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第7講:動物について

<目次>

1.動物の死後

・「個別霊」と「集合魂」の違い

・個々の個体を有した動物の死後

2.動物実験について

・暮らしに深く根付いている

・動機と道義心の関係から

・現代人に共通のカルマとして

3.肉食の問題

・シルバーバーチの基本的見解

・「個別意識」「類魂意識」の有無

・一つの考え方

4.その他の問題

・害虫・有害鳥獣の駆除

・動物愛護の問題

5.講座に寄せられた質問

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1.動物の死後

①.「個別霊」と「集合魂」の違い

ア、因果律の働き

<イラスト①>                 <イラスト②>

<イラスト③>

A、はじめに

今回のテーマである「動物」という生命体は、イラスト①の「器たる意識」に盛られた小さな一粒である「個々の意識」が、地上体験を積む為にまとう物的形体を指す言葉である。今回は最初にイラストを使って、スピリチュアリズムの中でも最も難しいと言われている「意識の進化」の説明から入って行く。

 

B、イラスト①の説明

イラスト①の「器たる意識」とは、因果律の主体となる「意識(→集合魂、集合意識、種属、類魂、グループ・スピリットなどの名称がある)」のこと。なお「種属」とは生物学の用語のことで、共通の特徴を備えた一群を指す言葉である。

またイラスト①の「器に盛られた個々の意識」とは、因果律の主体とはならない一匹一匹の動物の物的身体にある核の部分でイラスト③のAの「エッセンス部分」のこと。この部分に書き込まれた地上体験というデータをイラスト①の「器たる意識」に持ち帰る。

 

C、イラスト②の説明

 イラスト②の「意識」とは、イラスト①の「器、集合魂」(太枠のマス形)のこと。この「意識」の進化レベルが「A」であれば、イラスト①の「個々の意識」がまとう形体は「a(例えば昆虫)」となる。昆虫という物的形体の死滅後、イラスト③の「A、エッセンス部分・個々の意識」に書き込まれた地上体験を、イラスト①の「器、集合魂」に持ち帰る。これが延々と続きイラスト①の「個々の意識(小さな丸)」の全てが地上体験を完了すれば「1学年進級」して、進化レベルも一段階上がり意識は「B」となる。そしてその「意識」レベルがまとう形体は「b(例えば魚類)」となる。同じように魚類という物的形体の死滅後、イラスト③の「A、エッセンス部分・個々の意識」に書き込まれた地上体験を、イラスト①の「器、集合魂」に持ち帰る。これが延々と続きイラスト①の「個々の意識(小さな丸)」の全てが地上体験を完了すれば「1学年進級」して、進化レベルも一段階上がり意識は「C」となる。その「意識」レベルがまとう形体は「c(例えば両生類)」となる。この繰り返しが延々と続く(永遠の大道259262参照)。

 このようにイラスト②の「意識」の進化レベル「ABCD」に応じた物的形体「abcd」を、イラスト③の「A、エッセンス部分・個々の意識」は一匹一匹としてまとうことになる。「意識」がアップすれば、それに応じてまとう形体もより洗練された形体になって行くから。例えば進化レベル「A」にある「意識」は「a」という形体を、進化レベル「B」にある「意識」は「b」という形体を、一匹一匹がまとって地上体験を積むという具合に。

 

D、イラスト③の説明

イラスト③は地上で見かける一匹一匹の動物の構造を示したもの。それは「A、個々の意識・エッセンス部分」と「B、接合体」と「C、物的身体」の三者がワンセットになった構造をしている。マイヤース霊は「物的形体の死滅後、植物のエッセンスないしは魂(イラスト③のAの部分)が無数に集まって一つにまとまった存在(イラスト①のマス形の器)を形成する」(永遠の大道259⑫~⑬参照)と表現している。

イラスト③の「A、個々の意識」に書き込まれた地上体験という“データ”は、それぞれの個体がイラスト①の器たる「意識」に持ち帰る。そして「集合魂」全体として因果律が働いて進化の階段を上がって行く(5巻97①~③参照)。進化によってイラスト②で示した「意識」は「A」から「B」へと一段階上がって行く。

 

イ、ダーウィンの進化論との違い

 ダーウィンに代表される進化論は、霊の存在を一切認めない「唯物論的進化論」に立っている。生命の起源に関しても、あらゆる生物は一つまたは複数の共通の祖先から自然の作用によって生まれたもの。その祖先それ自体も非生命体の「水・空気・鉱物などの物質」の無機物から生じたものであるとして、「無機物→有機物→原始原核生物(生物の共通の祖先)→〇〇」の流れで生物の進化を説明している。この点からも進化論は「宇宙の一切の存在や現象は物質で説明できる」とする唯物論の立場に立っていることが分かる。

その進化論はイラストで示した形体(abcd)それ自体が、ゆっくりとまたは突然変異的に一段階上の物的形体に、つまり「abcd」という具合に連続的に進化して行くと主張している。このように「唯物論的進化論」には、「意識(意識なるもの)の進化」という霊的観点「ABCD」がそっくり抜け落ちている。物的観点からのみ進化を考えている点に問題がある。

シルバーバーチは物的形体としての「一羽の鳥が(aが“bcd”という具合に)やがて一人の人間になって行くのかと言うことであれば、答えはノーです」(10201⑪~⑫参照)と述べて、形体のみで進化を考える「唯物論的進化論」を否定している。

 

ウ、因果律の表れ方

<集合魂または集合意識、動植物>      <個別霊または個別意識、人間>

     

A、人間と因果律

人間は個々人ごとに「本来の私という意識」の中に「神の分霊」を一身専属的に有している。その「意識」がまとう形体は一体のみであり(→例外はアフィニティー)、因果律は個々の個体ごとに発生する。人間が犯した摂理違反行為は、個別霊たる本人自身が償うという形で成される。

 

B、動物と因果律

進化が動物レベルの場合には、地上で見る一匹一匹の個々の形体(→上記イラスト「A、個々の意識・エッセンス部分」と「B、接合体」と「C、物的身体」がワンセット)に対しては、因果律は働かない(5巻97①~③参照)。シルバーバーチは「(埋め合わせなどの法則は)一匹とか一頭とかについてではなく、その動物の属する類魂全体を単位として法則が働く」(5巻96⑪~97①参照)と述べる。

死後「C、物的身体」は大地に帰り、「B、接合体」は中間物質の「普遍的流動体」に吸収される。さらに「A、エッセンス部分・個々の意識」は出身母体の種属(5101⑥参照)である「意識」の中に埋没する。そのため因果律は一匹一匹の個々の形体ではなく出身母体の種属ごとに働く(→器たる種属に“神性たる神の分霊”が宿っている、なぜなら「意識」は神の一部だから)。

個々の形体が犯した摂理違反行為は積み重なって、その“出身母体たる種属”に進化の停滞として表れる。シルバーバーチは「その動物の属する類魂全体を単位として法則が働く」(5巻97①参照)として、犬と猿を例にして説明している(5巻110⑦~⑪参照)。

 

C、集合魂の進化

 菌類や昆虫などのように進化レベルが低ければ、「意識(=集合魂、集合意識、種属、類魂、グループ・スピリット)」たる器の規模は巨大となる。進化レベルが次第に高くなれば種属たる器も小さくなり(イラストACへ)、器に所属する個々の意識の数は次第に少なくなっていく(8巻206⑮参照)。グループの大きさに違いはあるものの「霊性・神の分霊」は種属全体に及ぶ形で内在しているので、因果律は種属たる器ごとに発生する(597③、語る199①~③参照)。

