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スピリチュアリズムの基本と「統一教会」の原理思想の検証(レジュメ&資料) ―2022年11月「雑学のつどい」にて報告—

◆はじめに

・「霊」や「あの世」のことは五感で認識できない見えない世界の話なので多くの人は関心を示さない。また再現性がなく科学の対象にもならず議論がかみ合わない。

・人は年齢を重ねれば社会に関する経験知は豊富になって行く。しかし精神的世界(→死後の世界、信仰、瞑想)は自ら実践するなどの意識的アプローチが無ければ体験できない。

・その結果、多くの人はスピリチュアリズムに関する知識が無い為に、たやすく「統一教会」や「霊感商法を扱う団体」の言葉に騙されてしまう。

・霊的知識を身に付けて「霊感商法」に騙されないようにしましょう。

 

1、スピリチュアリズムの基本

①、「Spiritualism(スピリチュアリズム)」とは

ア、言葉の意味

・一般に「Spiritualism(スピリチュアリズム)」は「心霊主義」や「心霊学」などと訳されてきたが、現在では英語の発音表記そのままに「スピリチュアリズム」とされている。

・辞書で「スピリチュアリズム」を引くと、「広く霊魂の実在と、(その霊魂が)人間に対して様々な働きかけを認める立場」のこととある。これは「霊魂説」のことである。

 

イ、「スピリチュアリズム」と「心霊研究」の違い

・スピリチュアリズムとは他界霊の存在を前提として、各種の「心霊現象には霊的に何らかの意味があるとして受け入れる思想」のこと。これに対して心霊研究とは「心霊現象を科学的立場から調査・研究する」こと、両者は別々のもの。混同されることが多い。

・スピリチュアリスト(→スピリチュアリズムの思想を受け入れる人)は心霊研究者を兼ねることがあるが、心霊研究者は必ずしもスピリチュアリストではない。現在では心霊研究(=超心理学)は学問分野の一角を占めており学会もある(→日本超心理学会)。

・日本の学術的な心霊研究は福来友吉氏が明治40年代に行った千里眼や念写研究に始まる。

 

②、霊魂説とは

・「霊魂説」には次の二つの内容が含まれる。

・まず「死後の世界」の存在を肯定して「死後も人間の個性は存続する」こと。これは「死んでも“私”は生きている」ということ。この世で利己主義者であった者は、あの世でも“霊的に覚醒”するまでは利己主義者のまま、利己主義という個性は死んでも維持される。

・さらに死者との交信を認めて「あの世とこの世は交流している」こと。この顕幽の交流がプラスに働けば霊からの有益な情報がインスピレーションとして届くが、マイナスに働けば憑依現象となる。

 

③、スピリチュアリズムの人体観

*人間の構造は三者が合わさって構成されている

・この世の既成科学や医学の人体観では可視の肉体だけを対象としている(→但し近年では心の状態によって引き起こされる病気の心身症が注目されている)。

・スピリチュアリズムでは、肉体以外に人間の肉眼では見ることのできないもう一つの体である「霊体」の存在を明らかにしている。

・スピリチュアリズムでは霊体と肉体という二つの異質な体が重なり合って、または霊体は肉体に浸透する形で、人間の体は形成されていると説く。

・両者は質的な差異が大きいため中間物質で出来た接合体(→チャクラと言われるエネルギーの流入・流出口や、東洋医学の経絡はこの接合体の中にある)によって結合されている。

・両者の関係は「肉体をスポンジに霊体を水に見立てて、水を含んだスポンジ」に例えられる

・一般の人は霊体を見ることはできないが、霊視能力者は見ることが出来る。

 

④、シルバーコード

・霊体と肉体は二本の太いシルバーコードによって繋がれている(→額の部分と腹の部分)。スピリチュアリズムでは「死」とはこの二本のコードが切断された瞬間のことを言う。

