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第1講、近代スピリチュアリズムの歩み(2023年) 

<目次>

1、スピリチュアリズムの基本

・基本的な事柄、用語の解説

・世俗的なスピリチュアリズム

・代表的な死生観

2、スピリチュアリズムの歴史

・素朴なスピリチュアリズム

・近代スピリチュアリズム

・霊的実在の証明手段の変更

3、スピリチュアリズムの位置関係

4、スピリチュアリズムの周辺部

・宗教、オカルティズム、魔術、神智学、ニューエイジ運動、心霊研究

5、講座に寄せられた質問

 

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1,スピリチュアリズムの基本

①、基本的な事柄、用語の解説

ア、言葉の意味

一般に「Spiritualism(スピリチュアリズム)」は「心霊主義」や「心霊学」などと訳されてきたが、現在では英語の発音表記そのままに「スピリチュアリズム」と訳されている。

事典によれば「スピリチュアリズム」とは「広く霊魂の実在と、(その霊魂が)人間に対して様々な働きかけを認める立場」(百科事典マイペディア)のこと。これは「霊魂説」のことである。訳の「心霊主義」に関しては「人間は肉体と霊魂から成り、死により肉体が消滅しても霊は存在し続け現世の人と交渉を持つことが出来るという信仰。特に19世紀中ごろから欧米を中心に流行した同種の思想を近代心霊主義という」(日本大百科全書)とある。

 

イ、「スピリチュアリズム」と「心霊研究」の違い

A、スピリチュアリズムとは

スピリチュアリズム(Spiritualism)とは他界霊の存在を前提として、各種の「心霊現象には霊的に何らかの意味があるとして受け入れる思想」のこと。高級霊から霊界通信によってもたらされた情報をまとめたものをスピリチュアリズム思想という。

「あの世が存在するなら、死んでも“私という意識”が存在するなら、今をどう生きるべきか」といった生き方の問題を各人に問いかける内容を含んだ思想のことをスピリチュアリズムという。

 

B、心霊研究とは

霊能者の周辺で起きる心霊現象がある。例えば何にも無い部屋の空間でラップ(叩音)がなる、原因も無く電灯が点滅する、FAXが原因も無くカタカタとなると言った現象である。心霊研究(Psychical Research)とは「このような心霊現象を科学的立場から調査・研究する」ことである。つまり「心霊現象の研究」のことを言う。このように「スピリチュアリズム」と「心霊研究」は別々のものであり、しばしば混同されることが多い。

スピリチュアリスト(→スピリチュアリズムの思想を受け入れる人)は心霊研究者を兼ねることがあるが、心霊研究者は必ずしもスピリチュアリストではない。現在では心霊研究(=超心理学)は学問分野の一角を占めており学会もある(→日本超心理学会)。日本の学術的な心霊研究は福来友吉氏が明治40年代に行った千里眼や念写の研究に始まる。

 

C、日本心霊科学協会では

『心霊研究』誌は公益財団法人日本心霊科学協会が発行している機関誌である。その創刊号(19472月号)に「日本心霊科学協会会則」が、また法人格を取得(19497月)した翌月号に「財団法人日本心霊科学協会寄付行為抄」が載っている。そこに「本会は心霊現象に関する諸般の科学的研究を行うと共に、その帰結である人生の新指導原理の普及を図って、人類の福祉に貢献することを目的とする」とある。これは『心霊研究』の創刊号以来、表紙に「Psychical Research and Spiritualism」と記載していることと同趣旨である。

海外では「Psychical Research」と「Spiritualism」とは異なる概念のため、別々の組織で運営されているのに対して日本では一つの組織で行っている。これは過去に於いて「スピリチュアリズム」を「心霊主義」と訳してきた経緯から、「心霊主義」が「心霊研究」を含む用語と混同されたこと。さらに欧米から日本に流入した初期に於いて「スピリチュアリズム」と「心霊現象研究」の違いが明確でなかったことに理由があると思われる(注1)。ここに浅野和三郎氏の流れを源流とする日本心霊科学協会という組織の特殊性があり、双方にバランスをとる必要性から運営の難しさの原因があると思われる。

 

<注1>

浅野和三郎著『世界的名霊媒を訪ねて(旧題名、欧米心霊行脚録)』心霊科学研究会発行3頁参照。浅野和三郎氏の「スピリチュアリズム」に対する訳は、最終的には「心霊主義」から宗教性を帯びた「神霊主義」に落ち着いた。

1928年(昭和3年)開催の第三回国際スピリチュアリスト連盟(ISF)の大会に浅野和三郎(神霊主義者)氏は福来友吉(心霊研究家)氏と共に出席した。その際の新聞には「日本のスピリチュアリストの代表として福来友吉が参列する」(前著)と報道された。著名な心霊研究家の福来友吉氏はスピリチュアリストとして紹介されている。

 

ウ、霊魂説とは

「霊魂説」には次の二つの内容が含まれる。まず「死後の世界」の存在を肯定して「死後も人間の個性は存続する」こと。これは「死んでも“私”は生きている」ということである。この世で利己主義者であった者は、あの世でも「霊的に覚醒(霊的自覚)」するまでは利己主義者のまま、利己主義という個性は死んでも維持されるから。

さらに「死者との交信を認めてあの世とこの世は交流している」ことを信じる立場のこと。顕幽の交流がプラスに働けば霊からの有益な情報がインスピレーションとして届くが、マイナスに働けば憑依現象となる。

 

エ、スピリチュアリズムの人体観

この世は「唯物論の世界」である。そのためこの世の科学や医学の人体観では可視の肉体だけを対象としている。但し近年では“心(=物的な心、精神)”の状態によって引き起こされる病気の心身症が注目されている。

これに対してスピリチュアリズムでは、肉体以外に人間の肉眼では見ることのできないもう一つの体である「霊体」の存在を明らかにしている。スピリチュアリズムによれば霊体と肉体という二つの異質な体が重なり合って、または霊体は肉体に浸透する形で人間の体は作られていると説明されている。

両者は質的な差異が大きいため中間物質で出来た“接合体(→ダブルやエーテル複体と言われるものと同じ)”によって結合されている。接合体を正確に言えば「高等な意識中枢(霊的な心)と脳(物的な心)との連絡の仕事を受け持つ精妙な組織」(個人的存在79⑥参照)という表現になる。この接合体は肉体とそっくりな形体をしており、この中に“チャクラ”と言われているエネルギーの流出入口や、東洋医学でいう所の“経絡”が存在する。一般の人は振動数の違いから霊体を見ることはできないが、霊視能力者は見ることが出来る。このようにスピリチュアリズムでは「霊体・接合体・肉体の三者が重なり合う」という人体観を持つ。

 

オ、シルバーコード

霊体と肉体は中間物質で出来た二本の太いシルバーコードによって繋がれている(→額の部分と腹の部分にある、魂の緒ともいう)。スピリチュアリズムではこの二本の太いシルバーコードが切断された瞬間を以って死と呼んでいる(1050⑭、永遠の大道116②~③参照)。肉体はシルバーコードを通して“霊的エネルギー(生命力)”の供給を受けているが、切断によって流入経路が途切れてしまうと自壊作用によって土に帰る。

心霊現象の一つに幽体離脱(→肉体から霊体が離れる現象)がある。この場合には霊体と肉体はシルバーコードによって結ばれている。幽体離脱中に起きる肉体の異変はコードを通して霊体に伝わり、瞬時に両者は合体して身体は再び“物的バリア”に包まれる。

なおこのコードはどこまでも無限に伸びる性質を有している。臨死体験者の中には“銀色の紐”で繋がっていたと述べる者もいる。病床で死の宣告が為された場合であっても、肉体と霊体は依然としてシルバーコードによって繋がっていれば“死者”は必ず生き返る。その間の体験が「臨死体験」として語られている。

 

カ、オーラ

オーラとは身体から放射されるエネルギーのことで、目には見えない光輝性を持った放射物のことを言う。オーラは生物だけでなく無生物からも出ている。なお物品のオーラに刻み込まれている情報を読み取る現象は「サイコメトリー」と呼ばれている。あらゆる存在物、意識を持たない物品にもオーラはある(1239⑬参照)。

人間の場合にはオーラは、主に肉体から発するものと霊体から発するものとがある。肉体のオーラはその人の健康状態や気性、習性などに関連したものが色彩を帯びて表れる(語る432②参照)。霊体のオーラからは魂の状態や霊的進化レベルが読み取れる。このようにオーラにはその人がどんな人物かの情報が刻まれているので、オーラが見える人には「オーラが開いた本のように、何もかも読み取らせてくれる」(語る431⑨参照)。

 

