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第8講:意識の変遷・拡大、その1

<目次>

1、さまざまな「私という意識」

・意識とは何か

・三パターンの意識

・意識レベル

2、各段階における意識

・地上人の表面意識

・霊界人の表面意識

3、意識と形体との関係

・「進化」を霊的観点から見ると

・物的形体の創造

4、講座に寄せられた質問

 

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1、さまざまな「私という意識」

①、意識とは何か

ア、一般的な「意識」の説明

シルバーバーチは「意識」を「覚醒している状態」や「自我の本体(本来の私という意識、霊的な心)」、さらには「“神の分霊”が顕現する場所」など、本来の言葉の意味に捕らわれずに極めて広い使い方をしている。このように私たちが日頃使用する「意識」とは違うということに注意する必要がある。

辞書によれば「意識とは目覚めている時の心の状態(覚醒状態)」とある。これが一般的な「意識」の用例である。従来「意識とは何か」については、もっぱら哲学的な面からの解説がなされていた。これが前世紀末の脳科学の発達に伴って、近年では脳機能面から意識を説明する立場が強くなってきている。これは近年に於ける各種計測機器の発達によって、被験者が何らかの動作時に脳内の特定の部位に流れる血流の増加が計測できるようになったことや、脳の機能面の働きが解明されてきたことが大きく影響している。

この脳科学の発達に伴って「意識は脳の神経細胞(ニューロン)が生み出す脳内過程に過ぎない」とする「意識のニューロン仮説」が主張されている。現在では脳科学者を中心として、もっぱら「意識は脳を介しての働きである」と説明されている。この「ニューロン仮説」で言う所の「意識」とは、物的脳を介して表現する「顕在意識(表面意識、現在の私という意識)」のことである。

 

イ、脳とは完全に独立した形の「意識」

シルバーバーチは「意識」を脳に限定せずにもっと広い意味で使っている。例えば「意識は脳とは完全に独立した形でも存在することができる」(3巻194⑩~⑪参照)。「心(→物的な心と霊的な心のこと。通常私たちが用いる心とは物的な心のこと)はそれ自体で存在できる。それを自覚するには何らかの表現器官(→肉体、霊的身体)が必要になる」(メッセージ218③~④参照)。さらに「意識にも次元の異なる側面が無限にある」(7巻189⑥参照)などと述べて、私たちが一般に使用する意識とは別の「意識」の存在を指摘する。

マイヤースも著書『Human Personality and its Bodily Death(人間個性と死後の存続)1903年刊』の中で、「人間の識閾下(→潜在意識)の自我こそが真の自我であり、通常意識はこの真の自我の一断面にすぎない」と述べる。次は意識の代表的な事例を取り上げる。

 

ウ、浅い部分の潜在意識

A、顕在意識と潜在意識の違い

シルバーバーチは「顕在意識(=地上的自我意識)」とは「地上生活にあっては肉体の脳を通して顕現している意識です」(語る186⑧~⑨参照)と述べる。「顕在意識」は脳を介して表現された意識ゆえに肉体本能に強く影響を受ける。その本能とは食欲や休息など生命維持のための要求、肉体の各部位から発せられる生理機能、性欲など種の保存のための欲求、そのほか所有欲や縄張り意識などである。

これに対して「潜在意識とは顕在意識の地下領域に相当する」(4巻156⑨参照)意識のことであり、脳とは完全に独立した存在の意識である。さらに潜在意識とは「貯蔵庫です。記憶の層です」「身体の機能を規制しているものの中の、自動的になった部分のことです」(最後啓示100⑦~⑧参照)と述べる。

 

B、日常生活の機械的な部分の機能

理解のし易さを考えて潜在意識を「浅い部分にある潜在意識」と「深い部分にある潜在意識」に分けて解説する。まず「潜在意識の浅い部分」には、日常生活に於ける多くの“自動的に行われる身体機能”が蓄えられている。なお「人間の潜在意識はそれまでの生活によって働き方に一つの習性が出来ており、一定の方向に一定の考えを一定のパターンで送っている」(4巻167⑨~⑩参照)。

この「潜在意識の浅い部分」には過去の何処かの時点で意識的に吹き込まれた指示と情報が集積されている。例えば赤ん坊の乳を吸う・歩く・語ると言った無意識の一連の機能は意識的な指示が「潜在意識」に仕舞い込まれたもの。脳からの指示に従って動作が連繋的に動くことを身体が覚えたら、「その後の繰り返し作業は(脳からの指示の部分が)潜在意識に委託される」ことになる(メッセージ78⑩~79⑦参照)。

 

C、過去に於いて意識的に取り込んだもの

さらに潜在意識の働きには、しばしば本を読んでいる途中で、これはどういうことだろうかと自問すると即座に答えがひらめくことがある。それは「潜在意識が普段から顕在意識の思考パターンを知っているので、それに沿って答えを生み出すから」(4156⑩~157①参照)である。

 このように「潜在意識の浅い部分」には、多くの機械的・自動的に行われる身体的機能や思考パターンが存在する。さらには成長過程で身に付けた経験や知識、地上生活中に取り込んだ宗教の教義や特定の思想などが蓄積されている。これらは過去の一時点で意識的に脳を介して「潜在意識の浅い部分」に取り込まれた情報である。

 

D、霊媒現象に使用される

なお「霊媒現象のほとんど全部に霊媒の潜在意識が使用されている」(4巻157⑫参照)。この場合に使用される霊媒の潜在意識とは「浅い潜在意識(→今生に於いて顕在意識を通して蓄積されたもの)」に蓄えられた知識や情報のことである。

霊界通信に於ける通信霊は霊媒の「浅い潜在意識」に蓄えられている単語や概念を用いて情報を送るので、それらの蓄積が無いと通信は送れない(個人的存在20⑪~21④参照)。また通信霊と霊媒のオーラの同調具合によっては、霊媒の「潜在意識」にある単語や概念に付着した偏見や思想が強く表に出てしまい、“脚色された通信”となってしまうことがある。

 

エ、「意識」は多重構造となっている

イラストは「意識にも次元の異なる側面が無限にある」(7巻189⑥参照)ことの一例を示したものである。「イラスト①のC」で示した「顕在意識」とは物的脳を介した意識のことで、肉体本能や生理機能の影響を強く受ける。

「イラスト①のB」の「浅い潜在意識」には、過去の何処かの時点で意識的に顕在意識を通して吹き込まれた指示と各種情報が集積している。この「Bの浅い潜在意識」の領域に蓄積された各種情報と地上体験を霊界に持ち帰り「Aの深い潜在意識」に溶け込ませる。「B」はその為の一時的な“地上体験の仮置き場的な領域”となっている。

「イラスト①のA」の「深い潜在意識」には「前世の記憶」が溶け込んでいる。この「イラスト①のA」が「本来の私という意識」にあたる。この部分に“神の分霊”は潜在している。今生における「浅い潜在意識、イラスト①のB」に溶け込んだ地上体験は、最終的には「深い潜在意識、イラスト①のA」に溶け込んで個別霊の霊性レベルの向上に貢献する。

「イラスト①」の“人差し指”は「イラスト②」の“手のひら”で他の指と繋がっている。この“手のひら”は「類魂意識(拡大した私という意識)」のことである。霊界(狭義)にいる個別霊の“人差し指”は「イラスト①のA、深い潜在意識(本来の私という意識)」と、「イラスト②の手のひら、類魂意識(拡大した私という意識)」との切り替えが容易くできる。

 

②、三パターンの「私という意識」

ア、現在の私という意識(イラスト①のC意識)

