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第9講:意識の変遷・拡大、その2

<目次>

◆はじめに

1、再生について

・再生は異論の多いテーマ

・何が再生するのか

・何のために再生するのか

・再生回数のカウントの仕方

・地上人生を承知して再生する

・地上体験を持ち帰る―意識面から見ると

2、意識が拡大する

・「類魂・再生」という考え方

・霊の形体面から(客観的存在、本来の私)

・平面的に意識が拡大する(主観的存在、拡大した私)

・立体的に意識が拡大する(主観的存在、拡大した私)

・中心霊の部分的側面

3、その他の問題

4、地球人が目指す「地上天国」という世界

5、講座に寄せられた質問

 

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1、再生について

◆はじめに

現在、地上で見せている私という意識は、“本来の私という意識(自我の本体、霊的な心)”のホンの一部に過ぎない。それをシルバーバーチは類魂の視点からダイヤモンドに例えて述べている(462②~③参照)。今回は「意識の広がり」という観点から、前回に引き続き意識に焦点を置いて、難解なテーマである「再生・類魂」を概観して行く。

 

①、再生は異論の多いテーマ

ア、古代社会の再生観

 世界各地に残る「死者の世界」に関する説話や、「循環的再生観」を表現した考古学の出土品(→妊産婦の土偶等)などから、古代社会では「死の向こう側には死者の世界がある」と考えていたことが窺える。その死者の世界から現世に生れ出るという再生説は、洋の東西を問わず古代から存在していた。

例えば古代ギリシャの密儀宗教には「肉体は霊の牢獄」という観念があり、「再生を繰り返す肉体の桎梏から霊魂を解き放ち、より高次の神的合一の境地に達することが究極の目標とされ、その為に秘儀により、魂を浄化することが必要と信じられた」(丸善『宗教学事典』2010436頁)。また古代インドでは、再生思想と業(カルマ)を組み合わせた「輪廻転生説」があった。仏教では輪廻転生を繰り返す状態を苦として、この苦の状態から脱して永遠の安らぎの境地に達することを究極の目標とした。

 

イ、大まかな区分け

霊界通信の多くは物質性が濃厚な地上的波動から脱しきれていない幽界の霊からのもの、その為それらの通信には再生を否定するものが少なからず見受けられる。しかし20世紀半ば以降に『マイヤースの通信』や『シルバーバーチの霊訓』などの再生肯定説(→“本来の私という意識”の一部が再生するという説)が次第に浸透していくに従って、再生否定説は後退してきている。

大まかに分類すれば「古代インド思想、神智学、人智学」や「スピリティズム(ラテン系スピリチュアリズム)」は再生を肯定している(アラン・カルデック著『スピリティズムによる福音』幻冬舎ルネッサンス490頁参照)。これに対して一世代前の英米のスピリチュアリストには再生を否定する者が多い。代表的な再生否定論者にはD.D.ホーム(=D.D.ヒューム)やW.Sモーゼス。さらには「再生に付いては、科学的に証明できる証拠がありません」(アーネスト・トンプソン著『近代神霊主義百年史』237⑬参照)として再生を否定した週刊心霊誌『ツーワールズ』の主筆アーネスト・トンプソンなどがいる(注1)。また高級霊シルバーバーチの霊媒のバーバネルも否定論者である。

但しここで言う「再生」とは、シルバーバーチが述べる再生とは異なって、私という地上的自我意識によって作り出された精神や個性(→地上的人物像・パーソナリティー)が、同一性を保ったままの状態で丸ごと生まれ変わる「全部再生説」のことを言う。例えば前世は〇〇国の王様で、その前は学者であったなどが典型例。

なおシルバーバーチとバーバネルが別人格であることを示す有名な言葉に「私は再生を認めておりますが、このバーバネルは認めようとしません」(9162③~④参照)がある。再生についてシルバーバーチ自身「私にも(再生の)体験がある」(1173⑩参照)、また「私は現実に再生して来た人物を大勢知っている」(695⑥~⑦参照)とも述べている。

 

ウ、不一致の理由

霊界通信に見られる不一致の理由を、シルバーバーチは「死後の世界が地上のように平面的でなく段階的な内面の世界だからです。その段階は霊格によって決まります。その霊的段階を一段また一段と上がって行くと、再生というものが厳然と存在することを知るようになります。もっともその原理はあなた方が想像するような単純なものではありませんが」(122⑪~⑭参照)、「まだその事実を悟れる段階にまで達していないから」(4巻65⑥~⑦参照)と述べている。

モーゼス著の『続霊訓』には「霊の再生の問題はよくよく進化した高級霊にしてはじめて論じることのできる問題である」(続霊訓132⑬参照)との記載がある。霊界に於いても“再生が認識できるレベル”にまで霊性が向上しないと理解できないテーマなので、霊界にも再生の事実を知る者と知らない者とが存在することになるからである(1173⑦~⑩参照)。

 

②、何が再生するのか

ア、用語の整理

シルバーバーチは再生を「ダイヤモンド」や「氷山」(695⑩~⑪参照)を使って説明している。その際に「ダイヤモンド」を類魂の視点に立って用いているが、当講座では「ダイヤモンドや氷山は個別霊」として、個別霊(→本来の私という意識)を中心に据えて解説している。その理由は最初から難解なテーマである類魂から入って行くのではなく、まずは「個別霊とは何か」を理解した上で、段階を踏んで類魂を考えた方が全体の理解が容易になると考えたからである。

 さらにシルバーバーチは「インディビジュアリティ(意識の総体)」という言葉を度々使っているが、当講座ではこれを「狭義のインディビジュアリティ(→客観的存在、本来の私という意識)」と「広義のインディビジュアリティ(→主観的存在、拡大した私という意識)」の二つに分けて用いている。後者の「広義のインディビジュアリティ」とは「類魂意識(→同一霊格で親和性のある複数の個別霊が作り出す共有状態にある意識)」のことである。

 

イ、霊的意識の一部が地上に再生する

氷山一個分を霊的意識(本来の私という意識)として説明する。海面上の氷山部分Bが地上で“私という意識(顕在意識)”によって利用可能な霊的意識となる(→今回の地上人生で遭遇するあらゆる体験や知識を取り込む為の貯蔵庫や記憶の層となっているのがB)。そのため霊的意識の一部である「イラストBが地上に再生する」という表現になる。

なお意識の分類から言えば「イラストB」は「浅い部分にある潜在意識」であり、地上体験や思想などを「イラストA」に溶け込ませるための一時的な“仮置き場的な領域”となっている。死後に幽界の下層界でBに取り込んだ地上体験を客観視できるまでに昇華させると、次第に氷山は海面下に沈んでBAに溶け込む。

利他的に働く霊的意識である「イラストB」は、物的脳に流れ込んで顕在意識を形成する。霊は物的世界では肉体という衣装をまとって自我を表現するため、微弱な波動の霊的意識は利己的に働く本能に起因する意識(→食欲・性欲・所有欲・縄張り意識・生命維持の欲求など自己保全に働く意識)によって強く制約を受けることになる。この世は「モノが主、霊が従」の関係にあるから。

この霊的意識と本能に起因する意識という出自の異なる“二つの意識”が、物的脳によって一つに統合されて「イラストC」の顕在意識となり、今生を生きる「地上的人物像(パーソナリティー)」という個性が形成される。

 

ウ、一つの意識に溶け込む二つの部分意識

この世に出現した地上的人格の「現在の私」と「前世の私(→イラストAの中に溶け込んでいる)」との関係は、「地上的人物像(パーソナリティ)」から見れば全くの別人であり同一性はない。「本来の私という意識」から見て初めて同一性があると言える。実際は「本来の私という意識」に溶け込んでいる「前世の私」と「現在の私」という二つの部分意識である(→二人の人物となるが、実際は一つの個体の二つの側面:695⑬参照)。