 このような特徴を有する「集合魂・集合意識」は進化の最終地点でどうなるのか。シルバーバーチは人間の身体に宿る個別霊に進化して行くと述べる。「初めて人間の身体に宿る霊は、動物の類魂(=集合魂、集合意識、他)の中の最も進化した類魂」(5巻101⑧~⑨参照)であると。

イラストで説明すれば、ABCと進化した「意識(=集合魂)」はさらに限りなく細分化して行く。そして進化レベルDに達して卵(=個々の意識)と器(=意識)が合体して、それが人間の身体に宿って個別霊となって行く。

 

エ、一般的な「意識」とは異なる

シルバーバーチが言う「意識」とは、私たちが一般に使用する物的脳を介して意識する顕在意識とは異なって、もっと広い「意識、意識なるもの」あるいは「神の一部」(3巻113④参照)という意味で用いている。

シルバーバーチは意識を「神の分霊」が顕現する場という意味で、無窮の過去より常に存在する意識が「さまざまな形体を通じて顕現し、その表現を通じて絶え間なく洗練されつつ、内在する神性をより多く発現していく」(3巻113⑤~⑦参照)と述べる。

例えば「かつてあなたは猿でした。猿そのもの(イラストの形体a)だったという意味ではありません。猿という種を通して顕現した時代もあった(イラストの意識A)という意味です」(1280⑨~⑪参照)。人間という形体(イラストの形体d)をまとう「個別霊・個別意識(イラストの意識D)」は、かつて「個々の意識」が猿の形体(イラストの形体a)をまとった「集合魂・集合意識(イラストの意識A)」の時期もあったという意味。

また無限の広がりを持つ意識を「意識には無限の次元、レベル、界層がある」(1080④参照)と述べている。“本来の私という意識”に内在している“神の分霊”の顕在化率は0%~100%まであり(イラスト参照)、その範囲内で意識は拡大して行く。意識は環境を形成するので「無限の次元・レベル・界層」が存在する。

他の霊界通信にも「大海は神(の分霊)が外部に向けて顕現していく存在の場です」(彼方4巻144①~②参照)との表現がある。これはシルバーバーチが述べる「意識」を「大海」に読み替えれば同じ内容となる。人間で言えば“本来の私という意識”が「大海」であり、そこが「霊(=神の分霊)の顕現の場」ということになる。

このように人間という物的形体をまとった「意識(個別意識)」と、人間以下の生物という物的形体をまとった「意識(=集合魂を構成する個々の意識、ある種のエッセンスのこと)」では、「意識」や「霊性・神の分霊」の在り方が異なっている。

 

オ、例えを使って説明する

丼ぶり(→出身母体の種属たるグループ)にイクラが山盛りになっている図を使って説明する。イクラの一粒が「A個々の意識またはある種のエッセンス」であり、地上世界で私たちが見かける個々の動物の形体に存在する核の部分の“エッセンスたる幽質”のこと。その動物の“エッセンスたる幽質”部分に地上体験が記録される。死後にその幽質に書き込まれたデータを“丼(→種属たるグループ、集合魂、集合意識)”に持ち帰る。その過程が延々と続く。

地上で見かける一匹の動物、つまり「個々の意識・エッセンス部分+接合体+物的形体」には、生命素を取り込む為に中間物質の接合体が物的形体と一対となって存在する(個人的存在19⑦~⑧参照)。しかし霊的要素たる「意識(集合魂・集合意識)」は“出身母体の種属たるグループ”の言わば共有状態となっている(→ペットは人間の愛を受けて一時的に共有状態から個別の霊的要素が出現する)。「霊性・神の分霊」は丼に内在しており(→因果律は丼、つまり種属ごとのグループを単位として働くから)、個々の意識(イクラの一粒)には内在していない。

人間以下の場合は出身母体の種属たるグループ(集合魂・集合意識)を単位として「進化」して行く。種属たるグループの進化に伴って「個々の意識・エッセンス部分」がまとう形体も「植物→昆虫→魚類→〇〇→〇〇」と一学年ずつ進級して行く(永遠の大道259頁~260頁参照)。形体が無い“集合魂という意識”(5巻103④参照)の霊的進化に伴って、その個々の意識がまとう表現形体も一歩一歩発達して行く。

 

②.個々の個体を有した動物の死後

ア、大部分の動物の死後

地上世界で哺乳類という物的形体をまとった“個々の意識”には、人間のような個別意識はなく共通の特徴を具える“種属というグループ”ごとに「類魂意識」を共有するだけである(8206⑧~⑨参照)。人間との接触を通して愛の相互作用という形で「霊的進化を促進し合う」(8186②参照)関係にない大部分の動物の死後は、物的形体の中核部分たる「個々の意識・エッセンス部分」は所属するそれぞれの“種属というグループ(集合魂・集合意識)”の中に融合していく(8186⑤参照)。

 

イ、ペットの死後

A、人間から愛を受けた動物

人間の生活領域に近づいてきた動物(ペット)の場合は、人間との接触によって個別意識が芽生えてくる(8210④、到来220⑧~⑨参照)。犬は今から1万5000年~1万年前に狩猟採集民の猟犬・番犬として飼われた。猫は農耕が始まった1万年~5000年くらい前に、ネズミの害を防ぐ目的で人間に飼われ始めた。なおペット化される為には最低限「人間の生活領域に入る」「人間に可愛がられる」「犬や猫などの動物は仕草で愛を表現する」の要件が必要である。

 しかし依然として因果律は“種属というグループ”ごとに働くため、霊の世界(→幽界の下層にある幻想の世界、Y―1)で幽質をまとった“個体(A個々の意識・エッセンス部分+B接合体+C幽質の身体)”としての存続は一時的なものに過ぎない。

なおペットは死後、担当する霊界人の世話を受けながら、幽質でできた形体をまとった状態で、他界してくる飼い主を幽界の下層界(Y―1)で待つ(8巻187⑦~⑨参照)。この「事実」が知れ渡れば、ペット・ロスで悩む人たちにとっては朗報となる。

 一時的に幽質をまとった動物(ペット)について、シルバーバーチは人間に可愛がられた動物は「類魂全体に対して貢献したことになります。類魂全体としてその分だけ進化が促進されたことになるのです」「全体のために個が犠牲になったということです。そうしたことが多ければ多いほど類魂の進化が促進され、やがて動物の段階を終えて、人間の形体での個体としての存在が可能な段階へと進化してゆく」(592⑧~⑫参照)と述べる。

 

B、ペットは貢献度の高い社員

集合魂とペットとの関係につき、企業の経済活動を例にして説明する。死後出身母体たる“種属というグループ”に直帰する動物の“個々の意識”を一般社員に、ペットを貢献度の高い社員に、出身母体たる“種属というグループ(集合魂・集合意識)”を会社に置き換えて解説して見る。

