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第2講、スピリチュアリズムの普及運動(2023年)

<目次>

1、スピリチュアリズムの普及活動の展開

・霊界を挙げての組織だった活動

・スピリチュアリズムの普及に対する妨害

・霊団の系譜

2、シルバーバーチについて

・シルバーバーチに関する情報

・霊界通信の判断基準

3、既成宗教とスピリチュアリズムの融合

・キリスト教的スピリチュアリズム

・和製スピリチュアリズム

・スピリティズム

4、霊界主導による普及活動の経路

・霊的潮流

・スピリチュアリズムは「意識を変える運動」

5,講座に寄せられた質問

 

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1、スピリチュアリズムの普及活動の展開

①、霊界を挙げての組織だった活動

ア、地上の悲劇

 地球人類の歴史は飽くなき富の獲得と覇権をめぐる紛争の繰り返しであった。さらに近代以降の相次ぐ発明と発見そしてテクノロジーの発達は、唯物主義の蔓延という副産物をもたらした。その結果、唯物主義の病的症状たる際限なき貪欲と利己主義、さらには自分の国さえよければという「偏狭な愛国心」が世界を闊歩する異常な現状を生んでしまった。その背景には人の意識の中に深く巣くう「唯物主義(物質中心主義)と利己主義という地上世界を蝕む二つのガン」(1巻101⑫~⑭参照)の存在がある。

 また人々の霊的真理に対する無知の程度がひど過ぎて、それが各種の悪弊を生み出す原因となっている。そのため地上世界で寿命を終えた多くの人たちは物事の実相も知らずに続々と霊的世界に入って行く。これら幽界の下層界に落ち着いた「不幸な霊の面倒を見る」(8巻109⑥~⑨参照)ために多くの霊界人が動員されている。この現状をシルバーバーチは「霊界の悲劇」と呼んでいる(724⑥~⑦参照)。なぜなら地上時代に利己主義者であった者は、死後も「霊的自覚(→霊として今“何を為さなければならないか”という自覚)」が芽生えるまでは、利己主義という個性はそのまま本人の意識の中に維持されているから。

 

イ、本来は宗教界の役割だが

辞書によれば宗教とは「超自然的な存在に対する信仰と、それに伴う儀礼や制度のこと」とある。現実には特定の宗教に入信した信者は、教団の教義に盲従することが求められている。高級霊は「形式を守り教義に盲従するというだけの宗教」(11101⑪参照)には何の価値もないと否定する。また霊界側から見て「今日の地上には宗教と言えるものは殆ど存在しない」(続霊訓79⑭参照)とも述べている。

霊力(霊的エネルギー)に関してシルバーバーチは「霊力は一つの計画の下に働きます。(過去に於いては)幾世紀にもわたってその時代の宗教を通して顕現しようとして来ました」(9114⑩~⑪参照)。しかし人間は長い歴史の中で、本来の「宗教」とは何の関係もない教義や宗教的儀式、宗教的建造物、聖遺物などの夾雑物を“単純素朴な霊的真理”の中に挟み込んでしまい、肝心の基礎を忘れ去ってしまった。現在では「霊の力が一番見られなくなっている場所は、皮肉にも、本来そこにこそ存在しなければならないはずの宗教界です」(9112①~②参照)と手厳しく述べている。

 

ウ、宗教界とは無縁の者を通して普及を行う

 このような現状に対して「霊界の上層部において、もはや地上への(霊力の)流入は既成の宗教界を通じては無理との判断」に至り、「宗教界とは無縁の者を通じて行うとの決断が下された」(9115⑥~⑦参照)。そして地上への霊力流入の手段として、霊界側には高級霊を支配霊とした霊団を置き、その霊団の指導の下で地上側に心霊グループを組織して、それを核として普及する形態が取られた。

このことは1848年以降の主な霊団の役割を見ていけば推測できる。この一連の経緯を概観すれば、霊界主導で始まったスピリチュアリズム普及運動の目的、それに基づいた各霊団の役割分担の概要が見えてくる。

 

エ、司令塔の「神庁」の存在

霊界は階層構造的な世界になっている。組織と言う観点から見ても「光り輝く存在、高等審議会、神庁、天使団」などと呼ばれる高級霊団(神庁)の上にも、さらに高級な霊団が「連綿として無限の奥までつながっている」(9222③~④参照)。このような高級な霊団の中に、地球の進化に責任を負っている「霊団(→地球に於ける神庁のこと)」が存在する。

その霊団で開かれる会議を主宰しているのが、二千年前に地上に生を受けて短い生涯を閉じた“ナザレのイエス”である(581②~③参照)。そのイエスは地球を霊的に浄化する目的を持ったスピリチュアリズム普及運動の最高責任者の立場にある(578③参照)。

シルバーバーチは「地球浄化の大事業の推進に当たっている霊団(=神庁)」から指示を仰いで(1118⑭~19③参照)、地上側の霊媒の協力を得ながら霊的真理を語っている。これ故にシルバーバーチの立ち位置は、スピリチュアリズム普及運動の傍系ではなく本流に位置していると言える。

 

オ、顕幽二つの世界で同時に行われている

A、霊界主導の運動

霊的知識を地上に根付かせて「地球を霊的に浄化する(霊媒の書9⑩参照)」ための運動は(1176⑦、1118⑮他参照)、地上世界では入念な計画に沿って1848年から「近代スピリチュアリズム」の普及運動という形で組織的に始まった(558③~④参照)。これ以降、本格的に地上世界に霊的潮流が流れ込んできた。この潮流は霊界主導であり「地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけ」である(霊訓上203⑱参照)。

 

B、この世に於ける運動には二つの側面がある

 この霊界主導の運動には「社会変革運動としての側面」と「個人の意識の変革運動としての側面」の二面がある。一つ目は霊的真理の普及によって無知を無くして、地上にはびこる悪弊を駆除して行く「社会変革運動」としての「公の側面」がある。二つ目は個々人が霊的知識を日常生活に生かして自らの意識を変えていく「個人の意識変革運動」としての「私の側面」である。この変革運動のための手法が20世紀初頭に物理的心霊現象から「心霊治療と霊的教訓」に移行した。

この「個人の意識変革運動」とは、人間は霊的存在であり肉体はこの世で生活する為に「魂がまとう衣服」(3171⑥~⑦参照)であること。さらに人生は「死によって終了するのではない」ということを学ばせて、本人の生き方を煩悩にまみれた生き方から、霊的摂理に沿った生き方に変えて行くという内容を含んだ運動である。

 

C、幽界の下層界の浄化

<幽界の全体図>

 

<顕幽二つの世界で展開>

この普及運動は顕幽二つの世界で同時に展開されている。この点につきシルバーバーチは「地上だけでなく霊界でも大変な規模で布教活動が行われている」(道しるべ199⑤~⑥参照)と述べている。あの世では幽界の下層界で生活する「物的指向が強い霊(内面にある思いや願望が外部に現れた世界で生活する霊):Y―1」や「浄化の界層にいる霊:Y―2」が対象となる。これらの霊に対して「霊的自覚(→霊として今“何を為さなければならないか”という自覚)」を持たせて、幽界の下層界を浄化する運動として展開している。

なぜなら他界者は肉体を捨てただけで「習性も特性も性癖も個性も地上時代そのまま、利己的な人は相変らず利己的、貪欲な人は相変らず貪欲、悩みを抱いている人は相変らず悩んでいる」状態(724⑩~⑭参照)。また狂信的な宗教者は地上時代そのままの教義を維持している(→霊的牢獄に閉じ込められている)。少なくとも他界者の表面意識に「霊的自覚」が芽生える迄は地上時代そのままの意識状態を保っており、霊界から親和性のある地上人に「教唆(そそのかす)や幇助(手助けをする)」という形で影響を及ぼしているから。

 

②、スピリチュアリズムの普及に対する妨害

ア、スピリチュアリストは「悪魔と戯れる者」

スピリチュアリズムの勃興期、西洋では庶民の間で霊媒能力を持つ者を中心とした“小さな家庭内サークル”がブームとなり、「お茶とテーブル傾斜への招待が、普通の社交行事」となっていた。この社会現象に対して立ちはだかったのはキリスト教会であった。宗教界からは「テーブル・トーキングは悪魔のなせる業」であり、スピリチュアリストは「反キリスト者である」との厳しい批判が行われた(デボラ・ブラム著『幽霊を捕まえようとした科学者』文芸春秋、36頁~37頁)。1854年ケベック(カナダ)の大司教は教書の中でスピリチュアリストを「悪魔と戯れる者」と述べて批判した(イヴォンヌ・カステラン著、田中義廣訳『心霊主義』白水社121頁~126頁)。

 

イ、公開焼却、禁書目録

キリスト教陣営からは1861年スペインのバルセロナで、スピリチュアリズム文献300冊の公開焼却処分が行われた。また1864年には「禁書目録(→心霊主義的な、もしくは心霊主義に関するすべての著作、冊子、定期刊行物のすべて)」も出された(イヴォンヌ・カステラン著『心霊主義』白水社123頁~125頁)。

さらにはスピリチュアリズムの普及を快く思わぬ低級霊の策動(3巻38⑫参照)、この策動に影響された霊媒のいかさまの物理的心霊現象。また奇術師側からの心霊現象に対する執拗なまでの攻撃など(松田道弘著『トリックスター列伝』東京堂出版290⑪~291④参照)、このような「反スピリチュアリズム陣営」からの猛攻があった。

 

③、霊団の系譜

ア、聖ルイの霊団(地上側にアラン・カルディクを置く)

A、最初の礎石を置く

この項目では大まかにスピリチュアリズム普及運動に携わる「霊団の系譜」を見ていく。まず先鋒として神庁から“聖ルイ(→13世紀に実在したフランスの国王ルイ9世を中心とした霊団)”が指名された。聖ルイの霊団は地上側の協力者に、聖書に関する知識が豊富なアラン・カルデック(仏1804年→1869年)を起用した。そして霊団はカルデックに「最初の礎石を置く」ための仕事に従事させた(→文中では「最初の礎石を置くことがあなたの使命です」となっている:アラン・カルデック著、浅岡夢二訳『霊との対話』幸福の科学出版278⑩参照)。

 

B、反スピリチュアリズム陣営からの猛攻

聖ルイの霊団はキリスト教会からの激しい攻撃にさらされながらも、地上側の協力者であるカルデックを導きながら地上世界に確固たる「霊的橋頭堡」を築くことができた。その一つの表れが、アラン・カルデック編纂の『霊の書:1857年』と『霊媒の書:1861年』の出版である。近藤千雄訳『霊媒の書』の“訳者あとがき”には、カルデックに対して「既成宗教界、とくにキリスト教界からの非難中傷が激しかったようで、カルデックはそれに対する理論武装に大変な神経と紙面を費やしている」(霊媒の書293②~③参照)とある。

