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第3講:思想家を悩ませてきた問題

目 次

1.人は死んだらどうなるのか

・死とは何か

・さまざまな「死」

・死の直後の状態

2.何のためにこの世に苦難はあるのか

・本来の世界と地上世界

・地上人生の意義

3.何のためにこの世に生まれてくるのか

・地上生活の始期

・再生の概略

・再生条件の設定

・再生に関する個別テーマ

 

*本文中イラストは省略してます

 

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1.人は死んだらどうなるのか

◆はじめに

昔読んだ本の中に「長年にわたり思想家を悩ませてきた問題」という項目があった。今回はここで取り上げられていた問題点をスピリチュアリズムの観点から考えて見たい。

最初に「人は死んだらどうなるのか」がある。この世に生まれてくれば、何時かはこの世を去らなければならない。人は永遠にこの世で生き続けることはできないから。この問題をスピリチュアリズムの立場から簡潔に言えば「死んでも“私”は霊的世界で生きている」となる。初めに「死とは何か」から見ていくことにする。

 

①.死とは何か

ア、この世に於ける「死」

A、「三徴候」の確認

何を持って「死」とするのかは時代や文化によって異なるが、腐敗により死臭が漂うことで死は決定的なものとなる。死者が蘇生したという話、いわゆる「早すぎる埋葬」は昔から存在した。19世紀初頭に「死は心臓と肺が機能を停止した時に訪れる」という事実が明らかにされるまで、「死」は“細胞死(腐敗により死臭が漂う)”であった。

その後、医療の世界では「心拍停止」「自発呼吸停止」「瞳孔散大・対光反射喪失」の「三徴候」を確認してから「死」と診断する慣行となった。現在では立ち会った医師は患者の「三徴候」を確認した後に、家族に向かって死を宣告する。

 

B、新たな「死の概念」の登場

物質次元から「死」を見れば物的身体の“崩壊過程(脳死の段階→心臓死の段階→細胞死の段階)”として現れるため、どの時点で死と判定するかは難しい。昨今は「脳死」という新たな「死」が登場している。この脳死とは20世紀後半に導入された「臓器移植と対になった新たな“死”の概念」である(→平成22年度版『法的脳死判定マニュアル』参照)。

1967年に南アフリカのケープタウン大学で人間から人間に対して世界初の心臓移植が行われた。その翌年の1968年に、従来から問題となっていた“脳疾患の末期患者”を表す言葉として「脳死」が使われるようになった(→ハーバード大学医学部『脳死判定基準』参照)。この「脳死」という概念を導入することによって、始めて「ドナーの心臓は生きているが、ドナーは死んでいる(→“死体”から脈を打っている心臓を取り出すこと)」状態が出現した。新たな“死”の概念を導入することによって「ドナーは死者から」という高い壁をクリアすることが出来た。その結果「脳死者からの臓器摘出」が可能となり、執刀医は訴追されずに心臓移植手術を行うことが出来るようになった。

 

イ、スピリチュアリズムの「死」の定義

A、シルバーコードによって結ばれている

形がない“本来の私という意識(自我の本体)”が、自らの霊性を向上させる為には(→霊性の向上とは潜在している“神の分霊”を意識の領域に顕在化させていくこと)、各種「形体(肉体、幽体、霊体など)」をまとって物的体験や霊的体験を積む必要がある。

地上体験を積むためには肉体をまとう必要がある。その肉体とより精妙な霊的身体(→中間物質で出来た結合組織の接合体を含む)との間には、二本の太いシルバーコード(→頭部と臍の部分)と糸状の細いシルバーコードがクモの巣状に張り巡らされている。

 

B、二本の太いシルバーコードが切断

長い“死のプロセス”は無数にある細いシルバーコードが萎縮または切断される所から始まる。肉体の各部位と繋がった細いシルバーコードが萎縮または切断することによって、霊的エネルギーの流れに障害が生じて臓器は不活性化となる。生物学的には“死のプロセス”の最初は“肉体の老化”として現れる。そして最後に二本の太いシルバーコードの切断によって“死のプロセス”の前半は完了する(→後半は霊的世界に舞台を移し、中間境で他界者は「明確な死の自覚」を得て、霊的バイブレーションへの切り替えが完了した時点で一連の“死のプロセス”は終了する)。

このようにスピリチュアリズムでは、太いシルバーコードが双方ともに切れた瞬間をもって「死」と定義している(11206⑫~207⑦、永遠の大道115⑮~116③参照)。これに対して切断されずに、霊的身体が肉体から離れた状態で体験したことを蘇生後に語る現象を「臨死体験」(Near Death Experience)という。臨死体験者の中には「紐のようなものが自分の位置まで伸びているのが見えた(→シルバーコードのこと)」と述べている者もいる。

 

C、「死」とはバイブレーションの切り替え

スピリチュアリズムでは「死」とは、肉体を脱ぎ捨てて霊的身体に移行するための通過地点に過ぎないと説く。バイブレーションの観点から「死」を見れば、従来の鈍重な肉体を通して感知していた物的バイブレーションの世界から、霊的バイブレーションの世界へと切り替わる、そのことを「死」と呼んでいるに過ぎない(344④~⑤参照)。

 

②.さまざまな「死」

ア、不慮の死(急死、事故死、戦死)

A、無理に生木を裂く状態(予期せぬ死)

スピリチュアリズムの観点に立って「人は死んだらどうなるか」を考えて見た場合に、そこには“死のカタチ”ごとに生じる特有の問題が見えてくる。

「本来の死」は細いシルバーコードが一本一本穏やかに切れて、最後に太いシルバーコードが切断して死を迎え、直ちに“死後の深い眠り”に入って行く(→物的波長から霊的波長に切り替わるため)。これに対して「急死・事故死・戦死」などの「不慮の死」は、本来の想定していた死のプロセスを踏まないケースであり、他界者の意識に死の準備が整っていない段階で無理に生木を裂くように肉体から離される死である。これら「不慮の死」の場合には急激にシルバーコードが切断することによって突然に死を迎えるので、他界者にショック状態を引き起こす。その状態を緩和する為に「霊的エネルギーの注入や長期の休養」などの処置が霊的世界で行われている(6106⑤~107③、メッセージ61⑬~62①参照)。

 

B、霊的知識の有無と休養期間

「不慮の死」を遂げた他界者に霊的知識がある場合には、相応の霊的調整期間を経て「死の自覚」が持てるようになる。霊的知識がない場合には霊的調整のための長い休養期間が必要となるが、その期間は正常死のケースよりも長くかかるのが通例である(8巻103⑦~⑬参照)。その場合には「地縛霊」となって地上圏をうろつかないためにも、速やかに“休眠”を取る必要がある(霊訓下125⑫~⑮参照)。なぜなら霊肉分離が本来の過程を経ずに、急激に引き剥がされることによるショックを“休眠”の中で調整していく必要があるから。「不慮の死」を遂げた他界者は一種の興奮状態にあり、なかなか眠ることが出来ずに地上のゆかりの場所をさ迷い歩くから。

 

イ、意識的に命を絶つ行為(自殺、死刑)

A、「学校」を中退する行為

自ら命を絶つ自殺(9206⑤~⑥参照)、他人の命を絶つ殺人(5215①参照)、犯罪者に対し法の執行によって命を絶つ死刑(4210⑦~⑩参照)など、人間が人間の生命を奪う行為は霊的摂理に反している。

命を自ら意識的に絶つ自殺者の場合は、地上生活を通して霊的成長するせっかくの機会を自らの手で投げ出してしまうことになる。これに対して殺人の被害者や死刑囚の場合には自らの意に反して命が絶たれてしまい、その結果またとない物的体験を積む機会が奪われてしまうことになる。特に死刑囚の場合は刑務所の中で自分自身を見つめ直して、自らの性格の弱点を矯正するせっかくのチャンスが奪われてしまうから。例えれば自殺は自らの意志で本来の就学期間を全うせずに「学校を中退する行為」であり、他殺の被害者や死刑の場合は他人の命を無理やり奪って「学校を中退させてしまう行為」である。

