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第6講:霊性の向上

<目次>

1.はじめに

2.霊的成長とは

3.霊優位の生活

・「霊が主・モノが従」という意識

・霊的摂理を実生活に応用した生き方

・霊優位の修養的な生活、利他的行為

・なぜ困難・障害・病気があるのか

・動機と道義心の問題

・取り越し苦労、心配性がもたらす影響

4.精神統一(瞑想)

・精神統一とは

・精神統一の病的状態

5.祈り

6.講座に寄せられた質問

 

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1.はじめに

ア、二種類の発達・開発

A、スピリチュアル能力の開発

「発達・開発」には二種類ある。まず“本来の私という意識(=自我の本体、霊の心)”に主眼を置いた霊性の向上がある。霊性の向上とは“本来の私という意識”の開発のことで、イラストで示したように潜在している“神の分霊”を意識の表面により多く顕在化させて行くことである(→イラスト左から右へ)。霊性の向上の究極の形は“本来の私という意識”全体に“神の分霊”が顕現した状態、つまり「私の意識=神の意識」となる。顕在化が増すことによって“本来の私という意識”がまとう形体(→肉体や霊的身体など)からは、“神の属性”である愛や寛容、謙虚さと言ったオーラがより多く外部に滲み出てくる。これがスピリチュアル能力の開発である。

 

B、サイキック能力の開発

これに対して“本来の私という意識”が自己を表現する為にまとう形体を開発するという側面がある。これは霊的身体に具わっている能力、つまり霊的な五感を肉体レベルで発現させるサイキック能力の開発のことである。サイキック能力を肉体レベルで発揮できる人を霊的能力者という。また霊能開発とは肉体レベルにより多くのサイキック能力を発現させることをいう。

 

C、両者の関係

スピリチュアル能力の開発とは“本来の私という意識”そのものの進化のことである(→イラストAからDへ)。より高い霊との接触が可能となって指導や援助が受けられる。これに対してサイキック能力の開発とは単なる形体に具わっている能力の開発に過ぎない(到来81⑪~⑮参照)。サイキック能力はスピリチュアル能力の開発に応じて自然に発揮されてゆくもの(2巻108⑥~⑧参照)。シルバーバーチは繰り返しスピリチュアル能力の開発、つまり「霊性そのものの開発が何よりも大切」(4212⑥参照)であると述べる。

 

イ、スピリチュアル能力の開発

A、日常生活の中で行う“行”とは

 それではスピリチュアル能力を開発するためにはどうすべきか。最も一般的な方法としては「①利他的行為の勧め」と「②困難・苦難に対する姿勢の問題」、さらに「③霊的知識を日常生活に活かすこと」や「④肉体煩悩に流されない(→霊優位の意識を持つ)」が挙げられる。これ等①~④を日常生活の中で実践する、そのことが霊性の開発に繋がる。これがモノの世界で生きる私たちが手軽に実践できる“一般的な行”である。ここには目新しさや派手さは一切ない。特別な団体やグループに所属して“何らかの特別な行”を行うことでもない。

 

B、利他的行為の勧め

シルバーバーチは繰り返し「自分を人の為に役立てること」(2巻16③参照)を私たちに説いている。他者(→自分以外の人間、動物、植物)のために役立とうとする利他的行為は、自己を通路として宇宙に遍満している霊的エネルギーを他者に流す行為のことである。利他的行為はシルバーバーチの教えの中心テーマの一つとなっている(224②、136⑥参照)。地上世界がいま最も必要としている行為は利他的行為である(259③参照)。

 

C、困難・苦難に対する姿勢

 さらにシルバーバーチは「試練と体験を通してこそ霊は成長する:7134⑨参照」「何らかの荷を背負い、困難と取り組むということが旅する魂の本来の姿:152⑨参照」と述べる。そのため霊訓では「困難を避けるのではなく、それと取り組み、それを自らの手で克服していくための心構え」(32①参照)、前向きの姿勢を一貫して説いている。

今まさに困難・苦難の渦中にいる人にとっては、それらを前向きにとらえる気持ちにはなれないであろう。しかし年老いて自らの来し方を振り返って見た場合に、困難・苦難が自分を成長させる為の“魂の磨き粉”になっていたことに気づくはずである。安易な人生からでは真に価値あるものは得られないから。

一般に困難、苦労、悲しみ、痛みなどを体験して、それらが魂の琴線に触れることによって、初めて霊的真理を受け入れる素地が出来上がるもの。いわばそれらの体験は、受容性に富む魂を作り出すための“魂の磨き粉”の役割を担っている。

 

D、霊的知識を日常生活に活かす

 肉体をまとった私たちは「因果律(カルマの法則・因縁果の法則)」「愛(愛の法則・親和性の法則・利他性の法則)」「霊的成長(再生の法則・自由意志の法則・自己責任の法則・償いの法則・埋め合わせの法則・補完の法則・霊優位)」などの霊的法則や「他界霊が辿る旅の行程」などを学んだら、それらの霊的知識を日常生活に活かして「霊的自覚」を高めて行く。その為の普段の行いが大切となる(9巻117⑭~118③参照)。これらの地道な積み重ねが“本来の私という意識”に潜在している“神の分霊”を顕在化させることに繋がるから。なお「霊的自覚」とは「私は霊である、霊として何を為すべきかの自覚」のこと、意識の指向性が「↓(地上的なモノ)」に向いている状態を「↑(霊的成長)」向きに変えることを言う。

 

E、肉体煩悩に流されない(霊優位の意識を持つ)

肉体(→潜水具)は“本来の私という意識”がモノの世界(→海底)で生きる為に、自己を表現する為にまとう形体である(→人が海底作業をする為には潜水具をまとう必要があるのと同じ)。肉体をまとうことによって物的脳を介して発せられる“意識(→顕在意識、地上的自我意識、現在の私という意識)”は、絶えず「食欲、性欲、所有欲、縄張り意識」などの自己保全に傾く肉体本能に翻弄されたり、制約を受けたりする(→海底では水圧・潮流・水温などによって作業が制約されるため、船上で計画したスケジュール通りには進まない)。

シルバーバーチは意識と肉体の関係を「住人と家」に例えて述べている。「身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。家であってあなた自身ではない。家である以上は住み心地よくしなければならない。手入れがいる。あくまで住居であり住人ではないことを忘れてはいけない」(1巻27⑩~⑫参照)と述べる。このようにモノの世界で生きる私たちにとって最も困難な肉体煩悩に流されずに、“霊優位の意識状態”を絶えず意識し保つことの大切さを説いている。

 

2.霊的成長とは

ア、「進化」とは霊的成長のこと

<イラスト①>

 

<イラスト②>

<イラスト③>

  

シルバーバーチは“イラスト①”のような形、つまり「進化とは内部に存在する完全性(=神の分霊)という黄金の輝きを発揮させるために不純物という不完全性を除去し磨いていくこと」(6114⑪~⑫参照)。または“イラスト②”のように「霊的進化はひとえにインディビジュアリティ(→意識の総体)の限りない開発です」(9131④~⑤参照)と述べる。『シルバーバーチの霊訓』には光(=神)と鏡(=意識)を例にして、鏡の表面を磨くことによって光の反射率が高まるとの記載がある(5148⑤~⑦参照)。

 

表面意識とは「同一界層における存在者どうしが認識し合う自我意識(→顕在意識)」のこと。他界霊は次の「」という具合に表面意識を深めて行き、“本来の私という意識”との乖離を狭めて行く。

1,地上人の表面意識とは?「顕在意識の領域(物的脳を介した意識)」と「浅い潜在意識の領域(過去のどこかの時点で意識的に吹き込まれた指示と各種情報が集積している)」

2,幽界下層(幻想Y―1と浄化Y―2の世界)の霊の表面意識とは?「浅い潜在意識の領域(地上での諸々の体験と知識が集積、潜在意識に蓄えられた地上的習慣や体験に縛られた意識状態)」