・シルバーコードを通して肉体は“霊的エネルギー(生命力)”の供給を受けている。

・幽体離脱(→肉体から霊体が離れる現象)した際には霊体と肉体はシルバーコードによって結ばれており、このコードはどこまでも無限に伸びる性質を有している。臨死体験者の中には“銀色の紐”で繋がっていたと述べる者もいる(→死の宣告が為されても両者はいまだシルバーコードによって繋がっているので死者は生き返る。その間の体験が臨死体験)。

 

⑤、この世の宗教とあの世の「宗教」との違い

ア、言葉の意味

・この世の宗教の定義は「超越的絶対者あるいは神聖なものの存在を信じ、それを信仰すること。またはそれらの教義・行事・制度・体系」(広辞苑他)のこと。

<宗教>霊界で言う宗教とは「人のために役立つ行為、霊性に動かされた行為、無私と利他的行為、自分より恵まれない人へ手を差し伸べること、弱き者へ力を貸してあげること」(370⑮~71②参照)を言う。すなわち「奉仕を基調とする宗教」(5130⑮~131①参照)のこと。この世の宗教とは異なって、あの世の宗教とは利他的行為のことを指す。

<信仰>霊界で言う信仰とは、理性に信仰をプラスした「知識を土台とした信仰」(1巻62⑫参照)のことであり、盲目的な信仰ではない。

・このように同じ「宗教」や「信仰」という言葉を使っていても、地上側と霊界側ではその中身は異なっている。

 

イ、「勧誘形態」の違い

・この世の教団が行う勧誘には、誰彼かまわずに勧誘する形態が見られる。そこには「しつこい勧誘」や「悪質な勧誘」の話が必ず付きまとう。

・高級霊は教団が行う勧誘形態、例えば行事や集会の熱狂的な雰囲気を通して多くの人を改心させる勧誘形態では「霊的な価値を悟らせることはできない」(新啓示112⑦~⑧参照)と言う。なぜなら霊的な問題に関する限り、一人一人が理解の程度に応じて受容して行くのであって“集団回心”は有り得ないからと述べる(11103⑨~⑩参照)。

・悪徳商法には、冷静な判断が出来ない熱狂的雰囲気の中で商品を売りつける商法がある。

 

ウ、スピリチュアリズムの勧誘形態

A、受け入れる用意のできた人

・スピリチュアリズムの勧誘形態は時期の来た「大人の霊(=霊的に受け入れる用意のできた人間:9巻18⑩参照)」一人一人の理性に訴えて、納得ずくによって行う点に特徴がある。なぜならスピリチュアリズムを学ぶということは、個人の「意識の変革(→生き方が変わること。死後の世界が在るのなら今をどう生きるべきかなど)」を伴うものだから。

 

B、イギリスの諺

・イギリスの諺に「馬を水辺に連れていくことはできても、(水を欲しなければ馬に)水を飲ませることはできない」がある。

・これを「霊的真理が学べる場所(=講座、勉強会など)に友人を連れていくことはできても、その友人に真理を受け入れるだけの時期が来てなければ、理解してもらうことはできない」と読み替えると、スピリチュアリズムが誰彼構わず勧誘する形態をとらない理由が理解できると思う。

・本来、宗教の勧誘はこの形態なのだが、現状は献金額や入会者数といった組織維持の論理が優先して無理な勧誘が行われている。また宗教団体を“金儲け”の手段と考えている組織もある(→税務対策に「宗教活動に対して非課税、収益事業は優遇税率」を利用するなど)。

 

C、購入意思のあるお客が自ら店舗に出向く形

・スピリチュアリズム(霊的な事柄)に関しては必要としている人が自ら足を運んで真理を得る形態。いわば購入意思のあるお客が自ら店舗を選択して来店する形態(→講座や勉強会などに自らの意志で訪れる)、勧誘側から見れば“待ちの形態”に特徴がある。

・既存の宗教とスピリチュアリズムでは「宗教」の意味する内容に相違があるため、当然に勧誘形態にも違いが見られる。

 

⑥、世俗的なスピリチュアリズムとは

ア、一般的なイメージ

・世の中の多くの人たちが「スピリチュアリズム」や「スピリチュアル(=霊的な)」という言葉に対して抱く一般的なイメージは、おおよそ「占い的なもの」や「娯楽的なもの」と思われる。

