識別”の意識が芽生え、一界また一界と向上するうちに籾殻が一握りずつ棄て去られて行く」(彼方2179⑦~⑩参照)とある。

 

イ)思念は環境を形成する

A:死の自覚を持った霊

中間境で「走馬燈的な回想体験」などによって、大部分の他界霊は“自分は死んで霊の世界に移行してきた”という現実を理解する(→「死の自覚」を持つ)。そして波長の調整を終えて中間境を出て幽界の相応の世界に移行する。

他界霊の大部分は地上時代に形成された習性・性癖・固着思想(→強く影響を受けた思想や教義)によって、独特な意識を保ったままの状態で、幽界の下層界に無数に存在するそれぞれのエリアに引き付けられていく。

 

B:地上時代そのままの人格

幽界の下層世界に落ち着いた霊の意識は、中間境で「回想体験」を終えたからと言っても地上時代そのままであり、作り出す思念も地上時代の影響を色濃く残している(→意識の指向性がモノに向いている)。地上時代に金儲けが全てであった者は、四六始終その人の意識が株取引で占められていれば、幽界に来てからも金儲け以外の創造的な思念は作れない。そのため他界霊は、霊の世界では全く無意味な金儲けの好きな霊が集まった環境に身を置くことになる(→個人的存在67頁、フェニックス家の次男ウォルターの事例参照)。地上時代に暴行や恐喝で明け暮れていた者は、作り出す思念も暴力の世界そのものであり、幽界での落ち着き先も親和性からそのような場所になる。なぜならその人の思念が住環境をこしらえるから。

少なくとも「霊的自覚の芽生え(→霊として何を為すべきか)」までは、他界霊の行動や思念に「地上的人格の残像」が強く影響を及ぼす。

 

ウ)意識の二重構造

このような地上的習慣が色濃く残る他界霊の意識は「偏見や性癖」に満ちた表面意識(→物質臭の強い意識)と、霊的自覚が芽生えてくるまでは表面に浮上してこない「大きな霊的意識」という二重構造になっている。そのため地上時代の体験によって形成された「利己的、冷酷、享楽的、血縁重視」といった意識は、“霊の表面意識(→普段用いている意識)”の中に「霊的自覚」という意識が芽生えてくるまでは偏見や性癖と言う形で居座り続けることになる。なぜなら霊的成長はゆっくりとしたスピードであり、より深い部分にある「大きな霊的意識」は霊的成長と共に少しずつ表面意識の中に浮かび上がってくるものだから。物質臭が抜けきらない幽界の下層にいる霊界人とはこのような意識構造を持った霊たちである。

 

意識の二重構造につき、マイヤースの通信には「地上生活においてもそうであるが、こちらの生活にも顕在意識というものがある。つまり同一境涯において基本的に類似した存在どうしが認識し合う自我である」(永遠の大道148③~④参照)との記載がある。

 

エ)浄化の為の世界

A:思念が環境を形成する

霊的世界は思念が実在の世界であり(4124⑨参照)、心に思うことに実体が伴い実感がある。そのため想いが周りの環境を作り上げる(→思念は環境を形成するから)。

幽界の下層界は物質臭の強い思念を発する霊が引き寄せられて、集まって生活している世界である。その一群の中には地上時代に大酒のみであった者や麻薬中毒患者などがおり、地上人で似たような傾向を持つ「受け皿」のある人間の欲望を増幅するという形で、影響力を行使して満足を味わう霊もいる(1072⑧~⑨参照)。

 

数多い他界霊の中には、地上体験によって「残忍さ・傲慢さ・貪欲・淫乱」等といった“歪んだ欲望”を培ってしまい、表面意識に深く染みこませてしまった霊もいる。このような霊が赴く幽界の下層界にも親和性が働いているため、同類の霊が引き寄せられてくる(霊訓上161⑬~⑮参照)。そのため霊的環境は強い物質臭(俗悪臭)に満ちた世界となっている(霊訓下157⑫~⑬参照)。

 