肉体をまとって地上人生を歩んでいる「私と言う意識」がある。この「私と言う意識」は脳を介して形成される為に肉体本能に強く影響を受ける。これが当講座でいう「現在の私という意識(地上的自我意識、顕在意識)」、上記「イラスト①のC」である。その意識によって作り出された精神や個性が「地上的人物像(パーソナリティ、物的な心)」である。私たちが通常認識できる意識とは「現在の私という意識」である。

地上生活によって作り出されたその人の個性である地上的人物像は、「霊的自覚」が芽生えていない幽界の住人にも、しばしば「地上的人格の残滓」という形で「霊の表面意識」に付着して残っている(→利己的な人や貪欲な人は幽界に行っても「霊的自覚」が芽生えてくる迄は、利己的や貪欲といった個性はそのままの状態で維持している)。

 

イ、本来の私という意識(イラスト①のA意識)

次に「神の分霊(→単に“分霊”や“霊”とも呼ぶ)」を内在させた「私という意識」がある。この意識が当講座でいう「本来の私という意識(自我の本体、霊的な心)」のことである。このことをシルバーバーチは「本当のあなた(→イラスト①のA)はその身体を通して顕現しているもの(→C意識)よりはるかに大きい」(3158⑨参照)と述べている。

なお当講座で頻繁に用いている「本来の私という意識」とは『シルバーバーチの霊訓』で比喩的に用いられている「ダイヤモンド一個分」や「氷山丸ごと一個分」のこと、また「狭義のインディビジュアリティ」のことを指している。但し、シルバーバーチは「ダイヤモンドや氷山」を“類魂(グループ・ソウル)”の観点から述べているが。

 

ウ、拡大した私という意識(イラスト②の類魂意識、手のひら)

“人差し指である個別霊”は、他の“親指・中指・薬指・小指である個別霊”と同一境涯に於いて互いに認識し合う自我、つまり「霊の表面意識」とも呼べる意識を有する(永遠の大道148③~④参照)。

さらに“人差し指である個別霊”は意識のスイッチを切り替えれば、「類魂(グループ・ソウル)」が有する「同一霊格で親和性のある複数の個別霊」によって作り出された「共有状態にある類魂意識」(永遠の大道68⑭参照)の中に容易く入って行ける。この状態にある時「本来の私という意識」は拡張して広がりを見せている。これを当講座では「拡大した私という意識」と呼んでいる(→上記イラスト②の“手のひら”のことで類魂意識のこと)。

 

③、意識レベル

ア、私とは「意識」のこと

“私”とは形体が無い「意識(→本来の私という意識、自我の本体、霊的な心)」のことである。その「意識」が様々なステージで、そのステージの霊的レベルに見合った形体をまとって自我を表現しながら進化している(→イラスト左から右へと進化)。私たち地球人は鈍重な肉体をまとって、地上世界で体験を積みながら霊性の向上に努めている。

 

イ、形体から「神の属性」が滲み出て来る

「本来の私という意識」のレベルが上がれば上がるほど、潜在している“神の分霊”が意識の領域により多く顕在化してくる(→イラスト左から右へ)。その“神の分霊”の顕在化に応じて、分霊内部に存在する「慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善、愛」(1巻19⑧~⑨、154⑭~155③参照)などの“神の属性”は、形体を通して外部により多く滲み出てくる。このように形体から“神の属性”がより多く滲み出ている人は、霊性レベルが高い人と言える。

 

ウ、意識レベルと環境

霊の世界はそこに住まうだけの霊的成長を達成した、その界の環境条件に相応しい霊が霊的親和性によって一緒に生活している(1034③、福音23⑥~⑦参照)。そこは思念が実在となる世界なので(4巻124⑨参照)、住人の思いが周りの環境を作り上げる。そのため思念の波長が合わない霊とは生活を共にできない(続霊訓99⑨参照)。なお住人は同じ発達レベルにあるため、丘や川などの客観的存在物はそこに住む住人にとっては同じように映り、同じように体験することになる(887④~⑤、89⑦~⑨参照)。

 このように各界層は同じレベルの住民の思念で生活が営まれているため(4126②参照)、日頃生活する上で交わる相手は「霊的成長度と霊的能力に於いて同等な人たち」である(福音30③、30⑪~⑫参照)。意識がその界のレベルを超えて進化すると、自然にそこから離れて次の段階に移行していく(メッセージ55①~④参照)。

 

エ、高級霊が住む世界

 高級霊シルバーバーチが住む世界は、適材適所で生きる喜びにあふれた芸術の花が咲き乱れた、光り輝く色彩豊かな環境であるという(2巻158⑪~⑭、9巻22④~⑥参照)。霊界では思念が環境を形成するので、自ずと霊格と環境は一致する。そのため同一霊格で親和性のある霊が集まった高い境涯では、同じような思念をそれぞれの霊が発するため光り輝く環境となる。このような高級霊が住む世界の描写は、地上世界に例えるものが無いので、どうしても抽象的な表現になってしまう。

 

2、各段階における意識

①、地上人の表面意識

ア、霊的意識

A、“神の分霊”を意識の領域に顕在化させる

 個別霊たる人間には全員に「本来の私という意識」に“神の分霊”が潜在している。それ故に霊的に見て(→肉体的には決して同じではない)、人間は肌の色に関係なく生まれながらにしてみな平等である(最後啓示126⑤~⑪参照)。その“分霊”が意識の領域に顕在化している割合は個々人によって異なる(→個別霊は0%~100%の範囲内で顕在化している)。

霊的意識たる「本来の私という意識」の一部は、中間物質(→マイヤース霊の言う“神経記憶たる流動体”のこと)を介して脳に微弱な波動の形で送られるが、その脳には生命維持のための要求(→本能に起因する意識や情報)が各器官から絶え間なく送られてきている。それゆえ脳がよほど受け身的でないと霊的意識から送られてくる高度な情報は、“本能に起因する意識や情報”によって歪められたり着色されたりする(永遠の大道161④~⑪参照)。その為シルバーバーチは瞑想を推奨する。なぜなら瞑想は意識的に“脳を受け身の状態”に持っていく技法であり、霊的意識から流れてくる微弱な波動を感知しやすくなるから。

この世には脳の霊的意識の受信感度の割合に応じて、獣性の強い人(→微弱な波動の霊的意識を受信する感度が低い人)から人格者(→微弱な波動の霊的意識を受信する感度が高い人)まで多彩、それらの人が肉体をまとうことによって隣り合って生活している。

 

B、氷山に例えると

 

氷山は海面上に浮かんでいる部分(→浅い潜在意識)と海面下にあって見えない部分(→深い潜在意識)とに分けられる。この氷山の海面上に浮かんだ部分に蓄積された各種情報と地上体験を霊界に持ち帰る。いわば海面上のB部分は海面下のAに溶け込ませる為の一時的な“地上体験の仮置き場的な領域”となっている。

次にこの“氷山丸ごと一個分”を「本来の私という意識」に例えて、物的脳を介して発せられる顕在意識との関係を説明してみる。一般に脳には霊的意識たる「本来の私という意識」が丸ごと一個分入るだけの容量はない。脳の受信感度が高まって霊的意識を受信できる最大値が増大したとしても、せいぜい海面上に浮かぶ氷山部分が限界となる。この脳を介して顕在意識に上がってきた霊的意識は、地上で物的体験を積む「現在の私という意識(→物的脳を介して意識する私のことで、顕在意識や物的な心のこと)」に、良心や理性と言う形で利他的に影響力を及ぼしている。

 