 カルデックの著書にはキリスト教神学に関する事柄が多く記載されているが、全体的に見てキリスト教神学に対する「対決姿勢」はモーゼスの『霊訓』と比較して弱い。その理由につき支配霊の聖ルイはカルデックに対して、18566月のボタン家の交霊会で「それらのある部分は、もっとずっと後になってからでないと発表できない、と云うことが分かるようになるでしょう。新たな考え方が広まり、根付くまで、待つ必要があるのです」(浅岡夢二訳『霊との対話』293①~③参照)と意味深長な言い方をしている。その背景には「反スピリチュアリズム陣営」からの猛攻があったからで、時期が到来するのを待たなければならなかったからであった。

 

イ、インペレーター霊団(地上側にWSモーゼスを置く)

A、キリスト教神学の壁を打ち破る

スピリチュアリズムの勃興期、スピリチュアリズムの普及を果たして行くためには、前途に立ちはだかるキリスト教神学という厚い壁を切り崩して、普及運動を前進させる必要があった。そのため高級霊インペレーターを中心とした霊団は、聖ルイの霊団が築いた「霊的橋頭堡」を足掛かりとして、地上側の協力者に国教会の牧師のウイリアム・ステイトン・モーゼス(英1839年→1892年)を選んで、立ちはだかる厚い壁に果敢に挑んでいった。

推測するにモーゼスは出生するに先立って、霊界に於いてインペレーターと十分な打ち合わせをした上で地上に生を享けたと思われる。地上に誕生して物的身体をまとうことによって、この打ち合わせの記憶はモーゼスの潜在意識の奥深くに仕舞い込まれた。出生後のモーゼスはキリスト教神学を学び、それを固着観念として定着させて国教会の牧師となった。インペレーターにとって手ごわい“相方(たたき台)”として成長していった。

 このような準備を整えた上で1873330日以降、霊団からのメッセージをモーゼスに受信させた(霊訓上17①~②参照)。次第に霊団から受け取る文章がキリスト教の信仰と真っ向から対立する内容のものとなっていった。そのためモーゼスは自身の支配思想であるキリスト教神学との葛藤(破邪顕正)が始まった。

霊的真理を述べる立場にあるインペレーター霊団は、キリスト教神学というドグマを打ち砕くため、モーゼスを“たたき台(→キリスト教界の代表者という形を取って)”にした熾烈な論争を展開していった。モーゼス自身の激しく揺れ動く心の葛藤を経て、インペレーター霊団は最終的にキリスト教神学に代わって霊的真理を説くことに成功した。ちなみにこの時のモーゼスの葛藤が仏教用語の“破邪(→誤った見解を打ち破ること)”であり、霊的真理の受容が“顕正(→正しい真理を示すこと)”である。

 

B、インペレーター霊団の使命

キリスト教神学という厚い壁を打ち砕くためには、霊団のすべてのエネルギーをこの“一点に集約”する必要があった。そのため異論が多く複雑で一筋縄ではいかない再生に関しては、『モーゼスの霊訓』には一部言及した箇所はあるが積極的には述べていない(霊訓下132⑪~⑯、続霊訓104⑨~⑭、続霊訓132⑬~133⑨参照)。なぜなら論議の対象になり易い再生の問題はインペレーター霊団の仕事ではなかったからである。ここにインペレーター霊団の特殊性があった。

インペレーター霊団はモーゼスとの間で“論争という手法”を使って、キリスト教神学の問題点を浮かび上がらせて、厚い壁の一角を切り崩すことに成功した。

 

ウ、シルバーバーチ霊団(地上側にモーリス・バーバネルを置く)

聖ルイの霊団の後を引きついたインペレーター霊団は、キリスト教の本丸に果敢に挑んでその一角を切り崩した(→モーゼスの『霊訓:1883年』『続霊訓:1879年・1880年・1882年』の出版)。これらの霊団が地ならしをした所にシルバーバーチ霊団が登場して、地上側の霊媒にモーリス・バーバネル(英1902年→1981年)を置いて1920年から(1巻8~9頁参照)1981年の長きに亘って(→最初の15年は準備期間:4168③参照)霊的教訓を説き続けてきた。

 最初の霊談集は1938年に『シルバーバーチの教え』として出版された(→この書籍には、霊界側の意図・神の摂理・死後の世界・再生・心霊治療などが幅広く網羅されている)。この著書の項目からも分る通り、シルバーバーチ霊団はスピリチュアリズ思想全般を説く役割を持っていた。

まとめると「聖ルイの霊団」は1850年代に「最初の礎石」を置くことに注力した。この後1880年代に「インペレーターの霊団」が登場して、当時立ちはだかるキリスト教神学という厚い壁の一角を切り崩すことに成功した。これらの霊団が築いた「橋頭保」の上に立って「シルバーバーチの霊団」は1920年~1981年の長きに亘り霊的教訓全般を説いた。

このようにそれぞれに担当する霊団には役割があり、各霊団の間には連携があり、獲得した「橋頭堡」を足掛かりにして、さらに陣営を拡大させて地上世界に霊的真理を普及させて来たことが分かる。

 

2,シルバーバーチについて

①、シルバーバーチに関する情報

ア、神庁からの要請

A、思念は環境を形成する

シルバーバーチは3000年前に地上生活を送った霊(3153①参照)であり、地上に再生して霊的進化を遂げる段階を卒業した古代霊(1112⑦~⑧参照)である。そのシルバーバーチが住む境涯は、適材適所で生きる喜びにあふれ芸術の花が咲き乱れた、光り輝く色彩豊かな環境であるという(2158⑪~⑭、922④参照)。

霊界では思念は実態そのもの。その思念は環境を形成するので、自ずと霊格と形体と環境は一致する。そのため同一霊格で親和性のある霊が集まった高い境涯では、同じような思念をそれぞれの霊が発するため光り輝く環境となる。

 

B、神庁からの呼び出し

ある時シルバーバーチは、地上の霊的刷新(→地球を霊的に浄化すること)に責任を負っている霊界の上層にある神庁からお呼びが掛かり、他の同僚と一緒に仕事の要請を受けた(916⑬~⑭、1112⑫~⑭参照)。

その仕事とは“愛(霊的エネルギー)の欠乏”により暗くてじめじめした魅力に乏しい地上世界、弾力性を失ったクッションのようで何もかもだらしなく感じられる地上世界に戻って(2158②、822⑭参照)、高級指導霊のメッセンジャーとして、受け入れる用意のできた人(=大人の霊)に単純明快な形で霊的真理を届けることであった(1112⑫~13②参照)。この点からもシルバーバーチは誰彼かまわずに霊的教訓を説こうとしたのではなく、あくまでも「大人の霊」を対象として説こうと決意して地上に降りてきたことが窺える。

 

イ、霊訓を地上に降ろす

A、霊界の霊媒

シルバーバーチという名の古代霊は「霊的進化の末に二度と地上世界へ生身に宿って戻ってくる必要のない段階まで到達した」(1112⑦~⑧参照)霊である。その進化レベルにある霊は、波長の低い地上圏に降りて来て地上側の霊媒と直接交信することは不可能である(810⑩~⑪参照)。

そのため地上との接触には霊界側に霊媒を置く必要があった(1113⑦~⑩参照)。高級指導霊たちは霊的波長を変える「変圧器の役目」を担う「霊界側の霊媒」として、地上時代にレッドインディアンであった霊の霊体(を持つ霊界人)を用意してくれた(810⑨~⑬、1113⑪~⑫参照)。

 

B、個人情報は開示していない

シルバーバーチという名の古代霊は地上時代のことを「証明する手段は何一つない」(811⑭参照)との理由から、地上で如何なる人物だったのか、活躍した時代は何時かなど、一切の個人情報は開示していない。

また「私の名はシルバーバーチではありません」(1112①参照)とも述べている。この「シルバーバーチ」という名前は、かつて地上でインディアンだった「変圧器の役目」をしている霊の名前であるという(1112②~③参照)。さらに「地上時代の私はレッドインディアンではない。このインディアンよりはるかに古い時代の別の民族の者」(1112⑥~⑦参照)、いわば古代霊であるという。

この古代霊の使命はシルバーバーチよりさらに高級な指導霊たちのメッセンジャーとなって、霊的教訓を「受け入れる用意の出来た人間」(1112⑮参照)の「理性と知性と常識」(812②参照)に訴える形で届けること、と述べている。

 スピリチュアリズムの普及に多大な貢献をしたイギリスの著名なジャーナリストのハンネン・スワッハーは、「シルバーバーチは実はインディアンではない。いったい誰なのか、本当のところは分からない。本来属する界は波長が高すぎて地上とは直接の交信が不可能であるために低い界の霊の幽体を使用している。シルバーバーチと名のるインディアンはたぶんその幽体の持ち主であろう」(110⑫~11①参照)。このように「シルバーバーチ」という名は「霊界の霊媒の名前」であると述べている。

 

C、三者のオーラの調整

シルバーバーチという名で呼ばれている高級霊と、霊界の霊媒のインディアン霊、そして地上側の霊媒モーリス・バーバネル(→1932年創刊の週刊心霊新聞サイキック・ニューズの編集長)、この三者の霊的波長の調整に関しては次のような記述がある。

シルバーバーチは「私の方はバイブレーションを下げ、霊媒の方はバイブレーションを高めています。それがうまくいくようになるまで15年もかかりました」(4168②~③参照)。三者が調整を繰り返しながら完全に融合できるまで15年かかったということは、始めて入神した1920年から1935年迄の期間は霊的波長の調整に費やしたということになる。

 

D、霊的真理を地上に降ろす際のルート

高級霊シルバーバーチという名の古代霊

霊界の霊媒でインディアンだった霊

地上の霊媒のモーリス・バーバネル

交霊会参加者及び「シルバーバーチの霊訓」の読者

 

②、霊界通信の判断基準

ア、判断基準

A、ポイント

霊界通信の判断基準のポイントは、「通信内容の質の高さ」と「霊媒の潜在意識に付着している“色”をどれだけ排除できたか」にある。一般に霊界通信は霊媒の潜在意識にある単語や概念を用いて通信を送ること(個人的存在20⑪~21②参照)、さらには霊媒の発声器官を使用すること、このようなことから多かれ少なかれ霊媒の潜在意識にある固着観念に脚色されてしまうものである。

 

B、潜在意識を完全に支配する

霊媒の潜在意識の影響の問題について、シルバーバーチは「回を追うごとに(潜在意識の)コントロールがうまくなり、ごらんの通りになりました。今ではこの霊媒の潜在意識にあるもの(=単語・概念・思想等)を完全に支配して、私自身の考えを100パーセント述べることができます」(917⑮~18②参照)と述べている。