B:歪んだ意識が苦悩を引き寄せる

他界霊が有する“歪んだ性癖や習性”は苦悩を引き寄せるため、住環境は邪悪性や非道徳性、利己性を思い知らされるような場所となり、そこに住む者にとっては地獄という感覚になる(到来238⑥~⑧、238⑭~239②参照)。ここから地獄とは「魂自らが罪悪を焼き尽くそうとする悔恨の炎」で、身に沁みついてしまった利己主義と犯した罪悪を清める状態のことなので、地獄とは自分自身の中にあると言える(霊訓下221⑬、221②~③参照)。いわば動物性が過度に発達して霊的な歪みが生じた状態を、悔恨の念によって矯正しようとする界層のことであり、宗教ではこの界層を「煉獄や地獄」と呼んでいる。

このような環境で厳しい体験を経ていく中で、次第に表面意識にある歪んだ性癖は修正されて行く。霊によって長短はあるものの内部から霊的自覚が芽生えてくるまでは、矯正のためにこのような界層に留まることになる。

 

③.霊的自覚の芽生え

幽界において「霊的自覚」が芽生えてきて、徐々に「霊的自覚」が深まっていった霊は、次第に霊的進化のスピードが速まって行く。それに応じて潜在していた「大きな霊的意識」が表面意識の中に浮かび上がってくる。このように幽界生活とは「物質臭の強い表面意識」を中和させて、「大きな霊的意識」の中に穏やかに溶け込ませていく過程に他ならない。物質臭の強い状態で直接溶け込ませることは出来ないため、意識の二重構造は不可欠となっている。これら一連の霊的波長の調整が完了した他界霊は、次の世界である“狭義の霊界”で待つ霊的家族のもとに帰って行く(→但し、血縁中心の“家族”ではない)。「虚像の世界(=幽界)」から「実相の世界」への移行である。

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

<注1>

■この「中間物質の接合体」には「ダブル」「複体」「エーテル体」「幽質結合体」「ペリスピリット」等、さまざまな名称が付けられている。この接合体には“自我の本体(霊的な心、本来の私という意識)”と“脳を介した意識(物的な心、地上的自我)”とを結合させる機能がある(個人的存在79⑥~⑩参照)。

 

■半物質的な性質を持つシルバーコードや物質化現象の材料となるエクトプラズムは、中間物質の接合体の中で精製される。このエクトプラズムを豊富に製造する能力を持つ者が、物理的心霊現象を起こす物理的霊媒となる(個人的存在82⑫~⑬参照)。

 

<注2>

■人間は体質的に「霊的に敏感な人」と「霊的に鈍感な人」に大別できる。

一本の線上の左端には体質的に「霊的に極めて強い敏感な者」がいる。そこから右に行くに従って鈍感の割合が強くなって行き、右端には自分の目で見たものしか信じない「霊的に極めて強い鈍感な者」がいる。人が持つ霊的感受性は、この左端から右端の何れかの地点の体質を生まれながらに身に付けて来ている。

 

<注3>

ア)現代科学で言う意識

科学の世界では「人間の意識の全ては脳細胞の生理学的活動によって説明できる」「人間が経験する内容は完全に精神内界の出来事である」としている。

この立場から意識は「状況や行動に関して何らかの気付き・自覚がある状態」(広辞苑)とされる。また「無意識とは本人は意識していないが日常の精神に影響を与えている心の深層」(広辞苑)。または「心理学では意識されることなく精神内界で進行する心理過程を無意識と言う」(ブリタニカ国際大百科事典)とある。このように全ての意識は「精神内界」で起きる出来事としている。

現代科学では意識が脳を抜け出す(→臨死体験における体外離脱体験)とか、「脳細胞と切り離された形で意識は存在する」という考えは宗教の範疇とされる。意識は「脳細胞の生理学的活動」によって何人にも感知される所の「顕在意識」と言う意味で用いられている。

 

イ)シルバーバーチが言う意識

シルバーバーチは「意識は脳と完全に独立した形でも存在する。その小さな脳という器との関連で心の働きを考えるのは止めないといけない」(3194⑩~⑪参照)として、現代科学の知見である“意識の概念”の限界を指摘する。そして「意識がさまざまな形体を通して顕現し、その表現を通じて絶え間なく洗練されつつ、内在する神性をより多く発現していく」(3113⑤~⑦参照)と述べる。このように意識は肉体を離れても存在するので、「死後にも立派に意識があり、自覚があり、記憶があり、理性を働かせ愛を表現する力が具わっている」(11202④~⑤参照)となる。