イ、本能に起因する意識

A、意識は何らかの形体をまとって自我を表現する

形体が無い霊的意識たる「本来の私という意識」が進化して行く為には、この世では肉体という形体をまとう必要がある。そして地上体験を通して「本来の私という意識」の中に潜在している“神の分霊”を意識の領域に顕在化させて行かなければならない。

 

B、物的脳を介して地上的自我を表現する

地上で生活する為には霊的意識たる「本来の私という意識」は、肉体のコントロールセンターとしての機能を持つ脳を介して自我を表現する。この脳を介して形成された自我を地上的自我意識という。Bから流れ出た利他的に働く霊的意識の一部は脳を介することによって顕在意識となるが、肉体を有するが故に利己的に働く「本能に起因する意識」に強く制約される。

平均的人間の地上的自我意識は、一日の大部分は身体的欲求に支配された「本能に起因する意識」によって支配されている(永遠の大道75⑤参照)。それ故に脳から発出される意識の大部分はモノによって支配された状態となっている(→“モノが主、霊が従”の関係)。

例えば腹が空けばイライラし体調が悪ければ気持ちはブルー、私たちは一日中モノに意識が支配された状態となっている。顕著な事例に女性の生理がある。生理という肉体側の事情によって精神状態が振り回される。肉体という物質によって精神が支配される例である。

 

C、肉体を持つが故に働く意識

人間は肉体を維持し保全しようとする意識(→本能に起因する意識)と、自己顕示欲・物欲・名誉欲等と言った“本能から派生する意識”が、「現在の私という意識(→物的脳を介して意識する私のことで、顕在意識や物的な心のこと)」に強烈に影響を及ぼしている(語る186⑧~⑨参照)。そのため意識的に「現在の私という意識(C意識)」を高める努力をしなければ、易きに流れる煩悩に満ちた快楽重視の生活になってしまう。

 

ウ、出自の異なる二つの意識

物的脳の容量には限界がある。そのため脳で受信できる霊的意識(霊的な心)の範囲は、上述したように最大限「海面上に現れた氷山(氷山のBの部分)」、その部分を感知するだけである。この感知した領域から流れ込む利他的に働く霊的意識と、肉体を持つが故に利己的に働く「本能に起因する意識」とが、脳で一つに統合されて地上的自我意識(物的な心)が形成される。各自が行使する自由意志によって、出自の異なる二つの意識のせめぎ合いの中から地上的自我意識は作られる(道しるべ46⑤~⑦参照)。

この世は物質の世界なので余ほど気を引き締めて生活をしないと“安易な生き方”に流れてしまい、顕在意識に上がってくる霊的意識の割合は限りなく低くなる。そのため多くの人は利己性が強調された地上的人物像(パーソナリティ)を形成してしまう。

 

エ、一つの考え方、物的脳の働き

私たちの内面に「怒り、不安、恐怖などの情動」が沸き起こっている時、大脳の奥深くにある大脳基底核(→原始的な感情や意欲である本能や情動を作り出す部位)に存在する「扁桃核や海馬などの大脳辺縁系」が活性化して活発に働いている。大脳辺縁系は原始的な部位で、人間を含めた動物の本能的な行動や感情に深く関わっている場所。

これに対して怒りなどの情動をコントロールする機能、理性的な判断や論理的な思考を司る機能が大脳新皮質の中にある前頭葉と呼ばれている場所に存在する。前頭葉は人間やサルなどの高度に発達した動物の脳に見られる。

 動物的本能に由来する利己的に働く情動は大脳辺縁系を激しく活性化させる。これに対して前頭葉には霊的意識が作用して、ここから発せられた理性的判断は活性化した大脳辺縁系の働きを制御しようとして作用する。この二つの性格の異なる意識が脳を経由して形成された“物的な心”の中で一つに統合されて価値判断が為される。脳の二つの部位で起きる変化(→大脳辺縁系の働きが優位か、前頭葉の働きが優位か)によって、その人の行動が違ってくる。

 

②、霊界人の表面意識

ア、分霊と意識はワンセット

A、シルバーバーチの見解

シルバーバーチは「神は全生命に宿っております。全存在の内部に宿っております。全法則に宿っております」(5140⑪~⑫参照)として、被造物のすべてに神が宿っていると述べる。なぜなら神は創造主だから(1巻196⑤参照)。

さらに神(神の分霊)が顕在化する場所としての「魂とは全宇宙に遍在するものです。“意識”です。一個の身体によって束縛されるものではなく、無限の広がりを持つもの」(12195⑥~⑦参照)とも述べている。ポイントは“意識(魂)”は一つに繋がっているということ。個人の意識は類魂意識に、その類魂意識は“拡大した類魂意識”へと一つながりで繋がっている。“私と言う意識”の進化に伴って徐々に意識が拡大して行くのを自覚するようになる。

 

B、存在の場としての意識

シルバーバーチの言葉から神によって創られた宇宙(1196⑤参照)には、“神の分霊”と「神が外部に向けて顕在化していく“存在の場”としての意識」、この二つ(分霊と意識)が常にワンセットになって万物に組み込まれて遍満していることが分かる。

なおここで言う“意識”とは我々が一般に使用する所の脳を中心とした意識ではなく、潜在している“分霊”が顕在化する場所という意味、“顕現の場”としての意識のことである。顕在化の割合に応じて意識には「次元の異なる側面が無限にある」ので、「神は宇宙の霊的意識の集合体」(7巻189④~⑥参照)とも言える。

 

C、人間にも組み込まれている

個別霊たる人間にも「神の一部である意識」(3113④参照)と“神の分霊”とはワンセットになって個々人に組み込まれている。それ故に「あなたも神の一部なのです」「神はあなた方一人一人であると同時にあなた方一人一人が神なのです」「ミニチュアの神です」「あなた方は神の縮図であり、その拡大が神というわけです」「一歩一歩、無限なる神に近づいて行くのです」(180⑧~⑫参照)とシルバーバーチは述べている(→究極の形体は「私という意識=神の意識」となるのだが「永遠の旅に終着点はない」という)。

 

D、高等意識と表面意識の二重構造

このように霊界人の意識は、“神の分霊”と顕現する場がワンセットとなった高等意識(本来の私という意識)と、同一境涯に於いて親和性がある霊どうしが認識し合う表面意識、この二重構造になっている。

終わりなき生命の旅の道程に於いてこの高等意識と表面意識(→事実上の自我意識のこと)の二つの意識は、進化の各ステージに於いてさまざまな形体を通して発揮されている(永遠の大道67⑰~68⑦、148③~④参照)。

 

E、「二つの意識」たとえ

1800年頃の潜水具は性能が悪く海底作業は困難を極めたという。人間は海底で作業をする場合は潜水具をまとわなければならない。1800年頃の海底作業を例にして、海底を地上世界とし、肉体を潜水具として話を進める。さらに「私とは意識のこと」なので、この観点から“二つの意識”を解説する。

イラストで示したA(本来の私という意識)はクリアな意識状態にある。そのAが海底で作業をする為には、潜水具をまとって海底の水圧・水流と闘いながら、酸素不足でモウロウとした意識状態の中で作業をしなければならない。この制約された意識状態にある私をA-1(現在の私という意識)とする。意識面から見れば海面にいる時のクリアな意識状態が「高等意識(A)」であり、海底に降りた時の意識状態が制約された「表面意識(A-1)」となる。両者の関係はA-1の「表面意識」の奥にAの「高等意識」がある。