3,幽界上層・狭義の霊界の入口にいる霊の表面意識とは?「深い潜在意識の領域(前世の記憶などが溶け込んでいる、次第に本来の私という意識が浮上してくる)」

4,狭義の霊界の霊の表面意識とは?「さらに深い潜在意識の領域(イラスト②の掌のことで他の指に繋がっている類魂意識、霊の表面意識と類魂意識の切り替えが容易くできる)」

 

 他界霊が本来の住処である「e狭義の霊界(イラスト③)」で待つ“霊的家族たる類魂”と合流するまでは、霊の表面意識(→霊の顕在意識に相当する意識:永遠の大道148③~④参照)に“本来の私という意識”を浮上させていく過程となる。この過程は潜水士が海底作業を終えて水圧の調整をしながら、ゆっくりと海上に浮上して行くのと同じ。

そして他界霊が霊的家族の下に帰還して、地上体験をメンバー全員の共有体験とする(→この状態が類魂意識)。これ以降の霊的進化は“本来の私という意識”の限りない拡大・深化という形で進む。

このようにシルバーバーチが言う「進化」とは“イラスト①”のように“本来の私という意識”に潜在している“神の分霊”を、“意識(=本来の私という意識)”の領域により多く顕在化させていく過程(→個性化の道のこと、類魂意識の限りない拡大・深化のこと)に他ならない。別の見方をすれば“イラスト②”のように意識の拡大・深化のことになる。この意識の進化の過程が、“神の属性(→愛・寛容さ・叡智など)”が形体を通してより多く外部に発揮されて行く「霊的成長」のことになる(→高級霊の形体や思念からは“神の属性”である愛のオーラが強く発散される)。このように“イラスト①”の左から右の過程は“イラスト②”のインディビジュアリティの限りない拡大・深化と連動している。

 

イ、霊的成長に終わりはない

人間は「完全へ向けて絶え間なく努力していくのであり、その過程に“終局”はない」(福音177⑨~⑩参照)。このように終わりなき旅路に於いて、人間という霊的存在はどうなっていくのか、消えてしまうのか。

この件に関して、シルバーバーチは「オーケストラが完全なハーモニーで演奏しているとき、たとえばバイオリンの音は消えてしまうのでしょうか」(464⑩~65②参照)と問いかけている。バイオリンという音色(→個別霊であるバイオリンが持つ音色という個性)が消えてしまうことはなく、ますますオーケストラ全体に溶け込み調和が高まって行くと(1114⑪~⑫参照)。

結局、霊の客観的存在である個的存在(→バイオリン)は永遠に存在し、そして「ますます個性(→バイオリンの音色)が顕著になって」(新啓示163⑬~⑭参照)、内在する神性を発揮する“個性化の道(→愛・謙虚さと言った神の属性が形体を通してより多く外部に滲み出てくること)”を深めて行くことになる(→イラスト①左から右へ、但し意識の領域に“神の分霊”が100%顕在化する終着点はないが)。その過程に於いて意識は徐々にレベルを高めていく。なお“意識”は「開発されるほど単純さへ向かう」と同時に、「奥行き(=意識の深奥)を増していく」(6135④参照)。意識が拡大し深化して行くことである(イラスト②)。

 

3.霊優位の生活

①.「霊が主・モノが従」という意識

A、霊が主でありモノは従

人間は霊的存在であるので霊が主体であり肉体は霊の従属物、死によって霊が去れば身体は朽ち果てる(1132⑬~⑭参照)。肉体は“本来の私という意識”が地上で自我を表現する為にまとう“衣装(→潜水具)”である。

あの世では幽界の下層界を除いて(→下層界は意識の指向性がモノに向いている霊や“霊的牢獄”に捕らわれた霊が住む世界、意識がモノに縛られた霊の住む世界)、あの世はモノが支配する世界ではないので当然に「霊は物質に優る」感覚を実感として感じる。

マイヤース霊は「(あの世では)精神の支配力が飛躍的に増大し、霊的ないしは精神的な意味での苦痛を覚えることはあっても、地上的ないしは肉体的な意味での痛みを覚えることはない。つまり形態が精神の支配者となる事はない」(永遠の大道67⑩~⑬参照)からと述べる。あの世では憎しみを抱くと姿が醜くなるという具合に、この世とは異なって「精神・意識が形体の支配者」の世界である。

 

B、本能に起因する意識

物質の世界を歩む私たちは肉体をまとって生活しているため、多くの時間、意識(→顕在意識、現在の私という意識)は物質の支配下に置かれている。例えば体調が悪ければ気持ちはブルー、空腹になればイライラするなど、私たちの意識は四六時中モノに支配された状態となっている。特に女性には生理があるので、この問題は如実に感じられると思う。

物質の世界であるこの世で生活するために不可欠な肉体は、本能に起因する意識(→肉体を維持し保全しようとする本能意識)と、自己顕示欲・物欲・名誉欲等と言った本能から派生する意識とが、物的脳を通して強烈に顕在意識(→地上的自我意識、現在の私という意識)に働きかけを行っている。そのため易きに流れる煩悩に満ちた快楽重視の生活になってしまう。余程“修養的な生き方”に徹する覚悟がなければ、モノに支配された“安易な生き方”に流されてしまう。その結果、顕在意識に上がってくる利他的に働く霊的意識の割合は限りなく低くなる。

 このように精神(顕在意識)が物質によって支配されている地上世界においては、例えれば人は物的要素に偏らずに霊的要素に比重を置いた生活を目標とした「加圧トレーニング」をしているようなものと言える。この霊優位の意識状態を少しでも長く保つ努力をすることによって、物質の世界にありながら本能意識に流されない生き方が出来るようになっていく。

 

C、民芸品「起き上がり小法師」の例え

この「霊が主・モノが従」の意識状態を「起き上がり小法師(→重心が低い位置にある人形)」を使って説明してみる。台の上に「起き上がり小法師」を置く。この状態が「モノが優位、それに霊が従属する意識状態」であり、この世的には最も安定した通常の意識状態となる。その状態から「起き上がり小法師」を傾けた状態にする。これが「霊が優位、それにモノが従属する意識状態」となる。この世的には異常な意識状態となるため、気を抜くと元の安定した状態に戻ってしまう。霊的知識を「生き方の指針にする」とは、傾けた状態を絶えず意識するようにして、この時間を長くしていくことを指す。

 

②.霊的摂理を実生活に応用した生き方

ア、知識であるが故に多様な使われ方がされている

「スピリチュアリズム(思想)の本質は宗教性にある」(続霊訓77⑩参照)が、単にスピリチュアリズムと言う場合は「大自然の法則のこと」(948⑥参照)を指しているに過ぎない。いわば啓示を一つにまとめた総合的な思想のことであり(続霊訓43⑬~⑭参照)、スピリチュアリズムは名称や霊的な知識を表現している言葉に過ぎない(1176②~③、7175⑧参照)。

このように単なる「名称、知識」であるが故に、スピリチュアリズムという言葉を用いる人の考え方如何によっては、それを「商売の手段」としても、また知識として「引き出しに仕舞い込む」こともできる。

 

イ、知識を実生活の場で実践する

一般に人がスピリチュアリズムを学ぼうとする背景は各人各様だが、そこには何らかの世俗的な事情を抱えた人から、学びを通して自分自身を変えたいと願う人まで、何らかの動機が存在している。

私たちは『シルバーバーチの霊訓』を通して霊的知識を学んでいるが、その知識は実生活の場で実践して初めて理解したことになる(163⑩~⑪参照)。シルバーバーチは「知っているということと、それを応用することとは別問題です。知識は実生活に活用しなくてはなりません」(342⑪~⑫参照)と述べる。人の霊性レベルの判断指標は日常の行為にあるから(9117⑭~118③参照)。霊的知識を知っているということと知識を実生活に応用ができると言うことは別問題だから。このように学んだ霊的知識を実生活に活用することがスピリチュアリズムを学ぶ者の目標となっている(341⑭~42③参照)。