なぜなら“私”とは意識そのものであり(4155②参照)、「身体はあなた(という意識)が住む家」(127⑩参照)だから。その“私”という意識は霊的進化と共に顕在意識の地下領域に当たる潜在意識を深めて、そこに無限の可能性があることを認識して行く(1083⑨、4156⑨参照)。

 

多くの人が“私”と思っている脳を通して形成された“意識(→地上的人物像、パーソナリティ)”とは、“本来の私という意識(→自我の本体、インディビジュアリティ)”の一部にすぎない。シルバーバーチは「地上へ生まれてきたパーソナリティは一個のインディビジュアリティの側面の一つ」(9200⑩~⑪参照)と述べる。マイヤースの死後に刊行された『人間個性と死後の存続(Human Personality and its Bodily Death1903年)』にも、「人間の識閾下(→しきいきか:潜在意識又は無意識unconscious)の自我こそが真の自我であり、通常意識はこの真の自我の一断面にすぎない」とある。

 

ウ)肉体を離れた意識の存在

A:臨死体験

地上の人間も極めてまれに“肉体を離れた意識(→意識と形体との分離)”の存在を感知するケースがある。近年多くの臨死体験事例が報告されている。この事例から明らかになったことは、体外離脱した際にベッドに横たわっている状態では見えない位置にある医療器具や、医療関係者の動作、医師の頭頂部にある肉体的特徴などを正確に言い当てていること。さらに浮揚した状態で病室の外に出ていって、そこに置いてある物品を正確に言い当てたなどが報告されている。

ここから分かることは多くの臨死体験者は肉眼とは別の視力でモノを見ていること(→霊的身体に具わった視力が一時的に使用可能となった)、さらに「意識は肉体の外にある」という体験(=自己視型体験、体外離脱体験)をしているということである。

 

B:肉体からの分離感

体外離脱体験中に起きた心の状態は、臨死体験時の本人の視点は肉体の外にあって、ベッドに横たわる自分の肉体を“他人事のような感覚”で見下ろす「肉体からの分離感」を伴っていること(→本人の視点は肉体の外にある)。肉体から抜け出している間の本人の意識は、肉体ではなく「分離した自分」の中にあること。自分の肉体から分離することによって体が軽くなったような感覚を持つこと。さらに“分離した自分の心の状態”は、完全に覚醒して意識水準は高く、驚くほど思考が明晰になっていることなどが報告されている。

 

C:認知症患者の場合

物的身体と霊的身体を繋いでいる二本の太いシルバーコードのうち脳と繋がった一本がすり減ったり切れたりした場合は、地上的自我意識(物的な心)は表現器官の脳との間で連絡が取れなくなる。いわば“接続不良状態”となった意識は肉体(=脳)から離れて、中間物質の接合体の中に引っ込んでしまい“意識と形体との分離”が発生する。

 

脳と繋がったシルバーコードが切断したことによって、脳に霊的エネルギーが流入しなくなる。その結果、その者の外形は痴呆的症状を見せる。その場合でももう一本の太陽神経叢と繋がったシルバーコードは問題なく繋がっているので、身体上の機能だけは維持されている。このケースでは自我の表現器官である脳に不具合が生じたため、外部に意思を表現できなくなっただけであって、地上的自我意識は正常である(永遠の大道126⑭~127④参照)。

 

D:意識は物的脳を離れても存在する

離脱時の本人の意識は「分離して遊離した身体」にあると言う「自己視型臨死体験」の事例からは、意識は物的脳を離れても存在するという「事実」を強く示唆している。これは科学的知見である「精神(心)は物的脳によって生み出された副産物である」とする立場からは否定されるが。

心霊治療で有名なハリー・エドワーズは、物的脳を通して感知する意識とは別に肉体を離れた意識の存在を「二つの心」として述べている。それによると「私たち各個人は“肉体的な心”のほかに“霊的な心”を持っています・・・」(ハリー・エドワーズ著、梅原伸太郎訳『霊的治療の解明』国書刊行会1984年版、22⑧~23⑦参照)と記している。誤解が生じやすい表現だが、「注4」の潜水具を付けて海底で作業する潜水士の意識(A―1意識、肉体的な心)と、支援船に戻った意識(A意識、霊的な心)の例えを考えれば理解できる。

