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第2講: 基本的事項の整理、その2

目 次

1.階層構造的な霊的世界

2.見えない世界の霊的存在とは

・「天使的存在」と「人間的存在」

・幽界の主な住人たち

・身近な霊的存在

・指導霊崇拝批判

3.代表的な霊的法則「因果律」と「愛」

・因果律

・愛

 

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1.階層構造的な霊的世界

ア)次元の異なる場が重なり合う世界

A、一つの世界

シルバーバーチは「霊界(広義)」とは、霊的レベルが異なった数多くの界層がグラデーション的に連続している世界であり、「霊の世界は一つ、その表現形態は無限である」(4146⑦参照)と述べる。なお霊の世界は地上世界とは異なって地理的な分布ではなく(895⑥参照)、魂の発達程度に応じた“次元の異なる場”が階層構造的に重なり合った世界となっている(4147②、7195⑥参照)。

 

B、死後の世界の界層

このようなグラデーション的に広がる霊の世界の中でも、物質的要素の濃い低い界層を便宜「幽界」と呼んで区別している。「霊界(狭義)」や「幽界」という名称は「霊界(広義)」の中の小さな区域であり、分かり易く表現する為に特別に名付けた名称にすぎない(4127⑥~⑦参照)。

その幽界と地上世界とが接する部分を特別に「中間境」と呼んでおり(永遠大道39①~②、49⑫参照)、そこで物的波長から霊的波長へ変換する為の調整が行われている。イエスも中間境で波長の変換の為にしばしの休息をとっている(永遠の大道114⑭~⑮参照)。他界した霊は中間境で休息しながら霊的機能を発達させて、不足しているものを補う為の処置がとられている(続霊訓191⑩~⑮参照)。霊界通信に登場する「霊界の病院、休息所」(4145⑦~⑧、8116⑬参照)や、死と同時に“私(本来の私という意識)”自身が審判者となって地上時代を反省する(霊訓下221⑫~⑱参照)ためのエリアはこの中間境にある。

 

C、霊的家族のもとに帰還するまでの行程

この世からあの世へは、意識の拡大や意識の深まりに伴って次のように移行し、それらの界層は連続して繋がっている。「a、物質の世界(私たちが生活している地上世界)」→「b、中間境(物的なバイブレーションから霊的なバイブレーションに変換する為の界)」→「c,幽界の下層界(心のバランスを取る為に地上時代の埋め合わせが働く界)」→「d、幽界の上層界(意識の指向性がモノから霊性の向上に切り替わった霊が住む界)」→「e、狭義の霊界(霊的レベルが同一で親和性がある霊が“グループである霊的家族”を作って生活している界)」。これが「狭義の霊界」で待つ霊的家族の下に帰還するまでの大まかな行程である。

私の意識の拡大や深まりに伴って振動数(バイブレーション)はより精妙化して行く。それに応じて周囲の環境も変化して、より精妙化した振動数に対応する界層へ移動して行く。上記bはaより、cはbより、dはcより、edより振動数は高い。その為に振動数の低い下位の者から振動数の高い上位の世界は見えない。

 

D、霊性レベルに応じた生活の場

霊の世界は霊性レベルに応じてグラデーション的に繋がった階層構造的な一つの世界、限りなく続く長い一本の梯子のような世界である。そこにはあらゆる次元の生活の場が互いに重なり合い融合しあって存在している(4148①~②参照)。

それぞれの界層には地上世界とは異なって、そこに住まうだけの霊的成長を達成した、その界の環境条件に相応しい者が霊的親和性によって一緒に生活している(1034③、福音23⑥~⑦参照)。同じレベルの住民の思念で生活が営まれているため(4126②、メッセージ55①~②参照)、思念の波長が合わない霊とは生活を共にできない(続霊訓99⑨参照)。そのため日頃生活する上で交わる相手は「霊的成長度と霊的能力に於いて同等な人たち」に限られることになる(福音30③、30⑪~⑫参照)。ただし幽界は霊的親和性があれば霊的レベルが違っていても、高い霊が低い霊に合わせればいいので一緒に生活することが出来る。例えば人に愛されたペットは幽界の下層界で飼主を待つ(8巻187⑦~⑨参照)、飼い主が他界後は同居することができる(個人的存在247③~④参照)。

 

霊の世界は思念が実在の世界であり(4124⑨参照)、心に思うことに実体が伴い実感がある。その為に住人の共通の想いが周りの環境を作り上げるので「思念は環境を形成する」ことになる。住人は同じ発達レベルにあるため、「湖、川、丘、庭園、部屋」などの客観的存在物はそこに住む住人にとっては同じように映り同じように体験することになる(887④~⑤、89⑦~⑨参照)。なぜならそこに住む者が発する固有振動数と「湖、川、丘、庭園、部屋」が発する振動数は一定の範囲内で同一だから(→人が肉眼で感じる可視光線と同じ)。そのため住人は部屋の壁からは固さを感じることになる(永遠の大道114⑥~⑦参照)。

 

イ)幽界の上層界と下層界

A、幽界の概要

◆幽界は上層界と下層界に分けられる

X、幽界の上層界は「霊的自覚(霊として何を為すべきか)」が芽生えた霊が生活するエリア

Y、幽界の下層界は霊の意識の指向性が「下・物質界」を向いている霊が生活するエリア

◆下層界は二つに大別できる

Y―1、奮闘努力が不要の「極楽・天国のようなエリア、楽しい思い出が再現されたエリア」

Y―2、意識に深く染み付いた煩悩を鎮めて「魂の歪みを矯正する浄化の為のエリア」

 

B、幽界の解説

幽界は大きく分けて上層界と下層界に分けられる。幽界の上層界とは、意識の指向性が“上”、つまり霊性の向上に向けられている「霊的自覚(→霊として何をなすべきかを認識すること、霊的成長を目指す意識)」が芽生えた霊が生活するエリア。これに対して幽界の下層界とは、意識の指向性がいまだに“下”、つまり物質界に向いている霊が生活するエリア。

この下層界は“意識の在り方”から見て大きく二つのエリアに分けられる。まず「極楽のような世界」つまり「真の意味での創造というものが存在しない、地球人類の大半が理想郷と見なしている世界、Y―1」(永遠の大道122④~⑦参照)がある。これに対して「魂(=意識)に深く染み付いた煩悩を鎮めたり魂の歪みを矯正したりする世界、Y―2」、カトリックの教理で言うところの“煉獄”のような場所で、苦しみを引き寄せる世界がある。下層界はこの二つの世界に大別できる。

 

地上生活を終えた他界者のほぼ全ては、中間境を経て親和性によって幽界の下層界に長期・短期の違いはあるが一旦は落ち着く(→無数に存在するY―1の世界に、または無数に存在するY―2の世界の何れかに)。これらの界層は霊が地上時代に培った霊的成長に見合ったエリアであり、地上時代の霊性そのままが死後の姿となった住環境である。ここで地上時代の埋め合わせが働き“心のバランス”が図られる。

なお霊それ自体には民族も国家も血縁関係もない(2130⑭~⑮参照)。これらは単に肉体上の属性、つまり肉体にまつわる所属先や人間関係の差異に過ぎないが、これらが幽界の下層界では他界者の意識の中に深く染み込んでいる。幽界の上層界に移行する為の条件である「霊的自覚」が芽生える迄は、地上時代の意識に縛られた状態で下層界に留まる。

 

ウ)界層の移動

「自我の本体たる霊魂(=本来の私という意識)」には形体はない。霊格を向上させるということは、「本来の私という意識」に潜在している“神の分霊”をより多く顕在化させて行くこと。その為には第三者から見て客観性を備えた何らかの形体(→物的身体や霊的身体)をまとって、他者(→人間、動物、植物など)に対する利他的行為を行い、物的体験や霊的体験を積む必要がある。高級霊の場合は霊的体験を積むことによって思念がより純化して、形体から一段と強い光輝を発するようになる。