現実社会では「〇〇株式会社」と「△△株式会社」の企業間取引は、それぞれの会社の営業部に所属する社員がまとめ上げて、最後に代表権を持つ者が会社を代表して契約を締結する。その権利義務の帰属主体は社長や個々の営業部の社員には無く、それぞれの会社に帰属する。営業部の社員がいくら頑張って案件をまとめ上げても、あるいは会社に対する貢献度がずば抜けて高くとも(→ペットの場合に該当)、その成果は会社に帰属し、会社の業績アップにつながるだけである。この事例からも分かるように、ペットは出身母体たる“種というグループ”の進化に大きく貢献したことになる。このように考えれば理解し易いと思う。

 

C、死後一時的に幽質をまとう

数多い動物の中には人間と接触することによって、人間らしい個性的な意識や個的存在としての意識を一時的に表すものもいる(589⑪~⑬参照)。これらは人間の“愛”によって一時的に個別意識を持ったままでの存続が可能となった動物(ペット)である。この動物は死後、幽質をまとって生前の形体を維持しながら生活することができる(8185⑬参照)。このように人間には、いまだ個別意識が芽生えていない動物に対して、“愛の力(→家族の一員という形で)”によって一時的に個別意識を授ける能力がある。

地上でペットとして可愛がられた動物は、死後の一時期、幽質をまとって幽界の下層界(Y―1)で人間の霊に混じって生きていけるが、飼主との同居期間は長続きしない(591③~⑤参照)。「霊的自覚」が芽生えた人間の霊は幽界の上層界(X)に移行していくのに対して、進化のスピードが遅いペットの霊は下層界(Y―1)に取り残される。

意識面から見ればペットは「集合魂・集合意識」であり、飼主たる人間は「個別霊・個別意識」であるから。この違いは進化のスピードに表れる。取り残されたペットの霊は、やがてその動物の出身母体である“種属ごとのグループ”の中に融合して個性を失っていく(591⑪、8206⑤~⑥参照)。

 

2.動物実験について

①.暮らしに深く根付いている

ア、顕現の程度に差がある

動物に潜在している「霊性(→集合魂という因果律の主体となる種属の中に潜在している神の分霊)」と、人間に潜在している「霊性・神の分霊」とは本質においては同じもの。しかし個別霊と集合魂といった「意識」の有り方の違いや、潜在している「霊性・神の分霊」の顕現の程度に於いて差があるだけ(8181⑫~182①参照)。

動物の種属ごとの「集合魂・類魂意識」に潜在している「霊性・神の分霊」の顕現を増して行くためには、形体なき「集合魂・類魂意識」は物的身体をまとって(5巻103④~⑤参照)、地上体験を積む必要がある。なぜなら個々の意識がまとう物的形体、その地上体験の集積が種属たる「集合魂・類魂意識」を形成するから。

 

イ、霊性の進化という観点から見ると

現代社会では動物を使った基礎研究は、医学技術の開発、新薬開発、化粧品・食品添加物・農薬の毒性試験など、各分野で広く行われており、私たちの暮らしに深く根付いている。

シルバーバーチは屠殺や実験で犠牲となった動物には、その出身母体である“種属というグループ(=集合魂、集合意識)”を単位として「埋め合わせの法則」が働く(596⑨~97①参照)。その際に「一匹とか一頭とかについてではなく、その動物の属する類魂全体を単位として法則が働く」「類魂全体としての因果律がある」(596⑪~97①、97③参照)からと述べる。

また動物実験という残虐行為の影響は「動物自身だけでなく、それを働いた人間にも」霊性の停滞という形で現れる(メッセージ231⑤~⑥参照)。なぜなら動物実験は無慈悲で残虐な行為であり、残忍性と野蛮性は物的世界に霊的エネルギーが流れようとする通路を遮断してしまうから。これに対して利他的行為は、宇宙に遍満している霊的エネルギーが私を通路として他者に流れて行く行為であり霊性の向上につながる。シルバーバーチは「人間の残忍性は動物の進化を遅らせる」(8207②~③参照)と同時に、「自らの進化を遅らせる」(8207②~③参照)ことになるとして動物実験に反対する。

 

②.動機と道義心の関係から

ア、動機は何か

動物虐待に繋がる動物実験は霊的摂理に反する行為だが(4202③~⑥、8123⑬参照)、実験者の中には「病で苦しむ人を何とか救いたい」「人類を病魔から解放したい」といった真摯で誠実な動機から行う者もいる。

シルバーバーチも「しょせん地上世界は発展途上にある未熟な世界です。それゆえ、同胞のためと思ってすることが、他の生命の権利に干渉する事態がどうしても生じます。そこで私は動機を重視するのです」(道しるべ224②~⑤参照)と述べる。さらにシルバーバーチは動物虐待という問題の特殊性を考慮して「動機は人のためと云うことで結構ですが、しかしそれが動物に苦痛を与えているわけです。そうした点を総合的に考慮した上で判断が下されます。いずれにせよ私としては苦痛を与えると云うことには賛成できません」(5115⑪~116①参照)とより厳しく述べている。

 

イ、霊的摂理に反した行為

霊的摂理から見た結論は「実験者の動機は誠実であるが動物実験は霊的摂理に反した行為である」。これは実験者の「動機と道義心」の問題として考えることが出来る。道義心とは「行為時の霊的意識レベル(→本来の私という意識に“神の分霊”が顕在化する比率に応じた意識レベル)」なので、「動物実験を行う行為者の動機は何か」そして「その動機は道義心に適っているか」が問われることになる。

実験者の動物実験当時の「道義心(=霊的意識レベル)」では問題なかった。なぜなら動機が誠実なので動物実験が霊的法則違反であることが分からなかったから。そのため霊的法則に違反した行為の因果律はいったん凍結状態となる。その後、実験者の霊性が向上した段階で過去の霊的違反行為は解凍して因果律が動き出す。顕在意識レベルで霊的法則違反を認識した段階で、実験者は何らかの償いをすることになる。

 

ウ、意識の進化と環境の関係

意識の進化という観点から見ると「人間の霊性の発達と自然界の現象との間には密接な関係がある」(598④参照)ので、「人間が進化すればするほど地上から(動物実験といった)残忍性や野蛮性が消えていく」(5100①~②参照)。将来的には動物を使った基礎研究は、動物を使わない他の手段に置き換わって行くのではないだろうか。なぜなら人間の思念によって環境が作られて行くため、霊的レベルと環境(→社会環境、研究や実験環境など)は一致するから。

この点から見ても動物実験を必要とする現代人の霊性レベルは、階層構造的な霊的世界に於いてはかなり低いということが分かる。シルバーバーチもこの点を考慮して「しょせん地上世界は発展途上にある未熟な世界です」(道しるべ224②~③参照)と述べている。

 

エ、蕎麦屋の蕎麦汁の話

実験者の真摯で誠実な動機と動物実験との関係につき「蕎麦屋の蕎麦汁」を使って説明する。蕎麦屋で蕎麦を食べた時に、注意して食べたにもかかわらず汁が跳ねて服につきシミとなった。蕎麦屋の店内の暗い照明では見えなかったので、服がシミになっていることに気がつかなかった。料金を支払って外に出て、明るい太陽の下で良く確認したら服にシミがついているのが分かった。これは霊性が向上して薄暗い低い世界から明るい高い世界に来ると、自分の意識の中にある“シミ(→未熟な部分や人に迷惑をかけたこと)”が浮き上がって来てよく見えてくるという例えである。