②、世俗的なスピリチュアリズム

ア、一般的なイメージ

世の中の多くの人たちが「スピリチュアリズム」や「スピリチュアル(霊的な)」という言葉に対して抱く一般的なイメージは、おおよそ「占い的なもの」や「娯楽的なもの」と思われる。これはスピリチュアリズムが世俗的な欲求とセットとなった開運や、個人的な慰め・癒しといった“娯楽の一環”として用いられていること、または“生業の手段(→物品販売、霊感商法、占い)”として使われていることからも分かる。

近年マスコミやビジネスの世界で盛んに取り上げられている「スピリチュアリズム」や「スピリチュアル」には、来世の存在や死後個性の存続と言ったスピリチュアリズムが持つ本来のテーマは含まれていない。また霊性の向上と言ったスピリチュアリズムの本質的な理解からは懸け離れた形で世俗的に用いられている(→例えば精神世界や癒しをテーマにしたフェアやイベントなどに特徴的に見られる)。

このように目指す方向が“物質的(→ベクトルがこの世的なモノに向いている)”であることなどに特徴が見られる。その為これらを「世俗的なスピリチュアリズム(現世利益的なスピリチュアリズム)」と呼ぶことができる。一般に世間に流布しているスピリチュアリズムとはこの「世俗的なスピリチュアリズム」を指す。

 

イ、本来のスピリチュアリズムとは

これに対してシルバーバーチに代表される「本来のスピリチュアリズム」とは、個々人が霊的知識を日常生活に活かして、自身の生き方を変えて霊性の向上を図っていくという「実践哲学(→実践を理論の根底に置く哲学のこと)」的な考え方を言う。

「本来のスピリチュアリズム」には各人に対して「来世があるならば今をどのように生きたらよいか、生きるべきか」を問いかけてくる、極めて倫理観に満ちた思想のことである。ここに「世俗的なスピリチュアリズム」と「本来のスピリチュアリズム」との違いがある。

 

③、代表的な死生観

ア、「死は終焉」と考える唯物論者の死生観(イラストA図)

脳科学者を含む多くの人たちは唯物論的な考え方である「心は脳の副産物」とか、「意識は脳の神経細胞(ニューロン)が生み出す脳内過程に過ぎない」という「意識のニューロン仮説」を主張している。この死生観では「私という意識は死によって雲散霧消してしまう」ので、当然に「死後の世界」は存在しないと述べる。そのためより一層この世に対する執着が強くなっていく。

 死後の世界を一切認めない「死は終焉」という考え方の最大の問題点は「逃げ得を許すこと」である。死後の世界は存在しないので存命中に悪事が発覚しなければ「逃げ得」となるので、この世で“悪行の限り”を尽くしても「不正を咎められることはない」と考える人が出てくる。

悪事という原因(タネを蒔く)を作れば何時かは必ず“刈り取り”という結果が待っているはずだが、「死は終焉」なので因果律は完結せずに強制的に終了してしまう。その為この死生観には因果律の観点から見て問題がある。これでは人間社会が長年に亘って作り上げてきた倫理観が崩壊してしまい、ますます社会が悪くなっていく。

 

イ、「生命(霊)の海に溶け込む」という考え方(イラストB図)

上記のような唯物論的な考え方に馴染めない人たちの多くは、死を「生命循環」的に考える傾向がある。これには唯物論に近い考え方の人たち(→死は終焉、但し生きていた証は残る)から、よりスピリチュアリズムに近い考え方の人たち(→弔い上げまでは死霊という名の個別霊、それ以降は祖霊という名の“霊の海”に溶け込むとする日本の伝統的な霊魂観)まで幅がある。

 この考え方によれば、死とともに“私という人格”は消えてなくなって、死後は一種の「生命エネルギーのような大きな海」に溶け込む。そこから「大海の一滴」という形で次の新たな生命が生み出されると説く。死とともに個性を持った自分は消えるが、「生命エネルギー」という概念の中に“自分が存在したという証”は残ると考える(五木寛之著『玄冬の門』ベスト新書124130参照)。日本人は比較的この“生命の海”に溶け込むという「生命循環」的な考え方に馴染み易い。

 

ウ、日本の伝統的な霊的世界観(イラストC図)

日本の伝統的な習俗には、供養の対象となる“死霊(死者の魂)”は「弔い上げ(→最終年忌のことで死後33年目や49年目の例が多い)」によって初めて汚れを拭い去って清まり、個性を失って先祖の霊に融合して「祖霊という霊の海」に溶け込むという考え方がある。いわば死後33年目(または49年目)までは死霊という名の個別霊、それ以降は個性を失って「〇〇家」や「〇〇一族」というラベルの付いた「霊の海」に溶け込んでいくことになる。

この「祖霊」が草葉の陰から子孫を見守る形で、または再生することによって「祖霊という霊の海」と地上にいる一族との間を行き来することになる。なお「祖霊」とは個性を失った“先祖の霊魂の集合体”のことであり、一種の「集合魂(霊の海)」のこと(國學院大學日本文化研究所編『神道事典、縮刷版』弘文堂390頁、『柳田国男全集13』ちくま文庫所収「先祖の話」参照)。これはスピリチュアリズムで言うところの死後も個性が存続する「個別霊」ではない。

 この個別霊たる死霊が祖霊(→死後33年目又は49年目以降は祖霊という名の一種の“集合魂”となる)となり、祖霊は神格化して祖神や氏神として祀られる「死霊→祖霊→祖神・氏神」という流れは、民族宗教である神道にも取り入れられている。神道では「神」と「祖先」との間には明確な境界がなく渾然一体のものとして扱われており、遠い祖先は祖先であると同時に「神(人格神)」としても崇められている。

なお「生命(霊)の海に溶け込む、イラストB図」や「日本の伝統的な霊的世界観、イラストC図」の最大の問題点は、因果律の「自分が蒔いたタネは自分で刈り取る」に反して、自分が蒔いたタネは集合魂という集団で刈り取ることになってしまう点にある。

 

エ、スピリチュアリズムの考え方(イラストD図)

スピリチュアリズムでは「死の先にも人生は続く」と説く。死によって肉体の機能は停止するが、それ以降“私という意識”の表現形体は従来までの鈍重な肉体から、より精妙な霊的身体(→物質性の濃い霊体、いわゆる幽体のこと)に切り替わる。その切り替えには“バイブレーションの調整(→低い物的波長からより高い霊的波長への切り替え)”を伴うため、必ず「死の眠り」が存在する。このように「死」とは生活の場がこの世からあの世に代わる通過点(→乗り継ぎ客は同じでも電車が変わる乗換駅)に過ぎないと主張する。

 

2,スピリチュアリズムの歴史

①、素朴なスピリチュアリズム

霊魂は肉体が滅びても永遠に存在するという考え方は、洋の東西を問わず古代から存在していた。この「霊魂不滅」を前提として「祖先崇拝」や「輪廻転生説」が生まれた(平凡社『哲学事典』参照)。

日本の古代社会では霊魂を「たま」と呼び、死者の霊魂と人間との間を取り持つコミュニケーションの媒介者を「口寄せ」と呼んでいた。この「口寄せ」が「神憑り」して、顕幽の橋渡しを行っていた。旧約聖書の「サムエル記上、28」や「イザヤ書、8」などにも、死者の声を聴く「口寄せ」や霊媒の話が登場するので「神憑り」現象は日本だけの話ではない。

 このような古代から世界各地に存在してきた「死者の霊魂」や「死後の世界(他界)」を前提としたコミュニケーションを「心霊術又は交霊術」と言う。近代スピリチュアリズムの「霊魂説」の観念と共通した部分が多いが、ここには多くの迷信や俗信が混在している。この自然発生的に生まれたスピリチュアリズムを1848年以降のスピリチュアリズムと区別して、便宜「素朴なスピリチュアリズム」呼ぶことにする。

 

②、近代スピリチュアリズム

ア、発端はハイズヴィルの怪奇現象

A、霊との交信が成立

1848年以降のスピリチュアリズムを「近代スピリチュアリズム」と呼ぶ。その発端はハイズヴィルの怪奇現象であった。アメリカのニューヨーク州ロチェスター近郊のハイズヴィルに、幽霊が出ると噂されていた木造の地下室付きの家があった。その家に1847年12月にフォックス家の一家(→夫と妻、そして10歳のマーガレットと7歳のケイトの姉妹。但し姉妹の年齢は資料によりさまざま)が引っ越してきた。

始めのうちは何事もなかったが翌年の3月以降、物理的な原因がないにもかかわらず拳で家の壁を叩く音やノックの音、家中の家具を動かす音などのポルターガイストが連日起きた。331日の夜にひときわ大きなラップ(叩音)が発生したので、姉妹が手を叩くという方法で通信を試みたところ、霊からラップによる返答が返ってきた。通常ポルターガイストは霊からの一方的な現象なので、このように霊との交信が出来たことは極めて異例のことである。