 

<注4>

■海底作業をイメージ

人間の二つの自我意識(本来の私という意識、現在の私という意識)、つまり「本来の自我意識(本来の私、霊的な心、インディビジュアリティ)」と「地上的自我意識(現在の私、物的な心、パーソナリティ)」の関係を「潜水士の意識」に例えて説明する。

今から200年以上前、1800年前後の海底作業は困難を極めたという。海上に停泊している支援船から伸びた呼吸用のホースを、頭部をすっぽりと覆う鋼鉄製の器具(→ヘルメット型潜水具)に接続して、それを頭部に装着して海底作業を行っていた。

 

Aは地上世界で生活(→いわば“海底”での作業)するためには肉体をまとって(→潜水具を装着して)、本来の意識レベルを落として地上体験を積まなければならない(→海底の水圧と酸素不足によるモウロウとした状態で予め決められた手順で作業を行う)。肉体(→潜水具)は「本来の私A」が地上世界で自己表現(→海底作業)するためにまとう形体である。Aはもどかしい状態の中で地上体験を積んで、寿命がきて(→作業時間の経過により、海上に停泊する支援船に戻って)、本来の意識状態を取り戻す。この海底で作業をしている制約された私の意識状態を「A-1」とし、作業を終えて支援船に戻ったときの私の意識状態をAとする。

 

このように意識面から言えば「A-1:地上的自我意識(現在の私)」は、「A:本来の自我意識(本来の私)」が変容した状態であり、限定された意識状態(→水圧と酸素不足でもうろうとした状態にある意識)にあると言える。この「A-1」の水圧と酸素不足によるモウロウとした状態での海底作業の能力の限界(→地上世界での能力の限界)は、潜水具の性能向上にもよるが、Aの持つ能力(霊性レベル)が限界となる。

 

<注5>

■スピリチュアリズムでは“本来の私という意識”の中に潜在している“霊(神の分霊)”を、より多く意識の領域に顕在化させて行くことを進化(霊的進化)と言う。

人間に関して言えば進化とは、“自我の本体(本来の私という意識、霊的な心)”に潜在している“分霊(神の分霊)”を、より多く意識の領域に顕在化させていく過程に他ならない(333②~④参照)。分霊の顕現が増してゆくにつれて“意識(本来の私という意識)”は深まって行く(到来26⑪、4155⑩~⑪参照)。さらに進化に応じて意識がまとう“表現形体(→肉体や幽体や霊体など)”からは、“神の属性(→愛・寛容さ・叡智・親切・優しさ・思いやりの心・協力の精神など)”がより多く外部に滲み出てくる。これに対して残忍さや野蛮さなどの獣性は、霊性の停滞となって表れる(5100⑨、8207②~③参照)。

 

<注6>

■氷山に例えると

しばしば「自我の本体(=本来の自我意識、本来の私、霊魂、インディビジュアリティ、霊的な心)」と呼ばれている意識は「氷山」に例えられて説明されている(4205②~⑥参照)。氷山は海面上に浮かぶ部分(→“現在の私”に影響を及ぼす霊的意識、B意識)よりも、海面下に隠れている部分(→より深い霊的意識、A意識)の方が遥かに大きい。この「氷山(A意識+B意識)」に例えられる霊的意識の全部は、容量が小さい物的脳には“丸ごと一個分”は入りきれない。

 

物的脳を介して外部に表れた「地上的自我意識(=現在の私、顕在意識、物的な心、パーソナリティ)」、その意識に良心や理性と言う形で利他的に影響を及ぼす「霊的意識(B意識)」は、物的脳が持つ機能によって制約を受ける。霊性の向上により物的脳の処理能力がアップすれば、“海面上に浮かぶ氷山部分(B意識)”の範囲内で脳を通過できる霊的意識の容量は増加していく。地上的自我意識の中に霊的意識の容量が増えた分だけ、その人の肉体を通して利他性がより多く滲み出てくる。

 