 

③、何のために再生するのか

ア、地上は混在社会

この地球という物的世界で一定期間を過ごすためには、自我の本体たる「本来の私という意識」は肉体をまとって“自我(→地上的自我意識)”を表現しなければならない。肉体をまとうことによって本来の世界では霊的周波数の違いから交わることがない、さまざまな霊的レベルにある霊が地上と言う同一平面上で混在し合いながら生活することができるようになる。

これに対して霊界は、霊的意識が発する周波数が同じで、さらに相互に親和性のある霊が集まって生活している均一な世界である。このような違いが両者にあるため、私たちは霊界では体験できないことを地上で、直接にあるいは間接に体験することができる。そのため地上は霊性向上の為に学ぶ機会に数多く出合える場となっているので、しばしば「学校」に例えられる。

 

イ、地上人生で達成すべきテーマ

地上人生で達成すべき「再生・地上人生のテーマ」には次の二つの側面がある。一つは「個別霊の観点から見た再生テーマ」であり、個別霊が過去の地上人生で作ってしまった地上でしか償えない性質を持ったカルマの解消という側面がある(10123⑧~⑨参照)。霊界で引き続き霊的成長の道を歩んでいくためには、自らの“意識の領域”に存在する霊的進化の足を引っ張るカルマを、何らかの行動によって消して行かなければならないから。

 さらに「霊的家族(→類魂、拡大した私という意識)という観点から見た再生テーマ」がある。これは霊的家族全体が霊性を向上させるために、新たな地上体験を積むという側面である(4巻64⑦参照)。個別霊は霊界の相応の界層で、同じ霊的レベルで親和性のある他の個別霊と「霊的家族」という集団を作って、体験を共有しながら霊的成長を図っている。この集団は単なる個別霊の寄せ集めとは違い「大きな意識体を構成する集団」である。「その全体の進化の為に各自が体験を求めて物質界にやってくる」(語る319①~②参照)。

この他に「地上で奉仕的な仕事に献身したい」として再生する霊や、「特殊な使命を託された霊」もいる。このような自覚を持った霊は、自らの意志で自発的に再生する(10131③、4204⑫~⑬参照)。なお再生すべき霊は「意識が拡大」して自分で決意して再生する(473⑤~⑧参照)のであり、他者から強制されて再生するものではない。

 

④、再生回数のカウントの仕方

ア、テーマの達成という観点から見ると

巷には「再生回数」に関してさまざまな説が唱えられているが、何を持って「再生一回とカウントするのか」という肝心な箇所が明確ではない。当講座でのカウントの仕方は「地上人生で達成すべきテーマ」を重視して、これが達成されて初めて「一回」と数える立場を採っている。この立場では霊界の霊的家族から地上に生まれ出て、地上人生の中でテーマを達成して再び霊的家族に戻ってくる、その期間を「再生中」とする。霊的家族に戻って来て初めて「再生一回」とカウントする。

 霊界通信で定評ある「マイヤースの通信」には「一個の霊が、機械が回転するように生と死を繰り返したという例証を私は知らない。百回も二百回も地上に戻るなどと言うことは、まず考えられない。その説は明らかに間違っている」(個人的存在92⑥~⑧参照)。そして「大部分の人間は(再生回数は)二回から三回、ないしは、せいぜい四回くらいなものである」(個人的存在93②参照)との記述がある。ここからマイヤース霊は再生回数を「地上人生でテーマを達成する」という観点から述べていることが推測できる(同趣旨4巻58④~⑤参照)。

なお守護霊役の個別霊は、再生霊が地上に再生して遭遇する困難や障害を“魂の磨き粉”にして「地上人生でテーマの達成」に果敢に挑戦し、これをクリアして再び「霊的家族(類魂)」に戻ってくるまでの全期間その任に就くとする立場をとる。

 

イ、再生カウント

再生カウントの仕方には「何回、地上的人格が出現したか」に主眼を置いて数える「広義の再生カウント」と、「再生・地上人生のテーマ達成」に主眼を置いて「個別霊が霊的家族を出て、再び霊的家族に戻るまでを一回」と数える「狭義の再生カウント」の二つがある。

 

<広義の再生カウント>

多くの再生事例の中には「個別霊Aの部分意識A—1(地上的自我意識)」は再生テーマを達成できずに、苦難に耐えきれず自殺をしてしまったなどの理由から霊的家族には戻れずに、幽界の下層界からUターンして地上に再び生まれ出る場合がある。

このように幽界の下層界からUターンして再び地上に生まれ出た場合は、前回(A―1)とは違う地上的人物像の出現なので(→個別霊Aの部分意識A―2として再生)、地上的観点から見た「広義の再生カウント(地上的人格の出現回数から)」では新たな「再生」としてカウントされる。前回の人物像(A―1)と今回の人物像(A—2)は全くの別人だから。

 

<狭義の再生カウント>

これに対して地上人生でテーマを達成して初めて1回とカウントする「狭義の再生カウント」の立場からは、この場合はいまだ再生継続中となる。なぜなら「A―1」も「A―2」も「個別霊A」から見れば、同じテーマの達成に果敢に挑んでいる「一つの個体の二つの側面」(695⑬参照)で同一だから。

この幽界の下層界からUターンして地上に誕生するケースでは、「地上人生に於けるテーマ」は未達成の状態にあるので、霊界で待つ「霊的家族(類魂)」のもとには戻れない。このようにAの「再生・地上人生のテーマ」はいまだ継続中となっているため、守護霊の任務も引き続き遂行中となる。霊的家族のもとに帰還して初めて守護霊の任務は解除になる。

 

⑤、地上人生を承知して再生する

ア、潜水作業を例にして説明する

A、二つの意識状態

水深100mで行う特殊な潜水作業(飽和潜水)を例に挙げて「地上人生を承知して再生する」を説明してみる。潜水士は海底作業をサポートする支援船の上で、同僚と共にこれから海底に降りて行う作業の手順や、持参する装備品をチェックする。海底に降りれば「水圧・潮流・水温・暗さ」などの影響を受けながらの海底作業となる。海底での潜水士の意識状態は支援船にいた時のクリアな意識状態とは異なり、水深100mという条件の下で制約された意識状態に置かれる。そのため準備を念入りに行う必要がある。

この支援船の世界が本来の住処である「狭義の霊界」であり、船上で支援する同僚が「霊的家族のメンバー」である。支援船にいる時の意識状態が「A、本来の私という意識」。そして海底が「地上世界」であり、その時の意識状態が「A―1、現在の私という意識」である。さらに潜水具が「肉体」となる。

 

B、海底作業に例えると

上記のイラストを使って説明する。海底で何の作業を行うのか、例えば沈没船の引き上げ作業か、海底トンネルの建設作業かなど、これが「P、再生・地上人生のテーマ」である。また水深10メートルでの作業か、100メートルを超える水深での作業かの違いによって困難さの程度が異なる。これが「Q、物的試練」である。潜水時間が「R、寿命」となる。さらに飽和潜水の海底作業(→地上体験)に際して持参する装備品(→ハンディキャップ)が、「S、国・民族(4巻68⑨~69②参照)」「T、家庭環境」「U、性別(4巻69③~④参照)」「V、体質・気質・才能・障害の有無」「W、両親」である。