 フォックス家に集まった者と霊との間で、アルファベット表とラップを組み合わせた通信が取り交わされた結果、霊の身元が判明した。霊の身元はチャールズ・B・ロスマ(31歳)という名前の行商人であり、5年前この家に住んでいた住人に包丁で喉を切られて、所持金の五百ドルを奪われて殺害された。さらに死体は階段を引きずられて地下室の土間に埋められた、ということが判明した。

あまりに重大な内容(強盗殺人)のため隣人がさらに隣人をフォックス家に呼び寄せる中で交信が続けられた。翌日、地下室の床を掘って裏付け調査を始めたが水が湧いてきたため中止。その年の夏に作業を再開、僅かな人間の頭髪と人骨が現われたが、殺害された行商人のものと断定するまでには至らなかったという。

 

B、ハイズヴィル事件の56年後

ハイズヴィル事件の56年後、関係者が全員死去した後に急展開があった。1904年11月に“お化け屋敷”の地下室で遊んでいた小学生たちは、地下室の崩れた壁と壁の間から完全な白骨死体を発見した。通報により家の所有者が調査したところ、死体の傍から当時の行商人が金銭を入れて持ち歩いていたブリキ缶が発見された。

このような物証から白骨死体は1848年にフォックス家の姉妹とラップで交信した行商人とされた。この白骨死体発見のニュースは、当時の新聞に載っている。掲載紙は19041123日付『ボストン・ジャーナル:Boston journal』、この紙面に1904年11月22日ロチェスター発の記事として掲載された。

 

イ、心霊現象の発生と霊媒体質者の存在との因果関係

ラップ(→1848331日夜の叩音による交信)によって霊の世界と交信を行ったフォックス家の姉妹の噂は、瞬く間にニューヨーク州北部から近隣の州へと広がり、大きく報じられて評判となった。

当事者である姉妹は事件の渦中から逃れるため、ロチェスターにいる長女の家に引越をしたが、姉妹の行くところには絶えずラップやその他の心霊現象がついて回った。このことからラップ現象は、姉妹の霊媒体質を介して発生したものであることが明らかとなった(田中千代松編『新・心霊科学事典』所収「人類の将来」参照)。

この一連の事実から心霊現象の発生には、エクトプラズムの供給者である霊媒体質者の存在が不可欠であること、心霊現象の発生と霊媒体質者の存在との因果関係が判明した。

 

ウ、エクトプラズム

心霊現象には誰にでも体感したり見えたりする形で現れる「物質化現象・空中浮揚・物体移動・物品引き寄せ・叩音」等の「物理的(客観的)心霊現象」と、霊媒を通して語られる「霊視・霊聴・霊言・自動書記」等の「精神的(主観的)心霊現象」、そして両者の中間形態の「心霊治療または心霊医療」の三つに分けられる。なお「心霊治療または心霊医療」は「身体の病気を治すという意味では物質的だが、病気を治すエネルギーは霊的なもの、二重の要素を持つ」(新啓示41⑭~⑯参照)ので中間形態に分類される。

客観的な心霊現象である「物理的心霊現象」には、霊媒から流出するエクトプラズムがカギを握っている。エクトプラズムは物質と生命との中間的存在(半物質)である接合体(ダブル)の中で作られて、霊媒がトランス状態に入ると外部に流出する。これに霊界の技術者が特殊な成分を混ぜ合せて、物理的心霊現象を引き起こす際の材料として使用する(4巻181③~182④参照)。このエクトプラズムを豊富に作る能力を持っている人が物理的心霊現象の霊媒になることが多い(個人的存在82⑨~⑬参照)。なお霊的体質の違いによってエクトプラズムには個体差がある。

 

エ、科学的検証を伴った心霊ブーム

この時期フォックス家の姉妹に触発される形で、各地に心霊現象を起こすことのできる霊媒が次々と現れた。これら霊媒の周辺で起きる心霊現象に学者や知識人、聖職者などが関心を持ち、アメリカ社会に一大ブームを巻き起こした。

日本でも過去にこれと似たような現象が起きている。1974年にユリ・ゲラーのスプーン曲げがテレビで放映され、これがきっかけとなって各地に能力者(→スプーン曲げで有名となった清田益章氏など)が出現して「超能力ブーム」を引き起こした。また1910年(明治43年)から1911年(明治44年)にかけて起きた「千里眼事件」、これに触発されて「月の裏側の念写」で有名な三田光一氏など、念写や透視ができる霊能者が次々と出現した。これらの日本での現象はフォックス家の姉妹に触発されて能力者が次々と出現して行った状況と似ている。

 アメリカ東海岸で起きたブームは1850年代にはヨーロッパに飛び火し(→1852年霊媒ハイデン夫人の渡英がきっかけと言われている)、1870年以降、化学者兼物理学者のウィリアム・クルックス(英1832年→1919年)など、当時の一流の科学者を巻き込んだ調査研究によって次第に心霊現象の仕組みが明らかになって行った。この調査研究は「科学的検証を伴った心霊ブーム」に道を開いて1882年に学術的な心霊研究機関のSPR(英国心霊研究協会、Society for Psychical Research)創設に繋がった。SPRの歴代の会長には世界的に著名な科学者が数多く名を連ねている。

 

オ、霊との交信は科学的に証明が可能

このような多くの学者が参加した科学的検証によって「霊魂説」が次第に「証明」されていった。ハイズヴィル事件(1848331日)以降の「この世とあの世の交信は科学的に証明が可能」を強調するスピリチュアリズムを、従来の自然発生的に存在する「素朴なスピリチュアリズム」と区別する意味で「近代スピリチュアリズム(新スピリチュアリズム)」と呼んでいる。社会学者の田中千代松氏は「(近代スピリチュアリズムは)死者の霊との交信が科学的に可能であるという確信の上に立っている」と述べている(田中千代松著『新霊交思想の研究:改訂版』8頁⑭~⑮参照)。

 このような科学的検証は「霊魂説」を「証明」して、高級霊から霊界通信によって「質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」が地上世界にもたらされる際の土台部分となった。

 

③、霊的実在の証明手段の変更

ア、物理的心霊現象という形で関心を呼びこむ

スピリチュアリズムの勃興期、霊界側は従来の物理法則では説明ができない現象を「物理的心霊現象」という形で出現させた。そして当時の科学者の関心を呼びこんで、科学的な手段を用いた方法で霊的実在の証明を行おうとした(新啓示40⑧~⑩参照)。この方法は当時の人たちの唯物論的思考や霊的レベルに対応した証明手段であって、霊界側の「一大計画」に沿ったものであった(550⑤~51④参照)。

 

イ、20世紀初頭にアプローチの変化

地球を霊的に浄化するという目的を持った霊界主導で始まった「近代スピリチュアリズム」運動は、20世紀初頭にアプローチの変化があった。著名な科学者を巻き込んで行われた物理的心霊現象による霊的実在の証明の歴史が「詐術の嫌疑との闘いの連続」(新啓示42⑭参照)であったこと、20世紀に入り古典物理学が破たん(→相対性理論、量子力学などの登場)したこと、このような要因によって霊界から地上への働きかけにも当然に変化が生まれてきた。1920年代以降「心霊治療(sprit healing:スピリット・ヒーリング)が盛んになったのはその一つの表れ」であった(新啓示41⑬~⑭参照)。

 シルバーバーチは物理的心霊現象が次第に衰退して「心霊治療と霊的教訓という高等な側面」(9165⑧~⑨参照)が前面に出てきた背景を「地上の人間の進化のサイクルが変わりつつあるからです」(9165⑨~⑩参照)と説明している。さらに心霊治療(または心霊医療)に関しては「身体の病気を治すという意味では物質的ですが、それを治すエネルギーは霊的なもの」(新啓示41⑭~⑮参照)として、現代の風潮にマッチした霊的実在の証明手段の一つであると述べている。

 

ウ、主たる証明方法としての「心霊治療または心霊医療」


心霊医療の名称

主役

A

マグネチック・ヒーリング

ヒーラー自身の肉体エネルギーを患者に与えることによって病気を治癒する

指圧、マッサージ、整体

治療師

B

サイキック・
ヒーリング

サイキック・ヒーラー。
ヒーラー自身の霊体エネルギーを患者に与えることによって病気を治癒する

気功治療、レイキ、手かざしなど

治療師

C

スピリット・
ヒーリング

スピリット・ヒーラー。
霊医が宇宙に遍満している霊的エネルギー(治療エネルギー)を、地上のヒーラーを通路にして患者に流す、これによって病気を治癒する

スピリチュアル・ヒーリング

霊界の霊医

 