「本来の私という意識」の固有振動数がその界のレベルを超えて進化すると、そこを自然に離れていく(4126③、143②参照)。意識が浄化されて向上するにつれて、より精妙化した振動数に満ちた高い境涯への適応性が身に付く。その結果、自動的に一段高い境涯に置かれることになる(8116⑤参照)。「本来の私という意識」が持つ固有振動数と移行先の環境が発する振動数が一定の範囲内で一致するから。このような界層の上昇は「霊体が徐々に浄化され低俗な要素が拭い去られる」(霊訓下148①~④参照)という形で為されている。

 

エ)三者の振動数は一致する

私がまとう形体は「本来の私という意識」に潜在している“神の分霊”が顕現する割合に応じて、グラデーション的に洗練度を増していく。それに比例して居住環境もグラデーション的にレベルアップして行く。なぜなら「本来の私という意識が持つ固有の振動数」と「形体が発する振動数」と「環境が発する振動数」とは一定の範囲内に収まり完全に一致するので、霊格の向上に応じて形体も居住する環境も洗練度を増していくから。この世でも三者の関係は見られる。例えば精神的に荒んでくると(→霊格が下がると)、それが身なりに表れて(→形体から精神状態が分かる)、住む部屋も“ごみ屋敷”になってくる(→居住環境の劣化)。

 

2.見えない世界の霊的存在とは

①.「天使的存在」と「人間的存在」

ア)天使的存在

A、霊的成長に物的体験は不要

個別意識を持った主な意識的生命体(個別霊)には、「天使的存在」(6巻163⑩、480②~⑦参照)と「人間的存在(地球人を含む天体人、宇宙人のこと)」(語る202⑤参照)がある。両者は霊的成長に物的体験を必要とするか否かによって区別されている。「天使的存在(以下天使と記載)」とは、個別性を特定の形体ではなく色彩や光輝で表現して霊的体験を積んでいる個別霊のこと(→“本来の私という意識”の表現媒体である思念に色彩や光輝が伴っている)。霊的成長に物的体験を不要とする点に特徴がある(4巻80④~⑤参照)。

なお天使とは「人間的存在」とは霊系が異なる自然霊のこと。高級な自然霊を天使と言い低級な自然霊を妖精(精霊)と呼んでいる(春川栖仙編『スピリチュアル用語辞典』参照)。このように霊的世界には物的身体をまとって物質の世界に誕生する「人間的存在」と、物質の世界に誕生することが無い自然霊という二系統の霊がいる。高級霊からの霊界通信でもこの分野に関しての詳細は明かされていない。

 

B、「宇宙の経綸」の仕事

この広い宇宙には物的身体を通した体験を持たなくても霊的成長ができる天使が住む界層が存在する。これらの天使は一度も物質界に誕生したことがなく居ながらにして高級霊であり、宇宙の上層部に所属して「宇宙経綸の仕事(=霊的摂理の執行)」を担当している(480④~⑤、新啓示124④~⑧参照)。個別霊たる天使にも霊的成長度に応じた階層構造的な序列がある(→上級天使や下級天使など)。なお西洋人は「守護霊や背後霊」を天使と呼ぶ場合があるが、それらは過去に地球という物質界で生活したことがある人霊であって本来の意味での天使ではない。

 

イ)人間的存在

A、人間的存在が住む惑星

個別霊たる「人間的存在」は、霊的進化に“物的身体をまとって体験を積む”ことが必要な意識的生命体(個別霊)である。その為に形体は「霊的身体+中間物質の接合体+物的身体」という多重構造となっている(→正確には上記右図のように中間物質の接合体の中で霊的身体が成長していく:個人的存在79⑮~⑰参照)。

宇宙には霊的進化に物的体験を必要とする人間的存在が住む天体(→惑星、恒星、衛星、彗星など)は数多く存在する(6170④~⑦参照)。地球以外の天体に住む人間的存在の形体は、個々の天体ごとに物的条件(→気圧、気温、環境等)が異なるため、普段私たちが見慣れている姿かたちをしているわけではない(6170⑧参照)。しかし意識的生命体であるという意味では、我々地球人と同じ組織的存在である(6170⑪~171①参照)。

 

宇宙に数多くある人間的存在の住む天体の中でも、地球より霊性レベルが劣っている天体は一つだけである(語る202⑤~⑦参照)。人間的存在の霊的レベル、つまり各天体人の“意識の固有振動数”に応じて意識がまとう物的身体の振動数に違いがあるため、霊的レベルの低い天体の住人(→意識の精妙化の度合いが低いので形体の振動数は粗い)は高い天体の住人(→意識の精妙化の度合いが高いので形体の振動数は細かい)の姿を見ることはできない。そのため霊的レベルの高い人間的存在(→振動数が高い存在)は一種の物質化現象によって、低い天体の住人(→振動数が低い存在)に姿を見せることになる。マスコミで時々話題に上がるUFOの問題も、このように物的身体を有する“人間的存在の振動数の違い”から考えて見ると理解ができると思われる。

 

B、振動数の違い

霊界では低い振動数の界層に住む霊は、自分たちより一段高い振動数を持つ界層の世界は見えない(→この世に住む低い波長の肉体をまとった人間には中間境や幽界の下層界は見えないのと同じ)。このことから推測するに地球人が見ている宇宙とは、地球と同一振動数の宇宙、またはそれ以下の宇宙を見ているに過ぎない。なぜならより精妙な振動数を持つ進化レベルの高い人間的存在が住む宇宙は見えないから(→振動数に応じた無数の宇宙が存在することになる)。今後、惑星探査が進展しても、地球人に見える範囲は当該惑星の低い振動数であった過去の世界の光景でしかない。地球人固有の霊的レベルを上げない限りは、高い振動数を持つ天体人の人間的存在の姿かたちは永遠に見えないであろう(→低い振動数の世界から高い振動数の世界は見えないから)。

SF映画で取り上げられる“宇宙人との遭遇”は、低い振動数を持つ地球人の都合からではなく、高い振動数を持つ惑星人側の必要性から物質化現象によって実現するもの。

 

②.幽界の主な住人たち

ア)幽界の経綸を司る天使的存在

幽界という界層における「霊的摂理の執行」は、幽界担当の「天使的存在(以下天使と記載)」を通して行われる。幽界に居住する霊が自らの自由意志で利他的行為を行えば、その行為に対して霊的成長という評価が下される。これに対して利己的な行為を行えば霊性の停滞という評価が下される。このように幽界に居住する霊の行為に対して、神の摂理に沿って何らかの評価を下すのが「宇宙経綸を執行」する幽界担当の天使である。なぜなら「無限の階梯の一つ一つの界層に神の意志の行使者が控えている」(霊の書213⑪参照)から。

 

イ)妖精(想念霊、原始霊)

A、想念霊としての妖精

低級な自然霊である妖精は、天使の末端の仕事を受け持っている。天使は仕事を遂行する際に手足が必要な場合は、その都度、想念(思念)で妖精を作り出す。天使によって創り出された妖精は「想念霊としての妖精(原始的精気)」と呼ばれる。この点につき定評ある霊界通信には「自由意志もなく、何の目的なのかについての自覚もないまま大自然の様々な側面での現象の演出に携わっている」「指令を発する存在がいて、それに反応して働く存在(精霊)がいる」(霊の書214⑩~⑫参照)との記載がある。地球の進化のしるしである地震・火山の噴火・雷など(12109⑪~⑬参照)、自然現象の裏側でも働いている。