 これ等をまとめると次のようになる。潜水士は潜水可能時間内(R、寿命)で持参した装備品(SW)を使いながら、海底に沈んでいる沈没船の引き揚げ作業に果敢に挑戦して(Q、物的試練)、所期の目的である引き揚げ(P、再生・地上人生のテーマ)の達成を図る。さらに海底に降り立った時の意識状態が「A―1、現在の私という意識」となる。この海底における意識(A―1、現在の私という意識)は船上にいる時のクリアな意識(A、本来の私という意識)に対して、重い潜水具を装着して「高い水圧・早い潮流・低水温・暗さ」等の影響を受けながら、海底作業に専念しなければならないので制約された意識状態に置かれる。

 

C、「本来の私」が決定した大枠

支援船にいる時の潜水士(A、本来の私という意識)は、海底作業における作業テーマ(P、再生・地上人生のテーマ)を達成するために、海底での作業手順(→地上人生の大枠のこと)を自らの自由意志で決定する。この「A、本来の私という意識」が決めた海底での作業手順は、現実に海底で潜水具を装着して作業する潜水士(A―1、現在の私という意識)から見れば、海底作業の大枠はすでに決まっているとなる。好き勝手に潜水士のA―1は海底作業を行っているわけではない。

 

D、「現在の私」から見れば大枠は宿命

大枠(→海底での作業手順)の中で「A―1、現在の私という意識」は、遭遇する試練に対して自由意志(→現場サイドの裁量の範囲内での自由意志)を行使しながら地上人生を送っている(→海底作業を行っている)。この制約された意識状態にある「A―1、現在の私という意識」は、「A、本来の私という意識」が決めた工程どおりに作業を進めて行く。

以上から「A、本来の私という意識」から見て海底作業の大枠を承知して「A―1、現在の私という意識」は海底に降り立ったとなる。このように考えれば地上的観点(→現在の私という意識、海底からの視点)からではなく霊的観点(→本来の私という意識、支援船からの視点)に立って、始めて“地上人生を承知して出生した”と言えることになる。「A―1、現在の私という意識」から見れば人生の大枠は宿命となる。

 

イ、物的試練

今回の地上人生で「P、再生・地上人生のテーマ」を為し遂げるために、「本来の私」である個別霊Aは最も適した「Q、物的試練」を選ぶ。代表的な物的試練の一例として「人間関係の問題(→家族関係、夫婦関係、職場や地域の人間関係など)」や「所有欲の問題(→物欲、金銭欲、一般的な所有欲など)」や「愛情の問題(→家族愛・夫婦愛など、性の問題、LGBTなど)」がある。

個別霊Aが選んだ物的試練「Q(→例えば人間関係)」は、「Aの地上的人格(A―1、現在の私)」が生きている時代背景やその時の境遇に最も適した形にアレンジされて、まず「Q―①(家庭や学校の人間関係)」として、次に「Q―②(職場の人間関係)」として、最後に「Q―③(地域社会の人間関係)」という形で面前に順番に登場してくる。これらの試練に対して「A-1(Aの地上的人格、現在の私)」は、自由意志を行使して「上(霊性レベルを高める方向)」に行くか、「下(霊性レベルの停滞を招く方向、負のカルマを作ってしまう方向)」に行くかを選択して、自らの地上人生を切り開いて行く。

 

ウ、「R寿命」「S民族」「W両親」という条件

次に個別霊Aは「Q、物的試練」を無理なく体験できる「R、寿命」を設定する。寿命には“糊代部分”がある(→諸事情によって寿命は伸び縮みする:482③~④参照)。肉体は一種の機械なので乱暴に扱えば耐用年数を待たずに壊れる。壊す意図で乱暴に扱えば自殺となるので、ここでは壊す意図はないが無知から乱暴に扱う場合を指す。例えば荒れた生活や暴飲暴食漬けの生活など。またメンテナンスを欠かさず丁寧に扱えば耐用年数を超えて長持ちする。この範囲を寿命の“糊代部分”と呼ぶことにする。

さらに個別霊Aは上記の「P、再生・地上人生のテーマ」と「Q、物的試練」と「R、寿命」に最も適した「S、国・民族(先進国、最貧国、紛争地など)」「W、両親」「T、家庭環境(富裕層の家庭、貧困家庭、黒人や白人の家庭など)」「U、性別(目標達成に最も適した性別)」「V、体質(霊媒体質、気質、身体障害など)」の出生条件を選択する(469①~④参照)。

 

エ、人生の大枠の中で背負う荷物

地上に誕生した地上的人格の「A-1」は、Aが選定した枠内に於いて地上人生で達成すべきテーマである「P、再生・地上人生のテーマ」をやり遂げるべく、“自由意志(→現場サイドの裁量の範囲内での自由意志)”を行使しながら地上生活を送っていく。いわばAが自ら設定した「筋書(大枠)だけの台本」を、自分の一部である「A-1」は自由意志を行使しながら、大枠だけの人生にいろどりを添えながら演じていくようなもの。

このように「本来の私(個別霊A)」が「P、再生・地上人生のテーマ」達成の為に設定した「人生の大枠」に、さらにプラスして地上人生で“背負う荷物(→国・民族、両親、性別、肉体条件など)”が、「本来の私、A」から地上的人格たる「現在の私、A-1」にハンデキャップ(→最も効率よくテーマを達成するための道具)として課せられる。それらの荷物を背負って、大枠という条件の中で「A-1」は自由意志を行使しながら、今回の「P、再生・地上人生のテーマ」を決められた「時間内(寿命)」に処理していく。

 

⑥、地上体験を持ち帰る―意識面から見ると

ア、意識の区分け

◆A意識

人間の深い部分にある霊的意識(深い潜在意識)、つまり高等意識(本来の私という意識)のこと。氷山丸ごと一個分を霊的意識とすれば、A意識は“海面下に隠れている氷山部分”のこと(→B意識は最終的にA意識に溶け込む)。

◆B意識

氷山丸ごと一個分を霊的意識とすれば、B意識は“海面上に浮かぶ氷山部分”のこと。脳を介して形成される“地上的自我意識(→現在の私という意識、顕在意識)”に影響を及ぼす霊的意識である。比較的浅い部分にある霊的意識(浅い潜在意識)のことで(→このB意識が地上に再生する意識層)、この部分に地上体験や知識を取り込み、そこから物質まみれの地上臭を拭い去って(→生々しさを払拭して客観視できるまでに昇華させる、無害化させる場所が幽界の下層界)、A意識の中に溶け込ませる役割を担う意識のこと。地上体験や知識等の一時的な“仮置き場的な領域”となっている。

◆C意識

物的脳を介して形成される“地上的自我意識(→顕在意識)”で、出自の異なる利他的に働く霊的意識のB意識と肉体を持つがゆえに利己的に働く“本能に起因する意識”、この二つの意識のせめぎ合いの中からC意識が作られる。

この意識の区分けを使って、以下に於いて再生を意識面から解説して見る。

 

イ、出生準備段階

    *A意識とB意識の仕切り線は点線

地上に再生することが決まれば個別霊は「待機状態」に入る。この段階になると個別霊の霊的意識(A意識)の中に、専ら地上的自我意識(C意識)に影響を及ぼす霊的意識(B意識)、地上体験で色付きとなる霊的意識がB意識として区分けされる(→例えば氷山が浮上して海面上に顔を出す、ダイヤモンドにカット面が出現するなど)。このB意識が地上に再生する意識層となる。この段階ではいまだ霊的意識のA意識とB意識の境界線は未完成(点線)の状態にある。

 