 

B、自殺の場合

◆シルバーバーチの見解

シルバーバーチは「(自殺行為に関して)寿命を全うせずに無理やり霊界へ行けば、長い調整期間の中でその代償を支払わなければならなくなる」「(利己的な波動によって)周囲にミゾをこしらえてしまうから」(語る407③~⑥参照)、霊的進歩の妨げになるからと述べている。しかし一口に自殺者といっても地上人生をどのように送ってきたか、霊的な発達程度はどうか、自殺の動機は何かなど、自殺に至る事情や心情など、考慮すべき条件がケースごとに異なっている。そのため自殺者の死後の状況もそれぞれであり一律ではない。

 

◆利己的要素が強い自殺

自殺の動機に「利己的要素」がより多く付随している者ほど、自殺者の意識は内側に強く向いて閉じられている。いわば本人が作った思念という厚い壁が周りを取り囲んでいる状態であり、その壁を外側から砕くことは非常に困難である(個人的存在88⑥~⑫参照)。

筆者の知人に自殺者がいる。たまたま自殺の数時間前に電話で話をした。その際に知人の自殺を決意した感情的な思念が私には“鉄の板”のように感じられた。この体験から自殺霊の周りには陰湿で感情的な思念が“鉄の板”のように取り巻いている、それを外から破るのは難しいとの印象を持った。ここから利己的要素の強い自殺には霊界側から救済の手がなかなか届きにくい理由がある。

このようなケースでは自己の“利己性の罪”の償いのため、自ら作り出した「暗黒の世界」に、いわば意識が内側に向いて閉じられているがゆえの暗黒の世界に、長期間閉じ込められることになる。「死んだつもりなのに相変わらず自分がいる」「その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断する」(9209⑩~⑬参照)現象を作り出す。結局、時間をかけてでも本人の意識の変化を待って、内側からその壁を壊していくほかない(→同様に引き籠りも自らの意志で“部屋から出る”という気持ちにならない限り解決は難しい)。

 

◆利他的要素が強い自殺

これに対して自己犠牲的な動機が強い自殺の場合は(9210③参照)、自らの命を絶つ行為に利己性は薄いので(三浦綾子著『塩狩峠』の主人公)、その人の意識は外側に向いて開いている(個人的存在89⑥~⑧参照)。そのため一旦は暗い世界に落ちるとしても、霊界の救済霊との接触は極めてスムーズに運ぶことになる。

 

◆憑依霊による自殺

これ以外に憑依霊に憑依されて自殺する場合がある(矢作直樹著『人は死なない』自殺未遂のBさんの事例)。この場合も自殺者はしばらくのあいだ暗闇で過ごすことになるとしても、自殺の責任は主に憑依霊側にあるので、救済霊との接触がはかられて壁を打ち破ることができる。なお憑依霊を呼び寄せた何らかの“受け皿”が自殺者側にあったとしても(個人的存在252⑨参照)、その“受け皿”となった歪んだ性格の矯正は自ら幽界の下層界で行うことになる(→浄化の為の界が下層界にある)。一方憑依霊は、本人に憑依して自殺をさせてしまったという行為の責任を負うので、その償いをしなければならない。

 

C、死刑の場合

死刑制度は死後の世界に関して何の準備もできていない死刑囚から肉体を無理やり分離させてしまい、霊界側の問題児である「地縛霊や邪霊」を増やしてしまう結果となっている。死刑を執行された霊の波長は地上人の物的波長に極めて近く、何らかの“受け皿”を持つ地上人との接触が容易く行われる。その為「怒りと復讐心に燃えた霊」による憑依現象は親和性の法則から多発することになる(霊訓下154⑮~155⑩参照)。地上人の歪んだ性癖や習性がエサ蒔きとなって、そこに親和性を持った邪霊が引き付けられてしまうから。シルバーバーチは「死刑に処するということは正義からではなく報復心に駆られているという意味において間違いである」(新啓示28⑦~⑧参照)、正義と復讐を区別するようにと述べている。

このように死刑制度は単に犯罪者から肉体を奪うだけであって、地縛霊による憑依という形で地上にトラブルのタネを蒔いているにすぎない。高級霊からの霊界通信では例外なく死刑制度を批判している(6150⑧~151③参照)。

処罰制度には懲罰的要素も必要であるが、同時に矯正的・厚生的な要素も必要である(霊訓上47⑪参照)。暴徒や死刑囚など蛮行を行う者は「一種の病人」(4巻207⑤参照)であるとの観点から対処する必要がある。霊界通信には「罪人は矯正するか隔離するかのいずれかにすべきであって、身体を奪ってはなりません」(続霊訓101④~⑥参照)とある。

 

、安楽死、延命処置、尊厳死

A、安楽死(講座に寄せられた質問)

安楽死は医師が直接薬剤を投与することにより患者の自然な死期を早めて死亡させる「積極的安楽死」と、苦痛を長引かせないように医療行為を控えたり延命治療を中止したりして死期を早める「消極的安楽死(尊厳死のこと)」とがある(ブリタニカ国際大百科事典)。日本の「安楽死裁判」で問題になったのは「積極的安楽死」であり、関与した医師は「嘱託殺人(→患者の嘱託を受けて死期を早める処置を行う)」や「承諾殺人(→患者の承諾を得て処置を行う)」の罪に問われている。法律上問題となる「積極的安楽死」は「自殺ほう助(自殺関与罪)」や「殺人(殺人罪)」との区別が難しい。

シルバーバーチは「回復の見込みがない患者(→植物状態の患者や不治の患者、筋萎縮性側索硬化症・ALS患者など)」を人為的に死なせる安楽死は、当然のこととして認めていない。なぜなら死後に備えの出来ていない霊に一種のショックを与えてしまい、そのショックが何かと良からぬ影響をもたらしてしまうことになるから(448⑦~⑨参照)。さらに植物状態になっていても、本人自身が何らかの学びをしている場合があること(最後啓示155⑪~⑬参照)。または周りの家族に対して何らかの学びをさせていることも考えられるから。つまり病人という存在それ自体が“消極的な利他的行為(→菩薩行のこと)”となっている。

 

B、延命処置を施すこと

シルバーバーチは患者に延命処置を施すことに関しては問題ないという。なぜなら霊は肉体を去るべき時が来れば、どのような医学的処置を取ろうが肉体から離れていくので、延命処置の効果は「ある程度までのこと」(449⑧~⑩参照)であり、いわば「寿命の範囲内のこと(=寿命の糊代部分)」だからと述べる。

 

C、尊厳死

尊厳死(消極的安楽死)は「必要以上の延命治療を受けず、人間らしい最後を全うしよう」という考え方に立って、回復の見込みのない時点での人工呼吸装置など機械的な延命工作を、あくまでも本人の意志に基づいて辞退、結果的に死を選ぶことを言う(日本大百科全書)、近代医学が死に臨む人の人間性を無視しがちであることの反省から生まれた概念(広辞苑)。

尊厳死は“医師の行為の妥当性の問題”と“患者本人の動機の問題”とに分けて考えて見る必要がある。医師が患者の苦痛を和らげ除去する以外の延命のための治療を行わない行為、栄養補給のカンフル剤は用いるが静かに死を待つだけの医療行為に関しては、霊は肉体を去るべき時が来れば必ず去るもの(4巻48②~③参照)なので問題はない。

これに対して患者本人は何のために「延命のための医療は望まない(=リビング・ウィル)」で尊厳死を望むのかという問題がある。その理由に経済的な問題や厭世観、また多数の生命維持装置等によって無理やり命を永らえさせられる状態(スパゲッティ症候群)に対する忌避もあろう。シルバーバーチは常々「動機は何か」を問題にする。この点から尊厳死を考えて見れば「リビング・ウィルを望む本人の動機は何か」という問題に帰着する。

 