A、広義の心霊治療(または心霊医療)は従来からあった

物質世界に現れた霊的徴候から霊界側の意図を推察してみると、次のような霊界側の「一大計画」(550⑧参照)の存在が推測できる。

治療師の生体エネルギーを使った広義の意味での心霊治療(サイキック・ヒーリング、マグネチック・ヒーリング)は従来からあった。この従来からあった心霊治療という形式を用いながら“中身(治療の質)”を高めてより洗練した形に作り変える。これを「霊的実在の証明」の手段として用いる方式が、地上世界に於ける科学技術の発達と相まって1920年代の後半以降、組織的に行われるようになった。

 

B、霊界の霊医による心霊治療(または心霊医療)

この従来の「物理的心霊現象」から「霊界の霊医による心霊治療(sprit healing)」と「霊的教訓」への転換(9165⑧~⑨参照)は、霊界側の地球を霊的に浄化するという目的の下で「地上世界にスピリチュアリズムを普及する」という戦略に沿ったものであった。

なおこれは主たる証明方法が「霊界の霊医による心霊治療」や「霊的教訓」に転換したという意味であり、従来の「物理的心霊現象」を必要とする人や地域においては、霊的理解の為に未だに主たる証明方法として有効な手段として存在している(9102⑫~⑬参照)。

 イギリスにおける「心霊治療(sprit healing)」の功労者の一人で、シルバーバーチの交霊会に招待されたことがあるW.T.パリッシュは(4巻194頁~198頁参照)、癌を患っていた妻を心霊治療で治癒させたことから名声が広まり、1927年から始めて1946年に死去するまで心霊治療に献身的に携わった。

またハリー・エドワーズ(Harry Edwards1893年→1976年)は1930年代初頭より死去するまでの期間、心霊治療の普及に多大な貢献をした。エドワーズが行った心霊治療の効果は、英国医学協会が1956年に発表した公式声明で「医学では不可能なことが起こった」として公認されている(田中千代松編『新・心霊科学事典』の「エドワーズ、ハリー」の項目参照)。このようにして「心霊治療(sprit healing)」は広く知られるようになった。

 

エ、シルバーバーチの出現と「霊的教訓」

A、シルバーバーチは転換期に出現した

シルバーバーチは1920年に霊媒モーリス・バーバネルを介して出現し、オーラの融合のための試行期間を経て1930年代中頃から「本格的」に活動を開始した。これを時期的に見れば「霊的実在の証明」方式が物理的心霊現象から、「心霊治療と霊的教訓という高等な側面」(9165⑧~⑨参照)の段階に移行した時期と重なっている。

シルバーバーチは霊媒バーバネルの潜在意識にある用語や概念に付着している“色”に影響されずに、純粋な霊的教訓を地上に降ろす為のオーラの融合に「15年もかかりました」(4168②~③参照)と述べている。これは霊的教訓を地上に降ろす為に行ってきた三者間の準備や調整が1935年頃に整ったことを意味する。

なお最初の『シルバーバーチの霊訓(日本語タイトル:シルバーバーチの教え)』は、地上側の霊媒と霊界側の霊媒、そして高級霊のシルバーバーチの三者間のオーラの融合が完璧となった後の1938年に出版された。

 

B、『シルバーバーチの霊訓』は対象者限定の教え

シルバーバーチの使命はスピリチュアリズムの土台部分に当たる「霊魂説の証明」にあったのではない。物理的心霊現象を観察するという手段を踏まなくても、または踏むことによって「霊魂説」の上部構造に位置する「スピリチュアリズム思想(霊的教訓)」を理解できる「大人の霊(→霊的に成人した人間の魂)」を対象とした(918⑦~⑪参照)。

このようにシルバーバーチは霊的教訓を誰彼かまわずに説いているわけではない。いわば「大人の霊」を対象とした「対象者限定の教え」である。なぜなら霊的教訓は本人に受け入れる準備ができるまでは、周りが幾らお膳立てをしても受け付けないからである(155⑫~⑬参照)。

シルバーバーチは「霊的に受け入れ態勢の整った人」に訴えて(3107⑧~⑨参照)、霊的教訓に沿った生き方を日常生活の中で実践することを促した(226⑤参照)。このように「大人の霊」を対象としているだけに求めるハードルは高く設定されている(868①~②、193⑨~⑩参照)。そのため“スピリチュアリズムの周辺部”にいる人たちにとっては「シルバーバーチの教えは厳しい」と感じることになる。

 

C、生き方の変革を求める

「霊的実在の証明」方法としての「物理的心霊現象」は、主に「霊魂説」を証明して霊的知識を普及する、そのためのデモンストレーションとしての意味があった。その後に訪れた「霊的実在の証明」方法としての「心霊治療(スピリット・ヒーリング)」は、「霊的教訓」と同様にその本質を本人の霊的覚醒に置いている(9169①~②参照)。いわば病気治癒をきっかけとして、自らの生活や考え方を見直すという“自己努力を伴った生き方の変革”にある。なぜなら心霊治療の目的が「眠れる魂を目覚めさせ、霊的自覚をもたらすこと」にあるからである(1巻129⑩~⑪参照)。単なる病気直しではないから。なお「心霊治療」の普及時期と、霊的教訓を説いたシルバーバーチの出現時期とは密接に連動している。

このような点から判断して霊界の「一大計画」に沿った地上側の進捗状況は、ワンランク進んで地上人類は「新たな時代(→個人の意識の変革、生き方の変革を求められる時代)」に突入したことが分かる。ここから「物理的心霊現象」から「心霊治療と霊的教訓」へという大きな流れの存在が見えてくる。

 

3.スピリチュアリズムの位置関係

<全体の概略図>

宗教・信仰:A(信念重視) ← スピリチュアリズム思想・哲学:B

                   ↑ ↓

              スピリチュアリズムの土台部分(霊魂説):C → 科学:D(実証重視)  

 

ア、「実証重視」と「信念重視」という二面性

スピリチュアリズムの位置関係は「右隣りには実証を重視した科学の世界:D」が広がっており、反対側の「左隣には信念を重視した信仰・宗教の世界:A」が広がっている。

そのため実証を重視するスピリチュアリストは「科学へ傾斜する:D」傾向を強め、信念を重視するスピリチュアリストは「信仰へ傾斜する:A」傾向を強めていく。このようなスピリチュアリズムの「実証重視:D」と「信念重視:A」という二面性は、スピリチュアリストが有する“傾向の違い”だけに留まらず、証拠に対して求める“厳密さの程度”にも違いが現れている。

 

イ、いわゆる「事実」としての「霊魂説」

19世紀後半の西洋社会でブームとなった「家庭交霊会」では心霊現象が頻発して起きた。この心霊現象は間もなく科学者の目に留まり、広く関心を呼び起こして科学的な調査研究の対象となった。当時の一流の科学者の調査研究によって心霊現象の仕組みが明らかとなって、その結果「霊魂説」が確固たる「事実(=いわゆる事実として)」として打ち立てられた。

スピリチュアリズムでは「霊魂説」を「スピリチュアリズムの土台部分:C」としている。この「スピリチュアリズムの土台部分」である「霊魂説」は、実証重視の「科学の世界:D」へと繋がっている。そして各種心霊現象を調査研究する「心霊研究」として発展し、その後「超心理学」と呼ばれるようになって学問分野の一角を占めるに至っている。

 

ウ、スピリチュアリズム思想

この土台部分の「霊魂説」の上部構造には、高級霊から霊界通信によってもたらされた「スピリチュアリズム思想:B」がある。この「スピリチュアリズム思想」には「人生をどのように生きるべきか」や、人生に於いて遭遇する「困難や苦難にどのように対処したらよいか」など、人の生き方を深く掘り下げて考えてみる際のヒントが散りばめられている。

 シルバーバーチも述べているように「知識には必ず責任が伴う」(1巻119⑬参照)ことから、「スピリチュアリズム思想」を学んで知識の分量を増やしていくと、次第にその人の「生き方が問われてくる」ことになる。なぜなら「知識は実生活に活用しなくてはならない」(3巻42⑪~⑫参照)から。いわば生き方の「質的な転換(知識から生き方へ)」を迫られることになるわけである。

この「質的な転換」は個々人の自由意志にゆだねられているが、なかには「スピリチュアリズム思想」をこの世を生き抜くための「生き方の指針(実践哲学、信仰):A」にまで高めていく人も出てくる。そのため上部構造たる「スピリチュアリズム思想:B」は信仰と相性が良く「宗教・信仰の世界:A」へと繋がっている。

 

エ、質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism

このように「スピリチュアリズム思想」には、各自の生き方を変えて個々人の集合体である社会をも変えていく力がある。ここには多くの人が理解する物的指向が強いこの世的な幸福追求型の「世俗的なスピリチュアリズム(現世利益的なスピリチュアリズム)」といったイメージは全くない。むしろ霊的知識を自己の生き方に活かして霊的成長を図るという「実践哲学」的な意味合いが強く見えてくる。