この「想念霊としての妖精」には人間とは異なって個別性や知性はなく、仕事が終われば霊の世界の大気中に融解して消滅する(コナン・ドイル著『妖精物語』コスモ・テン198頁~203頁参照、ドイルは霊視能力者のリードビーター主教の精霊研究を紹介している)。これは霊界では想念(思念)で作られたものは本人がそれを必要だと思わなくなるまで存在し続け、不要となれば消えてしまうのと同じ原理である(500現地報告125⑩~⑬、330⑥~⑧参照)。なおこの種の妖精には知性はないが「森の中や川辺、湖の近くなどで孤独を楽しんでいる人間に感情面での影響を及ぼすこともある」(個人的存在246③~⑦参照)という。一般に木立が発する香気を浴びることによって精神的に安らぎと爽快さが得られる。この森林浴には「妖精が人間の感情面に及ぼす影響」が考えられる。

 

B、原始霊としての妖精

妖精には「想念霊としての妖精」の他に、天使や人間と同様に「個別霊」としての「半理知的原始霊」(彼方4巻278⑧参照)という妖精がいる。この原始霊としての妖精(→実在の自然霊)は人間よりは進化の程度は低いが生命力を持った存在であり(最後啓示179⑫~180①参照)、鉱物の凝縮力として働くもの、植物の新陳代謝を促進するもの、動物の種族ごとの類魂として働くものなど、無数の分野の自然法則の運用に貢献している(彼方4巻278⑧~⑯参照)。精霊の中でも高級な原始霊は「デーバ」と呼ばれており、生命力を持った存在だが人間よりは進化の程度は低い。物理的心霊現象を起こす際には裏側で働いている(最後啓示179⑦~180⑦参照)。前述のコナン・ドイル著『妖精物語』によれば、原始霊は各段階を経て“火の精”から“空気の精”に進化して行くという(前著200頁参照)。人間とは進化の系統が異なる存在であり、高級霊からの霊界通信でも情報が限られた分野である。

 

ウ)想念霊(思念霊)

霊の世界では思念は何らかの形体を伴って現実化する。思念で環境や客観的な存在物を作り出すことが出来る。この思念によって出現した“霊の分身”を想念霊と呼ぶ。この想念霊を作り出せるのは「天使的存在」と「人間的存在」だけである。この世の人間も意識する・意識しないに関わらず日常的に想念霊を作り出している。例えば恨みから他人を呪うとその呪いの念が想念霊を作り出して、呪われた人の周りを取り巻くことがある。呪われた人が霊的に敏感体質者であり、且つ何らかの“霊的な受け皿”があれば念(想念霊)の影響を受ける。

人間の強い思いが想念霊を作り出すという現象は、宗教や信仰の世界ではしばしば見られる。信心深い人が自分自身の想念で作り出した“神仏の姿(想念霊)”や“イエスの姿(想念霊)”を(到来236⑫~⑭参照)、本人自身が見て驚くと言った現象が時々話題となる。

 

◆具体例その1

私は同一界層にいる遠方の友人と思念による対話を交わそうと思ったとする。私は一瞬だけ精神を統一して「私という人物の想念体」を作り上げる(→イメージとして西遊記の孫悟空の分身、最近話題となっている“アバターロボット”など)。その私の分身である想念体が友人の前に現れて対話をする、その対話をコントロールしているのは遥か遠方にいる私である。そして対話が終わればその想念体から私の思念を抜き取る。すると忽然として友人の前から姿が消える(永遠の大道81⑥~⑫参照)。

◆具体例その2

肉体の死は必ずしも狩猟本能の消滅を意味しない。幽界ではその本能を心ゆくまで楽しむことが出来る。しかしその犠牲になる動物は地上の動物とは生命原理が異なり、単なる想像上の産物に過ぎない。その獲物は人間の潜在意識の中で作り出された想念体であって、思念の電気性の波動によって活性化され、欲求によって刺激されて、いかにも生きているかのように見えるだけである(個人的存在247⑤~⑮参照)。

 

エ)人間に愛された動物

数多い動物の中には人間と接触することによって、人間らしい個性的な意識を表現する個的存在(ペット)がいる(589⑪~90⑬参照)。それらは人間の愛によって死後一時的に個別意識を持ったままでの存続が可能となった動物である。

このような一部の動物(→人間に愛された動物)は死後、幽質をまとって生前の形体を維持しながら(8185⑬参照)幽界の下層界で飼主と一緒に生活することができる(8巻187⑦、個人的存在247③~④参照)。しかし幽質をまとった存続は一時的なものであり、ペットの霊はやがてその動物の出身母体であるグループの中に融合して個性を失っていく(591⑪、8206⑤~⑥参照)。融合したペットはグループの進化に貢献したことになる。

 

オ)問題ある人間の霊

A、地縛霊とは

死んで霊の世界に来た他界者のほぼ全ては、霊的波長よりは物的波長の中で暮らしている“霊(低級霊Y―1、Y―2)”である。その物的波長の中で暮らしている霊の中でも、死によって肉体を棄てたにもかかわらず本人は死を自覚せずに、いまだに肉体があると信じており、意識が地上世界に向いている霊、つまり「意識の切り替えが長引いて完了していない霊」のことを「地縛霊(→中間境で接合体をまとった状態にある霊)」と呼ぶ。

この定義の利点は、他界者の意識が「死の自覚」を持つことによって切り替わって、地上時代に味わった「物的身体がもたらしていた一切の痛みと苦労と障害から解放される」(748⑬~⑭参照)、「肉体の病に苦しむことがない」(788⑬参照)という意識状態が説明できることである。現実に病気で苦しむ地縛霊を招霊した交霊会で、霊が死の自覚を持つことによって意識が物的波長から霊的波長に切り替わり、その結果として霊も憑依された者も病から解放されるという現象が起きている(ウィックランド著『迷える霊との対話』ハート出版参照)。このことから他界者にとって“意識の切り替え”が重要であることが理解できる。

 

B、供養の対象となる霊

「死の自覚」が持てずに霊的調整が長引いて中間境に留まる他界者(=地縛霊)について、シルバーバーチは「死んだことを認めようとしない人も同じです。自らその事実を認めない限り、私たちにもどうしようもない」(5巻46⑭~47①参照)と述べる。死んだことを認めようとしない他界者は、いまだ意識の切り替えが完了していないので、形体(=霊的身体)に具わっている霊的な“感覚器官”を使用することはできない。自力で霊的視力を使えるまでに至っていないので、救済霊の姿が見えず他界者側からの接触は難しい。

霊の世界に来てもいまだに肉体があると思い込み「死の自覚」がない他界者は、霊的世界に遍満している霊的エネルギーを無意識のうちに取り入れたり(個人的存在45⑬参照)、周囲で待機している霊(→ガイドや出迎え霊)の視力を一時的に借りたりして、周囲の情景をボンヤリと見ているに過ぎない。しかし地上から送る縁者の念は、両者の間に存在する愛に基づく“磁気回路”を通って「死の自覚」がない他界者(=地縛霊)に届き易い。この特性を生かして地縛霊に対しては、地上側からの救済活動が主となってくる。

これに対して死の自覚を持った幽界の下層界にいる「低級霊Y―1、Y―2」の場合は、霊的レベル相応の“霊的な感覚器官”の使用が可能となっているので、救済霊は「低級霊」との接触がし易い。ここから「供養の対象」は原則として中間境にいる「地縛霊」のみであって、幽界の下層界にいる「低級霊」は霊界の救済霊の管轄となる(→例外は「霊的牢獄」にいる霊や極めて物質指向の強い霊)。

 

C、「霊的牢獄」に閉じ込められた霊などの場合

幽界の下層にいる「低級霊」の中でも、地上時代の思想や宗教の教義と言った固着観念に縛られて「霊的牢獄」に閉じ込められている霊や、極めて物質指向の強い「低級霊」の場合には救済霊が行う救済効果が今一つ上がらないことが多い。これらの霊は意識の指向性が“地上的なモノ”に強く向いている点から、地上側からの念が届きやすいという特徴がある(2巻45⑧~⑩参照)。このような「霊的牢獄」に閉じ込められている霊や、物質に対する指向性が極めて強い「低級霊」の場合には、霊界側と地上側の双方からの「救済活動(→救済とは“地上的なモノ”に縛られた意識からの解放、“霊的牢獄”からの解放のこと)」が行われている。霊界側の救済霊と共に地上の縁者からの“救済の為の念”も大きな助けとなる。