③.死の直後の状態

ア、死後の深い眠り

A、眠りの中でバイブレーションの調整を行う

ここではスピリチュアリズムの観点に立って他界者の“死の直後の状況”を見ることにする。死の直後は深い眠りに入るのが一般的である(ブルーアイランド73⑩~⑮訳者注参照)。この深い眠りの中で自我(本来の私という意識)の表現器官を肉体から霊的身体に移行させるための調整が行われる。

例えばパソコンでソフトをインストールする際に、起動している“基本ソフト(operation system)”があればソフトの改変を行うことはできない。そのため再起動(深い眠り)してソフトの書き換えを完了させる場合がある、この現象と似ている。

 

B、眠ることが必要

「不慮の死」によって眠ることが出来ない死者は、死のプロセスを進めるために必要な調整、バイブレーションの転換がなかなか完了せずに調整期間が長引いてしまうことになる。この場合でも死者の“表面意識(→霊界人が普段用いている顕在意識のこと:永遠の大道148③参照)”に「死の自覚」が芽生えてくると、急激な眠気を催すようになる。なぜなら霊的なバイブレーションに切り替える為には眠ることが必要だからである。

定評ある霊界通信には非業の死を遂げた者は激しいショックの為に休息が出来ず、事故現場をいつまでもうろつき回る。地縛霊となって周辺をうろつかない為にも休眠をした方が良いとの記載がある(霊訓下125⑫~⑮、126③~⑦参照)。

 

イ、眠りからの目覚め

A、付き添う霊

死ぬ時は例外なく愛で繋がった霊が付き添って面倒を見てくれている(1248⑤~⑥参照)。多くの人にとって死の移行過程は、無意識状態となっている為に苦痛は伴わない(4140④~⑤参照)。

 

B、目覚めまでの時間

死の眠りから目覚めまでに要する意識の回復時間は、寿命を全うした「通常死」か、あるいは事故死や戦死等の「不慮の死」か、さらに死者に霊的知識があるかなどによって異なる。死後の目覚めは“霊的な理解力”が芽生えた時なので、霊的知識があれば目覚めは早い(4138⑥~⑧参照)。目覚めるまでの意識の回復時間は、他界者の霊的進化の程度や諸事情によって異なるので一概には言えない(4140①参照)。

 

ウ、意識が混乱した状態

A、地上と酷似した世界

他界者が“通常死(→寿命を全うした病死含む)”の場合は「死後の眠り」からの目覚めは、ぐっすりと眠ったあとの目覚めに似ている。あの世で目覚めて周りを見回すと環境が地上世界と酷似していることや、生前の肉体と同じ姿形をしていること、さらには生前と同一の意識状態を変わらずに保っていること。このように自然な形で霊的世界に移行するため、自分が死んだことになかなか気が付かない。その為にどのような者でも自動的にガイドが付いて、移行過程の“死のプロセス”を乗り切ることになる(500現地報告84⑦~⑫参照)。

 

B、意識が混乱する

このように“死の自覚(自分は死んだという自覚)”が生まれにくい中で、意識が混乱した状態に陥る他界者も多いという。あの世で他界者は目覚めると、深い霧に覆われたような静かな場所に一人佇んでいる。霊界通信には「地上を去ってこちらへ来る者は例外なく厚い霧状のとばりに包まれている」(彼方2巻36⑯参照)とある。他界者の多くは死の前後の環境変化に次第に精神的に不安定となって意識が混乱した状態となる。「自分は死んだのかな?」「死んだのかもしれない」「自分の体があるので死んでいるはずはない」など、意識が激しく揺れ動く。混乱状態がひどい他界者は霊的波長を調整するため「再び眠る」ことになる。

 

エ、ガイドとの出会い

A、誰がガイド役になるのか

他界者の意識が混乱した状態にある中で死んだことを「明確」に悟らせるために、主に血縁者や知人などが“死のプロセス”を導くガイド(指導霊)役となって死者の前に現れる(3巻15①~②参照)。ガイドの出現の仕方は、本来の霊的波長から他界者の波長まで下げて姿を現すので(1061⑨~⑩参照)、霊的世界における一種の“物質化現象”と言える。

 

B、ガイドの主な仕事

他界者が最初に出会う霊界人はガイドである。霊界通信には「あなたが直接、私の所に来ることが必要だったから」(500に及ぶ166⑧参照)との記載がある。他界者がガイドの言うことに素直に聞くことが出来るかどうかが最初の関門となる。拒否した場合にはガイドは他界者の周囲で見守っている。

ガイドの仕事は他界者に「死の自覚(→自分は死んだのだという自覚)」を持たせて、中間境での霊的調整を手助けすることにある。ガイドは意識が混乱した状態にある他界者に対して、死んで霊の世界に移行してきたという事実を、さまざまな方法によって悟らせようとする(316⑨~⑩参照)。霊界通信によればガイドは他界者自身の遺体を空中から見せたり、近親者が他界者の遺体に取りすがっているのを脇で眺めさせたり、他界者自身の葬式を近くで見学させるなど、あらゆる方法を使って「自分は死んだ」ということを理解させようと努めるという。ここにおけるポイントは「明確な死の自覚」を他界者が持てるか否かにある。「死の自覚」を持って霊的調整が完了した他界者は“新調の幽体”を完成させて、地上世界で培った相応の世界(幽界の下層界)に飛び出して行く(永遠の大道50⑪~⑫参照)。

以上の事柄から死とは“私(という意識)”の表現形体が肉体から霊的身体に変わる現象のことであり、設問の「人は死んだらどうなるのか」に対する回答は「死んでも“私”は霊的世界で生きている」となる。

 

2.何のためにこの世に苦難はあるのか

◆はじめに

次に「長年にわたり思想家を悩ませてきた問題」の中に「何のためにこの世に苦難はあるのか」があった。この問題をスピリチュアリズムの観点から簡潔に言えば、人生上の苦難は“魂の磨き粉”という位置づけになる。以下に於いて詳細に見ていくことにする。

 

①.本来の世界と地上世界

ア、本来の住処

私たちの本来の住処は霊的家族が待つ霊界(狭義)である。この霊界(狭義)は「同一霊格で、親和性を有する霊」が集団で生活する均一な世界である。そのような環境(→同一霊格で親和性がある霊の集団)の中で生活しているために、出会う人も自分と同じ霊格やタイプの者となり、遭遇する体験も似通った体験となる。シルバーバーチは「こちらでは同一レベルにまで進化した者どうしの生活が営まれており、霊格による区別がはっきりしているからです。ですから地上のように比較対象というものがありません」(1巻174②~④参照)と述べている。

 

イ、地上世界

A、肉体を通して自我を表現する世界

人間は霊であり、霊性を向上させる為に地球という物的世界に降りて来た。この地球で一定期間を過ごすためには、“本来の私という意識(自我の本体)”は肉体を通して自我を表現しなければならない。それ故に肉体は個別霊が地上世界でまとう衣装(→制服、コート)に例えられる。この個別霊と肉体との関係をシルバーバーチは「身体はあなたが住む家である」「家であってあなた自身ではない」(1巻27⑩参照)と表現している(→車と運転手の関係)。

 

B、多様な霊格の霊が交わる世界

地上世界は霊格がバラバラで親和性がない個別霊、本来の住処である霊界(狭義)では絶対に交わることがない個別霊が共通構造の肉体をまとうことによって、地上という同一平面で交わって生活している混在社会である。

 

C、地上世界は相対性・両極性の世界

地上世界は霊的に見て混在した世界、比較対象の有る世界なので本来の住処である霊界(狭義)では出会うことがない人や体験(→直接体験、間接体験)に遭遇できる。地上では困った隣人がいれば手を差し伸べる愛にあふれた人(→被災地に率先してボランティアに出向く者)がいる一方で、我が子をマンションの一室に閉じ込めたまま食事も与えずに恋人に会いに行く者や、自分の快楽しか眼中にない利己主義者がいる。いわばこの世は本来の住処では絶対に出会うことがない“肉体をまとった霊”と、日常的に(→直接に又は報道を通して間接に)出会うことができる両極性に満ちた世界となっている。