・現状ではスピリチュアリズムという言葉が、世俗的な欲求とセットとなった開運や、個人的な慰め・癒しといった“娯楽の一環”として用いられている。また物品販売(→霊的エネルギーが入った物品など)や霊感商法と言った“生業の手段”として使われている。

・近年マスコミやビジネスの世界で盛んに取り上げられている「スピリチュアリズム」や「スピリチュアル」には、来世の存在や死後個性の存続と言ったスピリチュアリズムが持つ本来のテーマは含まれていない。また「霊性の向上」と言ったスピリチュアリズムの本質的な理解からは懸け離れた形で世俗的に用いられている。

目指す方向が“物質的(この世的)”であることなどに特徴が見られる。その為これらを「世俗的なスピリチュアリズム(=現世利益的なスピリチュアリズム)」と呼ぶことができる。

 

イ、本来のスピリチュアリズムとは

・これに対して本来のスピリチュアリズムとは、個々人が霊的知識を日常生活に活かして、自身の生き方を変えて霊性の向上を図っていくという「実践哲学的」な考え方を言う。

・スピリチュアリズムは「来世があるならば今をどのように生きたらよいか、生きるべきか」を個々人に問いかける極めて倫理観に満ちた道徳的な思想のこと。

 

⑦、すべての人間が目指す目標

ア、スピリチュアル能力の開発とは

・人間誰しも“本来の私という意識(=自我の本体、霊的な心)”の中に“神の分霊”を内在させている。それ故に「人は神の子、人間は肌の色に関係なくみな平等」と言われている。但しこれは人間を霊的に見た場合であって、肉体的に見れば必ずしも平等ではない。

・「発達・開発」には「スピリチュアル能力」と「サイキック能力」の二種類ある。まず“本来の私という意識”に主眼を置いた霊性の向上(=スピリチュアル能力の開発)がある。

・霊性の向上とは“本来の私という意識”の開発のことで、イラストで示したように潜在している“神の分霊”を意識の表面により多く顕在化させて行くこと(→イラスト左から右へ)。

・霊性の向上の究極の形は“本来の私という意識”全体に“神の分霊”が顕現した状態で「私の意識=神の意識」となる。

顕在化が増すことによって“本来の私という意識(霊的な心)”がまとう形体(肉体や霊体)からは、“神の属性”である愛や寛容さ、謙虚さと言ったオーラがより多く外部に滲み出る。これがスピリチュアル能力の開発であり、霊性の向上が全ての人間が目指す目標となる。

 

イ、サイキック能力の開発とは

・これに対して“本来の私という意識(霊的な心)”が自己を表現する為にまとう形体の開発という側面がある。これは霊体に具わっている能力、つまり霊的な五感を肉体レベルで発現させるサイキック能力の開発のことである。

・本来、霊体に具わっているサイキック能力はスピリチュアル能力の開発に応じて自然に発揮されてゆくもの(2巻108⑥~⑧参照)。

・サイキック能力を肉体レベルで発揮できる人を霊能者という。また霊能開発とは肉体レベルにより多くのサイキック能力を発現させることをいう。世界的にヒットしている「ハリーポッター」の小説の世界をイメージすれば分かると思う(→魔法の技のアップ)。

 

ウ、スピリチュアル能力を開発する為には

・最も一般的な方法としては「①利他的行為の勧め」「②困難・苦難に対する姿勢の問題」「③霊的知識を日常生活に活かすこと」「④肉体煩悩に流されない(→霊優位の意識を持つ)」が挙げられる(注1)。

・これ等①~④を日常生活の中で実践する、そのことが霊性の向上に繋がる。これがモノの世界で生きる私たちが手軽に実践できる“一般的な行”である。ここには目新しさや派手さは一切ない。特別な団体やグループに所属して“何らかの特別な行”を行うことでもない。

 