 上記の事例で蕎麦汁が跳ねて服についたことに気が付かなかった場合は、道義心つまりその時点で到達した霊的意識レベルに反しないケースである。この場合はより明るい世界に来て、服にシミがついていたことに始めて気がつくことになる。

一般に「進化」の低い段階では、ある行為が霊的法則違反であると言うことが認識できない。現在の地球人の霊性レベルでは動物実験が霊的法則違反であることに気づかないのと同じ。なぜなら蕎麦汁が服についたことに気づかない、道義心に反していないから。しかし道義心に反していないからといって“服についたシミ(→霊的法則違反の動物実験を行ったこと)”がなかったことになるわけではない。

これに対して蕎麦汁が跳ねて服についたことに気づいていれば、道義心に反した行為となる(→動物実験が霊的法則違反であることを理解した実験者の場合)。なぜなら服がシミになったことを認識しているから。このように考えれば理解できるのではないだろうか。

 

オ、進化の低い段階では摂理違反に気付かない

A、因果律が解凍する

霊性が向上して一段と明るい世界に来ると、それまで気が付かなかった自分の「意識」の中にある“大きなシミ(→地上で償うべきカルマ)”や“小さなシミ(→己の未熟な部分や人に迷惑をかけたことなど)”が、意識の表面(→顕在意識・表面意識の領域)に浮かび上がってきて良く見えるようになる。そして何とかしたい気持ちに襲われる。いわば凍結していた因果律が、霊性の向上によって解凍して動き出したから。

 実験者が「病で苦しむ人を何とか救いたい」との真摯で誠実な動機は、行為時に於いてはその時点で到達した霊的意識レベルである道義心に反していない。そのため動物実験という霊的法則に反する行為の因果律はいったん凍結される。

その後実験者の霊性が向上して、過去に於いて行った行為が意識の表面に浮かび上がってくる。その時点に於ける道義心は、過去に行った動物実験に対して霊的法則違反を告げる。なぜなら霊性が向上したことによって、凍結状態にあった因果律が解凍して動き出したから。実験者が霊性向上の道を辿るためには、これを何らかの形で処理しなければならない。

 

B、浮上してきた因果律を処理する

日本には古くから牛や馬などの動物を扱う人たちが、人間の犠牲となった牛馬等の動物霊を供養するため、馬供養塔や牛供養塔などの石碑を立てて祀るという風習があった。また人間が生きていく上で、その犠牲となった「動物に感謝する」「命に感謝して食する」という風習もある。

ここから類推して実験者は何らかの形で利他的行為、たとえば「動物愛護運動」といった「動物の権利」を守る活動や霊的知識の普及活動などを行って、意識の表面に浮上してきたマイナスの因果律を処理するのではないだろうか(→実験者が生前に霊的法則違反に気づいた場合の例。死後に気付けば霊界から運動をバックアップする形で)。

 

③.現代人に共通のカルマとして

動物実験によって得られたデータは、さまざまな製品の安全性の検証に用いられて、現代人の生活の利便性に寄与している。いわば現代社会は動物の犠牲の上に成り立っていると言えよう。動物虐待という霊的法則に反したカルマは、当事者(=実験者)だけに留まらず広く“受益者である現代人”も背負うことになる。当事者が作ったカルマとは性格が異なるが、受益者である以上何らかのカルマを“広く薄く背負う”ことになるから。

このように動物実験によって利便性を受ける者が負う責任、つまり「受益者理論」を使えば、責任は個々において背負うのが摂理であり他人の行為に責任を負わないとする「自己責任の原理」(658①~②、11174⑧~⑩参照)の問題をクリアすることになる。

 現代社会は各地で紛争が絶えず、既得権者による目に余る横暴や、社会格差から派生する悲劇などが各地で日常的に起きている。それらを私たちはマスコミやインターネットのSNSなどを通して知ることになる。このような重苦しい時代の空気の中で私たちは生きざるを得ない、という制約を負わされることによって、未熟な社会が生み出したカルマを“受益者の一人”として刈り取っているわけである。

 

3.肉食の問題

①.シルバーバーチの基本的見解

ア、地上世界は「学校」

スピリチュアリズムでは地上世界は「学校」または「トレーニングセンター」という位置づけである(9129⑤~⑥参照)。私たち人間には限定的な自由意志があり、それを行使しながら各種地上体験を積んで霊性の向上を目指している。

その体験学習の一つに肉食の問題がある。この肉食の問題にどのように対処するかは各自の判断に任されているが、ここでも動物実験と同じように「動機と道義心」との関係が問題となってくる。シルバーバーチは肉食につき「その人個人の判断力に任せるべき事柄です。何事につけ、動機が最後の判定材料となります」(最後啓示126③~④参照)と述べる。その動機は最終的には道義心でチェックすることになるが。

 

イ、理想と現実

A、理想

シルバーバーチは人類がすべての生き物に敬意を抱くこと(8181③参照)、さらに「食料を得るために殺すのは間違いであることを人類が悟る段階」(道しるべ132④~⑤参照)に到達すること、これが理想であると述べる。

 

B、現実

シルバーバーチは私たちが住む地上世界は発展途上にあり、この「未熟な世界に於いては完全な理想が実現されることは期待できない」(道しるべ131⑭参照)、「今すぐには実現できないと知りつつ、理想を説いている」(道しるべ132⑦~⑧参照)と述べる。

そして理想と現実の乖離が甚だしいからと言って「理想へ向けての努力をしないで良いと言うことにはならない」(道しるべ132①~②参照)とも述べる。このような理想と現実の狭間にあって、発展途上の地上世界でも実行可能な方法を次のように述べている。

 

ウ、食料とする際には

A、殺害の観念が付きまとう食料は避ける

シルバーバーチによれば「殺害の観念がつきまとう食料品はなるべくなら摂取しない」(8189⑭参照)ことが望ましい。諸々の事情によってやむを得ず生物を殺害して食料にする場合には、できるだけ「苦痛を与えない方法を取る」。その際に「残酷な殺し方は止めてください」(道しるべ132③~⑥参照)と述べる。

その理由を「食料を得るために殺すのは間違いであることを人類が悟る段階まで一足飛びに到達することはできない以上」(道しるべ132④~⑤参照)やむを得ないからと述べる。

 

B、指標を「意識」の有無に置く

やむを得ず殺害して食料にする場合には、その指標を「意識」の有無に置くべきと述べる。「意識を指標とすべきです。意識がある限り、それを殺すことは間違いです」(道しるべ223⑩参照)。なおここで言う「意識」とは「個別意識や類魂意識」のことである。意識を指標に置くシルバーバーチの立場からは、類魂意識を持つ哺乳類を殺害して食料とすることは“間違い(アウト)”になる。

 

C、「意識」を基準にした分類

人間を頂点とした「進化体系」を生物学では大まかに「人間→哺乳類→鳥類→爬虫類→両生類→魚類→昆虫→単細胞生物」という流れで説明している。ここに植物とペットを加えて意識をまとめると、人間は個別意識を持ち、哺乳類は類魂意識を有する。それ以下の進化体系にある生物には個別意識も類魂意識もない。

シルバーバーチは各生物に関して「意識(意識なるもの)」を次のように述べている。

・植物―意識はあるが、あなた方のいう意識とは違う(語る436⑤~⑦参照)

・単細胞生物・菌類―意識的生命のある所には造化活動がある(道しるべ223①参照)