この二つの意識のギャップは海底(地上)では最大の開きがあり、「中間境→幽界の下層→幽界の上層→霊界」という具合に徐々に海面に浮上して行くに従って開きは小さくなる。海面(霊界)では二つの意識の開きはなくなり、Aは必要に応じて普段の「表面意識」から容易く「高等意識(→類魂意識に繋がっている)」に意識を切り替えることが出来る。

 

イ、中間境における表面意識

A、中間境は霊的な調整をする場所

   

霊的に見れば「死」とはシルバーコードの切断であり、「死のプロセス」とは物的世界の粗い振動数を持つ肉体を捨てて、霊的世界のより細かな振動数に対応する霊的身体の一種である幽体に“脱皮”していく一連の現象のことである。

 肉体という物的衣装を身に付けた者は、長期か短期かの違いはあるが一人の例外もなく全員が「b、中間境(→中間境とは物質の世界と霊の世界の境界にある領域)」に滞在して、地上世界の粗い物的波長から霊的世界の繊細な霊的波長へと切り替えを行わなければならない。なおこの波長の切り替えは、2000年前地上に誕生したイエス自身も死後の一時期、中間境で暫しの休息を取った際に行っている(永遠の大道114⑭~⑮参照)。

すべての他界者は中間境に滞在中に霊的調整を終えて、身にまとっている中間物質で出来た身体(→半物質状の“接合体・エーテル複体”のこと)からより精妙な霊体(幽体)への切り替え、一種の“脱皮”を行わなければならない。しかし数多い他界者の中には「死の自覚」が持てず、そのため霊的調整がなかなか完了せず、何百年も地縛霊状態を続けて中間境に滞在している者もいる。このような地縛霊は“新調の衣装”である幽体がいまだ完成せず、半物質状の身体を脱ぎ捨てることが出来ないために、いつまでも中間境を抜け出せずにいるからである。

 

B、周囲の環境の振動数と一致

私たち人間が外的環境を感知できるのは、肉体の振動数と周囲の環境の振動数が一致しているからである(永遠の大道114⑥~⑦参照)。また部屋の周囲の壁に硬さを感じるのも、住人と部屋の壁から発せられる振動数とが一致しているから(→物理的心霊現象に“物品引寄せ・アポーツ現象”がある。隣室にある特定の物品の振動数を高めて壁を通過させて、移動した部屋で元の振動数に戻すと隣室に在った物品が現れる現象のこと)。

私たちは死によって肉体を脱ぎ捨てて半物質状の接合体(=エーテル複体)をまとうことになる。中間境はこの半物質状の接合体の振動数と周囲の環境の振動数が一致しているため、他界者は周囲のモノに硬さを感じる。

 

C、中間境滞在者の意識

 一般に多くの中間境滞在者は、一時的な意識の中断を伴った“死の深い眠り”の中で、ある程度の霊的調整が為されている。しかし少数ではあるが「死の自覚(→死んで肉体を脱ぎ捨てて霊の世界に来たという自覚)」がなかなか芽生えず、霊的調整が完了しない者がいる。

このように中間境滞在者は、その表面意識に「死の自覚」を有する者と有しない者とに分かれる。「死の自覚」を有する者はスムーズに霊的調整が完了して、より細かな振動数に対応する霊的身体(幽体)が完成して、幽界の相応のエリアに引き寄せられる(永遠の大道119⑤~⑦、個人的存在38⑦~⑧参照)。ポイントは表面意識の中に「明確な死の自覚」を持つことが出来るか否かである。中間境では他界者の高等意識と霊の表面意識との間には大きなギャップが存在する。

 

ウ、幽界における表面意識

◆イラストの説明、幽界は上層界と下層界に分けられる

・幽界の上層界Xは「霊的自覚」が芽生えた霊が生活するエリア。

・幽界の下層界Yは霊の意識の指向性が「下・物質界」を向いている霊が生活するエリア。

 

・幽界の分類は人によって異なる。私は意識の指向性が「↑、霊的成長」か「↓、物的なもの」かによって分類している。この立場から説明する。

・幽界は大きく分けて「上層界、X」と「下層界、Y」に分けられる。

・幽界の上層界とは、意識の指向性が“上”、つまり霊性の向上に向けられている「霊的自覚(→霊として何をなすべきかを認識した霊)」が芽生えた霊が生活するエリア。

・幽界の下層界とは、意識の指向性が未だに“下”、つまり物質界に向けられている霊が生活するエリアとなる。

 

◆イラストの説明、下層界は二つに大別できる

Y―1、奮闘努力が不要「極楽・天国のようなエリア、楽しい思い出が再現されたエリア」

Y―2、意識に深く染み付いた煩悩を鎮めて「魂の歪みを矯正する浄化の為のエリア」

 

・下層界には「極楽のような世界」、つまり「真の意味での創造というものが存在しない」「地球人類の大半が理想郷と見なしている世界」(永遠の大道122④~⑦参照)がある。

・もう一つのエリア、魂(=意識)に深く染み付いた煩悩を鎮めたり魂の歪みを矯正したりする世界(→カトリックの教理で言うところの“煉獄”のような場所で、苦しみを引き寄せる世界のこと)がある。下層界はこの二つのエリアに大別できる。

・地上生活を終えた他界者のほぼ全ては、中間境を経て親和性によって幽界の下層界(Y―1、Y―2)に長期・短期の違いはあるが一旦は落ち着く。

 

A、地上的習慣が色濃く残る世界

幽界の下層界は「霊的自覚(→霊として今何を為すべきかの自覚)」が芽生えていない霊が住む世界である(885⑪参照)。地上時代の習慣は長い間に形成されたものなので、死んで物的身体を脱ぎ捨てても好みや習慣(2149⑬参照)、人間的煩悩に満ちた貪欲や権力欲などの「地上的人格の残滓」はそのままの形で表面意識の中に存在している(1071⑦、72③~⑨参照)。

 例えば地上で英国風の家を好んで住んだ人は、幽界に来ても英国風の家に住む(2149⑭~⑮参照)。また地上で利己的な人は幽界でも相変わらず利己的である。「霊的自覚」が芽生えてくるまでは、地上時代に培った固着観念などはそのままの状態で存在しており、「思念の表現も極めて地上的で、考えることが全て物的感覚によって行われている」(メッセージ54③~⑤参照)。

 さらに幽界の下層界には“魂の歪みを矯正する世界(イラストY―2)”があり、そこには地上時代に大酒のみであった者や麻薬中毒患者など、同じような性格傾向を持つ一群の霊が引き寄せられて生活するエリアがある。そこの住人は地上の人間で似たような“習性(受け皿)”を持つ者との間で、「感応し合って欲望を増幅する」(1072⑧~⑨参照)という形で満足感を味わっている。

 

B、慣性の法則

死んだ者は霊的には死ぬ前と全く同じであり、単に肉体が無くなっただけで地上時代に形成された「宗教・行為・思念・性癖等」の人間性にいささかも変わりはない。地上時代に培った習性は簡単には変わるものではなく、これらは霊の表面意識の中に存在し続けるので、死んでも人間は変わらないから(→死後個性の存続)。

 物理の法則に「運動している物体はいつまでも等速直線運動を続ける」という「慣性の法則」がある(→摩擦が無い宇宙空間では物体は永遠に止まらない)。この法則を使って表面意識の中に「霊的自覚」を持つまでの他界者の意識状態を説明してみる。

地上時代に形成された「偏見や性癖」、さらに「権勢欲や所有欲」などの意識は、肉体が無くなったからといっても依然として持ち続けている。なぜなら本人が自ら変えようとする意思を起こさない限りは、そのまま「等速直線運動」が肉体から霊的身体へと継続されることになる。意識の表現媒体が肉体から霊的身体に代わっただけであるから。