 

ウ、この世は学校

私たちは霊界(狭義)では体験できないことを、地上で直接にあるいは間接に体験することができる。快楽主義者や利己主義者の末路を見聞きして自らの教訓としている。このように地上は霊性向上の為に学ぶ機会に数多く出合える場となっている。地上は両極性の社会故に数多くの学びができるので、この世は「学校」(474⑫参照)であると言われている。

私たちはこの地上世界で苦と楽、悲しみと喜び、愛と憎しみ、勇気と臆病、平静さと怒り、嵐と晴天、明るい側面と暗い側面、困難、闘争など、さまざまな両極性を体験(→直接体験又は間接体験)することによって学んで、各自霊性の向上を図っていく仕組みとなっている。シルバーバーチも「地球は学習のために通う“学校”です。その(学校での)学習は、比較対象の体験による以外には有り得ない」(到来25⑩~⑬参照)、「人生とは学校です。刻苦と闘争、努力と困難、逆境と嵐の中をくぐってこそ魂は真の自我に目覚める」(4214⑩~⑪参照)と述べる。このようにスピリチュアリズムでは地上世界を「学校」と呼んでいる。肉体は“私という意識”がまとう「学校の制服」である。

 

②.地上人生の意義

ア、苦難は魂の磨き粉

A、魂の磨き粉

霊的視野から見れば、地上人生はホンの一瞬のことに過ぎない。シルバーバーチは「永遠の観点から地上人生を見る」「視点を変えてみる」ということを私たちに説いている。この観点から苦難を見ると別の側面が見えてくる。

この世的な幸せを得ることが人生の目標、物的要求を満たすことだけが目標といった人生からでは「魂を向上させる(→霊性の向上とは“本来の私という意識”に潜在している“神の分霊”をより多く顕在化させていくこと)」ことはできない。

この世に生まれてきた人間は、何らかの荷を背負い困難と取り組みながら、そこから何かを学び取って霊性を向上させる、それが地上人生の本来の姿である(152⑨参照)。なぜなら人間は、困難、苦労、悲しみ、痛みなどを体験して、それらが魂の琴線に触れることによって、初めて自我に目覚めて霊的真理を受け入れる素地が出来上がるから(164②、3130⑨参照)。いわばそれらの体験は、受容性に富む魂を作り出すための“魂の磨き粉”の役割を担っていると言える(769⑧~⑩、3213⑨参照)。魂の目覚め(霊的自覚)は簡単には得られない。シルバーバーチは「成長は困難に堂々と対処し、挑戦を正面から受け止め、そして克服していく中で得られる」(1273⑥参照)と述べる。

 

B、自動的に磨かれることはない

ただし「困難・障害・病気など」に出会いさえすれば自動的に人間性が磨かれる、というわけではない。その「困難・障害・病気など」が人生を別の視点から見つめさせるきっかけとなって、結果的に人間性を磨くことに繋がるということである(8138⑥、8140⑧~⑩参照)。受け身的ではなく果敢に困難に挑み、そこから何かをつかみ取って行く態度が必要となる。

例えば70歳の老人が自らの来し方を振り返って、あの時の苦労がなければ自分の一生はチャランポランな人生だった、あの時の苦労が自分を磨いた、という独白と同じ。苦しみの渦中にいる当の本人は悪戦苦闘して闘っており、周りを見回す精神的余裕はないだろうが、それを乗り切った暁には大きく成長して霊性も一段と磨かれることになるということ。このことは「困難・障害・病気など」を乗り切った多くの人が体験談として述べている。

 

イ、霊性レベルと磨き粉の関係

A、研磨剤の粒子

シルバーバーチは「地球は宇宙の惑星の中でも最も進化の程度の低い部類に属する」(11177⑭~⑮参照)と述べる。環境と霊性レベルは一致するので、地上人類の霊性レベルの低さ故に“磨き粉の粒子”はそれなりに粗い。その“目の粗い磨き粉”を使って体を洗っているようなものである(→目の粗い磨き粉とは、重い病気にかかったり重大事故や災害に巻き込まれたりと言った厳しい体験のこと)。例えれば軽石に石鹸を付けて体をゴシゴシと洗うようなもので、汚れは落ちるが当然に肌は痛い。そこまでしないと余りにも低いレベルにある地球人の霊性は目覚めないから。

 

B、「学校の試験」のようなもの

人間は霊であり、霊として何をなさねばならないか、ということを物的体験によって表面的な自覚ではなく心の底から自覚する(→明確な霊的自覚を持つこと)、その為の仕組みが各自の人生の随所に組み込まれている。いわば「困難・障害・病気・災害」は「学校の試験」のようなものであり、霊的視点がどこまで身に付いたかを人生の節目で試される。

 

ウ、霊性の開発

A、故事「人間万事塞翁が馬」

大部分の人は「困難や障害はできるだけ避けるべき」との心情を持って生活している。シルバーバーチはこのような多くの人の願いとは真逆のことを説いて、困難や障害に出会ったらそこから逃げるのではなく、これらに積極的に立ち向かって自らの手で克服していく、その為の心構えを説いている(31⑫~2①参照)。

例えば「コロナ禍」で事業が立ちいかなくなったら、債権者に頭を下げて回り、罵声に耐えながら再起を図る、または事業をたたむということ。仮にも責任を部下に押し付けたり、海外に逃亡したり、自殺したりと見苦しく逃げ回らないということ。

シルバーバーチはこの世的な視点で幸不幸を見るのではなく、霊的視点から見ることを説いた。このような霊的視点から見れば、不幸な人生が霊的に見れば幸多い人生であったということもあり得る。地上的な意味での幸福になることが地上人生の目的ではないから。

 

B、刻苦と苦難、修養と節制の生活

シルバーバーチは人々から忌避されてきた困難や障害に魂の磨き粉という役割を持たせて、新しい意味付けを行った。そして霊性の向上には「修養と節制の生活」と「刻苦と苦難」、この双方が必要になると述べた(997④~⑤参照)。霊性の向上とは“本来の私という意識”の領域に潜在している“神の分霊”をより多く顕在化させていく霊的成長のこと。現在の胚芽的存在から、最終的には“本来の私という意識”一杯に神の分霊を顕在化して行くこと、そのため人は「神のミニチュア」と言われている(1巻80⑧~⑫、11109④~⑤参照)。

霊性の向上は「刻苦と苦難と修養と節制の生活」を通してしか成しえない。このように“本来の私という意識”に内在している“神の分霊”を顕在化させて、分霊に宿された資質(→あらゆる種類の美徳・善行・能力のこと、親切、同情、慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善、愛などの神の属性のこと:1巻154⑭~155③、6176⑤参照)が、形体を通して外部に滲み出て行く霊性の向上は、悪戦苦闘しながら困難や障害等と闘って勝ち取って行くもの。最も達成が困難なものであるために永遠の時が用意されている。ここから設問の「何のためにこの世に苦難はあるのか」のスピリチュアリズムの立場に立った回答が出てくる。

 

3.何のためにこの世に生まれてくるのか

◆はじめに

思想家を悩ましてきた三番目の問題に「何のためにこの世に生れてくるのか」があった。同じ人間なのに障害を持って生まれてくる人や、人生の途上で遺伝性の病気や難病を発症する人がいる。また経済的に恵まれた環境で育つ者がいる一方で、極貧の中で育つ者もいる。さらに両親の愛を一身に受けて育つ者がいるかと思えば、育児放棄をする両親の下で生まれ育つ者もいる。この格差をどのように考えたら良いだろうか。スピリチュアリズムの観点から見ていくことにする。

 

①.地上生活の始期

ア、古い霊と新しい霊

人間は「何のためにこの世に生まれてくるのか」を解説する前提として「誕生の問題」を明確にしておきたい。シルバーバーチは「人間界への誕生には二種類ある」として、「古い霊が再び地上へ戻ってくる場合と、“新しい霊”が物質界で個体としての最初の段階を迎える場合です」(593②~③参照)と述べる。ここでいう“古い霊”とは進化の完成の為に物的体験を積むため再生して来る「再生霊」のこと(593⑥~⑩参照)。また初めて人間の身体に宿る“新しい霊”とは「動物の類魂の中でも最も進化した類魂」(5101⑧~⑨参照)のことである(→同趣旨、個人的存在81②~⑤、247⑯~248②参照)。