ウ、地上時代(幼児期)における特徴

A意識とB意識、B意識とC意識の仕切り線は点線

幼児期段階では霊的意識のA意識とB意識を仕切る境界線の壁はいまだ未完成(点線)である。そのためA意識に溶け込んでいる「前世の記憶」は、未完成のA意識とB意識の壁を通過してB意識に入り込み、そして条件が整った時点で幼児の顕在意識たるC意識に浮き上がってくる。これが時々出現する「前世を話す子供」の再生話のメカニズム。

 

エ、地上時代(10代以降)における特徴

A意識とB意識、B意識とC意識の仕切り線は実線

A、自我の確立期

子供は10歳代に訪れる自我の確立期を経ると、霊的意識のA意識とB意識を仕切る境界線の壁は完成(実線)する。これ以降、再生霊は地上的自我意識が確立して地上体験を積み重ねていくと、霊的意識のB意識(→浅い部分にある潜在意識)は特定の教義や世界観で独特な色に染まって行く。

 

B、地上体験をB意識に溶け込ませる

 本来、人間は霊であるので高等意識(本来の私という意識、A意識)のレベルに相応した霊的知識を有している。その霊が再生して新たな地上体験を積んで霊界に持ち帰る為には、B意識を地上体験という色で染めて、そのB意識を最終的にはA意識に溶け込ませる必要がある。

その為には霊的意識(A意識とB意識)に通常の状態では意識できないように“蓋”をする。そして地上的自我意識(C意識)に地上体験を積ませて、人生は「死によって終了するのではない」ということを学ばせて、本人の生き方を変えていく。その生き方を変えて行く過程の体験を浅い部分の潜在意識(B意識)に溶け込ませて、最終的にA意識に持ち帰るのが本来の姿。

 しかし多くの人は年齢を積み重ねて行くうちに、B意識には長い間に習慣化・パターン化した悪癖や動物性が過度に強調された性癖、さらには偏見に満ちた固着観念や宗教の教義、記憶としてため込んだ思想や知識などが溶け込んでいく。人によっては「残忍さ・傲慢さ・貪欲・淫乱」等といった歪んだ欲望が過度に強調された意識、その意識がその人の地上的人格の一部となってしまった者も当然に出てくる。

 地上生活で取込んだ雑多な体験から地上的人格の残滓(→偏見に満ちた固着観念、性格上の独特な癖、歪んだ欲望など)を取り除いて、霊的家族の下に持ち帰る体験に加工する場所が次の幽界の下層界。

 

オ、幽界の下層における特徴

A意識とB意識の仕切り線は実線、C意識は点線

地上時代の習慣は長い間に形づくられてきたものなので、死んで肉体を脱ぎ捨てても好みや習慣、人間的煩悩に満ちた意識は存在している(2149⑬~⑮、724⑫~⑭参照)。この意識は「地上的人格の残滓(C意識)」として、幽界の下層界で生活する他界霊の表面意識(B意識)の中に「霊的自覚(霊的覚醒)」が芽生えるまでは存在する。

数多い他界者の中には、地上人生が“動物性を過度に発現”させるような体験を積んでしまった者もいる。これらが「地上的人格の残滓(C意識)」として、または“ケバケバシイ色合い”で着色されたB意識として存在している。これらの地上体験をA意識に溶け込ませて、再生人生に於いて霊的家族の下に持ち帰るべき地上体験とする為には、一種の“無害化という作業(→生々しい体験を客観視できるレベルにまで昇華させる)”を行う必要がある。その場所が幽界の下層に広がる浄化の為の世界である。

 

カ、幽界の上層における特徴

 A意識とB意識の仕切り線は点線

他界霊は幽界の下層界で生活していくうちに「霊的自覚」が芽生えてくる。「霊的自覚」の芽生えとともに次第に「地上的人格の残滓」であるC意識が消えて行く(→その結果、界層の上昇が起きる)。それに応じてA意識とB意識を区切る境界線も次第に崩れていく。A意識(→本来の私という意識)が他界者の表面意識に浮き上がってくるに従い、徐々に帰るべき我が家(→類魂、霊的家族)を意識するようになる。

 

キ、狭義の霊界における特徴

霊界(狭義)では個別霊であるA意識は、霊的レベルに応じた“何らかの形体(→霊的身体)”をまとって自我を表現している。その個別霊は形体面から見た客観的存在(→形体を具えた個別意識)と、意識面から見た類魂の一員という主観的存在(→類魂意識)の二面を併せ持っている。個別霊の“深い霊的意識(A意識)”は「同一霊格で親和性のある複数の個別霊の意識(類魂意識)」と繋がっている。

幽界の上層に於いてB意識の中に蓄積されている“無害化”された地上体験は、A意識とB意識を隔てていた境界線の壁(→点線や実線)が消滅することにより、A意識の中に溶け込み混じり合う。B意識がA意識の中に溶け込むことによって“類魂・霊的家族のメンバー”もその地上体験を使用することが出来るようになる。

 

2.意識が拡大する

①、「類魂・再生」という考え方

再生のテーマを突き詰めていくと類魂(→グループ・ソウル、親和性のある同一霊系の魂の集団のこと)に行き着く。「再生・地上人生のテーマ」の一つに類魂側(=霊的家族側)から見た側面として「新たな地上体験を積む」があるからである。

このことに関してシルバーバーチは「霊的親族関係を有する霊の集団が一つの統一体を構成しており、それが全体としての進化を目的として、いろんな時代にいろんな土地に生れてその体験を持ち帰る」(9201⑤~⑦参照)と述べている。

このように再生には“個”にスポットを当てた「地上でしか償えないカルマの解消」という側面と、霊的集団たる“全体”にスポットを当てた「全体の進化の為に各自が体験を求めて再生する」という側面とがある(464⑥~⑦参照)。そのため「再生の問題」は類魂の視点から考えないと正しい理解が得られない。

 類魂の記述に関しては『シルバーバーチの霊訓』と同様に、マイヤースの通信の『永遠の大道』と『個人的存在の彼方』にも詳細な記述がある。シルバーバーチは「(マイヤースの言う類魂と)まったく同じものです」(4巻64⑤~⑥参照)と述べているので、当講座では『シルバーバーチの霊訓』とマイヤースの通信の双方を参考にしながら、類魂全体を見ていくことにする。

 

②、霊の形体面から(客観的存在、本来の私)

ア、二つの側面

マイヤース霊は「人間の存在には二つの面がある」と述べている。それによれば「一つは形態に宿っての客観的存在であり、もう一つは類魂の一員としての主観的存在である」(永遠の大道87④~⑥参照)。

さらに“個”と“全体”の関係では「我々は立派な個性を持った存在であり続けると同時に、全体の中の不可欠の一員でもあり続ける」(永遠の大道87⑨~⑩参照)とも述べている。シルバーバーチは人間の客観的存在につき「(本来の私という)意識そのものが“個”としての存在であり、個としての存在は意識のことです。意識のあるところには必ず個としての霊が存在する」(4155②~④参照)と表現している。

 上記から個別霊には形体面から見た「客観的存在(本来の私という意識)」という側面と、類魂の一員という意識面から見た「主観的存在(拡大した私という意識)」という側面の二つがあることになる。

 

イ、意識は形体をまとって自我を表現する

「本来の私という意識」がそれぞれの界層で自我を表現する為には、何らかの形体をまとわなければならない。その形体面から見た存在が“客観的存在としての個霊(個別霊)”である。そして個別霊は霊的な進化レベルに見合った、第三者から見て認識できる客観的な形体である「肉体・幽体・霊体など」をまとっている。但し高級霊になると形体が無くなって思念だけとなり、その思念に光輝が伴っている。その光輝によって誰であるかが分かる(4巻130⑥~⑨参照)。