これはバーバネルの“潜在意識による脚色”の問題を完全に克服できたということ、シルバーバーチが事前に用意した通信内容を交霊会において100パーセント述べることが出来たということである。ポイントは三者間のオーラの完全な同調が実現したことにある。これは霊界通信に於いては極めて稀有な事例である。ここに『シルバーバーチの霊訓』が、数多く存在する霊界通信の中でも最高峰の位置を占める理由がある。

 

イ、ホワイト・イーグルの通信

A、ホワイト・イーグルは高級霊

一般にホワイト・イーグルはシルバーバーチと同格の高級霊であると言われている。シルバーバーチも「同志の一人であるホワイト・イーグルには彼なりの考えがあってのことでしょう」(新啓示25④)と述べて、ホワイト・イーグルを同志と呼んでいる。

またシルバーバーチは光明と美に溢れた境涯にいる同輩の多くに「地球浄化の大事業への参加の要請があった」(最後啓示58⑥~⑦)と述べている。推測するにその時の同輩の一人がホワイト・イーグルを名のる霊であったのではないだろうか。

翻訳家の桑原啓善氏によれば、ホワイト・イーグルの霊媒グレース・クック(1979年他界)とシルバーバーチの霊媒モーリス・バーバネル(1981年他界)は親友であったという(桑原啓善訳『光への道』でくのぼう出版206頁⑦~⑧参照)。

 

B、ホワイト・イーグルの通信には霊媒の“色”が強く出ている

 ホワイト・イーグルの霊界通信にはキリスト教や神智学の影響が強く表れている。この理由はホワイト・イーグルと霊界の霊媒(?)と地上の霊媒のグレース・クックの三者のオーラの同調が、完璧の域までは達していなかったことが考えられる。

このためグレース・クックの潜在意識にある、言葉や概念に付着している“色”が、オーラの同調が完璧ではなかったために払拭しきれず、霊界通信にキリスト教や神智学の影響が強く表れてしまったと言える。例えば桑原啓善訳『光への道』と『秘儀への道』(でくのぼう出版)、この二冊は霊媒の潜在意識に存在する“色”が強く出ている。

ここに霊界通信の難しさがある。支配霊又は通信霊が極めて高級な霊といえども、オーラの同調が完璧の域まで達していなければ、多かれ少なかれ霊媒の固着観念に色付けされた霊界通信となってしまうという好例である。

 シルバーバーチは専属霊媒のバーバネルが死去すれば別の霊媒を通じて通信することはないと述べている。その理由を「この霊媒を通じて語るための訓練に大変な年数を費やして来ましたので、同じことを初めからもう一度やり直す気にはなれません」(828⑥~⑨参照)と言う。ここからもオーラの同調がいかに大変であるかが推測できる。

 

ウ、バーバネルの自由意志

A、入神状態に好感を抱かなかった

霊媒のバーバネルは「始めのうち私は入神状態にあまり好感を抱かなかった」(10218③~④参照)。またハンネン・スワッハーの助言にもかかわらず1932年創刊の心霊新聞『サイキック・ニューズ』(10219②参照)にシルバーバーチの霊訓を公表することを拒み続けていた。しかし1935年頃にバーバネルが霊媒であることを内密にするという条件のもとで、シルバーバーチの霊訓が掲載されるようになったという(最後啓示213②~⑦参照)。

 

B、抵抗し続けた期間

このようにバーバネルがスワッハーの助言に抵抗し続けた期間は、シルバーバーチが述べた「(三者のオーラの融合が)うまく行くようになるまで15年もかかりました」(4168②~③参照)との発言から考えると、「純粋なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」を地上に下ろすための準備期間と符合する。ここからシルバーバーチはバーバネルのパーソナリティを熟知していて、頑なな抵抗に合うことを事前に予想していたことになる。

 

C、1935年以降

交霊会で出された霊言は『サイキック・ニューズ』や『ツー・ワールズ』に発表された。その後それらの紙面に掲載された霊訓を編纂して、最初の霊言集が1938年に『シルバーバーチの教え』というタイトルで出版された。そして1959年になって、バーバネル自身が「シルバーバーチの霊媒は誰か、実はこの私である」という見出しで公表した(最後啓示213⑪~⑬参照)。

なおバーバネルやスワッファーも述べているように、シルバーバーチの霊言は句読点を書き込むほかは非の打ちどころのないものであり、あたかも出版を前提とした文章であったという(10221⑬~222③、語る18⑪~⑫参照)。

 

3.既成宗教とスピリチュアリズムとの融合

スピリチュアリズムは「地上人生をどのように生きるべきか」や、人生において遭遇する「困難や苦難にどのように対処したらよいか」など、人の生き方に強く影響を及ぼす思想である。それ故に「信仰・宗教」と相性が良い。スピリチュアリズムが普及し受容されて行く過程で、その地方の「信仰・宗教」と折衷して、スピリチュアリズム思想が変容して行く傾向が見られる。

例えばキリスト教圏では「キリスト教的スピリチュアリズム」として受容されていった。さらに「神道は非宗教であり道徳である」との考え方が一般的だった時代に普及した日本では、「神道的スピリチュアリズム(=和製スピリチュアリズム)」という形式を採用して広がった。またブラジルのスピリチュアリズムは、アフリカ渡来の民俗宗教(カンドンブレ)や土着の習合宗教のウンバンダ、さらには「民俗カトリック」と習合化した「カルデシズム(スピリティズム)」として普及している。以下に於いてこれら三つの代表的な「折衷的スピリチュアリズム」を概観して行く。

 

①.キリスト教的スピリチュアリズム

ア、キリスト教とスピリチュアリズムの融合

A、世界クリスチャン・スピリチュアリスト協会(GWCSA

キリスト教の場合には「キリスト教的スピリチュアリズム(=キリスト教心霊主義)」に、スピリチュアリズムの変質が見られる。この変質の事例として「世界クリスチャン・スピリチュアリスト協会」(GWCSA1931年結成)を取り上げて見る。この協会に入会する際の宣誓書はキリスト教の教義にスピリチュアリズムを接木した“折衷的なスピリチュアリズム”になっている。

例えば宣誓書の中に「私は犯した罪はイエス・キリストの贖罪の力を通じ、本人自身の改悛と他者への奉仕によってのみ、償われ得ることを信じます」とある(アーネスト・トンプソン著、桑原啓善訳『近代神霊主義百年史』コスモ・テン・パブリケーション134頁~139頁参照)。この文章はキリスト教の「贖罪説」とスピリチュアリズムが説く因果律との折衷になっている(→なぜイエス・キリストの贖罪の力を通じなければ償われないのか疑問)。

シルバーバーチは因果律の観点から、いかなる人間も自分以外の者のために代わって苦しみを受けることはできない。自分を成長させるのは自分であり、他人は代わって行うことは出来ないと述べて、贖罪説を因果律の観点から否定している。GWCSAの宣誓書を一読して言えることは、全般的にキリスト教的な表現に満ちていることである。

 

B、確信的なキリスト教徒

 一般に「確信的なキリスト教徒」の場合は、キリスト教の教義がその人の支配思想となっている。そのため後から入ってきたスピリチュアリズムは、その人の支配思想(→キリスト教の教義)に合致するように解釈し直されて変質してしまうことになる。このことは世界クリスチャン・スピリチュアリスト協会(GWCSA)の宣誓書から分かる。

本人がある思想を受け入れたということは、当人の精神面に於いて熾烈な思想闘争を経て、破邪顕正(→誤った見解を打ち破り正しい見解を示すこと)の末に受け入れたことを物語る。その破邪顕正が不完全な場合には、いわば“いいとこ取り”の折衷的なスピリチュアリズムとなってしまう。

 

イ、「キリスト教心霊主義者」と「反キリスト教心霊主義者」

A、ジャネット・オッペンハイムによれば

英国史が専門のジャネット・オッペンハイムは、英国のヴィクトリア朝(1837年→1901年)やエドワード朝(1901年→1910年)の社会精神史を扱った著書『英国心霊主義の抬頭』の中で、スピリチュアリストを「キリスト教心霊主義者」と「反キリスト教心霊主義者」の二つに分けて両者の違いを述べている。

 オッペンハイムによれば「キリスト教心霊主義者」の大部分はキリスト教信者によって占められており、「心霊主義(スピリチュアリズム)によって死後の世界の存在が証明されれば、キリスト教の立場が強化されて教義体系が補強される」(和田芳久訳『英国心霊主義の抬頭』工作舎97頁、120頁参照)と信じているという。これに対して「反キリスト教心霊主義者」の多くは「無神論者や世俗主義者、自由思想家を経由してスピリチュアリストに転向した者である」(『英国心霊主義の抬頭』121頁、141頁参照)と述べる。

 

B、著名なスピリチュアリストの宗教性

オッペンハイムが述べていることは、著名なスピリチュアリストの宗教性を見れば理解できる。たとえば心霊研究協会(SPR)の創設メンバーであるヘンリー・シジウィックやマイヤース、さらにはガーニーやポドモアは聖職者の息子であったが、成長するにつれてキリスト教に対する信仰を失っていった(デボラ・ブラム著『幽霊を捕まえようとした科学者たち』62頁、『英国心霊主義の抬頭』159頁参照)。

またシルバーバーチの専属霊媒のバーバネルは、父親は無神論者であり母親は信心深いキリスト教徒であったため、小さい頃から両親の宗教に関する議論を見聞きしていたと言う。その結果バーバネルは「私は次第に無神論に傾き、それから更に不可知論へと変わって行った」(10215⑥~⑩参照)と述べている。これに対してモーゼスは牧師であったためスピリチュアリズムの受容には熾烈な思想闘争を経る必要があった。その過程の一部がモーゼスの『霊訓』から読み取れる。

 

②.和製スピリチュアリズム

この項目では日本では何ゆえに神道と融合したスピリチュアリズム(→和製スピリチュアリズム)が唱えられてきたのか、その原因を明治以降の歴史を通して明らかにする。

 

ア、明治憲法下での「信教の自由」

A、神道非宗教論

日本では明治初期の一時期、復古的な天皇親政による「神道国教化政策」がとられていた(→18683月王政復古・祭政一致の制に復し神祇官が再興された:太政官布告)。その後明治政府は「開明化政策」を推し進めて、近代国家としての体面を保つために「政教分離」の観点から神道を二つに分けた(→1882124日内務省達及び1884811日太政官達によって“祭と教”が分離された)。この方針は「神道は宗教に非ず、国家の祭祀道徳である」とする「神道非宗教論」に立つものであった。この政府見解は浄土真宗本願寺派の指導的僧侶の島地黙雷(しまじもくらい:1838年→1911年)の説に基づくものという。

 1945年までの日本は、従来までの神道を「祭祀中心の神道(皇室の神道、神社神道):A」と、「信仰中心の宗教主義的神道:B」の二つに分けて、神道からBを切り離して「民間の神道(→教派神道など)」として扱った。Aに付いては「神道は非宗教である(→神道は国民の道徳である)」として国家神道体制をとった。