 

ウ、知識と責任の関係

学んだ霊的知識を日常生活でどのように活用するかはその人自身の責任となる(1142⑬参照)。知識と責任との関係につきシルバーバーチは「知識に大きな責任が伴う。知っていながら罪を犯す人は、知らずに犯す人より重い責任を取らされる。その行為がいけないことであることを知っているということが罪を増幅する(→この世でも刑法の量刑に表れる)」「知識の受容力を増したことはそれだけ大きい責任を負う能力を身に付けたこと」(到来218①~④参照)と述べている。

 

③.霊優位の修養的な生活、利他的行為

ア、最初の一歩は自己修養から

霊的知識を学んでそれを日常生活に応用するためには「霊の優位性の自覚に基づく修養的生活」(福音243⑩参照)が求められる。なぜならその人の霊性レベルの判断指標は日常の行為にあるから(9117⑭~118③参照)。自己修養が出来ていない人は他人を正しい道に導くことは出来ないので、変革の第一歩は自己修養からとなる(→まずは自分が変わる)。

シルバーバーチは「精神的にも霊的にも自己を厳しく修養し、生活の全ての側面を折り目正しく規制し、自分は本来霊であるという意識」(福音243⑦~⑧参照)を持った、「霊の優位性の自覚に基づく修養的生活」(福音243⑩参照)のスタイルが最高の生き方であると述べている。その目標に向けた努力の過程が「魂の成長(→“本来の私という意識”に内在している“神の分霊”が意識の領域に顕在化していくこと)」をもたらしてくれるから。

 

イ、二種類の利他的行為

A、奉仕は霊の通貨

シルバーバーチは「人の為に役立つことが霊の通貨」(350⑮~51①参照)、「無私の善行は霊の通貨」(295⑮参照)であると述べている。このように他者のために役立とうとする利他的行為を「霊の通貨」に例えて、自己を通路として宇宙に遍満している霊的エネルギーを他者に流す行為の重要さを説いている。この利他的行為はシルバーバーチの教えの中心テーマの一つとなっている(224②、136⑥参照)。地上世界がいま最も必要としている行為は利他的行為だからである(259③参照)。

 利他的行為にはその性質に応じて、より専門性を持った行為から、誰でも行える一種の労務提供型の行為まで幅広く存在する。専門性を持った利他的行為には、自分の経験や体験を人のために生かす形の利他的行為(→カウンセリングや現在行っている仕事の延長線上の行為)などがあり、そこにはさまざまな分野がある。

シルバーバーチは利他的行為には二種類(→利他的行為の原則と特則)あるとして、次のように述べている。「真理を普及すること(→特則のこと)のみが、人のための仕事ではありません。他にも色々あります。貧困に喘いでいる人々への物質的援助もそうです。病に苦しむ人々の苦痛を取り除いてあげることもそうです。不正と横暴を相手に闘うこともそうです。憎しみ合いの禍根を断ち、人間的煩悩を排除して、内奥の霊性に神の意図されたとおりに発現するチャンスを与えてあげる仕事もそうです」(4111⑫~112②参照)。

 

B、利他的行為の原則(人の為になる行為なら何でも良い)

シルバーバーチは宗教の基本は「いつどこにいても人のために自分を役立てること」であり、「奉仕こそ霊の通貨」(757⑦~⑧参照)であると述べている。これは信仰者の最大の関心事である“神に対する奉仕”は、表現を変えれば“神の子である地上の同胞に奉仕すること”であるから(最後啓示61⑤~⑥参照)。このようにまずは自分の出来ることから利他的行為を行いなさいということになる。

 

C、利他的行為の特則(霊的真理の普及をしなさい)

スピリチュアリズムという霊的思想(11175⑬参照)を普及する行為は、人間の生き方や社会の在り方を根本的に変える利他的行為である。この行為は一般的な利他的行為(上記B)に対して、より専門性を持った利他的行為にあたる(→「人の為になる行為なら何でも良い」の特則になる)。霊的知識を学んだスピリチュアリストは、いわばその道の“スペシャリスト”なので、上記「B」のような一般的な利他的行為に留まらず、専門性を生かした「C」のような行為も出来る。利他的行為の選択の幅が広がることになる。

 

ウ、利他的行為の原則と特則の例え

A、ボランティアを行う医師の行為

利他的行為の原則と特則の関係を、休日に地震の被災地で“瓦礫の片付け”を行うボランティアのグループに入って、復旧活動に携わる医師の行為を例にとって考えて見れば良く分かる。

医師は休暇を取って被災地に入る。被災地で「医療行為が求められていない“平時の時”」は、その医師の利他的行為は賞賛されて何等問題は生じない。しかしその被災地において「医療行為が求められているような“非常時”」においては、ケースによっては問題が発生する場合がある。医師が“非常時”においても、なおも“瓦礫の片付け”にこだわり、それを優先して行い続けている場合には「道義上の責任」が生じる。なぜなら医療行為は医師でなければできない行為であり、職業倫理上も自ら率先して医療行為に携わることが求められるからである。

 このように代替可能な“瓦礫の片づけ行為(→労務提供型の利他的行為)”と、一身専属的な“緊急医療行為(→専門性を持った利他的行為)”とを同列に並べて、自分の好みで前者を選択するということは、ケースによっては許されない場合がある。

 

B、スピリチュアリストの場合

同様なことは霊的真理を理解したスピリチュアリストにもいえる。ただし霊的真理を理解し、自覚したといっても、その理解の深さや自覚の程度は各人各様、ピンからキリまでなので“能力に応じた責任の発生”ということになる。

これに対して医師は、一定の能力を有していると判定された者にのみ与えられた公的資格なので、その名称を有する者には一定以上の能力があるという“社会の期待感(→当然に責任もあるということ)”がある。そこにスピリチュアリストとの本質的な差異がある。

 スピリチュアリストが行っている霊的真理の普及活動は、人間の生き方の本質部分に深くかかわっている利他的行為である。利他という点では他の行為、一般的なボランティア活動と質的には同一だが、人の生き方や社会の在り方を根本から変えるという点では、利他の程度は極めて高い行為と言える(→社会変革を目指したものだから)。したがってあまた存在する利他的行為の中でも霊的真理の普及活動は、人の霊的成長や社会の根本的な変革に直結するため、利他的行為の頂点に位置しているといえるのではないだろうか。

 

④.なぜ困難・障害・病気があるのか

ア、魂の磨き粉

この世には預金の残高を増やすことが目標、身の回りを高級なモノで飾り立てることが目標、または地上的な“ワクワク体験(→旅行、グルメ、買い物など)”を行うことが目標など、一般に価値の基準をモノや地上的な体験に比重を置く人は多い。このような物的要求を満たすだけが目標といった人生からでは、「魂(意識)を向上させる」という真に価値あるものは得られない。

 人間の本来の姿はなんらかの荷を背負い、困難と取り組みながら何かを学び取って霊性を向上させる、それが地上人生の本来の姿である(152⑨参照)。なぜなら人間は、困難、苦労、悲しみ、痛みなどを体験して、それらが魂の琴線に触れることによって、初めて自我に目覚めて霊的真理を受け入れる素地が出来上がるから(164②、3130⑨参照)。いわばそれらの体験は、受容性に富む魂を作り出すための“魂の磨き粉”の役割を担っている(769⑧~⑩、3213⑨参照)。

ただし苦しみさえすれば自動的に人間性が磨かれる、というわけではない。その苦しみが人生を別の視点から見つめさせるきっかけとなって、結果的に人間性を磨くことに繋がるということである(8138⑥、140⑧~⑩参照)。