 

イ、人間の始期

A、地上人生のスタート時期

子孫を残すために有性生殖を行う高等動物には雄雌の別がある。人間にも性別があり生殖細胞としての卵と精子がある。この二つが合一することを「受精」と呼んでいる。その受精の瞬間から遺伝子に書き込まれているプログラムが始動する。一般に地上人生のスタート時期は「受胎の瞬間から人間」になると言われているが(893⑧参照)、この「受胎」という言葉をどのように理解するかは人によって見解が異なる。

 

B、二つの立場(受精時説と妊娠時説)

イラストは人間の始期を「受精時」とするか、「子宮着床時」とするかを表したもの。まず一つ目の立場は「受胎」という言葉を「妊娠」の意味として理解して、受精卵が子宮に着床する「妊娠成立期(受精から約2週間後)」とする説であり、広く受け入れられている考え方である。この立場では“子宮着床前の胚”は人間ではなくモノ(=細胞の塊)となる。

二つ目の立場は父方の精子と母方の卵が合体(=DNAが融合)して、結合体である「受精卵が出来上がる時」とする「受精時」説である(453⑨~⑪、メッセージ203⑩~⑭参照)。この立場では“活性化した物質”(霊の書34④、48⑥~⑨、49④、49⑥~⑪参照)の卵と精子が合体して受精卵となって、同時にそこに霊的要素が流入して初めて個別意識を持った個別霊となる(5145⑩~⑬参照)。この時点から自我意識(=個的意識)が始まり、それ以降は永遠に個性を具えた存在となる(893⑧参照)。その為に受精直後の“初期の胚(→受精時から14日目までの初期の胚)”はモノではなく人間となる。

 

C、初期の胚は“モノ”の根拠(研究者の立場)

◆研究用の受精卵

受精卵の問題は“研究者側の立場”に立って考えるか、それとも“生命倫理側の立場”に立って考えるかで結論は異なってくる。

母胎から月に一個の割合で卵が作られる。不妊治療では排卵誘発剤を用いて複数個の卵を作り、それを卵巣から取り出して試験管の中でまとめて体外受精させる。受精した一個を母体に戻して余った受精卵は凍結保存される。最終的に体外受精で子宮に戻されなかった余剰受精卵や異常があった受精卵は廃棄されるか、または“ヒトES細胞”などの胚の研究に利用されている。なぜならこれらの受精卵は着床前でまだ胎児にもなっていないモノ(細胞の塊)だから。子宮に着床する前の初期の胚は受胎前だからモノとされている。

 

◆有力な根拠

その有力な根拠としてオーストラリアの哲学者ノーマン・フォード(サレジオ修道会の神父)が1988年に唱えた説がある。彼によれば「14日目までの胚は一卵性双生児になる可能性があるから、まだ人の個体ではなく“細胞の塊”にすぎない」と。さらにイギリスの哲学者メアリ・ワーノックを委員長とする諮問委員会が1984年にまとめた「人の受精と発生に関する委員会の報告書」がある。この報告書によれば「受精後14日までの胚は原始線条がまだ発現していないことから、自己同一性を持った個体とはみなされない」とある。ワーノック報告の背景には、英国国教会では体外受精に対して条件付容認を取っていることがあげられている。

これらの説を受けて多くの国では「人間の始期」を、原始線条の出現期以降(受精後約2週間)とする考え方が胚研究の国際基準となっている。いわゆる「14日ルール」のことで「受精後14日または原始線条の形成以降、ヒト胚を発生させることを禁じるルール」を指す。なお「原始線条」とは、胚の発生初期、臓器分化を開始する直前に形成される線条のことを指す。(参考、秋葉悦子著『人の始まりをめぐる真理の考察』毎日アースデイ2010年)

 

◆日本では

20047月の総合科学技術会議「生命倫理専門調査会の最終報告書」では「14日目までの初期胚は人そのものではないが、人の生命の萌芽として尊重されるべき存在である」としている。日本ではこの最終報告書に基づき、初期胚は「人」ではなく「モノ(細胞の塊)」であるので、胚を研究用に用いても何ら問題はないとの解釈に立っている。医学雑誌を読むと「14日目」という根拠は「人の胚は体外では発生後14日目までしか生きられない」であり、当然に実験も14日目までに限られることになるからと言う。

 

◆カトリック教会の立場

カトリック教会では「人の生命は受精時に始まる」という立場を採っている(教理聖省『堕胎に関する教理聖省の宣言』カトリック中央協議会1974年参照)。ここから人工授精・体外受精・胚の研究は認めていない(教皇庁生命アカデミー著『着床前の段階のヒト胚』カトリック中央協議会2008年参照)。

 

D、シルバーバーチの立場

シルバーバーチは「受胎作用は精子と卵子とが結合して」「自我を表現するための媒体を提供する」ことであり、この媒体に「小さな霊の分子が自然の法則に従って融合」する、その瞬間が「意識を持つ個体としての生活が始まる」時期と述べる(3173⑦~⑫、語る414①~③参照)。ここからスピリチュアリズムでは「受胎の瞬間」とは、世間で広く理解されている「妊娠成立期(受精卵が子宮に着床した時)」ではなく、父方と母方のDNAが融合して物的な結合体の「受精卵(接合子)が出来上がった時」となる。

 

ウ、産児制限

産児制限は結局のところ「動機は何か」の問題に帰着する(450⑧~51①、語る412①~④参照)。シルバーバーチは出産を制限する際の動機が正しければ問題ないが(8130③~④参照)、肉体的快楽だけを求めて妊娠を避ける者は、その動機が利己的であり程度が低いので感心しないと述べる(452③~⑤参照)。両親の霊的進化にとって生命の誕生が不可欠の場合は必ず生まれてくる(語る412⑧参照)。また生まれてくる宿命を持った霊は、避妊をしない夫婦を選ぶ(451③、最後啓示135⑤参照)と言う。

 

◆講座に寄せられた質問

<質問>「反出生主義について講師はどのように考えるか、見解を伺いたい」

<ウィキペディア>ウィキペディアの記載によれば「反出生主義」とは「生まない自由・権利はあるが(→産児制限は動機がポイントになる)、生む自由・権利はないという思想(→この思想には地上は霊性向上の為の「学校」との観点がない、霊は避妊しない夫婦を選ぶ)、そして出産行為は生まれてくる子供への暴力・親のエゴであるという思想」のこと。この「反出生主義」には「人間が生まれてきたことを否定する誕生否定思想」と「人間を新たに生み出すことを否定する出産否定思想」とがあるとされる。

<回答>質問者が述べる「反出生主義」は余りにもこの世的な見方に立った思想であり、シルバーバーチの立場とは相いれない。この「反出生主義」は「人間とは何か、霊である」「この世の位置づけ、地上世界は「学校」である」「何のために困難があるのか、魂の磨き粉」という観点から見ても問題がある。スピリチュアリズムでは、人間は霊であり本来の住処は霊界である、霊は霊性向上の為に地上世界に誕生し、様々な体験を重ねて寿命が来て霊界に戻る。この世は「学校」なので身に付いたかを確認する為の「試験(→困難や障害)」は避けることはできないなど、実践哲学的な訓えを説いている。質問者の「反出生主義」には、出産して親となり子供と一緒に霊的に成長して行くという観点が抜け落ちている。

 

エ、不妊体質で生まれた女性

一般に「女性は子供を産んで一人前であり、子供を持つことが女の幸せである」とする世間からの暗黙の圧力がある。そこに近年の医療技術の発達、さらにマスコミの影響も加わって、不妊治療を受ければ誰でも母親になれるという安易な風潮が出来上がってしまった。