そのため当講座ではスピリチュアリズムを「世俗的なスピリチュアリズム(現世利益的なスピリチュアリズム)」としてではなく、霊的知識を自己の霊的成長に活かしていく「質の高い高等なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」として用いている。

 

4、スピリチュアリズムの周辺部

①、宗教

ア、言葉の意味

この世の宗教の定義は「超越的絶対者あるいは神聖なものの存在を信じ、それを信仰すること。またはそれらの教義・行事・制度・体系」(広辞苑他)のことである。これに対して霊界で言う宗教とは「人のために役立つ行為、霊性に動かされた行為、無私と利他的行為、自分より恵まれない人へ手を差し伸べること、弱き者へ力を貸してあげること」(370⑮~71②参照)を言う。すなわち「奉仕を基調とする宗教」(5130⑮~131①参照)のことである。このようにあの世の宗教とは、奉仕を基調とした利他的行為のことを指している。

また霊界で言う信仰とは、理性に信仰をプラスした「知識を土台とした信仰」(1巻62⑫参照)のことであり、盲目的信仰ではない。このように同じ「宗教」や「信仰」という言葉を使っていても、地上側と霊界側ではその中身は異なっている。

 

イ、「勧誘形態」の違い

この世の教団が行う勧誘には、誰彼かまわずに勧誘する形態が見られる。そこには「しつこい勧誘」や「悪質な勧誘」の話が必ず付きまとう。シルバーバーチは教団が行う勧誘形態、例えば行事や集会の熱狂的な雰囲気を通して多くの人を改心させる勧誘形態では「霊的な価値を悟らせることはできない」(新啓示112⑦~⑧参照)。なぜなら霊的な問題に関する限り、一人一人が理解の程度に応じて受容して行くのであって“集団回心”は有り得ないからと述べる(11103⑨~⑩参照)。

 

ウ、スピリチュアリズムの勧誘形態

A、受け入れる用意のできた人

スピリチュアリズムの勧誘形態は時期の来た「大人の霊(=霊的に受け入れる用意のできた人間の魂:9巻18⑩、8巻20⑦~⑧参照)」一人一人の理性に訴えて、納得ずくによって行う点に特徴がある。なぜならスピリチュアリズムを学ぶということは、その人の「意識の変革(→生き方が変わること)」を伴う行為だから。

 

B、イギリスの諺

イギリスの諺に「馬を水辺に連れていくことはできても、(水を欲しなければ馬に)水を飲ませることはできない」がある。これを「霊的真理が学べる場所(→講座、勉強会など)に友人を連れていくことはできても、その友人に真理を受け入れるだけの時期が来てなければ、理解してもらうことはできない」と読み替えると、スピリチュアリズムが誰彼構わず勧誘する形態をとらない理由が理解できると思う。

本来、宗教の勧誘形態はこの方法なのだが、現状は献金額や入会者数といった組織維持の論理が優先して無理な勧誘が行われている。また数多ある宗教団体の中にはスピリチュアリズムからの“文言を借用”した組織もあると言う。注意が必要となる。

 

C、購入意思のあるお客が店舗に出向く形

スピリチュアリズム(霊的な事柄)に関しては必要としている人が自ら足を運んで真理を得る形態。いわば購入意思のあるお客が自ら店舗を選択して来店する形態(→講座や勉強会などに自らの意志で訪れること)。勧誘側から見れば“待ちの形態”に特徴がある。このように既存の宗教とスピリチュアリズムでは「宗教」の意味する内容に相違があるため、当然に勧誘形態にも違いが見られる。

 

②、オカルティズム(オカルト

ア、言葉の意味

オカルティズムはラテン語の「隠されたもの」に由来する言葉で「隠秘学」「神秘学」などと訳される。一般的な意味としては「通常の経験や科学では認められない超自然的な力の存在を信じ、それを研究すること。占星術・錬金術・神智学・心霊術などをいう」(広辞苑)。

 

イ、スピリチュアリズムとの違い

オカルティズム(但し魔術を除く)もスピリチュアリズムと同様に、高次の存在や高次の世界に関心を持っている。この点で両者には共通性がある。

スピリチュアリズムでは地上世界は体験を積むための「学校」であるとして、永遠の霊的向上に重きを置く。これに対して地上世界に重きを置くオカルティズムは「主知主義(→知性を重んじる立場)」の傾向が強い。視点の置き所が両者では異なっている。

 

③、魔術

ア、言葉の意味

辞書で魔術を引くと「超自然的手段を用いて、善悪いずれであれ自分が望むようにこの世の現象を操作し変えようとするものがマジックである。よい目的を持つものをホワイト・マジック(白い呪術)、悪い目的を持つものをブラック・マジック(黒い呪術)と言う。魔術と呪術を区別していない」(日本大百科全書)とある。日本で古くから心霊の世界で行われてきた「九字を切る」や「魔よけの呪文」などは典型的な魔術である。

一般に魔術は「この世に存在するものは相互に影響を及ぼし合っている」という相互関係に着目する。人の想念は外界の事象に影響を及ぼすので、強い思いを持つことにより期待通りの成果を得られると述べる(→引き寄せの法則と共通する)。つまり魔術とは自分が意図した通りに何らかの変化を生じさせる術のことである。

 

イ、オカルティズムとの違い

オカルティズム(神智学含む)では秘儀伝授(イニシェーション)や意志力を重視するが、魔術もこれらを重視しているのでこの点で両者は共通する。しかしオカルティズムには隠れた力や存在を信じて「超越的存在との合一を目指す」という考えがあるのに対して、魔術には究極的なものに仕えるとか、自己をより高めるといった観念はなく、物質的で自己中心的な満足を求める傾向が強い。

 

ウ、スピリチュアリズムとの違い

 

魔術は物質的な実現を第一義とするが、霊性の開発という肝心な点は欠落している。これに対してスピリチュアリズムでは「本来の私という意識」に潜在している“神の分霊”の顕在化、つまり相応の形体をまとって利他的行為を行う「霊性の開発」に関心が向いている。スピリチュアリズムと魔術では目指している方向が正反対である。

 

④、神智学

ア、本来の意味

神智学の本来の意味は「神秘的直感によって直接に神を認識し神の啓示に触れようとする立場」のこと。この立場からは「神は叡知的な性格を持ち、宇宙は神の叡智によって形作られている」「人間の智や認識も神の叡智に通じる性格を持ち、人間は神を認識し神に近づくことができる」と説く。このような説を述べる神智学は、神の不可知(→人間の五感では証明や計測できないので神を論議の対象外とする)や人間の認識の限界を強調する正統派神学や哲学からは常に異端視されてきた(世界宗教百科事典)。

なお本来の意味としての神智学が言う「神秘的直感によって直接に神を認識し神の啓示に触れようとする立場」については、スピリチュアリズムの観点から見て問題がある。なぜなら肉体をまとった人間の段階では「神」を直接認識することは不可能であるから。霊界人にとっても「神」はその働きにより知り得るのみである。

モーゼスの『霊訓』に次のような記載がある。「神については知ることを得たが、神そのものは直接には知らない」「我等にとっても神はその働きによって知り得るのみ」(霊訓上38⑬~⑮参照)。さらに「神の姿を拝したことはない」「たとえ拝したことが無くても、我らはその御業を通して神の奥知れぬ完璧さを認識する。我等は無数の方法によって神の存在を認識することを得ている」(霊訓下30⑬、31④~⑥参照)。

 

イ、近代神智学

ブラヴァツキーとオルコットによって1875年にニューヨークで「神智学協会」が創設された。この「神智学協会」によって主張された神智学は“本来の意味での神智学”ではなかった。そのため“本来の意味での神智学”と区別する意味で「近代神智学」と呼ばれている。

近代神智学は使用する人の立場によって違いがあるが、一般的には「近代神智学はブラヴァツキーの著作の中で明らかにされた神秘主義を基調とした思想体系を指す」(世界宗教百科事典)とされている。この思想体系は「東洋的要素を大幅に取り入れた点が、キリスト教神智学とは決定的に異なっている」(世界宗教百科事典)。近代神智学は東洋の神秘思想重視の傾向が強い。

 ブラヴァツキーの近代神智学は、当時の著名なスピリチュアリストにも大きな影響を与えた。ちなみに1878年創設の英国神智学協会では、最初の1年間の入会者のほとんどはスピリチュアリストであったという。このように神智学の論理的で思弁的な理論体系は、さまざまな人たちに影響を与えつつ、ルドルフ・シュタイナーの人智学(→1913年創設の人智学協会は西洋の神秘思想を重視)や20世紀後半のニューエイジ運動に繋がっていった。