・爬虫類・両生類・魚類―個別意識・類魂意識なし(道しるべ222⑩、223⑤~⑥参照)

・鳥類―小鳥でも犬より知的に進化しているものもいる(595①~②参照)

・哺乳類―動物には種属全体としての類魂がある(8206⑧~⑨参照)

・ペット―人間とよく似た個的意識が芽生えている(8206⑨~⑩、210④参照)

・人間―個別的意識形体を取っているのが人間(7200⑫参照)

 

D、個々人の判断にまかせる事柄

 肉食の問題は「殺害の観念」や「意識の有無」以外に「動機と程度の問題」(8181③~④参照)も考慮しなければならない。このような点をメルクマールに置くとしても、最終的にはシルバーバーチも述べているように「肉食はその人個人の判断力にまかせる事柄」(最後啓示126③参照)となる。

 

②.「個別意識」「類魂意識」の有無

ア、類魂意識はどの段階から有するか

シルバーバーチは「意識」を「自意識(=自我意識、個別意識)」や「類魂意識」という意味で使用している。例えば「意識とは自分が何であるか、誰であるかについての認識のこと」(道しるべ222⑫~⑬参照)という具合に。

その「意識(→個別意識や類魂意識のこと)」はどの段階から始まるかにつき「病原菌に意識があるでしょうか。ヘビに意識があるでしょうか。ノミやシラミに意識があるでしょうか。微生物に意識があるでしょうか」(道しるべ222⑨~⑪参照)と述べる。

ここから明らかなように爬虫類のヘビに個別意識も類魂としての意識もないと言うことは、それ以下の「進化体系」にある「両生類・魚類・単細胞生物や菌類、植物」などには、個別意識も「類魂意識(→仲間意識のようなもの)」もないことになる。なおここで言う「意識」とは「個別意識(=自我意識、自意識)」や「類魂意識」の有無のことである。

 

イ、「動物」の範疇に鳥類を含めるか

ポイントはシルバーバーチがいう「動物(→哺乳類の意味)」という言葉の範疇に「鳥類」が入っているか否かである。なぜならシルバーバーチは「動物」には個別意識はないが、その萌芽形態たる「類魂意識」を有する、それ以下の進化体系にある生物には「類魂意識」以上の「意識」はない。霊訓には「動物の世界には個的意識はなくとも、その奥には類魂としての意識が存在します。動物よりさらに下がると類魂の意識もなくなります」(道しるべ223⑤~⑥参照)とある。

 なおシルバーバーチは「動物」を哺乳類として用いており、「鳥類」をその範疇に入れていない(1巻178⑩~⑪、10202③参照)。このことから推測して「鳥類」には「類魂意識」以上の「意識」はないと言うことになる。一律に鳥類はすべて「類魂意識」がないと線引きすることには疑問が残るが、霊界から見た分類法は地上世界とは必ずしも一致しないと考えた方が良いと思われる。

 

ウ、「鳥肉」をどのように考えるか

シルバーバーチは鳥類を「類魂意識」を有する「動物」の範疇に入れていないので、「意識(→個別意識・類魂意識)」の問題はクリアできるので食しても問題ないことになる。しかし現実問題として鳥を食糧にするためには殺害しなければならないこと、肉食であること、鳥類といっても「進化」の進んだ“鳥の種”もいること、このような問題は残る。

シルバーバーチの「肉食に関する基本的見解」を踏まえた上で「鳥肉」の問題を考えて見ると、最終的にはこれも「動機と道義心」の問題として「その人個人の判断力にまかせるべき事柄」(最後啓示126③参照)となる。「鳥肉」「両生類・爬虫類の肉」「魚肉」などの「肉食」の問題は、シルバーバーチの見解を踏まえつつ各自で判断すれば良いことになる(→シルバーバーチは基本点しか述べていないので)。

 

エ、身体がより物質的だから

霊的修行によって体質的に敏感になる人が多いと言われる。修行の結果、肉食などの「重い食事」が次第に摂れなくなる場合があるという。このようなことから一般に霊能者(霊媒体質者)や霊的修行者は昔から肉食を避ける傾向にある。また科学的なアプローチから「肉食がその人の性格にどのような影響を及ぼすのか」などの調査研究もある。

 なお地球人よりも霊的進化の進んだ天体に住む“人間的存在(→「霊的身体・接合体・物的身体」をセットにして物的体験を積んでいる個別霊たる天体人)”も、その純度の高い身体を維持する為に食料を必要とする。しかし地球人が食する肉食等の食料は、その天体人の身体では消化できない(霊の書266①~③参照)。なぜなら地球人と比べて霊的レベルが高いために、まとう物的身体がより希薄化しており物質性が薄いから。希薄化した身体ではその食事を受け付けない。

私たちは健康を維持する為にも、栄養学的に見て動物性食品の摂取が奨励されているが、それは地球人の身体が“より物質的”だからである。それは霊性の低さの証明でもある。

 

オ、「肉食の問題」まとめ

A、原則

・すべての生き物に敬意を抱くこと

・食料を得るために殺害することは間違い、殺害の観念が付きまとう食品は避けること

B、やむを得ず殺害して食料とする場合

・苦痛を与えない方法を取る、また残酷な殺し方は止めること

・指標を「意識」の有無に置く、意識とは「個別意識、類魂意識」のこと

・哺乳類は類魂意識を有するので食料とするのは“間違い(アウト)”

・「鳥、両生類、爬虫類、魚」には類魂意識はないので「意識」の問題はクリアする。しかしこれらを食料とするには殺害しなければならない。食料としては“グレーゾーン”になる

C、結論

・地球は発展途上の未熟な世界。故に「肉食の問題」はその人の判断力に任せる事柄となる

 

③.一つの考え方

ア、「物質+生命素=生命体」

肉食の問題を「中間物質が付着した家畜の肉」という観点から考えて見たい。物質は「根源的物質(=普遍的物質)」が変化した「普遍的流動体(=半物質状の中間物質)」の一種である生命素と一体化することによって活性化して有機物となり、始めて生命が宿る物的形体たる身体(=生命体)となり得る(霊の書48⑤~50②参照)。

つまりイラストにあるように「物質」に「中間物質の生命素」が加わることによって、物質が活性化して有機物となり、犬という「C、物的身体」が出来上がる。この物的身体に霊的要素である「A、個々の意識、エッセンス部分」が、「B、接合体」を接着剤として「C、物的身体」と結合する。そして我々が地上で見かける犬となる。

 

イ、個々の物的形体には接合体が付着する

地上でさまざまな個性を見せる個体(一匹一匹の動物、個々の意識)にも、ペットのように所属する“種属というグループ”にとって先駆け的な存在といえる個体もいれば、反対に“アウト・ロー”的な個性を持った個体もいる。

個々の動物はそれぞれ固有の物的形体を持つと同時に、その肉体に対応した接合体(=ダブル、エーテル複体)を有している(個人的存在19⑦~⑧参照)。しかし人間とは異なって個別の肉体に対応した霊的要素(→霊の心・意識、霊的身体など)は有していない。その種属ごとに「集合魂・類魂意識」があり「集合魂・類魂全体として因果律」が働く(5巻97①~③参照)。個々の物的形体を持つ動物はその「集合魂・類魂意識」を共有しているにすぎない。

 