医療の世界では、妊娠したくとも妊娠できない、そのことを苦痛に感じて来院した人の病名を“不妊症”と呼んでいる。従来から“原因不明な不妊”は「妊娠を望んでいるカップルの10組に1組の割合で存在する」と言われている。いわば妊娠しにくい体質を持った人たちの存在である。医療関係者によれば、現状は多額の費用をかけて“不妊治療(タイミング法→人工授精→体外受精)”を受けても、妊娠する確率は1020%であるという。

 スピリチュアリズムの観点からいえば、再生人生を“不妊体質という身体”で地上体験を積むとして、自ら選択して生まれてきたにもかかわらず、妊娠したいと望むその動機は何かが問題となるであろう。動機面から言えば子供を持つことによって、自分たちを人間的に成長させたいと願うカップルも存在する。この場合は実子ということに拘らなければ、子供を養子に迎い入れて共に成長していくという選択肢もある。

 

②.再生の概略

ア、再生を理解するための前提、二つの意識

A、地上生活を海底作業に例えて説明

再生を考える場合に“地上で達成すべきテーマ(→海底作業で岩を10個除去する)”を設定した主体、さらにテーマ達成に最も適した環境や肉体条件等(→岩を除去するための道具類)を選択した主体が存在する。この主体が普段は意識にのぼらないが、潜在意識という形で存在する自我の本体たる「本来の私という意識A」である。これに対して「本来の私という意識、A」が設定した再生人生の大枠の中で、現実に地上人生を送る肉体本能に強く影響を受けた「地上的自我意識(現在の私という意識A-1)」がある。この「A―1」は同一界層にいる者どうしがお互いに認識し合う自我、つまり顕在意識のことである。再生はこの“二つの意識状態”を前提として検討する必要がある。この両者の意識の関係を海底作業に例えて説明してみたい。

 今から200年以上昔、1800年頃の海底作業は困難を極めたという。海上に停泊している支援船から伸びた呼吸用のホースを、頭部をすっぽりと覆う鋼鉄製のヘルメット型潜水具に接続して海底作業を行っていた(→当時の潜水具は性能が非常に悪かった)。

    

Aは海底で作業(→地上世界で生活)するためには潜水具を装着して(→肉体をまとって)、海底の水圧と水流、酸素不足によるモウロウとした意識状態の中で、予め決めておいた手順で海底での作業を行う(→本来の意識レベルを落として地上体験を積まなければならない)。潜水具(→肉体)は海底作業(→「本来の私A」が地上世界で自己表現)するためにまとう形体である。Aは「現在の私A-1」という意識状態で海底作業を行う(→地上世界で肉体をまとうことによって、利己的に働く「食欲・性欲・縄張り意識等の自己保全意識」や肉体煩悩に苛まれながら、もどかしい意識状態の中で地上体験を積んで行く)。そして作業時間の終了により浮上して(→寿命が来て)、海上に停泊する支援船に戻り潜水具から解放されて本来の意識状態を取り戻す(→利己的に働く肉体由来の意識から脱して本来の利他的な意識状態を取り戻す)。

 

B、クリアな意識と限定された意識

Aが潜水具をまとって海底で作業している時の意識状態(→肉体をまとって利己的に働く制約された私の意識状態)を「現在の私A―1」とし、作業を終えて支援船に戻ったときの意識状態(→本来の世界に戻った時の私のクリアな利他的に働く意識状態)を「本来の私A」とする。

この海底作業時の水圧と水流、酸素不足でもうろうとした意識状態にある「現在の私(地上的自我意識)A―1」は、「本来の私(本来の自我意識)A」が変容した意識状態であり、限定された意識状態であると言える。「A-1」の海底作業の能力の限界は、潜水具の性能向上にもよるがAの持つ実務能力が限界となる(→地上世界での能力の限界はAの霊性レベルが上限となる)。以下に於いて「二つの意識状態(本来の私A、現在の私A―1)」を使って再生の概要を説明する。

 

イ、再生全体の概略・流れ

   

 

A、地上人生を承知して出生

本来の世界にいる「本来の私A」は、これから降りていく地上世界で何を為すべきかを自覚して地上へ降りていく(→海底での作業工程を承知して潜水具をまとって降りて行く)。実際に肉体に宿ってしまうと(→重厚な潜水具をまとうと)、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま(→1800年前後の性能の悪い潜水具をまとって海底に降りて行くと朦朧とした意識状態となる)、通常意識に浮き上がってこないだけである(1巻38①~⑤参照)。

本来の世界にいる私は(→海上に停泊している支援船の中にいる意識がクリアな状態のA)、これから降りていく地上世界での“大枠”を(→海底での作業手順を)、「本来の私A」の自由意志で決める。地上に再生した「現在の私A-1」は(→海底に降り立ったA-1)、Aが計画した“大枠”に沿って地上生活を送る(→Aが決めた作業手順に沿って海底作業を行う)。再生人生でAが自ら組み込んだ試練を、地上人生を歩む「A-1」は現場サイトの裁量の範囲内でその都度、自由意志を行使しながら霊性を高める道を選択するか、または霊性を停滞させてしまう道の何れかの対応を選択して行く。

 

B、テーマ達成の為、最も適した条件を選択

「本来の私という意識(→支援船にいる時の意識)A」は今回の「再生人生におけるテーマ(→海底にある岩を除去する作業)P」を達成するため、主な「物的試練Q」と「寿命(→作業時間)R」をAの自由意志で設定した。そしてAは再生人生におけるテーマを達成する為に最も適した条件(→ハンディキャップのSWは言わば海底作業をするために必要な工具類)を選択した。その条件とは「国・民族S」「家庭環境T」「性別U」「体質V」「両親W」などである。「本来の私という意識(→支援船にいる時の意識)A」が設定した「大枠(→海底での作業工程)」に沿って「現在の私という意識(→海底作業をしている時の意識)A―1」は地上人生を歩んでいく(→海底で悪戦苦闘しながら岩をどける作業を行う)。

 

C、再生に際しての条件

 P、再生人生のテーマ

    X、負のカルマ解消(個別霊側から見た側面)

    Y、新たな地上体験を積む(霊的家族側から見た側面)

 Q、物的試練(人間関係の問題、所有欲の問題、愛情問題など)

 R、寿命

 S、国・民族(先進国、最貧国、紛争地など、出生地によっては難民となる可能性が大)

 T、家庭環境(富裕層の家庭、貧困家庭、黒人や白人の家庭など)

 U、性別(目標達成に最も適した性別)

 V、体質(霊媒体質、気質、障害を持つなど)

 W、両親

 

③.再生条件の設定

ア、再生人生のテーマ

A、「本来の私」はテーマを決める

再生しようとする霊は何の目的も無しに再生するわけではない。A霊(本来の私)は指導霊のアドバイスを受けて、今回の「再生人生のテーマP」をA霊の自由意志で選定する。再生人生のテーマは「個別霊A自身が有するカルマの解消を図る側面X」と「Aが所属する霊的家族(類魂)に不足している体験を積む側面Y」に大別できる。

 

B、カルマの解消

再生人生のテーマの一つに個別霊Aが過去の地上人生で作ってしまったカルマの解消、つまり地上でしか償えない性質を持ったカルマを解消する(→霊的負債の完済)という側面Xがある(10123⑧~⑨参照)。霊界で引き続き霊的成長の道を歩んでいくためには、“本来の私という意識”に存在する霊的進化の足を引っ張るカルマを、何らかの行動によって消して行かなければならない(→霊性が向上して明るい世界に来れば自らの意識の中にある“シミ”が良く見えてくる、何時かはその“シミ”を消さなくてはならない)。

 

C、新たな地上体験を積む

この世に生れてくる目的のもう一つの側面に、霊性を向上させる為に「新たな地上体験を積むY」がある。個別霊Aは霊的レベルに見合った霊界の相応の界層で親和性のある他の個別霊と「霊的家族(類魂)」という集団を作って、体験を共有しながら霊的成長を図っている。この集団は単なる個別霊の寄せ集めとは違い「大きな意識体を構成する集団」である。「その全体の進化の為に各自が体験を求めて物質界にやってくる」(語る319①~②参照)。