この“念の特徴”について、タイタニック号の事故で死去したウィリアム・ステッドは「生前から親密な間柄だった者のことを強く念じると、その念は生き生きとして活力のあるエネルギーとなり、電波と全く同じように宙を飛び、間違いなくその霊に届く」と述べている(エステル・ステッド著『ブルーアイランド』ハート出版92⑪~93④参照)。両者間に存在する愛によって“敷設された絆”を通して、救済の念は相手に確実に届くことになるから。

 

D、邪霊とは

「低級霊」とは「死の自覚」を有するも「霊的自覚(→霊として何をすべきかの自覚)」を持たない霊のことであり、幽界の下層界に居住する霊のこと(→広義では地縛霊も含む)。また「邪霊」とは積極的に地上世界に悪影響を及ぼしている霊のことであり、それは「地縛霊の一部」と「低級霊の一部」からなる。邪霊には「根っからの邪悪霊」の他に「快楽を求めて鈍重な物質界をうろつき回り、同じく快楽に耽っている人間に部分的に取り憑ついて、快楽のお相伴にあずかる霊」(個人的存在264③~④参照)もいる。

なお幽界には邪霊が一時的に自分の姿を変化させた「化身霊」(スカルソープ著『私の霊界紀行』潮文社80頁~83頁参照)や、邪霊が作り出した「想念霊」もいる。「化身霊」には邪霊自身が「実在の人間の姿、動物の姿、お化け屋敷に出て来る妖怪や怪物の姿」などに変化して恐怖感をあおることがある。霊的知識がない“霊視能力がある霊能者”は、邪霊が作り出した化身霊や想念霊に簡単に騙されてしまうという。

 

E、因縁霊とは何か

日本的心霊の世界では「因縁霊」という言葉がしばしば登場する。この「因縁霊」とはどのような霊を指すのか。

基本的な霊的法則の一つに親和性があり、この法則は霊の世界にいる個別霊と地上の人間の間にも働いている。幽界の下層界に居住する霊の指向性は、強くモノの世界である地上に向いている。その際に地上人側に何らかの弱点がある場合、例えば「負のカルマが絡んでいる場合、生活の乱れ、または度を越した虚栄心や利己主義、さらに酒や薬物などへの依存性など」が存在する場合に、これらが低級霊を引き寄せる際の“霊的な受け皿”となる。低級霊は何らかの原因があって親和性から引き寄せられるのであって、誰彼構わずに影響力を及ぼしてくるわけではない。一般に地上人側にカルマが絡んだ何らかの原因(悪因縁)があって、そこに親和性から引き寄せられた低級霊を「因縁霊」と呼んでいる。

 

③.身近な霊的存在

ア)守護霊

A、誰にでも必ず一体の守護霊が付いている

人間には全員に守護霊が一人、受胎(→受精時:453⑩~⑪参照)の瞬間から、あるいは地上に誕生する前から付いている(1179②~⑨、10138⑪参照)。守護霊は個人の場合でも集団の場合でも守護される側の霊格にあった霊がつく(霊の書208⑧~⑪、210⑤~⑨参照)。多くの場合「再生する前まで顔見知りの間柄」(霊の書208⑦参照)にある霊である。ここから守護霊は同じ類魂のメンバーという説が有力に主張されている(スピリチュアリズム普及会発行『続スピリチュアリズム入門』35⑩参照。なお翻訳者の近藤千雄氏は守護霊とは「本人の魂の親」いわゆる類魂の中心霊とする立場に立つ:霊訓上34⑨参照)。守護霊は本人の特質を見極めた上で、本人の霊的進化に最も適した形で任命されて付く(道しるべ230⑬~⑭参照)。守護霊も霊的に進化するために本人との間に霊的な関係を持つことになる(→ここから筆者は、守護霊は「類魂のメンバー」という立場に立っている)。

両者の関係をリング上で闘う“ボクサーA(再生霊)”と、リングサイドで闘いを見守る“セコンドB(守護霊)”に例えて見れば、両者の関係の一端が理解できると思う。Aは闘いの相手の一挙一動に全意識が集中しているため、巨視的に展開を見ることが出来ない。しかしBは介添人という立場で、闘い全体を俯瞰できる位置にいる。そのためAに対して的確な支援ができる。

 

B、霊的回路を敷設する

人間と守護霊との関係は、原則として霊的親和性によって結びつくが、例外として血縁関係による結びつきも存在する。シルバーバーチは「(人間と守護霊の関係は)霊的親和性による結びつきです。たまには血縁関係が縁になることもありますが大部分は、血縁はありません」(道しるべ228⑤~⑫参照)と述べる。

守護霊は一人のみで生涯変更はない(1巻179⑤参照)。守護霊はその人間が辿るべき道をあらかじめ分かっているが(1179⑥~⑦参照)、人間側から両者間に“磁気的な回路”を敷設しておかなければ(→日頃から思念を守護霊に向けるなど)、守護霊は影響力を行使できない(2209⑥~⑬参照)。両者の結びつきが強いほど守護霊は“磁気的な回路”を通して強い影響力が行使できる(道しるべ228⑪~⑫参照)。しかし多くの人は霊的世界を信じていないので、守護霊との間には“磁気的な回路”は敷設されていない。その為に守護霊や背後霊は霊力の行使に苦労しているのが現状であるという。このことに関してシルバーバーチは「守護霊の働きかけを全く感受できない場合は、霊力を使用して外部環境から操作せざるを得ない」(到来33⑨~⑬参照)と述べる。この「外部環境から操作する」とは、本人の血縁者などが有する磁気的回路(愛の絆)を守護霊や背後霊は一時的に借用して、このルートからインスピレーションを送って導くことが考えられる。

 

C、日本的な霊魂観に立った「守護霊説」批判

日本的な霊魂観に立って書かれている『心霊科学入門』(板谷樹・宮沢虎雄共著、日本心霊科学協会発行)では「(守護霊は)多くの場合300年~700年前他界した祖先の霊魂で、男には男の守護霊が、女には女の守護霊が付いている」(前著188頁参照)とある。この日本的な「守護霊説」には次のような問題がある。

 

◆原則として霊的親和性、例外として血縁関係

守護霊は原則として霊的親和性によって憑く。上述したようにシルバーバーチは「(守護霊は)霊的親和性による結びつきです。たまには血縁関係が縁になることもあります」(道しるべ228⑤~⑫参照)と述べている。

◆男には男の、女には女の守護霊が?