死後の世界で「霊の表面意識」の中に「霊として何を為さなければならないか」という「霊的自覚」が芽生えてくれば、この自覚が摩擦力として働くことになるので「偏見や性癖」などの意識の持続は徐々に失速して行くことになる。

 このように他界者の表面意識の中に「霊的自覚(霊的覚醒)」が芽生えてくるまでは、地上時代の習性等(→地上的人格の残滓)はそのままの状態で維持されている(724⑫~⑭、福音189②~⑥参照)。人間は死後、誰でも直ちに「本来の私という意識(高等意識)」が自覚できるわけではない。

 

C、意識の二重構造

他界者の意識は物質臭が強い「血縁重視や偏見、性格の偏り」がある「霊の表面意識」と、霊的自覚が芽生えてくるまでは表面に浮上してこない「高等意識(=深い霊的意識、本来の私という意識)」という二重構造になっている(永遠の大道148③参照)。

そのため地上時代の体験によって形成された「利己的、冷酷、享楽的、血縁重視」といった意識は、普段用いている霊の表面意識の中に「霊的自覚」が芽生えてくるまでは存在し続けることになる。物質臭が抜けきらない幽界の下層にいる霊界人とはこのような意識構造を持った霊たちである。

 

D、表面意識に「霊的自覚」が芽生えてくると

幽界において個別霊は表面意識の中に「霊的自覚」が芽生えてくるに従って、次第に霊的進化のスピードが速まり界層の上昇が起きてくる(→幽界の上層界に浮上していく)。そして自覚の深まりとともに“地上時代の記憶の再現”に過ぎなかった意識状態を脱して、徐々に意識の中に秘められた潜在力のすごさを実感するようになる。

この段階になると潜在していたより大きな霊的意識である「高等意識(本来の私という意識)」が、霊の表面意識の中に少しずつ浮かび上がってくるので、次第に帰るべき我が家である「類魂の存在を意識する」ようになってくる。このように同じ幽界でも上層界は、地上時代の記憶の再現や補完に過ぎない下層界とは明らかに様相が異なっている。

 

3.意識と形体との関係

①.「進化」を霊的観点から見ると

ア、“神の分霊”の顕在化

スピリチュアリズムでは霊的意識たる高等意識(本来の私という意識)の中に潜在している“神の分霊”を、より多く顕在化させて行くことを進化(→霊的進化、イラスト左から右へ)と呼んでいる。“分霊”の顕現が増してゆくにつれて高等意識は深まって行く(到来26⑪参照)。霊的意識が深まるにつれて自分の中に無限の可能性があることを認識する(1083⑨~⑩参照)。

 さらに進化に応じて意識がまとう“表現形体(→肉体や幽体や霊体など)”からは、“神の属性(→愛・寛容さ・叡智・親切・優しさ・思いやりの心・協力の精神など)”がより多く外部に滲み出てくる。これに対して形体から残忍さや野蛮さなどの獣性のオーラが出ている場合は霊性の停滞となる(5100⑨、8207②~③参照)。

 

イ、個性が顕著になって行く

A、「神との合一」を否定

シルバーバーチは“創造した者”と“創造された者”が一つになるという意味での「神との合一」は、あり得ないと明確に否定する(福音177④、到来269⑧~⑨参照)。創造した親と創造された子供が一体化するということは、理性的に考えればあり得ないことは分かる。

それでは創造された者が永遠の旅路の最終地点で“神の分霊”を意識の領域に100%顕在化させること、これは可能か(→親から生まれた子供が“完全な子供”になること)。しかしこれも「個的存在としての顕現は永遠に続く」として否定する(新啓示164④~⑦参照)。なぜなら「生命は永遠にして無限」「完全へ向けて絶え間なく努力していくのであり、その過程に“終局”はない」(福音177⑨~⑩参照)、“永遠の旅”には終わりはないからと述べる。

 

B、個性化の道

このように終わりなき旅路に於いて、人間という霊的存在(→個別意識、霊の客観的存在)はどうなっていくのか、消えてしまうのか。シルバーバーチは「オーケストラが完全なハーモニーで演奏しているとき、たとえばバイオリンの音は消えてしまうのでしょうか」(464⑩~65②参照)と述べる。バイオリンという個別意識から発出された音色(意識)が消えてしまうことはなく、ますますオーケストラ全体(類魂)という大きな意識に溶け込み調和が高まって行くと。

 霊の客観的存在である個別意識(→バイオリン)は永遠に存在し「ますます個性が顕著になって」(新啓示163⑬~⑭参照)、内在する神性を発揮する“個性化の道”を深めて行く(→バイオリンの音色が調和して行く)。その過程に於いて意識は徐々にレベルを高めていく。

 

②.物的形体の創造

ア、試行錯誤の過程

生命を宿すところの生命体には、それ独自の発達過程がある(8182⑦参照)。発達過程である「進化」を「小進化(→種の内部での進化)」と「大進化(→種を跨ぐ進化)」に分けた場合、創造説では「小進化」は認めるが「大進化」は認めない。これに対してダーウィンの進化論では「大進化」を認めている。

「意識(→集合魂、グループ・スピリット)」の進化レベルを踏まえて“天使的存在(注1)”は意念で生命体という形体を創造するが、その創造も勝手気ままに行うのではなく、神の摂理の枠内という制約がある。

地球の歴史を振り返れば、“天使的存在”による「意識(イラストABCD)」がまとう物的形体(イラストabcd)の創造過程は、試行錯誤の連続であったことが見て取れる(→造化の天使でさえも完全ではないから)。それは何度かの物的形体の大量絶滅があったことからも窺い知れる(→4億4000万年前のオルドビス紀末、37400万年前のデボン紀末、25100万年前のペルム紀末、19900万年前の三畳紀末、6600万年前の白亜紀末の五回の大量絶滅があった)。

最初に原始的な生命体を創り、その物的形体が所属する「意識の進化(イラストABCD)」状況に見合った形体として適正か否かを確認しながら、そこから次の創造に活かせるものを残して、それ以外の不具合な物的形体を絶滅させてきた。この繰り返しによって、「意識」の「進化」状況に見合った物的形体(abcd)を少しずつ発達させてきた。

 

イ、創造過程は「単純な構造から複雑な構造へ」

A、進化体系に沿った形体を創造

神の摂理の執行者である“天使的存在”は、意念によって「意識」の進化レベルに見合った物的形体を創った。その物的形体は「単純な構造のものから複雑な構造のものへ」という具合に、右肩上がりで発達していった。

 「意識」として存在する初期の段階では、神の摂理の執行者である“天使的存在”は法則の枠内で、生物学の「進化体系」に沿って言えば初歩的な「単細胞生物」の形体を創った。その後「意識」の進化に見合った「昆虫」の形体を創り、次に「魚類」の形体を創った。さらに「意識」は進化し、その進化に見合った「両生類」の形体を、次に「爬虫類」の形体を、次に「鳥類」の形体という具合に創っていった。

 

B、類魂意識に見合った形体を

 その後、霊の世界に於いて「意識」の進化はさらに進み、個別意識の萌芽形態たる「類魂意識(→グループ・スピリット)」を持つまでに進化していった。この段階に至って“天使的存在”はその「意識」の進化に対応した物的形体として、哺乳類に分類されるそれぞれの“種属たるグループ”を、低い哺乳類の“種属”から高い“種属”へと段階的に用意した。

 