ウ、肉食とは動物の身体と幽質を食すること

A、移植医療との比較

移植医療とはドナーの臓器を人体部品のように考えて、レシピエントの機能不全に陥った臓器と交換して生命を長らえさせるための医療である。移植医療の臓器にはドナーの幽質の一部が付着しており、これを体内に取り込んだレシピエントの体質によっては問題が発生することが知られている(クレア・シルビア著、飛田野裕子訳『記憶する心臓』角川書店1998年参照)。

 

B、肉食の問題

 死によって一匹一匹の動物の「個々の意識・エッセンス部分」は所属する種属たる「集合魂・類魂意識」に帰り、物的身体は腐敗作用によって土に帰っていく。肉食とは「個々の意識」が地上体験を積むためにまとった一匹一匹の動物の物的身体を食する行為である。この肉食にも移植医療と同様なことが言える。

私たちが動物の肉を食すると言うことは、動物の物的身体と合わせて半物質状の接合体も同時に食していることになる。なおこの接合体にはその個体が地上時代に見せていた性格傾向や、屠殺の際の“激しい感情”などが染み込んでいる。

移植医療との違いは長期間にわたって患者の一部となって存続する臓器と、一時的にエネルギー源に変えるために体内に取り入れる食料という違いである。大部分の「肉食」の場合には問題は発生しないであろう。

 

エ、モヤーとした悪想念を発する

A、中間境での滞在

大部分の「個々の意識」は所属する「意識(→出身母体たるグループ、動物の“種属”に該当する集合魂)」に戻っていくが、数多い個体の中には本来の界に戻る途中の「中間境」に、何らかの理由で留まってしまうものもいるであろう(→コンピュータ・プログラムの欠陥であるバグと同じ)。半物質状の中間物質を有しているので中間境での滞在は可能だから。

 

B、悪想念の塊を発する

一匹一匹の動物の姿をまとった「個々の意識・エッセンス部分」の中には、中間境で自己の存在を強烈に主張するケースも出てくるであろう。具体的な感情表現を主張するだけの進化レベルに達していない、家畜という物的形体をまとった「個々の意識」は、モヤーとした悪想念の塊という形で“嫌悪感という感情”を表現してくるのではないだろうか。

これは地縛霊が「臓器+幽質+意識」をセットにして、レシピエントの体内から積極的に自己の存在を主張する移植医療のケースと似ている。なぜなら「臓器」または「食肉の一片」が存在する場所に「地縛霊の意識」または「家畜という個々の意識に付着した中間物質」も存在するから。

 

C、中間境の下層界

マイヤース霊は「中間境」の下層世界を「テロリスト界」と呼んだが、そこには例外的に動物霊の一種である「非人霊・類人霊」がいるという(個人的存在251⑫~252④参照)。さらには人間の想念が作り出した魑魅魍魎なども存在する。

このような「動物霊」の地上時代は“アウト・ロー”的な個性を見せていたのかもしれない。また屠殺される際の激しい感情が「個々の意識に付着した中間物質の接合体」の中に染み込んでいるケースもある。このような個性や感情が「食肉の一片」には付着しているが、これを霊媒体質者は感じ取ってしまう場合がある。このように肉食にはさまざまな問題がある。

 

4.その他の問題

①.害虫・有害鳥獣の駆除

ア、比較衡量の問題

現代社会は哺乳類であるネズミや有害鳥獣の駆除、有害昆虫の駆除、ウィルスなどの殺菌等、このような“殺害行為”が日常的に行われている。これらの「有害動物や有害昆虫の駆除」等によって、社会環境が改善されて多少なりとも快適な生活が送れるという利益を私たちは受けている。しかし繁華街におけるネズミの問題や、森林伐採によって人里に下りてきた鳥獣(有害鳥獣)の問題、異常繁殖した昆虫(バッタなど)など、これらについて根本的原因を作ったのは我々人間であるという認識を持つ必要はある。

 シルバーバーチは「すべての生命に敬意を抱くことが原則だが、これも動機と程度問題である」と述べる(8181③~④参照)。この問題は二つの価値観が対立する問題である。一つは生き物を殺害する行為であること、他方は人間が生きていくための「環境の整備・人間の健康面の配慮」という問題である。これら二つの相対立する価値観を比較考量して、「動機と程度問題」がクリアすれば駆除は妥当であるという考え方ができる。

この問題でも私たちは駆除等によって快適な生活を送ることができるので「受益者の一人」という立場に立つ。そのため同時代人として駆除に伴う殺害行為に対して、マイナスのカルマを“広く薄く背負う”ことになる。

 害虫や有害鳥獣の駆除の問題も「根本原因を作ったのは人間側にある」との認識を持つことは当然であるが、これも人間社会全体の「動機と道義心」の問題と考えることも出来る。つまり現代社会が人間以外の生き物の犠牲の上に営まれている“未熟な社会”であることを多くの人が認識して、一人一人が環境の改善に取り組むようになって社会全体の霊性が向上すれば、次第に駆除の方法が現在とは違った形で行われるようになるのではないだろうか(→例えば最近普及してきた野良猫の避妊手術など)。

 

イ、人類の生き方と関わってくる問題

シルバーバーチはそもそもウィルスが発生することは「人類の生き方がどこか間違っていることの証拠」(最後啓示83⑤~⑥参照)と述べる。また「ホコリや病気は原因をたどれば人間の利己心、邪心に行きつく」「直接の原因は衛生の悪さ、不潔な育児環境、直射日光や新鮮な空気の不足にある」「さらに原因をたどれば、そういう環境を改めようとしない、恵まれた環境にある人達の同胞への利己心、同胞への非人間性に行きつく」「そういう利己心を捨て、弱者を食い物にするようなマネをやめ、我欲や野心を生む制度を改めれば、害虫や寄生虫は発生しなくなる」(597⑦~⑬参照)とも述べている。

 哺乳類のネズミは飲食店が出す残飯の管理の悪さから歓楽街では異常繁殖している。また本来その地方にいない生き物を人間が持ち込んだ結果、その地で異常繁殖を起こして環境悪化を招いている事例もある。

例えばオーストラリアでのウサギの異常繁殖の事例(5118⑩~119①参照)や、日本における外来魚や外来種の植物が異常繁殖して問題を起こしている事例などがある(→千葉県で異常繁殖している小鹿に似た“キョン”の問題)。このように人間側から見て有害とされる「動物や昆虫の発生」の問題は、シルバーバーチが述べるように人類の生き方と深くかかわっている問題である。

 

②.動物愛護の問題

ア、意識の変化を求められる運動

人類の進化という観点から見れば、現在は前世紀から続いてきた「女性の権利」獲得運動がやっとヤマ場を越えて、次なる争点である「民族的マイノリティー」や「性的マイノリティー」の人権問題に移ってきたという段階である。

今回のテーマである「動物に対する残虐行為」「肉食」「動物愛護」等の問題は、人間の権利がある程度の進展を見せた段階以降に、始めて「動物の権利」として正面から取り上げられるテーマではないだろうか。なぜなら動物虐待や肉食等の行為は人類が長年にわたって日常的に行ってきたものであり、人類の意識に深く染み込んでしまっているから。

 今までの人類の意識水準では当然のように行われてきた動物虐待や肉食等の行為も、将来意識水準が向上して動物に対する見方に変化が出てくれば、自ずと変わっていくものであろう。このような人類の意識の変化を伴う事柄は一朝一夕には行かないものである。