 

ウ、スピリチュアリズムとの違い

ブラヴァツキーによって始められた「近代神智学」は、オカルティズム・東西の神秘思想・魔術・宗教・さまざまな思想等をミックスして一つの理論体系として打ち立てたもの。この点が高級霊からもたらされた霊界通信を基にしているスピリチュアリズムとは本質的に異なっている。

さらに神智学では「死後の世界」と「霊の存在」は認めるが「顕幽の交流」は否定する。この点でスピリチュアリズムとは立場を異にしている。ブラヴァツキーは「死者の霊は稀な例外的な場合以外は、この世に戻ることはできないと私達は主張します。また、全く主観的な方法による以外は、霊と人間と通信することもありません」(ブラヴァツキー著、神智学叢書『神智学の鍵』竜王文庫、36頁参照)と述べて、スピリチュアリズムの根幹部分である「霊との交流(→顕幽の交流は可能であるので、霊媒を通して特定の死者の霊との交信が可能)」を否定した。

 

⑤、ニューエイジ運動

ア、言葉の意味

1960年代のアメリカに端を発した文化現象に「対抗文化(カウンターカルチャー)」がある。この対抗文化は1970年代に「ニューエイジ運動」として定着していった。ちなみに対抗文化としての多様な形態や行動様式(→音楽、映像、ワークショップ、セラピー、ヨガ、瞑想、東洋医学、地球を一つとみなす環境運動など)を一括りにした全体を「ニューエイジ」と呼んだ。日本では「ニューエイジ」や「ニューエイジ運動」は「精神世界」と呼ばれることが多い。

 その「ニューエイジ」の中でも“霊的な部分を総称した言葉や活動”の総体を特別に「ニューエイジ運動」と呼んでいる。宗教学者の島薗進氏は1970年代以降「ニューエイジ運動」は、「新しい意識や文明への移行が近い」という多くの人々の期待を集めて、先進国にとどまらず第三世界も含めて消費文化が発達した大都市において同時多発的に、多様な形態で展開している運動であると述べる(島薗進著『精神世界のゆくえ』51頁参照)。

 「ニューエイジ」という言葉は、占星術で「魚座の時代が過ぎて新しい水瓶座(アクエリアス)の時代が到来する」という考えが基になっている。魚座の時代は宗教の時代であったが、水瓶座の時代は宗教に代わる新しい霊性(スピリチュアリティ)の時代とされるから。なお社会の有り様も従来の人間中心主義的思考方法から、近年では「ニューエイジ」の思考方法である「共生型や全体論的思考」が市民権を得て生活の中に溶け込んできている。

 

イ、「精神世界」というカテゴリー

日本において“ニューエイジ的な宗教観(ニューエイジ運動)”と呼ばれるものは「精神世界」というカテゴリーで括られている。各種の解説書によれば「精神世界」は以下のような区分けをして説明がなされている。

・神道・仏教・民族宗教的な流れをもったもの

・アメリカのチャネリングやセラピーの流れにあるもの

・神秘思想の流れにあるもの

・臨死体験や退行催眠、体外離脱体験等の超心理学の周辺部にあるもの

・宇宙人・UFOの流れにあるもの

 

ウ、日本に於ける現状

日本ではアメリカとは異なって「伝統的文化に対抗する」という要素は少ない(→アメリカでは支配的なユダヤ教やキリスト教由来の伝統文化と敵対関係にあるのが特徴。キリスト教は「スピリチュアリストは悪魔と戯れる者」と批判した)

チャネリングは日本の巫者(→イタコ、ユタ、卜占、霊能者など)の「霊的メッセージ」と容易に結びつく。アメリカでは既成宗教とは対立関係にあるが、日本ではむしろ宗教団体がニューエイジ的な思想や、スピリチュアリズム的な思想を組織内に積極的に取り込もうとしているように見える。

 

エ、問題点

A、幅広い層を取り込んでいる

一般に「ニューエイジ運動(精神世界)」は個々人のゆるやかなネットワークを中心として、内面の成長を追求したいと願う人々がメインのため、インターネット・出版物・自己啓発セミナー・ワークショップ・〇〇フェア等を媒体として活動することが多い。また「ニューエイジ運動」の当事者は純粋に「意識変容」を目指す人たちから、ニューエイジ・グッズの消費者まで幅広く存在する。

 

B、自己愛から利他愛へ

コップに水を注ぐとコップ一杯まで水が溜まる。さらに水を注げばコップの縁から水があふれだす。この良く使われている比喩を使って“水を愛に読み替えて”説明してみる。

自己変革の第一歩は“己自身を知る”ことから始まる。自分の欠点を認めて有りのままの自分を受け入れること、そこから変化の兆しが見えてくる。ニューエイジ系(→精神世界系)の書籍にしばしば見かける「自己を癒す、自己を許す、自己愛の強調」などのフレーズは、本人自身をコップに例えれば、コップを愛で満たすことを指す(→例えば自傷行為を繰り返す人に対して、まずは自分自身を愛する自己愛へと導く)。コップに少量の愛しかなければ人に優しくなれない(→刺々しい人)。まずは自分自身をいたわり癒し、愛でコップを満たす。そしてコップの縁を超えて溢れ出た愛を、他者に利他的行為と言う形で分け与える。

このように他者に対して利他的行為を行う前段階のウォーミングアップに、ニューエイジ系の主たる関心がある。ウォーミングアップによって次第に本人自身が愛や寛容さという霊的エネルギーで満たされることになる(→コップが愛・霊的エネルギーで一杯になる)。

シルバーバーチはコップの縁から溢れ出した愛・霊的エネルギーを、利他的行為という形で他者に流すことを説いている。なぜなら自己愛ではなく、利他的行為こそが霊的成長に不可欠な行為だからである。ここにニューエイジ系とシルバーバーチが説く霊訓の主たる違い、視点の置き所の違いがある。

 

⑥、心霊研究(超心理学)

ア、心霊研究の始まり

1848年のハイズヴィル(フォックス家)事件に触発されて多数の霊媒が出現した。霊媒を囲んで行われる“家庭交霊会”では、霊界からのメッセージと共にラップ現象などの物理的心霊現象が頻発して起きた。このような霊媒の周りで起きる客観的な心霊現象は、まもなく科学者の関心を引き、ここから心霊研究(心霊現象研究)がスピリチュアリズムを母体として始まった。

 

イ、研究者は現象の再現性を求めた

研究者の“現象面の科学的研究”に対して、スピリチュアリストは「信仰の補強としての役割」を期待した。しかし研究者は現象の再現性(追試可能性)と方法の厳格さを求めてきたために、次第に双方の利害や方向性が対立していった。

その後、研究者は霊媒現象に特有な「捉えにくさ、不確実性、不正の介在」などの問題から霊媒を退けて、一般人を対象として統計学を使った実験心理学の手法を用いる方向へと進んでいった。スピリチュアリストと心霊研究者との間の溝は次第に広がって行った。

 

ウ、スピリチュアリストは梱包材より中身の検証を主張

スピリチュアリストは「心霊現象は人々に霊的なものに関心を向けさせるための手段」であり、次の段階に進むための準備と位置づけた。いわば心霊現象は霊的真理を地上に届けるための“梱包材”のようなもの。その“梱包材”の成分調査や梱包状態の外見調査に明け暮れて中身を開こうとしない、中身の持つ霊的意味を探ろうとしないとの批判がスピリチュアリスト側には根強く存在する。

スピリチュアリズムから心霊研究は分離して、その後霊魂説を放棄して既成科学の傘下へ進む心霊研究(=超心理学)と、霊魂説を前提として霊的教訓を受取るスピリチュアリズムとは、交わることなく並行して進んでいくことになる(→社会学者の田中千代松氏は「同根の平行線」と名づけた:田中千代松編『新・心霊科学事典』所収「総括と展望」参照)。

 

5、講座に寄せられた質問

①、質問その1

<質問>「霊的自覚が芽生えてくれば、偏見や性癖などの意識の持続は徐々に失速して行くとのことですが、個性はマイナス面も含めてその人だと思うのですが、そういう意味では人は亡くなった後は完全に生前と同じ性格や意識では無くなってしまうのでしょうか?」

「もし生前と性格が変わる、あるいは亡くなった人が早く幽界の上層界に行った場合は、残された家族は亡くなった人と二度と会えないことになるのでしょうか?」

<回答>

ア、個性とは仮面(マスク)のこと

 Aという役者にテレビドラマのオファーが来た。そのドラマの中での役柄(個性)は「温厚な父親役」だった。Aはドラマの中で一生懸命に温厚な父親役を演じた。次のドラマのオファーが来た。今度のAの役柄(個性)は「冷酷で貪欲な貿易商」であった。このようにAはオファーが来たドラマの役柄(個性)を次々と演じて行くことによって、役者としてのキャリアを積み上げて行く(→個別霊として霊的に進化して行く)。