まとった形体や思念で地上体験や霊的体験を積み重ねながら、潜在している“神の分霊”を意識の領域に顕在化させている。その顕在化に応じて形体や思念からは愛・寛容さ・叡智・親切などの“神の属性”がオーラとなって外部に滲み出てくる。

 

ウ、因果律の主体

客観的存在たる個別霊は因果律と自己責任の観点から見ると、自らの進化に自らが責任を負っている(458⑥~⑧参照)。因果律の“責任の主体”となるのはこの客観的存在たる個別霊(本来の私という意識)である。なぜならこの「本来の私という意識(深い潜在意識)」の中に“神の分霊”を内在させているから。

前世に於いて霊的負債を作った「前世の私」という意識は、「本来の私という意識」の中に溶け込んでいるので自らそれを償うことになる。他の客観的存在の個別霊が霊的負債を償うことはない。

例えばここに極めて仲の良い仲間がいるとする。その中の一人が不摂生から病気になったとする。その病気は罹患した者だけに存在し、他のメンバーは健康体である。罹患者は他のメンバーのサポートは得られるにしても、自らの不摂生という病気の原因を取り除いて、自己の免疫力をアップさせて病を治して行かなければならない。

 

エ、永遠に個霊としての存在を維持する

*イラスト右端は「私の意識=神の意識」

進化の途上において「本来の私という意識」は消滅してしまうことはなく、永遠に何らかの形体や思念をまとって意識を保ち続ける。シルバーバーチは「オーケストラが完全なハーモニーで演奏しているとき、例えばバイオリンの音は消えてしまうのでしょうか」(4巻64⑩~65②、1114⑪~⑫参照)と述べる。霊の客観的存在である“バイオリンという楽器”は永遠に存在して、バイオリンから発せられる音色(個性)はますますオーケストラ全体のハーモニーに溶け込み調和が高まって行く。それを「個的存在が消えてなくなる時は永久に来ません。反対に、完璧に近づくほど、ますます個性が顕著になって行く」(新啓示163⑬~⑭参照)。客観的存在を永遠に維持すると述べている(8巻83④~⑤参照)。

 

オ、意識は形体を通して体験を積む

「本来の私という意識」は自我を表現するために地上では肉体をまとって、中間境では「半物質の形体(→接合体、エーテル複体)」をまとって霊的調整を行い、幽界では「幽体(→物質性が濃厚な霊体)」をまとい、霊界以上の世界では「霊体(→霊体は進化レベルの向上に伴い色彩や光輝によって包まれる)」をまとうことによって体験を積み重ねている。霊性レベルの向上によって意識の中に存在する“物質性”は少しずつ減少して行く。それに伴って個別霊が持つ「個人的存在」は次第に薄れて、個性が次第に強まる「個性化の道」、いわば一段と調和された世界へと進んで行く。

 このように形体面から見た客観的存在としての個別霊が霊性を進化させて行くためには、各種形体を通して(→霊的身体の波長が徐々に精妙化して各界層に見合った形体となる)、物的体験や霊的体験を積んでいかなければならない。また意識的に類魂というシステム、つまり他の個別霊の体験を自らの体験として霊的成長をして行くシステムの中に入って霊性レベルを高めていく必要がある。ここから霊は「形体面から見た側面(客観的存在)」と「類魂の一員としての側面(主観的側面)」の両面を併せ持つことになる。

 

③、平面的に意識が拡大する(主観的存在、拡大した私)

ここでは霊を形体面からではなく意識に焦点を当てた「主観的存在」、類魂の一員としての「拡大した私という意識」から見ることにする。この類魂の一員としての「拡大した私という意識」は、広がりと深さという二つの意識面から表現できる。

 

一つ目は「同一霊格で親和性のある複数の個別霊」によって作り出される「共有状態にある類魂意識」のこと。同一霊格であるため「本来の私という意識」は平面的に広がりを持って拡大する。つまり「平面的に拡大した私という意識」として。

一組の夫婦(夫Rと妻S)を例に挙げる。「R」と「S」は第三者から見ても別々の存在である。これが霊の形体面から見た客観的存在(→本来の私という意識)のことである。「R」と「S」は「本来の私という意識」が地上で自我を表現する為に肉体をまとった姿である。

相思相愛の度合いが極めて強い夫婦(RS)を形体面から見れば、RとSという別々の地上的自我意識(→物的な心)を持った人間である。Rが病気になってもSは健康体でいられる、なぜなら病気はR自身のものだから(→同様にカルマはR自身のもの)。

次にこの夫婦を意識面から見れば、両者は気持ちが通じ合って一つになっていて相手の目を見ただけで何を考えているかが分かる関係にあるとする。これが意識面から見た「主観的存在(→拡大した私という意識)」のことで、Rの意識はSの意識を取り込む形で平面的に拡大する。

 

④、立体的に意識が拡大する(主観的存在、拡大した私)

二つ目はさまざまな霊性レベルにある霊の集団を含む意識状態、つまり意識が立体的に奥行きを増す状態(→潜在意識の深奥)のことで「拡大した類魂、類魂の延長」などと呼ばれている意識がある。

シルバーバーチは「一人の支配霊がいくつかの類魂を従えていることがある。それを“延長”と呼びたければそう呼ばれて結構です」(10136⑭~137①参照)と述べて、このような表現で「拡大した類魂(→立体的に奥行きを増した類魂)」を説明している。

 

⑤、中心霊の部分的側面

ア、“私”は独立した存在であると同時に部分的存在でもある

シルバーバーチは「あなたも他の分霊も一個の中心霊の側面です(457①参照)」「個々の霊は一つの中心霊の構成分子(458⑧参照)」「我々は、見せかけは独立した存在(→客観的存在)ですが、霊的には一大統一体を構成する部分的存在(→主観的存在)です(746⑭参照)」と述べている。

マイヤース霊は「類魂は、見方によっては単数でもあり複数でもある。一個の高級霊が複数の霊を一つにまとめている。脳の中に幾つかの中枢があるように、霊的生活に於いても、一個の統括霊によって結ばれた霊の一団があり、それが霊的養分を右の高級霊から貰う」(永遠の大道84③~⑤参照)と述べる。

つまり平面的な類魂を構成する個別霊「A・B・C・D・EF」は類魂をまとめている中心霊(統括霊)Gの部分的側面と言うことになる。そのGもより上位の中心霊Hの部分的側面であり、そのHもさらに上位の中心霊Lの部分的側面である。このように個別霊は形体面から見た客観的存在であると同時に、主観的には類魂の一員として「一大統一体を構成する部分的存在」(746⑭参照)となる。ポイントは“神の一部である意識”は一つに繋がっているということ。

 

イ、たとえ

この形体面から見た客観的存在と、主観的には類魂の一員という存在、そして潜在意識の深奥の問題を次の例えを使って説明する。

 

70代と75歳>

人の年齢を表す言葉には「私は70代です」という表現と、「私は75歳です」という表現がある。この「70代」とは「70歳から79歳までの年齢層」を含む言葉なのでどちらの表現も間違いではない。いま「70歳~79歳」の各年齢を個別霊と考えて、これらが類魂の中心霊(または統括霊)の「70代」によってまとめられて「共有状態にある類魂意識」を形成しているとする。この時「70歳~79歳」の各個別霊は中心霊「70代」の「一側面、構成分子」(457①、58⑧参照)ということになる。

 