 

B、神社の強制参拝問題

この国家神道体制下において、朝鮮総督府の神社参拝強制問題や昭和7年(1932年)9月に起きた上智大学の学生による靖国神社の礼拝拒否問題など、たびたび「神社の強制参拝問題」が起きている。

昭和14年(1939年)以降はキリスト教徒であろうと「神社参拝拒否」は事実上不可能な状態になっていた(→なぜなら“神道は宗教ではなく国民の道徳だから”、国民全員が神社に参拝しなければならないとの考えに基づく)。ある学者は「これは“法的強制”はなかったものの“事実上の強制”があり、昭和14年ともなると、実際上、参拝拒否は不可能な状態になっていた」(新田均著『現人神、国家神道という幻想』神社新報社157頁)と述べている。

 

C、信教の自由

明治憲法は第28条に信教の自由が定められていた。条文では信教の自由の権利には「安寧秩序(→公共の安全・平和と社会の秩序が保たれること)」と「臣民の義務」という二つの制限が設けられていた。条件付ながら信教の自由が保障されたとはいえ、それは「皇室の信仰」や「国民道徳であり非宗教である神道」に反しない限りという制約の下であった。

 隣国の中国では現行憲法に「信教の自由」の定めがあり、個々人がどのような宗教を信仰し、宗教活動を行っても、国家権力によって禁止または制限されないという権利が保障されている。しかし2019年時点での実際の運用は、「宗教事務条例」によって宗教活動が出来る場所や条件が厳しく制限されている。これは明治憲法の「信教の自由」と同じである。

 

イ、スピリチュアリズムの普及活動

A、浅野和三郎氏の固着観念

浅野和三郎(1874年→1937年)氏は日本に於けるスピリチュアリズム普及の功労者である。その浅野和三郎氏の思想の形成には、幼少時代の漢学を通じて形成された儒教的な考え方や、郷土に色濃く残っていた水戸学の影響、そして“時代の雰囲気”であるナショナリズムなどが強く影響を及ぼしていた。これらが浅野氏の潜在意識の中に固着して根付いた上に、高級軍人の兄の浅野正恭(1858年→1954年)氏の思想的影響や職場であった海軍機関学校という環境、さらには本田霊学の流れを汲む大本神諭(大本霊学)の影響などが積み重なって、浅野和三郎氏の固着観念に独特な「復古神道・天皇中心主義思想」が育っていった。

このような状況の中で後から入ってきたスピリチュアリズム思想は、浅野氏の支配思想である「復古神道・天皇中心主義思想」と融合した形の「和製スピリチュアリズム」に姿を変えしまった。この結果「スピリチュアリズム思想」は、天皇を頂点としたピラミッド体制の内側に収まる形で語られることになった。

なお「和製スピリチュアリズム」とは、当講座では広い意味として「日本の民俗信仰・日本仏教・神道などが混在した“日本的霊魂観”と合体したスピリチュアリズム」のことを指している。

 

B、時代の制約下にあったスピリチュアリズムの普及活動

戦前の日本は「近代天皇制イデオロギー」や「神国思想」が支配思想となって席巻し、「天皇は“現人神”とされた時代」であった。スピリチュアリズムでは“唯一の神”のみを認めて、天皇の現人神を否定する。従って「国体」を否定するスピリチュアリズムは、戦前の日本を席巻した皇国史観(→天皇中心の超国家主義的な日本史観)とは相容れない。

戦前の「近代天皇制イデオロギー」を過度に強調し皇国史観の超原理主義が蔓延した社会では、日本の「国体」を否定するスピリチュアリズム思想は危険思想であり、そのままの形で広めようとすれば当然に厳しい弾圧を受けてしまい普及は難しい(→1940年~1941年の心霊写真展覧会事件及び心霊関係者弾圧事件を参照)。

例えばスピリチュアリズムを仲間内で語り合い、それを外部に普及させるという“活動形態(→勉強会、読書会など)”をとることは「国体」論との関係から見ても難しかった。このような活動を行えば内通者による通報によって、権力の介入を招き弾圧を受ける恐れがあったから。さらに当時の支配思想とは異なった思想を秘密裏に広げて、唯物論と利己主義を打破して“新しい世界”の建設を目論む秘密結社、または“宗教思想の普及”を装った社会変革を目論む集団と認定される危険性が高いから。

 

C、浅野氏が抜擢された理由

浅野和三郎氏は大正10年(1921年)に発生した「第一次大本事件」に連座して、主犯格の一人として厳しい取調べを受けた。その時の詢問状況から権力が何を問題にして、どのような形で介入してくるのかを体験を通して学んだ。

 このような過酷な体験を通して学んだ浅野氏は、スピリチュアリズムの普及活動にその教訓を生かすことができた。それが当時の支配思想たる皇国史観、国体思想、神道、古神道等を盛り込んだ「日本思想、日本精神」の中に「スピリチュアリズム思想」を取り込み、融合同化して「和製スピリチュアリズム」として打ち立てたことに見られる。それによって権力からの弾圧を上手に回避させることができた。

幸いにも浅野氏自身の固着思想に「復古神道・天皇中心主義思想」があったことから、その変質過程は自然に行うことが出来た。浅野氏という“フィルター”を通って出てきた「スピリチュアリズム思想」は、「体制内思想(→天皇を頂点とする思想体系の枠内に収まる形で)」としての「和製スピリチュアリズム」であった。

 昭和15年秋の「心霊写真展覧会事件」のような個々の事例では、霊能者や関係者は詐欺罪等によって弾圧を受けたが、スピリチュアリズムという思想自体はマルクス主義思想とは異なって、直接に禁止・弾圧を受けることはなかった。なぜなら和製スピリチュアリズムという形で「体制内思想」に姿を変えていたからであった。ここに「復古神道・天皇中心主義思想」を固着思想として持っていた浅野氏が、思想的に厳しい対応を迫られた時代に、霊界から霊的真理普及のために抜擢された理由があった。

当時の支配思想によってスピリチュアリズムは和製スピリチュアリズムに変質してしまったが、この変質によって思想的に厳しい時代を生き抜いて“スピリチュアリズムの命脈”を後世に繋げて行けた。

 

ウ、後継者の活動によって芽を出す

昭和初期の思想的に厳しい時代、浅野和三郎氏はスピリチュアリズムを和製スピリチュアリズムという形に変質させて普及活動を行った。その活動は後継者によって芽を出し(→桑原啓善氏、粕川章子氏、田中武氏、近藤千雄氏などによるシルバーバーチの翻訳)、紆余曲折を経ながら成長して、浅野氏の主だった「同行者や共鳴者」が死去した1980年代以降に花開いた(→日本心霊科学協会の機関誌『心霊研究』19826月号以降に「シルバーバーチは語る」の連載が始まった)。

そして20世紀末から始まった「インターネットの急激な普及」という時代の追い風に乗って、日本のスピリチュアリズム界に従来までの「日本的な霊魂観」と結びついた和製スピリチュアリズに替わって、「純粋なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」という足場(霊的橋頭堡)を、ささやかながらも築くことができた。

なお浅野和三郎氏の死去後の日本におけるスピリチュアリズム史を大まかに見れば、1950年代までは物理的心霊現象全盛期、1960年代から1970年代は心霊治療の定着期、1980年代以降は「純粋なスピリチュアリズム(Higher Spiritualism)」の普及へと重点が移り、それが2000年以降はインターネットの普及により加速したという流れとなっている。

 

③.ブラジルのスピリチュアリズム(スピリティスト・カトリック)

ア、「スピリチュアリズム」と「スピリティズム」

現在「近代スピリチュアリズム(=新スピリチュアリズム)」を表現する言葉には、「スピリチュアリズム(Spiritualism)」と「スピリティズム(Spiritism)」という二通りの言葉が用いられている。

前者は「心霊主義」の一般的な表現として使われているが、特に「スピリティズム」に対峙する言葉として用いる場合に“イギリス系スピリチュアリズム(またはアングロサクソン系スピリチュアリズム)”という言葉で用いられることがある。

また後者の「スピリティズム」は“フランス系スピリチュアリズム”を指す言葉として使われている。フランスのスピリチュアリズムは、「再生とカルマ(→再生はカルマと表裏一体の関係にある)」を中心テーマに据えたアラン・カルデックの教義を中心として発達したため、その教義に基づく教えを学ぶ点に特徴がある。

 

イ、指向性の違い

A、英国系は科学的側面を重視

大まかに言えば、イギリス人の持つ実証的精神や探究心旺盛な気質が作用して、当時のイギリス系は「スピリチュアリズムの土台部分である霊魂説(→科学的な検証が可能)」に重きを置いた。このことがその後の心霊研究協会(SPR)の設立などに見られるように、スピリチュアリズムの科学的側面を指向する傾向を強めていくことになった。

英国の科学的側面重視は次のような発言からも分かる。心霊誌「ツー・ワールズ」の主筆であったアーネスト・トンプソンは「再生に付いては科学的に証明できる証拠がありません」「スピリチュアリズムでは再生を原理として採用しません。スピリチュアリズムは科学的事実に忠実に立脚するわけですから、再生を除外したことは賢明なことと言わねばなりません」という言葉に表れている(アーネスト・トンプソン著、桑原啓善訳『近代神霊主義百年史』コスモ・テン・パブリケーション237頁、297頁参照)。

 焦点となった再生は霊魂説からは説明できない。高級霊によってもたらされた霊界通信から明らかになった事柄である。トンプソンが「再生に付いては、科学的に証明できる証拠がありません」と述べている部分は正しい。結局のところ再生は、高級霊からもたらされた霊界通信をどのように理解するかの問題にかかっているから。

 

B、仏国系は信仰・宗教面を重視

これに対してカルデックは「再生とカルマ」や「スピリチュアリズムの立場からキリスト教を解釈し直す」ことを主要テーマに置いた。そのためスピリティズムは霊魂説の上部構造である「スピリチュアリズム思想(→高級霊からもたらされたもので科学的検証が不可能)」を強調した。このことが信仰や宗教との相性を良くして、スピリティズムは強い宗教性を帯びることになった。

 

C、両者の違い

イギリス系スピリチュアリズムは「土台部分(下部構造:C)」の霊魂説にスポットを当てたのに対して、アラン・カルデックは「物理的霊媒は精神的に低い」として「スピリチュアリズム思想(上部構造:B)」にスポットを当てた。

そのためフランス系スピリチュアリズムは、科学の研究分野(→心霊現象の研究)に進んで行ったイギリス系とは対照的に、次第に信仰や宗教性を強めることになった。このように両者は視点の置き所が違っていたため、結果的に「スピリチュアリズムの分裂」という事態を招くことになってしまった。