<注7>

■大脳の各部位の働き

利他的に働く霊的意識と利己的に働く本能に起因する意識、この相反する二つの意識は実際の脳ではどのように作用しているのか、筆者の考え方を次に示す。

私たちの内面に「怒り、不安、恐怖などの情動」が沸き起こっている時、大脳の奥深くにある大脳基底核(→原始的な感情や意欲である本能や情動を作り出す部位)を取り巻いて存在する大脳辺縁系(→扁桃核、海馬など)が活性化して活発に働いている。この大脳辺縁系は原始的な部位で、人間を含めた動物の本能的な行動や感情に深く関わっている場所である。動物的本能に由来する利己的に働く情動は、地上的自我意識から発せられた指令に沿って大脳辺縁系を激しく活性化させる(X)。

 

これに対して怒りなどの情動をコントロールする機能、理性的な判断や論理的な思考を司る機能が大脳新皮質の中にある前頭葉と呼ばれている場所に存在する。前頭葉は人間やサルなどの高度に発達した動物の脳に見られる。この前頭葉に霊的意識が作用して、ここから発せられた理性的判断は活性化した大脳辺縁系の働きを制御しようとして作用する(Y)。

 

このように動物的本能に淵源を有する利己的に働く情動(X)と、それを制御しようとして働く霊的意識に淵源を有する理性(Y)、この二つの性格の異なる意識が脳を経由して形成された“物的な心”の中で一つに統合されて価値判断が為される。その判断に基づいて発せられた指令は脳の各部位を活性化させて(→その指令に霊的分量が多ければ利他的に働くYが勝ち、少なければ利己的に働くXが勝つ)、一つの言葉や行動となって外部に表現される。

 

<注8>

■マイヤース霊はシルバーバーチと同様に「死とは身体の振動数の変化を意味するに過ぎない」(永遠の大道114⑩参照))、「地上の人間が外的環境を感知するのは、肉体の振動数が環境と同じである一定の範囲に限られているから」(永遠の大道114⑥~⑦参照))と述べる。

 

<注9>

■「メンバーの一人が、最後の審判日を待ちながら死体の埋葬されている墓地で暮らしている霊がいるというが」との質問に対して、シルバーバーチは「事実その通りなのです。それが私たちにとって厄介な問題の一つなのです。教会で聞かされた通りのことが本当に起きるものと信じ切っているものですから、自分からその考えに疑問を感じるようにならない限り、側からはどうしようもないのです。死ねばガブリエルのラッパが聞こえるまで墓地で待つものという想念体を、全生涯をかけて作り上げて来ているわけですから、その想念体が崩れない限りは、いつまでもその牢獄から脱け出られないのです」。さらに地縛霊に死の自覚をさせることの難しさを、次のように述べている。「死んだことが信じられない霊の場合も同じです。信じることを拒んでいる限り、私たちも為す術がありません。もう死んで霊の世界に来ているという事実を信じさせることがどんなに難しいか、皆さんには理解できないでしょう」(メッセージ70④~71①参照)

 

■「何をして過ごすのですか」との問いに、シルバーバーチは「ただ待つだけです(→待つという想念の中にいるだけ:メッセージ71⑨参照)。こちらには“時間”というものがないことを忘れないでください。もし自分が待っているという事実に気が付けば、その思念体が破れるはずなのですが、自分でこしらえた牢獄なのですから」「まわりの出来ごととの関連によって成長と進化を意識していくのでして、時間が刻々と過ぎてゆくというのとは違います。魂が成長し、それにつれて環境が変化していきます。時間というのは出来ごととの関連における地上独自の尺度にすぎません。あなたが無意識であれば時間は存在しません。出来事との関連が無くなるからです」(547⑩~48⑧参照)。

 

<注10

■幽界の下層に住む低級霊は地上的なものを強く引きずっているため(→意識の指向性がいまだモノに向いている霊)、地上世界とよく似た環境の中で「奮闘努力が要らない」ぬるま湯につかったような生活を送ることになる。指導霊はこの界層の「霊的向上心が芽生えない霊や向上心の弱い霊(低級霊)」に、さまざまな形で霊的な向上心を持たせようと指導を行っている。霊は幻想の世界での生活が次第に退屈となって、願望が何でも叶う生活に飽きがくると、進歩の兆し(霊的自覚)が芽生えてくる。地上時代の習性から抜け出して霊的自覚が芽生えるまで、このような一種の過度的な状態が続くことになる。

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

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