 

イ、新しい意味付け

シルバーバーチは「地球は宇宙の惑星の中でも最も進化の程度の低い部類に属する」(11177⑭~⑮参照)と述べている。環境と霊性レベルは一致するので地上世界は物質臭が強く貪欲や利己主義で満ちている(→戦争、貧困など)。そのため地上人類の霊性レベルの低さ故に“磨き粉の粒子”はそれなりに粗い。いわば重い病気や重大事故と言った“目の粗い磨き粉”を使って体を洗っているようなもの。地球の霊性レベルに応じた粗い研磨剤入りの磨き粉となっている。例えれば軽石に石鹸を付けて体を洗うようなもので、汚れは落ちるが当然に体は痛い。そこまでしないと地球人の霊性が目覚めないから。

 この世的には「困難や障害はできるだけ避けるべき」として、面倒なことが生じないことを願って生活している人は多い。シルバーバーチは困難や障害を避けるのではなく、これらに積極的に立ち向かって自らの手で克服していく、その為の心構え「前向きの姿勢」を説いている(31⑫~2①)。人々から忌避されてきた「困難や障害に魂の磨き粉という役割」を持たせて、新しい意味付けを行った。そして霊的成長には従来から宗教や修養の世界では普通に説かれてきた「修養と節制の生活」、これに「刻苦と苦難」、この双方が必要になると述べた(997④~⑤参照)。

 

⑤.動機と道義心の問題

ア、混在社会における善悪の判断基準

A、地上世界と霊界との違い

人間は物的身体をまとった霊である。地上世界は霊的成長レベルの多様な霊が、同一構造にある物的身体を身にまとって生活している混在社会である。これに対して霊界は、同一レベルの霊が集まって生活している均一な世界である。

このように地上は霊界とは異なって、さまざまなレベルの霊が同一平面上で生活しているため、私たちは霊界では体験できないことを直接あるいは間接に体験することができて、霊性向上の為に学ぶ機会が数多く出合える場となっている。ここに地上世界は魂を磨く為の“学校”であるとする理由がある。

 

B、万人に共通した基準は存在しない

地上では多様な霊的成長レベルにある霊が生活しているため、万人に共通した“善悪の判断基準(=出来合いの尺度)”は存在し得ない(5217⑪~⑫参照)。なぜなら“出来合いの尺度”によって“善悪・正誤”を判断すれば、ある人には厳しくある人には緩いものとなってしまうから。そのためその霊が到達した霊性レベルから判断する必要が出てくる(5218⑥参照)。

 

C、動機と道義心

シルバーバーチは常に「動機は何か」を問題にする。「その動機が問題です。いかなる問題を考察するに際しても、真っ先に考慮すべきことは“それは霊にとっていかなる影響をもつか”ということです」(6121②~③参照)と述べる。さらに善悪の判断基準を「判定装置(→道義心)」に求めている(760⑪~61⑥参照)。言い換えれば人の思考や行為の根本に存在する原動力(動機)を、道義心でチェックするという図式になる(→当該動機が道義心から見て是認できるか否か)。

 

イ、道義心

行為の評価はまず「行為の背後にある動機は何か」が問題となる。次にその動機は道義心に適っているかが問われる。シルバーバーチは道義心を「霊的自我(→本来の私という意識)の中に絶対に誤ることのない判定装置(→神の分霊)が組み込まれている」(1294①~②参照)と述べる。霊的自我のレベルが高い霊(→“本来の私という意識”に“神の分霊”の顕現の度合いが高い霊)は霊的意識レベルも高いので、道義心を「行為時の霊的意識レベル」と言いかえることもできる。したがって「〇〇のためという動機で行った行為」につき、それまでに到達した霊的意識レベルを指標として“動機の純粋性”をチェックすれば良いことになる(→顕在意識に上がってくる“良心の声”を指標。何が“良心の声”か、それを見極めるだけの霊性レベルが必要となるが)。

 

ウ、一つの考え方

A、因果律が解凍

行為者は一段高い霊的意識レベルから当時の行為を再評価して、その結果、霊的法則違反を自覚するようになると(→良心の呵責を覚えるという形で)、自らの行為に対して何らかの責任を取りたいとの気持ちが湧いてくる。

いわば霊性レベルが一段と向上することを停止条件(注)として、そのレベルに行為者の意識が到達すると、それまで意識の中に潜在していた“休眠状態にあった因果律”が動きだして、良心の呵責を覚えるようになる。その後さらに霊性レベルがアップすれば、そのレベルに見合った別の凍結中であった因果律が深い意識の底から浮かび上がってくる。

 たとえば施しをする際に本来であれば相手にモノを手渡すべきところ、放り投げて与えたとする。本人の意識レベルが向上したことにより、行為当時には気が付かなかった“自らの中にある傲慢さ”に気付いて良心の呵責を覚える。このように霊的進化の階段を上ることによって、意識の中にある己の未熟さを一つ一つ“クリアー”して、「魂のシミ」を少しずつ消して行く。そして純粋さを増しながら進化の階段を一段一段と登っていく。

 

<注>停止条件とは停止状態に置かれていたある事柄が、霊性が一定レベルに達することで初めて効力が発生することを言う。凍結状態にあった因果律が、条件が成就することにより解凍し動き出すこと。

 

B、たとえ

蕎麦屋で蕎麦を食べた時に跳ねた汁が服に付きシミとなったが、店内の薄暗い照明では見えなかったので気がつかなかった。料金を支払って外に出て、明るい太陽の下で良く確認したら服がシミになっているのが分かった。霊性が向上して薄暗い低い世界から明るい高い世界に来ると、自分の中にある“シミ”が見えてくるようになるから。

上記の事例で、蕎麦汁が跳ねて服に付いたことに気が付かなかった場合は道義心に反しないケースである。この場合はより明るい世界に来て、服にシミが付いていたことに始めて気がつく。進化の低い段階では、ある行為が霊的法則違反であることが認識できない(→蕎麦汁が服に付いたことに気づかない、道義心に反していないから)。しかし道義心に反していないからといって“服に付いたシミ”がなかったことになるわけではない。

 

C、生きるということは多くのシミを付けること

霊性が向上して一段と明るい世界に移動して来ると、それまで気が付かなかった自分の中にある未熟な部分や人に迷惑をかけたことなど(→大きな“シミ”や小さな“シミ”)が、意識の表面に浮かび上がってきて良く見えるようになる。

前世で社会的に活躍した人の場合は、必然的にたくさんの“シミ”を作っているので“シミ抜き”の数も多くなるであろう。物的身体という排他性を持った“衣装”を身につけて生きるということは、聖人君子と言われるような人でさえも、必然的にたくさんの“シミ”を付けながら学んでいるということである。しかし“シミ”がつくことを恐れる必要は全くない。シルバーバーチも「地上にあってもこちらの世界にあっても、人間は何らかの借金をこしらえているものです」(語る106⑪~⑫参照)と述べているから。

 

⑥.取り越し苦労、心配性がもたらす影響

ア、霊的エネルギーの循環

宇宙に遍満している霊的エネルギーは、自我の本体(本来の私という意識)にある「魂の窓」(2124⑨、3117⑪参照)から取り込まれて、その人の「霊的要素(→霊の心、霊体)」を活性化して、接合体やエーテル複体などの名称のある「半物質」を経由して「物的要素(→物的脳、各種臓器)」へと、各部位を活性化させながら流れて行く。

さらにその人の利他的行為によって「他者(人間、動植物等)」に流れて行く。霊的エネルギーは人間を通路として他者に働きかけるものだから(332⑬、590⑪~⑬参照)。このように自己を起点とした霊的エネルギーの循環ルートが出来上がる。その人の霊性が高ければ質の良い霊力が大量に流入して、これが他者へと流れ込んでいく。