例えばA霊(本来の私)が所属する霊的家族(類魂)では、霊界に於いて進行中の「〇〇〇というプロジェクト」に参加したいと願っているとする。しかし現在の霊的家族には、その仕事に携わるだけの霊的な力量(→例えば思念でモノや環境を作り出す能力)が不足している。そのため個別霊Aは霊的家族を代表して地上に再生することになった(→地上で思念の力を高める)。そして「困難に耐えて忍耐力を強化する」という体験を積むことによって自らの霊的力量を高めて、その高めた成果を霊的家族全員に分け与えようと決意した。

あわせて地上でしか償えない個別霊Aが過去の再生時に作ってしまった“霊的負債(マイナスのカルマ)”の完済を図ろうと決意した。この霊的負債は作った個別霊の自己責任で完済すべきものであり、霊的家族の他のメンバーが肩代わりをしたり、霊的家族全員の負債となったり、自動的に免責されたりするような性格のものではない。

 

イ、最も適した物的試練を選ぶ

A、テーマに沿った試練を選択する

次に個別霊Aは「再生人生のテーマP」を達成するために最も適した「物的試練Q」を選択する。その際に選択する“試練の種類”とは、大きな括りに該当する試練を指す。試練の大きな括りとしては、例えば「人間関係の問題(→この範疇に入るものとして、家族関係、夫婦関係、職場の人間関係、友人関係など)」「所有欲の問題(→この範疇に入る代表的なものとして、物欲や金銭欲など)」「愛情問題(→この範疇に入るものとして、性欲、もつれた愛情問題、LGBTなど)」などがある。

出生後の時代背景や境遇によって、これらの大きな括りの試練の中から、または複数の大きな括りの試練が複合的に重なった中から、最もふさわしい項目の試練が“魂の磨き粉“として、アレンジした形で地上人生を歩むA―1(現在の私)の面前に登場してくる。

 

B、試練の出現の仕方

個別霊Aは「物的試練Q」として大きな括りの試練「人間関係の問題」を選択したとする。暴力的な父親のいる家庭に出生したA―1は「家族関係(Q―①)」という形で最初の試練を受けることになる。このような家庭環境の中で10代のA―1がとりうる選択肢としては、暴力に耐えかねて家出をする道と、じっと耐えて就職や進学という形で穏便に実家を離れる道とがある。A―1は自由意志の行使によって前者の家出の道を選択して、歓楽街にたむろしている不良仲間に入ったとする。

このように試練「Q―①」に対してどのように対処するかは、その時その時のA―1の置かれた境遇によって異なってくる。その為に出生前に細部まで選択してくることは出来ない(→Aはあくまでも大きな括りとしての試練を選択するだけ)。A―1(現在の私)はA(本来の私)が大きな括りとして設定した試練の中から、面前に現れた「家族関係(Q―①)」という試練に対して自由意志を行使しながら、自らの人生を切り開いて行くわけである。いわば自由意志の行使によって「上(→霊性レベルを高める方向)」に行くか、「下(→煩悩に負けて霊性レベルの停滞を招く方向)」に行くかの選択の余地があるわけである。

この「試練Q―①」の対処の仕方によって、次に出現する「試練Q―②」の具体的な試練の形が決まってくる。この「Q―②」をA―1は自由意志の行使によってどのように乗り切るかによって、次に出現する「試練Q―③」の現れ方が決定されるわけである。このように大枠内で選択した試練を使って再生目的の達成をはかることになる。

なお人によっては明確な試練という形がなく、穏やかな生涯を送る場合もある。その場合は日常の小さな出来事の一つ一つが「上(利他的、霊性レベルの向上)」を向いた行動であったか、「下(利己的、霊性レベルの停滞)」を向いた行動であったか、その都度の小さな自由意志の行使の積み重ね、そのトータルが出生時の霊性レベルを超えていれば、その人の再生人生は成功であったことになる(→トータル上が51,下が49の場合は地上人生は成功)。これに対して出生時の霊性レベルを下回った場合には霊性の停滞となる。

 

ウ、寿命を決める

次にA(本来の私)は「物的試練Q」を無理なく体験できる「寿命R」を選択する。寿命には“糊代部分”がある。肉体は一種の機械なので乱暴に扱えば耐用年数を待たずに壊れるし(→壊す意図で乱暴に扱えば自殺となるので、ここでは壊す意図はないが無知から乱暴に扱う場合を指す。例えば荒れた生活や暴飲暴食漬けの生活など)、メンテナンスを欠かさず丁寧に扱えば耐用年数を超えて長持ちする。この範囲を寿命の“糊代部分”と呼ぶことにする。

 

エ、最も適した条件を選択する

A、条件(ハンディキャップ)の決定

A(本来の私)は上記「再生人生のテーマP」「物的試練Q」「寿命R」の条件に最も適した「国・民族(先進国、最貧国、紛争地など)S」「家庭環境(富裕層の家庭、貧困家庭、黒人や白人の家庭など)T」「性別(目標達成に最も適した性別)U」「体質(霊媒体質、気質、障害を持つなど)V」を選択する。最後にAはこれらの前提条件に見合う「両親W」を選定して、その子A―1として地上に誕生する。

なお過酷な体験の中で「再生人生のテーマ」を成し遂げていく道を「本来の私A」が選択した場合には(→ハイリスク・ハイリターンを選択して霊能者として出生する)、当然に「現在の私A―1」が背負うハンディキャップは厳しいものになる。

 

B、自由意志を使って霊性の向上を目指す

霊的摂理の中に「自由意志の行使」という法則がある。人間はロボットではないので、一定の枠組みの中で神からの授かりものである自由意志を有している(3162⑨参照)。これを用いて自らの判断で行為を行うことによって霊性レベルのアップをはかっている。当然にその使用法を誤れば霊性の停滞を招き、それ相応の責任が発生する(4巻35④参照)。

 

C、宿命との関係

地上に誕生した「現在の私(→本来の私の限定された意識状態)A―1」は、「本来の私A」が霊性レベルに応じた範囲内で自由意志を行使して設定したSWという大枠(→大枠は現在の私A―1から見れば宿命となる)、その大枠の地上人生に沿って遭遇する試練に対して“現場サイドの自由意志”を行使しながら乗り切る(→運命づけられた一定のワクの中で自由意志が許されている:485①~②参照)。その過程で二つの側面を持つ“再生テーマXY”の達成を図っていくことになる。

「本来の私A」から見れば、あらかじめ地上で辿る“大枠としての地上人生”を承知して誕生することになる(1109⑦~⑩参照)。これを「現在の私A―1」から見ればこの大枠(→試練、寿命、性別、両親、体質など)は“背負わされた荷物”ということになる。

 

D、二つの側面の自由意志

再生に際しての自由意志の問題は、まず「本来の私」が行使する側面と(1109⑨参照)、他方「現在の私」が行使する側面の二方面から考察する必要がある。後者はいわば“現場サイドの自由意志”の問題である。なお自由意志は「本来の私」という意識が霊的に進化した分だけその行使範囲は広くなる(164⑩~⑫参照)。その結果「現在の私」が行使できる“自由意志(→現場サイドの自由意志のこと)”の行使可能性の限界がそれだけ拡大する。

霊的家族に戻ったAは“現在の私A-1”という意識状態で行った地上体験を、メンバー全員の体験に転換させて「意識の共有化」を行い、共有状態の意識を作り出す。その「意識の共有化」によって霊的家族の霊性は一段と向上する。そして霊界に於ける“希望職種”が要求するだけの力量を満たした「有資格者」となることができるわけである。

 