<注1>

①「利他的行為の勧め」

・高級霊は繰り返し「自分を人の為に役立てること」(2巻16③参照)を説いている。

・他者(→自分以外の人間、動物、植物)のために役立とうとする利他的行為は、自己を通路として宇宙に遍満している霊的エネルギー(=生命力)を他者に流す行為のことである。

・自己を通過して行く際に、霊的エネルギーの一部が私の中に蓄積される(1190⑫参照)。霊的エネルギーは“本来の私という意識”を活性化させて“神の分霊”の顕現を高める。

・地上世界がいま最も必要としている行為は利他的行為であると言う(259③参照)。

◆特定の団体はこの「他者の為に自分を捧げる」を悪用して、「他者」を「特定の組織」に置き換えて説き、信仰心の厚い人から金品や労力を奪い取り、心身を追い詰める。

 

②「困難・苦難に対する姿勢の問題」

・さらに高級霊は「試練と体験を通してこそ霊は成長する:7134⑨参照」「何らかの荷を背負い、困難と取り組むということが旅する魂の本来の姿:152⑨参照」と述べる。

・そのため「困難を避けるのではなく、それと取り組み、それを自らの手で克服していくための心構え」(32①参照)、前向きの姿勢を一貫して説いている。

・今まさに困難・苦難の渦中にいる人にとっては、それらを前向きにとらえる気持ちにはなれないであろう。しかし年老いて自らの来し方を振り返って見た場合に、困難・苦難が自分を成長させる為の“魂の磨き粉”になっていたことに気づくはずである。安易な人生からでは真に価値あるものは得られないから。

・一般に困難、苦労、悲しみ、痛みなどを体験して、それらが魂の琴線に触れることによって、初めて霊的真理を受け入れる素地が出来上がるもの。いわばそれらの体験は、受容性に富む魂を作り出すための“魂の磨き粉”の役割を担っている。

◆特定の団体は「現在の苦しみはカルマによるもの、団体推奨のモノを購入すれば苦しみが軽減する」と近寄って来る。困難はモノによって乗り越えられるものではない。

 

③「霊的知識を日常生活に活かすこと」

・肉体をまとった私たちは「霊的法則*」や「他界霊が辿る旅の行程(→前回2021年に配布した資料を参照して下さい)」などを学んだら、それらの霊的知識を日常生活に活かして「霊的自覚」を高めて行く。そして自分の生き方を変えて行く。その為には普段の行いが大切となる(9巻117⑭~118③参照)。

・これらの地道な積み重ねが“本来の私という意識”に潜在している“神の分霊”を顕在化させることに繋がるから。

・なお「霊的自覚」とは「私は霊である、霊として何を為すべきかの自覚」のこと、意識の指向性が「↓ 地上的なモノ」に向いている状態を「↑ 霊的成長」に向きを変えること。

*霊的法則の一例:因果律の法則、愛の法則、親和性の法則、利他性の法則、自由意志の法則、自己責任の法則、霊優位の法則など。

◆特定の団体は入会して組織の教えを実践すれば、本人はもとより家族も霊的ステージがアップすると説く。特定の組織の教えを実践しても霊性はアップしない。

 

④「肉体煩悩に流されない(霊優位の意識を持つ)」

・肉体(→潜水具)は“本来の私という意識”がモノの世界(→海底)で生きる上で、自己を表現する為にまとう形体である(→海底の作業には潜水具をまとう必要があるのと同じ)。

・肉体をまとうことによって物的脳を介して発せられる“意識(→顕在意識、地上的自我意識、現在の私という意識)”は、絶えず「食欲や休息など生命維持のための要求」「肉体の各部位から発せられる生理的要求」「性欲など種の保存のための要求」「所有欲や縄張り意識」などの自己保全に傾く肉体本能に翻弄されたり、制約を受けたりする。例えば空腹になればイライラした気分になり、体調が悪ければ気持ちはブルーといった状態。

・高級霊は意識と肉体の関係を「住人と家」に例えて述べている。「身体はあなた(という意識)が住む家であると考えればよろしい。家であってあなた自身ではない。家である以上は住み心地よくしなければならない。手入れがいる。あくまで住居であり住人ではないことを忘れてはいけない」(1巻27⑩~⑫参照)と述べる。高級霊は肉体を軽視してない。