 はからずも「信念重視は、信仰へ傾斜する:A」傾向へと、「実証重視は、科学へ傾斜する:D」傾向へという形で、両者の指向性の違いがスピリチュアリズムの持つ二面性(→宗教指向と科学指向という相反する立場)からくっきりと浮かび上がってしまうことになった。なおこの信念重視と実証重視という二面性は、“証拠に対して求める厳密さの程度”にも、その違いが明確に現れてくる。

 

ウ、宗教と相性が良いスピリティズム

その後「スピリティズム」は次第に「スピリチュアリズム」とは一線を画して、「カルデックの教義に基づく教え」を指す言葉として使われるようになった。

両者が明確に分離していった理由は、「再生」を巡ってイギリス系のスピリチュアリストとの間で確執があったこと。カルデックの背後霊団の役割は「最初の礎石を置くこと」であり、モーゼスの背後霊団との役割に違いがあった。この違いに見られるカルデックのキリスト教に対するスタンスが穏やかであったこと。さらにはスピリティズムの主要テーマとして「再生とカルマ」を置いたこと。このような理由からスピリディズムは宗教と相性の良い思想となった。

 

エ、スピリチュアリズムの変容

A、ブラジルで盛んになった

スピリティズムはラテン諸国を中心に広まったが、フランス本国ではカトリックの伝統的教義と相反するため衰退した。ブラジルという国は、ローマ・カトリックの影響力の強い国であると同時にスピリティズム(=カルデシズム)の盛んな国でもある。この地でスピリティズムの宣教は1865年頃から始められた(歴史読本特別増刊・事典シリーズ第20号『世界宗教総覧』新人物往来社1993年刊372頁参照)。

 

B、土着の宗教との習合化

ブラジルではアフリカの民俗宗教のカンドンブレやブラジルの習合宗教であるウンバンダなどの「霊と霊媒の宗教」、さらには「民俗カトリック(またはフォーク・カトリシズム)」などと習合化していった。ブラジルのスピリティズムは、宗教統計調査*に「スピリティスト・カトリック」という項目が立てられるくらいに盛んである(→この統計調査ではスピリティズムはキリスト教の一派という扱いである)。

 19世紀後半にスピリティズムがラテン・アメリカに伝えられると「アラン・カルデックの教えを信奉する運動(一種の宗教運動、カルデシズム)」として、“カトリック(→民俗カトリックのこと)”や土着の宗教と習合した「折衷型スピリチュアリズム(=ローカル・スピリチュアリズム)」となって広く普及していった。

 

2000年にブラジル地理統計院(Instituto Brasileiro de Geografia e Estatistica IBGE)が発表した「IBGE、国勢調査2000年――宗教人口統計表」及び、ダヴィド・B・パレット編『世界キリスト教百科事典』(教文館1986年刊)741頁~752頁参照。

 

C、カルデシズムの現状

 現代ブラジルにおけるカルデシズムは、当初のスピリチュアリズム思想から大きく変容しているという。このようにブラジルにおいては、いわばスピリティズムがさまざまな宗教や習俗と結びついて土着化し、次第に変容して「ブラジル化」していきつつある状態が見て取れる(津城寛文著『“霊”の探求』春秋社21頁。および藤田富雄著「ブラジルにおけるカルデシズムの一考察」174頁以下参照)。

 

4、霊界主導による普及活動の経路

①、霊的潮流

ア、デイヴィスの調和哲学

霊界主導で始まった物的地球を「霊的に刷新するための運動(New Spiritualism Modern Spiritualism)」は、ニューヨーク州ハイズヴィルで1848331日の晩に、フォックス家の姉妹と霊の“ラップ(叩音)による会話”で始まった。この霊界主導で始まったスピリチュアリズムの普及運動の幕開けを、事前に背後霊を通して受信していた者がいた。

その受信者とは「調和哲学(哲学的スピリチュアリズム:Philosophical Spiritualism)」を説いたアンドリュ-・ジャクソン・デイヴィス(Andrew Jackson Davis1826年→1910年)であった。

デイヴィスは1848331日のメモ(または日誌)に次のように記している。「けさ日の出頃、寝ている私の顔の上を温かい息が吹き抜けた。そして優しく、しかし力強い声で“友よ、いよいよ仕事が開始された。見よ、生きた証拠が生まれようとしている”と言った。いったい何のことだろうと、一人考えていた」(ジョン・レナード著、近藤千雄訳『スピリチュアリズムの真髄』国書刊行会59頁~60頁、93頁、156頁参照)。

 

イ、先進国の英仏を発信地として広まった

この霊界主導による“運動の口火(1848331日)”は、先進国の大都会に住む上流階級出身者が受け取ったものではなかった。当時の二流国家の農業国アメリカの片田舎に住む、名もない姉妹が霊の交信者となって普及運動の口火が切られたのであった。

このようにして口火が切られたスピリチュアリズムの普及運動は、またたく間にアメリカ中を席巻した後、1852年に霊媒ハイデン夫人の渡英が切っ掛けとなって大西洋を渡ってヨーロッパに舞台を移した。そして各国の上流階級から一般庶民まで巻き込んだ一大ブームとなった。その後当時の先進国であるイギリスやフランスを発信地として、スピリチュアリズムは全世界に向けて、主として「アメリカ→イギリス・フランス→世界へ(日本へ)」という流れで広まっていった。

 スピリチュアリズムは日本や中国が霊界から受信して、そこから世界に向けて発信されたのではなかった。なぜなら19世紀は白人至上主義の時代であり、思想などの普及経路はキリスト教の宣教と重ね合わせた形で、西洋から中南米・アジア・アフリカへという“大きな流れ”が存在していたからである。霊界側はこのような地上世界の勢力図を上手に使って、霊的潮流を全世界に行き渡らせていった。

 

ウ、西洋から東洋へという流れ

定評ある霊界通信にはキリスト教的な“色”が付いていると良く言われる。それは霊界通信の受信者にイギリスやフランスの霊媒が用いられたからである。この為「霊媒現象のメカニズム(→霊媒の潜在意識にある用語を使用して通信が送られる)」からも明らかなように、どうしても霊界通信にはキリスト教的な“色”や、西洋的な価値観が付き纏ってしまうからである(→霊媒が日本人や中国人であれば、同様に通信内容に人種特有の“色”が付く)。

そのような欠陥はあるものの高級霊からの通信の受信者に日本や中国の霊媒を選ばずに、イギリスやフランスの霊媒を選んだのは、ひとえに当時は「東洋→西洋」という流れよりも「西洋→東洋」という流れの方が主流であったこと。この流れを使うことによって1800年代後半から1900年代前半の世界においては最もスムーズにスピリチュアリズムが普及して行くと霊界側が判断して、地上側の「大きな流れ」を霊界側が利用したものと思われる。

 この霊的潮流は、日本には明治時代に西洋の各種思想とともに断片的に流れ込んできた。その後明治末期から大正時代にかけて心霊関係の書籍の翻訳(→主に高橋五郎氏や平田元吉氏らによって英語から日本語へ)という形で、主にイギリス系のスピリチュアリズムが流入して一大出版ブームが起きた。大まかに言えば霊的潮流の日本への流入は、主として「アメリカ→イギリス→日本」という経路を辿って翻訳によって日本に入ってきた。

 

②、スピリチュアリズムは「意識を変える運動」

ア、霊的知識を日常生活に活かしていく

 シルバーバーチは「獲得した知識は着実に実生活に生かしていくように心掛ける」(226⑤参照)などと、事ある毎に「霊的知識に沿った生き方」や「霊性の向上」が最も大切であると述べている。

個々人が「霊性の向上」を目指して行く為には、獲得した霊的知識を「生き方の指針」に据えて、日常生活を変えていく「意識の変革」が必要となる。なぜなら「死の先にも人生は続く(→死は第二の誕生)」という「スピリチュアリズム的死生観」が真に理解されることによって、その人の人生観が大きく変化して行くから。

 

イ、個々人が変われば社会も変わる

スピリチュアリズムの本質的な理解が広がり、普遍的な「スピリチュアリズム思想」を「自らの生き方の指針」にしようとする人たちが数多く出現して行けば、その社会の構成員の意識に変化が生じて、社会の慣習は質的な転換を迫られることになる。

現在のスピリチュアリズム・ブームが今後、表層的なスピリチュアリズム(→世俗的、現象的なもの)から、より本質的な「生き方の指針としてのスピリチュアリズム」に移行していけば、人々の意識に大きな変革が起きて、この世の唯物主義を基調とした社会制度は徐々に変わっていくことになる。

 欧米人には「救世主待望論」を主張する人が多いが、“社会全体の意識レベルの向上”は個々人の意識の変革が積み重なって少しずつ向上して行くもの。一人の救世主が現れて、一夜明ければ地球の霊性が他力的に向上していた、社会が変わっていたというものではない。意識を変える運動は時間のかかる最も困難な「社会変革運動」である。

 

5、講座に寄せられた質問

①、質問その1

<質問>「死んで眠りから目覚める時間はどのくらいか」

<回答>

ア、死とは何か

一般に死の瞬間は無意識状態となっているため死に苦痛は伴わない(4140④参照)。死んでいく本人にとって死は悲劇ではない。あとに残された家族にとっては悲劇となることがある(672④~⑥参照)。なお死ぬ時の様子が意識できるのはよほど霊格が高い人に限られる(4140⑤参照)。

 霊体と肉体との間にはシルバーコードが張り巡らされている。そのコードをスムーズに肉体から引き離す為に霊界の医師が面倒を見てくれる。また魂が肉体から脱け出るのを手助けする為に知人が付き添ってくれている。臨終の床にいる人が良く肉親の霊や知らない人がそばにいるのに気付くのはそのため(3212⑨~213①参照)。これは一般的には「お迎え現象」と言われるもの。

二本の太いシルバーコードが切断した瞬間に死が訪れる。シルバーコードの分離の瞬間が死であり、分離したら肉体は二度と生き返らない(1050⑭~⑮、11207⑥参照)。より正確に言えば物的身体と霊的身体との間には二本の太いシルバーコードと細いシルバーコードが網目状に繋がっている。その太い「シルバーコードの一本は太陽神経叢、もう一つは脳と繋がっている。このコードは弾力性に富み、睡眠中にいくらでも伸びる。死の現象はこれら大小のコードが切断されることから始まり、最後に二本のシルバーコードが切断した時に完結する」(永遠の大道115⑰~116③参照)。

 死に際には大変な量の心霊的エネルギーや霊的エネルギーが放出される。死に際のエネルギー放出によって遠くにいる縁者に「死の予感」を伝える「虫の知らせ」や、生前の姿を見せる「夢枕に立つ」現象などが起きる(到来237⑪~238①参照)。

 