霊は性交によって子孫を作る必要はないことや、男女の性別は「地上人生のテーマ(→地上でしか償えないカルマを解消すること、新たな地上体験を積むこと)」達成に最も適した性を“私”が選択する、この点から見ても霊には性別はない(→今生は男で生まれ、来世は女で生まれるなど)。

シルバーバーチは「霊の世界では界を上がるにつれて男女の差が薄れていく」(4巻141⑬参照)、またマイヤース霊も「魂には女性も男性もない、つまり性別はない」(個人的存在105⑬~⑭参照)と述べている。地上的な習慣を色濃く残している幽界の下層界を離れるに従って(→霊的自覚の芽生えに伴って次第に地上的な観念や習俗から離脱して行く)男女の別はなくなっていくから。

◆霊媒の潜在意識を使って通信が送られる

霊界通信は霊媒の潜在意識にある用語や概念を使って地上に送られる(個人的存在20⑪~21④参照)。そのため通信霊と霊媒のオーラの融合具合によっては、霊媒の潜在意識にある“色”が付着した通信となってしまう(→ホワイト・イーグルの通信はキリスト教と神智学の影響が強い、オーエン著『ベールの彼方の生活』はキリスト教の影響が強いなどが好例)。霊媒の固着観念に日本的な霊魂観が強く染みついていれば、その“色”が強く表に出てきてしまう。このような点から見ても日本的な霊魂観に立った「守護霊説」には問題がある。

 

イ)背後霊

A、背後霊は入れ替えがある

背後霊とは人間の背後にいて感応する霊の総称のこと。一般には「守護霊」「支配霊」「指導霊」から「邪霊」「因縁霊」「憑依霊」まで、あらゆる霊が背後霊には含まれる。現在では主に善霊を指す用語として使われている(→日本心霊科学協会の初代理事長夫人、霊能者の吉田綾氏が「背後から護るという意味で、人間に憑いてその人を護っている何人かの霊たちに付けた呼び名」で、これ以降善霊を指す言葉となった、出典『心霊科学入門』188頁参照)。なお背後霊の範疇に含まれる「守護霊」は別枠扱いとされることが多い。地上人の出生から死までの期間、守護霊は一人のみで変わらないが(1179⑤参照)、背後霊は複数存在する(1179⑥参照)。一般の人の場合は霊的成長とともに背後霊は入れ替わっていく(霊訓上31④~⑤参照)。

 

背後霊は主に地上圏に近い霊たちである(霊訓上31⑥~⑧参照)。地上人の霊的進化に見合った霊が霊的親和性から、人間を指導する目的で、または自身の霊的向上の為の必要性から援助している(霊訓上30⑫~⑬参照)。地上に戻ってくる霊は、地上の人間と連絡が取りやすい幽界にいる霊である。その中で一般人の場合には、主に「霊的自覚」が芽生えた幽界の上層界にいる霊が指導や援助を行う目的で降りてくる。高級霊の場合は霊媒体質者に必要に応じて憑く(霊訓上31⑧参照)。なぜなら霊媒の霊能力を通して地上世界にスピリチュアリズムを普及することができるから。また霊媒は睡眠中に幽界の下層界に降りて、担当する救済霊を手助けして“迷っている霊”の浄化の手伝いを行うことが出来るから。

 

B、二人三脚で霊的成長を目指す

背後霊となる為には自薦や他薦があり(2131②~④参照)、その霊的レベルや担当する分野などはさまざまである(2130③~④参照)。背後霊も自身の霊性向上のために地上人を援助している(霊訓上30⑫~⑬参照)。さしずめ地上人は背後霊に“活動する場”を提供して、二人三脚で霊的成長を目指している“同志的存在”とでも言えようか。

本人が背後霊に気持ちを向けることによって両者間に“磁気的な回路(絆)”が架設されて、それが次第に強固になっていく(1135⑭参照)。その“磁気的な回路(絆)”を通って背後霊から支援のための霊的エネルギーが送られてくる。その際の援助や指導は霊界人の都合とタイミングで行われて、その方法はあくまで霊的影響力の行使という形になる(10166⑫~167③参照)。地上人が背後霊の霊的支援を受けて、困難に打ち勝って物事をやり遂げれば、地上人自身の成果であると同時に背後霊にとっても成果となる(→リング上で闘うボクサーの勝利であると同時にセコンドの勝利でもある)。

 

ウ)支配霊

A、支配霊とは

支配霊とは一般には「交霊会における霊界側の司会者」(田中千代松編『新・心霊科学事典』潮文社93頁参照)とされる霊、または「霊団全体の指揮に当たる霊」(7176⑫~177③参照)のことである。シルバーバーチのような霊格の高い支配霊は霊界の霊媒を介して、本来の個性を犠牲にして地上圏に降りてきている(2119⑧参照)。飛躍の為の犠牲である。

 

B、霊媒が他界した場合

物理的心霊現象が盛んな頃は、支配霊は担当する物理霊媒が他界したら別の霊媒を探して仕事を継続していた(827⑪~28①参照)。なぜなら支配霊は物理現象を扱うという高度な技能を持つ“技術屋さん(職人さん)”だから。これに対して精神的心霊現象の場合には原則として霊媒が他界したら仕事は終了する。なぜなら精神現象を扱う霊媒は物理霊媒より支配霊との関係がはるかに緊密だから(828②~⑤参照)。

シルバーバーチ(支配霊)の場合はバーバネル(霊媒)が死去すれば、支配霊としての仕事は終了する。シルバーバーチの仕事は高度な内容であった為に、大変な時間と労力をかけてオーラの融合を図って仕事を行ってきたことから、再び別の霊媒を探して通信を行うことはないという(828⑥~⑨参照)。

 

C、支配霊の霊格

支配霊の霊格は霊媒が行う仕事によって異なり、霊媒より高い場合(→霊視・霊聴・霊言・自動書記などの精神的心霊現象の場合)もあれば低い場合(→物質化現象・念写・アポーツなどの物理的心霊現象に見られる)もある。霊媒の潜在意識を使って生起する精神的心霊現象を扱う支配霊の場合は、霊格は必ず霊媒よりも高い。なぜなら純粋な霊訓を地上に降ろす為には、オーラの融合と併せて霊媒の生活面の指導も行う必要があるから(→霊媒の霊格を上げる必要があるから)。これに対して物理的心霊現象を扱う霊媒の支配霊は、必ずしも霊格が高い霊ばかりではない。なぜなら物理現象を演出するには地上的要素が強く残っている必要があるから(7176⑨~177⑨参照)。

熟練した支配霊が行う霊媒現象には「霊媒との調和の程度が高く潜在意識による着色が少ない」(メッセージ82⑪~⑫参照)が、人間的に問題がある霊媒の場合には「低級霊が支配霊のスキを狙って憑依してくる」(最後啓示158③~⑤参照)ので要注意。

 

エ)指導霊

指導霊(→背後霊と呼ばれることが多い)の主な役目は、本人の霊的面からの監督指導である。指導霊は守護霊とは異なって、成長過程の一時期だけを担当して、次の段階になると霊は入れ替わる(到来21⑭~22⑤参照)。指導霊は親和性ある者どうしが引かれ合って、または前世の縁(→日本的心霊の世界で言う“因縁霊”のことで、プラスに働けば指導霊としてマイナスに働けば憑依霊として働く)で自分を役立てたいという欲求に沿って人間を選択する(最後啓示89②~⑪参照)。

指導霊自身も霊的成長のため(→コーチとしてのキャリアのアップのため)、自分の持っている資質を犠牲にして地上圏に降りてくる。地上時代に指導に当たっていた霊が、本人の死後も引き続き幽界で指導霊として担当する場合もある(続霊訓120②~③参照)。

 

④.指導霊崇拝批判

ア)指導・監督に誤りを犯すことがある

霊的な理解力は霊的発達の程度に応じたもの。その霊の霊的レベルが限界となるので高級霊といえども完璧ではない。そのため指導や監督の際に誤りを犯すこともある(6207④~⑧参照)。絶対に誤りを犯さないのは創造者の「神」のみ(818⑤~⑥参照)。

シルバーバーチは常々指導霊は崇拝対象とされることを望まないとして、指導霊の資格を得た霊は自身が崇拝の対象とされることは間違いであるとの認識を持っている(821②~③参照)と述べる。そして「指導霊崇拝」(818③参照)や「イエス崇拝」(3104⑨、5206⑧~⑨参照)等の「高級霊信仰(高級霊崇拝)」を批判している。なぜなら彼らは最終的な責任者ではないからである。

 

イ)高級霊は取次役である

シルバーバーチは「祈りの対象」は神であると述べる(11113⑩~⑪参照)。なぜなら祈りとは、神の分霊である自己とその始源との一層緊密な繋がりを求めるための手段であるから(12125⑪参照)。従って神の使者である高級霊やイエスを祈願の対象とするのは間違いとなる(語る159⑦参照)。