・このようにモノの世界で生きる私たちにとって最も困難な肉体煩悩に流されずに、“霊優位の意識状態”を絶えず意識し保つことが大切であると説いている。

◆特定の団体は「肉体は器」なので二の次、意識・精神が大切。肉体にこだわる必要はないと説く。本人の自由意志を妨げたり、現代医学を軽視したりする傾向にあるのは問題。

 

2、「統一教会」の原理思想の根幹部分

①、統一教会(改称、世界平和統一家庭連合)とは

ア、経緯

・霊感商法や募金で悪名高い「統一教会」とは、1954年に韓国で創設された新興宗教で、旧名称は「世界基督教統一神霊協会(旧略称、統一教会)」というキリスト教系の新興宗教である。現在は「世界平和統一家庭連合」に名称を変更している。

1960年代後半から学生を狙った反社会的な「原理運動」による家庭崩壊、学業放棄が社会問題となる。霊感商法が社会問題になった1980年代以降、マスコミによって大々的な批判キャンペーンが展開された。

1968年に「統一教会」の関連団体として結成された保守系政治団体「国際勝共連合(略称、勝共連合)」を通して、政治家などに対する政治工作を活発に行ってきた。

 

イ、教義

・教典は「原理講話(統一原理)」。聖書に預言された「再臨のキリスト(=救世主、メシア)が文鮮明氏である」とする。信者は自分たちのことを「再臨のメシアの教義」を受け入れた特別な存在であると思っている。そして「文鮮明氏=メシア」の教義を広めることが正義であると信じている。なぜならメシアの文鮮明氏を通してのみ全人類が救われるから。

・「統一教会」には「韓民族こそが神によって選ばれた民」とする「選民思想」がある。

・この「文鮮明氏=メシア」の教義から「統一教会」はエホバの証人やモルモン教と共に全てのキリスト教会から異端と見なされている(以上ウィッキペデア参照)。

 

ウ、検証のポイント

・「統一教会」の思想の根幹部分にキリスト教の解釈とは異なった「原罪」と「メシア」の独自解釈がある。

・スピリチュアリズムではキリスト教の教義である「原罪、贖罪」と「メシア」を批判している。今回は「キリスト教の教義」と「統一教会の独自解釈」を合わせて検証する。

 

②、原罪、贖罪、メシアについて

ア、言葉の意味

・原罪とは「キリスト教でアダムとイブが神に背いて禁断の木の実を食べてしまったという人類最初の罪。すべての人間はアダムの子孫として、生まれながら罪を負っているとされる。人間が根源的に負う罪のこと」(日本国語大辞典)。

・贖罪(しょくざい)とは「金や品物を出して罪の償いをすること、罪滅ぼし」「イエス・キリストが人類の為に十字架にかかり、身を捧げたことによって、世の罪を贖い、神と人との和解が成就したこと」(日本国語大辞典)。

・メシアとは「旧約聖書では、超人間的な英知と能力を持ってイスラエルを治める王者をいう。新約聖書では、この世に生まれたイエス・キリストをいう。救世主のこと」(日本国語大辞典)。

 

イ、キリスト教では

・キリスト教では人間が原罪から赦されるためには「イエス・キリストが全ての人間に代わってその罪を負って、十字架上で死んだということを信じること」と説く。

・これは2000年前にイエスが全ての人類(→過去・現在に生きる全人類、将来生まれてくる全人類)の罪を一身に受けて死んだ「代理としての死」を信じること、この死によって「罪人としての人間と神との和解」ができたということを信じることとされている。

 