 この場合にAが演じた「温厚な父親」という役柄や「冷酷で貪欲な貿易商」という役柄は、A自身が役者の世界でキャリアを積み上げて行くために演じた個性である。これらはドラマの中での役柄である。役者A自身とドラマの中での役柄を区別して考えなければいけない(→地上で見せた役柄と言う個性は、本来の私が有する数多い個性の中の一面)。

役柄(個性)とは役者である「本来の私という意識(=自我の本体、霊的な心)」が、地上世界と言うドラマの中で自我を表現する為にまとった衣装のデザインのこと(→地上的人物像、パーソナリティ)である。一種の仮面である。その仮面(→再生人生のテーマ達成に最も適した仮面)をつけて「本来の私という意識」の霊性向上を図っている。いわば地上とはさまざまな仮面をつけた個別霊が、お互いに触れ合い切磋琢磨しながら体験を積む“仮面舞踏会”の世界であると言えようか。

Aの「地上的人物像(→温厚な父親の役柄、冷酷で貪欲な貿易商の役柄と言う仮面)」を通して潜在意識に取り込んだ地上時代の体験は、幽界の下層界で一種の無害化が為されて客観視できるまでに昇華される。その無害化された“地上体験(→温厚な父親の役柄や冷酷で貪欲な貿易商の役柄を通して得た体験)”は、幽界の上層界から霊界(狭義)へと界層が上昇するに伴い「本来の私という意識」の中に今回の地上体験として溶け込んでいく(→A自身の役者としての幅が広がってキャリア・アップに繋がった)。

 

イ、霊体オーラは「開いた本」のようなもの

 人間は肉体と霊体、そして両者を結合させている中間物質で出来た接合体の三者がワンセットになって出来ている。人間は死と共に肉体を切り離し(→肉体と言う第一段階の燃料用ロケットの切り離し)、中間境で物的波長から霊的波長の切り替えを行う。死者が「明確な死の自覚」を持つことによって霊体(幽体)が完成して、中間物質で出来た接合体を切り離して幽界に移行する(→接合体と言う第二段階の燃料用ロケットの切り離し)。そして物質性の濃い霊体(幽体)のみをまとって霊の世界で生活する。

霊界人は相手の霊体オーラを見て、その人自身であることを確認して接している。オーラを見ればその人の「魂の状態、精神の発達状態、魂の進化の程度も分かる」。また「オーラが開いた本のように、何もかも読み取らせてくれる」(語る431⑧~⑫参照)ので人違いは有り得ない。

 

ウ、死後個性の存続

A、アイデンティティの問題

アイデンティティ(同一性)は何を基準にするかという問題がある。たとえば霊界で大きな仕事をする場合には、各自が持てるものを貢献し合うことが大原則となっている。その仕事のため各自は知識と情報を持ちよって、そのうちの一人が全体を代表して行動する。その期間中は他の者のアイデンティティは薄れて一つになる場合がある(語る196⑩~⑫参照)。

 

B、再会時の識別・身元の確認

地上時代に用いていた名前はその人を認知するための手段の一つであり、身元を確認する上で必要であるため用いているに過ぎない(2巻153②~⑨参照)。また交霊会に何年も前に他界した子供がそのままの姿で出現する場合がある。それは他界時の容貌や性格のままの状態で現れて、自分は死後も存続しているということを分かってもらうためである(3巻203④~⑤、8巻113②~④参照)。なお高級霊になると形体が無くなって光輝を発するようになる。その光輝を見ればその霊の霊格や人物情報が一目瞭然に分かる(2巻153⑫~⑬参照)。

 

C、シルバーバーチは

シルバーバーチの霊訓では「霊というものは自分の識別を容易にしてあげるために、一時的にどんな形体にでも取ることが出来ます」「子供の時に他界して地上の時間にして何十年もたっている場合、その母親が他界してきた時に、一時的に他界時の子供の姿になって見せることができます」(8113②~④参照)。また「何年も前に他界した子供がそのままの姿で出現するのは、自分の存続の証拠として確認してもらうため」であり、「身元の確認が問題とされる時に忘れてならないことは、他界した時点での姿や性格やクセを持ち、その時の姿のままを見せないとあなた方が承知してくれないということです。そこで霊媒に映像を見せてそれを伝達させます」(3203④~⑦参照)とある。

 

②、質問その2

<質問>「心霊治療について教えて頂きたいです。息子の“うつ”が治らなくてどうにかしてあげたいと親として思っています」

<回答>

ア、うつ病とは

 日常生活の中で憂うつと感じる出来事は多いが、健康な人は原因が無くなれば憂うつ感は消えて行く。しかしうつ病の人は原因が無くなっても憂うつ感から解放されることがない。いつでも強い抑うつ症状を持ち続けてマイナス思考に陥る。

各種の調査からも明らかなように近年うつ病の患者は急増している。特に働き盛りの世代では、仕事による過労やストレスからうつ病を発症する人が多いという。真面目で他人に気を遣う性格の人ほど生きづらさを感じてうつ病を発症して、引き籠りの症状が出て来る。

 

イ、病気の原因

 シルバーバーチは「健康とは身体と精神と霊の三者の関係」が調和状態にあること(1127⑫、9171⑧参照)。これに対して病気とは、三者間の調和の欠如によって生命力の流れが阻害され、病的症状が出る状態であると述べる(2193⑬、9171⑦~⑪参照)。上記の「身体」とは肉体のこと。次に「精神」とは「地上的自我意識(物的な心)」のこと。「本能に起因する意識」と「霊的意識(本来の私という意識)」という出自が異なる二つの意識が物的脳で統合されて「顕在意識」となる。この「顕在意識」を通して形成された「地上的自我意識(物的な心)」のこと。さらに「霊」とは“神の分霊”を内在させた「本来の私という意識(霊的な心)」のことを指す。

人間は自由意志を濫用して、其々のレベルに応じた摂理違反行為を日常的に行っている。たとえば暴飲暴食や昼夜逆転の生活など「身体レベル」で、また「精神レベル」では過重な緊張やストレスなどの負荷を日常的に掛けている。さらに霊性の低さに起因する利己主義や貪欲等の「霊的レベル」で不調和状態を自ら作っている。この他に私たちは日常的に“過度の心配や取り越し苦労をする”ことによって、「生命力が流れる通路を遮断」して病を発症させている。さらに病気の中には「カルマが原因」となって発症している場合もある。このように霊的摂理に違反することを行った結果、「身体と精神と霊」とが不調和状態となって病が発生する。

 

ウ、霊的エネルギーを循環させる

 宇宙に遍満している霊的エネルギーは本人が霊的摂理に則った生活(→霊が主、モノが従)や他者に対して利他的行為を行うことによって、本人の「霊的な心→霊体→接合体→物的な心→肉体」と循環して各部位を活性化させて行く。

一般にうつ病は過重な緊張やストレスが引き金となって、霊的エネルギー(生命力)が流れる通路を無意識に遮断している場合が多い。また自分自身を愛する自己愛は程度に違いはあるが誰しも持っているものだが、中には必要以上に強い自己愛の持ち主がいる。この場合も自分自身で霊的エネルギーの循環を阻止している。

 

エ、上記を踏まえての回答

 シルバーバーチは「精神上の病も(心霊治療で)治すことができます」(9巻190⑥参照)、「(精神病が)直接治療ができない場合は遠隔治療でエネルギーを送ってあげればよろしい」(最後啓示206②~④参照)と述べている。このように精神病の一種であるうつ病は心霊治療で治せる。

心霊治療を受けると一時的ではあるが、多少なりとも霊的エネルギーの循環が回復して、やる気が湧いて気力がみなぎると言ったプラス思考ができるようになる。しかし今回の病気をきっかけにして自分自身を見つめ直して、従来の「利己的で自己愛的な生き方や考え方」から「利他的な生き方や考え方」へと、意識を根本から変える為の本人の努力が伴わなければ、うつ病の完治は難しいと思われる。

 

意識の変革は日常の何気ない行動が積み重なって変わって行くもの。もし本人の協力が得られるならば、最初は目標のハードルを低めに設定して徐々に高めて行くという方法がある。あくまでも主役は本人であって、家族はサポート役に回る。

その一つの方法として引き籠りを伴ったうつ病の場合は、本人自身の日常行動を客観的に見させる為に「視覚化する」方法がある。例えば一日一回散歩でも買い物でも良いので、外出が出来た場合は「〇」、玄関先まで出られた場合は「△」、一歩も部屋から出られなかった場合は「×」、この「〇△×」をカレンダーの日にちの数字の下に記載して視覚化する。連日「×」が続くとせめて一日くらい「〇」に変えたい、このような意欲が本人に湧いてきたらしめたもの。意識を変えるきっかけとなるから。