C、形体としての霊長類

 その後さらに「意識(→分霊が顕現する“場”としての意識)」は進化し、約6500万年前の白亜紀末に物的形体としての「霊長類」が登場した。“天使的存在”はその「霊長類」という形体を試作品として用いて、何度か手を加えながら個別意識を持つ人間の形体へと発達させた。ただし創ったのは人間の物的形体であって、神の一部である「意識」は無始無終、当初から存在している。

この物的形体を創造する過程に於いて、前の経験は次の創造物の製作に活かす形で活用された。このようにして「意識」の進化に応じた“一連の生命体”が地上世界に出現していった。それぞれ最初の生命体は“天使的存在”が創り、その内部には全ての生殖機能が組み込まれていた。その後は生命体が独自に繁殖して行くことになる(霊の書44①~②参照)。ここに地球上にアメーバ―から高等動物、そして人間に至る出現の順番の根拠が存在する。

 

ウ、発達レベルの異なる生命体が共存する

なお「意識」の進化が進んだ高等動物の物的形体を観察して見れば、その内部に発達レベルの異なる原始的な生命体を複数抱え込んで全体を統合する形をとっていることが分かる(→人体は小宇宙となっている)。このように下位の生命体に進化の場所を提供するということは、高等動物の存在それ自体が一種の“消極的な利他的行為”となっている。

 たとえば哺乳類の腸に住み消化吸収を促す各種バクテリアや細菌、および各種防御機能の働きをする免疫機能などの存在にそれを見ることが出来る(→近年話題に上がっている“腸内フローラ”などはその好例)。これに対して寄生虫やウィルスは外部から体内に侵入して、宿主に寄生して健康を破壊する方向で働いている。このように進化レベルが上位にある生命体の中に、複数の原始的な物的形体をまとった「個々の意識」が住みついて、無意識的に上位の物的形体に従属した形で地上体験を積ませている。

 

4.講座に寄せられた質問

①.質問その1

<質問>「食事に関して、動植物は食べても良いのでしょうか」

<回答>

ア、シルバーバーチの基本的見解

シルバーバーチは「すべての生き物に敬意を抱く」(8巻181③参照)こと、さらに「食料を得るために殺害することは間違い」(道しるべ132④~⑤参照)なので「殺害の観念が付きまとう食料品はなるべくなら摂取しない方が良い」(8巻189⑭参照)と述べる。なお生物は動物と植物に大別できるが、殺害とは動物を殺すことである。

また諸々の事情によってやむを得ず殺害して食料とする場合は、「苦痛を与えない方法を取る」ことや「残酷な殺し方は止めること」(道しるべ132③~④参照)とも述べる。

さらに殺害する際の指標を「意識」の有無に置くとして、「意識を指標とすべきです。意識がある限り、それを殺すことは間違いです」(道しるべ223⑩参照)と述べている。ここで言う意識とは「個別意識と類魂意識(→類魂意識は個別意識の萌芽形態)」のこと。

したがって「動物(→哺乳類のこと、代表的なものとして牛や豚などの家畜)」は類魂意識を有する(8巻206⑧~⑨参照)ので、殺害して食料とするのは間違いとなる。「鳥、爬虫類、両生類、魚」には類魂意識はないので「意識」の問題はクリアできる。しかしこれらを食料とするには殺害しなければならない。そのため“グレーゾーン”となる。

 

イ、肉食に関する結論

私たちが住む地上世界は発展途上にあり、この「未熟な世界に於いては完全な理想が実現されることは期待できない」(道しるべ131⑭参照)と述べる。地球は意識レベルが様々な人間が住んでいる世界である。このことから「肉食はその人個人の判断力に任せる事柄」(最後啓示126③参照)となる。

 

ウ、植物に関して

植物には生命があるが意識はない。「あなた方の言う意識とは違う」(語る436⑥参照)と述べている。さらに「人間は動物を食するために地上に置かれているのではありません。身体的構造を見てもそれが分かります。全体としてみて、人間は肉食動物ではありません」(新啓示21⑭~22①参照)。人間は「菜食動物」として作られている。なおシルバーバーチは「霊媒は大地からの産物のみに限るのが望ましい」(道しるべ131①)とも述べている。この文言は霊媒を念頭に置いて述べているが一般人に対しても同じことが言える。

植物には他の動物を利用して成長している種もある。例えば他の動物に実を食べさせてタネを広範囲に蒔いてもらう。花の蜜を昆虫に与えることによって花粉を運ばせるなど。以上から植物を食しても問題はない。

 

②.質問その2

<質問>「動物の範疇に鳥類を含まないとの事ですが、例えばカラスなんかは相当知力が高いと聞いたことがあります。それこそ動物よりも高い可能性もあるのではないかと思いますが、それも霊界との分類方法が違うという事なのでしょうか」

<回答>

ア、類魂意識を有するのはどこまでか

シルバーバーチは「動物」という言葉をしばしば使用するが、その内容は「哺乳類」を指している。「鳥類」を動物の範疇に含めていない(10202③参照)。

シルバーバーチは「動物の世界には個的意識はなくとも、その奥には類魂としての意識が存在します。動物よりさらに下がると類魂の意識もなくなります」(道しるべ223⑤~⑥参照)と述べる。なお哺乳類に付きどの範囲から類魂意識を有するようになるのかについては、個別の動物名は示していない。

私たちは動物の「形体」の特徴から生物学の分類に従って「哺乳動物」や「鳥類」と区分けしている。これに対して霊界側では「意識(集合魂、グループ・スピリット)」の進化レベルを基準にして見ている。視点の置き所が違うので私たちが用いている生物学の分類法が必ずしも正しいとは限らない。

 

イ、肉食との関係で取り上げている

霊訓で問題にしているのは“肉食と関連した哺乳類”のことなので、少なくとも私たちが肉食という場合にイメージする「牛・馬・羊・豚などの家畜」には類魂意識があることになる。

シルバーバーチは哺乳類と同様にどの鳥類の意識が高いか、個別的には示していないのでカラスに関して霊界側の見方は分らない。私見では霊界側の分類が分からない以上は、生物学の「形体」の特徴に視点を置いた分類に従わざるを得ないので、カラスは「鳥類」となり類魂意識はないということになる。

 

③.質問その3

<質問>「進化という言葉がある以上、霊魂にも退化というものもあるのでしょうか。人間が亡くなった後に動物に退化して輪廻転生することはあるのでしょうか。またはシルバーバーチは輪廻転生について何と言っているのでしょうか」

<回答>

ア、人間は「旅の巡礼者」

*人生は「イラスト左から右」へ進む旅

人生は永遠に続く完成へ向けての絶え間ない過程であり、地上人生はその旅路のほんの一瞬にしか過ぎない。旅人の本来の姿とは「何らかの荷を背負い、困難と取り組む」(152⑨参照)こと。巡礼者に例えられる旅には、足止め(旅の停滞)がしばしば付きまとう。

この世に生まれてくる目的は霊的に成長するためであり、その成長の連続が永遠に続いていく(語る348⑪~349①参照)。巡礼者の旅は“右肩上がり”の旅である。

 

イ、悪人とは未熟な人間のこと

霊性の退化で真っ先にイメージするのは極悪人のこと。シルバーバーチは悪人とは「未熟な人間」「霊的成長に於ける幼児」(5152⑤、152⑨参照)のこと、「善も悪も進化の行程における途中の階梯に過ぎない」(5142⑩~⑪参照)と述べる。

霊性が低いため現段階では判断が歪んでしまい憎しみという形で表現しているから(5151⑥~⑧参照)。なぜなら“神の分霊”の顕現の度合いが低い為に善悪を判断する物差しが歪んでいるから、憎しみという判断しかできないから。

 