 

イ、通路を塞ぐ阻害要因

この世には“霊的エネルギー(生命力)”の通路を塞ぐ阻害要因を持った人、いわゆる「霊的な動脈硬化の要因」を持った人が数多く存在する。最も一般的な阻害要因としては、次の二つのタイプがある。一つ目は「霊性が低いタイプ」である。このタイプには霊性の未熟さの表れである「残忍性や野蛮性」が意識の中に深く根付いている者、さらには異常なまでの物欲や度を越した利己性の持主などがいる。

 

ウ、ネガティブ思考

A、霊的な動脈硬化の要因を持った人

二つ目は「度を越したネガティブ思考のタイプ」である。このタイプには(度を越した)心配性の人や取越し苦労性の人などがいる(4172⑧、1147⑩~⑫参照)。このような人は「霊的エネルギーの通路(→半物質状の接合体から物的脳や各種臓器へ繋がる通路)」を自ら塞いでしまうことになる。いわゆる「霊的な動脈硬化」の要因を持った人と言える。

 この要因を持った人が「過労・ストレス・不規則な生活」によって、本来“物的脳や物的身体の各部位”に流れるはずの霊的エネルギー(=霊的生命力)が、通路が塞がれたことによって枯渇して不調和状態となってしまい、その結果、精神的な病気や肉体の病気を発症することがある。なぜなら健康とは「身体(→肉体)と精神(→地上的自我意識)と霊(→本来の私という意識)の三者の関係」が調和状態にあること(1127⑫参照)、病気とはそれが不調和状態となることだから。

 

B、通路を塞ぐ

この「霊的な動脈硬化の要因」を持った人は、必要以上に心配事で悩むことや、取り越し苦労によって心を奪われたりすると、本人の周りに霧のような障壁が立ち込めてしまい、援助しようとする霊界人の接近を阻んでしまう。さらに「恐怖心、信念の欠如、懐疑の念」などによって、霊力が働く通路を自ら塞いでしまうことになる(163③~④、73①~②参照)。

シルバーバーチは「あなたが悩みを抱くと、霊と身体との間の水門が閉ざされ(→半物質状の接合体から物的脳や各種臓器へ繋がる通路のこと)、身体は生命力の補給路を失うことになる」(949②~③参照)と述べている。これに対して本人に霊的知識に裏打ちされた「静かで穏やかな確信があるとき」は、通路が開かれているため受容性は高く、霊力はその本来の働きをする。

 

エ、回復する手段

霊的な動脈硬化の要因の一つである“ネガティブ思考の持ち主”が、霊的エネルギーの循環を正常に回復する手段として知られているのが、「瞑想(→肉体や精神に障害がある場合は避ける)」と「笑い・微笑みの効用(→肉体や精神に障害があっても有効)」である。

私たちは物質世界で生活している以上、悩みや取り越し苦労と無縁ではいられないので、努力目標を少しずつ高めていく、その中で自己改善を図っていくのが現実的な方法であろう。最初は必要以上に悩むことからの脱却を目標に置き、それが可能になれば徐々に目標を高めていくという方法をとる、最初から実現不可能な目標を設定しても意味がないから。

 

4.精神統一(瞑想)

①.精神統一とは

ア、精神統一の必要性

霊界との霊的な交わりを求める手段として「精神統一(瞑想)」と「祈り」がある。ここでは「精神統一(瞑想)」を見て行く。精神修養法の一つである精神統一には、精神状態の調整や精神面のバランスを高める効果、身体面における高いリラックス効果があることで知られている。そのため現代のストレス社会の中で近年“瞑想の効用”がクローズアップされてきている。

 精神統一が目指すところは「脳の働きを鎮め、潜在的な個性を発現させて本来の生命力との調和を促進しようとするもの」(1155⑦参照)であり、「①潜在力が目を覚ます機会を与える効用」がある。さらに精神統一には、受け身的で受容性ある心の状態を作り出す訓練の側面もあるので、次第に「②霊界からのインスピレーションを受けやすい体質へと変化」していく。このように精神統一には「①と②」のような効用がある。

 霊が最も近づきやすいのは、「静かで受け身的で受容性のある心の状態」のときである(218⑩参照)。この状態は霊と地上人のオーラが融合し易くなっており、インスピレーションを受け取り易くなるから(218⑭~⑮参照)。なお精神統一の訓練を継続して行っていると、最初に“心霊的な面(→形体に具わったサイキック能力)”が開発されて、その後に“霊的な面(→潜在している神の分霊が意識の領域に顕在化していくスピリチュアル能力)”が開発されていくことが知られている(1157⑫~⑬参照)。

 

イ、「アンテナの錆び落とし」と「受信装置の周波数」との関係

A、固有の周波数を持った通信装置

人間とは霊的存在である。私たちの周りには高いものから低いものまであらゆるレベルの霊や地上人の思念が取り巻いている。その中でどの思念と通じ合い影響力を受けるかは、その人の霊的レベルにかかっている。

人間を固有の周波数を持った“通信装置”に例えてみると“瞑想のメカニズム”がよく理解できる。私たちは誰でも霊界と交流できる受信装置の“アンテナ”を持っているが、通常人の場合は錆が付着して感度が悪い状態となっている。これに対して霊的に敏感な霊媒体質者は先天的にアンテナが磨かれていて感度が良好な状態となっている。その結果いろんな霊の影響を受け易くなっている。精神統一という身体技法は、この通信装置の“アンテナ”の錆を落として感度を上げる行為と考えればその仕組みが理解しやすい。

 

B、同じ波長の霊と同調を良好にする

私たちの日常生活では絶えず“通信装置のアンテナ”から雑多な思念を受け取っている。さらに人の意識(=顕在意識)は五感から入るさまざまな刺激に対して過敏に反応して、興奮した状態に置かれている。精神統一は意識を鎮めて、意識の焦点を自己の身体からずらせていく技法のことである。ズレの程度が大きければ深い統一状態となり、ズレが小さければ浅い統一状態となる。統一の熟練者は容易く深い統一状態に移行することができる。このようにして統一者の“固有の周波数”に見合った霊的波長を持つ霊と、同調を良好にさせる行為が精神統一である。

 

C、固有の振動数を引き上げる

その人に感応道交してくる霊は、修業者の固有の波長(→受信装置の周波数、振動数)に見合った霊なので、精神統一の実修と同時に修業者の固有の波長を上げる努力をしなければ、「アンテナの錆び落とし」が進んだ分だけ霊からの影響を受けやすくなる。

したがって精神統一を行おうとする者は「アンテナの錆び落とし」をして背後霊との結びつきを強固にすると同時に(→精神統一の修錬は受信感度を高める行為だから)、「受信装置の周波数」を上げて感応道交する霊の選別を行う必要がある(→修養的生活を心がけることにより修業者の固有の振動数を引き上げることが大切となる)。

 

ウ、平均的な振動数に見合った霊

人間は肉体をまとって雑多な人間が混在している社会で生活している以上、低い意識状態から高い意識状態の間を終日揺れ動いている。高い意識状態を一日中保っていられるわけではない。霊性レベルが高いと言われる人でさえ、肉体が不調の時は意識が肉体面に向かうため、霊性レベルを落とすことになる。

精神統一をしている状態の時に霊界(幽界)から働きかける霊は、「同調の原理」から統一者の日頃の心境に応じた霊である(→その人の“平均的な振動数”に応じた霊)。一般に精神統一は清浄な気分で行うため、その人の最も高い振動状態で行うのが普通だが、体調不良や精神状態の悪化などから、稀に低い波長のままで統一に入る場合もある。このような状態の時は、霊的敏感者は憑依され易くなる。