70代の意識の深奥>

人生経験を積んだ「75歳」の意識には、多様な年代の意識が含まれている。意識の焦点をそれぞれの年代(→60代、50代、40代、30代・・・)に向けると、その年代で味わった喜怒哀楽の感情が甦ってくる。これを類魂の中心霊「70代(70歳~79歳)」の意識の深奥には、「60代(60歳~69歳)」「50代(50歳~59歳)」「40代(40歳~49歳)」「30代(30歳~39歳)」等によって表現される個別霊「0歳~69歳」が含まれているとなる。これはシルバーバーチが言う「一人の支配霊(70代)がいくつかの類魂(→60代、50代、40代等の中心霊を傘下に収めている)を従えていることがある」(10136⑭~137①参照)と同じことである。

 

50代の意識の深奥>

 他方「55歳」ではどうか。類魂の中心霊「50代(50歳~59歳)」の意識の深奥には同様に個別霊「0歳~49歳」が含まれている。当然に「70代」の方が「50代」より意識の底は深い(→霊性レベルが高い)。これを中心霊「50代(50歳~59歳)」から見れば、中心霊「70代(70歳~79歳)」は「拡大した類魂」となる。なぜなら中心霊「70代」は、中心霊「50代」を含む「0歳~69歳」までの各年代の“複数の類魂の中心霊”を従えているから(10136⑫~137③参照)。

 

3、その他の問題

ア、前世記憶の問題

A、シルバーバーチの見解

ここでは前世記憶に関してシルバーバーチは何と述べているのかを中心に見て行く。シルバーバーチは「人間は自分の前世を思い出して、それと断定できるものなのか?」との質問に対して、「その人が潜在意識の奥深くまで探りを入れることが出来れば、それは可能」だが、「はたして地上の人間でその深層まで到達できる人がいるかどうか、きわめて疑問」。なぜなら「そこまで探りを入れるには大変な霊力が必要です」(6182④~⑧参照)と回答している。

 

B、筆者の見解

前世の記憶はその者の「自我の本体(→深い潜在意識、本来の私という意識、前述したイラストA意識)」の中に溶け込んでいる。「(背後霊の力を借りずに)前世を自力で思い出せる」と言うことは、その人の潜在意識の奥深くに存在する、前世の記憶が溶け込んでいる領域まで顕在意識を保ったままの状態で探ることが可能、ということを意味する。

理論的には前世の記憶を取り出すために精神を統一して、意識を保ったままの状態で「顕在意識(普段用いている表面意識)」→「浅い潜在意識(もっぱら現在の私の地上体験や知識で着色される潜在意識の領域)」→「深い潜在意識」と深めて行く。そして「深い潜在意識」の中に溶け込んでいる前世の記憶を探り出して、意識を保った状態のままでそれを「顕在意識」まで持ち帰る必要がある。

意識を保ったままの状態で、果たして意識の深層まで辿り着けるのかという素朴な疑問がある。ほとんどの人は途中で意識が途切れてしまう。結論を言えばこの「前世記憶の問題」は理論的には可能だが、現在の地上人の霊性レベルでは潜在意識の深奥に分け入って引き出すことは不可能と考えた方が無難であろう。

 

C、背後霊からの示唆

霊界通信によれば「すべてのカギは背後霊の働きにある」(続霊訓22⑤~⑥参照)と言う。背後霊はその人に前世を知らせることが霊性向上にプラスとなると判断した場合は、例外的に前世体験の示唆があるという。しかしそれはあくまで背後霊側の判断で行われるものであって、地上人側の都合や思惑で、都合よく前世の情報を教えてもらえるわけではない(10166⑫~167③、最後啓示119③~④参照)。

ネットを検索していると「あなたの前世を見ます」という広告をしばしば見かける。ある霊能者は相談者と対面し、相談者の面前で短時間瞑想して前世を回答すると言う。上記のシルバーバーチの霊訓などから見る限り、霊能者は本当に見えているのか、霊能者の背後霊から見させてもらっているのか、相談者が作り出した「浅い潜在意識」に溶け込んでいる「こうありたいと願う願望」を霊能者がキャッチして伝えているのかなど疑問が残る。

仮に霊能者は背後霊から相談者の前世を教えてもらえるにしても、相談者に前世を知らせることが「霊性の向上に寄与する」と背後霊が判断した場合に限って“前世の示唆”があるだけである。例外的に背後霊を通して知らされるケースに限られ、相談者が興味本位の場合には“前世の示唆”はない。霊能者が相談者と面談して、都合よく背後霊からその都度回答が得られるわけではない。

 

D、催眠術を利用した場合

催眠術によって前世記憶の中に入って行けるかについて、シルバーバーチは「遡及によって前世とコンタクトできるという事実は否定しない」(10130⑤参照)。しかし前世記憶には潜在意識が描く願望や一種の虚栄心の表れ、単なる空想や催眠状態に於ける憑依霊の問題等があるので「催眠術による遡求は頼りにならない」(10128⑧~129②、131⑤~⑥参照)と述べる。また「催眠術の基本は“暗示性”にある」ので控え目に受け取るべきと述べる(10131⑩~⑫参照)。催眠術にはさまざまな問題があるので「前世記憶の問題」は慎重に考えなければいけない。

 

イ、アフィニティ

 

平面的に意識が拡大した類魂(ABCDEF)から再生する個別霊は一つのみであり、二つの個別霊が同時に地上に誕生することはない(458②~④参照)。その個別霊から地上に誕生する形体も一つのみである。「一個の霊が複数の相を別々の場所で同時に表現することはできない。一度に一つの場所にしか存在できない」(1099⑦~⑧参照)から。

例外的に「アフィニティ(双子霊・ツインソウル)」と言う同系統で親和性が極めて強い関係にある魂がある。これは二つの人格は一つの魂の半分ずつというケースである。シルバーバーチは「別々の人間でありながら一個の魂の半分ずつ」(10117③~④参照)、「(アフィニティは)一個の魂が半分に分かれた存在で、二つが同時に地上へ誕生することがある」(10136⑦~⑧参照)と述べている。

言いかえれば個別霊Aの地上的人格A1A2は、肉体的には別々の人間でありながら一個の魂の半分ずつと言うことになる。地上に誕生した「男女一対魂」をツインソウルと言う。昔ツインソウルという言葉が流行った時期があった。この時期に結婚したカップルがこの言葉を度々使っていたが、ツインソウルは極まれな現象である。

イメージ的に言えば一個の卵(個別霊A)には黄身一つ(まとう形体は一体)が原則だが、例外的に一個の卵で黄身が二つ(まとう形体は二体)ある二黄卵があるのと同じ。「アフィニティ」も「再生・類魂」と同様に、地上の人間には概略だけしか知らされていない事柄である。

 

4、地球人が目指す「地上天国」という世界

ア、霊的知識を日常生活に活かしていく

意識の深化・拡大を目指すにはどうすれば良いか。シルバーバーチは事ある毎に「霊的知識に沿った生き方」や「霊性の向上」が最も大切であると述べている。霊訓には「獲得した知識は着実に実生活に生かしていくように心掛ける」(226⑤参照)などの記述がある。

なおシルバーバーチが述べる「霊性の向上」とは、本来の私という意識(自我の本体)に潜在している“神の分霊”を顕在化させていく“意識の進化”のことであり、形体に具わっているサイキック能力の開発ではない。

 個々人が「霊性の向上」を目指して行く為には、獲得した霊的知識を「生き方の指針」に据えて、自らの日常生活を変えていく「意識の変革」が必要となる。なぜなら「死の先にも人生はある(→死は第二の誕生)」という「スピリチュアリズム的死生観」が真に理解されることによって、その後の人生観が大きく変化して行くから。

 

イ、個々人が変われば社会も変わる

人々の間にスピリチュアリズムの本質的な理解が広がり、「普遍的なスピリチュアリズム思想」を「自らの生き方の指針」にしようとする人たちが数多く出現して行けば、その社会の構成員の意識に変化が生じて“社会の慣習や制度”は質的な転換を迫られることになる。