ウ、「個別意識」から「集合魂」への逆戻りはない

一般にイメージする「霊性の退化」とは、“本来の私という意識”の領域に顕在化した“神の分霊”の顕現度合いが縮小することだと思われる。しかし一度顕現したものが引っ込むことは有り得ない、その場合は霊性の停滞、足踏み状態として表れる。

霊性の停滞の例として、霊性の高い霊が再生人生に於いて「スピリチュアリズムの普及に関わる」と決意して生まれてきたにもかかわらず、足を踏み外してしまい煩悩まみれの生涯を送ってしまったなどが考えられる(→表面意識と高等意識の不一致)。

 

いったん個別霊の人間として自我意識(→個別意識)を具えたら二度と消えることはない。意識の領域に顕現した“神の分霊”は、地上人生に失敗したからと言って引っ込むことはない。極悪人であっても再び「集合魂」の動物界に戻ることはない(596⑤~⑧参照)。

霊性の汚れが極端な場合は「(個別霊としての)最低界へ沈んで行き、いったん霊の海へ埋没してから(個別霊として再度)生まれてくる。但しその場合は多分この地上ではなく別の天体になる」(続霊訓104⑪~⑬参照)との記載もある。

 

エ、輪廻転生について

シルバーバーチは「従来の輪廻転生説に見られる機械的な生の繰り返しではなく、進化のための埋め合わせを目的とし、しかも生まれ変わるのは同一霊の別の意識層である」(456②~④参照、同趣旨9巻200⑦参照)と述べて、従来の輪廻転生説を否定する。

またモーゼスの『霊訓』にも「輪廻転生の教義は、永遠の向上進化を象徴して作り出された誤り」(霊訓下132⑪~⑫参照)との記載もある。

再生すべき霊は意識が拡大して自分で決意する。意識が拡大することによって凍結中の因果律が解凍して意識の表面に浮かび上がってくる。そして“良心の呵責を覚える”という形で霊的法則違反を自覚して、再生を決意する。再生専門の機関や霊団がいるわけではない。すべて本人の魂自身が決めること(473⑤~⑧参照)。

 

④.質問その4

<質問>「人間の堕胎、人工(妊娠)中絶、ペットの去勢など、自然ではない生命の取り扱いについて」

<回答>

ア、人間の始期

A、地上人生のスタート時期(受精時説と子宮着床時説がある)

一般に地上人生のスタート時期は「受胎の瞬間から人間」になると言われているが(893⑧参照)、この「受胎」という言葉をどのように理解するかは人によって見解が異なる。イラストは人間の始期を「受精時」とするか、「子宮着床時」とするかを表したもの。

一つ目の立場は「受胎」という言葉を「子宮着床時」の意味として理解して、受精卵が子宮に着床する「受精から約2週間後」とする説であり、広く受け入れられている考え方である。この立場では“子宮着床前の胚”は人間ではなくモノ、細胞の塊となる。

二つ目の立場は父方の精子と母方の卵が合体(=DNAが融合)して、結合体である「受精卵が出来上がる時」とする「受精時」説である(453⑨~⑪、メッセージ203⑩~⑭参照)。この立場では受精直後の“初期の胚(→受精時から14日目までの初期の胚)”はモノではなく人間となる。

 

B、シルバーバーチの立場

シルバーバーチは「受胎作用は精子と卵子とが結合して」「自我を表現するための媒体を提供する」ことであり、この媒体に「小さな霊の分子が自然の法則に従って融合」する、その瞬間が「意識を持つ個体としての生活が始まる」時期と述べる(3173⑦~⑫、語る414①~③参照)。

ここからスピリチュアリズムでは「受胎の瞬間」とは、世間で広く理解されている「受精卵が子宮に着床した時」ではなく、父方と母方のDNAが融合して物的な結合体の「受精卵(接合子)が出来上がった時」、つまり「受精時」説をとる(受精卵は人間であるとの立場)。この立場に立って以下の個々の問題について回答する。

 

イ、人工妊娠中絶について

人工妊娠中絶は「罪悪感ある中絶行為」と、選択的中絶や受精卵の破棄などといった「罪悪感の薄い中絶行為」とに分けることができる。なお人間の始期を「受精時」とするシルバーバーチの立場から考えると「罪悪感の薄い選択的中絶」は問題となるであろう。

母親の動機面から「人工妊娠中絶」を見れば、ライン上の一方の端に極めてエゴイズムの強い中絶があり、そこから徐々に動機面で考慮すべき要素が入って来て、その対極に母胎の保護のための緊急避難的な中絶がある。

人工妊娠中絶といってもその内容はさまざまである。高級霊は一様に妊娠中絶行為を「物的身体を奪う殺人と同じ」(8131②~⑩、最後啓示94⑤参照)と述べるが、その際に当然に「動機は何か」が考慮される(8131⑥~⑦参照)。

 

ウ、罪悪感の薄い選択的中絶

A、出生前診断

近年の「生命選択の技術」の進歩は倫理上の新たな問題を生み出した。1980年代に欧米で普及した「出生前診断」では、妊婦の血液を採取して(→採取した血液には母体由来のDNAと胎児由来のDNAが含まれている)、胎児由来のDNAで染色体を調べる。染色体の検査から胎児にダウン症などの異常が見つかると、約9割の妊婦が人工妊娠中絶を選択するという(202141日の朝日新聞記事より)。

これは病気や障害のある人の存在を否定する「命の選別」と言われている「選択的中絶(→罪悪感の薄い中絶)」のことである。

 

B、着床前診断

遺伝病を防ぐ為に受精卵の遺伝子を調べる「着床前診断」は1989年に英国で初めて成功した。「着床前診断」では両親から取り出した精子と卵子をシャーレで体外受精させて、受精した受精卵から一部の細胞を取り出して遺伝子を調べる(→受精卵を傷つける可能性がある)。そして遺伝子に異常のない受精卵一個を子宮に移植するという方法がとられている。

 

C、体外受精

1978年に英国で最初の体外受精児が誕生した。一般に医療現場で不妊治療の一環として行われている「体外受精」は、複数個の受精した受精卵の中から原則として最も形体の良い一個を選び、それを母親の子宮に戻して着床させる(→体外受精の妊娠率は1020%)。

残りの受精卵は妊娠が成功しなかった場合に備えて冷凍保存される。その後不要になった受精卵は廃棄される。日本では廃棄が決まった受精卵を使った研究が行われている。人間の始期を受精時とすると、この受精卵の廃棄は胎児となる「物的な表現器官」の破棄となる。報道によれば2017年の総出産数の16人に1人が体外受精によって生まれているという。

 

エ、受精卵の臨床技術への応用、その他

A、“ヒトES細胞”の研究

受精卵の臨床技術への応用研究は、近年しばしばニュースで取り上げられている。一つにES細胞(=胚性幹細胞)の研究がある。受精後5~7日程度経過した細胞を培養してさまざまな細胞を作り出す技術を用いた研究である。この研究には生命倫理上の問題がある。なおIPS細胞(→ノーベル賞を2012年に受賞した京都大学の山中伸弥氏の研究)の場合は生命倫理上の問題は少ないという。

ES細胞は主に発生工学(→胚に人為的な操作を加えるとか、受精卵へのDNAの注入など、バイオテクノロジーの一分野のこと)や、再生医療等の研究に用いられる。

 

B、「デザイナーベビー」「クローン人間」

*三者が合わさって人間となる、霊が宿らなければ人間ではない

近年ではゲノム編集技術(→染色体の一部を改変すること)を人間の受精卵に用いて、人為的に人間の容姿や能力を変える「デザイナーベビー」の研究や、哺乳類のクローン技術を応用した「クローン人間」の研究なども話題に上がっている。