ウ、統一教会では

・「統一教会」の「原罪」と「メシア」に関する解説は次の通り。

・「人類の始祖がサタンと性的関係を結ぶことによって原罪が生じ、やがてこの罪が全人類に及んだ」「この原罪は、原罪が無い神の一人子メシアによってのみ償われることが出来る」「神は人類を救うために、メシアを送り出す」「送り出されたイエスは十字架に掛かり、その救いは未完成のままに終わった」「神はさらに2000年の歴史をかけて導き、今、再臨のメシアとして文鮮明氏を地上に送り出した」「再臨のメシアである文鮮明氏はサタンと戦い勝利して、人類に最終的な救いをもたらすようになる」「人類は文鮮明メシアによって原罪を拭い去り、完全に救われて地上天国が到来する」(スピリチュアリズム普及会のニューズレター3号、該当箇所の要約)。

 

③、スピリチュアリズムにおける見解

ア、因果律の観点から贖罪説を否定

・高級霊は因果律の観点から「いかなる人間も自分以外の者のために代わって苦しみを受けることはできない。自分を成長させるのは自分であり、他人は代わって行うことは出来ない」(6巻196③~⑨参照)。罪をあがなうのはその罪を犯した当人のみ964⑧参照)であると述べる。

・さらに「贖罪説は神学者が時代の要請にしたがってでっち上げた教説の一つです。自分が過ちを犯したら、その荷は自分で背負ってそれ相当の苦しみを味わわなくてはなりません。そうやって教訓を学ぶのです」(6巻196③~⑨参照)と述べる。

・このように高級霊は贖罪説を因果律の観点から否定している。キリスト教の「贖罪を通してイエスが人類を救済する」というメシアの教義自体、神学者が作成したものと述べる。

 

イ、アダムとイブの物語は作り話

・高級霊は一様に「アダムとイブの堕罪の物語は根拠なき作り話」(霊訓下32⑨参照)であり、「人類の堕落と原罪とは自由意志のことを言い、比喩でサタンとされるのは未浄化霊の誘惑のことを指す」(霊の書69頁参照)として、贖罪説や原罪を厳しく批判する。

・このようにスピリチュアリズムでは「キリスト教」や「統一教会」の思想の根幹である原罪や贖罪説を否定している。

 

ウ、聖書の記載について

・高級霊は「聖書に書かれていることにはマユツバものが多い」「出来すぎた話は全部割り引いて読まれて結構です。実際とは違う」(9139⑫参照)と手厳しく批判している。

・高級霊は聖書の伝統的解釈である「聖書無謬説(逐語無謬説)」の誤りを指摘している。それによれば「霊的通信のほとんど全てが象徴性を帯びている」「所詮象徴的表現の域を出るものではなく、そのつもりで解釈して貰わなければならぬ。神について霊信を字句通りに解釈するのは愚かである」「神の啓示はそれを授かる者の理解力の程度に合わせた表現で授けられるもの」(霊訓上112⑬、112⑱参照)と述べている。

・このように聖書には事実でないことが沢山述べられている。

 

エ、堕天使の存在について

・堕天使とは「キリスト教で悪魔を言う。神の怒りを買い、天上界から下界に堕落させられた天使」(日本国語大辞典)のこと。

・悪魔(サタン)はキリスト教が生み出したものである(5154⑤~⑥参照)。「悪魔」はスピリチュアリズムでは未熟霊(低級霊)のことを指すので、キリスト教でいう「悪魔という天使(堕天使)」の存在を認めていない。

・また悪魔が支配する霊界という存在も認めていない。このようにキリスト教や「統一教会」の思想とスピリチュアリズムでは立場を異にする。

・キリスト教では「悪魔の誘惑」ということが度々言われるが、高級霊は自由意志と自己責任、因果律の観点から「悪魔が誘惑するのではありません。自分にそういう要素があるから悪の道にはまるのです」(到来32③~④参照)と述べている。

 

オ、神との仲介者について

・「統一教会」では教祖の文鮮明氏をキリストの再臨、メシア、神との仲介者としている。そのため「文鮮明メシア」を通してのみ人類は救済されると主張する。

・高級霊は「神とあなたを仲介できる人は一人もいない」(749⑧参照)、「人間に贖い主はいらない、神との仲介者は不要」(560⑩参照)と述べる。

 

◆以上のようにスピリチュアリズムでは「統一教会」の思想の根幹部分や、キリスト教の教義の根幹部分を否定する。

 

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