この動物に対する問題は、一時期は急速に進展するが他の時期では後退をする、これを繰り返しながら長い時間をかけて人類の意識が変わって行く、その中で解決されて行くものだから。意識の変化を伴う運動は、せっかちに事を為そうとしても旨くいかずに挫折をするだけである(→あせりが運動を過激にしていく)。

 一種の「意識変革運動」であるスピリチュアリズム普及運動に於いても、「動物に対する一連の問題」は傍系の位置にある。普及運動に携わるスピリチュアリストの中にも、動物実験や肉食等の問題に鈍感な人が多く、それほど問題意識は高くないから。

 

イ、動物愛護のルーツ

イエスは動物について何ら述べていないが、そのことについてシルバーバーチは「その当時はまだ動物の幸不幸を考えるほど人類が進化していなかったから」(5119⑧~⑨参照)と述べる。その後人類の「意識が進化」して、動物虐待の禁止などを唱えた動物愛護運動が19世紀のイギリスで起きた。

動物虐待防止法は、1822年に「家畜の虐待と不適当取り扱い防止条例(マーチン法)」として、イギリスに於いて初めてが成立した。また1824年には動物虐待防止協会(SPCA)が設立されて、1840年に王立動物虐待防止協会となった。

動物愛護運動はその後「動物実験反対」「動物虐待防止」「ベジタリアン運動」「健康維持」「毛皮使用素材の非着用」「スポーツハンティング禁止」「自然破壊に反対する」「エコロジー運動」等へと広がりを見せている。

 

ウ、運動それ自体が“魂の磨き粉”

「意識の進化」という観点から考えれば、地上世界は物的形体をまとった人間だけの専有物ではなく、同様に動物や植物も地上で体験を積んで“所属する集合魂”の進化に寄与している。このようにさまざまな進化レベルにある「意識」が物的身体をまとって自然界で共存している。これらの事実を紹介して、正しい知識を広めるという形で動物愛護運動が行われている。この動物愛護運動の背後には霊界の霊団による指導があるという(8219⑬参照)。

シルバーバーチは動物愛護運動につき「この種の仕事は内奥の生命、霊的実在についての知識に目覚め、他の生命との霊的つながりを理解した者が、自分を役立てるという動機一つに鼓舞されて仕事に従事するということであらねばなりません」(8220⑫~⑭参照)と述べている。

 当然に肉体を持った人間集団が行う“普及運動”である以上、そこには世俗的な問題も生じてくる。運動の中でさまざまな問題にぶつかることが多いが、その“問題”は当人にとって見ればいわば“魂の磨き粉(→磨き粉の粒子には粒が粗いものからきめが細かいものまである)”的な役割を持つことになる。シルバーバーチは「悲しいことですが、この道(=動物愛護)に携わっている人が本来の目的を忘れて我欲を優先させ、一身上の都合の方が大義より大切であると考えるようになったりします」(8209⑧~⑩参照)とも述べている。

 

5.講座に寄せられた質問

①.質問その1

<質問>「連続講座の中で、ニューエイジ系の書籍には“自己を癒す”や“自己愛の強調”などのフレーズが頻繁にみられるとして、シルバーバーチの説く霊訓との違いを指摘されていました。両者の違いにつき具体例を挙げて説明願います」

<回答>

コップに水を注ぐとコップ一杯まで水が溜まる。さらに水を注げばコップの縁から水があふれだす。この良く使われている例を使って“水を愛に読み替えて”説明してみる。

自己変革の第一歩は“己自身を知る”ことから始まる。自分の欠点を認めて有りのままの自分を受け入れること、そこから変化の兆しが見えてくる。ニューエイジ系(→精神世界系)の書籍にしばしば見かける「自己を癒す、自己を許す、自己愛の強調」などのフレーズは、本人自身をコップに例えれば、コップを愛で満たすことを指す(→例えば自傷行為を繰り返す人が、まずは自分自身を愛する自己愛へ)。コップに少量の愛しかなければ人に優しくなれない。まずは自分自身をいたわり癒し、愛でコップを満たす。そしてコップの縁を超えて溢れ出た愛を、他者に利他的行為と言う形で分け与える。

このように他者に対して利他的行為を行う前段階、ウォーミングアップにニューエイジ系の主たる関心がある。ウォーミングアップによって次第に本人自身が愛や寛容さという霊的エネルギーで満たされることになる(→コップが愛・霊的エネルギーで一杯になる)。

シルバーバーチはコップの縁から溢れ出した愛・霊的エネルギーを、利他的行為という形で他者に流すことを説いている。なぜなら自己愛ではなく、利他的行為こそが霊的成長に不可欠な行為だからである。ここにニューエイジ系とシルバーバーチが説く霊訓の主たる違い、視点の置き所の違いがある。

 

②.質問その2

<質問>「再生について質問します。連続講座の中で一度話をされましたがよく理解できませんでした。初心者にもわかるように“地上人生を承知して生まれてきた”箇所の説明を再度お願いします」

<回答>

ア、二つの意識

潜水作業を例にして説明します。潜水士は海底作業をサポートする支援船の上で、同僚と共にこれから海底に降りて行う作業の手順や、持参する装備品をチェックする。海底に降りれば「水圧・潮流・水温・明るさ」などの影響を受けながらの海底作業となるため。そのため支援船にいた時のクリアな意識状態とは異なり、制約された意識状態に置かれるので準備を念入りに行う必要がある。

この支援船の世界が本来の住処である「狭義の霊界」であり、船上で支援する同僚が「霊的家族のメンバー」である。支援船にいる時の意識状態が「A、本来の私という意識」。そして海底が「地上世界」であり、潜水具が「肉体」である。

 

上記のイラストを使って説明する。海底で何の作業を行うのか、例えば沈没船の引き上げ作業か、海底トンネルの建設作業かなど、これが「P、再生・地上人生のテーマ」となる。また水深10メートルでの作業か、100メートルを超える水深での作業かの違いによって困難さの程度が異なる。これが「Q、物的試練」であり、潜水時間が「R、寿命」となる。

 海底作業(→地上体験)に際して持参する装備品(→ハンディキャップ)が、「S、国・民族」「T、家庭環境」「U、性別」「V、体質・性格・才能・障害の有無」「W、両親」である。この「SW」を使って「P、再生・地上人生のテーマ」の達成を図っていく。

さらに海底に降り立った時の意識状態が「A―1、現在の私という意識」となる。この「A―1、現在の私という意識」はクリアな「A、本来の私という意識」に対して、重い潜水具を装着して「水圧・潮流・水温・明るさ」などの影響を受けながら、海底作業に専念するので制約された意識状態に置かれる。

 

イ、地上人生を承知して生まれてきた

A、「本来の私」が決定した大枠

支援船にいる時の「A、本来の私という意識」は、海底作業における作業テーマ「P、再生・地上人生のテーマ」を達成するために、海底で行う作業手順を自らの自由意志で決定する。この「A、本来の私という意識」が決めた海底での作業スケジュール(→地上人生の大枠)は、現実に海底で潜水具を装着して作業する「A―1、現在の私という意識」から見れば、海底作業の大枠はすでに決まっているとなる。好き勝手に潜水士は海底作業を行っているわけではない。

 