このような肉体を操作する研究は、霊は予め選択した「人生のテーマ(→新たな体験を積むこととカルマの解消の二つ)」に最もふさわしい“オーダーメードの肉体”をまとって出生する、というスピリチュアリズムの観点から見ても問題がある。

なお肉体に霊が宿らなければ人間ではない(→人間的存在とは霊的要素と物的要素、そして両者を繋ぐ中間物質、この三者がワンセットになったものを言う)。「クローン人間」は霊が宿っていないので“中身のないロボット”である。

 

オ、ペットの去勢

A、二つの立場

最近普及してきた家猫や野良猫の避妊手術は、特に野良猫の場合は増加による糞尿や猫を巡るトラブルの増加に対応する為に行われている事業という。避妊をせず放置しておくと無制限に頭数が増えてしまうので「行政による殺処分を防ぐ」という意味合いもある。

一つ目の立場は、犬や猫の適正な飼育頭数という観点、および人間が生きて行く為の「環境面の整備・健康面の配慮」という観点に立った立場がある(→この立場に立って行われている)。二つ目の立場は、犬や猫は物的形体をまとって地上体験を積むことによって“所属する集合魂”の進化に寄与している、不自然な扱いはすべきでないとの立場が考えられる。

 

B、人間の産児制限の場合は

シルバーバーチは人間の場合「産児制限」そのものについては否定していない。「出産を制限する動機が正しければ少しも間違った事ではない」(8130③~④参照)、また「家族計画は人類自身で解決すべきこと」(1058⑧~⑨参照)と述べる。人間の場合「どうしても生まれてきたい霊は、避妊をしない夫婦を選ぶ」(最後啓示135⑤参照)から。

 

C、自由意志の観点から

人間は個別霊なので「霊性の向上」の道を行くのか、それとも「霊性の停滞」の道を行くのかを選択する自由意志を持っている。これに対して犬や猫などの動物は自由意志を持っていない。種の保存という本能の赴くままに子孫を無制限に産んでいくだけ。

個人的な意見になるが、犬や猫の適正な飼育頭数(→限度を超えた多頭飼育は動物虐待の遠因となる)や人間が生きて行くための「環境面の整備・健康面の配慮」という観点に立って考えて見ると、自由意志を有しない「ペットの去勢」は、動機面が適正であれば霊的摂理に反しないという結論になる(→地域猫という考え方)。

 

⑤.質問その5

<質問>「統合失調症やうつ病などの精神病や精神疾患に関して、また当事者や家族の取り組みなど」

<回答>

ア、統合失調症について

スピリチュアリズムでは統合失調症とは霊媒体質者に地縛霊や邪霊などが憑依して引き起こされる症状のことを言う。現代医学では代表的な「内因性精神病」とされている。病院に入院すると最初に患者に薬を投与して身体を休ませて心身のバランスを図る処置が取られるという。

心身のバランスが回復して「肉体バリア」が元に戻れば、地縛霊や邪霊の影響力が減ってくる。しかし患者の“心の在り方”が従来と変わらなければ、同じ波長を持った別の地縛霊や邪霊が再び憑依してくる(→心が霊を呼び寄せるから)。

 

イ、病気の原因

病気とは「霊(→本来の私という意識、霊的な心のこと)」と「精神(→地上的自我意識、物的な心のこと)」と「肉体」の三者が何らかの原因によって不調和状態になること。

三者が不調和状態になる原因として「身体レベル(→暴飲暴食、昼夜逆転の生活など)」「精神レベル(→過重な緊張やストレスなどの負荷を日常的に掛けている)」「霊的レベル(→霊性の低さに起因する利己主義や貪欲など)」「通路の遮断(→過度の心配や取り越し苦労をすることによって生命力が流れる通路を無意識のうちに遮断している)」がある。

三者が不調和状態となって脳に流れて行く生命力(霊的エネルギー)が枯渇状態になってしまい、その結果として精神疾患が起きている。当事者はその原因を取り除く努力をする。

 

ウ、当事者や家族の取り組み

家族は当事者の健康状態に注意して「肉体バリア」が弱らないようにサポートする(→物的エネルギーが強ければ霊的なものは抑圧状態にある。薬物に手を出す、病気になるなどの例外はあるが現役のスポーツ選手に憑依は見られないという)。家族は本人に規則正しい生活をさせて生活習慣を変えさせる、そのサポート役に徹する。

当事者は基本的な霊的知識を身に付けて「知識で自衛する」こと。当事者の長年の習性や習慣などによって形成された「心の在り方」が、無意識的に霊を呼び寄せているので「意識を変える努力をする」こと。例えば利己主義的な生き方から利他主義的な生き方への転換に努めるなど。家族はそのサポートをする。

精神病や精神疾患は当事者が現状を理解して、自分自身でものの考え方や生活習慣を変える努力をしなければならない。あくまでも主役は本人、家族は脇役に過ぎない。

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

<注1>

◆洋服の仕立屋

人間の成長過程は「子供→青年→壮年→シニア世代」と移っていく。洋服の仕立屋さんは、その人のそれぞれの成長段階に見合ったオーダーメードの洋服を作っていく。小学生に似合う子供服、社会に巣立っていく青年のためのスーツ、社会の第一線で働く壮年に見合ったスーツ、そしてシニア世代に見合った渋い色柄のスーツ等という具合に仕立てていく。

 一人の人間が成長するに従って自分の考えを持ち、それを主張して自己の価値観が形成されて、それが生き方に反映していく。内部にあるものが外部に現れていく成長過程をたどる。その成長過程に見合ったスーツを、物質界における物的形体と置き換えるわけである。

 

◆完成度の低いものから高いものへ

「意識」が進化していくためには、地上体験を積む必要があり、そのためには物的形体を身にまとう必要がある。例えば「意識」は進化レベルに見合った「単細胞生物的なスーツ」→「多細胞生物的なスーツ」→「〇〇〇〇的なスーツ」→「脊椎のある魚類的なスーツ」→「両生類的なスーツ」→「爬虫類的なスーツ」→「鳥類的なスーツ」→「哺乳類的なスーツ」へとスーツのランクを上げて行く。そして「個々の意識」は「意識」の進化レベルに見合ったデザインのスーツを羽織って、地上体験を積んで行く。完成度の低いものから高いものへと漸進的にスーツのデザインが変化して、それに応じて物的体験も深まっていく。

 ダーウィンが述べたような“スーツそれ自体”がゆっくりと、漸進的に、または突然変異的に、一段階上のデザインのスーツに進化していくのではない。「意識」が進化するのである。

 

◆仕立屋の正体は誰か

一般的な解説では「意識」の進化に見合った時点でまとう物的形体は「神の創造行為によって準備される」と説明されている。実際には上記の例えでいう「仕立屋」が物的形体を創造するわけだが、彼らの正体は神の創造行為に際して、具体的な「執行者(→宇宙の経綸を担当する)」という形で関わりを持つ「天使的存在(造化の天使)」である。彼らが神の意志を代行して、「意識」の進化の程度に見合った物的形体を意念で作り出している。

 このように進化を、ダーウィンの物的形体の連続進化という観点からではなく、「意識」の進化という霊界側からの視点で見るわけである。進化論は霊的存在を認めていないので、物的形体の中で理論を完結させなければならないという欠陥を持っている。「意識」の進化レベルに見合った物的形体が用意されており、それを身にまとって地上体験を積んで、その体験を霊界に持ち帰って「意識」が進化していくわけである。

 

 

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