 精神統一者が統一時において高い背後霊と感応道交しようとするためには、日頃から「意識の底上げ」を心掛けなければならない。なお修業者の固有の振動数とは、その人の“平均的な振動数”のことである。修養的生活を心がけるということは、その人の“平均的な振動数”の底上げを図る努力を行うということである(→通信装置の固有の周波数を上げること)。

 

エ、技の修得と霊格の向上は別

上記のように考えれば、精神統一が習熟していくことと、統一者の心境(霊格)が高まることは必ずしもイコールではないことが分かる。なぜなら精神統一の熟練者が必ずしも人格者とは限らないから。時々性格的に偏った人に出会うことがあるから。

精神統一はあくまで技法であり、アンテナを磨くだけにすぎない。坐っているだけでひとりでに霊格が上がることはない。精神統一の実修というアンテナの錆落としと同時に、修養的生活と利他的行為を行って通信装置の固有の周波数を高める努力が必要となる。なぜなら精神統一によってアンテナの錆落としが進んだ分だけ、固有の周波数に見合った霊の影響をより一層受けやすくなるから。同調してくる霊を選別する必要があるから。

 

②.精神統一の病的状態

ア、先人たちの体験から

A、病的状態の報告例

精神統一(瞑想)に長年携わってきた先人たちの体験から「宗教の作法において熱中すると無我の状態となり、一種の統一状態に入るのでさまざまな障害が現れやすい」、精神統一によって「精神錯乱の状態を呈する場合も決して珍しくない」などの事例が報告されている。また「霊能を啓開されたがために、かえって不幸な結果を招いている実例があまりにも多く見聞する」「性格的に著しく調和を欠いた問題行動を起こしやすい人間を生み出してしまう」などという報告例もある(→心霊科学研究会発行の機関誌『心霊と人生』や日本心霊科学協会発行の機関誌『心霊研究』によると)。

さらに日常生活における行動で、ふとした出来心、激情、陰鬱な気分、イライラ、不可解な衝動、精神的奇行などが生じたり、強められたりすることも起きてくる。これは“アンテナ”が磨かれた分、同調の原理から修業者の固有の波長に見合った霊からの影響力が強く作用した結果であると思われる(→何らかの“受け皿”があるから)。このような事例が数多く『心霊と人生』や『心霊研究』誌で報告されていることから、霊媒体質者は特に注意する必要がある。

 

B、危険性ある精神統一とは

一般に危険性がある精神統一とは、「統一の前提条件が欠けた状態」で行うケース、統一の目標を「利己的なもの・物質的なもの」に置いたケース、このような場合に多く見られる。また霊的敏感者で精神的に障害をもっている人や、情緒不安定者・ノイローゼ気味の人の場合には、精神統一中に霊動が発動しやすくなり危険な状態になることが多い。

 

イ、モーゼスの『霊訓』における瞑想

A、瞑想のすすめ

高級霊のインペレーターはモーゼスの『霊訓』の中で、「われらの側より最も近づき易い魂は普段より霊的交わりを重ねている者である」(霊訓上167⑦~⑧参照)として、背後霊との感応道交の大切さを述べている。

さらに利他的行為と修養的生活の大切さを次のように述べている。「同胞のための公共的奉仕の生活に勤しみつつ、一方においては絶え間なく霊的向上のための生活、真理への憧れと発展、霊との交わり、物質的・地上的なものからの超脱・・・霊的向上の生活」(霊訓下202⑦~⑪参照)が大切であることを説いている。

 

B、モーゼスに対して

モーゼスのような高い境地の者に対してさえ、「神経組織全体が過労ぎみで緊張の極みにある時は・・・せめてそうした精神状態が呼び寄せる低級霊に憑依される危険からそなたを守るのが精一杯である。そのような状態の時はわれらの世界との交信は求めぬように忠告する」(霊訓下44⑮~45②参照)と述べている。

さらに「霊的知覚が鋭敏さを増すにつれて邪霊の敵対行為も目立ってくる」(霊訓下193②参照)として、精神的・肉体的に状態が悪い時は「霊との交わり」をしないようにと忠告している。高級背後霊との感応道交が常にはかられているからと云っても、状態によっては肉体特有の波長の低さゆえに低級霊の影響を受けてしまう場合があるからである。

 

C、瞑想を避けた方が良い人たち

同調の原理につきインペレーター霊は「磁石が鉄を引きつける如くに霊的影響力を何でも引き寄せてしまう・・・地上では低き次元での霊的引力の作用が現実にある」(霊訓下126⑧~⑩参照)と述べる。

さらに霊との交わりを避けるべき者として「軽薄なる心で以て霊界と係わりをもつ者」「単なる好奇心の対象に過ぎぬものに低俗なる動機からのめり込む者」「見栄っ張りの自惚れ屋」「軽率者、不実者、欲深者、好色家、卑怯者、おしゃべり」などの者を例示している。

なぜなら「この種の者にとっては危険が実に大である」から。「われらとしては、性格的に円満を欠く者が心霊的なものに係わることは勧められぬ」「節度なき精神、興奮しやすき感情、衝動的かつ無軌道な性格の持ち主は低級霊にとって恰好の餌食となる。その種の人間が心霊に係わることは危険である」(霊訓下168⑤~⑮参照)とも述べている。このようにモーゼスの『霊訓』では誰かれ構わずに、やみくもに「瞑想」を含めた心霊的な行為を行うことは勧めていない。

 

D、モーゼスの『霊訓』の役割

モーゼスの『霊訓』では低級霊の跋扈を、詳細に事例を挙げて述べている(霊訓上12節・13節、霊訓下29節参照)。推察するにモーゼスの支配霊のインペレーター霊には、地上人類浄化のための「マスタープラン(=総合的基本計画)」(896⑩、1128⑩参照)に沿った“先陣としての仕事”が割り当てられていた。

その仕事とは盤石なキリスト教社会に霊的真理普及のための「橋頭堡」を築くことであった。そのためには地上側に強固なキリスト教神学を固着観念として持っている牧師のモーゼスを立たせて、霊側と地上側に於ける“論争”という形をとって神学という厚い壁に亀裂を入れること。さらにはモーゼスに悪影響を及ぼして“計画阻止を企てる邪霊集団”(福音236⑦~⑧参照)と、熾烈に切り結んで影響力を排除して、霊的真理を地上に根付かせる必要があったから、と考えられる。

 このことはインペレーター霊の次の言葉から明らかである。「今そなたを中心として進行中の新たな啓示の仕事と、それを阻止せんとする一味(→邪霊・低級霊などの未熟霊の集団)との間に熾烈なる反目がある。われらの霊団と邪霊集団との反目であり、言い換えれば人類の発達と啓発のための仕事と、それを遅らせ挫折させんとする働きとの闘いである」(霊訓下152⑬~153③参照)と。

その後インペレーター霊が獲得した陣地を足掛かりにして、後に続く霊団が陣営を広げてスピリチュアリズムを地上に根付かせることに成功した。ここに霊界における霊団の役割分担が垣間見えてくる。

 

ウ、『シルバーバーチの霊訓』における瞑想

シルバーバーチは参加者の質問に応えて「精神統一をなさることです。時には煩雑なこの世の喧騒を離れて魂の静寂の中にお入りなさることです」「静かで受身的で受容性のある心の状態こそ霊にとって最も近づき易い時です。静寂のときこそ背後霊が働きかける絶好機なのです」「片時も静寂を知らぬ魂は騒音のラッシュの中に置かれており、それが背後霊との通信を妨げ、近づくことを不可能にします」「少しの間でいいのです。精神を静かに統一するように工夫することです」「背後霊のオーラとあなたのオーラとが融合する機会が多いほど、それだけ高度なインスピレーションが入ってきます」(218⑨~⑮参照)として精神統一の重要さを述べている。