B、「現在の私」から見れば宿命

大枠の中で「A―1、現在の私という意識」は、遭遇する困難に対して自由意志(→現場サイトの裁量の範囲内での自由意志)を行使しながら海底作業を行っている(→地上人生を送っている)。

この制約された意識状態にある「A―1、現在の私という意識」は、「A、本来の私という意識」が決めた工程どおりに作業を進めて行くが、ともすれば目先の作業やアクシデントの対応に追われて意識の片隅に押しやられる。

以上から「A、本来の私という意識」から見て海底作業の大枠を承知して「A―1、現在の私という意識」は海底に降り立ったとなる。このように考えれば地上的観点(→現在の私という意識)ではなく霊的観点(→本来の私という意識)に立って始めて“地上人生を承知して出生した”と言えることになる。「A―1、現在の私という意識」から見ればそれは宿命となる。

 

③.質問その3

<質問>「講座の説明では“極楽・天国のようなエリア”は幽界の下層界にあるとのことですが、もっと高い世界にあると思っていました」

<回答>

ア、幽界は上層界と下層界に分けられる

・幽界の上層界Xは「霊的自覚」が芽生えた霊が生活するエリア

・幽界の下層界Yは霊の意識の指向性が「下・物質界」を向いている霊が生活するエリア

 

幽界の分類は人によって異なる。私は意識の指向性が「↑(霊的成長)」か「↓(物的なもの)」かによって分類している。この立場から説明する。なお幽界とは潜水士が海底作業を終えて、気圧を調整しながら水面(→狭義の霊界)に浮上して行く過程のことをいう。

幽界は大きく分けて「上層界、X」と「下層界、Y」に分けられる。幽界の上層界とは、意識の指向性が“上”、つまり霊性の向上に向けられている「霊的自覚(→霊として何をなすべきかを認識した霊)」が芽生えた霊が生活するエリア。これに対して幽界の下層界とは、意識の指向性が未だに“下”、つまり物質界に向けられている霊が生活するエリアとなる。

 

イ、下層界は二つに大別できる

Y―1、奮闘努力が不要「極楽・天国のようなエリア、楽しい思い出が再現されたエリア」

Y―2、意識に深く染み付いた煩悩を鎮めて「魂の歪みを矯正する浄化の為のエリア」

 

この下層界は大きく分けて「極楽のような世界」、つまり「真の意味での創造というものが存在しない」「地球人類の大半が理想郷と見なしている世界」(永遠の大道122④~⑦参照)がある。もう一つのエリア、魂(=意識)に深く染み付いた煩悩を鎮めたり魂の歪みを矯正したりする世界(→カトリックの教理で言うところの“煉獄”のような場所で、苦しみを引き寄せる世界のこと)がある。下層界はこの二つのエリアに大別できる。

 地上生活を終えた他界者のほぼ全ては、中間境を経て親和性によって幽界の下層界に長期・短期の違いはあるが一旦は落ち着く(→無数に存在するY―1の世界に、または無数に存在するY―2の世界に)。これらの界層は霊が地上時代に培った霊的成長に見合ったエリアであり、地上時代の霊性そのままが死後の姿となった住環境である。

 なお「極楽・天国のようなエリア」と言っても、それは他界霊の内面にある思いや願望が外部に現れた世界であり、地上的なモノが再現された世界に過ぎない。意識の指向性が「↓地上的なモノ」に向いている他界霊が集まって生活するエリアのため、階層構造的に存在する霊の世界では低い幽界の下層界に置かれる。

 

④.質問その4

<質問>「シルバーバーチが述べる病気の原因をお尋ねします」

<回答>

ア、シルバーバーチの健康観・病気観

シルバーバーチは「健康とは身体と精神と霊の三者の関係」が調和状態にあること(1127⑫、9171⑧参照)。これに対して病気とは、三者間の調和の欠如によって生命力の流れが阻害され、病的症状が出る状態であると述べる(2193⑬、9171⑦~⑪参照)。

 ここでいう「身体」とは肉体のことであり、“本来の私という意識(→自我の本体)”が地上世界で自己を表現する為にまとう「表現器官」のこと。次に「精神(=心)」とは地上人生を歩む人間の意識、「地上的な自我意識」になる。意識には肉体を持つが故に発生する「本能に起因する意識、及びそこから派生する意識」と、自我の本体である“本来の私という意識”から流れ込む「霊的意識」、この二つの出自が異なる意識が物的脳で統合されて一つになる。これが「精神(心)」(→いわゆる地上的な自我意識のことで、表面意識または顕在意識のこと)になる。三番目の「霊」とは“神の分霊”を内在させた“本来の私という意識”のこと。

 

イ、病気の原因

本来人間は「身体と精神と霊」の三者が調和状態(→この状態を健康と呼ぶ)でなければならないのだが、何らかの原因があって不調和状態になる、この状態を病気と呼んでいる。

 人間はさまざまな場面で自由意志を濫用して、それぞれのレベルに応じた摂理違反行為を日常的に行っている。たとえば暴飲暴食や昼夜逆転の生活など「身体レベル」で、また「精神レベル」では過重な緊張やストレスなどの負荷を日常的に掛けている。さらに霊性の低さに起因する利己主義や貪欲等の「霊的レベル」で、不調和状態を自ら作っている。

 この他に私たちは日常的に“過度の心配や取り越し苦労をする”ことによって、「生命力が流れる通路(→主に中間物質の接合体と物的身体を結ぶ通路)」を遮断してさまざまな病を発症させている。このように霊的摂理に違反することを行った結果、「身体と精神と霊」とが不調和状態となって病が発生する(→但しカルマが原因となって発症する病を除く)。

 

⑤.質問その5

<質問>「瞑想は精神状態が悪いときは避けた方が良いと講座で説明がありました。私は協会の精神統一会に興味があります。しかし身内を亡くして1ケ月程で精神的に参っています。このような状態の者も精神統一会の参加は控えた方が良いのでしょうか」

<回答>

ア、死んでも“私”は生きている

 死とは地上生活にとって必需品である肉体を脱ぎ捨てて、一段波長の高い霊的身体をまとうこと。霊的世界は肉体をまとった物質の世界より波長が高いので、波長の低いこの世から波長の高いあの世は見えない。逆に高いあの世からは、低いこの世が良く見える。

両者に愛の絆があれば、他界者は何くれと残された者に対して、インスピレーションという形で援助の手を差し伸べてくる。但しインスピレーションは波長が繊細なため安定した精神状態の時に受けとれる。残された者が余りにも悲しみに打ちひしがれていたり(→悲しみの涙が他界者を遠ざける)、極端に霊的感受性が弱かったりすると他界者の存在が感じ取れない。

 

イ、精神状態が悪いときの瞑想

一般論から述べると精神状態や身体が悪いときは、波長の低い状態が呼び寄せる低級霊の影響下に置かれるので、そのような状態の時は瞑想は避けた方が望ましい。なぜなら「瞑想や祈り」は「修行」であり「魂の行」なので、無理して焦って行わなくとも、精神状態や身体が落ち着いてから行えば良いというのが私の意見です。

牧師のモーゼスは支配霊のインペレーター霊から「そうした精神状態が呼び寄せる低級霊に憑依される危険からそなたを守るのが精一杯である」「そのような状態の時は我らの世界との交信は求めぬように忠告する」(霊訓下45①~②参照)と言われた。

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