現在のスピリチュアリズム・ブームが、表層的な「世俗的・現象的なスピリチュアリズム」から、より本質的な「生き方の指針としてのスピリチュアリズム(質の高い高等なスピリチュアリズム、Higher Spiritualism)」に移行していけば、人々の意識に大きな変革が起こって、唯物主義を基調とした社会制度は徐々に変わっていくことになる。

 欧米人には「救世主待望論」を主張する人が多いが、社会全体の意識レベルの向上は個々人の意識の変革が積み重なって少しずつ向上して行くもの。一人の救世主が現れて、一夜明ければ地球の霊性が他力的に向上していた、社会が変わっていたというものではない。意識を変える運動は時間のかかる最も困難な「社会変革運動」である。それ故に「スピリチュアリズム普及運動」も焦りは禁物、往々にして焦りは運動を過激にしていくから。

 

ウ、二方面からのアプローチが必要

A、地上世界の取り組み

個々人による各方面での利他的行為によって、地上世界に絶対的に不足している霊的エネルギーはその分量を増して行く。数多い利他的行為の中でも人の生き方を変える力がある霊的知識、その普及運動は地上世界を蝕む“ガン(→際限なき貪欲や利己主義、唯物主義など)”を駆除する際に有効な働きをする。このため霊的知識を普及させて「地上世界を浄化していくこと」が喫緊の課題となっている。

 

B、幽界の下層界の取り組み

それには地上世界の浄化と同時並行的に、幽界の下層界の浄化が必要となってくる。「スピリチュアリズムの普及運動」は幽界の下層にいる霊に対して「霊的自覚(→霊として何を為すべきかの自覚)」を持たせる運動という側面もある。これは地上の親和性ある人間に対して「教唆(→けしかけること)や幇助(→霊の世界からの手助け)」と言った形で、利己的な行為を助長する低級霊に対して「霊的自覚」を持たせる為の取り組みと言った活動が幽界では行われている。このように現在進行中の「スピリチュアリズム普及運動」は顕幽両面にまたがる壮大な運動である。

 

エ、「地上天国(新しい世界)」の建設

地球を争いが絶えない地獄のような世界にするか、霊的知識をベースにした「地上天国」を建設するかは、自由意志を持った人間次第である。

この宇宙の中で地球の果たす役割に変更がなければ「地上天国」が建設されたとしても、この地上世界が「学校」であることに変わりはない。「学校」である以上は何らかの霊性向上の為の“魂の磨き粉”は存在する。ただし「霊性の向上」に応じて“磨き粉”の粒子は細かくなるが。

 磨き粉を例えて言えば、物質性が格段に強い現在の地球では、“軽石”に石鹸をつけて身体を洗っているようなもの、当然に身体は痛い(→重大事故や重い病気などを体験することによって目覚める)。これが霊性レベルの高まりによって物質性が希薄な「地上天国」になると、“絹のタオル”に石鹸をつけて身体を洗うようなもの、身体が受けるダメージは格段に軽減する(→軽微な事故や体調不良などによって目覚める)。

このような「地上天国」とは、困難や苦難が無く、願望が何でも叶う世界のことではない。依然として地上世界でしか償えないカルマの解消の場として、さらなる霊性の向上を目指すための「学校」として地球は存在する。無くなるのは無用の悲劇・残虐行為・飢餓などの「社会制度に起因する無用な悲劇」である(道しるべ217③~⑨参照)。願望が何でも叶う世界とは、幽界の下層界にある地上時代の記憶の再現や補完に過ぎない「極楽・天国のようなエリア、楽しい思い出が再現されたエリア」のことである。

「地上天国」の住人は霊的進化が最重要目標となっているため、当然に霊的知識を日常生活に活かす生き方を目指している。さらにまとう形体からは霊性の向上に応じて、「愛・寛容さ・叡智・親切・優しさ・思いやりの心など」の“神の属性”がにじみ出ている。

遠い未来の地球の姿の記述が『ベールの彼方の生活』にある。それによれば「人間は地球上でさほどせわしく東奔西走している様子は見られない・・・内省的生活の占める割合が増えている」(彼方4270⑪~⑯参照)という。

 

5、講座に寄せられた質問

①、質問その1

<質問>「コロナ禍で精神科を受診している人が多い。病気も多い。世の中がざわついている。こういう状況をシルバーバーチ的にはどのように考えたら良いか」

<回答> 

ア、地上を蝕むガン

 私たちが住むこの世界では、唯物主義と利己主義という「地上を蝕む二つのガン」が増殖中である。シルバーバーチは「唯物主義と利己主義—地上世界を蝕み、何のために生れてきたかを自覚せぬ大勢の人々を暗闇に堕落させている、この二つのガンに対する永遠の闘いです」(1巻101⑫~⑭参照)と述べる。

現在の地上世界には飽くなき貪欲と利己主義によって、悪習・不正・暴力・混乱・紛争などが横行しており、今まさに混乱の極みにある。こうした物質中心主義の副産物を地上から一掃して、人々が思いやりの心・親切・優しさ・友愛・協力の精神といった霊的資質を発揮することによって、地上世界を刷新することができる。なぜなら私たちには肌の色に関係なく全員に“神の分霊”が潜在しているから。霊的に見て人類は生まれながらにしてみな平等であるから。そのためには「霊性に於いて人類は一つであるとの認識が必要」(131⑨~⑩参照)となる。

 

イ、地上の悲劇

地上世界には大きな問題がある。人々の霊的真理に対する無知の程度がひどすぎて、それが各種の悪弊を生み出す原因となっている。さらに地上生活の最低限の必需品さえ恵まれずにいる貧困にあえぐ人々の存在がある。これらが「地上の悲劇」となっている。それがひいては未発達霊の大量流入という「霊界の悲劇」にも反映してくる(724⑥~⑦、福音188⑩~⑫参照)。

この「地上の悲劇」を無くして行く為には、霊的知識の普及が喫緊の課題となっている。シルバーバーチは「地上の悲劇は霊的真理に全く無知な人間が無数にいるというところにある」(981④参照)と述べる。

 

ウ、質問に対する回答

唯物主義と利己主義に強く染まった人類が、未熟さ故に過去において霊的摂理に違反した行為、及び現在進行中の霊的摂理に違反した行為、このような行為を行えば、その行為の主体が個人であろうと民族や国家であろうと、何時かはその代償を支払わされることになる。その典型例が気候変動に見られる。現代社会から様々な恩恵を受けて生活している受益者たる人類は、気温上昇に伴う自然災害という形で、ペナルティを等しく負っている。

さらに現在の地上世界は、一方に霊的真理の普及によって学び舎である「学校」のレベルアップを図ろうと尽力するスピリチュアリストと霊界の霊的勢力。他方これに対峙して既得権益を死守しようとする利己主義者とこれを霊界側から援助する未熟霊の集団。地上世界はこの二つの顕幽の勢力との間で戦場となっている。その結果、現在の地球は各種のひずみが表面化して、世の中がざわついている状態になっている。

この点につきシルバーバーチは「進歩と平和と調和を求めて戦う私たち霊団の向こうを張って、それを阻止せんとする組織的な活動をしている邪霊集団もいる」(11184⑦~⑧参照)、さらに「残念ながら霊界にも真理と叡智と知識の普及を快く思わぬ低級霊の勢力がいるのです。そして、スキあらば影響力を行使して、それを阻止しようとするのです」(福音236⑦~⑧参照)と述べている。

 