 上述したように統一時は霊にとって最も近づき易い時であり、近づいてくる霊は「同調の原理」から統一者の日頃の心境に応じたレベルの霊である。『シルバーバーチの霊訓』の記載からも分かる通り、シルバーバーチは利他的行為や霊的視野から物事を見ることの重要さを繰り返し述べている。これらが前提にあってその上で精神統一を勧めているのであり、上記の回答部分だけを取り出して、やみくもに「霊との交わり」を求めて精神統一(瞑想)に入ると、人によってはさまざまな問題が起こるので注意する必要がある(→精神統一を行おうとする者には一般に霊的敏感者が多いので注意)。

 以上のことから云えることは、高級霊のシルバーバーチやインペレーター霊は「霊的教訓」の内容を理解できるレベルの人に対して、“精神統一(瞑想)の勧め”を述べているのであって、これを万人向けに一般化することは弊害が伴う。「霊との交わり」には前提条件がある。

 

5.祈り

ア、祈りの対象と忠誠を捧げるべき対象

“本来の私という意識”に潜在している“神の分霊”を顕在化させるための手段としては、祈りと瞑想が良く知られている。ここでは祈りを見ていく。

 シルバーバーチは「祈りの対象」は神であると述べる(11113⑩~⑪参照)。なぜなら祈りとは“神の分霊”である自己とその始源との一層緊密な繋がりを求める為の手段であるから(12125⑪参照)。いわば他家に嫁いた女性が親元に里帰りをするようなもの。したがって神の使者である高級霊やイエスを祈願の対象とするのは間違いとなる(語る159⑦参照)。

 シルバーバーチは「忠誠を捧げるべき対象」は「神と永遠不変の摂理」(7207③~④参照)であると述べる。これに対して祈りの対象は「神のみ」(11113⑩~⑪参照)として、両者を区別して用いている。なぜなら祈りの照準は“自己とその始源との緊密化”という観点からみて当然に「神」でなければならないのに対して、永遠の旅を続ける為には「流れに乗る」という意味で「摂理」に合わせる必要が出てくる。そのため忠誠の対象として「神」に「永遠不変の摂理」が加わった。

 

イ、祈りとは魂の行

祈りとは自分自身の波長を高めて、少しでも高い界層との霊的な交わりを求める行為である(3141④~⑥参照)。シルバーバーチは「祈りとは魂の行」(3226⑪参照)であり「より多くのインスピレーションと霊的エネルギーを摂取するための手段である」(3227①参照)と述べる。このように「祈りとは魂の行」であるため、祈りが出来ない時や祈りたくないと思えば祈る必要はないことになる(3227⑥、7205①参照)。

 

ウ、祈りの効用

波長を高める霊的活動としての祈りや人のために役立ちたいとする祈りは、一種の「磁気力にも似た吸引力」のような力が発生して、祈る者の霊的成長に見合った分の援助を自動的に引き寄せる(1170⑩~⑪、11114⑪~⑫参照)。しかし祈りによって自然法則(=因果律の法則)の働きを変えることはできない。また「地上的な労力の代用にもなりえない」(3218⑩~⑪参照)。

祈りに対する回答はその時の祈る者の霊的成長にとって一番望ましい形で与えられる(158⑭~59②参照)。祈りの動機次第によっては、何の反応もないということもあり得る。

 

エ、定型的な祈り、御利益信心的な祈り

無意味な文句の繰り返しや、神に挨拶するための機械的な祈り、集団で行う紋切り型の祈りには何の効果もない。祈りの効果を決定づけるのは、祈る人の霊格と動機である(到来173⑦~⑨参照)。

祈りに類似したものに物的な要求である「ああして欲しい・こうして欲しい、金が欲しい、家が欲しい」など、「何らか物的な願いを叶えてもらう」ために「高次の存在」に祈願する“要求型の祈り”がある。これをシルバーバーチは御利益信心と呼んでいる。この種の祈りは利己的な要求なので本来の意味での祈りではない。御利益信心は当人の霊的成長にはプラスにならないので何の効用もない(1169⑩~⑬参照)。シルバーバーチは「利己的な祈りは時間と言葉と精神的エネルギーの無駄遣い」(7198⑭参照)であると述べる。

 

オ、仲立ちを介した祈り

限界ある人間が「指導霊崇拝」を回避するための祈り方として「高級霊は私たち人間の“兄や姉”であり、最終責任者の神に取り次ぐ中継役である」とする祈り方がある。モーゼスの『霊訓』には「神の概念が理解できた者なら直接神に祈ることです。それができないのであれば、自分にとって最も身近な信仰の対象を仲立ちとして祈るがよろしい。その仲立ちによって祈りが神へ届けられます」(続霊訓75⑨~⑪、同趣旨12122⑫~123③参照)との記載がある。

この「祈りの仲立ち」とはイメージしやすい守護霊なり指導霊なりを「仲立ち」としたスタイルの祈りのこと。守護霊や指導霊が一種の“ライフル銃の照準器”的な役割を果たすことになり、最終的には“神に祈りのピントが合う”ことになるから。

 

カ、霊界での祈りの扱われ方

祈りは「祈りの純粋性や利他性の度合い」に応じて「仲立ち」を経ながら相応のレベルまで届く。霊界通信の『ベールの彼方の生活』には霊界には祈りを専門に処理する霊団がおり、祈りに含まれる純粋性や利他性などを分析して、価値評価の高い祈りは順次高位の霊に取り次がれていく(彼方1208⑥~⑧参照)との記載がある。同趣旨として「人間が祈りを発すると、それを中継する霊が受け取り(→無数の階梯を為して存在する天使的存在によって)、その霊自身の判断による回答」(続霊訓78②~③参照)を授かるという記載もある。

なお“要求型の祈り”は物質志向が強いため上昇せずに、祈る内容に応じて親和性から幽界の下層界にいる低級霊との間に繋がりが生じる。

 

6.講座に寄せられた質問

①.質問その1

<質問>「心霊治療の治療エネルギーは松果体か太陽神経叢に送られるとのことですが、それはなぜ違うのですか。治療者の体質ですか。人により、どこそこのチャクラが活性化しているとか、していないとか聞きます。そういうことなのでしょうか」

<回答>

ア、霊と精神と肉体が合一する場

心霊治療のメカニズムは次の通り。

霊界の「霊医」は宇宙に遍満している霊的エネルギーから治療エネルギーを取り出して、それを患者の症状に見合った形に“調合”する。そして「霊医」は“調合”した高い波長を持った治療エネルギーを治療家に送る。その治療エネルギーは治療家の霊的身体が持つサイキック・エネルギーと結合して中間物質に変換し、患者に見合った程度まで波長を下げる。波長を下げた治療エネルギーは患者の「霊と精神と肉体が合一する場(→中間物質の接合体の中にある)」から流れ込んで全身(→霊体や肉体)に行き渡る。

その治療エネルギーが患者の「魂(→本来の私という意識)にカツを入れて居眠りの状態から目を覚まさせる」。その結果、患者自身の肉体に具わっている自然治癒力が機能を発揮して健康状態を取り戻すことになる(9172⑫~173②参照)。これが心霊治療のメカニズムである。

この「三者が合一する場」をシルバーバーチは次のように述べている。「いにしえの賢人が指摘している“第三の目”とか“太陽神経叢”などを使用することもあります。そこが霊と精神と肉体の三者が合一する“場”なのです」(639⑤~⑥参照)。また「(治療エネルギーは患者の)松果体や太陽神経叢を通って体内に流れ込みます。その活エネルギーは全身に行き渡ります。電気的な温みを感じるのはその時です」(640⑩~⑪参照)と。

このように「三者が合一する場」が「いにしえの賢人が指摘している」額部分と腹部にあると指摘しただけ。そこがヨガで言うチャクラの部分と重なるだけのこと。これ以外に近藤千雄訳ではシルバーバーチがチャクラに言及した箇所はない。むしろスピリチュアリズムではその部分に「太いシルバーコード」があるという事実の方が大切。