これに対してシルバーバーチは「忠誠を捧げるべき対象」を「宇宙の大霊すなわち神と、その永遠不変の摂理」(メッセージ165⑮~⑯、7207③~④参照)であると述べて、祈りの対象とは区別して用いている。なぜなら祈りの照準は当然に「神」でなければならないのに対して、個別霊が永遠の旅を続けていく為には「流れに乗る」という意味で「摂理」に合わせる必要が出てくる。そのため忠誠の対象として「神」に「永遠不変の摂理」が加わった。このようにシルバーバーチは「崇拝の対象は神」(1118②参照)であり「忠誠を捧げるのは神とその永遠不変の摂理」(498⑤~⑥参照)と述べて、両者を使い分けている。

日本的な心霊の世界では、霊能者は神と共に自分の指導霊も崇拝の対象としていることが多い。さらに多神教の世界では、スピリチュアリズム的に言えば自然霊や高級霊である“八百万の神”も崇拝の対象としている。一つの解決策として高級霊(=守護霊や指導霊)は“取次ぎ役”であるとの認識を持つことが、守護霊崇拝や指導霊崇拝に陥るのを避けるポイントになる。

 

ウ)イエスは最高神界の数ある存在の一人

キリスト教徒やイエス信奉者は絶対に受け入れないであろうが「キリスト(=ナザレのイエス)は唯一の絶対神ではありません。至尊至高の神性を具えた最高神界の数ある存在のお一人です。父と呼んでいる存在はそれとは別です。それは人間が思考しうる限りの究極の実在の表現です。従って父はキリストより大であり、キリストは父に所属する存在であり神の子です」(彼方4231②~⑤参照)というスピリチュアリズムに沿った考え方がある。

 

エ)イエス崇拝の誤り、例え

シルバーバーチが述べた「イエス崇拝(キリスト崇拝)」の誤りは(3104⑨、5206⑧~⑪参照)、霊界を会社組織に例えて見れば良く分かる。平社員は日常の業務の指示は直属の担当課長から受ける。だからと言って平社員は上司である課長を崇めたりはしない。なぜなら会社組織の中では社長がトップであり、課長は中間管理職に過ぎないことが分かっているからである。

ビジネスの世界では業績の悪い“問題ある支店”には、本社から実力者が支店長として送り込まれて来て、新任の支店長の下で組織の建て直しが行われる。今回“宇宙という会社”では、問題児の“地球という名の支店”を根本から改革して業績の回復を図ることにした。そこで本社では“支店の責任者(支店長)”に実力者の部長を送り込んできた。本社から送り込まれてきた実力者の支店長がナザレのイエスである(→イエスは「最高神界の数ある存在のお一人」である:彼方4231③参照)。そのイエスが中心となってまとめた“地球という名の支店の再建策”が本社の取締役会で了承された。この“再建策”とは、地球時間の2,000年前から顕幽の両界で始まった「地球を霊的に刷新する」運動、つまりスピリチュアリズム普及運動のことである。

 

この「地球を霊的に刷新する」運動の責任者であるイエスは(メッセージ101⑦、続霊訓120⑩参照)、“宇宙という会社”の職制から見れば中間管理職である支店長にすぎない。但し“神の分霊”たる潜在的完全性が“本来の私という意識”の領域に顕在化している割合は地球レベルでは最大だが。その支店長イエスの下に建て直しを任された直属のプロジェクトチームが作られた。そのメンバーの一人であるシルバーバーチは、支店長にすぎないイエスが崇拝される風潮に対して、崇拝の対象は“宇宙という会社”のトップである社長に捧げるべきと述べた。

イエスは2,000年前に“ナザレのイエス”として地上生活を送り刷新運動の口火を切った。その業績によって“神の分霊”たる潜在的完全性を意識の領域に大きく顕在化することができた(→例えば神の分霊の顕在化率が従来の50%から60%へと)。霊訓には「大霊の顕現としては地上界が賜った最大級のもの」「(霊界に戻り)その霊格は飛躍的に進化を遂げ、地上時代とは比較にならないほど意識の次元が高くなっている」とある(語る161③~⑨参照)。

 

3.代表的な霊的法則「因果律」と「愛」

①.因果律

ア)言葉の意味

辞典では「因果律とは一切のものは原因があって生じ、原因が無くては何ものも生じないという原理」(広辞苑)とある。人の行為は因果律の働きによって「善心による善業(善因善果)、悪心による悪業(悪因悪果)」となる。宗教の世界では「前世の善悪の行為によって、現世において受ける応報」という“業(カルマ)の働き”として用いられている。

シルバーバーチは原因があればそれ相当の結果を生み、自分が蒔いたタネは自分で刈り取る(182③~④参照)のが因果律、霊的法則の中でも基本的な法則の一つであると述べる。そして因果律の根本には霊性の進化という目的があるため(1180⑥~⑦参照)、高級霊といえども“原因と結果”の過程に介入することは出来ない(7186⑪~⑫参照)。そのため行為者は永遠の旅路のどこかの時点で、必ず「蒔いたタネの刈り取り」を行うことになる。必ずしも短い地上生活期間中に因果律が成就されるとは限らないが、何時かは成就する(1179⑪~⑫参照)。一般にはカルマの清算は霊界で行われる(10125⑨~⑩参照)。

 

イ)因果律から見た死生観

代表的な死生観に「A説、心は脳の副産物、死によって私という意識は雲散霧消するので死は終焉、死後の世界はない」がある。この唯物論的死生観の最大の問題点は、死後の世界はないので存命中に悪事が発覚しなければ「逃げ得」となること。悪事という原因を作れば何時かは必ず刈り取りという結果が待っているはずだが、「死は終焉」によって因果律は完結せずに強制的に終了してしまう。これでは基本的法則である因果律が崩壊する。

また死後は「B説、生命の海に溶け込む」と言う死生観や、日本の伝統的な霊的世界観の「C説、死者の霊は弔い上げによって祖霊という海に溶け込む(→〇〇家というラベルの付いた海)」では、因果律の「自分が蒔いたタネは自分で刈り取る」に反して、自分が蒔いたタネは集合魂という集団で刈り取ることになってしまい問題が生じる。ここから「D説、スピリチュアリズム的死生観」である「死んでも“私”は生きている」が因果律から見た場合の正しさが明らかとなる。

 

ウ)「因・縁・果」の関係

私たちの日常は絶えず「原因」を作り、その「結果」を刈り取りながら生活をしているようなもの。暴飲暴食という摂理違反行為はやがて体の不調となって表れることからも、本人自身によって必ず刈り取りを行うようになっている。その原因を解消する為の手段は個々の“条件(縁)”に応じて異なるが。

シルバーバーチも“条件(縁)”については「種を蒔きさえすれば芽が出るというものではない。芽を出させるだけの養分が揃わなくてはならない。養分が揃っていても太陽と水がなくてはならない。そうした条件が全部うまく揃った時にようやく種が芽を出し、成長し、そして花を咲かせる」(163⑫~64①参照)と述べる。

このように宇宙は「原因と結果の法則(因果律)」を基本として形成されているので、何らかの原因を作れば機械的に相応の結果が発生するのが原則だが、条件(縁)によってはその表れ方(結果)が法則の範囲内で異なって生じる。

 

エ)因果律は国家や民族に対しても働く

戦争や過去の植民地支配などによって引き起こされた行為は、当然に個人の集合体である国家や民族に対しても何らかの結果(→植民地宗主国に見られる負の遺産など)となって返ってくる(433⑮~34①参照)。霊的摂理に逆らった行為を行えば、その行為の主体が「個人・集団・民族・国家」を問わず、いつかはその代償を支払わされることになるからである(語る93⑨~⑩参照)。

 