イ、死の眠り

 死とは物的身体から霊的身体に移行する際に振動数が変化する、その変化を意味するに過ぎない。振動数が変化する為には一時的な意識の中断が必要となる(→パソコンでソフトをインストールする際の再起動の様なもの)。なぜなら、魂(意識)がそれまでの一定の振動数の物的身体から異なる振動数を持つ霊的身体へと移るための準備をしなければならないから(永遠の大道114⑩~⑫参照)。死の前後の意識の中断が「死の眠り」である。

他界者はあの世で深い「死の眠り」から目覚めるが、その目覚めまでに要する時間は人によって異なる。なぜなら「死の眠り」の中で死後の世界へ適応する為の調整が行われるので、目覚めはその調整が一定程度進んだ時に生じること。他界者に霊的知識があれば目覚めは早く(語る217⑭参照)、死後の世界を否定する者の目覚めは遅いこと。霊的世界に於ける時間の流れ(精神的時間)は地上世界とは異なっていること。このように目覚めに要する時間は他界者個々人の事情に左右される。

 

ウ、眠ることが必要な者

事故や戦死などの「不慮の死」によって眠ることが出来ない死者は、死のプロセスを進めるために必要な調整、バイブレーションの転換がなかなか完了せずに調整期間が長引いてしまうことになる。この場合でも死者の“表面意識”に「死の自覚」が芽生えてくると、急激な眠気を催すようになる。なぜなら霊的なバイブレーションに切り替える為には眠ることが必要だからである。

定評ある霊界通信には非業の死を遂げた者は張り詰めた意識状態の為に休息が出来ず、事故現場をいつまでもうろつき回る。地縛霊となって周辺をうろつかない為にも休眠をした方が良いとの記載がある(霊訓下125⑫~⑮、126③~⑦参照)。急激なシルバーコードの切断によって意識は興奮状態にあり、眠ることが出来ずに地上をさ迷うことになるから。

 

②、質問その2

<質問>「質疑応答で、死後に眠りにつくがその時間は霊性等により様々とのことでしたが、1、幽界や霊界は時間が存在するのか?

、存在するとして、地上で言う時間と違いがあるのか?

,違いがあればその詳細など」

<回答>

ア、時間の機械的要素と精神的要素

地上の時間は太陽と地球の自転・公転によって刻まれた純粋に機械的な要素が強い時間の流れになっている。霊の世界でも「物事が発生して進行に要する時間」(最後啓示183⑩~⑪参照)は存在するが、地上で用いる時間とは意味が異なっており、精神的要素が強い。同じ時間と言っても地上で用いる時間とは意味が異なる。

シルバーバーチは「こちらでは霊的状態で時間の流れを計ります。言い換えれば、経験していく過程の中で時の流れを感じとります。一種の精神的体験です」(2146⑪~⑫参照)と述べている。

また「復活の日まで待つ」という想念を拵えたキリスト教徒の場合は、自ら作った想念体の中に入り込むので、その想念が破れるまでは“ただ待つだけ”の意識状態に置かれる(→精神的時間の流れはストップしているから)。自ら作った想念体を自分自身で崩さない限りは“霊的牢獄(想念の牢獄)”から抜け出せない(メッセージ70⑪~⑬、71⑨~⑪参照)。シルバーバーチは「もし自分が待っているという事実に気がつけば、その思念体(=想念体)が破れるはず。自分でこしらえた牢獄だから」(547⑫~⑬参照)と述べる。

 

イ、「浦島太郎」の話

日本の昔話に「浦島太郎」の話がある。あらすじは「浦島太郎は浜辺で子供たちにいじめられている亀を助けた。太郎は亀を助けたお礼に海の中にある龍宮城に案内された。龍宮城では乙姫様から手厚い歓待を受けた。楽しい毎日を過ごしていたが次第に村や両親が恋しくなり帰りたくなった。帰り際に乙姫様から「玉手箱」を受け取った。太郎は村に戻ったが両親はおろか誰も知り合いはいなかった。近くにいた老人にここに住んでいた浦島太郎を知らないかと尋ねたら、300年前に海に出て戻らなかった人の名前だと教えてくれた。すっかり落ち込んだ太郎は開けてはいけないと言われた玉手箱を開けると、白い煙が立ち込め太郎は老人になっていた」

 

ウ、死の眠りからの目覚め

この「浦島太郎」の話から霊界における時間(→精神的要素が強い時間の流れ)とこの世に於ける時間の流れ(→太陽と地球の自転公転による機械的な時間の流れ)が分かる。龍宮城で乙姫様から歓待を受けた太郎は楽しいひと時を過ごした。この満たされた時間が村や両親を思い出すことによって破られた。太郎にとって龍宮城での時間の流れは純粋に精神的なもの、精神的な時間の流れの中にある。これが霊界における時間の流れ。これに対して300年という地上の時間の流れは純粋に機械的な時間の流れとなっている。

死後の目覚めに要する時間は霊界側の時間の流れからすれば、「死の自覚(→死んで霊の世界に来たという自覚)」が理解できるまでに霊的波長が整った時点、つまり「死の自覚の芽生え」がAさんの意識に生じた時点で目覚める。これはあくまでも精神的な時間である為にいつ目覚めるかは(→霊的状態の変化)、AさんBさんCさん其々の条件(→霊的知識の有無、霊格の程度、人の為に尽くすなど善意の波動を受ける人は早い)によって異なっている。この眠りからの目覚め(→霊的状態の変化)を地上側から見れば、目覚めまでに要する機械的な時間の流れで計るため、Aさんでは〇〇日、Bさんでは〇〇日、Cさんでは〇〇日かかりましたと表現しているに過ぎない。このように「死の眠り」を霊的視点で見るか(→精神的時間)、この世的な時間で計るか(→機械的時間)によって異なる。

 

③、質問その3

<質問>「臨死体験という現象がありますが、スピリチュアリズムから見たその意義を教えて頂きたい」

<回答>

ア、臨死体験とは何か

A、言葉の定義

臨死体験(Near Death Experience)とは「臨床的に死を宣告された、もしくはそのように見えた者が、その後蘇生した時点で(あるいはそれからしばらくした後に)語る、その間の体験のこと」を指す。

この定義の中で使われる「臨床死(=臨床的な死)」という言葉は「外部から観察できる生命のあらゆる徴候(→意識、反射、呼吸、心臓の停止などのこと)はすべて喪失しているが、生命全体としては死に至っていない状態のこと」を言う。一般に「死のプロセス」は「臨床死」の状態から間もなく「生物学的死(代謝活動の崩壊、腐敗)」へと移行していく。

 

B、「臨死体験」が研究対象となる

臨死体験は世界各国で古くから存在しており「人類に共通した宗教体験」の一つである。臨死体験の研究起源は二つある(笠原敏雄著『超心理学ハンドブック』ブレーン出版1989年刊、273頁以下参照)。

 

<心霊研究、超心理学の系譜>

一つ目の起源は1882年に超常現象を科学的に研究するために創立されたSPR(心霊研究協会)の「死後生存の可能性の検討に沿った研究」である。この系統の研究としては、SPRの創立者の一人であるイギリスの物理学者バレット(William F. Barrett1844年→1925年)が行った研究(1926年)や、アメリカ心霊研究協会カーリス・オシス(Karlis Osis)が行った1961年と1977年の研究(日本語訳、笠原敏雄訳『人間が死ぬとき―臨床例の統計的分析』たま出版)が良く知られている。

 

<偶発事例の収拾の系譜>

 二つ目の起源としては「死後生存との関係は特に顧慮しない研究」であり、「偶発的体験に絞った調査報告」である。スイスの地質学者のアルベルト・ハイム(Albert Heim1849年→1937年)はアルプス登攀中に滑落して臨死体験をした。ハイムは自身の体験から、登攀中の転落事故で臨死体験をした登山仲間の事例を集めて1892年にスイス登山クラブの年報に発表した。この系統にアメリカの精神科医レイモンド・ムーディ(Raymond Moody1944年→ )が行った研究(1975年)がある。

 

C、「臨死体験」ブーム

 上記のように二つの研究起源を持つそれぞれの系統は互いに無関係に行われてきたが、現在では相互に交流しながら研究が行われている。このように「心霊研究、超心理学」の系統で行われてきた臨死体験の研究は、いわゆる「偶発事例の収拾」の系統と合体することによって大きな広がりを見せて、医療現場や医学関係者を中心とした1980年代以降のブームに繋がっていった。

 アメリカでは1970年代中頃から「臨死体験」という現象が注目されるようになってきた。そのきっかけとなったのは医師のエリザベス・キューブラーロス(Elisabeth Kübler Ross1926年→2004年)や、レイモンド・ムーディの著書であった。その後医師のマイケル・セイボム(Michael B Sabom)は1977年に臨死体験の研究報告を『フロリダ医師会誌』に掲載し、その後1982年に著書『Recollections of Death』(邦訳:マイケル・B・セイボム著、笠原敏雄訳『あの世からの帰還』日本教文社2005年)を出版した。このような経緯を経て1980年代になると臨死体験は広く知られるようになった。

 

イ、臨死体験の特徴

A、意識は“肉体の外”にある

臨死体験者の大部分が「意識は肉体の外にある」という体外離脱体験(肉体離脱体験)をしているが、この体験は臨死体験とは関係ないさまざまな状況下でも起こりうる。

多くの臨死体験事例において、体外離脱した際にベッドに横たわっている状態では見えない位置にある医療器具や、医療関係者の動作、医師の頭頂部にある肉体的特徴などを正確に言い当てている。さらに浮揚した状態で病室の外に出ていって、そこに置いてある物品を正確に言い当てた事例などがある。

 

B、トンネル体験

臨死体験者の多くは「暗く長いトンネル」「洞窟や井戸」「筒状の場所」に引き込まれて、信じがたいスピードで暗いトンネルを突き進んだ体験を持つ。その際に「耳障りな音」がしたという報告がなされている。

 

C、“光”の体験

臨死体験者の多くが「光に包まれた世界に入って行く」「光に包まれて至福の時間が持てた」などの体験を語っている。この“光”の体験から宗教性を感じる人と感じない人がいる。

俳優の安田伸氏(1932年→1996年)は1990年(58歳)に肝臓ガンの宣告を受けて二週間余り危篤状態に陥った。その間二回の「臨死体験」をした。安田氏の臨死体験によれば、気が付くと古代エジプトみたいな宮殿で、柱も天井もすべて黄金色、そして宮殿内も遠方も黄金の光で包まれていた場所に佇んでいたという。欧米では宗教性を帯びた「光の体験」が良く報告されているが、安田氏の「光の体験」には宗教性は帯びていない。また安田氏は、臨死体験中は非常に気持ちが良かったと述べている(出典:立花隆著『証言・臨死体験』文春文庫、2001年刊)。

 