 

③、質問その3

<質問>「類魂意識とユングが定義した集合的無意識との違いについて」

<回答>

ア、ユング心理学

「ユング心理学」は深層心理学の一つに分類されている。深層心理学とは「表面(または意識)に現れた心理現象や行動の背後には、表面に現れない無意識的な心理過程や動機があると仮定し、その仕組みを研究する心理学」(百科事典マイペディア)のこと。

ユングは「集合的無意識」という概念を使って「無意識」の働きを説明した。ユングが提唱した「集合的無意識」とは事典の記載によれば「個人的な経験を超えた、人類に普遍的にある無意識。人の心の深層には、祖先の経験したものが蓄積されているとする考えによるもの」(広辞苑)。また「個人的な経験が抑圧されたものを個人的無意識と言うのに対して、普遍的・超個人的なものを集合的無意識という」(ブリタニカ国際大百科事典)とある。このように「集合的無意識」という概念は「すべての人の無意識の世界が繋がった“人類共通の無意識の世界”が存在するという考え方」のこと。

「ユング心理学」は学問的に人の心の働きは無意識が大きく影響するということを明らかにした点に特徴がある。近年研究が進んでいる「トランスパーソナル心理学」も「ユング心理学」と同様に「個を超えた無意識の世界(超個的無意識)」の研究、つまり「人間の知覚を超えたものが人間の心理に与える影響」(ブリタニカ国際大百科事典)を研究している。

 

イ、スピリチュアリズムで言う所の「意識」とは

A、シルバーバーチの見解

 私たちの「意識」は多重構造をしている。シルバーバーチは「意識は脳とは完全に独立した形でも存在することが出来る」(3巻194⑩~⑪参照)、また「意識にも次元の異なる側面が無限にある」(7巻189⑥参照)と述べる。

 

B、顕在意識

まず「意識」には物的脳を介して働く「顕在意識」がある。私たちが日頃用いる「意識」は物体である脳の機能を介して働いている。自我の本体である「霊的な心(本来の私という意識)」から微弱な波動の形で物的脳に流れ込む「霊的意識」は、肉体から発せられる生命維持の為の機能、肉体の各部位から発せられる生理機能、種の保存の為の要求など、自己保全的に働く肉体本能の影響を強く受けるため、顕在意識に占める霊的意識の割合は限りなく低くなる。

 

C、潜在意識の浅い部分

次に「顕在意識の地下領域に相当する意識」(4巻156⑨参照)がある。この「意識」を「潜在意識」という。「潜在意識の浅い部分」にはもっぱら今生を生きる人間の「日常生活で機械的・自動的に行われる身体機能や思考パターン」と「成長過程で身に付けた経験や知識」、さらには「地上生活中に取り込んだ宗教の教義や特定の思想」などが溶け込んでいる。この「浅い部分にある潜在意識」には今生を生きる「個人に関する記憶の貯蔵庫」がある。

 

D、潜在意識の深い部分

この「浅い部分にある潜在意識」の奥には「深い潜在意識」の領域がある。ここに前世の記憶を含む「個人に関する記憶の貯蔵庫」が存在する。この「深い潜在意識」に「神の分霊」が潜在している。またこの「深い潜在意識」は類魂意識と繋がっている。

「神の分霊」の顕在化が増すごとに「深い潜在意識」は一段と拡大して「地球意識」へ、さらには「宇宙意識」へと拡大して行く。なお霊性の進化とは潜在している「神の分霊」をより多く意識の領域に顕在化して行くことである。

 

E、地球意識、宇宙意識

霊からの通信には「アカシック・レコード」に関する記載が見られる。例えば「宇宙には資格ある者なら自由にそして存分に我がものとすることが出来る莫大な霊的宝庫が存在する」(716④~⑤参照)とか、「宇宙の記憶の層には生きとし生けるものすべてのバイブレーションが記録されている」(個人的存在238②参照)などの記載がある。なお「記憶の層」には個別霊レベルの「今生に於ける記憶の層や前世に於ける記憶の層」、さらに「人類レベル・地球レベルの記憶層」、この奥に「宇宙レベルの記憶層」がある。

個別霊は「神の分霊」の顕在化に伴って意識は拡大して行く。まず「個人に関する記憶の貯蔵庫」のレベルから「国や地域の人たちが集積した情報や記憶の貯蔵庫」にアクセスが可能となる。さらに意識は拡大(→意識により多く“神の分霊”が顕在化すること)して「地球意識」に至れば「地球に関する情報や記憶の貯蔵庫」にアクセスが可能となる。さらに「神の分霊」の顕在化に伴って意識は拡大して「宇宙意識」と呼ばれる段階に至る。この段階の個別霊は「宇宙に関する情報や記憶の貯蔵庫」にアクセスが可能となる。このように意識は無限に拡大して、理屈の上では究極の形である「私の意識=神の意識」に至る。

 

ウ、結論

 意識の拡大を上記のように「意識の霊的進化」として考えて見れば、ユングの言う「集合的無意識(人類共通の無意識)」という概念は、スピリチュアリズムで言う「人類の総体としての潜在意識」(永遠の大道148②参照)と読める。その点で両者は共通している。しかし同じ結論に至るにしても、ユングの「集合的無意識」は学問上の仮説なので、霊の存在を前提とするスピリチュアリズムの意識とは説明の仕方に違いがある。

遠い将来この地球上に住む人類の意識が拡大して「地球意識」まで進化すれば、その時の人類の意識は「地球は巨大な生命体(ガイア理論)」という意識状態に至るであろう。

 

④、質問その4

<質問>「霊的真理を授かる恩恵に至った人と言うのは、やはりシルバーバーチ霊が言うような人生のどん底や物質的に絶望した人たちなのでしょうか。調べたことが無いので分からないですが、個人的体験談でもいいので先生の解釈を聞かせていただけたら幸いです」

<回答>

ア、『シルバーバーチの霊訓』では

シルバーバーチは「悟り(→魂の目覚めのこと)は悪戦苦闘の中で得られるもの」(1巻112⑪参照)、「大切な知識、偉大な悟りというものは悲しみと苦しみという魂の試練を通じて得られるもの」(699④~⑤参照)、「魂が目覚めるまでは往々にして悲しみや病気がお伴することになる」(12211⑫参照)、「霊性というものは苦悶と病苦と悲哀の体験を通して初めて覚醒するもの」(語る206⑫参照)などと述べている。

 悪戦苦闘には物質的な面と精神的な面の双方がある。なお精神面に於ける悪戦苦闘は他人からは窺い知れないので、本人が言わない限り分からないことが多い。悪戦苦闘の主な事例を列挙すれば「病気、様々な人間関係、夫婦の問題、子供の問題、お金の問題、雇用・解雇、倒産、事故、災害」等があり、これ等が切っ掛けとなって、モノ的に又は精神的に悪戦苦闘することがある。その危機的体験が触媒となって居眠りしている魂(意識)を目覚めさせることに繋がる(1145⑬~⑮参照)。

 なお「地上世界は、洞察力に富む一部の人を除けば、大きな悲しみの体験をさせられる前に、霊的真理の必要性を知る人はほとんどいない」(道しるべ42⑧~⑨参照)という。

 

イ、魂の目覚め

霊的真理を理解するには魂(意識)に受け入れ態勢が出来上がっていることが必要と言われている。この場合の「受け入れ態勢」とは、何らかの体験が触媒となって自我を内省する状態のことを言う(826⑮~27①参照)。そして魂が目覚める(→自分とは何者か、何の目的で地上に存在するのか?)ためのチャンスが一人一人に必ず地上生活中に訪れることになっている(9169⑫、8巻169⑨、170⑪参照)。地上生活に悩みと苦しみが絶えないのは魂が目を覚ます場所だから(9165①参照)。

 

ウ、個人的な体験

 私の20代から30代に掛けては、精神的に追い詰められた苦しい時期であった。その苦しい時期に日本心霊科学協会を知り、スピリチュアリズムの世界に関心を持った。50歳の時に今後は『シルバーバーチの霊訓』をベースにしたスピリチュアリズムを、私のライフワークにしようと思った。但しあくまでも個人的な研究であり、現在のように「人前に立つ」ことは全く想定していなかった。

これ以降、人生の岐路に差しかかる度ごとに目の前のドアが開いて、その開いた道を進んで行くと何時しか参加者を前にして「人の生き方」を説くようになっていた。このように私の来し方を振り返れば『シルバーバーチの霊訓』にある通りの半生だったと思う。

 

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