オ)複合的に働く因果律

個々人は自分の周りで複合的に働くカルマ(→民族・国家・地域・家などに働く因果律)を駆使しながら、自らが持って生まれてきたカルマの解消を図っている。

私が日本という国家や民族の下に生まれてきたと言うことは、その国家や民族が過去に作ってしまったカルマを“大枠”として用いながら(→明治から昭和初期にかけて、日本という国が世界に羽ばたいていく際に作り出した負の遺産)、その枠組みの中で自らのカルマの解消を図っていくということである。因果律の大枠による縛りの強弱は市井で暮らす庶民であれば影響は薄いが、国家の意思決定に直接携わる国家公務員であれば縛りは強いという具合に。このように複合的に働くカルマを駆使しながら自らの霊性の向上に努めている。

例えば対外折衝という形で国家の意思決定に携わる国家公務員は、相手国との粘り強い交渉という“外交の場”を使いながら、自らが有するカルマの解消を図っている。その他の国民は“重苦しい時代の空気”を受忍するという行為を通して(→コロナ禍を生きる、近隣諸国との緊張関係の中で生きるなど)、その“受忍の過程”で自らが有するカルマの解消を図って行く。それを通して過去に国家が作った“縺れた糸”をほぐしていくという形で。

 

カ)「因果律の拡張」と「業因縁の継承」について

A、「家」の観念

日本に於いて見られる独特な因果律は「仏教の縁起(因縁生起)」に「先祖崇拝思想」と「家の観念」が結びついて、国民の間に広く受け入れられてきたもの。この中の「先祖崇拝思想」は考古学の調査(→石と墓の配置など)から、既に縄文時代にはその痕跡が見られると言う。

江戸時代の「家制度」は「家禄制度」と結びついた武家階層や、朝廷に仕える公家から始まり、徐々に豪商や豪農に広がったが、名家でもなく資産も無い大部分の庶民には初めから無縁な制度であった。それが明治31年(1898年)制定の明治民法によって、全国民を対象とした「家制度」が創設された(→戸主に家の統率権限を与えた制度で、家族の居住指定権、家族の婚姻・養子縁組同意権、親族会議などが明文化された)。明治民法の制定によって、日本における「家制度」は従来の「上層の家」から「庶民の家」へと拡大された。

この「家制度の拡大」につき著名な民法学者の中川善之助氏(1897年→1975年)は次のように述べている。「日本には二つの家族観がある」「一方に由緒正しき家系の名家名門である上層の『家』を基準に考えるもの、他方に戸主も家族も働いて共同生活をまっとうしている庶民の『家』を基準に考えるものがある」。

 

B、自己責任の原則

宗教では「先祖から流れてきている悪因縁は、身内の誰かが消さなければならぬ」として、この流れを断ち切るには「布施心が悪因縁を解消する最も良い方法」であると言われている。世俗的な心霊の世界でも、頻繁に「親の因果が子に報う(→先祖が犯した悪い行いが原因で、何の罪もない子がその報いを受けて不幸になる)」が説かれている。

これに対してシルバーバーチは「原因を作った者は自ら償いをして刈り取る」「各自が各自の人生の重荷を背負う」という「自己責任の原則」を説いている(6巻58①~⑧、59⑫参照)。この「自己責任の原則」から見れば、孫は祖父が蒔いたタネ(原因)を祖父に代わって刈り取ることはできない。祖父が作った原因は祖父自らが何らかの形で、霊界でまたは再生して刈り取りをすることになる。

 

C、大枠を使って自身のカルマを解消する

孫は再生するに当たり自身が有するカルマ(霊的負債)を解消する為には、日本という民族集団が有するカルマを大枠として使って、さらに「名門の〇〇家」に存在するカルマも利用しながら、自分自身のカルマの解消をはかるのが最も適していると判断して再生したもの。

例えば〇〇家の代々の当主は極端な吝嗇家で傲慢な人であった。その当主たちによって作り出されたカルマが積み重なって、何時しか“〇〇家は傲慢な家”という評価が定着した。孫はその家にまつわるカルマの流れを使って(→“〇〇家は傲慢な家”というレッテルを張られる原因となった数々の負の遺産)、孫自身の意識に染み付いた“傲慢さから派生した負の遺産”の解消を図ろうとした。孫は血縁を重視して「名門の〇〇家」に再生したのではない。通常は“祖父という霊魂”と“孫という霊魂”の間には血縁関係はない。

以上から一般に言われている「因果律の拡張、業因縁の継承(→祖父が蒔いたタネを孫が刈り取る)」は「家」を中心とした考え方であり、「原因はそれ相当の結果を生み、自分が蒔いたタネは自分で刈り取る」(182③~④参照)という因果律から見れば誤りとなる。

 

②.愛

ア)愛は全ての根源

愛は宇宙の原動力であり、世の中の全ての根源となっている。例えばキリスト教文化圏では「隣人愛(→隣人を自分のように愛しなさい:マタイ福音書22㊴参照)」があり、これが道徳・哲学・宗教等いずれの立場からも最も根源的な観念の一つとされている。儒教文化圏の東洋にも「仁」「仁道」「慈愛」といった観念がある。シルバーバーチも同様に「愛が全ての根源です。人間的愛はそのほんのささやかな表現に過ぎませんが、愛こそ神の摂理の遂行者です」(1巻60⑭~61①参照)と述べている。

 

イ)進化レベルの距離間に応じた「愛」の感じ方

一般にお世話をする者とされる者との“進化レベルの距離”が近い場合、例えばペットの犬や猫に対して飼主が愛情を込めて世話をすれば、愛くるしい動作を伴った反応が瞬時に返ってくる。お互いに「愛」を仲立ちとした良好な関係が築かれている。これに対して進化レベルの差が大きい爬虫類のトカゲや両生類のカエルをペットとしている場合ではどうか、当然に反応は鈍いであろう。さらに進化レベルに差がある昆虫の鈴虫の場合はどうか。飼主が与える餌や飼育環境の整備(→飼育箱の掃除や温度管理など)などを鈴虫の視点から見れば、時間になると餌が出て来たり清掃されていたり、また温度が一定に管理されていたりと、鈴虫に感受性があれば一種の“法則性”として感じるのではないだろうか。

このように人間と相手の“進化レベルの距離”が大きければ大きいほど、受け止められ方の違いは大きい。両者の距離の隔たりが大きいほど相手は人間の行為を愛情としてではなく、むしろ“無機質な法則”として受け取るのではないだろうか。

 

ウ)一本の線で「愛」を説明する

次に一本の線を引いて、線上の左端には物質性を帯びた「利己的な愛(→束縛する愛、血縁や仲間重視の愛)」を置き、線上の右端には「利他的な愛(→与えるだけの愛)」の極致である“神の愛”を置く。ここでは「私」を起点にして、進化レベルの高い霊との関係で「私が感じる主観的な愛」がどのように変わっていくのかを見て行く。

この線上を物質性の濃い左端に行けばいくほど、「愛の表現」に利己性や特殊性が帯びてきて、そこに何らかの物質的見返りが伴ってくる(→お金、モノ、保護などの対価)。一方右に行けば行くほど愛に内在するところの利己性が薄れてきて、利他性が増して愛に普遍性が帯びてくる。受け取る「愛」の対象者も特定の個人から、次第に万人に、すべての生き物に、自然に、宇宙へと拡大して行く。

 

エ)高級霊の「愛」

定評ある霊界通信の『シルバーバーチの霊訓』や『モーゼスの霊訓』を読んでみれば、高級霊の「愛」には普遍性が伴っていることが分かる。例えば人間の自由意志を尊重して「どうぞご自分の信じる道を歩まれるがよろしい」と突き放した言い方をする場合がある。手取り足取り手助けしてくれるのが「愛」だと思っている、依存心の強い生き方をしている人にとっては、自由意志を尊重する高級霊の「愛」からは一種の冷たさが感じられるのではないだろうか。高級霊レベルの「愛」でさえ、万人が等しく「愛」として感じるわけではない。