D、走馬燈的な回想体験

臨死体験者の中には「一瞬のうちに自分の全生涯を見た」とか、「第三者的な感覚で、相手の気持ちになって見ていた」と報告する事例がある。自分の一生をパノラマ的に展開するのを地上的な時間の感覚ではなく一瞬に感じ取るようである。ここから意識が肉体から分離した状態の空間には、地上世界において“地球の自転・公転という機械的な尺度ではかる時間”とは異なった時間の流れがあること。いわば「時間の精神的要素」が支配した状態で走馬燈的な人生の回想体験をするようである。

 

E、神秘的体験

体験者の多くは自分のそばに他者の存在を感じ取っている。ムーディは『かいまみた死後の世界』の中でこの存在者を「死につつある人間が死後の世界へ容易に移行できるようにするため」(74頁)と述べている。これは霊界通信が明らかにしている「死のプロセス」を順調に完了させるために手引きしてくれる“ガイド”であり、その存在を示唆している。一般に臨死体験者は既に他界している肉親に温かく迎えられたと述べる事例は多い。

 

F、不本意な生還

死の淵から生還した人は「お前の地上での仕事はまだ完了していない。地上へ戻りなさい」と言われて戻るケースがある。体験者によれば大部分の者はいや応なしに戻らされている。

俳優の北林谷栄氏(1911年→2010年)は1989年(78歳)にアメリカのオレゴン州にフジテレビの仕事で滞在していた。その滞在中に頭部前頭葉の動脈瘤破裂で脳内出血を起こした。その際に臨死体験をした。北村氏の場合は「ツル状の植物の棚があって、それが池をおおっていました。そして左側の方に人がいました」「その人は、あなたはここを通れません」と述べた。言葉ではなくその意味が思念で北村氏に伝わってきたという(出典:立花隆著『証言・臨死体験』文春文庫、2001年刊)。

 

ウ、臨死体験が意味するもの

A、物的脳から離れた心の存在

臨死体験者に対するインタビューはある程度の時間がたってから行われるが、臨死体験は通常の体験よりも長い時間にわたって記憶が鮮明に保たれていることが知られている。この点から見て、一般に問題とされる「記憶変容の可能性」は低いといえる。

 臨死体験者の報告事例の中には、本人の視点が肉体の外にあること。その一点からその場の状況を眺めていたこと。体外離脱体験中に起きた心の状態は、臨死体験時の本人の視点は肉体の外にあって、ベッドに横たわる自分の肉体を他人事のような感覚で見下ろす「肉体からの分離感」を伴っていること。肉体から抜け出している間の本人の意識は、肉体ではなく「分離した自分」の中にあること。医師が述べる「ご臨終です」との宣告を、病室の上方から浮揚状態で聞いていた患者は「自分は生きているのに」として反発する意識が芽生えたこと。自分の肉体から分離することによって体が軽くなったような感覚を持つこと。さらに“分離した自分の心の状態”は完全に覚醒して意識水準は高く、驚くほど思考が明晰になっていることなどが報告されている。

このような体外離脱状態での意識の存在は、物的脳によって意識される肉体的な“物的な心”から解放された別のもう一つの心、つまり“霊的な心(肉体を離れた心)”が存在していることを強く示唆している。

 

B、生き方の変化

多くの臨死体験者には「死に対して恐怖感が薄らいだ」など、死に対する意識の変化が生じている。臨死体験とは“霊の世界”の入り口部分を覗いた体験のことだが、臨死体験者は「死」の向こう側にも人生がある(→死後の存続、霊の世界の実在性)という確信が湧いてくる。臨死体験中に“すでに亡くなっている他者との出会い”があった場合は、より強くなるようである。そのため体験者は、その後の地上人生において死を恐れなくなる。

例えばムーディの『かいまみた死後の世界』の中に登場する、ある臨死体験者はその典型例である。「あの体験以来、私は死を恐れなくなりました。葬式に出席しても気の毒だとは思いません。私は亡くなった方のために、むしろ喜ばしい気がします。死者が体験する世界が、私にはわかっているからです」(129頁)とある。

前述した安田氏は「臨死体験ではじめて死ぬのが怖くなくなったということではない。ただあの体験で、死んでいく過程がこんなに気持ちがいいものかと知って、一層死を恐れない気持ちが強くなった」と述べている。この意見も多くの臨死体験者と同様である。

臨死体験中において、その体験者の全生涯を瞬時に見せられる“パノラマ現象(人生の回想シーン現象)”を体験した者は、その後の人生に於いて何を優先するか、という価値観の変化(→財産や業績を重視した価値観から愛や思いやり重視の価値観へと変化)や、その後の地上人生を大切にして、前向きに生きるようになる割合が高くなるようである。従来の「先入観を伴った物の見方が薄らいできた」ことや、「人を裁く気持ちが薄れて寛容さが出てきた」などの報告がある。

 

C、スピリチュアリズムの観点から

臨死体験はあくまでも霊的世界の入り口を覗いただけであり、直ちに「死後個性の存続」の証明に繋がるわけではない。しかし臨死体験が意味するプラス効果として、次のような点があげられている。臨死体験をすることによって死に対する不安が減少すること、今この時を一生懸命生きようとする意欲が増大すること。多くの体験者が広い意味での信仰心が高まったことや信仰心が強化されたことを述べている。さらに医療関係者に対しては「昏睡状態にある患者に対する態度が、完全に意識ある患者に接するときと同様な態度で臨む必要があること」を明らかにした点があげられている(→なぜなら体外離脱状態で医療関係者の会話を聞いているから)。

 臨死体験研究の副産物として「終末期医療に対する考え方」「臨終時体験(お迎え現象)」「死」「死の周辺部」に関する意識を徐々に変えてきたことがある。この臨死体験の研究はキリスト教圏の欧米が先行しており、それが“逆輸入”して日本に入ってきたものであった。

前世紀末からの急激な先端医療技術の発達は、「死」の問題と密接な関係にある「移植医療の領域」と、「生」の問題と密接な関係にある「生殖医療の領域」の発達をもたらした。同時についぞ科学の領域に登場することがなかった“物的世界の外側にある世界”の扉を少しだけ開けて、唯物論的思考が一辺倒の現代社会に小さな“風穴”を開けた。この“風穴”が意識の変化を促す第一歩になって行くのではないだろうか。

 

④、質問その4

<質問>「肉親に全く理解できない性格の人間がいます。周囲はみな一方的に譲歩させられるばかりで本人は反省の色がありません。こういった関係性の因果律についてどのように考えればよいのでしょうか」

<回答>

ア、地上世界とは

A、肉体を通して自我を表現する世界

人間は霊であり、霊性を向上させる為に地球という物的世界に降りて来た。この地球で一定期間を過ごすためには、“本来の私という意識(自我の本体)”は肉体を通して自我を表現しなければならない。それ故に肉体は個別霊が地上世界でまとう衣装に例えられる。

 

B、多様な霊格の霊が交わる世界

地上世界は霊格がバラバラで親和性がない個別霊、本来の住処である霊界(狭義)では絶対に交わることがない個別霊が共通構造の肉体をまとうことによって、地上という同一平面で交わって生活している混在社会である。

C、地上世界は相対性・両極性の世界

地上世界は霊的に見て混在した世界、比較対象の有る世界なので本来の住処である霊界(狭義)では出会うことがない人や体験(→直接体験、間接体験)に日常的に遭遇できる。いわばこの世は両極性に満ちた世界となっている。

 

イ、この世は「学校」

私たちは霊界(狭義)では体験できないことを、地上で直接にあるいは間接に体験することができる。快楽主義者や利己主義者の末路を見聞きして自らの教訓としている。このように地上は霊性向上の為に学ぶ機会に数多く出合える場となっている。地上は両極性の社会故に数多くの学びができるので、この世は「学校」(474⑫参照)であると言われている。

私たちはこの地上世界で苦と楽、悲しみと喜び、愛と憎しみ、勇気と臆病、平静さと怒り、嵐と晴天、明るい側面と暗い側面、困難、闘争など、さまざまな両極性を体験(→直接体験又は間接体験)することによって学んで、各自霊性の向上を図っていく仕組みとなっている。シルバーバーチも「地球は学習のために通う“学校”です。その(学校での)学習は、比較対象の体験による以外には有り得ない」(到来25⑩~⑬参照)。また「人生とは学校です。刻苦と闘争、努力と困難、逆境と嵐の中をくぐってこそ魂は真の自我に目覚める」(4214⑩~⑪参照)と述べる。このようにスピリチュアリズムでは地上世界を「学校」と呼んでいる。肉体は“私という意識”がまとう「学校の制服」である。

 

ウ、再生を因果律から考えると

A、地上人生を承知して出生する

本来の世界にいる「本来の私A」は「再生テーマ(→今回の地上人生で解消すべきカルマと新たな地上体験を積むこと)」を自ら選択して地上世界へ降りていく。一般にその選択が我々の記憶にないのは、地上に誕生すると肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がってこないから(1巻38①~⑤参照)。

本来の世界にいる私はこれから降りていく地上世界での「大枠(→寿命、試練など)」を「本来の私A」の自由意志で決めた。地上に再生した「現在の私A-1」は「本来の私A」が計画した「大枠」に沿って地上生活を送る。再生人生でAが自ら選択した「試練(→広い意味での人間関係に関すること、金銭に関すること、性に関することなど)」を、地上人生を歩む「A-1」は現場サイドの裁量の範囲内でその都度、自由意志を行使しながら選択して行く(→霊性を高める道を選択するか、または霊性を停滞させてしまう道を選択するか)。

 

B、テーマ達成の為、最も適した条件を選択

「本来の私A」は今回の「再生人生におけるテーマ(→カルマの解消と新たな地上体験を積む)」を達成するため、主な「試練」と「寿命」をAの自由意志で設定した。さらにAは再生人生のテーマ達成に最も適した条件(SW)を選択した。その条件とは「国・民族S」「家庭環境T」「性別U」「体質V」「両親W」などである。このように「本来の私A」が設定した「大枠」に沿って「現在の私A―1」は肉体をまとって地上人生を歩んでいく。

 

C、上記を踏まえて考えて見ると

 原因を作っている人を「Xさん」とし、被害を被っている人を「Yさん」として考えて見ます。先ずXさん自身は霊性の低さ故に周りが被る困惑や迷惑が理解できないことが考えられます。また混乱の原因を作っているXさんは、Yさんの家族の一員として生まれることによって“何らかの学び”をしていることが考えられます。いずれにせよXさん自身が原因となって作ったYさんの家族に及ぼした困惑や迷惑行為は、その後マイナスのカルマとなってXさん自身が霊界でまたは再生して償いをすることになるでしょう。