②、質問その2

<質問>「愛国心についてお聞きします。現在ロシアとウクライナでは戦争を行っています。両国ともに国内では愛国心を煽っています。霊的摂理から見た場合、この愛国心はどのように考えたらよろしいでしょうか」

<回答> 

ア、戦争はなぜ起きるのか

戦争の原因は各種あるが、シルバーバーチは「人類が自由意志の行使を誤って自ら招来している」(4120⑨参照)、「戦争は憎悪と利己心と物質的な私利私欲から生まれる」(744⑦~⑧参照)と述べる。またモーゼスの『霊訓』でも「戦争は人間の欲望と野心、怒りと驕りと復讐心の産物にほかならない」(霊訓上47①参照)と述べている。

 

イ、戦争の霊的側面

戦争の霊的側面としてシルバーバーチは、戦争行為が霊界の低級霊集団の行動を助長させていると言う(語る295⑭参照)。また「人間が殺意を抱いた時、瞬時にしてその人間の周りに同じ意念に燃えた地縛霊が引き付けられる」(語る307①~②参照)と述べる。

地上では戦争終結後の余韻として、殺人と暴力が奨励された戦争が終結しても人間の獣性はすぐには引っ込まないため、しばらくは暴力行為を誘発し道徳基準を破壊する(4206③~⑤、6145⑧参照)ことも指摘している。

 

ウ、愛国者の死後

地上に於いて熱烈な愛国者であった者は、死後の世界でその者の内部から「霊的自覚」が芽生えてくるまでは、地上的習慣や地上的な価値基準から脱却することは出来ない。そのためその者の思考には依然として強烈な国家的意識が存続するので、親和性の法則によって地上世界にいる愛国者に霊界から働きかけることになる(5巻235⑥~⑩参照)。

その者に「霊的自覚」が芽生えてくれば(→幽界の下層界を離れて幽界の上層界に移行して行けば)、すべては神の子という共通の霊的認識が内部から浮き上がってくるので、国家的意識や国境的概念が次第に消えてゆく(5巻235⑥~⑩参照)。当然に自分の国さえ良ければという“偏狭な愛国心”は次第に消えて行く。

 

エ、共存共栄の愛国心を目指す

戦争には愛国心の高揚という側面と残忍さの発揮という側面の二つがある(4205⑫~206①参照)。また幽界の下層界にいる低級霊の意識の中に存在する“偏狭な愛国心”を煽ってしまう結果となる。戦争はこの世とあの世の二方向から考えなければならない。

この世の戦争抑止策としては、お互いが自分さえ良ければという利己主義に代わって、共存共栄の奉仕的精神を持つこと(語る308⑪~⑭参照)。なぜなら真の平和は物的な問題に霊的摂理を適用するところから始まるから(道しるべ171⑨参照)。

自分の国と国民だけを考えて、よその国のことは一切眼中にない愛国心は一種の利己主義だから(1175①~②参照)。シルバーバーチは「真実の同胞関係というのは、お互いの意見が完全に一致しなくても愛し合える」(9巻191⑥~⑦参照)と述べている。

 

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<注1>

ア、再生は霊魂説からは説明できない

再生は高級霊からの霊界通信によってもたらされた思想である。アーネスト・トンプソンが「再生に付いては、科学的に証明できる証拠がありません」(アーネスト・トンプソン著、桑原啓善訳『近代神霊主義百年史』コスモ・テン・パブリケーション237⑬参照)と述べている部分は正しい。結局のところ再生は、高級霊からもたらされた霊界通信をどのように理解するかの問題にかかっている。

 

イ、アラン・カルデック編『霊の書』では

 再生に関して『霊の書』(85⑥~⑧、114③、114⑩~115①参照)では、霊団側は「類魂・再生」の立場に立ち、カルデックは「全部再生」の立場に立っている。霊団は「個々の霊が集まって全体を構成するわけですから、集合体に戻ると表現しても良いのではないでしょうか。あなたも集合体に戻ればその不可欠の一部となるわけです。ただ、個性は維持します」(85⑥~⑧参照)との記載から「類魂・再生」を前提として説明している。

さらに『霊の書』では、再生だけに留まらず、後年マイヤースによって詳細に説かれることになる「類魂(霊的家族)」の概念も示されている。しかしカルデックの理解はそこまで及んでいなかった。このように再生に関して、霊団とカルデックとの間には決定的な違いがある。

 

ウ、ジョン・レナード著『スピリチュアリズムの真髄』では

ジョン・レナードは1956年に出版した『The Higher Spiritualism』(邦訳:近藤千雄訳『スピリチュアリズムの真髄』国書刊行会1985年刊)の中で、「再生」について反対の立場から次のような自説を述べている。

ジョン・レナードは「(地上に)戻ってきて別の身体に宿れば前世とは別人になるのであり、前世の記憶もないのであるから、それは前世の続きでもなく前世と同じ個性の連続でもないのである。同一人物であることは記憶によって決まることであり、記憶がなければ同一性は証明できない」(前著11⑭~⑯参照)。さらに続けて「スピリチュアリズムでは、権威ある著作のどれをみても輪廻転生は説いていない。事実上すぐれた指導者の全てが口をそろえてこの説に反対している」(前著13⑪~⑫参照)と述べている。

ジョン・レナードが原著を発行したのは1956年であり、この時期はいまだシルバーバーチやマイヤースが説いた「再生」に関する霊界通信が、十分には理解されていなかったことが分かる。ジョン・レナードは、シルバーバーチが説いた「意識の問題(→インディビジュアリティとパーソナリティの違い)」や「再生の目的(→カルマの刈り取りはすべて霊界で行えるわけではなく、地上で刈り取る以外に方法のないカルマもあること)」、さらには再生に際して最も適した環境(→民族・国、性別、両親など)を自ら選択して出生することなどを理解していなかった。また当時の西洋人の思想的偏見が、「(輪廻転生説は)東インド哲学の非論理的きわまるもの」との言い分からも見て取れる。

 

◆出典及び主なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)文献

1.「シルバーバーチの霊訓、1巻~12巻」潮文社

2.「シルバーバーチの霊訓、スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ」スピリチュアリズム普及会

3.「地上人類への最高の福音、シルバーバーチの霊訓」スピリチュアリズム普及会

4.「霊的新時代の到来、シルバーバーチの霊訓」スピリチュアリズム普及会

5.「シルバーバーチは語る」スピリチュアリズム普及会

  現在は新版「シルバーバーチの教え」上巻と下巻になっている

6.「シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ」ハート出版

7.「シルバーバーチの新たなる啓示」ハート出版

8.「シルバーバーチ最後の啓示」ハート出版

9.「モーゼスの霊訓、上」スピリチュアリズム普及会

10.「モーゼスの霊訓、下」スピリチュアリズム普及会

11.「インペレーターの霊訓(続霊訓)」潮文社

12.「霊の書」アラン・カルデック編、スピリチュアリズム普及会

13.「霊媒の書」アラン・カルデック編、スピリチュアリズム普及会

14.「永遠の大道」マイヤースの通信、スピリチュアリズム普及会

15.「個人的存在の彼方」マイヤースの通信、スピリチュアリズム普及会

16.「ベールの彼方の生活、1巻~4巻」、潮文社

17.「ブルーアイランド」、ハート出版

18.「迷える霊との対話」、ハート出版

19.「500に及ぶあの世からの現地報告」、スピリチュアリズム普及会

 

*上記「118」近藤千雄訳

*潮文社は廃業、全て絶版。但し「1」は、アマゾンのオンデマンドで購入できる

*ハート出版、0335906077(全て絶版)

*スピリチュアリズム普及会、0532410537(自費出版、注文すれば届く)

 

 

 

 

 

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