 

イ、太いシルバーコード

霊的身体(→半物質状の接合体を含む)と肉体との間には、太いものから細いものまでさまざまなシルバーコードが蜘蛛の巣状に張り巡らされている。シルバーバーチは二本ある太いシルバーコードが分離した瞬間が死であり、分離したら肉体は二度と生き返らないと述べている(11207⑥参照)。

マイヤースの通信では「ダブル(→接合体、エーテル複体、中間物質と同じ)というのは、もし人間の目に映じれば肉体とそっくりな形をしており、数多くの糸状の細いコードと二本の太い銀色のコードで連結されている。(太いシルバーコードの)一本は太陽神経叢、もう一つは脳(松果体)と繋がっている。このコードは弾力性に富み、睡眠中にいくらでも伸びる。死の現象はこれら大小のコードが切断されることから始まり、最後に二本のシルバーコードが切断した時に完結する」(永遠の大道115⑮~116③参照)とある。

 

ウ、結論

 患者の中間物質で出来た接合体にある「霊と精神と肉体が合一する場」から治療エネルギーが患者に流れ込む。松果体や太陽神経叢は「三者が合一する場」であり、その部分から霊的身体と肉体を繋ぐ「太いシルバーコード」が出ている。その接合点である松果体や太陽神経叢から治療エネルギーが流入すると霊界通信では述べているだけ。

 心霊治療の治療エネルギーは松果体と太陽神経叢の双方、またはいずれか一方に送られてそこから流入する。その理由はそこが「三者が合一する場」であるから。人体の仕組みがそのようになっているからである。体質的なことやチャクラの活性化とは趣旨が違う。

 

②.質問その2

<質問項目の一覧>

・協会の精神統一会の仕組みと取り組み方

・実生活での霊性向上の取り組み方

・霊的敏感者の日常での霊障に対する対処法

・霊性の成長に根差した夫婦関係の実践

<回答>

ア、質問「協会の精神統一会の仕組みと取り組み方」とは?

私は協会を離れた者ですので、協会の立場に立って話すことはできません。会員であった1986年に私が執筆して、当時協会の理事であった中西旭先生(神社本庁教学顧問)が監修し、理事会の承認を得て1988年に協会の出版物となった『初心者のための精神統一入門』があります。以下この冊子から引用します。

 

A、協会と精神統一会との関係

 日本心霊科学協会の寄付行為第3条に「この法人は、心霊現象に関する諸般の科学的研究を行うと共に、その成果に基づき、人生の新指導原理の普及を図って人類の福祉に貢献する」とある(冊子2頁上段)。この「指導原理の普及(→科学的研究の成果である霊魂説の普及のこと)に基づいて、会員及びその関係者の霊魂の浄化、向上及び進化を図るために(→スピリチュアル能力の開発、つまり“本来の私という意識”の開発のことであってサイキック能力の開発ではない)、研修部門の中に精神統一会の開催が掲げられている」(冊子2頁下段)。

 

B、精神統一の目標とは

まず「統一者それぞれの心身の根源である霊魂(→本来の私という意識)の浄化向上のため、高級祖霊と直結することを目指すところにある」(冊子2頁下段)。そして「霊能開発(→サイキック能力)は自らの霊魂(→本来の私という意識)が浄化向上するに伴って、各人の使命に基づいて開発されるもの。したがって協会で行っている精神統一研修会では、霊能開発(→サイキック能力)は優先した目的とはしていない」(冊子3頁上段)とある。

協会で行う精神統一研修会は参加者のそれぞれに対して、「死後個性の存続の証拠提供の場」として、さらに「心霊知識の普及の場」としての役割がある。

 

C、参加者の心構え

 「精神統一研修会は修行の場」(冊子5頁上段)です。「一般に自分だけでは向上し心境が高まることは難しいもの、統一会に参加して精神統一をすると協会の背後霊団の守護や指導があって、その人の背後の様々な因縁を持っている霊が整理されていく。しかしその人が絶対的真理に目覚めず心構えが変わらない限りは、いったんは整理されたものが再び同じような因縁を持って現れる」。したがって「日常生活における心境の向上に努力し、さらに精神統一によって背後の整理を行うならば、高級祖霊に感応してその守護と指導が得られる」(冊子5頁下段)とある。

 

D、精神統一の継続と同時に日常生活に於ける心の在り方が大切

 前述したように「精神統一によってその人の背後が整理されても、依然として心境が同じであれば、また別の同じような因縁を持った霊がかかってくる」(冊子8頁下段)。したがって「日常生活を見直して心境を高める努力を行う(→固有の周波数をアップする)と同時に、精神統一の実修(→アンテナの錆落とし)を継続して行い、より高い背後霊と感応して結びつきを強めて行くことが必要になる」(冊子9頁上段)とある。

 精神統一にはその者の背後で働く霊との結びつきを強める働きがある(→アンテナの錆落とし)。その際に働きかけを行うのは、地上の人間の心境に応じたレベルの霊(→固有の周波数を持った霊)であるから。

 

イ、質問「実生活での霊性向上の取り組み方」とは?

 一般的な方法としては「①利他的行為を心掛ける」「②困難・苦難を前向きにとらえる」「③霊的知識を日常生活に活かす努力」「④肉体煩悩に流されない生き方」を心掛けた生活を送れば、守護霊や背後霊とのパイプが太くなり霊性が次第に向上して行く。

 

ウ、質問「霊的敏感者の日常での霊障に対する対処法」とは?

 日頃から本人の守護霊や背後霊との結びつきを強めて、磁気的な回路を強固にする努力を行うこと(→例えば自分の守護霊や背後霊に毎朝心の中で挨拶をするなど)や、上記「質問イの①~④」の実践を行って本人の意識の底上げを行うこと。

私が実践していることは、日課となっている瞑想の際に守護霊や背後霊に挨拶をする。また外出する際には、自分は守護霊や背後霊にしっかりと守られているとの強い信念を持って、自分の周りに意念で透明なカプセル状の膜を作り、それで自分の周囲を覆う。このようなことを長年行ってきました。

 

エ、質問「霊性の成長に根差した夫婦関係の実践」とは?

A、性別の違い

 男性と女性は互いに補完し合う関係にあるので(234⑫参照)、どちらが上でもどちらが下でもない。二つの性で互いに足らざるところを補い合って全体を完成させるという「補完の法則」の適用下にある。霊の世界では界を上がるにつれて男女の差が薄れてくるので(4巻141⑬参照)、本来“魂”には女性や男性といった性別はない(個人的存在105⑬参照)。

一般に女性は感受性が強く、男性より繊細な属性を具えている。そのため霊的に見て敏感であり、霊的影響力を受けやすいという特徴を持っている(221⑭~22⑦参照)。

 

B、霊的成長を目指すなら

たとえ夫婦と言え霊的成長に二人三脚は有り得ない(霊訓下198⑭~⑯参照)。自分を変えて行くのは自分自身、霊的成長は他人から与えられるものではなく自分で成長していくもの(1巻118⑩~⑫参照)。魂の成長は個人的な問題だから(2巻71⑨参照)。

夫婦の在り方も互いに霊的成長の道を歩む“同志的存在(→互いに相手の霊的成長を願うという関係)”という形になるのではないだろうか。モーゼスの『霊訓』に「結婚の絆は不滅である。但しその絆は親友同士の関係程度の意味である」(霊訓上81⑫参照)とある。

 なお霊の世界では霊的親和性が無ければ再会はない(10117⑭~⑮参照)。また「二度三度と結婚して複数の妻ないしは夫がいる場合は、最も親和性の強い相手と引き合いひかれあう」(個人的存在52⑮~⑰参照)という。

 

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『シルバーバーチの霊訓』講座、その2:目次

 

 

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