さらに「超高級霊の世界」に行けば「愛」を受け取る対象がさらに拡大して、愛に内在する“規則性・公平性・普遍性”といった無機質さが前面に出てくる。このように考えると究極的な「愛」の表現は“法則”となっていく。この“法則”として現われた「愛」が不完全な世界に行くに従って、“法則”の裏側に隠されていた温かみが表面に現われてきて(→愛する者と愛される者との距離が近くなるから)、次第に「愛」に個別事情と言った特殊性が帯びてくることになる。

線上の右端に位置する神は(→厳密には創造者であるため線上の欄外に置かれるが)、宇宙を統治する仕組みとして「神→法則(摂理)⇔万物」を創った。その仕組みの背後には、万物が平等に霊的成長を果たすための“究極の愛”が隠されている。なぜなら「愛とは摂理のこと、神そのものが愛」、すなわち「神=愛=摂理」だから(8126⑪~⑫参照)。

 

オ)血縁重視の「利己的な愛」と「利他的な愛」

愛には普遍性を帯びた高い霊性を伴った愛から、血縁関係から発する“閉鎖的で内向的な愛”まで幅広く存在する。家族的な絆に根ざした血縁的な愛よりも「奉仕的精神から発動した愛」には、行為の純粋さが高い分だけ“神の属性(→愛・寛容さ・叡智・親切・優しさ・思いやりの心など)”が形体(→本来の私という意識がまとう外皮のこと)からより多く滲み出て来る。なぜなら排他性を帯びた内向的愛よりも発展性がある外向的愛の方が、利他性指向が強い分だけ高いから(1145⑪参照)。

 

カ)地上に通信を送る霊

シルバーバーチは次元の異なる地上に通信を送ることは「(霊的波長から物的波長への切り替えを伴うことから)容易なことではない、大へんな努力を必要とする」ので、通信霊は必然的に「愛念を抱く者に限られる」(189⑨~⑪参照)と述べている。従ってこのような困難を乗り越えて地上に送られてくる霊界通信の多くは、未だに意識の関心が地上に向いている、物質臭が抜けきらない幽界の下層界に居住する血縁の霊からの通信となる。ここに血縁重視の霊界通信が多くなる理由がある。これは高校に進学した生徒が中学時代のクラスメートや部活の後輩の面倒事に、自分の休みを犠牲にしてまで駆け付けて世話を焼きたがる意識状態と似ている。

霊的自覚が深まるにつれて上昇志向が強まって、次第に地上への関心は薄れて行く。そのため「霊的自覚」が芽生えた霊からの通信は減っていく。地上への通信は例外的に霊側に“何らかの使命”がある場合に限られてくる

 

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<質問、その1>

個人ではどうしようもない「コロナ、経済不安、災害」など、スピリチュアリズムの視点での解釈・対処・対応などを伺いたい。

 

◆自然災害という言葉

まず自然災害とは人間側から見た言葉、これらの自然現象は地球の進化の現れである(12109⑪~⑬参照)。地球は誕生初期、大規模な噴火や造山運動など荒々しい現象を伴って「物的地球」は進化して行った。長い年月の後「物的地球」は次第に穏やかになっていった。その「物的地球」を霊界側では霊的成長のための「学校」として使うようになった。穏やかになってきた「物的地球」の表面に“人間を頂点にした様々な生物”が出現した。私たちが今いる「物的地球」が「学校」として使われるようになった。

◆旅人的視点が必要

その「学校」で学ぶ我々は“一時滞在者の旅人”という観点から物事を見ることが必要。霊的真理を知れば「この世は仮の世」であり、「学校」や「トレーニングセンター」という意識になる。いわば長期滞在者用のホテルに住まう「旅人」という感覚になる。

シルバーバーチはイエスの言葉を引用して「この世を旅する者であれ、この世の者となる勿れ」(419⑨参照)と述べている。さらに「私は“俗世にあって俗人となるなかれ”という訓えの通りの立場にあります」(7106⑬~107①参照)とも述べている。そこには未来永劫に住み続ける「住人的視点」でモノを見るのか、一時滞在者の「旅人的視点」でモノを見るのかの違いがある。シルバーバーチは後者の「旅人」的な見方を推奨している。

旅人的視点で見れば、生き方も「死を一つの通過点とした生き方」となっていくため(→私は霊である、本来の住処は霊界である)、その地に根を張った「住人」とは価値観を異にし、「モノに対する執着」は格段に薄くなる。さらに災害や経済不安などに対する見方にも変化が生じてくる。

◆未来の地球

『ベールの彼方の生活』4巻268頁~271頁に「地球進化の未来」が載っている。269頁に「その表面に陸と海の形が現れました。今日の地形とは異なります」、270頁に「地球はますます美しさを増してきました、表面の光が増し、大地そのものも内部から輝きを増しておりました」とある。このように今後も「物的地球」は進化し続けて、当然に地形は変わって行く、未来永劫にわたって今の地形が維持されていくわけではない。

◆意識の転換が必要

あくまでも地上世界の位置づけは「学校」であり、我々はそこで学ぶ「生徒」である。「学校」である以上頻繁に「試験(困難・悲劇など)」がある。その「試験」にどのように向き合うのか、シルバーバーチの立場に立てば「魂の磨き粉」と位置付けて「学業(霊性)」を高めていくことが重要となる(→これが「生徒の本分」だから)。その際「肉体」は「学校」で学ぶための「制服」である、このような見方が大切。人間には寿命があるので、一定年限で誰もが地上世界と言う「学校」を卒業して行く。

このように物事を「この世的な視点」ではなく「霊的視点」に立って眺めることが必要。ここからスピリチュアリズムは個々人の意識の転換を迫る「意識の変革」運動という位置づけとなる。

 

<質問、その2>

日本的な守護霊説の問題点を指摘して頂きたい(本文の中に織り込み済み)、また守護霊とのパイプを繋げる方法を具体的に、出来れば体験談を交えて伺いたい。

 

◆私の個人的な体験談

私は若い頃、霊界の存在を信じてはいなかった。その後、瞑想がしたくなり場所を探していた時に日本心霊科学協会の精神統一会を知った。何度か精神統一会に通っているうちに「この者はよう信じることをしないのだが、わしが連れて来たのでよろしく頼む、〇〇〇〇(実在の先祖の名前)」という“霊査(ワンポイント・アドバイス)”を受け取った。当時は「守りにくい」という霊査がたびたび出ていた。

その頃、私の部屋に友人が北海道旅行でお土産に買ってきた「アイヌの木彫り(お爺さんと御婆さんが一対となった像)」があった。この木彫りを“守護霊・指導霊・先祖”と見なして、毎日木彫りの頭を「おはよう」「ただいま」「おやすみ」と言ってなでていた(→何気なく行っていた行為が守護霊等との回路を作っていったと思われる)。一年くらい経った休みの日の朝、寝ていると布団の胸もとから“ニコニコしたお爺さんの木彫りの像”が満面に笑みを浮かべて出て来た、次に“ニコニコしたお婆さんの木彫りの像”が出てきた(→木彫りの無表情な顔が私のエクトプラズムを使って変貌したものと思われる)。部屋中に“幸せのオーラ”をいっぱい振りまいていった。この“不思議な現象”があってから霊査の内容が変わってきた。頻繁に「良く守られています」「守りが厚い」と言われるようになった。守護霊・指導霊等との回路がやっと出来たと思った瞬間であった。

無表情の木彫りに自然霊(妖精?)が宿ってしまったと思って、それ以降は頭をなでる行為は止して、心の中だけで毎日挨拶するようにした。それ以降、引っ越しを繰り返すも木彫りの像は処分できずに、玄関わきに未だに置いてある。

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

*イラストは省略してあります

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