 次にYさん側から考えて見ます。因果律の観点から言えばYさん自身が前世で何らかのマイナスのカルマ(→地上でしか償えないカルマ)を作ってしまったことが考えられます。今回の地上人生でカルマの解消という再生テーマ達成に最も適した家族構成になったものと思われます。また問題児のXさんと家族と言う関係を持つことによって、Yさんに問題の多いXさんの霊性を向上させるという“お手伝いのチャンス”が与えられたことが考えられます。この“お手伝い”はYさん自身のカルマの解消と共に、Xさんに対する“菩薩行(→プラスのカルマを積む)”を行うチャンスとなるから。難しいテーマですがこれが質問に対する私の回答です。

 

⑤、質問その5

<質問>「現在、認知症の母の介護をしております。家族や自分自身すら忘れて行く認知症についてスピリチュアリストはどのように考えたら良いでしょうか」

<回答>

ア、認知症とは

 認知症は記憶力・判断力・理解力と言った認知機能の低下による症状(→物が覚えられない、今まで出来ていたことが出来なくなるなど)や、怒りっぽくなる、攻撃的になる、意味もなく徘徊するなどと言った行動が見られる症状のこと。2025年には推定で65歳以上の2割が認知症になると言われている。

 一般に認知症患者の接し方については、頭ごなしにしかること、細かく指示をすること、指摘をすることなどの「否定する、禁止する、命令する」言葉は避けて、患者が安心して落ち着ける場を作ってあげることが推奨されている。

 

イ、スピリチュアリズムの観点から見ると

霊体と肉体は中間物質が変形した二本の太いシルバーコード(→額の部分と腹の部分にある)と、細いシルバーコードが網目状に繋がっている。認知症患者に特徴的に見られる理解力の衰えなど脳の機能の低下や、知的コントロールの低下に関して、定評ある霊界通信に次のような記載がある。

霊体と肉体を繋いでいる「二本の太いシルバーコードのうちの、脳とつながった一本がすり減ってきて、最悪の場合はプッツリと切れてしまい、魂(=意識)が日中の覚醒時にもダブル(=接合体)の中へ引っ込んで脳との連絡が取れなくなってしまっている。ただもう一本の、太陽神経叢とつながっているコードと、他の何本かの細いコードが繋がっているために身体上の機能だけは維持されている」「一見すると痴呆的な症状を見せていても、その魂(=意識)は少しも惚けていない。脳の機能との連絡が衰えているだけで、自我の本体(→この文脈からでは“自我の本体”ではなく“物的な心”のこと)はダブル(=接合体)の方へ止むを得ず移っているだけ」(永遠の大道126⑭~127④参照)。意識の表現器官が故障しているだけのこと。

 

私の父は2012年に亡くなった。晩年は難聴が進行して認知症になり徘徊を繰り返した。兄の家族が自宅介護をしていたが、何かある度に私が応援に呼ばれた。父の体験から質問者の介護の大変さは良く分かる。父が攻撃的になる度に症状発症前の“穏やかな父”はどこに行ってしまったのかと悩んだ。そんな時に『永遠の大道』の該当箇所を読み気持ちが軽くなったのを覚えている。質問者の参考までに。

 

⑥、質問その6

<質問>「スピリチュアリズムを知らない人に、人生の目的を伝える場合、スピリチュアリストとしてどのように言ったら良いでしょうか」

<回答>

 知らない人にはスピリチュアリズムと言う用語は使わない方が無難でしょう。この用語を使わなくても基本的な霊的真理である因果律や愛の法則などは伝えることが出来ます。

 一般に内省的な人であれば、または節目の年齢(50歳、60歳、70歳など)に達した人であれば、自らの来し方を一度ならず振り返って見たことがあるでしょう。その際に自分の性格上の欠点や繰り返す行動の背後にある問題点に気付くことでしょう。問題点の主なものとして「,人間関係にまつわる問題(1-1:家族、1-2:親戚、1-3:職場、1-4:地域社会など)」「,性にまつわる問題(2-1:〇〇,2-2:〇〇,2-3〇〇)」「,所有欲にまつわる問題(3-1:〇〇,3-2:〇〇,3-3:〇〇)」などが代表的なものになる。

これ等が人生上の節目ごとに現れる「試練(1-1,1-2,1-3,1-4)」となって、この「試練」を使って「地上人生のテーマ」をやり遂げることになっている。この「地上人生のテーマ」は潜在意識の中にあるので、地上人生中に知ることが出来る人は少ない。しかし人生で遭遇する「試練(1-1,1-2,1-3,1-4)」は、自らの面前で展開している事柄なので、穏やかに指摘してあげれば本人も気付くでしょう。その「試練」に対して霊性の向上の道を行くか、または霊性の停滞やマイナスのカルマを作る方向へと進むのか、このアドバイスはスピリチュアリズムという言葉を使わなくても可能でしょう。

 

⑦、質問その7

<質問その7の1>「フォックス家事件について。ネット上で読んだのですが、その後姉妹は、実は一連のことは自分たちが詐欺を行い騙してきたと告白したと知りました。」

<質問その7の2>20世紀初頭のアプローチの変化について。物理的心霊現象が次第に衰退して、心霊治療と霊的教訓と言う高等な側面に変化したということですが、霊界主導で地球を霊的に浄化する目的であれば、誰でも納得できるような物理的心霊現象の方が霊や死後の世界を世間に広められると思うのですが。相対性理論、量子力学などが発達してきた現代だからこそ科学的にアプローチできると思います。さらに世間ではそもそも物理的な現象自体一般的でないのに、高等な側面をどのように理解すればいいでしょうか」

<回答>

ア、フォックス家事件について

 フォックス家の姉妹と通信を行った霊とのやり取りは、内容の重大さに驚いた両親が呼び寄せた多くの村人の注視の中で行われたこと。霊との間の質問はフォックス家に集まった村人に引き継がれて、その中いたダスラーが中心となって、板に書いたアルファベットの文字を指示して霊に質問した、それによって加害者や被害者の名前などの詳細が明らかとなったこと。その際フォックス家姉妹の役割はラップと言う現象を起こす際のエクトプラズムの供給源となった。このような客観的な状況を見ても詐術説は当たらない。

 なお10歳前後の子供に周りの大人から「あれは姉妹が演出した詐術であろう」と迫れば、前言を翻すなど忖度した証言になってしまうのも無理はない。そもそも10歳前後の子供の証言に証拠価値があるのか疑問に思う(→司法機関でも子供の証言の難しさが度々議論されている。唯一の目撃者が子供の場合の扱い)。

 

*三浦清宏著『新版、近代スピリチュアリズムの歴史―心霊研究から超心理学へ』国書刊行会2022年刊行、14頁~参照

 

イ、20世紀初頭のアプローチの変化について

A、シルバーバーチによれば

シルバーバーチは「地上に於いてはその計画達成に二つの方法があります。一つは近道とでもいうべきもので、大勢の人の目を見張らせる方法で手っ取り早く魅了してしまうやり方です(→物理的心霊現象のこと)。これにも利点はあります。が、結果として及ぼす影響力に永続性がありません。容易に得られるものには余り価値はないものです。もう一つの方法は個々の魂が辛苦と闘争と困難、悲しみと悩み、病と悲哀を通して自ら学ぶことです(→心霊治療や霊的教訓のこと)・・・こうして得られたものはそう易々と失われるものではありません」(2巻61④~⑪参照)として、物理的心霊現象の限界を述べている。

 さらにシルバーバーチは地上に戻るにしても物理現象を手段とするか、霊言現象による真理の唱道者となるかの選択があったという。結局難しい道である霊言現象による霊的教訓の道を選んだと述べている(918⑦~⑨参照)。個々人の意識の変革を通して普及を図って行く道、確実ではあるが困難さを伴う道を選択した。

 

B、詐術の嫌疑との闘いの歴史

 スピリチュアリズムは「霊媒現象の歴史が詐術の嫌疑との闘い」(新啓示42⑭参照)であった。これはお金の誘惑に負けた霊媒が頻繁に現れて物理的現象の詐術を行ったことや、奇術師側からの執拗な挑戦があったこと等に見られる。これらがスピリチュアリズム普及の妨げとなった。

心霊現象からヒントを得て、奇術師が取り入れたパフォーマンスの実演は、スピリチュアリズムの勃興期の1851年にはすでに行われていた。心霊現象は詐術であるとの立場をとっていたスッコットランドの奇術師のジョン・ヘンリー・アンダーソン(John Henry Anderson1814年→1874年)は、ニューヨーク公演でテーブル傾斜とラップを取り入れたパフォーマンスを行っている。この時以降、心霊現象は詐術であるとの「アンチ・スピリチュアリズムの世論」を受けて、奇術師側からスピリチュアリズムに対する執拗なまでの攻撃が始まった。そのもっとも顕著な事例に「メンタル・マジック」がある。

 奇術師はさまざまなトリックを考案して、自らのレパートリーを広げて「メンタル・マジック」を作っていった。その結果「20世紀のはじめ、奇術師たちは霊媒のトリックを再現するという口実のもとに心霊術のトリックをショーに仕立てて、予言や読心術を主題にしたメンタル・マジックという分野を開発した」(松田道弘著『トリックスター列伝』東京堂出版2008年刊291頁参照)。奇術師は心霊現象をショーにしたことで、一般人は本物の心霊現象とショーとの見分けがつきにくくなったことが大きい。

 そもそも物理的「現象はせいぜい副次的な意味しかない」(霊訓下57⑥参照)。なぜなら心霊現象の「目的は霊的教訓にある」(霊訓下161④~⑤参照)から。物理的心霊現象はその性格上モノを扱うために、霊界側で働く霊は幽界の下層界にいる霊になる。その低級霊が高級霊の監督の下に各種心霊現象を起こすことになる。その波長は物質性を帯びている為、当然に邪霊の影響に絶えずさらされることになる(霊訓下160⑬~⑮参照)。物質まみれの霊媒が邪霊の標的となって詐術を行い、それがスピリチュアリズム普及の障害となった。

 

C、物理的心霊現象には限界がある

 物理的心霊現象の役割は「霊界や霊魂は存在すること」や、「あの世とこの世は交流している」と言う霊魂説の証明にある。これ以上の深い霊的真理や、霊界人の具体的な生活状況等に関しては地上に降ろすことは出来ない。このように物理的心霊現象には限界がある。

さらに同じ空間で複数人が同じ現象を見ても、全員が納得できるとはいかないものである。その典型例が清田益章氏によるスプーン曲げの実験であった。清田氏が反論の余地がないまでに明白な現象を起こしても、彼は過去に詐術を行ったということだけで、面前で起きた驚異的な現象を認めようとしない者もいるから(超心理学者の笠原敏雄氏の著書、参照)。

 私の印象を言えばこの40年~50年で、スピリチュアリズムに対する受容は格段に進んだという感触を持っている。必ずしも物理的心霊現象に触れなくても、霊的摂理を受け入れることが出来る人が多くなってきたという印象を持っている。

 

⑧、質問その8

<質問>「因果律について」

<回答>

次回の「第3講:基本的な霊的法則、霊界の住人たち」で因果律を取り上げます

 

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