④.再生に関する個別テーマ

ア、肉体という表現器官の仕様書

地上世界でまとう肉体という表現器官の仕様書は、“本来の私という意識”が選択した再生人生の“テーマ”、例えばどういう種類のカルマXを地上生活で清算するのか、または再生人生で新たに獲得すべき地上体験Yは何か(→例えば思念を高めて創造行為の一端を担う、または類魂が持つ音楽的才能を伸ばす)など、最もふさわしい条件に見合った肉体となっている。個々のケースでは遺伝性の病気を発症するDNAを持つ両親を選択する場合がある。

 肉体の各部位の仕様は各人各様である。例えば「再生人生のテーマP」如何によっては、生まれながらにして遺伝性の病気を持って苦しみながら地上人生を送る者や、人生の途上で病気が発症する者などがいる(→苦しみの中において“再生人生のテーマ”を達成して行くケース)。この場合は再生人生で達成すべきテーマに沿った肉体をまとう必要性から、病気の発症リスクが高いDNAを持つ両親を選択して出生してきたといえる。

また人生の途上で難病などが縁に触れて発症する可能性のあるような肉体器官を持つ人もいる。さらに生まれながらにして肉体部位の欠損や障害などを持って出生する人もいる。これ以外に男に生まれるか女に生まれるかの選択もある。男女の性別やLGBT(性的少数者)の問題は、再生人生のテーマを達成しやすい性を選択して出生したと言える。

 このように私たちの肉体の構造は同じであっても、再生人生のテーマによって“肉体の仕様書”は各自異なっている。オーダーメイドの仕様書によって肉体器官は作られている。以上から言えることは、病気や障害などはその人の“再生人生のテーマ”と密接に絡んでいるため、この世的な観点から軽々しい評価はできない。物質面・肉体面というこの世的な視点からのみ見れば、この世は矛盾に満ちた世界と言えるが霊的視点から見れば何ら矛盾はない。

 

イ、身体上のハンディキャップの二面性

なお地上人生を歩む上で課せられた身体上のハンディキャップには(→例えば身体障害や知的障害など)、「負のカルマの解消X」の為に「本来の私A」は地上人生を歩む「現在の私A―1」に課すという場合と、「新たな地上体験Y」を効率よく積むために課す場合などがある。さらにハンディキャップにはA―1の周りにいる一般人に対して“利他的行為を誘発させる”という「菩薩行的な側面Z」もある。このようにハンディキャップには「個別霊側から見た側面X」「霊的家族側から見た側面Y」という霊的な側面と「菩薩行Z」という地上側から見た側面の二面性がある。

身体上のハンディキャップを有する人に関わりを持った周囲の人(→家族・友人・知人など)の冷淡な行為は、善行を施す貴重な機会を自ら放棄してしまうことになる。その結果、関わりを持った人の「本来の私という意識」にある「魂の窓」から流入する“霊的エネルギーのルート”を目詰まりさせてしまうことになり、霊的成長を阻害することになるから。

 

ウ、新しい霊の場合

A、シルバーバーチの見解

シルバーバーチは進化が原因となって人間界に初めて誕生してくる霊の存在を指摘する。それによれば「(新しい霊は)やっと人間の段階にまで達した新入生です。直前まで動物だった類魂が人間界への仲間入りをしたのです。(集合魂がまとう物的形体が)アメーバの状態から始まって爬虫類、魚類、鳥類、そして動物と、ありとあらゆる進化の段階を経て、今ようやく人間へと達したのです」(5巻93②~⑩参照)。

また「(動物の類魂は各種属にそれぞれの類魂がある。それがさらに細分化してその)細分化したものにもそれぞれの類魂がおります。新しい霊―はじめて人間の身体に宿る霊は、動物の類魂の中でも最も進化した類魂です」(5101⑧~⑨参照)と述べる。

 

B、個別霊Bの未浄化部分の克服方法

個別霊Bは進化の途上にいるため、当然に意識の中に未浄化な部分が残っている。一般にはBは問題ある地上人の背後霊や霊媒体質者の背後霊となって、苦難を共にしながら己の未浄化な部分の克服を遂げていくことが多い。ケースによってはこの“未浄化な意識の一部”の克服を、Bは守護霊となって“新入生の霊A”に託す場合もある(個人的存在97⑱~98⑥参照)。

マイヤース霊は再生の中で、「カルマ」という言葉を「a、本来の意味でのカルマ」「b、型・パターン(類魂全体の音楽の才能が伸びる、信仰心が深まるなど)」「c、未浄化な部分・魂の歪み(一般的な意味でのカルマではない)」の三パターンで使用しているので注意。

 

C、たとえ

選手(A)とコーチ(B)の関係を例にして説明する。例えばコーチB1980年開催の“モスクワ・オリンピック”に出場するはずであったが、当時の日本政府のボイコットによって出られなかった。コーチBは有望な若手選手Aを見出して、その果たされなかった思い(→Bの意識の中にある未浄化な部分)を選手Aに託して指導を行った。この場合“オリンピック出場”という挑戦課題が、Aの初めての地上人生でやり遂げるべきテーマPとなる。このようにAに課せられたテーマは守護霊Bから与えられたものである。

A―1(現在の私)」は守護霊Bから託された“オリンピック出場”というテーマに対して、果敢に挑戦して行く。その過程で厳しい練習に耐えきれずに自殺してしまったとする。これが本来の意味での「A(本来の私)」自身の“負のカルマ”となる。

死によって「A-1」は幽界の下層界に落ち着く。テーマ(オリンピック出場)未達成のため幽界からUターンして、地上に「A-2(今回は女性として)」として再生する。そして再度テーマに果敢に挑戦して行く。

「集合魂」であったAは進化が原因となって人間界に「個別霊」として誕生した。地上に誕生した「A―1」はテーマ未達成の為に霊的家族のもとに戻れず、幽界の下層界から再び地上に「A―2」として再生した。

テーマ達成を基準に再生をカウントする立場では未だAは再生中でありカウントは1回となる。他方単純に地上的人格を基準に「A―1」「A―2」とカウントすれば2回となる。何を基準に「再生1回」とカウントするかによって再生回数は異なる。

 

エ、結論

すべての霊は“地上で達成すべきテーマ”を各自設定して、そのテーマ達成に最も適した環境や肉体条件を「本来の私」が自ら選択して地上世界に生まれてくる。その際に地上で各自が挑むべきテーマには二つの側面がある。「地上でしか償えないカルマの解消X(→個別霊の側面から見た再生)」と、「霊的成長をするために新たな体験を積むY(→霊的家族・類魂という側面から見た再生)」という二つの側面がある。これらのテーマを各自はハンディキャップSWを背負って、地上で遭遇する試練Qを経ていく中で達成して行くことになる。これが「何のためにこの世に生れてくるのか」の回答となる。

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◆質問、その1

<質問>「守護霊は被守護者が辿るべき道をあらかじめ分かっている、とのことですが、被守護者が自殺した場合も守護霊はあらかじめ分かっていたのでしょうか?」

<回答>本文の中でも解説したように各自は地上人生のテーマ達成に最も適した「試練」を選択します。さまざまな事情によって過酷な人生を歩む道を選択する場合もある(→ハイリスク、ハイリターンの道を選択する)が、最終的に被守護者はその「過酷な試練(ハイリスク)」を乗り越えられると判断して誕生したもの。守護霊も被守護者も地上的人格の“現在の私(被守護者の地上的人格)”は厳しい試練に耐えて一回り大きくなって戻ってくると判断して(ハイリターン)、地上世界に送り出したもの。従って“現在の私”の自由意志で選択した自殺は予定外の行動となる。

 

◆質問、その2

<質問>「スピリチュアリズムの知識をどのように現実生活に実践して行くことが出来るのか、また実践者の声など、経験則について伺いたい」

<回答>詳細は「第6講、霊性の向上」の中で解説しますが、私の個人的な感想を述べますと、モノの見方が変わったことにつきます。この世の問題を、あの世を含めた長い時間軸の中で考える習慣がついたことです。これがスピリチュアリズムを勉強して得た最大の成果と言えるものです。

 

◆質問、その3

「反出生主義」と「安楽死」についての質問には、本文中で解説しました。

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

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